ブギーポップは笑わない
Boogiepop and Others


 人類は危機に瀕している、のかもしれない。優しさが、何やら格好の悪いことのように思われてしまった現代、他人を尊重し、その命を慈しむ心が失われ、人を人たらしめていた社会が崩壊していくその先に、見えるのは人が人を平気で苛む修羅の世界。いや違う、修羅などという相対的な価値観の1極が、現出しそのことを嘆き憤る感情すら存在しない、ごくごく当たり前に人が人を、苛み虐げる絶対の世界。

 そんな世界になってまでも、人は生きていく資格があるのかと、天から降り立った男が問いかける。そうじゃない、人はそんな世界を望んでいないと訴えたくても、例えばナイフを振りかざして、己の興味を満たすためだけに人を傷つける少年がいて、権力を振りかざして、己の地位を保つためだけに他人を虐げる大人がいる、そんな社会が天から降り立った男に、行き詰まった社会の姿を見せてしまう。やがて男は天へと還り、人でなしな人類を滅ぼすべく、ゼウスのいかづちを落とし、硫黄の炎を浴びせるのだ。

 危機に瀕していた人類が、ちょっとした優しさでとりあえず救われた話だな。そんなことを思いながら、上遠野浩平の第4回電撃ゲーム小説大賞受賞作「ブギーポップは笑わない」(メディアワークス、550円)を読み、人はまだまだ人でいられるんだと、天を仰いで感謝の言葉を言いたくなった。もちろん救われたのはとりあえずのこと。やがて再び迫る危機に、再びの危機こそ救いがたい罪、そして容赦のない罰が下るんだろうと、思わず実を引き締めてしまったのも事実だが。

 ブギーポップ(不気味な泡)とは何者か。それは女子高生の宮下藤花の外観を借りて現れる、人が人であるための最後の砦のようなもの、なのかもしれない。その日、街頭でガールフレンドの藤花を待っていた竹田啓司の前に、女子高生の藤花は現れることがなかった。憤りつつも岐路に着いた啓司の前に、傷つき血塗れの男が現れ、けれども誰もが顔を見合わせ、男に救いの手をさしのべることがなかった。啓司とても同様、男を遠巻きにながめていたところに、黒い奇妙な衣裳に身を包んだ人物が現れ、男を介抱し周囲を罵倒し警官の手を逃れて姿をくらます。

 偶然のように目のあった、啓司がその人物「ブギーポップ」に見たのは、まさしく藤花の姿に顔かたち、だった。やがて当のブギーポップから、藤花の別人格として「人類の危機」を救うために現れたのだと聞かされて、啓司は女性の藤花にはない強さを、ブギーポップに見出して友人として惹かれていく。けれども啓司の預かり知らぬ場面で、人類の危機は回避されブギーポップも役目を終え、もとの藤花の姿を残して消えていってしまった。

 ブギーポップが闘っていた人類の危機とは何だったのか。そしてブギーポップが助けようとした男は何者だったのか。啓司と藤花の恋が進展していくその間で、悲惨な事件がいくつも幾つも起こっていたことが、第2話以降別々の登場人物の視点から語られていく。例えば未間和子は友人の京子が、同じ高校に通う美しいけれど普通とは違った女の子・霧野凪に詰問される場面に出くわして、凪が何かと闘っていること、それが同じ高校で多発する女子高生の失踪事件と関わりのあることを知る。

 そして第3話では、人類の危機の正体が明かとなり、同時にその正体である、マンティコアと呼ばれる生命体に何の罪悪感もなしに協力しては、少女たちを死に至らしめる少年の複雑な心理が描かれる。消えてしまった少女の中で、ちょっぴり不良っぽかったけど優しさだけは誰よりもあった紙木城直子を巡る少年たちの青春物語に、マンティコアと闘う役目を負ったエコーズの物語が絡み合い、やがて優しさが世界を救う、哀しいけれど幸せになれるエンディングへと、小説は進んでいくことになる。

 折り重なった時系列が、リニアな物語に慣れた目に戸惑いを与える可能性が高いけれど、1つひとつのエピソードを噛みしめ、それぞれのエピソードに登場する人々の関係を把握して読み進んでいけば、やがて立ち現れる一見耽美な、その実人が人でいられるために必要な優しさを語る物語に、必ずや何らかの感慨を抱くだろう。そして1人の少女の優しさが、世界を救ったことに強い感動を覚えるだろう。

 タイトルロールのブギーポップが、単なる多重人格の1つとは思えないところに、完結してなお謎の多い小説の、これからの展開に興味を抱かせる。同じく世界を昔から守って来た、美しくそして強い女子高生・風野凪の秘密にも、ブギーポップ同様に興味惹かれる所がある。自分を殺してくれる誰かを求めて、マンティコアの仲間となって同窓の女性たちをその牙にかける少年の、現実に対する醒めた心理状態にも、現代(いま)の虚ろな世界を見るようで、深く考えさせられる。

 さても奇妙な味わいの、それでいてメッセージはしっかりと伝わってくる小説で、世に出た上遠野浩平が、次に物する小説は何だろう。その乾いた文体と、けれどもウエットな感情もしっかりと込める筆さばきが、21世紀を前に不安で虚ろなこの世界と、どう切り結んでいくのか興味がつきない。あるいはブギーポップという、時代のトリックスターを核に据え、現代の様々なシーンで起こる不思議で奇妙な出来事を、もっともっと切り取っていって欲しいとも思う。刮目して次を待とう。


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