縮刷版2020年9月下旬号


【9月30日】 週中は休みにしてNetflixで「鬼灯の冷徹」なんかをつらつらと。「進撃の巨人」なんかで派手なアクションを見せてくれてたWIT STUDIOがこちらではギャグいっぱいでアクションはそんなにないアニメを作っているのは不思議だけれど、平面であっても絵の密度や描かれて居るものの確かさはさすがといったところ。人物に限らず背景とか小物なんかもしっかり描かれていて、美術とか背景の人たちの頑張り具合が伝わってくる。あと金魚草。3Dっぽいけれど数もあればフォルムもあってそれらを気持ち悪さ全開に描ききる。金魚草担当アニメーターとかいるのかも。

 だからやっぱり新聞はって言われてしまうんだろうなあ、これらの件も。まずは朝日新聞。大坂なおみ選手が全米オープンに出場する時に、スポンサーとなっている日清食品が出した広告に、SNSで文句が出ているって話を取りあげているんだけれど、文句を言われて当然みたいなニュアンスになっていてスポンサーが一方的に責められている。日清食品は「原宿に行きたい。」と大坂選手が行ったコメントをポスターにして、そこに「どんな応援をすれば大坂なおみ選手の勝利に貢献できるのか色々と考えた結果、大坂さんのことを好きになってもらえたら勝ちだなという結論にたどり着いたので、かわいい情報を置いておきます」という言葉を添えたらしい。

 この「かわいい情報」というのに異論が出たとかで、全米オープンで毎日マスクをかえてそこに警察官から虐待を受けただろう黒人の方の名前を書いてメッセージを送っていた大坂選手を盛り上げるのに、原宿好きだという情報だけを出して女の子っぽさを打ち出すのは大坂選手の活動に答えていないんじゃないかって批判があったらしい。なるほど全米オープンを通して大坂選手はそうしたメッセージを発していたけれど、この広告は開幕前であって直前の試合でのボイコット運動があったとしても、全米オープンでそこまでやると分かっていない段階から、社会的なメッセージを発しているアスリートと紹介するのが正しかったかは分からない。

 にも関わらず、大坂選手が原宿好きだという情報をのみ発信して、社会的なメッセージを発するアスリートだと喧伝しないのはスポンサーとして間違っているんじゃないかといった批判を、そのまま取りあげてスポンサーを暗に批判していたりする。あるいは記事の後半にそうした反論も書いているのかもしれないけれど、有料で読めない部分だから無料で伝わるのはスポンサーの弱腰に対する批判ばかり。公平であるべき新聞が一方的なのは拙いってことを、今や世間も知っているのにこうして誘導するところに新聞の世間ズレっぷりが漂うのだった。

 毎日新聞もとある芸能人が亡くなられた件で、いろいろと雰囲気が暗くなっているご時世に、そうした心が騒ぐような情報からは距離を置こうと専門家が助言しているという話の前振りで、そのものずばりの心を騒がす情報を書いていたりする。前提として必要だという意見もあるかもしれないけれど、それは拙いという意見を無視するかのような態度でもあるだけに、硬直的な新聞というメディアの教条主義的なスタンスを感じてしまう。ソフトに臨機応変な対応ができないものか。できないんだろうなあ、匿名顕名の件とかも含めて。こうした夜郎自大な態度がもうちょっと、扇情的に自尊心をくすぐるライティな言動を振りまくメディアへの寄り添いを招いて差別上等な言論空間を作り上げてしまったのになあ。

 63億円ものふるさと納税での他県への流出があって困った川崎市が、返礼品をいろいろと考え成したとか。すでに川崎フロンターレの選手のサインが入ったユニフォームなんかも用意していたそうだけれど、新しく川崎市に本社があるS’NEXTって会社のヘッドフォンを返礼品に加えとか。しょせんはヘッドフォンじゃないかと思って値段をしらべたら、D8000という型番のヘッドフォンは値段が39万5190円もするそうで、それが100万円の寄付でもらえるのなら納税額は実質60万円で、それで控除や還付が受けられるならそっちへと思うかどうなのか。そもそも60万円も税金を払ってない身ではよく分からないのだった。お金保ちになりたい。


【9月29日】 「デカダンス」が終了。大陸をゲームの会場にしてしまって、そこに進化した人類とも言えるサイボーグたちがギアと呼ばれるアバターに意識を移して仕組まれたガドルと呼ばれる化物と戦っている中に、事情を知らない人間たちが混じって人類を襲う敵と戦っているんだと思い込んでいる二重の世界構造を、早い段階で明かしてしまって事情を知らない人類が、翻弄されながらもとする意識を店、それにサイボーグの中にいた現状に疑問を持っているカブラギが飯能市、世界を革命していくとう設定はとてもSF的で面白かった。

 二次元的でキャラクター的なビジュアルと、三次元的でシリアスなビジュアルが混在する不思議な画面をだんだんと納得させてしまうところは、いずれも絵として描かれ平面のモニターに映し出されるアニメーションだから可能だった試みか。実写でカートゥーンのキャラクターがリアルなバスケットボールと絡んだ「スペース・ジャム」のような映画もあるにはあるけれど、あれは明らかに別のものが混在してる感じだった。「デカダンス」が実写で撮られていたら、そんな感じではやっぱり違うし、かといって「スター・ウォーズ」のジャージャーインクスみたいなクリーチャーを、CGでモデリングして人間と並べても違う。

 そういった意味で挑戦的な企画ではあったけれど、だから成功していたかと言われた時にあそこまで変える必要はあったかという部分が個人的にはまとまっていない。辻真先さんはこうした試みを激賞していて、アニメのベテランであっても刺激されるところが多々あった感じ。モンスターを倒すのが目的だったゲームが、野菜を作ったりフィールドを冒険したりバトルを行ったりといった感じに殺伐から温和へと変化していったのは、背景にあった人類への絶望が希望へと変わって、システムも抑圧から解放へと方針を変えたからなのか。そうした果てに地上でふたたび肉体を持った人類が栄えていった果て、少数派となったサイボーグとのバトルが始まる……なんて将来もあるのかな。いろいろ想像ts居て見たくなるアニメだった。見返そう。

 ガンダムだガンダムだ。横浜で本当だったら10月1日から動いているはずだった山下ふ頭の動くガンダムが、12月19日とそれほど後ズレしない範囲でオープンすることが発表。だったらいったいどこがどんな風に動くかというと、今のところは手を上げてUBIで上を指したり、体を捻って横を見たり、脚を上げたりといった動きができるくらい。しゃがみこんだりのけぞったり、躍ったりといった動きまでできるかは分からない。とかいいつつどこかのテレビ局が遠くから撮影してしっかりとした動きを映像にしているから、可能なことは可能。演出としてどこまで動かすか、安全性も探りながら決めていくことになるのだろう。

 動くことは分かったので、あとはどう見せるかというところで、「躍る大捜査線」の本広克行監督がリーダーとしてこれからいろいろ考えていくみたい。現場に現物にいって「すっげー」としか言葉にできないくらいの驚きを味わっていた様子で、見上げて凄まじく見下ろして素晴らしいガンダムを背景に、演劇だとかライブだとかプロジェクションマッピングだとか、いろいろな演出を施して新しいエンターテインメントを創造していくことになるんだろう。それこそシャアとアムロがガンダムをバックに拳を交え剣をかわすようなバトルとか、見せてくれたら楽しいかも。下で戦いドックを昇って戦って落下するのをガンダムが手のひらで受け止める、なんてことはさすがに無理か。

 値段も下に入って上に昇って5000円くらいなら何かのライブに行くと思えば普通に払って良いと思える値段。遊園地だとか動物園で遊ぶよりは高いけれど舞浜にあるテーマパークに行くよりは安い訳だし。あと2022年の3月31日まで伸びたとはいっても、期間が限定されたアトラクションだから一生に一度の機会と思えばやっぱり行くしかないだろう。そして昇るしか。最初は込みそうだけれど後半になれば空いてきそうな気もするから、見計らって見物に行こう。冬に凍えながら見るのも悪くはないけど、夏に青空の下で眺めるのも横浜らしいし。通うしかないか。

 ガンダムに行っていたので東京国際映画祭2020のラインアップ発表会には行けず。このご時世に映画祭としてリアルで開催してくれるところは英断だけれど、ここで折れたら東京オリンピックにも影響が出てくるといった判断があったかどうかは不明。文化庁と文部科学省では管轄が似て非なるから違うかな。のんさん主演「私をくいとめて」がジャパンプレミアとして上映されるそうなので、「この世界の片隅に」とかから続くファンも駆けつけそう。傑作アニメーション映画「音楽」の原作者、大橋裕之さんが描いた漫画「ゾッキA」「ゾッキB」を原作に竹中直人さん山田孝之さん斉藤工さんが監督した「ゾッキ」ってどんな映画になっているのか。アニメーションじゃないけど興味。

 ジャパニーズ・アニメーションはひたすらポケモン映画とスーパー戦隊映画が上映されるのかと思っていたら、「『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「サイダーのように言葉が湧き上がる」「ぼくらの7日間戦争」「映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」「どすこい すしずもう」なんかも上映されるみたい。あと特別招待作品として「魔女見習いをさがして」とスタジオライカ作品「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」も。「ミッシング・リンク」は新宿バルト9に人形が来ていたっけ。パスは取ったので記事になりそうなトークセッションとかあれば観に行こう。


【9月28日】 興行通信社が調べた週末の映画興行ランキングで「TENET」が2週連続で1位となり、2位も2週連続で「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」となった模様。「映像研に手を出すな」は初登場で5位だからまずまずか。「今日こそ俺は!」が1位となって相当な興行成績に達したのを見ると、もっと行って欲しい気もしないでもないけれど、その頃は他に映画もなかったから1本かぶりとなったのに対して今は有力作が目白押しだから分散してしまったのかも。「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は10日間で56万人を動員して8.1億円に来たそうで、10億まではたどり着きそうな感じ。これから先も京都アニメーションが作り続ける上では充分な成績だけれど、さらに上積みをしてより長く作り続けていただきたい。観に行くかもう1回。

 インディアンムービーウィーク2020というのが始まっていて、そこで女子サッカーがテーマになている「ビギル 勝利のホイッスル」という映画が上映されていたので観に行った。。正しくインド映画で正しく女子サッカー映画で、そして正しく女性の解放を訴える映画だった。まず女子サッカー映画としては、インドの州を代表するチームとして全国大会に出ることになった女子サッカーチームだったけれど、監督が知り合いらしいマイケルという男と車で走っているところを襲撃され、監督が傷を負ってしまう。

 狙われたのは同乗していたマイケルで、かつて監督と同じクラブチームでサッカーをしていて、ビギルという名で主力選手として得点王にもなり、全国大会で優勝し、インド代表に選ばれたこともあったけれど、訳あってサッカーから離れてヤクザ家業をしていたことから襲撃された。チームは翌日にはデリーに発って試合に臨まなくてはならないが、監督がいないと出場はできないということで、監督の頼みでマイケルが監督に就任してチームを率いようとするものの、彼のせいで監督が狙われたと思い、また素人でヤクザのマイケルを信頼しないチームは崩壊寸前。そんなチームをビギルとして名声を得ていた実力をマイケルが見せて納得させ、チームをまとめて勝利へと導く。

 女子サッカーの試合もいっぱい出て来て楽しめる映画。なおかつ女子だからこそ、そしてインドだからこその事情がそこに加わって乗り越えるべき壁を高くして、それを突破していく大切さを訴えている。かつての日本に負けず女性は嫁として家に入って家事をやっていれば良いという男の声が強く、出してもらえない選手がいる。その家に乗り込んでいったマイケルと、恋人がどうやって説得したか。その説得に見せる周囲の女性たちの涙が、かつてとは違い女性が自分を主張したがっているインドの姿を指し示す。
BR>  ストーカー気味に言い寄られた挙げ句、顔に酸をぶちまけられて傷つけられ、引きこもってしまっていた有力選手をどうやってマイケルが説得したか。男の身勝手さに憤りを浮かべるとして、そこで引っ込んでは負けになってしまうなら、どうすることで自分自身を取り戻せるのか。そんな意思を持つように促すマイケルの言葉がとても深い。家に押し込められる女性。男性に蹂躙される女性が自分を見せて誰の思惑にも左右されずに歩いて行く方法を、示すという意味で女子サッカー映画であり、女性の解放を描く映画でもあるのだ。

 それだけで十分に1本の感動的なストーリーになるところを、十二分な展開を盛り込んで来るところがインド映画たるゆえん。刺された監督がマイケルに監督を頼めと病院のベッドから訴えてから描かれる、マイケルがクラブチームでビギルとして活躍し、勝ち抜いていく一方でヤクザのボスだった父親はライバル組織と抗争を続ける。マイケルが後に恋人となる女性と出会い、彼女がカップをぶち壊してしまったエピソードだとか、インド代表に選ばれなかった父親がサッカー協会の委員長に直談判に行くエピソードだとか、そんな父親が代表への合流に旅立とうとするマイケルを送りに駅まで来たところで抗争に巻き込まれるエピソードが、じっくり過ぎるくらいに挟まれる。

 マイケルが、すなわちビギルがどれだけすごくて、けれどもどうしてサッカー選手としての活動を止めてしまったかが分かるようにはなっているけどそれが長い。また女子サッカーチームが登場するまでも、マイケルが大学を潰そうとする政治家と戦ったり、結婚式に呼ばれず乗り込んでいったりする展開がダンスやらバトルやらを目一杯に取り入れたシーンで描かれていたりする。スーパースターにして大将のヴィジャイをこれでもかとかっこうよく描こうとしているのはインド映画ならでは。それに喝采を浴びせたくなる気もするけれど、未だヤクザのまとめ役でしかない彼をどうして讃えることができようか。そこはだからインドにおけるヴィジャイのファン向けの見せ場ってことろなんだろう。

 サッカー界における闇めいたもの、選手選考へのよこしまな介入なんかも描かれていて、スポーツ界の腐敗を追及する感じもあってなかなか社会派。そんな悪党に対する仕掛けがなかなかすごすぎて可愛そうかというとそれだけのことをやったんだから当然かもと思えてくる。最後まで痛快。決勝のハーフタイムに浮き足立つチームをマイケルが立て直す場面とか、トゥルシェについて聞こえてきたエピソードを思い出すなあ。そういう意味でも女子サッカー映画でありサッカー映画としても立派に作られ存分に楽しめること間違いなし。興味がわいた人は機会があるうちに見に行こう。

 過去にも宮澤喜一元総理とか、橋本龍太郎元総理の合同葬で日本武道館を使って7700万円とか出しているから、プリンスホテルを使って行われる中曽根康弘元総理の合同で9800万円がとてつもなく高額な出費といった感じはしないけれど、今の状況でホテルの利用も減っているならもうちょっとディスカウントされなかったと思わないでもない一方、だからこそディスカウントするより通常の料金で使ってあげるというのも優しさだから難しい。いずれにしても過去にも前例がある合同葬への税金の投入が、悪行三昧なイメージで語られてしまうのはやっぱり誰もが貧乏になっているってことなんだろうなあ。裕福だったら文句なんて出ないものだから。その意味でも政治が悪いってことい落ち着くか。やれやれ。


【9月28日】 どんでん返しマガジン……じゃなかったミステリマガジンの2020年11月号が発売されて、綾里けいしさんの「魔女の愛し仔」なんかを当方の担当ページで紹介。おとぎ話で幸せに終わらなくなってしまった結末を魔女見習いが中に入ってただすという話だけれど、毒林檎で死んでしまった白雪姫を、死体でもいいから引き取りたいといった王子のネクロってる趣味があからさまにされたりしてなかなか楽しい。そんな王子に引き取られ、生き返った白雪姫が幸せになれるのか。ちょっと考えた。ラプンツェルのエピソードとか捻りも効いててなかなか。続きがあれば読みたいけれどまとまっているからなあ。綾里けいしさんは「終焉ノ花嫁2」が刊行でSF的なフィールドでも活躍。次にハヤカワに引っ張られるのはこの人か?

 その報道はWHOのメディア向けの手引きによれば「目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない」ことが求められているにもかかわらず、子どもたちが見ているアニメーション番組の中でテロップを出して速報したという話が流れてきて、どうして急ぐのだろうかといった疑問がやっぱり浮かぶ。災害に対する避難勧告が出たといった話だったら、そこで報じることに大いに意味があるだろうし、隣の国で戦争が始まったという話もやっぱり、身を引き締めることに役に立つ。

 でも今回のその報道は、ショックばかりが伝わって好奇心を満たすことにすら至らない。脅かせる効果はあっても何かを救ったり助けたりするような効果はない。むしろショックによって違う関心を引き寄せかねない。だからこそWHOも注意を呼びかけているにもかかわらず、報じてしまうのは他がやるからだって意味しかないんだろう。やれやれとしか言い様がない。

 速報でなくても刻々と報じられるニュースもやっぱりどこまで必要かといったところ。特定の時間に放送されるテレビ番組ならそれにマッチした層の好奇心を満たすような報じ方もあって良いかもしれないけれど、誰もが制限なくアクセス可能なネットのニュースに詳細な状況を記載するのは、WHOの「生じた場所」なんかを伝えるのは良くないといった見解に反している。なおかつネットの特質からか、当該のニュースの下に関連のニュースがずらりと並んで、ネガティブな感情を増幅させている感じ。あるいは沈みがちな気持ちを絨毯爆撃していくような感じとか。見て滅入る気もあるだけに、テレビだけでも壊れて見られない状況に少しは感謝しよう。

 東京アニメアワードフェスティバル2020のコンペティション部門ノミネート作品上映会、短編アニメーションのスロット2だけを見に池袋は新・文芸坐へ。家族だとか親子だとか友達といった人間関係を描いた作品が割と多かった印象。アルゼンチンの中でアビル・ゴールドファーブ監督による「イアン〜物語は動き始めた〜」は3DCGなんだけれど切片を集めたようなキャラクター造形が最初は雰囲気作りかと思ったら、意味を持ってて難病で手足がよく動かない少年が希望として公園で友達に混じって遊んでいながら実は違ってフェンスの向こうで車いすに座って眺めている様子へと、移行させる動きにしっかり意味を持っていて、なかなかのアイデアだと思った。

 何度心の中で一緒になりたいと思っても、切片となってフェンスをくぐりぬけて引き戻されてしまう少年の存在に気づいた公園の子ども達が、引き入れようとしてかなわなかったその先で、分断が起こらず仲間となってフェンスが消えていっしょに公園へと戻っていく展開に回復という奇跡のビジョンではなく、現実の中での融合を計る大切さを見せていたところが良かった。

 アントワン・ロベール監督の「2羽の小鳥」はおじいさんの農場に夏休みを利用して遊びに来ていた少年が、子どもならではの無邪気さで動物で遊んでいるところが残酷で、ブタにダーツを差すはアヒルに口から尻までひもを通してそれを3連にして引っ張るわとやりたい放題。そんな中で親鳥をつぶしてしまったシジュウカラの雛を部屋に入れ、片脚をはさみで切って車輪をつけてとひどさは続くけど、そんな小鳥が井戸に落ちれば心配で、最後は空に放してあげたりと情も見せる。残酷と関心が同居する子どもの日常。

 ポルトガル・フランスの作品でデヴィット・ドゥテル、ヴァシュコ・サ監督の「予兆」は森の中の川沿いの家で心を病んだいとこと暮らす男が牛を世話しつつ窓べりのコップに浮かべた種を見るだけのいとこにいらだちを見せる。そしておこった牛が凍った川の上に乗ってしまい、助けようとしているところに現れたいとこが氷の下に落ちるアクシデント。弱り目に祟り目な暮らしの絶望感しか漂わない物語が春で終わることにどんな意味があるのか。気になった。

 ロシア・フランスによるタチアーナ・ポリェクヴァ、オールガ・ポリエクトヴァ監督の「パパ聞いて!』は海を泳いでわたったと言った父が嘘だと言われ不遇の中に死んだ、その息子もまた海を泳いで渡ることに挑戦する。信頼と疑いの狭間で揺れる子の心がたどりついた場所で見た光景に信じる大切さが浮かぶ。ポルトガル・フランスによるアリス・ギマランイス、モニカ・サントスの「影と影の間で」は実写でコマ撮りしつつアニメ的なエフェクトを入れ胸が引き出しになって開いたり回転すると衣服が替わったりするような変化を入れつつクラシカルモダンな雰囲気の世界で女性が男性と知り合い追われるSF的なスパイアクション展開を描く。とてもユニークな映像。アニメーションとしてエントリーされるところが面白い。

 ほか見たり寝たり。チェコのダリア・カシュチーヴァによる「娘」は人形を使ったアニメーションの技法が造形も含めて究極に達していたなあ。物語的には父と娘の関係をサイレントで描いて染み出る何かを感じさせようとしたもの。通してやはりキャラではなく物語をまずは重視しその物語を描く上でベストな技法、そして素材を使っているなあという印象。世界で勝つアニメーションというものはそういうものなのだろう。


【9月26日】 「バトゥーキ」が更新されて有料で読める先読みで羚ちゃんとお駿姉さんの本格化するバトルを堪能する。夜のお勤めなので真夜中になって最高潮となったお駿姉さんの繰り出すパンチを羚ちゃんもどうにかしのいでいるけど、悪魔王子ことナキーム・ハメド並みのスゥエイを見せるお駿姉さんに変則が売り物のカポエィラもなかなか苦戦しそう。とはいえ低い姿勢から繰り出す羚ちゃんの技も相当なもの。果たしてどちらが勝つのかが今から気になって仕方が無い。そして上半身をブラみたいな衣装だけで戦うお駿姉さんと、スカートがはだけるのも気にしない羚ちゃんのアクションがより激しくなるのかも。動く映像で見たいなあ。アニメでも実写でも。

 東京アニメアワードフェスティバル2020のの受賞作品上映会でラルフ・ククラ監督とマティアス・ブルーン監督による「フリッツィ」を見る。1989年のベルリンの壁崩壊へと至る汎ヨーロッパ・ピクニックからの東ドイツはライプツィヒにおける月曜デモの広がりの中、先にハンガリーからオーストリアを経て、西ドイツへと向かった同級生のゾフィーから預かった犬を返したいと、12歳の少女フリッツィが願い、いろいろと行動を始める。それはとても危険なことだけれど、家族を巻き込んだり自分の将来が不安だったりといったところにまで、考えを回さずただ親友のゾフィーに犬のスプートニクを返してあげたいという思いで突っ走る。

 警備兵がいて銃を持って近寄る者を射殺する国境にだって平気で近づき、抜け穴から越えられるといった甘い考えで行動することが、家族にどれだけ迷惑をかけるか分からないのかといったいら立ちも浮かぶし、そうした可能性を知ってもなおデモに参加しては探しに来た父親を逮捕させてしまうという不始末まで起こしながら、それでもデモに参加し続けるフリッツィに困ったものだといった思いも浮かぶ。12歳だから仕方がないと言えば言えるのかもしれないけれど、12歳ならしっかり国の子として言いつけは守るようになっているんじゃとも思えて、そのあたり当時の12歳がどう思っていたかが気になった。

 歴史的な事実として月曜デモの波及から国境の開放、そしてベルリンの壁崩壊を経て東西ドイツの統一へと至ったことを知らなければ、それこそ香港の目下進行中の状況のようにデモからの言動が身に大変な危険を及ぼす危険を、どうして冒せるんだとフリッツィを叱りつけたくもなるけれど、結果を知らないからこそ行動しようとしたフリッツィのような人たちが大勢いたから、得られた歴史的な結果でもある。そこの判断を後世から高みで見るようにするのではなく、その当時に何が最善だったのかを今一度、噛み締めさせる意味を持っている映画なのかもしれない。

 社会性を帯びたテーマを日本ではなかなかアニメーションとして作らないといった指摘は以前からあって、片渕須直監督と土井彰伸さんとの対談なんかでも話されていたことだけれど、こうして歴史的で社会的な出来事を、12歳の少女の視点から描いて行動することの意味めいたもんを悟らせるアニメーションが、30年が経って作られているところが欧州なのだろう。というか、この映画がどういう経緯で作られ、誰をターゲットにしていたかが分からないから、例えば教育性を帯びたものなのか、エンターテインメントとして作られたのか、知りたい気がする。

 動きはシンプルでキャラクターのフォルムは結構スタイリッシュ。フリッツィのミニスカートから延びる脚とか細いけれども華奢すぎずすっくと立っているように見える。アクションももたもたとせずよく動く。顔立ちとかアート的なところはあまりなくアメリカのカートゥーンに近いかも。そして言語は英語だった。アニメーションとして作られた意義としてラルフ・ククラ監督がアニメーションなら当時の空気感を今に再現できると話していた。セットを組んで衣装をそろえ大量のトラバントを用意するなりCGで作ってはめ込んでも、セット感が残る実写とは違いアニメーションなら様式の中にそれらを再現できる。

 あとふんわかとしてコミカルさも残したビジュアルやモーションがシリアスな主題をやわらげつつ、シンプルに状況を描き出す。シュタージの悪役ぶりと、それを嫌う市民の言動なんかは実写ではればべたついた感じになったかも。政府に反感を抱く善意の人々と仕事だからと躍起になるシュタージ、子供だからと迷う国境警備兵に上との連絡がとれないまま国境のゲートをあげる隊長の、それぞれの立場や心情も絵だけれど、絵だからこそ感じられるようなところもあった。このあたり、「この世界の片隅に」なんかとも通じる異化効果があるのかもしれない。

 小説投稿サイトのカクヨムが小説を募集する「カクヨムコン6」というのが始まりそうで、異世界ファンタジーとか現代ファンタジーとかラブコメといったカテゴリーを設けて作品を募集するらしい。そうした分け方に対してSFだとかミステリーだとかホラーといったジャンルの小説はどこに応募したら良いのかという問に、儲けられた「どんでん返し部門」というFAQが上がっていて世間が騒然としている。まあ確かにミステリーだSFだホラーだとセグメントを分けたところでそれらが融合したような小説はあるし、ホラーとミステリーの境界、ホラーとSFの境界も曖昧だったりする。かといってそれらを統合する言葉もないなら世界がひっくり返るような驚きを味わえる「どんでん返し部門」と括るのは間違ってはいない。

 それらがジャンルではなく手法であって、異世界ファンタジーでも現代ファンタジーでもキャラクター文芸でもラブコメでも描こうとすれば描けることもあるけれど、例えば「横浜駅SF」のような設定がぶっ飛んでいる作品を現代ファンタジーとして応募するのもちょっと難しい。それなら「どんでん返し部門」と銘打たれた中に入れてもらってどんでん返しっぷりを競い合った方が為になるだろう。とはいえSFもホラーもミステリーもどんでん返しと言われると、SFマガジンはどんでん返しマガジンでミステリマガジンも丼電返しマガジンで、池澤春菜さんは日本どんでん返し作家クラブの会長となってしまう。それもそれで面白いけど流石にね。いやあインパクトのある言葉。何か書いてみようかな。


【9月25日】 映画「映像研には手を出すな」は基本的に漫画の単行本の第2巻がベースになってはいるけれど、水崎氏の俳優の両親が仕事に行けず水崎氏がアニメを描いた文化祭の発表会に行くことになる理由が違っていて、その遠因に大・生徒会による企みがあってそれが映像研とロボ研のコラボレーションに繋がっていたり、漫画版にはない文化祭前夜に学校に泊まり込もうとして大・生徒会に阻止されたのをかわすかわし方に繋がっていたりと、いろいろ考えられた脚本になっていた。音曲風呂で浅草氏と水崎氏が裸で向き合い仮想のバトルをするシーンはなかったけど。なかったんだ。ちょっと残念。

 いろいろとラフに空想したものが線画で実空間に描かれ浮かび上がって動き回るというのは実写ならではの表現かも。それを蹴っ飛ばしたりすると飛んで行く表現も含めて。全部が絵の漫画ではそうした部分は妄想のリアルで描くしかないからなあ。実写では別にCGでもってリアルに描くということもできる。ロボ研とともに想像していくロボットが、どんどんと変化していく様とかリアルだけれど変化があって見ていて楽しい。全部が絵のアニメでもやっぱりそういう表現はできないから。実写は実写ならではの見どころがあるということで。でもだからこそ音曲風呂でのバトルが見たかった。齊藤飛鳥さんと山下美月さんの全裸バトルが。次こそは。次あるのかな。

 東京国際映画祭2020でアニメーション関係の出展が決まって、「ポケットモンスター」とスーパー戦隊シリーズの特集を行うとか。スーパー戦隊のどこがアニメーションだと思わないでもないけれど、世界で「パワーレンジャー」が人気だし特撮文化のひとつの形でもあるからそれはそれで需要があるのかも。でもアニメーションに絡めて「サイボーグ009」とか「レインボー戦隊ロビン」といったアニメでの戦隊物の走りをいっしょに紹介して欲しいかも。これらがあって「科学戦隊ゴレンジャー」だって生まれて来たと思うから、石ノ森章太郎さん的に。

 「ポケットモンスター」も日本を代表するアニメでキャラクター文化の代表で、世界で人気ってこともあるから注目は集めるだろうけれど、アニメーションとしてというよりキャラクターとしての人気の方が高くって、アニメーション的な表現なり文脈からのアプローチをどうすれば良いのか少し見えにくい。そこはだから監督の湯山邦彦さんと脚本の首藤剛志さんをフィーチャーして、2人が組んだ「ミンキーモモ」とか「ゴーショーグン」あたりに遡って紹介してくれたら文脈も出来ると思うんだけれど。そういう考えはないだろうなあ、どうなんだろう。とりあえず見には行こう。イベントがあるならそれも見物に。

 日本国憲法の表現の自由を守るという趣旨もあるし権力が表現を規定すれば弾圧に繋がるといった過去への反省から、キュレーターが決めたことに異論をはさまず展示を進めたあいちトリエンナーレの愛知県側のスタンスに、間違ったところは何もないはずなんだけれどそんなあいちトリエンナーレに関わっていたはずの名古屋市の市長が、表現の自由を抑圧しなかったという理由でもってリコールしようと運動し、県議会にも働きかけているというこの厄介で面倒な状況をいったい名古屋市民はどんな思い出眺めているんだろう。やれやれといったところなだろうなあ。新型コロナウイルス感染症への対策だってどこよりも遅れていたりするって評判だし。だからといってそんな市長をリコールしようとする動きも起こらないのは、放っておいても影響はないと達観しているからなのか。


【9月24日】 それでどうにか暮らしていけるくらいのお金を出しては消費に回してもらってお金を循環させるのがベーシック・インカムという奴なら、毎月たったの7万円を出してついでに生活保護も年金も打ち切るなんて制度がベーシック・インカムであるはずがないのに、元は学者先生で今は政府のブレーンみたいなこともやってる企業のトップが平気でそんなことを公言して、テレビもそれを止めない状況がこの国をどん底からさらに下へとたたき落としているんだろうなあ、竹中平蔵さん。

 昔はそれなりに格好いいことを言っていたのに今は言うことのことごとくが搾取と抑圧の象徴。それを分かって言っているのか分かっていないのか。それすら分からなくなってしまった。派遣を専門職から広げて労働のバッファーとしてしまったことで、昨今のコロナ騒動でそうした派遣や非正規が一気に着られて6万人が職にあぶれているとか。そういう自分だって身分はそうは変わらないけれど、ストックがある分まだ気持ちに余裕はある。そういう機会すら与えられずに来てしまった世代がこのコロナ禍で潰されてしまった先、日本に未来はあるのだろうか。海外から人を入れるったって今の給与じゃ誰も来てくれないんだよ。やれやれ。

 台風が直撃して電車が動かないなら家に籠もっていようと思ったけれど、太平洋上を遠く離れて北上してしまったことから電車もちゃんと動いて雨も降っていなかったんで仕事に向かう。もしも出られなかったら「GREAT PIRITENDER」の新しいエピソードを一気に見ようとも思っていたけれど、そっちはおあずけ。その代わりって訳じゃないけど数日間は「夏目友人帳」を見つつ「鬼灯の冷徹」なんかもちらりほらり。地獄というもがどんなところかを解説するようにして事務的な感じも持たせつつ描くユニークな展開は、漫画版よりもアニメ版で身にしっくり入ってくるところがあるから。「電脳コイル」も上がって来てたし長雨でも退屈はしなさそう。いやそれで籠もっていたらご飯が。ちゃんとしたベーシックインカム来ないかな。

 明日からだと思っていたら前夜祭で舞台挨拶付きの上映があるってんで、仕事が終わってから新宿のバルト9まで観に行った映画「映像研には手を出すな」は、実写のドラマ版を実は見ていなくってアニメ版も見ていなかったりする身には初めての動いて喋る映像研だったけれども浅草氏の 齋藤飛鳥さんがやっぱり巧い。舞台挨拶ではロングな髪をたらしたアイドルといった雰囲気なのに、映画で浅草氏になるとしゃべりも叫びも浅草氏。なおかつ歩きもポージングも。よくぞあそこまで演じきった。それは金森氏も同じか。山下美月さんもやっぱりアイドルなんだけれど強面なプロデューサーとしての顔をどこまでも演じきってくれていた。凄腕だった。現場に欲しいと思う人も多そうだ。

 あとはやっぱり生徒会のさかき・ソワンデを演じているグレイス・エマさんかなあ、あの金森氏を相手に決して引かない強気の姿勢に強気の口調。ふてぶてしさも感じさせるその表情に普通だったら怯えそうだけれど金森氏だったら対抗できるというか、金森氏でなければ無理って感じ。それがエマさんの地なのか演技なのかは別の役を演じてみてくれなければ分からないかも。百目鬼もすごかった。というか百目鬼が作る音響がすごかった。手がけた音響チームがすごいんだけれどその迫力をアニメに乗せてくれたらそりゃあすごいのが出来るよな。

 詳細については明日が公開日ってこともあるので触れないけれどもとりあえず、統合の危機にあって映像研がロボ研と組んで突破していこうという展開。そこで語られるロボットアニメについてのもろもろに耳も痛いが心も燃える。ロボットアニメを作った人や作っている人たちはいったい何を思うのか。端から見るならやっぱりクリエイターはめんどくせえ、ってことかなあ、そのめんどくささが作品の質を上げ濃度を高め密度も高めてすごい作品に仕立て上げるんだってことで。

 気がついたら「鬼滅の刃」のシリーズ累計発行部数が1億部に到達したとか。過去の到達作品が結構な長さのものを長期間に亘って描いてそれで何年もかかってようやくだったのが、「鬼滅の刃」は2019年の半ばまでは350万部ほどだったのがアニメ化もあってか一気に膨らんで30倍近くまで伸びてしまった。過去にない勢いだけれどこれで入った印税への課税も相当なものになりそうで、作者の吾峠呼世晴さんもちょっと大変かも。10年かかって入ってきたならまだ準備も出来たんだろうけれど、これで最終巻が発行されるまでにどれだけ伸びるのか、その後にアニメも完結まで作られたらどこまで行くのか、そこはやっぱり気になるところ。連載がなくても稼いでくれる作品を見漫画の作り方も川ってくるのかな。


【9月23日】 明け方ほどまではいかないまでも、少しは夜更かしをしてインタビューを仕上げて画像を添えて送信する。インタビューしている時は相手の表情も見えるだけに果たして相手の期待に応えられているのかなあという不安が浮かび、テープ起こしを躊躇ってしまっていたけれど、起こせばとりあえず聞きたいことは聞いていて、それをとりまとめて順番も整えることによって、とりあえず筋が通った話になったので、重複だとか冗長なところを削ってどうにかまとめた感じ。あとは以来側の反応と、そしてインタビューした方の了解が気になるところ。しばし待とう。

 日付が変わって配信も始まっていた感じで、「夏目友人帳」シリーズを見る合間の新作として「食戟のソーマ 豪の皿」の最新話。薙切えりなの母親で、神の舌を持つ真凪が幸平創真の作ったチャーハンに大感動しておあずけのおはじきとやらを発揮して、国際的な食のバトル「BLUE」の会場にいた人々の副をはじけ飛ばすというサービスカットがいっぱい見られて良かったけれど、すぐさま人数分のガウンがそろえられたのはそういう状況を予想していたからなのか。おはだけ程度で終われば掻き集めて着ればすむはずだったから、用意はしていなかっただろうし。

 才波朝陽はこれで退場か。そして結晶はえりなと創真となったけれども、ラスボス登場って感じでクライマックス感がいっぱい。ちょっとテンパっていたえりなが必死で作っている料理を味見して面前でダメ出しする創真もなかなかだけれど、それで相手にエールを贈って自分が負けても構わないのか。いやそれでえりあんが真凪の舌を満足させられる料理ができたら構わないのか、創真的には。自分でなくれも誰かの料理が誰かを喜ばせることを嬉しく思う感じだから。それでもやっぱり勝ちたいというのも創真の特徴。叩きつぶしにいくのかな。続きを待とう。

 20年くらいコタツに入ってアニメを見続けた成果としてufotableを紹介する記事を書いたら掲載されて、そこに取りあげた「劇場版 空の境界 第五章 俯瞰風景」や「ギョ」の平尾隆之監督や、その平尾監督とは多分マッドハウス時代からの知人で、「進撃の巨人」なんかを監督された荒木哲郎監督が読んでくれたようでひとまず安心。ただのファンでアニメを見続け時々本を読んだり話を聞いた程度の人間で、内部の情報も詳しい技術もまるで知らない身ではあるけれど、20年を眺め続けた知識はそれなりに意味はあったと思いたい。そんな感じで新海誠監督押井守監督細田守監督を取りあげて来たので、次はどなたにさせて頂こう。やっぱり神山健治監督かなあ。

 水曜日はもともと休んで書評を書く日にしていたので、土曜日からの四連休を引き続いて三鷹への通勤は遠慮。そう言っていたら明日には台風が関東地方に近づくみたいで大雨に強風で鉄道も影響を受けるみたいで、遠く見たかへと火曜のも難しそうだからやっぱりお休みになるのかもしれない。懐にはちょっと痛いが仕方が無い。とはいえ仕事は明日には回せないので近所のタリーズへとこもって2時間くらいでとりあえず原稿を仕上げる。とりあえず「魔法科高校の劣等生」と「わたしの幸せの結婚」について書いたかな。「魔法科」は1500万部の大ベストセラーだけど、「わたしの幸せな結婚」はまだ120万部、ってそれも凄い数字だけれど、この半年で6倍に膨らんだというのがちょっと凄い。200万部だって遠くはなさそう。でも富士見L文庫だからライトノベル的には埒外なんだよなあ。伝奇バトルだし取りあげるかSFマガジンで。

 戻ってNetflixで「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」を見る。なるほどやっぱり細部まで筆が入って効果もクリアでキラキラしているって印象かなあ。もちろん「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」もしっかりと描かれているんだろうけれど、見たのが劇場の最前列で真下から見上げるようだったので、そのあたりのクオリティを確認できなかった。あとはスコットラインドの島々みたいな曇天に白波が押し寄せる孤島が舞台だったこともあって、外伝のようにキラキラとして明るい光景とは違って感じられたのかも。やっぱりまた行くしか内だろう。冊子も欲しいし。


【9月22日】 「夏目友人帳」シリーズを見る合間に「デカダンス」の最新エピソード。全滅させたはずのガドルだったけど、タンカーすなわち人間だとかサイボーグだとかと同様にバグがあってチップが埋め込まれていなくて生き残ったガドルがデカくなってデカダンスに攻めてきて、応戦したけど敵は強くてとてもじゃないけど倒せない。タンカーのチームが出ていったところでかないそうもないけれど、それでもナツメは出て行って戦うことになりそう。ヒロインだから。

 一方の組長ことカブラギは素体が倒されてもすぐさま別の素体に乗り換えて復活。でもカブラギを前の素体でしか知らないナツメには死んでいるようにしか見えない訳で、すぐに別の顔をして洗われたカブラギをすぐさまカブラギと認識できるものなのか。そこがちょっと気になった。あとはやっぱり物語のスケールって奴で、大陸規模ではあってもゲームとして割り当てられた場所でサイボーグたちがやんちゃをしていたら、ちょっとアクシデントが起こって再起動へと至りますってだけの話に見えないこともない。

 「ダーリン・イン・ザ・フランキス」みたいには人類の未来だとか進化のあり方だとかに踏み込んでおらず、サイボーグかそうでないかの格差が残るだけ。それともガドルを倒したらデカダンスがエデンの園となって次なる文明が開けるのか。そうした大きな物語って奴を示してくれないと、行き詰まってしまいそうな気がする。サイボーグとタンカーがいっしょに暮らすってビジョンも見えないし。そもそも絵柄が違いすぎていっしょに暮らすことができるのかが分からない。いや絵柄は関係ないんだけれど。どういう展開になるのかなあ。最後まで追ってはいこう。

 インタビューをしたけど、どうにも不出来だったような気がして果たしてうまくいっているかを確認するのが怖くって、テープ起こしを逡巡していたもののいよいよとなって一気に起こしたらまあそれなりのことを聞いていた。インタビューあるある話のひとつ。分量が足りるだろうかという不安もあったけれど、さっそく文体を整えて構成もしなおしたら今度は、分量が多すぎてってどこをどう削ったら良いかに迷いそう。気にせずどばっと出しては編集側で好きにいじってもらうというのもありかなあ。

 連休の課題はこれどうにか目処が経ったってことで、池袋のグランドシネマサンシャインで「TENET」を見ることにする。クリストファー・ノーラン監督作品って何か見たことあったっけって振り返ったら、「インターステラー」も「インセプション」も「ダンケルク」も気にはなっていたけど微妙に外していたりした、そんな人間にとっての初ノーランなので言ってしまうけど、何か単純に見せ方があまりうまくないだけなんじゃないかって気がした逆行の部分。

 それは映像的にも物語的にも感じたことで、めまぐるしく動くから誰が何でどうなっているかをつかみづらいし、映像とかイジるのが好きそうじゃないということから無理して作っているような気もした。そうした部分がもっと巧く描けて、そしてカチリと脚本とかみ合えば面白い時間SFになったような気がした。ニールの未来で待ってる感とかもちゃんと出たんじゃないかなあ。そういう解釈であっているかを調べたら、そう感じている人も多かった。アクセサリーが鍵みたいだし。

 設定からストーリーを紐解くのはもうちょっと吟味が必要として、とりあえずセイターの妻を演じていたエリザベス・デビッキさんが美人で足が長くてとてもとても素晴らしかったけど、調べると慎重が191センチもあって僕と並ぶと肩にようやく頭が届くかで、ヒールでも履かれたら頭のてっぺんすら触れなくなるから諦めた。何を諦めるもないけれど。そんな長身の美女を見ているだけでも楽しい映画をIMAXレーザーのGTテクノロジーだなんて巨大なスクリーンで見られるんだから、2500円の価値はあったと思いたい。

 ただ、それをまた見に同じお金を払うよりは、ストーリーをだいたい分かった上で何がどこでどう重なっているかを確かめにもう1度くらい見たい気がする。今度はおおたかの森のIMAXレーザーで見るのが良いのかな、TOHOシネマズならシネマイレージ会員の日があるから。出演者ではあと、名も無き男のジョン・デヴィッド・ワシントンはデンゼル・ワシントンの息子さんだってことだけど、気づかないくらいしっかり演技に入り込んでいたし、ニール役のロバート・パティンソンといい相棒感を出していた。ケネス・ブラナーはさすがに重鎮。その口元まで覆ったひげのふさふさ感をエリザベス・デビッキは感じたのだろうか。気になった。

 王将戦のリーグが始まって、渡辺明王将・名人に挑戦する棋士を決める戦いであの羽生善治九段が藤井聡太二冠と激突。勢いのある藤井二冠があっさり勝ち上がって三冠目を狙うのかと思ったら、羽生九段が勝利して竜王戦に続く挑戦権獲得に向けて大きな1歩を踏み出した。元より若手であっても苦手としない羽生九段ではあったけれど、ぬきんでた才能を持つ藤井二冠が相手で果たして通じるかと思ったら、そこはちゃんと研究もして来たんだろう。あるいはどうすれば良いかが分かってしまうとか。50歳でここまでの強さを残していられるのも、そうした天性の才能があるから。次は豊島将之竜王が相手の羽生九段。竜王戦も含めてここで押さえ込んで100期目のタイトルといきたいかな。


【9月21日】 Netflixに「夏目友人帳」の6シリーズとOVAが来たのでいろいろなエピソードを見たり飛ばしてつまんだりして過ごす。名取りや的場が絡む回がいろいろと動きがあって面白いけれど、妖怪と人との関わりを描くエピソードは見えたり見えなくなったり、生きていたり死んでしまったりするすれ違いが切なくてキュンと来る。テレビではたぶん放送しなかった「夏目友人帳 陸」の特別編「鈴鳴るの切り株」もそんなエピソードだった。

 銀杏の大木に雷が落ちて焼け落ち、切られ切り株だけになったところに銀杏を根城としていたあやかしがいて、それが夏目の前で倒れていたのを助けられ、いわれなんかをを語り始める。かつては参道だった銀杏の前に来た女の子と約束をしたけれど、それ以来現れなくって心配していたという話。あやかしが銀杏の枝を振ると、鈴の音が聞こえるので聞かせてやりたいと思っていたけど、長い年月が経って消息も分からないなか、夏目が探し出したその行方は……。TVシリーズと同じ時間で映画1本分くらいの深みがあって切なさがあった。凄い話だった。こういうのがあるから「夏目友人帳」は素晴らしい。そしていつまでもアニメ化され続けるんだろう。次はいつかなあ。

 何かのバラエティでお笑いのメイプル超合金でカズレーザーと組んでいる安藤なつさんが、だし巻き玉子の名物をじゃんけんで買ってひとりで食べた件が批判され、謝ったという件は、誰もが発信してそれが寄り集まって拡声され得る現代だからこそ起こる野暮ではあるのだけれども、一方でバラエティにおける笑いの質で、誰かを悪人に見せるような演出が時代にそぐわなくなっている現れなのかもしれない。テラスハウスの件はそれが顕著に出た一例。「泣いた赤鬼」の青鬼の心情まで慮れる想像力はすぐには浮かばないものなのだ、現代は。

 関東学生陸上競技連盟は来年1月2日と3日に開催予定の箱根駅伝を、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐ意味から無観客にしたいと発表したとか。公道を使って時には閉鎖なんかもして学生たちを走らせる駅伝競技で、無観客なんてあり得ない話で、沿道に人を立ち入らせないようにするなんて無茶も無茶、そのための警備で人数がかかれば一緒になりかねない。学生3大駅伝のひとつで、過密さでは箱根なんかより断然より薄い出雲路を走る大学選抜駅伝の方は中止の予定だからそれに倣えば良いだけなんだけれど、やっぱり3大駅伝のひとつの全日本大学駅伝は11月に伊勢路を走る予定。その頃には一段落しているという判断なんだろう。

 大学駅伝が無観客かどうかは発表がないから不明だけれど、観戦には来ないでと呼びかけているのかもしれない。箱根駅伝も同様だけれど一般の人が言うことをきくかきかないかは自主的な判断。ただ学生の周囲で同じ学校の応援に行く学生だとかOBやOG、家族までもが観戦を自粛し家で見ると決心しているのなら、観客もこれに倣って自粛をすることで、学生たちが最後の冬を一生懸命に走ることができるのなら従うのが心意気ってものだとは思うので、そこは言うことを聞いて家で見よう。というかもともと見ないけれど。これで爺さんのOBが沿道に繰り出し応援したら天罰だな。

 川岸殴魚さんの「呪剣の姫のオーバーキル〜とっくにライフは零なのに〜」(ガガガ文庫)を読む。オークを大鉈で切って殴って開いて叩いて裂いて抉ってと惨殺の上に惨殺を重ねる女剣士の暴れっぷりが映像で見たいけれど、エロくもないのに全編モザイクになりそうな。かつて王室御用達だった魔法鍛治師の地位を、王様への献上品を作ることによって取り戻そうとテオ少年が、そのために必要なミスリルを探し旅する途中でオークに襲われ絶対絶命。そこに現れたのが獣の頭骨を被った女剣士だった。

 シェイという名の女剣士シェイはオークに襲われたテオたちを、オークの惨殺に次ぐ惨殺で助けるものの、途中で武器が尽きかけた時、テオが現場で鍛冶師としての腕を見せる。武器に魔法を重ねがけする腕を見込まれ、到着した辺境伯領でテオはシェイとともに魔獣退治をするよう辺境伯から言われ、変わりにお家再興のためのミスリルを与えられるとなって言うことを聞く。

 そして現場では惨殺が繰り広げられることになるんだけれど、シェイは別にスプラッター好きではなく、持ってる呪属性武器の大鉈が、惨殺によって呪を吸い込むように出来ているから仕方ない。シェイの惨殺の理由付け、そして戦う目的がしっかり示されギャグでなくリアルに読める。そんなシェイとテオに栄達を狙うエルフのエレミアも加わり魔獣退治の冒険が続く、といったストーリーになっている。

 辺境伯領にシェイも手を焼く六禍なる化物の1つが襲来し、撃退に向かって苦戦となった果てでテオが決断し、そして新たな冒険が始まりそうな感じ。時折息抜きのようなコミカルなやりとりもあるけれど、戦う場面はハードでスピーディでクリティカルにスプラッター。より強い相手が出て来た時にシェイはどう戦うか。テオは魔法鍛冶師として何をするのか。いろいろ楽しみな「呪剣の姫のオーバーキル〜とっくにライフは零なのに〜」。次は言ったどれだけの惨殺に次ぐ惨殺を見せてくれるんだろう。その中でどれだけ普段通りの行動を取ってくれるんだろう。楽しみ。

 ああ、気付いてはいたけれど行けていない三浦靖冬さんの新宿はヴァニラ画廊での展覧会。ずっと昔にいわゆるエロマンガの「とわにみるゆめ」でエロスとは別の文学的な雰囲気も感じ絵柄にも関心を抱いていたら、後に一般向けで「薄花少女」というのを描いて若返ったお祖母さんと孫の関係を圧倒的な画力の中に描いてみせた。世が世でなくてももっと世に知られて良い漫画家さんなだけに、その画力の一端に触れたいと思いつつも職場放逐からの身心耗弱に伴う出不精が祟って行けてない。まだ日付もあるし頑張って行こうとしてもやぱり今のご時世、ふらりとは寄れないからなあ。まあでも逆に仕事とは無縁の自由者でもあるし日程もまだあるし、言ってみるかな。ヴァニラ画廊も久々か。


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