とわにみるゆめ。

 意味のある人生は幸福だろうか。そうかもしれないと言えるし、そうではないとも言える。曖昧なのはそれが人生の意味を感じさせられているのか、それとも感じているのかの違いによって右にも左にも分かれるから。他人にとって意味のある人生だったとしても、自分がそう感じていなければそんな人生は幸福だとは呼べない。

 ならば必要とされる人生は幸福なのだろうか。そうだと言えるかもしれないし、やっぱりそうでないと言えるかもしれない。誰にも必要とされない人生よりも、誰かに必要とされる人生の方が素晴らしいのは確かなことだ。けれどももし、必要としてくれていた人から必要とされなくなった時、その人生は暗転して哀しみに彩られる。幸福な人生は一転して不幸へと墜ちる。

 大切なのはだから、意味があるかでも必要とされているかでもない。意味を求める前向きさであり、誰かを必要とする気持ちなのではないのだろうか。と、三浦冬の描く「とわにみるゆめ。」(ワニマガジン社、857円)のページを繰る人は強く感じることだろう。

 一体のロボットの少女が裏路地でギイチという青年に拾われる。移送中だったバスからこぼれたものらしく、ギイチが暮らしている政府の指定外区域の町では滅多に見ることのない、人間そっくりに作られ感情めいたものも持つロボットだった。

 彼女には秘密があった。生殖器までもが人間と同じように作られていて、突然発情しては媚薬にも似た香りを放ってギイチを誘って性交へと導く。目覚めて自己嫌悪からギイチの家を出てさまよっていた彼女を襲う2体のロボット。そこに駆けつけたギイチと少女のロボット、型式「R−F10−0」に対して2体のロボットは「お前はミクニ様の『子宮』とし造られた機械だ」と告げる。

 ミクニ様。それは軍人の家に生まれ、男児だけを跡継ぎと任じる父親によって男装させられ女性としての成長を抑制された、ひとりの少女だった。婿をとって世継ぎを産むことすら認められない彼女の代わりに、子宮を持たされ卵子を埋め込まれて生殖にはげむよう求められたセクサロイド。それが「R−F10−0」、別名「とわ」とあだ名される少女ロボットの真実だった。

 子を産むように意味づけられ、必要とされた「とわ」の人生、それ自体は決して無価値なものではない。人の手で生み出されたロボットにとってむしろ、最大の価値ある人生だったと言えなくもない。けれども幸福だったのだろうか。他人の存在を知り、自分を慈しんでくれる人を得たことで、意味をもたされ、必要とされただけの人生は「とわ」にとって幸せに満ちたものだったのだろうか。たぶん違うだろう。ギイチという青年から必要とされ、またギイチを必要とするようになったことで「とわ」は幸福を得たのではないのだろうか。

 比べて父親から強く必要とされたミクニの人生は、素晴らしいものだったのだろうか。女性として性徴を表すことを止められ、男装させられても家名のため、父に喜ばれたいがためにミクニとして生きる少女「ほたる」の人生を、傍目に素晴らしいものと言うことは出来ても、当人にとって素晴らしいものだと言うことは難しい。部屋へと閉じこもり、髪をほどいた姿でお付きのロボットにすがりつくミクニの姿が彼女の求める幸福が、彼女の日々にはなかったことを強く見せる。

 エンディング。ミクニは必要とされ意味をもたされた仮初めの幸福に彩られた人生が、必要とされず意味も奪われ不幸へと暗転して生まれた絶望感から爆発する。自分の身代わりに生殖を担い、逃げ出してギイチとの幸福を得た「とわ」に向かって刃を向ける。だからといって幸福が得られた訳ではない。むしろ病に冒されたギイチを病院へと送り届け、ミクニの刃を受けて倒れた「とわ」にこそ、ギイチを必要とし、ギイチに必要とされる短いならがも想いにあふれた日々に愛と記憶を得た「とわ」にこそ幸福が訪れたのではないか。

 この対比。残酷なまでに重なり合わずすれ違い続けたミクニと「とわ」の姿が、人生にとっての幸福とは何かを深く考えさせる。奥底へと封じられた記憶の草原で抱き合うギイチと「とわ」の美しさ。ギイチとの短い日々を記憶にとどめて永久の眠りに就く「とわ」の可憐さ。その様に、幸福な人生にとって大切なものが何かを教えられる。そんな2人の姿に、必要とされず意味も失ったミクニがこれからの人生で、誰かを必要とし、意味を見いだす気持ちをもらって前へと足を踏み出しただろうことをただ願う。そうでなくてはあまりにもミクニが、否、ほたるが可愛そう過ぎるから。

 エロティックなシーンを求められる媒体に発表された作品だけあって、性に関する描写が多く盛り込まれて人によっては不快感を覚えるかもしれない。だが、そうしたエロティックな描写はどれもストーリーにとって必然な盛り込まれ方をしており、オーバーな所はあっても不必要と断じ排除することは不可能。何故にそうしなくてはいけないのか、それが彼女たちにとって幸福なことなのかを見極める材料として、目を逸らさずに読んでもらえれば描き手にとって幸せだろう。

 SFとしてもラブストーリーとしても逸品の1冊。貧しい家系を助けるためにマッチ売りを名目にした売春に勤しむ少女の、痛ましくもしたたかな姿を描いたエピソードや、病気の進行を止めたために成長まで止まってしまったまま隔離され続けてきた少年少女たちが、外への思慕を爆発させるエピソードなど、読んで刺激されながらも一方で狂おしい気持ちに胸を一杯にされる短編が詰まった前作「おつきさまのかえりみち」(ワニマガジン、857円)ともども、手に取ってもらいたい。


積ん読パラダイスへ戻る