縮刷版2013年6月上旬号


【6月10日】 しばらく前には新しいビジネスモデルだって持てはやされて、社長の人も本まで書いていたりした文庫専門の古書のオンライン販売会社「ふるほん文庫やさん」が、何か業務を停止して社長の人もどこかに行ってしまったとかで、集めた本が広島県にある倉庫にたまって大変なことになっているといったニュースも伝わってきたりしている。倉庫には40万冊とかあるそうだけれど、その中にはきっとハヤカワ文庫SFとか創元SF文庫とか、サンリオSF文庫とかソノラマ文庫なんかもいっぱいあるんだろうかと思うと行って、そうした本ばかりを買い集めたい衝動に駆られたりもする。折しも広島県では7月に日本SF大会が開かれる予定で、SFの古書に目がないファンに“開放”すれば行ってそれなりの価値を見いだし引き取っていくだろー。

 あるいは倉庫に目利きの人たちが先乗りして選んだ本を、SF大会の場でオークションでもすれば高値で落札されて、そのお金を倉庫の維持なり事業の就職に振り向けられるんじゃないか、なんて気もするしけれども法人としての処分が済んでない状況では、勝手に売るわけにもいかないのが難しいところ。いったいどうなってしまうのか。それにしてもあれだけ注目されて、一時期は都内の新刊書店にもふるほん文庫やさんの集めた文庫が並んでいたりしたこともあって、見ると結構ハヤカワ文庫の青背とかJAなんかも混じっていたりして良い商売をしているなあと感心したこともあったっけ。それが急速な衰退。アマゾンがマーケットプレイスを初めて自分で本を出品できることになって敢えてふるほん文庫やさんから買う必要を感じなくなったってことなのか。文庫1冊だけを配送するコストもバカにならないしなあ。いずれにしても勿体ない話。何か打開策はあるとしたらそれはこれから来る本の総崩れのその先を見通すことにもなりそう。その意味で今後に注目。

 たわけだってのはまあ、前々から分かっていたことだけれどもこうも公衆の面前でたわけっぷりをさらけ出すともはや呆れを飛び越え不安さも増してくるというか、そんなのが一国の総理として国を代表していたりすることへの恥ずかしさを覚えていたたまれなくなる安倍ちゃんの渋谷での演説騒動。何でも渋谷に集まってTPP反対を訴えていた人たちの前に横入りするような形で応援演説めいたことを行ったそうで、当然ながら先にあつまった右も左も含んだ日本を愛してTPPを退けようとする人たちからは、安倍ちゃんへの非難囂々がわきおこってはその演説をせきとめる。それに対してあろうことか安倍ちゃんは右も左も含んだ面々を「左翼の妨害」の一言でまとめてくるんで斬り捨てた様子。フェースブックとかツイッターにそんな言葉が上がってた。後で消したけど

 それが本当に左翼であっても、選挙期間中でもない演説に対してナンセンスとの声があがるのもひとつの主張。それ以前に左翼であっても国民であってそんな人に向かってレッテルを貼り退けようとするのが一国の総理であって良いはずがない。ましてや集まっていた人たちにはTPP反対を信じて先の総選挙でTPPに異論を唱えた安倍ちゃんをも支持していながら今、TPPに前のめりな安倍ちゃんに裏切られたと感じているライトな層もいた様子。そんな国を愛する人たちに向かって罵詈雑言に等しい言葉を投げつけるとはもはや自爆に等しい所業。そこには自分に反対する者はすべて左翼だという決めつけがあり、一方で自分は右翼だという認識もあってそんな偏った思想の持ち主にこの難しい局面にある国の舵取りを任せて良いのか、って疑問もわき起こる。

 もうどうしようもない醜態ぶり。まあそういうことをしでかす人だってことはとっくの昔から分かっていたことではあるんだけれど、こうもあからさまにたわけぶりをさらしてくるとなると、もはや一国の総理として国民の上に戴き外国に向けて真正面においておくのは難しい。そこで間違えていたと謝ればまだしも、一切の自戒も自省もせずにネットから文言を削除し遁走するとは無様を通り越して見苦しい。この期に及んで事務所とかは消してませんパソコンにはありますとか言ってるらしいかなあ。外に見えないようにすればそれは消したことなんだけど。「綸言汗のごとし」と言うように、上に立つものが話した言葉は引っ込みがつかないから言う時には気を付けろって中国の故事もあるのに、どうしてこうも軽いんだ。そんな軽さが良いとか言う支持者もいるけれど、軽さで命を持って行かれてはたまらない。まあ今回もきっと周囲の暴走とか言って逃げるんだろうなあ。逃げてばっかり。その果てに辿り着く場所は。知らないよ。

 ずっと連載で読んでいるけど浅田有皆さんの「ウッドストック」に第15巻が登場していよいよチャーリーがアメリカへと乗り込みデトロイトフェスへの出場を賭けてPSYがいるブンダーカマーと対バン勝負。インドのシタールとか持ち出したりスタントをやとってショーアップしてみたりとまるで新人離れした演出を見せるブンダーカマーのちょっぴりロックが筋違いじゃないかって気も起こらないでもないけれど、そこまでしてでも目指すデトロイトってことなんだろーし、そこまでやる価値を会社も認めたバンドってことなんだろー。それだけに闘うチャーリーも大変そうだし実際、連載ではブンダーカマーが引っ込み嵐となったステージに登場したチャーリーにとんでもないことが起こる。いったいその後どうなるのか。逆境をはねのけここで一気に道を駆け上がるのもロックだし、挫折をしつつそこからさらに細い道を抜け出すとかするのもロック。いずれにしても凄いロックを見せてくれそうで先が楽しみ。最新号は20日発売かあ。待ち遠しいなあ。

 「アラヤ、何を求める」「−−−矛盾螺旋の放送を」「アラヤ、何処に求める。」「−−−ただ、ニコニコとMXとBS11にのみ」。なんて言葉を中田譲治さんの声をかりて呟きたくなった映画「空の境界」のテレビでの放送スタート。13回だからそれこそ1クール分を使う恰好になるんだけれどそこでは「矛盾螺旋」とそれから「忘却録音」の2つのエピソードの放送がカットされてしまっている。とりわけ「矛盾螺旋」は中田譲治さん演じる荒耶宗蓮が大活躍するエピソード。そして最後の姿をさらすエピソード。そこで呟かれる蒼崎橙子を相手のの超格好いいセリフが聴けないは残念だし、両儀式の着物の裾をひるがえした回し蹴りが見られないのも残念。エレベーターホールから出た両儀式の回転しながらの殺陣も格好いいんだよなあ。まあいいや、DVDとBDもあるんでそれで見るから。「忘却録音」も椅子の上をかけていく鮮花の勇ましさを見られないのが残念だけど、こっちもDVDもBDも持ってるからそっちで見る。でもやっぱり放送、して欲しかったなあ。

 孫が頑張って立ち上げどうにか軌道に乗せた仕事を横から入って無茶苦茶にしようとし、それを憤る孫に対して乱暴狼藉を働いた挙げ句に罵倒して泣かせて怒らせてひとり先に行かせてそして事故で死なせてしまった奴がいたとして、そんな奴がいったいどうなろうと祖父が優しさをみせて立ち直らせようとするのかどうかってあたりを気にし始めるともう泣けない。それは最初の時にも思ったことであるいはそうした矛盾を解きほぐすような仕掛けなり、心理描写なりが入っていたかと目を皿のようにしたもののやっぱり分からず、結局のところ難い敵であって当然の奴をなぜか爺さんは心配して労ろうとする。そんなの絶対おかしいよ。って言いたいけれども多分おそらく原作なり脚本の段階ではそうしたところに対する配慮もあったんだと思うからここはやっぱり本を読んでみるしかないのかもなあ。何の話ってまあ架空の話。気にしない気にしない。


【6月9日】 高村透さんの間もなく出る「くじらの潮をたたえる日」について書く必要から、ちょっと調べものをしに船橋市立図書館へと久々に出むいて棚に並んだ本の山をみて、もしかしたらもう自分は本なんて買わなくたって、そこにある古い本たちを順に読んでいけば楽しい生活が送れるんじゃないかと思って、毎月のように目をさらにして新刊書店の棚を眺めて話題に加わるために本を読む日々がちょっぴり虚しくなる。そういえば昔はお金なんてなかったから図書館に行っては新刊書を予約しつつ古い本で気に入った作家をまとめて読んだり、棚をざっと眺めて面白そうな作家の本を読んだりして週末を過ごしていたよなあ。それで楽しかったし勉強にもなった。

 そんな休日の過ごし方が、今はどうしてそれが出来ないんだろうか、って考えるとやっぱり新刊読まないとっていった見栄みたいなものが出来てしまったからなんだよなあ。新刊を読んでそれを話題にしてこそ世間に話題にされるという循環。でもいったいどれだけ世間が目を向けてくれるのか。結局は自己顕示欲の空回りに過ぎなかったりするんだ。あとはライトノベルの書評をやるために、ライトノベルを読んでいたらそれが月に30冊とかになってしまって他の本を読む暇がないという。それはそれで楽しい人生なんだけれど、いつまでも続くものでもなし。あと10年くらいでそういう新刊追いはやめて図書館に通い旧刊を読んで日々を暮らす生活に行きたいなあ。仕事は? ないだろうなあ。住む家すらなかったりして。

 図書館といえば新潟だったっけ、学校の図書館で司書をしていた臨時職員の人が入ってきた本を次から次へと古本屋に転売してしまって、調べたら学校に何も入ってなかったという事件がちょっと前に発覚して、どうしてそんなことをしたのかって理由が確か「生活が苦しかった」ってことだったけれど、臨時とはいえ学校で司書の仕事をずっとしていて生活が苦しくなるって、いったいどんな給料をもらっていたんだという疑問に答えてくれたのが「新潟青年ユニオン」ってところ。募集概要なんかを張り出してはその給料が時給制でなおかつ学期ごとの契約になっているってあたりから、月々にもらえるお金がいったいどれくらいかを割り出していたりする。

 まんまこの条件だったかは分からないとして、仮にこの条件だとすると時給は820円でそれで1週間に働くのがサイトによれば「社会保険逃れ」の27・5時間かあるいは週に30時間でいろいろ厚生年金あり。でも週に5日働いたって30時間じゃ1日6時間で朝9時に来たら午後の3時には帰らなきゃいけない。まあ昼休みと放課後くらいしか図書館を利用する学生はいないとしても、それから後に整理とかしてたら結構な時間を食いそうなのにそれだけしか仕事をさせないってところに妙な作為を覚えたりもする。でもってそんな時間を働いて得られるお金は、健康保健とか税金とか引かれたら月に10万円もなかったり。なおかつ学期ごとだから夏休みとか冬休みの間は無収入って勘定。これでフルタイムにやって食べていくなんて不可能だ。

 だったらほとんどアルバイトにすればって話になるけれど、学校という場所で子供や生徒たちが読む本ってのを選び並べ貸出業務とかも行う人が単なるアルバイトで良いのか、って話にもなるし、そもそもが司書というひとつの資格が必要になるくらいに、図書館の仕事はいろいろと重要でもあったりする。そうじゃないなら何で司書なんて資格があるのか考え直さなきゃいけないってことにもなる。もしも重要でなくって外に運営を委託したってオッケーってことになるなら、企業がローテーションでもって人を送って書店みたいな図書館をそこに作って回していくってことも起こるかもしれない、どっかの市立図書館みたいな。ただそれもどうかと思われる現状で、ちゃんと人がそれで食べていけるくらいのお金をもらって仕事を行う環境はどうやったら作れるのか。あるいは作れないのか。そんな根本を議論しないとまたいつか、それも公共におけるさまざまな分野で起こり得ることかもしれないなあ。ただでさえ現業への風当たりが厳しくなっていたりする折でもあるし。

 テレビで放送されている「宇宙戦艦ヤマト2199」はどうやらメルダ嬢ちゃんがヤマトへと乗り込んできた回らしくって見ていた人たちのツイッターでの反応が一様に「アホ毛」で驚くというか当然というか。ヘルメットを脱いだらぴょこんと立ち上がったあのアホ毛を見たときに、ガミラス人にだって髪の毛はあるしアホ毛だって存在するんだと誰もが感じて何だガミラス良い奴かもと思ったというとそれはどうだか。あるいはヘルメットを被っていてすらコシは失われないそのアホ毛には何か秘密があると思ったかも。それを言うなら山本玲だって同じようにヘルメットを被っていても脱げばちゃんとアホ毛が立つからなあ。火星育ちもやっぱり髪にコシが出るのか。

 ともあれメルダ・ディッツの登場でガミラスガールにもアホ毛という萌えポイントがあることが分かりそれがいわゆるホモサピエンス系な生物に共通の特質だということが見えて来たのだけれども、一方でヤマトガールにいる眼鏡っ娘という兵器がガミラス側には見られないのが気に掛かる。やはりガミラス人は人類とは違うのか。目が悪くならないのか。まだ眼鏡を知らないだけなのか。ならばヤマトはガミラスに到着してモニターに新見薫嬢を映して相手に見せればきっと起こるデカルチャー。「何かねテロン人の顔立ちは。目の前にある装置はいったい何なのだ。飾りなのか。いやしかし見て妙にゾクゾクするものを感じる。もしかして官能を誘う装置なのか。分からないがとりあえず我々も試してみるべきだと考える。さあセレステラよ。これをかけたまえ」そうなって欲しいと願う。心より願う。

 内藤泰弘さんの「血界戦線」の新しいのがでていたので買って読んだらおまけ漫画がなかった。ギリギリだったんだろうなあ。でもってメインは普段はよわっちいキャラが宇宙だかどこかかから来た何者かのウィルスによって巨大化していくというもので、壊れても壊れてもその都度再生して倍になっていくという特徴があるためダグ&ハマーがパワーでねじ伏せればその分さらに強くなり、クラウスが押さえつけてもそれを自ら破壊することによってやっぱり大きくなってしまって誰も手が付けられない。けどそこに神の目でもってピンポイントでウィルスを探し出し、音速猿を向かわせワクチンを投与することによって沈静化に成功。やっぱりあいつらただ者じゃない。いやだったらそこに透明化したチェインを向かわせれば1発だったんじゃないという意見もあるけれど、何かいろいろあったようで今回はお留守番。活躍が見られずちょっと残念。まあその分は前に汚部屋をたっぷり見せてもらったから良いけれど。


【6月8日】 アサギの部屋は出たけれども今度はクギミヤ・ケイの部屋になぜか溜まるようになったザンネンファイブことチームラビッツの面々が、謎の美少女というか正体を明かせばウルガルから来たテオーリアから聞かされた敵の正体とその目的。これでなるほど太陽系に突然敵がわんさか現れて来た理由とかも分かったし、その敵というかつまりはウルガルが人類にそっくりなのも了解できた。っていうか逆か、人類がウルガルにそっくりな理由ってことか。形も似てれば遺伝子的にも同じならその思考が似通って当然で、狩りに燃える面々もいればそれに反旗を翻す面々もいて当然、と。

 そしてテオーリアによってもたらされたアッシュの技術。そこに加えられたジュリアシステム。それはウルガルの闘争本能に任せるまかに狩りをする態度とは違って、恐怖心も闘争心も含めた本能に近い部分に人間ならではの理性や懊悩なんかも加えたハイブリッドの意識でもって操作するってことで、それが果たしてウルガルを上回ることが出来るのか、やっぱり生の闘争本能をむき出しでかかってくる相手にはかなわないのか。分からないけれどもちゃんと設定を用意して宇宙の仕組みも登場人物の形も描いてきたことが分かって収穫。「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」、意外にこれはいけるかも。失速しないで突っ走ってくれ。せめてルティエルとイズルなりアサギが出会ってラブラブになるまで。なるのか?

 それだとケイの立場がないか。っていうかケイはいったい誰が好きなんだ。分からないけれども同じ日笠陽子さんが演じるくるみってキャラクターが、ハルっていう男性のことを気に掛けていることは分かった映画「ハル」。ドラマの脚本家として知られる木皿泉さんを起用して元々は原画マンでそして「四畳半神話大系」の演出とか「フラクタル」の演出なんかを経験して来た牧原亮太郎さんが監督を務めて作った作品は、京都を舞台にロボットが人間と関わり傷ついた心を癒し引っ張り上げるってストーリーが繰り広げられる。それはもうとてつもなく精緻でカラフルに描かれた京都の街とかあるいはちょっと外れの染め物をやってる職人たちの工房が素晴らしくって、川で遊ぶ描写とか祇園宵山の様子なんかも含めてその場を歩んでいるような感覚にとらわれる。ともすればそこにロボットがいて良い時代なんだってことも忘れさせられる。

 けど背後ではロボットが人間に代わってハードな仕事を請け負わされている実状も仄めかされているし、そんなロボットのメンテナンスにかかる費用を削ろうと、逆に人間が人権とかなんてものを無視して引っ張り込まれてこき使われている悲惨な描写もあったりする。見かけの平穏そうな京都とは違って世界はいろいろと大変そう。そんな中だからこそ町屋でもって古道具屋的なものを営んでいるくるみって名の女性のどうにか食べて行ければ良いっていう思いと、けれども彼女が関わりを持っているハルっていう男性の金がない生活がどれほどみじめなものなのかっていう叫びがともに響いてくる。相当に厳しい時代なのかもしれないなあ、「ハル」っていうアニメの日本は。

 そして物語は飛行機事故で大切な人が死んでしまって、心を凍えさせてしまった人のところにロボットが死んだ人と同じ姿になって行って、慰め鼓舞して再び社会に復帰させようとするストーリー。そこに絡む旧友らしい人間のちょっぴり悪辣な企み。果たして幸せになれるのか。そもそも片方がニセモノのロボットなのに昔のような関係を復活させられるのか。って疑問が浮かんだけれどもそこにはちゃんとひとつの解答を用意して、哀しみをくぐりぬけてたどり着けた場所ってものを見せ、その次へと向かう気持ちって奴を示してみせる。その意味ではとっても鼓舞される物語だし癒されもする物語。男性が見ても女性が見ても失ってしまう哀しみを味わい、得られる喜びを感じつつそれを乗り越え進む力ってものを見いだせるんじゃなかろーか。

 展開にいろいろと企みがあって混乱させられるというか驚かされもするけれど、2度目に見ればそんな当たりもちゃんと正しく描かれているんだろうなあ、主体者の主観の描かれ方も。自分がロボットと分かっているならロボットとしての記憶と使命をまず思い相手を慮るものだから。その辺の違和は解消されると思いたいけどあと1つ、少しの違和を挙げるならやっぱり主人公への周囲の関心の向け方かなあ、どうしてそこまでみんな親切なんだろうかと。ほおって置けないというのは確かにそうだけれどもそれにも限度がある訳で……。それが具体的にどういうことなのかを言い過ぎると、これから観る人の興が殺がれるんで詳細は後日。ともあれ未来は親切に包まれているってことで。5×5×5のルービックキューブってそんなに揃えるの難しいのかなあ。でもって1面を揃えるだけじゃ横もちゃんと揃えないと最初に書いた文字は出てこないじゃないのかなあ。

 とくにグッズ類は買わずに出て総武線で中野へと向かい中野サンプラザ前で「魔法科高校の劣等生」の最新刊を読んで時間を潰してたら七草真由美先輩がとてもとても凄まじかった。あの達也ですらタジタジになってしまうくらいの笑顔でもってバレンタインデーのチョコを勧めてはそれを余さず食べさせてしまうくらいの凄まじさ。そのチョコはといえば百戦錬磨の服部先輩がひとくち食べたら気を失い、ふたくち食べれば命を失いかねないくらいの代物なんだけれどもいったいどういう術を使って達也は逃げ延びたのか。含むたびに分解の魔法をつかってただの分子にしていたのか。そんなものを食べたらお腹壊すよなあ。我慢したんだってことで。そして展開は異次元より来たヤプールではない何かが人間に取り憑きそしてロボットに取り憑いて達也に迫る。なんかモテモテ。そして美雪は怒り世界が凍えるという。まだ終わらないで続く次はリーナと達也の一騎打ち。どこまで闘うか。そしてその先は。待ち遠しい。

 時間になったんで中にはいてKalafinaのコンサート。前も見ていたからこれで中野サンプラザでは2回目か。大きくもなく小さくもない箱はやっぱり見やすい上に天井も高いから音が籠もらず2階席の最後列に座っていた僕のところまでちゃんと声が響いてくる。これは音響の人たちの工夫もやっぱりあるのかな。渋谷公会堂でもたぶん今はちゃんとした音響を作ってくるんだろうけど最初は1階席だと音がくぐもってよく聞こえなかったからなあ。その意味でもホールでのライブにスタッフも含めて慣れてきたってことで。最後は東京国際フォーラムでキャパがもうちょっと大きくなりそうだけれどこれもちゃんと決めてくれるだろう。内容は昔の曲もやれば新しい曲もいろいろ。「春は黄金の夢の中」とかWakanaのソロでの歌い上げがやっぱり凄まじくってそれを追随するHikaruのソロも独特で、重ねなくても単独で唄ってもベストなシンガーがそろったユニットだってことを改めて印象づけられる。そんな2人を下から支えるKeikoの声も素晴らしい。Kalafinaというジャンルは着実に世界に広がっている。

 えっとそうですか指原さんですか。去年の躍進ぶりから今年も相当なところに行く可能性はあったけれど、一方でAKB48から外されHKT48に行ったっていう展開もあってメジャーな場から下がっていてなおこの人気ぶり、というよりもはやトップすら上回るその爆発ぶりを単純にファンによる純粋な気持ちとだけとらえていいのか多いに迷う。何か得体の知れない思惑が絡んで居るんじゃないかと行った。ただ、それを秋元康さんが仕組んでいるかというと実はちょっと疑問。というのは秋元さんはAKB48は高校野球に過ぎなくてそこから出て活躍するプロになっていくのが当然といったスタンスをずっと持っていて訴えている。

 世間はAKB48をこそ至高ととらえそこに日本の縮図を観ようとか閉塞感の漂う政治を打破するヒントを得ようとか、何よりトップアイドルとして取り上げ持ち上げメディア的に大儲けしようとかいったさまざまな思惑を抱いていて、AKB48をただのアマチュアに止めさせてくれない。ならばとむしろAKB48に新しいドラマを作り新しいトップを送り出しこれまでのトップクラスの面々の価値を下げるような展開を入れこむことによって、逆説的にAKB48の至上性を毀損し価値を引き下げ、そこで輝いても次はないんだ、だから外に出て活躍するんだというメッセージをメンバーに送っているとも言えるかも。それを聡く感じて卒業して新しい居場所を作っていった人が勝ち、なんて展開を見せてくれた秋元さんをやっぱり凄い人だと思うんだけれどなあ、今のAKB48をこそ世界の縮図だなんて讃え持ち上げている面々にも何か一泡吹かせられそうだしなあ。


【6月7日】 そして朝に連日の新宿ピカデリーとなって夜にある「ねらわれた学園」の上映会のチケットを発券。1番だからどこの席でも選び放題なんだけれどもやっぱり前目の席をとってしまうのは家のテレビが貧そうで、遠くから小窓をのぞくような感じでしか見られないのをカバーするため、映画館では巨大なスクリーンを全身に浴びせかけられるように見たいって気持ちがあるからなんだろうなあ、あとは映る場面で細かいところをくっきりと見たいという。「ねらわれた学園」でいうならウェットスーツ姿のカホリにケンジの犬がかけより抱きつくシーンで足を開き気味に尻餅をついたカホリのその柔らかそうなボディとか。もう犬が羨ましすぎて。それもやっぱりケンジの願望が乗り移っているって解釈なんだろうなあ。

 あとは留年して学校に来なくなっていた山際ゆりこって女子が崖からおっこちそうになって、京極リョウイチに片手で引き上げられる場面で、そこでいったいどこまでスカートはまくれ上がっているかというところが見たいもの。スロー再生できない劇場では本当にその下が見えているかどうかを判断するのが一瞬の勝負になるんだ。ならば買ったブルーレイを見れば良いじゃないかと聞くのは野暮。その一瞬にかけるのが男の魂って奴なのだから。なんだそれ。んでもってその女子が神社の境内で片膝ついて座っている時にガーターベルトを見せているところにも注目。見えそうで見えないんだよあの奥が。やっぱりエロか。でもそうしたパーツで引きつつ全体でちゃんと見せるところがこの映画の良いところでもあるし、何より本当のエンディングとして流れる「銀色飛行船」の囁くような歌声は、やっぱり劇場でしか深く染みるようには聞こえて来ないから。だから行くんだ映画館に。今回はちゃんと見えるかなあ、山際ゆりこのスカートのその下が。

雨じゃないから誰もいない  そのままバルト9で「言の葉の庭」でも見るかどうかと考えたけれどもポストカードが変わるのは2周目からだから土曜日以降に見ることにして、バルト9の下を通り抜けてそのまま新宿御苑へ行ってオープンまで10分くらいを門の前で過ごす。そこでふと考えると、午前9時にオープンする新宿御苑に待たずに入るには、新宿駅を午前8時50分ごろに出るのがちょうど良さそうなんだけれど普通、その時間ってもう学校始まっているよなあ、そして学校に間に合うように新宿駅にタカオが降り立つとしたらだいたい午前8時くらい。そこから1時間をいったいどこで過ごしていたんだろう。考えるなら雨だからもう新宿御苑に行くときめてとい、遅めに出たってことなのかも。ユキノの方はずっと駅で立ちすくんでいるからそこで時間を潰しているという考え。いろいろと見えてくるなあ、その性格も、陥っている心境も。

 雨じゃないけど雨が降りそうな時間帯の新宿御苑は緑色がしっとりとした深みをたたえ、朝の空気に混じってその香りも漂ってくるような感じ。年間パスをもらって午前9時にそこに来て時間を過ごす人がいるってのもよく分かる。いっそだったら午前7時くらいから明けてより朝の時間帯の緑を堪能してもらえば良いんだろうし、中国にしたって欧米にしたってたぶん結構早い時間からオープンしてたりするものなんだけれど、日本はお役所がお仕事にしている関係でそういう無茶はきかないのだった。でもまあ朝早いからっていっぱい人が来る訳でもないから別に良いのか。そして歩いて辿り着いた四阿にはやっぱり誰もおらず。しばらく佇んでいたら何人か、目的も同じに集まってきた人はいたけれど、休日ほどの混雑は見せていなかった。行くなら平日の朝が良さげ。これで雨でも降ったら人は経るのか増えるのか。それが見たいので今度はちゃんと雨が降った朝に行こう。けどでもいつ降るんだろ。雨。

 なんかね、女性記者とか女性カメラマンとか女性整理記者なんかが集まってね、女性向けの記事なんてものを作る1ページの企画が立ち上がっていてね、女子特区とかいうんだけれどね、その栄えある第1回目がね、稲田朋美議員と森まさこ議員の2人のそれぞれの旦那さんにね、議員の旦那って大変だよねってことを語ってもらうような内容でね、それって女子とか読んでいったい面白いんだろうかってね、思うのね、支えてくれて良い旦那だなあなんて思える人もいるかもしれないけどね、自分とは縁遠い世界の無関係な現象でしかないって人もいたりしてね、切実さがただよって来ないっていうかね、よく分からないんだよね、ただそういう面々が載る状況ってのは分かりやすくってね、ほら2人とも安倍ちゃん内角の秘蔵っこでね、安倍ちゃんスキーな人が見たらね、喜ぶんだよね、内向きっていうかね、上目遣いっていうかね、そんな感じがもうどうにもたまらないっていうかね、ね。

 人類の未来を描くSFコミック、阿仁谷ユイジさんの「テンペスト」(講談社)も4巻に。男性が死に絶えて女性だけとなった世界にたった1人なぜか生まれた男性が長じてそれを知っている人は知っていながら隠しつつ研究所の地下に暮らしていたところに今度は女性がどんどんと死に絶えていく現象も発生して世界はいったいどうなるの? といったところからそんな「サキュバス」という現象が研究施設にも迫り少なくない人たちを飲み込んでいく中で、男性である姫という主人公は男性であるがゆえにサキュバスには罹らない。そこで活躍が始まるんだけれどそれでもって今まで隠していたことがバレそうになるという展開からいったい世界はどうなってしまうのかという未来まで、伺えそうなストーリー。楽しくなってきたなあ。けど本当に世界はどうなってしまうんだろう、人工授精的なものも何か得体が知れないものが生まれるようになってしまうし。

 これで6回とも公開討論を含めて見物して皆勤賞になっている「大学読書人大賞」の贈賞式を見に神楽坂へ。6年ということは1回目に1年生だった人も普通に卒業していたりする訳で、そうやって運営が入れ替わりながらも続いていくってのがバックに読書の団体があるとはいっても、やっぱりユニークで面白い。学生がイベントとかサイン会に行けば作家に会える機会はないでもないけどこうやって、自分たちの本への思いを真正面からぶつけられる機会ってそうはないからなあ。だから参加者もちゃんといるし、パーティともなれば大勢が集まってきて飯を食う。違った作家を囲んで談笑する、と。なおかつ今回は学生にもファンがいる野尻抱介さんが、学生にとって身近な存在でもある初音ミクなりVOCALOIDをテーマに書いた「南極点のピアピア動画」が受賞した訳で、自分たちの世代の自分対の文学が自分たちの賞をとったってことへの共感は、やっぱり並大抵のものではないんじゃなかろーか。

 だからこそ野尻さんもはるばる三重から参上しては、大学読書人大賞にとって看板ともいえる学帽を被って嬉しそうな表情を見せる。1等賞をとった推薦者がもうちょっと本を書いてねって言っても笑って流してそして談笑に臨む。いやこれが塩澤さんがいったところで書かないんだから、ものごとに動じず自由を行く野尻さんにとっっての普通の振る舞いなのかもしれないけれど、それでもやっぱり現場に来てファンにあうってことの意味はそれなりにありそう。これが野尻さんの創作欲を動かして何か新しいものに挑戦する気分を盛り立ててくれれば良いんだけれど。初音ミクがドライブして「南極点のピアピア動画」ができたようなアイディアなりヒントなりをだから学生は野尻さんにぶつけて駆動させよう、その類い希なる発想力を、未来を楽観して飄々と駆け抜けていくそのアクティブな頭脳を。

 出版クラブからだとほんと牛込神楽坂ってすぐそばなんだなあと実感しつつ都営大江戸線で新宿に回ってそこから新宿ピカデリーで「ねらわれた学園」のドリパス上映会。ほとんど追い込みのように参加者が増えて成立した企画なだけに集まるファンも何度も見たという強者揃い。なおかつ中村亮介監督も観客席で最前列で見物するという珍しい光景をその数列後ろで眺めつつ観た映画はやっぱり綺麗だったなあ、画面も、そしてストーリーも。初見ではちょっと不明だったやりとりも重ねて観ていくごとにだんだんと理解できたかというと、実はまだ不明なところもあるんだけれどそういうのを気にしないで観ていける展開の妙と、そして何よりそこを観たいというラストシーンがあるんで気持ちを切らさずに最後まで観ていける。そして奏でられる「銀色飛行船」。描かれる「おしまい」の文字。これで昨秋から続いてきた映画としての「ねらわれた学園」の上映というイベントはひとつ完結を観た訳だけれど、経験した記憶は残るし何より作品も存在する。いつかまた大きな画面で舞い散る桜を観る機会が得られると信じつつ、今のこの至福を与えてくれた中村亮介監督に心からの喝采を贈ろう。ありがとうございました。本当にありがとうございました。


【6月6日】 雨ざあざあ降ってこない。梅雨入りしてからこっち、本当に雨なんか降ったことがないみたいで同時期に公開された新海誠監督の「言の葉の庭」みたいに、雨の新宿御苑を歩く経験がまだ出来てない。今日もきょうとて朝方に新宿ピカデリーへと立ち寄って、「宇宙戦艦ヤマト2199」の第6章のプレミアム上映会が何かチケットをダブルで売りすぎてしまったそうでその振り替えの発券を受けたついでに新宿御苑でものぞこうかと思ったけれど、雨でなければあの人は来ていないだろうから断念する。って雨が降っても来ている訳はないけれど。だよなあ。明日は雨が降るっぽいんで新宿ピカデリーに「ねらわれた学園」の上映会のチケットを発券してもらいにいくついでにちょっとのぞいてくるか。いたら良いけど四阿の彼女。そして言われるんだ。「鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ」って。答えたいなあ。「鳴神の少し響みて降らずともわれは留らむ妹し留めば」って。無理。だよねえ。

 そんな感じに明日も見ることになっている「ねらわれた学園」だけれど、既にブルーレイボックスの限定版を買って付録の絵本を読んでああやっぱりケンジはチャックが開きっぱなしで帰って来たんだって笑ったりはしませんだってそういう内容ではないし。うん。でもってそんないつでも見られる環境が整いながらも、やっぱり買ってしまったのがプレイステーション3で再生可能なデータが入ったハイブリッドディスクの「ねらわれた学園 劇場版アニメ&完全版資料集 Hybrid Disc」。これにもブルーレイディスクとしてアニメがまるまる入っていたりする訳なんだけれどもいっしょに入っているデータがすごくって、それこそ2000枚とかの絵がはいってアニメに平行して見ることができたりして、それぞれの場面の原画とか見たり光とかに関する解説なんかを読めるようになっている。すごいなあ。

 ネットからダウンロードもできるそうだけれどそういうのを落とすにはいったいどれだけのネット接続が必要かと思うと、ディスクで買った方が早いってことで、映像がついていてもやっぱり買ってしまったという次第。ディスクを手元に置いておきたいって世代でもあるし。しかしCD−ROMが出始めてマルチメディアタイトルってのが広まり始めた1990年代も、そういったアニメの資料が入ったディスクなんてものが出ていたりはしたけれど、さすがにアニメ本編とまるまる連動したものってのはなかった。DVDではそういったことも可能になっていたけれど、でもやるにはやっぱり容量が大変で、せいぜいが絵コンテとアニメを連動させるくらいだったっけ、あるいは映像はなく音声だけか。ジブリの映画がそんな感じになっていたっけか。

 より大容量のブルーレイの時代になって、容量的には可能になったけれども流石に大量のデータを連結させて解説するだけのスキルもなければ根気もないのが実際だったか、今まであまり実現はできてなかった。それが遂に実現。思うならあれだけのハイクオリティを誇った映像と、そしてさまざまなエフェクト、さらには内容面で奥深さを持ったストーリーのあるこの作品なら、いくらだて解説して不足するということはないって判断が作り手側にあったのかも。これをやらずして何をやる、というか。だから今回のハイブリッドディスクでは、映像と画像がほとんどシンクロして見られるっぽい。あっちいってこっちいて探り眺めて戻り確かめる。そんな夢のような、それこそ1990年代の夢がかなったようなタイトルを見られるこの幸せ。技術って凄いなあ。未来はきっとクラウドであらゆるデータが連結されたタイトルが提供されることになるんだろうなあ。作り込み大変そう。そこに参加できる技術なりノウハウなり知識なり文才があれば食べて行けそうだけれど、無理だなあ僕には。

 ライトノベルに温泉ブーム。まずは河里一伸さんってどちらかといえばアダルト向けのライトノベルって方面で活躍していた人が書いた「おんせん部」(このライトノベルがすごい!文庫)。温泉でバトルする部活の話でそれがどういう戦いかは本を読んでもらってのお楽しみとして、エロはないけどエッチはあってこれはなかなか楽しめる。敵は女子。けど強い。それをどうやって追い込むか。勝てば女子が温泉に入っているところを見られるというゴールを達成させてしまっては話も続かないし描写的にも鼻血がでる。でもそこまでいかないとなるとなかなか読者を引きつけられないところで、お風呂ではなく戦闘の場面にいろいろと見せる場面を作って読む人の関心を誘って話さない。なかなかの腕前。まだ始まったばかりで戦いはこれから。熱く燃えて戦う人たちの物語で、煩悩を超える勝利欲を見よ。

 そしてもう1冊が山川進さんという主にガガガ文庫なんかで活躍していた人の「温泉ドラゴン王国1」(オーバーラップ文庫)。こちらは帝国と教国に挟まれたとくに取り柄もない貧乏王国の王子が、国の名物になっている温泉をもり立てようと自分が番頭になったところに舞い込んできた帝国の研究者。何でも温泉にはいろいろな効用があるということで、確かに疲れはとれるし怪我もはやく治るなあとは思っていたら、あろうことか蟻がペガサスになったり馬がマグロになったりと、ブレンドすることによって不思議な効能を発揮する温泉をその研究者が作り出してしまった。国を盛り立てようと竜退治に行って大やけどを負い瀕死だった王子の姉まで温泉の効能でほとんど生き返ってしまうくらいの凄い効能。するとこれを狙って帝国がちょっかいをかけてきたりして、王子はあれこれ手段を講じて帝国に立ち向かうことになる。

 かけると変身したりする温泉ったら漫画の「らんま1/2」にパターンが重なるけれども、それを使って強大な敵を相手に戦い国を盛り立てていくといった点は目新しい。今まで2つ3つの温泉に同時に浸かったりして不思議な体験をした人はいないの? って聞くのは野暮だからここでは聞かない。それにたぶん結構微妙な調合も必要なんだとしておこう。何より王子を取り巻く姉に研究者に謎の少女の誰もが可愛い。何だ謎の少女って。それも読んでのお楽しみとして、そんな美少女たちに囲まれた王子が羨ましい。とはいえ敵は現れこれからもいろいろとちょっかいをかけてきそうだし、帝国が手を出すなら教国だってって話にもなりそう。そんな境遇の中で王子が仲間たちとこれから向かう戦いの相手は、そして行方は。さらには温泉からどんな意外な効能が飛び出すか。いろいろ期待して読んでいけそう。

 何をやっているんだ奥大介。って言葉しか浮かばないけど何か報道だと奥の奥さんであるところの佐伯日菜子さんを脅した容疑で逮捕状をとられたとか。ドメスティックバイオレンスってことなのかなあ、あるいは離婚の過程にあって籍だけ入っている状態で本格的に脅したとか、だって逮捕状とられるなんて相当なことだよ、まったくもう。とはいえ相手は「エコエコアザラク」で恐怖の演技を演技なんて思えないくらいのリアルさで見せてくれた生ける黒井ミサ。脅そうものならエコエコアザラクエコエコザメラクと呪文を唱えられて反撃をくらい呪われるのがおち。人形にされて磔にされるか悪魔に頭から囓られるか。考えるほどに怖いんだけれどそれを恐れずやってしまったからこうして逮捕なんて目に遭っているんだろう。留置場ではきっと見回りの警官に頭からぼりぼりと囓られるに違いない。エコエコケルノロスエコエコアラディーア。


【6月5日】 明けてワールドカップ2014ブラジル大会のアジア予選を見事に勝ち抜いたサッカー日本代表に関する評価で、やっぱり香川真司選手には毀誉褒貶というか、基本的にはあれだけのチャンスを作り出したことで高い評価は受けているものの、決定的なチャンスを幾度か決めきれなかったことに対する不安とか、スペースがない場所で活躍するのはなかなか難しいんじゃないかという見方なんかもあったりして、それなりに縦横無尽を見せているリーグでの活躍ぶりとのギャップなんかを指摘されいているみたい。新聞も当然のように1面は本田圭佑選手だったしなあ。香川選手は中面で触れられているといった程度。まあブラジル行きを決めた得点をPKであっても奪った本田選手が相手ではそれも仕方がない。

 すぐにでも始まるブラジルでのコンフェデレーションズカップでは、戦う相手が最初がブラジルで、引いてがっちりと守ってくるってことはなく開いたスペースを使っていろいろ仕掛けることはできそうで、そこで本来の香川真司選手の姿って奴を見せつけられそうな気もするけれど、一方で前掛かりになったところを奪われでもしたら、あっという間に攻められて、得点を奪われてしまう恐れも。昨日みたいにセンターバックの吉田麻也選手がひとりで頑張ってもボランチやサイドバックがかわされてしまったらどうしようもない。惨敗すればいくら活躍したって目立たなくなるのも必然で、その意味では香川選手をもり立てたいって周囲が願い頑張るような空気が必要になって来るのかな。本田選手そのあたりの気配りが出来る人だったっけ。

 そんなコンフェデへのメンバーも決まったみたいだけれども、基本的にはオーストラリア戦と変わりなく、言ってしまえばいつものメンバーが名前を連ね、そして実際に出場するのもさらに絞り込まれたいつものメンバーになってしまいそう。豊田陽平選手とか使ってみるとかすれば良いのに。まあそれは帰ってきてからのキリンチャレンジカップとかになってそこで新しい戦力の掘り起こしなんてことが行われるんだろう。あるいはメキシコ戦とかイタリア戦ではメンバーを変えてみたりするのかな、昨日はちょっとだけしか出番がなくってそれも今プレーしているオランダと違った長身だけを当てにされたポスト役を来たいされたハーフナー・マイク選手なんかを、オランダみたいにサイドに置いて攻めさせるようにすれば強化されつつあるフィジカルと相まって、今までになかったパワフルな攻撃を見せられるような気もするなあ。

 でもザッケローニ監督は絶対にやらなさそう。ボランチに細貝萌選手を入れることもしないだろうし清武弘嗣選手を先発からウイング気味に使ってみることもなさそう。だってそこには香川選手も岡崎慎司選手もいるし。そういうセットなんだよなあ。せめてだったら本田圭佑選手をワントップ気味にしてトップ下香川選手でサイドに清武選手岡崎選手を持ってくるとかしたら面白いんだけれど、それでオプションが大きく増える訳でもないし。アルガルベカップでまったく知らない戦力を試して経験を積ませたなでしこジャパンことサッカー日本女子代表の佐々木則夫監督みたいな太さと定見をザックも持っていれば良いんだけれど、一方で代表ってのはブランドであり権威でもあって監督のそうした“実験”を許されるほど緩くないなさそう。出た出ないが選手の価値につながるとなると横やりなんかも多そうだし、主に三本線からの。そこを外れて自在にやってそれで活躍して実力で中心に居座る本田選手ってやっぱ凄いなあ。

 たぶん日和警部ってのが僕等の世代では長門勇さんを1番見た役で、それは古谷一行さんが主演した金田一耕助のテレビシリーズで、「本陣殺人事件」や「三つ首塔」や「悪魔が来たりて笛を吹く」や「悪魔の手毬歌」なんかに登場しては劇場版の加藤武さんなんかが持つ雰囲気とはまたちがって、飄々としてどこか頼りなさそうだけれど芯はしっかりしてそうなおじさん警部を演じて、金田一との絶妙なコンビネーションを見せてくれたっけ。同じ名前だから長門裕之さんと何か関係があるんだろうかと思った頃もあったけれどもそれはなしただ「悪魔が来たりて笛を吹く」では両長門が登場しては裕之さんはどこか悪辣そうな中年で、勇さんとの対比をくっきり見せてくれた。

 でも実は最初に印象に残ったのはそれより前の大河ドラマ「風と雲と虹と」での平良兼役で、どこか腹に一物ありそうな武士を演じては、平将門相手に戦いを挑み勝利しながらも盛り返されて病死していったんだったっけ。詳しくは覚えてないけれど、でも出演していたことはくっきりと覚えていて、それが金田一耕助シリーズでの存在の認知にもつながっていたりする。代表作はでもやっぱり金田一耕助シリーズになるのかなあ、あるいは「三匹の侍」か。加藤剛さんも第2期から出演して「風と雲と虹と」より一足早く長門勇さんと共演してたんだ。決して主役じゃないけど存在感のある脇役でした。6月4日、81才で死去。合掌。

 とある著名な文芸評論家のお方が、例の渋谷で騒ぐサッカーファンだかサッカーにかこつけて騒ぎたい若者だかを挙げて今、トルコで起こっている政治体制への反発から騒ぐ人たちに比べて下らないとか書いていたのを読んで、ううんとうなる。なるほど2002年のワールドカップ日韓大会で日本がロシアに勝利した夜、初のワールドカップでの勝利を喜んだ人たちが自然発生的に渋谷に流れて、交差点で歓喜のハイタッチをしたことはとても見ていて清々しかったんだけれど、その後に何かそこで騒ぐことが目的化してしまっている様子に、どこか気持ち悪さを感じてたりもしたから、ああやって騒ぐことが疎まれているにも関わらず、集まって騒ごうとする面々を気持ちとしては受け入れがたいところではある。

 ただ、トルコだってサッカーに関して大騒ぎをする国で、それはダービーマッチで車が燃えたりするくらいの過激さだったりして、それに比べれば日本の騒ぎなんて実に大人しいもの。だからこそそのスピリッツの足りなさを非難したくはなるけれど、下らないと真っ向から否定はできないし、したくない。政治に対してのろしを上げることが偉くてサッカーにかこつけて騒ぐことがみっともないとも思わない。ただ目的が違うだけだし方向性も違うだけ。それを並べて嗚呼だから日本はと嘆くことはどこか卑怯な気がする。日本は日本で政治に向かって運動している若い人たちはちゃんといて、そういう人たちはトルコでサッカーの試合にかこつけ車を燃やす人たちより優れていると言って良いのか。今という同じ時間の彼我よりも、目的という同じ土俵にある彼我を比べて論じてみたい。ああでもやっぱり日本はちょっと。ブラックやりまくりな人すら政治の世界に引っ張り上げようとする動きひとつ、止められないんだから。ううん。


【6月4日】 やっと見た「這いよれ!ニャル子さんW」は、シャンタッ君がメルモちゃんのじゃないドロップで大人にも子供にもならないで人間みたいに変身したけどあれはオスなのかメスなのか。幼女ってセリフも飛び出していたけれど付いてる若しくは付いてないのを見た訳じゃないしなあ。見たら大変。見せたらなお大変。でもって声も「おねぇさまぁー」な黒さを含んだ声ではなくって普通に子供でそれも喋らず。でも性格は素敵でお手伝いをしたいからと真尋が忘れた携帯電話を届けようと外に出て、見知らぬ人の視線に怯えて泣き出す辺りがとてもとても可愛かった。この可愛さなら真尋だって素直に受け入れるはずなんだけれど、戻っちゃったしなあ、でもそれでもオッケーなのが真尋の優しさって奴で。ニャル子はちょっと迫りすぎ。でもってあの部屋から遂に脱出したクー子の従姉のクー音の逆襲は始まるか。乞うご期待。期待してもなあ。

 そして見た「ハヤテのごとく! Cuties」は西沢歩の会で自分の誕生日を必死になってハヤテに知ってもらおうとする西沢さんが何かいじらしい。でも伝えられないもどかしさ。なおかつハヤテはそれをちゃんと知っていていろいろ画策しているというすれ違いが作劇としてとっても面白かった。よく出来ているなあ今回のシリーズ。2期目がちょっと平板になっていたけど3期でストーリーを創って立て直し、4期はこうやって1話完結の恋愛ストーリーにしたことで、1週見忘れてもどうにか続けて見られるようにしたってのが成功の秘訣かも。先週の水蓮寺ルカとのエピソードもハヤテの女装姿が見られたし。この後って誰がそういやあ残っていたっけ。貴嶋サキさんではハヤテとは絡めづらいし。いや見たいけど。キャラとして1番見たいキャラだけど。まあそこはまたマリヤさんとナギで収めてエンディングってのが落ち着くかなあ、シリーズとして。第5期ってあるんだろうか。

 十文字青『最果ての東 1st end 鼓動も止まる弾丸のスピードで」(講談社ラノベ文庫)が出たんで読んだら吸血鬼話で世界が吸血鬼勢力と人間勢力に2分されていてそしてイラストがTHORES柴本さんってことでとっても覚えたひとつの既視感。それは誰もが思う吉田直さんの「トリニティ・ブラッド」シリーズだけれどもあちらは吸血鬼が一種ナノテクノロジーの産物で、それによって変化した地球をめぐる話だったのに対してこちらはひとつのバイオテクノロジー的な変化っぽいし、主人公の少年自体に何か秘密があるって訳でもなくむしろ何も知らない無垢な彼が世界と向き合い真実を知っていくって成長ストーリーになっているのが大きな違いになっていそう。

 あとはやっぱりキャラクターのどこか楽しげな部分か。ひとり日系人だけは過去を引きずり自分の生き様に理由を付けて無理矢理真面目を通しているように見えるけれども他は少年が配属された吸血鬼に向き合う最前線めいた街を守る部隊のメンバーは隊長からして厳しそうに見えて実は酔うとキスしまくる悪癖があるし、ヴァネッサという超絶美人はすぐに誰でも抱きしめる癖があって楽しげだけれど、戦闘となったらもう手に武器持って振りまわして吸血鬼を倒しまくる一騎当千の破壊神。返り血を浴びても平気な顔してみせるその笑顔を普段と重ねた時に誰もが臆して近づけなる。そんな百戦錬磨で多士済々の部隊でひとつ運だけで生き残ったような少年に未来はあるのか。その先にはどんな物語があるのか。吸血鬼らしい姉妹の謎も含めていろいろ探って行けそう。今度は最後まで続いてくれると良いな。

 とあるニュース番組のキャスターの女性が上司によるセクハラパワハラに困っていたという話から遂にその上司が更迭されたというニュースを受けて当人の女性キャスターが「セクハラの認識はなかった」けれども「スタッフがいろいろと相談に乗ってくれた」といったことは直接聞くとそこに矛盾があってどーしてセクハラもないのにスタッフに相談なんかするんだろう、何か自分が当事者にあげられることから逃げているんじゃないのって非難の声なんかを浴びそうだし、あるいは相手をかばっているんじゃないかといった声なんかも起こりそうだけれども、更迭されたとはいえ相手はまだ社員として残りいつ何時にゾンビのように復活してくるか分からない状況で、明らかにセクハラパワハラを受けましたと言って非難して後に受けるリアクションを被ると、とてもじゃないけど大っぴらに相手を攻められないという苦渋がある。

 セクハラにしろパワハラにしろそれが問題なのは受ける側がたいていにおいて弱者であって社会的にも物理的にも弱さを持ってそれを人質にとられているようなところがある。それによって被った被害が処分なり更迭によっていったんは片づいたように見えても、心理的に残っているダメージなりはなかなか拭えないもので、おまけに相手の処分が完璧じゃない時点ではやっぱり怯えも残っているもの。そんな心理を斟酌するなら矛盾に満ちた言葉でもその裏にある葛藤をくみ取ってあげる必要があるし、むしろそうした葛藤を感じさせないような対応を相手側に求めなくちゃいけないってのが筋だろう。再発防止なんて甘い物じゃなく。でもきっとそうはならずいつか復活してきてまた同じことを繰り返しそう。だからドメスティックバイオレンスもセクハラもパワハラも無くならない。困ったものですまったく。

 ベビー5が可愛いなあ、頼めば何でも受け入れてくれそうだし、でもそれをやってしまうとドフラミンゴに潰されてしまうからちょっと怖いか、ってかどうしてそこまでドフラミンゴはベビー5を守るのか、なんてあたりにあの残酷で非道に見えるドンキホーテ・ドフラミンゴという海賊にもある人間味なんてものがほの見えてしまう「ONE PIECE」の第70巻。ドレスローザって国の王様を10年やっててそれで別に圧制を敷いて国民たちを虐げているって感じでもなく、むしろ王様だって尊敬すら受けているようなところも見えるくらいだから案外に良い奴なのかそれとも別の顔を追っているのか。そんな当たりが気になって気になって仕方がないけどとりあえずパンクハザード編とともにドフラミンゴは背後に引いて今は闘技場でメラメラの実をめぐるバトルが。誰が勝つのか。そして勝った先に何があるのか。益々目が離せなくなって来た。尾田っちちゃんと復活するかなあ。僕が生きてる間に完結させてくれるかなあ。

 つまりはやっぱり日本代表は本田圭祐のチームだってことで。サッカー。バルト9のパブリックビューイングで見ていた、来年のブラジルワールドカップ行きを決めたオーストラリア戦の試合で、評判の香川真司選手はサイドで受け取り切れ込んだりはするんだけれどマンチェスターユナイテッドでやってるように、サイドからと貧込んでいって受けてシュートとかいったような自在さは影を潜めて受け取りそれから動くリアクションに徹してるというか、それしか出来ない感じ。たぶんワールドカップ予選のように負けたらいけない試合で互いの良いところを潰し合おうと、相手がガッチリと守備を固めてくるとそこに割り込むのが難しく、そして毎試合がスペクタクルなリーグでは互いに良いところを出し合おうと攻め合う中で活躍する隙間めいたものが出来るんだろう。そういう選手なんだきっと。

 対して本田選手は固められれば奪われないようキープし時間を作って攻め上がりを待ち、相手が緩まれば一気呵成に攻めていく緩急がとれる。だから代表でも活躍できるしチームでもそれなりの存在感を示せるんだろうなあ。これでアディダスをはいていたらきっとスターだけれどミズノにこだわり背番号は4。それでも気にせず飄々と試合に臨んでPKを奪うキックを見せてそして奪ったPKをガッチリとキープし自ら決めてみせる。まさに千両役者。それでどーして世界のトップリーグにいて試合をしていないのか、ってのが不思議だけれど怪我もちょっとあったのと、当人がいずれはって高みにあせらずゆっくりと近づこうって気持ちの強さを持っているんだろう。まずはブラジルでの活躍。そしてビッグクラブへの移籍。そこでのレギュラー獲得。果たしてそのプランは成り立つか。今日の試合の活躍で何かそれも見えてきた。楽しみだ。本当に楽しみだ。


【6月3日】 やあ載っていたよ東京では読売新聞の6月1日付け夕刊に掲載の「ラノベくらぶ」で大森望さんが樹常楓さんの「無限のドリフター 世界は天使のもの」を取り上げていてそこで「文明崩壊後の世界を描くバリバリの未来SF」って“SF認定”を下している。書いた方としてはこの紹介にもあるし前に書いた感想文なんかでも触れたように、著者近影に湯飲みとか愛猫とかではなく本棚に並んだ青背ことハヤカワ文庫SFの写真を載せているくらいの相当なSF好きに見えるけれど、それだけにSFにおける「これはSFじゃない」的言説を食らう衝撃って奴も存分に認識している様子。だからいろいろ臆してもいたっぽいけれど、こうやって真正面から堂々と世界最大部数の新聞によって「SF」として評価されるってことは相当に嬉しいんじゃなかろーか。

 こうなったらもうSFをひたすらに書き続けるしかないんだけれども果たして電撃文庫のレーベルでそれが認められるかどうか。こうやって新聞に載ったんだから大丈夫、とは思うけれども一緒に紹介されている秋山瑞人さんの「猫の地球儀 焔の章」が、その下巻を経て「イリヤの夏、UFOの空」とか「ミナミノミナミノ」といった作品を経由しながらバリバリ本格のSFシリーズを世に連続して送り届けるには至ってないところを見るとなかなか難しいのかも、ってそれは書く側の気力体力の問題か。まあいろいろ書いてはいるみたいだからそのうちすごいSFが出てくると期待。でないと樹常楓さんとか「アリス、リローデッド ハロー・ミスターマグナム」の茜屋まつりさんといった後進がどんどんバリバリSFを書いてしまうかもしれないから。頑張れオール。

 いやあ驚いた。1993年に始まって一世を風靡したセラミュこと「美少女戦士セーラームーン」のミュージカルが2005年の終演から久々に復活して上演されるって話がドワンゴ方面から流れてきた。やっぱり20周年って節目の歳にはいろいろあるなあ。肝心のアニメがどうなっているかは知らないけど。セラミュっていえば初代の月野うさぎことセーラームーンを演じた大山アンザさんが現役でそして2代目の原史奈さんはサッカー評論家の中西哲西さんの奥さんになっていたりと出世するひとつの道。だから3代目のうさぎを演じた神戸みゆきさんも存命なら今頃中堅どころの女優として大活躍していたに違いないんだけれども2008年にまだ24歳の若さで死去。惜しいなあと今も思う。だから今度のミュージカルでうさぎを演じる人には長く、そしてずっと活躍していって欲しいものと切に願う。

 んで今回のセラミュは新しいポイントが1つ。あのタキシード仮面役がこれまでの男優から女優さんの男装になるみたい。それはそれで男子としては面白いかもと思うけれども女子的にはどうなんだろう、そういうのは宝塚でお腹一杯、こっちは普通に美少女で健気でドジなところもある月野うさぎことセーラームーンと普段は厳しそうで実は優しい地場衛ことタキシード仮面との恋愛めいたシーンを楽しみたいって人にはいろいろ反響を呼びそう。まあでも始まればきっとみんな通ってキャーキャー言うんだ。実は1度も見たことがないんだけれども今回くらいは見に行くか、ってチケットすぐ売り切れるだろうなあ。そういうときにニコニコ生放送。やってくれるかな。

 事実かどうかは不明ながらも現職の市会議員が実名でもって書いている以上はそこに脚色はあっても、あるいは独自視点による感覚の差異はあっても本質として事実だったんだろうとある国会議員の市会議員への選挙応援殴り込み。いや殴り込みってのは敵対する勢力のところに押し掛け攻撃を加えるもので、同じ政党から出たこれからの人材を応援するのに殴り込みなんてあるはずがないんだけれどそこは横紙破りもとてつもない議員。喚びもしないのにやってきてはおくった溜め書きがないといってゴネて怒鳴り居座った挙げ句に謝らせ、そして頼んでもないのに選挙カーに乗っては運転手に暴言を吐き有権者がいる団地を誹る言動をやってのけ、さらに戻って後輩議員に謝らせてみせたりする。別に関係もないのに。

 そして溜め書きが実は送っていなかったというオチまでついてもう何をか況やなんだけれども当人にはそうした非道をした自覚がまるでないというさらなるオチもついて来た。怖いなあ。あるいは政党の秘密兵器みたいなもので、もしも造反だの政策に反意を示そうだのすると政党から送り込まれる形で押し掛け応援をして現場を混乱させ、有権者を呆然とさせて結果として落選させようとするかもしれない。来て欲しくなければ逆らうなと。怖いなあ。恐ろしいなあ。もちろん未だ事実と確定した訳じゃないんで何か腹に一物ある人の造言かもしれないけれどもそういうことがあって不思議じゃないと思わせるパーソナリティであることも確か。だからこそこうやってぶちまけられたら一体何をしでかすか。第2ラウンドがちょっと楽しみ。

 「週刊将棋」の6月5日号に森田和郎さんの追悼コラム。誰ってそれは「森田将棋」というコンピュータ将棋を開発した人で昨今プロ棋士をコンピュータが倒したって話題になったけれど、そうしたプロ棋士に互して戦えるコンピュータの将棋ソフトを作って世に広めてきたパイオニアが森田さん。あるいは今のこの隆盛に大きく貢献した人とも言えるんだけれど亡くなられたのは去年の7月27日で、どーして1年近くも大っぴらに語られてこなかったのか不思議なのはさておいて、3月にあったコンピュータのプロ棋士撃破を森田さんはその目で見られなかったっていうのがちょっともの悲しい。見ていたらやっぱり興奮したかなあ、それとも自分より先を行かれたソフトに嫉妬した? いずれにしても偉大な先駆者の残念な死を悼み合掌。でも僕が遊んでいたのは「森田将棋」ではなく「AI将棋」だったんだけど。強いだんこれが。僕が弱すぎ? ごもっとも。


【6月2日】 なんか気がついたら、離別の哀しみを明るさの中に描き出して泣かせてくれた「雨ふらば 風ふかば」とか、そこに行けていろいろな人と出会える大切さを教えてくれた「15時30分の拍手喝采」といった短編アニメーションを作って同人誌即売会なんかで売っている沼田友さんが、COMITIAって創作系の同人誌即売会に出展している他の自主アニメーション作家とかスタジオなんかと連携してアニメ部ってのを立ち上げたみたい。とくに何か1つの島をつくって集中して売るってんじゃなく、それぞれがそれぞれに活動はするんだけれど、メーンがやっぱり漫画だったりあるいはデジタルでも最近流行のVOCALOID系の音楽とか、自主制作ゲームだったりする中で、それでも少しづつ存在を増やしつつあるアニメーションについてまとまってアピールしていく、ってのが趣旨みたい。

 1つ1つのクリエーターなりスタジオに力があっても、あの大波のような会場ではやっぱり目立てない。それを束ねることで少しでも声を遠くに届きやすくして、目を向けてもらえれば。うん良いことだ。見るとメンバーには3DCGを使いながらもセルルックのアニメーションを作っているirodoriさんとかが入っていて、東京国際アニメフェアのクリエイターズワールドなんかでよく見て是非に上に行ってもらいたいと思っていたスタジオだけに、ここからさらにアピールしていってもらえれば個人的には僥倖。それからちょっぴりエッチだけれどクオリティはめちゃ高い石川プロさんに、レトロフューチャーな歩に気を持った索引を手がけて評判の弥栄堂さんといったところも入ってなかなかに多彩。アート側によったものではなくって商業アニメーションに近いテイストのものを自分たちで作ろうとしている人たちが集まっている。

 絵的に凄いところもあれば、ビジュアル的に萌えるところもあり、そして沼田さんみたいに最初は多くがその3DCGで造形されたキャラクターにうっなるだろうけれど、見ていれば細やかな表情の付け方とそして何よりストーリーとシナリオの良さに惹かれていつしかファンになるアニメーション作家もいたりする。どれって選んで見てもいいし、どれもこれもと渡り歩いていろいろな作風のファンになるのも良い。自主制作から商業アニメーションのトップへ、って一時盛り上がった流れの中で、どうしても新海誠さんがひとり先頭を突っ走っていて遙か先まで行ってしまって、後をどうにか「イヴの時間」の吉浦康裕さんが追いかけているような感じがあるけれど、そこに追いすがって追い抜いていく次代の商業に寄った自主制作アニメーション作家はこの中から出てくるか。出てきて欲しいなあ。それが世の中を楽しくしてくれるだろうから。

 やっと見た「マジェスティックプリンス」は例の白い頭をしたお嬢さんの正体がようやくにして見えてきた感じ。ああやって地球の言葉をしゃべれるってことはつまりウルガルも地球に近い知性とそして進化の成り立ちを持っているんじゃないのかなあ、でもそうじゃないって偉い人は言ってたりするからちょっと分からない。SFとしてリアルに寄せるならやっぱり同根と見るべきだろうけど、ファンタジーに寄せるなら似て非なるけれども生育の条件が似ているならやっぱり似てしまったという可能性。その確立はいったいどれくらい。ともあれああやってお互いの姿を認識した以上はそこにコミュニケーションが発生するかとうと、あいては理性なんぞかなぐりすてて本能のあるがままに行動する種族。その戦いの本能に理性で挑んではたして勝てるか。勝てないからこそのジュリアシステムなのか。そんなあたりで興味を惹かれて何か今期1番見ているアニメになって来た。BDどうしようかなあ。

 これもやっと見た「ちはやふる2」は相手が実に男らしいちうか勇ましいというか。あれじゃあヤワい男子は吹き飛ばされても仕方がないけど千早はそれにスピードで挑んで勝つから凄い。たとえ左手でも相手の陣にあるものはさっと抜くし、鏡対象にしてからは自陣のものだってあっさりと抜いていく。その速さがだったら次のクイーン戦で通用するかというと……ってのはすでに明らかになっている展開だけど、そんなクイーンを相手にあっさり勝ち抜いてしまうんだからやっぱり新は強いんだなあ。そういや千早と新の間にクイーンと対戦したのって誰だったっけ、エロムと逢坂恵夢だっけそれと恵夢は入ってて別の誰かだったっけ。帰ったら漫画読み返そう。そのあたりは沈まないでちゃんと手に届くところにあるみたいだから。どんな家だ。

 せっかくだからと今日は千駄ヶ谷の方から歩いて新宿御苑へ。千駄ヶ谷門からの方が映画「言の葉の庭」でタカオとユキノが集いタカオが靴のスケッチを描きユキノが金麦とチョコレートを飲み貪ったりするあずまやも近いってことが分かったけれど、でも映画だとメーンになってるのはどちらかといえばタカオの方で、彼は新宿駅から南口を出て坂を下り新宿門から改札を通って中に入ることになっているから、そっちになりたい人はやっぱりそうするしかない。とはいえ昨今のこの情勢下で、大人ながらもどこか行き場を失った気持ちを持ってしまったユキノに自分をなぞらえている人も少なくなさそう。そういう人はやっぱり千駄ヶ谷から通勤電車を見送り駅を出て雨の中を新宿御苑に向かって歩いていくのが気分なんじゃなかろーか。

 少年なら学校さぼっても繁華街で遊んで時間を過ごせるし、そうすることによっていくらだって未来は開けるものだけど、学生ほど自由に振る舞えず未来も細っていくだけだと思い込んでいる大人は、会社をさぼったらあんまり遊びに出歩かない。家でこもってボーッとしているか、静かな場所で身を縮こまらせていたりする。そんな感じに追い込まれた大人の大勢いたりして、新しい型の鬱病が多く発生しているとか言われていたりする現在なだけに、居場所に困って新宿御苑になだれ込んでビールは禁止だから炭酸でも飲みつつチョコレートを囓って自分の不甲斐なさに落ち込んで、けれども歩けない自分に苛立っていたりしそー。もしも本当にそんな人たちばかりがあずまやに詰めかけたら、ちょっと凄い光景かも。せめてそんな中にユキノさんクラスの女性がいたら嬉しいんだけれど、そうはいかないこの世の中、くたびれた中年のおっさんがあずまやにひしめき合ってチョコレートを貪っているという、世紀末。なんたるちゃ。

 学校の中で生徒たちがランク付けされ階層化された関係の中で、上が下を虐め疎外するのに憤った下が反攻する物語もライトノベルのひとつの形式になっている。そんな作品を書き続けてきた江波光則の最新刊『鳥葬 −まだ人間じゃない−』は、道路に投げた石が車に当たり運転者を死なせてしまった過去を持つ少年とその仲間たちが、そんな過去を理由に学校で虐められていた1人の自殺と見られる死をきっかけに再会して今を見つめ直す。過去と向き合うことを決めた少年もいれば、そんな事故など気に負わずむしろ積極的にアウトローとなって生きている少年少女もいたりして、ひとりの人間の死という家族にも当事者にも重大なはずのことが、人によっては取るに足らないことだったりする実状が、人の心の複雑で多彩な様を浮かび上がらせる。虐待への復讐としてクラスメートを全滅させる話も書く一方で、青春期にある少年少女の揺れる心情も巧みに捉えてみせる作家のひとつの境地。割と理解しやすい路線でもあり、次世代を担うだろう作家への入り口として手に取ってみて損はない。


【6月1日】 ふと気がついたらアマゾンのキンドルストアでもって中学二年生の書いたような黒歴史のノートが大爆発しているそうで、朝日新聞の関連サイトの記事にもなっていてそりゃああるいはもしかしてと見に行ったら、やっぱりアーティストの設楽陸さんの“作品”だった。去年に江口寿史さんの絵を買ってしまってその代金を銀行から引っ張り出すのを目的に、名古屋の実家に帰ったついでにZepp Nagoyaでライブを開いたSCANDALも見に行った、さらについでに名古屋市美術館に寄ったとき、近隣の現代アーティストたちを集めた展覧会がやっていて面白そうだと入った中に見つけた最も面白そうな作品が、まさにその設楽陸さんによる中二病的なノートの作品だった。

 日記の6月2日付けによれば「驚いたのがキャンバスノートに綴られていたファンタジーな世界設定を作品としたもの。それはたとえるなら中学二年生が密かに夢をノートに綴っていったもの。妄想と空想の狭間を行き来するような得体の知れないパッションがみっしりと書かれたものが何冊もあって、いったいこれは生き様として本気なのかそれともアートとしての本気なのか、判断にちょっと迷った」とあって、今まさにいろいろと話題になっていたりするこの“作品”への観点を、だってそこにあるならアートじゃんという美術館という現場にそれが置かれていながら感じたりしてた。それくらいに“本気”の中二的妄想がその筆致とともに炸裂していた。だから誰もが関心を持って感想を寄せて、結果として今回の電子出版へと繋がりさらに話題沸騰へとつながった。

 ただ、当時の日記によれば「アートだと言うには絵も字もちょっと子供っぽ過ぎる。かといってそれを綴り続けるには例えばヘンリー・ダーガーのような本気の本気が必要で、けれどもアートとして描かれている絵画なんかをみるとそうしたアウトサイダーアート的な不気味さ底知れ無さとはちょっと違う真っ当さって奴がのぞいて見える」とも。どこまでも本気。けれどもその本気を今、アーティストとして活動している中で出すのは相当な精神的な自律が必要で、妄想の世界に入ってそれを妄想だと自身は思わないでひたすらに綴り続けたものが持つある種のパッションを、維持しつつけれども見る人までその暗黒に引きずり込もうとして、拒絶を食らう寸前の見て面白がれる領域に留め置くのにいったいどれくらいの細心を払ったのか。そこにこの“作品”のすごさがあるんだと思うんだけれど果たしてやっぱり世間はいわゆるリアルな中二病ノートとして消費してしまうのかどうなのか。今後の広がり方にちょっと関心。

 SFマガジンが果たしてきゃりーぱみゅぱみゅを取り上げることが可能なんだろうか、なんて考えてたりする終末。ミステリマガジンがアニメだドラマだ何だと散々っぱら最新のポップカルチャーをネタにミステリを紹介する一方で、SFマガジンはSFという最先端の素材を扱っていながらもそうしたポップカルチャーが取り上げられたのは初音ミクが唯一くらい。それも硬派で良いんだけれども硬すぎては新しいファンは取り込めず、毎年のように平均年齢が上がっていくだけのSF大会的現象が読者層にも起こりかねない。だったらここで一気に若返りを図るべく、ポップカルチャーの最先端にして若者文化のトップランナーを取り上げることで一気に若返りをはかってみせようとした時に、取り上げる対象としてやっぱりきゃりーぱみゅぱみゅの存在が浮かぶ。

 載せたらもう話題沸騰間違いない、とは思うんだけれど、問題はだからそれがどうSFとなるかってこと。さすがにファッションだの原宿だのでは難しいけどまあ、謳っている歌が「インベーダーインベーダー」であり「ファッションモンスター」な訳で宇宙人とベムはSFでも最大級のアイテム。その2つが揃ったという時点でもはやきゃりーぱみゅぱみゅはSFなんだと断じて良いし、アイドルという商業の混沌にハマっている訳でもなければ、アーティストという独善に陥っている訳でもないその存在の不可思議さは、まんまSF的といっても過言ではない。という訳でSFマガジンは早急にきゃりーぱみゅぱみゅを特集する準備を始めて長谷敏司さんや海猫沢めろんさんや神林長平さんにきゃりーぱみゅぱみゅをテーマにした短編を依頼しそして、とり・みきさんにきゃりーぱみゅぱみゅがワーナーで達郎を目からビームで追撃しつつチームしゃちほこに追撃されるのを口からミサイルで撃退する漫画を依頼するのだ。絶対にだ。

 なんてことを思いながらSFマガジンの編集部を背にして秋葉原まで歩きアーツ千代田3331で竹谷隆之さんの展覧会を見る。造形の人。それともとてつもない。デビルマンにしてもダンバインにしてもその持てる肉感を存分に盛り上げ、キャラクターでありながらもリアルに存在する生命として作り出してくれる人で会場にもそんなダンバインがありデビルマンがいてグインが立ち「幻魔大戦」のベガに仏像に怪物なんかがいっぱい並んで激しくも凄まじいオーラを放ってた。立像であってもジオラマ風のものであっても、造形として完成しているところは完全にひとつの彫刻作品。「地獄の門」のロダンに「ダビデ」のミケランジェロといった美術史に名を残す彫刻家たちと比肩しうるすごさを持っているといっても過言ではない。それくらいに凄い。

 だから、これらが例えばアメリカのグッゲンハイム美術館なりフランスのカルティエ財団なりに並んでいたって全然違和感はないんだけれど、そういう方面に持っていく文脈はまだ作られていなんだよなあ、アニメのキャラクターをこうアレンジしてこう生々しさを付け加えたんですってところまで、説明するのはなかなか面倒な話だし。いやそうしなくたって見れば凄いじゃん分かるじゃんって日本人なら思う訳で、それで十分だとも。あるいは「猟師の角度」のシリーズのように、ストーリーはちゃんとあるんだけれどそれぞれのシーンを立体にして並べただけでも存分に、造形のすごさと物語性への想像を感じさせる作品もある。見れば分かるそのすごさ。だから見せることが重要ってことでこの展覧会をまるっと世界で巡回させるような資金はないものか。それこそクールジャパンから出せばいいのに。誰が見ても「すっこんでろ」と言うだろう衣装をゴスロリだアリスだクールジャパンだと言い募る輩なんぞは引っ込めて。

 例の大阪市の橋下透市長に対する大阪市議会の問責は公明党が揺らされ引っ込めて結局は可決しなかった見たいだけれども、そんな一連のドタバタに関して「それにしても市政とは直接関係のない『安婦発言』を理由に問責決議案を出すとは、どこかの国を利するだけで、嘆かわしい限りです」とか書いてる新聞の割と偉い人がいたりしていったいこれは何なんだろうと考えウエブでのカテゴリーが「エンタメ」になっているのを見てそうかこれは余りに頓狂なことを書いて炎上を誘って世の中に話題をする体を張っての道化芝居なんだという理屈を引っ張り付ける。でないとちょっと理解できないもん。

 そもそもが市政とはまるで関係のない慰安婦発言を繰り出し、それから沖縄での米軍へに対する侮蔑的な発言を繰り出しては全世界的に非難され、その釈明めいたものをしに北区では親子が大変な目に遭っていた時期をわざわざ選ぶかのように東京へと赴いて、市が動いている平日に市政とはやっぱりまるで無関係な海外のメディア相手に喋り倒しては彼らのナニヲイッテルンダコイツ的な呆れ嘲りの感情を倍増しさせ、そんな人が率いている自治体への信頼を大きく損なった上に、予定していた訪米を取りやめそのキャンセル料を市の財政から支払うことになりそうだという、文字通りに市政を混乱させて市益を損なった人間を、市議会が問責しようとして何が不思議なんだろう。何も不思議なことはない。

 まさしく「地方議会の役割」を的確に果たそうとした活動だと言え、なのに半ば脅されるようにそれを引っ込めた政党をこそ非難すべきだし、そもそもの原因となった市長に対してお灸を据えるくらいが社会の木鐸を任じて、それを理由に軽減税率を求める新聞の役割だって言えるのに、なぜか「議員のみなさんにはじっくりと考えてもらいたいものです」とっちに矛先を向ける。全うに考えるなら何が何だか分からないけれど、それなりな居場所にある人の筆先から出る言葉がまるで無意味とか、まるで無分別だなんてことがあるはずがない。だからこれは思考的な跳躍をもって世の中に一種の滑り芸を披露して、視線をひきつけつつ本当の意味での新聞の役割とは何かを、自身も含めた新聞に携わる人たちに「じっくりと考えてもらいたいもの」として書いたに違いない。そうに決まっている。でなければ……。信じよう。信じるぞ。信じられるなら。


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