縮刷版2012年6月下旬号


【6月30日】 目覚めたら午前の5時を過ぎていたので支度をして新宿ピカデリーまで「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章」上映のための行列を作りに行く。ヤマトの公開時に行列を作るってのはたぶん義務みたいなものなんだろう、それはたとえ初日に第二章のブルーレイディスク劇場限定版が、何か都合で販売されなくなって当日に申し込み用紙をもらってネットから注文するような形になったとしても。実際にそんな人もいっぱいいたようで時間的に前回よりちょい遅かったんで人数もやや多めって感じの行列がいて、みんなやっぱりヤマトは朝から、並んで、観るんだって覚悟をもっていた。

 僕自身は「復活編」もその前の実写版も別に並んで観てはないけれど(「復活編」なんて観てすらいない)、それでもやっぱり最初のヤマトに大いなるリスペクトが捧げられたこの「2199」にはちょっと初心にかえってつき合っていきたい気分。最初にスターシャのすっぽんぽんに引っ張られて劇場限定版BDを買ったんでそれで揃えなくっちゃ気分が落ち着かないってのもあるけれど。そっちの方が実は大、とか。まあそんなんもんだ。

 せっかくだからと新宿三丁目から副都心線で池袋まで出て、そこから西武池袋線に乗って大泉学園に行ってまたしてもTジョイ大泉学園で「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」を観る、ここでは2回目か、でも前回と違って今回は429席だかある最大規模のシアター1での上映。入って驚いたけれども広くてゆったりとしていて、これならもうちょっと前で席をとって画面がいっぱいに覆い被さってくるような感覚で観た方が良かったかもってふと思った。次にいくならそうしよう、ってもシアター1は木曜日までで金曜日は違うシアターになる模様。その後は不明。やって欲しいなあ、お膝元なんで、東映アニメーションの。

 観たのはこれで試写も入れると7回目。だからストーリー自体についてはとくに語ることもないけれどもやっぱりあの、「水の影」がかかってそれからユウタがさえ子の手を引っ張って参道をほたるの水辺まで引っ張っていくシーンで涙ぐんでしまうなあ、灯籠の脇のたぶなれは彼岸に立つお兄ちゃんがやさしく微笑みのを観て泣きふり返って泣きながらも、そちらへはもう行かないと決めてユウタの手をギュッと握り直すさえ子。その瞬間の決意って奴にすごく心を打たれた。

 現世にかえっても迎えているのはつらい現実。兄を失い自分は。それを覚悟して戻る決意をするくらい、さえ子はユウタの気持に惹かれるところがあったんだろう。それは純粋な強さ。生きなきゃというメッセージ。打算なくそんな言葉を発せられ、それを真っ直ぐに受け止めてもらえる環境が今はなかなかないだけに、ああいった映画のなかで語られるとそうならなくっちゃって思えてくる。蛇足といわれるラストの言葉も、子供たちはこの現実を生きているんだということを大人に示し、子供に覚悟を与えてそして未来を作ろうよって意志にあふれたもの。決してノスタルジーに耽溺するんじゃなく、未来を開いて進むんだという映画が持ってるメッセージを、思い起こさせる意味があると考える。蛇足どころか本質。だから目を開けて読んで感じる、生きようと。

 あと7回目となると目が行くのはやっぱり細部ってことになって、出かけるおばあちゃんの鞄を持ち上げるさえ子がちょいO脚気味にふんばっていたりすることが発見できて子供だからって女の子だからって容赦しない制作の人たちに感心。あと見どころとしては、花火が終わって立ち上がろうとする浴衣姿の芳沢さんのチラリとのぞく太股なんかが改めて目に刺さった。綺麗だよなあ。あれをケンゾー、大人になったら目一杯。ああ羨ましい。そんな芳沢さんがダムの村を出ていくときに乗るトヨタクラウンが71年式だってことを確認。フロントの尖端が2段になっててスタイリッシュな感じがして、子供の時に見てかっちょええって思ったんだけれど、何か世間的には評判が悪くてこの後からずっと四角い感じになってしまったとか。勿体ない。

 あとTジョイ大泉のシアター1は音響も抜群だったなあ。隣にスクリーンがない関係で最近の大音量ハリウッド映画の音が静かなシーンでドンドンと響くこともなく、ずっと鳴り響いている虫の声なんかが昼間はやかましめに、夜は静けさの中を貫くように聞こえてくるのが耳に届く。これは家では味わえない。同様に冒頭の土砂降りのシーン。降りしきる雨の音もその中を走る音も、流れ落ちる水の中を足を取られながら歩く音もしっかりと本物っぽく聞こえてきては、全身を包み込む。これも音場を作れる劇場ならでは。なおかつ最高品質の音で上映できる大泉学園のTジョイのシアター1ならでは。それが聞けるのも日曜からとりあえず木曜まで。だから行くしかないよまだ行ってない人は。プリクラだって楽しめるよ。

 転戦して秋葉原へと行って高殿円さんのサイン会。「銃姫」とか「神曲奏界ポリフォニカ」のホワイトシリーズの作者としてライトノベル的にはファン層が見えても「トッカン! the 3rd おばけなんてないさ」(早川書房)ような一般向けに書かれた小説ではいったい、どんな層がファンとしてサイン会に来るのか興味もあってのぞいたら、やっぱりというかぐー子のように頑張っていながら虐げられていながら、それでも頑張っている女性に共感していそうな女性の読者層がいっぱいた。それとも鏡のファンか、あの悪口雑言を浴びたいというマゾヒスティックな性向の。ともあれしっかりとファン層もいてサイン会も行列になってて善哉、1冊目からこれは絶対にドラマ化だと言っていたら本当になったから次は直木賞だと言って本当になったらすごいなあ。シリーズ物だって途中で取るケースはあるし、大沢在昌さんだって奥田英朗さんだって。

 saleって秋葉原にある輸入BD屋に寄ったら「世紀末オカルト学園」のセットがあったけれども雑誌サイズで箱にはいって何かブックレットがついていた。ちょっと面白そうなので買う、っていうかBDボックス出てないし。再放送やってるんだからてっきり出すと思ったんだがなあ、あんまり商売したくないのかな。そして新宿へとってて返して「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章」の上映を見物、最前列からたっぷりと森雪のお尻を見上げて堪能した。今回は太陽系脱出までの軌跡を描く4話連続で敵はシュルツ。とりあえずやっぱりワープがあって波動砲があって反射衛星砲があってと第1作をなぞるように進んでいくけど、森雪のお尻をはじめビジュアル的には現代的に美しかったり萌えってたりスタイリッシュだったりするところがあって、これが過去のではどうなったかを改めて比べてみたくなった、ってことはやっぱり買うしかないんだろうなあBDボックスを。こればっかりは最高品質で最大級のおまけもついた日本版を。


【6月29日】 驚いた。いやあ驚いた。カッサーノ選手が真面目に仕事をしている。散々っぱら悪童と呼ばれて疎まれる中、暴れ回ってはメディアに叩かれていたあのカッサーノ選手が、サイドから何度も突破を見せてはクロスを放ってそれをバロテッリ選手の頭にピタリを合わせて、EUROでのイタリア対ドイツ戦での先取点に大きく貢献している。こんなことがあるのか。こんなことがあり得るのか。人間変われば変わるものなんだなあ。それを成し遂げたプランデッリ監督の偉大さにも合わせて驚き感心することしきり。あれでどうしてパルマ時代に中田英寿選手に言うことを聞かせてサイドハーフに定着させて、選手としての寿命と可能性を伸ばしてあげられなかったんだろう。中田選手はカッサーノ選手以上の悪童だったってことなのか。そうなんだろうなあ。うん。

 いやあ驚いた。まったくもって驚いた。バロテッリ選手が真っ当に活躍している。散々っぱら悪童2世だのカッサーノの後継者だのと疎まれながらも、改めることなくゴールを決めた直後に悪態をつこうとして口を仲間に押さえられていたのはつい最近のこと。それ以前いんもチームでさんざんっぱら悪態をつき、悪行を振りまいては問題児視されていたバロテッリ選手が、カッサーノ選手のクロスをぴたりと合わせて先取点を取って後も、前線でしっかりボールをキープする役を務め、そして抜け出して受けた時にはそのままゴールへと向かい、相手ゴールキーパーの手もかすめない弾丸シュートを決めて2点目を奪って、イタリアのEURO決勝進出に貢献した。やっぱりこれもプランデッリ監督の仕込みが良いからなのか。イタリア代表という看板の下では献身こそが大切と思っていたのか。分からないけれどもこのバロテッリ選手のようにどうしてムトゥ選手をパルマで手綱を締めて薬物なんかに向かわせられなかったのか。薬怖い。ダメ絶対。

 しかしあれだけ強かったドイツの攻撃が防がれるとはやっぱり守備が強いイタリア代表。かといってがっちがちに固めているってよりは必要な時にしっかりついて守り抜くというその緩急が、膠着とならずテンポよい攻撃につながっているんだろうと思わせる。だから明け方の試合を飽きずに最後まで眺めていられて、ジジイの繰り言によって結果をリポート前に知らされるような屈辱を味わわずに済んだ。またやったのかなああのジジイ。選手ではやっぱりブッフォン選手がすごかった。ゴールキーパーで2002年からずっと正GKを張っているんだけれど歳はまだ34歳で川口能活選手より若いんだから驚くというか。それを言うならスペイン代表のイケル・カシージャス選手だって31歳。なのにやっぱり2002年のワールドカップの時から正GKを張っている。バルセロナのビクトール・バルデス選手だって悪くないのに。同じ歳くらいなのに。長くやれる一方で、変わることの少ないポジション。天国と地獄の明確なポジション。ドラマがありそうだなあいろいろと。

 あとはやっぱりピルロ選手か。フィジカルが強い訳でもゴールを量産する訳でもなく守備にも攻撃にも向いてそうにない選手だたのがそんな間に立ってボールを奪うことで守備をしてボールを送ることで攻撃を作る魔術師というか司令塔というか、そんな立場をイタリア代表の中に作り上げてしまった。それは何という訳ではなくもはや「ピルロ」というポジション。他の誰にも真似ができないこの位置からいずれピルロ選手が消えた時にイタリア代表がどうなるのかって興味がある。日本だと近いのは遠藤保仁選手なんだろうけれどもピルロ選手ほどの凄みってのはやっぱりないのは時にダッシュし前に出たり、下がって守備をする運動量の差って奴なのか。あとは迫力。遠藤選手はだからヒゲをはやそう。ついでに香川選手はカッサーノ選手みたいに相手を蹂躙できるよう、タトゥーシールを全身に貼ろう。本田圭佑選手はバロテッリ選手のような超存在感を示せるようにモヒカンだ。これで安心、サムライジャパン。

 そんなサッカー中継の合間にちらっと見ていた「ベストヒットUSA」に妙な東洋人の集団が出ていてそれにしては巧みな英語で決して日本のヒップホップグループではなかったと判明。名を「Far East Movement」という彼らはボーカルが日本と中国の血を引くケヴ・ニッシュという人で、ほかに韓国系が2人にフィリピン系が1人といずれも極東の血縁者。だからこその「Far East」ってことなんだけれどそんな特質をエキゾチックに取り入れつつも日本とか、韓国といった特定のイメージではなく洋装を試しているお上りさん、といった風体を見せつつそれが圧巻のアクションとサウンドをつくって聞かせるギャップってもので、世界を驚かせているって感じ。日本はどうしてもそこまでやるか的な気恥ずかしさが一方に浮かぶけれど、そうした企みが世界を引っかき回している楽しさも一緒に味わえてなかなかに愉快。1曲だけしか聴けなかったけれども他はどんな感じなんだろう。聞いてみるかなあ。これと須藤元気さんがやってる背広なロボットのダンスとエレクトロのユニット「WORLD ORDER」が世界を席巻するのを見てみたいなあ。

 このレアアースの鉱床が仮にあの世界で実用化したなら、ジスプロシウムを生むからと囲われコミュニティ・マヒトツに収容された冴矢も、ありふれた金属しか出ない人間と思われ捨て置かれ、自由に生きられたのかもしれないなあ、なんて思いながら見た南鳥島での埋蔵レアアースの発見報道。とはいえ、体からレアアースを出す少女たちの寿命にはやっぱり限りがある訳で、その意味での悲惨さに変わりはないんだけれど、死はともかくとして囲われ続ける壁は低くされ、最後の時間を目一杯に楽しめたんじゃなかろーか、江波との生活とか。青柳碧人さんの「希土類少女」が何かとってもタイムリーな作品になって来た。政府の無茶を描いた「千葉県立海中高校」もそれが現実のものとなったし、裁判員裁判のショー化を描いた「判決はCMのあとで」も例の婚活殺人の裁判と重なるところが多かったし。つまりは時代を切り取りエンターテインメントの殻を被せて見せる第一人者ってことだけれど、それが今はまだ広まっていないのが残念。この希土類への注目をきっかけに「希土類少女」を経て一気に。期待。

 今千秋さんってそういや最近何やってたっけって探ったら、「世界一初恋」のシリーズを少し前にやってたんだった、録画はしたけど見てないや。あの「うみねこの鳴く頃に」の凄まじいばかりの展開とは一変した「のだめカンタービレ」のファイナルとかの賑やかな演出ぶりから、どっちが本当の今千秋さんの味なんだろうか、分からないけれども新しく始まるらしい「アルカナファミリア」ではどちらかとえいば「世界一初恋」のよーな女性をターゲットにした作品だから、出てくるキャラクターたちのもやもやなニヤニヤを描いてグッとさせキュンとさせる腕前の方が案外に得意なのかもしれないなあ。「ちはやふる」なんかやりたがっていた感じだったけれどもそれは浅香守生さんが担当したから残念、でも2期も始まるしコンテくらいは切るかな、世代も近そうな女性アニメーション監督のいしづかあつこさんも参加してたし。そのいしづかさんは「さくら荘のペットな彼女」を監督か。ぶつかり合いを楽しみにしよう。


【6月28日】 えっとオスカーはいったいどこに。それが気になったってことはあるいは次なる展開の中で、再登場とかあったりするのか「LUPIN The Third 峰不二子という女」。連続で来た峰不二子の過去との対峙は、彼女自身が虐待されて育ったんじゃなく、その当事者が現れそしてそのママンが登場して、声までママンだったんで驚いた。ラーゼフォン。そういやオープニングでママン、何か詩のようなものをつぶやいていたっけか、それ自体は峰不二子という女について語られていたことのように思えるけれども、ママンが語っていたということは、あるいはママンが託したかったアイシャという少女の思いをママンが代わりに呟いたって設定でもあるのかな。そうだとするならあの詩をあそこでママンが朗読した意味もあるってもので。

 ふり返ればそうした連環のしっかり整えられた作品だったなあ。得体のしれない宗教団体を相手にしたバトルって奴も、その教団が依って立つ場所を考えれば最後に大きな意味を持っていた。あるいは途中に出てきた次元大介が世話になっていたマフィアたちも、石川五エ門が乗り合わせた列車にいた貴族や子供たちもなにがしかの意味を持っていた、ってことはないかもしれないけれども、それらは峰不二子という女と、次元大介や石川五エ門というキャラクターを出合わせ関係させる上で必要だったエピソード。そこから始まる腐れ縁が、すべて第1期から第3期まで続いたテレビシリーズから映画からテレビスペシャルといった「ルパン三世」という作品につながっていくのだ。もちろん漫画も。見ていったいモンキー・パンチ先生、どう思ったのかなあ、事後の感想って奴を聞きたいなあ。

 尻上がりによくなっていった次元大介の声とか最初っから完璧以上だった栗田寛一さんのルパンの声とか、声優さんについては過去から残った人はそれだけの意味があるんだってことを分からせてくれる布陣になっていた。新しく入った銭形警部の山寺宏一さんも銭形らしさ炸裂だったし、石川五エ門の浪川大輔さんも聞くほどに凄みが出ていった。それがラストでは峰不二子みたいな格好をさせられて出した声だってのは笑えたけれども、そうやって始まるひとつの恋。ところで五エ門まだついているよね。ガールフレンドっていうのは純粋に女友達で女同士の友達だって意味じゃないよね。それからあとオスカーもちゃんとくっついたままだよね、改造されてなんかないよね。こっちはされててもオッケーかな。

 何よりも素晴らしかった沢城みゆきさんの峰不二子。誰がやっても二階堂有希子さんから増山江威子さんといった先達たちと比べられることを承知で挑んで、奔放で淫靡でしたたかでそれでいて時折弱さも見せる女盗賊の役ってものをこなしてみせた。慣れに走らず形に乗らないその演技は21世紀の峰不二子像って奴を作り上げ、これからの数十年を彼女の天下にするだろう。「図書館戦争」の柴崎麻子も企みを持った女の声だったけれどもそれともやっぱり違うんだよなあ。それでいてやっぱり沢城さんという声を、どうして出せるんだろう。ぷちこでデビューした時から巧かったけれど、その巧さに乗らずすがらないまま鍛え練り上げた演技があるんだろう。人間、才能はあってもその上に努力を重ねることでどこまでもいける、ってことで。才能もなければ努力もしない自分、反省。

 10秒に1回の不愉快をまき散らす奴をどうしていまだに重宝しているんだろうみのもんたさんをTBSは。「朝ズバ!」を見ていたら若い女性のアナウンサーを相手に、イジるというよりイジめに近い口調で喋っていたのを見てそんなのお前の感性だけだろと憤り、チャンネルを変えたもののやっぱりEUROがどうなったかを見たくて戻したら、さあいよいよこれから試合の経過を放送しますって瞬間に、横で見苦しくキックの振りなんかをしていたみのもんたさんが、「PKでスペインが勝ちました」とか言って興味減殺、周辺真っ青。既にネットなんかで結果を知っていた人もいただろうし、WOWOWで放送を見ていた人もいるだろうけれど、ほとんどは結果をしらずさあどうなったって楽しみにしていた視聴者たち。そういう人たちに向けて興味を誘うように原稿も書かれていたはずなんだけれど、最初に結果を暴露してすべてが粉みじん。無意味なものになってしまった。

 考え方も柔らかそうに見せていながらその実ただの井戸端水準。疑問を口にはしてもそれは誰もが考えていながら答えが出せないか、そうはいってもそうはいかないといった意見ばかりで現実味に乏しい。それを自分がそう言えば世間の溜飲も下がるんじゃないかというお節介でやってくるからウザくて鬱陶しいと思われる。けど当人はまるでそうは感じてない。まったくもって性懲りもない。見る方だってバカじゃないからそうした害毒に敏感に反応して、チャンネルを変えていたりするんだろう、その結果が最近のZIPの好調か。こっちは報道ぶりではワイドショーに足らず、エンタメぶりではおはスタに及ばない中途半端な雰囲気を醸し出しているんだけれど、安心して見ていられるってところはあるからなあ。あち速水もこみちさんの料理コーナーとか。旧態依然が続くほど甘くない原題にさて、TBSはどんな手を打ってくるか。ってフジテレビはさらに頑張らないといけなさそうなんだけれど。Kalafinaとかラスマス・フェイバーといったポップカルチャーで巻き返すっきゃない。

 わははははは。タイトルからてっきり若い少年兵が美少女の衛生兵とイチャイチャするようなラブコメかと思った篠山半太さんの「君が衛生兵で歩兵が俺で」(PHPスマッシュ文庫、686円)は、読み始めるとこれがどうして、シリアスでハードでポリティカル。自衛隊っていうものが置かれた立場について論じられ、それをどうにかしちゃうようなイベントが繰り広げられては、挫折があり、決起があってといった展開の中に軍隊ではない軍隊としての自衛隊の不確かな立場ってのが綴られる。そう聞くと、憲法九条ってものが自衛隊を縛っていることへの懐疑とか、旧軍的なものの復活とそして国威の発揚なんかが語れるのかと思われがちだけれど、叛乱が終わって浮かび上がる風景の中で、今のままだからこそ日本は攻めず攻められもしないまま、平和を享受していけるんだとう論も繰り出されていて、自衛隊の存在感を打ち出して、体制をひっくり返そうとしたのはそうした自衛隊によって護られた平和だということの再確認を図るため、っていった計画者の思慮遠望なんかも感じ取れる。

 その計画者こそが繭川巴。防衛大臣にして少年工科兵が改組された武山高校の校長でもある彼女は、イラクでPKO中に部下を攻撃によって死なせながらも、それを事故死と言われた事件も含めて自衛隊の立場、それを曖昧なままにしている国体への反意を燃やし続け、そして防衛大臣となって総理、官房長官に続く序列3位となったこの時に爆発させる。テロによって総理と官房長官が死ぬと、すぐさま総理代行となって治安出動を命じて実質的なクーデーターを起こして政権を把握。憲法九条の改正を掲げて総選挙へと打って出るものの、そこで圧倒的な支持を受けたたこというと……ってところがこの小説が有り体に、今のイケイケドンドンにしてライトスタンドな風潮を、受け入れただけのものではないってことを指し示す。

 武山高校の中にも、自衛隊は自衛隊だからこそ良いのだという意見を持った生徒を出して、その意見を尊重させているし、ライティーな人たちが持ち出す民族が違うからといった差別は、絶対に認めようともしな。一方で、国民とは国籍を持ったものであるという厳然とした線引きも行って、外国人参政権は認めないと断じてみたりと極めて明解。陰湿さがなくカラリとしているんだけれども、そういった、何にも怨念をぶつけず侮蔑もいれないフラットな立場は、やっぱり支持されないんだろうなあ、何かを下に見て自分たちが安心したい人たちの大勢いる世の中だけに、ただ自衛隊がクーデターを起こした話だ思い軍旗はためく下に集えると歓喜した人たちが、読んでこうした繭川巴のスタンスをどう思うかに興味が出てきた。

 とにかく魅力的過ぎる繭川巴。視察にやって来てはリヤカーからカンパンを抜き出しポケットにいれてガメようとして咎められ、「ダメ?」って言って主人公の少年を揺さぶったりしたと思えば、国会では堂々の答弁に立ち、それ以上に銃砲を効果的に使って相手をねじ伏せる。けれども選挙という神託を受けた後ではその結果をしっかりと辞任し、自ら決断するという潔さ。浅葱色のアンダーウェアがチラリと見られるその場面は是非にアニメーションで見たいけれども、その後に来る18禁なシーンがきっとテレビアニメ化とかは許さないだろうなあ、っていうかそもそもそんな話にはなりそうもないけれど。ともあれ何かと論議を巻き起こしそうな1冊。読んで考えよう、自衛隊をどうするかを、この国がどうなるかを。


【6月27日】 週末に公開が始まる「宇宙戦艦ヤマト2199 第二章」の初日を予約しようとして出遅れたら、もう夕方の回しか残ってなくってそれも最前列だったりしたけどまあ良いや、見上げるように森雪のお尻を堪能してくるとしよう。第1話と第2話がまとめて公開されてた第一章に対して、今度は第3話から第6話までの一挙公開。浮かび上がっては巨大ミサイルを粉砕し、地球の大気圏を抜けて宇宙へと出てから待望のワープ実験を経て森雪の服が透け透けになるという流れをいったい、どこまでトレースしてくれているのやら。そこが見せ場、そここそが最大の見せ場だと認める人も少なくない中で、出渕裕監督の手腕が問われる。移行はやっぱり浮遊大陸で波動砲の実験をしてそれから冥王星でシュルツを叩いてって感じかな。テレビ版なんてもうほとんど覚えてないし漫画版も記憶の彼方。探りつつ塗り替えるようにして新しい絵によるヤマトの冒険を味わって来よう。BDの劇場限定版は買えるかな。

 Z文庫とかプランニングハウスの「ファンタジーの森」とかそれを引き継いだようなEXノベルズとか、徳間デュアル文庫とかソノラマ文庫とかもう存在しないライトノベル系の叢書のわんさか存在している状況を鑑みるなら三笠書房のf−Clan文庫が志し半ばにして活動を休止しても、いたしかたないとは思うけれどもそういう場合に気になるのは、刊行された作品群のこれからの展開。Z文庫だったら別名で描いていたものが本性を明かして「フルメタルパニック」の賀東招二さんが「コップクラフト」シリーズを小学館のガガガ文庫に移してイラストもムチムチな篠房六郎さんからいたいけな村田連爾さんへと変えて復活を果たしたし、久美沙織さんも「魔法少年育成センター」シリーズをEXノベルズからGA文庫へと移して再刊させた。でもそんな狭間で元長柾木さんの「ヤクザガール・ミサイルハート」はどこかに埋もれてしまったし、ソノラマ文庫は谷山由紀さんの「天夢航海」がもうずっと読めなくなっている。それはまあ現役の時からも再版がかからなかったってこともあるけれど。

 f−Clan文庫だとやっぱり気になるのはその装丁の美しさを物語の優しさこれは一気に行くかもと思わせてくれた村山早紀さんの「竜宮ホテル 迷い猫」(三笠書房、571円)で、看板となってレーベルを引っ張っていってくれるかなあって期待もあったけれどもレーベルそのものが消えてしまってはどうしようもなさそう。とはいえ聞けばいずれかに移っての再開もあるようで、あの装丁の雰囲気も引き継いでいく感じなのでそれはそれで有り難い。あとは水瀬佳子さんの「妓楼には鍵の姫が住まう−死人視の男−」(三笠書房、571円)とか、椹野道流さんの「若き検死官の肖像」(三笠書房、590円)といったあたりか。いわゆる少女向けのホワイトハート的な文庫にやや近いながらも、恋愛シチュエーションのみにどっぷりといったこともなく、物語で読ませてくれていたところが好きだったから、いずれもどこかで繋がっていって欲しいもの。見守ろう。

 気がつくと石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」を「東のエデン」の神山健治監督がリメイクする長編アニメーション映画、「009 RE:CYBORG」のキャストが出そろっていて009には太田博之さんでもなければ森功至さんでもなく、井上和彦さんでもなければ櫻井孝宏さんでもない宮野真守さんが決まってた。櫻井さんでも何か構わないって気もしないでもなかったけれどもあれから10年、声優さんの層も分厚くなった中で島村ジョーっていうイケメンで強さと憂いを合わせ守った男を演じられる人も割といろいろ出てきた模様。神谷浩史さんとか中村悠一さんとかいった名前も挙がるけれども渋さもあった刹那・F・セイエイの流れを汲んで宮野真守さんんて方向はこれでなかなかピッタリのような気もして来た。これで神谷さんだと003に決まった斎藤千和さんとの間で「がはらさん」「あららきくん」って壮絶なバトルが始まりそうだし。

 千和さんについては戦場ヶ原ひたぎのような声が出せる人だから003も大丈夫。「ぱにぽにだっしゅ」のベッキーみたいな子供の声から「境界線上のホライゾン」の葵・喜美の媚態にあふれた声までいろいろと幅広いけれども003に関しては凛としたところも混ぜた真面目な喜美って感じで行けるかな。あと002のジェット・リンクが小野大輔さんで「黒執事」のセバスチャンみたいな美声とはちょい違う、けれども強さを秘めた声って感じになるのかな。とりわけ「RE・CYBORG」版のジェットは鼻も普通のヤンキー顔だし。004は大川透さんでこれはピッタリ。マスタング大佐のような歩く火炎放射器にも似た全身武器庫のドイツ野郎。苦み走った演技を聞かせてくれるだろう。001はジュイス声なのかタチコマ声なのか。ギルモア博士は八奈見乗児さんが復帰するのか。まだまだいろいろ楽しめそう。

 しかし劇場とかで流されているプロモーション映像なんかを見ると、とてもじゃないけどキャラクターのモデリングが3DCGで行われているとは信じられない「009 RE:CYBORG」。トゥーンシェードとかいろいろな仕組みを使えば3Dのモデルを2Dの映像っぽく見せることは可能で、これまでもいろいろなアニメで試みられている。OVAとして出た「コイセント」なんかもそんな一つだったし、同じサンライズの荻窪スタジオが絡んだ「いばらの王」もそんな試みが図られていた。「009 RE:CYBORG」の場合は洋画の俳優っぽいスタイリングと、漫画のようなスタイリングなんかを混ぜ合わせたモデリングになっている感じで、上から下まで漫画チックに作るよりはやりやすいのかもしれないけれど、ちょっとでも崩れれば違和感が浮かび、かといって崩さなければ人形にしか見えない間を探りながら作っていくことを考えると、やっぱり相当に大変なことをやっているのかも。

 ただ時にギャグ顔もあって口が大きく開いたり、横に来たりしていた「コイセント」なんかと比べると、顔立ちはずっと整っている感じでその意味では人間に近い。下から煽った時に顎をのばして違和感のないモデルになるように調整はしているようだけれど、「コイセント」みたいに横顔ながらも口が横に来るように、反対側から見ると口がなかったりするような超デフォルメされた3Dモデルを作ってはいなさそだった。その意味では「コイセント」の挑戦の方が先だし凄いんだけれどほとんど誰にも知られないまま上映が終わりパッケージも売られてしまったからなあ「コイセント」。勿体ないよなあ。もしも細田守監督のような絵柄の作品を3DCGのモデルで作るとしたら「コイセント」のような用法の方が有効なんだけれど。突き詰めて来てくれないかなあ。


【6月26日】 静かに淡々と終わるかと思ったらやっぱり賑やかに楽しくまとまって良かった「這いよれ! ニャル子さん」のアニメーション。途中で誰もいなくなった街に鳴り響く公衆電話のその横に、顔を見せないで大きな帽子を被った少女がいたりして、てっきりラストに出てきて真尋に向かって「責任とってね!」って言うかと思ったらそれはさすがにやらなかった。やっても知っている人はいないだろうしなあ、もう良い歳だろうしそういう人は。「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」からもう28年。ブルーレーは結局出ないのかなあ。

 でもって街から人が消えたんじゃなくって真尋がひとり石像にされていたって展開で、解凍された後はお約束の一大バトル。相手はエロゲー目当てだったと分かってやっぱりなるほど「ニャル子」さん的世界観。そして撃退され料理として振る舞われた中田譲治声の邪神を哀れ。これで文庫の何巻分まで来たんだろう。綺麗にまとまったから続きが気になる訳ではないけど、ギャグとして普通に楽しんでいける展開だから2期とかあっても不思議はないか。「これはゾンビですかオブ・ザ・デッド」とか中途過ぎるもんなあ。第3期やりたい感がバリバリで。ともあれ楽しませて戴きました。いつかまた。

 狭くて急勾配の会談を登る女子高の制服を着た西野円を、下から追いかける沢木直保爆発しろ。黒いストッキングをはいていたから見える範囲も限られただろうけれども、それでも何かは見えたはず。それを思うといろいろとむらむらとして来たり。そんなシチュエーション、もう絶対に出会えないだろうからなあ、この歳では。そんな西野円は改めて直保に向かって結婚しろの要求。直保もげ落ちろ。根がヤンキーなだけあって家継がなきゃとか行ってる直保に「何ねむたいこと言ってるんですか」と突っ込んだり、彼女がいるのに彼女いないでしょとか突っ込んだりとやりたい放題だけれど果たして直保、彼女のことを告白できるのか、ってだから女じゃない……はずだけど、まだ。ついてるよね? 蛍には。

 いよいよ公開が始まったピクサー/ディズニーのアニメーション映画「メリダとおそろしの森」が週末の興行でもって6673万ドルを稼いで「トイ・ストーリー」から続くピクサー作品の初登場1位獲得の記録を13作品へと伸ばしてみせた。すごいなあ、すべてが大当たりってのは今ならジブリがやれてそうだけれどもそのケタが違う。日本円では円高だけれど50億円とかそんなもんで、去年のジブリ作品「コクリコ坂から」を3日間で抜いてしまった。世界を相手に勝負できる作品なだけにかけられるお金も大きく、そしてかけた分だけリターンも得られるという好循環。日本でこれを実現するには一体どーしたら良いんだろう。ちょっと悩む。

 これは「メリダとおそろしの森」のマーク・アンドリュース監督が話していたことだけれど、2005年に公開された短編「ワンマンバンド」をアンドリュー・ヒメネスと共同で作ったときに、予算の確か半分くらいをシナリオのビルドに費やしたとか。10カ月とかそんな期間をシナリオづくりに使ったって言ってたっけどうだったっけ。そこにお金をかけてないと、誰が見ても楽しめるものにならないとか言ってたマーク・アンドリュース監督。日本じゃあまずキャスティングがあって有名タレントを揃えたりする方が大切で、シナリオなんて最初にかけていったいどれくらい? もちろんそれで食べていけるだけのお金は払われるんだろうけれども、ハリウッドほどに時間とお金と手間暇がかけられているかとうとどうだろう。

 そんな準備を万端と整えて制作に臨むピクサーだけれど、「メリダとおそろしの森」については最初に起用されたブレンダ・チャップマン監督がどういう理由からか降板となって、後を割と急にマーク・アンドリュース監督が引き継いだという曰く付き。それだけに果たして成功するのかどうなのか、直前にシナリオで関わっていたという「ジョン・カーター」は国内では悲惨な滑り出しを見せたから、その手腕に疑問符もつきかけていただろけれどもピクサーで歴代5位ならこれはもう存分以上。長編の監督ははじめてで、続編でもなく特に知られた原作があるはずでもないオリジナルでここまでの数字を上げたならもう、失敗とは言われないだろう。あとは2億ドルに達するか否か。それが果たされれば次も作らせてもらえるだろうなあ。大好きだというアクションを見たいなあ。

 「をとめ模様、スパイ日和」でデビューした徳永圭さんの「片桐酒店の副業」(新潮社)で主人公の片桐が向かった天白区の場所は野並あたりかな、若宮商業がある。酒屋なんだけれども違法じゃないなら何でも届ける仕事をしている酒屋の男。アイドルへのケーキなんてもの、どうやって届けるんだと思ったらそう来たか、とか。そんあ手練手管が興味深い。とはいえそうしたお届けの手段をスリリングに見せる話ではない。子供が家にいない母親に届けて欲しいと渡した工作物を届ける話からは探し出した後に見える切ない風景に心痛む。身内がそうなってしまったら。考えさせられる。そこでの出合いが次に繋がる話も。

 天白区行きはそんな話だったり。育ててもらった親への複雑な心境から家を飛び出していた少女が未来の自分にあてた手紙を届けようと親元を探し、渡された通帳を渡そうと向かった先が天白区。あるあるその光景。年月を経て浮かび上がる心情、埋められるわだかまり。一流企業のOLが会社を辞めてバイク便会社のハンドキャリーとして全国を飛び回る途中に、空間まで越えてしまうストーリーの美奈川護さん「特急便ガール!」にも似て、届ける荷物にまつわる人々の気持の様々さが感じられる物語。上司に悪意を届ける話しとかホラー風味も利いてたり。表紙をめくると描かれた酒店は作家の自筆か。漫画家志望だったっていうしなかなか。見て損なく読んで得あり。


【6月25日】 それで衛宮切嗣はいったい何がしたかったんだ? という結論がそもそも「Fate/Stay Night」の時点で既にあったからしゃあなしなんだけれども「Fate/Zero」の最終回で現れた聖杯にせめてもの願いを託して可能な限りの人間を救うのかと思いきや、これは何にもならないとセイバーに令呪を重ね掛けして逆らえない中で聖杯をまっぷたつにさせては、中から泥をあふれ出させて冬木市に大火事を起こさせ大勢の人の命を奪ってしまった切嗣の不甲斐なさっぷりを見ると人間、大望に果てしない妄想を抱くよりも目の前にある小さな幸せをコツコツと積み重ねていく方が、生き方として楽しく正しいんじゃないかと思えてきた。あれじゃあナタリア・カミンスキーだって無駄死にだよなあ、生きていれば切嗣坊やの凝り固まった幻想をぶちこわして現実に戻して、聖杯にもっと夢のあるお願いを託せたかもしれないのに。それだとあの戦争を勝ち抜けないか。どっちにしたって厄介な存在だねえ、聖杯って奴は。

 セイバーも結局ん所はキャスターが引っ張り出してきた海魔を相手に、ライダーことイスカンダルややアーチャーことギルガメッシュと共闘して、未遠川でエクスカリバーを爆発させた時が1番の見どころで活躍のしどころで、あとは終始ライダーから「バカ娘が」と心配される軟弱王。バーサーカーと化したランスロットの迷いの原因が自分にもあると分かって懊悩しながら英霊の丘、屍の戴きへと繋がれ泣きながら次の聖杯戦争で士郎が召還するまでを過ごすんだ。まあそれもそれで可愛いんだけれど。いずれにしてもゼロ地点から遡って描かれた冬木市の物語は、巻き戻されたゼンマイが開いてそして新たに始まる次の世代の物語、ってのは既にあってそれが「Fate/Stay Night」な訳なんだけれども、こっちは書いた人も作った会社も違うから、アニメーションとなるとずいぶんと雰囲気が変わるんだよなあ。「Zero」好きな人が見て果たして納得がいくか。とくにライダーファン。あの潔く格好良かったおっさんが、眼帯で両目を隠したボディコンでミニスカのナイスバディになってしまうんだから。僕はもちろん「Stay Night」派。あれは良いものです。

 悪くないよ、むしろ楽しいよ、愉快だよ、でもどこか違うんだ、笹本祐一さんが書きついで来た見た目はギャルが海賊やって楽しげだっていう点で同じでも、思想として流れている宇宙はあれで結構シビアな場所で、そこで人間たちが長い時間をかけて積み上げてきたテクノロジーがあって文化があって、それに身を処して生きていく人たちを描いたのが「ミニスカ宇宙海賊」って認識が、「モーレツ宇宙海賊」のここんところ展開されているオリジナルストーリーでは、外れて置いていかれてしまっているような気がしないでもない。グリューエルたちセレニティ王家が載っていた黄金の幽霊船もあれでテクノロジーの想像される範囲で、ロストテクノロジー的な部分はあってもそれは時代のせい。突拍子もないものではなくむしろ衰退してしまった今って奴が示されていたけれど、今の展開では突拍子もないその上を行くような、とんでもないテクノロジーが脈絡もなく示されて葉理不尽な要求って奴をぶつけてくる。宇宙人とかいった存在でもない同じ人間。けど違いすぎる。同じ平面上におくとどこかズレが見えてしまう。

 諭されながらも理解を深めて合理的に判断を下してチームで成長していくって感じだった展開も、どこか茉莉香が超然としてしまっていて、何もしない愚図に見えたとおもったら突拍子もない作戦を繰り出し百戦錬磨の海賊たちを上回ってしまう。そういうキャラだったかなあ。普通だけれどすこし聡明。それをサポートするメンバーたち。良いチームであり良い友人たちに囲まれ大きな存在感を見せていたものが、完璧なまでのヒロインとなってしまっている。なおかつチアキクリハラといっしょにサービスサービスな展開まで。それは最高。それは最善。そそれは最良。でも最悪。原作にはない性格付けと原作にはない設定をここで持ち出してしまうってことは、もうあの雄大で緊張感もあったオデット2世号をめぐる奪い奪われの戦闘も、その先にある海賊ギルドでの冒険も描かれないってことだよなあ、ステーションの元締めの凄みって奴も。いやアニメでも凄みは出ていたけれども当人ではなく集団というとらえられ方。だから際だたない。勿体ない。

 クーリエもあれで超美人設定ってのが海賊ギルドの星で明らかにされるはずだったのに、どっかに買い出しにいっては荒くれの目をただ引きつけるばかりで特段に役にはたたせず、結局は紋章が刻まれたイヤリングでもって相手をねじ伏せたりしたから本性だろうがそうでなかろうがあんまり意味はなかったような。クラッカーな人たちばかりを集めた場面では元通りに褞袍でぐるぐるメガネのクーリエに戻ってそれはそれだからこそ良いんだという展開にするかと思ったけれども本質とかいった辺りに話を落ち着けさせていた。勝負をするなり過去の凄い実績を伝わらせて集まった人たちを動揺させるなり、ワンクッションが欲しかったかなあ。そして何よりグリューエルが目立ってない。あの才能とあの美貌とあの地位あの名誉が銀河帝国相手じゃまるで通じない? でも茉莉香たちはそれで戦っている訳だし。バランスがかみ合ってないような。仮面の男の正体めいたものも濃すぎで話をまとめはしても本編へとは戻してくれなさそう。むしろ離れるか。だからまあこれは「モーレツ宇宙海賊」はこれで楽しんで、チアキちゃんも可愛いと喜んで終わりとしつつまだ続き、そして発展していくだろう「ミニスカ宇宙海賊」を楽しもう。

 選挙なんていったいいつ来るか解らないものを相手にして、そこで落選させるために選挙区内でデモンストレーションを行うという思考が、どうにもこうに空想的でも幻想的でどう受け止めたら良いのか頭をグルグルとめぐらせる。そもそもが落選のためだらかといって、大量の人間が大声を上げ音楽をガンガンならして、対象へのネガティブな印象を醸成させようっていう手段そのものに、方法論としての正しさはあっても正義といったものが果たしてあるのかどうなのか。戦うなら論理。そして言葉。選挙で相手を完膚無きまでの論破して、有権者に対して自分を選ぶことの方がよりメリットがあるのだ思わせるような言葉を放ち、論理を示すことができる人物を立たせて、地道に訴えかけていくことこそが選挙における是非を決める正道だとは思うんだけれど、そうした動きは今のところはまだ見えない。

 ましてや選挙なんて今しばらく来そうもない。だから地元でもってアピールすることに即座の効果なんてなく、理もあんまりなさそうなにのも関わらず、それが堂々の正義だと思いこんではやって来て、競馬が開催されている時は別にして普段は住宅が並び畑もあってひっそりとしている場所で音楽を慣らして、シュプレヒコールを上げる人たちの心理がなかなかに読みづらい。それが何かのためになるといった思いがあるのか。そしてそれが何かを妨げているかもしれないという想像力があるのか。批判的だったり懐疑を示すような外部の見解を“造反有理・愛国無罪”なんて古い言葉にもなぞらえられるような勢いで押し切る活動に、どうしてみんなズンズンとのめりこんでいけるのか。何かを目的にしたものではなく、そうすること自体が目的化してしまった運動に漂いがちな空気が、流れてきては真っ当な思考をする人たちを息苦しくさせる。

 必要なのはいつかの選挙で落とすことではなくって、今をどうにかすることであってそれなら権能を与えた場において、権能を剥奪するような活動が行われるように働きかけるのが真っ当なんじゃなかろーか。そもそもが地元の選挙区とはいったって、居住地とは遠く離れ、日々に辻立ちをしていた場所ですらない駅から駅を歩いて駅前で何かを申したところで、当人には何も伝わらない。せめて本当の地元に行くなりするのが筋なんだけれどそれもまた地域にとっては迷惑な話、だって当人はいないんだから。向かうなら本当の居場所であって、そこで聞こえるように叫ぶこと。あるいはこのままではいけなくなると権能を与えた集団に思わせること。とはいえ現実問題、そうした活動をしたって体制はひっくり返らないし、政策もおそらくは変わらない。そういう前提があってなお成算のより狭い方向にある運動に向かうのは、もはや運動が目的化していると言われてしまいそう。それで気持良くなられちゃ困るんだ。正義を持って、それでいて効果もある戦い方を見つけ、選び進めること。難しいんだけれどそれがないと世界は1歩も進まないよ。それも解ってなお大勢が、運動のための運動に向かうんだろうけど。悩ましいなあ。

 集英社が出している「スーパーダッシュ&ゴー」って雑誌の8月号を読んだら「進シア・ザ・ミッション」で「ミカるんX」の高遠るいさんの新連載が始まっていた。やっぱり血が吹き出て首が飛び手足がちぎれるバトルものかとおもったら以外や声優業界もの。アイドル声優を目指す少女がオーディションへと行っても緊張して自分を出せないままそれでも頑張りどうにかこうにか全力をぶつけて諦めていたら、意外やどうにかなっていたという展開になっていてここから始まる大変だけれど頑張り勝ち抜くストーリーって奴を想像させる。とはいえそこは高遠るいさん、一筋縄ではいかなさそうでいっしょにオーディションを受けた1人は逆立ちをしてボイストレーニングの早口言葉を言って驚かせ、もう1人は田舎からツキノワグマに乗って出てきてそのクマを受付に預けてオーディションに臨む。受かったかどうかは知らないけれども真っ当過ぎたり真っ当じゃなさ過ぎる2人に挟まれ果たしてどうなるこの後は。小説版も自分で書くという無茶もこなして挑む高遠るいさんの新機軸に、注目。


【6月24日】 とくに分岐がある訳でもない「レントヘッド」は言うなればグラフィックノベルという奴か。ただしスマートフォン時代に対応したアプリってことで文章がツイッターみたいに小さい駒で順繰りに出てきてはデフォルトだと上から下へと流れていって、新しい文章が上に積み重なっていくようになっていて縦型のデバイスなんかで読むのにとっても適してる。パソコンでツイッターとか楽しんでいる人も大丈夫。ページがペラペラと出てきては先に進んでいくような、今までのグラフィックノベルに慣れた人にはどうか解らないけれど、今の時代はこっちの方が普通に受け入れられやすいって感じかな。

 このフォーマットととして絵とか音とかのシンクロをひとつのパッケージにした上で、新しい作品を載せていけばいろりおな新しいスマートフォン時代のコンテンツって奴が生まれそう。とはいえ音声を全部入れたりすると高くなるんだよなあ、「レントヘッド」の場合だと前編は無料ながらも後編だけで1500円だからちょっとしたハードカバー並。パッケージで出るゲームに比べれば安いんだけれどアプリの値段がデフレな昨今にいったいどこまで受け入れられるのか。それはひとえに作品のできって奴が決めてくれることになるんだろー。「レントヘッド」の場合は設定も、音声も気に入ったんで○、と。続きとかどんどん出て来て欲しいけれどもmebaeさん、村上隆さんところに囲われてしまっているからなあ、先になりそうだなあ。

 ようやくやっと見た「エウレカセブンAO」はナマケモノがナマケモノのくせに割と動き回っていた。それともあれはナマケモノに似た別の何かなんだろうか。戦争広告請負人なんかのロジックが入ってバルカン半島にあった国がぶっつぶれたって話が繰り出されては世界観の割にシビアな様を見せる一方で、そうした苦衷とかは割れ関せずといつもどりに飄々として戦いの現場に臨むパイドパイターも女子2人。その狭間でいろいろ思案したり突っ込んでいったりしては人が消される姿のパニクって死にかけてそこを助けられて立ち直って脱出の道を示してといろいろ忙しいアオ。あの性格のめまぐるしすぎる変化はもうちょっと、何とかして欲しいよなあ。それが若さなんだろうけどあまりにナイーヴ過ぎる。それでいて主人公だから死なないんだから嫌になる。生き残る奴はせめてもうちょっと真っ当に。真っ直ぐに。であって欲しいけど。

 そして「アクセル・ワールド」は黄色の王が出てきては黒の王と大激突。いやあ迫力。その前の赤の王による無限ミサイル発射とかいったいサンライズ、どこまで頑張って作画しているんだって褒め称えてあげたくなる。けどこれだって序の口、やがて始まる災禍の鎧をまとったデュエルアバターとの戦いなんかさらに血みどろで陰惨なものになる訳で、それをクライマックスとして1クール目の終わりとした後でさていったいどこへと向かっていくんだったけこの原作。チユリが加わって結成されながらもそこに横やりが入ってそれが今なお続く加速委員会とのバトルへと繋がっていくんだったっけ。その前にハルユキの飛行アバター強化に向けた東京タワーでの大特訓があったんだっけ。そもそも次のクールもあったんだっけって基本的なことすら知らないんだけれどまあ良いや、続くんなら見るし第2期が先ならそれを待ちつつ「ソード・アート・オンライン」を楽しむってことで。川原礫さんの時代、到来しっぱなし。

 三菱一号館美術館でもってバーン=ジョーンズって人の展覧会が始まったんで見物にいく。ペルセウスとアンドロメダとかアーサー王とかいった神話の世界伝説の世界を絵にしているって辺りでギュスターヴ・モローなんかをふと思ったけれどもこちらはもうちょっと様式美的というか、いっしょに活動していたのが装飾的なデザインを文章で知られるウィリアム・モリスだから雰囲気的にはそっち系。崩さず割と構築的なデザインのなかにモデルなんかが描かれている絵は壁に飾ってもタペストリーにしてもピタリとはまって結構良さそう。そしてなおかつ描かれているのが綺麗なお嬢さんたちとあればもう完璧。1800年代半ばの英国だけあって暗いっちゃ暗いけれどもそれでも印象派みたいな作品とは違って輪郭がくっきりと見える女性像なんかは漫画とかイラストで女性像を見て育った世代にも馴染めそう。そう「AKA:悪夢のどりかむ展」に出ていたNaBaBaさんの絵なんかをちょっと思い出してしまったよ。

 入っていきなり見られるクノッソスでのテセウスがミノタウロスを探して迷宮を歩く絵なんか角の手前でテセウスが立ち止まったその角の奥に伸びる通路のさらに奥からミノタウロスが、顔だけちょこんとのぞかせて様子をうかがっている絵なんか妙な可愛らしさがあって愉快だった。これなんかはまだ絵はそんなに巧みじゃなくても様式を見せようとしているって現れ。それからしばらく経って描かれるようになった絵は大きな画面に人をしっかりと描きつつモチーフなんかも合わせ混ぜて描いてひとつの物語をそこに見せようとしている感じが上げたNaBaBaさんぽかったって根拠かな、メデューサとペルセウスとのの戦いとか、アンドロメダを助けようと海蛇に挑むペルセウスとかいった絵なんか美麗な上にドラマがあってとっても良かった。

 さらに「マイ・フェア・レディ」の原型になったピグマリオっていう彫刻家と彫刻の少女との恋物語なんかは習作が連作になっててまだ固そうな石のガラテアが女神によって命を与えられ美しい少女になっていく様が何枚かの絵に描かれていてストーリー性に加えてドラマ性まであったりしたけどそういう画家ってあの時代、そんなにいたのかなあ、珍しいのかなあやっぱり。あといばら姫だっけ、そんな絵のそばに6人の女性がめいめいに自在な格好で居眠りをしている習作があってそれら6枚の絵からポーズを抜いて作られた絵が、これは展示してなかったけれども小さいプレートで表示してあって、総合された時のまとまり具合の良さに関心するとともに習作であっても1枚づつかしっかりと、眠る女性の像になっているところに対象をとらえて構築するバーン・ジョーンズの腕前って奴が見て取れた。最後の部屋にはアーサー王と聖杯があったけれどもアーサーは別に美少女じゃなく、聖杯もアインツベルンではなかったよ、ってそりゃ当たり前。こうした宗教画伝説画のフォーマットでもって、現代のオタクカルチャーに刻まれている神話を描くとどうなるか、ってのを誰かやってくれないかなあ、バーン=ジョーンズ的な「Fate/Zero」とか。見たいなあ。


【6月23日】 午前10時過ぎに秋葉原にあるヨドバシカメラの上の有隣堂で整理券をもらってから外に出てあれやこれやと散策。とりあえずゲーマーズに行き「境界線上のホライゾン」のブルーレイディスク第7巻を買ってこれでとりあえず第1期終了ってことで全巻購入特典のボックスをもらったけれども「ホライゾン」のBDっておまけに小説とかがついている関係で、それを外して本体だけにしないと箱には全巻収まらないのであった。でも外すとなくしそうだしなあ、ってことで箱が無駄になるんだけれども浅間とミトツダイラの温泉という貴重な絵のものを捨てられないので5巻くらいぶっこんで取り置くことにする。そういやあ「Fate/Stay Night」もボックスがついていたけど最終巻におまけがついてて箱に入らなかったっけ。難しいなあ特典って。

 「Fate/Zero」のキュンきゃら1番くじも出ていたけれども女子がセイバーしかいないくじをどうして引かなきゃいかんのか、ってところで遠慮して電車で上野まで出てアメ横なんかをうろちょろ。いつものガード下にあるカツ丼屋でプレーンなカツ丼をかき込みながら、昔はここの巨大なメンチカツと唐揚げのセットを普通にかき込んでいたのにどうしたものかと胃袋の弱り具合に嘆息する。食べられない訳じゃないけどキツいかもしれないって思えてしまうことがもう問題なんだよなあ、これが老いという奴か、それともふくらんだ腹への遠慮が出てしまっているのか。いずれ痩せたら再挑戦だ。本当にデカいんだここん家のメンチカツ。

 やっぱりいいなあカレン・ロウ。本屋に寄ったら千葉では何故かアニメーションが観られない高橋慶太郎さん「ヨルムンガンド」の原作からより抜いたエピソードを収録したコンビニ本風な装丁の本が売っていて、前のも埋もれて出てこないんで買ったらカレン・ロウが民間軍事会社の屈強な男を回し蹴り1発で叩き伏せる名シーンがちゃんと入ってた。ってそれは強さが目を引いたってよりは、秘書風のタイトなスカートをぐいっと腰までまくりあげて、ハイレグな感じの下着をまるっと見せて相手を何だと驚かせる、その割り切りぶりに感動したって意味での名シーン、ってそれも違うか、たんにパンツが見えて嬉しかったんだ、自分。

 けどああいうシーンで普通だったらスリットをジャキッと開いて動きやすくするものが、まくりあげるというのはなかなかに目新しかったというのも事実。あとでそのまま動き回ることを考えれば破るよりはまくり上げる方が良いってことは解るけれども、人前でスカートをまくり上げられるかどうかっていった女性の心理なんかを考えると、やっぱり無理かなって考えて描かないところを、ちゃんと合理的に描いている。あるいはそういう描写が他の映画とかアニメーションとかにあったんだろうか。ハリウッドとかの映画で女スパイがそうやって敵を倒すシーンがあったら是非に見てみたいなあ、ナタリー・ポートマンとかやってくれないかなあ、バレエな人だったから足もぐわっと上がりそうだし、そしたら存分に拝めるんだ、色はどうだ、やっぱり黒か、ブラックスワンな人だけに、とか。

 そんな「ヨルムンガンド」を手にしながら秋葉原はヨドバシカメラの上にある有隣堂で50分ほど並んで青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート 浜村渚の水色コンパス」の文庫化記念サイン会。朝に行っても整理券はとれたけれどもそのあとも続いてだいたい総勢で50人か60人といったところかどうなのか。同じく講談社Birth出身でハヤカワ文庫JAからやっぱり同時期に「ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会」を出した青柳さんに対して「灯籠」を出したうえむらちかさんは、タレントってことらしくって新宿サブナードの福家書店で行われたサイン会がスポーツ新聞の記事なんかにもなっていたから相当な賑わいだったんだろうと思うけれども、未だメディアミックスとかなく「本の雑誌」とかいった権威ある書評メディアからは黙殺気味な青柳さんに、それでもじわじわとファンが生まれ集いこうして並んでいるんだってことが解ってとっても良かった。これだからサイン会の現場に並ぶのは止められない。

 というかどうしてとっとと「浜村渚」シリーズをドラマ化しないんだろうなあ、テレビ局は。中学生くらいのアイドルっぽい子を主演に据えて周辺に大人たちを並べてそれだけで雰囲気は出せそうな気がするのに。おまけに内容は数学をめぐる殺人事件とかいろいろな事件だから見て学べておまけに面白いエデュテインメント系ドラマとして認知され人気になりそうな気がするんだけれど。それこそSKE48で最近はAKB48の松井珠理奈さんを主演にしてドラマにしろって2年くらい前から言い続けているんだけれどどこかがドラマ化の権利を取りに行ったという話もなし。サイン会でも尋ねてみたけど感触はなさそう。ああ勿体ない。それもこれも人気があるものに乗っかり人気を得ることしか出来ないメディアの鈍重さ鈍感さが行き渡ってしまっているせいかなあ。そんな環境でも負けず新人をガシガシと出す漫画や小説は本当にすごいメディアだよなあ。その意気込みを新聞とかテレビとか権威ある書評誌とかが汲まず断絶してしまう悪循環。どうにかしたいけどどうにもならないなあ。

 サイン会では初対面で青柳碧人さんに挨拶をしてから退散。帰ってiPadにダウンロードしてあった「TAILENDERS」のピコグラフがずっと作っていた「レントヘッド」を遊ぶ。長かったなあ、っても去年のクリエイターズワールド秋版で看板にされていてから8カ月とかそんなもんか、そう思えばそんなに遅いものでもないか、いやでも4月には出ている予定らしかったんだけれど絵を描くmebaeさんがことのほか売れっ子になってしまって村上隆さん家のアニメーションスタジオで看板張ってたりするんでなかなか手が回らなかったんだろー。それでもちゃんと完成、そして当初から聞いていたようにSF的なアイデアが盛られて面白い。

 クローンが作れるようになったけれどもクローン体に意識は宿らずそれならとスペアとして重用されるようになった時代。とはいえ意識を持たないままでは体が育たないため、首から上を意識を持ってうまれた人間が補うよう、首から上が外れて付け替え可能な「レントヘッド」って職業が生まれたという設定。なるほどこれならオカルトでもスリラーでもファンタジーでもなく首だけが外れるデュラハンな人間の存在が可能になる。そして主人公はそうしたレントヘッドの1人なんだけれども美少女に見えて実は、って展開。いやあなかなかグッとくる。思うのは体から出るホルモンなんかが意識にいったいどういう風に働くかってことで、そう見える主人公は脳がいったいどっちにんているんだろうか、ちょっと気になる。性差って意識に出るのかなあ、あるいは脳の思考の具合とか。そんな思いを与えてくれるアプリ。SFな人も「モーレツ宇宙海賊」で茉莉香船長の喋りっぷりが気になた人も遊んでみてはいかあ、っても茉莉香よりはジョーイだけど「HEROMAN」の。


【6月22日】 とりあえずTBSのビッグハット吹き飛ばされろ。ポルトガルとチェコってそれなりに著名なチームどうしがぶつかり合う「EURO2012」の準決勝を、欠片も放送しないでアニメーションばかり放送していて、それはそれで良いんだけれども明け方からだから被らず放送できそうなのに、それをしない体たらくはWOWOWへの配慮か朝に重なるワイドショーへの思いやりか。誰もが見たがるグループリーグの最終節をまるっと放送しなかったくらいだし。とはいえ全部が全部を放送してはWOWOWを見る人がいなくなってしまうし、アニメやその他の番組のファンも怒るってものか。まあ仕方がない。そういえば「さんかれあ」とか録画はしていても見てないなあ。面白いのかなあ。

 試合はクリスチアーノ・ロナウド選手が外しまくって焦りも募りそうな展開だったみたいだけれど、それもサッカー、それこそがサッカーなんで苦渋を噛みしめながらようやくクリスチアーノ・ロナウド選手が最後に決めて、歓喜に超むせぶ姿を見て、サッカーって凄いなあって思うことが地上波組には出来なかったってのがやっぱり辛い。そして金曜夜もドイツとギリシャの試合もやらずに「エウレカセブンAO」を放送するみたいなTBS。もげ落ちろとすら思うけれども、それでも土曜日深夜に「フランスvsスペイン」を放送してくれるから良いか。小皇帝なリベリー様とか育ち盛りのナスリくんとか、期待の星のベンゼマさんとかがスペインに蹂躙される様ってのが見られるか。それとも黒書を白書に変えるべく奮起するか。「レ・ブルー黒書」vs「ラ・ロハ スペイン代表の秘密」の売れ行きにも関わってきそうだなあ。

 冬子にしておけばで良いじゃん、と真っ先に思った石野晶さんの「生者の行進」(早川書房)は、それこそ幼稚園児的な頃からとてつない美少女な上に、性格も女王様だった母方の従姉妹にあたる冬子という少女に振りまわされる、どこか諦観したように生きている隼人って少年の青春ストーリーなんてものかと思いきや、そんな互いの性格付けの裏側に、幼い頃の2人だけの秘密めいたエピソードなんてものがしっかりとあって、隼人が向こうの好意かあるいは思いに答えて向き合うことが起こらない展開から、この複雑に入り組んだ世界の中で、純真に純粋に生きることの大変さ、そして手を汚してしまった者たちが引きずる葛藤めいたものの重さって奴を、感じて背筋に冷や水を流し込まれるような寒気を覚える。

 とにかく美少女で女王様な冬子は、そのわがままで身勝手な性格から幼なじみの隼人をずっと縛り付け、彼に彼女どころか友人めいたものが出来ればその男子に近づいては類い希なる美貌でもって籠絡し、けれども手ひどく振って隼人にダメージを与え続けるというからなんという丸の内サディスティック。割と親友と思っていた亮太までもが彼女がいながら冬子に靡き、そして振られて学業に身が入らず、高校にいかないで自衛隊に進んで今はケガか何かで入院しているという始末。そんな冬子の女王蜂っぷりを見て、隼人が何もしなかったかというと実は何もできなかったという。それは冬子の生来の性格ってものを理解していたからってこともあったけれど、決してそれだけじゃない経緯が過去にあって2人の人生を縛っていた。雁字搦めに。

 それが変わる。冬子が進んだ女子校で、これまでどおりに女王蜂然として案の定、まるで女性の友達ができない冬子にできた美鳥という唯一の友達がいて、どこか弱々しさをもった彼女と仲良くなった冬子は隼人に引きあわせ、そして起こる恋の予感にキーッとなってぶちこわしに走る冬子、とは行かずそこで身を退くかどうかって殊勝な考えでいたところに、さらに波風が。美鳥のドッペルゲンガーが登場し、そして明らかになる美鳥の過去とドッペルゲンガーの正体、そこに関わっていた隼人と冬子の過去。幼い心が抑圧の果てに弾けて爆ぜた記憶を引きずった者たちが、巡り会ってそして分かり合い埋め合って起こるひとつの事態のその向こうに、果たして平穏はあるのかそれとも。人の命ってものの大変さを思った時にきっと、これからも引きずるのが当然と言えそうだけれどそうでもなさそうな者たちの、これが若さか余程に感じていた憎しみか。重くて強い物語。

 分かりやすい文脈にすべてを落とし込んで、主張をシンプルにするのは新聞の常とはいってもやっぱり、短編アニメーション作家はベルリンで銀熊賞をとっても仕事がないんです的な論旨は、やっぱりどこか欠けているような気がした和田淳さんのアニメーション作品が日本で公開されるぜって記事。なるほど和田さんは、日本からの出資がなかなか来ないなかでフランスからのオファーを受けて「グレートラビット」を作った訳だけれども、それでもちゃんとお金が回って作品を作れて、そして銀熊賞へと至ったわけで何もできずに潰れてしまった訳じゃない。今だって向こうにいるってことはそこで何かをしているはず。その作風からすれば量産して毎週上映ってタイプでもなくやりたいこと、やれることとやらせてもらえそうな事との間で、いろいろ調整をしている段階にあるだけなんじゃなかろーか。

 翻って日本も過去にアニメーション作家の苦境とかあって、今も大変ではあってもそこに留まらないで改善していこうって動きが、ここんところむしろ大きくなっている。和田さんの作品集を出しているCALFとかってのはそうした手段として作られたような集団で、別に優れた作品を紹介することだけじゃなくって、アニメーション作家たちが集団になることで存在感を高めリソースを集めて、そこから新しい事業を興していこうってしていたりする。スタジオを作ったってのもそのためだし、大山慶さんの作品に出資を募ったりしてそれを実現させたりして、アニメーション作家が作品を作り展開していけるような状況を、ムーブメントとともに創造しようとしている。

 東京国際アニメフェアのクリエイターズワールドだって、新しい作家の企画にお金を出してパイロットを作ってもらったりしているし、水江未来さんは毎日少しのアニメーションを作り公開していくプロジェクトを展開して、活動を見せつつ出資も受けつつ状況を打破しようとしている。そうした個々の取り組みが今、活発になっていることをむしろ紹介した方が、それならと期待してお金を出す方もいそうな気がするし、やる方だっていろいろと方法があるんだからと自分で試してみたくなる。そうやって盛り上がっていくことの方が重要なんじゃなかろーか。

 親切そうにアニメーション作家は今も苦境なんですと紹介しても、そこに生まれるのはそうですか大変なんですねえ頑張ってくださいという内向きの意識だけ。むしろタダで作りたいって清貧の誤解をまき散らすだけでアニメーション作家の為にならない。むしろ活況を訴えながら足りないもの、足りていない制度なんかを指摘して突き抜けていく可能性を示す方が、未来もあるし可能性もある思うんだけれど、それでは記事にならんのよ、見出しが取れんのよ、ってところで新聞等、メディアのすべてを型にはめたがる問題へと回帰する。どうにかなならんかなあ。ならないからこその新聞メディアの短編アニメーションに劣らない苦境なんだろうなあ。


【6月21日】 真夜中に女子サッカー。メンバーをがらりと入れ替えて臨んだスウェーデンとのテストマッチだったけれども序盤、相手が縦に抜けてくるのに後ろからロングボールを合わせられると枚数の足りてないディフェンスが追いつけずかわされて、危険な所まで持って行かれてしまう。これでさらに相手チームが前線に人数を咲いていたら確実に得点されていた場面。アメリカだったら両サイドのどちらかが出て走っていたかもしれないなあ。前はそうした飛び出しをケアしつつそもそもがロングボールを蹴らせないような前線からのチェイスが出来ていたような気もするし、序盤の危険をしのごうともっとボールを保持してポゼッションを高めていたような気がする。

 それが出来ていないのは気持が急いているからなのか。キープできるだけの気力体力技術力が足りていないのか。どっちもかなあ。ロンドン五輪が近づいて選手選考もそろそろって時に自分が良いところをみせておきたいって気持もあるだろうし、逆に失敗をしたくないって萎縮していることもある。あと去年から続く喧噪のなかで大忙しな上に春からなでしこリーグも始まって炎天下での試合もこなす中でいろいろとリフレッシュもできていないんじゃなかろーか。技術力はうーん、前はもっとあって男子と違って足下にきちんととトラップして相手に奪われないようにして、パスも確実につないでいたんじゃなかったっけ。今はトラップしたボールが流れて奪われたり、パスをカットされたり。筋力体力の削られてしまっている影響かなあ。

 まあ今の段階でそうした問題点が見えたってことは悪くないことで、そのあたりをちゃんと修正して臨めば無様な試合っぷりは見せないんじゃなかろーか。これまでだってアテネでも北京でもちゃんとグループリーグは突破して決勝トーナメントに顔を出していた訳だし。ただ今までとは違って上がればそれでOKみたいな感じではなく上位を、メダルを、それも色の綺麗な奴を求める人が多くなっているってことでおいおいどん底から10年も経ってないのにそれは期待し過ぎじゃないかって思わないでもないけれど、人気とはそういう義務の上に形作られる。このところどこか雲散しているっぽいなでしこジャパンならではの「ひたむきさ」って奴を取り戻し、追いかけ奪い走って攻める試合を見せ続けることによって、勝利もつかめるだろうしそうでなくても理解は得られる。苦しいけれども、苦しいからこそ、走るのだ。

 めだかちゃんがいないのに最終回。まあ来週に大宴会めいた回もあるからそこで再び巨大な胸とか白とかいろいろ拝めるんだろうけれどもそういうサイドストーリーを別にするなら本編は静かに1幕目を終えた「めだかボックス」。でも終わりといったら続くといわれて十三組が何か喋っていたから半年後か3カ月後かはともかく第2期が始まってはより激しくなるバトルを見せてくれるんだろう。そういう話かは原作読んでないから知らないけれど。ただし唯一「週刊少年ジャンプ」を買って眺めた安心院ちゃんのスキルのオンパレードをもしもテレビでやるとしたらいったいどんな感じになるのかに興味。あれだけのスキルを1話に収めることは可能か、1秒で2つとして1分で120個で25分なら3000個までは出せるけれどもそれで足りたっけ。ってまるまるそればっかりってのもキツいなあ。GAINAXならやりかねないなあ。さて。

 まさかちょんぎられた訳じゃあないけれども相手を倒さなかったらそこまでやったか「LUPIN The Third 峰不二子という女」。フクロウ共に支配された不二子の館で自分のルーツ探しに勤しむ不二子となぜか彼女と共闘して入り込んだ銭形警部の前に現れたのは人形に見えながらも撃てば血が出る人間たち。どうやら顔立ちとかを不二子に似せて変えられていたみたいだったけれどもその中に混じっていたオスカーは、最愛の銭形警部を見てもとくに驚かず色めかずに野獣のような表情を見せたまま。いったい何があったのか。どうしてあの場所にいるのか。爆発して四散したんじゃないのか。あるいはその出生そのものに、何か秘密があるのかもしれないなあ、オスカー。

 それはそれとしてちょんぎられた話。オスカーが不二子に化けて犯罪を繰り返していた前話でパリの町を駆け回っていたら、謎のフクロウ集団にに囲まれ捕まってしまった五エ門が、手術台のような場所に寝かされ身ぐるみを剥がされ口紅を差されたその先。かろうじて逃げ出した五エ門は、化粧され髪型もいじられ服もワンピースとかにされていたけどそこで逃げ出さなかったらいったいどうなっていたのやら。ペンデュラム引っこ抜かれていたのかな。話は最終話へと続くようすでそこでは不二子って誰? って話からそのルーツに迫り現在を描く展開になりそう。冒険の果てにその存在は再び歴史に名を浮かべ、今へといたる不二子伝説の幕開けとなるのか。乞うご期待。

 いちだかずきさんという一田和樹さんに割と似た名のライトノベル作家が出した「式霊の杜」(講談社X文庫ホワイトハート)を読んだら割に歴史者だった。始皇帝の娘だか孫娘だかが「虞よ虞よ」の虞姫で周囲に勃興している劉邦やら項羽やらといった武将たちの間でどっちにつくかを策謀しては身長で2メートルもある巨漢にして武に長けた項羽を選んでこれを支えるようになったり、最終的には項羽を倒して漢王朝を打ち立てる劉邦がそんな項羽を兄貴と読んで下手に出たりとちょっぴり楽しくアレンジされている部分はあるものの、出てくる固有名詞は歴史に実在な者たちが多くてそれを思いつつおおむね似通った歴史を踏まえつつ、どうなっていくのか予想する楽しみは味わえた。

 そんな虚実入り混じった中にこれは完全に虚となる式使だっけ、そんな異能の使い手たちが入って敵に味方にそれぞれなっては繰り広げるバトル。わけてもヒロインの西緒という少女は式の中でも邪悪な式の使い手で、相手をそれこそ睨むだけで殺せるような強い力を持っていることで仲間の間からも毛嫌いされていたりする。そんな彼女といっしょに動いて劉邦の配下になった張良はあんまり彼女のことを嫌わず方便もあって妻と呼び、聞いて西緒もそういう立場を悪くは思っていないけれども動く歴史はそんな2人の間にいった何をもたらすのか。ひとまずおちついてしまった項羽と劉邦の戦いが、いずれ激化した時に強大な力を持つ西緒、明晰な頭脳を持つ張良の役目もぐっと増しそうだけれどそれは2人を周囲から乖離させ、2人の間にも波風を立てることになる。いったいどうなるか、ってあたりはだから続く巻で描いて欲しいんだけれど、続くのか? これ。


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