やりたいことにやれること。やれたことにやれなかったこと。人の一生にはそんないろいろなことがあって、満足した気持ちになったり悔やんだり、期待に胸膨らませたり絶望に諦めたりしながら生きている。全部が全部、期待と満足で埋め尽くせればこんなに嬉しいことはない。だから頑張る。後悔や諦めを少しでも人生から減らそうと。

 それでも全部を全部、幸せで埋め尽くすなんてことはできない。ひとりがいくら頑張ったところで、どうにもならないことがある。そんなときどうすればいい?

 顔を上げよう。そして見渡そう。世界にはこんあにたくさんの人たちがいて、それぞれに期待を抱き、満足を得て暮らしている。そんな人たちからなら、及ばなかった満足をわけてもらえるかもしれない。ふたたび期待を抱かせてもらえるかもしれない。

 人はひとりじゃない。人に限らず、この世界に存在するものはそれだけで存在しているのではない。分かち合い支え合い、埋め合って生けばきっと誰もが最大限の幸福で、人生をいっぱいにできるはず。

 そんな可能性を、村山早紀の「竜宮ホテル 迷い猫」(f−Clan文庫、571円)という物語が見せてくれる。

 高校生のころから作家として活動して来た水守響呼。10数年を経た今も人気を得たまま、繁華街から外れた、人気の少ない場所にある古いアパートの一室に部屋を借り、あまり出歩かないで小説やエッセーの執筆に勤しむ日々を送っている。

 もっとも、最近起こった地震の影響がアパートに出て、いよいよ取り壊しが決まって次の住まいを探さなくてはいけない羽目に。とりあえず、目先のエッセーを書き上げ、それから部屋を探そうとしていた響呼は、コーヒーハウスで彼女のファンだという編集者の青年、錦織寅彦と出会って、ひとつの部屋を紹介される。

 そのときはまだ決めていなかった響呼だったが、雨の中を寅彦に送らアパートに戻ると、さっきまで無事だったアパートが崩れ落ちてしまっていた。行く当てはない。その上に、異界の住人が見えてしまうという響呼の力が働いて、姉を探してそのアパートに訪ねてきたという、猫のような耳を生やした不思議な少女が、ショックか何かで倒れてしまう場に居合わせてしまう。

 どうしよう。そこでふたたび誘いをかけたのが寅彦。彼もまた異界の住人が見えてしまう能力の持ち主らしく、倒れた少女ともども響呼を、斡旋しようとしていた部屋へと案内する。そこは本当はホテルで、今は修理中で、それでも誰かに使って貰った方が良いと、をアパートのように貸している建物へと連れて行く。

 名を「竜宮ホテル」といったその建物は、ただクラシカルなだけでなく、とても不思議な場所だった。アパートの倒壊で壊れてしまった金時計を、翌朝には修理してしまえる腕前の職人たちがどこかにいる。魔法のようにバラの花を取り出す老人が地下の浴場で働いている。病弱ながらも植物の扱いに長けて、ホテル中を緑で満たす若者がいる。

 おまけに、連れ帰った少女からは2匹の小さい動物が飛び出し、響呼に煮干しが欲しい、水が欲しいと語りかける。普通の人だったら驚き慌て、怯え逃げ出しそうな場所なのに、響呼はそこを居場所と定めて、これまでの自分を振り返る。

 作家としては順調に来ている。しっかりとした居場所を持って生きている。その意味では幸運な人生だったかもしれない。けれども響呼の母親は、父親と離れて暮らし、響呼を育てた上げたものの、今は病院にいて、ずっと眠ったままでいる。

 そんな母親への心情から、父親という男にずっと憎しみを覚えていた響呼だったけれど、山で転落して遺体で発見され、事情があって母親と離ればなれにならざるを得なかったと知って、ひとつの後悔を抱えてしまっている。いつか訪ねてきた父親に、言葉を向けず追い返してしまったこと。あの時もしも話せていたら。そんな思いが響呼の心を捉えて離さない。

 全部が全部、幸せとは言えない人生。そんな響呼の心ぽっかりと空いを、「竜宮ホテル」に集った面々が支え、埋めて明日へと導く。

 安住しているようで、実は諦めてしまっているだけなのかもしれない日々。落ちついているようで、実は不安定さを抱えた気持ちを、支えるものがいて、埋めるものがいて、導くものがいて励ますものがいる。不思議な力が働いて、後悔し続けていたことにも、ひとつの答えが与えられる。

 ひとりではできなかったことが、「竜宮ホテル」ならできる。そんな場所があったら、誰だって住んでみたいと思うだろう。暮らしてみたいと願うだろう。けれども、現実にはそんなホテルはなかなかない。絶対にとは言いたくないけれど、それでもたどり着くのは難しそう。

 だったら作ればいい。「竜宮ホテル」を作り出せばいい。誰かが困っていたら支えてあげる。迷っていたら導いてあげる。それを行い。それをされることによって幸せが偏らず、不幸が溢れないで誰もが等量に幸せで、そしてそれを高めあって行ける場所を、この世界に作ってしまえばいい。

 不思議なことは起こらなくても、素晴らしいことなら誰にだって起こせる。不思議なものはいなくても、誰にだって誰かを助けることはできる。誰も諦めない。誰にも諦めさせない。そんな気持ちを抱ける場所を、持てる世界の訪れを、この「竜宮ホテル 迷い猫」という物語から感じよう。そして進みだそう。


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