縮刷版2012年3月上旬号


【3月10日】 その幻想をぶっこわす、って最後に叫んで敵をぶちのめして味方も含めて救ってしまい八面六臂の大活躍が、もはや通用しなくなった鎌池和馬さんの「新約「とある魔術の禁書目録」シリーズは最新刊でも魔神となった相手に腕を捕まれ引きちぎられては七転八倒の大苦戦。どこかの地域に作られ学園としに対抗できる人材を選び出すっていうバトル大会に入り込んだ学園都市からの死角があんな技こんな技を見せる一方で、魔術と科学の融合を果たした結社から来た裸オーバーオールの眼鏡っ娘とかがトンデモな神器なんかを振りまわすからもう大変。人間がそのまま壁になったり机になったりする残虐描写も経ながらそれでもとりあえず最後に幻想をぶっ壊し、倒されても持ち直す主人公らしさを上条当麻が見せてはオッスレルとフィアンマと合流し、そして続く戦いやいかに。もはやレベル5とかいった段階すら越えてるよなあ。これじゃあビリビリも一方通行も出番ないよなあ。

 まさかミネルバがそうだったなんてモッタイナイったらモッタイナさ過ぎる矢上裕さんの「環境保護対モッタイ9」第2巻。環境保護のNPOとかいいながらも巨大な基地を作り巨大なロボットやメカを操り世界の敵というか、環境保護を訴える真っ当な勢力の干渉を退けるその活動こそがもったいなさ炸裂なんだけれどもモッタイ9のメンバーは、折角作ったロボットに基地を使わないのはモッタイナイって発想だからまるで逆。そんな一味に引きずり込まれた米倉良太の心身は、だんだんと慣らされていっているようだけれどもそれでも引きずる環境保護への情熱は、リサイクルショップの女店員への思慕となってそして果てにあっさり裏切られる。いったいどうなる米倉良太。というかミネルバのモッタイナさって何なんだ。オヤジ以上か。ポチは見た目がそうなんで今さら。ナインちゃんの中の人はやっぱり分からなかったなあ。そんな格好をしているのがモッタイナイような人なんだろうか。

 あの日からもう、1年が過ぎようとしていながらもやっぱり残っている、津波による被災からの復興の滞りと、原子力発電所の事故によってまき散らされた放射能汚染の問題は、その規模がどちらも空前だったとはいえ、人間の聡明さと勤勉さあれば、どうにか解消の目処がたって、未来が見えていて不思議はないって期待を易々と裏切って、なおも混迷の状況にあって出口が見えない。経験したことのない事態によって浮かんだ恐怖が、疑心を呼んで暗鬼を生み、何かをしたくても前に進めないのもひとつの要因になっているようで、だったら権威があり、信頼もある筋が情報を提示して、解決へと導く動きが起こればいいのに、そうはならないのはもはや人が、信じたいものしか信じられない心の檻に囚われて、説得を受け入れなくなってしまっているから、なんだろー。

 だからといって説得が不要って訳ではなくって、丹念に丹念に論理を積み上げ証拠を重ねて状況を説明して、少しづつでも納得を得られるようにしていくのが、誰にも科せられた責任って奴なんだろうけれども、そうした責任を負うべき言論の世界が、一切合切をすっ飛ばして暴論に近い極論を、ひたすらに吐き出しているのが見ていてどうにも居心地が悪い。原子力発電所の「安全神話」というものが、今回の事故で大きく損なわれたのはもはや自明のことで、現にこうして多くがあちらこちらに避難し、立ち入りもままならない状態に置かれていることをもって、何か事が起これば大いに危険になる存在であることが示された。にも関わらず見出しに「根拠薄い『危険神話』に決別を」と書いて、原発の再稼働を訴える言論を唱えられる神経はいったい何なんだろー、どれほどまでに太いものなのだろー、あるいは神経というものが存在していないのか、等々のもやもやがまず真っ先に浮かび上がる。

 安全神話という言葉があって、それは少しの危険性でも見せれば、そこを衝かれて前に進めなくなることを畏れる余りに、安全であるとひたすらに訴え続け、それがもはやドグマとなって一切の危険性を排除し、視界の外において思考を停止してしまった状態のことを指している訳であって、決して原発推進そのものを揶揄しているのではない。絶対反対の人もいれば、必要性は感じつつも疑心からのれない人もいたりと幅はあって、だから推進する側がそうした危険性を認め、完璧は無理でも相当なまでの努力をはらって、安全性を追求し、技術も人も含めてクオリティを上げていく態度を見せることによって、了解とはいかなくても、理解へと向かう可能性はなくはない。決して危険だから危険なんだというドグマに囚われ神話化しているような人たちばかりではない。

 必要なのはだから態度であり、対話であってそこをまずは論として整え、提示していくことが大事であるにも関わらず、言論によって示されているのは原発は危険だとは限らないという話がまずあって、そこから一気に国の繁栄には電気が必要で、電気がなければアジアの発展から置き去りにされかねない、といった論へと飛んでいってしまうから、読んで誰もがそのオメガドライブっぷりに、首を傾げて頭を悩ませてしまう。危険は危険だけれどそれは極力回避できるし、実際に福島第二ではどうにかなったし、外国でもそうしているからまずはそこを突き詰めよう、人間の叡智があればそれは可能だといった論をまず訴えた上で、産業の発展とかのために原発が、なぜ必要なのかを説明することでどうにか得られる理解もこれでは、絶対に得られないどころかむしろ今のこの惨状を、見ておいてどうして危険なんてないんだと言えるんだと、激しい反発を食らうだろう。ちゃんと読まれていれば。でもあんまり読まれてないからスルーされていたりするのはご愛敬。

 そもそもが「安全神話」を原発推進に対する揶揄ととらえ、原発の危険性をどこまでも突っつく言説を「危険神話」ととらえる感性には、「神話」というものが金科玉条で完全無欠なものではなく、根拠なく祭りあげられ奉られた果てに人間の叡智と冷静な判断によって、崩せるものなのだという意識が重ねられている。つまりは虚偽だってことなんだけれどそんな言説を撒く一方で、日本の神話は歴史的に科学的に正しいもので、神武天皇から8代は実在していてこの国は万世一系による2672年の歴史を持っていることを、哲学でも道徳でもなく歴史の教科書に乗せて教えるべきだっていう主張も放っているから不思議というか。このアンビバレントな状況がいたいどうして生まれてしまったのかといえば、それはつまりえーとうーんもやもや。まったく訳が分からないよ。ともあれ論拠を添えず説得の気概も持たずに、ただ願望のみを連ねた文章で、ご飯が食べられる世界があるんだってことが分かった訳で、そんな世界に是非に加わりたいものだけれどいったい、どうすればそこにたどり着けるんだ。

 せっかくだからと東京ドームに出かけて台湾のプロ野球代表と、日本のプロ野球代表が戦う試合を見物したら、台湾のオリンピックアンセムの時に座っている人が多かった。自国の国歌に立てと言う前に、あまねくアンセム等には敬意を払って立つべきだと教育しろよ。そして試合は田中将大選手がホームランを食らったものの、球は140キロ台をコンスタントにだして手なかなかの威力。そして斎藤佑樹選手も打たれはしても得点は与えず、140キロに乗る球を放っていたんでシーズンに入ればきっとどうにかなるんじゃなかろーか。チームメートの中田翔選手はがに股な構えが面白かった。あれで打てるから不思議。でもバッターでは西武の中村選手が今年も好調そうで2安打を放ったりしてた。ってここまでパリーグの選手ばかりが目立ったなあ、というか知ってるのパリーグの選手ばかりになってきた。30年前の自分に言っても信じなかった事態。これがパラダイムシフトって奴なんだろうなあ。中継の視聴率はなでしこジャパンを越えられたかな。


【3月9日】 2004年の春ごろに大畑伸太郎さんというアーティストのことがどれだけ知られていたかというと、およそほとんど世間的には知られていなかったんじゃないかというのが実感で、GEISAIとかデザインフェスタの会場をめぐったり、イラストレーションズとう専門の雑誌を読んだりすればその街や人が光の中に浮かび上がるようなトーンの作品を、見知っていつかきっと大きくなっていく人だろうなあって印象を持ったとしても、即座に使って世に広めようって考えた人がいたかというと、やっぱり知らない人だからって二の足を踏んだんじゃなかろーか。

 そんな2004年の春に出た「夜はもう明けている」という本で、実は大畑伸太郎さんの「駅」という作品がしっかりと使われてることを、今ごろになってようやく知ってそうか見る人は見ていたんだなあと思ったものの、知ったきっかけが作者の駒沢敏器さんの突然の訃報とうのはやぱりちょっと残念というか、悲しいというか。選んだのが駒沢さんなのか編集者なのかは分からないけれど、出た時にいったいどんなことを話していたのか、それはどういう感想だったのかを、聞いてみたくても今となってはどうしようもないのがやっぱり悲しい。亡くなった原因がやや事件性のあるもので、いろいろと取りざたされるだろうけれども、書いてきたものに改めて関心が集まって、その独特の感性が世に知られることになれば、せめてもの手向けになるだろーか。それも詮無い話だなあ。

 直接の面識はないし当該の本も読んではないけど、割と新しい本として出た「アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄58号線の向こうへ」という本を雑誌で紹介したことがあって、読んでそのまだアメリカに占領されていたか、変換されてすぐかの沖縄における文化の状況なんかを、ふり返ってルポした内容にそういう時代があって今、こういう時代になっているんだという隔絶を、思って少し悩んでしまった。なるほど占領下では苦労もあったかもしれないけれど、運動とは隔絶された社会がそこには確実にあった。変換された今も社会は続き暮らしはあるけれど、一方に運動の象徴としての沖縄って存在が浮かび上がってきて、話せば分かるというような曖昧さ、柔らかさとは断絶されたこれはこれだという概念が、前面に出ては硬直して膠着した状態を作ってしまったような気がする。

 譲れば軟弱と誹られるけれども、守っても滞るばかりという八方ふさがりの状況で、象徴としてのオキナワがもう何十年も続いてそして、まだしばらく続いていくかもしれない可能性を駒沢さんはどう見ていたんだろう。本の方はそういえば部屋のどこかに行ってしまって出てこないけれども、折角だから買い直して読み直してみよう。CoCo壱番屋がアメリカから来ている兵隊さんたちに割と人気で、その幟なんかを欲しいという人が少なからずいたりするって話が面白かったなあ。あとSPAMを沖縄料理とすべきか否かってあたりにも。ポーク玉子とか「やんばる」の定番メニューな訳で、沖縄料理には欠かせない具材になっているんだけれども、それを内地では米国の食材を使った新しい料理と見なして、アンテナショップでは売らせなかったという経緯とか、彼我の認識の差が感じられた話だったなあ。

 サンキューの日でザクの日だけれども日本ではすっかりミクの日となってしまった3月9日に、東京ドームシティホールで初音ミクのライブを観るのは今年限りか来年以降も継続か。一昨年のZepp Tokyoでの衝撃から、去年のちょい違った展開を経て夏にアニメエキスポでさらにパワーアップして復活した、ステージ上の透明なパネルに投影された3DCGのミクが踊りそれに合わせて歌が流れて楽器が奏でられるコンサートは、ニュース映像として見てはいたけど現場で見るとやっぱりそれなりのクオリティで、透明のスクリーンに背後から映し出されたミクは、本当にステージ上を歩いているように見えるから不思議というか、おそらくはこの2年でテクノロジー上での進歩もあったんだろー、よりバーチャルアイドルとしてのリアリティって奴を積み増していた、って不思議な言葉だバーチャルのリアル。

 透明のスクリーンで良いのは、ステージを見て背景もちゃんと透けることからくるそこにいるんじゃないか感。アーティストの背後から輝くスポットが観客席に向かって進んで光臨のような印象を与えたりもする。そんなリアルの積み重ねがバーチャルのミクとか鏡音リン・レン、巡音ルカといったボーカロイドの存在感を増していたりするんだろー。とはいえやっぱり傍目にはCGによって作られたキャラクター。それがステージ上で踊っていることに、いくらリアル感を感じたくても感じられない人がいる可能性、ってのはやっぱりあって、アニメのキャラに恋をするとかいった性向を忌避する人たちにミクって架空のキャラクターが、人間みたいに出てきて歌うってことへの理解がどこまで及ぶのか、日本だからこその理解なのかって思ったりもしたけれど、去年の夏にロサンゼルスで開かれたアニメエキスポでのミクのコンサートの映像なんか見てみると、ステージの雰囲気は日本といっしょで、そしてはるかに広い会場であるにも関わらず、しっかり埋まってそして踊ってサイリウムを振って感性を挙げていた。

 そうした人気が日本生まれのミクなりリン・レンなりルカといったキャラへの愛が高じてのものなのか、奏でられる音楽そのものへの関心なのか、聞いた訳ではないけれども見るからにやっぱりキャラクターへの情愛が、感じられるライブ風景。陽の東西を問わずキャラクターにのめりこみたい心理ってのはあって、それが音楽というものを通じて全世界へと広まっていたところに、最新のテクノロジーでもってあたかもそこに存在するかのような演出で、ステージが繰り広げられたことで歓喜も爆発したってことなのかな。一方でそうしたことが“普通”になりつつある日本で、驚きがどこか馴れ合いに変わっていった時にもういいか、ってならないかという心配も実は浮かんでいたりするんだけれど、そこは最新のテクノロジーがなおいっそうのリアリティって奴を、ステージの上に作り出す方向へと流れるのか、あるいは「マクロスF」よろしくARの方向へと鍛えられていくのか。眼鏡をかけて見るのはちょっと勘弁だし、モニター越しでARを見るのもつまらないからやっぱりここは裸眼立体視をあらゆる場所で感じられるようなテクノロジーを、鍛え取り入れミクを乗せ、まったく新しいミクパって奴を作り上げてもらえれば幸い。

 真夜中でもないけれども午後10時なんて夜にいっぱい人が集まるなんてまるでライブハウスか深夜営業のマクドナルド。でも違ってここは東京は有楽町にあるニッポン放送、オールナイトニッポンって名前が冠されてもいて「ビタースイートサンバ」が冒頭に流れる「app10」って番組が、何やら「トーンコネクト」ってアプリを開発していよいよ展開していくってんでお披露目があってのぞくと吉田尚記アナウンサーが準備万端整えて、生で番組をやりながら会場に集まった人たちを煽り誘導していくっていった離れ業を見せていた。凄いもんだ。

 そして「トーンコネクト」の実験。ピポパってダイヤルのトーンにURLの情報を仕込むってソフトでそれを聞かせることで当該のサイトに行ったりPDFを落としたりできるという。ありそうでなかったアプリ。これならラジオからURLを教えたり膨大な情報を口でいうより早くそこへ行ってアクセスしてよとお願いできる。もちろん音声を羅列する必要性もあるけどそれが間に合わない時に利用可能な方式。CMとか企業のジングルとかにPRサイトを入れるとか、緊急信号を発して情報を取らせるとか可能性はいろいろ。あとはそれに何を乗せるかってところだけれど、画像に透かしを入れてそこからURLの情報を取らせて朗読を出したり、過去の歴史を並べるよりはよほど楽しいことができるんじゃなかろーか、ラジオな発想の自在さとリスナーのノリは最強無敵。わき出すアイデアを見ていろいろ勉強させてもらおうっと。


【3月8日】 久々にプレイステーション3を立ち上げ前に買ってあったSCANDALのPVばかりを集めたブルーレイディスクを再生して、「ハルカ」のPVを見たらエロかった。短いスカート姿でギターを弾いたりドラムを叩いたりするメンバーが瞬間ハイスピード撮影でのスローになるからふわっと降りるスカートなんかが見えて中がどうなっているかをのぞきたくなる。見えないけれど。PVってこともあって演奏はそっちのけでフロントの3人が揃ったダンスを見せるところもあってこれがなかなかに可愛らしい。ライブじゃ流石に見せてくれないだけに貴重なPV。他でもいろいろ踊ってた。

 前にインタビューした時、せっかくずっとダンス&ボーカルスクールに通っていたんだから、ロックバンドだからって演奏にのみかまけるんじゃなく、自分たちにしか見せられないものを見せるんだという心境に、最近達したって話してたSCANDALだっただけにこうやって、らしさを見せてくれるとなるほどより良さが伝わってきて応援したくなる。行くぞ日本武道館。そこではどんなダンスを見せてくれるのかな。見せないか。コントとか。見たいかも。コピーパンド100組が揃ってステージで演奏とかってやったら楽しいのにな。

   凄かった凄かった凄すぎた。ポルトガルで開かれている、今年になって急に世界で3番目に権威のある大会ってことにさせられてしまったアルガルヴェ・カップって女子サッカーの大会で、日本女子代表ことなでしこジャパンがアメリカを破って決勝に進んだことも快挙だったけれども、その決勝であたった欧州最強のドイツ代表を相手にこれまたギリギリまで追いすがる試合ぶりを見せて、去年のFIFA女子ワールドカップドイツ大会での優勝が、決してフロックではないことを見せつけた。

 だって優勝したんだったら相手を余裕で下して当然じゃないかって言うけどこれは甘い。だってドイツなんだから。ブリギット・プリンツ選手こそ引退したものの下にリーグを持って優秀な選手を育て、アフリカ系やらバルカン半島系やらといった身体能力に長けた地域からの流入者の子弟が育ってチームに入ってきて、スピードとパワーに加えてテクニックなんかでも大きくチームの発展に貢献している。そもそもが去年の試合で勝てたのだってギリギリの中でかろうじて1点を奪っての勝利だったわけで、向こうに2点を先取されていたらそこでジ・エンドとなって決勝には勧めず、優勝もしないで今のなでしこブームも訪れなければ、オフシーズンの新善試合が生中継されるなんてこともなかった。

 けど年が明けてもなでしこジャパンは増長もしなければ衰退もしないで着実に、そのクオリティを磨き続けていた。それは選手層の拡大であったり守備の組織化であったり闘志の不屈化だったり。だって2点だよ、パワーと高さでもって瞬くまに2点を奪われてしまったなでしこジャパンが、以前だったらそこでもう諦めてしまってあとは蹂躙されるがままになったかもしれないのに、今回はそれがまったくなかった。というか見ていてまだ大丈夫だって思わされた。下を向かない。下がらない。前にボールを送りそこに誰かが走り込む。そんな連動した動きの中から川澄奈穂美選手の鮮やかなシュートが決まって一気に機運が盛り上がる。いやあの角度から突き刺すか。凄いなあやっぱり。

 そしてさらにサイドを抉った川澄選手から送り込まれたボールを中央で田中明日菜選手がぶち込み同点。その後もPKで逃げられそうになりながら、後半終了間際に今度は永里優季選手が蹴り込んでまたまた同点をなってこのままPK戦かなあ、と油断したのかロングボールから放り込まれたところを、前に出たキーパーの海掘選手がかわされるようにゴールを決められ4対3で試合は終了。終わってみれば負けてはいても最後まで追いつけるかもしれないという期待を持たせ、勝てるかもしれないという希望すら抱かせてくれた選手たちの戦いぶりは、去年のワールドカップすら大きく上回っていたんだけれどもそれでも納得してないところがまた凄い。

 なるほど前半にボールを持った宮間あや選手にドイツの選手が1人2人と詰め寄ってはボールを出させないようにして、攻撃のテンポを乱させ前戦からのチェックによって守備陣を押し下げることに成功していて、それを本番でもさらに徹底してやられた時に、もはや手も足も出ないって事態に陥りかねない不安が浮かんだ。あとは澤穂希選手がいない場合のシミュレーションはできても、サイドとかトップとかではレギュラーとサブとの連携にまだ差があって、そこを詰めないとドイツ戦の前半のような押し込まれる事態をやっぱり避けられないって心配も漂った。

 その意味ではアメリカにもドイツにも圧勝せずに問題点をえぐり出し、改善へと繋がる道を示したって意味で重要な大会だったと言えそう。とはいえそれはでも他のチームに言えることで、パワーでも連携でも道半ばなアメリカの進化が夏の五輪で完成した暁に、果たして勝利できるのか否か。ドイツは出られないけれども伸張著しいと噂のフランスはいったいどんな戦いぶりを見せるのか。パワーでもって日本を押し込んだイングランドはどういうったプレーを見せてくれるのか。心配の種は多いけれども、だからこそここは4月のキリンチャレンジカップで、アメリカを立ち直れないくらいに叩きつぶして恐怖感を植え付けておくのが良いのかな。少しでもライバルを減らす為に。でも逆に恐怖心を植え付けられたりして。見に行きたいなあ。遠いけど。

 ところでイチカ先輩はどうしてあんなに地球人とそっくりなんだろう容姿も性別も含めてってあたりへの解決の道筋は着けられていないけれども、そこは鴨川から館山あたりにたむろしている異星人たちと同様に、過去に地球から発生して宇宙に移り住んだ奴らの子孫なんだという理解で納得しておこう。でもっていよいよ宇宙人だと明かしたものの驚くでもなくまあ知ってたというか勘付いていたことを明かした海人とイチカ先輩はそのままひかれ合ってくっつき合っていい仲に。脇で追い出されるようになった幼なじみは泣きそれの頭を抱きしめた男を遠くから別の少女が背中越しに感じて泣くという恋愛と失恋の連鎖から、まるで外れている檸檬先輩の正体やいかに。やっぱり本当にMIBか。歳取らないし。いやそれだとそれこそエイリアンだろうに。

 不二子ちゃんだ不二子ちゃんがメーンの「ルパン三世」の登場は、見た目もバッチリで声も若返った峰不二子が八面六臂の大活躍を見せてくれるらしくいったいどんな映像になるのか、演技になるのかが今から楽しみ。ある時は関内・マリア・太郎の如くに辿々しい日本語で相手を翻弄し、ある時はゴッドの如くに可愛らしさを恐ろしさを併せ持ったキャラで相手を戦かせ、ある時は幼い少女を守る男子として腕から角とか生やしながら戦いそしてある時は目からへんなものを出しながら相手に毒舌を噛ませる。もう誰が誰やらな展開で、最後には銭形次子として登場しては銭形警部を追い出してみせるといったことはやっぱりにないよな、制作会社だいたい違うし。でも見た目とかモンキーパンチさんの雰囲気に近く、エロ可な深夜でどんなエロい不二子ちゃんを見せてくれるのか、今から楽しみ。ルパンは活躍するのかなあ。


【3月7日】 さっきまで前のクイーンを相手に勝負への情熱を燃やしてはうち砕かれてしょぼくれていたと思ったら、鴨女でもって看板に釘を打とうとして失敗して指を打っていたいと呟いていたりして、でもってもうひとりはさっきまで呉服屋の娘に似合わずブーツ姿でかるたの勝負を見に来ては、低い身長で見られない中をのぞこうと背伸びして、それでも届かずビールケースの上にのってのぞいていたのが、鴨川に移ってからは背丈も伸びて胸もふくらみ性格も陽気さと深慮さを兼ねそなえて、今は留まっている事態をじっくり観察しちゃっていたりするその連続を、楽しめる火曜日深夜のアニメ番組たち。声優って怖い人たちだ。

 といった感じで「ちはやふる」では呂蒙子明が脚は振りまわさずに口先でもって千早を追い込み前クイーンならではの強さも発揮しクイーン戦への戦いを勝利。負けて千早はこのあとどうなったんだっけ。忘れたけれおどもそのうちテレビでやるだろう。「輪廻のラグランジェ」は鴨川女子での学園祭に道場破りが訪れ小さいジャージを着て帰り、海辺のカフェにはメイド姿の男が現れ無銭飲食の対価を体で払ってた。つかどうして脱がないんだアレン。まあ似合っているから良いんだけど。かわいいは正義。ユリカノとやらが現れたけれどもあれはいつのお話だ。謎はまだ多く先は見えない展開。これって2クールだったっけ。

 「エル・ゴラッソ」でポルトガルのアルガルヴェ・カップに取材に行っているらしいカメラマンの六川則夫さんが、サッカー女子代表の選手もスタッフもちゃんと受け答えしてメディアにも関心を持たせることに成功していて、それでファンとなるメディアも生まれているってな感じのことを書いていた。行っても待っても出てきて素通りかあるいは憮然とした受け答えをされては、感情面での忌避がうまれることもさることながら、報道できる材料が少なくなって結果露出も減ってそして……っていった可能性への示唆がそこにはあるような気がする。

 もちろん受け答えがなくても、練習の風景や指導の様子さえあればそこから類推して記事は作れるんだけれど、それすらも覆い隠されてしまっている男子代表の取材対応への不満ってもののが、六川さんほかメディアには割と溜まっているって現れか。それでも結果さえ出していれば盛り上がれるんだけれども、フル代表は2軍だったらしいウズベキスタンに破れてワールドカップのアジア3次予選をグループ2位でどうにか通過という悲しさで、五輪代表もどうにかこうにか勝ち残っては最後のバーレーン戦にすべてをかけることになってしまって大変そう。そんな時だからこそ秘密にも理解をって求めているなら、多分そんなに不満もなかったと思うけれども、そうではなくってどこか居丈高に対応したから、こうした声が起こっているのかも。

 あと六川さんのコラムは末尾に最近話題の女子代表とか女子リーグの試合を見て、サッカーに興味を持った年輩の人がフル代表とか五輪代表の試合に行くようになったって例が挙げられている。普通だったらワールドカップを見てJリーグにも関心を向けてそこから女子って行くんだけに、この流はまるで逆。なんだけれそれが時の勢いってものなんだろう、テレビでのアメリカ戦は深夜だったのに15%とか視聴率とったみたいだし。大河ドラマより良いじゃんか。問題はそんな女子の女子的ではあってもひたむきな精いっぱいを見たあとで、男子代表を見るようになった人が何を思うのか、ってことか。がっかりしないといいけれど。

 あと興味深いのは女子を見たから男子も、ってスライドが割と容易なスポーツなんだなサッカーは、って言えそうなこと。これが野球だったら女子野球を見たからって男子のプロ野球に行くかっていうと、ちょっとそうはなりそうもないしバレーボールだって男子と女子ではファンの層が違ってそう。フィギュアスケートは見せるポイントがまるで違うし新体操にいたっては女子しか実質存在してない。体操競技はそれでも瞬間の動きを見せるって意味で一緒だけれども、どっちにしたってチームスポーツではないしなあ。ラクロスなんか人数も試合の中身も男子と女子ではまるで違う。けどサッカーは女子の試合とか見ても男子の試合を見ても、割と同じスポーツって感じで見られてしまう。

 人数も同じならフィールドも同じで時間も高校サッカーとかをのぞくと男子も女子もやっぱりいっしょ。プレーの内容だって特に男女で大差はなく、早いか強いか高いかといった差異はあって、もそれが競技の内容を大きく左右することはない。だからどっちも見て楽しめる。これはサッカーって競技のシンプルさを示してるし、それだからこそ男女を問わず年代も問わず、FIFAという最上位の団体の下で1枚になれるんだろう。ってハンディキャップがある人のサッカーが入れなかったりする問題はあるけれど、それでもやっぱりあっち見てこっちも見てを楽しめる。そうした普及し広がるサッカーの伸張を、疎外する要因があるならやっぱり見直すべきなのかも。とはいえ尻に火が着きかけているから果たしてそこまで気が回るか。まずは決戦を控える五輪代表の応対に注目。

 記事も書いたことだし人気の程はどうなのかと東京ドームにあるラクーアへとSCANDALのベストアルバム「SCANDAL SHOW」の発売記念イベントを見物にいったらすげえ人だった。ステージ前にはもう結構な人だかりで直接姿が見えないかもしれないと心配したけど、始まったら頭の隙間から4人がちゃんと見たんでまずは僥倖。背の小さい女子高生とかは前にでっかい男子が立ってたこともあって時々ぴょんぴょんしてたのがちょっと可愛そう。そういう時は女の子ゾーンを作って上げるのが礼ってものだと最近とみに女性ファンが増えているKalafinaのスタンディングがあるライブで知ったりもした。

 始まったトークイベントでは4人が前に出していた質問箱からカードを取り出しそれに答えていくって感じだったけれどもそこで、リーダーのHARUNAにまず目が向いてそれから周囲に振っていくって感じが「あるある」ってことになってインタビューした時もそうだったなあと思い出した、っていくかリーダーなんでやっぱり先に聞いちゃうんだ。でもあとは質問の内容によってまずはRINAに振るとかMAMIを促すとかいったこともやれたんでインタビュアーの案配次第かなあ。それからどれが好きか質問ではえっと何が出たっけ、「SCANDALのテーマ」があって「DOLL」があって「瞬間センチメンタル」があってあと何だったっけ。「ハルカ」は入ってなかったなあ。そんな「ハルカ」のPVがイベント前に流れて曲も良いけどPVも無茶苦茶格好良かったんで改めてPV週を見よう、どこに埋めたっけ。


【3月6日】 勝ったよ勝った、マジ勝った、アルガルヴェ・カップって別にFIFAの管轄でもUEFAが見ている訳でもないけれど、でも集まるチームはランキングの上位ばかりという女子サッカーの大会で日本が世界ランク1位のアメリカに勝っちゃった。去年のFIFA女子ワールドカップドイツ大会でも決勝で下してはいるけど、あれは延長線の末にPKでもってとりあえずの勝者を決めたものであって、記録的には延長引き分けという案配。つまりは勝利とはいっても本当の意味での勝利ではなくって過去に幾度となく対戦しながらも未だ勝てない状態ってのが今の今まで続いてた。それが遂に終わった。歴史が塗り替えられた。これは凄い。ただ凄い。

 ワールドカップでも五輪でもない大会で勝ったからっていうけれど、でもどんな親善試合だって過去に1度も勝てなかった訳でアメリカに乗り込んでいった試合なんてこっちが本気メンバー揃えて望んでもやっぱり簡単に蹂躙されてた。それもほんのちょっと前までは。だから日本にとって何であれ勝ったという意味合いは大きいし、ワールドカップでの“勝利”も含めた2連勝はもっと大きく、逆にアメリカにとってはとてつもなく大変な事態だっていった認識に至りそう。決してメンバーを落とした訳じゃなく、試合だって割と攻めてて良いシュートだって放っていたのに、結果的には得点を奪えなかった。そして日本の宮間あや選手からのコーナーキック1本から高瀬愛美選手のヘッドで得点を奪われ敗れ去った。押していながら破れた悔しさはたるや。想像するに余りある。

 おまけに日本には澤穂希選手がいなかった。体調不良とかでそれはそれで心配だけれど、中盤でキープし散らして戦闘力の起点となり、ピンチがくれば下がって守る大黒柱が不在でいながらコーナーキックへと至る場面も含めてアメリカゴールへと迫れていた。トップにいた安藤梢選手はこれが初めての出場だった訳だし、決して万全とはいえないメンバーでありながらも日本はアメリカと渡り合い、そして勝利したって事実は日本にとって大きな自信になるし、アメリカにとってはどうしてまたといった懐疑を与える。これで澤選手が復帰したらと考えた時のプレッシャー、もう負けられないという不安を与えたことは後々の戦いにおいて絶対に大きな意味を持つ。新善試合だろうと調整試合だろうとそれは絶対に意味を持つ。

 もちろん日本だって攻撃とかはまだまだで、ボール前に入りながらもシュートへといたれなかったり、打っても弱かったりして相手に畏れを与えるまでには至らなかった。逆にアメリカはモーガン選手のシュートがサイドバーに弾かれる不運もあれば、サイドからの放り込みに当てたヘッドのバウンドが高すぎてゴール上を超えていった不運もあったりと、日本にとっての幸運に左右されてしまった部分もあった。あとはフリーになってからの1閃が浮いてしまったボレーとか。そのうちの1つでも決まっていればという可能性はやっぱり鑑みておく必要がありそうで、守備のよりいっそうの引き締めを計りつつ、トップでボールをしっかりおさめて繋ぐなりすぐ打つなりといった状況判断の速度とプレーの正確さを、磨いていってくれればあるいはより強力なチームとして、ロンドン五輪の晴れ舞台でメダルに手を届かせられるだろー。とりあえずは次のドイツ戦で強い相手にどう勝つかをシミュレーション。澤選手は大丈夫かなあ。それだけがとりあえず心配。

 人に見えないあやかしが、崩れ落ちてくる丸太に潰されるものだろうかとか川で溺れるものだろうかという不思議さはあるものの、そこは妖怪が仕掛けた罠だけあってあやかしの類にもきっと効果があったんだろうから、夏目にかばわれながらも柊が倒れしばらく動けなくなったのもそういうことだと理解しておきたい「夏目友人帳・肆」。潤す神と枯らす神とが争いながらも楽しんでいた期間に人間はどんどんと神様から関心を失い神様は力を殺がれてそして、弱い祓い屋の力でも封印されてしまっていたというから情けないけど可愛そう。そんな世界に愛想を尽かしで何処かへと旅立っていく2人の神の姿を見るのは綺麗だけれども神の庇護無き世界に訪れる混乱を、ただの人間たちが治められるとも思えないからなあ。信心することは力を生んでその力が神となって何かをなしていたのだとしたら、やはり信心を失うことは怖いことなんだと教えられたエピソード。それにしてもあんな面なのに下の表情が何とは成しに伺える柊、可愛いなあ、可愛いか?

 「キリンラーメン」って知らないなあ。愛知県の西三河で売られているインスタントラーメンらしいけれども西三河っていったら名古屋の天白区からはすぐそこって感じの地域で、人だって物だって交流があるにも関わらずそんな名前のラーメンなんてまるで名古屋のスーパーとかには入って来なかったし売ってもなかった。車に乗るようになって豊田市辺りに出かける機会が増えたあとも見たって記憶はまるでなし。それでどこがご当地なんだってFOODEXの会場の愛知県ブースで見かけた「キリンラーメン」に思ったけれども、聞くと西三河でも碧南あたりがメーンらしくてそこではご当地もご当地ながら、豊田市辺りではトヨタ生協の反映もあってあんまり入ってなかったって見るのが妥当なんだろうかどうなのか。もちろん東三河にも山があって超えられず。そうしているうちにいったんは廃盤になったものの最近復活しては名古屋あたりにも入り込んでいるそうな。寿がきやとのバトルとか勃発しているのかな。でもって九州から全国区化も著しいマルタイの棒ラーメンなんかを蹴散らそうとしているのかな。帰省したらあちらこちらのスーパーをちょっとのぞいてみよう。

 園山創介さんの第13回ボイルドエッグズ新人賞受賞作「サザエ計画」(産業編集センター、1400円)は読んで字のごとく、各地から集められた7人が、長谷川町子さんのの漫画や、それを原作にしたアニメーションの「サザエさん」のように、ひとつ屋根の下で一家として暮らすというもの。高校1年生の若梅由有菜のところにある日、長谷川家康という総務省家庭環境分析センター研究員の肩書きを持った男がやってきて、「古き良き時代の家庭環境を研究する対象として」協力して欲しいと告げた。役人とはいえ得体の知れないところもある長谷川家康に、自身はもちろん家族も警戒するかと思いきや、高額の現金をすでにもらっていて、引き留めもしないで由有菜を送り出す。もう引けないとやってきたその一軒家には、すでに6人の男女が待っていて、そして由有菜を加えた7人と、ときおり姿を見せる白い猫との家族生活が始まった。

 浮かぶのは、アニメのように頑固な父親に柔和な母親、活発な娘に気弱そうなその婿に元気な息子、やんちゃな弟ににこやかな妹と、あとは猫といった家族構成。けれども「サザエ計画」は、そんな一般に広がったイメージ、そして現在の社会では絶滅しかかっている大家族のイメージに、現代っ子たちを無理矢理当てはめ、戸惑わせて笑いを取るようなパロディーには流れない。それぞれの人たちが背負っていた過去、ひっかかっていた思い出を相互の関係によって解きほぐし洗い流していくことで、認め合い信じ合う存在の大切さってやつを誰にも感じさせる。パロディーとしての笑いを脇に追いやり、原作の面白さを踏み台にして、今を問おうとする意志が見えてくる。

 家族がいれば、家族になれば誰もが痛めていた心を穏やかにして、立ち直れるとは限らない。誰もいないよりは、誰かがいた方がはるかに良いというだけのことでしかない。大切なのは、そうやって集まった人たちが、お互いを意識し、必要としあえるような感情の相互交流を持つこと。実に当たり前のことなのに、当たり前過ぎて忘れられてしまいがちな「家族」の意味に、改めて思い至らせてくれる物語。「サザエさん」を借りなければ、そんな計画は作れず、それを描いたドラマも作れなかったのかどうなのか。フックとして安易に活用しただけなのではないかって迷いが浮かばない訳ではないけれど、誰もが知っている「サザエさん」だったからこそ、由有菜はすんなりと疑似家族という設定を理解し、関係を認めてそこへと入って、自分を治すことができたとも言えそう。誰もが知っている「サザエさん」だからこそ、読者は面白そうな本だと「サザエ計画」を手に取ることになる訳で。だからここは必然と認め、超えていると感じて讃えたい。


【3月5日】 気が付くとジェフユナイテッド市原・千葉はモンテディオ山形を相手にしっかり初戦を勝利で飾っていたみたいで、得失点差2は幾つかのチームと並ぶ首位。幸先は良いけれども去年のそこからの凋落を思うと、まだまだ全然安心できないのであった。ちなみに2得点はいずれも藤田祥史選手で、いろいろと渡り歩いてやってきた新加入の人なんだけれど年齢が31歳で、4月になれば32歳とチーム内でも結構なお歳。それが最前線で活躍してくれちゃっているところに、ジェフ千葉ってチームの持つ、どこかいびつな選手構成ってのもほの見えて先が心配になる。今年もしも藤田選手の大活躍で昇格しても、J1で来年どうするの? ってことろで勝ちながらチームを作る算段を、この1年でつけて欲しいけれどもそれをやると虻蜂取らずになるのが、過去の2年間だったからなあ、難しい、でも上がって欲しい、そして残って欲しいという悩み。すぱっと叶えてくれるような僥倖は起こらないかなあ。

 ようやく読み終えた土橋真二郎さんの「アトリウムの恋人3」(電撃文庫)は、前田をはじめとした主人公達が午後9時になると東京スフィアらしい架空の世界にいては、そこで襲ってくる巨大な蜘蛛を相手に戦いつつ、現実世界に戻るとすっかりそのことを忘れていて、日常を過ごしては午後9時になるとまた、仮想世界に入り込んでいるという繰り返し。いくらなんでもこの現代で、デバイスもつけずに人が架空の世界に引きずり込まれるなんて事がありえるのか、って思ったけれどもよくよく考えれば、現実世界の記憶も引きずったまま架空世界での経験をしているのはその架空世界のキャラクターたちに過ぎない訳で、そこでの体験はサーバーにデータとして蓄積され、その上に現実世界でさまざまなデバイスによって監視されているキャラクターの見聞きしたものが、書き加えられる形でデータとしてのキャラクターを成長させているだけだとも考えられる。

 つまるところ仮想世界での大冒険はその仮想世界に生まれたキャラクターだけが経験しているもので、現実世界の人たちが気付いていないのも当然で、だから遙花っていう現実世界ではすっかり記憶を失ってしまっている少女が、仮想世界では過去の記憶を持って的と対峙しているってのも、仮想世界の情報を集めそこに乗せているからって推測もなりたつ。とはいえ前田は現実世界でも少しの違和感を覚えていたりするから、それがいったい何なのか、仮想世界での自分の一種のアバターが、経験したことがフィードバックされているのかそれとも自分への監視めいた振る舞いが、感覚を刺激して普段とは違った感じを与えているのか。普通にリアルとバーチャルがダイレクトに繋がってしまった世界を想像するより、いろいろと考えて考えられそうな物語。もう1度良く読み直してそのあたりの仕組みを解き明かそう。

 グリューエル王女へのチアキ・クリハラの礼がまたすごく本格的な上に、その描き方もローアングルから見上げるように描いた関係もあって、大仰だったりして楽しかった「モーレツ宇宙海賊」は、逃げていたように見えた船から下りてきた沓澤ギリコ、ではなくヨートフ・シフ・シドーの慇懃さが実に執事っぽかった上に、喋らなかったけれども横にいたメイド姿のキャサリンも、見かけによらずいろいろ隠していそうな雰囲気があってこれから後にどんな活躍を見せてくれるのか、楽しみになったけれども今のシリーズ中でちゃんと出せるのかな、っていうか全何話なんだろうこのアニメ。

 でもって加藤梨理加も加わってのお食事会で調理を担当した親父さんの声が松山鷹志さんで、渋さも炸裂していたけれどもこの声で陽気な役とかやてたりするのは「デ・ジ・キャラット」のパヤパヤとか、「夏目友人帳」の雑魚妖怪なんかでもおなじみ。フランスの人形劇では腹黒いんだけれど剽軽なボニファシオって役もやっていて、その人形劇の続きも見たいんだけれどいつの放送になることやら。いつかもっとメーンの役で出てはその名を広めてもっと聞きたいと言わしめて欲しいなあ。

 先に今週分を見ていったい何のことか分からなかった千枚通しの謎が遡って見た先週分で判明、月火ちゃん怖いよう恐ろしいよう最強だよう。でも見かけだけなら火燐ちゃんの方が強そうで、ずっと弱まっていたのが治ってあらためて直立したその背格好はなるほど兄の暦と同じか暦より大きいくらいなのか。力も相当にありそうで暦を肩車しても別に普通に闊歩できるけれどもさすがに揺れると膝が胸にあたってキュンとなるのかしっかり固めて動けないようにした模様。あと後頭部にあたる局部も鍵のギザギザでもってチョッキン、としたのはそっちじゃなくって自分の髪か、しかしやけにあっさりと、版権とかでポニテが大半だったのがいきなりこれでは困るよなあ、どういう塩梅になってたんだろ。

 でもって途中でやけに高飛車な関西弁が現れポストの上から喋ってどっかにいっちゃった。白石涼子さんってあんな演技もできるんだ。そしてたどり着いた神原駿河の家でパワーファイターどうしうち解けたらしい火燐と駿河。それらを置いて帰ろうとした先に見つけた八九寺真宵の後ろ姿に飛びかかろうとして忍に脚を持たれ引っ張り倒されて見たのかそのスカートの下を! 見ても真宵だからどうということはないんだけれどもそんな再会のすぐ直後、能面顔の美少女がドヤ顔で、じゃなかったキメ顔でそう言ったとか言わないとかってセリフを繰り返してはまだどこかへ。キュンとした萌えの入った愛花とはまるで違った棒演技。早見沙織さんも幅広い。1つのシチュエーションをしゃべりと絵の変化だけて半分一気に見せきる演出は凄いんだけれど、アニメーションかっていうと演劇風というのかどうか。そんな辺りがひかっかってもパートパートの絵の選択が素晴らしいんで買ってしまうんだBDを。巧いなあ新房監督もシャフトもアニプレックスも。


【3月4日】 菱餅も雛あられも道明寺もおこしもんも食べずに過ぎた雛祭り。そうそう3月3日にメディア芸術祭で見た宇野常寛さん司会のシンポジウムで登壇していた「趣都の誕生」の森川嘉一郎さんが、コミックマーケットの進展具合を小さな部屋から巨大なビッグサイトまで、つなげて見せる映像を作っててその巨大になりっぷりにこの40年とかの間に起こったさまざまなビッグバンって奴をあらためて認識したりする。来場者数の増え方ではいったん、宮崎事件でもって落ちかけたものがすぐに復活してそここから右肩上がりになっているのを挙げて、情報をして存在を知った人が興味をひかれて行ってみようとなったってことを話してて、その増え方が是か否かは別にしてメディアに乗るってことの意味の大きさをそこでも改めて知らされた感じ。

 そうやって増えた人たちが乱暴狼藉を働き場を混乱させたんだったら別だけれども過去から営々と新参者の到来を苦笑しつつも受け入れ染めてきたのが特撮やらアニメといったオタクな産業。コミケだってたぶんそうやって来た人の中から新しい作り手が生まれ育って今を支えていたりする訳で、一概に排除の方向へと流れるってのは間違っているし現にやってもいない。ただやっぱり教え聡し導くってのは大事でそれをずっとやり続けてきたんだけれどこれ以上となるとしかし物理的な問題も出てきそうだし、薄さもきわまってしまったその先にやっぱりまだいる大勢の一般人が、一般人としての振る舞いを始めた時に起こる摩擦みたいなものをどう吸収していけるのか。場にふさわしい振る舞いって奴をだからメディアにも、場の存在を紹介するだけでなしに伝えていってくれる空気があれば良いんだけれどそういうことには疎いからなあ。

 あと森川さんのプレゼンテーションで面白かったのがコミケに出している人の平均年齢は男女とも30歳くらいでそして驚くべきことに9割が未婚だという。そうかなあ、もっとみんな結婚しているような気もするけれどもコミケット側が調べてカタログに載せた調査資料なんだからきっとそうなんだろう。心の中ではすでに決めた二次元の嫁なり婿がいて既婚だと思いこんでいたりする人も現実には未婚な訳でして。面白かったのはそんな状況をとくに卑下するでもなく自分を含めたおよそ9割の人たち、それも半端ない人数がいるなかでそのおよそほとんどが未婚だというこのことを、安心感ととらえだから人が来るのかもしれないといっていたあたり。

 居心地が悪い居場所がないといった感じを味わうことなく自分はここにいていい、これをやってていいんだと思わせてくれる場になっているってことなんだけれどそれが続くと10年後には平均年齢38歳くらいでやっぱり9割が未婚だなんてことも置きかねず、政府が少子化問題に頭を悩め強制婚姻法を制定したにも関わらず、未だ未婚を通す者たちの巣窟として、日本少子化対策隊なんてところから襲撃を受けないとも限らないからなあ。その襲撃が女性隊員はグラマラスから猫耳ロリータまで取りそろえ、男性隊員も長身のイケメンから見かけ少年の半ズボンまでそろえて手当たり次第に軟派し籠絡して婚姻関係を成立させていく、ってものだったら大歓迎だけれど。それくらいしないと動かないよあの山は。うん。

 電通ったら過去からテレビアニメーションの枠をとったり出資もしたりして結構な本数を作ってて、スタジオジブリの映画なんかも作っているし、世界中から引っ張りだこの「攻殻機動隊S.A.C.」なんてのも電通がお金を出していたりしてクールなジャパンを資金面から支える重要な企業にしっかりなっていたりするんだけれど、そうした右手のやることを知らない左手ってのも果たしているのか、オタクを研究するシンクタンクを作って記事が新聞に載っててそうした過去の蓄積を知らない外部からは今さらしゃしゃり出てくるなって言われるし、知ってる人にはいったい何を今さらやろうとしているんだって疑問の目で見られたりする。

 何か流行っているとそれに飛びつきたい人がいるのは世の常で、かといって歴史も事情も知らないで上澄みだけを舐めれば悲惨な目に会うのもやっぱり世の常。その轍を踏みかねない状況なだけにこれからいったいどういう展開へと向かうのか。注目したいけれども一方でそうした電通の過去を知らずに記事にしてしまえるメディアにも、やっぱり悩ましいところがありそう。だいたいがオタクが商品に結びついているって事例で、AKB48が世界中で大人気だとか、「もしドラ」の表紙が漫画風だったからって事情を挙げているけどAKB48に群がっているのはオタクというより中高生であって昔のアイドルファンと大差ない。

 むしろクールなオタクとやらは無関心でいるか、本来的なオタクの性向とは切り離して純粋にアイドルとして愛でていたりする訳で、それをごっちゃにしているところに分かってなさが感じられる。「もしドラ」だって敷居を下げはしたけどそれが爆発的なヒットの理由になているかというとちょっと違う。最初は読みやすさ、そして後は流行っているからちうトートロジー。そうした事情を勘案しないで似たような表紙のものを並べて討ち死にしているビジネス書の状況を見れば、決して一概には言えないところを臆面もなく断じてみせる記事の微妙さから、振り返って記事に出てきた電通のシンクタンクって奴を見るとあるいは何か行き違いめいたものだって、あったりして電通が阿呆を見るはめになっていたりするのかも。いや共に阿呆な可能性もあるけれど。

 家を出たものの偏頭痛とか背中の痛みなんかから、ちょっとこれは寒さに2時間耐えるだけの体力はないとジェフ千葉の開幕戦をあきらめて、津田沼あたりで「ツマヌダ格闘街」の第11巻を買ったり、モリシアってショッピングセンターでツダヌンっていうキャラクターのぬいぐるみをウオッチハントして津田沼駅の駅中にできたカフェで吾妻ひでおさんの新刊「ぶらぶらひでお絵日記」を眺めながらどうして女子高生は脚が太いんだろうと思ったけれどもそれは描いている吾妻さんがそういうタッチの持ち主だからなのか、それともそういう女子高生しか目に入らないからなのか、分からないけどでも現実にいっぱいいる女子高生の脚がだんだんと太くなっているようにも感じられ。そのあたりも統計学的に調査をとってもらえると有り難く。いや嫌いじゃないけど。でも個人的には黒ストッキングでストレートな髪に眼鏡が、ってそりゃあほむほむだ。うんほむほむだ。


【3月3日】 でも多分、岩渕真奈選手が復帰したらその圧倒的なドリブル突破力でもってトップチームにアクセントを与えるようになってくると思うし、岡山湯郷Belleに入団が決まった横山久美選手だって、ゴール前でのメッシさながらの4人抜きをトップチームのパワーに合わせて鍛え直して岩渕選手に劣らないフォワードの人材としてなでしこジャパンに入ってくると思う訳で、そんな2人が出遅れている間隙を縫ってトップに合流した感じの京川舞選手も、決して万全ではないパフォーマンスを見とがめられて本番となるアテネ五輪の座には残れない可能性だってあるってなでしこジャパンをウオッチしている人なら感じている。

 それのにスポーツ新聞といったら今はリーグトップの戦力を誇るINACレオネッサに入ったからといって、そしてトップチームにいるからといって逸材だプリンセスだとはやしたてる一方。散々に持ち上げた挙げ句に潰しかねない心配を、ちょっとしているけれどもそこはわかっている佐々木則夫監督が、ちゃんとケアしてトップにいずれ残れる選手へと、仕上げてくれるだろう。問題はだからクラブチームでの頭打ちとなって出られない心配か。トータルでの体力的な懸念はあってもここぞというときの決定力では大野忍選手は流石なものだったし、笑顔に依らず闘争心は満々みたいだし。潰されるかっていうと潰されるならその程度だってことで。しかし少数精鋭+アルファだったなでしこジャパンが選手層の心配をしなきゃいけなくなったとは。嬉しいなあ。

 「やさしいマーチ」を見に文化庁メディア芸術祭へ、ってそれだけが目的ではないけれども、到着するとやっぱり真っ先にかけつけどれくらいのにぎわいかを確認したあとで、何度かそのクリップをループしてみながらそうか眼鏡っ娘の鼻の穴が開くのは、煙草の煙を出すときとそれから頭をポカポカ殴ってから深呼吸をする場面と2箇所あるのかとわかってみたりと、見る度に発見を感じてやっぱりまた繰り返し見てしまう。音楽の中毒性もあるけれどもでもやっぱり映像の魅力も十分で、その2つが重なってこそ、これだけパワフルな映像へと仕上がったんだろー。

 それにしても、ちょっと前までは検索してもまるで出てこなかった「やさしいマーチ」に関するツイートが、メディア芸術祭の会期中にグングンと増えているのはつまりそれだけ外に開かれている度が高い展覧会だってことの現れなんだろー。いくら学生のアニメの上映会とか短編アニメーションの映画祭で流してもそれは一瞬に過ぎる点。メディア芸術祭ではそれが線となり連日の展示で面となって大きく広がる。今さらな「まどか☆マギカ」や街でも読める漫画の展示に意味有るの? って意見もあるけどそうしたものに興味を持たないアートな人に存在を知らしめる意味がある一方で、漫画やアニメ好きな人にこうした優れた短編アニメーションがあるんだってことを教え接続させるちう、諸々の意味がこの展覧会には意味があったんだと理解。だから来年もその次も続いていって欲しいもの。東京工芸大の卒展で見たいろいろとか来年は入ってくるのかな。

 それからアート部門で大賞だった山本良浩さんの「Que voz feio(醜い声)」をようやく通して観賞。ブラジルで生まれて日本に帰ってきた今は老齢にさしかった双子の女性が語る幼少期の記憶って奴で、同じシャワーのズルがついたホースを使って同じように庭に水まきをして同じ歌を歌いながらもちょっぴり違う庭の風景が、ちょっぴりだけど感じさせる2人の女性の差異ってやつが、けれども最初はそんなに強く現れなくって過去を語る双子の仲むつまじい印象すら与えるんだけれども、共に喉にブローチをのみこんで声が醜くなってしまったって事件を語るにつれて、それは双子のどっちかの話であるにも関わらず、同じ記憶として双方が持っていることへのまず驚きが生まる。

 そしてどっちか片方の話である以上はどちらかが、意図するとせざるとに関わらず嘘をついているってことが顕在化して、懐かしさにひたる双子の相貌のどこかに虚偽の違和感が浮かび上がる。まだお互いを個性とは認識しないで、鏡像のような存在として自分の延長のようにお互いを捉えている時期が双子にはあって、というか双子である自分の経験からもそんなことがあって、それは後に撮られた写真なんかを見て個々のエピソードを指定して語られ、親なんかが個々に対して異なる態度を示すようになって分化して個々の記憶として定着していくんだけれどもその歳に、どっちがどっちといった曖昧さでもって語ったり見せたりすることによって双方が同じ記憶を持ったり、記憶が入れ違ってしまたりすることはあって多分不思議じゃない。

 そういうことをあるいは指摘しようとした作品なのかもしれないし、双子という存在が持つどこか美しげで奇跡的なんだけれども、そこの奥にはフェイクな感じって奴があってそれを暴こうとした作品なのかもしれない。末尾に流れる同じようなチェストの上を撮り流しながらも、片方がドレスで片方が着物の双子が並んでいる写真を最後に持ってきて2人の存在の違いを感じさせるに至って、単純に時間という奴がもたらした記憶の混乱というもの以上に、同じ存在が別々の選択を経て至ったパラレルワールドがあったとしたらこうなるかもしれないと、如実に示そうとした作品なのかもって思えてきた。似ているんだけれどどこか違う世界に迷い込んで抱く安心を超えた違和感って奴を、覚えたかったら見てみよう、ってもう会期も終わりに近づいているんだけれど。最後に見ておくか「やさしいマーチ」。ってそっちかよ。


【3月2日】 海外の映画祭で賞をとったタイミングで実は苦労しているんです“アートアニメ”、って記事を打つならそれ以前からこまめに日本人の作家の活動とか作品とか上映会の情報なんかを紹介して、関心を高めるまではいかなくっても認知させる努力をしておけばいいのにこうやて、話題になったタイミングで実はと言っても後出しのジャンケン、ちょっぴりずるさを感じてしまう。というかおそらくは作り手はアニメって切らずにアニメーションって使い分けていたりするんだけれど、それを一緒くたにするのはやっぱり、ものを伝えるメディアとしていかがなものかって気もしてくる。

 それでも以後は心を入れ替え日々にこうしたインディペンデント系のアニメーションがどうなっているのかを、伝えるようになれば良いんだけれどもかつて山村浩二さんが「頭山」で米アカデミー賞の短編作品の候補になったり、同じ賞を加藤久仁生さんが「つみきのいえ」で取った時に、バッと話題に放ってもその後のフォローはまるっきり。加藤さんが今、八王子で展覧会をやっていることをいったいどれだけの人が知っているのやら。結局のところは賞という権威を被せてでしか紹介できない自分たちの至らなさ、だらしなさを、示しているだけに他ならない。

 せっかく毎日新聞って140年とかの歴史を誇る看板があるんだから、その看板の下でコンテンツを育て文化を育てるくらいの覚悟とプライドを、示してくれれば良いんだけれど貧すれば鈍すの言葉もあるように、手前の看板ではなく他の人気にすがってそれを載せればファンの読者を呼べるって発想に、シフトしてしまっているのが今の新聞界。毎日新聞はそれでも浮つかないでしっかり土台を保っているんだけれど、そうでない新聞とかが下品さを全面に打ち出し俗な言葉で人心を誘って内輪に盛り上がっているからなあ、批判もあるけど馬耳東風、そして乖離が生むものは……。新年度を1カ月後に控えていろいろと考えることになりそうな、弥生、3月。

 小説家じゃないし評論家でもないし編集者でもなく、本だって出してない人間には、とてつもなく遠くて険しい山道のそのさらに頂上に存在する日本SF作家クラブが、いったいどんな組織で何をやっているのかってのは、端から垣間見ることすら実はあんまりよくできてなくって、日本のSFの叡智がそこに集結しているだろうという客観的な見地からすれば、なるほど自分は日本のSFの最先端からマラソンでいうなら100回分、あるいは地球を1周したくらいの距離を離されていたりするのかもしれないけれど、そんな人たちが集う場所にプレスとしてなら近寄れないこともないってことで、行って見学した日本SF大賞の授賞式。上田早夕里さんが「華竜の宮」でもっていよいよの受賞となって喜ばしい限り。小松左京さんの受賞は、それが亡くなったことだという理由が悲しくもあるけれども人はいずれ必ず逝く。そのタイミングがこの時期に来て欲しかった助言がもらえない寂しさはあるとしても、半ば必然といえる道を経た人にたいする敬意をもって、その受賞を讃えよう。横田順彌さんには「日本SF古典こてん」のアップデートな版を是非に。

 もとよりSFの界隈には出入りも少ないんで、誰が誰やら分からない中をいったりきたしつつ、あれは何だろうブイヤベースか何かみたいなものをご飯にかけて食べるのが魚介類たっぷりで美味しかったんで、3杯くらい食べてどうにか腹を満たす。日本SF新人賞がなくなってしまって、新しい顔ぶれが加わらなかったのは果たして良いことかどうか分からないけど、そうやって経てきた新人賞で生まれた人たちが、居場所を替えて講談社BOXとか早川とか、幻狼ファンタジアノベルズで活動を始めているようなんでそうしたところでの活動を見守ろう。受賞者はおしなべて栄誉ある日本SF作家クラブの人たちになっているんだから、来年に来るという50周年に向けて大いに盛り上げていって下さいな、部外者にはおよそタッチできることもないんで、ただひたすらに出して来るものを食べて飲んで遊びます。それがプロではないただのファンって奴なんで。

 近賀ゆかり選手といったら夏場のLリーグ(今のなでしこリーグ)で途中で交代となってピッチの外へと退いて、ピッチ内の選手と色が重なることを避けたのか、暑さをしのごうとしたのかユニフォームを脱いでアンダーシャル姿になってベンチへと、帰ってきてくれる姿の男らしさを見ようと何度も当時はまだ在籍していた日テレ・ベレーザの試合へと、よく通ったものだった。レギュラーに定着し始めた頃合いで、それでもまだ代表に入るには若すぎたのかアテネ五輪では選に漏れ、バックアップメンバーとして確か帯同したんじゃなかったっけか。あれから8年。ワールドカップも経てすっかりとなでしこジャパンのサイドバックに定着した感があって、今回のアスパラガス、じゃなかったアルガルベカップでも第1戦第2戦ともに先発出場。第2戦ではサイドをかけあがっては受けたボールを折り返して得点を生み出すチャンスメークまで行った。ほとんどMVP。どこかの侍な青いチームの独から来たサイドバックとはえらい違いだ。

 なるほどアメリカに5点もとあれたデンマークを相手に苦労して2点しか奪えなかったのは、次のアメリカ戦に向けた不安材料かもしれないけれどもそれでもあの攻撃を堪え忍んだ守備はあるし宮間あや選手だけで沢穂希選手も坂口夢穂選手も出さない中盤で、それなりに組み立てて守っていたところを見るとこれからの試合の中で熟成させていけば、いずれ来るだろう沢選手の代表引退の後のなでしこジャパンもちゃんと、しっかりとしたチーム構成でもって試合に臨めるようになってくれるんじゃなかろーか。宮間選手まで抜けた後半の終わりかけはやや中盤が混乱したけど、前戦で永里優季選手が頑張りボールを出させなかったこともあって相手にチャンスを作らせなかった。そのあたりのフォア・ザ・チームぶりもちゃんと生きているなでしこジャパン。次のアメリカ戦を良ければ勝ち、そうでなくても良い戦いをして最終の順位決定戦へと望みしっかりと積み上げていってくれればロンドンもきっと安心だ。岩渕真奈選手だって出ていないんだし。それにしてもあそこでしっかりキーパーを外してきめる大野忍選手は冷静だなあ。余裕というか時に余裕が相手を舐めたプレーになることもありけど今日ばかりはそれが効果的に出た。その余裕をアメリカ相手にも見せてしのいで勝利を、是非に。


【3月1日】 月が代わっても相変わらずにアンエンプロイドな身の上なので、国立新美術館へと向かってメディア芸術祭のエンターテインメント部門で新人賞を受賞した人たちのプレゼンテーションを見物する。「デジタル戦士サンジゲン」って別に「ブラック☆ロックシューター」を作ってるアニメーション制作のサンジゲンとは関係なくって、新潟の専門学校生が作ったアドベンチャーゲームのことなんだけれど、もまだ若いのにそれなりなものを作った上に、テレビの番組表で進行を表すアイデアが乗って、予定調和の戦隊ヒーローの世界って奴に気持ちを没入させてくれる。これで戦隊ヒーローに女性隊員がいればなあ。でも女性のモデリングが間に合わず入れられなかったとか。学校の女子は協力しる。

 続いてOmodaka、って名前でテクノ民謡なんかを展開して活躍するミュージシャンの寺田創一さんが、「河童の腕」や「ホリデイ」といった作品で、独特の世界観を見せるアニメーション作家のひらのりょうさんに依頼して作ったミュージックビデオの「Hietsuki Bushi」のプレゼンテーション。見たけどその映像がシュールな「ホリデイ」以上にシュールでSFで凄かった。いきなりグレイが川みたいなとこにむかってゲロってたら、今度は地上で少年と少女が淡い青春の物語を演じてて、向こうにはSFチックなタワーが建っていて、中で三つ目の美少女と宇宙服姿のふっくらとした少年が、ふれ合おうとして触れあえない悲しみを乗り越えようと頑張ってた。

 平家の落人の姫とそして鎌倉の節との間に生まれた悲恋が題材となっているという「ひえつき節」を、ひらのりょうさんが解釈したのがSF仕立ての人間と異星人とのストーリー。言われてなるほどと分かるけれども、そうでなくても繰り広げられるその映像と、流れる音楽からどことなく切なさが滲んできたりもする。なるほどPV。その組み合わせに気が付いた寺田創一さんの着想の凄さもあって、生まれたこの作品ってことになるんだろう。関係ないけど寺田さん頬にかかる髭が凄かった。しかしちょっとだけ流れた「ホリデイ」もやっぱり凄いというか、あのステージで歌う美女のモデルが山口百恵さんだったとは初めて知ったよホントかな。ノスタルジーとセンチメンタルが満ちたこの映像が、映画館のスクリーンで見られる機会も日曜にあるんで、頑張って行って整理券を確保したい。

 もう1人、成瀬つばささんって人は、iPhoneとかで大流行した「ラップムシ」の作者でボタンによって言葉を選び繋げていくだけでラップができいあがるというアプリを作ったり、やっぱりボタンで音色を選んで作動させるとモニターに星や音符が知ってそれがサウンドになって響きなおかつ、背景にリズムをつけるとそれらがちゃんと音色となって濁らず綺麗に響き渡るという、簡易シンセサイザーみたいなものを作ったりして音楽な人たちから驚かれ讃えられてたりする。

 リズムを選ぶとキャラがポーズを取ってみせるアプリなんかは心地よさから音を選んで作られた音楽とは違う、アニメの可愛らしさを愛でたいから選んだ結果、選ばれたリズムから生まれる音楽の目新しさに着目したものだとかで、これは音楽への画期的なアプローチ。それを実現する装置の発明者、ってだけでも凄いんだけれど、ここで受賞した新人賞はそうしたアプリの制作ではなく「リズムシ」というキャラの提案によってだったりするところが面白い。

 1つの装置にこだわるんじゃなく、創案したキャラを核に様々なものを展開している自分の活動の総体を、認知して欲しいってことの現れか。結果としてグッズになったりガチャポンになっていたりするから、やっぱり見ている人は見ているってことで。男性だけれど可愛らしげで飄々とした人物像で、何でも家でパソコンとか使わせてもらえなかったからノートにパソコンの画面を書いてアイデアを連ねていったとかで、そんな大学ノートが山積みになっていたりするらしい。そこにシャーペンでもって描かれたキャラもアイデアも、今はしっかり作品になっている。人間頑張れば何かになれる、というか何かになった人はやっぱりどこかで頑張っているんだ。

 今はあっちにこっちに情報があって、それを連ねると何か1つのものを作り出した気になれるけど、それは作品でも創造でもない。リミックスでしかないんだ。求めるはオリジナリティ。そう考えると、集中して、熱中して自分にあるものは何かを考える時間が、やっぱりクリエーターになるには必要ってことなのかも。そんな成瀬さんが好きな音楽はマイルス・デイビスとビル・エヴァンスとコトリンゴ、って何だこの組み合わせ。その3人しかiPodに入れてなかったりするところにも集中するこだわりってものが感じられたり。ちょっと活動、追いかけていこう。

 Ustreamにある1時間半とかに及ぶ会見を眺め見て、それから報じられている記事なんかを合わせることで、例の民間事故調査委員会がいったいどういうスタンスで、何を言おうとしているのかって辺りは見当がついて、それは決して何かに味方するってんじゃなく、それこそ小松左京さんみたいなロングレンジでの視座から文明を、人類を語ろうとしている内容のものっぽいって感じられたんだけれど、目にする機会の多い報道が、特定個人の批判に流れそれを受けて論じる著名人の意見も重なり、上澄みだけが濃縮されていく奇妙な状況が、報告書の“真価”って奴をまるで見えなくしている感じ。

 それこそメンバーとなっている人たちの経歴とか、独立している民間事故調を送り出した母胎の団体のトップが誰だとかいった周辺情報を並べ立て、そういうものだと断じていたいるす言説が蔓延っていたりして、いやでも会見を聞くと全然そうでもないんだけどって思えるんだけれど、忙しい御仁が1時間半もの会見を丸聞きして、論じ直すなんて面倒なことをするはずもないし、だいたいそれでは特定個人の批判を求める“読者ニーズ”とやらに答えられないってこともあって、なおいっそう進展していく上澄み情報の濃縮化。それを浴びて引きずられる世間の感情は、最も求められる冷静さと真っ当さの逆を行って世界をより深刻な方へと導いていくという、民間事故調の主張とはまるで逆に向かってしまうこの皮肉。いよいよもって終わるのか世界。

 っていうか無料でもらえなかったからってそれを理由に云々するのもなあ、まあ来たメディあは全部入れてそれに配るのがベストではあったんだけれど、場所が日本記者クラブで雑誌は排除されてしまったために、日刊ではあっても雑誌なメディアは除外され、そしてもらえなかったってことなのか、でも待てば有料で手に入る訳だし、内容を云々するならそれを待って精査して報じる成り、それこそ委員の人に直当たりして借りるか見せてもらえば良いものを、もらえなかったことを理由に語るのはやっぱりどこか不思議な感じを醸し出す。

 あと政府ではない民間の機関が出したものを無料で配れって意見の多さにも、それでいったい作った人たちはどうやってコストを回収するんだ? って話がついてくる。まあネットに乗せればコストもかからないけれど、なにがしらかかったコストと労力への対価、ってものを出して悪い話でもない。買ってそれでくだらなければ批判すれば良い訳で。求める割に苦労を避けたい気持ちの叛乱もやっぱりこの国に、責任の空洞化を招いている現れなのかもしれないなあ。

 りのんが潰されてしまったことが理由なのか、発進された救難信号を受けて宇宙からやってきた救出挺も、傍目には攻撃を加えてくる宇宙人に見えるっていうかあの救出挺、人をさらいにきた宇宙人にしか見えないよ。そんな「あの夏で待ってる」はイチカ先輩の正体がだんだんと明らかになりつつある一方で、檸檬先輩がまだ高校生をやているのかと哲朗の姉に突っ込まれてた、ってことは2人は随分と前からの知り合いなのか、そして姉を先輩と呼ぶ檸檬はいつからそこにいて何をしてきたのか。不思議は募るもののまだ決定的な展開はなし。そのあたりはクライマックスで畳みかけてくるのかな。


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