縮刷版2012年12月下旬号


【12月31日】 窓際に張り付いたままで何もせず無為に過ごしたこの1年。人見知りの激しさと狷介な性格も災いしてか、お誕生会とかクリスマス会とか結婚式とかに呼ばれ華やかな場所で歓談しつつ素敵な出合いを得るようなことも皆無で、忘年会すらまるで無関係に年の瀬を過ごし年明けも新年会の予定など2013年12月31日まで入っていないというこの体たらくに、神様もかわいそうだと思ったのか秋に出た山下達郎さんのベストアルバム「OPUS」の発売を記念して、過去から最近までのアルバムジャケットがプリントされたTシャツをプレゼントするキャンペーンにどうにか当選。そして3枚のTシャツが届いてこの年の瀬を、ちょっぴり幸福に締めくくることができた。安いなあ。いや安くはないか。

 だってアルバムジャケットのプリントだよ。滅多に手に入るものじゃない。種々あれどどれも素敵なデザインの中から、とりわけ個人的にアルバム自体のクオリティを気に入っている「MERODIES」とそれから達郎さんのアルバムでは初めてCDとして買った「PCKET MUSIC」、さらに最初のアルバム「CIRCUS TOWN」という絶妙にして巧妙なアルバムのジャケットが並んでいたりして、眺めるだけでその音楽の変遷って奴を感じ取れる。とはいえあんまり最近のがないんだけれど。3枚の中では1番新しい「POCKET MUSIC」からだって26年経っている訳だしなあ、それって四半世紀以上だよ。まあでもだからこそ聞き込んで耳に馴染んだアルバムではあるんだけど。

 選ぶ時に1つ気にしたのはやっぱり達郎さん自身が描かれているのが1枚は欲しいってことでそれならやっぱり狙い目は「RIDE ON TIME」だったんだろうけれども競争率が高そうだったんで遠慮。あと「IT’S A POPPIN TIME」と「GO AHEAD!」にも達郎さんが出ているけれどもイラストめいたアレンジになっているのとあと、組み合わせが「IT’S A POPPIN TIME」だと「TREASURES」に「COSY」でイラストとフィギュアの達郎さんという達郎づくしになってしまう。「GO AHEAD!」だと「ON THE STREET CORNER3」に「JOY」でいささか地味に。そう考えると自分のってベストな組み合わせだったのかもしれないなあ。でもやっぱりジャケットとして人気でいうなら「FOR YOU」か。誰か当てた人いるのかなあ。観てみたいなあ。

 彼に「村山談話」を破棄することも覆すことも出来る訳なんかないんであって、せいぜいが「小泉内閣総理大臣談話」のように、過去における過ちはそれとして認めつつ、自分の名前が冠された談話を出して何かやったように見せかけることに留まるんだろうけれど、今のところはその中身について突っ込まれず、自ら詳細に語ろうともしていないで、周辺に過去をひっくり返して自分たちは悪くなかったんだと言うんじゃないかと、そんな期待をふりまきそうした自分たちに都合の良い形への、歴史の修正によって溜飲を下げたい一部の喝采を浴びて、いい気分で年を越そうとしているだけなんだろう。もしも本気でそれをやろうとするならまず前の政権の時に、同じ「村山談話」を認め踏襲していくことを、国会の場で明言したものを取り消さなくちゃいけなくなる訳で、それはつまりは過去の自分に対する裏切りであり、国会という場への冒涜でもあって容易にやれるものではない。やって良いものでものない。

 それでも強行に突破しようとしたなら、内外から食らう反発は半端じゃない。過去を悔いてこれからの関係を築こうと尽力されてきた、聖体そのものへの挑戦とも言えそうな言説であっておそらくは四方からそれはやめておいた方がいいといった示唆がはいって、これからの関係をより協力的にしていきましょうといった言説に収まるんじゃなかろーか。それとも本心ではずっとそう思っているのに、そういう風にはしたくないインタビュアーの誘導なり、牽強付会なり針小棒大によってさも「村山談話」までをもひっくり返す気満々といった感じで記事にされたとか? あり得ない話じゃないけれど、まあそこは今の時点での以心伝心からぶっ放してみただけなんだろう。でもって実際には竹島の日なり靖国参拝なりといったものと同様に後回しにされるという。威勢の良さは口先だけで中身はまるで伴わないのは前の時と同様。そして飽きられ落胆されて捨てられるという。とはいえ前と違って次の選択肢なんてもうないんだけれど。参ったなあ。

 コミックマーケットにも行きたかったけれど、流石に玄関先が本で埋め尽くされて身動きがとれなくなっているのを何とかしないと年も越せないと、一昨日に続いてダンボール箱に本を詰め込み倉庫へと運ぶ繰り返し。文庫本とか詰め込んだ箱を1回運び2回運んで3回まで運び都合大箱2つと中箱2つの4つを運んで打ち止めにしようと思ったものの、まだまだ玄関先が空かずガスレンジにも手が届かない状態だったんで、さらに1箱を入れて運んで今日だけで5箱、一昨日も含めると11箱を運んでどうにかこうにか足下が見えるようになって来た。でもまだ左右には壁のような本があって、動くと崩れる状況に変化なし。さすがに疲れたので体調も考えこの辺で今年は打ち止めにするけれど、身動きがとれるようになったところで更なる整頓を進めるために、年明けにさらに何箱か運びたいもの。そう去年も思ってやらず玄関が本で埋まったんだけれど。繰り返すこのポリリズム。紅白のPerfumeって何時からだっけ。

 というわけで今年もどうにか終わりそう。来年は年男で体調もガクッと下がりそうだけれど、そこは窓際力を発揮して焦らずのんびりと過ごしつつ、ライトノベルだけは頑張って読んでいこう。オーバーラップ文庫とか創刊されて、MF文庫Jで人気作品だった「IS」が何か訳分からないうちに移籍したりしていて、なおかつ絵師がokiuraさんからCHOCOさんへと交替になったりして、いったい何があったんだろうって考えるとろがありそうな事態も起こってたりするライトノベル界隈。数が増えて競争も激しくなって関わる人たちも大変そうだけれど、こっちは出るものが出れば読むだけの気楽な立場、とはいえ月に出る量が半端じゃないため、買う冊数は増え部屋が埋まる速度も上がり財布が薄くなる頻度も高まっている。苦しいなあ。それをこなしてこそ見られる世界ってものもある。だから貫くしかないこのライトノベル読みの道。頑張る。体力とお金の続く限り。お金の……続かないかも。


【12月30日】 向こう側を見てみたら、わたしよりもぜんぜんすごいひとがいて、でも、そのひとたちも、わたしと同じ体温や生活を持った、ひとりの人間だってってこと、ぜんぶ、この場所にに集まるみんなから教えてもらった」。沼田友さんの短編アニメーション「15時30分の拍手喝采」でコミティアという創作系の同人即売会にやって来た参加者が、ひとり語るその言葉こそが即売会に参加することの大きな意味。ネット時代にデータ自体は簡単にやりとりできるだろうし、同人誌を専門に扱うショップもあって、そこを通して買ったり通販したり出来るようにもなっているけれど、その場にあってそこに来た人たちと交流し、そうでなくてもそこに居ることの大切さを、思ったときにそんな場を奪われた今回のコミックマーケットにおける頒布の停止は、どうにも悲しいし、やりきれない。これが最後のベテランもいたかもしれないし、これが初めてという人もいたかもしれない。そんな機会が奪われてしまった。どうしてなんだと当事者たちはきっと複雑な思いを抱いて今日を迎えただろう。

 僕自身はたんなる一般参加者であって、特定のタイトルに深い思い入れはなく、そしてサークル参加したこともないから、どれだけの悔しさや悲しさを当事者たちが味わっているかはただ想像っするよりほかにない。それでも想像するだけでも浮かんでくる諸々の思いはやっぱり悲しみと憤りに彩られている。がらんとして机の上に折り畳まれた椅子が置かれた東1ホールの様子を眺めながら、こうした事態を今回で終わらせなくてはいけないと思っているけれど、どうやったら今回だけで終わらせられるのだろうか。犯人が捕まればひとつは片づく。でも、別の同じような事態がまたしても起こったとしたら。それが繰り返されたとしたら。コミックマーケットに限らず表現することへの甚大な被害がもたらされるこうした事態を官憲は、国は、そして誰しもが重大事として受け止めなければ、やがてあらゆる表現が縛られ、その隙間を縫ってとんでもない表現が浮かび上がって来ないとも限らない。今日が非日常的な形とするなら、これをピークとして以後、日常が取り戻されていくことを切に願う。どうやって。どうしたら良い。それが分からないから怖いんだ。

 原子力規制委員会とやらが常に無謬とは限らないし、原発の新規設置はともかく再稼働については昨今のエネルギー事情なんかを勘案しつつ、将来の再生可能エネルギーへの転換なんかもスケジュールに含みながら、10年とか20年とかの期間をとりつつ移行していくのがお国の事情なんかも考えるならベターとは思っているから、それで稼ぎたい儲けたいという電力会社の意図があるかないかは別にして、ひとまず大きな問題がなければひとつステップを進めてみるのもひとつの手かもしれないとは考えている。各地の原発の建っている場所に活断層があるという原子力規制委員会の判断も、その活断層がいったいどれくらいの危険度をはらんでいるのか、敷地内にあったとして施設にはどれくらいの影響をもたらすものなのか、なんてことを調べ考え判断していく道があるなら、それは探ってみたら良いんじゃないかと感じている。けれど。

 やいやい原子力委員会よ、お前らの言っていることは嘘八百だ、お前らがそうしたいから虚偽を並べ立てているだけだと言わんばかりの論調で、原子力規制委員会の判断を糺すような文章を新聞が書いていることは、果たして真っ当なのか否か。たしかに電力会社だって過去に調査をして来てその結果、それが危険度の高いものではないという“結論”を得ているのかもしれないし、今だってそういう調査をやって、独自の判断を出そうとしているのかもしれない。だったら新聞はそうした結果を得て積み上げ並べた上で、原子力規制委員会に対しておかしいのではいかと議論を挑めば良い。相手だって調査結果を非公表にするようなことはしていないんだから、2つを並べて論陣を張った上で読者に判断を仰げば良いにも関わらず、ろくすっぽ調査もせず反論にも耳に蓋をしたかのような態度だったと指摘した上で、お前たちは暴走気味だと罵倒する。そこに科学もなければ論理もない。公平という職業倫理すら欠けている。

 そんな“応援”を得たところで電力会社は喜ばないだろう。お前たちは反原発勢力の思惑に乗っかり、最初から結論ありきで答えを出しているんだという罵倒はそのまま、新聞の側ではなくそれが味方した電力会社に帰ってくる。最初から稼働ありきで調査して答えを出しているんだろうという反論が、電力会社に跳ね返ってどれだけ真摯に真剣に調査をしているんだと言ったところで、世間は耳を貸さなくなる。何とも迷惑な話。こんな味方だったら多分いらないって思いそうだけれど、新聞は自分たちこそが“正義の味方”と信じているから質が悪い。いじめにあってる子供が頑張って自分自身を高めようとしているところにしゃしゃり出てきた、親でもない通りすがりのおっさんが、張り切っていじめている相手に罵声をぶつけて去っていった後の子供がどうなるか。さらにいじめを食らうだけ。それを分かってやっていても質が悪いけど、心底からの正義と信じてやっているからさらに拙い。どうにかならないものか。どうにもならないんだろうなあ。だから結果が既に……。困ったなあ。今年も困りっぱなしだ。

 困ったついでにいうなら安倍晋三総理は、どうやら官邸でのぶら下がり取材には応じない方針で、そのこと事態に異論はない。たったの1言2言を取り出す取材はテレビにその日の首相の動静を乗せられるし、ときどきの事象についてコメントをもらえるっていう有り難みはあるけれども、多分にテレビ向けの埋め草的なものであって報道という観点から見るならば、何を言うか分かり切っていることを敢えて聞いてコメントをもらう以上のことにはならない。時に失言する人もいなかった訳ではないけれど、それは資質も問題であってぶら下がりでなくても底が見えて排除される。やる側もいちいち張り付いていなくちゃならない人の無駄。それこそカメラとマイクを置いておいて自由に喋らせたって済むような話を、敢えてやる必要なない。それは小泉総理の頃からずっと言ってきた。だから安倍総理がやらないということに改めて異論はない。ただし。

 民主党が忙しいからと言って対応を止めた時に、どうしてぶら下がりをやめるんだ知る権利の侵害だ嫌なことを聞かれたくないのかと大騒ぎしたメディアがあったという事実、そしてそのメディアが安倍総理のぶら下がり拒否を取り上げて、敢えてやる必要はないと仄めかしていたりするこの食い違いは、やっぱり指弾されてしかるべきだろう。相手を見て言説を変えるというのは言論機関として下の下の下の下。というより言論機関と名乗ることすらおこがましいのに、この1件に限らず竹島の問題についてナイーブな対応を取り、靖国の参拝にも慎重な姿勢を見せたことに、かつて竹島への強硬な態度を主張しそれをしない民主党を罵倒し、総理が靖国に参拝しないことをあげつらって参拝すれば勝てるぞと訴えた新聞が、安倍総理ではそういう主張をまるっと引っ込めている。安倍総理の行動は為政者として多分正しい。そして前の民主党政権での対応も為政者として正しかったにも関わらず、同じことをして人によって言説を変えるそのメディアに矜持はあるのか。ないんだろうなあ。あれば口が裂けてもこんなことは言えない。それとも裂けちゃってるんだろうか。見てみたいなあ。その口を。

 まあAKB48が日本レコード大賞でも良いかなってのは曲が「真夏のsounds good!」だったかれで樋口真嗣さんのプロモーションビデオはあれで凄まじかったけれども白い水着で何十人もが踊るビジュアルはやっぱり最高。そして楽曲も良かった。1年で1番気に入った曲といえば言えそうでそれは去年の「フライングゲット」とも同様。そんな曲を年に1つでも作り出せる秋元康さんはやっぱり凄いなあ。そして特別賞にきゃりーぱみゅぱみゅが登場。喉が悪そうだったけれど歌えば綺麗な声が出る。本当か。本当だろうさそれがプロだ。なんて。明日は明日で紅白歌合戦に登場するからこれもやっぱり見ないとな。それが義務って奴だ。あと誰を見たかったかなあ、金爆はどうでもいいややるまえから何かやらかしそうだと分かっている奴らを見ていてそれに乗るのってはっきりってつまらないから。そういうものだ。


【12月29日】 つまりは青と赤は仲良く喧嘩していたんだけれども赤の王が先に弱ってもうダメっぽいんで、青にケリをつけてもらとうとしていた、そんな矢先に身内が殺される事件もあったんで犯人の捜索と始末をひとつのダシにして、学園島へと乗り込んでいって騒動を起こしたらやっぱりやって来た青の王。周囲で戦う手下なんかはほったらかして2人でドスバスとやっていたところに無色の王なんてものも絡んで来てそれを押さえ込んだ白銀の王が2人の戦いに割り込み赤の王にやられて復讐はどうにか落着。そして赤の王はダモクレスの剣を落とさずクレーターも作らずに消え去り、白銀は何処かへと消え青だけが残ってまた歩き出す、って感じで良いんだろうかアニメーション「K」。

 まとまったと言えば言えるけれどもそもそも無色の王って前は三輪一言って人に入ってた訳でその時はこれほど悪さをしなかったのに、三輪一言が死んだとたんにあっちでこっちで大騒動。そうなるだろうときっと予想もついてだろうにそれを黒に任せて死んでしまうとは三輪一言様っていったいどれほどの人だったのか。あのやんちゃを押さえ込んでいたんだから、そしてそれでいて黒を手下にするくらいだったんだから相当凄い人だったんだろうなあ。そんな話も読みたいけれども書かれるってことはあるのかどうなのか。そして消えたけれども不死身が持ち味の白銀の王はいったいどんな姿で甦るのか。さらに消えた赤の王は次に誰が受け継ぐのか、ってあたりが続編で語られるのかそれとも違う話になるのか。どっちゃでもええけど淡島世理ちゃんだけは出したってや。あんこぎょうさん乗せたるきに。

 雨が降るかと思って見上げた空が案外に晴れそうだったので部屋を狭くしている本を少し減らそうと、ダンボール箱に詰め込んで西船橋にある倉庫へと1箱2箱運んで疲れたので天麩羅そばを食べて年越し気分を味わい、それからまた3箱4箱と運んでもうダメだこれは疲れたと電車に乗って新宿まで出て加賀屋って紀ノ国屋書店の中にある喫煙具の見せて福袋を眺めたらいつもは確か5000円のものが今回は50周年ってことで1万円になっていた。中にジッポライターが2つと灰皿やら何やらとそして雑貨も入っているって触れ込みで価値は3万円分くらいはあるらしいけど流石になあ、1万円はちょっと出せない。5000円でライター2個なら嬉しい気はあっても1万円でライター2個にプラスアルファのアルファがいったいどれほどのものか。それが見えないとちょっと手が。逆にいうなら凄いと分かれば買ってしまうかもしれないんだけれど、そういう情報って回ってこないもんなあ、それが福袋って奴だけれど。勢いで買ってしまうかなあ。

 それから向かいの漫画売り場で速水螺旋人さんの「大砲とスタンプ」を1巻2巻と揃い買い。兵站ってつまりは補給を行う部署に配属された女性の少尉が得体の知れない動物なんかとも関わりながらも真面目に仕事をすると周囲の不真面目に引っ張り回され大変といったストーリー。あんまり真面目にやり過ぎるものだから偉い人の密かにやってた横流しとか見つけてしまってそれとは知らず偉い人に報告に行って直属の上司に責任を押しつけられてしまったりといったこともしでかすけれど、そこで諦めず吶喊して逆転するあたりはやっぱり才能があるってことなのか、兵站の。戦うことはしない紙の軍隊ではあってもそれがいなければ軍隊はまるで動かない。大事でそして大変なお仕事をユーモラスに、それでいて抑えるところはしっかり抑えて描いた画期的革命的戦争漫画、かもしれないなあ。アニメ化はさすがに無理か。

 あとすえみつぢっかさんって人の「リバーシブル!」も1巻2巻とまとめ買い、って本を片づけに行って本を買ってどうするんだってことになりそうだけど、本を片づけたからこそ本も買えるってことだと納得。なるほど部屋が片づかないわけだ。作品はといえば何かやらかしたお金持ちの家の息子が謹慎がてらに転向させられた先は何と男子校。でもって学生の半分が女装を義務づけられているという。なんだそりゃ。でもって少年はまずは女装からと早速進められては慣れないスカートをはいてそしてパンティも身につけ見事にかわいい女子になって自分ってもしかして……って目覚めるかというとそうでもなくって、世話してくれるコーディネーターの美少女も中身はやっぱりと思ったりして迷ったり焦ったりするというストーリー。自分は今どっち側にいるんだろう。そんな風に揺さぶられて心を試される。

 女装することが好きでも女性になることではないって人はやっぱりいて、一方で女装することで女性になりたい、というよりかは女性になりたいからこそ女性の恰好をするという人もいて、外見は同じ女装でもひとくくりにして考えられないところが異性装とかトランスとかいったものの判断の難しさ。女性になりたいからといってそれで男性が好きだとも限らず男性だけれど女性になりたいけれども隙なのは女性だという人もいる。実に複雑で多様な問題をただかわいい娘になりたいんだっていう「男の娘」として観察し喜んで話題にしていると、こぼれたり埒外にされたりして悩み苦しむ人もいるってことを話題にする人たちは考えて頂ければこれ幸い。男性の側に限らず女性の側にもまた様々なジェンダー的悩みがある訳だし、、ひとくくりにしない意識を常に抱く努力を。

 戻ってさらに追加した2箱はちょっぴり小さめだったんで2つまとめて倉庫に運んでこれでひとまず今日は終わり。どうにかこうにかガス湯沸かし器に手が届くようになった。これで温水で体を拭ける。ずっと冷水摩擦だったんでちょっとキツかった。とはいえ見渡した玄関には未だに本が山積みとなっているという。あれだけ運んでも大勢にまるで影響なし。明日は別に用事があるんで大晦日に頑張って4箱くらい運べばガスレンジも使えるようになるんだろう。掘り起こしているといろいろ見つかるのは常だけれども今回は「青い文学シリーズ」って名作をアニメにしたシリーズのブルーレイディスクが見つかった。買ってあったのは知っていたけど中に「ねらわれた学園」の中村亮介さんの手がけた作品もあったんだと気付く。「走れメロス」。どんな風に似通っているのか見てみるか。でも疲れたので今日は寝る。

 去年に石川県の護国神社で国を憂いたらしく日章旗を傍らに腹を切った大学生がいたということを紹介している、とある新聞のコラムがあったんだけれど、まず第一に国を憂おうが何であろうが自殺することを、何やら覚悟がある態度だとかいって美化する筆致が下品で下衆。どこかの独裁国家でもあるまいし、声を上げてぶつかっていくことは誰にだって一応は認められているこの国で、そういう行動をとれを知ったするならまだしも死んで何かを訴えることを称揚して、後に続く者がいたら記者はその責任をとれるのか。死んでしまう命に責任をとれるのか。とれやしないしとる気もないだろう。というか国を憂う国士を気取るなら若者に任せておけるかと自ら腹かっさばいてみせるくらいのことをするだろうに、記事でそういう人がいたと紹介するだけ。さあ後に続けと言う自分は安全圏から叫んでる。みっともないったたありゃしない。書くべきはそれによって何も動かなかった死の無駄であり、取るべき行動の道筋。それとも後に大勢が続けば何かが分かるとでも思っているのか。若い奴らを無駄死にさせただけの特攻をまたやらせる気なのか。その気なんだろうなあ。特攻を美しいと思っているんだろうなあ。でも自分は特攻しない。心底から歪んでいるよなあ、とある新聞の言論は。


【12月28日】 とりあえず見どころを語っておくなら森雪の尻、であったという「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」は、前の第三章でとっつかまえたガミラスの美少女パイロット、メルダ・ディッツが誰かヤマトクルーといい仲になるなんてことはなさそう。むしろ見どころは大塚明夫さん演じる顎割れドメル将軍の本格的な登場に、中田譲治さん声の潜水艦乗りなんかも加わって良い声男性声優の揃い踏み。もちろん筆頭はデスラー総統の山寺宏一さんで、そこに若本規夫さんや掘勝之祐さんなんかも加わって、聞くほどに耳の置くまで染みこんでくるような音の世界を楽しめる。よく揃えたなあ。これを聞きに行くだけでも価値がある第四章。でもやっぱり見どころは森雪の尻。見上げるそれは丸くて柔らかそうで。触りたいなあ、触れるものなら。

 第四章ではエンディングのスタッフロールに絵コンテで第何話だったかに片山一良さんが参加しているのを見て懐かしくも嬉しい気分。長編アニメーション映画「いばらの王 King of thon−」の劇場公開の時に話を伺ったことがあって映画を作れることを嬉しそうに話してたっけ。日本はでも有名過ぎない監督のシリーズでもない作品にお客さんがわんさか来るような国ではないのが残念なところでそれほど知られないまま公開が終わってしまって今ではどんな人が覚えているのやら。でも作品としてはアクションもありストーリーもあって見入らされたものだった。その仕事ぶりが今また「ヤマト」の中で炸裂する、となるとこれは見に行かなくちゃいけないなあ。幸いにも1月11日、公開前日の前夜祭的な上映のチケットが取れたんで試写ではなく観客として見に行かせて戴くことにしよう。最前列から見上げる森雪の尻はきっと、ってやっぱりそこかい。

 ちょっと前にはヨーガとか瞑想に浸っていた滝本竜彦さんが、知らないうちに今度はタロットカードで占いに没頭中とか。自分の心の奥底を探り迫るヨーガや瞑想とは違ってタロットは自分というより自分の外を他人も含めて占うツール。自分を占うことってのはあんまりしないのが占い師なだけに、どういう心境の変化なんだろうという気もするけれど、さまざまな意味のあるカードの並びから、さまざまな風景を浮かべストーリーを紡ぎ出すのは相当な沈思に黙考が必要で、それはカードを通して自分の想像力であり創造力と向き合うってことでもある。クリエーターにはだから必要なスキルってことで、それをタロットを通じてなおいっそう、育み始めているのかも。ってことは何か創り出してくれる時も近いかな。読みたいな新作。

 昨日の朝日新聞の夕刊にあのプロ野球画家、ながさわたかひろさんが堂々に登場している姿を見てこれはやっぱり最終日だけれど見て置かなくちゃと神楽坂のeitoeikoってギャラリーにいって見た「ながさわたかひろ展 延長線」。去年も見たけどヤクルトスワローズの試合を全部行ってはその試合の様子を絵にしていくという執念の塊のような仕事ぶりを見せてくれる人で、行くと去年はまだ小さかった1枚が大きくなってそこに何人もの選手が描かれ1試合の1場面というより流れがそこにくっきりを描き出されているようになっていた。見れば1つの試合の感動を甦らせられるというもの。もはや絵巻といって等しいそれを描くのに一体どれだけの労力をかけたのだろう。そしてどれだけのリターンを得たのだろう。ってリターンはこれ実は得てないのです。画家なら作品としれ売れば良いってことになるものだけれど描かれているのがリアルなヤクルトの選手だけあって、なかなか売ることができないって去年確か話してた。

 本人も好きな一場投手が所属する球団への愛を形にする行為としてやっているところがあるから金銭的なリターンよりもそれでヤクルトファンが喜びヤクルトの選手が喜びヤクルトの球団が嬉しがって一場選手が面白がってくれたらそれで良い、ってところもあったんだろうけれども今年をもって一場選手も退団で、よそに移るという話もあったものの現時点では立ち消えになってどうやら引退の可能性が濃厚。強い思い入れの1つが途絶えたということでながさわたかひろさん、夕刻にUstreamの中継でついに「プロ野球選手の引退」を発表した。画家じゃん別にプロ野球選手じゃないじゃん、というのは外野の意見で当人はヤクルトという球団に所属し選手としてヤクルトの試合を描くという、そんな思い入れでやっていたとのこと。だからこそ緊張感を持って1試合1試合を見てそこから重大な場面を浮き出し絵にして描く、それも1シーズン続けて描くことが出来た。単なるファンじゃあそこまでの切迫したようなスタンスで、なかなか臨めるものじゃないからね。

 それが途切れてしまった。途絶えてしまった。さあどうする、となって決断したのが「プロ野球選手としての引退」。ここでヤクルトから専属の画家として迎えてもらえたら、同じようなスタンスで続けたかもしれないけれどもそういう小粋さを発揮できる球団って感じじゃないみたいだしなあ。ちなみに一場選手が前に所属していた楽天イーグルスはながさわたさんが1年を通して描いた絵を、一場投手が移籍してながさわたかひろさん自身もヤクルト所属を表明した後になって仙台のクリネックススタジアムに飾りたいと申し出て、1年にわたってコンコースに飾っていたという。さらに楽天の事務所へと招いて2005年、一場投手が楽天に入団した年のユニフォームをプレゼントして感謝の気持ちを表したという。何と小粋な。そういう配慮が出来る球団なのに違うところではいろいろなんだよなあ。不思議。ちなみに楽天はながさわたかひろさんの展覧会に花を贈り続けているというから凄い。そのまま専属として引っ張っちゃえば良いのに。アメリカには球団専属のアナウンサーがいるんだから球団専属の画家がいたって不思議じゃないのに。

 でもそこはやっぱりヤクルトへの思いが強まっていたというながさわたかひろさん。201年に高田監督が途中で辞任するハメとなった試合、折しも楽天が相手でどっちに自分は心を寄せているのかを、確認する意味も含めて行った試合で敗れ、引っ込む高田監督に罵声が飛ぶのをどうしてと思いつつ自身の中にヤクルトへの思いが生まれているのを知ったという。深いなあ。そして描き続けた3年間。それでも専属への道は開けなかったその思いを、憎しみに変えることなく来期は一画家としてプロ野球の試合を描いていくことにしたいとか。毎試合を描くというハイテンションの中だったからこそあれほどの切実で高密度な絵が描けたんじゃないかと思う一方で、ご本人はユルく描く中から新しいものも生まれてくるかも知れない、それがひいてはヤクルトの勝利、そして優勝へと繋がるかもしれないとポジティブな気分でいるらしい。

 ならば仕方がない、記録員から少し下がって観察者として眺め見つけたヤクルトの良いところ、そしていたらないところを絵にしてぶつけることで共に強くなり、そして最後を小川監督の胴上げの絵で締めくくれればこれほど素晴らしいことはない。そうなるかならないか。なれば万歳、ならなかったらそのときこそ、巨人でも横浜でも良いから専属の画家として雇い試合の様子を描かせよう。朝日新聞にまで取り上げられた画家が描く深い愛と強い理解に基づいた試合絵巻。並べ見るだけで1年のシーズンをふり返られる二次元エンターテインメント。確実にひとつのジャンルとなって後世に残り、それを支えた球団も良き理解者として名を残すだろうから。ちなみに来年に京都市美術館で行われる版画トリエンナーレに野球塗り絵が出展されるそうなんで、関西の人はどんなものかを見ておくのが吉。すげえと思ったら阪神に専属として雇い入れるべし。本人が阪神入りを望むかは別だけど。一場選手が移籍すれば確実に付いて行くだろうけれど。

 そんなながさわたかひろさんのプロ野球選手引退の陰でひっそりと、松井秀喜選手の引退も発表されていて寂しいというか残念というか。やればまだやれる選手なんだけれどもやらせてもらえる場所が年齢とか年俸の絡みから見つからずあてはまらないままやれるだけの体力も練習量も減ってしまっていって遂にといったところ。日本に戻ればそれこそ練習だってたっぷりできるし試合にだってどんどんと出してもらえて現役として確実に復活できるんだけれど、それを潔しとはしなかったのは何なんだろうなあ、プライド……って松井選手にそういう感じの我はあんまり感じられなかったから最高峰の場所で最高級の仕事が出来たことでもう、十分だと感じてしまったのかもしれないなあ。ワールドシリーズMVPという高み。それを経てなお日本でってことにはなかなかならないか。いずれにしても偉大な選手がまた1人。結局日本から行った野手で真っ当に活躍できたのは彼と、イチロー選手くらいってことなのかなあ。メジャーってやっぱり壁が高いなあ。それを乗り越えた松井選手は凄かったし今もなお乗り越え続けているイチロー選手は素晴らしいなあ。


【12月27日】 だってだよ、あの「軽井沢シンドローム」で超スタイリッシュなキャラクターって奴を見せてくれたたがみよしひささんがだよ、キャラクターを描いているアニメーションが放送されるんだから、これは期待するなという方が無理だったよ。でも実際に放送されたそれは、たがみよしひささんのテイストを真似よう真似ようと努力はしてあったけれども、たがみさよしひささんならではの顔立ちとかポージングって、たがみよしひささんが自分で紙に描くからこそ引き立つもので、それを誰かが真似て描いてなおかつ動かすのはやっぱり超絶的に難しかったみたい。

 そして放送が始まった「超攻速ガルビオン」ってテレビアニメーションを僕は、1度か2度見てこれはいったいどうしたものだろう、これをいったいどうしたら良いんだろうという気持ちに沈みこんで、同じ時間にテレビにチャネルを合わせなくなったんだった。遠い日の思い出。その後にどうやら番組が終わってしまったようで、当時はそれがスポンサーの倒産による打ち切りだったとは知らず普通に最終回を迎えたんだろうなあ、くらいに思っていたらとんでもない終わり方だったとか。でもってその後にフルバージョンがパッケージ化されることはなく、もちろんOVAとかで完結編が描かれることもなく幻の中の幻とされてしまったアニメが何とバンダイビジュアルからブルーレイディスクボックスとDVDボックスで発売されるとなって天地がひっくり返った気分。

 まあDVDボックスくらいならあり得る話だけれどもどうしてBDにまでするのかな、ってところが謎だけれども逆に考えるならもう多分2度はボックスにならないアニメに注目を集め、好事家に買ってもらうために敢えてバンダイビジュアルのサイト限定にしたのかも。「キスダム」とかもそんな感じで盛り上がったし。しかしどうするかなあ、完結してないんだよなあ、でもこれが最後かもしれないとなあ。ほらやっぱり乗せられてる。この勢いで他にもどんどんとパッケージ化なりBD化がされて欲しいなあ、とりあえず「VIRUS ウイルスバスターサージ」とか「HAUNTEDじゃんくしょん」とか「AWOL」とか。「AWOL」はあのhideさんが主題歌歌ってて格好良かったんだよ、アニメも映像はアレだったけれどもギリギリの戦いなんが描かれてて凄かったんだよ。見たいなあ。あとはやっぱり「ジェネレイターガウル」。茶筒万歳。

 おおすごい、これであのオープニングのイントロを弾いたらいったいどんなギュインギュインした音であの旋律が響くんだろうかと想像してみたくなった「ウルトラセブンギター」。ESPってところのV型ギターをベースにしてそこにウルトラセブンにまつわる意匠をこれでもかって詰め込んだギターはたとえばネックにウルトラアイとかウルトラ警備隊のマークが埋め込んであったりヘッドの部分に発光するギミックが取り付けられていたりといたれりつくせり。そこからエメリウム光線は出ないけれども変わりにヘッドの尖端のアイスラッガーは取り外せるようになっている。投げても良いけど戻ってこないから悪しからず。高見沢俊彦さんプロデュースだから音もきっと万全なんだろうこのギター、30万円くらいならファンに飛ぶように売れそうだけれど何しろ283万5000円ではちょっと普通では手が出ない。っていうか誰が買うんだろ。そこに興味。ハローキティなら何でも買う人はいてもウルトラセブンだからって何でも買う人はいそうもないしなあ。

 参ったなあ。もうその担務が官房長官の口から発表された瞬間にこれはどうしたものかねえ、ってと思った稲田朋美大臣へのクールジャパン担当の任命。だって稲田さんといったら過去から現在に至るまで表現規制の急先鋒として立っては、二次元の表現も含めて規制すべしって立場にいたりする人だよ、それがたとえ児童ポルノのように直接的な子供たちへの甚大な被害があるものではなく、紙に描かれた絵だの漫画だの映像にされたアニメーションといったものであっても、そうした“悪書”が存在すること自体が問題だってな立場に立って、表現の自由をおおいにに脅かそうとしている人が、日本ならではの先鋭的で画期的な表現を、世界にどんどん出していこうって運動のクールジャパンを仕切っていったい何が起こるのか。想像するだけで怖くなる。身震いがしてくる。

 一方で激しくライトな方面での発言も目立つ人だけに、或いはそうしたライトな方面を翼賛するような内容こそが、日本をクールに表現した作品だって言って称揚したりしたらいったいどうなってしまうのか。ちょっと前に劇場公開されていた、宗教団体によるなんとかの法って映画みたいにとあるアジアの国が派遣を唱え、世界を侵略するのを日本が宗教心でもって阻止し、世界を平和に導くような内容の物を、どんどん作れどんどん外に出せって言ったりして。いやそれが冗談で済みそうもないから困ってる。何かをプロパガンダするようなものではなく、自由な発想と自由な表現でもって作られたものが世界に売れる。それこそがジャパンクールの真髄なのに、独自の観点に立ったプライドを軸に日本を表現したものを作っても見向きもされない。それが分かっているかなあ。言われたところで分かろうとしないんだろうなあ。困ったなあ。

 ジェリー・アンダーソンさん死去。語るだけの情報はないけれども番組としての「サンダーバード」や「キャプテン・スカーレット」は楽しんで見ていたし「スペース1999」は夜中に放送されていたのを見ていったいこれからどこに行ってしまうのか、って宇宙の深淵に思いを馳せた記憶がある。とはいえやっぱり見たメーンは「サンダーバード」になるのかな、何度も何度も放送されてはそのストーリーの面白さとメカニックの格好良さで子供の頃から結構な歳になるまで楽しませてもらった。サンダーバード2号はそのずんぐりとしたスタイルなのに何故か格好いいというメカニックデザインの不思議さを感じさせてくれた。あれがなければ未だに流線型万歳だったかも。あと人形なのに動いていると人間に見える不思議さって奴も。何より国際救助隊という“思想”を世界に広げてくれた。誰かがやらねば俺たちがやる。その責任を果たせる俺たちが頑張る。今はその域に追いついていないけれどいつか。そして世界がそうなって欲しいと願いつつ。合掌。

 そしてふと気がつくとジェフユナイテッド市原・千葉の監督が大宮アルディージャとかその前はアルビレックス新潟で監督をしていた鈴木淳さんに決まっていた。どんな人だっけ。大宮でコーチをしている小倉勉さんとか元ジェフで広島にもいたっけなイワン・ハシェックの名前も挙がっていたけどハシェックとはうまくいかなかった模様で、小倉さんは大宮に残留。加えて大宮にはジェフレディースで監督をしていたこともある里内猛さんが復帰してこれからフィジカルなんかもバシバシ鍛えていくことだろう。里内さんがいたジェフレディースはJ2だったけれどもひ弱さが消えて昇格争いをするところまでいったっけ。入れ替え戦で敗れたものの次の年に昇格してずっと来てそして皇后杯での準優勝。基礎を作ってくれた人だけに現場復帰を祝いたい。ドイツでの代表はあれはジーコが悪いんだ、きっと。というかジェフだ鈴木監督だ江尻コーチだ、って江尻さん? きっと不審だと鈴木監督が辞任して江尻さんが昇格してそしてふり返るこのエジリズム。どうなるのかなあ。まずはちばぎんカップでお手並み拝見、と。


【12月26日】 せっかくだからとAKB48の面々が登場するらしいコーエーテクモゲームスの記者発表会を見に行って、AKB48のメンバーを何人かこの目でしかと見る。でもきっと街であっても誰が誰かとは気付かなさそう。メンバーでこれ誰って分かるのは篠田麻里子さまくらいかなあ、あとは大島優子さんあたりまで? そんな大島優子さんを筆頭に登場したのは、たかみなこと高橋みなみさん、ぱるること島崎遙香さんに川栄李奈さんの4人、って川栄さんはあんまり知らないなあ、名前も含めて。ぱるるは最近何だったっけ、ジャンケンか何かだったけで名も轟いたんでようやく覚えたけれど、そうやって1人また1人と覚えていく一方で、抜けていく人もどんどんと。全員覚えたころには全員いなくなってしまうのかなあ、いやでも篠田麻里子さまだけは君臨しているはずだと信じたい、100歳まで。

 しかしAKB48を使ったソーシャルゲームとはまたあざといというか、トレーディグカード的にメンバーのさまざまなカードを集めて楽しむだけの、ファン大喜びでそれ以外はポカーンなゲームになるんじゃないのかと思っていたら、意外や中身もしっかりとしていて面白そうで、AKB48のディープなファンじゃなくても遊んでしまいそう。まずタイトルがふるってる。「AKB48の野望」。あのロングセラーにして日本のゲーム業界が誇る戦国シミュレーションゲーム「信長の野望」を出しているコーエーテクモゲームスだけあっ、てやっぱりそのタイトルを出してきたかって感じではあるけれど、ブランドが立っているだけに人に説明しやすく伝わりやすい。聞けばなるほどそんなゲームかって分かってもらえる。これで妙な長いタイトルとか付いていたら、他の多々あるコンテンツと区別がつかなくなるかならあ、バンダイナムコゲームスの新作ってどんなタイトルだったっけ。ほらもう忘れてる。

 そして「AKB48の野望」ってタイトルに相応しいだけの面白そうな内容も持っている、といってもさすがに「信長の野望」みたく1人のAKB48メンバーになって内政や合戦を繰り広げて領土を奪い天下統一するってパラメーターいじりのストーリーではなくって、最大8人だったっけ、それくらいのパーティを組んでゲーム内の世界で領土を広げていくってな感じのアドベンチャーというかシミュレーションというか、そんな感じのゲームになっている。なおかつ面白いことに、キャラクター的にはAKB48のメンバーをそのまま使うんだけれど、それぞれに与えられた属性なりプロフィルが、本人の意思とかまるで関係なくオリジナルのものになっている。

 例えば大島優子さん演じるキャラだと、ナルシストで自分が1番だと思っているとか、本人が聞いたらはたして喜ぶか悩むか微妙な属性をズバッと与えてゲーム内でそう振る舞うようになっている。何でも面倒見の良い板野友美さん演じるキャラとは同じ妖精系なのに仲がよろしくないとか。現実のメンバーを知りその表情を思い浮かべつつ、ゲーム内での属性やら性格やらを見てそのギャップとかを面白がれるのが良いところ。ただ単純にAKB48のキャラを使うだけではあり得ない広がりと重なりってものを味わうことができる。そこがAKBファンにもそうでないファンにもアピールしそうなところ。考えたなあコーエーテクモゲームス。それとも秋元康さんのアイディアなんだろうか。その辺ちょっと気になる。

 かつて世界を支配していた者がいて、今また世界を支配しようとする者がいて、ってキーパーソンをあてがわれているキャラたちがいたり、すごい力を持ちながらも引っ込んで裏方にいたりと興味をそそる属性を守ったキャラたちがいたりして、それらがAKB48のメンバーのスキンを借りて存在しているって感じ。誰を推しても楽しそうだし自分の推し面をそそまま推し続けても楽しそう。クリアって概念があるのか分からないけれども、人を代えて何度でも試したくなるゲームに今のところ思えてきた。とはいえ無料のソーシャルゲームなだけに、そこから先にお金を使わせる仕組みもあるんだろう。それがいったいどういったものなのか、あざといのか必然としてお金を支払いたくさせるものなのか。そこも含めて見た上で、ゲームとしての完成度を測りたい、って実はソーシャルゲームなんて1作たりともプレーしたことがないから、完成度とか分からないんだけれど。これを手始めに遊んでみようかなあ、そう思わせるだけの強さがやっぱりあるんだってことで。次は「AKB48無双」かな。

 ところでうめさんんの「大東京トイボックス」第9巻で、冒頭にソリダスワークスの新作ゲームとしてどう見ても携帯電話か何かで遊ぶソーシャルゲームの看板が登場してたりしたんだけれど、この漫画が「東京トイボックス」としてスタートして、小さなゲーム会社のスタジオG3を立て直す話が繰り広げられた世界と、それから最近のソリダスワークスのSOUP参加に搦めてゲームに対する規制強化の取り組みが語られている世界とで、いったいどれくらいの時間的な開きがあるんだろう。そんなに時間も経ってないように思うんだけれど。未だにコンシューマーゲームが主流で面白がってやられてて、それらを小さいファクトリーでも作り出せるという。

 ただ、それだとソーシャルなんてものがHDな家庭用ゲームとかWiiみたいな体感型の家庭用ゲームとか3DSのような新しいビジュアルを持ったゲームなんかをあっさり下に追いやって、主流になるなんてことは起こらない。そうならないまでも巨大看板でアピールする程の存在感は、まだ出せないような気もする。とはいえ大きく様変わりした現実のゲーム状況を取り入れず、ただ表現規制だけの問題を取り上げ続けるのもどこか妙ってことで一気に、ゲーム内時間を進めてソーシャルの話を混ぜて来たのかも。それも仕方がない。ここから次は家庭用ゲームvsソーシャルなんて対立軸を置いて、本気のゲームって何なんだ、ソーシャルだって本気出せるんだそうじゃないんだって論争を、漫画の中に描いていくことになるのかも。いずれにしても続刊は来年? 遠いなあ。今度はソーシャルすら消えていたりして。

 これは良い。面白い。天埜冬景さんの「白銀の救世機」(MF文庫J)は世界が雪に似たXENOって生物によって侵略を受け、追いつめられていった世界で人類は自らも雪を食らって生き、感情を抑えることによって兵器を操作し戦えるような生物へと進化して生きながらえていた。とはいえ感情を持った人間もときどきは生まれてしまう状況で、戦いに不必要な者はいらないと排除されることが決められていて、そして街を統括する人物の息子のアルツも、なぜか感情を持ってしまってゼノ・トランサーという兵器をうまく操れず、このままでは処分すると言われて最後の試験を課される。だからといって急になくなる感情でもなく、試験の最中に追いつめられ絶体絶命となった時、陥った穴の底で古くからコールドスリープさせられていた少女ユキナと出合い、彼女が強い感情を爆発させて戦う姿に感化され、そしてゼストマーグという旧人類の遺産を受け継ぎXENO相手に立ち向かい、さらに感情のない者を排除しようとするシステムにも挑む。

 もう随分と進化してしまった人類と、旧来からいる人類とが同じ環境で暮らせるものなのか、ってあたりは不明だけれどとりあえず基本的な体の構造は変わっていないみたいで、研究されていた旧人類向けの食事でユキナは食いつなぎ、それをアルツたち新人類も嗜んでは感情らしき者を育ませていく。どうしてそうした感情で相手を倒す兵器が発達せず、ゼノ・トランサーになったのかって辺りも不明だけれどそこは相手の強さが変わり対抗できなくなったとか、いろいろ理由もあるんだろう。あとアルツに感情が芽ばえたことも、説明がちゃんとあるからご安心。とはいえたった1基で世界の運命をひっくり返せるほど状況も甘くはないみたいなんで、ここはいったん失った感情を人類が取り戻していくとともに、それを強さに変えて世界の敵を圧倒していく流れが生まれ、描かれていくと期待しよう。歌は武器だし感情も武器。そういうものだよ宇宙って。


【12月25日】 そして清水由香選手は昨日の皇后杯全日本女子サッカー選手権大会の決勝、INAC神戸レオネッサ対ジェフユナイテッド千葉レディースの対戦をもって引退との報。三井海上火災保険の陸上部で中距離の選手として活躍していながら、テレビで見たらし女子サッカーに興味を抱いてそちらに転向。走ることと走りながらボールを蹴ることってまるで違うはずなのに、そして陸上ではしっかりとした活躍を見せていたはずなのに、どうしてそこまでサッカーに興味を持ったのかが気になるところで、いずれ引退を記念したインタビューなんかがどこかに載って、当時の心境と、そこからの10年って奴を教えて欲しいもの。INAC神戸レオネッサとかに所属するなでしこジャパンの面々が語ることに負けない深みで、女子サッカーへの関心を引きつけてくれる内容になるはずだから。

 集英社の「スーパーダッシュ&ゴー」の2013年2月号に、あの桜坂洋さん原作でトム・クルーズ主演の映画「All You Need Is Kill」の撮影スタジオ見学リポートが載っていて、読んだら丸宝編集長が書いていた。ははははは。本来的にはスタジオの風景とかトム・クルーズのコメントとか実際のところ映画ってどうなのよ的な話も載せてみたかったんだろうけれど、ご多分にもれず撮影中の映画についてあれを語りこれを語るのは御法度で、まだ若かったキリヤ・ケイジがトム・クルーズという年輩の兄さんになっている時点で、いったいどういうストーリーになっているかって興味の向かいどころすら明らかにできない。できるはずがない。

 ならばと敢行したのが丸宝編集長による見聞記で、スタジオを歩いているトム・クルーズに近づきジョン・キャメロン監督に張り付いて「ターミネーター2」への出演を決めた「週刊プレイボーイ」の小峯隆生さん的アプローチでもって映画出演を目論んだものの果たせなかった模様。あの長身ならそのままパワードスーツだって演じられそうな丸宝さんだけれどすでに配役も決まっていたんだろう、パワードスーツ役の、ってそれは流石にないか。ともあれ撮影は順調に進んでいるようで、しばらく前にはピカデリーサーカスを使っての大々的なロケも行われたってニュースが流れてた。今まで話題に上りながらも具体化以前の段階でポシャった作品も多々ある日本初コンテンツの映画化だけれど、これはもう決定的に完成し、公開されることは確実。あとはだからどんな映画になっているかを1年ちょっと先に来る公開日に確認すれば良い。待ち遠しいなあ。でもすぐ来るんだろうなあ。楽しみだなあ。

 随分と昔の話だからぼんやりしているけれども、中沢啓治さんの「はだしのゲン」は「週刊少年ジャンプ」の連載でちゃんと読んでいたような記憶があって、「トイレット博士」とか「アストロ球団」とか「包丁人味平」といった当時のジャンプの人気作品なんかに混じって、異色だけれども引きつけられる作品だなあと思い読んでいた。天皇陛下万歳を押しつける空気へのえもいわれぬ気持ちとか、関わりない人たちが無為に死んでいく、殺されていく戦争の悲しさ虚しさ恐ろしさとかってのを、まだ小学生のどちらかといえば低学年ながらも感じ取れたというか、感じさせた漫画だったってことになる。「非国民」という言葉はもしかしたらこの漫画で知ったのかもしれない。そのとてつもなく息苦しくて鬱陶しくて耳障りで、けれども時として浮かび人を絡め取っていく言葉を。

 原爆というものへの憤りと、それがもたらしたいわれなき差別への悲しみもまた「はだしのゲン」から教わって今も心に焼き付いている。熱線による火傷に放射線による障害なんかを発症して苦しむ人たちが、いたわられるどころかむしろ遠ざけられる状況に憤る主人公の少年とかを見て育った身にはだから、昨今の被災地を遠ざけ排除しようとする空気がとてつもなく悲しく感じられて仕方がない。もしも「はだしのゲン」のそういうところが読まれていたら、今のこの風潮も少しはマシになったかもと思うけど、たとえ今読まれても、原爆の恐さそのものへの感情は煽る一方で、それによってもたらされた苦しみへの共感はなかなか伝わらず広がっていかなさそうな気もする。人は自分が被る害は何であれ避けたいと思うものだから。だからこそ生きて、もっと描き続けて欲しかった中沢啓治さん、死去。折しも世間には政体への翼賛をのみ尊び外れた者を非国民よばわりする風潮が芽ばえ始めている。今こそ読まれ考えられて欲しい「はだしのゲン」。それは説教などではなく慟哭の書なのだから。

 リフレ派じゃない海江田万里さんが新しい民主党の代表に選ばれたからといって、嘆いたり小馬鹿にしたりする人もいたりするけど、実質次の政権には携われない民主党がどうなろうとそれは民主党の話であって、問題はだから自民党が何をしでかすか、ってことなのにそうしたことへの自民党支持者の反応が乏しいのが気に掛かる。少なくともクリエーティブに関わる人、あるいはそうしたコンテンツを愛する人なら、次の自民党の政務調査会長に高市早苗さんが内定し、そして総務会長に野田聖子さんが内定したことに表現規制がいよいよ本格的に始まるんじゃないかと予感して、身震いして警戒して警告を発するべきなんじゃなかろーか。もしも何とも思ってないとしたらそれは大変、おそらく遠からず現れるだろう表現規制によってクリエーティブな仕事に大きな妨げが生じる可能性が大だから。今ならまだ止められる? いやでももう遅いか、そうなる可能性が萌芽していたにも関わらず自民党を支持してしまった時点で。3年3カ月前に勝たせておけば良かったんだよ。

 今年最後の「もやしもん」では長谷川遥が武藤葵や美里薫らとがん首揃えて樹慶蔵教授に怒られてた。誰でも仲良くしたいんならサークルで良いじゃん的な叱責は相当以上の厳しさ。今までだったらそうは言わなかった樹教授はたぶん西野円の日本酒に対する愛憎入り混じった感情から、何か掴んで欲しかったんだろうなあ、まあ武藤葵があっぱらぱーなのはいつもどうりだから良いとして、せめて愛弟子の遙には、って思っていたのかも。そこに現れた宏岡がきっと大人の立場と広い視野から適切な助言を与えて遙たちを立ち直らせてくれるだろう。一方で西野円は沢木直直と結城蛍と及川葉月を吊れて西野円の酒蔵へ。全部ひっくり返すって決意でもって帰った酒蔵でいったい何が起こるのか。1晩をともに過ごしたダーリンとの結納とか待っていたらビックリ。そこまで策士じゃないか西野円。いやしかし。来年が楽しみ。


【12月24日】 サンタクロース居ず仮眠とダウン。特に意味はない。電気毛布を最大温度にしてくるまっても天井から圧力がかかって来るような寒さに凍えつつ、これはどうしたものかと悩んだものの、全日本女子サッカー選手権こと皇后杯の決勝にジェフユナイテッド千葉レディースが立つことなんて、一生に何度もあるとは限らないだけにこれはたとえ相手がなでしこジャパンや韓国代表を多く抱えるINAC神戸レオネッサで、こてんぱんにやられる可能性が大でもその様を目に焼き付けておく必要があるのではと、前売りで買っておいたチケットを握りしめて家を出る午前9時。

 掘り出したzippoのオイル式懐炉を腹に入れ、ウールのタートルネックセーターの下にヒートテックの長袖のタートルを着込みソックスは分厚いウールにしてその上からブーツを履いて、ショットのピーコートを羽織る防寒体制で果たして間に合うのかと思ったけど、風はないのに空気がピリピリとして冷たく足とか結構冷えそうなんで、これは大宮に着いたらヒートテックのタイツも買って履かなくちゃと考えつつ、有馬記念で賑わい始めた西船橋で総武線を乗り換え武蔵野線に移る前に本屋でうめさんの「大東京トイボックス」の第9巻を買って電車の中で読む。

 そうかもう9巻かあ。8巻が去年出た段階でマンガ大賞の次のノミネートはもうないって決まったようなもので、そんな中で第2位に入ったのは僥倖だったけれど第9巻でますますヒートアップしていく内容に、これが第8巻だったら或いはなんて考えてしまった。いやもう凄いよこれは。遠くドイツに飛んで会社に乗り込んできた卜部・ジークフリート・アデナウアーの正体とか探っていた仙水は八方ふさがりで、秘書の品子さんはついに受付嬢にまでなってしまって弱体気味。そんな中でも太陽は相手のお膝元へと乗り込み、不可能と思われたゲームのデバッグをやり抜き納品までこぎ着けたところでようやく動いた卜部・ジークフリート・アデナウアー。太陽を誘い込んでそこで繰り広げたやりとりから、とんでもない事態が発覚する。

 なるほどゲームが持ってる残酷だったり野蛮だったりする部分が、子供に影響を及ぼしそれが事件を起こして身内かが死んだということに、憤りゲームの健全化に邁進していたはずだった卜部部・ジークフリート・アデナウアーだったはずなのに、大きく事情が変わってそこに浮かび上がってきたゲーム規制反対派vsゲーム規制賛成派という対立ではない構図。つまるところはゲームが悪いってだけじゃなく、ゲームの外にもいっぱい問題はあってそれが多くの人を不幸にしたりしているのに、分かりやすいゲームへと矛先が向く風潮への大いなる問題提起が行われた訳だけれどもそんな問いかけに、果たして太陽はどんな答えを出すのか。ますます興味がわいてきた。品子さんはしかし受付嬢姿でも格好いいなあ。

 そんなこんなで大宮まで来たんで、大宮駅のコンコースで店開きしていたユニクロでもってヒートテックのタイツを購入、色は黄緑、ほらジェフっぽいし。近所のそごうのトイレで身に着けそして大宮サッカー場ことNACK5スタジアムへと向かう途中に会った松屋系列のトンカツ屋で勝利を祈念してカツ丼を頼み平らげ、そこから美容院と古着屋の並ぶ斜めの通りを抜けてたどり着いた氷川神社の参道をとこととこ歩いてとりあえず、氷川神社で戦勝を祈願する。100円ではやっぱり足りなかったかなあ。結果を知った今はそう思うけれども、一方であの戦いぶりを見せられたのには同じ関東ってことでそんなご加護もあったのかも。

まだ早かった。でも遠くはなかった皇后杯。いつか……。  そう、ジェフレディースの戦いぶり。一言で言えば凄まじかった。そして素晴らしかった。ああ二言だ。口を開けば言葉がいくらだって出てくるくらいの戦いぶりって奴であの、リーグでは負けなしで代表メンバーを多く抱えジェフレディース相手には過去に大量得点を奪ったりしているINAC神戸レオネッサを相手に、後半のアディショナルタイム(ロスタイム)に1点をねじ込まれてかろうじて敗戦するという、その戦力差を知る者には奇蹟のような戦いってやつを見せてくれた。戦前はそれこそ前半に4点くらい奪われ勝負が決した後半に、ヤングなでしこで話題になった田中陽子選手とかを投入してメディアの気分を煽るかも、なんて予想してたけれどもとてもそんな余裕がないくらいに拮抗した戦いを見せてくれた。いやむしろチャンスはジェフレディースの方が多く作っていたかも知れない。

 前半から放たれた鋭いシュートがINAC神戸レオネッサのゴールポストに弾かれたりして不運があったり、後半も相手のディフェンスをサイドから崩したりその上を越して走り込んだりして、幾度となくフリー気味のシュートチャンスを作り出していた。ただやっぱり代表クラスのストライカーとは違ってキック力も精度も及んでいない選手たちだけあって弱くてキーパーに止められたり、ゴールポストの上を抜けていったりして得点にならない。対してINAC神戸レオネッサもゴール前に圧倒的なパス回しから攻め込んでくるんだけれどそこはジェフレディースが相手1人に対して2人3人と近づき囲んで好機を作らせないよう徹底していたことから得点が生まれなかった。

 凄いのはそうしたジェフレディースの寄せが、中盤でも前戦でも相手がボールを守った場所で行われ続けたことと、そしてそれが前半後半を通して1度たりとも衰えなかったこと。だってジェフレディース、一昨日に雨が降りしきる極寒のグラウンドでもって伊賀FCくノ一を相手に90分+30分を戦い抜いてそしてPK戦で勝ち上がったチームだよ、それだけでもバテバテなはずなのに1日おいただけでまるで何事もなかったかのように走り続けて囲み続ける。そういう時は往々にしてかわされシュートされるものなんだけれど抜かれてもかわされてもすがりつきくらいついて身を寄せ足下を削って相手に真っ当なプレーをさせない。

 まるでなでしこジャパンが強豪のアメリカやドイツを相手に戦っているかのようなプレーぶり。それは優れたフィジカルを守った代表選手だから出来ることのはずなんだけれどリーグでは中位のジェフレディースがやってのけたのは、ジャンボこと上村崇士監督の指導の賜って奴なんだろうなあ。あの練習嫌いの丸山桂里奈選手を罰走でもって走らせ鍛え上げたことがワールドカップ2011での復活につながったとも言われているし。そんな丸山選手は退団して高槻に移って皇后杯のピッチにはおらず。高槻で得点とりまくったのは流石と言えるけれどもあの決定力があるいは今のジェフレディースにあれば、INAC神戸レオネッサに勝てたかもとか思ったりもした。誰かそういう選手来てくれないかなあ、出番のない田中陽子選手とか仲田歩夢選手とか。

 スッポンのように食らい付くだけじゃなくってシュート力のある川澄奈緒子選手にほとんどマンツーマンでついてボールをフリーで打たせなかったディフェンスの細川元代選手の献身性たぷりなプレーにも瞠目。前の試合でもポジション取りの良さと1対1の強さ、キック力の強さでもってなかなかの逸材って見えたけれども今日はそれ以上の働きぶり。来ていたかもしれない佐々木則夫監督も見ればなでしこジャパンで使いたくなったんじゃないのかなあ、歳は結構いっているけどあの鉄壁ぶりは是非に試してみたいもの。一方で保坂のどか選手の弾丸のような走りっぷりも世界で試してみたいもの。たった147センチしかなくチーム内最長身の山根恵里奈選手とは40センチの差があるのに、バテず走りつっかけては、南山千明選手とか高瀬愛実選手あたりを不愉快そうな表情にさせていた。南山選手なんてボールのないところでずずいっと向かっていったもんなあ、保坂選手に。

 それだけやっても相手はやっぱりINAC神戸レオネッサ。とりわけ沢穂稀選手が中盤で走り回ってはジェフレディースが好機を作りそうなところに顔をだしてボールを止めたり奪ったりしていた。もしも明日のチャリティとか気にしつつ、ジェフレディースを侮って沢選手を出していなかったら、あるいは好機をもっと作られ得点を奪われ敗退していたかもしれないINAC神戸レオネッサ。でも侮らず大野忍選手や海掘あゆみ選手といった代表クラスを先発で並べてくれたところに星川監督の、見かけはともかくスポーツへの姿勢の確かさってものは感じられた。審判の問題を言うのも大野選手への投票の少なさに異論を挟むのも、身内贔屓ってよりは正当なプレーへの正当なる評価を求めてのもの。それを言う本人が正当な試合をしない訳はないからね。

 ってことで90分が経ちこれは延長も止むなしか、寒いなあと思い始めた延長後半も終わり掛けのコーナーキックから、INAC神戸レオネッサが得点を奪いほとんどゴールデンゴール的なタイミングで試合も終了。勝てなかったジェフレディースは残念だけれど、勝てるはずもないという予想は覆し、相手の侮りも消して憤らせるくらいの試合ぶりを見せられただけでもひとつの勲章を得たんじゃなかろーか。下賜された皇后杯の最初にその名を刻みたかった気分はあるけど、年間を通した活躍やひとつひとつのプレーの質から勘案するに、それに相応しいチームに結果的に渡ったとも言えそう。あとはその栄冠を次にどこが受け継ぐか、ってことでジェフレディースには今年を自信にして来年こそはリーグで平均的に勝てるチームになって欲しいし、他のチームも1強として走らせないで並び立つくらいになって欲しい。そのための道筋は今日のジェフレディースが示せた。ここから日本の女子サッカーの新しい時代が、新しい歴史が始まる。


【12月23日】 全米ライフル協会の会見にて。「日本では銃規制がないから学校が銃撃されるような事件が起こっていないだって? とんでもない、日本だって銃はいたるところで取引されていて、ヤクザのオフィスに撃ち込まれたとか、ヤクザもボスが撃ち殺されたといった事件に事欠かない。だが学校にはそうした銃弾は向かわない。なぜか。日本の学校には『武装中学生』がいてあらゆる外敵から学校や生徒を守っているからだ。そして『暗殺部』があって危険な敵だとみなしたら即座に打って出て撃滅するからだ。大火力で一気に攻めれば良い? とんでもない。日本の学校では『戦車道』なるものが奨励されていて、あらゆる学校にはさまざまな時代の戦車が置いてあって女子高生たちが即座に駆り出し応戦する。ちょっとやそっとの武器がかなうはずがない。我々アメリカはもっと日本を見習って、アフガニスタン帰りの傭兵を高校にボディガードとして編入させたりするべきなのだ」。日本の学校恐るべし。

 というのは冗談として、学校に銃器を置いておけば外部から悪意を持った人が来ても即座に応戦できるというのはある面で真実ではあっても、向こうが手練れなら、あるいは豊富な火力の持ち主ならちょっとやそっとの武装で跳ね返せるものではないし、そういう前提で向こうもやって来るようになるから最初っから爆弾で吹き飛ばしたりするような過激な真似に出ることだって考えられる。つまりはエスカレーション。それに対抗するにはだったら入り口を武装警官で固めておけば良い? そんなコストをいったい社会が許容するのか。だったらやっぱり銃を規制する方が手っ取り早いんだけれど、それが魂のレベルで所有を欲している国なだけに完全な規制は難しそう。せめて殺傷能力の大きな銃を殺傷の可能性を持った人に売らないようにすることくらいは出来そうだけれど、それすらかつてあった法律を撤廃してしまった国だからなあ。そしてゲームがいけないと斜め方向に責任を転嫁してみせる。きっとどうしようもないんだろうあ、本当に身内に哀しい事態が起こらないくらいは。それすらも肯定に変える? ありそうだなあ。

 暗殺部ほどアングラ極まってないけれども表立ってはいなくてそれでいて学校とか街とかを怪しい輩から守っている<皇国>って組織についての話が、河端ジュン一さんって二の「皇国のフロイライン」(富士見ファンタジア文庫)。何でも化物が跋扈することもあるその街で、かつて幼なじみを化物に殺されたか連れ去られたかした少年と、両親や家族を殺害された少女2人が出合い化物に復讐するための活動を始めたってのがメインストーリー。少女のうちの1人は圧倒的な体力の持ち主で走ればアスファルトが焼けるほど。ほとんど人間ばなれしたそのパワーで<皇国>に舞い込む依頼で敵が武術とか武器とかを持っていた時に相手を蹴り飛ばし叩きのめす。もう1人の少女は日常会話にも不自由するくらいのコミュニケーション障害を持ちながらも圧倒的なコンピュータのスキルでネットをくぐり抜けてあらゆる情報を持ってくる。

 そんな2人を率いる形になっているのが桐原夕という少年、とはいえ何かすごい力の持ち主って訳でもなければ特技がある訳でもなく、全体の作戦を立てればあとは鼓舞したりおとりになったりするくらい。それでも2人からは絶大な信頼を受けていて皇帝といった立場で皆をまとめてストーカーを対峙したりしていたけれど、そんな<皇国>に女教師から舞い込んだ依頼を受けて現場にいくと、怪しい人影はなく依頼者の女教師がいてそして他人に触れるとドロドロに融かしてしまうような不思議な力を発揮して襲ってきた。いったい何者? もしかして化物? いずれいしても危機一髪のところに現れたのが巨大な銃器を持った少女。それは誰あろう桐原夕がかつて失い、彼女のために化物を倒そうと<皇国>を作った日下部蓮、その人だった。

 どうして彼女は生きていたのか。それなのにどうして夕に連絡をとろうとしなかったのか。彼女はいったい何と戦っているのか。それはどういう存在なのか。語られる言葉からこの世界に生まれはびこる異能の存在が見えてきて、そして街で幾つか起こっている巨大なビルの破壊事件の影にひとつの異能の存在が浮かんで夕を戸惑わせる。そんな力が世界規模で存在するなら世界はもっと混乱を来しているはずだけれど、そうでないのは近隣に限定されているからなのか。そもそもの段階で蓮と夕を襲った化物はどこへ消えたのか。それはいったい何者か。謎もまだ残っていたりして、ひとつの事態が終結しても話はまだまだ続きそう。何より無能なはずの夕が見せたその力がいったい何を意味するものなのか。そんなあたりも描かれていくだろうこれからの展開がちょっと楽しみ。個人的には居丈高な蓮より胸の巨大な真宮真琴かなあ、その余りあるパワーで抱きしめられて肋がへし折れても感じたいなあ、巨大なふくらみ。

 天皇杯も気になったけれど味の素スタジアムに行くと3日連続で寒空の中でサッカーを見ることになって、体力的に大変だと思い遠慮してヒューマントラスト渋谷でもって5回目となる「伏 鉄砲娘の捕物帳」を観賞、やっぱり面白いなあ。最初っから最後まで1本筋が通っていて否かの少女か少年か分からないような猟師だった浜路が、江戸に来ていろいろな人と触れあいとりわけ信乃との出合い、凍鶴の落命といったものを減ることによって少女として、あるいは女としてぐっと成長していく姿を堪能できる。とりわけ大きな変化は目の前で凍鶴が斬首されたのを見て、鼻血を出す場面かなあ、それは緊張感が過ぎた果てにのぼせただけなのかもしれないけれど、やっぱり女が血を流すのは成長の証であり象徴。それを鼻からにして一段階、進んだことを仄めかしたのかも知れない。感受性豊になった浜路はだから愛宕神社で信乃と出合い別れ泣いて歩くんだ。前は訳が分からず戸惑っていただけだったろうから。

 見渡すと中高生っぽい女子とかもいたりして、血まみれなシーン大丈夫だったって心配にもなるけれども「ベルセルク」ほど過激でもないから構わないのかな。たぶん宮野真守さんのファンなんだろうけれども眼帯の男の声が神谷浩史さんだとあとで知って驚いていたのはなるほど納得、甘かったり頓狂だったりする神谷さんとはまた違った肉体派の悪って感じの声だもんなあ。凍鶴の水樹奈々さんには気付いたのかな、それとも女性声優は感心の埒外か。全体を見渡しても女性の率が多くそして入場の感じも悪くなかった上映。午後2時15分からの1回って制限に集まっただけなのかもしれないけれど、公開から2月以上も経ってこれだけ集められるのはそれだけ作品に力があるからだし、見たい層にようやく情報が届いたという証。だからこそこの冬休みにもっと各地で上映して欲しいんだけれど、27日までなんだよなあ、都内では、このヒューマントラスト渋谷を最後に。あとは地方に行くか、来年4月のBD発売を待つしかない。それも寂しい話なんで年明けに、どこかリバイバルをかけてくれたらまた行こう。地方に出むくってのもありかなあ。


【12月22日】 はっぴいえんど版なのかユーミン版なのかは分からないけど確実に降りしきる「12月の雨」に震える体を鼓舞しつつ、やっぱり歴史的な1戦になりそうだからこれは見ておかなければと東武野田線を乗り継いで船橋から柏を経て大宮公園までやって来て、そこから歩いて大宮公園サッカー場こと「NACK5スタジアム」に入り皇后杯全日本女子サッカー選手権の準決勝の第1試合となった伊賀FCくノ一とそして我らがジェフユナイテッド千葉レディースの戦いを見守る。昼頃には雨も上がるかと思ったけれども落ちる雨粒は時折強くもなって合羽を着た見に刺さり、濡れた指先をさらに凍えさせるけれどもピッチにいる選手たちはそんな寒さもなんのそのと、元気に走り回っては伊賀の攻撃を囲みボールを奪って攻撃に。

 移っては囲まれ奪われるという繰り返しが多いのは何というか、ボールを大きく展開するだけのキック力に乏しく、かといって細かいパスでつなげるほど周囲が連動して動けていない女子サッカーにおこりがちな密集戦の典型ではあるんだけれども、ピッチが滑りやすい以上はあんまりボールをけり出してもそれに追いつけるものが追いつけず、逆にボールの滑りも早くなるから余計に追いつくのが難しくなって攻撃のテンポを殺いでしまう、って判断もあったのかな、まあ大半はやっぱり技巧の問題でこればっかりはどうしようもないけれど、もうちょっと周囲に気を配れる選手がいればあるいはジェフのスピーディな攻撃にも、アクセントが加わったかもしれないなあ、伊賀の宮本ともみ選手のような。

 そう、宮本ともみ選手。アテネ五輪の前後になでしこジャパンことサッカー日本女子代表の中盤として沢穂稀選手以上の存在感を見せていたあの選手がこの大会を持ってピッチを去るということで、もしかしたらこれが最後になるのかそれとも勝てば次のINAC神戸戦がラストゲームになるのかという状況にあって多いに注目を集めてた。カメラもだから伊賀の方に多く向けられていたけれど、それもまあ仕方のない話だし実際に宮本選手はうまかった。ボールを持っては即座にパスを出してそれがだいたい味方に通る。当たり前かもしれないけれどもこの試合では他の選手がだいたいにおいて保ちすぎては近場に居る選手に囲まれ奪われるケースが多かった。宮本選手は外してもらいそれをさっと出すから奪われず、奪わせない。そんな判断力の1つ1つがやっぱり非凡さってものを見せてくれる。

 だからこそアテネ五輪以降にあんまり第一線で活躍しなくなったのは残念だけれどそれはまあ、上田栄治監督のあとを受け継いだ監督の趣味もきっとあったんだろう。そんな時代を経てもリーグの方では相変わらずの活躍ぶり。子育てもしつつ移籍も経験しつつ伊賀に戻りつつプレーをしては去年のなでしこオールスターに登場して流石の玉捌きっぷりを見せてこれならあるいはなでしこジャパン入りだって、なんて期待すら感じさせた。さすがに適わなかったけれどもそれくらいのプレーを未だ繰り出せるのに引退という、これがやっぱり女子サッカーのおかれた環境の現実ってことなんだろう。それで食える訳じゃないからね。

 それを言うならジェフレディースの選手だって1人としてサッカーでは食べていないし代表にだってほとんど縁がない。これからの逸材もいるにはいるけどちょっと怪我が多いんだよなあ、身長187センチのゴールキーパー山根恵里奈選手は。それが先の試合で日テレ・ベレーザ相手に2対2の接戦を演じPK戦でもって勝ち上がって準決勝進出を成し遂げた。そして当たった伊賀FC相手にも先制点を奪い、その後にこれは宮本選手の素晴らしいパスワークとそして位置取りから宮本選手自身に得点を奪われ同点に追いつかれ、延長戦も得点をとれそうな気配を残しながらもドローで終わって2試合連続のPK戦へ。普通だったら疲れ果ててしまうところを2人目が失敗して追いつめられながら相手が失敗しそしてさらに外したところで気を持ち直し、最後の選手が決めて4−3でもって初の決勝進出を成し遂げた。

 相手はいよいよもってINAC神戸レオネッサで綺羅星の如くに輝くなでしこメンバーが勢ぞろいした世界屈指の強豪チーム。とはえい一部のなでしこ選手には怪我が目立っているらしく、準決勝でも浦和レッズレディースを相手に1点くらいしか奪えなかった模様。もちろん浦和だって強豪だけれどあの攻撃力をもってしても乱戦にならないころを見るとやっぱりコンディションが落ちてきているのかもしれない。ならばつけ込む隙はある、とは思いたいけどそこはやっぱり天と地くらいの差があるチーム。ぶちあたる気持ちで挑んでいくことがまずは寛容といったところか。まさか翌日にチャリティが控えていることだし相手もジェフレディースだからと主力を休ませるようなことはしないよな。

 思い返せばもう随分と昔の2003年くらいに日テレ・ベレーザの試合が見たくて読売ランドまで行って、当時はスタジアムではなくヴェルディの練習場で行われたジェフレディースとの試合を見たことがあったっけ。確か7点くらい奪われたんだけれどその時も、あと少しって感じがあったし選手たちもあともう少しなのにそれが届かない悔しさを感じていた節があった。それはきっとパスの正確さでありトラップの確実さでありディフェンスの寄せの速さでありといったものなんだけれど、9年かける間にフィジカルを底上げしてテクニックも加えファーストディビジョンでずっと戦っていけるチームに進化した。その間にも日テレ・ベレーザで当時活躍していた人たちはさらに進歩を遂げて代表となりINAC神戸に移籍して黄金期を築いている訳で、差がどこまで縮まったかは分からないけどそれでも自分たちは進歩していると、信じて戦えばきっと得られるものがある。だから頑張れジェフレディース。初の皇后杯をその手に。

 長くライトノベル読みとかやっているとどんな突拍子もない設定にも驚きはしないんだけれどしかし、ノーベル生理学・医学賞を受賞した88歳の女性科学者がとある事情から見た目17歳くらいの美少女時代に逆戻りしてしまってなおかつ頭脳はもとの明晰なまま。でもって外を出歩くに出られず隔離された場所で研究にいそしみながらもそこにやって来た大学1年生の男子を助手に使いつつ、彼が表で巻きこまれたとある事件に興味を持ってその謎の解決に一役買うだなんて設定の小説が、ライトノベルのフィールドからではなくって中央公論新社という立派な出版社のハードカバーだからつまり一般文芸として、刊行されることになるとは夢にも思ってなかったよ。喜多喜久さんの「美少女教授桐島統子の事件研究録」。いやあ驚いた。そして面白かった。

 小学生だったその少年の通う小学校で講演を行って、その歳に少年が女性科学者に感動して会いに来たのに応対してからしばらく。かつて教鞭をとっていた科学大に講演に来た際に体調をおかしくして、そして若返りが始まったというのに何か理由があるのか。大学生になった少年が助手として雇われたのには、偶然以上の理由があるのか。想像してみたいこともあるけれどもそれには今回は触れられてなくって話はもっぱら大学に現れる吸血鬼とやらをめぐる話。そういう噂が立ってそして大学1年生の主人公と同じ高校から進学した男子が不思議な病気にかかって瀕死の状態になって、その原因を探るうちに過去にあった似たような事態、その裏にあるひとつの企みが暴かれる。薬学に詳しい作者ならではの科学知識が盛り込まれたミステリー。結構世界はヤバい状態におかれていたんだなあ。それでも男は立ち向かい女は受け入れる、と。怖いなあ。

 精神は88歳でなおかつ聡明すぎるくらいに聡明で、おまけに科学者だから超絶合理的な一方で見かけは17歳という桐島統子の存在感も大きな読みどころ。気持ちは88歳だからずっと使ってきたズロースを今も身につけてそして隔離されているから洗濯もできず、溜め込んだズロースは捨ててくれと助手の大学1年生の男子に頼むんだけれどそれ、頼まれた方としてはどんな気分がするんだろう。ズロース。だけれど身につけていたのは見た目17歳の美少女。嬉しいのかな。哀しいのかな。でも一方でそれを指摘された桐島統子さんはようやく使えるようになったネットでかわいい下着とか服とか見たり買ってみたり。まだ戦争中とか戦後とかだった若い頃とかには存在せず関心も持てず手にも入らなかったそれらに興味を抱くのは、88歳が覚えた過去への郷愁なのかそれとも17歳の肉体が欲する衝動なのか。そんなあたりも突き詰めていくと面白そう。2人の間の恋路とかあり得るのかどうなのか。ライトノベルだと齢1000年の化け物でも見た目美少女なら少年と恋に落ちるけど、こちらでは果たして。続け絶対に。


【12月21日】 世界が滅びる日。って感じでもなく普通に夜は明け朝になって昼が過ぎ夜が来る。それとも海外との時差の関係でマヤがその日のその時間にならないと世界は滅びないとでもいうのだろうか。だとしたら一両日は用心が必要か、って用事しようとも滅びたらまるで意味がないんだけれど。かつてのノストラダムスの大予言をどうにか過ごして今回のマヤの予言を迎えてどうにもならなかったとして世界は次にいったいどんな予言に怯えつつ終末を待てば良いんだろう。エドガー・ケイシーとか何か予言してたっけ。ノストラダムスにはまだ残された予言とかあったけ。五島勉さんがもういないからそれも出てこないか。ちょっと残念。

 そういや「めだかボックスアブノーマル」がとりあえず終わったんだけれどこれまたTo Be Continueって感じで前以上に強い引きがあったんでやっぱり続くってことなのかどうなのか。「神様ドオルズ」とかもそうだけれども連載の途中でアニメを初めて連載がまだまだ続いている中でアニメならではの独自の終わり方を選ばなかった以上、それはどこまでも尻切れ蜻蛉で終わってしまうのが悩ましい。まあ「神様ドオルズ」はアニメにしたところで作れる話数も限られているし、シーンも否かでデカい奴と戦っているのが延々と繰り返されているだけだから面白くないんだけれど、「めだかボックス」はこれからがいよいよ本番ってところもあるだけに、やっぱり続いて欲しいもん。んであと何期、あれば大丈夫なんだ。原作まだまだ続きそうだし。

 それを言うなら「週刊少年ジャンプ」には、「ONE PIECE」みたいにあと10年、続けても漫画がまだ続いてそうな作品もあるからまだましか。とはいえ「BLEACH」みたいに原作がいよいよ最終章に入ったってところでアニメの放送が終わってしまって蛇の生殺しみたいな作品もあるからやっぱり悩ましい。まあこっちはこっちで山爺がまっぷたつに去れてそのあとの総隊長を京楽が引き継ぎつつあの更木剣八にいよいよもって初代の剣八こと卯之花烈様が斬撃だか何かを教えるとかって話になっててますます広がる大きな風呂敷。神様じゃなかった霊王のいる場所で修行を重ねる悟空じゃなかった黒崎一護の行く末なんかも見えないところでアニメを初めてしまえばいったい、いつ終わるのかが分からなくなるからもう少し、話が進んだところで再稼働してオリジナルなんか挟まず一気に終わってもらえればその方がありがたいかも。あるかなあ再稼働。聴きたいなあ卯之花隊長の本気声。

 新聞とかのウエブサイトから見出しだけ引っ張ってきてそれをズラズラとならべて当該サイトへのリンクを張るようなサイトが確か訴えられつつも見出しは見出しであってそれ事態に著作権を認めるのはちょっとねえって裁判所の判断が確かあったように記憶しているけれど、ニュース記事なんかをまるまるっと引っ張ってきてはそれをキャッシュのような形で集めてオフラインでも見られるようにするアプリってのが出回り始めて、これはちょっと後にいろいろありそうな気がして遠くから模様眺め。あるいは何か当該のニュース発信元なんかと話し合いがされているのかもしれないけれど、そうでないとしたら当該のニュースサイトにとっては、その記事を読みに来てもらってこそ得られる、たとえば掲載されている広告への誘導なりから来る収益ってものが得られなくなるから、文句のひとつも出てきそう。まさかそうした事情を無視して便利だから良いじゃん的な発想で、開発もベンチャーキャピタルも動くはずがないだろうから、多分大丈夫なのかな、それとも違うのかな。

 偉い男の子となって育ち立派な妹を下に持って苦労しつつも屈託はない性格を持った少年が強い力を得て責められながらも大逆転を見せる痛快さがあった「ブレイブレイド1 遺跡の虚人」から続くあやめゆうさんの「ブレイブレイド2 鉄鎖の泉」は逃げ出したジンとそれからマキナという虚人がたどりついた先で依頼されたとある神人たちが集う村。どうやら人間たちに良くない思いを持っているような場所で一行は役目を果たそうとするけれども、そこに山賊が現れ村をひっくり返して大暴れ。神人も何人か死んでジンたちも強靱な力を持った山賊の頭領相手に苦戦する。そもそもが結界で守られ神人の力がなければたどり着けないその場所に、どうして人間の山賊たちが入り込めた? 裏でいろいろ動いていそうな事態にあまり世間の動きに興味を示さないジンも憤り、そして彼に従うマキナともども反撃に撃って出る。

 どうぞご自由にといった感じでふるまうジンという少年の性格も相当に壊れかけているけれど、有名すぎる親のそれも実父ではない父親の翼下にあって周囲からいろいろ言われて育った上に、こちらは実子の妹は完璧なまでの強さを誇っていた間に育って、僻まず歪まずむしろ達観した感じに育ったと思えばそういう性格になるのも分かるかも。対してジンたちが保護された地域で騎士をやってたイルマ・スティールって女性は、父親が優れた剣士でジンの父親が活躍した戦いの最中に神人を守って戦死したりして、あとは生き残った騎士や祖父らに育てられ教えられたこともあってか、覚めているというか感情の揺れがほとんどないというか、誰にも憤らず誰にも同情しないでその場の実利を第一に行動するような性格。騎士なら何かのために戦うといったものがありそうなのに、それもない辺りの壊れっぷりが面白い。

 もう1人、ジンたちが滞在する神人たちの集落を率いているクラウディアという女性は族長という大切な立場にありながらも、自分が戦火の中とそしてその後の苦境から抱いた人間への怨みをとことんまで肥大化させてふるまい、自分たちは悪くない悪いのは人間たちだといったスタンスを一切崩そうとしないため時に神人たちの集落を苦境へと追い込む。それでも改めないのはひとつの頑固さかもしれないけれど、リーダーのあるべき姿からはやっぱり乖離している。つまりはどこか壊れている。そんな面々も闘いを経てどうにかこうにか自分の女騎士は平坦すぎ、また女族長は尖りすぎていた心に起伏をつけていった模様。人って変われるんだなあ、なんてことを思わされる。でもそれには過酷な事態を経る必要があるとしたらちょっと考えてしまうなあ。ジンはあれでなかなか妹思いなんだとも判明。そして妹はなんだかんだ良いながらお兄ちゃんが大好き。そんな2人が巡り会える時は来るのか。それも楽しみなシリーズ。次は何時?


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