縮刷版2012年10月上旬号


【10月10日】 次の大河ドラマが何か黒田官兵衛に決まった見たいで軍師っていった歴史の脇に位置する人が、織田信長から豊臣秀吉へと移り変わる天下をどうやって支えていったのか、って話に惹かれる人は多そうだけれどでもそれだと、両兵衛と呼ばれて秀吉の信長政権下での地位向上に大きく貢献したもうひとりの軍師、竹中半兵衛がなおざりにされないかってちょっと心配。新旧軍師として対立した関係にするのかかそれとも2人に義理の親子関係めいたものを描きたいのか、分からないけれども歴史の上では官兵衛が秀吉の麾下に入って活躍し始めるのは半兵衛が病没した播磨三木城包囲戦の後くらい。それまでは目立たない武将として信長の下にいたり裏切られて幽閉されたりといった地味な生涯を歩んで来たし、秀吉の天下統一後もやっぱり目立つような活躍はあんまり見せていなかった。

 そんなダイナミズムにかける裏方を主役にしていったい面白い話になるんだろうか。むしろだったら「両兵衛」というタイトルで前半を竹中半兵衛、後半を黒田官兵衛にしてダブルヒーローにすれば歴史が大きく動く中で軍師という存在がどれくらい重要な存在だったかを描けると思うんだけれどそういう融通が利くテレビ局でもなさそうだし。伊達政宗もそうだったけれど天下が平定された後の武将って大概、つまらない人生を歩んでいるんだよなあ。いっそ「織田信奈の野望」から両兵衛を引っ張ってきてクローズアップする大河ドラマなんてどうだ。これなら陰陽師として活躍しながら体をこわして瀕死の半兵衛ちゃんと、融通の利かない性格ながらも相楽良晴との間に友好関係を築く官兵衛が、共に軍師となって歴史の檻に閉じこめられようとしている信奈を救うクライマックスを描けるんだけれど。フィクションだって良いじゃないか、「江」なんて99%フィクションだった訳だしさ。

 それなら「境界線上のホライゾン」で竹中半兵衛と黒田官兵衛を二重襲名している彼女を主役にした超大河ドラマを、なんて考えたけれどもいきなり前段抜きで両兵衛登場の第5巻上から始める訳にはいかないから却下。ああでも第1巻、第2巻ともに13話くらいでアニメーション化できた訳だし1年かければ今出ている第5巻くらいまではテレビドラマ化だって出来てしまうような気がしてきた。特撮技術を使えば武蔵が飛行する姿だって映像化は可能だしバトルだっていっぱいあって楽しいものになりそうなんだけれど。時々全裸になる葵・トーリもゴッドモザイク技術があればお茶の間にだって放送可能。難しいとしたら葵・喜美やら浅間・智といった巨大な面々を誰が演じるか、ってところだけれど。そこもまあ特撮技術で何とか。

 そんな「境界線上のホライゾン」5の下は表紙が誰だおいこれと吹き出す人が全国的に大発生。舐めるように見てひとしきり欲情した後で誰か気づいてズーンと落ち込む人もいっぱい出そうだけれども気づかなければこれは美少女、武蔵に飛び込んできた真田・信之の相手を本多・正純がしている間に、片桐・且元が表紙の美少女と話して心理的なカウンセリングを受けて、自分の居場所を見つけて人間としてひとつふたつ成長するとともに男としての成長も遂げて、その気持ちを表紙の美少女に向けるようになったとしても全然不思議ではないかも。いつか合いたいまた合いたいと焦がれ通神を送って来たのがその現れだけれど、それがそうだと気づいたらいったいどれくらいの衝撃を受けるのか、見てみたかったけれども同じ女装は禁止のお達しが出たのでそんな悲劇は生まれないのかな。もう会えない且元にとっては悲劇かな。

 そしてストーリーはといえば凄く大きな戦いの前に武蔵アリアダスト教導院の面々が学校行事という名の一仕事をこなすといった内容。トーリとホライゾン・アリアダストとの夫婦関係に割り込むというか侍らされるような関係で浅間とか喜美とかネイト・ミトツダイラなんかが配置され、お泊まり経験を積むようなほんわかとした展開を一方に持ちながらもそこに竜が攻めてきて、直政から立花ぎんやら本多・二代やらミトツダイラやらアデーレやらが総出で迎え撃ってその強さを示したり、さらにはもっと強大な竜の2匹を相手にこれまた武蔵野の特務や狙撃巫女や前髪枠やら貧従士やらが戦い1匹を倒しそして仲があんまり良く成さそうな二代と立花嫁がガッチリって訳でもないけれど足りないところを埋め合い互いを刺激し合うようにしてもっと強い1匹を倒すスピーディーでスペクタクルなシーンがたっぷりあってそういうのが好きな人には読んで楽しい巻になっている。

 とりわけ二代の天然まっすぐな性格に、苛立ちすら覚えていた立花嫁がそれでも自分を見つめ直し、鍛え直した上で武蔵の上に居場所を見出す展開は、これからのストーリーの上でも大きな意味を持ってきそう。伊達・成美に里見・義康といった他の教導院からの留学生たちも武蔵のそうした仕組みにシームレスに組み入れられてすっかりひとつの共同体を見せている。まるで近代のような武蔵の仕組みに未だ武将を立ててその権威と脅威の下に多くが付き従う中世が敗れ滅び去っていく、これもひとつの歴史再現って言うんだろうか。その先に来る武蔵が征服してトーリが王となった世界がいったいどんな物になるのかにも興味津々だけれど、それが読めるのってあと何年後になるんだろう、そして何万ページを読むことになるんだろう。冗談じゃなく何万ページとか行くんだよなあ、このシリーズは。

 ほかに世見どころといえばやっぱり向井・鈴さんの身体測定のイラストか、いやあなかなかしっかりあるじゃないか、これなら見てアデーレも憤るはずだよ。あと前の戦いで双嬢のマルガ・ナルゼとマルゴット・ナイトが見た織田型の魔女もイラスト付きで登場。そうか加藤・嘉明とそれから脇坂・安治か。その名も双鉄。なるほどとっても強そうな感じ。背中の羽根も6枚とかあるしナルゼやマルゴットたちよりも上位の魔女ってことなのか、だからエーデルブロッケンからより強力な箒をもらっているのか。そもそも2組は知り合いなのか。そんな展開も楽しめそう。でも見た目のインパクトは水着か何かでぐいっと踏ん張った加藤・清正かなあ、いやあ可愛い、そして強そう。見ているだけでクラクラくるけどそんな好きにカレトヴルッフをぶち込まれるんだ痛いんだ。おまけにそんな清正を軽く捻る老人も出てくるし。いったい誰が最強なんだろう「境界線上のホライゾン」世界では。オリオトライ・真紀子? あり得るあり得る。

 羽生三冠の王座奪取がメーンになっていたんで久々に買った「週刊将棋」は「笑え、ゼッフィーロ」って漫画が連載されていたけれども232回とかだからもう5年近く続いていそうで前にも1度や2度は読んだかも。眼鏡っ娘の強そうな女子高生棋士が出ていてちょっと惚れたんで来週も買って読むか。月間の成績なんかも含めた全棋士の今年とそれからこれまでの成績が表になっていたんでざっと眺めて羽生三冠の7割2分4厘って勝率に驚く。だって1207勝している人だよ、対局数は1660局を超えているんだよ、それで勝率7割って。プロ棋士になってC2組に上がって間もない棋士が18勝3敗で8割5分7厘とか、13勝4敗で7割6分5厘とかになっているのは分かるけど、羽生三冠はその若さ故の勢いを四半世紀続けているってことになる訳でもはや棋士の常識を越えている。それでいて人間としてはごくごく普通。破天荒さも傲慢さもまるでないその生涯は歴史にいったいどう刻まれるのか。カウンターとして立ち並ぶ悪役もいないからなあ。返す返す村山聖九段の創生が惜しまれる。渡辺明竜王もこれで真面目だからなあ。出よ悪役。あるいはトリックスター。金髪とか見てくれだけじゃない。


【10月9日】 やっと見た「マギ」は舛成孝二さんが監督なだけあってほのぼのとした日常が繰り返されたり紙を使った激しいバトルが繰り広げられたり得体の知れないキャラが出てきて追いかけあっこをしたりするのかなと思ったら本当にそうだった。例えば「かみちゅ」みたいに小さい子供が福々しい態度を見せたと思えば、「R.O.D −THE TV−」みたいにシリアスさの中にハードなバトルなんかもあってそして「フォトン」みたいに首のない巨人が現れて町中を暴れ回ったりするといった過去の作品にもあった舛成シチュエーションがふんだんにあって古くからの舛成ファンとして楽しめた。

 これが原作の味をそのまま映像にしたものなのか、舛成さんなりのアレンジが加わっているのかは分からないけれども今までにないメジャー作品を手元に得てさて、いったいどんな技を見せてくれるのか。「宇宙ショーへようこそ」以来の監督なだけに再び映画へ、そしてオリジナルへと向かってくれる可能性を実現するためにもきっちりを浮上させ、きっちりと着地させて欲しいなあ。「フォトン」や「R.O.D」や「ココロ図書館」みたいな作品がまた見たいんだ、僕たちは。それはそれとして石原夏織さん、ああいった男の子系の声も普通に演じられるんだったんだ。「輪廻のラグランジェ」の京乃まどかも男の子みたいな性格だったけれども声は普通に女子高生。それが「マギ」ではしっかりエロい男の子。これからグングンといろいろ演っていきそうだなあ。楽しみ。

 「イブニング」の2012年第21号を読んだら「もやしもん」で西野円がシャワーを浴びていた。わお。現役の女子高生にして造り酒屋の娘さん。ある意味で結城蛍と同じ境遇ながらもどこかが決定的に違っていたりする彼女だけあってくっきりと見たかったけれども首あたりから上だけではそれも適わず。いつかは堂々のシャワーシーンを。あと眼鏡を外した顔なんかも。シャワーでもそれから沢木直保のベッドで眠っているシーンでも眼鏡は外していたけれども目をつぶっていたからなあ。あと沢木の部屋でテレビを見ているシーンはちょっと可愛かったかも。それを本人に向かって堂々と「可愛かったから」と言ってしまえる沢木のジゴロっぷり。だから好かれるんだ蛍とかにも。それ嬉しいか? 嬉しいかも。

 25万人も集めて大盛況に終わったらしい「館長庵野秀明 特撮博物館」は会場を変えて全国を巡回するって話も出ているそうで、あれだけの規模のものをどこまでしっかりと展示・展開できるのかってところに疑問はあるものの、良いキュレーターがついて展示を吟味しマニアックなものは抑えつつ円谷英二さんを筆頭にした特撮の神々たちの偉績を並べ、それから懐かしくってノスタルジーを喚起するようなものを選んで置き、やっぱり必須な「巨神兵、東京に現る」の映像を流し関連の展示をメイキング上映も含めて行うことで、特撮といった死滅しつつあるジャンルへの関心を呼び覚まして視聴者を育てクリエーターを育てて次の世代の特撮番組制作へと、至ってくれたら面白いんだけれどそれが許されるテレビ環境か、っていうとなあ。あと根本的な作り手のアイディアか。「アイアン・スカイ」とか見てしまうと7億円であれだけ作れるんだよ外国はって思えるものなあ。ううん。頑張れ。

 頑張れといえば副館長の樋口真嗣さんが関わっている「のぼうの城」がいよいよ公開も近づいて来たみたいで、「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版の上映時に予告編が流れていてこれがもう実にのぼうさましていて楽しめそうな予感がした。もうちょっと小太りでのほほんとしているのが成田長親ってイメージがあったけれどもそこは狂言役者として「でくのぼう」を演じ続けてきた野村萬斎さん、ちょっとしたしぐさから言葉から大きく惚けてみせる踊りから、すべてが成田長親ってトリックスターを感じさせる雰囲気に仕上がっていてその演技を見るだけでも、1年以上を待った甲斐がありそうな気がして来た。水攻めのスペクタクルとかも楽しみだし、甲斐姫の乱暴っぷりも胸をときめかせてくれそうだけれどやっぱり一人、野村さんが持って行くことになりそう。東京国際映画祭では見られるかな、いっぱいなら公開時に見に行く絶対。

 生理学・医学賞に続いて日本人の受賞とはならなかったノーベル物理学賞だけれど、聞くと何やら量子コンピュータとか量子テレポーテーションといった分野を研究している人が受賞したそうで、生命の未来を考えさせるiPS細胞の研究に続いてのSFチックな研究の受賞は何かSFに追い風になりそうだけれど、それを受け止めるだけの理系なSFシーンが果たして業界にあるのか。小松左京さんがいればこうした情報を受けて短編の1つ2つ書いて雑誌に乗せたんだろうけどなあ。この勢いでノーベル化学賞は賢者の石でも研究している錬金術師が取れば最高。問題はそんな人が果たして現代のこの社会に残っているかだ。文学賞はサイバーパンクムーブメントを作って30年のウィリアム・ギブスンでどうだ。平和賞は世界中をその歌声で微笑ませて心をひとつにさせた初音ミクで。いやしかしいつか本当に初音ミクが平和賞を取る日が来るんじゃないかと思えて来たぞ。


【10月8日】 根暗で引っ込み思案な少女が、学校でだんだんとクラスに馴染み学校にとけ込んでいくような展開といったら、能登麻美子さんが貞子も吃驚な黒沼爽子を演じた「君に届け」があるから、少女漫画的に珍しい題材でもないんだろうけれども一方で、いつの時代も浮いたり沈んだりしている少女はいたりするもので、そうした少女がいかんともしがたい状況から何か打開を得るとしたらそれは技能になるのか、それとも自分を認めてくれる男子になるのか、って辺りを描くのもやっぱりそうした少女漫画の展開ってことになっていそう。たとえば「ちはやふる」の場合だと、無駄美人として敬遠され気味だった千早が競技かるたに出合って居場所を見つけ仲間も得て走り出す。

 そして「好きっていいなよ。」の場合だと学校でもピカイチの男子の関心を得て学校で誰とも話さず友達だって作ろうと思っていなかった少女が、心を動かし居て良い理由を見つけて明るく変わる、のかどうなのか。原作を読んでいないから分からないし、学校でも屈指の人気者から声をかけられれば、周囲の妬みも激しくなって逆にイジメなんか起こりそう。そこで屈指の美形が割って入って見方をしても、それすらも嫉妬の原因となって影で圧迫が起こりそうなだけに見るのがちょっぴり辛いけど、そこは売れている少女漫画なだけあって、読んで共感と期待を得られるような展開がちゃんと描かれているんだろう。ならばアニメーション版「好きっていいなよ。」も安心と思い見続けよう。何かノイタミナっぽい作りだなあ。おまけにエンディングはスネオヘアーさんとますますノイタミナっぽい。古き、良き、って辺りの、うん。

 しかし茅野愛衣さん、「ちはやふる」で屈託のまるでない能天気な美人を演じ、「好きっていいなよ。」では可愛いんだけれど影があって鬱屈した少女を演じたりと八面六臂の活躍ぶり。当人もそうしたヒロインたちと近い世代の人らしいんで、どっちが本当の自分に近いのか、ちょっと聞いてみたいところ。美人じゃなければそういう話もあり得ない? でもどうやら美人っぽいし。見たことあったっけ。確か「輪廻のラグランジェ 鴨川デイズ」の舞台挨拶で千葉の京成ローザに来てたよなあ。背のすらりとした美人だった記憶が。そして演じた役はムギナミってことだとやっぱり近いのは千早の方か。いやいやムギナミもあれで鬱屈したところもあったし、ってことで実に多彩な役が出来る声優さんだって考えるのがこれは正解かも。

 そんな「好きっていいなよ。」の直後にチバテレビが放送するのが「みなみけおかわり」ってのがちょっと分からない。そもそも新番組じゃなく再放送で、なおかつ続編。だったら普通に「みなみけ」からで良いと思うし、漫画の能天気なギャグって成分は「みなみけ」の方が濃く出ていて親しみやすいはずなんだけれど、それを見てから間髪入れずに「みなみけおかわり」を見た時に、いったいどういう番組なんだとそのどこかリアルを含んだ絵柄とシチュエーションに愕然とした記憶もあるんで、他に比べるものを置かずに見せることによって他のアニメーションになはにハイブロウでシュールな展開を、純粋な気持ち楽しんでもらえるんじゃないかって配慮があったとここは思うことにしよう。実際、前よりも面白く見られたし。こんなすげえことやってたんだって気づけたし。

 リタ・ジェイという人がお笑い芸人としてどれくらい面白いのか知らないし、イラストレーターとしてどれくらいの人気がある人なのかまだ調べてないけれど、リタ・ジェイという人がライトノベル作家として、とても面白い本を書くことだけは「青春サイバーアクション漫才ハードボイルドコメディな転校生」(PHP研究所)という本を読んで分かったし、他の人も読めば確実にそう思うはず。お笑い芸人になりたいとネタを書き溜めている南田是也という少年が主人公で、彼にはお笑い番組を見るのが好きで芸に厳しい同級生の村上という初年がいて、2人して笑いについて研究していたある日。南田の前にクールだけど妙にパワフルな力を持った少女が現れては、鍵を探していると言う。そこでは得体の知れ無さを感じて身を退いた南田だったけれど、程なくして南田と村上の学校に転校してきて鋼屋りんと名乗ったその少女。鍵を探しているといって、胸を触ってくれる人を探して歩く。

 いったい何をして居るんだ。そんな疑問とそれから浮世離れしたというか、まるで年頃の女の子っぽくない彼女の言動に対して発せられた南田の突っ込みが、少女の鍵にはまってとてつもない力を発揮するようになる。つまり彼女はサイボーグだった。とある研究期間で作られて、けれども博士の言もあって組織を抜け出して、今はその組織の追っ手と戦う少女。秘められた力を発動させるには、タイミングも速度も力もバッチリな南田の突っ込みが必要なようで、ならばと2人で漫才をやらせることにした木下。繁盛していないテーマパークを舞台に特訓が始まり、自分の才能にまるで自身がない南田の挫折もあり、それらを乗り越え迎えた学園祭で、2人の息もぴったりかどうだかな漫才が行われ、そして敵とのバトルも繰り広げられる。

 芸人らしく漫才で面白く見せるためのサジェスチョンがあり、漫才に立ち向かうために必要な人を楽しませたいという思いと、そのために諦めない強さが示されつつ戦う少女のクールな中に感情を探る切なくて狂おしい物語も描かれるリタ・ジェイの「青春差バーアクション漫才ハードボイルドコメディな転校生」。これを読めば「JJポリマー」ってリタ・ジェイさんが片割れをやっていたらしいコンビが、南田とりんによる「北のレアメタル」もしくは「ナンダ・リンダ」に負けず面白かったかもしれないと思わせる。もっとも漫才は1人ではできず、絶対に相方が必要で、それには不動で無情な言動が妙なおかしさを醸し出す鋼屋りんがいなくちゃってことになるとどうなのか。いずれにしてもこの本を読んだらどこかでリタ・ジェイさんのステージを見たくなる。「ナンダ・リンダ」くらいに面白いと良いな。

 ノーベル賞だ日本人にノーベル賞だ、って最近はいろいろな人がとっているからもはや全員の名前をすらすら言えるような段階にはなかったりするんだけれど、それでもiPS細胞っていう夢があって可能性が見える技術に対してノーベル賞が与えられたってことはちょっと嬉しく、それが日本人の研究者によって成し遂げられたってことがちょっぴり誇らしい。いや別に自分は何にもしてないんだけれど。山中伸弥教授とそれからジョン・ガートン博士に与えられたってことになっているけど、ヒトのiPS細胞については山中教授とほぼ同着で論文を発表した人が確か居ていろいろ競争が話題になていた。その人が入っていないってことは業績として山中教授が上だったってことなのか、それともHIVの時みたいにいろいろと人にまつわる毀誉褒貶があるのか。ここからいろいろと情報も出回り始めるだろうから、その中から経緯なんかを探っていこう。いずれにしてもおめでとうございます。テレビで解説していた八代嘉美さんもおめでとうございます。偉い人だったんだなあ。


【10月7日】 しかし考えてみれば2010年に最終章が出来た「空の境界」もそれから2011年を代表するどころか2010年代を代表しそうなアニメーションとなった「魔法少女まどか☆マギカ」も2011年と2012年にまたがって話題になってこれもしばらく尾を引きそうな「Fate/Zero」もどれも音楽を担当しているのは梶浦由記さんで、それはだから2010年代を代表するアニメーション音楽の作曲家として燦然と輝く名前であるにも関わらず、世の新聞とかがスポーツ新聞も含めて梶浦さんを特集した気配がないのは一体どういうことなのか。SMAPが歌った朝ドラの音楽を別の作曲家が担当したときには話題も出たけどそれ以上に世界に向けて存在感を放っている作曲家を放っておいて平気な日本のメディアに未来があるはずないと思うんだけれど、内輪に向けて情報をグルグルと回しているだけのメディアに未来どころは現在だってないのであったという、そんな話。しかし凄いなあ梶浦さん。また紹介したいなあ、紙面があったら。

 背丈は小さいけれども爆乳に近いスタイルをもったゴーストバスターのチェルキに、ほとんど胸は壁ながらも背は高く脚は長くてモデル級だったりするエクソシストのエリシアに、どう見たってエリシア以上に女子にしか見えないんだけれども実はついているものがついていたりする吉村に、世界最強の魔術師であって何より主人公の妹のシオンがそれぞれに麗しい水着姿でプールに大集合しては、主人公を愛おしく思っていたり、悪さをしないかと見張っていたり友人として着いていったりするそのビジュアル、そのシチュエーションを想像するだけて楽しいラブコメ展開が思い浮かぶんだけれど、そこは1作目からぶっ壊れたた奴らのぶっ壊れた言動に満ちていた草薙絡さんの「デッドエンドラプソディ」、第2巻でも見かけの楽しげなプール日和の裏側で、とてつもないバトルが繰り広げられて入りするのだった。えっと何百年とかそんなくらいの?

 もっとも、それを知るのは主人公でシオンの兄で事故で死んでしまったところをシオンが最強の魔術師になることで蘇生に成功して、その期間を含んでシオンと同じ年になってしまっていたカスカだけ。最初はプールで遊んで家へと帰る途中に列車で見かけたかつてのクラスメートで今は10歳年上の教師となっていた女性がなぜか線路に飛び込み自殺をはかろうとして、それを見とがめたカスカは線路にとびこみ女性をかかえて安全地帯に対比し命を救う。それがどうやら神様たちのお気に召さなかったようで、火を吹く車椅子に乗った天使(本当だってば)が現れやり直すといって元のプールへとカスカや仲間たちの時間を引き戻す。

 ところが、なぜかカスカにだけは記憶が残っていて天使が死神に仕事を果たさせ先生を自殺させようとするのを防ごうと頑張り頑張り頑張った挙げ句に、それだけえどてつもない繰り返しがあったという、そんな話。8回だって同じ日を繰り返されたらもうどうしたものかと思った「エンドレスエイト」なんて目じゃない繰り返しにも関わらず、カスカはその都度天使の邪魔をし死神ですらほとんど関係者として引き込み漫画喫茶に連れいていったりプールでウォータースライダーを遊んだりする仲になってしまう。天使だけが仕事をそれでも果たそうとするけれども、それでもやっぱりどこかやる気をなくしている。シオンですらそれだけ面倒ごとに巻きこまれいるだろうカスカを不憫に思い、苦しんでいると思ってだったら自分が消滅させるとまで言い出す。

 それほどまでのことをやっても平然としているカスカは本当に真っ当なのか。人間はもとより天使も死神も魔術師でさえも投げ出す行為を淡々とこなすその性格は、1度死んで妹の魔術によって甦らされた存在だからこそのものなのか、だとしたらカスカは本当に人間なのか、もはや人間とは違う存在なのか、なんて疑問が浮かんでくるけどカスカはそれでも自分はそこにいて、妹を思い続ける。どこか純情でそして不気味な物語。有り体のハーレム展開、そして妹物に収まらない所が好きなんだけれど、こういうの好きなライトノベル読者ってどれくらいいるのかな。売れて欲しいなあ、エリシアにどうにも不穏な運命が待ち受けているようだし。次巻はいつ読めるかなあ。

 とある新聞の一文。「政府は皇室典範など関連法改正について来年1月に召集する通常国会での提出を断念する方針を固めているが、藤村氏は『必要ならば提出する』と述べた。藤村氏とは藤村修官房長官のことで官房長官とは政府のスポークスマンとして政府が決めたことを会見で喋る人であってその言葉は政府の代弁していて言ってしまえば政府そのものが「必要ならば提出する」といっている皇室典範の改正を、同じ文のすぐ直前では「政府は断念する方針を固めている」と書かれていたりして、読んでいる人はどっちを信じたら良いんだろうかと悩むけれどもそれ以上に、書いている人はこんな矛盾たっぷりな文章を書いていて頭が混乱しないんだろうか、心が痛まないんだろうかと心配になってくる。心が2つあるんだろうか。あるいは2人の人間がリレー形式で欠いているんだろうか。分からないけれどもともかく不思議な一文。歴史にきっと残るだろう。残らないよこんなの日常茶飯事だから。はあ。

 雨が降っていたけれども雨でも決行だと聞いていたのでお台場で開かれている「痛Gふぇすたinお台場」へ。これでもう6回目らしいイベントに始めていったのは確か2008年だったから数えて6回目ってことはもうずっと通っているってこととか。その変遷をふり返るならやっぱり数が増えていて場所を少し拡張してもそろそろいっぱいなくらいに車が増えている。あと技術が向上しているのかとっても綺麗な痛車が多い。元の絵なんかいったいどこで調達して来ているんだろうと思うくらいに版権絵に近いんだけれどどこかの乗っているとは限らないものもあったりするようで、自分で描いているんだとしたら凄いしそうでないならいろいろ探してそれを車に張っても滲まないくらいでっかくできる技術が発達しているんだろうなあ。どんな絵をどこにどう張ったら見ばえが良くなるかって研究も進んでいるのかな。

 パッと見て凄かったのは「TIGER &BUNNY」からブルーローズをピックアップした痛車であのブルーなカラーが生えるようにとボディを銀にメッキ塗装かなにかしてピカピカにしてたり、ブルーの地にした部分もメッキ仕様のブルーにしてもう遠目からでも輝きが分かるような感じに仕立て上げていた。ベースはシビックのクーペだったけど左ハンドルってどうしたんだろう。あとは「スマイルプリキュア」が張ってあったポルシェか。フロントからサイドからリアまでしっかりとキャラが張られてもう賑やか。そのどれもが歪みなく大きさもばっちりなあたりに工夫が見られた。アスキーのURLが入っていたけど関係者? ポルシェはほかにも何台かあったなあ、スーパーカーだけど面が大きいからやりやすいのかな、「彼女のカレラ」仕様もあったみたいだし。しかしやっぱり目立ったのはコンバインとホイールローダーとフォーミュラーニッポンか。どうやって持ってきたんだ。

 シネマイクスピアリへと回って「山下達郎シアターライブ」の再上映を観賞、前の時はどこの劇場も連日超満員でチケットがとれず四苦八苦していたんだけれど今回は舞浜ってこともあるのかそんなに込んでなくって前目のブロックなんか2人くらいしか座ってなくって3列目に座っていたら前には誰もいなくって実質的な貸し切り状態。そこであの巨大な山下達郎さんを独り占めできるんだからもう至福。比較的新しい劇場だから音響だって悪くはなくって響き渡る達郎のカッティングサウンドを存分に耳の奥まで染みいらせることができた。日曜日の午後6時でこれなら平日とかはもっと人、少ないんだろうなあ、今度は最前列のど真ん中とか座って見上げるような達郎さんを楽しむかなあ。見逃すともうたぶん一生、見られない映像だろうしなあ。


【10月6日】 隕石が落ちてくるはずなのに途中で消えてしまって代わりに鉄がバクテリアに食われてしまって大変だあってのが西森博之さんによる「満天の星と青い空」(小学館)って小説だったけれども加納亮太さんの「さくら、咲きました。 Last Springtime of Life」(桜ノ杜ぶんこ)はよりシリアスに隕石ガチ級へと迫ってくる、という設定を保った18禁ゲームを原作にしたノベライズ。調べるとゲームでは数年前に出た「そして明日の世界より−」ってのもやっぱり隕石が落ちてくる話で、「メテオ」やら「ディープインパクト」といった作品の時代からいつかそういう日が来るかもって予測が人間にはあってそれが時折頭蓋骨を話って外に染み出てくるものらしい。あるいは恐竜の時代に隕石によって世界が滅亡し掛かった記憶を遺伝しレベル、魂レベルであらゆる生命が保っているとか。どうなんだろ。

 それはともかく「さくら、咲きました」はそうした隕石落下を主題にしながらスペクタクルとか英雄的行為を主題にするってよりは来るべきその時に向かって人はどう振る舞うか、ってところを描いたある種の哲学的主題を含んだ物語。あと科学技術によって人が年をとらないようになってそしてガンとかも勝手に治ってしまって事故とか寿命でない限り、死ななくなっているということも設定上の大きなポイントかもしれない。それは「死」というものに対する意識が全ての人にとって同一ではなくなるってことでいつか死ぬを分かって日々を老いとともに過ごしてきた老人にとって明日来る隕石はどちらかといえば日常の延長。対して老化を止めて永遠の青春を謳歌していた人にとっては思いがけない展開にきっと心も怯え震えて歪んだだろー。そんなはずないじゃないかと叫んだだろー。

 でも来るべきものはやってくる。そんな世界にあってそれまで生活部という部活で勝手をしていた少女たちや少年と、生徒会を率いて勝手にふるまう少年や少女たちを取り締まっていた少女なんかのドタバタとした日常の物語はぐっとシリアスさを増して、地球を脱出する船に乗れるかどうかを巡って自分の気持ちを思い家族の気持ちを考え踏みとどまろうと決意するまでを描くエピソードや、やっぱり死ぬのが怖くて他の誰かが移民に選ばれたのが羨ましくて閉じこもって逃げ出したくなる少女のいたしかたない心理を描くエピソードなんかが積み重なっては、「死」というものに向き合った時に見せる人の諸相を浮かび上がらせる。どれが自分に当てはまるのだろうって読んで思うのも良さそう。ラストシーンのあっけらかんとして隕石を迎える少年少女のその明るさが、何か救いになればいいんだけれど。バッドエンドリスタートができるゲームならそれもありだけれどもこれは小説。だからあのエンディングから想像するしかない、彼ら彼女たちが得た安寧と幸福を、それがどこであっても。

 バッドエンドかどうかは別にしてひとつのエンディングからリスタートしたことがずっと見ていた人には明白な「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 前編 はじまりの物語」はだから転校してきて鹿目まどかにつきまとい苦言を呈する暁美ほむらの言葉のひとつひとつ、そして挟み込まれる唇をぎゅっと噛みしめるような表情のカットなんかが持つ意味を、知っているだけになかなかに辛いものがあってそんなほむらの親切を、どうしてまどかは受け入れて魔法少女なんてものになろうとするんだ、キュゥベエだなんて得体の知れない生き物に肩入れするんだ、巴マミさんはお菓子の魔女との対決にほむらを除外するような自業自得を選んだんだって思いが胸を掴んで離さない。

 これはすなわち何度も何度も失敗を繰り返して来たほむらの思いでもあってまどかやマミさん、さやかにキュゥベエや魔女が迫るたびに唇を噛みしめたくなる自分の表情を、鏡で見たら冒頭のほむらと重なって見えるような気がしてならない。物語の中のループ、そして見る人のループというか重複が重なり合って生まれる不思議な感慨。仮に映画が初見であっても後編を見てすべてを知ったその後で、前編を見返すことによってあのカットの意味がどこにあって、あのセリフの裏にどんな感情があったのかを感じ直すことが出来るから、1度で終わらず2度3度と見て欲しいしそういった見方ができるような前編と後編の期間にとらわれない上映を、劇場にはちょっとお願いしたいところ。そうするだけの意義があり、また集客もありそうな作品だから。どうだろう。

 何度も観ると演じる声優さんの声に含まれる感情なんかも掴めるようになるかも。テレビでは1話づつとっていったから何も知らずキュゥベエを無垢なお助けマスコットと思い演じていただろう加藤英美里さんも、テレビシリーズを終えてどういう企みをキュゥベエが抱いていたかを理解したはず、ならばあの「たすけて」から始まるまどかとの出合い、そして誘導をどんな心理で描くのか、企みを秘めた悪人声かそれともそれを当然と感じ自省もしない超然とした声か。少なくとも最初のように従来からある魔法少女を助けともに戦う正義の味方と言ったニュアンスはもう込められない。そうした媚態は詐称になるから。それをキュゥベエはしないから。舞台挨拶でもそんな声に込める気持ちのテレビからの変化ってのを離していた声優陣なだけに、確かめるためにもまた見よう。それからテレビシリーズの録画を見返そう。BDも買ってあるけどパッケージ、開けるのもったいないから開けてないんだ実は。何だそりゃ。

 山手線を渋谷から新橋経由で池袋に行って(何で逆送)ジュンク堂の池袋店の7階にオープンしたSFブックミュージアムのテープカットを見物。日本SF作家クラブの50周年を記念するイベントだとかで棚にもSF作家クラブのメンバーの本が並んだりSF第一世代の本が並んだりしてなかなかの迫力。日本のSFの分厚さって奴を目の当たりにする。加えてSF作家クラブに入ってない人も日本ではバンバンとSFを書いていたりしてそれは例えば地下1階のコミック売り場に並ぶライトノベルのレーベルの中にあったりするんで行けば上から下までSF三昧な秋を送れそう。もちろんコミックも。悩ましいのは地下のライトノベルにもコミックにも、別にSFだぜって案内はないことか。そういうのをより抜いて集めて平台作って並べれば、文芸とか御大とかだけSFさせてないぜってアピールもできるんだけれどそれをやると軸を挟んであっちことっちみたいなんでそれもどうか。まあ読む人が読んでこれはSFだぜって思えばそれはSFなんでそういう作品に出会うためにいろいろ読もう。看板掲げているのだけがSFじゃないんだから。

 そして瀬名秀明さんが登壇したトークイベント。SF作家クラブとして何かしたいねえって話をしていたけれどもSF作家クラブがそもそもどんな団体で誰がいてそれがいったい誰なのか的なところから世間にプレゼンテーションしていかなくちゃいけなさそうな所があって今後の展開に工夫が必要そう。かつてなら小松左京さんという人間コンピュータを掲げその知性と馬力で番組なんかも作れたけれども今、そういった世間にSF的な知性をアピールしていける看板って果たして誰がいるんだろう。かろうじて瀬名さん自身が来るぐらいであとは……。科学についての知見なり社会についての知見を未来予測の中に交えて話せる逸材を、育てつつ世に送り出すことをしていくことが瀬名さんが見通す日本SF作家クラブの50年を記念する事業になり得るんだろう。では誰が、って話しにやっぱり戻ってしまうところが難しい。野尻抱介さんなんかニコニコ系での抜群の人気と科学への知見を活かしてもっと世にプッシュしてけば良いのになあ。お手並み拝見。


【10月5日】 出たのっていったいいつだろうとふり返って、思い出せないくらいに昔っからあるのがコナミの「武装神姫」って玩具で、いわゆる美少女フィギュアなんだけれども、イラストレーターなりメカデザイナーのセンスがそこに乗って、様々なタイプの衣装とうか装甲をまとったフィギュアが出回り人気があったり話題になったりしていた。ゲームにもなったけれどもそれは今も続いているのかな。分からないけれどもそれだけ力を入れながらも、映像化については「スカイガールズ」はやってもこっちはやらなかったものが遂にアニメーション化されて放送スタート。まあでもコナミのアニメなだけあって、「戦国コレクション」とか「セイントオクトーバー」とか「おとぎ銃士赤ずきん」とかみたいにどこかヌけた所があるアニメかと思ったら違ってた。

 まず絵が良い。作画が良い。ちゃんと描かれちゃんと動いてちゃんと見られる。そしてストーリーが面白い。世界観こそ説明がまだあんまりされてないけど、ああいった小さいフィギュアが実用化されてて、それらを戦わせる遊びなんかがあって人気になっているって社会を舞台にして、神姫を作っている少年の家にいる3体が、何かこれまでとは違った1体と出合うあたりから始まっていろいろ起こって行きそう。主人公っぽい少年に何か大きな特色がある訳でもなさそうだけれど、子供の頃からああやって神姫を作っているからにはきっと技術的な才能はあるんだろう。そんな少年をマスターとして闘いが始まるのか、それとも神姫たちの間だけで何かいろいろ起こるのか。原作もなくフィギュアだけがある世界なだけにまだ見ない先を楽しみにして見て行けそう。「戦国コレクション」は放送時間が被って見られない回もあったけれど、こちらは大丈夫なんで全話録画だ。

 昨日に皇室典範の改正は女性宮家の創設に慎重論もあって、政府の断念が決定したって堂々の見出しを付けて1面トップで報じた新聞があって、今日に皇室典範の最小限ながらも改正を含みつつ女性宮家の創設にはなお身長さを見せつつ、それでも減る皇族の人数をどうにかしようといろいろ考えていくって話を他の新聞が書いてそして政府もそれをそのとおりに発表したのを見るにつけ、最初に報じた新聞の立つ瀬の無さって奴を感じて気が抜ける。なるほど内容的には実はそんなに差異はないにも関わらず、見出しが決定的に真逆になって結果的に誤報となってしまった要因があるとしたら、それを望んでいない勢力への肩入れが過ぎる余りに、その勢力に阿りつつそうなって欲しいという願望を交えつつ書いたから。そうした事情がどこか透けて見えるのもいかにもって感じでさらに気が抜ける。

 なるほどその勢力にとっては、新聞を通して情報を操作し世に喧伝して自らの影響力を駆使できたって快哉もあるかもしれないし、主張が広くアピールできたって歓喜もあるかもしれないけれど、その他大勢の一般的な読者にとっては間違った情報を与えられたに等しい訳で、嘘が書かれていた新聞を果たしてこれからも支持してっくれるかっていうと難しいところ。むしろ最早これまでと見きっても仕方がない状況で、そうして一般的な読者が離れた果てに残る純度の高い阿呆たちに向かって、より純度を高めた間抜けを提供していく繰り返しが何を招くのか。分からない訳じゃあないんだけれども今の快哉と歓喜に阿ることで得られる高揚が、未来を潰しても平気な思考へと至らしめている様子。詰まるところ未来はもはやあり得ない、と。困ったなあ。と言い続けてはや10年とか。そんなもの。そう考えるとよく保ってるなあ。

 用事があって出かけた恵比寿で、予定までしばらく時間があったんでドトールでも入ろうとしたけどすごい人、なので近所をうろうろ歩いて時間を潰そうと路地を入ったら、入り口に古いロードレーサーを並べた店があったんで、近寄ったらずいぶんと前のコルナゴとかエディ・メルクスとかマジなんかが、20万円とかそんな値段で売られてた。変速機周りはデュラエースなんでそれほど滅茶苦茶高級車仕様って訳でもないし、だいたいが後ろのギアが5段しかなかったりして、推定するなら30年は軽く昔のマシンっぽかったけれど、それでもやっぱり憧れのブランドの自転車が、憧れていた時代のまんまで飾ってあるのには心惹かれるものがある。

 古い自転車なだけに、いったいどこまで強度が維持されているか、錆とか出ていないか、グリスとかちゃんと入れてあって稼働するかって辺りは気になるけれども、昔適当に転がしていた、古いジュニアスポーツに無理矢理ドロップハンドルを付け替えた自転車に比べれば全然新しいし、錆びたり壊れたりしている雰囲気もない。アルミやカーボンではなくクロモリフレームだてこともポイントで、その強さを信じるならば、今でも乗って普通に乗れるんじゃなかろうか。サイズが合えばちょっと欲しいなあ。でも新品が買えない値段でもないからなあ。時間を見つけてまた寄ろう。古い時代のカンパニョーロの変速機とかブレーキとかも置いてあったし。

 そして恵比寿にあるアスプルンドというインテリアショップで、エアロコンセプトという超カッコいいジュラルミン製のアタッシェケースとか名刺入れを作っている板金工場の社長で、職人でもある菅野敬一さんがトークを行うってんで見物に。2008年の3月とそして去年の夏前に行って話を聞いて記事にもした会社だけれど、時を経るごとにどんどんと名を広め、浸透度合いを高めている様子で、恵比寿にある広いアスプルンドのショールームいっぱいに人がやってきては、1時間半くらいに及んだ管野さんの話を誰もが熱心に聞いていた。

 そもそもがエアロコンセプトなんてブランドを知っているかどうかってところで、世の大半が知らないと言って当然で、テレビでCMをやっている訳でもなければ雑誌に広告が出ている訳でもなく、有名人が使ってますよとテレビで喧伝してくれる訳でもない。それなのに口コミで使う人がジワジワと広がり殺到する注文をさばくのに3カ月待ち4カ月待ちは当たり前。そしてこの不景気の真っ直中にあって10万円とか30万円とかするアタッシェケースや2万円以上するする名刺入れが売れていく。それはいったいどうしでだ、って気になる人も多くいたみたいで江戸切子を作っている職人さんやら東南アジアから雑貨や衣類を輸入している人たちも来て管野さんの話を聞き、質問なんかをしていた。

 答えはだからその品物を見ればたぶん分かることで、誰に媚びるでもなく誰に阿るでもなく、ただ自分が使いたいものを作って来たのを他の人も良いと感じ、作り手のそうしたマインドに共感して購入し、使い広めてきた結果、今のこの静かだけれども確実なエアロコンセプト人気ってものが誕生した。江戸切子の人は作家性を探求したい一方で、商業性も保たなくてはいけない矛盾をどう解決するのかって悩んでいたけど、そういう悩みをエアロコンセプトは越えたところにあって、一方に飛行機の部品中を作ってご飯を食べながら、傍らで職人の魂を磨いて来た。そこに江戸切子が届くためにはまずは技術を磨くこと、そして魂に共感するファンを増やすことが大切なんじゃなかろうか。

 インドネシアの雑貨も同様で、安価な労働力で作られたものだからと安価に仕入れて売ろうとしている大手に対してその価値を理解しその価値に正当な対価を支払う心を持ったファンを作っていくこと。フェアトレードという言葉もひとつのお題目になるけれど、それを言葉だけに終わらせない共感の輪を、群を作っていくことが必要なんじゃなかろーか。相手の思惑に阿り相手が喜ぶことだけやっていては、そこだけにしか届かずそして狭くなっていくだけ。どこかの新聞がそれをやって隘路にはまって着実な衰退をたどっている。そうではなく、己の主義主張に共感し支え広めてくれる人たちを作ること、それには言葉にも行動もしっかりと筋を通すこと。そんなことを改めて教えられた夜だった。しかし管野さん、相変わらず格好いいなあ、その魂に触れるには自分はまだあまりにも汚れている。磨き頑張っていつか手に入れようあのアタッシェを。


【10月4日】 去年にタイトルを奪われた羽生善治二冠がリベンジに挑んだ将棋の王座戦は竜王位にもある渡辺明王座を相手に羽生二冠が先に3勝して王手をかけていたけれど、そこは過去に対戦して羽生二冠に勝ち越していたりする渡辺王座だけあって、勝って巻き返しに向かうかなんてことも期待されていたものの、そこは過去にどれだけ苦手な対戦相手がいても戦ううちに追い抜いてしまって結果的には誰からも勝ち越すことになってしまう羽生二冠。この日の対局でも途中に追い込まれながらも「六6銀」とかいう攻防一体となった手を放ったらしくて、これが妙手となって最初の対局を千日手にしてのけた。

 そして再対局で共に1時間くらいの持ち時間という早指しの中を、やっぱり羽生二冠が着々と相手を追いつめそして午前2時過ぎに渡辺王座が投了となって1期での奪還を成し遂げた。トータルで見れば4勝1敗で完敗となりまた個別の対局でも逆転なんかを喫したことで、しばらく前まで得意としていた羽生新王座に対して渡辺竜王の苦手意識がここで生まれれば、他の棋士たちと同様に羽生三冠を仰ぎ見る存在へと落ちて行ってしまうのか渡辺竜王。それはこれからの対局次第になるんだろうけれども42歳になってもなお、20代の渡辺竜王を相手に完璧な勝利を演じてみせる、それも過去に倣うんじゃなく戦い方のスタイルを変えて勝利を掴んでみせる辺りに生半可ではない羽生三冠の強さとしたたかさが垣間見える。

 これで王座の通算が20期となって1つのタイトル保持数で大山康晴十五世名人に並んだりしてそれから1つのタイトルに連続して登場する記録を抜くことも確実になってますます第一人者としての地歩を固めていく感じ。けど谷川浩司さんだって佐藤康光さんだって森内俊之さんだって渡辺明さんだって、強い棋士はいくらだっていたのにどうして羽生さんだけがこうも突き抜けてしまったんだろう。そのあたりはきっと後世に誰かが研究するんだろう。今は一緒の時代を生きていられる幸せを噛みしめよう。

 せっかくだからと東京都現代美術館に回って閉幕間際の「館長庵野秀明 特撮博物館」を見ようして中に入ったらもう芋洗い状態でひとつひとつの展示を見られる状況にはなかったことが判明。それほど広く通路をとっている訳でもないんでプロップが飾ってあるテーブルをぐるりと囲んで見る人の後ろを動く人を、さらにかき分けかき分け進んでいくような感じになってしまって、前みたいに1つところに立ち止まって映像なかを見たりするのは不可能になっていた。これが週末休日となるともはや立錐の余地もないくらいの人が詰めかけ入場制限もかかりそうな予感。それでも見たいならやっぱり朝一番で行って入るのが良いかなあ。「巨神兵、東京に現る」だったら立ってでも見られるんでそれが目当てなら良いんだけれど、でも入場出来なければ見られない訳だし。狙い目はだから金曜日午前。

 こちらも8日までってことで「Future Beauty 日本ファッションの未来展」もさらっと見たけどこちらもこちらでファッションを学ぶ学生さんなんかが来ていてその高いファッションセンスが下の特撮展に来ているおじさんたちと対比になっていて面白いというか人種それぞれというか。もちろん特撮展にも美女とかいたけど率が圧倒的に違うわな。まあ仕方がない。コム・デ・ギャルソンとか山本耀司さんとか黒いカラスな服も並びあと三宅一生さんとかジュンヤ・ワタナベさんといった有名どころも並んだ展覧会は昔見た一生さん単体の展覧会に比べると、ただ服が並べられているだけで薄いと言えば薄いんだけれど種々ある服の実物が見られるってのはやっぱり大きい。雑誌だと角度もないからどう構築されているか分からないもん。背中にこぶができたギャルソンの服とかそうかそう縫っているんだってことが何となく見えて勉強になった。あとフォルム。それを型紙に起こすのはまた別のスキルが必要なんだろうれど、それも含めて勉強になるからあれだけ若い人が来てたんだろう。そのついでに特撮展も見て飾られたガラクタにしか見えないプロップをどう思うのか。ちょっと浮かぶ興味。

   届いた島津緒繰さんって人の「薄氷(うすらい)あられ、今日からアニメ部はじめました。」(このライトノベルがすごい!文庫)を読んだらどこかで読んだような感じがした、ってそりゃあまあそうだよな。高校に入ってひっそり凄そうと思っていた少年がエッチな絵を描いているところを同級生の少女に見られ脅されアニメ部に引っ張り込まれて起こる大騒動。ただ作りたいからといって傍若無人に振る舞うその少女に引っ張り回されるんだけれども、敵として立つ少女の姉で生徒会長で有能な少女に惹かれもしながらそれでもやっぱり少女のために頑張るといった感じの展開はライトノベル的なシチュエーションのひとつの王道を行ったものかも。

 少女がどうしてそこまでアニメを作りたいんだといった熱と、一方で少女の姉がどうしてそこまでアニメを嫌うんだといった冷の対比が、前はもっと際だっていたような記憶もあるけど、そこは学園生活の範囲をある程度リアリティのあるものにして、喧嘩している妹と姉がひとつのことを通して和解とまではいかないまでもそれなりに理解しあえるような道筋をつけるような展開に落ちついていて、読んでするりと入ってくるようになったって言えば言えるのかな。結果的にあまりに姉がスーパースター過ぎるんで、どうしても妹が目立たなくなっていたからこの辺はいい案配。あと家庭の内情にはあんまり踏み込まないようにした感じなのも、それが際だつとそこまでどうして熱を持つのかって部分に絡んで少女にいささかの特異性が見えてしまうから、なのかも。ともあれ良質の学園青春ストーリーになった感じ。普通にアニメ化とかされて、ラストの自主制作アニメをどう作るか、ってあたりを見たいなあ。


【10月3日】 あれほどネットを騒がし日本のポップカルチャーの記念碑的なイベントになると誰もが確信しているにも関わらず、桜坂洋さんの小説「All You Need Is Kill」のハリウッドでの映画化、それもトム・クルーズとエミリー・ブラントの出演というB級C級ではない本格的な映画化がワーナーブラザーズ映画から発表されたというニュースを、どこか日本の大手メディアが取り上げたという話はまるで聞こえてこず。人気アイドルユニットの誰かが何かをしたとかいった話はでっかくスポーツ紙の芸能面を飾っても、世界に日本のコンテンツが最上級の位置へと討って出たという話を無視するそのドメスティックで旧態依然とした価値観が、日本のメディアを衰退させているということにそろそろ気づいた方が良いと思うんだけれどそ、れが出来ないからこその衰退でもありまして。未来は真っ暗だ。

 まあ、向こうの報道が出ただけだったら気づかないのも仕方がないとはいえるけど、刊行している集英社のスーパーダッシュ文庫のサイトでも情報が出て、版元的にオフィシャルに認知されたってことで日本のメディアも堂々これで報道できるはず、それなのにやっぱり動いているような気配はなし。これが例えば日本人の女優がアメリカで作られる映画にちょっとだけ出演するといった話とか、あるいは日本人アーティストの楽曲が映画の中で使われることになったというと、大々的に取り上げられては日本人の海外進出万歳といった感じで報じられるんだけれど、それよりももっと快挙といえる日本人が書いた原作が、あのトム・クルーズの主演でもって映画化される、それは直木賞だとかいったものとはまるで無縁のライトノベルといったジャンルの小説だといった、多彩なバリューが団子のように乗っかったニュースがまるで完全に無視されている。やっぱり何かが違ってる。

 まあ、違ってるからこそこうやって世界とタッグを組める作家の小説を単行本で出したにも関わらず、文庫化を遠慮した出版社みたいなところも出てくる訳で、それはだから未来においてワールドワイドにスーパーヒットする可能性を持った作家よりも、現在においてドメスティックに確実に数字を稼げる作家を求めているって出版者側の保守的な思考の現れなんだろう。商売だから仕方がないんだけれど、もしもその作品をどんどんと載せて本の1冊でも出して置いたら、この波に乗って世界に討って出られたのかもしれないと今頃悔やんだって遅いんだ。でもそこで悔やむような神経があったら、既にハリウッドでの映画化が情報として流れていたにも関わらず、共著として参加していたその本の文庫化を他に任せはしないか。やっぱりとっても違っている日本の文化報道と文化産業。せめて集英社スーパーダッシュ文庫には頑張って、次の作品なんかも出してやって欲しいなあ。とりあえず「よくわかる現代魔法」の新刊出せ。

 やっと見た「アイアン・スカイ」はつまり、ナチスは純情なバカだったけれども今のアメリカは権力のクズで、悪さにおいてはどっちもどっちであって、むしろ現在進行形な分アメリカの方が質が悪いといったメッセージが、たっぷりと詰まったシニカルにシリアスな映画だったといった感じか。なるほど月面にアメリカの宇宙船が降り立ったらそこにナチスの基地があって、空気もないのに拳銃ぶっ放したりバイクを転がしたりして、そりゃ妙だろうといったツッコミを招く設定が山ほど出てきたりもするし、結構な苦労をして月面に再び人類を送り込んだように見えて、後半に地球の国々の宇宙船が戦闘機感覚で月までたどり着いたりして、いったい何だったんだって笑いと懐疑を招き寄せる仕上がりになっている。

 ナチスの描写はどこまでもステレオタイプで、アーリア人優先主義で黒人を白人に変えようとしてまるでそれを恥じない心性を見せたりして、過去のそうした振る舞いを揶揄してはいるけれども一方で、アメリカの大統領が再選を狙って打つキャンペーン施策はとにかく評判がとれればいい、押し出しを強く見せれば良いといったイメージ戦略に重点が置かれていたりして、まさに現在進行形で行われているキャンペーンの中身と重なる部分が大。そうしたメディア戦略を受け持つ担当の女性が「ヒトラー 〜最後の12日間〜」という映画の一場面で、総統パロディにひんぱんに使われているシーンをそのままパロディにしていたりする表面上の面白さもあるけれど、そうしたメディア戦略を徹底して行い勝利に向かって邁進する大統領選の裏側を、確実にとらえ鋭く揶揄しているという、深い部分での面白さも同時にあってただゲラゲラとは笑っていられない。折しも今がまさに大統領選の真っ最中。その裏側で行われていることがこんなんだったらいったい、何を信じたら良いのかって思わされる。

 最初はナチス思想に純粋一辺倒だったユリア・ディーツェ演じるレナーテ・リヒターは、地球へとやって来て大統領選のキャンペーン戦略に巻きこまれる一方で、街に入って月ではヒトラー礼賛の映画に編集されていた「独裁者」のフルバージョンを見て、ナチスの“正体”に気づき地球を滅ぼそうと企むクラウス・アドラーを妨害しようと頑張るけれど、そこに襲来して来た地球からの船が月のナチス相手に行った殺戮を前にして再び立ち止まって考えた様子。それは過去にナチスが行った残虐も残虐としながら、今また西欧が行っている正義の美名のもとの殺戮もまた殺戮なのではないかと思わせる効果を発揮している。見ていったアメリカの人たちが何を思うのか、ってあたりは興味があるところだけれど、ちゃんと公開されているのかなあ。そんな月面に襲来したかつての大統領選のキャンペーン戦略責任者、ヴィヴィアン・ワグナーがバトルシップに現れた時の格好は何のパロディなんだろう。「スタートレック」か? 服がピチピチなのはともかく背中のヒラヒラが。うーん。そうしたことをまとめた解説本が欲しいなあ。おっぱい凄かったし。とてもとても凄かったし。

 星にななった少年と、星を愛する少女が出合って別れるまでの7日間に交わされた心と心の触れあいから浮かび上がってきたもの。それは、未来から過去へと贈る生命の大切さを思い出させるメッセージであり、過去から未来へと贈る誰かに思われることの大事さを思い抱かせるメッセージだった。なんて話が書かれた本が、渡来みなみという人が書いた「天体少年。さよならの軌道、さかさまの七夜」(メディアワークス文庫)。有名な天文学者を父親に持つ少女が、父親について赴任した島に現れたタウという名の体が透けた少年は、自分を人間ではなく天体であり太陽系をめぐる小惑星だといい、そして時間を逆流している自分は7日後の少女と出会って、そして1日づつ時をさかのぼってきてこれが別れになると告げる。そう言われたところで少女にとってはタウは初対面。その時に彼が言った意味をすぐには理解できなかった。けれども。

 次の日に出合い、その次の日にも出合ってそれぞれの出合いが同じ日数くらいになった真ん中あたりで、少女はタウが未来に生まれてどんな経験をして、天体になってそして今こうして過去の地球に現れたのかを知って、その運命に驚きつつ彼に惹かれる。タウは学者らしく傍若無人な父親に愛想を尽かして出ていった母親にはついてかず、父親を選んで後悔とかかえつつ、それでも選んだことを納得しようとしている少女の複雑な心理に心を寄せる。すれ違いながらも近づいていく少女とタウ。そこでは彼女のことをまだあまり知らないタウがいて、それに向かって少女は自分が数日の間に経験して来たタウとの出合いをふり返って教え、そうなる運命へと導いていく。過去にタウに出合ったからこそそういう言動をとった少女の、その言動を受けてタウは過去にさかのぼってそうした言動をする。パラドックスともループともとれそうな不思議なシチュエーションだけれど、それがどこか必然として滲んで来ては、出合い認め合って別れる運命の尊さってものを浮かび上がらせる。すれ違う時間を設定して、その上に起こる交流を描いたSF的ラブストーリー。こんなのが突然出てくるからメディアワークス文庫は恐ろしいし読み逃せない。


【10月2日】 途中の端折り具合はやっぱり気になったけれどもここで存分に使うためだったと思えば仕方がない。オープニングすら省いて見せた「境界線上のホライゾン2」の最終回は総長連合と生徒会の面々による相対戦が片づいていよいよ武蔵とそれから三征西班牙とのレパントの海戦の決着となってここで負けじと三征西班牙が艦を捕縛されないよう爆破し武蔵に追撃戦をやらせないようにもして追いつめたところをブリッジにいるアデーレが、鈴さんの流体でつくる戦図を見ながら変な踊りを踊るんじゃなくって武蔵の動きを思い描いてそしてやってのけた全長8キロだか何かある巨大な艦の宙返り。それを遠くで見るは巴御前の最上義光とその周辺。そして三征西班牙の後ろにつけて発射した大罪武装に三征西班牙の面々も武器を使って守りに入るもののそこで働いたもうひとつの大罪武装が威力を増幅して迫る危機。それをしのいで武蔵の勝利で終えたレパント海戦のその後が綴られ極東武蔵の次なる戦いが示唆される。

 「きみとあさまで」のライブなんて文章でもあんまり読んだ記憶がないだけに、あんな感じだったのかと映像を見て納得、あれだけ凄まじい踊り子とそしてズドン巫女がいてさらに領主にして騎士のミトツダイラまでいるバンドはおそらく世界最強、そのパワーだけで世界制服だって出来そうだけれど役職にあるのって第5特務のミトツダイラだけなんだよなあ。でも喜美の方が戦ったらたぶん強いし、遠距離だったら浅間の方が圧倒的。やっぱりどこかおかしい武蔵。マルゴット・ナイトが長距離狙撃でコールブランドを自在に操っても凄いと思えないのも当然と言えば当然か。立花嫁の泣くところとか、文章だともっとクールに泣いてるかと思ったら案外にシクシク泣いていた。そんなギャップも映像だったら楽しめる。だからこそ願う続きの制作。終わりにかけて北条に伊達といった第3部から第4部で絡んでくる面々も出てきたのはいよいよ次を作る覚悟が決まったからなのか、それともここで出しておいて期待を募る作戦か。分からないけれどもこれだけしっかりと作られてそして売り上げも立っている作品が、作られないはずはないと思って待とう第三部、ミトツダイラの母ちゃんの顎を持つと自然と腕が挟まってしまう巨大な胸の登場を待ちながら

。  ついに来た。やっと来た。そして何かの始まりになるかもしれない桜坂洋さんによるSFライトノベル「All You Need Is Kill」(集英社スーパーダッシュ文庫)のハリウッドでの実写映画化。すでに一部にシナリオが売れたとか主演にトム・クルーズが決まったとかいった話は流れていたけれども、オフィシャルに何か出たってことはなかっただけに今回、こうして トム・クルーズのオフィシャルブログに堂々の映画化が発表され、そして出演者にエミリー・ブラントという女優やビル・パクストンというベテラン俳優、そして英国のテレビで「ロビンフッド」を演じて人気のジョナス・アームストロングといった面々が挙げられ何より2014年3月14日に公開されるって日程まで出たことで、これはもう確実に映画化され公開されることになったと断言して良さそう。

 過去に似たような話はあって日本の人気漫画や人気小説がハリウッドやらどこやらで映画化されるって話が新聞紙上をにぎわせたりしたけれどもそれは原作の映画化権が売れたってだけのことで本当に動き出すまでには紆余曲折がつきまとっていて、企画が練られてゴーサインが出るまでの間に数多の企画が潰れ消えていったっけ。しばらく前に「メタルギアソリッド」が映画化されるって話も出たけれどもこれもいったいどんなレベルまで決まっていることやら。アヴィ・アラドって著名なプロデューサーが絡んでいたってそうは動かないのがあの界隈。その点でこの「All You Need Is Kill」の場合はアメリカでビジュアルノベルとして翻訳刊行された原作があってそれを見て興味を持った人が脚本にしてそれをワーナーブラザーズに売り込んだっていった実話が最初からちゃんとあって、他の企画話とは最初からちょっと違ってた。トム・クルーズって話も割と信憑性をもって語られていただけに、それらが順調に実現していったって感じ。何がほかとは違ったのか。その辺は検証してみると面白いかも。

 あと日本の題材が這々の体でハリウッドなり海外で映画化されても、「ドラゴンボール」のようなものになってしまうことだって割とあるだけに、信じて良いものかどうかって悩みがいつもいつもつきまとう。バジェットは大きくスタッフも期待されながら散々だった「スピードレーサー」みたいな作品もあるからなあ。だから果たして「All You Need Is Kill」がどこまで原作のあの面白さを出しているのか分からないし、原作なんてほとんど変えられてしまっているかもしれない。だいたいが若者だった主人公がいい歳をしたトム・クルーズって点で大きく違っているけれども初年兵を兵役の素人に置き換えつつそれが直面した何度もの死を経て成長していくプロセスって奴を、そこに見せてくれれば意味は変わらない。なによりヒット作の匂いを嗅ぎつけ出演することにかけてはハリウッドでも屈指のトム・クルーズが引き受けたって所に期待が持てそう。2014年たって3月だから1年ちょっと先のこと。アニメーションの続編を待つよりはるかに近くやって来るその時を今は座して待とう。どんな映画になるのかな?

 しかしあれだけライトノベルを出していながら角川書店とそのグループからではなくって集英社という脇から出てきてほとんどゲリラに等しい戦い方をしているライトノベルのレーベルから刊行された本が、どこよりも速くハリウッドという場所にたどり着いてはトム・クルーズでワーナーブラザーズとうビッグネームでもって映像化されるというのはある意味で面白い展開かも。もちろん集英社スーパーダッシュ文庫だって決して他とは違った路線を走っていた訳ではなくって萌え系な美少女いっぱいライトノベルだって出して来た訳だけれどもそれらに混じって例えば「戦う司書」シリーズだとか、この「All You Need Is Kill」のようなハードな設定と世界観を持った作品を織り交ぜ刊行しては、その筋の読者の気持ちを捉えてレーベルの存在感を失わせなかった。あるいはこれが刊行された時代は今ほど萌えだ美少女だといった縛りがなくって、何か弾があれば出せた時代だったのかもしれず、そうした隙間にいわゆる一般のSFが逆に先鋭化してしまって出せないキャラクター性とストーリー性を併せ持った作品を、織り交ぜて刊行していたそんな中に、この作品もはまっていたのかもしれない。

 今はむしろSFの方がライトノベル的なキャラクター性を持った作品でも受け入れ刊行している時代で、逆にライトノベルのレーベルから本格的にSFだったりファンタジーだったりミステリーだったりする作品が除かれているような風さえある。たとえば今、ライトノベルのレーベルを探したところで果たして「All You Need Is Kill」のようなハリウッド大作に成り得る原作があるかっていうと微妙だけれどもそんな中にあって電撃文庫とメディアワークス文庫は案外にしたたかに、大量の新人を集め大量の刊行を行う中に紛れ込ませて出しているからいざ、何かあったらそういう方面からわっと求められることだってありそう。したたかだなあ。伝統の角川スニーカー文庫が何か萌え系レーベルになっているのが気になるといえば気になる。

 あの「涼宮ハルヒ」シリーズという、確かにキャラクターは立っていてもその設定に凄まじい捻りがあり、奥深さもあってSFとして屹立する作品を出していたレーベルなのに。あるいはそうした「ハルヒ」シリーズの人気をキャラの面からとらえそちらに走った結果、実は人気の一部だった設定の巧妙さが置き去りにされてしまっていたりするのか。分からないけれどもこの「All You Need Is Kill」が爆発的なヒットになるようだと、ライトノベルって何だろうって見直しが始まってそして大きく地図を塗り替え、様相を塗り替えるかもしれない。これから始まるっていうのはそういうことで、それをキャッチして評論とか書ければ波に乗れるんだけれど、そういう才覚はまるでないからなあ。むしろハリウッド受けしそうなライトノベルを勝手に翻訳してシナプス作って映画会社を回って売り込み前渡し金だけもらってトンズラする、インチキブローカーの方が早道かも。あっとだめだ自分英語まるで出来ないんだった。そうは甘くはないけどね。成功したて追われてメキシコで射殺されるのがオチだろうけどね。厳しいなあ。.

 あの「おしゃれ魔女ラブ&ベリー」ですら全盛期にとてつもない人気を評判を取りながらも終息させざるを得なかったことを考えると女の子を相手にした商売の難しさって奴も分かろうというもの。なおかつ「ラブベリ」を追い抜いた「きらりん☆レボリューション」が今どうなっているかを思えば容易に入っていくのも躊躇われるマーケットにバンダイが今度また挑もうというんだから豪毅というか何というか。カードを集めて着せ替えみたいなものを楽しむのは過去の作品をコンセプト的には同じ。ただ今時のアイドル少女人気なんかも鑑みそれでアイドルを目指すってコンセプトをつけた所はちょっと目新しく、CMのAKB48の板野友美さんを起用して広くアピールしようって考えたところもなかなかにしたたか。テレビ放送するアニメもサンライズが製作だから妙なものにはならないだろう。そうやって組んだトライアングルが果たしてどこまで浸透し、この分野を目下引っ張る「プリティリズム」を超えていけるのか。何より「プリキュア」シリーズって言う女児玩具のお化けも一方にあるしなあ、ってバンダイこの辺との食い合いは気にしないのか、それとも世代が違うと考えているのか。そんな当たりも含めて状況を観察。勝てるかな。残れるかな。


【10月1日】 朝からNHKでは違法ダウンロードに刑事罰が科せられるようになったというニュースをやってて、中でちょっと前に大流行しながら今なお存命だったのかと思わせるグループが出てきては、前ほど売れてないのとかいった話をしつつ違法ダウンロードの影響なんかを示唆していたけど、でもそれは売れてないから売れてないだけであって違法ダウンロードのせいじゃないと思ったり。だって今何やっているかまるで知らないのにそれをわざわざ探して違法ダウンロードする人なんていないだろうし、そもそもそれを違法アップロードしようとする人がいやしない。誰もが喜ぶと勝手に思いこむから違法にアップロードするんであってその“自己満足”が得られないアーティストをどうして違法にアップロードするのか。そこがちょっと分からない。

 よしんばアップロードされたとしてもそれがアップされていると探してまで聞くファンならCDくらい買うよなあ。それに及ばないんだったらその程度のファンしか今はいないということで、そっちを問題にする方が建設的だとは思うけれども一方に違法であってもダウンロードをして安く済ませたいというファンの気質も生まれてきているだけに難しい。それで対価が還元されないと分かっていても払う対価がもったいないという心理。あるいは対価が必要なのは分かっていてもついそこに無料のがあればすがってしまうという心理。そんな心理が積み重なって平準化してしまった状況下で、ビジネスをしなくちゃいけない音楽業界の人って大変だ。トラックダウンをしっかりやって最高の音質を謳い買ってもらうなり、おまけをつけてグッズとして買ってもらうしかもはや道はないのかなあ。それが出来るミュージシャンだけが生き残っていけるという。達郎さんとか。AKBとか。それらが並ぶか。うーん。

 講談社の敏腕編集者が担当している作家の支援なんかを受けつつ独立して作家エージェントを作るといった話が朝から流れていて、そういう時代なんだなあと飛び交う感想に納得しつつも一方で、たとえ自分が版元で育てていった作家たちとは言え、それを抱えて飛び出す形ってのはたとえ表面上は円満でも、やっぱりいろいろしこりが残るのかどうなのかって、考えるといろいろと興味深い。気になるのは編集者と作家との間にエージェントが入ることによって何が起こるのか、ってことで出版社が作家に支払う金額は今までといっしょで、作家は間にエージェントが立つことによって業務が効率化されるメリットを、お金で買っていると思ってもらえる金額から、一部をエージェントに支払いなさいといったことになるんだったら、見た目の状況はあんまり変わらない。

 エージェントが社員編集者に代わって編集業務も受け持ち、雑誌作りに参画する分、支払いを上乗せしてもらうといった構図も考えられなくもないけれど、それだって編集プロダクションから来た人が編集に参加している今とたいして変わりはない。ただのアウトソーシングであって、出版社が従来持ってた機能を外に出しつつ制作と流通を請け負う組織に様変わりしようとしてる、っていった産業構造の変化を象徴する流れと見ることも可能だけれど、それだと作家にとってどれだけのメリットがあるのか、作家のことを考える作家エージェントを名乗って有力な作家を抱え独立する以上は、そこのところがつまびらかにならないと、なかなか意味が見えてこない。

 アウトソーシングを実現し、流動性も実現するような出版産業の構造的な変化の現れに過ぎないのかそれとも、作家の最大利益を目指す組織へと変化していくプロセスがそこにはあって、利益がふくらむ作家が生まれていくのか、その一方で利益が損なわれる作家なりが出てくる可能性はあるのか、独立することで作家単体の収支管理が厳格化され、収益はすべて還元される方向になってそれで人気作家の収益を他に回して次を育てる連鎖が途切れ、未来が細くなっていくのか、等々の疑問と興味が浮かんで来る。果たして何が起こるのか。注意して見ていこう。

 あといかにも画期的なことのように取りざたされているけれども、作家エージェントだったら早川書房に勤めていた村上達朗さんが、独立してボイルドエッグズを立ち上げ作家エージェント業をもう10年以上も前に始めていて、そこからは三浦しをんさんという直木賞作家や万城目学さんというベストセラー作家、そして滝本竜彦さんという若手世代のスーパースターが出ていたりしてひとつの成果を収めている。ここが凄いのはまったくゼロの作家を集めて世に送り出したってことで、新人賞が硬直しているなかで新しい書き手を独自に見出しプレゼンテーションして出版社に買ってもらってだんだんと世の中に知らしめて来た。最初からある程度の成功が見込める人気作家を抱え独立するのとは条件が違う中で、見る目とそれから送り出す腕が必要な仕事をやって成し遂げたその技を、新しい出版エージェントといっしょにするのは違うかも。その意味でも続く蒲原二郎さんや叶泉さん、石岡瑠衣さん、徳永圭さんといった作家にはもっともっと世に出ていって欲しいなあ。あと一歩のところまで来ているんだけれどなあ。

 もうひとつ、講談社では「ファウスト」なんかを立ち上げた太田克史さんが子会社の星海社を作る形で独立はしているけれども従前からある講談社BOXは前のままだし講談社ノベルズもそのままで、そうしたところから送り出した作家を引き連れ移籍って感じじゃない。というか大きくなっていった作家はむしろ自分の手から話して他に引き継ぐというか、あるいは作家が離れていってしまうとういか、それは裏腹な関係なんだろうけれどもともかく作家と編集者の表裏一体をどちらかといえば敬遠して、常に新しい作家を見つけ寄り添い送り出してはまた次を育てる傾向が見受けられる。

 佐藤友哉さんのようにずっと併走はしていてもべったりって訳じゃなく、星海社からは新しい作家がどんどん出ているし、他で書いている作家もそこでは出せない毛色の違った作風で勝負させて、新しい市場を開拓している。それは機能のアウトソーシングでもなく業務の効率化でもない、出版社が本来もっている業務の先鋭化。最大効率を狙いプロモーションまで買って出るあたり、は既成の作家エージェントよりも深くて広い展開を出来るしやっているんじゃなかろーか。これもひとつの形であって、そうした様々な新しい形が生まれ並び育っていった果てにどんな出版文化が生まれるか。どっちにしたって面白いものを見せて読ませてくれれば読者としては満足。そうじゃないならすべてに無意味。だと思う。

 天恵とは一種の超能力のことでそれを持って戦争に備えながらも敗戦してしまい宙ぶらりんになった少年が、占領国が囲ったエリアにあるホテルに勤める羽目となって忸怩たる思いを抱え理不尽に堪え忍びながらも働くうちにだんだんと浮かんできたひとつの思い。同じ人間。けれどもそうは思わない面々が未だ跋扈し譲位をしかけて来る中で少年はかつての仲間と対峙する。竹岡葉月さんの「もちろんでございます、お嬢さま1」(ファミ通文庫)はタイトルこそ執事かコンシェルジュか何かの話に見えるし実際、理不尽な要求をぶつぶつ良いながらもかなえるコンシェルジュの少年の話なんだけれども、超能力を使ったバトルに臨んだり、自分を幽霊という少女の願いを叶えたりする展開の裏側に、幽霊少女の過去めいたものが挟まれ物語世界の裏側にある悲劇めいたものをのぞかせる。幽霊少女に何があってその知り合いに何が起こりそれは現在にどう影響していくのか? 紡がれる今後が楽しみだけれど、続くかな?


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