縮刷版2009年4月中旬号


【4月20日】 気がついてみたら名古屋テレビがネットワークに入っているテレビ朝日の系列で見ているアニメは「黒神」だけになっている。「機動戦士ガンダム」は言うに及ばず「戦闘メカザブングル」や「聖戦士ダンバイン」や「重戦機エルガイム」といった単独なんだけれどもそれぞれに個性があって今も大好きな富野アニメの3作品も、あんまり見てはいなかったけれども嫌いではなかった勇者シリーズも名古屋テレビ−テレビ朝日といったネットで見ては、どっぷりとアニメの面白さに浸らされていた。さらには「美少女戦士セーラームーン」に「スラムダンク」といった作品群。最近では「おジャ魔女どれみ」のシリーズ等々、世の中の話題になるアニメを発信していた局だったけれども現在、パワーがあるのは「プリキュア」くらい。それすらもシリーズ末期のそうざらえ的な状況に陥って後が見えなくなっている。

 名古屋テレビが「機動戦士ガンダム」を“捨てて”しまった理由を知らない。知らないけれども「ガンダム」は「ZZ」を最後にテレビ朝日へと製作が移って「G」「V」とあって「新機動戦記ガンダムW」が放送され、やおい的腐女子的人気から再度の盛り上がりを見せたものの続く「機動新世紀ガンダムX」が振るわずそのままフェードアウト。以後の「ガンダム」は20周年を飾る記念の作品「ターンAガンダム」がフジテレビ系で放送されたものの時間帯が悪すぎてやっぱり振るわない憂き目を喰らう。ようやくたどり着いた毎日放送系TBSでの全国ネットで「機動戦士ガンダムSEED」と続編「DESTINY」、さらに「機動戦士ガンダム00」からその続編と4作品が作られたものの、果たして次はとなると誰も明確なことが言い出せない。

 或いは決まっているのかもしれないけれども、いつどこに移っても不思議じゃないくらいの不安定さが滲んで見えるコンテンツ。世界に冠たるアニメ大国を代表する作品であっても半ば流浪の民と化している現実を鑑みるに、名古屋テレビが”捨てた”理由の少しばかりが見えて来そうな気もする。これが「ドラえもん」なら、「サザエさん」なら20年が30年だって平気で放送できたんだろうけれども、変わらない日常ではなく激変する非日常を描いてナンボの作品に、永遠の繰り返しこそが人気の秘訣のロングセラーアニメの真似なんて出来はしない。「ガンダム」は必然として衰退した。けれども今なお何かとてつもないポテンシャルを秘めているような扱われ方をされているところに、乖離が生まれて見てくれのよろしくない作品が出てくる不安を覚えて成らない。例えば「ルパン三世」のテレビシリーズのように。果たして。

 別れたくない一心で、女性が男性を包丁で刺したなんて話は江戸の昔からあるし、昭和初期にはセックスの最中に女性が相手の男性を殺し、局部を切り取った阿部定事件なんてものも起こった。男を求めて止まない女がガツガツとした態度に出るのは、今に始まった話じゃない。それなのに世の中は「肉食系女子」なんて言葉を作り出して、男に前向きすぎる女たちを取りあげては、珍獣のように取り扱う。

 冗談じゃない。女たちははどう猛さを増してなんかいない。男たちがヘタレになっただけ。女にギラギラとしてない男が増えたばかりに、女のポジティブな態度がクローズアップされてしまうのだ。自動車で女が男を5回轢いたってのはさすがにちょっとひいたけど。でもそれで反撃しない男もやっぱりヘタレているよなあ。それにしても一体全体、どうしてこんな世の中になってしまったのか? 誰が一体悪いのか。そのヒミツを合コンの女王にしてオトシの女王、「すぐにヤラせる女」として、山手線の全駅のトイレに携帯番号が書かれた肉食系女子のトップランナーが、草食系男子と肉食系女子の実像を白日の下にさらけ出す。

 決断力がなく行動力に乏しく性欲だってまるでない。合コンに来ているのに女性から誘われたら逃げるなんて言語道断、合コンは飲み会じゃないんだ! そんな男への怒りの声にはごもっともというより他にない。今の経済情勢では、結婚したって一生を添い遂げる自信がない。そんな理由で女から目をそむける男もいる。でも安月給でも家族を養って来たのが昔の日本人。できない理由にはなならい。ようするに自信のなさ。拒絶される怖さ。そこに男が引っ込み思案になってしまった理由があって、すぐには元にはもどらない。

 ならば対立は続くばかりなのか。解決策もあるけれど、まずは互いをよく知ることから始めよう。桜木ピロコの「肉食系女子の恋愛学」は、そのためにとっても役立つ書。肉食女子の分類から成り立ちからしっかり紹介し、なおかつ草食系男子の成り立ちから分類までをしっかとえぐって見せつける。オタクが二次元萌えだとかいったステレオタイプな誤解もあるけど、外から見ればそんなもんなんだろうから仕方がない。腐女子への理解もやっぱり通り一遍。だけど総論としては間違っていない。読み込めば相手を知りすぎた草食男が肉食女をまくテクニックを覚えてしまうことだって起こりそう。ダメじゃんそれじゃあ。まあそのときは本気で女が男を狩りに出て、かくして日本はアマゾネス国家となり果てるのでありました。生きているかなあそれまで。

 訳あって「スウィングガールズ」のDVDを見返す。やっぱり面白いよなあ矢口史靖さん。「ハッピーフライト」のDVDとかブルーレイも発売が間近に迫っているけど、学生たちがマイナーな部活で盛り上がっていくプロセスをエンターテインメントに仕立て上げた「ウォーターボーイズ」と「スウィングガールズ」のフォーマットは、その後の邦画にフォロワーをわんさか生みだしたことからも確かさが伺える、ってそれはアルタミラピクチャーズの面々が、大映にいた当時から手がけていた「ファンシィダンス」に「シコふんじゃった」を経て「Shall we ダンス?」辺りへと続くフォーマットと大差はない。「がんばっていきまっしょい」ってのもあったなあ、田中麗奈さんのブルマーが拝める貴重な映像。あと眉毛も。ぶっといままの。

 けれども「がんばっていきまっしょい」ではまだストレートな部活青春物に収まっていたのが、コメディセンスに溢れた矢口さんの参画によって、「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」といった具合に、誰もが楽しんで笑えてそれでいて新しさに驚けるエンターテインメントへと発展した。「ハッピーフライト」はさらに進んで企業の活動のそこかしこから得られる発見がエンターテインメントにになるってことを証明してみせたみたい。ならばその先は何なのか。「ひみつの花園」みたいな疾走するシチュエーションのエスカレーションなのか。次に何を撮るかより、何が題材なのかが興味を持たれる監督なんだなあと今さらながらに実感。


【4月19日】 名古屋テレビが7月に「機動戦士ガンダム」の放送開始30周年を記念したイベントを開くとかでミッチーこと及川光博さんとかがコスプレをして登壇したとかしないとか。なぜ7月、ってあたりがまずは理解不明なところでやっぱり放送開始の4月7日をひとつの起点にイベントを考えて欲しかったということで、そから1年にわたって今なお名古屋テレビにアニメファンからの憧憬をもたらす「ガンダム」という作品への敬意って奴を、表して欲しかった。「ガンダム」みたいなアニメを作ってみたいと名古屋テレビを受験した地元学生もきっと多いだろうから。かくいう僕も含めて。落ちたけど。受かってればいまごろ給料は4桁万円を軽々と超えていたんだろうなあ。倍はあったかもなあ。などと遠い目。

 あとは「ガンダム」の放送を視聴率はともかくとして玩具があんまり売れないからといってスポンサーの意向を汲んでうち切ったにも関わらず、いけしゃあしゃあと「ガンダム」発祥の局を標榜して商売に結びつけようとしていあるあたりへの、釈然とした思いをあんまり気にしていないところか。んでも実をいうなら「ガンダム」なんてほとんど見ていたかった身であるにもかかわらず、後続の「無敵ロボトライダーG7」は割に最初っから見ていたりして、「おれはしゃちょうでしょうがくせ」とかって歌を結構気にいって口ずさんでいた。

 何より「トラG」が持っていた零細企業が虎の子のロボットをつかって経費とかも気にしながらあれやこれや仕事をこなしていくって設定は、「ガンダム」ですら描き切れていなかったロボットが実際に作られたら幾らかかってどれくらいの維持費がかかるのか、っていった実経済との関わりを描いてあって後の例えば「機動警察パトレイバー」なり、小説だったら「歩兵型戦闘車両00」なんかに受け継がれてはシリアスとは違った意味でのリアルって奴を、アニメにいれこんだ作品のはしりとして、今なおやっぱりそれなりの意義でもって語られるべきなんじゃなかろーか。富野シリアス路線ばかりが名古屋テレビアニメでも、サンライズアニメでもないってことで。

 ああでも「最強ロボ ダイオージャ」はちょっといただけなかったなあ、その情報が出回り始めたころは「ガンダム」の再放送がひとおりすんで、僕自身もそして世の中もリアルロボット路線が全盛となっていた感じがあって、そこにコミカルリアルでもない荒唐無稽さとそれから水戸黄門だなんてアナクロニズムを叩き込んだ「ダイオージャ」が来られた日にはどんな顔をしてみたら良いのか分からない。これが「宇宙戦士バルディオス」だったらアフロディアって美人がいたし主題歌も恰好良かったんで見ていられた。それにリアル路線だって「太陽の牙ダグラム」から「装甲騎兵ボトムズ」のようなミリタリー系は受けても、「伝説巨神イデオン」みたいに訳の分からなさが伝説的に行き過ぎてしまうとリアル路線でも客はついてこなかったから。つまるところは「ガンダム」って看板が強すぎたってことか。だから30年後も続いてめーてれも古証文のように引っ張り出して来たくなる、と。こんなバケモノとタメ張ってる「ボトムズ」の偉大さが、改めて強く浮かび上がって頭が下がる。それに高橋良輔監督は今にいたるまで現役だし。

 横浜へと蜘蛛を見に行こうかと思ったけれどもラ・マシンならデカい女の子が歩いていなきゃあ意味がない、ってこともあって最初っからの予定を遂行し、「フクダ電子アリーナ」へと女子サッカー「プレナスなでしこリーグ」の「ジェフユナイテッド市原・千葉レディースvs日テレ・ベレーザ」の試合を見物に行く。このカード、むかしはまだLリーグとしてディビジョンが別れていなかった時代に東日本リーグの同じチームとして対戦したのを遠く「よみうりランド」まで見に行ったことがあって、2003年7月19日のことで朝に今となっては某社が転落の一途を辿り今なお転落しっぱなしの一因にもなったイベントだった「ジュラシック・パーク・イスティテュート・ツアー」の取材をこなした後で、夏の暑い最中を「よみうりランド」まで駆けつけ小倉優子さんの水着のポスターに感銘をうけつつ、たどりついたヴェルディグラウンドで試合を見物したっけ。

あれから6年。近賀選手もがむしゃらさが出てきた。清水由香選手は抜け出してきた。隔世。  振り返ってみるとすっかり代表に定着した近賀ゆかり選手がまだデビューして間もない頃で、当時から男前な顔立ちをして結構気になっていたんだけれどその強気なキャラクターが今にいたるまであんまりメディアなんかで取りざたされないのな何だろうなあ、ああ見えて案外に引っ込み思案とか? それはないか。あとは荒川恵理子選手が復活の兆しだったみたいでこの後の活躍とそれから人気ぶりはご存じのとおり。アメリカでも大喝訳注みたいであのアフロが世界を席巻する日も遠くない? それはそれとして試合の方はやっぱりというかベレーザが7対0でジェフレディースを下して強さを見せつけた。もうひとつのホームでの試合も記録だと9対0で敗れていたからきわめて弱小だった模様。ただ試合後とかに「もうちょっとなんだけどなあ」といった声が誰から聞こえたよーに、守備の集中力と攻撃の正確さを整えれば、女王相手でも何とかなるんじゃないのって雰囲気はあった。まあその2つが出来ないからこその弱小なんだけれど。

 それからだいたい6年。2部性になったリーグで公式戦として戦うのはえっといつ以来? もしかしたら全日本女子サッカー選手権で戦っていたかもしれないけれども、本番のリーグ戦ではたぶんそうとうに久々となる試合で見えた両チーム。かたや2部を屈指の強さで抜け出し、1部での1戦目にも勝利して底力を見せたジェフレディースで、こなた主力の引退と海外移籍もあったものの強さは代わらず初戦でFC高槻に勝利したベレーザの対戦は、今の両チームの力の度合いを測りそしてリーグのレベルを計る一線になるって期待もあって開始前からピッチに注目。同じ気分の人もいたのだろうか、あるいは昨日の兄貴分の試合っぷりに感動して妹たちも応援してやんないとって思ったサポーターもおおかたのか、開放したメインスタンドはほぼ満席という状況で最終的には1500人以上が入場。6年前だったらベレーザの試合でも300人がやっとだったことを思うと隔世の感って奴を深く覚える。みんなよくがんばった。

 んで試合はといえばやっぱりベレーザ強いなあ、まずパスが正確で強さもスピードもあってちゃんと見方に届く。ジェフだとこれが強さが足りず方向も不正確で見方にちゃんと届かない。というか見方のいるなしに関わらずプレッシャーを避けようとして蹴り出しているだけって感じもあって、そんなボールのことごとくを拾われ攻撃に結びつけられるから守戦の一方になって落ち着かない。そうこうしているうちに真ん中から木龍七瀬選手にどかんと決められまず1失点。そこから落ち着きを取り戻して不用意に打たれることはなくなり、守備も奮闘して最後に1歩の脚も出て、止められるよーになったけれども攻撃となるとやっぱりボールが前戦へと渡らず、折角の清水由香選手の俊足を活かせない。石田美穂子選手はセンターできっちりさばいてもサイドからの攻撃に枚数が足りず滞る。大してベレーザはサイドで3人がトライアングルを作り、パス交換から走り込んで受けて渡す繰り返し。セオリーをきっちりこなせるテクニックもあってなかなか止められない。

 そんな中から抜け出してサイドを切り込まれそこから中に入れられたボールを走り込んだ宇津木瑠美選手がしっかりあてて放り込んで2点目。さらにコーナーキックを遠目からゴール前にヘディングか何かしたボールが届きそうになかったところを、そこにいた年若い岩渕真名選手がすくい上げるように浮かすとループ気味になってゴール前を固めるディフェンダーの頭を越えてゴールイン。これはちょっと不運だったけれどもその前の2点はパワーとスピードとそして何より正確さでもってベレーザに一日どころか100日の長があることを証明していて、さすがは女王様って貫禄にジェフレディースの選手たちも改めてディビジョン1の強さを感じんじゃあなかろーか。

 とはいえ6年前に比べれば進歩も格段。ベレーザが相手ではなければ守れるし、ディフェンダーの延ばす1歩が届いてしまうベレーザとは違った中堅どころならトップにボールも治まり清水選手の俊足を生かしたスピードのある攻撃で得点を奪えそう。守備も安定しているし、何より最後まで体力が落ちていなかった。相手が相手だったとここは切り替え次の試合に向けて練習を積んでいって欲しいもの。対してベレーザは強いんだけれどやっぱり圧倒感がちょっと足りないかなあ。大野忍選手の運動量とテクニックだけは超一流だし豊田選手に岩清水選手や須藤選手あたりが固めるディフェンスも強固。だけれど攻撃のアイディアってあたりがまだ足りず、サイドに張ってる木岡選手と岩渕選手の速度に頼っている感じが。トップ下気味な永里優季選手の存在感もダウン気味。小林弥生選手の復活は嬉しいんだけれど変幻自在のパスの受け手に乏しい中で果たして長丁場を乗り越えていけるのか。とりあえずは5月のTEPCOマリーゼと浦和レッズレディースとの連戦が今シーズンの強さを計る試金石になりそー。ジェフレディースには次の高槻戦に勝てれば残留も固まるか。見に行きたいが遠いなあ、高槻は。


【4月18日】 見て1番美麗さで心に残ったのはやっぱりセイラ・マスの入浴シーンだけれども、あっけらかんとした健康さではフラウ・ボウがキッカたちにシャワーをかけているシーンのほとんど丸見えな状態もなかなかのものあった。「機動戦士ガンダム」という作品を見る原動力にストーリー自体の面白さがあることは言うまでもないことだけれど、43話の中に3回、挟み込まれる女性陣の入浴シーンは中学生あたりのもてあまし気味な欲情を引きつけて話さず、いったいいつ出るんだ次にに出るのかっていった感じで毎回を見させずにはいられなかった。

 インターネットが発達して情報が氾濫している今なら誰それは何話でもって風呂に入る、シャワーをあびるといった情報をつかむことができるし、これは決して正しくはないけれども画像とか映像までもがアップされて繰り返し見返すこともできる。でも30年前はそうした共有化された情報なんてなかったし、かといって雑誌にだって何話のどこにそうしたシーンがあるとまでは書いてなかった。すでにスタートして流れている再放送を雑誌の発行なんか待って見ていたら通り過ぎてしまう。だからそういうシーンがあるらしいと聞いたならば、ずっと見続けるしかなかった。それもリアルタイムで気を抜かず。集中できるはずだよなあ。

 今ならHDDに撮って何度も繰り返し、スローなんかも使って再生できる。でもそうして簡単に得た情報が心に響くかっていうとこれがなかなか悩ましい。テレビの前で正座まではしなかったけれども画面と真摯に向かい合って、一言一句を聞き逃すまい、大切なシーンを見逃すまいと集中していた時代の方が、実はしっかりとアニメに向き合っていたってことはないんだろうか。本でもそうでお金がなくって1冊の雑誌を隅々まで読み小説も2度、3度と繰り返して読んでいた時の方が今みたく1日に何冊も読むより幸せだったような気持ちもある。

 物質的に豊かであることと精神的に満ち足りていることの差。これは見る側だけでなくって作り手の方のスタンスにも果たして影響を与えているのかどうなのか。集中して見られることを意識して連続活劇を作っていただろう時代の方が、今の繰り返し見られパッケージとして販売されてまた見られる時代よりも作り方に熱と工夫があったのではないのか。なんてことを考えてみたりする今日このごろ。でもだからといって裸とパンツはいっぱいあった方が嬉しいのには変わりがない。煙や光りでぼかすな頼むから。

 ああよかった、バルメはちゃんと生きていた。「BLACK LAGOON」が掲載されていない号の「サンデーGX」ってどうも買う気が起きなくって先々月にカレン・ロウから撃たれて風穴を開けられたバルメがいったいどうなったか、まあ側にヨナくんも着いているからすぐに救出するだろうなあとは思っていたけど「ヤングキングアワーズ」じゃあ先達の伊藤明彦さんが「ジオブリーダーズ」で殲滅戦を演じてくれちゃっているだけに、ココ・ヘクマティアルの私兵も次々にお陀仏だなんて事態もついつい想像してしまった。

 けど間をおかずに発売になった高橋慶太郎さん「ヨルムンガンド」の第6巻ではバルメどころかヨナくんに腹をぶち抜かれたはずのカレンまでもがしっかり存命でいっしょの病室に入り隣同士でおねんねしてたとか。鍛え上げられた背筋なら弾は止められても腹筋胸襟ではさすがに抜けると心配してたけれどもそこは少将のお弟子さん。なかなかな銃では殺せないってことなのか。病室をこっそり抜け出したってことはその時はバルメと2人きり。ってことはカテーテルでもシーツでも何でも使ってバルメにトドメを刺していくのが復讐なのにカレン・ロウ、ひとり静かに抜け出したのは「こんな世界もういやだあ」って叫びといっしょに闘争心とか復讐心もすっぽり抜け落ちてしまったのか。凶悪凶暴な女性が1人、退場。

 代わって最新号の「サンデーGX」の連載にて最凶悪にして超凶暴そうな女性が登場。名をヘックス。CIAの最前線で活動する準軍事工作員。スケアクロウのよーな荒事と情報のぶん回しのミックスでもって事をまとめる手合いとは違って純粋に暴力でもって敵を追いつめ殲滅する戦闘員。それがどういう経緯からかココに何か含みを抱いてて、殺し屋一味を送り込んでは撃退されたのを機会にいよいよもって自分で銃を取りあげ始めた。いったいどれくらいの凄腕なのかって期待もかかるけれども、ハンガリーあたりで色仕掛けをした体はただのグラマラス。バルメやカレンのようなマッスルの段差が括れになってる超絶的なグラマラスとは違った人種の人っぽいけど、それはココちゃんだって同じこと。配下の奴らを使って荒事をこなし、決断力と闘争心とそして狂気を振りかざし、ココへと迫って行くんだろう。どんなバトルが繰り広げられるか? 毎号掲載を宜しく。

 こっちでも凶暴女の大爆発。掲載なった「BLACK LAGOON」ではロベルタ婦長殿の追撃をかわした米軍が抜け出しダッチたちと合流して川を下り始めたものの、船にはガルシアおぼっちゃまも乗っててファビオラも付き従っててそこでレヴィとひともんちゃく。未だ真っ当な思考を残したファビオラがレヴィの無茶っぷりに呆れかえってみせたもののそこはそれ、地獄の底を舐めてからはい上がってきた筋金入りのレヴィの方が1枚2枚、上手だったよんで深淵からわき出てくる汚濁を啜って生き延びてきた迫力で、ファビオラを黙らせ迫るロベルタを迎え撃つ、と。きっとバラライカの姉御も地獄を見てきた口なんだろうなあ、そしてロベルタも。雪緒もあそこではいつくばってでも生き延びれば凄い女になれたのに。第1巻に勢揃いした3人の女がやっぱり「BLACK LAGOON」では主役だな。

 「アラド戦記」は谷間の女キャラの眉毛が太すぎるのが気になったんでもう良いや。「ハヤテのごとく」がことごとくつまらないのはマリヤさんがまるで話に絡んで来ないからなのか。それとも単純に展開の問題? 真夜中にこれをいったい誰に見せて金を取りたいのだろう。「明日のよいち」にはまだ3女の巨乳があったし「To LOVEる」はいっぱいっぱいちらりがあった。「ロザリオとバンパイア」はチラリところか毎週もろ。週刊少年漫画誌からだって真夜中に向けてしっかりいろいろとテコを入れているっていうのに「ハヤテのごとく」にそんな影はチラリとも見えない。どうしたいのかねえ。「神曲奏界ポリフォニカ」は自信無乗なフォロンのおろおろっぷりが見ていて痛々しい。コーティがくっついているってだけですっげえ自慢できるのに。レンバルトのような“天才”がやっぱり眩しく見える年頃なんだよなあ。

 そうやって10代20代に憧れた“天才”が30代40代になるとまるでいなくなっているって神山健治さんも話してたってけ。神山さんの場合は何かによって才能を発揮するのが嫌になってしまった可能性を指摘していたけれども、一方には若者の間の天才ってのは世間における天才とは違うってこともあるんだろう。学校で1番のお笑いの天才がプロになって天才だった、なんて話しもそうはないし。グレチキどこいった。漫画については天才は天才なんだけれど。場の空気で盛り上がれるお笑いとは違って漫画は嘘を付かないから。「戦国BASARA」はやっぱり伊達政宗だけが若すぎる。だいたいあいつ桶狭間ん時生まれてねえじゃん。謙信と慶次はだいたいいっしょぐらいで大丈夫か。幸村もそうか生まれてないのか。きっと後に活躍するのは2代目政宗に2代目幸村なんだな。花びらを散らしてエクスタる忍びはいつみても立派だなあ。全然忍んでないけど。

 ジェフユナイテッド市原・千葉が実は最強だというのはリーグ戦でここまで負けたのが開幕戦のガンバ大阪と適地に乗り込んで寒さに凍えたモンテディオ山形戦だけであとはすべての試合で負けていないってことからも分かっていたけど、負けていないことは強いことじゃないって頭の良い人たちが言うもんだから、だったら本気を出して見せようってことで乗り込んだ国立競技場はFC東京戦でもって遂に攻撃力が大爆発。不用意な石川直宏選手による1点は許したもののあとはしっかり守りきり、相手がもうダメですこれまでですと疲れ果てたところで巻誠一郎選手が叩き込み、ロスタイムに入って深井正樹選手も叩き込んで鮮やかに華麗に大逆転を演じてみせた。何というスペクタクル。何というエンターテインメント。単に横綱相撲で押し出すんじゃなくって瀬戸際まで絶えて堪え忍んで逆転してみせる、プロフェッショナルレスリングの神髄って奴を見せてくれた。ああ面白かった。

 って言えば言えるんだけれどもそれまではやっぱりパスがつながらなず、トラップをミスしドリブルを奪われるシーンが続出。パスの速度が弱いのか精度が悪いのか、せっかく良い形で持っても見方に渡らず攻撃の手が止まってしまうことが相変わらずよくあって、なかなか攻撃に結びつかない。対するFC東京なんかはサイドでしっかりキープから3人が走ってパスを交換して前へと進めるプレーが何度もあって、サイドを破られ正確に放り込まれてこのままでは失点も間近かって不安がもくもくと浮かんでなかなか消えなかった。ジェフ千葉は最後にアレックスが突破でグラウンダーなクロスを入れて得点できたけれども工藤浩平選手なんかの浮き球のクロスはことごとくがオーバーか相手のブロック前。このあたり正確性を出すか、あるいは速度でもって攪乱するなししないと得点はちょっとなかなか奪えないんじゃなかろうか。その辺りをどう改善していくか。今回の勝利でつけた自信も加味しつつ前へと進める手段をもっと、練り上げそして熟達していって欲しい。でないとジリジリする展開に胃を悪くしてしまいそーだから。ともあれよくやった巻&深井。君たちがエースだ。


【4月17日】 昔を振り返っていたら現代で仰天のニュース。お台場に立つ「機動戦士ガンダム」の等身大の像の方に「東京オリンピック」の2016年招致を目指す活動のシンボルマークが張り付けられることになったとか。場所をお借りして募金なんかも確かすることになっていた「ガンダム像」が東京都のやることに協力するってストーリー自体は悪くないけど、方に「ガンダム」とはまったく無関係のマークを付けるという了見だけは気に入らない。だってリアルじゃないじゃん?

 架空のアニメーションに登場するロボットを指してリアルも何もないんだけれども、それをリアルと信じて楽しんで来たからこそ30年目の今に至る「ガンダム」の人気がある。18メートルの「ガンダム像」はそんなリアルの探求の延長線上にあって集大成ともいえる期待のプロジェクト。ファンはだからそこにサイド7で立ち上がってザクを蹴散らしたガンダムに感じた強さと大きさを、リアルなものとして体感したいと思って完成を心待ちにしている。

 それなのに招致マーク。「ガンダム」とはまったく無関係のシールが取り付けられたそれはもはやリアルな「ガンダム」ではなく「ガンダム」の形を借りた看板に過ぎない。松戸にかつてあって今は栃木に移された半身像でも、富士急ハイランドにある涅槃像でも、作り手はアニメのリアルを世に再現しようとして頑張って、あれだけのものを作り上げた。残念ながら半身だったり寝ていたりして大きさを実感するには至らなかったけれども、決して虚仮威しの客寄せガンダムではなかった。それなのにお台場では客寄せにもならず、ほとんど絶対的に五輪招致に影響を及ぼさない活動に勤しんでリアルへの夢をぶち壊す。無様というより他にない。

 いったい誰が言いだしたのか。それをやることによって誰かが得をするのか。そうして得られたものが「ガンダム」そのものの未来につながってくれるんだったらこんなに嬉しいことはない。たんなるご機嫌取りなら頂けない。まったくもって頂けないんだけれども果たして。まあ期間中のすべてでシンボルマークが付けられる訳ではなさそうなんで、立ち上がったら早々に行ってその偉容に触れつつ、シンボルマークがついてからは代わった看板としてその不思議さを味わいに通うとしよう。いっそだったらあの巨大な東京都庁をシンボルマークでラッピングしてしまえば良いのに。ついでに江戸東京博物館も。「東京ドーム」の真ん中にでっかく描き都知事はシンボルマークつきの褌で都心部を練り歩く。それだけやったら「ガンダム」にだってマークを付ける所業を認めるに吝かでない。

 男に手を差し伸べられる女が一流なら、男に手を差し伸べさせられる女は超一流。「東のエデン」の第2話は日本に帰ってきた滝沢朗と森美咲が空港で混雑に巻き込まれた中から不思議な携帯電話の力というかお金を借りて脱出してからそこでお別れしようということになって、内定者の説明会に行かれず時間がぽっかり空いてしまってさあこれからよろしくおつきあいって画策していた咲は梯子を外され憮然。トイレで笑顔の練習をしてこりゃあダメだとため息をつく、その仕草の可愛らしさに潜んだあたしって結構イケてるはずなのにどーして滝沢は逃げちゃったんだろうって自信と憤りとやるせなさが、見えて女の底知れなさって奴を伺わせる。

 けれどもそこは運をも呼び込む良い女。記憶をなくして行く場所が分からない(というのもたぶん言い訳、だって聞けばいいじゃん携帯でコンシェルジェとやらに)と戻ってきた滝沢とぶらりぶらり水上橋でお散歩。そしていよいよ再びのお別れとなった時に桟橋で立ちすくむ森美咲の、どこかに何かを感じたのだろう滝沢朗がさっと手を差し出して森美咲を船へと引っ張り込む。気持ちが通じあった瞬間。出会いが偶然から必然へと変わった瞬間。実に名場面だったけれどもその背後に蠢いていたあたしに手を差し出しなさいよって内心の叫びが聞こえてきて、人間関係の複雑さって奴を感じさせる。

 あるいはやっぱりここは普通に純真無垢な森美咲がいよいよもってお別れとなって泣きそうになっているところを、しばらく放置し内圧を高めさせた上で手を差し出すことで根こそぎ引っ張り込む滝沢朗の作戦と、考えるべきなのかもしれないけれどいろいろ伏線もありそうな話だし、両親のいないなかを親戚の間で生き抜いてきた森美咲には、周囲の人間に何かをさせてしまう能力が自然と備わっているのかもしれない。駆動力になり得る存在を動かなくっちゃいけないセレソンに接触させることで滝沢朗のセレソンとしての行動を、促しクオリティを上げて日本を良い方向に導こうとしている勢力が、実はあってそれにみんな動かされているだけってこともあるのかな。いずれにしても2話でまだ見えない設定にキャラクター。続く展開でどんな肝心意明らかにされているのか。こりゃあ見逃せないわ。

 鳥羽徹さんの「オルキヌス 稲朽深弦の調停生活」(GA文庫)は端的に言うなら異文化コミュニケーションとはノリとボケとツッコミだ、という話であらゆる会話にボケとツッコミが入りまくって1ページに3回は笑え、読み返してまた笑える。くすくすくす。幻獣(オルカ)の暮らす惑星オルキヌス。知性もあるけどなわばり争いもするオルカたちの間に立って調停する仕事の資格を得た若い稲朽深弦が意欲満々にやって来たら、師事するはずの先輩は1年ばかりの旅に出て行方不明。かといって追い返されてはせっかくの合格が無駄になってしまうと、頑張ってオルカたちの調停に乗り出すことになるのが……。

 ってところで始まる新米調停者の奮闘記。人類の減ったあとにはびこってきた小人と人類との間を取り持つ職務に振りまわされる少女が主役になった田中ロミオさん「人類は衰退しました」(ガガガ文庫)とに似たフォーマットだけれど、小人のようにシュールにボケ倒しっぱなしな相手と違ってオルカたちの形は人魚にケンタウロスに土蜘蛛にハーピーとまさしく幻獣ながらも、それぞれがしっかり知性を持っていて、それなりに社会を作って暮らしている。ただ現れ騒動を起こす小人たちとはちょっと違う。なまじ知性があるだけに、親切にしてくれることもあれば逆に面倒をかけてくることもあって、そんなオルカたちの思いを汲み取り、プライドをくすぐり、鼻っ柱をへし折りながら争い事を治めていく主人公の奮闘ぶりが描かれる。

 でもってコミュニケーションの端々に用意されているのが、まるで大阪人の間に放り込まれたようなボケとツッコミの応酬。最初の土蜘蛛からして冗談をかまして意気軒昂な深弦をおののかせるし、いっしょの船でやって来た新米の調停者なんて美貌のくせにそれを隠して妙な着ぐるみで動き回る変わり者。クライマックスとなるケンタウロスとの対峙でもボケとツッコミの応酬がそれこそ命運をかける道具立てとして使われていたりするから笑えるというか。知性をくすぐるボケとツッコミは武器を使って血を流しあう戦いを超えて世界を平和に導く可能性を秘めているのかもしれない。最大のボケは稲朽深弦の“正体”か。そりゃあ驚くよなあ。

 手塚治虫展は図録にいっぱい原稿とか載ってて「リボンの騎士」とかも綺麗に掲載されていてファンとしてはうれしい一品になっていそう。あれは超大昔にえっと「国立近代美術館」の方だったっけ、展覧会があって行って図録も買った覚えがあるけれど、内容についてはまるで覚えていない。部屋のどこにあるんだろう。今回はあの宮崎駿さんへのインタビューが最大の読み物か。語っているのはもっぱら「新宝島」の衝撃。戦後の焼け跡の何にもないころにあれがきた衝撃は何事にも代え難いってことを言っている。だから「ブラックジャック」や「リボンの騎士」で衝撃を受けましたって手塚を語られても、それはちょっと違うといったスタンス。時代性から来る凄さなのか、作品そのものの凄さなのか。そのあたりをはっきりしていないところが宮さんの内心の嫉妬心、って奴の現れか。でも時代性と切り離せないのもまたカルチャーの宿命なんだよなあ。

 22歳で「ジャングル大帝」とか描いてた天才ぶりなど手塚さんの漫画家としての活動についてはは讃えても、アニメの手塚治については敵にならないといった感じに否定していく言説は、没後の「コミックスボックス」に追悼文を寄せた時から変わらず健在。そんな言説を質問をぶつけることで拾い上げ、生誕80周年って記念碑的な「手塚治虫展」のカタログのトップに載せてしまう主催者なり、監修者の太っ腹ぶりが凄い。というか宮さんの言説をオブラートでくるめるメディアはもはやないってことなのか? ちなみに聞き手は石田汗太記者。羨ましい仕事をしているなあ。メディアがデカいと会える人もデカくなる。ちなみに展示物では何が見物か。「フジパンロボット館」にいたロボットたち?


【4月16日】 「大気圏突入」から後で「ガルマ散る」までのどこかが最初に「機動戦士ガンダム」として見た映像だったのではないかという予想。名古屋テレビにおける再放送の履歴を調査するなり当時の新聞の縮刷版からテレビ番組表をチェックしていくなりすれば分かることだけれどもそこまでのリソースも労力もないのでとりあえず、そういう話しだったということにしておいて、ではいったいどこから見たらからこそハマることができたのかといった分析をしてみよう。それには各話をざっと振り返ってみる必要があると前に買ったDVDボックスを探したら見あたらない。そういやあ誰かに貸していたんだっけと思いだし、貸した相手の名前を思いだしてざっと見渡したらついこないだ辞めていた。僕のボックスは今何処。

 もちろんレーザーディスクのボックスも買って持ってはいるけど、再生機の調子が悪く電源もAVケーブルも外したままで、LDのソフトもDVDとかCDとかの山に半ば埋もれかかって取り出し不能。そんな時に便利なのが「バンダイチャンネル」あたりのネット配信で、前もアムロ役の古谷徹さんとシャア役の池田秀一さんにインタビューした時に、どんなセリフがお好きでしたかと聞いてそれぞれからラストシーンのセリフだと伺い、ではいったいどんな文脈だったのかを正確に記述しようとして、ネットの配信を見直し確認したことがあった。ブロードバンド環境なら映像も音声もいっさいの過不足がなく視聴可能。それも好きな時間に見られる訳で、本放送なら毎週の同じ時間、再放送なら毎日同じ時間にテレビの前にいなくちゃいけなかった30年前と比べて何と便利になったものだと隔世の感を抱くのであった。

 とはいえ持っていたはずの映像の代わりを緊急でもないのにネットで有料で見るのは癪に障る話しだし、だいいち家庭はブロードバンドになくってネットからのストリーミング配信は再生がうまく出来ないから、いちいち見返す訳にはいかない。ということで検索してタイトルだけを抜き出しつつ思いだしていくとして、「大気圏突入」の直後の第6話が「ガルマ出撃す」。恰好つけのおぼっちゃまが乗りだして来るストーリーだけど果たして。ならば第7話の「コアファイター脱出せよ」。弾道軌道にコアファイターを乗せて日本列島ならぬジオン軍の支配地域を飛び越そうとして果たせなかったエピソード。記憶に強いけれどもその時に見たのか後で見たのか記憶にない。

 以後の「戦場は荒野」「翔べ! ガンダム 」とそして「ガルマ死す」のどれもやっぱり記憶にあるけど、最初だったかどうかは結局のところ不明。あるいはシャアの黒さが伺える上に永遠の女神様、マチルダさんが登場した「翔べ! ガンダム」あたりが記憶の鮮烈さからいっても最初っぽいような気がしないでもない。強烈なキャラクター性の連発に驚きつつ「ガンダム」の強さに感動しつつ、そして次の「ガルマ死す」で衝撃の展開を目の当たりにする。もうファンにならずにいられない。

 続けてイセリナの死を見てランバ・ラルの出現に老獪さを覚え「ガルマ・ザビは死んだ。なぜだ?」「坊やだからさ」のコンボを喰らえば誰もが立派過ぎる「ガンダム」マニア。シャアがしばらく出なくなってもハモンさんが支えマチルダさんの死が引きつけ、ドムの異形さが目を見張らせてそしてシャアの復活がトドメを指す。なるほど素晴らしく構成された連続活劇。そこにどんな意図があったのか、それとも毎週の展開から描き足していったものなのか。完璧なまでに計算されてしまってそれが羽ばたきを呼ばない最近の作品への警鐘として、「ガンダム」のライブ感というものを調べてみたくなって来た。

 うわさの「週刊新潮」2009年4月23日号は前日に神保町の早売り書店で売り切れとなっていたほどの大人気。つまりはそれだけすごいことが書いてあるかと期待して読んだ編集長による言い訳は、言ってるよーには疑いがあれば引っ込めろって感じじゃなくってむしろ逆に引っ込めないための理由を、周辺の人に会って肯定はされなくっても全否定はされていなかったことをもって作っていたって雰囲気が伺える。つまるところは是非に載せたい、載せることによって世間にアピールしたい、ひいては部数を売りたいっていった虚栄の心と商業の論理のツープラトン。道を誤ってしまったのも至極当然の流れって言って決して言い過ぎじゃないのかも。あるいはそこまで週刊誌、ひいては週刊新潮が追いつめられているって現れか。いやだから他人のことは言えないんだけれど。追いつめられ果ててるし。何処とは言わないけれど。

 とはいえ検証を怠った結果、嘘を嘘だと見抜けず掲載してしまったことを批判する他の雑誌が、嘘を垂れ流す告白者の言葉をそのまま検証もしないで載せているのはどういう訳だと憤る編集長の人にも納得。自分はやっていないけれども誰かにやらせたんだと今持って言っている男のだったら、その言葉の裏をとって共犯なり実行犯なんて存在しないんだってことを調べ上げ、記事にするのが追求する側にとって誠実な態度って奴なんだけどどの1誌として虚言だよねと指摘はしても、証拠を挙げて虚言を弄するなと告発者の態度を非難し叩きのめすよーなことをしていない。結局のところはどこも同じ穴の狢ってことで今回はたまたま週刊新潮が間違えてしまったんだけれど、明日は週刊なんとかが同じ目に遭って右往左往するだけで、そうしてメディアは衰退の一途を辿っていくことになるんだろー。だから他人のことを心配する余裕なんてないんだってば。

 雑誌といえばほしのあきさんの前屈みなビキニスタイルに衝撃を受けて「週刊プレイボーイ」を買ってしまった自分に御免なさい。歳はそれなりになっているのに腰の細さとかはまだまだ現役のグラビアアイドル。半分くらいの年齢の人たちと比べて遜色のないスタイルを見せてくれてはいるけれど、よくよくめをこらすと張りつめていて欲しいお腹とかお尻のラインのどこかにたわみというかゆがみというかゆるみみたいなものが見えて、なるほどやっぱりベテランな方なんだなあといった感想が湧いてくる。胸元あけはピンと張りつめているけれど。それで十分って意見もありそうだなあ。ナース服姿でストッキングを見につけしゃがんだ最後の写真が衝撃的。ビキニで全身をあらわにしているスタイルよりもそそられる。人間なるほど見えないからこそ見たくなる性質を持った生き物なのだなあ。

 巻誠一郎選手の記事がないフォワード特集なんてと思ったけれども現実、得点をとってなくって代表にも選ばれなくなっている選手を取りあげろっって無茶は言えない「ナンバー」最新号。各紙誌のサッカー担当にだったら日本のフォワードは誰が良いのかって聞いているアンケートでは、やっぱり田中達也選手の名前が1番くらいに挙がっていたけど、最近の代表での田中選手ってトップから中盤までを行き来しては守備に熱を入れすぎて、自分が持ったら突っ込み誰かが持ったらら走り込んでシュートを打つって彼本来の凄みってやつがどっか引っ込み、妙に献身的になり過ぎている感じがあるんだよなあ。

 犠牲は悪くないんだけれど犠牲に成るべき人材でもなければ才能でもない。でも組合せが彼にそれを強いてしまうんだろうなあ。やっぱりだからトップには不動の電柱を据えてその周囲で田中達也選手が活躍できるよーな布陣をお願いしたいなあ、ってつまりは巻を出せ、ってことだ。なになにあの久保武司さんだけが巻を矢野と並んでデカいフォワードとして必要だって上げているじゃないか。いったいどうなってしまったんだ久保武司。悪いものでも食べたのか久保武司。会社の覚え目出度いことを書いても未来がないから自分の思いをぶちまけるようにしようって覚悟を決めたのかな。そんな覚悟を決めさせるくらいにいろいろなのか夕刊フジ。4万キロの彼方にある新聞屋のことなんて僕には何の関係もないんだけど。たぶん。おそらくはたぶん。だけどでも。困ったこまった。


【4月15日】 それにしても、だ。「機動戦士ガンダム」の映像そのものをいったいいつ、そして何を見たのかという記憶がほとんど残っていないのにも困った。これが古くからファンをやっているという人なら、いよいよ始まった新番組で、誰も世界征服宣言をせず、巨大な機械獣とかが攻めてこず、こんなこともあろうかと作られていた巨大ロボットが地中から現れては、強大な敵をなぎ倒す光景がまた繰り返されるだろうかと眺めていたら吃驚したよ驚いた。

 宇宙コロニーだなんて科学に真っ当な設定が現れ、丸い頭をした無骨なロボットが宇宙空間を泳ぎコロニーに侵入し、仮面を被った赤い男が企みをめぐらせ、そして弱々しげな少年が爆風のなかで成り行きからロボットに乗り込むシーンにいったいこれはどいういう話しなんだと戸惑い、そしてその白いロボットがぐわっと立ち上がっては向かうところ敵なしだった丸い頭のロボットを叩きつぶしていく。そんな場面に、衝撃を受けて一発でファンになったと言えるだろう。

 僕にはそんな衝撃はない。さらにいうなら「ガンダム」から16年を経て始まった「新世紀エヴァンゲリオン」でも最初の1話は見ておらず、静まりかえった街に重なって巨大さが強調された異形の使徒に驚きそして、謎めいた展開に興奮を覚え美しい女性たちに官能を呼び起こされて最後にあの不思議な形のロボット、といって良いのかすら分からないヱヴァンゲリヲン初号機に半ば溺れるように乗り込む設定に仰天した、といった経験はない。なにしろ第1話を見たのはそれからずっと先、アメリカに仕事で行ったときにビデオ屋で買った英語版の第1巻が最初というから何ともはや。日本語を見たのはDVDが出始めてから、ということになる。

 それでアニメファンか? と言われてそうですと応えづらくもあるんだけれどもそれはさておき「ガンダム」だ。本放送は見ていなかったというのは前述のとおりで、再放送が始まったという情報よりも中学校で見せられたビジュアルに関心を惹かれて映像を見ようと思ったという流れもそのとおり。そしてちょうど折良く名古屋テレビ(本家だ)で始まっていた再放送を途中から見始めた、というのがおそらくは正解に近い僕の「機動戦士ガンダム」のオリジナル映像初接触体験だ。

 問題はだからそれが第何話だったのか、というところだけれども後に繰り返して何度も見るようになって、ほとんどの筋書きが頭の中に上書きされてしまった現状で、初接触の興奮を探り出すことは不可能に近い。まだ宇宙員いたのか。艦長はブライトに替わっていたのか。大気圏突入の衝撃を味わったのか。どれも違うような気がする。かといって砂漠を放浪していたようには思わない。鬱屈したアムロがワガママの果てにホワイトベースを飛び出し、戻されブライトから説教を暗いそれでも自分が悪いと認めない、そんなキャラクターにいきなり接したらたぶん見るのをやめていただろう。

 ガルマ・ザビが出始めた辺りがだから、「機動戦士ガンダム」の映像との出会いではなかったかという想像が成り立つ。御曹司。お坊ちゃん。プライドが高く自信家でもちろん才能もあったけれどもシャアというそれをさらに上回った謀略家に恨まれていたため、裏切られホワイトベースの前にさらされ爆散していった悲劇の男。その古典的な恰好良さと、そして正義を裏返したようなニヒルさを見せるシャアという新しい恰好良さの相克に、魅せられ引っ張り込まれていった、と、そう考えているのだけれども果たして。あるいは既にホワイトベースの3人娘、ミライとフラウ・ボウとセイラの誰かが裸になっていた? そこに春の目覚めを感じて引きずり込まれた? 実はそちらの方が可能性が高かっかりするのだけれども、恥ずかしいから声高には言わない。

 「クイーンズブレイド」は輝く全裸に縛りの果ての爆発という究極の展開から一変して、服を着た巫女がぶつかっていっては弾き飛ばされる真っ当なバトルの展開。ガマからはきかけられた粘液に、巫女さん軍団の服とかがてっきり融けてしまうのかと思ったら、そうはならずに苦しみもだえて倒れ伏したままでメインの巫女さんも最後まで、服を着たままちらいとも魅せずに戦い抜く。

 こんなの「クイーンズブレイド」じゃない、ってすでに思っていたりする自分が何とも情けないけど、それを売りにして注目を集めた作品が真っ当を通してどうするんだという勝手な思いから来る怒りも一方に。「一騎当千」はあれでも最後まで攻め続け見せ続けたし、「ストライクウィッチーズ」も最後までズボンだと言い続けて見せ続けた。クリエーターの覚悟をだから「クイーンズブレイド」にも見せて欲しいとここにお願い。輝きやら霧やらもいっそスッキリと外して生まれたままの姿を満天下にぶちかませ!

 はあはあ。30分を置いて千葉テレビでは始まる「涼宮ハルヒの憂鬱」は前に見たまんまで目新しくはないけれども、展開の面白さは相変わらずですべて分かっているのについつい最後まで見てしまう。コンピ研へと乗り込んでいって部長に無理矢理なセクハラをさせて大騒ぎする場面なんて、実在する人間がやりはしなくてもそうやってやろうとブログに書くだけで、大炎上は必至のシチュエーションなんだけれども当時は平和理に、もしかすると被害者であるはずのコンピ研の部長に対する羨ましさねたましさなんかも覚えつつ、漫然と見流していたのかもしれない。なるほどみくるちゃんだったら……。バニーガールでチラシを配るシーンでのハルヒの地団駄も見られて良かったよかった。あれは1度だけだったんだな。

 だから「レンズと悪魔」をきりきり書いてとお願いしたいんだけれど、こういう脱線も悪くないなあと六塚光さんの「ペンギン・サマー」(一迅社文庫)なんかを読みつつ納得。帯が大森望さんなのは「エンジンサマー」からの連想? ライトノベルで大森さんとは珍しいけど某「SPA!」で大げさでまぎらわしくて中身がない帯をトヨザキ社長とペリー荻野さんがあげつらう企画に特に取りあげられていなかったところを見ると、出版界的に見て大森さんの帯文はきわめて的確で性格に、作品の本質を言い表しているってことなんだろう。「ペンギンサマー」も同様に、無茶な設定ではあるけれどもそこにしっかりとしたテクニカルな工夫があって、全編を通して読んだときにすんなりと腑に落ちる。

 とある地域にはカオナシ様が現れて村人を脅かす白髪鬼を退治して美しい女性たちを開放したって伝説があってそれを探求しようと少女が少年を誘い少年は面倒がっているって冒頭から始まって、少女の髪の色が薄くなっている理由やら少女が妙に地形に詳しい理由やら少女が何かを見つけて胸に抱きかかえて神妙な顔を見せる理由やらが、後々に書かれるエピソードによって明らかにされ、錯綜していた時間の隙間がピタリとうめられトータルとして1本に通じたストーリーが描き出される。パラドキシカルな設定に果たして誤謬やら無理があるのかはこれからの検討課題。感想としては覚えてないけど田中哲弥さん「やみなべの陰謀」に近い面白さ、って感じ? 必読。


【4月14日】 通っていた中学校の近所にあった書店も「アニメック」のような雑誌をしっかりと仕入れていて、購入するのに不足はなかったけれども置いてある本や雑誌の量では大型の書店にはやはりかなわない。本当に探したい本があったときや、見落としている最新刊を見つけたいと思った時には自転車を漕いで昭和区のいりなかという場所にある「三洋堂書店」へと出かけていっては当時は3階だっただろうか、コミック売り場を手前から奥へとざっくりと眺めては名古屋ではそこくらいでしか見かけなかった「作画グループ」関連の単行本なんかを見たり、買ったりしていた。ふと思いだして見渡すと、その頃の「超人ロック」を今はどうやら買えなくなっている模様。「コズミックゲーム」そのものの面白さもあるけれど、続く「少年キング」版の「炎の虎」「魔女の世紀」につながるエピソードでもあるので是非に簡単に読めるようにしておいて欲しいのだが。

 そんな三洋堂書店には当時としてはとてつもなく珍しいアニメショップがあって、流行り始めた「機動戦士ガンダム」を題材にした商品を確か取り扱っていた、と記憶しているけれども実は定かではない。ただ調べると、1979年7月に三洋堂書店のいりなか店に「名古屋アニメック」という店がオープンしているから「ガンダム」という作品に気づいて本格的にハマり始めた1980年の春の時点で、三洋堂書店へと出向いた際にアニメショップでそうしたグッズを見かけ、買っていたとしてもタイミング的には不思議はない。ないけれどもではいったいどんな商品を買ったのか。本を買えば後に1文も残らないような小遣いで、何千円もするようなグッズを買うのはとても無理。当然にして並び始めた「機動戦士ガンダム記録全集」にも手は届かず、せいぜいがポストカードあたりを買っていたと考えるのが妥当な線だろう。

 調べた延長ではその「名古屋アニメック」は1980年の10月には「アニメイト名古屋」に名称を変更しているらしいけれど、通っていた方にはそういった実感もなければ記憶もない。今のアニメイトの代表がかつてアニメックを運営し、雑誌を出していたラポートで部長をしていたことは有名だけれど、アニメイトという企業体が動き始めるのはもう少し先の話。ではいったいどういう事情からそうした名称のショップが出来上がったのか、運営はどこがやっていたのか、使い始めたアニメイトという“のれん”を持って独立して立ち上げたのがアニメイトなのか、などといった想像も浮かぶけれども事実は果たして。

 ついでに言うなら名古屋であとアニメグッズを専門に扱っていたのが、伏見から納屋橋へと歩いていく途中にあった「名宝会館」の中にあったショップでここは高校に通うようになってから、代ゼミあたりの講座を聞きに行った帰りなどに立ち寄ったりしていろいろなものを買ったけれども、覚えているのは「ルパン三世カリオストロの城」の缶ケースくらい。「ガンダム」については劇場版の騒動も治まり、新作のテレビシリーズもなかった時期でグッズとしても端境期にあったし、気持ち的にも向かっておらず何かを買ったという記憶がない。1980年には発売になっていた「ガンプラ」もアニメショップではあまり扱ってはいなかったのではないだろうか。ともあれ30年近く前のアニメグッズのラインアップがどんなもので、どういったデザインになっていたのかを調べ直して、デザイン力や商品力が広がった今とどれくらい違うのか、それとも違っていないのかを知りたい気が少ししている。30年経ったって、キャラの絵さえ乗ってれば良いといった雰囲気の商品が多すぎるだけに。

 つなぎメガネで勝利。なのかそれとも奇をてらいすぎていると反発をくらって敗北に追い込まれるのかは分からないけれどもセガが年内あたりを目標に発売したいと開発を進めている「BEYONETTA(ベヨネッタ)」ってタイトルのプレゼンテーションをデカい画面で見る機会があって、登場したボンデージなつなぎを着た女性のキャラクターに強く打たれる。そのスリムでグラマラスなボディスタイルだけでも十分なのに、顔になぜかメガネをかけているから驚いた。なぜメガネ? 舞台はファンタジックな世界で魔女らしいベヨネッタってその女性キャラクターは手足に取り付けた銃とあと剣と魔術なんかを駆使しながら、向かってくる天使を相手に一大バトルを繰り広げる。

 それはもう凄まじいバトルシーンで向かい合ってサークル内を左右に移動するって程度じゃなくって動き回って襲ってくる天使を撃っては穴だらけにし、斬っては微塵にし、魔法みたいな技をつかってはぺっちゃんこに踏みつぶして血肉に変え、輪っかに変えてエネルギーだかにして吸収していく。何ともバイオレンスなビジュアルなんだけれども瞬間で輪っかに変わるからあんまりグロさは感じない。面白いのは巨大な手足を出現させるシーンでそこの場面でベヨネッタの服装が裸に近くなる。何故か。もとより来ているスリムなつなぎはベヨネッタの髪か何かで作られているそーで、それを脱いで巨大な拳だかヒールだかの形に作り替えて武器にしているんだとか。なあるほど。

 ずっと脱いでてくれりゃあ目にも嬉しいんだけれど、ピチピチのつなぎから浮き出るボディラインもこれでなかなかにそそられるからなあ。歩く場面でヒップが左右に跳ね上がる動きなんかも実に扇情的。でもって戦いに突入したら巻き起こる徹頭徹尾クライマックスな迫力も凄まじい。発売されたら是非にプレーしてみたいゲーム。あのメガネにいったいどんな意味があるのかも明かされるのかな。それにしても魔女を主役にして天使を完全な悪役にしておまけにビジュアルも怪物にしてしまっているところが気にかかる。日本だったら割にあって不思議はない発想なんだけれども、天使を信じ神を信じる西欧諸国でああいった表現が認められるのか。人間の犯罪はゲームになっても天使の暴力は許せないって思想には至らないのか。あれだけのグラフィックなんだから海外でも売れてはじめて投資が回収できるんだろうし、ビジュアルやサウンドにも多分に海外を意識したところがある。それがもしも海外で受け入れられなかったら? 当然にリサーチ済みだとは思うけれども事が宗教なだけ予想を超えた何かが起こることもあるからなあ。注目して見ていこう。つなぎメガネの評判ともども。

 ほんとうにもう日本人って奴は何でもかんでも貪欲に食べて飲み込み新しい形にして吐き出してみせるもんだよなあ、などと「第1回GA文庫大賞」の奨励賞受賞作を読みながらつらつら。逢空万太さんって人の「這いよれ! ニャル子さん」(ソフトバンククリエイティブ)はタイトルにすでにピンと来ている人もいるかもしれないけれどもさらにヒロインが「這い寄る混沌、ニャルラトホテプ」と聞けばああなるほどと気づくだろう。クトゥルー。あのラブクラフトが描き上げた小説世界をダーレスが大系化して生まれた神話世界の住人にして最強に近い存在であるところのナイアラートテプことニャルラトホテプをこともあろうに美少女化してこの世に顕現。ただの学生の八坂真尋を守る守護者の座につかせては、現れる敵と戦わせる。

 美少女に見えてもそこは這い寄る混沌にして闇に棲むもの。敵が迫ればインステップで股間を蹴り上げマウントポジションから火の着いたタバコを押しつけ根性焼きを入れ、両方の手に持った石が削られ小さくなるくらいの回数を殴りつけて相手を黒いカタマリか何かに変えてしまう。何と最強。そして最凶。さらに別の相手には背中にかくした「名状しがたいバールのようなもの」を取り出し殴りつけるその凄まじさ。見方にすれば頼もしいけど敵にしたらこれほどの恐怖はないだろー。そんなニャル子に迫るのは天敵のクトゥアグちゃん。ニャル子を瀬戸際まで追いつめるけれどもそこはやっぱり這い寄る混沌なだけあって、撃退の果てに真尋を襲おうとする敵を根こそぎなぎ倒し、晴れてこの世での使命を終えて自分の星へと帰って……行かない? ってことでまだまだ続きそうなこの物語で次に現れるのは無限の中核に棲む原初の混沌な美少女か。使われる武器は全にして一、一にして全なるハリセンか。クトゥルー読んで予習しようっと。

 割に簡単に宇宙に帰ってしまったなあ秋葉たち。「宇宙をかける少女」では地球に落ちた秋葉にいつきにほのかに桜に虎縞メガネにベンケイとそしてレオパルドが、ネルヴァルのはなった人集め装置にのっかってそもまま宇宙へ。いったいどういう仕組みのものなのか、軌道エレベーターか何かなのかってところが分からないけど時は未来でところは宇宙なだけにきっと名状しがたい技術なりが使われているんだろう。秋葉とナミはいよいよもて対立が表面化。どう見たってコンプレックスを抱くべきなのは大して才能もないのに平々凡々と日常を過ごしている秋葉であって美貌でもってモデルをやってたナミであるはずがないんだけれどもいろいろ考える人にとって脳天気なキャラクターってもうそれだけで許せないものだからなああ。オープニングは変わったけれどもアレイダと高嶺はそこでもやっぱり刀をぶつけあっている。ネルヴァル発動で高嶺はあっちに取り込まれていたんだけれど戻ってくるってことなのか。未だ終着点が見えない展開をとりあえずズルズルと見守ろう。ブルーレイ、どうしようかなあ。


【4月13日】 神田神保町に本を探しに行ったついでに古書店で、「アニメック」の最初の頃が並んでいないかとその辺りの店に入って棚を見たら、当時は買いたくても品切れで変えなかった「機動戦士ガンダム」の特集が掲載されている第8号が棚差しになって並んでいた。5000円くらいするのだろうかと取りだして見たらついていた値札は500円。定価だってそのくらいだからまあ悪くない値段ではあるものの、自分の中で半ば“伝説”となっているバックナンバーにしては安い価格で、その場でワンコインを取りだし買いそうになってしまった。ついでに言えば同じく「ガンダム」が特集されていた第6号も並んでいてこちらは1500円。その違いは推察するなら年代の古さから来るレア度なんだろう。足して慣らせば1冊1000円は30年前の古書としては妥当なところ。ただし内的なバリューには少し足りていないところに、自分の中にある「アニメック」と「ガンダム」への失われない敬意のようなものがうかがえる。

 それにしても東京は広く神田神保町は奥深い。入ったその店で30年間も終ぞ実物を目にしなかった(探す努力もしていなかったが)アニメ雑誌が見つかってしまう。本気で探せば初期「マニフィック」は別にして、「アニメック」となってからのバックナンバーはそれほどの苦労をかけなくても揃えられるような印象がある。実際には難しいのだろうけれど。これが名古屋となるとまず困難。昨夏に「日本SF大会」の帰りに名古屋へと立ち寄り上前津から大須あたりを歩いてみたけれども、以前と比べて古書店が賑わっているといった風情はなかった。きっと鶴舞も似たようなものだろう。サブカル系では矢場町からやや鶴舞に寄ったあれは川縁だったか、細長いビルの地下に音楽や漫画やアニメの揃った店があったように記憶しているけれども今、どうなっているかは分からない。そんな中から浮かぶのは、「ブックオフ」台頭前と今とでは、やはり状況に差があって、山と持ち込まれる中から玉を探して磨き並べ、そんな玉を求めてやって来る人の期待に応えるといった商売は、なかなか成り立ちにくくなっているのではないのか、といった推察だ。

 当たっているのか外れているのかは専門家に依りたいし、都会にいるとそうした書店が未だに多くあって便利に使わせてもらっているので体感としても分からない。これが名古屋のような規模として中途半端で、文化の発信源でもなければ消費地としても中程度の都市では、古書として市場に出回る商品がただでさえ少なくそれがフィルターにかけられ選り抜かれることなくブックオフの波に消えていってしまっている、という、そんな構図が浮かぶ。意欲ある店主が全国を行脚し玉を揃えたところで、買う人がいなければ何の意味も持たない。地方での古書文化はこうしてすたれ埋もれ、結果として読者は鍛えられずさかのぼれないまま弱り、細っていくとうデフレスパイラル。もっとも、ネットが代替して全国に間口を広げたではないか、と、言えば言えるのかもしれないだけに、このあたりは調べてみる必要があるだろう。

 振り返って1980年頃の名古屋は、あちらこちらに古書店が散らばっていて探せばいろいろなものが手に入れられた。「サンリオSF文庫」は大量に並んでいた。というより新刊書店にもまだ並んでいた時代だけにあの当時、頑張っていればひとコレクションができたかもしれないし一財産にだってなっていたかも。とはいえ月々1000円程度の小遣いでは1冊すら買えない状況だった訳で、持てるものだけが元手を増やしてのしあがり、持たざるものは永遠に持たざるものとして這いずりまわらなければならないという格差社会の宿命を、当時からすでに身に叩き込まれて今へと至る。そんななけなしの金の中から「月刊アウト」の1980年3月号を拾い、最初の萩尾望都全種をほとんど古本として集め吉野朔実に内田善美の新書サイズのコミックをひとそろい集めた名古屋の頃。それでも「アニメック」の一けた台の号にはお目にかかったという記憶がない。誰もが手元に置いて売ろうとしなかったのだろうか。地方ではまだ古本に出るほど売れていなかったのか。今ならどうなっているのか。今後帰った時に調べてみたい。

 「生死を賭けて」なんだろうけれども字幕もなにもない状態で「せいしをかけて」って言葉が唄われて、それもムーディーな昭和歌謡として淫靡なシルエットによるダンスなんかもセットになって放送されてあれやこれやと妄想を喚起させられる「夏のあらし!」。とはいえ実際のストーリーはといえば典型的なボーイ・ミーツ・ガールの物語。一が出会ったあらしって少女が幽霊で過去からずっと存在しているって設定があって、そんなあらしが一とふれ合うことで通じ合って過去へと飛ぶことができると分かって起こるタイムトラベルストーリーに、胸躍らせている人もいるんじゃなかろーか。とはいえ実際のストーリーは単行本なんかを読めば分かるよーに案外になかなかにシリアスで、あの時代のあの悲劇って奴が時空を超えてぶわっと迫ってくる。さらにそーした運命を変えられる力を手に入れたとして、さあどうするか? って判断も迫られるんだけれども、アニメの方はそーしたシリアスさをどうやって見せていくのか、それとも見せていかないのか。エンディング後のアバンでやよいさんが可奈子さん相手に、未来から来た青い猫の物語を聞かせていたりするし。「どーこーでー(以下略)」。

 メディアアートっていうとやっぱり浮かぶのは八谷和彦さんとか岩井俊雄さんといった世代なんだけれどもそこから干支でひとまわり、下の世代からも当たり前だけれど新鋭が登場してはいろいろとたのしい作品を作っているよーで、そんなひとりの鈴木太朗さんって実にストレートな名前の人が作った「青の軌跡」って作品が、なぜか玩具のバンダイからミニチュア化されて発売されるってことになったみたいで新東京ビルで開かれた発表会とトークショーを見物に行く。バンダイが開いた会見なんてあったっけ? とりあえず見たのは碁盤の目状に区切られた四角い穴が青く光るって作品で、なあんだこれなら岩井俊雄さんがローランドだっけ、どっかの楽器屋さんとつくった「TENORI−ON」の方が楽器としてもたのしいしメディア作品にもなっているじゃん、って思ったけれどもよくよく見るとこの「青の軌跡」。光が微妙にゆらいで滲んで動き回る。

 秘密は中にあって輝きのその中でプロペラがぶるぶると回っていて、そこから起こった風が升目の上に被せられた布をふわりと持ち上げて、下からの光りをゆるりと滲ませる仕組みになっている。センサーがキャッチした動きなりが本体に伝わりプロペラを順繰りに回すみたい。遠目に見ると輝く格子模様が波打つ感じに動いて単に点滅するだけのメディアアート作品にはない温かみって奴を感じさせる。何でも鈴木さんは自然の現象を取り入れたメディアアートを得意としている人らしくって、水滴が落ちてきたりする作品なんかでも評判を呼んでいる人。「青の軌跡」は光を使ったアート作品でこれも何かの賞を受賞して評判になっていて、それを聞き及んだかしたバンダイがインテリア調の玩具の企画をする中で、ミニチュアとして売ったらどうなんだろうって判断に至って商品化にとり組んだみたい。

 アートだったら他にもそのままミニチュア化してアートの複製物としてエディションナンバーを打って販売するって手もありそうで、それだと本体は買えないけれどもって人がアートなんだからと50万円くらい出して買って行きそうな気もしないでもない。アーティストなんだからそうした方向だって検討していてしかるべきなのに鈴木さんは、玩具として一種のマスプロダクツとして出ていくことの方を選んだってことでそれは何だろう、多くの人に現象を見てもらいたいって意識の現れなのか、メディアアートってのは現象そのものがアートであってそれがパッケージングされた物体をコピーすることがアートではないって判断なのか。分からないけれどもともあれ発売になる商品は、5万円とかってそんな値段で本物の「青の軌跡」に負けない神秘さって奴をお部屋で再現してくれるから、ファンの人は手に入れて損はない。ただなあ、やっぱりどこまでも世代が1まわり下なんだよなあ、鈴木さん。あんまり知られてないもなあ。だからこそよくぞ商品化したってことでバンダイに喝采。50個くらいは売れると良いね。

 孫娘には優しくって頼りがいのあるおばあちゃんでも世の中に大して優しいとは限らない。神社を盛り立ててきて今は娘婿に宮司を譲り、人生相談なんかをしていたお婆ちゃんが部屋の中で死んでいるのが見つかった。血のあともあったのに心不全による自然死ということで家族は決着して警察も落着。それが孫娘には納得がいかず溜めたお小遣いを使い、学校の中で拝み屋の下働きをしていると噂になっている仁希という少女に依頼したところ、彼女はかの有名な小野篁の子孫にあたる小野閑に引き合わせてくれた。もっともお婆ちゃんの死の謎を解き明かすことは決して愉快なことではないとあらかじめ釘を刺し、そして動き始めた果てに見えてきたのは音楽を使いネットを使って世に呪詛をまき散らそうとしていたお婆ちゃんの企みだった。

 何が彼女をそうさせたのか、ってあたりを探求していくストーリーの果てに人間、どうしても譲れないものがあってそこを崩されると心に歯止めがきかなくなるっていった現実が見えてくる。それをたかが、ととるかされど、ととるかは人それぞれ。けれどもしかしどうしてそこまで投げやりにならなくっちゃいけなかったのか。ほとほと人間の業の深さに恐れ入る。メイド服を着た可愛らしい姿の仁希の、武士のように実直で生真面目な態度や言葉遣いとのギャップが面白く、また小野閑の趣味は百貨店の食品売り場めぐりで各地のお菓子に目が無い癖に仕事だけはきっちりこなす様も恰好良い。佐々原史緒さんの「はかなき世界に最期の歌を」(トクマノベルズEdge)が晴れて刊行。ニューヒーローにニューヒロインの登場を喜び次の登場に期待しつつも人間としての一線を、いかに保つかに心を配ろう。ボーナスが給料より安くなりそうだからって暴れちゃダメだよね。


【4月12日】 凝り出すとその時点で可能な限りの情報を集めようとする性向は今も昔も変わっていないようで、「アニメック」の第10号をちょうど手に入れ読んでバックナンバーに「機動戦士ガンダム」を特集している号があると知って、中学校の近所にあった書店にさっそく取り寄せの注文を出した。それがピンポイントで例えば第8号あたりだったのか、それとも遡って第7号から第9号だったのかという記憶は定かでないのだけれども結果として、アムロが大きく描かれている表紙の第8号は品切れで入手できなかった。つまりは当時の時点で既にそれくらいに「アニメック」は売れていたということになる。当時の時点ではといった方が良いのかもしれない。

 編集長を務めていた小牧雅伸さんの「アニメックの頃…」(NTT出版)によれば、月刊化してからの「アニメック」は3万部を刷り、第8号あたりでは6万部を刷って全国に配本していたという。なるほど名古屋の外れの小さな書店にも行き渡るはずだけれどもそんな数字をアニメ専門誌としては後発だった「アニメック」ですら軽く達成し、品切れを出すくらいになっていたという状況は、現在から振り返れば実に羨ましいことこの上ない。日本雑誌協会がまとめている雑誌の印刷部数の統計があって、それによると老舗「月刊アニメージュ」の印刷証明付発行部数という統計があってそれによるうと「アニメージュ」は直近で6万5587部という数字になっていて、上り始めた段階の「アニメック」と大して変わらない。

 本格的な「ガンダム」のブームが来て月刊化なんかが行われた辺りではいったいどれくらいの数字を「アニメック」は積み上げていたのだろうか。もちろん当時の「アニメージュ」はもっと出ていっただろうから、いかに雑誌が売れていて、それがすっかり売れなくなって来ているかが伺える。逆に言うなら「アニメージュ」だからこそここで踏みとどまれている訳で、例えば「アニメック」のような評論や作品の紹介をメインにしてビジュアルをほどほどに抑えた“オトナの”アニメ情報誌があったらなあ、と「アニメック」世代がノスタルジーで言ったところで、編集されて発行されても大して売れない可能性の方が高いのかもしれない。そういえばそんな雑誌も幾つか出ては消えていったなあ。今も出ているけれども果たして……。

 「ガンダム」の特集が組まれた「アニメック」のバックナンバーは手に入れられなかったけれども、あの「月刊アウト」だけは、後になって古本屋で見つけだすことができた。1980年3月号の「月刊アウト」には、今なお語り継がれるセイラ・マス、ならぬアルテイシア・ソム・ダイクン嬢のヌードピンナップが掲載されては世の男性諸子を興奮のるつぼに叩き込んでいた。後になってフォウ・ムラサメのやはりヌードピンナップが何かに掲載されては、下の世代のイコンとなって今なお輝いていると聞く。その悩ましさに心惹かれた若者達が大勢いて、オリジナルへの忠誠を惹起させたことが後に、声優の変更に当たって激しい異論を招いた、というのは流石に言い過ぎかもしれないけれども、「月刊アウト」のそのピンナップ、「麗しのアルテイシア」が醸し出していた雰囲気に呑み込まれた僕自身の感性は、セイラ・マスというキャラクターを確実に神聖にして不可侵の存在へと押し上げ、今へと至らしめて何人たりとも代演することのできない極地に、至らせていることだけは間違いない。

 振り返って不思議なのはそういうものがあるという情報を、どこで得たのかというところ。今ならネットもあって掲示板あたりで情報が広まり、誰かがアップして見て買いに走るということも可能。あるいはそこで止まってしまう人も増えてしまったから雑誌が売れなくなったという可能性もあるけれど、ともあれ情報の伝播力は凄まじく発展した。当時にそうしたものはまったくない。同人サークルやファンクラブといったものとは無縁で来た身。当然にして当時もそうしたものには所属しておらず、同好の士に見えるなかで情報を得るということなど不可能だったなかで、雑誌で読んだか、それともほとのど3人くらいしかいなかった「ガンダム」を知っている同級生あたりから伝わって来たのかは覚えていないけれども、存在を知り、号数を覚えて古本屋を探して見つけだした。

 買ったのは天白区の植田あたりにあった古本屋だっただろうか。値段は200円くらいだろうか。後にその古本屋では漫画においても大切な出会いを果たすことになるのだが、ともあれ少ない情報をもとに物理的に動いて何かを探す楽しさに溢れていた時代だった。なおかつ見つけだすことだけでなく、見つけた物にしっかり感動できる余裕があった。ググれば何でも見つかり、知った気になれる現在にはもう味わえない喜び、なのかもしれないなあ。ところでその「月刊アウト」はというと、やはり実家のどこかで段ボール箱に入ったまま眠っている、はずだけれども果たして残っているのかどうか。今に手に入れるとしたらいったい幾らくらいになっているのか。ちょといとググってオクで落札……便利だけれどもやっぱりちょっぴり味気ない。

 基本に忠実。だからこその面白さ、って奴なんだろうなあ「クロスゲーム」は、「タッチ」で見せた死に別れの哀しさに昼行灯の底力って奴を重ね合わせつつ、女の子による頑張りって奴を混ぜて興味を引きつけ先へ先へと目線を引っ張る。不良の理解者って奴もあたか。それはもうあざといくらいに面白さのパーツが揃えられ並べられているんだけれど淡々とした展開とほのぼのとした絵柄と時折見せられるエロスがあざとさへの呆れを覆ってしまうところがあだち充流。というわけでアニメーション版の始まった「クロスゲーム」は第2話にして人気獲得は確実って状況になって来た。録画したりDVDを買うほどじゃあないけどずっと見続けてしまうんだろうなあ。同じ時間に真夜中でやってる「ハヤテのごとく」がやったとしてもどうだっかなあ。難しいかもなあ。さすがは大御所あだち充あん。だてに歳はとってねえ。

 男子のチームでサポートしているのがジェフユナイテッド市原・千葉だったとしたら女子ではずっと日テレ・ベレーザだったんだけれどジェフ千葉のレディースが同じディビジョン1に上がってきたことでどっちを応援すべきか逡巡中。兄貴分が今ひとつなだけに黄色いユニフォームをまとったジェフ千葉レディースを応援したい気持ちは存分にあるけど、メインの選手が引退とそれから米国への移籍でごっそり抜けたベレーザが、今期にどれだけやれるのかって興味もあってどっちを見に行くかで迷いそう。とりあえず開幕戦はジェフ千葉レディースが遠方でベレーザは近場の西が丘だったんで迷うことなくそちらへゴー。マッチデーに掲載の選手がたったの17人しかいないコンパクトさにまず驚き、加藤與恵選手も沢穂希選手も小野寺志保選手も四方菜穂選手も荒川恵理子選手も抜けてしまったフィールドの模様に2度驚きつつ戦いぶりをじっと見守る。やっぱ強いわ。

 あれだけ抜けてもピッチには大野忍選手に近賀ゆかり選手に永里優季選手と現役代表が揃い宇津木留美選手に岩淵真奈選手と世代別の代表もいて小林弥生選手に中地舞選手に豊田奈夕葉選手に原菜摘子選手に岩清水梓選手とレギュラークラスがなお残ってそして木龍七瀬選手とか永里亜紗乃選手といった期待の新鋭も勢揃い。テクニックとスピードだけならどこにも負けないチームになってはいそうだけれどそこはやっぱり視野の広い加藤選手や判断力の素晴らしい沢選手が抜けてしまったことがあったか、中盤で拾った後の展開に大きさがなくって以前だったら拾ったら展開して波状攻撃へと向かっていた攻めにどこか手詰まり感もあってこれで浦和レッドダイヤモンズレディースとか、去年からいるチームと当たった時に果たして得点が奪えるのかってあたりが気になった。

 大野選手は前後に動き前への突進力も強くって流石な感じ。近賀選手はサイドを突破し切れ込みあげるクロスの鋭さはなお健在で「なでしこジャパン」でも確かな地位を占めて行きそう。宇津木選手もよく走ってた感じ。逆に永里選手は中盤に下がってしまったようで決定力を見せるに至らない。岩渕選手は瞬間のスピードはすごいものがあるんだけれど巧すぎて見えすぎてしまうのか、明らかに自分に出番が来ないって部分では息を休めていたりして、それはそれでクレバーなんだけれども大野選手のように抜け出すぞ、前に出るぞって迫力や、ディフェンスからチェックにいって奪いシュートに持ち込むぞって熱情があんまり漂ってなくって、これにあんまり裏へと放り込む大展開の少なさも重なってこれってプレーをそんなに見せてくれなかった。代表に行ったらどんな感じになるんだろう? そこは興味だけれどその前に選んでもらわなくちゃ。来週はそんあベレーザがジェフ千葉と対戦! 応援どっちしよ?


【4月11日】 「機動戦士ガンダム」のことはぜんぶ「アニメック」から教わった。なんて絶対にそう言っても言いすぎじゃないくらい、1980年という年にラ・ポートが発行していたアニメ情報誌「アニメック」が繰り出してきた仕事の数々によって、それこそ脳味噌の皺の奥の奥まで「ガンダム」に染めあげられた。最初に手に取った「家なき子」が表紙になった第10号では、おそらく終盤部分の粗筋が設定画なんかとともに掲載されていたんだっけ? 当時編集長として「アニメック」を作っていた小牧雅伸さんが、喧噪と充実の日々を振り返った「アニメックの頃…」(NTT出版)をひもとくと、第10号にはまだ富野喜幸と記述していた頃の富野監督のインタビューも掲載されていたそうだから、その振り返りコメントや粗筋紹介、掲載されている画像なんかから全体像を想像して、「ガンダム」という作品の面白そうな可能性に感づき、ずるずると引っ張り込まれていったんだと思う。

 前半部分すらろくすっぽ見ておらず、いきなり終盤だけの粗筋を与えられて物語が理解できるのか? と言わそうで、なるほど歳を取った今現在だと忍耐力もなければ想像力も涸渇して、最終回のシナリオを渡されただけで全体像を思い浮かべるなんてことはきっと出来ないに違いない。けれども当時、今なんかよりはるかに時間に余裕があってそれに反して与えられる情報の種類も量もも少ない中で、突きつけられた断片を徹底的に読み込み前後を繋ぎ遡って想像することが、貧乏な中学生にとって大いなる娯楽でもあった。そうやって培われた想像と間をつないで埋めていくスキルは、後の社会生活なんかでも、断片的に緒折る事象がつまりはどういうことなんだと全体像を把握し、自らの立ち位置なんかも想定して、どう対処するのかってあたりをこなしていける力になっているような気もする。逆に終わりが見えすぎて、こりゃあダメだと諦め投げだし最初っから関わらない怠惰さを招いている可能性も実は相当あったりするんだけれど。

 そんな「ガンダム」の小特集に続いて繰り出されてきたのが「機動戦士ガンダム大辞典」という奴で、これには前の号に掲載されていただろう1話からの粗筋紹介が全部乗せられてあって、あとビジュアルなんかもふんだんに使われていて「機動戦士ガンダム」という作品をキャラクターからストーリーからメカから理解するのに大いに役立った。その構成がどうだったかはさすがに「アニメックの頃…」にも書いていなくって、後に発売された「ルパン三世カリオストロの城大辞典」だったら確かかがみあきらさんのイラストなんかが掲載されていたよなあ、って感じに蘇る記憶もないんだけれども、それでも過不足はなく必要にして十分以上の情報量、シンプルでストレートな構成に大いに助けられたことは確かだろう。その構成は後にアニメだったら本家ってな感じで君臨していた「月刊アニメージュ」あたりが繰り出してきた「ロマンアルバム」シリーズを読んでも、ビジュアルが中心で文字としての情報が足りないよなあ、と思わせあんまり手を出さないままに今へと至らせた原因になっているのではと、そんな推測も浮かんできた。どうなんだろう。

 「ガンダム大辞典」は後にパート2も出たんだけれども、それがどんな内容だったのかをまるで覚えていない。表紙のレイアウトがどうなっていたのか、パート1での過不足のなさがパート2ではどうだったのかを推し量る記憶もまるでないのが情けない。手元にあれば確認できるんだけど、あいにくと実家を出てくる時に段ボールにつめて置いてきてしまった。あれがそのまま手元にあればいったいどれくらいの価値になったのかとワクワクするけれど、残念ながら巻末についていたかるたを切り抜いて、セットにして重ねて手元に保存していたから完品にはなっていない。残念だけれど子供にとって付録とはそういうものだったのだ。

 かるたで思いだした。あれは「月刊アニメージュ」だっただろうか、「超時空要塞マクロス」が流行り「超時空世紀オーガス」なんかが出始めたあたりかそれより先の「超時空騎団サザンクロス」も始まってからだったか、キャラクターデザインの美樹本晴彦さんのイラストが描かれたトランプが付録についていたように覚えている。雑誌から切り取るタイプだったのか。それとも最初からボックスに入っていたのかは覚えていないが、宮崎駿監督の「トトロ」のイラストボードがポストカードの束になっていた付録ともども気に入って、机に取り置いてはたまに取り出し眺めていた。最近になって付録にボックス入りのトランプが増えている様子を見るにつけ、原点はその辺にあって20年以上経っても変わらないなあと、進歩のなさに嘆息しつつ当時にそうしたアニメファン獲得のための“発明”したアニメ雑誌の先駆者たちの炯眼に、心より敬意を発するのである。

 オリヴィエがアームストロング家の地下に自分の部下たちを潜ませていることを果たしてロイ・マスタング大佐は感づいていたのかどうなのか。父母とそれから力持ちの妹をまとめて追い出したって話を伝え聞いて何か動くかもって想定をしていて不思議はないんだけれども、そうでなければキング・ブラッドレイ大総統を相手に反乱を起こしたものの途中で弾切れになる事態に陥り、ハボックが使わせた装甲車にいっぱいの弾薬がなければもうこれでおしまいって瀬戸際にまで追いつめられていたのに割に平然としていた理由が分からない。玉砕覚悟だったら最初から突っ込んでいくんだろうけど、大総統の婦人をさらいつつその目に夫の一味の悪巧みを見せつけるような迂遠な真似をして自分たちの正当性を知らしめようとしていたからには、生き延びる算段があったと考えるのが妥当だろう。

 ともあれそんな感じにドタバタ続きの「鋼の錬金術師」の第22巻はせっかくつかまえたプライドがキンブリーによって助け出されたところをアルフォン巣が立ちふさがってくい止めようとする一方で、パンダの嬢ちゃんがつかんで保ってたエンヴィーがホムンクルスみたいなのの集団を囓って大復活してさあ大変。ホーエンハイムはホムンクルスたちの親父ん所に単身で乗り込んだものの果たして勝てるのかどうなのか。確実に強そーなのはやっぱりオリヴィエとアレックスのアームストロング姉弟くらいかなあ。どうやったって死にそうにないもんなあ。テレビの新シリーズも始まってその行く先も明示されることになるコミック版のクライマックス。どこにどう帰結するのか分からないけどちょい目立たなくなって来ているエドにここでちょい花持たせてラスボス相手のラストバトルへと突っ込んでいかないと、アニメを見ていくモチベーションも喚起できないぞ。

 信仰の薄さに弱体化していく神様たちの何と大勢いたりすることなのか、「かんなぎ」に「やおろず」に「創立! 三ツ星生徒会」にほか何だっけ、最近でも田舎に出かけてお隠れになってしまった神様を引っ張り出す仕事をさせられている青年の話があったっけ。それを言うならイエスと仏陀が江古田だかどっかでアパート暮らしをする話が究極か、あれはでも信仰の薄さを嫌気して逃げ出した話でもないからなあ。ともあれどうやら神様たちへの信仰の薄さが神様たちの焦りを呼んで、顕現を促す作品ってのがやたらと増えているのはつまり、物質文明だの機械化社会だの何だのといって信仰なり迷信といったものを後ろにおいやって来たけれども、ふと気がつくと前には断崖絶壁がそびえて進むいn進めず振り返ったらそこは焼け野原。さあどうしようって考えてやっぱり何かにすがりたいって気持ちが芽生えたもののすがる相手が周囲からいなくなりかかっていることに気づき、こりゃあ拙いと掘り起こしに向かう日本人の気分が日本を覆ってクリエーターの人たちに、ペンを取らせていたりするからなのか。違うよな。

 そんな訳で浜田よしかずさんって人の「つぐもも」の第2巻が登場。メインは帯が神気を帯びて顕現した付喪神の少女・桐葉なんだけれどもそんな少女が下僕と虐げる少年が、おそらくはかつて何かの際に世話になっていた近所の白山神社のくくり姫って神様が、少年を呼び出そうとして桐葉に使いを送り込んでちょっとしたバトル。でもお使いは敗れて桐葉もつきまとったまんまで少年が赴いた神社で、現れたくくり姫は能面をとっかえひっかえしながらさまざまな力を見せつけ少年と桐葉を追いつめていく。いったい何が目的か、ってあたりはすぐに明らかになるけれども驚いたのはその正体。見れば感涙にむせびそうな種類の人もいそうで、力を使いすぎて縮んでしまった桐葉ともども銭湯でひとっ風呂浴びているシーンとか、それ以前にバトルで桐葉に股さきの技をかけられたシーンなんかに目を釘付けにさせられる。眼福眼福。もちろん神様のご神体を拝めてって意味だよ。観音様ではないよ。

 パスのミスは減ったし弾際への意欲も見えるよーになって来たジェフユナイテッド市原・千葉だけれどもやっぱり何というかトラップの部分で適当さが目についてしまうよなあ。最下位を争うジュビロ磐田との戦いで中盤に入った工藤浩平選手とか、左サイドに張ってた深井正樹選手とかが飛んできたボールをちょいっとコントロールしてそのまま攻めようとするんだけれどコントロールがままならず、ちょっと離してしまったところで奪われ攻められるシーンが幾度となくあった。走りながらかかとでうけて転がすシーンも決まれば素晴らしいんだけれど決まるシーンはほとんどなくってだいたいが相手ボールとなってカウンター。もっと確実に自分のボールにして攻めにつなげるよーにしないと、守って守って守りきれずに決壊、あるいはフリーキックを与えて失点(今回がまさにそーだった)ってシーンが繰り返されるだけなんで、選手にはカッコつけるより確実に運ぶスピリッツって奴を植え付けて欲しいとミラーにお願い。浦和レッドダイヤモンズ戦は年間パスのSAバック自由席ってのを持っているんだけれどこれってちゃんと設置されるのかなあ。不安なんで先売りのSバック指定席を買ってみたけど。さてはて。


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