縮刷版2008年8月中旬号


【8月20日】 パンツじゃないんじゃないんだからやっぱりあんまる見せれくれないシーンにもやや慣れて物語の謎めく展開を楽しみにし始めた「一騎当千 Great Gardians」は呂布がどうやら何かに操られているっぽいことが判明。でもって操っている魔女っ娘も能力を使えば頭痛に苦しむ体質らしく孫策に拾われ連れて帰られ寝かされたところでそこが孫策の家だと分かって逃走。いった何者だ、左慈とつながっているみたいだけれども。そんな謎の魔女っ娘に新たに劉備も操られて関羽を邪険にして関係に波風。あれで劉備にぞっこんな関羽が落ち込み切れてみせる爆裂っぷりに期待。でもまくれあがらないんだろうなあ。

 それにしてもやっぱり格好良い梅津泰臣さんによるエンディングは1枚絵が動くだけなんだけれど1人ひとりのキャラクターの表の顔と内面が重なり合って表現されるシーンに人の心の奥深さ、一筋縄ではいかない難しさって奴を見る。だいたいが三国時代の闘士たちの生まれ変わりって設定で人格が重なっていたりする面々。その内面っていうのか裏面ってやつを表では笑顔の少女に重ねて厳しい目つきや口元をした少女を見せることによって感じさせてくれる。デザインも梅津さん的に萌えとは違うシンプルさとシャープを持っていて1枚絵でもぐっと迫ってくる。でもって動かしても最高。趙雲子龍の顔が回る場面なんかも見ていて隙がない。アクションも展開もカッコ良かった(エロはなかったけど)「MEZZO」とか見返したくなって来たなあ。

 でもって展開にシンクロして流れるエンディングテーマが「影〜shape of shadow」ってんだから奮ってる。口に1本指をあてて孫権仲謀がこっちを見つめる場面が好き、かなあ。あんまり格好良いんでふと気が付いたら販売されてたオープニングとエンディングを収録したDVDがついたCDも「とらのあな」で買ってしまったよ。そしたらブロマイドが着いてきた。いかんなあなんかハマって来てしまったなあ。この勢いだとボックスで発売されている無印の「一騎当千」とか勢いで買ってしまいそう。でもって9月に発売の「GG」のDVDも、何かOVAが出てきて闘士があんなこととかそんなこととかしてくれるみたいだし、ってどんなことだ。いかんここは自重だ会社もいろいろ面倒だし金を蓄えておかなくちゃ。

 でもって「とらのあな」を見渡すと……おやなんだこれは「ストライクウィッチーズ」のお尻コンテストだって? オールキャラのパンツじゃない何かをバックから尻尾付きでとらえたショットをずらり並べた表を掲出しているではないか、うーんしかし恥じらいってものはないのか軍人、いやだからパンツじゃないから恥ずかしくないんだ、うーんしかしだったら何なんだ? ズボンだって? 日本語というものの奥深さを節に感じる土用波。とりあえずペリーヌさんに1票、いや好きだんですタイツ足、黒も良いけど茶も悪くないなあ 。「とらのあな」グッジョブ。いつか本当に投票に行きます。

 だから言ったじゃないか、「エル・ゴラッソ」でサッカー女子代表の記事を書かせれば安藤梢選手に多大なる愛情が注がれた内容のものしか出てこないはずだって。2008年8月21日号に掲載の北京五輪での準決勝「日本対アメリカ」の選評が出ているんだけれどサイドバックに入ったもののほとんどオーバーラップができず中盤にいた近賀ゆかり選手との連携がとれずボールを前におくっても中途半端で奪われてばかりであんまり良くなかったその出来に途中で交替させられてしまった安藤選手が採点6を着けられているのに、前戦へと何度も出たし最初の得点ではシュート気味のクロスを入れて大野忍選手をアシストし、2点目の時も最前線で相手ディフェンダーを巻き込んで潰れてこぼれたボールを荒川恵理子選手が蹴り入れるのに貢献した近賀選手が5・5点ってそりゃあいったい何の冗談なんだ江橋よしのりさん。

 元より安藤梢選手愛に溢れた書き手ではあったし金になり辛い女子代表の試合をおいかけあっちこっちを旅する男気に感嘆しているけれどもこと選手の評価に関しては納得のいかないことが多々あってどうにもこうにも悩ましい。というかはっきり言って腹立たしい。って採点と寸評を江橋さんが書いているかまでは分からないんだけれども記事を担当しているからそうだと推察。安藤選手については「強靱なスピードを守備で行かしたが、攻撃に絡めず」って書いてあって6点で、一方で近賀選手については「 MFとして先発したが、連動守備とのタイミングをつかめず」ってことで5・5点に抑えられている。

 でも連動守備ってことは1人でやるもんじゃないしMFなんだから攻撃の面を評価すれば差し引きではプラスなはず。守備として先発しておいて結果として4点を奪われたディフェンスの選手が6点つけられるなら得点に絡んだMFだって6点なはずだし、守備の責任を咎められてMFが5・5点なら連動していたサイドバックも5・5点か5点が妥当。なのに逆のこの採点の根拠はいったい何なんだ。愛か。やっぱり愛なのか。うーん愛なら仕方がない、こっちだって日テレ・ベレーザ愛でもって甘めの点数を着けることもあるし。いっそ愛ならば江橋さんにはその愛をピッチの上にいる安藤選手に向かって叫び看板を手にラブのついたコールを送って全世界的な中継の中で示して頂きたいもの。それをやってくれたら僕だってこれは愛なんだから当然の採点だって納得するから。中継見てるから是非に宜しく。西森彰 さんはどんな評価をしていたんだろう、準決勝のアメリカ戦。

 えっとすいませんソフトボールのタイブレーカーの連続に目を奪われてほとんど見ていませんでしたサッカー日本代表のウルグアイ戦。ってこともないんだけれどもやぱり見ていて緊張するタイブレーカー。いきなり無死2塁からスタートってそりゃあピッチャーには酷も酷。でもって1点を奪われリードされる展開のなかを上野投手は昼間のアメリカ戦で全イニングを投げて150球近い投球を行ったにも関わらずまたまた登板してそのまま延々と最後までピッチング。切れたくもなっただろうち疲れも凄まじかったはずなのに、強打は赦さず散発の中に相手を抑えてそして最後のサヨナラを呼び込んだ。これが大和撫子の心意気。サッカーは残念ながらアメリカに破れて銅メダルをかけた戦いへと回るけれどもソフトボールはアメリカに2度破れても3度めを、それも金メダルをかけて戦うチャンスが得られる。この僥倖になでしこジャパンの悔しい想いも感じて是非に勝利を、完全なる勝利を得て欲しい。んで岡田ジャパン? 長友……、長谷部……、小野……、山瀬……、大黒……。2014年のブラジルに希望を。


【8月19日】 録画はしてあるけれどほったらかしの「ワールド・デストラクション」を何話か分飛ばしてみたら話がまるで進んでなかった。いや途中にいろいろあったのかもしれないけれども基本的には成り行きで行きずりになった凶暴そうな女の子と軟弱っぽい男の子とぬいぐるみみたいな熊の3人(匹)連れが「世界撲滅委員会」なるものを名乗って旅をしているって話で、それをどうやら敵らしい「世界救済委員会」が追ってるって構図が相変わらず今も続いていた。

 練れて来たのか「世界救済委員会」の方はリ・ア=ドラグネールもナジャ・グレフもキャラが爆裂気味に立って来ていて、漫才みたいなやりとりをしながら「世界撲滅委員会」を無茶でも追いかけ回していたその振る舞いが可笑しかったけれども、ストーリーの方は偽物の「撲滅委員会」が現れ食い逃げをしていたら、さらにカタリの一派が出てきて事態はぐっちゃぐちゃ。でもまあとりあえず解決してこれからは真面目に生きろよといった感じに終わってそして結局まるでお話は進んでいなかったという寸法。それともここまで一気に何かが進んでて今回は箸休めの回だった?

 でも「スレイヤーズR」だってでたらめに見えて毎回ちょっとづずフックを残して興味を先へとつなぐ仕掛けを施していたりする訳で、「ワーデス」にそんな動きは見えていないからやっぱり毎回が完結の泥試合。何も残さないドタバタ劇が重なってきていただけなのか。まとめて見返そう、暇があったら。絵の方はさすがに綺麗で動きもよくって表情も豊かで飽きないけれどもそれで見続けてもらえるほど世間ってのは甘くない。せめてモルテ・アーシェラにもーちょっとの色気でもあれば頑張るんだけれど、かぎ裂きの入ったスカートがビリッといっても期待されたものが見えない展開ってのにはやっぱり落胆が大きい。プロダクションIGに萌えは無理か。

 んで買った柴田ヨクサル「ハチワンダイバー」の第8巻を僕は「ハチワンダイバー」だとは認めない、認めたくない認められない。だって受け師さんが本編にまるで一切登場しないんだもん、主人公はそりゃあ菅田かもしれないけれどもポッチャリなヒロインがあってこその人気って奴を踏まえるんなら、どこかに出して絡ませて踊らせてファンを安心させるのがエンターテインメントを商売にしている者として当然の身の処し方。なのに本編でポッチャリな姿欠片も披露してくれないのは気の抜けたビールどころかビールの入っていないビール瓶ですらない無意味な存在だ。

 表紙で可愛らしく媚態を見せて裏表紙で理知的なところも見せているじゃないかと言われたって、本編であれやこれやしてくれる姿にこそ人は身を入れ込んで心に触れさせる。出ていなけりゃあそれすら不能。だからやっぱり第8巻は欠番と位置づけ次の第9巻を僕の目は「第8巻」と捉えることにしょいー。んまあしかしすでにして第7巻の展開すら覚えてないからこのまま9巻10巻と受け師さん抜きで進んでも案外に慣れてしまうのかも。そういやいつの間にか終わってたテレビドラマのDVD−BOXは11月19日に発売とか。こいつに仲里衣紗さん演じる受け師さんが出ていない回はたぶんないから買って立派な山と谷の様をスローにスチルも入れつつじっくり観察させて頂こう。じっくり。

 3・45ミリらしい。つまりマイナス0・55ミリ。これって重要? 使ってないから知らないけれども使っている人にとってはこれまでの4ミリにあわせて文字をかき込んでいたのが、いきなり小さくなってちょいキツいかもって感じるかもしれない。でもまあきっと慣れるんだろう人間ってそういうものだしそれにきっと3・45ミリには理由がある。なにしろあのベストセラー手帳の座に君臨してもう4年だかになる「ほぼ日手帳」がロッテのクールミントガムとかいった名物商品のリデザインを手がけたグラフィックデザイナーの佐藤卓さんに預けられて超ではなくって細改良。そうして出来上がって来た「ほぼ日手帳2009」はパッと見た目はこれまでの手帳と変わらないんだけれど見て見通すとちょっぴり違う。

 それが果たしてこれまでのユーザーにどう感じるか。「使いやすくなってるねえ」だったら佐藤さんの判定勝ち。改良した効果ってのをあからさまに見せつけるのってプロダクトデザインの分野ではちょっぴり違うらしい。使いやすさであったり見た目の楽しさ、美しさとったものが使っている人に自然に入り込んでこそのプロダクトデザイン。そこで声高な主張をしないで自然に「使いやすさ」が伝わることは、デザイナーにとっての勝ちは勝ちだけれどもそれよりはずっと愛用している人に「前と変わらない」と感じてもらう方が、佐藤さんにとっての1本勝ちになるよーな気がする。気づかせないで感じさせるその案配。それが果たせたのなら苦労した甲斐もあったってことだろー。

 たかだか手帳のデザインにそんなに苦労することがあるのか? っていうとこれがなかなかに難物だったもよう。第1にずっと愛され続けている「ほぼ日手帳」に手を触れる。ここに覚悟が必要だったらしい。まず見て見込んで見倒してみてデイリーページに印刷されている破線の方眼が気になった。破線はいい。実線とちがって堅さがない。おしこめようとする意図がない。上下左右に自在に広がれてほかと関係性をもたせるための隙がある。でも方眼の破線と破線が重なる部分はどうなっているのか。「+」のようになっているところもあれば縦だけだったり横だけだったり、空間があいていたりとてんでばらばら。ピッチの間隔をそこまで緻密に計算しないで作っているっぽいところがデザイナーとしては気になった。だから破線のピッチをそろえてクロスは「+」で縁は「T」字になるようにして角もカギになるようにした。そこがなるほど使う方には気にさせない美しさの探求って奴らしい。

 日付を載せてる部分も考えた。1日ごとに何月かって表示は必要か。最初に入れるなりしておけば十分じゃないかと考えたけれどもでもそのページを開いてそれが何月何日かがすぐ分かるのって重要だと、元の体裁を受け継いだ。でも字はシャープにした。太いのって何か声高。そうじゃなくって静かに教えてくれるような感じを出したかったと「アップルストア」で行われた発表会で佐藤さんは言っていた。それほどのまでの配慮があるならグリッドがちょい小さくなったのにもきっと理由があるんだろう。ちゃんと書ける。いっぱい書ける。それでいて書き込めないほど小さくはないサイズとして3.45ミリが採用された。ならば使ってみるしかない。使って確かめるしかないんだけれども手帳って最近、あんまり使ってないんだよねえ、使うくらいにスケジュールが埋まらない。土日とかサッカー以外は真っ白。まあそれも自在で良いんだけれど。はあ。

 ただ「ほぼ日手帳2009」ではカバーの色がやや落ち着き目になっているのがちょっぴり心をくすぐる。ビビッドな黄色とかピンクとかも嫌いじゃないけど、そういう主張を見せつつもややシックって絶妙の案配に今回の手帳はなっている。コードバンなんてゴージャスなカバーも用意されてて手にして使い込んでみたい気にさせられる。白ヌメってのも捨てがたい。使うと良い味、出るんだよ。やや大きめのノートみたいな手帳も登場。なずけて「カズン」。いとこって意味。そんなデュオがあったよなあ、懐かしい。卓上にずっとおいておいて日記代わりに使えそうな手帳。って我が家には机なんかなくって仕事は玄関に置いた洗濯物入れのビニール籠に洗濯物を詰め込んだものを椅子代わりに膝の上にラップトップを置いて書いているから、手帳なんて置く場所もないんだけれどもアイデアノートとして常に持ち歩く、ってのもありかも。ああそれはパソコンが代替可能か。うーんやっぱり手帳は僕には不向きかなあ、どうしたら手帳って使いたくなるんだろう? 教えて糸井先生。

 って聞こうと思いつつも奥手なんで発表会後の座談会でも球って見つめる銀座の夜景。10年くらい前に「ほぼ日刊イトイ新聞」が立ち上がったあたりでウェブ日記がまだ珍しかった時代に当方をちょい認知していただいていたこともあったみたいだけれども、10年が経った今ではユルユルと大発展して大きな固まりになってなおもごろごろと「塊魂」みたいに周囲の共感を巻き込んで大きくなっていく「ほぼ日」に対して、相も変わらず絵空事と妄言をならべているだけの当方とでは関わりなんてあり得ない。ネットをいたずらに言葉を垂れ流すメディアとしてではなくって、自らの世間的な知名度をひとつのポータルにしつつ周囲を引っ張り込んで新たな認知を得て、そしてどんどんとつながりひろがっていくツールとして、ネットを最大限に活用した最高の成功例を前にこの12年の停滞を虚しく思うかっていうとそうでもない。あれはあれでこれはこれ。記憶を外部化して残しておく装置に過ぎなくっても、これがあるから役立つこともあった訳で、そうやって何か得るものがあるのなら別にほかがデカくなっていっても気にせず日々を粛々と、ややグチも交えつつ記録していくのが我が道と信じて続けていこう、末代まで。しかしやっぱりちょっとは認知していて欲しかったなあ、糸井さん。


【8月18日】 雑巾はやはり絞り滓となって捨てられる運命だったのかとロロ雑巾に涙。いやいや奴はシャーリーを殺ってる訳でその生き様を真正面か肯定するのは間違っているんだけれど初期のただ言われた仕事だからとどんどん邪魔になる人間たちを排除していた時代と違って、シャーリーのあたりはようやく見つけた自分の居場所がなくなってしまうことへの今日品新から何としてもルルーシュを生き延びさせたい、そのためには生涯を排除するっていった主体が見えている分、肯定はできないけれどもその振る舞いに理解は及ぶ。

 及ぶけれどもやっぱり罪は罪として償われるべきであってそれを自尊と引き替えにルルーシュに差し出して終わりではやっぱり世間は納得できない。なのでここはそういう風にロロ・ランペルージをしてしまったルルーシュに、何としてでも目的を達成してやって頂きたいものだと思ったもののルルーシュの目的だって初戦は妹を静かに暮らしたいって超手前勝手なものだからなあ。それに引っ張られて仲間を失ってきた「黒の騎士団」が憤るのも無理はない、か。それにしても神根島では動物の落とし穴を掘るにも一苦労だったルルーシュが人間1人分の穴を掘る体力を得ていたとは。いや学園祭では相変わらずヘロヘロだったから体力は前のまま。だとすればそれだけロロのことを真剣に考えて努力した結果か。案外に良い奴。いや悪い奴だけど。

 それにしてもあっさり寝返ったもんだよ「黒の騎士団」。もはや当初の清廉にして崇高な佇まいがすっかり消えて参謀にすらならず将軍としても今ひとつな藤堂があっさり寝返ったって驚きはしない。というかもともと“奇蹟の藤堂”だなんてもてはやされていたってそれは弱体化した日本軍がプロパガンダ気味に喧伝したもの。当人は努めて冷静に状勢を判断して戦い必然として戦術的な勝利を得ただけのことで決して大勢をひっくり返すだけのカリスマ性も度胸も持ってはいないのだ。なので状勢が代わればそちらに流れるのは当然。むしろ驚きは扇の変節であそこまで全面的に支持して付き従ってそして結果も得てきたのに、単に中身が敵国の王子でちょっぴり人を操る能力を持っていたからと分かったくらいでどうしてああも嫌悪感を示すのか。

 最愛のヴィレッタが操られていたかもしれないその間に、あんなこととかこんんあことをされたかもしれないってイケナイ妄想がリーゼントの先端まで広がって判断を鈍らせたか。それでもゼロ引き渡しの条件に日本を返せとあのシュナイゼルに向かい言い切る度胸はなかなか。そこだけはリーダーとしての資質を認めてあげても良いのかも。ともあれすべてを失い1人と1機だけになったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが取る手は何か。ジェレミアは着いてきてカレンも従ってはくれそうだけれどそれで何とか出来るほどシュナイゼルも「黒の騎士団」も甘くはない。中華連邦はどっちに着くのか。そして神根島のシャルルは。来週も再来週もその次も最終回まで目が離せない。最終回はちゃんと放送するんだろうなあ?

 原画集も買ったんでようやく買い置きしてあった「劇場版 空の境界 第三章 痛覚残留」のDVDを鑑賞、おお! なシーンの連続は劇場で見たオトコノコたちを官能させつつグロさに怯えさせたんだろうなあ。浅上藤乃の声はもう聞くほどに能登“能登かわいいよ能登”麻美子さんで怯えつつ好奇心を抱きつつ引きつつ突っ込むようなウィスパーボイスが耳について離れなくなる。でもって見せる超能力(ちょーのーりき)の凄まじさ。両儀式の中空を舞い踊るように戦うシーンは前の2作の方が多かった気がするけれども崩れ落ちる橋の中で瓦礫を避けつつ戦う式と藤乃のシーンは迫力もあって大画面に映えそう。あと血を吐き崩れ落ちていく藤乃の痛々しい演技も心に辛さを突きつける。今度リバイバル上映があったら見に行こう。第4章がDVDになるのは何時頃かな。第5章は公開中らしいけどここで急に劇場に行くのも業腹なんでパッケージ化されるタイミングでゆるゆると追いかけていこう。とか逝ってるとブルーレイが発売されてしまうんだ。アニプレックスってそういやアニメタイトルのブルーレイ化にどんなスタンスだったっけ?

 「なでしこジャパン」の決戦を控えてメディアにも女子サッカー関連の記事が増えてファンとしては嬉しい限り。不甲斐なさ過ぎた男子への反動とそれから赤貧な境遇への理解もあって全体に前向きな記事が多くって、これが呼び水となってあれやこれやと環境待遇の改善が起これば嬉しい。せめて首都圏だったら電車で行ける範囲のスタジアムを試合に用意してくれるとか。車かバスでなきゃあいけない場所で日曜の午後1時とかからやられたって行くに行けないもん、北京五輪での活躍を見た人がちょっと女子サッカーも見てみたいと思ったって。だからこそのこの好機を逃さない手はないってことで、メディア関係では「東京スポーツ」が犬飼会長の意識にJリーグのクラブが傘下に女子チームを持つよう呼びかけていくって記事が載ってて興味を惹かれる。

 すでにジェフユナイテッド市原・千葉にはジェフユナイテッド市原・千葉レディースがあって今期の2部トップを決めそうな勢いだし、1部のトップは東京ヴェルディ傘下の日テレ・ベレーザ。あと1部の強豪の浦和レッドダイヤモンズレディースは文字通りに浦和レッドダイヤモンズの傘下で前の「埼玉レイナス」時代に比べて環境も上がり実力も付いてきた。その移管を成し遂げたのが浦和レッズ時代の犬飼さん。効果も意義も知り尽くしての発言なんだろうけれども、そうやってJリーグのチームの傘下に入ったからといって選手達の待遇改善にすぐにつながるかっているとこれが悩ましい。1部ではTASAKIペルーレは田崎真珠でTEPCOマリーゼは東京電力といった具合に企業が宣伝なり福利厚生の一環としてチームを持っている。それはプロとは別だけれどもプロ化しても活動していけるほど収益の見込めない女子サッカーでは、こうやって企業丸抱えの中で身分保障、収入保障されなければ選手たちもプレーできない。

 ジェフレディースだってベレーザだってレッズレディースだってプロは一握り。残りは日々のバイトか親のお金でチームの所属し食べつつプレーを続行している。リーグのチームの傘下に入ることによってかえって選手たちが日々の糧に困るよーになったんじゃー本末転倒。必要なのは興行として活動できるくらいの規模に女子サッカーの市場が育つか、そうした女子を養えるくらいに男子のサッカーが盛り上がるかってことなんだけれどこの日本代表なり五輪代表の体たらくがサッカーのムーブメントに指した冷や水ってのは結構な冷たさ。もういいやってスタジアムに来なくなるファンが降れば収入は減り女子に回るお金も減るかゼロになる。

 それだった別にリーグのチームが持たなくたって一緒。もしもリーグのチームは傘下に女子チームを持てと言うならば、そーした可能性を勘案しつつ、口先だけのスローガンから脱して誰もが安心してプレーに励める環境なり仕組みを作って欲しいんだけれど。まあそこは「なでしこジャパン」が空前にムーブメントとなってサッカー人気の衰滅をくい止めれば良いだけのこと。自分たちで出来ることなら何でもやって来た彼女たちのがんばりが彼女たちだけでなくって日本のサッカー界を救うたぁ、4年前には誰も思わなかったことだろーな。ある意味で痛快。

 とはいえやっぱり米国は強かった。あれだけサイドを突破され続ければいかに守備を頑張ったって何時かは破られる。けどでも綺麗に決められたのって最初の1本くらいであとはいきなりのミドルがキーパーの頭上を抜けて突き刺さり、残りの2点もクロス気味のループがキーパーの頭を越えて直接決まってしまうおよそトップクラスらしくない得点。つまりはやっぱり日本のキーパーの背がまだ足りないってことで頑健さとはまた違ったフィジカルの差ってやつを改めて見せつけられた印象。攻め立てられても最後の1線は超えさせなかっただけにポカーンな得点はやっぱり残念、でもそれが弱点を見極めた米国に叩頭。

 数年前からだっけ、日本サッカー協会じゃあスーパー少女プロジェクト」「ってのを発足させてゴールキーパーの養成を行っていたはずなんだけれどそこからの成果ってのはまだ出ないのかなあ。当初は他の競技経験者も含めてそれなりに高身長の人も混じっていたような気もしたけれども今はもっぱらサッカーのクラブに所属した女の子が中心。170センチ超えがようやく1人で180センチ超えなんていやいしない。バレーボールなら高校の全国に出る選手なら180センチ超えているのはゴロゴロいたりする訳で、そういった人でさすがに全日本にも実業団にも無理そうな人を引っ張ってきて1年で鍛え上げたら相当な壁を作れるんじゃなかろーか。でもそういうのってプロパーな選手たちが嫌がるかもしれないしなあ。なので過去のは成功しなかったのかな。

 あとはもっとボールを大事にして欲しいなあ。何か軽いんだ、パスが弱かったりトラップをミスしてかっさらわれたり。そういうのを予見して素早く動いてボールもハイスピードで回すくらいのことをしないとパワーで押してくる相手には取られてしまう。それができるはずなのに永里優希選手に今ひとつパワフルさが見られないのはまだ若いから、なのかなあ。途中からプレスにもいかなくなってセンターサークル付近まで相手ディフェンダーに出てこらてしまうよーになったし。これじゃあプレスもかけようがない。サイドに送られ突破あれ上げられ入れられる。荒川恵理子選手に代わったとたんに前戦で溜めが出来るようになったところを見るとやっぱりちょっと引っ張りすぎたかもなあ。その荒川選手と丸山佳里奈選手がスピードとパワーで押し込み最後に1点を返せたのは僥倖。前を送り背中をするっと抜けた丸山選手のドリブルなんて見ていてどこのメッシかと思ったよ。そのテクニックと荒川選手のパワーと大野忍選手の献身性を前面に3位決定戦ではドイツを粉砕して銅メダルを持ち帰って欲しいもの。ちょいテンパっちゃった福元選手にも立ち直ってもらうなり休んでもらうなりして仕切り直そう。加藤與恵選手、出ないかなあ。

【8月17日】 自分にとっては「プレイガイドジャーナル」と言えば「名古屋プレイガイドジャーナル」であって略称は「なぷかじゃ」で、たとえ大阪に本家の「プレイガイドジャーナル」とゆー雑誌が存在していてそれが「ぷがじゃ」と略され愛され終末期には題字もその「ぷがじゃ」になっていたからといって、名古屋在住で目にもしなければ手に取りもせず従って読んだこともない雑誌に対する思い出なんてまるでないんだけれど、その本家「ぷがじゃ」の最後の編集長が「なぷがじゃ」で編集長を休刊になる82年3月頃まで務めていたとあってはこれは無関係ではいられない。どうやら同窓の先輩でもあるっぽいし。

 当時の名古屋にまだ「ぴあ」なんてなくって当然「ウォーカー」だの隔週なのに「一週間」といった雑誌もなくって、あるといったら「アワーシティ」くらいだったっけ? いわゆるイベント系の情報誌ったら「なぷがじゃ」が唯一にして絶対の存在で、映画を見たいと思ったら買ってどこでどんな映画が上映されているのかを調べてそして出かけるしかなかった。んまあそんなに熱心な映画少年じゃなかったから名画座なんかを調べて通うことまではしていなかったけれども、既にしてアニメーションの害毒に汚染されかけていた関係で多分「ルパン三世カリオストロの城」なんかが上映されている劇場でも調べるために買ったのかな、その辺記憶が混濁しているけれどもとにかく何号か買って読んでは映画の鑑賞券プレゼントに応募して、当選の通知を何度か受けて栄は錦三丁目なんて歓楽街のど真ん中にある雑居ビルのたぶん階段を上がった階だかにある編集部へと、チケットをもらいに行たことがある。

 取りに来いとはまた今時だとあんまり考えられない仕打ちだけれど、もっぱら大阪の「プレイガイドジャーナル」の歴史について関係者が講演形式で振り返ったイベントをまとめた「『プガジャ』の時代 新なにわ塾草書1(ブレーンセンター)って本に出ている名古屋の最末期に編集長を務めてそして大阪に移りそこでも「ぷがじゃ」の最後を看取った小堀純さんの講演録を読むと、とにかく名古屋の「なぷがじゃ」にはお金がなくって取材に出向く交通費すらなくって、今池名駅あたりってことはおそらく金山大曽根あたりも範囲にすべて徒歩で通っていたらしい。遂に金庫が空になってしまった時には、壁に張り出されていた名古屋で公演を行った劇団なんかが出した大入り袋を開けて5円50円なんかをかき集めていたっていうんだからよほどのもの。当選した人にいちいち郵送でチケットなんか送っていた日にゃあ破産してしまう。だからたぶん応募は往復はがきが限定で当選者には復の葉書に当選の告知が書かれ送り返されて来てたんじゃなかろうか。

 それを持って当選者は錦三丁目まで行って編集部をたずねて引き替えて来るんだけれども、その時の様子をすぐさま「なぷがじゃ」のページの脇に1行だけとられている読者からのコメントを掲載するスペースに、明るい人たちだって書いて送ったらそのまま採用されて掲載されて振り返ればそれが商業誌(だよね一応)に自分の投稿が採用された最初かっていうとその前に名古屋のあれは朝日新聞だったけ、子供の書いた詩を載せるコーナーを持ってて同級生に朝日の記者の息子がいたってこともあったからか経緯は明らかじゃないけれどもクラスの皆で送ったら、自分のが採用されて掲載されてバッヂをもらった記憶があったりするんだけれどそれは新聞だから雑誌とは違う。だから雑誌に文章が掲載されたのは「なぷがじゃ」が最初ってことになる。ペンネームは「ふぇありぃ」なので持っている人は探してみよう、誰も持っていないだろうけど。

 すると翌月号だかに「そうだっけ、みんな暗かったぜ」って投稿が載ったりしたのを見たっていう、これも不確かな記憶があるんだけれどもそうかなあ、暗かったかなあ、どうだったかなあと子供(高校生だけど)心に訝った気持ちが25年を経て氷解した。金がきっとなかったんだ。今月払う給料どころか今日取材に行く金もなくってきっと誰もがゲンナリとしている所に投稿した人は行き合わせたんだ。あるいは明るいなんてガキに言われたくねえよと心情を言葉に代えて編集部の人が穴埋めに投稿をしたのを載せたんだ。そりゃあ元気も出ないはずだよご飯すらまともに食べられないんだから。

 給料は遅配で取材費はゼロ。出前を取るどころか外に食べに出るお金すらなくって編集部で自炊していたらしー「名古屋プレイガイドジャーナル」の編集人たちが常に明るくなれるはずもない。それでもそんな中から当時はまだ無名でたぶん「星空ワイド今夜もシャララ」の金曜日のパーソナリティをエバと一緒に努めていたそれより前に、今でこそ誰もが知る劇作家の北村想さんと知り合い、連載を頼みそして80年には連載に戯曲もつけた本を出したらそれがかの「岸田戯曲賞」の候補となって世間に広く存在を知らしめたっていうんだからなかなかの仕事ぶり。そう聞くと雑誌作りって本当に夢があって意義の深い仕事なんだなあって思えてくる。

 メジャーな雑誌が金に飽かせて有名人や人気アイドルをガンガンと取り上げそしてその人気に頼って雑誌を売って肥え太るって構図を一方に見つつ、お金がないならないで何でもありのスピリッツ、というか何でもやらなきゃ記事が揃わない状況もこれありな中で突っ走って、無名だけれど未来のありそうな人たちをフィーチャーし、それが10年後20年後の英雄へと成長してくのってとっても痛快無比なこと。本家の「ぷがじゃ」は更に上を行ってて中島らもさんを取り上げ大阪の演劇シーンを紹介し尽くし、「ダウンタウン」も無名の頃に取り上げ愛しさあまって至らぬ点を指摘して不興を買ったりもしたらしい。短編ですらないショートストーリーを村上春樹さんが書いたこともあったとか。その先見性と行動力はメディアに関わる身として是非にも見習いたいけど、メディアの中でも新聞って最大限に事大主義で最高潮に権威主義。ある程度の評価が定まった人じゃなきゃあ取り上げる価値なしっていった感じで選別するから、10年後のスタアがそこから出てくるなんてことはまずあり得ない。

 100年かけて積み上げた権威があるならよその権威にすがるんじゃなく、自らの権威でもって未来のスタアを発掘し送り出すくらいすれば10年先も安泰なのに。たぶんそれでも昔はいろいろ先見性やら予見性をもって10年先に向けてタネを蒔く余裕もあったんだろうけど、金がすべてで利益がすべての昨今に明日売れるかが何より大事で1年後にどうなっていようが関係ないってスタンスが蔓延って、一寸先さえ眩ませられればオッケーっていうかそれしか評価されない風潮が漂い始めているからなあ。そんなの個人的にもつまらないし企業的にも未来を先食いしてしまって遠からず立ち枯れへと至る要因になりかねないのに。まあそんな時代にまで生きている保障もないんで知ったことではないけれども、そんな時代がまさに旬な若い人たちは目先のことしか見えない人たちの事大主義で権威主義な言説の、裏を読み将来をまさに予見して先見性を持って行動するのが吉、なのかも。

 んまあ最近は同人誌だって権威主義で事大主義に走り気味だから事態はより深刻なのかもしれないけれど。涼しい中を出向いた「コミックマーケット」の最終日は列の誘導もスムースに「待機列まとめてドーン」の指示にに従い30分ほどで入場して、その足で西館(にし・やかた)の1階に出ていた評論の島へと直行。みかけた直言兄弟の兄様に挨拶しつつ隣で森川嘉一郎さんのオタクミュージアム計画が明治大学で具体化しつつある様子を記した新バージョンの冊子を買って、さらに隣の東浩紀さんのところでフリーペーパーを拝領。ここにまさに昨今の同人誌でもメジャー指向が強すぎるんじゃねえの、だから自分もマイナーな場所でアングラやるのは止めてテレビとか文芸誌といったメジャーな場所に出てはアングラ芸みたなことをやって引っかき回すんだ、ってなことが書かれていた。

 8月1日の「ロフトプラスワン」で秋葉原の事件について語られた際に宮台真司さんがここに来ている奴らに昔みたいな危なさがもはやない、ってなことを話していたのとも通底する問題意識で、メジャーなメディアはともかくとして何でもありのアブナいことだってやって誰にもはばかられることのない同人誌ですら、アブナさが消えているんじゃないかってことをつぶやいている。すでに賞にノミネートされているような人をブレイク前に出して先取り感を出そうってのもどちらかといえば安全牌。「なぷがじゃ」の北村想さんじゃないけど自分たちが賞の場へと送り出してみせるくらいの気概ってものをもって初めてメジャーに対抗できるってことなのかも。その意味で言うなら版元は超絶メジャーな講談社なのに載っているものは明日をも知れないマイナーばかりの「ファウスト」って凄いかも。初日は混んでて買えなかった企業ブースの「ユーフォーテーブル」で今日はなぜかガラ空きで劇場版第三章の原画集が買えてしまった「空の境界」のこれほどまでの認知されぶりも、「ファウスト」周辺が引っ張り出しては講談社の権威になら目を向けそうな層へと届けたからなのかもしれないし。

 そんな「コミケ」では北京でてっきり熱戦をラジオ向けに中継しているのかと思ったら、もっぱら周辺のこぼれ話を紹介しているらしー吉田尚記アナの一族が居残りして売っていたオタク落語の新作CDを買ったり、氷川竜介さんの新刊を買ったりといつも通り。あとかがみあきらさんについて研究している冊子があってそれが5号まで出ていて見たらとってもしっかりまとまっていたんで5号まとめて買ったりして、眺めて懐かしさとそしてこの夏の最中に逝ってしまったかがみさんへの想いを感じて再び黙祷。それにしても亡くなられて24年も経って未だにこうして本が並ぶ「コミケ」ってつくづく奥が深い。間口が広い。あれやこれや取りざたされつつも最終的には何事もなく終わったようでこの意気でもって来年も再来年も2016年の夏すらも超えて続いていって欲しいと改めて願う。それにしても西館上に復活していたコスプレ広場にいたドアラ、そっくりだったなあ。もしかして本物?


【8月16日】 痛快なり愉快なり爽快なり。サッカー女子日本代表こと「なでしこジャパン」が遠く中国は秦皇島で北京五輪のサッカー競技準々決勝を、ホスト国の中国を相手に戦って2対0で快勝! 行われた日取りも日取りってことを考えるとアウェーの中で相当な苦戦が心配されたけれどもそこはそれ、2003年のワールドカップに出場するためにメキシコの地へと赴き10万人の観衆で詰まったアステカスタジアムで戦い勝利した面々が未だに残り、さらに2007年のワールドカップ出場を決める試合でもメキシコの高地でやっぱりアウェーを戦い1対2で破れはしたもののゴール数で出場権を勝ち取り帰ってきた面々だ。中国でだってアウェーの中で戦った経験を持つ「なでしこジャパン」が完全アウェー如きを恐怖することなんてあり得ない。

 心配されたのは試合が荒れることだったけれどもFIFAのブラッター会長だったっけ、見物に来ていて鎮座している試合で審判をこづくとかしたらそれこそ永久追放を食らいかねない。お家騒動に暴力沙汰が耐えなかった中国の女子代表も、こと自らがホストとなった五輪での檜舞台では極めてフェアにプレーをしてくれた模様。強力なフォワードを擁する中国の一閃を恐れつつもしっかりとケアし、逆に日本はフォワードのチェックから中盤最終ラインがコンパクトになった陣形でもって押し返す試合運びをすることができた。

 そんな試合はコーナーキックから澤穂希選手のヘッドで1点を奪い、試合を有利に進めてそして後半に倒れもつれた大野忍選手からこぼれたボールを、迷わず追った永里優紀選手が持ち出し蹴り込んで追加点。そこで反撃の意欲も削がれたか、足の止まった中国を相手にボールを回す余裕を見せつつ4分のロスタイムをそのまま逃げ切り見事に勝利を手に入れる。おめでとう! 本当に本当におめでとう!!

 1点差の時にはトップの80年代パーマな中国のフォワードにボールが入って1点を返されるんじゃないかって心配がもわもわ。途中に凄いシュートを放たれヘディングでのシュートもあってヒヤヒヤしたけれどもそこは守備陣が逃げず守り抜いて得点を赦さず。キーパーとの連携でミスる場面もあったけれどもキーパーが判断を迷う場面はまるでなく、その辺りで悔いを残してしまったアテネ五輪での山郷のぞみ選手の本人による雪辱は果たせなかったけれども、チームとしての成長は大いに見せることができた。

 ミスといえば初戦のニュージーランド戦でボールを見送り、結果としてミスになった近賀ゆかり選手がこの試合は戻れば相手をマークしクロスを上げさせず、行けばゴール前まで行って何度もシュートを放つ活躍ぶり。もとよりテクニックとスピードに優れた選手なだけに、統一された意思の下でひとつ目標に向かうんだってミッションを与えられれば、元が優れた選手ならこんなにもスーペルな活躍を見せられるんだってことを身をもって教えたんじゃーなかろーか、北京五輪のサッカー男子代表とかに。

 そう男子。というか「男子」の五輪代表って敢えて着けなくちゃ区別が付かなくなって来ているところに、男子が置かれたヤバさったってものがにじみ出る。本家であるべき存在がとっとと退場、それも3戦全敗とゆーふがいない成績での退場で、なおかつ試合内容を言うなら頑張ってはいたかもしれないけれども付いてこなかった結果に対する責任から逃げるよーな発言のオン・パレードが、男子代表への関心をおおいに減退させていた。

 そこに来て女子の大活躍。それも弱い相手ではなく強い相手を敗っての躍進。見せるサッカーもフォワードがチェックし、中盤がボールを刈りとり最終ラインは勇気を持って押し上げサイドバックは上下動を繰り返す。人もボールも動き回る、オシム監督が目指して植え付けようとしたサッカーって奴を、そこに見せられたらサッカー好きならもうそっちに惚れるしかないし、サッカーのことをよく知らなくたって見ていてそのひたむきさが伝わってくる。これじゃあもう、前戦からガンガン行くと言ったのに中盤で送りあとはお任せな野郎の試合なんて見たくなくなる。

 これが怖い。ネガティブではなくてもゼロに関心が近づいた果てに来る商売上の衰退が、真っ先に及ぶのが女子のようなマイナーなカテゴリーだと思うと、男子には頑張って欲しかったし頑張るべきだったのに。いくら活躍したからって男子に回していたお金をそっくり女子に回すほど日本のサッカー協会って優しい組織じゃない。それが出来るんだったらアテネに出た時にやってて不思議じゃないけれども、未だ女子のリーグはスポンサー探しにが毎年大変だし、1部リーグに所属していたってプロで食べられる選手なんて一握りも実はいない。

 ただでさえ土壌となるべき場所にお金が回っていないのに、代表にまで回らなくなってしまったらせっかくの浮上もここで止まってしまう。まあ流石にこの活躍を見て女子に支援をしなきゃねって気になっているんだろうけれど、一方に惨敗の反町監督をB代表に残そうなんて話もあったりするから悩ましい。それで何が継続されるのか。増長と臆病がピッチ上を無秩序に吹き荒れるジャクソン・ポロックの絵のよーなサッカーか。勘弁してくれ頼むから。

 中継でアナウンサーの質問に答えて解説の山本昌邦さんが女子代表における指導者層の継続性って奴をしきりに口にしていたのが耳に強く残った。03年のワールドカップ出場と、04年のアテネ出場を成し遂げた上田栄治さんを一時は湘南ベルマーレ監督に出しながらも、成績不振で解任されたら戻して女子を担当する特任理事に据えて、強化の方針を決めさせた。サッカー協会の副会長になった大仁邦彌さんは理事としてずっと女子に関わってきたし、今の佐々木則夫監督は前の大橋浩司監督の下でコーチをやってて選抜と強化の過程を担ってきた。

 情報についてもトレーニングについてもしっかりと継続して来たからこその積み上げが、生きてこの北京五輪の場である程度の形となって結実した。それを山本さんが示唆したのは、トルシェ監督の下で黄金世代の強化に関わりそのメソッドを入れつつアテネ世代の強化を進めながらも、上のカテゴリーからはまった無視され、そしてジーコ監督が退任してオシム監督が就任してよーやく見え始めた1枚岩がオシム監督の途中退場とともにあっけなく崩壊してしまって、北京五輪世代に一体感を出すよーな強化が出来ず、増長を招き敗退へと至らせてしまった無様さを暗に訴えたかったからなんじゃなかろーか。でなきゃあんなに女子のバックアップの素晴らしさを言わないって、普通の人には伝わりにくいことだし。

 まあいともあれ女子は結果を出した。そして未踏の道を進む。次は今までに勝ったことのないアメリカだけど、予選で1回戦ってそこそこはやれると感じたはず。それにこの勢い。今度こそ勝って欲しいし勝てると信じたい。選手で言えば加藤與恵さんの出番があるかに関心だけれど、阪口夢穂さんが1戦目から修正してボランチの守備面をがっちり担当しているから出場はないかもなあ。でも加藤さんがいるからこそ阪口さんも全力で取り組めるってことで。あとは近賀ゆかり選手の爆発か。

 デビューした頃の近賀選手って、小林弥生選手がPKを外して号泣した04年1月の全国女子サッカー選手権の決勝とかで、試合後に準優勝のメダルをもらってもうなだれたままだった小林選手や当時は酒井だった加藤與恵選手とは対称的に、準優勝できた喜びで笑顔を見せていたって記憶がある。それも一種の到達だけれど、さらに上を知れば悔しさしかでない敗戦を、喜んでしまえる心理がどこかプレーにもムラっ気となって現れていて、アテネ五輪のバックアップに選ばれながらもメインバーには残れなかった。それが4年後は、タスクを与えられ場所を与えられ目標を示されたことで、賞賛だけでなく非難も浴びせられながらより高みを目指そうとして成長している。1試合目の失敗を取り返す活躍ぶりを見せているこの強靱さが、次の世代を率いていくくらいの厚さになってくれればなでしこジャパンも、そして日テレ・ベレーザも安泰なんだけどなあ。どうだろう。

 それグッジョブじゃないからクラン・クラン。コンサートを終えて真っ先に会いたいんだって階段をかけあがるランカ・リーが目にしたのは、クランが挑発して引っ張り上げてきたシェリル・ノーム。病気だってことこそ口にはしないけれども強がりの裏側にある寂しさがつい首を持ち上げアルトにしなだれかかった所に折悪しくランカがやって来てそして文字通りの「トライアングラー」なシチュエーションが出来上がる。絵の完璧さとともにもしかしたらこれこそが「マクロスF」のクライマックスであり真骨頂って奴なのか。そうだよなあ最初っから。残りも少ない話数でバジュラとの決戦とそして人類の未来なんて描けるはずもない。

 そう、目的はひとつ、早乙女アルトの朴念仁ぶりを叩き直して誰か1人との恋を成就させるなり、おれやいやだと女装して逃亡を図るアルトを2人の乙女が追いかけるシーンなりを見せること。まさにそこへと向かい突き進んでいる途中に起こるクーデターとかフロンティア船団の崩壊なんて全部余技。銀河を超えて宇宙に広がる三角関係with歌、って主線を残る話数でしかりと見せてくれるんだろう。脇のクランとミシェル、ナナセとルカの恋の成就もひっくるめて。来週は「ダヤモンド・クレバス」と主題歌のタイトルシリーズが続いているからその次はきっと「ねこ日記」。逃げたアイくんの1日って奴が人間のセリフなしで繰り広げられる回になるんだろう。ならないよ。

 んでもって上野へと行き「対決」な展覧会を見物。10分ほど待ってから入場。印象はといえば古川登志夫さんのの声が老けてたなあと。これでは諸星あたるは無理かもなあ。あと中村正さんも「奥さまは魔女」の艶っぽい印象を残しつつも年相応の声に。小林清志さんは今も昔も代わらぬ渋さ。若本規夫さもそのまんま。野沢那智さんと羽佐間道夫さんの対決はともに芸達者。あざとさで野沢さんに江戸っぷりで羽佐間さん? でもって飯塚昭三さん渋すぎ。玄田哲生さんは演じるとややうわずった感じになるのがナレーションだと安定しているなあ。

勝たせてはくれなかったけれども負けにはしなかったらポニョはやっぱり不敗の女神、かな  池田秀一さんは酒飲みな癖にちゃんと「シャア」を保っている。凄い。そして斉藤茂一さんは世界が不思議を発見してた。桜井孝宏さんはスザクのまんま。対戦相手を森久保祥太郎さんではなく福山潤さんにしたらもっと対決イメージも広がったのに。いや分かる範囲が狭すぎか。槇大輔さん平野義和さん根岸朗もさん田中信夫さんといったナレーションがメインの仕事の人たちは聞くほどになめらかに耳に届いてくる。巧い。一方で演技をメインにしている声優さんはやっぱり喋りにキャラクターが入る。同じ声の仕事でも違うものなのだなあと実感。そんな中にあって内海賢治さんや小林さん玄田さんはナレーションはちゃんとキャラを殺してナレーションをしている。巧い人たちだけに何をやらせても巧いんだ。山寺さんだったらどんな感じで喋ったかなあ。ともあれ画期的だった東京国立博物館の声優さん対決企画。次はもっと若手を入れたら若い女性もいっぱい来るよ、ってそういう企画だったのか?

 土砂降りの中を歩いて「日立柏サッカー場」へと行って「柏レイソルvsジェフユナイテッド市原・千葉」の試合を見物。雨は試合の途中であがってピッチはそれなりに良好だったみたいでジェフ千葉のボールを走らせ人も動くサッカーでもって圧倒できていたけれども最後のシュートの精度が欠けて得点にならず。一方のレイソルはフランサ選手をトップに預けて高い圧力の攻撃を見せるものの守備陣がしっかと固めて仕事をさせず。後半になって新居辰則選手が入って一瞬の隙から抜け出し1点を先取しやったあ!

  でもクリアしたボールが相手にわたってフランサに通りドカンと決められ同点に。その後も工藤浩平選手とかレイナウド選手とか惜しい当たりがあってもバーにはじかれたりややそれたりして奪えず1対1の引き分けに終わる。負けなかっただけで良し、にはしたいけれども終盤に相手のプレッシャーでもってラインが下がってバイタルを占拠される時間が続いていただけに意識を保っていればクリアが相手に渡ることもなったと思うとやや残念。でもコンサドーレ札幌が試合がなくって勝ち点1を積み上げたジェフ千葉がとりあえずは再会を抜け出せたのは明るい兆し。勝てないまでも負けない試合をしつつ肝心なところでは勝っていく繰り返しでもって早く降格圏脱出を成し遂げてやっちゃあくれないか。頼みますアレックス・ミラー様。


【8月15日】 寝落ちしていた間にちゃんと撮れてた谷村奈南さんとかいうGカップが特徴らしい人にあれやこれやと聞く番組をざっと見たけど、スポーツ新聞とかで深く谷間もくっきりと見せていたりするよーなビジュアルはあんまりなくってむしろ普通の格好で出歩いたり、誰かと会ったりしている映像のどこにも官能を覚えなかったんですぐに消す。せめてライブシーンとかあればなあ。歌についてはうーん、まあこれくらならどこにでもいるかなあ。

 パッと聞いた感じでは、大昔に宇多田ヒカルさんが「オートマティック」でデビューして来た時のような驚きって奴も、クリスタル・ケイさんのソウルフルさに溢れていながら若々しさを残した不思議な歌声への感嘆めいたものもなくって、今いったいどうしているのか不明ながらもデビューの印象は強烈だった小柳ゆきさんの歳に似合わなかったパンチさにも及ばない。やっぱりどちらかといえばスタイル先行ビジュアル先行な人って感じが漂っていたけれども、そればっかりで残れるほどユルい世界でもないんで、きっとこれからあれやこれやと実力って奴を示してくれると信じて出たばっかりだかのCDは買ってみよう。DVDは付いてたっけ? ってやっぱりビジュアル先行かい。

 15歳の中学生の女の子が男の子の友達とプリクラやってたからって、それをアイドルなのに僕たちの思いを裏切られただのといって騒いで握手しないで素通りしたりするくらいにそうか、今のアイドルファンの人たちってナイーヴなのか。いやいやアイドルファンだっていい歳をした大人が大半。ハナっからアイドルだって一皮むけば人間なんだから恋さってするし、キスだってそれ以上のことだってしていたりするかもしれないって認識していて、けれどもそうじゃないんだってことにしておくんだと双方が共同幻想の中に理解しつつ、アイドル的な清純空間を作りだして供に楽しむっていうのが、傍目には妙な話だけれどもそれが世の常ならばと誰もがそう振る舞っている。

 なのに起こってしまった今回の騒動は、あるいは純粋無垢にアイドルのピュアさを信じていたりする世代が出ているってことなのか? 違うよなあ。だったら知ってはいても知らない振りをしてあげていたのに、不注意とはいえ向こうからあからさまにされてしまった裏切り的な行為への憤りって奴? それはあるかもしれないけれどもやっぱりちょっぴりセンシティブ。気にしすぎって気もしないでもない。当方について言うならこの歳になると中学生が誰と遊んでたって別にどうだって良くって、もう中学生ってだけで異次元のアイドルって印象しか抱けなかったりする。だから全然気にしない。というか15歳が男子の友達を持ったからって騒ぐってのも大人げないっていうか、そんな彼氏なんて間違っているから僕たちの大人の魅力(みりき)って奴で君を引きつけてみせるよフー! ってなパワーを見せつけてこそのファンって気もしないでもない。

 喫煙だとか飲酒だとか薬だとかいった、法律に違反するようなことをした訳でもないのに彼氏がいたからってだけで解雇とはまだ酷い話で、分別は幼いけれども未来はたっぷりな15歳に対して大人がして良い仕打ちじゃない。右も左も分からない未成年を芸能の道へと引っ張り込んだんだからそこで起こった間違いは、そこで更正させてやるのが大人の態度ってもんじゃないのかなあ。まあしょせんは手前が芸能の分野に居場所を持ち続けるための道具でしかないアイドルグループ。傷はとっとと塞いで長持ちさせることが重要としか考えていないのかもなあ。怒るならそんな程度にしか見ていない奴らに怒ろうよ。いやしかし本当はもっととんでもないことをしていたのかもしれないから、その辺はおいおい。「ネ申テレビ」の会見にはいた子なのかなあ。

 暑さも極まってきたんで抜け出して電車を乗り継ぎ「東京ビッグサイト」へ。りんかい線の「国際展示場駅」を降りると眼前に広がっていたのは人の森。でもまあいつもどうりにパナソニックセンター前あたりに短冊状に並んで順繰りに中へと入っていくのかと思ったらそこへは付かせてもらえず、「ビッグサイト」の方へと向かえと指示される。んで歩いていくと「ビッグサイト」にアプローチしている階段から広場へと抜けるルートから外れて、その階段の下を通る道路沿いを歩いて歩いてTFTビルを通り過ぎ、ホールも横目に見た先の交差点を右へと折れてしばらく歩いてからパナソニックセンターとファッションタウンの間から始まって遠くパレットタウンから果ては船の科学館近くまで伸びている歩行者向け道路の上へと上がらされては、右手なら「ビッグサイト」に近づくところを逆に遠ざかる「パレットタウン」方面へと歩かされてそこでよーやく行列の最後尾に接続する。ここまでりんかい線を降りてからやく20分。

 でもって道一杯に広がりながらも進まない列の中で直射日光にあぶられ汗は噴き出る秋葉原、ではなく有明の汗の海を泳ぎ抜いて到着から1時間ちょいでどうにか「西館(にし・やかた)」の4階の企業ブースへとたどり着く。荷物チェックあったっけ? その企業ブースも今回から下の広場へと移ったコスプレスペースの代わりに人気ブースの待機列ができていて、そこにまたしっかりと行列が出来ている混雑ぶり。更衣室がなくなり広くなって出展企業も増えたとはいっても動くに苦難の状況には代わりがない。ここを攻めるだけでそれこそ3日とか簡単に使えそう。それがコミックマーケットの理念にそぐうかどうかって議論もあるけれども、似たキャラクターイベントを7月8月に開こうとしてもやっぱり「コミケ」の企業ブースに向かってしまうくらいの存在感が出来てしまった以上は、存在し続けそして出展料をコミケにもたらし続けるのも仕方がないのかもしれない。

 そんなこんなで何も買わずに4階を退散。「ユーフォーテーブル」ん所で「空の境界」の第3部の原画集も売っていたけど行列に並ぶのは大変そうだったんでパス、いずれどこかで買おう。1階はエスカレーターの入り口が閉鎖されて近づくことすら困難に。でもって乙女な客の多そうなフロアだけあって自動販売機にも行列がまだあんまりできてなくって外で絞り出した水分を補給し、特撮の島とか科学魔界の並んでいる様を遠目に眺めてそして退散。外にでたら行列はすっかり消えてスルーな感じに人が動いてた。なんだ最初っから昼過ぎに凝れば入場だけならスムースだったんだけど、初の手荷物検査付きコミケがいったいどんな感じになってそれをどうさばくのかってのを体感してこその出没家。橋の上で横いっぱいにひろがってからすぐに狭くなる上に道路の横断もあって進行が止まる関係でボトルネックが起こり日照りの中を数十分立って待つことになるのを実感できたのは収穫、午前中に入ろうという人はペットボトルなり水筒なりの持参を怠らずに。

 お姫様は我が儘で結婚相手を決めるからって男たちをあてがわれてもかぐや姫よろしく無理難題を与えてなかなか夫となる相手を決めようとしない。かぐや姫の宝物の代わりにゴエティメア王国第1王女のオリガが望むのは魔法のアイテム。そんなものがあるとはとても思われていないにもかかわらず王女をもらい受けたい男たちは世界の果てへと旅だって見事に様々な魔法の道具を持ち帰って来て披露する。ところがオリガはひとこと「どれもつまらぬ物ばかり」と切って捨てては魔法の道具をクロティエルゾーデって幼い姿をしながらも実は秘密がありそうな少年に預けてそして魔法の効果を試してみたりしている。頭に被る輪のようなものを着けた時には夢に男が現れそして異国へと来ていることに気づきそこで褐色の肌をしたアベドという王女の話し相手になったりする。

 そんな話が星野リリィさんの「夢見る古都」(太田出版、650円)って漫画。現実の憂さから逃げるようにその世界に行ってはアベドと話し込んだりするオリガだけれども一方で、現実では婿の候補とされた男のひとりがついにぶち切れてオリガを襲いかどわかそうとする。その内心を魔法の残り香のようなもので見てしまったオリガは彼が魔法の道具を手に入れるため、すなわちオリガの無理難題をかなえようとして1人の少女を殺めてしまったことに気づいて心を惑わせる。アベドのいた夢の世界で出会った男に似た青年を義母が連れてきて引き合わせて見て心をときめかせたりと揺れるオリガをよそに、夢の世界ではアベドがオリガとは違って婚礼に望み初夜を迎えて乙女を散らす。

 いったい何が起こるのか。鍵は中の開かない不思議な箱にありそうで、今は少年に見えるクロティエルゾーデがまだ青年のような姿をしていた時代にも関わっていたようなその箱をきっかけにしつつ物語は大きく動いていきそう。「マンガ・エロティクス・エフ」に掲載なだけあってエロスに溢れた描写もありそうで、というか1回はすでにあってこれからもあってくれそうだけれどそれより我が儘で純情な少女が魔法を見たり夢を彷徨ったり男に出会ったり騙されたりしながらどう変化していくのかを見つつ、入れ子のような構造の物語がどこに帰結するのかを想像しつつこれからの刊行を追っていこう。「おとめ妖怪ざくろ」もついでに読んでみよう。


【8月14日】 負けよった。もうしっかりと負けちまったぞ北京五輪のサッカー男子代表は、オランダ代表を相手にPKによる1点を奪われそのままゲーム終了。3戦全敗って過去にもなかった汚名を被って帰国することになるんだけれども、テレビ局ほど期待も騒いでもいなかったからまあこんなものだと落胆は微々。たぶんだいたいがこの五輪代表に対する大勢の気持ちはメディアの熱とは反対にずっと低温で、テレビ放送されたって視聴率も低いし試合会場だっていつもガラガラだった。アテネ五輪の時は味の素スタジアムとか埋まってたんだよなあ、あれで。

 当時だって別にすっごいスター選手がいた訳じゃない。まだ熱が高かったってだけのことで、今はそんなメッキも剥がれてよりシビアに見るよーになっていて、そんな眼鏡にかなう試合をしてくれなかったってことが落胆を超えた憤りへとつながっている。試合を見ても相手が弱いなら圧倒して楽しませてくれるスペクタクルはなく、逆に強くたってがむしゃらに挑んで一泡吹かせてやるぜってパッションもない。そんな試合を見て誰も楽しめるはずがない。なおかつそれに似た状況にフル代表もなりかかっていたりするだけに、これからのサッカー業界、ビジネス的にちょっと大変なことになって行きそうな予感。その先駆けが北京五輪になりそーなのに、どーして誰もピリピリしていないのかがとっても気になる。選手も、協会も、評論家たちも。

 大言壮語しながらパスだけ出して走らず、監督のプランなんてそっちのけで思いを通した挙げ句に敗れ去った選手が、いくら与えたファウルにPK判定を下した審判を眼が雲ってんじゃないかってなコメントで詰(なじ)ったところで説得力はゼロ。逆につっかけPKを奪うくらいの凄まじさを見せてよーやく誰もが納得できるのに、今日も口だけが先を行く。そんな態度は見たくないってう声が届いていないのか。いないんだろうなあ。水本裕貴選手には届いている。それはやっぱりオシム監督の薫陶が行き届いているのかなあとひいき目。箸にも棒にも罹らなかった立ち上げ時に比べれば進歩があっただの、アトランタの頃に比べれば強豪におたおたしなくなっただのといった評論家の擁護もあるけど、アトランタから12年もかけなきゃ成長できなかったのか、日本のサッカーって。

 っていうかブラジルは得点こそフロックでも守りきって勝利し、ナイジェリアには破れたけれどもハンガリーには勝ってそれで予選敗退の憂き目をくらったアトランタと、1点さえ奪えば引き分けられた試合を全部落とした今回とで、どこに成長なんてものががあったんだ? ゼロ。むしろマイナスになってるって立ち位置から考え直すべき時なんじゃなかろーか。でもなにをどうやって? 選手たちの意識にひたむきさが見られるよーにするのって、この恵まれた環境では相当に困難がつきまとう。

 でもやらなくては終わってしまう。明日にも終わるかも知れない瀬戸際感が未だに続いている女子サッカー選手たちが、常在逆境って状況で見せるプレーに真剣さがこもっていくことを、前回のアテネ五輪の時に続いて今回の北京五輪で改めて誰もが知ってしまった。感じてしまった。弱くたって大変だって勝とうとする意志。勝ちたいという願望。そのための日々の精進に試合での実際のプレー。すべてをとっても女子に軍配が上がることを知ってしまって、それで言い訳に収支する男子を応援していこうって気になれるのか。ユニフォームを買って応援しようと思うのか。そんな懐疑が06年のドイツ大会以降、そして岡田ジャパンの就任後にボディーブローのように響いたところにくらった北京での惨敗という直撃を、こらえて再びの人気を取り戻すためにはやっぱり瀬戸際感が必要になって来るんだろうなあ。ワールドカップに出られないとか。でもそれも嫌だなあ。悩ましい。

 しかしこれだけの覚悟を積み上げ築き上げて来たんだから女子代表には15日の試合で中国に勝たせてあげたいよなあ。がんちゃんことアフロでスーパーのレジ打ちな荒川恵理子選手が書いた「行け! なでしこジャパン!」(講談社、1400円)って本があって、アメリカ帰りの代表キャップ日本トップな澤穂希選手が語り下ろした「ほまれ」(河出書房新社、1600円)って本があってともにサッカーが大好きで男の子に混じってやっていた中から女子のチームに入りそこから代表へと進むくらいの選手に成長していくんだけれども荒川選手は試合で脚を開放骨折する大けがをおってリハビリへ。頑張って治して2003年のワールドカップ行きを決め、そして2004年のアテネ五輪に出場を決めた北朝鮮戦での先制点を獲得するまでの選手となった。

 大けがを負った激突の相手は今も付き合いを続けている山郷のぞみ選手で、読むとその後にお互いがしっかりやった結果だからと理解しあってそして行き来する関係になっていったというから不思議というか、男子だと別に理不尽なプレーではなかったけれども田中達也選手の脚を折ってしまった土屋征夫選手に対して後も激しいブーイングが飛び、のみならず家族にまで影響が及んで大宮アルディージャから東京ヴェルディへと移籍した話もあるだけに、何か気持ちをほだされる。土屋選手の件だって田中選手はプレーのことだと言って納得しているのに周囲がそんな気持ちを測らず正義感から突っ走ってしまう。これもクラブへの、そしてメンバーへの愛と言って言えなくもないけれどもでもやっぱりどこかが違う。田中達也選手もだから土屋選手といっしょに温泉とか行くよーになれば周囲も非難とか出来なくなるんじゃなかろーか。うーん悩ましい光景。

 澤選手も涙の北朝鮮戦で悪化させた脚の治療にしばらくかかってアテネ五輪で果たしてベストか、って疑問符も出たプレーしか披露できなかったことを心に残して、この北京五輪ではしっかりと全力で戦おうっていった意欲を態度で見せている。新天地であり天国だと思い渡ったアメリカの女子サッカーリーグが数年で潰れてしまった不運を味わい、それ以前に日本で栄えていた企業による女子サッカー支援が手のひらを返したよーに撤退へと向かう大崩壊の様を見て、ここで自分が頑張らなければ、明日は来ないし未来は消えると深く認識している。だから手を抜かない。無謀な実験もしない。言い訳もしないでひたすらに出来る最善を尽くす。

 格好良いよなあ。格好良すぎるよなあ。2人の「なでしこジャパン」のこんな感動のエピソードに匹敵するドラマをつむげる選手が、男子の五輪代表にどれだけいるのか? 1人すらいないんじゃなかろーか。女子サッカー好きとしてこうして認知が広まり理解が強まるのは有り難いことだけれども総体的に男子が地盤沈下しては未来は永遠に消えてしまう。女子限定、ではなく男子のサッカーの現役Jリーがーもガンちゃんホマホマの本を買って熟読して、精神を磨いてこれから始まるリーグ戦、そして呼ばれた先での代表選に挑んでいって欲しいもの。漢字が苦手でもがんちゃんの本はぜんぶ漢字にふりがなが振ってあるから大丈夫、だよーん。

 でありますうぅ。ってすっかり使わなくなって来たなあバーディー・シフォン。ってかマネジャーだったテュートを破壊されて有田しおんの芸能活動っていったいどーなってるんだ。事務所は閉鎖か。依頼はキャンセルか。もともとそんなに依頼があったっぽくないところを見ると超絶マイナーなタレントだったのか。いやでも千川つとむだって存在をしってたようだからまずまずの知名度。それがいきなりマネジャーとの連絡も取れない状態になって芸能マスコミとか騒ぎたてはしないのか。謎。謎といえばサタジット=シャラマン、どーして左手で握手をしてたんだ。それを中杉小代香のおじいちゃんも全然気にしないで左手を差し出して握手していた。あの世界ってのはもしかしてそーゆーのが礼儀な世界なのか。ってことは僕たちの知っている「鉄腕バーディー」とは鏡像のよーな関係にあるのか。違うなあ。同級生はちゃんとにぎりめしとか右手でつかんで食ってたし。そんな謎なんてお構いなしに小夜香の発動とかもあって動き始めた物語の帰結や如何に、ってあと何回あるんだこれ。


【8月13日】 しかし立派だった体操男子日本代表の内村航平選手の腋の下。もーじゃもじゃもじゃ腋毛の子。ついつい唄いたくなるくらいに生えそろった茂みの立派さに19歳でこれなら30歳を過ぎればいったいどれほどまでに伸びるんだろうかって妄想も浮かんだけれどもそんなに伸びるものではありません。けどやっぱり男子の体操選手って剃らないものなんだなあ。いや外国人選手は見えない人もいたぞ。ブロンドだから見えづらいだけ? 分からないけどでも立派。あれを1本もらうと体操が巧くなるって伝説が広がれば日参して抜いて変える体操少年とか出そう。あるいは純粋にファンの女性が抜きに訪れるとか。

 そういえばしばらく前に読んだ田中淳さんって人の「中華人民今日は酷」(講談社)って本があってこれによると中国人の女性は腋毛を剃る習慣がないらしい。だから夏場も町で出会って手を振る姿は実にもじゃもじゃ。慣れないと眼にも獰猛に映るんだろうけど考えてみれば日本だって昭和の40年代あたりでは女の人って剃ったりしていなかった、世ね? 若い人は知らないけれども年輩者は普通にもじゃもじゃさせていた。それが普通。それが自然な国に育った若い中国人の女性が生まれたまんま、じゃないけど育ったまんまの姿で歩いていたって悪いはずはない。だから見かけても目は背けずむしろ目を近づけてしっかと見るのだ。顔を埋めさせてはくれないな。

 この本で面白かったのは中国人の習慣についての解説で、例えば「ゴハン食べた?」と出会い頭に聞かれても食事の誘いではなくただの挨拶だって考えることが決まりらしい。「やあ」とか「おっす」とかそんな程度のご挨拶。真に受けて食事に誘ってもぶぶ漬け並に嫌がられる、かも。あと二次会って習慣もないらしい。その場が気に入らないから河岸を変えようとしているんだって思われて会のホストに恥をかかせる。面子が大事な中国でこれは致命的。だから要注意ってことらしい。

 割り勘って習慣もまだ少数派。誰かが全部持てば次に自分が全部持つのが決まり事。ここでは彼が持つなら次は誰かでこっちは自分。それが普通にできれば良いんだろうけど日本人にはこの間合いがつかめない。かといって全部を持つなり全部を支払わせればやっぱり面子を潰してしまう。腹の底の読み合いが日本って国は面倒なんだけれども中国もこれでなかなかに面倒そう。ただ相手の面子を重んじ、かといって卑屈にもならない中国人的な生き方は、なあなでその場をやり過ごしていく日本人の気質とは正反対。その辺りを勘案すれば何をどこでどうすべきかは自ずと見えてくるのかも。大好きな人もいれば大嫌いな人もいたりする中国だけれど13億人という人口は市場としては魅力的だし生産拠点としても外せない。否応なく関わるんだったら相手を理解し相手に理解される付き合いを。その一助になる本。中国にまた行きたくなって来たなあ。

 そういや中国嫌いな口に上って喧しい五輪の式典の口パク少女問題。でもねえ。シェリル・ノームの普段は遠藤綾さんなのに唄うとMay’nさんになっているからといって遠藤さんの歌が下手だから唄わせてもらえないのは可愛そうだなんて声は聞こえて来ないし、「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの中の人がデビット・プラウズなのに声はジェームズ・R・ジョーンズなのはデビット・プラウズの声を低く見ているからだなんて意見も起こらない。ようは場面場面に最適なピースを当てはめた結果の総合芸術ってことであって、五輪の開会式をそーした総合芸術のひとつとして認識するならビジュアル面では演技力のある9歳の女の子が受け持ち、歌は抜群に巧い7歳の女の子が担当して総合して素晴らしい式典に仕立て上げたんだって受け止めて、悪いってことはないんじゃなかろーか。

 重ねて言うけど13億人の人口がある国だよ。探せばビジュアルに歌とも素晴らしい子供だって幾らも見つかるだろう。それでも敢えて同じ子供を使わなかった。それはすなわち最善を狙った演出家のギリギリの選択だったってことなんじゃなかろーか、花火のシーンでCGを使ったことも含めて。それに世紀のイベントに選ばれたたった1人じゃなくって、それぞれに選ばれた2人が関われたんだってことで当人たちには一生に残る自慢にもなる。批判はまあつまり彼の国が行うことはすべてネガティブに解釈すれば当然にしてわき上がるもの。でもここはそういうもんだと見て見逃してあげたい。だからといって中国のサッカー女子代表の中身が実は男子でハイパーな人間だった、なんてことは無しにして。向こうが澤穂希選手をどう思っているかは別にして。

 そうそう「ファウストVol.7」には新聞沙汰にもなっていた筒井康隆さんがいとうのいじさんをイラストにライトノベルを書いたって触れ込みの「ビアンカ・オーバースタディ」って作品が掲載されてて読んで浮かんだ謎マーク。何を持ってライトノベルと言っているのか。そもそもライトノベルって何なのか。語り口か。キャラクターか。テーマか。レーベルか。なるほど学校を舞台にピチピチっとしてツンツンとした女の子が主人公になっていて、居丈高で理不尽な振る舞いをしては周囲を巻き込みそこに未来人とかいった要素も絡んで、SFチックでラブコメチックな展開が繰り広げられてって感じの内容はライトノベルっぽいっちゃーぽい。でもそれは外面だけで中身は極めて猥雑でアバンギャルド。これをライトノベルと言われるレーベルで出そうとしても出せないし、かといってアダルト文庫で出そうとすれば展開が実験的過ぎてエロティックな要素すなわちちゃんと使える場面の乏しさに却下されそー。

 繰り返される冒頭からちょっとづつ進んでいく本編。そして崩れていく倫理観なり貞操観念が読む人を魔境へと誘っていくってのは形式を味わい内容に驚くことが本意な文学であって形式を形式と感じさせずスルリと展開にはめキャラクターに感情を移入させて引っ張るエンターテイメントとしてのライトノベルとは目的が異なる。だから考えるに「ビアンカ・オーバースタディ」は、ライトノベルそのものを筒井康隆さんが描くんじゃなく、ライトノベルってものに対して筒井康隆さんならではの理解を載せて舞台と、キャラクターと、展開ってライトノベルに書かせない要素をどちらかといえばメタ的にちりばめ、その上でよりグロテスクに広げて見せた実験的で文学的な作品、って言えるんじゃなかろーか。だから読んでもちっともライトノベルとは思えない。ライトノベルが何かって名言はできなくっても何か違うって感じだけがまとわり付く。展開はさらにグロテスクな方向へと進みそうで形式もよりメタ的な次元へと転がりそう。そこから生まれる作品が何をもたらしてくれるのか。何を示してくれるのか。楽しみだけれどでもきっとライトノベルには何の影響も及ぼさないんだろうなあ。でもライトノベルが筒井を動かした。それで十分に満足、満足。


【8月12日】 いやでもしかしただの水たまりでオオサンショウウオが生きていけるとは思えないんだけれどもぬーぼーとした面構えが可愛かったから赦す。ってかそんなに奥深くもない地下にあれだけの水が溜まってしまうこともあり得ないんじゃないかと。でも東京の地下には謎が多いとトンデモな人たちも言っているんできっといろいろ大丈夫な方法があるんだろう。というかオオサンショウウオが昔涼子の家で飼われていたのが逃げ出して知らず大きくなって再会を果たして親しげに近寄ってきたってんなら話も愉快になったんだけど。オオサンショウウオを愛でて飼う性格でもないかドラよけお涼。ってな感じに「薬師寺涼子の怪奇事件簿」は不思議時空を四方八方月亭可朝。おっぱいは他の人のものではおまへんでー。何やってんだか。

 180日は戦える。ってことは半年か。いやしかしそれくらいをかけてじっくり読んでいかないと読み切れないぐらいに内容ぎっしりな「ファウストVol.7」(講談社)は厚さにもはや驚くことはないけれども繰り出される特集の四方八方月亭……それは置いておいてとにかくバラエティに富んでいてあっちに目新しくこっちに奥深いトピックの乱打戦に読む眼も釘付けとなってページを繰る手も止まってしまって1800円の1240ページがいっこうに進まない。読み終えても戻って確認して再確認をして読み込んでなおも読み直して得られる数々の目新しさ。ビジュアルをぶんなげ短文でサラリとキャプションを着けて刹那の快楽に浸らせて終わりな雑誌の多い中でこれは凄い。タイプはまるで違うけれども1ページにギッシリと情報の詰まっていた1980年前後の「POPEYE」を思い出したよ。あれもジャンルが縦横無尽、ファッションにスポーツに映画に漫画にアートにSFにミステリーにプロレスにお笑いと話題がぶっとびまくってたもんなあ。

 もとい「ファウストVol.7」だ。佐藤友哉さん特集が聞いてから1年もかかってようやく出たって感じの渾身の特集だとは思うんだけれどもそれよりやっぱり1番に気になったのは筒井康隆さん×いとうのいじさんによるライトノベル……ではなくって中国のイケメンなベストセラー作家の郭敬明さんが繰り出す新しい文学の潮流をとらえ、そして中国で台頭するサブカルチャーへの関心を西島大介さんが体当たりでルポした第2特集の「中国人2.0から中国人3.0へ」。インタビューもあれば中国で何百万部とか売れてる小説「悲しみは逆流して河になる」の第1話の掲載もあり渡辺浩弐さんとの対談なり福嶋亮太さんの解説なりってのもあって中国の若者の文学文化といった類がどーなっているのかが伺える。

 郭さんへのインタビューは実施から1年以上も経っててその後に「最小説」がどうなっているのかが伺えないのが残念だけれどそこは08年に行われた福嶋さんと太田克史編集長の対談から今も頑張っているらしいことが伺えるんで無問題。1年前にも増してジャパンクールの欧米のみならずアジア圏への浸透が進んでいるだろう昨今にそれらを飲み込みそしてオリジナルを倦みだしては来るべき覇権への地歩を着々と固めている、って印象か。それは無理? 中国には押井守さんもいないし宮崎駿さんもいないって? でも張芸謀さんはいる訳で文化大革命以後に中国が映画に注ぎ込んだ熱情を、サブカルチャーの方面へと振り向けた暁には川上亮さんの「コミケ襲撃」(使いたくない題字だよなあ)に出てきた某国のプロジェクトなんて眼じゃない規模で、大勢のクリエーターが発掘され育成されては日本に負けないコンテンツを生みだし日本を凌駕し世界を席巻する、なんてことあるかもしれない。13億人。1億にに1人だって13人。それだけいれば十分だって西島大介さんも言っている。数とそれから50年先を見てプロジェクトを進める悠久性の前に気の短さも極まってきた日本なんて飲み込まれてしまいそう。すかいらーくの一件とか辛抱たまらん空気が漂っているもんなあ。

 そういやあ張芸謀さんが総監督をした「北京五輪」の開会式典で、スタジアムへと近づいて来るイメージで打ち上げられた足跡状の花火が実は重ねられたCGの映像でもって放送されたんだって話が起こっていろいろ物議を醸しているけど、個人的には全然オッケー、CG上等、だって映像として完璧だったじゃん、今までほとんど気づかれなかったじゃん、それだけ巧みだったってことで本物に見まがう出来だった訳でそうして得られた感動を、CGだからってどうして非難しなきゃいけないの? 「ジュラシックパーク」の恐竜たちがCGだからって誰も怒らない。それは真に迫っているから。そして何より面白いから。視て素晴らしいビジュアルが得られるんだったら作り物だろうが何だろうが重ねて見せて悪いはずがない。リアルじゃないから感動がない? でもリアルじゃないと知ったのは3日も経った後のこと。騙した? 違うぞ幻影に引っ張り込んだんだ。その幻影に酔わせて楽しませた方が勝ち。幻影であっても素晴らしいと思った心の方を喜ぶことが来るべきAR(オーグメンテッドリアリティ=拡張現実)の世界を楽しみながら生きる上で重要なんじゃなかろーか。

 たとえば未来の開会式典とかオリンピックでは会場にいる全員が「電脳コイル」のよーなゴーグルを通して式典や競技を視る。式典の時には天女に天使の類がスタジアムの上空を乱舞し花が舞い散り光りが踊って繰り広げられている肉体系のパフォーマンスをより華やかなものへとアップグレードさせるだろう。入場行進の時には選手のひとりひとりのプロフィールが添えられ国の歴史や文化にアクセスできるようになるだろう。競技の時も成績が瞬時にゴーグルに現れ計時なんて不必要。頼めばリプレイだって繰り返されてより深く広く競技を楽しめる。音楽のコンサートに行けば唄っているアーティストの周囲にレーザーが踊り衣装だって時々刻々と変化する。当然「キラッ!」の時には星が飛び散る。これ、リアルでやったらお笑いだよ。でもARだったら喜べる。バッチリだって讃えられる。

 だいたいが最近のライブのDVDだって会場で見ても見えないビジュアルがCGで重ねられていることだってよくある。それはリアルじゃないと? 映像作品としての完璧さの前にリアルタイムの体験の価値なんて1歩も2歩も下がる。開会式典という作品の完璧さを求めた時にCGで足跡を走らせた。それのどこに憤る理由があるのか。だったらもっと凄い物を見せてやるってゲーム大国・日本のクリエーターなら思って欲しいしプロジェクトを仕切る面々だって挑んでやって欲しいもの。来るべき「東京オリンピック2016」の開会式はだから押井×宮崎×庵野で時空をねじ曲げ現実か非現実かを分からないようにした中でメーヴェが舞い王蟲がはい回り巨神兵が火を噴く映像をリアルな会場に重ねて世界を驚喜させるのだ。女子選手のすべての衣装を擬似的に空かしてCG合成の肉体を重ねて見せるARだったらきっと世界も大喜び、かな?

 かな? いやそれを「なでしこジャパン」でそれをやったら割れた腹筋(ということにしておこう)に別の意味でフェティッシュを覚える人も出そうだから却下。しかし凄かったなあ「なでしこジャパン」のノルウェー戦は中央をパワーと一瞬のスルーで破られ先取されたもののすぐさま反撃に出て宮間あや選手から近賀ゆかり選手へとドンピシャのクロス。それを宇宙開発もしないでゴールネットにボレーで突き刺した近賀選手のテクニックもすごかったし、だいたいがサイドバックの選手なのにあの場面にポジションチェンジの果てに詰めているってところが凄かった。男子のサイドバックがゴール前に顔を出す、なんてことがあったっけ。つまりはだからポジションに留まりそこを自分の責任の範囲として一仕事終えたら一休み、なんじゃなくって全員が1つのフィールドを仕事場として試合全体を仕事の時間に認めて走り考え動き回る。それが出来ていたからこそのあの一瞬だったんじゃなかろーか。聞いてないから知らないけれど。

 初戦でクロスを一瞬の判断でスルーしたら詰めていた選手に叩き込まれたミスをひどく非難された近ちゃんだったけれどもそれ以外は実はそれなりに評価されてて「サッカーダイジェスト」だと負けたアメリカ戦ですら採点は6。安藤梢選手に優しいピンク色の新聞と違ってちゃんとその仕事ぶりを評価されていたけどノルウェー戦での先取点と、あとゴールラインに立ちはだかって相手のシュートを跳ね返した守備での貢献も合わせてやっぱり出来る選手だったんだって評価を持たれたらデビュー前後からその男前っぷりを眺めて来た身としてはちょっと嬉しい。そういや今年はまだベレーザの試合を見れてないけど帰ってきたら見に行って、巧いし強いんだけれどがむしゃらさがまだ若いってこともあって伺えなかった数年前からどう変わったかを確かめに行こう。でもベレーザの試合会場って遠いんだよなあ。

 そんなこんなで5点を奪い快勝の「なでしこジャパン」は最後に加藤與恵選手も出てきて相変わらずの読みの鋭さで相手のパスをカットしたりタックルで潰したりしていた。出来る人だから肉弾戦になって根性を試されそうな次の準々決勝、対中国戦には先発をしてやって欲しいなあ。芝生も前のガタガタに戻りそうだし去年くらいから試合会場での暴力沙汰も目立つ中国女子代表に熱くなってしまったら向こうの思うつぼ。どんな環境でも焦らず冷静に戦い抜いてきた女子サッカーのレジェンドたちをここぞと投入しては軽くいなしてそして勝ち抜き次ぎも勝ってメダルへと届いて欲しいもの。8月15日なんて日に中国戦とは精神的にもキツいけれどもあの春にギリギリのプレッシャーの中で北朝鮮を相手に勝ってアテネ行きを決めた面々なら大丈夫、だと思いたいけど政治はまた違うからなあ。妙な横やりが入らないことを願おう。

 ああ「ファウストVol.7」だったけれども続きはまた明日。とりあえず伏見つかさんの「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(電撃文庫)が超面白かったんでそっちにシフト。美少女でモデルとかやっててそれでいて成績も優秀でスポーツも万能な中学生の妹に対して兄貴は容姿もそこそこなら成績もまあまあ。大過なく過ごすことはできても上など目指せない平凡さで妹からも慕われるどころかウザがられすらしない無視っぷりを決め込まれていたんだけれどもある日、下駄箱の裏にあった妙なDVDを発見して気づく。妹は……だったのだと。

 もっとも兄だって……ではなくってそうした傾向をむしろ気味悪がる凡庸さ。だから妹から……であることを告げられても積極的に前向きに応援はせずまあ頑張りなさいといった感じて眺めていたけどそこに事件が持ち上がり、そこまでの過程で妹が見せた嬉しそうな態度(ややツンデレ入り)に兄として人間として守ってやりたいと立ち上がる。兄で妹だからってイケナイ関係とかにはならずむしろ未だに毛嫌いされているっぽいところはあるけれど、それでも家族なんだし頑張っているんだし熱中していることに理解を示すことはとっても大切。無理な抑圧が生む悲劇なんてものを間近に視た後ではいたずらな好奇心も頭ごなしの無理解も決して事態を良い方向には導かない、むしろ理解する心や語り合える仲間を持つ方が誰にとっても幸せなんじゃないのかな、って感じのメッセージが浮かび上がる。でもしかしそういう性向の腐女子もいるとは。ショタではなく。うーんやっぱりオタクは奥深い、幅広い。


【8月11日】 でもって「mixi」の8月10日のキーワードランキングは1位が「ナナリー」。へー、まだいたんだフリオ・イグレシアス、ってそれは「ナタリー」。郷ひろみさんも唄った「黒い瞳のナタリー」であって「ナナリー」すなわち「ナナリー・ランペルージ」あるいは「ナナリー・ヴィ・ブリタニア」とフリオ・イグレシアスとは何の関係もございません。

 しかしやっぱり総体としてフレイヤに爆発に巻き込まれて塵に帰ったと見る向きが当然ながら圧倒的。C.C.と相対する位置にヒロインとしていたはずのユーフェミア・リ・ブリタニアも、シャーリー・フェネットもともにあっさりと退場の憂き目を食らわせてしまうくらいに人使いの激しい「コードギアス 反逆のルルーシュ」なだけに、ナナリーもこれで消えてあとはボロ雑巾にされ返されたルルーシュが復讐の気持ちすら投げだし廃人のよーに彷徨う展開が待っているって見るのが普通だろうけれどもそこはナナリー様。ユーフェミアもシャーリーもかなわないくらいの存在感を「にゃー」の一言で見せつけた人物だ。きっと蘇っては今ふたたびの「にゃー」を聞かせてくれると信じて待とう。代わりに皇帝があの声で「にゃー」と言う可能性よりは高いだろーし。

 でっかいなあ気持ちいいなあ巻誠一郎選手が「エル・ゴラッソ」の2008年8月11日発売号のマッチレポートにおっきな写真で登場。1面は浦和レッドダイヤモンズを相手にロスタイムのロスタイムで同点弾を決めたフランサ選手にとられたけれども、中面では最大の扱いにマン・オブ・ザ・マッチも獲得とあって、日頃からジェフユナイテッド市原・千葉に辛口な「エル・ゴラッソ」にしては珍しいくらいの持ち上げぶりは、来週の柏レイソル戦でフランサ選手に蹂躙されて最低点を着けられる前振りみたいなものなのかと猜疑心。誉めて落とすが悪罵の定石。

 新加入のミシェウ選手も評価は6・5で巻選手に続く高さ。ここで溜めを作れるよーになったことで本当は縦横無尽の走りが持ち味だったのがパサー役も務めなくてはならなくなって虻蜂取らずに陥っていた工藤浩平選手も復活。羽生直剛選手のよーな進入からパスカットから得点といった活躍をこれから見せてくれるよーになると信じたい。左のサイドバックにもっと攻撃力があれば良いんだけど。美白のロベカル(死後)こと根本裕一選手に期待。それからセンターバックの強化も。とりあえずボスナー選手の2試合出場停止をどう凌いでいくか、だな。柏レイソル戦には勝ちたいな。チケットは確保。雨降らないと良いな。屋根がねえんだあそこって。

 んで白鳥士郎さんの岐阜県あたりが舞台になった中部地方ライトノベルの最新形態「らじかるエレメンツ」に登場した続編の「らじかるエレメンツ2」(GA文庫)を読了。前巻のよーに名古屋が出てこないのは残念だけれどお話の方は学校を舞台にした生徒会長選挙って1本しっかりと筋が通った展開になっていて、前巻では化学実験部を潰そうと画策したでこっぱちなアルミ会長が、生真面目さの裏側に迷いを秘めつつそれでも頑張る姿に化学実験部の面々も含め皆が理解を示して応援し、そして最後の大逆転へともっていくストーリーをハラハラしながら楽しめる。

 幼いころからの鉄太郎との知り合いなのに学校では反目ばかりしていた2人が、この一件をきっかけにグッと近づくところに割って入るのが化学実験部の核弾頭、卯卵の理不尽きわまりない暴力。アルミと卯卵のダブルツンデレな間に挟まる鉄太郎の三角関係という他にあまり見ない設定の中で、果たして男子としてはどっちを選ぶのが正しいのか、って答えが見えるかと思ったらどうもそうはいかないのは、鉄太郎が諍いを懸念してわざとそう言ったからなのか、それとも真剣無比にそう感じているからなのか。真剣だとしたら本命は卯卵ってこと? でもそんな心理描写もないしなあ。アルミだってなかなかだって判明したんだし、選ぶなら新潮に。ともあれキャラが立ちこなれて来たシリーズが次に見せてくれるのはどんな莫迦騒ぎ? キャラでは園芸部のお姫様な部長こと御須川輝宮子様の再登場を願う。

 「ガンダム」だ「ガンダム」だ「ガンダム」がいっぱい集まるってんで池袋のサンシャインシティで明日から始まる「ガンダムEXPO東京2008」の内覧会を見物に行ったら高須武男さんが「Zガンダム」のコックピットに座ってた。グループきっての稼ぎ頭のイベントとあって、自ら視察に来るとは軽くて丈夫なフットワーク。昔はそういや角川書店の角川歴彦さんもいろんなイベントで顔を見たよなあ、でも最近はホールディングスの超トップってことであんまり気楽には外へも出られないのか見える機会も減ってる感じ。オタクは現場で起こっているので感覚だけは無くさないでいて欲しいもの。

紅蓮弐式の新輻射波動腕はジオングの手に似ている  それより「ガンダムEXPO2008」は去年だったら「機動戦士ガンダム00」がいったいどうなるのかって興味もそそられ、駆けつけた人もいたっぽいけど今回は秋からスタートする「セカンドシーズン」の情報を見に来る人が多そう。週末だかにあるイベントでも大量の情報が出るんだろーけど、それより先に開催されるメリットだってあるんじゃなかろーか。知らないけど。ロックオン! いやそれは既に予告編でも見せてるか。どうなってるの? ちなみに週末のガンダムとギアスのイベントはいつのまにかチケットが売り切れていたんで行くのは見送るのがほぼ確実。そういう場所に何が何でも潜り込もうと足掻く根性の衰退が最近富みに著しい。これが歳って奴か、嗚呼。

 ざくっと見た中では最初の「機動戦士ガンダム」の名場面を再現したジオラマがとりあえずの見物、かな。「ガンダム、大地に立つ」でザクが移動トレーラーの上に寝ころぶガンダムに迫る場面と、あと宙を舞うガンダムにジオングが立ちふさがる最終話近くの場面なんかが、モニター映像も合わせて紹介されているからその場面を振り返りつつそのビジョンを立体として楽しめる。でもガンダムとジオングの大きさってこんな程度の差だったっけ。

 ってことで調べたら脚がないサイズで17メートルちょいだから18メートルあるガンダムよりも小さいんだ。へえ。知らなかった。もっとデカいと思ってた。これで脚があれば25メートルとかになってガンダムを見下ろすサイズになるんだけれど、脚なんて飾りです偉い人にはそれが分からないんですってことで、ジオラマのジオングには脚が1本ついていた。違う中空に浮かせるための支えの棒がにょきっと生えているのがビジュアルとしてやや難か。誰か光学迷彩で消してあげて。

 あとは安彦良和さんが黙々と描いて描きためて来たイラストのパネル展示、か。流石に悩ましいアルテイシアはないけれど、って安彦さんじゃないからあるはずもないけれども可愛らしい金髪さんが描かれたイラストボードなんかも何枚かあって、セイラさんマニアとしてはそれだけれ心浮き浮き。マチルダさんも良いなあ。ハマーン様は安彦さんは描いてないんだなあ。代わりにコミックで連載されている「C.D.A 若き彗星の肖像」の場面が抜かれたボードがあってそこに可愛らしい笑顔のハマーン様が描かれているからマニアは見て愛でよ。

 声はでもこの可愛さだと少佐でもアーマロイドレディでもしのぶさんでも笹倉永久でもないんだよななあ。つまりは榊原良子さんでマッチするのかってこと。でも他の人がたとえちょい若めのハマーン様が映像化されるといって声を担当する訳にはいかないからないのがファン心理って奴だ。あるいは頑張れば出せるのか可愛い声も榊原さん。聞いてみたいいなあ。「アクシズのハマーンさん」もアニメ化の際にはやっぱり榊原さんってことになるのかな。ポケポケのハマーン様をあの声で演じて見せてくれる……見てみたいなあ。


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