縮刷版2008年6月上旬号


【6月10日】 すっかりワンシチュエーションコメディだった「CHANGE」。モジャクラ総理の家で起こるいろいろが愉快愉快。前半は私邸に尋ねてくる人たちをちょっとづつズラしつつ積み上げていっておかしさを醸し出すテンポが巧妙で、繰り広げられる会話もなかなかに当意即妙。通商代表が正座して苛立ちながら待つ横で看護婦が来たり阿部寛の娘が来たりその恋人が来たりして、誰かを見かけで判断することの問題なんかを浮かび上がらせそして後半。通商代表の要求に単なる飾り物でしかないはずのもモジャクラ総理がどう応えるかって興味で引っ張りそこでスラスラと正答を良い正論を吐かせてこいつやるなと思わせる。お陰で経済産業省から来ていた補佐官もすっかりモジャクラファンに。ちょい転向が早すぎるって気もしないでもないけれどそこはドラマってことで。

 繰り広げられていること自体は総理大臣が政策を自分でちゃんと理解して、自分でちゃんと執行するってあたりまえのことをあたりまえにやっているだけで、後は国益は尊重するけどそれは相手も同様なんだからぶつかり合うのは当然だけれど、だからといって戦うのも愚の骨頂だから話し合いましょうとあたりまえのことを言ってみせるだけ。国が真っ当なら別に驚くことじゃないんだけれどもそれが驚きをもって迎えられ、感動をもって心に響き渡るくらいに現実の政治にみんな、不思議さって奴を感じてしまっているだろー。

 もちろんだからといって現実と架空の区別をちゃんと出来る一般の人は、そんな政治手法が現実にすぐに反映されるとは思ってなくって、リアルはリアルでいろいろあるんだという達観というか諦観を抱いているんだろうけれど、リアルのあまりさ加減に達観諦観が限界を超えてしまいかねない昨今。そこに賢人があらわれ善政へと導いてくれれば良いんだけれど、歴史は独裁がはびこりポピュリズムに引きずられる方が多そうだからなあ。いずれにしてもそんな分水嶺に「CHANGE」がなり得たらそれはそれで凄い話。「ケーキをたべたら」発言が自由平等の世を生みだしたって説にも倣って、後生の歴史に人気アイドルの政治風刺ドラマが引き金となって平成の政変、21世紀日本革命が起こったとか記されるのも妙に愉快な話だったりするけれど、いかに。

 その帽子はオラんだ。いんやドイツんだ。そりゃ逆だ。いやドイツはこの際関係なくってオランダが「EURO2008」で強豪のイタリアを3対0と圧倒してグループリーグの初戦を勝利。他にフランスとルーマニアが所属する“死のグループ”を抜けられるかどうかって前評判を初戦でもってガラリと覆してしまった。ほとんど明け方の放送だったけれども記事を金で売って当然って顔をするジャーナリストの欺瞞と、献花台を取り囲むテレビカメラやスチルカメラに同族嫌悪を覚えてとっと寝て起きたらテレビで試合を生放送中。でもって鉄壁なはずのイタリアがオランダに2点負けしていて反撃のために猛攻中。ルカ・トニが抜け出し爪先でトラップしてループしようとしたけど相手があのファンデルサールなんで、腕を上げて覆い被さってくる相手の頭を越えたらやっぱりバーまで超えてしまった。

 でもってデルピエロだかが左ナナメのデルピエロゾーンから打ってもキーパーがとめて入らず逆襲となって、相手のセンタリングにあてたヘッドに飛びつこうとしたイタリアGKブッフォンの前にディフェンダーが入ってしまいその足に当たったボールがブッフォンの逆をついてしまってオウンゴール気味の追加点が決まって万事休す。あそこはディフェンスがいなけりゃブッフォンとめていたけどその直前に、相手のフリーのシュートをはじいてゴール前に即座に戻ろうとしていたブッフォンのカバーにディフェンスが入っていたんだからいるなと言われては困ってしまう。カウンターを仕掛けられたこと自体が問題だったってことになる。ともあれオランダは3点を奪いイタリアを破り、同組のフランスはルーマニアと引き分けたことでオランダの1抜けも見えてきた感じ。イタリアはルーマニアに勝ちフランスに勝つくらいじゃないと抜けられないか。オランダがフランスのコテンパンにされればまだ分からないか。週末の中継はちゃんと起きて最後まで見よう。

 でもって今日も秋葉原のソフマップ前に設えられた献花台は変わらずテレビカメラとスチルカメラに取り囲まれて近寄れそうもない雰囲気で、数メートルを離れて遠巻きに見ている人もいたりして通行にやっとこさな感じがしているんだけれども警備に来ている警察の人もさすがにメディアが相手ではいかんともしがたい模様。近寄りたくないとソフマップの壁に背をつけて手を合わせて黙祷する女の子もいたりして、いよいよどうにかして頂きたいって声も起こってきそうな雰囲気。ただUDXの方へとちょっと歩いた場所にも花束が積み上げられててペットボトルも並べられてる場所があって、そっちまで来るカメラはないんで通りがかる人はそっちで手を合わせてる。祈りの気持ちを贈りたいならそこでも気持ちは伝えられる、はず。

 それにしてもいつまで現場に張りつかせるんだろう各社。必要なコメントは十分に取れただろうしカメラだったら絵だって十分得られたはず。もう引き上げたってストックで何とかなるんだろうけどテレビなんかは生中継の時の絵が必要と居残り、スチルもあるいは誰か有名人でも来るんじゃないかと考え居残っていたりするのかな。さすがに週央になれば潮も引くって思いたいけど1週間目の日曜日、歩行者天国がなくなり喧噪も薄れた秋葉原は今、ってな感じにやって来て歩き回って撮りまくることになるってことが見えているだけに悩ましい。でもそれでも行って歩き回るんだろうなあ自分。買って食べるんだろうなあ。それが秋葉原の何かになるなら。日曜日の喧噪で海鮮丼の若狭屋は何か売上がめっちゃおちたみたいって店員が話してたし、そんな店が増えて歯抜けしたままになって何もはいらない状況が広がった果て、現出する無機的な街を避けたいのならここで頑張るしかないのです。でもあぶりサーモン丼1000円は高いなあ。


【6月9日】 とはいえ10年目を迎えた「ほぼ日」にはひっきりなしにお祝いのコメントが寄せられたっぽいのとは対称的に1000冊を迎えたところで所詮は大海の目薬にして銀河の塵芥、ならば1001冊目はワタクシめにと美少女の少女小説家とかからキスマークもべったりの著作が続々と届いて部屋が口紅の香りでいっぱいに溢れるとか、逆によくも酷いことを書いてくれたなって気鋭のミステリー作家から解決編の部分だけベッタリと糊付けされて読もうにも読めずに気持ちがせき立てられる著作が叩き送られて来るとかいったイベントも起こらずしずしずと過ぎ去るアニバーサリー。世の中ってものはそんなものだと認めてやっぱりずっとこれからも趣味で選んで粛々と更新を続けていくのだ。頑張って。

 セーラームーンな古生物学者といい秘術研究家にして寿司屋といい女性のキャラクターに見るべき人の多さが気に入りつつある「隠の王」。風魔んところのラテンな姉さんもそーだしメイン級なら雷鳴が1番いろいろ自分を持ってて頑張ってる。あとは使命だとか運命だとか任務だとかプライドだとかいったものに引きずられ引っ張り回されている感じ。灰狼衆の首領からして声ばっかり渋くっても中身は今ひとつ凡庸。「コードギアス 反逆のルルーシュR2」のブリタニア皇帝が放つ威厳に遠く及ばず、「黒の騎士団」でひとり陰謀に明け暮れるディートハルトにだってスケール感で劣りそう。そんな輩に凄腕の雷光が何でまた付き従っているのか。原作じゃあ含みもありそうだけれどアニメーション版の方はたまさかその大義に打たれたように描かれているからなあ。まあその辺りも含めて次回は清水家のいろいろ。小さい雷鳴はどんなだったんだろう。

 そういや「コードギアス 反逆のルルーシュR2」は学校をさぼって中華連邦のご近所まで来た「黒の騎士団」ご一行、のはずだったのに子供とか混じってていたのはつまり特区の計画に参画しようと来た人をまとめて引っ張っていったってことなのか、「黒の騎士団」のメンバーじゃなくても。だいたいが100万人も団員がいればそれなりな勢力として活動も出来たはずなんだけれど、潜水艦に乗れるわずかな人数だったからこそのじり貧だった訳で、そんなのと関わらないでも特区で静かに暮らせたらそれで良いって人がやって来たからこその100万人。決して1枚岩なんかじゃなかったそれだけの人間に、情報を漏らすなと厳命してゼロ変身セットを配って歩いたってのはやっぱり無理がある。まあ無理が通るのがこのアニメ。斜め上を行く展開でもって驚かせ続けた果てにたどり着くのはどんな地平だ。

 分かったことでは千葉は意外にエプロン姿が似合ってた。でも料理の腕までは不明。桐原は処刑されてたか。天子さまはやっぱり可愛い。星刻ならずとも守ってあげたくなるのは当然。造反有理も致し方なし。そしてオレンジ君。シャルルの兄さんのV.V.を前にして椅子に深々と座ってワインだかブランデーだかを嗜む態度の尊大なこと。これでなくっちゃジェレミア・ゴッドバルトじゃないもんな。あとカレン。アッシュフォード学園でかぶっていたあのぬいぐるみをしっかり持って来てたのか。どこにどうやって仕舞ってたんだ。でもって更に使う機会があるってことか。ピザにラー油はちょっっと拙そう。でも中華な平餅にだとかけるのか。

 さらにニーナ。うざったさ炸裂。昔と違うんだ同情するなって叫ぶ割には自信のなさげな振る舞いはいったい何なんだ。私怨も盲信に凝り固まった人間に武器とか持たせるとろくな事にはならないって聡明なシュナイゼルなら分かっているんだろうけれど、その割には天子とブリタニアの第1皇子との婚礼に連れてきているのは他に含みがあってのことか。ゼロとのチェスの場に乱入させて勝負をお開きにさせて場を収める所まで計算していたんだったらやっぱり凄い奴。でもそんな黒さをまるで見せずに良い人、優しい人だと思わせ続けているのには訳があるのかまるでなくってただ良い人なのか。もう1枚何か乗っかってくれないと皇帝に並ぶ敵にならないんだよなあシュナイゼル。さて。

 順当というかメディア的な発想に従って着想されて秋葉原の事ならって回ってきた「アキバどうなるよ」的原稿をあれやこれやと考えながら、上の趣味と当方の大事にしたくないって気分を逡巡させつつ作る日々。「趣都」の森川嘉一郎さんに性質が変わる可能性があるかを尋ねたり「オタク経済学」の森永卓郎さんに評判へのダメージからアキバ経済が冷え込む可能性なんかを尋ねるっていった形も考えられない訳じゃないけども、昨日の今日ではさすがにレイヤーを1つ上に強いて見下ろし評論する時期じゃない。かといって記事は作らなくっちゃ行けないわけ、でひとつは客足が遠のくかってあたりから推察を重ねてそりゃまあ来なくなる人もいるだろうねってロジックは残しつつ、でもほら秋葉原にはそこにしかない魅力ってものもある訳だし、そいういうのを求めに来る人は今回の事件がパトロールの強化で防げる類のものじゃないってちゃんと認識してるんで、これからも秋葉原に来ていろいろ買っていくことになるしそうじゃない人も安心で安全なことが担保されれば、来てくれるんじゃないかなあって辺りに落ち着ける。

 でも本当のところはどーなんだろう。だからこそ粛々と悼みつつも秋葉原に通って買ってそれを続けることでしか、事件を異化して秋葉原を特殊化する動きには対抗できない。賑わっている場所だという要件を越えて、秋葉原だからという理由に押し込められそして、秋葉原に来たがった人だからこそという加害者の属性への偏見が創造され助長されて定着してしまいかねない。現にそうした報道も蔓延り始めているんだけれどでも、秋葉原好きっていうのは秋葉原に来ていて被害に遭ってしまった人にも、すべてではなくとも当てはまる可能性があることで加害者を誹り秋葉原を糾弾する筆の一部は、被害者をもおとしめているんだってことに、気づかないで論陣を張れるメディアの葛藤のなさがどうにも疎ましい。

 秋葉原を異化しないために出来ることは秋葉原に行くことでしかないんで「とらのあな」で徳間デュアル文庫から出た新刊のライトノベルを2冊ばかり買って、万世橋交差点横へと戻って「ペッパーランチ」でハンバーグ目玉焼きランチを食いそれからまた戻ってダイビルの「エクセルシオールカフェ」で珈琲を啜る翌日の夜。昨日の今日でも秋葉原は人でいっぱいでなるほど気にしすぎなくてもしっかりと、日常は続いていっていて少し安心する。「とらのあな」へと向かう途中のソフマップ前に置かれた献花台に積み上げられた花束とペットボトルとぬいぐるみを見て滲む涙。あの惨事がテレビの向こうの出来事じゃなく、リアルな出来事だったんだってことが改めて認識できた。そしてそこにいたかもしれない自分の恐れと、そこに居さえしなければ今日も秋葉原を歩いていられた人たちの悔しさが交錯して泣けてきた。

 献花台を過ぎる際に頭を下げて黙祷。でもとぐるりと囲むテレビカメラとか、遠巻きに見ているカメラマンたちの談笑する様が見えて気分が奇妙にささくれる。僕はそんな人たちの仲間でもあって、必要とあらば列に加わってカメラを向けることもあるんだけれどでも、この件に関してはきっと心で慟哭しながらファインダーをのぞくことになるんだろう。それはジャーナリストとして不健全、事の次第を判断し、伝える意義を考えつつ対象には冷静に迫り感情を交えず報じるのが筋って意見もあるけれど、それと対象に無関心なこととは違う。自分で意味を判断しないで誰もが注目するから注目するってトートロジーの陥穽にはまってしまった惰性の作業でしかないんだけれども、振り返ってそんな惰性に染まりつつある我が身も見えて妙に苦い。さらになおかつ矜持すらも捨て去って平気とほくそ笑む輩の台頭もこれありで、苦さは苦しさとなって首を締め付けてくる。マジでイヤになって来た。週末は賞与か。かっぱぎ南の島にでも引きこもるか。そんな金は出ない? ごもっとも。だったら実家で半年くらい静養したいなあ。近所の農業センターに居る名古屋コーチンとか牛とか羊とか亀とか見物しながら。


【6月8日】 シェリル・ノームの唄う「What ’bout my star?」が「おっぱいまいすたー」に聞こえてしまう今日この頃。それもこれも悪いのは毎回まいかい富士原なえかの揺れる巨大な奴を話題に取り上げ官能を刺激しまくってくれちゃう「仮面のメイドガイ」で、今回もまたしてもチチステン・モミスーナイダー博士の発見した法則に従って数学のまるでできないなえかにたんまりと出された宿題を、どうにかすべくコガラシに連れられ赴いたのがどっかの神社。登場してきた巫女さんは神様の電波をゆんゆん受信してはお告げを示す力の持ち主で、なえかの数学の無才ぶりとフブキのドジっ娘めいどぶりをピタリと言い当て社へと誘って訓練に乗り出す。

 でもって先に到着していたなえかのライバルのジャイアン女となえかを狙うつるぺた少女を相手にテニスの試合。けれどもそこはゆんゆんな電波に溢れた神様だけあってフブキのスカートが長すぎるとポイントを敵に与える大盤振る舞い。ならばといろいろ逡巡した挙げ句になえかがひょいと見せたフブキの恥ずかしい姿に1000ポイントが加点されて、マッチポイントへと至りそしてどうにか逃げ切り見事に勝利を手にしてそして有り難いお札も手に入れるんだけれどこつの発動に必要な諸々を考えると、テニスで勝つより大変なんじゃないかって思えてきた。フブキのドジっ娘メイドを直すために必要な方策もむしろドジっぷりを煽りそうだし。役に立たない神様。だけど仕事はとってもグッド。更なる電波を浴びせてはなえかとフブキの「おっぱいまいすたー」ぶりを世に広めてやって欲しいんだけれど、きっともう出ないよなあ。原作には出てるのかな。

 んでもって大久保嘉人は相変わらずのやんちゃぶりでご退場。これがあるから使えないんだよ大事な試合では怖くって。カウンターもばんばん見せてたオマーン相手に1人足りない陣容で臨んだらはたしてどーなっていたことか。それとゴールキーパーが楢崎選手じゃなくって相手のPKをしっかり決められていたらどーなっていたことか。今日あたり大久保選手といっしょに監督までもが帰国の途についていた? まあそれはないだろうけれどもそろそろクビが涼しくなって来たかも岡田サン。でもって夜中に「EURO2008」が開幕。途中まで見て寝おちして気が付いたら朝でどうやらチェコが勝ったんだっけ、スイスだっけ。ポルトガルは順調に勝った模様でクリスチアーノ・ロナウド選手の活躍度合いに興味津々。幸いというか「WOWOW」に入ってないんで全試合は見られないけど民放で放送される分だけ見ても3日に1試合はある模様。頑張って見て朝を寝ぼけ眼で乗り切ろう。ちょっとオシムっぽいかも(全然違う)。

 サッカーまみれにどうしようかと悩んだもののこれで勝てば決勝トーナメント行きが決まるとあっては見に行かないわけにはいかないとチケットを買い東へ。土曜日に寄れなかった秋葉原を回るって手もあったけれども方向が逆なんでここは断念と思っていたのが果たして幸いしたのかどうなのか。千葉中央でしばらく休憩してから「フクダ電子アリーナ」でナビスコカップの「ジェフユナイテッド市原・千葉対川崎フロンターレ」を見物。BGMは当然「娘フロ。」ね。いろいろかけてた間にオウンゴールで千葉が先生したものの晴れて潔白となった我那覇選手がするするっと抜け出して押し込み同点へ。アリーナへと向かう途中で1000円の募金に対して「ちんすこう」のお礼がもらえる我那覇選手の支援活動が行われていてもちろん1000円を置いてきたけれどもそれとこれとは別。活躍されてはまずいと祈り前半を終えてさて後半。エディ・ボスナーのすっげえフリーキックが突き刺さってリードしたのにゴール前での誰かの軽い守備から決められ同点へ。まあ同点でも良いんだけれども勝って抜けたいって思いもよそに、1対1を止められ2度の押し込みがどちらもバーにはねかえされる不幸もあって抜けきれない。

 もっとも相手のシュートがバーにあたって跳ね返される幸運もあったからどっちもどっち。とはいえ散々っぱらの1対1を外したのはやっぱり反省しなくちゃね。それでも最後は工藤浩平選手とレイナウド選手がパス交換からきっちり決めて文字通りの決勝点。勝ち点でも抜け出してグループ1位をしっかり確保して2年ぶりのナビスコカップ決勝トーナメント進出を成し遂げた。去年だってあと1つ勝てば抜けられたところを負け始めたのがケチの月初め。シーズンをずるずるといってしまった記憶も苦いだけに今年は最初の負け続けからようやく見えた光明のなかで、1つの成果を上げたことが残るシーズンの方にも良い感じに反映されて、崖っぷちのさらに先の中空を漂う状況から脱出し、あわよくば1桁順位なんて確保してシーズンを終えられればこんなに嬉しいことはないんだけれどもそれにはやっぱり決める時には決めるだけの決定力だ。鍛えろオール。ウィンのために。さあ「ちんすこう」でも頂くか。

 そんな喜びに浸っていた反対側ではとてつもない大惨事。先週だったらふらふらと歩いていて「ソウルイーター」のマカとソウルが涼んでいたのを見た「とらのあな」の前からわずかに数十メートルの交差点にトラックが突っ込み人が跳ねられただけでなく、降りて来た男によって刺され切りつけられて幾人もの方が負傷し亡くなられた方も大勢……。日にちと時間が違っていただけでもしかしたらそれは僕自身に降りかかったことかもしれないと思うと震えが起きるし、年齢から考えれば僕と同じものが好きだったかもしれない人がこれからもそれを好きで居続けられる可能性を奪われてしまったことに悔しさを覚えて立ちすくむ。少年とか、少女とか、夕方に帰って「コードギアス 反逆のルルーシュR2」を見ようと思っていた人もいたんだろうか。今回もとってもスリリングだったよって、伝えられるものなら伝えてあげたいけれど……。

 襲った側にはそこに集まる人たちがどんな感性や属性を持っていたかなんて関係なくって、ただ最近のニュースなんかで賑わっている場所だからって知って、そこに行けば大勢をって短絡した考えしか持っていなかったのかもしれないけれど、傍目にはどうして秋葉原なんだって懐疑がやっぱり浮かぶ。ならば他の繁華街に行けば良かったのかというのは論外。どこでなら良いってもんじゃない。ただ秋葉原という場所につきまとっているイメージが、悲惨な事件を呼び寄せてしまったのかもなんていった空論をふりかざしては得々と語る輩の登場する可能性なんかを思うと、それはそれで悩ましい気分もわき上がる。あるいは頻繁にメディアに登場する場所だったからという理由があったとしたならば、そうしたメディアの一翼として秋葉原を頻繁に取り上げて来た身として、得も言われぬ感情が背中を駆け上がる。静かにしておけば良かったのか。触らなければ良かったのか。憎むべきは罪。だとしても罪へと至る回路に関わったかもしれない可能性は、忘れないで覚えていこうと考える。

 それでも秋葉原は続いていく。というよりは秋葉原が秋葉原であり続けることが、事件を何か特殊なものと関連づけて異化してしまい、秋葉原をも巻き込んでタブーの内側へと閉じこめてしまう風潮を堰き止めて、人が人を殺める恐ろしさを憎み、殺められた人たちを悼み、記憶を風化させないで誰もが身を律しつつ、世の平穏を喜び尊び守り育んでいく力になる。たぶん明日にもまた秋葉原に行ってアニメーションのDVDを買ったり、ライトノベルの新刊を買ったりするんだろう。交差点を渡り路地にも入って行くんだろう。手向けられた花に失われてしまった命を思いながら、自分がこうして生き延びている有り難さを噛みしめて、秋葉原を良き秋葉原でいさせ続けるために出来る何かを探していこう。合掌。

 ようやく1000冊。好きな本を読んだと自慢する読書感想文のページを開きたいがためについでに始めたのが実はこの日記だったりもするんだけれど、歩みは遅く年に100冊の感想文もあげられないまま幾年月。それでも900冊を越えてようやくスパートをかけようかって気にもなって、いそいそと積み上げて来た項目が1000に達して一区切りがついた。せっかくだからと趣味炸裂な999冊目と1000冊目。しばらくはそんな趣味を重ねるか、それとも元に戻すかはまあ気分次第ってことで。そもそもが誰が読んでいるとも思えず誰かの役に立っているという感じもなく、喜ばれもせずかといって疎まれもしないまま続いて来たって印象で、大海に1粒ひと粒砂を放り込むような感覚に囚われることも頻繁だけれど投げる当人にとっては記録でありまた記憶でもあって振り返ればいろいろと浮かぶ感慨も多々。とみに薄れがちな記憶力を補完する意味もあったという訳で、それならそれで結構なことだと認めこれからもいそいそと積み上げて行くことにしよー。2000冊目は20年後かな。


【6月7日】 バレーボールがきっと悪い。いや予感していなかった自分が悪いんだけれどともかく「マクロスF」は後ろ半分が吹っ飛んで何があったかは不明ながらもとりあえず、ランカ・リーがシンデレラストーリーを歩んでるっぽいことと、偽ギジェ・ザラルなエリソン・田島だったっけ、違うけれどもまあそんな感じの陰険野郎が男姿なのに女声な得体の知れない輩とつるんでいろいろやっているってことで、喫茶店で背中合わせに物のやりとりだなんてどこのスパイ映画ですかってな状況の安っぽさがああ見えてルイス・小島(じゃないってば)って下っ端で肝心な所からは外されてるんじゃないかって疑惑が立ち浮かぶ。大物だったら部屋で座ってたって情報くらい集まるよなあ。

 あと「マクロス・ゼロ」な話は正直不明。見てないし。見た方が良いのか? それより見るなら「マクロス7」の方のよーな気もするけれどもボックスとか買うのも高いんで迷うところ。「.ANIME」で3割引か、買っておくかこの際に。でもだいたいが買ったってきっと見ない。「HEROES」だって第1期を揃えたのにまだ1話も見てないし。時間が欲しい。金もそこそこ。期待もちょっぴり膨らんだアルトの女形姿はなかったとして映画じゃどんな役を演じてそんでもってシェリルはどう絡んで主役なはずだった「ミス・マクロス」のお姉さんはどんなぞんざいな扱いを受けたのか。次週で振り返られるのかは知らないけれどもまあいずれ、発売になるブルーレイだかDVDだかで補完しよう。来週こそはしっかり録画。バレーボールはとっとと北京に行くように。

主役はどっちだ  起きて横浜へ。例の旅人によるチャリティですらない試合が「日産スタジアム」で繰り広げられるってんで随分と前に買ったチケットを握りしめてまずはとりあえず新横浜まで。昼飯を食おうと歩いて見つけたパスタ屋で「メンズパスタ」って盛りの良さげなのを頼んだらほとんど焼きそばだった。麺はそりゃあパスタだけれどもソースが醤油でキャベツと豚肉が刻み込まれて唐辛子なんかもはいった超和風。ここに生卵でも落ちていたらスタミナもバッチリだったけれどもくどくなるんでそれはなし。もりもりと食べたら元気も出てきたんでわらわらとスタジアムへと向かう人の列を追って歩き始める。「NAKATA」がいっぱい。

 まず見かけたのがボローニャ時代のレプリカでそれから刀の波紋が入ってるドイツワールドカップ仕様の日本代表レプリカで、そしてパルマ時代にローマ時代にペルージャ時代にフィオレンティーナ時代と各時代のレプリカを着込んだナカタマニアがぞろぞろといてなるほどやっぱり衰えたとは(衰えてないけど)いえ人気だけは屈指のものがあったんだってことを今さらながらに実感する。でなきゃ最高額が3000円と安いからって6万3000人も集まらないか。それともチラリと姿を見せたヨン様を見に来たのか? それくらいの根性はあるからなあ。イングランドのボルトン時代のユニフォームだけは見かけなかったけれども活躍できなかったのがマニアをして敬遠させる要素になったのかな。肝心要の湘南ベルマーレ時代のはゴール裏にいたような。緑色なんで遠目にもとっても目立つのです。

 んで試合。かつての栄光はともかく現時点での力でいったらやっぱり未だにトップクラスを維持するA.C.ミランのセードルフにアヤックスのダービッツという現役2人が攻撃を組み立てる感じで世界選抜(選んでねえ)が日本選抜(選ばれてねえ)を押し気味に薦めて幾本もシュートを放つんだけれど、ゴールキーパーを務めた下川健一がしっかりと止めて得点を許さず。逆に日本はあれは名良橋選手だっけ、入れたクロスを世界のチームに所属しているはずなのに何故か日本選抜に混じってる大黒将志選手がすらりと頭で流してゴールイン。1点を奪いさらに遠目から打った沢登選手の見事なミドルを現役から遠いゴールキーパーのラマがファンブルして後ろにそらしてそのままゴールイン。何ともまあ花試合っぽい展開でもって2点を奪い前半を折り返す。

 違ったPKを奪取した世界チームからダービッツ選手がキッカーになって蹴ったんだけれどこれが外れて得点にならず。後半は頭から引っ込んでしまったダービッツ選手だけれどよほど悔しかったか現役ぶりをモウリーニョ監督が勘案したか。後半途中にまたぞろ出てきて試合に加わってゴーグルっぷりを見せてくれた。猛犬ぶりはまだまだだった。もっとも代わりに聞くも懐かしいイルハン・マンスズ選手が後半頭からトップに入って縦横無尽に走り回っては強烈なシュートを2本で2得点。現役からは遠ざかっているみたいだけれども未だやれそーな所は見せてくれたんでこれをきっかけにモウリーニョ監督がインテルに引っ張る……なんてことは流石にないか。でもシュートの威力だけならエムボマ以上って感じ。神戸の人には恨んでも足りない輩だけれどもこれで日本での悪印象を少しは振り払って今再びの王子っぷりを快復できたかな。在庫でたまってた写真集も少しははければ所属事務所も嬉しい。ってどこだったけ。目玉焼きだったっけ。

 ラストには偉大なストライカーのガマさんこと釜本監督もピッチに入って縦横無尽は無理でもひょこひょこと歩いて前線に顔を出したりヒデとパス交換をして動けるところは見せていた。上から見ていたオシム監督も同時代のプレーヤーの現役ぶりに自分もって思ったかどうなのか。さすがに走れはしないか。そんなこんなで2対2と引き分けフラワーマッチとしては上々のできあがり。大黒選手にイルハンと契約しているプレーヤーがともに得点をしたのもサニーサイドアップとしちゃあ嬉しい結果だったんじゃなかろーか。あとは一応は現役の大黒選手がこの先にどうなるかって当たりでモウリーニョ監督の御前でのフル出場で少しはアピールできたか否か。ボールを受けた直後の反転とか切れ味は良さそうなんだけれども花試合でのディフェンスじゃあ参考にならないからなあ。やっぱりこのまま日本に帰国でガンバに復帰……は西野朗監督の趣味じゃあなさそうだから別のチームか。勿体ないけど奴の人生、騒がずなま暖かく見守ろう。

 船橋の珈琲屋で覆面でもないけど気づかれず隣でうち合わせ風景を聞いてしまった以上は挨拶に赴くのが筋だと青山ブックセンターで開かれた斎藤環さんの「アーティストは境界線上で踊る」(みすず書房)の出版記念トークショーを見物に行く。相手は岡崎乾二郎さんでいったいどんな話が始まるのかって思っていたらまずは斎藤さんがアウトサイダーアートとそうじゃないアートとの区切りのあるやなしやって話を枕に立ち位置を説明してそこに岡崎さんが式場隆三郎の「二笑亭」やら山下清やらとの付き合いなんかを引き合いにして話を引き取ってくんずほぐれつ。

 そこから何故かロボットの話になってさらに対象をどうとらえるかって話になってと右に左に刺激ありまくりな議論でほとんどついていけなかったけれども柔らかい話ばかりにユルんでいた頭を引き締めるのには役に立った。ラカンとかやっぱり読まないといけないかなあ。時間が欲しいなあ。しばらくウオッチしてなかったけれども斎藤さん、茂木健一郎さんといろいろあったみたい。岡崎さんも茂木さんが苦手っぽい。そんな茂木さんはテレビのキャスター業も板についてベストセラーを続々刊行。顔立ちだったら斎藤さんだって存分に太刀打ちできるんだから。でも明晰なだけに茂木さんみたくほんわかとして誘い受けするような振る舞いは難しいか。テレビって人を選ぶなあ。バレーボールが北京へ行くじゃんおめでとう。「マクロスF」もこれで安泰、か?


【6月6日】 に雨ざあざあ降ってないから三角定規にもヒビは入らない。前週の愁嘆場から1週間を置いて落ち着きが出たアニメーション版「紅」は、紫のいなくなった暮らしに慣れてしまったかに見えた紅真九郎だったのにやっぱりどこかにひっかかっていたのか紅香さんが次の仕事のために引っ越しを薦めると、妙なこだわりを見せて反論しては最後に九鳳院へと殴り込む気持ちへと引っ張っていってしまう。そんなに強い奴だったのか真九郎って誰もが驚く急展開。紅香だってまさかって思ったに違いない。

 あるいはそこへと至る過程での紅香の受け答えを心理状態から分析すれば、それが流されてしまいそうな真九郎にやる気を促すための芝居だったかどうかも分かるかもしれないけれども、一通りを見ただけでは例えば銀子のつれない態度に夕乃のどこか非難するような口振りが、強烈な相手に諦めてしまい臆病になっていた真九郎の固まっていた心をちょっとづつ動かしそして、ストーブだったり冷凍食品だったりゲームといった品々から浮かぶ紫との愉しかった日々、満面の笑みを浮かべて喜ぶ紫の表情への愛着が真九郎を紅香の思惑なんて関係ないと突き動かし、その衝動に紅香も引っ張られたようにも見えたりする。さてどっちなんだろう。

 いずれにしても単なるエピソードの断片でしかなかった携帯型ゲーム機への関心なりサバの味噌煮の作り方なり寒い部屋に持ち込まれたストーブが、しっかり話に絡んで来て真九郎を動かす重要なアイテムになっているところが見事。安易なお約束的展開を許さず出会いから心を通わす段階へと至る展開に、心理的な合理性を持たせようと積み上げてきた演出面での工夫が、ここに来て大きく物を言っている感じ。そしてプレスコっていう手法が、積み上げられた関係性も踏まえられた内面までもがしっかりと滲むセリフを声優さんたちに吐かせて見る人の気持ちを誘い引きつけ話さないよーな空間を、そこに現出させているって言えそー。考え抜かれた逸品。

 リン・チェンシンにあっさりと破れ失敗も多々重ねている弥生さんが今なおどーして紅香の下で働けているのかは謎だけれどもきっとドジっ娘も好きなんだろーな、紅香さん。積み上げって意味では紫を迎えてもどこか態度が曖昧な蓮丈の描写が続いていることできっとここが鍵になって現当主としての、そして紫の父親としての英断って奴が真九郎たちを迎えた時に発動することになるんだろー。守旧派の祖父もその威を借る息子も退けて。違うかな。さても来週当たりから大バトルの勃発でまたぞろニタリと壮絶に笑うリン・チェンシンが見られそうで愉しみ。布団で泳ぐ紫は可愛かったなあ。仰向けになってブリッジしながらズボンをはいた場面と並んで子供らしさ炸裂。描いた咲くがの人に喝采。

 向学のためにと「上野の森美術館」で開催中の「井上雄彦 最後のマンガ展」とやらを見物にいったら朝1番なのにやや行列。それでも15分ほどで中に入るとのっけから壮絶な絵が掲げられていていっぺんにその世界へと引きずり込まれる。「SLAM DUNK」の初期の頃から見ていた目には信じられないくらいの絵の上手さ。人間ってどこまでも成長していくものなのだなあ。内容についてはだからタイトルが語っているとおり。見ればきっと感涙にむせぶ人もいるんじゃなかろーか。言えることは井上比呂美さんとの対談「マンガがはじまる」にも書かれてあるように、武蔵が斬った人のすべてに人生があってそれを噛みしめて描いているって信念で、だからこそ「最後のマンガ展」に描かれたような絵も出て来るんだろー。

 キャラクターが描かれたものよりも風景とか、風景ですらないものが描かれたものにより感動。もはや水墨画の巨匠を超えてるって言っても言い過ぎじゃない。まんま「東京都近代美術館」が買って大観とかと並べて展示したって良さそうだけれど果たして終わったらどこへ行ってしまうんだろー。そのまま単行本にして出してしまうのかな。それくらいのクオリティは持っている。図録も売っていたけど三日月編ですべてが入った満月編は後日発売とか。でも買うぞ絶対に。売店で三日月編の特別バージョンで井上さんが墨をドット状に振りまいた表紙のものが限定で売られていたけど関西から来たんでドットがいっぱい着いてる奴を選ばせてくれって食い下がってた兄ちゃんがいたのが印象的。

 井上さんの刹那の技がそこに出ているんだから、例えドットが小さかろうと少なかろうとありのままのを持ち帰るのが武蔵的って気もしないでもないけれど、一方には欲しいと願った物を手に入れるために可能な限り食い下がるのが武蔵的って言えそうな感じ。うーん迷うなあ。まあそこはそれ、「最後のマンガ展」に描かれた武蔵だったらやっぱり達観の境地から選ばず与えられたものに美を見出すって感じか。ちなみに僕の購入分は小さいドットがパラリと撒かれててなかなかな風情。なじめばそれも良しってことで。いや単に欲しい物を欲しいと言えない臆病者なだけなんだけど。

野田さーん、ばいばーい。  気が付くと大きな存在になっていた宇宙軍大元帥こと野田昌宏さんの訃報が飛び交いしんみり。見かけたことは何度もあるけれども話したことは皆無なだけにそうした悲しみはないものの、「SFは絵だねえ」って言葉に代表されるようなあらゆるものをSFとして咀嚼し飲み込み味わい尽くそうっていうアグレッシブさはひとつの指針にもなったし、「キャプテン・フューチャー」を初めとしたスペースオペラの紹介が日本に数々のスペオペの傑作を生みだしたきっかけになって楽しみを増やしてくれたって恩もある。あとは「ひらけ! ポンキッキ」。日本で最も売れたレコード「およげ!たいやきくん」を生みだし今なお広く知られて愛されるキャラクターの「ガチャピン」と「ムック」を生みだした番組を作ったプロデューサーの野田宏一郎として僕の子供時代から「ポンキッキーズ」となった大人時代も含めて現在に至るまで、キャラクターと音楽でもって影響を与えてくれた。

 この人がいなければ「ちびっこのどじまん」でフジテレビが躍進を遂げたり番組から戸田恵子さんがデビューのきっかけをつかんだりすることもなかったかもしれないと思うとその貢献はテレビ界芸能界にとっても超巨大。それよりなによりやっぱろ「SF英雄群像」に始まる海外SFの紹介と翻訳と、自身の実作でもってSFの愉快さ荒唐無稽さ楽しさ面白さって奴を世間に叩き込んでくれたことが小難しさに陥らないでSFが広く浸透し、小説のみならず漫画にアニメにゲームといった分野を支えてそれらが日本を代表するコンテンツとして世界に広がり日本の地位向上に大きく役立っていると考えると、従姉妹の麻生太郎が政治家としてちょろちょろアニメ好き漫画好きを公言しては世間から喝采を浴びられるのも、原点に野田さんの奮闘があったからだって言ってまったく過言じゃない。オタク人気で麻生さんが総理になれたとしたらそれは野田さんのお陰でもあるんじゃなかろーか。

 不幸にも重なる訃報で少女小説家でSFやファンタジーの分野でも大きな功績を残した氷室冴子さんの逝去が入ってきて、これはこれで野田さんに負けず劣らない衝撃を僕も含めて世間に与えてくれているけれど、そんな氷室さんが普通に活躍できる下地にはやっぱり野田さんを含めたSFの先駆者たちの働きもあったってことで、だからこそ野田さんの訃報が埋没しないで氷室さんに負けない大きさで世間に伝わって欲しいって気が強くしてる。「ガチャピン」のモデルになった人ってことでも良いから世の中の人がその活動を知り、そしてSFってものに興味を持ってもらえたらこんなに嬉しいことはないし、野田さん自身も満足だろー。果たしてメディアはどう扱うか。日本テレワークの代表っていう、昨今の騒動でネガティブに取り上げられた会社での決して泥んなんかにまみれていない経歴を推測から汚されてしまうのだけは勘弁して欲しいなあ。2人に合掌。フェアレディZことシャンブロウ号は何処へ。


【6月5日】 復活したイビチャ・オシム監督の監督復帰の可能性なんかを想像してみたもののどうやら日本サッカー協会は敬いつつも遠ざけておこうって魂胆か、結んだアドバイザー契約じゃあ代表には関わらせないってことにしたみたい。まあ現場のやりづらさを考えたらそれもそれで真っ当なんだけれどもセルジオ越後さんのように辛口が習い性になってて言われてもまたセルジオか、で済まされてしまうようになってしまった現状、オシム監督のように論理と哲学のこもった言葉で叱咤しないととんでもない方向へと行ってしまっていつかの繰り返しになってしまう可能性も大。ちょっと勿体ない。

 まあそれでも今年いっぱいのキープには成功したとも言えそうで、オマーンにタイでの失態なんかがあった日にいはすぐさま総監督として担ぎ出し、据えて最終予選からそして南アフリカでの指揮なんてのも或いは想定に入れていたのだとしたらそれはそれで協会よくやったって讃えてあげても良いけれど、絶対にありそうもないなあ。でもって帰った欧州で誘われ豪州あるいはハンガリーあるいはスロヴァキアにポーランドにギリシアあたりの監督として復帰して、這々の体で南アフリカにたどり着いた日本代表をヒディンク以上の策でもってコテンパンに叩きのめしてくれるんだ。

 まあそれでも戦術については歩みは遅くなったとはいえ進んでいくだろうことは間違いなく、いつまでも世界の潮流から外れたところに止まる訳にはいかないことを、このグローバルな時代に協会の誰もが感じてはいるんだろうけど問題はサッカーメディアのグローバルスタンダード化がオシムの言葉が失われてしまった現在、大きく遅れてしまいそうな心配があること。復帰の会見で早速「EURO2008」を評価してポルトガルだクリスチアーノ・ロナウドだって騒ぎ立てて欲しそうなメディアを牽制してルーマニアだってロシアだってサプライズを起こす可能性があるんだそれがサッカーなんだと諭してる。

 代表監督に就いてた1年余、スター主義に頼り目でみて力を量って判断し未来を想像して道を指し示すジャーナリスティックな言動のまるで乏しいマスコミを、誘いつり上げ揶揄しつつ物事を真っ当に見る目を養わせようとしてくれて、少しはそうなりかけたメディアがまたぞろスター中心に戻りつつあるだけに、Jリーグについて聞かれて「印象については少し前に言いましたよね。私の話を聞いていましたか? 耳に入っていても頭で理解していなくては同じですよ」と語りかけたこの言葉は強烈に響いた。こういうやりとりが2010年までもしも続いていたら聞き手となる記者を、というかそんなことは聞きたくない現場の若手を抑えつけ、それを聞くのが仕事だと頑なに信じ込んでる上の世代の年寄りを啓蒙し、スポーツジャーナリズムの未来を改善する方向へと大きく前進できたのに、それが止まってしまった事の方がむしろ残念さでは上かもしれない。だからこそなおのこと復帰を正真正銘の復帰とする動きが起これば嬉しいんだけれども流石になあ。でもなあ。うーん。ピクシーに期待か。ミラーの言葉ってどうなんだろう。

 原作脚本コンテ構成とサポートも万全に山本ヤマトさん描くところの「紅 −kurenai−」(集英社)を買って夕乃さんの純真っぷりに堪能したついでにジュンク堂で眺めた棚に深谷陽さんの「スパイシー・カフェガール」が並んでて完全版だか何だかって書き下ろしが入ってるって文字を見てどうしたものかと悩みつつふと目を上げたところに珍しくも深谷さんが描いてた時代物があってそいつが双子として生まれた片方は武士を継いで与力となりながらもう1人は早くにもらわれ役者として育って今は芝居小屋の人気女形として名を馳せてるって設定がビンゴ! って感じで買って帰ったらこれ最高。

 深谷さんってったらアフガニスタンにアフリカにタイにアメリカって感じな無国籍のアウトロー&グルメな話が得意で絵柄もそれにピッタリな人が、和風の時代物を描いたらとってもバタくさいっていうかゴージャス過ぎてクドく見えるんじゃないかって心配もあったけれども、リイド社から2年くらい前に刊行の「艶捕物噺(あですがたとりものばなし)」は江戸のこれはいつ頃だろう、時既に太平の世となって巷に芝居が立ち並んで町人達は宵越しの金なんざぁ持たねぇとばかりに日々を愉しく暮らしていたりする時代の活気あふれて猥雑さに満ちて、それでいてちょっぴりスリリングなこともあったりする街とそれからそこに生きてる生命力みなぎる人たちの様子がちゃんと描かれてる。っていうかそういう時代だからこそエスニックな活気と肉感に満ちたキャラクターを描く画風が逆にマッチしたのかも、綺麗でシンプルで人情薄い現代を描くよりずっと。

 でもって話は与力になった兄が担当することになる事件を人気女形の弟が市井に張り巡らせた情報網とそして自分の役者としての力なんかも活かし、武芸に通じた兄といっしょに解決していくってストーリー。とにかくそっくりってことで時には相手を騙すため、兄が弟のように女形な扮装で槍を振るう場面もあってこいつがなかなかな艶姿。鍛えられてるんだから腕っ節だって太いだろうにそこのところは漫画なんで気にしない。いくつか入ったエピソードでは途中の荒寺での一幕と、ラストの捕物が仕掛けも大きくってなかなかに愉快。いろいろあって弟女形の鶴大夫の用心棒になった雲雀御前の何ともなまめかしい腰のラインをつるりと撫でたくなるけれど、腕をつかまれひっくりかえされるのが落ちなんで手は出さないように。続きは出てないみたいだけれども「スパイシー・カフェガール」だって「スパイスビーム」で復活したんだからこいつもドラマ化なんてされて連載復活、ってなれば嬉しい限り。問題は役者かあ。双子で美形で演技が巧みな奴らっていないかな。「ON/OFF」ってどうなんだろう。

 気が付くとサッカーの日本女子代表は中国代表に破れて3位決定戦回り。3点を奪われての敗戦ってところが気になるけれどもどっちかっていうと攻撃重視な布陣みたいだったんでそっちで得点を1点しか奪えなかったことの方が少し心配か。やっぱりガツガツと守備して回るボランチが必要なんだよなあ、って実はスタメンまだ知らない、加藤與恵選手は出たのか? 次は再びの豪州で北朝鮮と戦えなかったのが残念っちゃあ残念だけれどまずは欧州的な体格を相手にどこまで押せるかをここで試してそして乗り込んだ北京五輪でアメリカとスウェーデンだったっけ、ノルウェーだったっけ、とにかく欧米的巨躯でもってゴリゴリ出てくる相手に負けない戦い方を学んで予選リーグ突破を目指そう。応援行きたいなあ。暇にならないななあ。夏くらいに。


【6月4日】 眼鏡っ娘のジャーナリストはガラス化して雲散霧消。それを見てようやく腰を上げるっていったいそれでもヒーローですかいった感じだけれども、挫折して流れてきて使いっ走りをしながら毎日をやっとこさカッコつけて生きてるしがない探偵なんだから秘めた力もバックに隠した権力も一切なし、徒手空拳に近い状態でSWATだって支配し暗黒街のボスだって顎で使う権力者に立ち向かおうって心を決めるまでにはそれくらいの悲劇があっても仕方がないってことなんだろうけどでもやっぱり見ていて苛立つことの多い「クリスタルブレイズ」。そんな中途半端なボスに憧れてるからマナミだって根拠のない自信と焦りに突き動かされては無茶やって自爆するんだ。ヒーローなんていないってことを教えてくれるネガティブディティクティブアニメーション、それが「クリブレ」。理解した。遅すぎた。

 各所で遊ばれている女性声優さんの内的ベスト30を確定させるプログラムの結果が判明。ゆかな折笠愛真田アサミ沢城みゆき坂本真綾大原さやか生天目仁美根谷美智子名塚佳織広橋涼藤村歩皆口裕子皆川純子福圓美里森永理科三石琴乃遠藤綾井上喜久子稲村優奈井上麻里奈井口裕香伊藤静明坂聡美池澤春菜花村怜美平野綾林原めぐみ豊口めぐみ能登麻美子野中藍。「コードギアス 反逆のルルーシュ」で「青の6号」で「天地無用!」で「DARKER THAN BLACK」で「BLACK LAGOON」で「CLANNAD」で「バンブーブレード」で「マクロスF」でお姉さまキャラ好きで居丈高美女好きでブロッコリーで出来ているってことが如実に分かる。折笠愛からちょい飛んで大原生天目根谷が並んでる辺りなんて特に。叱られたい。真田アサミさんが沢城みゆきさんよりどうあっても上に来るところあらちがブロッコリーか。最初のオリジナルの「デ・ジ・キャラット」で付いた序列こそが最上って脳内にきっと焼き付いてしまっているんだろー。だから真九郎は環さんにはどうあっても勝てません。

 なるほど勝てない紅真九郎。コミック版も登場した「紅 kure−nai」(集英社)では五月雨荘の部屋に帰るといきなり半裸になって生着替えをしている様を見せつつ紫にこれが男の子をクラクラとさせる必殺技だと教える先生ぶり。倣って紫が部屋に帰ると生着替え。可愛らしいけどしかしうーん。まあそれはそれでそれなりに。ストーリーは完全オリジナルって感じでストーカーに追われた女性を助けたり、銀子との思いでを振り返ったり名家の当主が狙われているのを助けたり。裏十三家の超人たちとの壮絶なバトルはなくってむしろ日常の業務の中から生きる大変さとそれでも生きていく大切さってやつを感じさせようって話になっている。超人バトルにするといかにも「ジャンプ」らしいけど遣りすぎると際限なくなるし他との区別もつかなくなるからこれはこれで適切な判断なのかも。何ながら「何で私の下着は盗まないんですか!!」と真九郎を問いつめる夕乃さんをアニメ版でも見たい。盗んだら盗んだで嬉しそうに袋叩きにするんだおろうけど。おや新谷良子さんが30位までから外れているなあ。明坂花村稲村はいるのに。ひょっとしれルーン派だったかか自分。

 そろそろDVDかブルーレイかどっちを買うかを決めなきゃいけないかな「マクロスF」。とか考え炊いたら「ドットアニメ」の方で「ゼントラーディバージョン」なんてDVDが。前に「アイドルマスターXENOGLOSSIA」でキャラクターの水着バージョンなんてDVDを限定で出したとこだけに今回はゼントラーディ美人のクラン(大)にゼントラーディ美少女のクラン(小)が制服に水着にエプロンに戦闘服にと様々なコスチュームで繰り返し出てくるのかって期待したけどごくごく普通にゼントラーディ文字でのパッケージに。そいつも十分珍しいっちゃあ珍しいけど集める程のもんかはうーん、微妙。シェリル・ノームのサインが手書きなら買ってもいいかな。どうなのかな。

 んでもってやっとこさ「娘フロ。」購入。「にゃんふろ」と読むらしい。何でまた。「マクロスF」の一応オリジナルサウンドトラックってことだけれどもシェリル・ノーム様にランカ・リーちゃんの歌いっぱいで番組ん中で奏でられ唄われていたのがフルバージョンでいっぱい聴けて嬉しい一枚。「人参娘」じゃなかった「ニンジーン Loves you yeah!」も入っているけどこれはあんまり歌だけだとなあ。着ぐるみ重要。ライブで軽快にシェリルさんが唄ってた「What ’bout my star?」はショッピングモールでランカちゃんがアカペラで歌い始めてギターが被りドラムが重なって盛り上がったバージョンも入っているけどあれだとユルくなるところを後半にシェリルのテイクを重ねて厚みとゴージャスさを出している。あとはやっぱり「射手座☆午後九時 Don’t be late」か。マキシシングルよりもライブ感を出したって感じ? 「もってっけー」は健在、やっぱり盛り上がる。これとシェリルバージョンの「What ’bout my star?」とマクロスギャラクシー救出作戦のバックでシェリルが舞台、ランカが客席でユニゾンした「インフィニティ」を「iPod」で再生しながらサッカーを見れば前へ前へって気持ちが生まれて何だか得点が生まれそうな気がして来るはず。日曜日のフクアリで実践だ。

 土曜日の日産ではどうかだって? だってまだ誰も選手が発表になってない。ってかあってもイルハン・マンスズ選手だけっていったいこりゃあどういう了見だ。フィーゴ選手は。ジダン選手は。ベッカム選手は流石にアメリカがシーズン中か。欧州の主要国は「EURO2008」で代表が結成されているんで無理でも唯一サッカー大国で出ないイングランドは暇なんだからルーニー選手にランパード選手にジェラード選手にオーウェン選手にクラウチ選手くらい連れて着たらどうなんだ。サプライズって言うけど真逆の意味でサプライズが起こったらきっと日産は大変だぞ。まずは何かを始めることが大事ってんなら昔の名前を引きずって、胡乱なチャリティを立ち上げメディアからスポンサーから金を集める輩に対する抗議って奴が始まるぞ。何が起こるかなあ。誰か出るかなあ。ワクワクしてきた。ヘルメット被って出かけよう。


【6月3日】 そして気がつくとベトナムだかで開かれている女子サッカーのアジアカップで日本代表こと「なでしこジャパン」がオーストラリア女子代表を相手に3対1と予定通りの2点差をつけて勝利し準決勝へと進出。活動資金を捻出するため選手がヌードになってカレンダーを作り売りさばいていたりと割と苦労も重ねているカンガルーズなだけに強さもそれほどじゃなく、何度か対戦しているのを見た限りではそれほど負けてないっていうかだいたい買ってたって記憶があるけど今回ばかりはやっぱりいつも勝ってた韓国の女子代表を相手に惨敗を食らっているから分からない。メンバーに奢りがあったかとまどいがあったかは分からないけど台湾相手に大量得点を奪ったところで拭えない不安に足をとられて躓くんじゃないかって心配もあった。

 結果はご覧じろっていうか3点を奪う快勝ぶり。安藤梢選手に澤穂希選手に宮間あやってエース級が中盤を固めて臨んだらしい試合運びは見ればきっととっても気持ち良いものだったに違いなく、何故か放送のまるでない今大会に対するテレビ局の怠慢ぶりに腹も立つけどそういう腹を立てられるのも2002年頃では考えられなかった話。新聞に記事が載るだけでも有り難いって雰囲気から比べれば隔世の感もある取り上げられ方だとここは喜びつつせめて、残る準決勝にあと勝てば進める決勝くらいは録画でも良いから中継を、AFCの主催する試合の放映権を持っているだろうどっかの局にお願いしたいところ。真剣勝負をやってる傍らで繰り広げられる旅人の思いつき試合が大々的に取り上げられるっていう状況はやっぱりどこか不健全だもんなあ、メディア的には健全なのかもしれないけれど、そいういう状況を変えられるのもまたメディアの力だったりする訳で。真っ当さを取り戻せ。

 んでようやく見た「ソウルイーター」。エクスカリバーってもっと剽軽で甲高い声かと思っていたら意外に格好良いじゃんか。でもってそれが高慢さをより高めてくれてて見ている程にうざったさがわいてくる。人のいうことを聞かないっぷりも最高。タイミングよく、というよりはむしろ会話にならないタイミングで自説だけを蕩々とまくし立てるエクスカリバーの縁起は別にプレスコじゃあないよね。単行本だともーちょっと後でこんなエクスカリバーの山と寄越してくる要求を別にウザいとも思わない剛の者が現れたりするから世の中って広くて人って奥深いんだけれどでもやっぱりな結末は、人って幅広くもるんだってことを教えてくれるんでそこから学ぼう、エクスカリバーは。学ばないからエクスカリバーなのか。テレビでの次の出番は秋かなあ。

 さても「モノクロームファクター」はいかにも怪しげな女性なのに男性みたいな演劇の部長が出てきてこりゃあと思ったらやっぱりな展開にやっぱりな結末。んでもまあそれがパターンなんだと認めれば楽しめないこともないこともないこともないのかあるのかどっちなの? ともあれ見ている間は楽しめる。でも見たら即座にHDDからデータ証拠。DVD−RAM行きはなし。どうせ一生見ないのにとっておくのが辛くなって来たのだ最近。「ブラスレイター」も最初の数話は見てあと見てなくってバイク乗りの女の子のお尻が丸いなあって感想を抱きつつ見なきゃあって思いつつパスしまくってるんだけれども見たらやっぱり消してしまう作品なのかそれともDVDだって買ってしまいたくなる作品なのか。伝わってくる評判は悪くないだけにちょっと気になるけれども問題は見ている暇がないことか。2、3日休んで見まくるかなあ、それよか半年くらい休んで引きこもるかなあ、保険とかで食いつなぎつつ。またぞろ蠢き始めた大人の無責任きわまりない玩具化に気も萎えて来てるんだよなあ。

 だから本とかも読む気力がわかないんだけれどもお仕事なんでしょうがない。っていうか20周年を迎えた雑誌でかれこれ11年は感想文のお仕事を続けているってことに気が付いて、それだけの長さでやってて周囲にはどんどんとメジャー化していく人がいるにも関わらず、こっちはこっちで相も変わらず呟きを砂に撒いて誰からも省みられない無名な書き手を続けていたりする状況に、そろそろ一念発起も必要なのかと身もだえる。せめて必要とする人に届いていれば良いんだけれどそういう手応えってのが少ないのが書評の仕事だからなあ。「ザ・スニーカー」で「新世界から」について書いても帯には入れてもらえなかったし。まあ発売が4月末日だったんで間に合わなかったんだとここは理解し身を慰めよう。

 んでもって読んだのは井上雄彦さんと伊藤比呂美さんっていう珍しい2人の対談集「漫画がはじまる」(スイッチ・パブリッシング)。またなんて取り合わせだろうって訝ったらこれが意外や伊藤さんが大の井上ファン、というか「SLUM DUNK」のファンで数年前に出始めた愛蔵版の全23巻を集めては1年間、こればっかりを繰り返して何度も何度も読んできたという。読むたびに驚きがあったっていうくらいの読み込みっぷりだけに受けて立った井上さんが「『内臓』まで抉られて入ってきた」と驚くくらいに作品の底へと迫る質問が繰り出された様子。作者も自覚していなかった漫画家としてのスタンスや作品の魅力があからさまにされ、そこにさらに畳みかけて詩人の口から作品への突っ込み駕はいるから、読むとなるほどそうなのかもってもう1度、ならぬ2度3度と「SLUM DUNK」に「バガボンド」を読んでみたくなる。「バガボンド」は10巻くらいまでしか読んでないしなあ。

 ちなみに伊藤さんは「バスケがしたいです」の三井寿が大好きだととかでそのキャラクター造型を尋ねて井上さん、ちょうどミッチーを描いていた頃からキャラクターに自分の思いをこめられるようになったとかで当初はバスケなんてさせる予定もなかったんだけれどだんだんと、思いが入り込んでああいったキャラになったとか。そりゃあ詩人も惚れる訳だ。でもってこの後に出てくるキャラクターって奴がいったいどれだけ思いが込められたのかってことも改めて知りたくなって来た。きっとそれぞれが生まれて育って死ぬまでの全部を想像しながら書いているんだろうなあ。

 そう。だからこそ「バガボンド」に描かれる大量の死ってやつを伊藤さんが読んでも単なる刺激だとかとは感じなかったんだろう。井上さんが返して言うには「人として描きたい」「ただの斬られ役A、B、Cっていうふうにはしたくない」ってことで、そんな慈しみを込めて描かれた漫画を読み込めば、やれ残酷な事件が起こったのは漫画のせいだアニメのせいだって話になるはずがない。漫画を読んだら逆に殺せなくなるはず。相手にはだって人生があるんだから。それを教えてくれる漫画をやり玉にあげて本当の敵、人を人だと思いたくなくなるような日々を送らせ心を荒ませる本当の敵の正体をもしかしたらメディアも政治も隠そうってしてるのかも。そこに気づき命を知りそして敵を感じ取るためにも読まれるべき対談集。改めて漫画って素晴らしい。


【6月2日】 死んでしまったらそれで後は野となれ山となれ。存在していたかいなかったなんで問題じゃない訳で、壬晴の森羅万象の発動を無理矢理にでも起こしたいって気羅を使いまくられようとも、それさえかわしておこえばいずれ宵風は命を失い消えてしまって後には発動しなかった森羅万象がまるまる手つかずで残るじゃん、って思ったもののいつだったっけ、何やら虹一と雷鳴に打ち込んでいたのが気羅だったりしてそれが宵風の死とともに打ち込まれた人間の命も引っ張っていってしまうんだとしたらやっぱり勝手に逝かれては拙いのか。そんな「隠の王」は雷光のいよいよもっての本気の登場に立ち向かえるのか雷鳴ちゃん。鍛えていたけどしょせんはか弱い少女の細腕。ひ弱に見えても男の腕を相手にいつまでかわしていけるのか。そんなバトルが来週あたりはしばらくぶりに楽しめそう。そろそろ原作を読んでも良いかなあ。

 使えば削られる命の源。だけれどそれを知る宵風とは違って本保智さんの「多次元交差点でお茶づけを」(角川スニーカー文庫)の夜野原ミサキの場合はどうも事情が複雑な模様。宇宙的には未開の地球にあって宇宙との交流が行われる場所を若いながらもお任せされた責任者でありながら、発明にかまけ失敗すれば手にした時計で時を巻き戻して元通り。そんな便利な品物をいったいどこで手に入れたのか? ってところが問題なんだけれどもそれは読んでのお楽しみ。ストーリーはといえばそんあミサキの事情をまるで知らない貧乏暮らしの宇田川まひるが、昼間は眠り倒しているミサキから修学旅行費の積み立て分をぶんどろうとしてミサキが住んでるらしい夜の学校へと潜り込んだらさあ大変。宇宙人がわんさかといる不思議なホテルがそこにあって、何故かまひるもそこで働く羽目になる。

 賄い付きだからパンの耳だけ囓ってた生活からはとりあえずおさばら出来そうだったけれども、そこは身に付いた貧乏性が贅沢は許さず、適当な経営が行われていたホテルの方でもあれやこれやと節約の手法を口にして、適当な経営ばかりしているミサキとぶつかり合う。でもって起こる異星人たちの衝突に、責務から立ち向かったところに起こった危機。そして明らかになるミサキを取り巻く不思議な状況に、さてはれこれからまひるはどう対処していくことになるのやら。そもそがどうしてミサキが選ばれ、そしてミサキの行方不明の家族たちはどこに逝ったのかって謎もてんこ盛り。そんなこんなが明らかにされるだろう続きに期待をしつつ今日もさらさらお茶漬けをかきこむのであった。A定食の豚カツエビフライ他の具なんて見向きもしないでご飯にお茶だけさらりとかけて。ミサキの奴ああ勿体ない。

 何でまた旅人の途中下車なフラワーマッチが満席に出来たかって言えばそれは何といってもお値段が安いからでありまして、3000円でとっても良い席が買えてそれで本当に出るかどーかはまるで分からず蓋をあけたらロートルとポンコツのオン・パレードって感じになったりする可能性も未だ残されていそーで気持ちも揺れるけれども少なくとも、1人は本代表のトラベラー様が登場しては永遠のストライカーの監督下で動き回ってくれるって保証がある訳で、そんな姿が拝めるんだったら映画2回分より易いチケットを買ってもまあ、悪くないんじゃないかってことでしかないんだろー。あとはやっぱり時間。土曜日で、午後2時。ゆっくり出かけて見てそれからゆっくり遊んで家に帰れる。サッカー観戦にベストなスケジュール。見渡せばリーグ戦もやってない。なら行くさ。夜のアウェーでの代表選に行くほどの熱血漢じゃなけりゃ。

 だから平日の午後7時過ぎキックオフで、新横浜から徒歩20分の競技場が会場となったたかだかアジア第3次予選であるにも関わらず、最高で8000円とかするチケット代金を支払い、足を向ける物好きが4万人近くまでいるってことの方をむしろ喜ぶべきで、それよりも更に来場者を増やしたかったらゴール裏は1500円とかにして、2階席も3000円くらいで売って売って売りまくれば、「SAITAMA」の文字がくっきり鮮やかに映し出されたキリンカップの対パラグアイ戦のような無様さで、「YOKOHAMA」の文字がテレビカメラに映し出されるような事態は避けられるんじゃなかろーか。まあ埼玉よりも地の利があるし試合も3次とは言え歴とした公式戦。この1歩が南アフリカへとつながっているって実感がある分、見たい人も1万人とか増えて来るのも至極当然。心配せずとも最終予選ともなれば、またしても買えない状況が生まれてくるんじゃなかろーか。最終予選に進めれば、だけど。進める、よね?

 心配なのでじっと見入ったオマーン戦。眠くなる。コーナーキックから中澤祐二選手のドンピシャのヘディングで1点を奪い、中村俊輔選手の放り込みにポスト役となったトゥーリオ選手の落としを大久保嘉人選手が蹴り込んで2点目を追加。してさああとは点をどれだけ奪って後の得失点差争いに備えるかって期待がわいたのに、試合はだらだらとした展開になってチャンスは生まれずピンチもないとゆー膠着状態。そりゃあ寝るよ目の前で試合が繰り広げられてたって。中村俊輔選手はなるほど右に左に走って受け取り散らす役割を果たしていたけれど、同じく海外から帰ってきて参加の松井大輔選手があんまり利いてないって印象。突破するドリブルも少なくサイドのえぐりからチャンスをつかむって場面の少なさが単調なパスから放り込みサッカーとなって眠気を誘う。

 ディフェンスのおぼつかないオマーンだからそれでも前半に2点が奪えて後半に中村選手の1人かわしたシュートが入って1点を追加出来たけれども自分たちのホームじゃあ果たしてそんな緩さを見せてくれるのか。真剣さ爆発で固めまくった守備を相手に引き分け寸前の失点を食らいって6月7日を過ごし、そしてタイを相手にアウェーで引き分けなんて事態になったら最終のバーレーン戦がそれなりに厳しいものになる。ホームってのがまあ幸いだけれどされはて。そんな弱気になる所でもないんだけれども既にアウェーでのバーレーン戦での敗戦があるからなあ。応援して下さい長沼健さん天国から。

 そりゃあ加茂周監督と心中するって発言もあってひんしゅくを買った過去もあるけれど、それだって責任を重々感じての発言であってドイツでの惨敗にさほど痛手を被らず今なお暗然どころか最前線で旗を振り、さらに2年なり4年なりは旗を降り続けようって信念を持って事に臨んでいたりする人に比べれば、はるかに権力ってものに清廉だった潔白だった日本サッカー協会の長沼健元会長。退任後は2002年日韓ワールドカップの運営に当たる組織で副会長となって尽力し、終わったらささっと席を譲ってそして何と知的障害者がサッカーを楽しみ世界大会なんかを目指したりする組織の日本知的障害者サッカー支援機構で顧問を務めて2006年のドイツで開かれた大会に、日本選手団を送り込もうと先頭に立って尽力した。

 中村俊輔選手と2人でTシャツに身を固めて募金を呼びかけた光景なんかがニュースで流れたから記憶している人も多いだろうけと当時で御歳75歳。悠々自適してるか未だ権力の最前線で権勢を振るってるかしても不思議はないのにそーしたドロドロとは無縁の場所で自らスポンサー集めなんかをしてたっていうから凄いというか誰かさんには見習って欲しいっていうか。ドイツでの大会が終わった後も引き続き顧問として「プライドinブルー」って知的障害者サッカーを追ったドキュメンタリーの上映に際して、壇上に上がってチャリティを呼びかることもあったっけ。2007年の7月に新宿の映画館で開かれたそのチャリティで宮本ともみ選手のサイン入りユニフォームを落札した僕が壇上に上がって募金すると長沼さんが壇上にいて握手をしてくれたっけ。とっても元気そうだったのになあ。あれからそうか1年か。まさに次のサッカー界を引っ張る人を選ぶいろいろがある最中で、意見を言える人がひとりいなくなってしまったこの状況を果たして不幸と見るべきかそれとも。ほどなく出るだろう1つの答えがもたらす影響ってものがさらに10年、20年にどんな形となって現れて来るのかを、見通し考えてそして今に立ち戻って答えを出す必要がありそーだ。


【6月1日】 そうかやっぱり結局は乳か。どこまで行っても権力闘争に挑むメイドたちのバトルが白熱してもなえかをつけねらうライバルが現れても最後に物を言うのは巨大な乳か、乳なのか。いやまあものを言う乳があったらそりゃあ気持ちが不気味だけれども乳は口ほどに物を言うとも言われているとかいないとか。「ハチワンダイバー」のみるくちゃんよろしく大きく開いた胸元から溢れかえらんばかりに盛り上がった双つの球の、その間に刻まれた深き谷を眼前へと差し出されたなら、世の男性はハーメルンの笛に誘われる童の如くそっちの方へと靡いてしまうのが必定。デパートで営まれるケーキ屋2店の争いで、みるくちゃんが10人20人と溢れるような店を向かいに構えられた、富士原なえかの同級生のまるで鉄板か将棋盤といった真っ平らさを持つ2人が働くケーキ屋さんに客が来ないのも仕方がない。仕方がないったら仕方がない。

 でもってなえかが潜入するんだったらとなえか以上に数学が苦手でつまりはチチステン・モミスーナイダ博士の発見した法則に従うならば、なえか以上に巨大なはずのフブキさんも一緒にってことになったのに臆して現れず逃げ出す始末。勿体ないけど最後にちゃんと見せてくれたから大丈夫。やっぱり大きいことは良いことだ。そんなこんなで終わったものの祖父の財産を相続する権利をめぐって富士原なえかを襲う一味とのバトルっていう本筋は、ここ2週間ばかり乳の彼方へと追いやられて進む気配はまるでなし。似てない双子のメイドも出てこず新たな敵も現れないなかしばらくは、富士原家をめぐって爆裂メイドガイの真面目さにあふれたおばかっぷりとドジっ娘メイドのイジられイジけつつも立ち上がって、釘バットを振るう勇猛さが炸裂する愉快な展開が続くんだろー。それもまた良し。それにしてもしかしいったいどちらが大きいんだろうなえかとフブキ。何でもお見通しなメイドガイアイが欲しい。

 太田克史さんが帯じゃなくって丸いシールに堂々「さあ叩け!」って書いてアオっているんだから仕方がない、いくら素晴らしい最高だ完璧だノーベルだハッカ飴だと叫び感動に震えたとしても偉い人からの「叩け!」指令が出てしまった以上は従い渋々ながらも眉を顰めて手筋を鈍らせあれやこれやを粗を探して傷を見つけて塩を塗り込みわさびで固めて上から剣山を乗せジェット付きハンマーでもってガッツンガッツンと叩きのめして差し上げるのが筋ってものだから勘弁な。

 そんな講談社BOXから出た小柳粒男さんの「くうそうノンフィク日和」(講談社、1200円)は冒頭から何が書いてあるのかがよく見えない。そりゃあ日本の字でもって書いてあるけど日本の語かと言われると悩ましい。「朝焼けに染めあげられた教室に、中途半端な騎士格好をしている男が突っ立ち、早朝だというのに蛍光灯が点っている教室を見上げていた」。騎士格好ってどんな言語だ。中国語か。違うな中国語なら騎士的格好だ。漢文か。漢文だって中国語だぜ。新語一生by枡田幸三。違うって。

 でもって話は流浪の果てにたどり着いた、昼間は喫茶店で夜は酒も出す店の雇われマスターに落ち着いた撒井の前に起こった不思議な出来事から幕を開ける。近所の高校に通う生徒で秀才っぽい填渡にやんちゃっぽい張戸って男子と、あと篠木って明るい女子が店の常連になっててほかにもいっぱい学生がやって来ては、賑やかな毎日がだらだらと繰り返されていたのに何故かある明け方に目が覚めて、学校へと行ってしまうとそこでは教室に灯りがともっていた。

 教室には生徒たちが填渡も含めて入っていてそして朝日が昇って照らし出された校庭に、やって来たのが騎士格好のひとりの少年。それが張戸で彼は何やら演説をしては「騎士になる」と宣言して歩み去る。いったい何が起こったんだ? でもって撒井が店に帰ると普段の制服とは違った不思議な服装をした篠木がいて、異世界に行って動物人間だかと戦うことになったからと言って連絡役に撒井を指名しやっぱりどこかへ消えてしまう。得体の知れない力が働いていたのか、早朝の不思議な出来事が話題に上ることもなく、だから傍目には男子と女子の生徒が2人、疾走した事件が起こった訳で2人は駆け落ちでもしたのかって噂が立ったけれども、騎士の格好で叫んだ張戸のことは夢じゃなかった。篠木が張戸と填渡に宛てて残した手紙もあった。

 やっぱり何かが起こっていた。ならばと撒井はひとり置いて行かれた填渡を呼び出すと、彼だけはしっかり早朝の事件を覚えていた。篠木から預かった手紙を渡し、それからしばらく経って篠木から受けた連絡に沿ってとある場所まで赴くと、そこにしっかり張戸が居て何やらよからぬ事に手を染めていた。普通だったら篠木といっしょに異世界へと赴き、ばったばったと敵を倒すのが騎士ってもの。騎士格好(?)で演説までして歩み去っておきながら、町はずれの部屋でゲームしたりコンビニに行ったりしながら時折寄せられる篠木の指令に従って、街に暮らす誰かを殺すのが張戸の役目になっていた。これって全然騎士っぽくない。っていうかただの犯罪者じゃん。

 つまりは妙な電波を受けた篠木に惚れてた張戸がシリアルキラーの片棒を担ぐサスペンスか何か? って思ったらそうでもなくって、篠木は篠木でちゃんと異世界に行っては魔女としての仕事を果たしている様子。たまに帰ってきて篠木が見せるビデオの映像はたったひとりで大量の敵を虐殺に近い形で叩き殺す篠木の姿が映ってる。その出来は映画に盗ろうとしたら何十億円だってかかりそうなリアルさだから嘘でない、って思えるんだけれどもでも分からない。目の前で手を血に染める訳じゃない。張戸が犯す殺人だけはリアルで、新聞沙汰になりテレビでも取り上げられて被害者に関連していたとヤクザまでもが動き出す。

 さらに、置いて行かれた形になって、張戸や篠木の手がかりを探す填渡は填渡で、見た目に寄らずヤクザなんて目じゃない度胸と格闘センスを発揮して、ヤクザを倒しボクサーすら倒して情報を集めて回る。そんな感じにまるでばらばらの3人組を、少し離れた場所から年輩の撒井がながめているという構図はなるほど、主体を冒険する青少年に置いて青少年の読者の共感を誘い引っ張り込むファンタジーとはまるで違ったもの。誰に気持ちを乗せて良いのか分からないまま、目の前で繰り広げられる事態を撒井と同じ離れた場所から眺めるだけで、達成感も味わえず喪失感にも泣けず、絶望に叫べず希望に未来を喜ぶこともできない。

 普通だったら3人そろって異世界へと飛び、泣き叫ぶつつも力を秘めた姫様を体力の張戸と知力の填渡が守って進むファンタジーになるべきところが、それぞれがよくわからない理由の中で行動して、そしてよく分からないうちにすべてが片づいてしまう展開の、どこにカタルシスを見出すべきなのか? 努力・友情・勝利。そんな手垢にまみれたキャッチフレーズのまるで当てはまらない構造のどこから感動を汲み取れば良いのか? パターンに慣れ切った心にはつかみ所がなくって戸惑いばかりが浮かびそうな小説だけれど、だからといって3人の行動にまるで必然がない訳ではない。

 篠木は篠木で突然の運命とやらから逃げずに頑張り、張戸は張戸でそんな篠木のために出来ることをして、そして填渡も填渡で置かれた立場なりに精一杯のことをする。そんな各人のしっかりと関連しあっていた様を感じ取ることで得られる感慨はあり、半歩下がって3人の少年少女の振る舞いを眺めた撒井に身をなぞらえて、若さに羨望して己の不甲斐なさに焦るのだ。って読み方すらも感動のパターンに押し込めようとする狡猾な大人の処世術に過ぎないもの。キャラクターとシチュエーションの断片がちりばめられていて、それがパターンによる接合を拒絶された時に起こる空虚さって奴を感じ取るのがあるいは正しい受け止め方なのかもしれない。さてもどんな「叩き」が生まれることやら。あるいは賛辞に溢れることやら。興味津々。

 そんなものを読みつつ歩いた秋葉原。マカとソウルが歩いてた。前に「東京国際アニメフェア」で見た人たちかなあ、マカはちょっぴり感じ出てたけど鎌を持っていないと雰囲気でないなあ、でも仕方がないソウルが人間型になってしまっているんだから。歩行者天国では相変わらず看板もった一団が行き来していてパフォーマンスを取り締まり。そんな最中を髭の剃り跡も青々としたシャアが手にゴミ袋を持って歩いてた。清掃中か何かか。「キッチンジロー」が工事中で残念。日曜日の昼間となるとあらゆる店が混雑するなあ秋葉原。仕方がないので御徒町方面へとちょい歩いて「CoCo壱番屋」でカレー。ここんちがやっぱり口に合う。名古屋人だからか。噂の榊原ゆいさんのライブDVDも欲しかったけど手元不如意で今日は断念。おまけのブロマイドは「とらのあな」のバージョンが1番凄いかも。あの目にも素晴らしい格好を自己陶酔の踊りで見逃すのはやっぱり勿体ないからこれからは、叫ばず踊らず振らず飛ばず、両目を見開いてひたすら眺め続けるってのがひとつの愛の表現かも。


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