縮刷版2008年1月中旬号


【1月20日】 「タイムリープ」「ブギーポップは笑わない」「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」と続いたライトノベル映画祭、って間にきっと多分いろいろあったんじゃないかって気もしないでもないけれど、思い出せないんでここは飛ばしてとりあえずライトノベル原作の実写映画の最新版となる日日日さん「ちーちゃんは悠久の向こう」を遠く千葉中央へと見に行く。新宿とか渋谷でもやっているけど評判を伝え聞いた人とかわんさか押し掛け賑わってそーなんでここは外しつつ日日日さんて確か千葉県の出身じゃなかったかってこともあって生誕の地に敬意を表して「シネマックス千葉」を選んだらこれが正解というかどうというか、7階のまるで試写室くらいの劇場に10人くらいとほどよい入り。スクリーンをほぼ真正面から全体が目に入るくらいの距離で見られて画面にあの、ベッキーが和風になったみたいな仲里依紗さんの大写しになった顔を存分に堪能させられた、って押しつけがましいみたいだな。

 実際に役柄的に「ちーちゃん」ってとってもおしつけがましい役柄で、とっても見目麗しい顔立ちの林遣都さん演じる「モンちゃん」に幼なじみだからってことでべったりとつきまとっては関心を示してくるストレートヘアで細面で冷淡そうな顔立ちで眼鏡っ娘でおまけにオカルト系な林田さんとか、丁寧な言葉で話してとっても親切そうで凛然としていてそれでいてほのかなお色気も感じさせる弓道部の部長の武藤さんとかをどうにか撃退しようって感じに振る舞い果ては1人を退場にまで追い込んでしまう。そんな無茶ぶりにも「モンちゃん」は憤ることはなくむしろどこか申し訳なさそうな気持ちをはらんだ笑顔で見守っているところが余計に「ちーちゃん」の我が儘さを浮かび上がらせて見ていて可愛らしいんだけれどちょっと行き過ぎかもねって気持ちを起こさせる。

 だがしかし。というところで仕掛けが浮かび上がってくるんだけれどもそれは映画を見るなり原作を読むなりのお楽しみ。映画的にはそんなリアルとアンリアルの切り替えを妙な効果とか使わずに、それでいてしっかりと描いてあって何とはなしに結末を知っている目にはああなるほど巧くやっているなあと思わせ、知らなかった人にはあとで思い起こしてああなるほど確かにそうだったなあって感じさせる。「ちーちゃん」の作ってきたお弁当、食べたばかりでお腹を鳴らす「モンちゃん」ってそんなに大食いなの? ってシチュエーションにもつまりはちゃんと意味があるってことで。あとは冒頭で朝ご飯も食べずに高校へと向かう「ちーちゃん」にお母さんが「ご飯食べていきなさい」って当たり前の声をかけなかった所とか。

 見終わって思うと「モンちゃん」のこの10年ってものの痛みというか苦しみって奴がじわじわとせり上がってきて心に刺さる。責任、って奴を果たして当初は覚えいていたのか分からないけど高校生となった今は理性とともにそういった感情もせり上がり、「ちーちゃん」とつき合い続けたんだろう。とてもじゃないけど自分の幸せなんて追い求められないその辛さ。ならばとことんまでつきあうしかないって決めた覚悟の隙間からのぞく、けれども果たして永遠にそのままでいられるんだろうかという不安を林遣都さんは男性なのに仲さんよりも長いまつげと大きな目、ふくよかな唇をもった細面の表情の中にしっかり記事機揚げていて、そのなかなかな役者ぶりって奴を伺わせてくれる。一方の仲さんも無知で無垢な無邪気さを全身で表現して、何とはなしに事情を察した人たちを涙ぐませる。

 とはいえしかし、美貌では林さんに劣らない波瑠さん演じる林田を、さらさらヘアーに眼鏡っ娘でおまけにちょっと不気味なところが実に美しい林田さんをストーリーから退出させてしまった「ちーちゃん」の立ち位置には、やっぱり残念さを交えた憤りも浮かぶ。お風呂で一所懸命にボールを握っていたのは彼女を留年させた病魔からの回復を計ろうとしてのこと。だからそのまま元気に行ってくれると思ったのに……。原作に比べればまだ苛烈さは薄いとは行ってもやっぱり扱いとしては残念。

 それがだから無関係かもしれないって分かっても、後の「ちーちゃん」への同情が薄れ事情が事情だったからって分かってもやっぱりあんまり心を向けられない。そして来るラストシーン。おいおいって思ったけれどもまあ、つまりは世界は2人のためにあったってことでそれならそれで仕方がない、頑張って一生をちろちろと浮かぶ自責と公開に苛まれながらも緩く生きていって下さいな。クライマックスの桜の樹の下での対面は、長回しの間に微動だにしない「モンちゃん」と「チーちゃん」の間に通い合う情感みたいなものが漂ってきて撮ったカメラの人と演じた2人の役者に拍手。あんなに長いキスシーンってのもよくぞこらえて演じきった。うらやましいか? って言われるとうーん、紺野真琴の仲の人でも顔立ちはベッキーで役柄とは言え性格は我が儘だもんなあ、あんまりうらやましくはないよなあ、むしろ林くんとの方が……ってそれはさすがにないけどでも、お化粧して鬘をつけたらあるいは……見てみたい見せて欲しい見せなさい。

 おお懐かしい。というかこれまで復刊されたことってあったっけ。マガジンハウスであったかな。連載中は「リュウ」で読んでた吾妻ひでおさんの「ぶらっとバニー」がその魂を受け継ぐ「リュウコミックス」より晴れて完全版として復刊。前の「アニメージュコミック」版が手元にないからはっきりしたことは分からないけど、「アニメージュコミックス」の薄い体裁ですら2冊しか出ていなかったものが「リュウコミックス」では結構な分厚さで2冊にまとまっているところを見ると、「アニメージュコミックス」版は結構な量が落ちていたってことになるんだろー。

 加えて「リュウコミックス」版には萩尾望都さんが「日本SF大賞」を受賞したことをお祝いする漫画も掲載されててそれに出てくる萩尾さんのロジカルで決然としていて光瀬龍もブラッドベリも読めない吾妻さんに「バルバラ異界」が分かるはずもないって言ったりするあたりがとってもそれっぽい。あくまでもそれっぽいってことで。もしも「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「日本SF大賞」をとったら吾妻さん、漫画日記に何をどんな感じに描くんだろう、C.C.可愛いよC.C.って感じに2人でごろごろと転がった後で富士山を背にばーん、って終わる絵が見える、って「ギアス」がSF大賞取るとはとても思えないんだけど。しかしこの頃の吾妻さんて可愛い少女が本当に可愛かったよなあ、悪魔ちゃんとかとてつもなく。こんな娘なら頭の中からバニーに引っ張り出してもらいたいけど、尽くす娘よりも蹴りを放つ雪崎絵理ちゃんの方が今は好みに触れているんで引っ張り出されるなり手にチェーンソーを持って蹴りかかって来そう。まあそれもそれで嬉しいんだけど。いないかなあバニーくんにブラックちゃん。


【1月19日】 さすがは大塚周夫さん、完璧に未だにねずみ男だ野沢雅子さんも子供っぽさが戻ってきて、そこに苦みも持たせたまさに“墓場”の鬼太郎になっているぞ何より田の中勇さん、目玉おやじが完璧な「墓場鬼太郎」は前週で地獄に落とされてしまった青年が、育ててもらった恩もあるってことで地上に戻され目出度し目出度し。そこであのエンディング「カラーンコローンカランカランコロン」が流れれば、気分は一気に昭和40年代へと引き戻されるんだろうけれどもオープニングだってそうじゃないのに、エンディングだけ昔を引っ張る訳にもいかないってことで。しかし凄いのはアニメを作っている会社かこれだけの原作を作り上げた水木しげるさんか。朝やってる子供の鬼太郎も人気だしなあ。やっぱりみんな凄いんだなあ。

 それに比べてどうしてあの旧作の魂をまるで込めないオープニングになってしまったと非難囂々な「ヤッターマン」だけれど、19日から「幕張メッセ」で開幕した「次世代ワールドホビーフェア」に出ていたタカラトミーのブースで目抜き通りに面してしつらえられた「ヤッターマン」のブースで、繰り返し流される音屋吉右衛門版「ヤッターマンのうた」を聞いているとこれが意外に雰囲気に合う。周囲ががちゃがちゃと様々な音やナレーションで賑やかなところにずーんと響くギターの音色、それが喧噪の隙間をぬって染みて来たところに、吠えるような世良正則さんの声が抜けて来て、気持ちをあの賑やかで愉快な世界へと導いてくれる。

 大の大人がたったひとりで真夜中に、テレビの前で他に音も何もない静けさの中を録画してあった「ヤッターマン」を見たら確かにシンプル過ぎて薄すぎて、気持ちに何も響き渡らずむしろ気分を滅入らせるかもしれないサウンドだけれど、これがあるいは晩ご飯を終え団欒にはずむ居間の中にジャガジャンと鳴り渡ったら、誰もがハッとさせられ目を引かれ、そして一緒に歌い出したくなる、なんてことが果たしてあるのか家庭持ちじゃあないから分からないけど、かつて慣れ親しんだ大人たちがあれやこれやと言ったところで、当の子供たちがどう思っているかは未だ不明。「次世代ワールドホビーフェア」の「ヤッターマン」コーナーに来ていた子供達の大半が、テレビで「ヤッターマン」を見たって言ってたところを見ると案外に、主題歌とか関係無しに楽しくって愉快なアニメとしてすんなりスッキリ受け入れているのかもしれない。「コナン」よりも視聴率、良かったみたいだし。とりあえずあとは本編のテンションがどこまで続くか、さらに上がっていくのかを気にしながら見続けよう録画を真夜中に。

 ぐるりと見渡して目に付いたのがバンダイナムコゲームスが出す「Wii」対応のスキーゲームで、手にしたコントローラーを前後に振って進むゲームって最初はアナウンスされていたんだけれど、「Wiiフィット」の登場に前後して対応を発表。そして見た実物はあのボードの上に立って体を左右に倒すと、中のキャラクターも左右に動いて本当の本当なスキーみたい。前傾させると速度が上がるかどーかまでは確かめられなかったけど、手にしたコントローラーを振るだけだったらクロスカントリーになってしまったところが、「Wiiフィット」を合わせることでより本物のスキーに近づいたって感じ。よく間に合わせたなあ。

 ただリアルさを追求するってことはつまり、非現実的なトリックをどこまで出せるのか、そして何でもありのゲームならではの面白さを楽しんでもらえるのかって辺りとのぶつかり合いが起こりそう。スキーってのはつまりは斜面を滑り降りるスポーツで、コースが増えようと難易度が上がろうと基本は同じ。あとは技術や経験でもってより難易度の高いコースをより早く、滑り降りられるようになるかが大事なんだけれどもそれをリアルに突きつめて、果たしてやってて楽しいゲームになるかがちょっと見えない。レースゲームが最後はコンマ何秒の争いになった時に味わうこれ以上はどうしようもない感じを、リアルさを追求したスキーのゲームでも感じさせられるとしたらちょっと悩ましい。

 これがスケートボードよろしく爪先と踵の加重を操作すると中でキャラクターがくるりと回り、より強く踵を踏み込むと空中に浮かんで、そこから手を前後に振って空を自在に滑空してからゲレンデへと戻る、スーパーでスペシャルなプレーが出来たらとってもゲーム的で愉快なんだけれどリアルさから外れすぎだと言われそう。その辺りの塩梅をどう付けているのか、それともつけていないのか、単なる初心者向けゲレンデスキーのシミュレーターなのかあるいは空前絶後のスキーエンターテインメントなのか、体験してみたいけれども我が家に「Wiiフィット」など広げるスペースは存在しない。こっちが最大の問題だなあ。「ウィニングイレブン プレーメーカー2008」なら遊べるけれど。

 見渡すとウィズの「エアボッツ」が空中をぶんぶんと飛んでいて楽しそう。でもまだ戦わせるほどにはいかないところが熟練を要する難しさと、突きつめる楽しさって奴を感じさせる。せっかくの「次世代ワールドホビーフェア」出展なんだからここから大爆発へと向かって欲しいところ。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の「ランスロット」と「ガウェイン」のモデルを作ってくれないかなあ、ってあいつら空中戦やったっけ? ご近所ではあのレベルファイブが「イナズマイレブン」のデモンストレーションを実施中。サッカーJリーグの「アビスパ福岡」がホームにする福岡博多の森球技場だかのネーミングライツを買ったのもこの宣伝が目的か、いや年限は3年だから同じ福岡の企業としてPRしたいって意図もあったんだろー。「レイトン教授」シリーズが目茶売れてお金もあることだし。数年前まで単なるディベロッパーだった会社が社名を球技場につけるまでに成長とは、ゲーム業界はこれだから面白い。あとは数年前に飛ぶ鳥を落としていた会社が今はまるで聞こえないってこれもゲーム業界によくある事態に陥らないことを願おう。

 そして新宿で「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の舞台挨拶を聞いて映画本編を見る。3回目。いろいろと記憶違いもあったけれどもそれでもいろいろなところに仕込まれた暗喩とあとセリフを重ねて場面を転換してみせる脚本と演出の冴えなんかも確認。そうとうに考え込まれて作り込まれている映画だったってことが分かってそれでこれがCMディレクターによる初長編映画だってんだからやっぱり凄いと感嘆。でも北村拓司監督は松竹の大船にあった映画塾で勉強もしていた人で元より演出志望だったんで、キャリアの中で仕込んでいった経験や技術にようやく本編へとたどり着いた思いが隅々にまで込められていたってことなんだろー。3度見ても飽きない映画ってそうはないもんなあ。

 舞台挨拶では渡辺役の人が映画とまるで違って普通の兄ちゃんだったんで驚き。映画だと坊主で成田三樹夫さんみたいな顔立ちになっていたもんなあ。あと関めぐみさんはすらりとして長身で綺麗な顔立ちで目鼻立ちもくっきりしていてとっても美少女。これなら真山じゃなくっても山本陽介じゃなくっても蹴られて本望って思えるね。挨拶では市原隼人さんも北村監督もチェーンソー男はどうして現れどうして襲ってきたのかを考えるといろいろ見え方が違ってくるって話してたけど、これはまさしく至言。チェーンソー男って何? ってのは映画でもそれなりな位置づけを占めていたりするんで見てからでも見る前でも、いろいろと考えてみるのがやっぱり良いみたい。

 単に山本が絵理ちゃんと仲良くなるための媒介じゃなくって深い悲しみにもう自身を損なっても良いという投げやりな気持ちが自死のかわりに生み出したものなんだけれども、出会いがあってちょっとばかり前向きになったから弱くなってそれが別れを予感して自棄さが増して最強になってしまったという、そんな捉え方でもって見ると単なる哀しみの象徴でもないんだって思えてくる。これが正解ってことでもないけどともあれいろいろな解釈から見てはいかが。何より青春のもやもやとして不安と諦めを抱えながら生きている気分だけは存分にあってそれが同世代の人とかそういう世代を経験している人に割に響いているみたいで、まるで知らない作品だったけど見てはまったって人が結構いて個人的には嬉しい限り。エンディングも響くけどやっぱり「俺さまーズ」には泣くね、せっかくだからと「俺さまーズTシャツ」買っちまったよ、これ来て唄いたいなあ「根性なし」。


【1月18日】 うんこれはちょっと新しいかも。立っているだけで見えて走ればさらに見えまくってその上に蹴り上げたりしゃがんだりするものだからもうオン・パレイドなホワイトフェスティバルとなっている「ロザリオとバンパイア」は新たな敵として飛び級で妖怪の学校にやって来たから優秀なんだけれども幼くってそれでいてプライドが高いもんだから、クラスで浮いてしまっている魔女っ子の仙童紫ちゃんが萌香を好きになって月音を邪魔者扱いする前回のサキュバスと似た展開に。

 でもってまあ展開は予想どおりなんだけれども注目は萌香と紫が2人、抱き合っている場面をどっちかの後方やや下目から映したシーンで下目だから当然に手前の子のは見えるんだけれどそこから伸びる脚の隙間から向こうの子のも見えてしまうという、これを必殺白重ねと呼びテレビの限界を粉砕した記念すべき技と讃えるべきなのかは今後出てくるかもしれない更に濃密なシーンに期待しつつこれからものんびりと眺めて行こう。「コードギアス 反逆のルルーシュ」でもこれの10分の1くらいの露出があったらなあ、人気もさらに爆発しただろうに、見たいだろうコーネリア様のとか。それにしてもあんなに凄絶なシーンは映せてもヒップをクローズアップするシーンにコウモリを被せたのは見せないエロスを意図してのことなのかそれとも不思議な基準が別に存在しているのか。謎は尽きない。

 そうだよな宇宙の謎より娘の喜び。それが親としての当然の心情だったといったことが示され感涙を誘った「CLANNAD」の一ノ瀬ことみ編のクライマックス。庭の手入れを手伝いに来た3人娘の渚も椋も汚れないよう上下ジャージ姿だったのに杏だけは見たところジャージは上だけで下は素足のまんまだったみたいで裸に男物のワイシャツといったシチュエーションには及ばないまでも、んでもってはっきりとは映されていなかったものの想像によって様々な情動を歓喜させられたのはそういう意図をもって設計したアニメ会社にうまく引っかけられているってことなのか、まあそれでも結構、見せまくるのも悪かぁないけどチラつかせるのもなかなかな破壊力だってことで。下手に触れようもんなら杏のことだし回し蹴りにドロップキックにシャイニングウィザードが飛んで来て別の意味での破壊力に粉砕されそうだし。

 インサイダーとはしかし何というかバレるもんだなあというか。1000株とか3000株とかって決して大きな単位でもない取引が証券取引等監視委員会に把握されたってことは、よっぽど平穏な池に石を投げ込んだくらいに目立つ動きを見せていたってことなんだろーなー、つまりは事前に情報がどこにも漏れておらず会社関係者による動きもなかったところでの急騰。これは何だと口座とか調べて行ったら報道したNHKに行き当たってしまったってことで。問題はしかし端末にそーゆースクープが上がって来た時に、どーしてそれじゃあ株を買おうなんて発想に行ってしまうかって辺りの思考のプロセスで、普通真っ当な神経だったらこりゃあ流石にインサイダー取引になりかねないって思って踏みとどまるところをすこーんと、それも言われているなら3人が株取引に走ってしまったあたりに、人間としての常識のタガが外れてしまってメルトダウンを起こしているよーな薄気味悪さを覚えてしまう。

 起こった議論がまた不思議で、この場合は明らかにインサイダーだけれども、報道関係者全般の株取引については規定もあって短期売買は禁じられていたり担当する業種とかは買っちゃいけなかったり規定そのものがなかったりといった感じになっていて、株取引そのものが完璧なまでに禁じられているって訳ではなさそー。担当している業界じゃなくたって明日の発表予定とかってのを見て並ぶ企業の名前から想像するなんて他の担当者でも出来ること。厳密なインサイダーじゃなくっても他の一般の人より早く情報にアクセスできる環境にある訳だから意識があれば不公平かもって思って手を出さないのが真っ当だろう。

 だったら全面的に禁止すべきって議論も生まれているけれど、これには商取引の自由みたいなものもあって難しいとかどうとか。それは確かにそうなんだけれども、規定の範囲内ならやっていいのかどうかって問われた時、規定とかはそれとして自覚としてやらない方がいいんじゃないのって言うのが少なくともジャーナリズムって奴に携わっている者の、これは倫理とかじゃなくプライドって奴で喰わないでも高楊枝して張る見栄みたいなもの。規定のあるなしとか関係ないはずなのに昨今は枠組みを決めて線引きしてあげないと、白黒つけられない事柄が増えている。一方で空気を読めなどと雰囲気に対して同調のプレッシャーをかける動きもあるだけに是非の線引きをしないと飲み込まれ流される可能性もあるだけに難しい。きしむ日本の行く末は。今のうちに預金をどっかの国の債権に振り向けるか、スパイじゃないからどっかの国の内情なんて流石に知る由もないし。

 行ってしまった山岸智選手が行ってしまった水本裕貴選手も行ってしまった羽生直剛選手はとっくに行ってしまっていて佐藤勇人選手も行くってことをオープンにして、そして水野晃樹選手は行くことを表明中なんでこれでジェフユナイテッド市原・千葉の作シーズンのベストメンバーから5人が、今シーズンは消えてしまうことが確定してしまった。どっかのリーグの偉いさんが、ベストメンバー規定は規定内ではあってもその意図を逸脱するようなことは許しませんとか言っていて、これは報道関係者の株取引になぞらえ賛成すべきか空気を読めとの圧力だから跳ね返すべきなのか。悩ましいけれども問題はそこじゃない。

 そんな規定を守る守らない以前に、ベストメンバー5人が消えて去年の開幕にいたストヤノフ選手もいなくなってわずか1年で、スタメンの推定8割が代わってしまうというか代えざるをえなくなってしまったこの状況を、リーグは個別のチームの事情だと黙して見てないで、ここぞと規定を拡大解釈して、経営者としてベストメンバー規定の意図を守らせないような言動をしている許し難い存在だと、指摘し聡し悔い改めさせて無理なら除外するくらいの意気込みって奴を見せて頂きたいもの。けれどもそうはならないのがあの辺の組織。居丈高に振る舞える相手には虚勢を張っても強そうな相手には何も言わずにスルーなんだろーなあ。淀川の流れは絶えずして、しかも水野水本ははおらず。フクアリに浮かんだ男たちは、かつ消えかつ移籍して久しく止まる事無し。ああ無情。


【1月17日】 それにしてもしかしやっぱりという感じに朝のワイドショーから新聞からすべてが第138回芥川賞を受賞した川上未映子さん一色に染まって第138回直木賞を「私の男」で受賞した桜庭一樹さんをピックアップで取り上げたメディアは目に付かず。あるいは地元鳥取の日本海新聞は大きく取り上げたのかもしれないけれども東京あたりじゃあもう川上さんしか受賞しなかったような扱いに、憤って来週にでも大きく取り上げてやろうかと思ってはいるけれども日本海新聞よりはるかに少ない部数じゃあ、どこまでその凄みって奴を布教できるかが未知数。ウェブに転載されればそれでも全国には広まるんだろうけれども未だに高橋良輔監督も萩尾望都さんもインタビューが転載されていない所を見ると、ウェブへの転載の可否を決めるバリューについての判断基準に当方とは文化的齟齬が生じているみたいだから可能性は薄そう。やっぱりだからここはモブ・ノリオ方式で授賞式で上段の蹴りから踵おとしによる瓦割を見せるべきだった、って極真がそーゆーのをやっているかは知らないけれど。

 まあこれはうちんところに限った話じゃなくってお上品なブンガクとやらを扱うメディアの部署の方々ってのは桜庭さんの積み上げてきたものって奴をほとんど見知ってない感じがあってそれが証拠に直木賞の会見で、少女を描いてきたとかいった通り一遍の評価はあってもじゃあ具体的にどんな作品でどれほどの描き方をしてきたかってあたりについて、認知している感じがまるでなくって例えば「赤×ピンク」とか「君の歌は僕の歌」とかいったライトノベルにあって一風変わって少女を主役に日常と背中合わせの非日常に振れて迷い歪む姿を描いて来たって前提から、「私の男」に見られる変化を聞き出すよーな質問は一切でなかった。せいぜいが「赤朽葉家の伝説」が少女3代の記録を描いているってことを認識している程度で、同じハードカバーでもいささか風変わりな母親を持ってうまれた少女の過剰な自意識と多大な自己抑制力を発揮しつつ生き抜いていく姿を描いた「少女七竈と七人の可愛そうな大人」を読んで同じ北海道が舞台だけれどもいったい「私の男」とどう違うのか、って辺りを聞き出そうとしている人もいなかった。

 質疑応答で出た桜庭さんのコメントで強く印象に残った部分に「大人ではれば会費できるストレスを少女は回避できない。男性でも女性でも同じように感じる苦しみ気持ちや矛盾を増幅する装置として少女をテーマにして書いてきた」ってのがあって、つまりは「私の男」では反道徳的ではあっても認知し得ないシチュエーションとは言えない歪んだ親子間の情愛って奴が、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」ではティーンの少女を通すことによってより激しく苦しく陰惨なものとしてクローズアップされてていて、なのに少女が主役になっていることで一種の寓話的な趣があって、嫌悪からの拒絶に向かう前に気持ちにシチュエーションがしみこんで来て、そして知らず反社会的で反道徳的な行為への憤りって奴や、家族の絆の他人には分からない強さって奴を感じさせられることになる。そんな「砂糖菓子」を読んでいるんだろうかあそこにいた人たちは。

 朝っぱらから芥川賞の受賞者を追いかけ回していたワイドショーにはブンガクとやらについて沈思するだけの余裕もスタンスもないから論外になるのは仕方がないとして、文化を支え形づくっていく立場にかつてあったメディアが旧来からの権威の道筋に縛られ枠組みから逸脱することなく、堅くて大きな版ででたものだけが小説なんだ表紙が漫画みたな本は本じゃないんだってな認識に凝り固まっているんだとしたら将来においてそうしたお文化と、一般が嗜み楽しむカルチャーは確実に乖離していき結果として、居丈だかな権威ばかりが幅を利かせたメディアはカルチャーを求める大勢から見放されていくんだろーけど、そんなことを考えるだけのゆとりって奴はもーないんだろーなー、だからあとは落ち行くばかりなんだろーなー、12段にしたいんで全国の地方紙よろしく、なんつって偉そうにしている中央なんぞ放っておいて地方紙は結束して15段を通して日経とだけ組み大手メディアをパージする、って動きが起きたらちょっと楽しそう。右へ倣えと12段化を検討するライティな新聞は果たしてどっちに転ぶのか? どっちにしたって転ぶのか。

 どうだろう、って思って買ったら奥付が2008年だったんでノミネートには不向きだったみたいで残念だけれどまあ来年に譲れば良いのか、来年もあるといーな。ってことで沙村広明さん「ブラッドハーレーの馬車」(太田出版、667円)は映画の「エコール」で山奥にある少女たちばかりが暮らしている館から選ばれ連れて行かれた少女がいずこへとたどり着いたって話の先を描いているよーな内容で、けれども「エコール」では他愛もなかったその後が「ブラッドハーレー」ではあまりに悲惨すぎてどーしてこーゆーこをがまかり通るのか、って憤りに心揺らされつつも特定の立場となった時にこーゆーことがあればあるいはやっぱり愉快かもって思われて人間の秘められた本能の激しさと愚かさに苛まれる。

 何でわざわざ孤児院に暮らす少女なのか、そして劇団に入れるかどうかってほどの容姿を問われるのか、あてがうだけなら少女ではなく困窮にあえぐ大人の女性でも悪くはないし、犯罪を犯した女囚でも良く容姿だってこの際だとあんまり問われなさそうな気がしないでもない。欲望の爆発を防ぎ憤りをそらす役割だけ果たせればそれで良いんだから。なのに見目麗しくそして年端もいかない少女が選ばれるってところはつまり、漫画としてのビジュアルに配慮してのことであってその作り物としての世界観に、起こり得る可能性を見て嘆き涙するまではいかずむしろ「ヨルムンガンド」の第3巻で、紛争地帯の基地に拾われ直前までジャガイモがいっぱいのスープに喜んでいた少女が、訪ねてきた武器商人に連れ出され地雷地帯を歩かされ、そして弾避けにされて命を落としたシチュエーションの方が、地域的には遠くても現実性では地続きな哀しみを呼び起こしてくれる。ああ思い出したら泣けてきた。

 それを言うなら「コードギアス 反逆のルルーシュ」でユフィが辿る運命にどーして涙するのか、あれこそ空想の積み重ねじゃないかって話も出そうだけれどもあれはあれでちょっとした不用意が招いてしまった、なくても良かった悲劇によって命が散らされるってゆーシチュエーションに悔しさが浮かんで泣けてしまった訳で「ブラッドハーレーの馬車」とは比べられない。まあそこはそういう世界なんだという制約を心の中に積み上げて、その上でこんな悲劇が起こるんだというストーリーを内部で醸成させていけば浮かぶ憤りもありそーなんで、読み込んで内圧を高めてみよー。1年くらい経てば泣けるくらいにはなるかな、そーなったら晴れて推薦させて頂こう。誰も覚えちゃいないかな。

 奈良って良いなあそこいらへんをひょいひょいって鹿が歩いていて東京じゃあまず不可能な動物との触れあいを日常茶飯事に楽しめそうだし急ぐ時にはその辺の鹿を捕まえどこそこまでって頼むと鹿せんべい5枚で連れて行ってくれるんだから交通費だってお得。競争相手になるタクシーはだから値上げも出来ないから常に安価な交通機関を利用できる。大仏も仁王像も平城京も若草山も散歩がてらに歩いて寄っては歴史の息吹に触れられる、そんな奈良に住めたら良いなあって思ったけれどもパンツが3枚1000円とかって鹿に見らてチクられる可能性もあるからどっこいどっこいか。んな訳ねえ「鹿男あをによし」のドラマ第1話は玉木宏の弱めな演技が冴えててそして綾瀬はるかの天然元気もいい感じ。一流所の俳優たちが得体の知れない物語を演じているからストーリーは知っていてもビジュアル的な衝撃を味わえて目をそらせずに最後まで入ってエンディングで大爆笑。こんな奇妙な話をよくぞ作った共同テレビ。録画して見ようこれからも。欲しいなマイシカ。


【1月16日】 見える、見えるよ素早い動きから平山相太選手に当ててワンツーで抜け出し見事にシュートを決めて勝利した試合の後の挨拶で、右手を190センチの平山選手に引き上げられて左手を187センチの権田修一選手に引っ張られ、引きずられるように味の素スタジアムの中を歩く羽生直剛選手の姿が。はるばる飛田給から電車を乗り継ぎ姉ヶ崎へとやって来た、黒いスーツに黒いサングラスで身を固めた茂庭照幸選手と今野泰幸選手のまるでブルースブラザースなメンインブラックに捕獲され連れて行かれてしまった羽生選手だけれども別段、ガラスケースに入れられ注射とか解剖とかを受けてその小さき体に秘められた無尽蔵のスタミナを解明されることはなく、むしろ携帯ストラップに飾られ愛でられるスティッチみたいな扱いでもって迎え入れられ、愛され重用されて幸せなサッカー人生を真っ当してくれそう。

 羽生選手個人に対する敬意を含めればとても素晴らしいことだけれども、水野晃樹選手のセルティック移籍が決まって手薄になった右サイドを埋めつつトップ下でも頑張る姿を期待していたところに唐突、ではないけれども優先順にではやや下にあった羽生選手の移籍が、真っ先に正式に決まってしまってこれで順当に水野選手が出て、ほぼ確定の水本裕貴選手が出て山岸智選手が出て、そしてキャプテンの佐藤勇人まで出てしまったらいったいどうなるんだと発売された「週刊サッカーダージェスト」も「週刊サッカーマガジン」も、揃い踏みで書いてはJリーグが始まって以来の主力選手の大量離脱を招いた会社への懐疑を投げかけている。

 だって全員が代表か代表経験者。J2に落ちた時の柏レイソルだってこんな事態には ならなかった。あるとしたら天皇杯の優勝を最後にチームがなくなってしまった横浜フリューゲルスくらい。これは他に霊を絶対に見ないし見てはいけない異常事態だったとこを考えるならやっぱり千葉に原稿のシステムで起こり得る最大にして最悪の事態が起こっているって言えるんだけれどそれについてリーグも、協会もまるでご意見を出さず動こうって節もない。手前の古巣がもうほとんど確実に崩壊寸前でJ2落ちから2度とはいあがってこれなくなる可能性をばんばんと高めているというのにどーして安閑としていられるんだろう。もちろんそこで介入なんかしないのが筋ではあるんだけれども日常、筋を曲げてでも最善の道を歩もうと努力している人にしてはちょっと動きが無さ過ぎる。謎、としか言いようがない。

 せっかく「コードギアス 反逆のルルーシュ」のギアス能力が欲しいそれで自分の子供の面倒を誰かに命令して見させようと企んでいる冲方丁さんの「月刊ニュータイプ」の2008年2月号のコラムの下で、ゆうきまさみさんが羽生選手のことを取り上げ注目してくれて、これではるばる蘇我の「フクダ電子アリーナ」に足を運んでくれるかもって期待したけどそれもなくなり、味の素スタジアムに向かい平山相太選手の股間を駆け抜けシュートを決める姿を漫画にするんだろー。ジェフユナイテッド市原・千葉は貴重なPRのチャンスを失った。代表がいてこそメディアへの露出も増えるっていうのにそうした商売上の利点すら見えずチームとそして会社をともに衰退させるその経営能力は、比肩するならアドバルーンだけは威勢良く掲げたけれど収益化されたものが何1つなくそれで利益を出すべく身を削り、借金をして体裁を整えているどっかのメディアくらいか。もはや流出する代表クラスすら残っていない点がちょっと違うけど。

 まあそれでもいなくなるのは仕方がないとして、見渡して現有勢力から楽山選手には10年に1度の覚醒を果たして頂き坂本選手には新潟よりの罵声に負けず走り回って頂き工藤下村のボランチの後ろで斎藤結城池田ジョーレといった地味だけれども仕事はこなす面々に頑張ってもらい、最前線はプリンス孝太と残留ありがとうの巻に踏ん張ってもらえば何とかなるのかな、米倉も出てきてレイナウドも残ってそして移籍でせしめた金でモドリッチを引っ張って来る、と。でもって半年後にピクシーではやっぱり無理だった名古屋グランパスエイトが大枚を積み上げクゼ監督ともども引き抜いていく、と。ああ見える、見えるよララァ。

 まだ「狼と香辛料」は見ていないけれども「フルメタルパニック」は見てしまってそれなりに白が見えてて嬉しいような気もしたけれどもどうにも千鳥かなめがパワフル過ぎて見ていて夜中に血がたぎり、そのまま朝まで起きてられそうな気がして来た。絵は綺麗なんだけれども動きが妙だったのはやっぱり2話だったからか。遡って「レンタルマギカ」も見たけれども何というか見せ方の敗北というか延々と歩くシーンを重ねたり似たようなシーンでつないだりして見ていて飽きるというか。アディリシアが魚に乗り穂波が箒に乗って現れるシーンなんて遠景で上にちょろりって漂っている感じであんまり正義の味方っぽくなかったもんなあ。まあいいやそれでもとりあえずお話は嫌いじゃないんで見続けよう。DVDはうーんどうしようかなあ、おまけしだいかなあ、アディリシアの魔人セットとか付かないかなあ。何体だっけ。

共に候補の短い数で抜けていく。速度が肝心なのだなあ。  もはや記憶にないけど1年間だけ放送された「魔弾戦記リュウケンドー」って特撮ヒーロー番組があって今はトミーと合併してしまったタカラが松竹と組み白組とも組んで作ったCG多様のヒーロー番組でご町内をベースにほのぼのとしたテイストでまあそれなりに、人気を博したんだけれども普通だったら連続するはずのヒーロー物がこの場合は何だろう、やっぱりタカラの経営不振もあったからなのか続かず以後しばらく沈黙が続いていたけどここに来てようやくタカラトミーと松竹と白組って同じ座組で特撮ヒーロー番組が復活。その中心に座るのはタカラが合併したトミーにあって40年近い歴史を誇るトミカだったりするところに、紆余曲折の果てにたどりついたひとつの地平って奴が見えてくる。

 同じくタカラが子会社いんしたものの活用しきれずにいた「ヤッターマン」がここに来て動き出したりして新潟じゃあ20%を超える視聴率をとったとかで、合併という個人的には決して前向きには受け止めてはいなかったけれどもやるなら巧くいって欲しいと感じた結果が出てきてとりあえず一安心。あとは「ヤッターマン」が視聴率を落とさずオープニング問題にも煮えず人気を拡大していってくれることとそして、新たに立ち上がった今度はご町内ではなくって超災害から人命を守り悪と戦う「トミカヒーロー レスキューフォース」の1年といわず2年3年と続く人気爆発って奴を願いたいけどまあ、1年以上続くヒーロー番組って少ないんでうまく次に切り替えられるサイクルを、作り出して欲しいなあ。今度は戦隊4人のうち2人が女性かあ。ピンク色でも黄色でもないのはレスキュー隊に色分けなんて不要だからか。露出も少ないのはやっぱり火事場に肌なんで見せたらいけないからか。なら仕方がないや。

 そして夕方から会見場に待機して芥川賞と直木賞の受賞者決定を待つことしばらく。まず川上未映子さんが芥川賞に決まりそれから程なくして桜庭一樹さんも直木賞に決定。滅多切りな人たちの予想がなぜかゾロ目で当たってしまうという椿事にその精度の高さを果たして誉めるべきなのか、選考委員にたいする逆説としてのメッタ切りの存在意義を問うべきなのかと迷うもののどっちにしたって目出度いことには変わりない、とくに桜庭さん。まさかなあ、こんなに早くそっちへと抜けていくとはなあ、個人的には「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」で芥川賞を取ったって不思議はないと思っていたけど制度的な問題もあって見送られるというより無視を決め込まれて以降、続々と生み出される文芸作品はどれも意趣の凝った文体と内容で毀誉褒貶ありんがらも引っかかるところが多々あって、いつか取る取ると思いつつ遂に到着。着実に歩んだその物書きとしての凄さって奴を、ここは心の底から讃えたい。おめでとうございます。


【1月15日】 始まる前には最大の懸案として不安に怯えていたけれどもいざ、始まってみればそこは長老格の大ベテランたちばかりだけあってしっかりと調子を整え合わせてきた「ヤッターマン」の3悪人。ドロンジョ様は艶っぽさにあふれトンズラーは間抜けさに野太さが満ちボヤッキーは狡猾さに調子の良さがしっかり混じって30年前とかわらぬ怪しげで楽しげな雰囲気を醸し出していた。いやあ凄いぞこれなら今からだってボヤッキーは番宙太が出来そうだしドロンジョ様はクローディアさんができそうだしトンズラーは「彼女が主で執事が俺で」のビックリドッキリメカを……やってるもんなあ、現役で。ある意味そっちの方が凄いかも。大佐よりもちゃんとした声になっていたりするところとか。

 それにくらべて「破天荒遊戯」は依然として変わらず「破天荒」さに溢れていたけどまあそれもデフォルトだと思えば気持ちの苛立ちもすーっと消えて、突拍子もない展開を常にポジティブに受け止め行動する美少女の魔法使いに心を寄せて見ていけるってことで。「バンブーブレード」は何かおそらくはフィギュアスケートの番組が長引いたせいでだいたいは見られたけれども「ブレイバー」の番組内番組がまるまる見られず、いったいそこで何があってそれを珠ちゃんがどう眺めたのか、見たいなあ、DVDをやっぱり買うことになるのかなあ、谷口悟朗の回とかオーディオコメンタリーで聴きたいなあ、もちろん谷口悟朗も交えて。

 いやだから「ヤッターマン」は3悪人がちゃんとしている上にアイちゃんは可愛らしくってスタイルよくってお尻なんか「コードギアス 反逆のルルーシュ」のC.C.みたいに丸くって、欲を言うならパットをあと2、3枚は重ねてもうちょっと丸みを出して欲しかったけれどもそこまでして底上げされても触るとバレるから中学生なりのシンプルさってことでここは納得。成長に期待だ。そんな大人が30年前を心に刻んでながめ喜ぶのは当然としても本当の視聴者層にしてスポンサーのユーザー層へと引っ張りたい子供達が果たして見て喜んだってところが問題なんだけれども、タカラトミーが玩具を並べて見せる見本市に張り出されていた数字によれば関東は10・5%で関西は17・7%とともに2桁大に達して万々歳。関西が良いというか関東がやや落ちるのは裏にSMAPか誰かの番組があったかららしくって、通常に戻れば関西に遜色ない数字を関東でも出せるんじゃなかろーか。

 子供たちにだって「タイムボカン」シリーズの盛り上がりから引き続いて見ていた30年前の子供たちとは違って今回の「ヤッターマン」はそれほと認知度があった訳じゃないんで、学校なんかで口コミで評判が広まれば見なくっちゃって思う子供も増えてさらに視聴率も増加って、なてくれれば嬉しいんだろうけど逆もあるから流行の世界はちょっと怖い。まあそのへんはドロンジョのお色気とかビックリドッキリメカって子供たちが単純に喜びそうなギミックを、1話目から惜しげもなくぶち込んで来ているんで面白い愉快だと言いつつ見てそしてハマって、変身セットとか剣玉の武器とか買って遊んでくれるか、「仮面ライダー」「アンパンマン」といったバンダイが強いキャラクターアパレルの分野に割って入る「ヤッターマン」を身につけてくれる、と良いんだけれど果たして。

 そろりそろりと一般向けの試写とか行われて、出始めた評判も原作を知る人知らない人ともにおおむね悪くななくって、青春にありがちなうんざりとして代わり映えのしない未来に絶望しかかって、人生をシニカルに生きている若者に特有の気分が、当事者も経験者も共に味わえて良かったって感じに好意的だったりする「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」を青春映画のひとつの新しいスタイルとするならば、青春にありがちな艱難辛苦と切磋琢磨の汗ほとばしる物語に、どうにも息詰まるものを感じて身を引きシニカルになって来ている人たちを、もう1度真っ直ぐな情熱の素晴らしさに気づかせてくれる青春映画の王道にして金字塔が、同じ日活の手がける「うた魂」ってことになりそー。野蛮で野性的な青春の暴力と性を描いた昭和20年代30年代の日活とは、同じ青春でもずいぶんと様変わりしたもんだよなあ。比較から若者気質の変化って奴も読みとれそーだよなあ。

 さてもその「うた魂」は冒、頭から絶世の美少女とはちょっとタイプの違う夏帆さんに、自分はとてつもない美少女で歌がうまくって合唱部でもピカイチで、誰からも注目されているんですよ彼氏だって自分を放っておかないんですよって、過剰なまでの自意識に溢れた演技を冒頭からめいっぱいさせてみたり、あの薬師丸ひろ子さんに産休のしがない代用教員と自己紹介させて、妙におどとした態度をとらせたりと、演出面でややわざとらしさを含んだコミカルさでつないで見ている人の気持ちをいったん笑いを楽しむレベルへと進めたあと、畳みかけるように割とありがちだけれどそうあって欲しいと誰もが願う、挫折から友情そして快復とドラマを繰り広げ、気を持たせてそしてラストに綺麗なシーンをつなぎ、本当のクライマックスへと至らせ一気に爆発させる盛り上げっぷりが素晴らしく、涙が浮かんでそのままエンドロールまで余韻を引っ張られてしまった。

 これぞ奇蹟。奇蹟の映画で見れば劇場でラストに登場する人たちといっしょに立ち上がって声を合わせて「モンゴル800」の「あなたに」を歌い始めたくなるんじゃなかろーか。そしてエンドロールには「ゴスペラーズ」の「青い鳥」を一緒に口ずさむ。そんな劇場が公開されたら全国に登場しそーで今から楽しみ。同じプロデューサーが日活入りの前に作った「キサラギ」でもラストのダンスを一緒に踊りたくなったけれどもそれはさすがに目立つし難しかったんで、今度の歌はそれが可能な劇場って奴をあらかじめ作って、出てくる尾崎豊の曲やほかの合唱曲に合わせて自由に歌って良いですってことにしてくれたら、きっと楽しくて愉快な映画体験が出来るんじゃなかろーか。イベントでも良いからやってくれないかなあ。そして最後にはリアルな湯の川学院合唱部が出てきて「あいあむふりちん」を叫びそして「あなたに」を一緒に唄ってくれる。泣くな絶対に。早く公開が来ないかなあ。


【1月14日】 そうかやっぱり説明無用で番長か。南春香。「みなみけおわかり」。設定その他は前作「みなみけ」を引っ張りながらもキャラクターのデザインと演出が変わった内容は、短いコントで埋めていくパターンからやや長回しになった分、くどいかなって所もあるけどその分じんわりと染みてくる面白みってやつもあるんでどっちもどっち。絵については動きがすごくて、莫迦な夏奈とそのお仲間の4人がぐるぐると回るシーンなんていったい2次元だったらどう描いたんだろうって気になった。4人を描き分けて重ねて撮影でもしたのかなあ。あるいは3Dを2D風に直したんだろうか。冬馬のニーソックス姿がちょっとだけど拝めたのは収穫。次週は脱がされそうになってて注目。速水先輩も保坂先輩もどっちも変態ぶりが健在で良かったよかった。

 言葉遊びもたいがいにせいってな「絶望先生」とか見て眠り、起きてこれから鷲宮神社に行けばきっと振り袖姿の新成人と痛車に乗った若人が渾然一体となって醸し出される得も言われぬ雰囲気を、体感できたんだろーと思ったけれども流石に2日連続で埼玉の奥地に行くのはしんどいん断念。んでもって高校サッカーの決勝もふらりと出た外の氷点下級の寒さに、行けば絶対に風邪を引くと感じてパスして久方ぶりに日本武道が勢揃いして演舞を行う「鏡開き・武道始め」を見物に、九段下にある「日本武道館」へと赴く。途中で山本弘さんの「MM9」(東京創元社)なんかを読了、もしも怪獣が存在したらな世界を多元的な解釈を入れて説得力をもたせつつ、自然災害への大所なんかをエクストラポートして見せてくれた世界のビジョンにまず感服。

女性にしてこの高さ。この威力。アマゾネス軍団の強化にうってつけではないでしょうか。  んでもってそんな世界が成り立っている状況を大きく俯瞰して解説して、そしてそんな世界じゃない世界も存在するんだという可能性を示すあたりに、単なる外挿だけでない世界というものへの思索、怪獣という存在への思考があって勉強になる。クトゥルーが混じってくるのはそれを知っている人には嬉しいことなんだろうけれど、クトゥルーを混ぜればそういう人たちに面白がられるかなって考えもほの見えるところが、クトゥルーをそれほど愛でてはいない身として気になった。クトゥルーなサークルってしかし本当に蔓延っているよなあ。やっぱり基礎知識として欠かせないものなのか。

 んでもって始まった鎧武者の行進から鏡開きに模範演舞のオンパレード。弓道では離れた的の周辺に見事に決めていく達人たちの技に堪能し、相撲ではバックブリーカー君の技の披露に感嘆。合気道は動きの華麗さがあり少林寺拳法は打撃の激しさが伝わってきてそれぞれに違いがあって楽しめる。もし戦ったらどっちが強い? ってのは愚問かな。でもこれだけ並ぶと戦わせてみたくなるもんだ。ほかにも長刀に剣道に柔道に銃剣道に空手も混じっての稽古始めの会場が、まるごと異世界へと召還されてそして団体ごとに国々に振り分けられてそこのお家芸とされて100年、起こった国々の紛争の中で日本から伝わった様々な武道が魔法なんかも取り入れながらバトルし合う様ってのを誰か小説で書かないか? 書かないよなあ。なら書くか。

 でも経験がないからどれが強いかはっきりと分からないのが難点。「バンブーブレード」でも言っていたけど剣道3倍段ってのがあるからやっぱり武器を取らせれば剣道が1番か。いやいや演舞では動きの速さに激しさで沖縄から来た空手の女性3人組が1番凄く見えた。蹴りを飛ばすは突きを繰り出すわと大暴れ。果ては膝に載って頭に攻撃を放つシャイニングウィザードも真っ青の大業が飛び出して、これを相手にしたらゆったりとした合気道では粉砕され、防具をつけた剣道も潜り込まれて叩きのめされるんじゃないかって感じたけれども、それを許さないのが合気道であり剣道の道。近寄ればかわし叩き臥せ、近寄る前に削り切り割いて粉砕するに違いない。だいたいが100年もあればその間にそれぞれの技を極めつつ、お互いの技も研究しているんだろうから決着もつけるのが難しそう。残るはやっぱり戦う人の技量そのものってことになるのかな。どこを勝たせるのが妥当かなあ。

 しかし何というか武道やってりゃ精神が鍛えられるってもんでもなさそうで、自分たちの演舞が始まるまでを待っていたガキなお子さまたちが何というか騒がしいというか、繰り広げられている他の団体の演舞を見もしないで「ニンテンドーDS」を遊んだり、携帯電話で通信やったりして騒いでいる姿にちょっぴりがっかり。そりゃあ子供だから遊びたいんだろうけれども「コナミカップ」で野球そっちのけで携帯ゲーム機で遊んでいるのとはちょっと違って、「稽古始め」って場が場でそして「武道家」って自身が自身であることを勘案すれば、そこが騒いでいいところかぐらいは分かって欲しかった。

 なのに自重せず上も注意をしないところに何というか崩れるマインドって奴が見えてちょっぴり不安になった。ってもほかの観客は親も子もだいたいがちゃんと演舞を見ていたり、見ないまでも騒いでいなかったんでその一団だけがやんちゃだったってことなのかも。勝ち負けを競い、体力技術を鍛え上げるスポーツ性だけじゃなくって礼節とか、敬意とかって物を学ぶ武道って奴の神髄をちゃんと伝えないと、学習要項に形式的に武道を混ぜたって日本は何にも変わらないんだけれども、偉い人たちはとにかく混ぜておきゃあ何とかなるって思っている節があるからなあ。だから現場もメソッドが分からず混乱した挙げ句に形式だけが蔓延り異なるものが現れる、と。もはや建て直しは不可能なのかもしれないなあ。

 ありふれている、といえばありふれているストーリーかもしれないけれどもありふれているのはそれだけ需要があるからで、つまりは面白いってことで一色銀河さんの「そらいろな」(電撃文庫)はやっぱり面白い。中学時代には全国レベルのサウスポーと呼ばれながらも故障が見つかり一時撤退。そのため尊敬する監督が率いる名門校には入れず、それなら野球をやる意味がないと勝手に思い込んで、じっくり治しながら先を目指せる学校には行かず、ここでどうにかやっていこうと入った元女子校は男子が少なく硬式野球部だって前年に出来たばかり。おまけに監督と名乗り現れたのが2年生の小柄な少女だったから、これでは勝てないと見捨てて逃げ出そうとしたものの、その監督の力量に考えを改め、野球に挑む素晴らしさって奴を思い出す。

 新興の野球部を経験は薄いけれども知識を持った女性が監督となって率い、それに共鳴したそれなりに実力もあるけれど名門にストレートに行くほどではなかった面子が集まって、場面場面で緻密な野球を繰り広げては勝利を掴むってあたりは樋口アサさんの漫画「おおきく振りかぶって」とか、川原泉さん「甲子園の空に笑え」なんかとモロ被り。まあ「おお振り」は胸の巨大なOBが監督で、「甲子園」は理屈っぽい女教師が監督で、こっちは身長なら150センチあるかないかの現役高校生が監督って違いもあるからビジュアル化されても見分けはつきそう。あとは絵にして様子をみせられる漫画とは違って、言葉ですべてを語らなくてはいけない分、作者の苦労もありそーだけれどそこはもともとがスポーツ小説でもって出てきた人だから、分かりやすい上に内容も濃い描写をしっかりと見せてくれると期待しよー。


【1月13日】 すでにして観光地ナイズされてしまった鷲宮神社に続く“聖地”を探せとばかりに旅に出る。っても「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくる埼玉ゲットーを見たいっても無理な話だし、そもそもアニメーションとか漫画の舞台になっててこれから“聖地”になる場所なんかじゃあ二番煎じも甚だしいんで、ここは同じ埼玉県の奥地にあって新進気鋭の小説家によって舞台に選ばれ映画化なんかされちゃって話題が一気に来るんじゃないかと勝手に目を付けている、和田竜さのん「のぼうの城」(小学館、1500円)で舞台になってる「忍城」がある行田市へと向かうことにして電車に乗って船橋から西船橋で乗り換え南越谷で東武伊勢佐木線に乗り換え久喜へと向かい……ってそれじゃあ鷲宮神社に行っちゃうじゃん。

この辺で甲斐姫がつんでれしてたと思うと興奮もひとしおー  いや実は行田市ってのは鷲宮神社からちょっと先へと向かって羽生ってところで秩父鉄道に乗り換え15分くらいで到着できるらしくって、これなら先週に行っておけば良かったかもって後になって気がついて後悔したけど仕方がない。もしもどっちかを狙い行かれる方は時間なんかをセッティングして両方を1度に見て回るのが吉かと、って「らき☆すた」大好きでついでに戦国大好きなんて人、いるのかなあ。

 いやいや「のぼうの城」は歴史小説に見えてこれでなかなかライトノベルっぽい所もあって、主人公となる城代は年齢こそそ40過ぎの冴えないおっさんで、善人なだけが取り柄だったのが主君の留守に城を石田三成に攻められ周囲を水で埋め尽くされても耐えて忍んで三成を退けたという偉業で知られる人だけれども、歳とかビジュアルを気にしなければ冴えない風体ですごいことをやってしまうって辺りがとっても漫画的アニメ的ライトノベル的。何者でもない自分に秘められたなにがしかの力に期待したいって大半の若い人たちを、これほどに魅了してくれるキャラクターもないんじゃなかろーか。

 んでもってそんな城代が密かに心を寄せる甲斐姫ってのが若干18歳とかそんなもんで関東一円に美貌を唄われ後に豊臣秀吉の側室にだってなってしまったくらいの器量の持ち主で、なおかつ武芸にも秀でて三成が責めてきた時には自ら鎧姿で討って出た、って話もあるけど和田竜さんの「のぼうの城」ではその説はとってなくってもっぱら城内を駆けめぐっては武将達を知ったしなかなか自分に言い寄って来ない城代の成田長親の態度にひそかに業を煮やして他の武将を捕まえ口づけをしたりりする可愛らしさもあったりと、もう典型的なツンツンデレデレお姫様。そんな2人を軸に周囲を固める武将達は癖もあるけど実力も十分。攻める三成の大軍勢を相手に引かず向かい策も講じて迎え撃っては退ける。

 ライバルとなる三成も非道で冷酷に描かれがちな作品が多い中にあってこれでなかなかの人物として描かれていて、ちょっぴり生真面目すぎたのと秀吉に報いたいって気持ちが強すぎたところが攻めを急がせ、敗北へと至らせてしまったってところが描かれていてなかなかに好感。そんな立ちまくったキャラクターたちによって繰り広げられる攻防戦を例えば……ほうらどうだ、ファンタジーの世界とかに置き換えてみれば近藤信義さん「ゆらゆらと揺れる海の彼方」(電撃文庫)の第1巻にも似た雰囲気が浮かび上がって来るではありませんか。つまりはだから漫画やアニメのファンとの親和性の決して低くない作品ってことでもしも漫画化されアニメ化され長親をお人好しだけれどやるときはやる的キャラで子安武人さんでも藤原啓治さんでも担当して甲斐姫を平野綾さん伊藤静さんあたりが当てたた暁には、鷲宮の先か後に足を伸ばして行田市を訪ねる人とか結構出そう。って別にアニメ化する必要もないんだけれど。

なにがゼリーかは最後まで不明ながらも旨いぞゼリーフライ  とまあそんな未来を想像しつつはるばりたどり着いた行田市は下りて駅前に何も見えず、案内図に従いとことこと歩いていったら遠目に櫓らしきものが見えたんで行くとありました忍城。っても天守閣はなくって本丸跡地に博物館と櫓が再建されているだけなんだけれども銃丸の穿たれた塀で囲まれた中に立つ櫓はそれだけでなかなかの偉容。資料館にある模型なんかを見るにつけ、明治維新の時も官軍について戦火を免れた城がそのまま今も残っていたなら相当に立派な施設として遠くからでも大勢を集めたかもしれない。何しろ水攻めに遭いやすいくらいに湿地沼地が近隣にあったりした上に作られた城。その風光明媚さって言ったら古今の城にも並ぶものってないんじゃなかろーか。比べるならばモンサンミッシェルくらいかな。いやあ見たかった。

 けど今は近くに池を残しているくらい。遠くの丸墓古墳まで行けば三成が水攻めに際して水をためるべく作った石田堤の跡も残っているそーだけれども寒さがひどくてそこまで行くのも困難だったんで、近所の池を散策してそして行田市名物とかゆー「ゼリーフライ」なるものを食して駅へと帰参。中に何も入っていないっていうか揚げられた衣そのものを食べるものっていうか、豆腐のおからにジャガイモを混ぜて練り上げた感じのカタマリを油で揚げてソースに浸して食べるそれは60円って値段の割には美味しくって温かくって、是非に家でも作りたいって思ったけれどもレシピとかってあるのかな、いやいややっぱり名物は名産地で食べるのが粋て奴で食べたい方は是非に現地で。ちなみに行田市には「フライ」ってお好み焼きにも似た食べ物もあるとかでそっちは未経験。春になったら石田堤を見物がてらまた行って食べてみようかな。忍城でもらってきた、お店の地図が載ってる「行田市フライマップ」も頼りにして。

 実は足袋の名産地でもあったらしくって近所に古い足袋屋とか残っていて風情も抜群な行田市で住むにも良さそうだけれど買い物とかはやっぱり熊谷に出るのかそれとも鴻巣のショッピングセンターか。そんなこんなで1時間半ほど見て回ってから秩父鉄道で羽生へととって返してついた帰途で行きから読んできた天野純希さんて新人で小説すばる文学賞を獲得した「桃山ビート・トライブ」(集英社)を読んだらこっちでは石田三成が散々な書かれようでちょっと戸惑い。内容的には出雲の阿国の登場に刺激をされた若者たちがかっぱらいの少年は盗んだ三味線の腕を鍛え笛職人の息子は自分で吹きはじめ、猿楽の踊り子は型にはまった踊りを捨てて自在に踊るようにあっていってそして出会いさらに織田信長に使えていたという黒人の男をドラマーに迎えて一座を立ち上げ、秀吉末期の世に旋風を巻き起こしてはお上に一泡吹かせるってゆーストーリー。

 大人たちや国や政府に抑圧された若者たちが既存の大勢に反逆して、行き場のない鬱屈した気持ちを音楽によって爆発させるって展開はロックな小説にありがちで、それを安土桃山時代に移入してみせただけって言えば言えるけれどもその移入の仕方が巧みな上に、やぱりロックな小説が持つ反骨のスピリッツってのは時代に無関係に気持ちを熱くさせるもの。読み始めるともう一気に最後まで持って行かれてしまう。とりわけ後半が秀逸で、秀吉の養子となり関白の座を受け継ぎながらも、秀吉に後の秀頼が生まれたことで虐げられ、最後は関白の座を追われ自害させられた豊臣秀次に一時かくまわれていた関係で知り合った、一座と秀次の愛妾や幼い娘たちが秀次の自害後に河原に集められ、斬首されていくシーンではどうしてこんな理不尽がまかりとおるのかと涙が流れ、理不尽を遠そうとする石田三成への嫌悪が浮かんでいたたまれなくなる。

 史実では実は三成は秀次に好意的で、秀次に謀反の疑いがかけられた時には無罪を訴え助命に奔走し、かなわず秀次が自害した後は浪人となった秀次の家臣を召し抱え、家臣たちも秀次への三成の好意に報いて三成に最後まで使えて多くが関ヶ原の戦いで奮戦・討ち死にしたって話もあって「桃山ビート・トライブ」に描かれる冷酷非道な三成とのギャップにちょい悩んだけれどもそれがあったからこそ湧いて出たおさなちゃんおつまちゃんへの涙って奴だから物語的には仕方がない。ただ可能だったなら三成を、若い時分に芸人から受けた仕打ちがトラウマになってて酷いことばかりをした小心者ではなくって、秀吉を支え、天下を平安に持っていくには致し方ない所業であったといった、ロマンあるマキャベリストとして描いて欲しかった気もしないでもない。まあそれは海外に雄飛した一座が秀吉の死後に帰朝しそこで時分たちの芸風を取り入れながら人気を獲得していたお国一座とギグしてバトルする続編って奴の中で描いてくれれば結構なんで、書いてよ是非に続編を。


【1月12日】 案内状に添えられた写真を見たらモダンでニヒルにダンディなちょび髭面で、一体どんなにスノッブな方なんだろうと期待しつつのぞいた現代アーティストの山口晃さんのトークショウ。だけど東京は五反田にある「ルーヴル−DNPミュージアムラボ」のホールに登壇した人は細身で整った顔立ちのお兄さんで、プロフィル写真から漂うファッショナブルでアメージングな感じはまるでなく、これじゃあアヤシゲな風貌と語る内容の特殊さで大受けしていった村上隆さんにはまだ勝てないなあ、なんて思ったものの喋り始めるとこれが意外に真面目で且つ愉快。ボヤきと自虐を交えながらも「ルーヴル美術館」の楽しみ方を語ってくれた。

 何しろタイトルからして「全部見てはいけないルーヴル サニーサイドに気をつけろ!」と引っかかりまくり。当然ながら期待するのは古典的な浮世絵とかのフォルムに現代的なモチーフを混ぜ込んで見せる諧謔味を持った作品で鳴る山口さんだから、喋る内容もきっとルーブルの秘密の場所を紹介したり誰も知らない絵を見せたりと裏を狙っていくのかと期待してたらまるで違って、油絵学科で修士をとった知識でルーブル美術館に治められた名画彫刻の類からいったい何をどう見れば良いのかってのを語ってくれた。例えばダ・ヴィンチの「モナ・リザ」については古い時代の絵の具は厚塗りできないから丁寧に重ねていったんでひび割れても細かく割れて大きな損傷は出ないんだと言ったダ・ヴィンチの仕事ぶりや技術力なんかを評価し、フェルメールの「レースを編む女」では玉になった光を指して当時の絵画では他に類を見ない映像的な表現で、その独自性故に今に強く印象を残しててるんだと指摘してくれた。

 油絵の技法を確立したって言われているヤン・ファン・エイクについては「宰相ロランの聖母」を持ち出し下書きに水彩が使われていたりしてそれが効果を出している点なんかを指摘。ほかにも塗りの厚さの違いが生む効果といった油絵を“勉強”した人ならではの話が聞けてこれはこれで面白かった。一方で「モナ・リザ」は携帯カメラでぱしゃぱしゃやっても警備員が止めようとしないあたりからこれはイミテーションじゃないかと言ってみたり、ターナーのまるで横山大観が描く日本画のよーにフォルムが判然としてない朦朧体のよーな風景画を指してこれを最初に面白がった英国の人ってどういう人んなんだろうってまるで、ナマコを最初に食べた人への賞賛と驚嘆にも似た感想を言ったりといった具合に突っ込みも健在。

 とどめが「サニーサイドに気をつけろ!」の意味の解説でつまりはカフェに入ろうとして中が混んででギャルソンに「サニーサイド?」って聞かれてオッケーして言ったら燦々と日が照る屋外のテラスに案内されてその暑さに辟易としたって話でフランスってそんなに暑かったっけ? って気もしないでもないけどバカンスのシーズンにパリに残った老人が猛暑に続々と倒れていくって話もあるからやっぱり相当に暑いんだろー。だからこれから行く人は「サニーサイド?」って言われても即座に「ノン」と答えられる度胸を見につけていこう。ほかにもルーヴルには食堂みたいなところもあるらしーんだけれどリーズナブルだけあって味もそれなりに。芸術の都であると同時に食の都パリでも最も芸術に関して最先端を行く場所だからって食まで最先端とは限らない、ってこった。

 始めて見た時はまだ16歳くらいだったんだけど当時から結構な体格とそれから鮮やかなテクニックでもってタレント揃いの日テレ・ベレーザにあって前戦を固めて未来のエースって雰囲気すら伺わせつつ、その見目でも他にはない華麗さを見せてくれてた山口麻美さん。けど2005年あたりに見えなくなってどうしたんだろうアテネ五輪で大活躍した荒川恵理子選手にアテネ五輪代表候補と目された永里優希選手とそれから大野忍選手といった面々に押され出番がなくなり引っ込んじゃったかと心配してたら海の向こうのフロリダ州立大学に留学してサッカー部に入ったとの方が伝わりこりゃあ珍しいけどでも果たして、どこまでやれるんだろうって興味を持ってみていたら何と、遂に全米大学体育協会(NCAA)が選ぶ年間通じて最も活躍したサッカー選手に与えられるハーマン・トロフィーの女子部門を堂々受賞。日本人としてこのトロフィーをもらうのも初めてなら、学校でも始まって以来の快挙らしくって大学のスポーツ部門の情報が載ってるサイトでもトップニュースで報じられてた。

荒川恵理子と代表では差がついたけれどもこれからだって埋められる、飛び越せる  いやあ凄いだって全米の学生でナンバーワンプレーヤーってことだよこれ。日本で半分プロのベレーザでトップ張ってたんだから当然って意見もありそーだけれど日本の大学の女子サッカーとはレベルも違えば参加している人数も桁違い。男子と違ってアメリカンフットボールが出来ない女子がプレーする関係もあって女性スポーツでは人気も参加人口もトップクラスなのがサッカー。チームの数だって部員の数だって半端じゃないし実力だって日本のなでしこジャパンの遙か上を行く代表チームを持つ国だけあっておそらくは日本のトップリーグに近いものがあるだろー。そこでナンバーワン。全米一。これを快挙としてなにを言う。スポーツ新聞が1面トップで伝えたって不思議はないくらいのバリューがあるんだけれどもおそらく明日のスポーツ新聞は早稲田と慶応のラグビーの試合がトップに来るんだろうなあ、商業的には正しいけれどもスポーツ的な価値では果たして? まあ仕方がないか、山口麻美ちゃんなんて昨日までまるで知らなかった人たちが作っているんだから。普通は知らないか。

 しかしいったいどれだけの活躍をしたんだろー。全米選手権みたいなところではどうやらライバルでミア・ハムも所属していたノースカロライナ大学に負けてしまったみたいだけれどもその試合でフロリダ州立大学のチームが放ったシュート3本を全部打っていたりして活躍ぶりが伺える。準決勝に準々決勝でも得点やらアシストやらを稼いでいたりするところからタイトルは逃しても活躍ぶりでは傑出した成績を収めていたってことになるんだろー。これならば今すぐにだって日本代表入りも、なんて期待もしちゃうけれども去年の全米遠征では呼ばれながらも日本代表入りは逃したか或いは入らなかったところを見るとしばらくは学業優先でもって行くつもりなのかな。

 でもほら今年は北京五輪ってゆー女子サッカーには最大のイベントもあるんでタイトルを引っさげ呼ばれそしてそのビジュアルでもって評判になって日本の女子サッカーへの注目を、さらに高めてやって欲しいもの。澤穂希選手も酒井與恵選手も宮本ともみ選手もそろそろな年齢なんでここは宮間あや選手や永里優希選手といった世代に混じって日本代表を一気に若返らせつつ、その世界的名声とテクニックでもって日本に夢のメダルをもたらして欲しいなあ。でもどうなんだろうA代表とか出てなかったらアメリカの市民権とか取らせてアメリカの代表にされてしまうってこともあるのかな。そりゃあまずいがしかしミア・ハムに続くビッグネームになってくれるってのも魅力だなあ。悩ましいけどともかくまだまだ続く本当の意味でのサッカーの旅で通る街とそしてたどり着く場所に期待。昔っから顔変わってないなあ。

 「ガンダム」という呪いの重さに感嘆しつつ己が毒にも薬にもならなさを自嘲しつつ「らき☆すた」についてまるで語らないアニメ評論家のイベントのタイトルにもなってた「アニメの門」は後回しにして「月刊ニュータイプ」の2008年2月号で「コードギアス 反逆のルルーシュ」のページを見たらこれは吃驚、放送が日曜日の夕方5時からになっていた。「笑天」かよ。そんな時間に家にいてアニメーションを見る人がいるのかよって思うけれども今時のアニメなんて夜中だろうが昼間だろうが録画して見たい時間に見るから別にいつだって良いのだ。

 んでもって気になる内容はスザクが皇帝直属の12人の騎士の7番目になって円卓でも囲むのかな。皇帝ってことはあの縦ロールだからコーネリア抜きで日本の統治が行われるようになってってことなのかな。んでもって新キャラとしてロロ・ランペルージが登場ルルーシュとロロの2人のランペルージだから「コードギアス 反逆のルルーシュR2」なのか、ってランペルージって何だ? そもそも親戚のいないルルーシュに同姓の仲間ができるはずもないんだけれども。ナナリーがちょんぎったのか。分からないけどとりあえずC.C.はまだ出てくれるみたいでこっちに期待。でも衣装の露出が微妙だぞ、あのお尻を布っきれで覆ってどーするんだ。そこはアニメイトのポスター自販機で早くC.C.を出して慰めよう。出ないんだよなあこれがまた。


【1月11日】 そして2週目も白はたっぷりに後ろから丸みを見せつつ前から逆三角形の地帯を見せては青春のこらえきれない欲望に懊悩する若者達を刺激して夜も寝かせない。加えて今回はサキュバスの登場でもって揺れる双房まで加わった。迫り触れて圧縮されるそれはいったい柔らかいのかそれとも固いのか。未だ実物に触れられずアニメショップで買った立体マウスぱっとに手のひらをおしつけ感触を疑似体験している若者のこれまた想像をかきたて真夜中に手を虚空へと突き出させる。下も直立なら上も直立。背中に鏡をおくとこれは「土」という時が寝ころんだ感じになるのかな。まあ何というかしかしいったいどうしたいアニメなんだろう。

 相手が人間と知っても慕ってくれる萌花ちゃんと違って相手が人間ならとことん吉良射抜くのが妖怪本来の性質ってことで始まった「墓場鬼太郎」は妖怪族の子として生まれながらも人間にちょっとだけ痛めつけられ、それでも拾い上げて育てた人間を意図してのことなのかそれとも偶然かはともかくとして地獄に送り込んでほくそ笑むとは何と非人間的な奴だよ鬼太郎、って人間じゃないんだけれど。絵は水木しげるさん的な絵を止め絵的に使いつつ人間とか目玉とかをちょこっと動かしてみせる感じで、それなのに怖さがちゃんと感じがれるのはしっかりと隅々まで描き混まれているからか。

 あとはやっぱり田の中勇さんの声が実に素晴らしい。というか朝にやってる鬼太郎より目玉おやじらしくないか? 最初のモノクロのシリーズとまるで変わらぬあの美声、ではなく奇声は日本の宝だよ。野沢雅子さんはちょい大人びている感じ。でも暗くて陰険な鬼太郎を演じてるんだから押さえ気味ってのも正解かも。期待はやっぱりねずみ男の大塚周夫さんだよなあ、ブラック魔王よりも甲高くってそして軽薄な感じが今でも果たして出せるのか。健在ならばむしろその声を今度は美声が衰え気味でやや痛い井上真樹夫さんの石川五右衛門に代わって復帰して渋さとニヒルさを見せてやって欲しいかも。間違って大塚明夫さんが声をあててたらそれはそれで前代未聞のねずみ男になるんだけれど。

 アニメばっかり見ている平日はつまりは現実からの逃避で再開なった「CLANNAD」に働く人間の健全さって奴を感じ……たりはしない、何で友也、あんあに一所懸命に誰かのために頑張るんだろう美術部再建に姉の結婚式に今度は庭の復活。それまで他人の人生とはまるで無関係だった彼がぎゅるっと転じるきっかけってのが1話と見ても分からないんだよなあ。やっぱり道ばたで叫ばれた「あんぱん」の声が「コードギアス 反逆のルルーシュ」でルルーシュが使うギアスよろしく脳の結線を組み替えたのか。んでもって「ハンバーグ」で決定づけられたと。一ノ瀬ことみってあの歳までどうやって生活してたんだろう。火事のイメージって差し挟まれていなかったっけ。ま来週あたりでことみ編にも決着が付くのかな。坂上智代あんまり出てこないなあ。

go speedracer go sreedracer go speedracer goooooo!!  個性化の時代って奴にもはや大手メーカーも背を向けていられないってことなのか。改造車、ってイメージもあってどっちかっていえばサードパーティがわんさか出てきて勝手放題に盛り上がる一方でメーカーはそんな動きを毛嫌いはしなくてもどことなく胡散臭い目で見ていた雰囲気があった「オートサロン」だけれど気がつくとホンダにスズキといった自動車メーカーがしっかり出展しては自前の車をカスタマイズしたものを展示してる。ブースの規模も「東京モーターショー」ほどではないけどそれなりで、コンパニオンのやんちゃさは「モーターショー」以上。だから集まるお客さんも多くってプレス公開日だってのに通路をスムーズには歩けないくらいの人が来てた。進歩したなあ。

 んでおそらくはそんな人たちの9割が目当てとしているコンパニオンには目もくれないでオートバックスセブンのブースへとかけつけ場所取り。「マッハGoGoGo!」って言うよりアメリカでは「スピード・レーサー」で有名なあのアニメーションが「スピード・レーサー」の題名でもってウォシャオスキー兄弟の脚本・監督によって実写映画化されるにあたってオートバックスが映画の中に商品とかロゴとかを掲出させるプロダクト・プレースメントって契約を結だとかで、提供するレーシングカー「ガライヤ」のお披露目があったんで座って時間まで待っているのも何なんで、こっちは横浜ゴムがタイヤの「ADVAN」を提供している「マッハ号」を横浜ゴムのブースまで見に行ったらあったよホワイトボディーのマッハ号。運転席はのぞけなかったからハンドルにボタンが付いているかは分からなかったけれども外見はまさしくマッハ号。タイヤの横からドリルも出ればフロントからツバメみたいのが飛び出すんだきと映画でも。

 ブリジストンほど知られているかどうかってなると多分まだなんだろう「ADVAN」が「マッハ号」に足を履かせて見せる意味ってのはありそうで、ブリジストンとかグッドイヤーとかミシュランとかピレリといったF1にだって名を連ねるブランドを蹴散らし走ればその威力もきっと全世界にとどろき渡るって寸法。一方のオートバックスが海外の映画に協力する意味がちょっと分からなかったけれども、聞くと海外でも「AUTOBACS」の店を展開しているそーでグローバル化するカー用品販売店を映画とともに知らしめるって意味でまさしく全世界のエンスーが見る映画への露出は、それが例え主人公には敗れるライバルカーでも大きな意味を持つんだろー。海外の人が見てどれだけそれが「M−1グランプリ」に提供してMANZAIを支えている企業が気づくかは知らないけれど。いっそだったら話題のサンドウィッチマンとマッハ号のコラボCMとかやっちゃどう?


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