のぼうの城

 戦国武将が女性に人気らしい。今に始まったことではなく、大河ドラマで戦国時代が取り上げられるたびに、女性ファンが喜び見入っている姿は見かけるが、政治の世界に英雄が見えず経済の分野にもスターはいない今の状況が、下克上の世を生き抜き天下を目指す男たちの格好良さを際だたせ、興味を向かわせている。

 凄まじかった戦国時代。信長秀吉家康の3英傑謙信信玄に毛利元就に伊達政宗と、大河ドラマの主役を1人で張れる戦国武将たちは言うに及ばず、地方の小さな所領でほんの一瞬、輝いた人物ですらその武功、その知行をもって今在る政治家財界人を上回る存在感を見せる。

 成田長親という武将も、今に存在すれば高い業績をあげられるひとりだろう。あの豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた小田原征伐に絡み、北条氏に味方していた支城を平定していく過程で、石田三成が率い向かった2万を超える大軍を向こうに、わずか数百人の武者、足軽百姓を含めてもせいぜい数千人を率い、「忍城」と呼ばれる居城にこもって戦い、最後まで耐え抜いた。

 理財の人で、戦上手とは聞かない光成であっても、戦国の世を生き抜く知略には長けていた。見方には武功名高い大谷吉継がいた。秀吉がかつて高松城攻めに用いた水攻めも繰り出した。それを長親はことごとく退け、落ちた小田原城にいた主君の命を受けてようやく城を開いた。

 埼玉県行田市には忍城が再建され、三成の築いた石田堤が今も残る。とはいえ忍城の攻防や、長親の功名を知る人が全国にどれだけいるか。2000年に刊行された風野真知雄の時代小説「水の城」(祥伝社文庫)で取り上げられたのがほとんど最初という武将。妻の活躍で持ち上げられた山内一豊ほどにも知られていない。

 だから和田竜の「のぼうの城」(小学館、1500円)で改めて取り上げられるのは、当人にとっても、行田市にとっても、英雄を求める現代人にとっても僥倖。「水の城」よりもさらに深く人物像が掘り下げられ、濃く描き混まれていることもあって、なるほどこんな男だからこそあの光成の攻城にも耐え抜いて、城を守り抜けたのだと納得させられる。

 「のぼう」とはつまりは「でくのぼう」を短くした言葉で、長親を領民たちが呼ぶ時のあだ名だった。城主の従兄弟という身分は、普通なら領民など近寄るのもはばかられる高さ。なのに長親はふだんから領民たちの間に入っていっては、慣れない手で田植えをして間違いだからけだと怒られ、麦を踏んでも失敗ばかりで止めてくれと誹られていた。

 まさに「でくのぼう」。けれどもそんな長親の心よりの親切心を領民たちは嬉しく思い、あざけるようでもその実、親しみを込めて「のぼう様」と読んでいた。この交わりが、後の三成を迎えての攻防に大きな意味を持つのだから、人生は分からない。

 相手を見下す態度で開城を求めに来ては、死ねといわんばかりの条件を突きつける光成方に対し、平生はおとなしく優柔不断だった長親がノーと言う。威張りくさった相手の態度に憤り、抗戦を決める様はともすればただの自殺行為にしか見えないが、譲れない一線を守り抜こうとした意志がそこにはあった。この生真面目さも周囲を動す力となった。

 半日で落城していればただの間抜けだっただろう。しかし長親を仰ぐ忍城は、相手の寄せには城の特徴を生かしつつ、配下の武将たちがそれぞれ力を発揮して、三成方の軍勢を撃破する。満を持しての水攻めにも、平生からの領民たちに対する善政が効果を発揮して、光成が築いた堤を決壊へと至らせる。

 のぼうさま、つまりは長親という個性が生まれてこれまで40余年の間に見せ続け、守り抜いたた愚直なまでの正直さ、優しさが領民たちの心に深く刻まれ、動かした。これこそ“人は城”。人あってこその政治であり国なのだということを見せつける。

 「忍城」に長親たちとともに在った、17歳にして傾城の美女との誉れも高く、且つ武芸にも秀でて男たちを畏れさせる甲斐姫は、「水の城」では女性らしさも見せてくれるが、「のぼうの城」ではやや子供の色を遺しながら、武人たちを叱咤し鼓舞する美少女として描かれていて魅力たっぷり。そんな甲斐姫を側室に差し出せと要求して来た秀吉方の言葉に、徹底抗戦を決めて告げた長親の態度の中に、甲斐姫への押し包んでいた好意めい感情がのぞき、男の心を小さく刺す。

 もっとも、攻防が終わって今ふたたび求められた開城に当たって、領民たちへの米の配給を止められようとして徹底抗戦を言い出した長親が、再び甲斐姫を差し出すよう求められると、あっさりのんでしまう。不整合だが、これこそが高所に立って本心を隠さなくてはならない為政者の態度。悲しさを誘い同情を誘い涙を誘う。

 こんな男を城代に仰ぎ、というより守ろうとして支えた配下の武将たちの格好良さ。秀吉の側室となった後も、圧倒的な存在感を持ち続ける甲斐姫といったキャラクターたちが、あの時代のあの狭い城の中にひしめいていたのだから、戦国はやはりすごい。こちらも決して愚鈍ではなく、むしろ立派な態度で持ち前の明晰さも発揮して忍城を攻め、長親の実力を認め開城後に蹂躙などせず退いた石田三成も立派。上から下まで、すごい人たちがいたからこそ、あの時代に日本がダイナミックに動いたのもうなずける。

 ひるがえって暴君はおらず名君も見えず、奸臣すらおらず誰もが平々凡々に過ごし、目立てば叩かれ消え去るのみという鬱屈した現代。舵取りもされないまま、あてどなく漂う先に待つのはいったいどんな世界か。

 長親で良い。むしろ長親こそが相応しい。中心なき現代、そう叫ぶ声が野に響く。


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