縮刷版2003年5月下旬号


【5月31日】 上陸したらしい姉妹な台風の影響で朝から天気は土砂降りで、なのに野球と違ってサッカーはよほどのことがないと中止にはならないと分かっているんで雨合羽とかを持って濡れそーな本はビニール袋に包んで午後も早めに家を出る。見上げた空はまっくろくろすけのトトロ降り。どっすんとやって木の枝にたまった雨がじゃぱーっと落ちてきた場面が延々と続いているよーな状況に、あるいは中止なんてこともあるかもって思ったけれど到着した「国立霞ヶ丘競技場」はしっかりと大勢の来場者に取り囲まれていて、快晴の星空を見上げて素晴らしいパフォーマンスに酔いしれる快楽を味わえない残念さと、それでも歴史のひとつに確実に刻まれる日韓戦を確実に見られる喜びの、入り交じっでぬとぬとになった気持ちを引きずって入場門へと向かう。

 まずはオーソドックスに代々木門から入ろーと思ったものの門前から延々と行列が続いていてどこが終点か分からずパス。反対側の日本青年館裏にある原宿門に回ったところここも延々の行列でどこに並べばそこにたどり着けるのかが分からず、土砂降りの中を外で待つのも辛いとちょっとだけ足を伸ばして青山門へと回ったらガラガラだった。去年のワールドカップのパブリックビューイングでは青山門でも入るのに1時間かかったからなあ、指定席があっておまけに雨でさらに試合開始3時間前ならやっぱりこんなもんか。今後の参考にしよー。できれば国立ではあんまりやって欲しくないけど。

 裏側から入ってしまったんで半周回ってメインスタンドの指定席へ。一所懸命頑張ったかちょっとだけズルしたかは分からないけどいち早く良い席をとって前列を確保した人たちが屋根からはみ出て降りしきる雨に濡れているのを眼下に見下ろすカテゴリー1でも屋根のある後段のそれも最上部に近い部分で、持っていった合羽を出すこともなく傘はもちろんさすことはなく、風をのぞけば極めて快適に試合いに臨むことができた。見渡すと来ている人のほとんどが当然ながらに日本代表のサポーターで、韓国からの赤い悪魔な軍団はアウェー側のゴール裏のそれも片隅に押し込められていてちょっと可哀想。去年に同じ国立で開催された「韓国代表vsドイツ代表」の試合のパブリックビューイングがメインスタンドの半分を軽く埋め尽くしてのと比べると、有料だったってこともあるけどちょっと少な過ぎって感じがした。

周り囲まれ境目ではトラブルもあってそれでも応援し続けるパワーはやっぱり凄いなあ  それでも出せば響き渡る「テーハンミングッ」の生合唱。そんな声に押されたか登場した韓国代表は守備も避ければ攻撃もトップにチェ・ヨンスとソル・ギヒョンとチャ・ドゥリを並べる豪華布陣で、チェ・ヨンスはともかく残り2人はいずれ韓国どころか世界に羽ばたく可能性を持ったアタッカー、その動きを見ておいて損はないを目を凝らしてピッチを見入る。思い出すなら早稲田と慶應のサッカー部が韓国のあれは高麗大とどこかの大学とそれぞれ日韓のチームを君で対戦した国立での試合に、当時はまだ学生だったチャ・ドゥリが出ていたのを見た記憶があるけれど、チャ・ブンクンの息子ってことで目立っていただけだった感もある当時からわずか2年とかですでに韓国を背負って発つフォワードになっている辺りに、未だ中山雅史選手に鈴木隆行選手が不動のツートップを張ってしまう日本との違いが感じられてならない。育たない選手が悪いのか使わない監督が悪いのか。

 もちろん日本代表もふてぶてしさ120%な小笠原選手を中盤の要にして結構な攻勢が幾度もあったけど肝心なシュートが2本だけで、それも崩して得た決定期って感じじゃなく相変わらずの決定力不足とやらを見せつけてくれる。サイドからのクロスも数はあるんだけど精度がないのか速度が遅いのかしてことごとくを相手に跳ね返される始末で、ちょっと前までやってた欧州の試合でクロスがシュートからゴールへと結びつくシーンの華々しさを散々っぱら見せられた後ってこともあって、ゴール前に張る人たちの種類の違いなんてものに思いを馳せてしまう。そーした思いが後半にさらに大爆発。アン・ジョンファンを入れた途端に最前線でのボールのキープに左右のチラシが良くなって攻める形が出来はじめた韓国が、さらに右サイドに髪の毛の色が不思議だったイ・チョンスを投入したことで一段のスケールアップ。アンのミドルがあればイの素早いシュートがあっていずれもなかなかに厳しいセーブを楢崎正剛選手に強いていて、最前線にいる人たちの質の差なんてものを否応でも考えさせられる。凄い選手だよイ・チョンス。スピードもあってドリブルも巧くシュートは強烈。アン・ジョンファンも玉離れは悪くともサントス選手みたく突っかけて失敗して取られるなんてことは滅多にないから攻める起点になれるし、自分で打てばこれも強烈なシュートが飛ぶから油断は出来ない。

 あるいはそーした最前線の人を自在にさせてしまう相手の最後尾、すなわちディフェンスの気合いの差なんてものを考える時期に来ていたりするのかも。上がった名良橋晃選手のパスをカットされて速攻から中央へのクロスをソル・ギヒョンがスルーして突っ込んできたアン・ジョンファンが綺麗に合わせて叩き込む、お手本にしたくなるよーな攻撃っぷりで韓国が1点を取るとあとはそのままゲームセット。永井雄一郎選手から大久保嘉人選手へのロングパスがオフサイドにはなったものの割に決めてっぽい空気を作りだしていた場面もあったけど、オフサイドにはなったしトラップも長かったしで点は多分取れなかっただろーから比べるのも意味がない。むしろやっぱり10数本のシュートを放って楢崎選手の雨の影響から来るファンブルを幾度となく誘っていた(それでも1点で抑えられたのはやっぱり楢崎選手の凄さか)韓国の方が勝つべくして勝ったって言えるだろー。

 サントスまるで見えず中田浩二選手はいたのかさえ気づかなかったしと、ジーコ監督が期待する人がことごとくマズってしまうのもあるいは呪いの影響だったりするのかな。白い呪術師とやらの。それはともかくやっぱりいい加減、メンバーのことも考えなくっちゃいけないんじゃなかろーか、ジーコ監督。なるほど中田英寿選手はいないし小野伸二選手もいないし中村俊輔選手も高原直泰選手もいないけど、それを言うなら韓国だってパク・チソン選手がいないしソン・ジョングッ選手もいない飛車角抜きの将棋盤。お互いがともにベストを揃えられたとして、どっちが勝かと考えれば希望はともかく現実的に日本代表を断言は出来そーもない。やっぱり今度は本当にフルのメンバーが揃った試合を快晴の中で見てみたいもの。「ワールドカップ」までお預けにしないで是非に夏にでもやって欲しいもの、でもって大敗を喫して監督の資質云々が取りざたされて欲しいもの。それがあって初めてキャプテンは動くものだろーから。


【5月30日】 根性、を試されているのかもしれないシャープの「スペースタウン」での携帯電話向け電子書籍「デルフィニア戦記」全18巻パック販売。「電子ブック」の機能を搭載した携帯電話機の発売に合わせて提供が始まるものらしーけど、いくら見栄えが良くなったとはいっても所詮は携帯電話の小窓のこと、読めても文庫の1ページ分なんてとても入らないスペースをスクロールしスクロールしスクロールしスクロールしながら全18巻を読むなんて、いくら話が面白かろーと果たして可能なんだろーかと思ってしまう。値段も14490円となかなかだし。

 もっとも文庫だって昔の本の形から言えば考えられない小ささだった訳で、それが今じゃあスタンダードになっていることを考えたり、携帯電話のゲームが平気で遊ばれたりしているよーに、まあ世の中器に合わせて器用に気分を変えて行ける人も多くいるって事実を考えると、いずれ遠からず携帯電話で大長編小説でもマンガでも、ちょいちょいちょいと読んで平気な人間が出て来るのかも。「グインサーガ」だって「ペリーローダン」だって携帯で読む時代が来るのかな。著作権の切れた文豪の全集をまるまるXDMF形式にコンバートしてタダで流してたりすれば使ってみたい気もするな。

 田波くん死にそうじゃん、といよいよクライマックスも近づいて来たのかと心配になってしまった「ヤングキングアワーズ」2003年7月号掲載「ジオブリーダーズ」。血と痛みに苦しむ田波くんを今、誰が出てきたって助けられるとは考えられないんだけど、もしかするとヒーラータイプの能力者、なんてものが現れて来たりするのかな、いっそマンガの世界がまんま「マトリックス」みたいな電脳で、だから猫だって人間に化けたりこれまでの散々のピンチに神楽のメンバーがか死なないで来られたりしたのかな、それは流石にないだろーけどともかく今、続きがとっても心配で楽しみでドキドキです。来月もちゃんと載ってくれよ。

 「ヘルシング」。セラスのふんばりが可愛い。でも太股の付け根は見えないんだよなあ。「朝霧の巫女」の主上に期待するか、股割に緩そーだし。「トライガンマキシマム」。真打ち登場、だけどナイブズはどこ行ったっけ、すでに忘れてる、展開を。「コミックマスターJ」。Jに不可能はない、ゲームでさえも。「エクセル・サーガ」。ハイアットちゃんに弱点はない、死なない限り生き続ける、おまけに死なない。ってな感じに重鎮たちも快調に掲載されているよーで、編集の人たちの山中剛さん(by「コミックマスターJ」)も顔負けな頑張りに心からの感謝を贈りたい。しかし既に戦いは始まっている。負けるな山中さん。

 会ってもいない人の喋ってもいない談話をねつ造したってんなら言い訳抜きに糾弾されても仕方がないって言えた先の「ニューヨーク・タイムズ」での若手記者による事件だけど、今度のピューリッツァー賞受賞記者による事件は考えるになかなか面倒な問題をはらんでいて判断に迷う。なるほど確かに自分で取材した訳ではないけれど、現地に行ってライターを使って取材をさせてそれを自分の記事に反映させたってことはつまり、取材は実際に行われたってことでそれを、横取りしたってゆーならちょっと拙いけど、もしかすると最初からライターをデータマンとして使うつもりだったのかもしれず、だとするとそれも広義に言えば取材して書いた記事だったってことになる。そーした他人を介しての取材が糾弾されるのなら、立花隆さんとか猪瀬直樹さんっていった人なんて仕事出来なくなっちゃうよ。

 ってか日本でよくやられている政治家への代表取材なんてのもイケナイって話になりそー。1人が代表して取ったコメントを皆で写し会って読み合わせて、さも自分たちが取材したかのごとく紙面では書いてる訳だし。それとシアトル・マリナーズのイチロー選手の談話だって、今年はどーだか知らないけれど去年まではロッカーに入れる1人の記者がとったコメントを分け合う方式が採られてたって記憶があって、けれども紙面化される時にそーしたプロセスは抜きにして各スポーツ新聞の人が直接、会って聞いたと見られて不思議のない形で紙面の記事化されている。まあプール取材ってゆー方式が欧米にもない訳じゃないんで、その辺りを鑑みてもピューリッツッァー賞受賞記者には信頼に対して背くよーな振る舞いがあったんだろー。それとも欧米だとプールの場合はちゃんとそれを明記して、誰が聞いた話を分け合ったってことが分かるよーな形で記事化するのかな。日本でそれやったら紙面の半分くらいは通信社とか他社とかの取材によると、って引用が行われている記事だらけになっちゃいそー。どーなんだろ。

 ともあれ出る記事の厳密性においてアメリカのメディアがとてつもなく厳しいってことだけは分かる一連の動きで、公正な記事だけが出ることによって「ニューヨーク・タイムズ」って題字の信頼度が高められ維持できるんだってことを自覚しているんだとも言える。これがもし仮にタイムズを1部、1年間購読してくれた人がいたらその人が世の中に伝えたいことは必ず掲載します、それも広告とかじゃなく記事として掲載します、なんてことをやったら信頼なんて途端に灰燼へと帰してしまうだろー。載っている記事は常に公正なものだってゆー了解があってこそ、題字への信頼は成り立っているのに、そーした記事にお金をもらって乗せている、広告としか言いようのない原稿が記事として紛れ込んでいるんだと分かった途端、信頼は音を立ててくずれ新聞はジャーナリズムではなくなりただの広報メディアへと変わってしまう。新聞に対する死刑宣告にも等しい振る舞いで、そのインパクトはねつ造記事によるダメージの比じゃない。回復不可能なんだから。

 もちろんすべてが潔癖じゃない世の中だけに、「ニューヨーク・タイムズ」は別にして他のメディアの割に多くにそーした”為にする”記事も紛れ込んでいたりはするんだけど、少なくともあからさまにはお金をもらって載せました、なんてことは公言はしてないし、言えるはずがない、だって言ったらすべてがおしまいになってしまうから、お金をもらっていない記事だってそう見られてしまう可能性があるから。だから実在する「新聞」と名乗っているメディアのおそらく全てにおいて、「とってくれそうだから記事を書いてみようか」と思い匂わせ振る舞うところはあっても、「新聞をとってくれたら記事載せます」なんて公言している所はない、と信じたい。業界のことをあんまり知らないからはっきりとは断言できないけれど。

 もし仮にそーした事態あったとしたら、それはもはや新聞なんかじゃない。新聞じゃないなら特権として認められている記者クラブとか、情報へのアクセス権とかは剥奪されるか返上しなきゃいけない。国民の「知る権利」とやらに配慮して与えられた、質の高い情報にいち早く触れられる特権をまるまる享受して、題字の信頼を高め維持し続ける一方で、そーやって積み上げた信頼を、まるで天与の物のよーに使って紙面を”売る”なんてことがあったら、国民はきっと許さないだろうし、自らの信頼にも疑念を持たせかねないと、業界も認めはしないだろう。まあ、あくまでも想像での空論なんで気にせずに。もしこんなことが「ニューヨーク・タイムズ」で発覚したら、世界は一体どんな反応を示すのか、でもって「タイムズ」はどんな対応をするのかがちょっと知りたい。潔く暖簾を畳むかな。それより世間が暖簾を畳ませるかな。


【5月29日】 壁にかけられたダービッツの背番号入りユベントスレプリカユニフォームを眺めながら胸騒がす朝。午前3時に目を無理矢理に醒まして見入ったサッカーの「欧州チャンピオンズリーグ」決勝戦「ACミランvsユヴェントス」は大方の予想に反して出足はミランがシフチェンコの左右へと切れ込む鋭い走りにボールも回って決定機を幾度も作るスペクタクルが感じられる展開で、油断すればそれがそのまま得点に繋がろーかとゆー緊張感を持って見ていられた。

 とりわけミランの攻撃は凄まじく、幾度となくユヴェントスのゴールを脅かして早い段階の得点となって試合を面白くするんじゃないかってな期待がかかったけれど、前にレアル・マドリッドのロベルトカルロスが放ったシュートでは3人残っていてもならなかったオフサイドに、2人残っていて勿論ロベルトカルロス同様にシュートには無関係だったにも関わらずシフチェンコのシュートがとられてしまって得点ならず。続いてあれはインザーギだったっけ、ドンピシャリのヘッドをブッフォンが片手ではじき出してこれまた無得点になってしまった辺りから、試合はけが人が出初めてだんだんとガチンコの様相になって行く。

 そして後半はダイナモなダービッツも引っ込んでユヴェントスはデルピエロまでもが中盤に下がってメーキングに徹する展開へ。当然ながらボールが華麗に回る訳でもなければ鋭いクロスに誰かが飛び込むでもなく、ただただ真ん中あたりをボールが行ったり来たりする状況に陥ってそれもたびたびファールでプレーが止まってしまって、見ていて朝方の眠気が深まる。それでも頑張って見続けたもののサッカー選手を捕まえて「美白のロベカル」だの「スーパーサブ」だのとおよそ当人にとって侮辱されているとしか思えないニックネームを付けて恥じないTBS、年に1度の晴れ舞台を途中でぶった切る間抜けさを見せつけ全国のサッカーファンを敵にする。

 それでも頑張ってくだらなさ抜群のワイドショーを終わり頃まで見て遂に、何と、ユヴェントスがPK合戦でミランに敗れ去ったと聞いて一気に気も萎えそのまま二度寝の床に着く。きゅう。予定していた年末の横浜でダービッツのレプリカを着てネドヴェドを応援するプランはこれでパーになってしまったけど、もしかするとあるいはミランがかつてのオリンピック・マルセイユみたいなことになって辞退して代わりにユヴェントスがやって来ないとも限らない、かもしれないから捨てずにユニフォームは持っていよー。東大での環境対応型宇宙旅行研究シンポジウムに着てくかも。見つけても「時代遅れ」と囃さないよーに。

 目覚めてまわし(名古屋弁で支度の意)をしていると「eプラス」からチケットが到着。言わずと知れた31日のサッカー「日本代表vs韓国代表」の試合のチケットなんだけど、時間も遅くなってよーやくとれた席だけあってカテゴリー1ながらもメインスタンドの後段のそれも後列になっててちょっとガッカリ、したくなったけどテレビでやっていた天気予報を見て180度気分反転、近づく台風がおそらく31日に西日本から中部あたりに着ていることから類推される、当日のとんでもない天気へと思いを広げてメインスタンド後段の屋根着き席が取れた僥倖をかえって喜ぶ。ゼロックススーパーカップは貴賓席前って絶妙な席で土砂降りに泣いたからなー。ちょっとは運が向いたか。けど台風で中止になったら一緒か。どー出るか我が運。

 平谷版「岬一郎の抵抗」? って平谷美樹さんの最新作「約束の地」(角川春樹事務所、2100円)を読みながらふと思ったりしたけれど、正直言うと「岬一郎」をまだ読んでないかったりするから違いなんて分かるはずもない。とりあえずは大人向けの小説の中で超能力者たちが世間の虐げ蔑み恐怖に好奇心の類を咀嚼しかわし隠れながら肩寄せ合って生きよーとする姿が描かれているって点が、遠く噂に聞いた「岬一郎の抵抗」と似てるかも、って感じた理由だったりする。あるいは恩田陸さんの「光の帝国 常野物語」に重なるのかもしれない、血塗れなテイストは大違いだけど。

 もっとも主人公の超能力者が「スラン」ってハンドルネームを使っているよーにヴォクトの「スラン」の時代からSFでは古典的過ぎるテーマで、あと「七瀬ふたたび」とかいった日本のSFでも昔は結構書かれていたりしたもので、それが今はどちらかと言えば、「ジョジョ」よろしくいろいろな”ちょーのーりき”の使い手が、何の屈託もなく出てきてはそのパワーでもって学園とか、街とかいった狭い範囲でよろしくやってるヤングアダルトは沢山あっても、大人向けに書かれたものってあんまりなかったから珍しい。もちろん中村恵里加さんの「ダブルブリッド」みたく異質で超越した存在が受ける嫉妬と羨望の入り交じった差別を描き出して大人も読んでピンと来る作品はあるんだけど、そーゆーのを読むのは今さら気恥ずかしい、けれども昔読んで面白かった超能力戦争物を今、読んでみたい大人のおっさんたちに読まれる可能性もあるのかも。第一部を流しただけなんで読み終えてからその辺、どーゆー位置づけでどーゆー層に受けそーなのかを考えてみよー。


【5月28日】 東芝のえっと何だったっけ、ネットからいろいろと操作できたりするハードディスクレコーダーの上に買ってきた「プレイステーション2」をドカッと乗せれば今すぐにでも出来てしまう商品ってことになるのかな「PSX」。中期経営計画の発表でいきなりソニーが持ち出してきた新製品だけど、「PS」ってゆー名前がついていても携帯ゲーム機の新機軸としてメディアまで新しく開発して来た「PSP」に比べてインパクトが1割2割って感じで、ゲームの世界に新しい何かが開けるってゆーワクワクした感じがまるで起こってこない。少なくとも次世代ゲーム機なんかではありない。

 もちろんハードディスクに録画できますDVDにも録画できますおまけにゲームだって出来ちゃいますってゆー製品の面白みは分からない訳ではないけれど、この夏のボーナス商戦を乗り越えさせて冬にまでハードディスクレコーダーの購入を引っ張らせるだけのパワーがあるかってゆーと微妙なところ。これで値段が10万円は確実に切るとか、いっそ5万円台で出ますとかってんなら話は別だけど、そーした予定がまだ見えない状況だけにやっぱりボーナスで(出るのか?)東芝かパイオニアかどっちかのを買ってしまいそー。どっちが良いで判断に苦しんでいたりするんだけど。

 もっとも単品としては今ひとつでも、イーサネットが使えるあたりに同じソニーの「コクーン」との関連も見えたりして、ソニーが進めるコンテンツサーバー戦略のコアデバイスとして融合から進化していく可能性もあるから今後の動向にだけは注目して置いた方が良いのかも。いずれにしても「プレイステーション」事業で世界のゲーマーやゲームソフト会社が貢いだお金が、「プレイステーション2」とゆーお化けプラットフォームを生み、そこで使われるとてつもない半導体技術を生んで久多良木健社長にある種の権勢となってソニーの事業戦略にも食い込んできたって言えそーで、鬼子扱いだったゲームも10年を経て主流になった格好。可能性としては高まったソニー社長への久多良木さんの就任に際しては、すべてのゲームユーザーとゲームクリエーターたちにガッツボーズを示してやって下さいな。盛大な拍手で応えるかブーイングを放つかはこれからのゲームソフト次第だけど。

 絵の巧さだけ見ると相当な年季の人かと思ったんだけどこれが最初の単行本だってゆーから一体、どーゆー経歴なんだろーと気になった鈴木次郎さんって人の「MAGiMAGi」(スタジオDNA、552円)を読む。魔法の国へ行きたいって思ってた女の子がひょんなことからマンホールへと落っこちて目覚めるとそおは魔法の国、かと思ったけれど現れた男はマントに黒い三角帽子を被った魔法使いの格好ながらも魔法は80過ぎにならねえと使えねえと言うは、帰ればそこは茅葺きの日本家屋で飯も風呂も薪で沸かすわとまるで昭和20年代30年代の日本って感じに、女の子はさてどーしたものかと悩みまくる。

 とはいえそこは美形な3兄弟。おまけに性格も暗かったり妙だったり茫洋としてたりと三様で、そんな彼らの騒動に半ば巻き込まれる形になって魔法の国とやらでの生活を送る羽目となる。願望充足の正反対を行くよーな話だけど一所懸命生きてる魔法の国の人たちにホロリとさせられ、起こる騒動の楽しさにハハハと笑わされる。3兄弟の父が仮面な男(赤が似合う)なのが謎。長男が拾ってきた像がとっても可愛い。捕まえたウサギはやっぱり食べてしまったのかな。それにしてもやっぱり絵とか話とか巧過ぎで、同人時代とかアシスタント歴とかあってすんごい人気があったりする人なんだろーかと想像したくなる。まあどっちにしたって「鈴木次郎」として世に出た「MAGiMAGi」の面白さだけで十分、今後も出る本があれば追いかけて行くことにしよー。


【5月27日】 3つ買え。3つ買って並べて飾れ。飾って眺めて夜中に叫べ。「ジェットストリームアタァァァァァックゥ!」。城達也の声で、ってそれは「ジェットストリーム」違い。いや何を興奮しているかって言えばあの、「機動戦士ガンダム」の中でも最も美麗にして重厚なモビルスーツの「MS09−ドム」をモチーフにしたバイク用のヘルメットが、過去に「シャアヘル」「百式ヘル」をリリースしてバイク乗りたちの関心を誘わなかったにしてもガンダムファンの心は存分にくすぐったバンダイネットワークスから満を持してこの年末に登場するのであります。聞けば興奮も納得でしょ? 納得しない奴は「ドム」に踏みつぶさろ。

 その名も「TYPE 黒い三連星」はガイア、マッシュ、オルテガのアルゼンチン代表3トップみたいな(オルテガしか合ってない)名前のモビルスーツ乗りたちがかぶっていたヘルメットとはもちろん形は違ってて、それは前に出た「シャア」ヘルに角がなかったのを見ても分かることだけど、ただ赤く塗ってあっただけなのに何とはなしに「シャアヘル」に見えてしまった「TYPE CHAR」とは違って、「TYPE 黒い三連性」は額に輝くジオンのマークを筆頭に、塗り分けられた紫とグレーのカラーリングと首の裏側にペイントされた「MS−09」の文字がよりどことなく「ドム」らしさ、「黒い三連星」っぽさを醸し出している。

 額に付き出したバイザーを取り外すとよりガイアにマッシュにオルテガの被ってたヘルメットっぽく見えるから不思議。そのイメージが定着し切っている頭には、痩せた体に細い顔の奴では似合わないかもって思えてくる。「TYPE CHAR」がイケメン用だったとすれば「TYPE 黒い三連星」はガテンで体育会で強面で屈強な漢向けかも。喜べ体重過多なガンダム好きのバイク乗り。お値段は29800円とそれなりだけど「TYPE 百式」とは違って125CC以上のバイクにも使えるから実際の場での使い勝手も良さそー。どーせだったらバイクの色も合わせたくなるけどどんなバイクが「ドム」っぽいんだろ。「モーターサイクリスト」でも買ってみるか。販売は「ララビット」で。「ガンダム」とは関係ないけど「恐竜や作務衣」は9月じゃなくて夏に出して。

 多分「LASTEXILE」を見る。多分、ってゆーのは出ているキャラクターが違っていたからだけど違っていたのは1人で他はだいたい同じだったから番組自体はちゃんと「LASTEXILE」でラヴィ・ヘッドだけが特撮ヒーローものに定番の「偽ラヴィ」だったのかもしれない。でも「LASTEXILE」は特撮ヒーローものじゃないかならあ、キャプテン・ハーロックものではあるけれど。とはいえラヴィがたとえ偽ラヴィでも個人的には全然オッケーでむしろこっちこそを正統だと思いたくなったのが実際のところ。なぜってラヴィ、胸揺らしてたんだよ、ついこの前まで揺れるどころか波動砲だって跳ね返しそうな鉄板だったあのラヴィが。

 ほかにもソフィアさんの背筋をピンと立てて佇む横の姿の前へと張りだした三角形の張りの良さ、体育室でレオタードっぽい姿でマシントレーニングしているタチアナ・ヴィスラのたくましい脚に柔らかそうなボディから漂って来そうな汗の香りにお付きのアリスティア・アグリュー(いつもより目が3倍)が陶然としている「t.A.T.u」的構図ももなかなか。邪険にされてひとりドックへと降りるアリスティアがエレベーターの中でクラウスに守られ頬赤らめる場面なんてもう、そのまま画面に近寄って頬ずりしたくなって来た、テレビに近寄れないから出来なかったけど。ってな感じに女性キャラクターの魅力5倍増しだった回も最後はフォルテ・シュトーレン並に兵器オタクに違いないソフィアさんの号令で発射された拡散波動砲、じゃないけどとにかく凶悪無比な武器で船1隻を沈めるカタルシスを楽しませてくれて溜飲も下がって大団円、いささかハードだった先週から一転しての息抜き回ながら、テコ入れ回として大勢のファンを再び引きつけたんではなかろーか。次週もソフィアさんの尻にアレックス・ロウが敷かれてムスッと悶えるシーンが楽しめそう。出来れば顔は戻っても胸はラヴィ、今週のままでいて頂戴。

 佐々原史緒さんの「バトル・オブ・CA」シリーズに早くも第2巻「ウェディング・ベルは不協和音」(ファミ通文庫、640円)が登場。女だらけのキャビン・アテンダントにあってただ1人の男性だったコンラッド・ティエンもいよいよ本格的に異性装への道を歩み始めたよーでいずれは立派なMTFとなって今はまだカタツムリなゴージャスが立派な体格の男性へと性分化を遂げた果てに結ばれ、たりはしないか、似ているって前から評判だった女性キャスターの身代わりをさせられただけみたいだし。お話の方はテロリストを退け無事就航したはずの「カソリック号」が有名人の結婚式なんかもある大切な航行中、襲ってきた謎の一味に乗っ取られそうになったところに、コンラッドは役立たずながらも腕に武器の仕込んであるイゾルデや、元傭兵や火を吐くウサギやらが立ち向かうって内容で、レギュラーメンバーのそんな活躍に加えて意外なところから現れた意外な一派の圧巻な活躍もあって楽しめる。人類の希望めいた大きな物語が見えた前巻に比べて局地戦っぽいところもあるけど、提示される人類と異星人との諍いめいた部分とかがポイントになって、今後につながっていく可能性もあるから良しとしよー。続編がさらに楽しみ。


【5月26日】 テコ入れか、って真っ先に感じた「ワンダバスタイル」第8話は久々にアンダーウェアな姿をさらしてくれたキクちゃんがトドメにも真っ白なところを見せてくれて中途にエンディングと一気に視聴率を稼いだ模様。ほか九十九博士のヤングな美肌も披露されていたんでショタな方もきっと満足したことだろー。話の方はといえば1人ひとりを攻め落としていく花形の説得術の冴えが見られて楽しかったのはそれとして、それでも誰もいかず開けて吃驚かと思ったら全員がしっかりと口車に乗っていた展開に、人間の弱さなんかを見て複雑な思いに駆られる。あれでなかなかに教育的なアニメーションなんだなー、キクちゃんの白もある意味官能への目覚めを促す教育的な素材って言えば言えないこともなかったりしちゃったりするし。

 復活、って意味では既に浅野忠信さん主演の「地雷を踏んだらサヨウナラ」を製作してヒットさせてそれなりな存在感を映画業界の中で再び示しつつあった奥山和由さんだけど、今度は自ら監督とゆー立場で製作に携わった「クラッシュ」ってドキュメンタリー映画が公開間近になって、さらにその名前をあちらこちらに露出させては今再びな活躍を映画業界で見せてくれそー。ちょっとだけ会って話す機会もあって聞いたら自分がいろいろあってさあこれからどうしよう、って考えていた心境とカーレーサーだった太田哲也さんがクラッシュして全身大やけどを負いそれでも果たして走るべきか、それとも止めるべきかを悩んでいた姿が重なって、結構な長さに及ぶ映画人生の中でもそれなりに大きな意味を持つ作品になったらしー。

 古巣の方は前期の決算で利益が結構な額出て今期中には累損も一層できて会社として完全に立ち直ったってなことを決算発表の席で言っててそれからすると元凶とも目されていた訳だけれど、その後にだったら古巣の方が洋画の配給に興行はともかく邦画で何か日本を動かしたかってゆーとせいぜいが「たそがれ清兵衛」くらい、未来に残せるカタログがどれだけ加わったかってゆーと判断に悩む。企業としては極めて健全になったって言えるけどエンターテインメントってのと健全ってのが果たして並び立つかってゆーと難しく、その意味で古巣はひとつフェーズを変えてしまったとも言える。一方で見るからにエンターテインメントの猥雑性をひとり背負っていた人が、紆余曲折を経て今立ち上がりつつある訳で、それが果たして今ふたたびの旋風を巻き起こせるかそれとも変化した構造の中で沈黙を余儀なくされるかは、7月にも公開の映画の成否と関わってきそー。聞いた今後の構想の面白そーな部分が実現される為にも是非にも派手に狼煙をぶち挙げて欲しいもの。期して作品のお披露目を待とう。

 ピンじゃねーじゃん、って突っ込みをしても良いのかそれとも言わぬが花なのかは悩ましいところではあるけれど、一応は「PiNMeN」ってタイトルが付けられているんだから「ピン」としての立場を貫いて欲しかった気もしないでもないと、痛ましくも苦しげなフィギュアが付いた限定10000ってなDVDビデオオ「PiNMeN」を買ってみながら思った人の果たしてどれくらいいるのかな。その昔に「東京ファンタスティック映画祭」のデジタルナイトで見た最初の1話はまさしく「ピンメン」だったんだけど、DVDに収録されている他の作品を見ると撞球の球あり叩かれるモグラありホッケーゲームの選手あり、ピンボールの玉ありバットありとまあ実に立場もさまざまで、それぞれにそれぞれの種目ならではの道具的な使われ方をしていて、その度ごとに受ける惨い仕打ちに見ていて身も痛くなる。

 まだ全部は見てはいないけど衝撃の度合いではやっぱりバットとしての「ピンメン」が多そうだけど向かってくるボールの大きさだと本家「ピン」の役割がやっぱり1番大変そー。作品的にはどの種目どの道具でも見せ方が巧みでこーゆー場面で「ピンメン」を使うとなるほど面白いな、って感じが伝わってくる。考えた人とっても偉い。痛みの中にいたわりを示すことを前提にしながらもそれを笛1つブザー1発でもってチャラにしてしまう妙な可笑しさも特徴かも。池田爆発郎さんこれ1本でしばらくは世界を相手に戦って行けそーな来もしないでもないけどもー結構、長い時間を関わって来ているらしーんでそろそろプロジェクトも終わりってことで果たして次になにをやるのか楽しみ。巨匠化すると沈黙してしまうアニメな世界の轍を踏まずに是非に更なる活躍を。しかし池田さんって他に何かやってたっけ。記憶あっても残ってない。


【5月25日】 微妙上等。出勤に備えて目覚めて午前9時から動きがヘニャヘニャで逆さかまぼこ口が可笑しい「金色のガッシュベル」(ベルって何?)のオープニングで感動してから「新・日曜美術館」で舟越桂さんの特集。最近何か書いてたっけな天童荒太さんがゲストで出ていてまずは小説「永遠の仔」の表紙に舟越さんの彫刻を使った時の話を披露、最終段階に来ていて精神的に参っていた時に刷り上がってきた表紙の見本を見て「やんなきゃ」と思ったって話は聞けば天童さんの人柄とか、作家の精神的な追い込まれぶりとかが分かって面白いんだけど、表紙見本が上がってもなお最終が完全には仕上がっていないスケジュールの不思議さなんかにも思い至る。あの本って記憶だとホント唐突に店頭に並んでいたからなあ、でも初版そんなに多かった訳じゃなかったし、隠してスタートダッシュを狙ったとも思えない。やっぱり作家の作品への徹底ぶりが出てたってことなのかな。

 作品のモデルになった人たちの実物が出たのが番組でも面白かった部分で禿頭に眼鏡の像のモデルが作品と比べて頭の量はともかく顔が、丸くなっていたところに10年とかの年の長さを感じてみる。どこかで見かけて頼んだってゆー女性の像のモデルの人は舟越さんをハッとさせただけあってなかなかの美貌。でもって木の柔らかさ色調の淡さが目立つ作品よりも凄絶な美貌ぶりで歳とか関係なしに圧倒される。あの眼差しを真正面から捉えて作品に刻んだ舟越さんが当時どーゆー思いだったのか知りたくなる。こちらはむしろ彫刻よりも若くなってる感じがする森村泰昌さんも登場して喋っていたけど彫刻が単に内面を映し出すってんじゃなく、その向こう側にある何かを刻んでるって話が同じアーティストらしい当たり前からズれた内容で興味深かった。誰かを”掴む”って意味で似た活動をしている2人だけに思うところもあるのか、2人の対談とか読んでみたいな。「永遠の仔」に使われていた彫刻も出ている舟越桂展は6月22日まで東京都現代美術館で開催中。

 背中から手が生えてる不思議な形の作品に関するリポートをザップして見つつも目は「アストロボーイ・鉄腕アトム」のオープニングから「デ・ジ・キャラットにょ」へ。前半の初めて真っ当に登場のうさだあかりの声がうさだひかるより妹っぽいのはなぜ、って突っ込みが全国から上がっただろーことは想像に難くなく、唄ったうさみみの歌もまだまだ拙くって、にも関わらずそれをフルコーラス近くかけるテレビの冒険っぷりに感動を覚える。大丈夫か。番組内番組に「ゴム段」大会が出たのはスポンサー配慮的なご愛敬、けどそれをどこか突き放してしまう辺りが桜井弘明テイストってんでしょーか。後半に登場の「目からビーム」お面ちょっと欲しい。「学研」の付録で付かないかな、目は豆電球で良さそーだし。場つなぎミニアニメの華麗田さんは顔だけ登場。巨大サラリーマンは一体何だったんだ。

 嬉野秋彦さんの「アウゴエイデス」(集英社スーパーダッシュ文庫)が3巻「邪神光臨」で完結。女トレジャーハンターのアキラのヘソに取り憑く羽目になってしまった魔人のカリスロッサがいよいよ満を持しての大暴れ。その昔に戦った仇敵を相手に鬱憤を晴らそーと突き進む過程で、現れる他の魔人たちをぶち倒していく展開の中、アキラの兄貴ながらも日頃は女装しているクロディーヌまでもが傷つき倒れてしまうものの、そこは主役級だけあって簡単には死なず、それどころか一段ととんでもない状態へと進んでいく。おさまってみればコメディチックになかなか面白い構図で迎えたエンディングだけど、数百年から諍いを続けてきた魔人たちのバトルをあっさり終結させてしまって良いのか、とか仇敵が言ってた超越神とやらの真否はどーなんだ、とかはっきりしない部分もあってちょっと心残り。まあ続かせようのないのも事実なんでここはキッパリと諦めて、次のシリーズに期待しよう。

 豪屋大介さんの「A君(17)の戦争」(富士見ファンタジア文庫)も順調に第5巻「すすむべきみち」が刊行。戦役が終わってひと休みって感じで美貌のお姫様が登場しては我らが魔王、小野寺剛士に言い寄るってきくも羨ましい展開になっているけど、このお姫様ことフィラ・マレルさん、コレバーン王国の第3王女とゆー身分でおまけに超絶的な美貌を誇りながらも性格が超合理的でストレートで謹厳実直で戦略的。身分とか無関係に自分を守ろうとした小野寺剛士に感動して示した態度の何とゆーかあからさまな話っぷりに、こーゆー人が相手だったら男は生きてて楽だろーなー、なんてことを思う。もっともそれなりの人間でなければまるで気にも留めてくれないだろーから、そこはやっぱり持って生まれた人間がものを言うってことなんだろー。根は暗く猜疑心に溢れてたはずの剛士がだったら何でまた、って疑問はまあ、優しさ故の弱さの裏返しだったってことで。続き話の次巻は血塗れだとか。いきなりフィラさんご退場とはならないことを祈ろー。田中魔法退場(けどすぐ復活)のシーンはジンと来たもんなあ、あの名セリフ(スレッガーのパクリだけど)には。

 「朝日新聞」の2003年5月25日付けから「中高生のためのブックサーフィン」で三浦しをんさんの新連載「彼岸過まで行人は悩むのこころ」、じゃなかった「三四郎はそれから門を出た」がスタート。紹介するのはギュンター・グラスの「蟹の横歩き」に岡崎京子さん「うたかたの日々」とまあ、今時の本とか読まず漫画だって「少年ジャンプ」あたりが関の山だったりする中高生に果たしてどこまでヒットするのか分からなかったりするラインアップだけど、「朝日」とか読んでるハイブロウにハイソサエティなハイスクールガール&ボーイなら読んでて当然な本、って感じになるのかな、ってゆーか中高生にこそ読んで欲しい本ではあるんだけど。もっとも同じページで別の人とかが中高生にマイケル・ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」とか勧めちゃっているのには仰天、どんな子供に育つのやら、町田康さんの「屈辱ポンチ」を読む子供ともどもに。

 今時の中高生にヒットっていったら例えば「ラグナロク」とかいった角川スニーカー系文庫や「ブギーポップ」が引っ張る電撃文庫系、女子だったら角川ルビー文庫の類がズラリと並んでいたら見た目はぴったりかもしれないけれど、「欲情トラップ」とかって題字が並んで果たしてお堅い校閲整理が通るとも思えないんで仕方がない。三浦さんの文章は「しをんのしおり」とかなんかで書き飛ばす漢字ギャグ混じりな文章とはちょっと違ってどちらかといえば真面目な感じ。下の伊藤遊さんによる「ファンタジー行きて帰りし」が語りかけ調でティーン向け雑誌っぽいのと比べると、まんま普通に読書面に出てたって不思議はない。朝日だから意識したのか1回目でまだ感じを掴みきってないのかは不明だけど、月イチでしばらく続くそーだしその中でどーゆー感じに変わっていくか、でもってどんなものを取り上げるのかを気にしつつ見ていこう。どんな本選んだって異論は数限りなく出るもんだし。


【5月24日】 目を醒ましてパソコンの前に午前9時。念力を込めてネットにつないでブラウザーを立ち上げて、「eプラス」のページを開いて午前10時からのサッカー「日本代表vs韓国代表」のチケット獲得戦に備える。午前9時58分。「まだ販売していません」のページを開いてから時計の秒針をジッと見つめ、9時59分過ぎからリロードの繰り返しを初めてスタートダッシュを狙ったもののそこはやっぱり「eプラス」、同時発売の人気バンドのチケット争奪戦も加わって、一気にかかったサーバーへの負荷がページへのアクセスを不可能にして以降、まるでページを開けない状態へと陥る。

 カテゴリー選びのページにすら辿り付けない状態が続いてきっと、この間にネットからガシガシとチケットが買われて行き、「チケットぴあ」とかの店頭でもゲシゲシとチケットが捌けていってるんだと恐怖に心臓がバクバクして来たけれど如何ともし難く気は焦るばかり。そのまま2時間近くが経ってこいつはもー無理だろーとほぼ断念して、正午からの「ファミリーマート」店頭の端末での販売に備えて近所の「ファミマ」へと行って、昼食を仕入れつつ時間までを端末の前で他のチケットを探すフリして潰す。

 そして正午、打ち込んだ「Pコード」に現れた当該公演の案内に「もしや?」と期待してボタンを押して現れた「予定枚数終了」の文字に、当然とは納得しつつも無念さは消せず、重い足取りで家へと戻ってあるいはと毛ほどの可能性にかけて「eプラス」へと再アクセスしたら何と、よーやく繋がったページに現れた「発売中」の文字。それも黄金シートの「カテゴリー1ホーム」ってのが「発売中」になっていて、早速選んでページを進んであるいは何時もながらに「用意できませんでした」と寸前であぶらげを浚われる気分を味わうことになるのかと、怪しみつつ現れた手続き用のページに快哉を叫び、それでも不安だった気持ちをやがて届いた「申し込み了承」のメールに安心させて約3時間の戦いに勝利した喜びに胸震わせる。

 思い起こせば約1年前、パソコンの前へと陣取っては深夜から明け方までひたすら画面を見続けメロンが現れるのを待ち現れてもそこから激しい「カテ戦」に幾度となく粉砕され、それでも頑張り続けてよーやくにして幾枚かのチケットを手に入れたことがあったけど、ベッドに入れず椅子に座り続けて幾晩も過ごしたあの時を思えば昼間の3時間なんぞ苦でもなんでもない。発売から試合までの時間がなくってカードのみの発売になったことも転売だけが目的の輩の参戦を多少は排除したよーで、出来れば次の大きな試合もそーして欲しいなー、なんてお願いしてみたくなる。ともあれ確保した伝統の日韓戦。ジーコジャパンのロートルなディフェンスが韓国の猛攻にズダボロにされるのか、それとも日本のスーパーサブで固めたフォワードが確率変動を引き起こして爆発して内弁慶ぶりを見せるのかを注目して見よう。安田講堂での大演説会「立てよ、国民」はパス、かな。

この形を見れば誰でも気分は舞浜、高田馬場  どことなく気を惹く意匠って奴があって例えば、赤く塗られててメスのよーな形のツノを生やせば、こいついは3倍速いと思って期待したくなるし、「●(まる)」が2つ、飛び出していると舞浜あたりに出没するネズミの親玉を思い起こして親しみを抱いてしまう。最近だと三角形のツノが上と横に出ている形なんかがビビッドで、朝っぱらからテレビで見せまくられていたりあちらこちらに露出していたりで食傷気味ではあるものの、やっぱりどこか懐かしいものを感じてしまう。他だと何があるかなあ、黄色い稲妻だで電気ネズミって感じ? まだそこまでは完全に定着し切っていないかな、70年に40年の先輩相手じゃ世界の「ポケモン」でもまだ辛いか。

 老若男女への浸透って意味ではまだまだでも、世代とか限定すれば伝わる意匠って奴はあるものらしく、さっき上げたメスのよーなツノもそーだけどそれよりはさらに多くの人に”分か”ってもらえそーなのが、バンダイグループのメガハウスって会社が出した「パンダーゼット」ってキャラクターに盛り込まれた幾つかの形、って見れば「まんまじゃん」って言われそーだけど、これを今の10歳以下がどこまで知っているかは怪しいし、40歳以上でピンと来る人も少ないだろーからやっぱり20代、30代あたりからの反応を中心に期待したキャラクターってことになるんだろー。10代はそれでも知っていそーな感じ、「スーパーロボット大戦」とかで。

 こーした意匠がアニメーションを見て育った元男子に訴えかけるものは結構あって、なおかつ動物界でも屈指の人気キャラクターの「パンダ」がベースになっていることで女子にも訴えかけるものは大。両面から攻め立てるその欲張りな形にブーム化の可能性なんかを見てしまったんだけどどーなんだろー、背中の羽根はやっぱりベルトで装着して欲しかったよね、とか言って男の子からは嫌われ今時パンダかよ、とか言って女の子からは蹴られる運命を辿るのかな。これが成功すればきっと他も真似して動物にアニメのコラボレーションとか考えて来そー、カメにバズーカとかテレビにハエとか(それちょっと違う)。関係ないけどコラボレーションつながりってことで「ラーゼフォン 悠久幻想曲」って番組を思いつく。必殺のトリーシャ・チョップを喰らって吹っ飛ぶラーゼフォンと綾人が見えます。


【5月23日】 ジーコ監督の会見に出るついでに寄ろうかと思っていたけど行けず繰り越しになってしまった「パルコギャラリー」で開催中の展覧会「girls dont cry」で予約を受け付けて後日渡しになっていたカタログを確保。会田誠さんのビシッと筋の通った美少女へのボディペインティング写真とゆー、その方面で情動を喚起させそーな作品はそれとして、抽象的にオブセッションを究めた作品が目立っていたはずの草間彌生さんが突然思い立ったらしく始めた妙にポップな作品を始め加藤美佳さんやら村瀬恭子さんといった新鋭と、奈良美智さんのよーな人気作家の作品とほか外国から参加のアーティストの作品が、大判ではないないものの手堅く納められていて展覧会の雰囲気は何とはなしに感じられる。でもやっぱりサッラ・テュッカの上半身裸な女性がボクシングする映像は映像として見た方が凄いかな。

 ペインティングいしてもドローイングにしても飾ってあった全てが所収されていないタカノ綾さんも展覧会で見ておいた方が良いアーティストかもしれないけれど、とりあえずは気になっていた「ビルの面によって窓の色が違った夕ぐれ」が掲載されていたんで良しとする。それでもちょっと扱い小さいのが玉に瑕。大きな絵で見ると良さ5倍増しなんでやっぱり会場で見た方がこれも良いかも。それと雪舟とスレンダーな少女が同居していた妙な佇まいの絵とか、カバにまたがってたかした絵とかも載っていないのが残念至極。「パルコギャラリー」は間もなく終わってしまうんだけど、近くでも遠くでもいいからその辺りがまとまって見られる展覧会とか開かれると嬉しいかも。ってか週末にやっぱりもう1回見ておくか。会田さんの縦筋(何だ?)にサッラ・テュッカのぶるんぶるん(何がだ?)も含めて。

 そうそうタカノ綾さんと言えば明日にも店頭に並ぶ「SFマガジン」の2003年7月号で何と表紙絵を担当していて崩れて膨らんだタマちゃんみたいな得体の知れない生物がうにゃうにゃとする中を真横に少女が突き出てる、いかにもタカノさんらしーワールドを見せてくれていてファンの人の目とそして、SFの人の関心を集めそー。割にダークな感じの表紙が普通になってたなかでバック白地にパステル調の淡いトーンの絵が載って、大事も黄緑色にされた表紙は何だか別に「BT」とかって題字になっていたって違和感のない冴えたデザイン。依頼した編集長の人も偉かったけどデザインした人も頑張ったなあとここに敬意を表したい。それにしてもどーゆー経路で登場したのかタカノさん。「SPACE SHIP EE」(カイカイキキ、1600円)をやたらにプッシュしていた西島大介さんの熱意の賜か。これで「SPACE SHIP EE」が売れると良いなあ。ティプトリー好きとかコードウェイナー・スミス好きとかに受けそーなんだけどなー。

 企画については自分の書いた文章を読み返すのが未だに気恥ずかしいんで他の人のも含めてまんじりとは見ず。境界のジャンルから作品的商業的に気になる人を思いつくまま拾ったって感じで絶対なものではないとだけ言っておく。インタビューに登場の近くだったか既にだったか新作「マルドゥック・スクランブル」(表紙カッコエエエエ!)が刊行の冲方丁が登場して、自称していたアン・ジョンファン似の容貌を見せていたりするので気になる人は見ておくよーに。つーか冲方さん、シェンムー」や「セガガガ」のシナリオなんかやっていたんだ。まさか当時はそれ(どれ?)のせいでセガが傾きえらいとこになってそれから、それ(これは「セガガガ」)を作ってた人が社長になったりするとは思わなかったに違いない。自分がこんなにいっぱい本を出すとは思っていたかは分からないけれど、「SFマガジン」に出るとは思っていなかったかも。時代は変わる。「SFマガジン」も変わる。でも読者は変わらず毎年1歳年を取る。冲方さん荻野目悠樹さんにタカノ綾さんで10代、読むよーになると良いですね。

 「カタログシティ」って所の偉い人たちが来たんで話す。アメリカとかの通販商品を日本向けにホームページで売りますってゆー企画だとそれはもう大昔に「バーゲンアメリカ」ってのがあって白山だかどっかのレストランで行われた説明会に行ったなあ、って記憶が灰色の脳味噌の奥から染みだして来たけどしばらく気にしなかったうちにドメインはどこかに行ってしまって招き猫が登場する始末。トム・サトウさんって偉かった人もいろいろ手を変え品を代えってって感じになってて、 つまるところ日本から米国とかのいろいろな商品を日本語で買えるネットモールってゆーのの大手は「カタログシティ」になっていたんだと気づく。なるほど秒進時歩な業界だなー、インターネットって。

 やっている人たちのオレゴンなSOHOがどうとか家紋がどうとかいったキャリアはそれとして、今これからやろーとしているビジネスの話なんかを聞くにつけ、しゃかりきじゃないけけどいい加減でもない、不思議なスタンスが興味深く感じて来る。便利さを追求するよりカテゴリーやらジャンルやらから探し辿って妙な商品を見つけて嬉しがる、通販的な楽しさと初期のハイパーリンクをどこまでも辿っていく面白さが混然となっていたりするんだよねー。ネットってたぶんそーしたユルさが魅力だったんだけど、いつしか資本主義的帝国主義的覇権争いが拝金主義的な風潮と裏腹でおこって大波が起こり大風が吹き荒れ、揚げ句に「バーゲンアメリカ」も含めて紆余曲折な隘路へとはまりこんでいた、そこに相も変わらずにユルユルとして、それでいて中身はまずまずなこーしたビジネスが出てきてくれると見ていて楽しくなって来る。かくも細かい商品を扱って採算とか取れてるんだろーかって悩むけど、その辺も先刻承知の上できっとヘッジしつつやっているんだろー。暇な時に何があるのか探してみよー。人形とかほんと抱負に揃ってるよなー。欲しくないけど見てみたい。


【5月22日】 2クールだったんだ、って今さらながらに「TEXHNOLYZE」の真実を知ったのはパイオニアLDCから届いた「テケケテ・テケノライズ」付き「アニメプレス」を読んだからで表紙にむぎむぎ小麦ちゃんのあっぱらぱーなのだー、ってな顔が描かれたモモイーな人にはそれなりに価値のありそーな7月号をペラリとひっくり返した裏に、DVDのリリース予定が書かれてあって7月25日にまず1話入りの1巻が出て、それから3話入りになって全8巻がリリースされる予定になってて単純計算だと全25話が作られる勘定になっている。どーりでちっとも話が進まねーと思ったよ。

 1巻には何でも初回版に特典ディスクが付くそーで「灰羽連盟」みたく素っ頓狂な奴なのかそれとも作品を反映して真面目に暗黒な奴なのかちょっと楽しみ。あとキャラクターカードも封入予定だとかで「灰羽」が光るカードだったからこっちはそーだな、匂うカードなんて良いかも、「流9州」の地下を流れるどぶ川の匂いなんて最高、決して食事時に見ないで下さいってね。7月25日にはサウンドトラックだかもリリースの予定でこれには初回版のみキャラクターカードに安倍吉俊さん描き下ろしのGacktが出現予定とか、どんなだろ。関係ないけど「アニメプレス」じゃむぎむぎ小麦の桃井はるこさんサイン入り「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」の台本をプレゼントなのだー。顔文字に「イイ!!」ってコメント入りでネットな人っぽさを感じさせる。記事の方とかにも「6月6日に発売延期致します…正直スマンカッタ!!」ってコピーも使われているし。詳しい応募とかは「アニメプレス」を拾って見ろ。「シュガー」情報もちょっとだけあり、ちょっと過ぎてまるでどんなか分からないけど。

 会ってどーしてゲンクでまるで試合に出られなかった鈴木選手とか、フラムで干され気味の稲本選手とかをメンバーに入れたりU−22でボールをコネ回し過ぎて顰蹙を買ってて、所属のJのチームでも大活躍が見られず低迷の要因になっている松井選手を引き上げたりするんですかと、心の中で問い詰めてやろーかと思っていたけど残念なことに午後4時の、コナミによる新作サッカーゲームソフトへのイメージキャラクターとしての起用を発表する会見に、ちょうど重なったゲーム会社の決算発表のせいで行けず機会を逸してしまったのが、今後のサッカー日本代表チームに大きな禍根を残さないかと、まあ勝手に妄想していたりするんだけどそもそもが会って話せるほどポルトガル語とか知らないから、ジーコが登場したからってアドバイスは出来ないから仕方がない。ってか聞くわけないよね、ただのファンの戯れ言なんて、セルジオ越後さんとかプロの評論家が言ったって聞きやしないジーコ監督が。

 それにしても世界で450万本とか売ってしまったとはサッカーゲームも世界だったらEAって感じがある中でコナミもしっかりしたもんだと、2003年3月期の決算概況なんかを聞きながら嘆息する。同じスポーツでも米国の国民的なスポーツを題材にしたセガのシリーズがことごとくEAの後塵を拝したのと比べると対称的で、その辺やっぱりユーザーの愛国心めいたものが働いたのかもしれない。EAが相撲のゲーム作ったってちょっと変えないもんなあ、ヨコヅナとか混じってそーだし。驚いたのは米国で「遊戯王」がブレイクしかかってるってことで売上げも立ってれば利益面でも全セグメントでトップの数字を出して貢献していて、子供はどこでも面白いものは一緒なのかもしれんなーと考える。あんまり流行ると「ポケモン」の時みたく学校に持って来ちゃダメとか絵柄が悪魔的とか言われ叩かれてしまうかもしれないけれど、じわりじわりと来ている感じなんで日本みたいに世間を騒がせることはなく、静かにそれなりのシェアを固めていくんだろー。とりあえず夏の世界大会あたりでどれだけの人気を見せるのかに注目。見に行きたいけどSARSで渡航禁止だし(ってのは口実で金がなくって国内だって行けないし)。

 SARSと言えばハワイから帰国した小学生だかに登校を禁止したって学校の話がニュースに出ていてちょっと唖然、なるほど理屈として他に病気をうつしてはまずいから、感染の可能性の皆無ではない生徒に来てもらっては困るってゆーのは分かるけど、香港台湾北京だったらいざしらず、記憶では患者の発生していないハワイ(してたとしても米国はすでに渡航自粛地域から除外済み)に行って帰って来るだけで感染の可能性があるかもって見るのは、ハワイに対して失礼なことこの上ない。向こうからしてみれば日本からの観光客の方がより、大陸に近い分だけSARSの患者が紛れ込んでいる可能性が高くって(ちょっと飛躍しているけどハワイが危ないって理屈よりは真っ当)、出来れば観光なんかに来て欲しくないんじゃなかろーか。それを別に言わずちゃんと受け入れ楽しんでもらってるハワイの度量に、仇をなすよーなことを教育機関がやって平気なところがどーにも気持ち悪い。自分のところが安全なら、って思考にばかり頭が回って相手がどう思うのか、相手だったらどう考えるのかって辺りへの思慮がまるで足りない、これが日本の唾棄すべきお役所的セクショナリズムって奴なんだろー。大阪兵庫京都だったら観光に行っても登校可能だったのかな。


【5月21日】 環境に優しい方法で月へと行くにはどうすれば良いのかを斯界の精鋭たちが集い日本でも最高の学府で議論する崇高にして貴重なシンポジウムの聴講許可が届く。宇宙作家クラブとかでガンガンと種子島に行ったり見学会に行ったりペットボトルロケット(タイプミスで「ペットボトルロボット」と打ってしまったよ、実物想像するとなんかヘン)を打ち上げていたりする人たちとは無縁の、ロケットとかまるで知らない身なんで果たしてどこまで話について行けるかは知らないけれど、折角の機会なんで頑張って話について行こー。行かれる方は胡乱な中年がいると虐めないでくださいな。蛍光棒とかはいるのかな。前日の安田講堂での演説会、別名「立てよ、国民!」はサッカー日韓戦のチケット次第、かな。終わってから駆けつけるって手もありか。

 「一部のテロリストを捕まえるといって、テロと無関係の人々が殺される茶番……。そんなものが正義の戦争であるわけがない」って言葉が「サンデー毎日」の辺見庸さんのコラムや筑紫哲也さんの「ニュース23」の「多事争論」で言われたって今時そーした雑誌を好んでみるなり番組を見る有意の人にしか伝わりはせず、伝わったところでもとよりそーした考え方を持っている人だから新しい勢力となって世の中を動かすまでにはなりはしないんだけど、これが「週刊少年マガジン」ってゆー普段は「サンデー毎日」も「ニュース23」も読まないし見ない子供(と一部の大人)たちに広く読まれている雑誌の上で語られた時、与える影響ってものの将来への展開も含めての大きさにはとてつもないものがあるんじゃなかろーか。

 先週と今週の2号を使って連載された「アフガニスタンで起こったこと 不屈の医師・中村哲物語」は、アフガニスタンで長く医療活動を続けて来た医師の中村哲さんを取り上げたドキュメンタリーコミックで、長い内戦と激しい干ばつで疲弊した国土の上にさらに爆弾をガンガン落として行った米国とかの理不尽さと、それを支持した日本も含めた勢力への批判にあふれたものになっている。アフガニスタンでの戦争から1年以上も経ったタイミングでの掲載、それ自体はアフガンでの戦争を止める効果を当然ながらまるで持ってはいないんだけど、読んで子供はおそらく戦争の言いようのない理不尽さを感じ翻ってイラクで行われたことへの疑問も浮かべこれから起こるだろー様々な事態への、喧伝される大声での大人たちの賛意を立ち止まって考える気持ちを、少しは抱くよーになるんではなかろーか、ってゆーかなって欲しくて掲載しているんだろー、編集部としては。

 その目論見が果たして成功しているのかどーなのかってのは、読んだ子供に聞いてみないことには分からないけど殊更に英雄を仕立て上げ、感動の前に枝葉を切り落としてストーリーを伝える傾向のあるNHKの「プロジェクトX」とは違って、病気になってから1度も医者に見てもらえなかった少女のエピソードとか、赤痢の心配があっても泥水を飲まなくちゃいけない少年のエピソードとかが派手さのない絵柄で淡々と積み上げられた後、そーした環境下にある普通の人たちの上に爆弾が落とされたとゆー事実を挙げて「どうなのか?」と提示するマンガは、押しつけがましさがあまりなく読んで普通に「どういうことなんだろう?」と考えられるようになっていてそれなりの効果を上げそー。とはいえ最近の子供は妙に達観しているから「しゃーねーよ」ってことになったりしないかって心配もある。そーなるともはや「週刊少年マガジン」では遅くって、「たのしい幼稚園」あたりから戦争の悲惨さを教えておかないと、真っ当さを持って真っ正面から世を見られる人間は育たないのかも。オルグも幼稚園から。目覚めた園児がピケはって闘争とか始めたらどーしよー。

 「レイアース」はアニメを見ていただけだし「X」はテレビのCMを見たくらいだし「カードキャプターさくら」はLDを集めたけれど全部は見てないし「ちょびっツ」は漫画も読んでいなければアニメを見ていないからまるで全然CLAMPさんのことは知らないに等しいんだけど、「週刊少年マガジン」の2003年6月4日号からスタートした連載「ツバサ」の絵柄ってゆーのはCLAMPさんの本流を行くと言って良いもなんだろーかどーだろーか、「レイアース」とは違うっぽいし「さくら」とも微妙に違うよーな気がするんだけど見る人が見れば1発で「CLAMP」と断言できるだけのものなんだとしたら、これでなかなかにCLAMPさんは僕の好みに近い絵を描く人だって言えそー。それともチームの面々が媒体に応じて描き分けているのかな、将来分裂して「CLA・も・MP」とか「大CLAMP」とか「CLAMP・CAT」「CLAMP555」とかってゆーペンネームで活動を始めたりするよーな。同じ号の大暮維人さん「エアギア」は久々に露出過剰。切り取って保存だ。

 7期ぶり、だったんだなあと羽生善治竜王の名人位返り咲きのニュースを聞いてちょっと意外に感じたのは、その間も羽生竜王が王座やら王位やら王将やら竜王やら棋王やらを取ったり取られたりしながらしっかりと3冠以上を保持して、棋界でもトップクラスを堅持していたからってこともあるんだけど、それ以上に「名人」ってゆータイトルがどことなく軽くなってしまっていたことがあるよーな気がする。もちろん棋界でも随一のタイトルであることには違いがなく、数いる棋士たちのトップテンに入らなければ挑戦権を争うことすらできないヒエラルキーのその上に燦然と輝いているんだけどでも、羽生竜王が失冠していた間に「名人」を持っていた棋士たちの、果たして羽生竜王を超えて棋界ナンバーワンだと万人が認められる存在と言える人がいたかって辺りで、悩ましいものを感じてる。

 それは「名人」が名実ともに棋界のトップを現していた時代の残滓のよーなものが背後にあるからで、かと言ってタイトルそのものが権威を持っているんじゃなく、実力とタイトルとが見合ったものとして機能していたが故の権威だったりしたんだけど、それがいつの頃からか変化して来て、7つあるタイトルの1つを持っている人、って位にしか思われなかってしまったことが、失冠していても羽生竜王を棋界のトップにある人と見させ、名人を持っている人を7冠の一角程度に見させていたのかもしれない。これで羽生竜王が名人位に返り咲いたからと言って、昔みたくその重さが取り戻せるかどーかは曖昧で、仮に羽生竜王が10期とか連続で保持した後で、次に来る1周り2周り下の世代の挑戦に敗れたりすれば権威は権威として保たれそーだけど、1期で佐藤藤井三浦森内等々に奪われでもしたら、やっぱり棋戦のひとつ程度として見られ、取ってもやっぱり羽生竜王がトップと目される状況になってしまいそー。今年よりもむしろ来年の防衛戦に注目、だな。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る