縮刷版2002年8月下旬号


【8月31日】 今年ではトップクラスにバカが行ってて感動した「アニレオン ヒーローだって恋したい」(ファミ通文庫)からいくらも経ってないのにまるで傾向を変えて来るとは葛西伸哉さんて器用だなー、なんて思いながら「バギーラギーで出かけよう!」(電撃文庫、550円)を読む。バギーラギーってのは「ザブングル」で言うところのウォーカーマシンみたいなもので、ロボットって感じではなく2本足だったり4本足だったり8本足も中にはあったりするけどとにかく足を使って移動する、ロボットってよりもむしろ重機に近い乗り物で、そんなバギーラギーを駆ってお宝探しに勤しむ兄のアーレイと勤しませたくない妹のシンシア、兄妹とは幼なじみのバギーラギー乗りの少女ベッツィとが挑む冒険と出会いがお話しのメインになっている。

 ライバルってのも出てきてこいつはお宝探しを商売にしている奴でお金持ちから頼まれて費用もしっかり出してもらった上でお宝を探しに行くんだけど、アーレイはそんな彼の動機を不純と見て嫌ってて、誰の指図も受けずに純粋にお宝を探しゲットすることこそが正しいんだと突っ張るんだけど、哀しいかな効率がそれほど良くないのがお宝探しの恒ってやつで、普段は腕の最高クラスなバギーラギー修理職人として自前の工場まで持ってたりするアーレイだけど、暮らしはきゅうきゅうでジャガイモにバターも付けられない生活を送ってる。

 貧しても自由であり純粋であるべきなのかそれとも、アーレイのライバルのディクサーみたく生活のために雇われ見つけたお宝の権利を持てなくてもお宝に関わる仕事に就き続けるべきなのか、ってな割にシリアスなテーマが投げかけられて仕事と趣味の間に悩む身を焦がされる。クライマックスが割にステレオタイプな展開だったけど、探索へと至るプロセスの助け合いつつ牽制しあう駆け引きとか、さっきも挙げたテーマとか読み所もあって面白がれる1冊。ディクサーのパートナーで整備担当の眼鏡っ娘のカレンとバギーラギー乗りで長身のフランチェスカのイラストがないのが返す返すも残念で、とりわけ見かけによらない力を持っていそーなカレンちゃんは是非にも姿を拝みたいので、出来れば続編なんかで彼女たちをフィーチャーしてやって頂ければこれ幸い。出るかなあ。出せ。

 感動の一目惚れど真ん中(お米かい)から1年余。あの真夏の「東京ドーム」で踊る姿を見てからとゆーもの、1日たりともその姿を思い浮かべない日はなかった、ってのは真っ赤な嘘だけどそれでも記憶の片隅には留められていたその姿に、再び出会えるかもしれないとゆー期待を胸に「東京ドーム」で開催中の「第73回都市対抗野球」に出場している川崎製鉄千葉のチアガールを見に行く。試合? それはおまけ、当たり前じゃん、「都市対抗野球」に来ている人の8割はど派手な応援のチアガールを見に来てるんだ、と思う、けど、そーじゃないの? ホントに野球を見に来てるの? ふーん日本人ってヘンタイなんだ(お前が言うか)。

 面食いで年齢制限が厳しく眼鏡っ娘属性が高くツインテールでツルペタならなお結構だったりする、贅沢にして支離滅裂な当方の嗜好にかなって1年を引っ張るだけの器量っていったどんなだと思う人も多いだろーけど、その点についてはご安心、たいしたことないです、って僕が言うのも失礼過ぎる話だけど、世間一般の規準に照らしてとてつもなく美人って訳ではまったくないし、そもそもが川鉄千葉のチアリーダーって人数も少なくって出場チーム全体を見渡しても規模や内容で上位には来ない。

 にも関わらずこーまで気持ちを引っ張るのは何故かといえばそれこそがボーイ・ミーツ・ガール(げらげら)って奴で、器量とか、スタイルとかいったものとは無縁に気になって仕方のない存在ってものがあるもので、それはたとえば「ひろってください」と書かれた段ボール箱に履いているブチの可愛い猫に混じって1匹だけ残ったまっくろな子猫に目がいってしまう心理だったり、「モーニング娘。」だと飯田佳織をこそマイスイートハートだともてはやす心理にも似て、説明してもなかなか理解してもらえないし本人だって理解していない。保田圭だとうーん、ちょっとニュアンス違うかも。

 ともかくも微妙にして珍奇な竹林にも並ぶ見目でもって精一杯に踊る姿に深く感銘を受けつつも、去年は1回だけした見られず残念だったその姿が、果たして今年も見られるかってこととそれから川鉄千葉の応援をリードするマイクを担当する女性のアニメ声がまた聞けるかってことだけを楽しみに駆けつけた「東京ドーム」。札幌市代表のサンワーッド貿易がたった9人しかいないチアリーダーでもって総勢30人はいよーかとゆートヨタ自動車を倒した(野球が倒したんじゃないのかい?)今大会でも屈指の好ゲームを脇で見た後、いよいよスタートした川鉄千葉の応援団席を見たところ……いたよいました、去年とは髪型こそちょい変わったとものの同じ要望でもって精一杯に踊る彼女がそこにいて、去年は隅っこだったのがセンター付近に(多分)出世もしていて、夏の遊び疲れた心がいっきにリフレッシュされる。

 加えて声援をリードする声も去年とおなじどこかトボけた感じすら漂うアニメな女声で、喉よ割れよとばかりにガナリ上げる男の声に辟易とさせられた耳に高原のそよ風のよーな清涼感がぱーっつ漂い聞き惚れる。何か安い納涼だなあ。もちろん真っ当な人間としてはそーした姿や声はただ見るだけ、聴くだけでとりわけチアリーダーを遠くから長玉でもって劇写するなんてことはしないし出来なかったんで、そこまで言うなら見せてみろってナリクエストには答えられないし答えたら間抜けと言われそーなんでしないけど、高性能化するパソコン高速化するインターネットに合わせたかのよーに今年は応援シーンが動画で提供されているんで、川鉄千葉の応援にもしかしたらその姿が映りその声が流れているのかも。早く乗せろ毎日新聞。

 4対1だかにリードしてこれは明日もまた会えるだろーとゆー希望のもと、とりあえず途中で退散したけど帰宅してニュースを見て肩ガックリ、王子製紙に逆転で負けてしまったよーで明日の試合には彼女も彼女の声も登場することが適わず、今再びの巡り会いは不可能と相成ってしまった。何でも日本鋼管との事業統合があって川鉄千葉が川崎製鉄で出るのはこれが最後とゆーことで、もしかしたら来年は出ても新しいグループ名の「JEF」とか何とかになって、メンバーにも入れ替えがあったり応援スタイルも変更になってしまうかもしれず、今さらながらに最後まで見て居なかったことが悔やまれる。果たして来年も出てくれるのか。不安と期待を抱えた1年がまた始まる。

 野球のアマチュアの最高峰とも言える「都市対抗野球」を見た足で、サッカーのプロの現時点では下ぎりぎりの所に位置するJ2の「横浜FCvsヴァンフォーレ甲府」の試合を「夢の島競技場」へと見に行く。最高峰とはいえ所詮はアマチュアな野球の試合に4万人とか来てるのに、底辺とは言えプロお試合に集まった観客2000余人とゆー、この差をもって日本にいてスポーツは企業の宣伝活動なり福利厚生の一貫として求められているのであって、プレイを見せて魅せるプロのスポーツはそれほど望まれていないんだと、言いきれはしないけどやっぱり微妙に複雑な思い感じてしまう。

 アマチュアでも野球が何千人何万人を動員できるのは、それが企業ってゆー擬似的なファミリーなり擬似的な城下に暮らす住民たちにとってのイコン的な存在だからで、企業の発展とともに成長して来て感情の入れ物として機能してさえいれば、プレイの質がプロ的に魅せるに値するかどーかってのはそれほど問題じゃない。対するにサッカーが登録の関係でプロだって言ったところで都市なりファンといった支える基盤がある中で成長して訳じゃないから、感情を入れる器としてはまだちょっと弱い。だったら企業に支えられれば良いのかとゆーとこれもまた悩ましい。

 イタリアのカルチョとかイングランドのフットボールとかを支える、100年を超える歴史が育んだファンに匹敵するものを、だったら日本にチームがJ2の末端からJFLに至るまで生み出せるのかってあたりに反映の未来もかかって来そーだけど、それにはやっぱりチームが感情の入れ物として立脚しよーとするスタンスを見せることが必要。それには何をすべきかは分からないけれど、少なくとも企業スポンサーの論理とかで動かず、目をまずファンに向けてお互いに切磋琢磨し成長していくよーな構図を作り上げて欲しい物。とりあえずはだからチアリーダーを作ることだな、アナウンスもDJとかはめてアニメ声の女の子にやらせよー。眼鏡っ娘ならなおよし、毎回だって聴きに行くぞ。


【8月30日】 「SPA!」2002年9月3日号の「モンスター個人サイトなんとか」な記事に初期「日記リンクス」系のまるでいないことに時代(とき)の移り変わりの激しさを感じてみたりする今日このごろ、だけど夏はなかなか終わらず、相変わらずの暑さに死にそうになりながらひたすら読書に励む。で「ショットガン刑事 刑事暗殺。」(秋口ぎぐる、富士見ファンタジア文庫、600円)。お前も「カタン」か、ってのは別にしてほとんど1年ぶりくらいになるらしー新刊は高校の刑事部(部活? ちょっと違う)に所属する殺人課刑事のショットガン刑事こと宇野辺虎雄は、愛用していながらも所詮はモデルガンでしかない獲物をホンモノへとグレードアップすべく、前回だかにパクった1000万円を持って銃の売人が指定したホテルへと乗り込んでいく。

 ところが到着してみると売人が血塗れになって倒れており、おまけに虎雄は犯人と疑われて同僚の刑事たちから追われる羽目となる。真犯人を追ってマフィアを脅し1200円もするスゥィーツを食いママチャリを漕ぎながら真犯人を探そうとする虎雄。だがその前に立ちはだかったのは恐るべき陰謀だった……ってのがだいだいの内容で、巻を3巻も重ねて高校生刑事だなんてシチュエーションが頭にインプットされてしまったことから読んで脳ミソを揺さぶられる不条理感は受けないけれど、その分は謎解きな話としてまとまってるんで読んでまあ安定っていったところ。前の巻からのキャラが引き続き出てるんだけど記憶が悪化してどんなキャラだったのか思い出せないのが辛いなあ。掘るか買うか。買った方が早いな。それいしても「まるだし刑事」は携帯も拳銃もどこにしまっているのでしょーか。

 「ゴゴゴゴゴゴゴゴッツ」、って音が見た瞬間聴こえて来てしまったアンソニー・ホロヴィッッツの「ストームブレイカー」(竜村風也訳、集英社、1600円)。何故って表紙が荒木飛呂彦さんだからさ。突然死んだ叔父が実はMI6とやらの特殊工作員だったことが判明。叔父の仇を討つってよりは生活していかなきゃいけない事情もあってMI6のスカウトに応じた14歳のアレックス・ライダーは、持ち前の明晰な頭脳とそれなりな体力を駆使して地獄の訓練を乗り越え(でも一応は子供だからって配慮されてる)コンピューター王が企む陰謀の壊滅に挑むのだった。スタンドも波紋も使わないけど。

 言ってしまえば子供版ジェームズ・ボンドって感じの内容で、ボンドガールこそ出ないけれど謎めいた秘密兵器とか出てきてそれらが危機一髪な場面で使われたりしてギミック好きには結構萌えさせられるものがありそー。14歳にしては割に世の中を達観していて妙な正義感とか振りかざす訳じゃなく「やれやれ」って感じだけどそれでも世界の危機には立ち向かおうって姿勢があるいは、情報過多の中でマセて大人びて来ている少年少女のマインドにフィットして、熱烈なファンを本国では生み出しているんだろー。っても日本じゃあ14歳っちゃー援助交際もすれば凶悪な犯罪も冒すお年頃だったりするんで、アレックスくんすらおしゃまなガキに見えてしまうかも。本がリアルに対象としている世代の反響を聞きたいところ。しかし表紙の荒木版アレックス、スパイにしちゃー派手過ぎない?

 おめーヘソ魔神じゃねーか。なんてコルゲンなCMとは無関係にますます快調な嬉野秋彦さん「アウゴエイデス2 夢幻都市」(集英社スーパーダッシュ文庫、590円)は、「アウゴエイデス1 神話覚醒」(571円)でお臍に魔神を宿してしまったお宝掘りな美少女アキラとその兄ながらも姿形は麗しき美女ってなクロディーヌの2人組にちょっかいを出す輩が発生。逃亡の果てにたどり着いた町で2人は、死んだ父親の親友だったという男に出会いとりあえずの寝場所を得る。やがてその町にも伸びる魔手。戦いの中で2人とヘソの魔神を狙う勢力の正体がしだいに明らかになり、2人の父親の死の真相もじんわりとながら示唆される。

 幹部連中がアレだとすると2人にちょっかいを出す「前時代神智学探求協会」ってのがそもそもソレを目的に作られた団体ってことになるのかどーか。アレな幹部連中を束ねる理事長のバルザス・サロモンって輩の正体とか目的とか謎もまだまだ残ってて、実は……だったアキラとクロディーヌの今後の関係なんかも含めてクライマックスとかゆー3巻への期待もうなる、ってゆーか3巻でホントに終わってしまうの? それこそ「ジョジョ」じゃないけどタロットカードよろしく魔神を続々と繰り出していけば10巻だって続きそー。けど、それだと話が間延びし展開も陳腐になってしまうんで、3巻あたりがまとめるに適当だったりするのかも。今さらだけど何でクロディーヌは女装してんだろ。ガサツな妹に女らしさを教える以外の理由とかも3巻で明らかになるのかな。

 こっちは貞操を守るためって歴とした理由のあるフランチェスカことフランシスコ・ザビエル君。「月刊ヤングキングアワーズ」2002年10月号の所収の冲方丁さん原作で伊藤真美さん画の「ピルグリム・イェーガー」で堂々の女装姿をさらしてくれってこれがなかなかに見目麗しくってついつい襲いたくなる。襲われちゃー貞操もへったくれもないってことになるけど、こーゆー感覚は現代のものでフランシスコが生きた時代は女性は後で”売り物”にするため手を出すのは御法度、かわりに美形の男子を襲う輩がいたってことで、女装の方が旅をするに安全だったらしー、本当かは知らないけれど。お仲間にフランチェスカで面通りしたってことはしばらくは女装姿で行くのかな、嬉しいな。

 こちらも「ジョジョ」めいてタロットを秘称に持った異能の輩がそろい踏みで、バトルが始まるとなるとやっぱり1人に10回10人で100回の連載とか行ってしまいそーだけど、月刊でそれやると10年経っても終わらないんで適度にまとめてバトルってことになるんだろー。それか敵と味方をバーンと見開きで対峙させ、時あたかも宗教革命前夜であったとか煽りを付けて「第一部完」って奴にするとか。表紙になってアニメ版も放映中と書き入れ時な「朝霧の巫女」が載ってない、マウスパッドがおまけについた「トライガン」が載ってない号だけに、あって不思議のない展開だけどそこはやっぱりお話しにちゃんとケリをつけてやって頂きたいもの。それにしても編集後記の「F」さんのコメント、何について言っているのか気になるなあ。


【8月29日】 西へ南へ。まずは西へと大手町から地下鉄に飛び乗り池袋から西武を乗り継いで行き着いた先は豊島園。夏の盛りに「としまえん」とくれば超絶ハイレグなビキニの美少女たちを脇に従え流れるプールでひと泳ぎしたあと、美少女たちの背中にサンオイルを塗り込めながら(塗られるより塗る方が良いに決まってる)プールサイドでトロピカルカクテルに舌鼓、なんてことには当然ながらならなくて、茶髪の姉ちゃんを従えてプールに向かう茶髪のアベックたちを横目に広い園内を完璧なまでにスルーして、裏にある駐車場へと行って照り返す日差しの中を美少女でも美熟女でもなくそもそも人間か否かをかつて問われたこともあった、ジミーちゃんことジミー大西さんがデザインしたとゆータカラのラジコン飛行船の発表会を見物する。

  タカラの飛行船のデザインではかの岡本太郎大先生に続くアーティストの起 用ってことになるジミーちゃん。その業績その実力の今んところある莫大な 差にはすこしばかり戸惑うけれど、そーした権威だとか評価だとかをあんまり気にせず言われればひょうひょうとして受け、あくまでジミーちゃん的デザインを仕上げて飛行船へと施すあたり、マインド面での大物ぶり純粋ぶりを強く感じる。色使いの派手な割にはシンプルでデザインもグラフィカルな岡本太郎デザイン版に比べると「ボールくん」と名付けられたジミーさんの飛行船は、野球とかラグビーボールをモチーフにしたってだけあって縫い目っぽい縞が付けられ色も塗り分けられて派手さで岡本太郎の推定10倍。線も計算の一切ない奔放さ丸出しのものばかりで、悪く言えばラクガキ的、けれどもまとまるとそれなりに見えるってゆージミー調としか言い様のないデザインに仕上がっている。

 炎天下の中を質問とかにもしっかり答え寄ってきた子供の握手にしっかり応じる人柄の良さを目の当たりにすると、なるほどそんな人柄がいっぱいに出たデザインとも言えそー。こーゆー人の気持ちをふわふわさせてくれるよーな部分が、下手に出ているよーでもどこかに「オレ様」的な空気を感じてしまう某片岡鶴太郎さんとは違って、タカラのよーな子供たちに夢を与えることを目的にした企業が仕事を頼む理由につながっているんだろー。発売を記念してまったく同じデザインが施された全長17メートルとかの本物の飛行船を飛ばすイベントもあって、折角だからとその飛行船にサインを入れるジミーちゃんの筆さばきの何とも堂に入ったこと。アーティストとしての活動も結構な期間になって自覚も実力も付いてきたってことなのかも。でも子供たちに「ジミーちゃんやってる」って言って欲しそーにして自分でそう口にしていたから、芸人としての血も未だ完全には失っていないみたい。声、かけてあげれば良かったなー。

 暑い割に風もそれなりにあった関係で、展示してあったジミーちゃんデザイン版の飛行船「ボールくん」がステージから飛ばされてしまって大変。ジミーちゃんが大きな飛行船にサインしている間隙を縫ってのハプニングで、タカラのスタッフも誰も止められないなかを、青空に向かって飛行船はどんどんと飛んで行き、しばらくスポーツ観戦用に持っている双眼鏡で追っていたけど、まもなく見えなくなってしまった。方向からすれば埼玉方面に明日明後日それとも1カ月後くらいに、銀色の上に緑赤黄色の奇妙な文様の描かれた未確認飛行物体が飛来し市民をパニックに陥れることだろー。もしかして上空で偏西風に乗って方向を東へと転じてアメリカの原野に現れるかも。やっぱり思うのかな、人外なデザインだって。

 プールに行くのに浮き輪はあらかじめふくらませておくのがルールなのか、入場券売り場に並ぶ子供たちのほとんどが小さな体に土星よろしく浮き輪を回している姿を見かけたけれど、どーなんだろ。プールなんて髪が薄くなる前からもう15年以上も行っていないんで、ルールとか忘れてしまったよ。そんな姿を行きとは逆に見つつふたたび公園の中央を抜けて西武「豊島園駅」から池袋へと戻りパルコ地下向かいのスタンドで牛丼(旨い)を食べてから大手町へと戻って体力を大幅に消耗した中を、今度は「アーバンネット大手町」まで出向いて開催されたアントニオ猪木さんのブロードバンド向けコンテンツ配信サービス「闘魂・TV」の記者発表を見物する。

 来場そうそう「元気ですかーっ」っていつもながらの叫びでもって場を盛り上げる猪木さん。こっちが朝から行きつ戻りつして疲れたなんて行っていられないほどに猪木さんの活躍ぶりはすさまじく、昨日は昨日で上空3000メートルからパラグライダーに乗って「国立霞ヶ丘競技場」へと舞い降り「PRIDEのリングにへり下って参りました」となかなかなナイスなコメントを発し、真夜中まで仕事をしたその翌日に、背広姿で企業の人たちに囲まれ無粋な記者たちに見られる中を、まるで代わらないテンションで居続けるその姿に、自分なんてまだまだ洟垂れ小僧だと思い知らされる。すげーよやっぱ。

  写真を撮って記事とか仕上げた後で今度は南に。暑さで肌も溶け初めてたけど猪木さんから元気をもらったんでどーにか気持ちだけは生き返ってたんで、最後まで溶けずにお台場はフジテレビへと到着して、30日から「お台場チャンネル」で無料配信がスタートする3DCGアニメ「A.F」の試写を概要説明を見物する。「ファイナルファンタジー」って技術だけなら現時点で最高峰にあるだろーフル3DCGアニメを目の当たりにした目に今さらフル3DCGってだけでは何のインパクトもないし、見せてもらった作品自体も例えば「A.LI.CE」とか「VISITOR」といった作品の域を大きく飛び越えるものではない。「シェンムー・ザ・ムービー」とは……比べたくないなあ。

 何とゆーかやっぱり人の作りがフィギュア的で、宇宙船で何か運んでいる人間が演技している部分だけ見ると今さらって気分の方が先に立つ。けど製作したのがビルドアップだけあって攻めてくる怪物を相手にパワードスーツでもって戦うシーンになるとこれがもうカッコ良ぅってすばらしい。ホバーだかローラーだかで滑るよーに進む姿はビルドアップも確か手がけてた「サクラ大戦」の光武だかが動き発進するシーンにも共通でスピード感にあふれ、発射するミサイルが板野サーカスみたいじゃないけどギュオーンと飛んで敵にボンボンと突き刺さり爆発するシーンの迫力も満点。かつてビルドアップを率いる岡部暢哉さんが監督脚本特撮のすべてを手がけた「D」って映画に、パワードスーツを実写で撮るってゆー誰もが見たがる夢の実現があったけど、「A.F」も鈍重じゃなくスピーディーなパワードスーツを見られるって点で、ファンの関心を惹く可能性は高い。物語自体も最後になって戦慄のエピソードが明らかにされて、興奮に踊る気持ちを一転して真摯なものへと変えてくれる。まあディック的ではあるけれど。

 おまけに作ったのは鈴木朗さん1人と聞いて、半年程度の製作期間でこれほどのものをよくぞ仕上げたってな感慨を抱く。もちろん新海誠さんてゆー「ひとりでできた」クリエーターの代表格が1人で作ったことに加えて作られた作品が持つ面白さでもって話題になっている中では、同様の理由で話題の最前線へと踊り出ることは難しいかもしれないけれど、同時多発的に起こっている「ひとりでできた」ムーブメントを語る中では方や2D系、こなた3D系って感じで双璧めいて取り上げて行くことは出来そーだし、今回の公開をきっかけにそー考えるメディアとかも出てくるかもしれない。

  それにしても無料配信とは大盤振る舞いとゆーか何とゆーか。すでに実績もあるビルドアップのコンテンツなんだから、世間一般的には知名度のなかった新海誠さんよりも条件が良かっただろーにも関わらず、どちらかと言えばフジテレビのホームページに集まる大量のアクセス者を当てにして、作品作りの腕前をタダでも良いから見てもらい、会社の名前クリエーターの名前をプレゼンテーションするっぽいニュアンスが感じられて、ちょっぴり不思議に思う。会見で聞くとフジテレビがとりたててコンテンツを買い上げて配信している様子ではなく、そー思われることがむしろフジテレビ的には意外ってな反応があったよーに見えたあたりから想像するに、メディアとしてのパワーをいろいろな所に使わせてあげて、それぞれにチャレンジをしてもらいつつ、自分たちはそんな様子を見ながら、ネットでどんなことが出来るのかを探ろうとしているんじゃなかろーか。つまりはギブ・アンド・テイクって奴ね。

 とはいえテレビ局のネットメディアが大量のユーザーを集められるのは、テレビ局が免許でもって保護され大量の広告を集めお金をもうけ良い作品を作ってコンテンツを充実させ知名度を売った、そのバリューをそのままネットの世界へも持ち込んでいるってことが大きくて、そんな大メディアが本格的にネットにやって来た現在、以前のよーなネットからメガメディアへってなドリームも、ごくごく一部を除けばドリームのままで推移しそーな状況にある。それはそれで仕方のないことなんだろーけど、だからネットへのアクセスが多くて当然、そんなユーザーを当てにしてクリエーターがコンテンツを持ち込むのも当然、お金をもうけるなんて二の次、まずは自分の作品が満天下に公開されることを喜べよ、なんて気持ちが生まれてしまうと、敏感なクリエーターに伝わって、ケッとか思われることもあるんで難しい。

 今回の件はまあ、ビジネスライクな中で双方のメリットを共に得ようとしたものだろーけど、これがきっかけになってショートコンテンツでもビジネスになるって結果が出て来るよーなら、お金のうなってるテレビ局には是非にも映像製作会社に積極的にお金を回して、すばらしい作品を作らせるよーな試作をうち立てて欲しいもの。中に1作でも新海級があったら会社の懐にとっても、日本の文化にとっても大きな財産となるのだから。


【8月28日】 「潮吹き」大フィーチャーは一段落しても未だヘアヌードの大量掲載は止まっておらず、読み始めてた中学生の頃にもしも今のよーな体裁だったら果たしてどんな気持ちを抱いただろーかと、時代の変遷に伴う感情の変遷なんてものへの想像力をかきたてられてる我らが「週刊プレイボーイ」だけど、記事の硬派ぶりってのは昔以上になってる感じがあって例えば警察のファミリーへの優遇なんて社会部的にハードな記事を毎週のよーに送り出してる状況は、ほかの新聞系雑誌系のすべての週刊誌よりももしかしたら反権力的なのかもしれない。

 そんなおもねらなさがふんだんに出た記事が、2002年9月17日号の市川由衣ちゃんが表紙の号に掲載されてて世間の波に流されずブームにほだされず、嫌味なまでの慎重かつ公平に世の中を見てるんだなってことを改めて知る。新聞各紙がこぞってあたかも確定事項のよーに取りざたした「清水エスパルス」に所属していた日本名三都主アレサンドロの英国移籍について、実に冷徹に「勇姿を拝めない」可能性があると示唆。代表での出場立75%の条件を厳密に当局は守だろーと予想して、「スポーツ紙などはこの部分について楽観視しているようですが、ビザのも大はそんなに甘くはない」「今シーズンの三都主のプレミア早期デビューは難しい」と断じてる。

 煽り大好きあと知らないってなスポーツ紙ならまだしもサッカー専門誌の「週刊サッカーマガジン」までもが「これまでの日本代表監督と、ワールドカップでたたかったベルギーのワセイジュ監督、ペリマンもと清水監督、計5人の推薦状をカービッシュリー監督自ら出向いて役所に提出した。努力の甲斐あって、異例となる60カ月の労働許可を得た」なんて2002年9月11月号で書いちゃってるから勇み足もいいところ。ガンバの宮本選手が何年か前に同じ目にあっているのにも関わらず、今回だけは大丈夫だって思った根拠は一体何だったんだろーか。代理人が断言した、だから大丈夫ってことになるのかな。

 日本のメディアが日本人選手を何か特別な存在みたく扱うってのが全面的に悪い訳じゃないけれど、規則とかから考え代理人じゃなく専門家に状況を聞いた上で可能性を示すのが筋ってもの。雰囲気にあまりに流され過ぎで、これだと海外にいる別の選手の活躍も、本当にそーなのか単に雰囲気でイケイケにしてるのか、怪しんでみたくなる。まあ試合は結果が分かるし中継もされてるんで自己判断が効くけれど、現地の人事情をしる人詳しい人にしか分からないことではもーちょっと、せめて専門誌くらいはクールに報道して欲しいもの。で「U−21」は惜敗なの惨敗なの。ジーコは本当に誉めたの讃えたの。

 家にこもってオトコノコたちがテレビゲームだカードだアニメだと室内遊びに興じている一方で、オンナノコたちのアクティブさってのはますます高まっているよーで、浅草の産業会館で開かれた「東日本玩具見本市」に行くと女児向け商品にアクティブさを引っぱり出す商品が各社のブースにズラリとあって面白い。例えばバンダイが出すローラーブレードの商品は、最初っからオンナノコ向けに企画されたみたいで、最近流行のキッズ向け衣料よろしくピンクだのオレンジだの水色だのっていった派手なカラーリングが施されていて、オトコノコは及びでないって感じ。花柄ヘルメットなんかを付けて街とかをシャイシャイとミニスカートで突っ走る姿が見られそーで、オジサン的には転ばないか転んでくれないかと妙な期待もしてしまうけど、それは置いてもスポーツ商品がオンナノコ向けだけに企画され商品化されるって状況に時代の空気を感じたりする。

 オトコノコの好きなテレビゲームもカードもバーチャルな素材を媒介にしたコミュニケーションだけど、オンナノコたちは自分の体に装いを施すことで社会そのものとコミュニケートしようって感じが強いのか、商品にもそんな装いを促す商品があれこれ。タカラのブースで見たレッグウォーマー編み機はハンドルをぐるぐる回すだけでピンクだラメだシマシマだってなニットのレッグウォーマーが手早く(何でも10分とかで)編めてしまうそーで、ど派手なファッションに自作のレッグウォーマーでもって街とか闊歩する、オンナノコとか出て来そー。

 パッケージのデザインが「ニコラ」だか何だかな最近話題のオンナノコ向けファッション雑誌風になっているのも時代の空気の反映か。トミーは髪の毛をいじってビーズとか付ける機会を売ってたし、口紅ネイルカラーといったピンキッシュ関係は数年前からバンダイとかが玩具のカテゴリーの中で提案して来たもので、今後ますます流行って来そー。せいぜいが正義の見方のアイティムを自分も身につけ、これまたバーチャルなキャラクターになりきる玩具ばかりがオトコノコの渇望を満たす一方で、キャラクターなんて無用むしりアタシ様がキャラクターだといわんばかりに自らを装うオンナノコ。人間って難しい。

 紙使いっていてば読子・リードマンが今んところ力も容姿(とゆーかバディ)も最高なんだけど、そんな彼女に挑んで果たして勝てるか多分勝てないだろーなってな「紙使い」が富士見ファンタジア文庫に登場。紙谷龍生さんの「ジオメトリック・シェイパー 桜の下にカミは眠る」(580円)は魔物悪霊の類を折り紙でもって封じる「折形師」って少年が登場しては、ローンウルフな彼と政府とかから以来を受けて退魔とかに取り組む一族との確執めいた物語が描かれる。どちらかといえば波紋疾走な読子と違って、紙に呪文とかを書いて使う技なんで陰陽師の式紙の類に近いけど、波紋疾走的な気連もたっぷりに無茶しまくる読子とは違うし、かといって式紙のよーな妖しさもあんまりくって術比べ的な楽しみはそれほど感じないけれど、無関係かのよーに思えた少女が実はってなエピソードが軸にあって、先にしばらくは興味を抱けそー。放り出すなよ。


【8月27日】 そうそう日曜日に「東京都写真美術館」で開催された「新東京国際アニメフェア21」の公募部門で賞を取った作品の上映会なんかを見た時に、「アリーテ姫」も上映されてた関係でパンフレットをもらったんだけどそこに何と、11月8日のビデオレンタル開始に続いて12月21日ごろにDVDも発売されることになったみたいで、片渕須直さんに田中栄子さんたちが出た「ロフトプラスワン」のイベントで5年とか10年はDVDにしないってなことを言ってた記憶にちょっぴり沈んだ気持ちがパッと明るくなる。

 もちろん劇場で大きな画面で見てこそに映画ってことは言えるけど、手元に置いて冬の長い夜にしっとりと見たい作品って気もしてるんで、もしも予定どーりに出ればこんなに嬉しいことはない。予価6000円もまあ納得、絶対に買うね、アリーテ姫フィギュアを付けるとかってな本筋とは無関係なアニメファンの足下を見たマーケッティングもなさそーなのも好感、だけれどもしかしたあったりして、チビ姫バージョンに美人姫バージョンのセットでとか。どっちにしてもまだ4カ月は時間があるんで、今もときどき上映されてる「東京都写真美術館」で見ておきたいな。

 たとえばこれから25年くらい経ったとき、今はまだ20代半ばとかの現役バリバリなミュージシャンたちの中から日本を代表するレコード会社のトップが、出るんだろーかって思ったりもするけど、レコード会社の機能が昔ながらのアーティストをかかえマネジメントをして原盤も製作しCDも売るってなフルラインから製作はプロダクション、マネジメントもそちらでレコード会社はパッケージ化して売るのがメインになりつつある今、ミュージシャンがプロデュースに回って会社の中で出世し社長に上り詰めるって構図は、やっぱり少なくなっていくよーな気がする。ってゆーか昔もあんまりなかったけど、芸能プロダクションの社長とかは別にして。

 だからつい先だって亡くなった日本コロムビアの松村克己前社長が伝説のロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーだったって聞いて懐かしくも驚いたのに続いて、後任に就任した中島正雄さんがこれも伝説のブルースバンド「ウエスト・ロードブルース・バンド」のギタリストだったって驚いたよーな経験も、あとしばらくはあったとしても行く行くはなくなってしまうんだろー。ぐるりと見渡して大手といわれるレコード会社でミュージシャン上がりっていったら現役ではテイチク・エンタテインメントの飯田久彦社長くらい。中島新社長もどちらかといえばビーインググループの代表として裏に控える長門大幸さんの前面に立ってたって経歴の方がむしろ有名だったりするんで、ミュージシャン上がりってよりはむしろ業界の大立て者。こーいった経歴だったら今後もあったりするのかな、それともやっぱり作る人売る人の分別が進むのかな。

 もっとも経済な人たちが集まる記者発表とかの場だったんで、ビーイングと言ってもそれほど熱烈な話題にならなかったのも仕方がない。ましてや「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」に居ましたなんてことを漏らしても、何それってな人たちが年齢とか趣味志向とかでも圧倒的だったりするからあんまり、喰いつきがよくなかったみたいで会見内容なんかを紹介する記事のどれだけに、そんな経歴が出るのかは微妙なところかもしれない。とかいう当方も名前は金字塔のごとく輝いているとは認識していても、対極にあった「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」とかってなバンドほどには固有の人名で理解していたとは言えず、かろーじてSFつながりで読んでた難波弘之さんの「サイ・ファイ・セット」ってコラムに出ていた関係から知った山岸潤史さんが確か在籍していたってな記憶がある程度。なので聞いたその場で誰それが何々って突っ込めなかったのが残念でならない。ビーイングで大変だったとかって話はそれほど喜ばれないだろーし。CDとか出てるのかな、出てても中島さんは弾いているのかな。

 そうそう会見で松村克己さんの音楽葬ってのが9月の末だかにライブハウスの「赤坂ブリッツ」で開催されることに決定。そこんとはミュージシャン仲間の気持ちミュージシャン仲間知るって感じでちょっとうらやましい。中身はまるで全然決まってないよーだけど、元「サディスティック・ミカ・バンド」ってことでやっぱりメンバーだった面々とかが集まったりするのかな。「サディスティック・ミカ・バンド」でベースって言ったら小原礼さんで後藤次利さんといった両巨頭がいたりして、松村さんってどんな活動をしてたのかあんまり知らないんだけど、元メンバーとして話題になってる折りも折りだしいっそここらで復活なんて、行ってはいかがなものだろー。ボーカルはそれでも桐島かれんか。「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」も競演か。でもギターは塩次伸二か。

 3週も連続で見られてちょっと自慢、する程のことかどーかは別にして生でちゃんと見た「あずまんが大王」のアニメーションは単行本の4巻に本格的に入ってきていよいよ終わりも間近な雰囲気。巻でもメインなエピソードになってる沖縄修学旅行編で埋め尽くされたこの夜のアニメ版は展開が漫画とまるで同じであとは演出の面でどーいった演技を声にも絵にもさせているのかって部分に興味が及ぶ。大阪の絡むシーンは大阪ってキャラの間延びしたテンポと演じている人のほのぼのとしたテンポが実にマッチしていて見ていて実に良い感じだけど、智が「ちんすこう」だの「うこん茶」だのとよみに迫るシーンは絵で見る面的なおかしさが言葉で畳み掛けられる線的なおかしさとはちょい噛み合ってなかったよーな印象があった。

 とか言いつつゆかり先生のちよちゃんへの「このガキ海にたたきこめ!!」はテンション高い演技でも見ていて楽しかったから、動かして良いキャラうまくないキャラってのがやっぱりあるのかも。西表島でのヤママヤーだっからヤマピカリャーだかと榊が出会うシーンは榊が手を差し出してもしばらく間を置きマヤーが出てくる演出になっていたよーで、さしだせばすぐに猫がどこからともなく現れて手にかみつく榊の哀しくもおかしい運命を、2コマで表現しては如実に現していた漫画版との間合いの差にこれもちょっと戸惑う。もっとも次に同じアニメを見たらそんなもんかと思うのが影響されやすい性格ならではの利点(欠点?)でもあるんで、来月にはいよいよ発売となるDVDを買って繰り返し見てアニメ版のテンポに脳を染めよー。でも未だに「つくりましょー」は苦手なんだよなー、何でかなー。


【8月26日】 相変わらず理屈っぽいレビューのセレクトでSF王な人たちの物議を醸しているんじゃないかと弱腰になりつつ当該のページは飛ばして読むことにしている(恥ずかしいし)「SFマガジン」2002年10月号は、マガジンには珍しく「SF大会」リポートの写真がピントもアングルも表情も真っ当でちょっと吃驚。割にあんまりプロのカメラマンとか使わない傾向からときどき商業誌には不釣り合いな写真が掲載されることもあったやに記憶しているだけに、生き生きとした表情の野田大元帥に豊田有恒さんの写真には正直言って感心する。撮ったの誰? 豪華な「玉泉」の夕食が載っているからやっぱりへんしゅちょさんかな。

 「星雲賞」の受賞者一覧も同等の上出来。野尻抱介さんのTシャツが全部写ってないのはノーマッド的には残念だけど、あれはまあブートレグ物なんで当日見られた人は幸いだったってことになるのかな。会場の様子が写った写真には知っている顔がちらりほらり。書店の人とか古本の鬼とか写っている中の、とりわけ2番目くらいに目立ってる真っピンクの帽子に真っピンクのシャツを合わせた野郎は「コミックマーケット」にも出没していたらしく、どこそこで見たって目撃情報も出てました。あらためて見るとなるほどすっげー色使い。歩いてて恥ずかしくないのかって突っ込みたくなるけど、年内はココロがW杯なんでカナリアなセレソンがチェッカーなクロアチアだって平気で街を歩けるのです。次は「GEISAI」辺りに出るのかな。

 携帯なんて生まれてこの方持ったことのない(PHSならあるけど)、未だメールも昔ながらのカタカナPメールしか打てない身では最近のエスカレートする携帯電話関連サービスのカケラも楽しんだことがないけれど、電車の中とかで携帯電話を指に挟んでテトリスなんかやって楽しんでおられる帰宅途中の疲れたOLさんなんかを見ると、これがなかなかに楽しそーでちょっとばかり購入してみたいと心惹かれたりもする。それだったら「ゲームボーイアドバンス」で「ミスタードリラー」とかプレイしてた方がハードに楽しかったりするんだけど、わざわざゲーム機を持って歩くってのがなかなかに億劫なのが大人の不思議な信条。毎日持ち歩く携帯電話がゲーム機になる”便利さ”ってのがまた、微妙に人の疲れた気持ちの隙間にフィットするんだよなー。人間ってどんどんとものぐさになってるのかなー。

 それでもゲームだと今ひとつ食指が伸びない携帯電話だけどドワンゴとコンポジットって会社がやってる「40メロミックス」 ってサービスに今度できたメニューを見るとケータイ欲しい度が4割アップ。何せ携帯電話からあのミッチー及川光博様の声で「僕のベイベー、メールだよ」って着信ボイスが流れて来るんだからもー、これはベイベーとして試してみたいって思って当然だろー、なっ、ベイベー。不可思議系なボイスキャラだと最近はGacktにお株を奪われがちだけど、DVDも続々と発売されてその元・王子さまっぷりが世間に再び広まりつつあるだけに、今ふたたびの注目を集めて世界のベイベーのケータイから「オー、イエー、電話です」とか、「愛のメール」とかってなボイスを囁かせてくれることだろー、ベイベー。「イエッ、ベイビー、イエーッ」ってのはないのかな、オースティンの。「ハロー、ハロー」でもいいぞ、ナイジェルの。

 11月3日は「まんがの日」に決まりました。誰が決めた? 誰ってことはなくって漫画家の人たちが世界に冠たる日本の漫画が今ひとつ文化として認知されてなかったりする情勢を鑑み、より世間にアピールして「文化」のメインもメインだってことを知らしめる意味も込めて11月3日の文化の日を「まんがの日」と位置づけ関連イベントなんかを打っていくことにしたらしー。その会見ってのがあって赤坂のホテルに出向くと御歳えっと70歳は超えてたっけなやなせたかしさんが「まんがの日制定委員会 委員長」でもって「アジアMANGAサミット実行委員会大会議長」って肩書きでわざわざのご登壇を果たしたのには驚いた。

 なにしろ歳も歳だけにどんな話になるのか心配したけど、そこは現役の第一線で子供に圧倒的な支持を集める作品を送り出し続けているやなせさん。「まんがの日って何だかわかりませんよね、僕もわかりません」とかまして会場のほほえみをさらった後、100部売れれば新聞沙汰になる文芸に対してあだち充さんが1億部売ったってベタがせいぜいな漫画とゆー日本での認知のされ具合の差への感想とか、世界における漫画の高い認知のされ方とかをパナマ帽を被った姿で大演説。今や大御所中の大御所でもやっぱり、作っているものへの自信はそれとして置かれている立場の決して高くない様に、考えるところがあるよーな様子を見せてくれた。

 肝心の「まんがの日」については戻って「内容は秘密、ギャグの部分は最後ま 飽かさないのが漫画家です。11月2日を待ってください」と最後までしっかり笑いを取っていて、前にテレビで見たその作品作りの呻吟ぶりから伺えるよーな、何であっても最後まで考え抜いて最良最前のものを見せよーとするプロ意識の凄みに通じるものが垣間見えた。「金が足りないが最後まで足りないなら自分で出すしかない。新宿で段ボールに入ってでもそれは自分たちがやったことだから」なんて言葉にも、これは一種の韜晦かもしれないけれど、芯の部分に相応の覚悟があるよーに感じられた。

 こんなご老体に金の心配までさせていったい、漫画で潤っている会社は何をしてるんだってことになるんだろーけれど、とりあえずは講談社小学館集英社秋田書店白泉社の漫画な5社の有名編集者(スナミさんもいたぞマタンキ)が登壇してサポートを表明していたから、当日にはそれなりにそれなりな企画も出て来て「文化の日」を真の意味での「まんがの日」に塗り替えるだけのパワーが発せられると信じよー。すべての表現がこの日だけは「漫画」になるとか、テレビも新聞もラジオは難しいけど映画もそしてインターネットも。日記も漫画で描なきゃいけないのか。タブレットを買って来くっちゃ(問題は道具じゃないんだけど)。

 「パチンコ供養の日」があって(8月8日。フジテレビの日ともいう)「まんがの日」が出来ても別に不思議はないからそれとして、これに先立つイベントとして開催あれる「第5回アジアMANGAサミット」の方もやなせさんを筆頭にちばてつやさん藤子不二雄Aさん永井豪さんつのだじろうさん里中真知子あん弘兼憲史さん水島慎二さんといった面々を日本実行委員として開催される漫画界的には超絶壮絶特大規模のイベントになりそーで、シンポジウムもびっちりと行われれば漫画について専門家が話す市民講座もあったりとなかなかの内容。「パシフィコ横浜」の展示ホールでは漫画家のブースが「文学フリマ」よろしく出展されたり漫画家本人たちによる手作りのステージイベントが開かれたりと、これまた普段は滅多どころかまず絶対に見られないよーな展示に触れることができそーで、作家のファンならずとも興味を持って見物出来そー。8月頭のサンディエゴでの「コミック・コンベンション」でバロン吉元さんが披露したブース宣伝のための阿波踊りの再現もあるか? あっても見たいか?

 とはいえ微妙なのが「MANGAサミット」が客層としているお客さんのイメージ。なるほど居並ぶ名前は漫画好きなら一目も二目も置かざるを得ないすさまじくもすばらしいメンバーだけど、今最先端で漫画を読んでいるたとえば小学生とか中学生の子供たち、今もっとも先鋭的な漫画を描いている漫画家さんたち、今とっても市場をいろいろな意味でにぎわせているエロ系の漫画家さんに読者たちといった、ある意味で漫画市場を支えている人たちにとって果たして面白いイベントになるのかって部分で、たとえば小学生だったら漫画はひとつのアイティムとして関連するグッズやゲームも含めたトータルでのイベントに通っているし、大きなお友達には夏と冬にとてつもない規模で開催されるイベントがある。

 そーした熱く前向きなどこにだってかけつけるファンが求めるイベントとは微妙に真面目な方向へとはずれた、漫画を文化にする上でメインストリームとなる面々のイベントに、どーいった層がかけつけ喜ぶのかが見づらいって部分がちょっと気になる。美術館とかで開催される「手塚治虫展」に来るよーな人たちに来て欲しいのか、それとも今まさしく漫画を買って読んでいる人たちに来て欲しいのかな。

 両方が来て漫画の層の分厚さを、アジア各国やアメリカや欧州から来る漫画家さんなりジャーナリストの人たちに見せつけるってことになればそれこそ今回の「アジアMANGAサミット」の意味もあるけれど、だとするならそーした若かったり熱かったりする面々が、気楽に気軽に参加できるよーな回路なり場を設けてやっていただきたいところ。昔の高名さを今に残した面々が中心になってプレゼンテーションを行った結果、「飛馬&ジョー」を喜んで買い「伝説マガジン」に嬉々とする層だけが漫画を文化として語るに相応しいだなんて、世間とかメディアとかに思われてしまわないかと心配も募る。

 シンポジウムの分科会で「創作における表現の自由」についての討議もあるよーで、エロ系の人たちの関心もそこら辺にだったら既に向いているのかもしれないけれど、誰でも入れる展示ホールには、そーした主張が飾られ一般の人に理解を得られるよーなスペースが設けられるのか否か。サンプルを堂々並べて作品性を訴えられるのか。等の漫画家さんたちも、出版社も、仕切る大手の広告代理店も含めて商売っ気だけじゃない「表現」と「自由」についてしっかりと考え影響を想定し歴とした効果のある行動へと足を踏み出すきっかけが、折角のイベントで出来れば面白いんだけど、どーだろー、そこまでのイベントになるのかな、なってくれるのかな。来月に期待。


【8月25日】 行きまくった夏休みイベントシリーズのつけが肉体的、経済的にそろそろ出始める8月も終わりの日曜日だってのにそこでキッパリと家に閉じこもって読書や思索に耽れないのが物好きの宿命って奴らしく、今日もきょうとて「幕張メッセ」で24日から開催されてた「C32002」ってモケイなイベントへと出向く。到着するとすでに一部に長蛇の列で近寄ると「C3」そのものってよりは関連イベントに当たる「ガンダムワールド in C3」ってイベントで販売されるプラモデルとかの限定品を求める人たちの大行列で、夏バテを物ともせずに早朝からはるばる幕張まで出向く奴らの相変わらずの「ガンダマー」ぶりに深く感嘆する。

 プラモデルの列を分けたためかメインとなってる展示イベントの方は行列もほどほどで10時の開場からしばらくして入場列も消えた模様。それでも「C3」を回った後で立ち寄った場内は、通路は人で隙間なくビッチリと埋まってて、年齢層も上は最初の奴を大学生くらいで見ていただろー今はすで老境に(でもないか)入りつつある方々から、下は小学生幼稚園児まで幅広く、こちらはこちらで「ガンダム」を看板に抱いた物への世代を問わない関心の高さを伺わせる。カードゲームのコーナーなんてメインは小学生に中学生。「ファースト」なんて記憶でも知らない奴らが平気で「ガンダム」キャラにメカの描かれたカードに触れてゲームをプレイしているんだから空恐ろしい。いくら僕らの世代でも「鉄腕アトム」のカードゲームなんてしないもん。世代を突破し浸透する「ガンダム力(がんだむ・ぢから)」の強さ、感じました。

 展示してある物ではとりあえずラジコン「ザク」に続くラジコン「ドム」に注目。協力なエアコンプレッサーが足に仕込んであってホバーよろしく吹き出す高速の空気で浮かび上がって走る、なんてことは当然なく、ローラーがついてて平たい場所をスーッと滑るよーに動いて「ドム」の歩きを再現しているみたい。ジェットストリームアタックはやれば出来そーだけど同時に3台を動かせる周波数を取ってあるのかな。あと「ガンダム」マニアのヘアを再現したよーなディスプレイに爆笑。木製のテーブルがあるこぎれいな部屋なんだけどよく見るとテーブルは「ガンダム」のシールドの形をしてて、チェアは「ガンダム」の手の形。灰皿あ「ザク」の頭出し他にもいろいろグッズが転がっていたみたいで、そのシアワセぶりにマニアなら外に出たくなくなりそー。等身大じゃないけど人間大の「ザク」も置いてあったぞ。

 まるで寺院の金堂に居並ぶ四天王、っていうか5台あったから五天王ってことになるのか「機動戦士ガンダムSEED」ってのの告知が巨大なディスプレーでもって行われていてしばし見物しつつあらしじを視聴。秘密兵器にひょんなことから乗ってしまった少年が意外な力を発揮しエースになってライバルと戦うってな説明にこれは面白そうで画期的な話だと……思うほどウブじゃなく、「ファースト」の再話をやりつつ「W」的なモビルスーツのバリエーションを付け、「Gガンダム」的な外連をまぶしたパッチワーク&モザイク「ガンダム」なのかと想像する。「W」自体が「ファースト」の再話っぽかったりしたのにまたしてもそれかい、って気がしないでもないけれど、「W」からだって結構な年が過ぎてしまった今、「ガンダム」的な王道を新しい世代に知らしめこれからの20年の基礎を作るって意味で、こーゆー繰り返しての神話語りも必要ってことになるんだろー。キャラクターの絵柄とか好きっぽいんで見ればそれなりにハマれそー。なんで平日午後4時とかいったトンデモな時間にやるのだけは勘弁な。BSやCSも却下。それだと伝わらないよ、本当に見て欲しい子供たちに。

 「C3」では目玉にしたかったらしー大河原邦男さんデザインとかゆー原付スクーターを見物、何となく「ガンダム」っぽいけど色が赤基調なんでどちらかとえいばシャア専用? でも角はついてなかったぞ。いわゆるオタク的ニュアンスとリアルなプロダクツとの融合ってのがテーマにあるらしいイベントだけあって、「スタートレック」のエンタープライズ号みたいな円盤が前に、エンジン筒がリアについてたバイクも展示してあって、個人的には大河原バイクよりもオタクな魂が感じられた。でもトレッキーじゃないんであまり乗りたくないな。自転車の連邦風&ジオン風ペイント版ってのもあったけどこれもまあありがち。「ガンダムワールド」に飾ってあった「ガンダム」の足風スニーカーほどのバカっぷりが感じられないのが正直言って弱いかも。大河原バイクといー意気込みはあっても今一ファンが群がってないのはやっぱ、オタクなアイティムなりデザインはオリジナルこそが素晴らしくってファッショナブルにしてしまったら終わりってゆー頭が働いてしまうから、なんだろー。「ガンダム」如きで気取ってどうする、ってことなのかな、やっぱ。

 歩いていたらなぜか「よつばスタジオ」がブースを出してて缶入りトレーディング風Tシャツ&ポストカードを販売中。ともに「あずまんが大王」の大阪が登場しては「モビルスーツ」の物まねをするってイラストが描かれたアイティムで、「グフ」も「ザクレロ」も「ギャン」も「ジオング」も「ボール」もそれはそれは見事に肉体&小道具でもって再現していて、これなら年末の宴会の一発芸に使えそーだと頭に内容を刻み込む。小道具に「ちよちゃん」を使った(道具じゃねえ)「ガンキャノン」と「ガンタンク」はなかなか。単純だけど画期的なちよちゃんの使い方ででもって2つの微妙な差異を再現している。拍手。「グラブロ」と「ビグロ」の使い分けはさらにナイスでエキサイティングだけど小道具に炬燵が必要なのが宴会場では難かも。あと原形を知らないと再現度の素晴らしさが伝わらない可能性もあるなあ。「ザクレロ」は出刃包丁2本が必要なんで厨房から調達すること。ジェットストリームアタックは……「ボンクラーズ」呼んで来い。

 「缶T」は中に何が入っているのが分からないのがひとつのウリなんだけど、確かめるにはプルタブ引っ張って蓋を開けるなきゃいけないのが迷うところ。もったいなくってちょっと開けられない。非破壊検査とかに出せば蓋を斬らずに中のデザインを特定してくれるかなー。それにしても「缶T&ポストカード」を売っていた1人が前にアニメの記者発表で見た記憶のあるあずまきよひこさん本人だったのには驚き。偉いというか腰が低いというか。その甲斐あってか希少性も働いてか「缶T」は程なくソールドアウトになった模様。「あずまんが大王」Tシャツは「トイズワークス」のブースでもアニメ版の絵を配したバージョンが売られていたけど割に単純な出来でココロを擽られなかっただけに、「缶T」の方はファンに後々まで語り次がれるアイティムとなりそー。 ますますもったいなくて開けられない。

 「トイズワークス」の空くじなしの1000円くじを惹いたら可憐が当たったけど彼女って何って読んでたっけ「お兄ちゃん」だったっけ? 「シスタープリンセス」の人形でした。抱いて寝よう。カメラをプレスルームに忘れて取りに戻るドタバタをした後で海浜幕張から電車を乗り継ぎJR横浜線小机駅から徒歩で「横浜国際競技場」へ。いわずと知れた知的障害者による”もうひとつのワールドカップ”こと「INAS−FIDサッカー世界選手権大会」の決勝戦「オランダvsイングランド」の試合の見物で、あの6月31日の興奮からほとんど2カ月ぶりに訪れた競技場は、偉容こそ当時と変わらないけど警備とかなく座席も自由でこれがW杯だったら8万円とか10万円とかしそーなメインスタンド下層にどっちりと座って間近にプレーする選手の姿が見られて至福の時間に浸る。

 なるほど本物ではないワールドカップだけあってプレーの内容もメディア的な関心も決して高いとはいえないけれど(NHKのサンデースポーツなんてまるで無視、だったみたいだし)、プレイしている選手の真剣さはワールドカップに劣らず本物で、時に殺気すら感じるほど。当たりは強いしファールだって必要ならやる性根の座った所を見せてくれて、無垢とか純粋とかいったイメージで括られがちなハンディキャップを持つ人たちであっても、真剣な場では真剣になるんだってことを見せてくれた。退場にさせられたオランダの6番なんかベンチを叩いて心底悔しそーな表情だったし。試合はイングランドが2点を先行した後半にオランダが見事な1点を決める好ゲーム。ともにキーパーが極上の出来で見ていて6月31日を思い出してしまった。

この巨大さはまさに”魔の手”、時速500キロで飛ぶ15オンスのボウリング球だって片手で軽く受け止める  6月31日と言えば競技場のスタンド下にW杯を記念するアイティムを集めたミュージアムが1日限定で設置されていて、あのオリバー・カーンが死守したゴールネットも飾ってあって前に立って気持ちをカーンにしてみる、バナナが食べたい。カーンの手形ってのも飾ってあってそれから取られた写真に手を乗せてみるとこれは大きい。世界のキーパーともなるとやっぱり、これくらいの手じゃなきゃバナナは……じゃないボールはがっしりとは掴めないんだろー。たぶんレプリカのジュール・リメ杯が飾ってあった台はカフーが最後によじのぼった奴かなあ、あんなに細いのに乗ってよく倒れなかったなあ、無茶するなあ。

 来場者数は25000人弱とかでこれまで「西が丘競技場」で300人とかで見ていたのと比べると一挙100倍の大盛況。無料とはいえよくもこれまでと思ったけど、見渡すとメインスタンドの最前列はサッカーよりも年末のドームとかにいそーな少女の大集団で埋め尽くされていて、イメージソングを歌ってるグループが目当てだなって気づく。選手が入場した後にグループのメンバーになっている「WINDS」が登場すると最前列はもう割れんばかりの大矯正で、「プーさん」のぬいぐるみなんか振り上げ声援を送る娘もいたりして、歌なんて唄わない、わずか数分の出番でも見に来る根性の凄さに「幕張メッセ」で見た「ガンダマー」に負けず劣らないエナジーを感じる。「WINDS」がスタンドに投げ込んだ縫いぐるみを小学生のガキがキャッチしたのを目ざとく見つけて寄ってきた娘グループもいて、欲しがったみたいだけどガキは譲らずそれでもしっかり縫いぐるみを借り受け手に持ち記念撮影して帰ったのには感嘆。これが愛って奴、なんだなあ。ちょっとくらい分けて欲しいなあ。


【8月24日】 今がいったいどんな状態で、それがいったいどういった力学でもって起こっているかをしたり顔で解説、ってゆーか解釈し講釈を垂れる”自称”政治評論家で実のところは政治講釈師な面々の、果たしてどれくらいが100年の未来を予見して今の政治状況を理解し警告を発しているのか実に疑わしいところだけど、そーした輩がジャーナリストとして成立してしまう評論家状況メディア状況の浅ましさってのが一朝一夕に変わるはずもないし、そもそもがそーした状況がどれほどの問題なのかを理解している評論家もメディアもなかったりするから、将来においても変わる可能性も極めて低い。とはいえ変わって欲しいとゆーのも厳然としてある気持ちだけに、かつて日本をおとずれ歴史認識から現状を解釈し未来に指針を示し警句を発したジャーナリストの存在に触れるにつれて、こーした人が日本にも出てきてくれないだろーかと切望にかられる。出てきていてもメディアが取りあげないから世に見えないのかもしれないけれど。

 名をキップリングというそのジャーナリストが著書に書いた言葉がこれ。「私が思うには、正解銃に憲法というものを持つことがゆるされる国はたった二つで、それはイギリスとアメリカです。要するに芸術とは無縁の国々です」「すなわち人類の平均値より高い精神を与えられている国民が憲法を制定すれば、合い悪の事態を招くものであろう、と。まず投票をするようになる。政治談義をするようになる。新聞を発行するようになる。向上を建設するようになる。ところGそれらは芸術性とまっこうから対立するものなのだ……」。世界でも芸術に秀でた国だった日本がさてはて憲法を持てばいったいどんなことになるかをこれほどまでに完璧に、予見した言葉は他にないだろー。

 おまけにこの言葉が発せられたのは1889年、つまりは今から110年は昔の未だ江戸な感じも残る明治22年の日本でのこと。インドで生まれ英国留学を経てふたたびインドでジャーナリストをしていたキップリングが、後に「ジャングル・ブック」を書いて世界的なベストセラー作家となるよりしばらく前、これから筆で身を立てていこうと決死して英国へと向かう途中に立ち寄った日本を、長崎から神戸大阪京都名古屋と伝って箱根横浜東京日光を見て歩いて感じたことをまとめた「キップリングの日本発見」(中央公論新社)って本に書かれてある言葉で、読むほどにその状況分析力の確かさと未来に対する洞察の鋭さを痛感させられる。

 もっとも芸術の国とキップリングが規定する国々は例えばフランスでは20年に1度革命が起こるしスペインはときどき動乱が起こる。ロシアも芸術の国だけどときどきは皇帝(ツァー)を殺したがるよーに、政治に対してつねに突き上げがあって安定しないものなんだけど、同じ芸術の国って言われたこの日本が憲法を制定して芸術性とまっこう対立する政策をずいずいと取り続けているにも関わらず、取り立てて動乱とか起こらないってのはつまり逆説的に考えれば芸術性が薄れてしまったってことで、世界で憲法を持つことが許される国の1つに戦後の何年かを支配され、根こそぎ帰られてしまった結果が、憲法を持つにふさわしいつまらない国へと日本を至らしめたって考えも出来そー。だから日本に今、世界をリードする芸術が生まれないのか。あるいは大勢の人の目に見えてこないのか。

 読んで楽しい箇所はほかにいくつもあって、京都なんかで仕事にあくせく働くよりも裏山にそびえる桜の美しさに桜が咲いている間は心をまかせるべきってな感じのことを言う人が日本人にいたりする描写を読むにつけ、こーゆー自然をまず第一に置く気持ちがいったいどこに言ってしまったんだろーかって悩むと同時に、こーした気持ちの欠如までは予言し切れていなかったキップリングのある種の善人さを感じる。善人といっても決して讃えるばかりじゃなくって、日光に行ったら誰もが結構と言うべき代物を「あらゆるガイドがおの眠り猫をあなたに見せようとするだろうが、ゆめゆめ行かぬがよい。ひどい代物である」と切って捨てていて、ただ日本の価値観に染まらない我の強さもあったりする。正直ってこった。当時から左甚五郎の「眠り猫」をガイドが「是非に見るべきもの」と規定して誰にでもそーいっていたって辺りに、日本における観光案内の系譜が見て取れて面白い。ところでそんなに酷い代物だったっけ、眠り猫って、今時のどんな某日展の入選彫刻よりも素晴らしく技巧的で美的なんだけど。

 マック新海にポストモダン東、権左ハギワラをメンバーとした「トリオ・ザ・ホシノコエ」の出雲公演に続くライブを新宿は「ルミネ吉本」へ……じゃなかった恵比寿は「東京都写真美術館」へと見物に行く。「新東京国際アニメフェア21」ってのが今年の2月に開催されて、その時のグランプリで入賞下自主制作アニメ作品を主に公開するってのが趣旨のイベントで、1等賞だかを獲得した「ほしのこえ」の上映もからめてトークショーが開かれたってのが真相で、トリオはもちろん監督の新海誠さんに哲学研究者の東浩紀さん、「ほしのこえ」プロデューサーの萩原嘉博さんの3イン。演目も漫才やコントじゃなくって極めて真面目に「ほしのこえ」のこれまでどこれからを語ったもので、近い将来に手がけられるだろー作品の可能性なんかを教えてもらって出雲での「日本SF大会」の時とは違って参考になった。

 曰く「限定された人と人との関係を語るような、『ほしのこえ』と似たようなテーマになるでしょう」ってことで、現在はストーリーとか詰めていて早ければ雪とか降る前後に予告編映像みたいなものが見られそー。問題はこの「ひとりダイコンフィルム」な現象があくまでマック新海ただひとりきりのもので終わってしまうのか、それとも全国的に生まれ育っていく出発点になるのかってあたりで、それについては新海さんが注目をされてから半年、その間に後続が目立つ形で出ているか、人物ではなくてもプロジェクトなり気運としてそーした人材を探し見つけ世に出そうって試みが他の企業とかで成されているかって点で今ひとつだって認識を示した上で、プロデューサーの人が先行きに懸念を現していた。

 もちろん送り手となった会社でも次への辺りは付けよーとしているそーなんだけど、ことさらに新海さんがセルフプロデュースに長けた人で、作品作りにおいては全幅の信頼を置いて任せ、企業側ではそれをどうプロモーションしてディストリビューションするかってあたりに注力できた「ほしのこえ」のスキームが、他のクリエーターでまんま使えなかったりする部分があって、手探りの状態が続いているみたい。新鋭ミュージシャンの発掘だったらお手の物だったソニー・ミュージックエンタテインメントが、デジタルな分野でも新しい才能を拾おうとオーディションとかやって新鋭を集めて、渋谷に工房まで与えてはみたものの扱い切れなかったか作品として結実したものが数えるほどしかなかった現状もあるんで、どんな作品を作ってもらいそれをどう売るかまでを考慮しつつ、優れた才能にの優れっぷりを引き出すさじ加減の妙が必要になって来るのかも。プロデューサー重要。

 トークショー前の時間帯で、「ほしのこえ」と「アリーテ姫」の間の上映された「東京アニマラソン」って作品は、スタジオジブリで美術を手がけているらしー高松洋平さんて人の作品だけあってまず絵がしっかりしていて動きも実にアニメ的勘所を見事いおさえて星3つ。お話しも竹馬ってゆーか手足を竹馬状態のものに乗せてよつんばいとなり、背中を着ぐるみっぽい馬とか牛で覆い遠目には牛とか馬みたいな外見でマラソンよろしく公道上でレースをするって内容で、その実にシュールな情景と、頑張ったけど果たせなかった夢が最後にかなうって感動的なストーリーの妙なマッチぶりが見ていて楽しく、さすがはプロにもなろーとゆー人だと感心する。こーゆーのを見せられると自分もちょっとは作ってみたいって思っていた気持ちが揺さぶられるかもしれないけれど、そーしたところで萎えず燃えられることこそがこの激しい競争社会を生き残っていける条件。なんで萎えず諦めず、我もと思わん方々は「トリオ・ザ・ホシノコエ」を花月の楽屋に訊ねて弟子入り……じゃない作品を作り応募するなり持ち込むなりして早く、その存在を広く世間にアピールしよー。「あいうぉんちゅー」。合衆国は(どこが合衆国だ)キミを待っている……。


【8月23日】 「ギャラクシー・エンジェル」のゲームをミルフィーユ版、ミント版揃えて買うかそれとも「G−SHOCK」のフロッグマンのイルクジ2002モデル御蔵島バージョンを買うか迷う今日この頃、とかいいつつ銀行口座のフローは給料日の今日現在ですでにマイナスだったりするからあんまり大きな事も言えないんだよなー、とかいいつつ両方(ゲームも時計も)買ってたりする可能性に100ボビンチョ。ガシャポンのセーラー戦士も揃えなくっちゃいけないし、お金が幾らあっても足りないよ。「.hack」のガシャはどーして女キャラが滅多に出ないんだよ。

 なんて考え事をしつつ着いた漫画雑誌の編集さん所で取材、本筋じゃないけど人気漫画を作る上での表には出ない苦労をうかがい、アッサリと進んでいるよーに見える、ってゆーかアッサリと進ませつつもシッカリと興味をスケールアップさせていく漫画家&編集の死ぬ思いの連日連夜に感心し、そんな暮らしを今も続けている1周り上の世代(もう50歳ってことかい)の活躍ぶりに感嘆し、1日10時間は寝ないと調子の出ない、とかいいつつ10時間寝てもまだ寝たりないと思える我が身の不甲斐なさをちょっとだけ反省する。まだ間に合う、ってことなのかな。

 行き来の電車で加藤文さん「花開富貴」(文藝春秋、2095円)を読む。横浜中華街に戦後間もない頃に夫と中華料理店を開いたは良いものの夫は間もなく死亡。隣には金儲けの申し子みたいな夫婦が巨大な中華料理店をぶっ建てては厨師を引き抜いたりとちょっかいを出してくるし、死んだ夫は外に女性を作っていておまけに子供まで生まれそうになっている始末、息子はなかなか言うことを聞かずやっと店を継いだと思ったら投資だ借金の肩代わりだといっては素寒貧、娘は勝ち気な母親に反発して家を飛び出しロックミュージシャンを暮らしては別れひとりシンガーとして暮らす、といった内にも外にも難題を抱えながらそれでもしっかり店を切り盛りし家庭もそれなりにまとめあげ、横浜中華街でナンバーワンの店へと発展させた女性を描いた話で、その天晴れなまでの突き進みぶりに読むほどに体力気力が湧いてくる。読むスタミナ、って感じ?

 子供の我侭ぶりとは裏表なんだろーけど未だ親になったことのない身で読む主人公の我が子に対する過剰なまでの期待感には辟易させられる部分もあったし、それを満たそうとするために子供の意志とか都合とか思いとかをまるで忖度しない主人公の身勝手さにも呆れはしたけど、それもまた親ならではの言動だし、また理も結果的にはどちらかといえば主人公の方にあったりした訳で、その辺りも踏まえて読んで非難すべきは非難しつつも学べる所は学んでおこーと思いつつ、それでもやっぱり親からあれこれ言われるのはなかなかに腹が立つ。それが親子ってもなんだろー。帳簿つけに支障が出始めても帳場にどっしり構えて自分がいなければ何も出来ないと思い込む様は、こればっかりは理もなく読んで他山の石としたいところ。創業社長のオーナーが未だ居座り暗然として力を振るう会社で下は絶対に育ちません。記者会見で泣く社長とかは育っても。

 藤崎慎吾さん久々の新刊「ストーンエイジCOP」(カッパノベルズ、848円)はSFウィンターな時代からだと想像どころか妄想すらも困難だった「長編SF小説」ってジャンル名が堂々表紙にも、帯にも書かれてあってちょっと感動的。これでSFじゃなかったらどーしたものかとゆー声も起こるけど、乞うご期待どころか読んで安心見て納得のSF小説に仕上がっていて、クローンとかが技術的には全然平気になった時代の「俺」という存在の依って立つ基盤の脆弱さめいたものを感じさせてくれて面白い。コンビニを襲った少年たちがいて中のひとりがコンビニを警護する警察の下部組織に属する男に捕縛され、詰問されていうにはしばらく家を出て遊び人気のゲームソフトのキャラに顔をコンビニ整形して帰るとそこには以前の自分にまるで同じ顔の少年がいて、母親もそれを我が子と信じ自分を家から追い出してしまう。

 「花開富貴」にもあるよーに思春期ってのは何かにつけて親に逆らいたくなる世代で、違うと言われた少年は立ったらもう良いと公演にたむろする少年少女の野宿者たちの仲間入りをしよーとするものの、気になった所のあったコンビニCOPは少年の家に出かけてそこにいた子供の遺伝子を調査しよーとしたたころ、数日を経ずして周囲に奇妙な男が現れたり、事件を追うなと上司殻プレッシャーがかかったりしてコンビニCOPに事件の奥深さを感じさせる。少年に何が起こったのか。町に何が起ころうとしているのか。コンビニCOPの追究が始まり、やがて事件はバイオな時代に相応しくもおぞましい陰謀へと発展していく。

 本筋となる事件の陰にあったバイオな陰謀も面白いけどそれ以上に2030年代の(「攻殻機動隊」と同じかあ)社会の在りようが興味深くって、温暖化が進んで亜熱帯化した都会は公演がジャングルみたく木々の生い茂る場所となっていて、そこに家を出た少年少女たちが集まりちょっとしたコミュニティを作って暮らしていたりする。昔ながらの漁りでもって食べ物を得ているホームレスもいるにはいるけれど、少年少女たちは違って公演の中にいる逃げ出したか捨てられたかした動物を捉えて食べる一方で、頭の良い子供が中心となった電子的な収入活動も繰り広げたりして、下手したら家にいるよりよほど気楽に楽しい生活を贈っている。増えるホームレスと増える自殺者遺児の数を見るにつけ、2030年といわず10年以内に訪れそーなビジョンかもしれない。

 いっぽうでテクノロジーでも体にクラゲの遺伝子が組み込まれている関係でくらい場所で光るよ^になった少女とかもいたりと、今のバイオ技術の進歩とか遺伝子分野の研究の発展とかを見るとこれも、倫理的な問題は別にしてそう遠からず実現されてしまいそーなビジョンを見せてくれていて勉強になる。主人公のコンビニCOPの存在に謎が多く、彼にしか見えないまるで守護例みたいな「猿」の存在がろくに説明されなかったり、記憶喪失になった原因側からずそもそもどこの誰すらかも不明だったりする辺りに、説明不足感を覚えながらも続編を読みたい読ませろってな気持ちを喚起させられる。巧い商売だ。続編が出るかは極めてまったく不明だけど、中ぶらりんな感じでのエンディングはちょっと気持ちが落ちつかないんで作者はさっさと続きを書いて帯にシリーズ化を要望したコメントを贈っている大沢在昌さんの容貌とそれから多数の読者の要望に、答えてちゃっちゃーくれまいか。


【8月22日】 自衛隊万歳。なアニメかとタイトルだけ見て思った「陸上防衛隊まおちゃん」はほとんど早朝な放映にも関わらず根性で2週続けて見てどーにか、自衛隊万歳とはちょっと違うことくらいは判明したけど(すぐに気付よ)、目的としている所が単に健気な美少女(とゆーか幼女)たちが精一杯にコクボーする様に悶えやがれってなものなのか、そんなまおちゃんにココロときめかせる生徒会長に惚れやがれってなものなのか、未だ判然とせずつかみ所が得られず気持ちをハマらせられずにいる。

 それでも「アニメージュ」2002年9月号の付録のリーフレットを読み返すに連れ、初回から見ていればかわいいエイリアンをどこからも非難されずに倒すには、可愛さ可憐さを持ち出すしかないって感じにまおちゃんたちを引っぱり出す、本質よりも上っ面が世論を引っ張り押し流している状況をどこか揶揄ったシチュエーションのシュールさを感じられたかもって思えるし、連続して見た2回でノリは何となく理解でき、世界設定の割と結構ありそーな奥深さ幅広さも垣間見えたんで、もう2、3回見ればどーにかDVDをボックスで揃えてグッズも陸海空の3人揃ったぬいぐるみを自作し生徒会長の耳と「ぴたテン」小星ちゃんの耳のどっちがよりホンモノかを探求し、「みーくん」「はやて」「なーちゃん」の玩具メカをフルスクラッチするくらいまでには気持ちをのせられそー。ヤバいかも。続けて「朝霧の巫女」……忠尋の首が太い……。

 公安万歳。なアニメと取って取られる可能性もありそーなテレビシリーズ版「攻殻機動隊 STANDALONE COMPLEX」。神山”ミニパト”健治さんほか偉い人凄い人たちの居並ぶ会見があって(田中さんお久しぶり)ついでに第1話の披露もあって見物して来たけれど、国家機密の一大事にアラマキを筆頭に草薙素子やバトーやトグサやほかいろいろな公安9課の面々が、持てるスキルと頭脳を駆使して立ち向かうって展開の、警察が今よりはるかに正義の見方と思われ刑事が正義感のカタマリと信じられていた時代(「七人の刑事」とか「太陽にほえろ」とか、そんなドラマが成立した時代)を思い出させるよーな屈託のなさに、いささかの抵抗感を覚える。

 もっともいわゆる「犬」としての公安な面々の対立項として義憤に燃え正義感をたたえた奴等を出して争わせる中で、犬の側に社会への疑念を抱かせカクメーの側へと誘う展開もまた陳腐過ぎるから難しい。カクメーと唱える側の身勝手さってのも権力の側の融通の利かなさ以上に知れ渡ってたりするし、気取ったアウトローたちの気ままな日々じゃー「ビバップ」になってしまうし。なんでテレビシリーズ版「攻殻機動隊 STANDALONE COMPLEX」はとりあえずはIT技術とやらが蔓延る2030年の諜報活動とか軍備とかがどんなテクノロジー的進化をとげているか、ってビジョンをまず見せそんな進化したテクノロジーを相手にどんな肉体的・精神的なバトルが成り立つのかを示しつつ、そんな時代の恐さめいたものを感じさせるのがひとつのミッションなのかも。むろん圧倒的に格好良いアニメを見せるってのが何より先決なんだけど。

 格好良さって点ではポスターやらチラシで感じさせられたキャラクターへの不安感は放映が始まってすぐに雲散霧消するんでご安心を。素子がビルの屋上からダイブする姿に押井守版「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の冒頭が重なったけど、映画とは違って別に素子&公安9課の凄みを見せつけるプロローグとして使われている訳じゃなく、あっさりと次のアクションへと展開させては派手なドンパチを演じさせる展開に、ひとつ劇場版との線引が感じられて面白かった。まるで固まった感じで飛びはねる絵は義体の重量感を現したものなのかそれとも別の影響か。ところどころが迫力の動きになるだけに気になる。頭ん中だけで話し合ってる場面で口パクがないのは描写としては当然なんだけど妙な感じ。音には口パクってゆーアニメを見る脳内での情報処理作法が定着し切ってしまっている自分に気づかされる。セル2枚分省いたな、なんてことは思いません。


【8月21日】 なななななな何とゆー風体をしているのだ枡野浩一さん、って言っても前から長身にして痩身の禿頭で存分にアヤしくはあったんだけど、松尾スズキさんが多分月イチで「SPA!」に連載しているグラビアの「松活妄想撮影所」になな何と、インチキっぽさ漂うマッシュルームカットに上下の幅のせっまいセルフレームの眼鏡をかけておまけに喪服の黒スーツで堂々の登場。さらにはどーやったのかは知らないけれど2人に分裂してしまってて、これまでだってカタギの人間になかなか見づらかったのがそれすら飛び越え、ヒューマノイドとしての可能性にも疑問符をつけたい気持ちがわき起こる。

 なんてことは半分は冗談で、2人に増えたっていってもそのうちの1人は枡野さんのそっくりさん、なのかあるいは枡野さんが彼のそっくりさんかもしれない漫画家の河井克夫さんで、その相互のそっくりさんぶりに目を付けた松尾スズキさんが自前のサイト「松尾部」でもって枡野さんを「金紙」、河井さんを「銀紙」として起用して、いろいろ得体の知れないことをやらせているんだとか。「松活妄想撮影所」にはいわば出張の出演で、柴咲コウさんを間に挟んでボディーガードあるいはバッキンガム宮殿の衛兵よろしく突っ起って、そのくりそつユニットぶりをグラビア初披露してくれている。

 もう見れば爆笑の絵柄でいっそこのまま歌手デビューとかすればテレビでもその異様ぶりを見られるのに、ってなことを期待してしまう、どっか出ないかな。ところで問題はあまりにそっくりなんでどっちが枡野さんでどっちが河井さんなのかがサッパリ分からないこと。3人ザコ寝で柴咲きさんの頭を股間に乗せているのが枡野さんだったらちょい、殺意も湧くけど区別がつかないからなー、もっとももう一方も乗っているのは足でもその付け根、つまりはお尻が腰に触れてたりするからやっぱり殺意を覚えるんだけど、あー羨ましい。それにしても似過ぎな2人、世の中に3人は似た人がいるからそのうちどっかからもう1人くらい引っ張ってきて、「銅紙」としてトリオで登場なんてことにならないかな、候補になりそーな人とかいないかな、気を付けて探してみよっと。

 似てる、って言ったら「SF Japan」の最新号で対面の山賀博之さんと雰囲気の似ている所を見せてくれてた東浩紀さんが、今度は対面に大塚英志さんを配して「週刊読書人」の8月23日号に登場、もうこれがまるっきりそっくりで……ってことは流石になくって、大塚さんは昔っからよく漫画に「オーツカ某」って描かれてたまんまの雰囲気を20年後の今も維持したあの風体。福田和也さんも坪内祐三さんもまだ登場していない、浅田ニューアカがばりばりやってて中森サブカルもぶいぶいやってた、80年代後半から今にいたる時代を一線で生き続けて来たパワフルさ、エネルギッシュさを発散している、ってのはちょっと言い過ぎ? けど実際生き残っているからねえ、浅田さんも中森さんも生き残っているけどねえ、みんな凄いねえ、それよりさらに前から糸井さんは生き残っているんだけどねえ、あやかりたいねえ。

 戻って2人が揃って登場といえば理由はもちろん、2人が責任編集を務めた雑誌「新現実」の創刊に関連したインタビュー。いわゆる一般紙が今のところほとんど黙殺状態(小さくは載ったかもしれないけれど意味がない扱いは黙殺と変わらない)なところに、1面から2面にかけてのすべてをそれも責任編集2人揃えてのインタビューで埋め尽くす辺りに、「週刊読書人」が背負って立つ読書界(なのか?)の「新現実」に対する期待の大きさも伺える。とは言えそんな”読書界”がいわゆる世間と同一かってゆーとなかなかに微妙な問題で、”読書界”なるものが注目することはすなわち、文壇的論壇的マトリックスのどこか1角に位置付けられてしまうことって可能性もあって悩ましい。こーゆー考えが浮かんでしまうこと自体がすでに、文壇的論壇的陣取り合戦の悪しきエナジーに染まっているのかもしれないけれど。

 インタビューでは東さん、「新現実」を外に開いたものにしたいよーな趣旨のことを話ていて、ネットなんかで内輪受けにとどまりがちな人たちを引きずり出すパブリックな場として雑誌を位置づけ、鎌田哲哉さんなんかがやってる「重力」を「目次を見て喜ぶ読者は一定数いて、その人たちに向けて作っているのかな」と言い「(中略)逆に僕に大塚さんと僕はそのことばかり考えている。だから前提が違う」と言って、「新現実」の持つ開放性、可能性を訴えている。けど創刊号が果たしてどこまでそーした意図を反映したものになっているのか、あるいは意図に沿った形で世間に受け止められているのか、ってことになると今のところ、大塚さん東さんを楽しんで来た人たちが見て喜ぶ目次にしなっているよーな感じがあって、ちょっと判断できない。

 もっともそんなことは先刻承知、ってばかりにインタビューで大塚さん、「現実的には、二十代、三十代で秋葉原をうろうろしているような連中が、読者の基礎票になっているもん。表紙見りゃわかるでしょ。おたく雑誌ですよ。『漫画ブリッコ』とかを今さらやる。公言しているとおり」って言い放ってて、嫌らしいけど格好良い。まずはそこで売れ行きを確保しつつそこに新人新鋭をもぐりこませて、「どさくさにまぎれて一冊目の本ぐらいは出してあげられるから、あとは勝手に生きていけよみたいな感じだった」自分たちのかつてやっていたことを、今ふたたびやってやろうってゆーしたたかさ、真摯さが見てとれる。亀の甲より年の功、伊達に円高不況とバブルと平成大不況を乗り越えて来てないね。

 「血と薔薇」なり「プロヴォーク」なり、華々しい理念の元で出されては先鋭的な場所で話題になりつつ、先鋭的であるが故に消えてしまって後に伝説になる雑誌も格好良さって面では悪くはない。「阿部和重くんとは友達で、その上でいいますが、彼もしばらく文芸誌から離れた方がいいと思う。ああいうところで賞レースをやっている限り、才能がすり減るばかりです」ってな東さん的理想・理念にそぐう、新しさ先鋭さでもって耳目にアピールする手もないでもない。けど、たとえ反論壇、反文壇的なニュアンスを自ら出すなり他者にそう思われるなりしても、同じ土俵の左右に並ばされて比べられる中で論壇的、文壇的枠組みに組み入れられかねないのがポストモダンが動物化してしまった今の世の中。対立して並立させられるよりはむしろ、どっちつかずの曖昧さを垂れ流しつつもしたたかに生き残り、そこから1人の岡崎京子、1人の藤原カムイを生み10年後に感謝されるよーなことをして頂きたいもの。とりあえず身内で固めた創刊号はそれとして、次号の目次にはホントに期待しています。だからちゃんと出してね。

 左利きだったんだ、ってそーゆー感想が果たして正しいのかズレているのかは分からないけど、「三省堂書店神田本店」で晴のサイン会に臨んだ乙武洋匡さんがネコ・パブリッシングから堂々刊行の「残照」(1600円)にスラスラと当方の名前と自分のサインを書き入れていく様を見て、不満足ではあるけど不自由とは限らないって意味を知る。笑顔を絶やさず瀟洒な衣装で登場した乙武さんにサインを希望するファン層の実に多彩なことも判明、先頭付近にいた人たちは誰のサインでももらって喜びそーな人だったけど、他の人ならアイドルくらいしかサイン会に来そーに見えない若くて綺麗な少女の集団がいたり、本なんて滅多に読んでそーもないイケメンでXスポーツ系の兄ちゃんがいたりして、その人気ぶりが伺える。

 純然に中身だけ見た場合、スポーツジャーナリストによるワールドカップリポートの中では決して好きな本ではないけど、キャラクターとしての慕われ様を見つつそんな寄せられる関心を身にして今後、大きく育っていけば皆もきっと喜ぶなんて思うと、本へのいとおしさもちょっとながら湧いて来る。これはこれとして、これから後にとりあえず期待。さすがに今日の今日では高円宮さまも来臨された「西が丘競技場」での「ドイツvsオランダ戦」には行かなかっただろーけれど、25日に「横浜国際総合競技場」で開催あれる、知的障害のある人たちが作るサッカーチームの世界大会「INAS―FIDサッカー世界選手権」の決勝「オランダvsイングランド」には、行ってハンディをとらえた慈しみの視線を廃し、ひたむきさが生む万国に共通のスポーツの感動を、その目でとらえ筆で書き記してやって頂きたいもの。クライフ命のサッカーライターも来るかな? こないだろーなー。


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