縮刷版2002年6月下旬号


【6月30日】 こいつは凄い、ってゆーかこのところメキメキとビンビンとペカペカと凄くなってはいたんだけど、改めて振り返って辿ってきた軌跡を見て、なおかつたどり着いた地平を見るにつけ、小川一水さんという名前のSF作家のこの5年だったか6年ばかりの急浮上ぶりにはやっぱり驚くより他にない。大げさだって?言うならその前に最新刊「群青神殿」(朝日ソノラマ、580円)を読むこと。面白いぞお。

 出だしは平穏無事な海。航行する自動車運搬船が突如謎の攻撃を受けて消息を絶つ。変わって海底。メタンハイドレードを探すエネルギー関連会社の海底試掘艇は海洋を漂う巨大なカタマリに遭遇する。やがて巻き起こる大騒動。巨大な船艇が次々と謎の沈没を遂げ、その背後に得たいの知れない存在が浮かび上がってくる。それは一体何なのか。未知の兵器? ノンマルトルの地上侵攻?  それはまあ読んでのお楽しみっていうか、特撮映画なんかによくある出だしに期待した人の気持ちを絶対に裏切らない。むしろ期待を上回って炸裂する展開になるんだけど(第七艦隊壊滅、だもんなあ)。

 凄いのはそうしたシチュエーションに小川さんが政治的にも経済的にも社会的にも軍事的にも、そしてもちろん科学的にも合理性を出そうと筆を駆使しなおかつ、データの羅列や状況の解説にならずしっかりキャラクターたちに納得のいく”演技”をさせていることで、悪の親玉とか秘密結社のボスとかいった非現実的なキャラが出てこないのは当然のこと、現実にいる人でも時として間抜け過ぎに描いて読んで思わず「こんな奴ぁいねえ」と叫びたくなるキャラが、小説ならではの仮構ぶりを活かす意味合いから登場しては気持ちを萎えさせることもなく、誰もが自分の仕事に忠実で、人間としての気持ちにそぐう形で登場していて読んでいてとっても心地良い。

 非日常的な脅威を生みだす手腕も鮮やかなら、そんな脅威を冒頭に提示された事柄の回収に活かしてしっかりとオチを付けてみせる構成の見事さにも激しく感嘆。細かい部分でのおかず(海中にいる試掘艇に船の船艇をドンドンやってモールスを送る描写とか)も多彩で長い話を飽きさせない。ラストで美人部長が携帯を踏みつぶすシーンも同様。何故踏みつぶしたのかって? それも読んでのお楽しみ。

 クライマックスでややヒロインが正義感ぶって突っ走ったりして辟易させられたし、前段の大バトルから一転した静寂の世界で迫り来る死の恐怖の中、海からもたらされた神秘的な体験が開眼的な感動を与える場面を、もうちょっと情緒的に盛り上げてくれてた方が読んでいて泣けたかな、気もしたけれど泣かせは作者に必須の特質でもないしそれなりに感慨もあったんで異論はなし。まとめをエピローグに凝縮してしまう慌ただしさもよくあることで気にならない。大団円ってやつだな。

 真に科学的かどうかは専門家の人たちにお任せするとして(トマト投げたくなる人とかいるかもしれないし)、広げられた風呂敷が畳まれた上に桐の箱へと収められる見事さと、さらに別の風呂敷がタンスから取り出されてその端を見せる余韻を楽しむことができた。新刊出まくりな観もあるけどそのいずれにおいても一定の質を維持しているのも立派。どうにもファンって目が独自言語を共有化できる(マニア受けする)特定の作家にむかいがちだけど、そんな狭い世界を超えて、ポリュラリティを持ち得る可能性のあるSF作家としてサスペンスとかミステリーとかポリティカルといったジャンルに敏感な読者にも、どんどんと浸透していって欲しいもの。「ソリトンの悪魔」が獲れる賞なら「群青神殿」だって存分に相応しいと思うんだけど。米村孝一郎さんの表紙は変わらず女性が豊満。スレンダーなのに豊満。でもって帯を外すと黒三角。わたしはとてもかんどうしている。

 続いて日昌晶さんの「レブリガン・ド・レコール 今宵、すべての悪党たちに」(富士見ミステリー文庫、620円)。1人はカジノでディーラーのイカサマを見抜き1人は圧倒的なパワフルさを発揮し1人は冷静沈着にことを運んで大枚を奪取し1人は1000万円もする起爆装置を使ってカジノを木っ端微塵に吹き飛ばす、なんて4人組の男2人に女2人がいたとしたら考えるのはルパン一家かキャッツアイか近いところだとビバップ号の面々ってな感じのチームだったりするんだけど、そこはヤングアダルトなミステリーのレーベルだけあって全員が高校生とゆーからちょっと吃驚。でもってとりたててエージェントとして修行したとか秘められた先祖の力が発揮されるとかってのもなく、ごくごく普通の機転と訓練された力と天賦の才を駆使して難局を乗り切っていくって展開は、ヤングアダルトとはいえちょい飛ばし過ぎって気もしないでもない。

 派手な活躍を冒頭て見せた割には金が稼げず莫大な借金に追われてるってシチュエーションも気になるところで、まあこれについては多少の理由付けがなされているから良いとしても一気の挽回を狙って挑むお宝がカジノの大金庫とか世界が追いかけるテロリストって訳でもないのが現実味があるとは言っても気持ち的にはやや肩すかし。どーせだったら謎の結社によって頭脳なり体力なりを改造された面々による爆裂ハイスクールアクションになっていたならかえってすんなり入り込めたかも、分かりやすすぎってことはあるけれど。ともあれショボい事件を解決してはとりあえず難局も乗り切った面々が、まだ全部は明かされていないバックグラウンドなんかを説明しながら大活躍していく姿を読んでみたいもの。続くかどーかは知らないけれど、とりあえずもー1本くらいは是非に。

 ダスラー・アベランジェ・ブラッター効果(ドップラー効果とは似てもいないしもちろん非)がいかんなく発揮された関係で新横浜へ。もちろん今ミレニアムでは最初で最後の日本でのワールドカップ決勝を見に行ったのであって決して「ラーメン博物館」を見物に行ったんじゃないのでご了承のほどを。キックオフまでまだ4時間もあるのに新横浜から競技場へと続く行列はちょっとした初詣状態で、気が急いているとはいってもちよい過ぎた感じを持つ、ってそーゆー自分の気がいちばん急いていたりしたんだけど。途中のアヤシゲな露天はすっ飛ばし、楽しそうに踊るサンバ隊も見ずに会場についてまずは「コカ・コーラ」のブースで対戦カードを型取ったピンズを購入、最初に見た「ベルギーvsロシア」では買い逃したけど以後の「セネガルvsトルコ」と「トルコvsブラジル」はともに買ってあったしあと、韓国での「ドイツvs韓国」の準決勝カードも仕込んであったんで、3位決定戦をのぞけばセミファイナルにファイナルが揃ったことになる。ちょっと嬉しい。

あれを狙撃してくらたスイス銀行に2億フランふり込むが、ってゴルゴなら言うかな。  さすがにファイナルだけあって横浜はダスラー・アベランジェ・ブラッター効果でも「カテゴリー2」になったみたいだけど、高い場所にいてピッチをゴールななめ後ろから見る場所はゲーム全体の流れを把握するにはなかなかな好位置でおまけに屋根もしっかり張り出していた場所だったんで、日本で4試合見たなかで唯一雨の試合になった割にはまるで濡れずに観戦することができた。試合前に貴賓席の方を双眼鏡で見たらなななな何と、およそ50億人の人がそれを手中に入れたい「ジュール・リメ杯」がテーブルの上い飾られてるのが見えて、無茶を承知で双眼鏡を望遠がわりに1枚とりあえず撮っておく。あんな素通しの場所に置いておいていーの? って不思議に思ったけどそこは警備警察国家ニッポン、ガードもちゃんとしてあってちょっとやそっとじゃ頂けそーもない。

 仕方がないんで眺めるだけにしていたら、試合がスタートした時点ではすでに撤去されてて表彰式に向かう準備に余年がなかった、みたい、生物じゃないけど。さて試合の方はといえばやっぱりカーン様、ってゆーかオリバー・カーンが怒涛のよーに攻めてくるブラジルの攻撃を見事に粉砕していたことにまず感動。とはいえやっぱり相手が強烈なシュートを持ったブラジルだと、いつまでも止めていられずリバウドのシュートがこぼれた所をロナウドにつめられまず1点、続いてさらにロナウドに1点を決められ、さしものカーンもちょいしょぼくれた感じがしてしまった。やっぱりロナウドはすげえや。

 ドイツの方も攻めてはいたけどセオリーどおりってゆーか中央からサイドに開いてオーバーラップして来た人に渡してそれから切れ込むか、中に上げるかが中心で微妙に決まらず決まりそーになったら今度はカーンに負けじとブラジルGKのマルコスが好セーブを連発。このあたりいろいろ言われていたけどブラジルの守備陣がいい仕事をしたってことになるのかも。もっともカーンが後ろをしっかり守ったその前で、失敗しても同じことを愚直に繰り返していくうちに、何となくドイツがこのまま押し切って1点をもぎ取るPK戦へと引きずり込んでカーンの顔で防ぎきるかどっちかかな、なんて思えて来たから不思議なもの。ゴゴゴゴゴッて音をたててカーンの顔がピッチの上を巨大化していくCGIでも作ったら、それがそのままブラジル選手にとっての心象風景を現してたってことになるんだろー。でもってリバウド−ロナウド・アタックが放ったビーム一閃で弾け四散するカーンのシーンへと進む。ア・バオア・クーのドズルだね、まるで。


【6月29日】 朝から何度か見かけるもヨコハマメロンの収奪はならず。まあ気持ちが前ほど入り込んでいる訳じゃなく、言うなれば意地みたいなものだから念が足りずにネットの向こうのサーバーを納得させられないのかもしれないけれど、あと1日、ってゆーか試合開始までだったら軽く1日半は残る時間がある訳で、いま一晩だけはベッドに入らずパソコンを接続しっぱなしにして椅子にて微睡む夜を過ごすことにしよー。この根性があれば「イングランドVSアルゼンチン」も取れたかな。あと日本代表戦も。ってかどーしてその根性を仕事に向けない? だってあの人たちを喜ばせると思うとねえ。トゥルシェばかりが評価され儲けると思うと自分を曲げてまでプレーしたくなかったって中村俊輔の気持ちもよく分かるねえ。

 じゅくじゅくと本を読む。もっと普通に少年の成長物語になるかと思った篠崎砂美さんの「魔鏡の理 巻之弐 わかくさの」(ファミ通文庫、640円)は、海の神様にさらわれ消えたお師匠さまを探しに旅に出た少年が、行く先々で悪さをする妖怪限下を倒しながら手下ってゆーか仲間のそれも美少女ばかりを従え進んでいくって話が前2冊で語られた後を受けた3冊目で、舞台も例えなしに「ティル・ナ・ノーグ」へと進めば相手も和風の妖怪が洋風の精霊だったり天使だったりと移り変わってこれは例えで「妖怪大戦争」、和洋中華が入り交じっていざこざを繰り広げる話へと向かっていく。

 そんな中からひとつには精霊とか妖精といったものが存在するための、人々の想いの大切さってのが浮かび上がって来て、ひるがえってこの現代、合理性とか効率性なんって言葉の前に超常的なもの、精神的なものを排除しよーとする風潮への哀しみめいた感情が滲んでくる。それと物語の方では、恋する人への想いのすさまじさってものがクライマックスへと至る過程でクローズアップされて来て、なるほど”恋は盲目”って本当なんだなー、なんてことを思い知らされる。出だしでこーゆー話になるとはまるで予想できなかったけど、終わってみればまずまずのまとまりを見せたって感じ。田口順子さんの耽美で華麗なイラストは前2巻に増して絢爛。近日出版予定のオリジナルコミックに期待したい。

 ロボットの郵便配達屋さん(なぜか美少女)が走り回る増子二郎さんの「ポストガール」はロボットをふり見て人間のふり見つめ直せ的な構造を持った作品だったけど、同じよーに戦争によってもたらされたカタストロフィ後の地球で美少女ロボットが人間に混じって動き回るって設定を持った、あらいりゅうじさんの「こんびに さんご軒へようこそ」(エニックスEXノベルズ、820円)は、復活した美少女ロボットが屈託もなく軋轢もなく人間たちの中で混じってちょっぴりドジだど頑張ってるって姿を描くことの方に重点が置かれているみたいで、奥深さって意味では「ポストガール」にはちょっと及んでない。

 まあそれでもアンドロイドのアイレスちゃんが記憶もない中で動き回るうちに見えて来る過去に人間が冒した過ちとか、それでも今は平穏無事にくらせるよーになったんだって明るさとかがほの見えたりするんで、読んでいてそれなりに楽しめる。実は兵器でメモリーの片隅には命令が残ってて体内にも危ないものが残っていたりする、ともすれば薄氷を踏むよーなシチュエーションを招きかねない設定が存分に活かされているとはいえないだけに、あれば次にでもそーした緊張感を出しつつそれを乗り越えて、進んでいく人間の強さってのを読ませてくれたらちょっと嬉しい。それにしてもいくら記録が残ってないからって、200年かそこらで1200万都市とか60階建て摩天楼とかの記憶が薄れて民俗学のフィールドに入れられてしまうなってことが果たしてあるのかな。だいたいが記録がすべて失われるくらいのことがあって人間が、割に平穏に生きてるってのも不思議なんだけど、そこもやっぱり人間の強さ優しさが働いたんだと理解しておくこといしよー。だったら最終戦争なんて起こさない? まあそうかもね。

 ラス前。セネガルとのピンポンのよーに弾む試合、ブラジルとの真正面からぶつかり合ったガチンコ試合の2試合で日本人に大勢のファンを作ったトルコが、韓国へと入って韓国代表と激突する3位決定戦がいったいどんな試合になるんだろーと、チケットを握りしめつつ家のテレビで観戦する。冒頭いきなりなハカン・シュキュルの得点に、ここまでまるで良い所のなかった選手がいったいどーしたんだろ、まさかここまで体力を温存してたんだろーか、だったらどーしてブラジル戦で出さなかったんだ、っておそらくは1万人くらいが突っ込んだことだろー。新王子のイルハンにパスを回さないっぽい仕草もあってなるほどやっぱり仲あんまり良くないのかな、なんて思う場面もあったけど、同点に追いつかれた後で今度も速攻からハカンがイルハンにヒールで回してイルハンがシュートって場面がすぐに訪れて、2人が本領を発揮してたらあるいはブラジル戦も、なんて思いが頭をよぎる。

 それとGKリシュトゥ。素晴らし過ぎ。カーンほど迫力はないしチラベルトほどパワフルでもない。姿形はイングランドのシーマンのコピーみたいで最初は決して目立ってはなかったけど、セネガル戦あたりからその俊敏な動きを随所に見せてナイスセーブを連発し始め、ブラジル戦では怒涛のよーに迫ってくるブラジル選手のシュートをことどとく止める活躍ぶり。さしものロナウドには1点を献上したけどそれ1点に留め通した実力を、この3位決定戦も最初のうちは存分に見せてくれて、もともと好きだったけどなおいっそう好きになる。

 途中相当に体が痛んでいたよーで、何度も代えてくれって言っていたのに代えてもらえなかったのは何でだろー、やっぱりそれだけ信頼性が高かったってことなのかな、あと点差も2点あったし。ロスタイムのミドルも普通だったら楽々止められただろー所を横に飛べず入れられてしまったけど、1点差はそこからでは流石にひっくり返すのは困難だったよーで、トルコが無事逃げ切って3位に食い込んだ。トルコチームだけでMVPを選ぶなら、100人が102人リシュトゥを挙げるだろーし、ベストイレブンでもキーパーの次点にカーンに続いて入りそー。シーマンよりもチラベルトよりも上なのは確実。楢崎? うーんひとけた位は苦しいかも。川口? 没。

 それにしても青嶋ぁぁぁぁぁぁ、1日少ない中2日間でしかも相手が神経体力ともに使いまくるブラジルに善戦した後で、日本から海をわたって韓国へと移動して来たトルコの方はよっぽど疲れてるはずだろう? それを口を開けば韓国チームばかりを挙げて疲れてますね疲れがありますねディフェンスラインが乱れたのは疲れからですねって実況するのは、アンフェアも過ぎるんじゃねーかいこの野郎。いくら共催している国で隣国で関係もそれなりにあるからって、より過酷な条件でしかもアウェーで周りは全部韓国サポーターって中でやってるトルコの精神的なプレシャーたるやもの凄いはずなのに、そーした事情にはカケラも触れずに韓国一辺倒の応援をするのは聞いてて何とも聞き苦しい。

 ピッチじゃ両チームが長い戦いで貯めた疲れも負った怪我もおして必死に、でもって極めてフェアに戦っているのに、そーしたフェアさをまるで汲もうとしない手前の実況がぜーんぶブチ壊しにしやがった。反省しろとは言わない。消えてくれ。うなずき一切の異論を挟まない解説・風間も同罪。トルコに詫びろ。試合終了のホイッスルが鳴った後、両方のチームが入り交じりながら肩を組んでサポーター席に挨拶に行った、サッカーではとてつもなく珍しい、でもってとてつもなく美しいシーンまでもが汚された感じがして気持ちが萎えた。みっともない実況を聞かずに済む現場で見たかった試合だったなあ、行けば良かったなあ。せめて明日もそんな感動を得られる試合が繰り広げられることを祈ろう。実況も聞かずに済みそーだし。


【6月28日】 サッカーの神来る。って別にペレとかジーコがやって来た訳じゃないけれど、そーした実践面に秀でた神々よりもある意味もっと嬉しいアベランジェ・ダスラー・ブラッター&サマランチ・ネビオロな神様が彼方よりご来臨、信心深い子羊に聖地ヨコハマにて宵の口のミサに参加するチャンスを与え給う。大邱で今大会、セネガルよりも韓国よりも実はダークホースでなおかつフロックでもない底力を持ったチームであるところのトルコが、圧倒的な地の利面での不利を予想される中でどう戦うのかってのを見てみたい気もあったけど、流石に遠く飛行機もなく金もかかりそーだったんでパスしよーと思いつつ、それでも早朝に成田へと行ってキャンセル待ちでもしよーかなんて考えあぐねていた所だったんで、足下にすがりつきたくなったけど、定価でカテ2ななのに準決勝のカテ1ををも上回る喜捨が必要ってのにはさすがに怯む。割安航空券だったらソウル2往復は出来そーだし。

 とはいえ3日間くらい、ベッドに横たわらず椅子とベッドの端を並べて足を投げだしパソコンをかかえながら微睡みつつ、ときどき目覚めてはネットにつなげてヨコハマメロンが生る瞬間を待ち続けていただけに、安眠代も込みならむしろ安いかもとか思って迷える子羊、届いたクレジットカードの請求書の額に驚き慌てながらもあのDVDを買うのを止めれば、なんてちゃっかり計算していたりするから困ったものです。

 もっとも神に近づいたとは言え、それで満足するには足りないくらい欲の皮の突っ張った俗物なんで、プラスアルファを狙ってみたいのと、あとは半ばスポーツ感覚で取れるものなら世界が1点を目指してビーチフラッグ状態になる中を、抜け出しネットで取ってみたいとゆー競争意識も働いて、今もこーしてしつこくリロードを繰り返しては、柿がメロンに変わる瞬間を待ち続けていたりする。ネットには出ないんじゃないか、ってな指摘もあったけれど何度か瞬間的に柿がメロンに変わって幾人かが収穫に成功したみたいなんで、2度あることは3度くらいはあるかもしれないって気持ちで残る2晩を、パソコン抱えてメロン狩りに勤しみたい。しかしどーして今もまだ生っているかね、大邸は。今大会話題のチームと自分たちの代表が激突するってゆー好カードなのに。

 パソコンと睨めっこな日々で当然ながら本とかまるで読めず、なんてことはなくって適当に粛々と何冊かを読み継ぐ日々。今さらだけど電撃文庫から出ていた増子二郎さんの「ポストガール」(530円)はアンドロイドな郵便配達の少女が他の別のアンドロイドとか、人間とかにもまれるうちにだんだんと成長していくって話を通して、われおもうゆえにわれありな人間のわれおもうぶりをいろいろ感じさせ、考えさせてくれる。タイトルだけ見るとケビン・コスナーが主演していた映画に似てたりするしカタストロフィの訪れた後ってシチュエーションも重なってはいるけれど、殺伐とした感じはなくってむしろ騒々しさが薄れてゆったりとして来た時の流れの中で、今いちど人間って何だろーってことを探ろーとした、読んでいて勇気の湧いてくる話になっている。

 厳格あってしかるべきアンドロイドと曖昧さを持つ人間との線引に、若干のぶれがあってそのあたりを突き詰めていくと人口知性の可能性、なんって壮大で難解なテーマを持った話になっていったんだろーけど、その辺りを”バグ”と言い抜けてサラリとかわしてあるのを、人によっては気にするかも。もっとも線引を顕在化させればさせるほど、キューブリック&スピルバーグの「A.I.」じゃないけど同化不可能な果てに訪れる悲喜劇、なんて話になって教訓しか得られないんで、どちらかと言えば読む人をシアワセな気持ちにさせたいレーベルから出たってことも含めて、「ポストガール」のよーなファンタジックなかわし方もありってことで。いろいろと”人間らしさ”を身につけていく主人公だけど、それを当人が積極的な目的にしていないんで一人称の成長物語にはなりそーもなく、どーやって決着をつけるのかに興味。彼女には最後まで狂言回しをさせて周囲の人間ヤラアンドロイドやらサイボーグの目覚めを促させ、「彼女は今も郵便物を運んでいるのです、たぶん」って終わる方に50バイロムだ。

 日本でも有数のスポーツ誌上に記事を書くって栄誉を与えられた人だから、その物の見方に間違いがあるはずもないんだろーけれど、大勢の人たちがほとんど共通認識として抱いていた事柄とあまりに違う見方がなされている時には、それでもプロの鑑識眼を信じるべきなのか、あるいはシロウトの感性を大切にすべきなのかちょっと迷う。全部で64試合行われるW杯のゲームの中でも良かったカードを選びなさいってなった時に、自分の国の代表戦しか関心のない人は別にして、6月22日に大阪で開かれた「セネガルVSトルコ」のゲームを挙げる人はきっと多いはず。超絶的な個人技を持ち奔放にふるまうセネガルのサッカーに、ドイツ仕込みの組織と生来のテクニックを組み合わせて世界も驚くプレーを作り上げたトルコのサッカーが真っ向から激突し、見ていて実に楽しい試合だったにも関わらず、「ナンバー」のサッカー増刊第4号に掲載された山田貴史さんってライターの記事では「凡戦といえる内容だった」ってなっていて意外に思う。

 通がそー言うならそーかもしれないけれど、だとしたら素人目には希にみる好試合に見えたのはどーしてなんだろう、ってちょっと聞いてみたくなる。シュートが少なかった、トラップミスが何度も出た、押され気味で自陣にひきこもって苦しい戦いを強いられた、なんて目についたマイナス要素を連ねて「だから凡戦だった」なんて言われればなるほどそういうものかと思わないこともないけれど、シュートまで持っていく間の華麗なパス回しとか、やっぱり凄かったセネガルの身体能力とったプラスの要素を積み上げていけば、マイナス要素なんて帳消しになってしまう気もする。そもそもが「スタジアムの雰囲気もどこか白けていた」なんて認識がどこから生まれたのかシロウトにはまるで分からない。

 対ブラジル戦よりも多くいたトルコサポーターたちのスキンヘッドにペイントし、トルコ国旗のマントをはおり走り回っては唄い叫び続けた応援の真っ直中にいた身として、「スタンドから聞こえてくるのは、ゴール裏にわずかに陣取ったセネガルサポーターが刻む太鼓の音だけ」だったなんて信じられないし、時折大きくなってはスタジアムの半分くらいを包んで拍手を浴びるセネガルの太鼓の音が「一定のリズムを刻むに過ぎず、周囲を巻き込むだけの迫力に欠けた」なんてどーあの会場を見れば出てくる認識なのかが理解できない。記者席に鎮座してサポーターを遠くに見ていたからそー感じられたんだろーか、それともダービーマッチのサン・シーロと比べてそー思ったんだろーか。まあ通が通ならではの感性でもって通にしか理解できなかっただろー試合の真の価値を教えてくれた一文として、今後の観戦にそーした通の見方を利用させてもらうことにしよー。希にみる凡戦も通ぶった目を持てば「21世紀で最高の試合」に見えるのかもしれない。


【6月27日】 なるほど言いたいことはあっただろう。背番号1を与えられ、もう目前とゆー時期まで自分が正ゴールキーパーだって確信を抱いていた所に最後の最後で逆転されて、楢崎正剛選手が本番も本番、世界の誰もがこれを目指してやっているとゆーW杯のピッチに立って自分は控えに回されたとゆー屈辱、悔しさは想像にするに余りある。同情もしよう。フランス人医師の考えに刃向かったことがトゥルシェに告げ口されて嫌われたのかもしれない。トゥルシェがこだわったディフェンスの隙をつかれてテストマッチで点をとられたことをキーパーの責任に転化されたのかもしれない。怒って嘆いて当然だ。

 けどそれを本人が、本人の口から言ったとして、果たしてどれだけの人が共感を向けるんだろー。「週刊文春」の最新号に掲載された、川口能活選手の激白記事を読んでなるほどトゥルシェ監督ってイヤな奴なんだなー、と思う人もいるだろーけど同時に、それを理由に選ばれなかったんだってことを暗に(でもないけど)示唆する川口選手にも同様の、我侭勝手な奴だなー、なんて感情を抱いてしまう可能性の方が高いし、事実「文春」の記事を読んでそんな印象を残念だけど持ってしまった。いくら文末で自分の実力が足りなかったってフォローが付けられてても、そこに至るまでに滔々と語られている恨み節から漂う濁った空気が、殊勝な言葉さえも欺瞞と思わせてしまう。

 記事がどこまで川口選手の本意をそのまま反映しているのかって問題になると、これは分からないとしか言えないし、本当に喋った言葉であっても、センセーショナルな部分だけを重点的に取りあげて、構成した結果あーいったトーンの記事になってしまったのかもしれない。その結果、川口選手へのネガティブな印象がふくらんでいき、非難を浴びる中で潰れていってしまったとしたら、やっぱり記事として適当ではない。川口選手のことを本当に想っているのなら、タイミングとかを見計らい、読んだ人が受ける印象とか選手の将来に与える影響とかも考慮して、構成する必要があったよーに思う。

 中には大新聞から反国歌・反権力のスタンスを示すダシに1度ならず使われ非難を浴びてもなお研鑽に励み、世界屈指のプレーヤーとなった中田英寿選手の例もあったりするけど、同じことを川口選手が出来るって保証はないし、中田選手の場合は当人の激白って記事じゃなかったから、後でいくらもフォローが効いた。けど当人の激白って形が取られてしまった川口選手の記事にはそーしたフォローは難しい。

 なによりすべてが本音ってゆー可能性もあるしむしろそっちの方が高そーで、トゥルシェ憎しの感情以上に川口みっともなしって印象を抱いてしまう。フランスで1試合も出られなかった楢崎選手が、小島選手がこーまで非難がましいことを口にしてたって記憶がないだけに余計に目立ってしまう。そんな激情的な部分もまた川口選手らしーんだけど、ともあれ今後どんな影響が広がっていくのかにちょっと注目。「ナンバー」の総括あたりでロングインタビューとか載るのかな。

 もはや本番はどうあがいても見られそーもないけど、関連イベントなら大丈夫みたいでチケットが回って来たんで「オフィシャルコンサート」って奴を見物する。会場は「東京スタジアム」。5万人規模のスタジアムがこんなに都心部から近い場所にあるのにどーしてサッカー自体は、大都市圏から新幹線で1時間2時間でそこからバスに徒歩だなんって不便な場所でやったんだろー、なんてことを行って思った人は多いかも。もっとも「東京スタジアム」は、会場全部が青いユニフォームで埋まるなんてことはなくって、別にどこのチームを応援する訳でもないコンサートで、言われなければW杯関連のイベントだなんて分からない。W杯の名前が冠されていることで、多少なりとも人に関心を持ってもらえたって部分では、オフィシャルを名乗る意味はあったのかも。あと世界的なイベントのオフィシャルってことで、出演アーティストにも無理が利いたって部分でも。

 なにしろ日本が誇る長者番付ユニットの「B’z」が、そのサウンドの原典にあるらしー「エアロスミス」と競演するってんだから驚かない訳にはいかない。それぞれがピンで立っても数万人規模は軽く動員できる2つのグループを1日で、それも同じ会場で見られるだからもう、ファンは大喜びで1万円は越してるらしーアリーナ席でも気にせず購入したことだろー。実際アリーナはほぼ満席になってたし、雨だってのにもらったポンチョを来て何時間も立ちっ話でステージに見入ってたし。

 個人的には「B’z」ってテレビの主題歌とかイメージソングとかで効くと妙に歌謡っぽくってペカペカしている印象があって、ちょい鬱陶しくも思ってたんだけどステージで演られる曲はそれもが迫力があってボーカルにも骨があって、なるほどだからあれだけの人が毎年毎回コンサートに集まりもするし、今もって人気を継続して来ているんだな、なんてことを考える。もっともそんな迫力も後で登場した「エアロスミス」に比べればやっぱり年季の入り方が足りないってゆーか、ちょっと薄れてしまった感もあって米国のエンターテインメントの凄みを改めて感じてしまう。

 セッティングにちょい時間を使ったあとで登場したメンバーが、ステージの中央付近に参集してめいめいにギターを退きベースを鳴らしドラムを響かせるその中央で、おもむろい顔をあげたスティーブン・タイラーが迫力の叫びを始めたとたんにもう会場はさっきまでの嬌声もどこへらや、「B’z」のファンっぽかった人たちまでが体を震わせ目をしばたたかせてステージい見入っているからやっぱりホンモノは違うってゆーか。最前列のステージ左右に、バンドを讃える人々、ってな雰囲気でノリノリな感じを見せている集団がいつの間にやら登場していた、あれは仕込みのサクラか何かかな、って思ったけれど真相は不明。ただそーした見せノリも含めてステージを形作ってるエンターティナーぶりはやっぱり凄い。

 それにしても不思議なのがスティーブン・タイラー、前にも何かのスポーツイベントに登場して唄っていた時に見た記憶があるけれど、左右の腕の上腕部に漢字のタトゥーが入れてあるのにはちょっと仰天、いくら見た目が変わってるっていっても記号とかマークじゃなく意味を持った言葉なんだから選び方があるってものなのに、何を考えたのか「夏娘」って彫ってあって「サマーガール」とかって曲でも過去に唄ってたのかな、なんて想像してしまった。おへそのあたりにも何やら文字めいたものが彫ってあったけどこれは遠くて判然とせずモニターにも映ってなかったんで不明。調べればどっかにあるのかな、外国人の漢字タトゥー一覧とかって。


【6月26日】 クライマックスな感じもいよいよと高まって来た今W杯に関連して、野卑た憶測をまた聞きな傍証で固めて想像を膨らませては、読んでニヤリとさせられるよーな味とかサビもまるでない暴論に組み立てて流し、読む人を愉快じゃない気持ちにさせて来た馳星周さんだけど、書き方はともかくとしてまったく納得できなかった訳じゃなく、ひとつの意見として参考にするくらいの寛容さでもって接することができた。が、「ナンバー」のW杯特別号の4、「週刊文春」7月3日増刊号の巻末に掲載された「アフターコラム」で馳さんが書いた文章には怒髪天、馳星周やはり許すまじと心に憤怒の炎を燃やす。

 場所は大田。「スペインVS南アフリカ戦」で盛り上がるピッチに反してスタジアムはほんとんど社会見学の生徒がつめかけた「交通博物館」状態で、先生に引率された生徒はどれほど凄いことがピッチで行われているかなんてまるで理解せずにただ、座席に座ってオッサンたちが球蹴り遊びをしている姿を退屈そーに眺めていた。そこに現れたのが金髪にピアス、派手な柄のシャツを来たマヨネーズ容器みたいな体つき(数年前にサイン会で見た時そんなんだった)をした馳星周さん、猛獣の檻に迷い込んだ子猫とは逆の立場になって周囲から好奇の目が集まり、やがて勇気を出して話しかけて来た数人の女子小学生たちから質問責めに合うことになって試合もそっちのけで会話を始めたそーな。

 周囲をすべて美少女たち(想像)に囲まれ、押し寄せてくるむせかえるよーな美少女たち(推定)の体温に体臭の中で過ごす1時間と聞くだけでも羨ましいのに、あまつさえ会話までかわしてコミュニケーションを取ってオトモダチになってしまった馳さんの、とてつもなく羨ましい体験にどーして嫉妬せずにいられよー。あまつさえそれを堂々とコラムで紹介しては悦にいる馳さんにどーして憤らずにいられよー。だったらせめて写真の1枚でも、ソルファちゃんムンシルちゃんを撮って紹介してくれれば納得も出来たのにと残念に思えて仕方がない。

 ってのはまあ本気8割だけどともあれこの文章、上から下までが熱狂しているよーで子供たちはそれぞれに自分の興味に生きてるんだってことを教えてくれるし、末尾に添えられた「試合はほとんど見ることができなかったが、そのくせ、わたしは弾むような足どりでスタディアムを後にしていた」って一文が、W杯があったからこそ見つけられたサッカー以外の、そしてサッカー以上に大切なことを教えてくれているよーで、久々に気持ちをとき解された。やるじゃん馳星周。それにしても恐るべきは韓国の小学生、韓国語のまるでできない馳さんとカタコトながらも英語で会話をかわしたそーで、振り返って自分が小学生なら大人と英語で意志疎通を図れたかってゆーとまず不可能だったことを考えると、かの国の教育の事情なんかも伺える奥深いコラムだった言えそー。どんなに聡明そーな娘たちだったんだ、やっぱり写真が見たいよー。

 まずチケットが取れないと認識しているファイナルに、チケットはあるけど金も尽きかけててたぶん行けないと確信している3位決定戦から逆算すれば、これがこのミレニアムではでおそらく最初で最後となる(21世紀最後って言うけど「ワールドカップ2138」とかなんて時代も環境も想像できないんだよね、国があるのか、サッカーが存在しているのかも含めて)だろー「ワールドカップ」を堪能すべく埼玉は平原の果てにあるサッカー場へと向かう。都心部から地下鉄の乗り入れですぐ側まで行ける交通アクセスはそれほど悪いとは思えないけど、あと1息頑張れって延伸すれば喜ばれるだろーものを、降りて15分ばかり歩かないと到着できないよーいしているのは何かの陰謀だろーか。あの距離は「ワールドカップ」ならまだしも「Jリーグ」ではちょっと歩くに遠慮したくなるからね。

 スタディアム、じゃないスタヂアム、でもないスタジアムはさすがに決勝誘致も頑張りたかったくらいに立派で大きくてしかもサッカー専用で見やすくって、はるか遠くに人間らしきものがせっせと走ってる場面を遠目で見つつビジョンで誰が何をしたかを確認する、きわめて非スポーツ的な観戦じゃなくって、ロナウドがいてリバウドがいてロベルト・カルロスがいてってな感じで誰が何をどこでどうしたかを、肉眼でちゃんと確認できたことにとにかく感激。正価でだって結構な値段な席を張り込んだ甲斐もあったと、すでにあらかた消えてしまったボーナスのことを頭の片隅に思いつつ、一生に一度どころか日本の歴史上でも最後だろー「日本でブラジル代表がマジ勝負する」場にいられたことを嬉しく思う。

 もっともマジ勝負も相手が弱かったら話にならないんだけど、そこは我らが日本代表をいなしセネガルを沈めて勝ち上がって来たトルコだけあって、前半だけならスピードもパス回しもブラジルに遜色なく、幾度となくゴール前へと迫っては危険な場面を作って攻防の凄みを堪能させてくれる。後半バテたか3角で回しながら突破していく感じが薄れたものの、それでもサイドを使い中へと切り込みシュート目前まで持っていく技は存分に披露してくれて、こーゆーことがなにげに出来てこその強いチームなんだと、パスは回しても華麗さ恐さに今ひとつだった宮城でのブルーズなんかを思いだし、だからこそトルコは今日この場所でブラジルと戦っているんだと考える。

 とはいえ流石はブラジル、隙を見つければそこから怒涛の攻めが始まり3人いれば軽くゴール前へと運んでシュートに持っていってしまう、これぞブラジルって攻撃を見せてくれた。ロナウドのシュートは見た目豪快さには欠けたけど、するするっとゴール前まで運んでディフェンダーが前をふさがないうち、ゴールキーパーの気持ちが前へと入り込まないうちにちょん、と蹴っては遠い場所へと見事に蹴り混む素晴らしさ。それに反応したトルコのキーパーも凄いけど(何度も好機をセーブしてた)、慌てずふかさずそらさないロナウドはやっぱり凄い、凄い、凄すぎだ。

 トルコはハカン・シュキュルがやっぱりブレーキ気味で良いボールをゴール前でもらってもシュートできなかったりして得点にならず。決めていればあるいは守って日本戦みたく抜け出られたかもしれない、なんて考えるとエースのくせして今大会で1点もいれられず、なのに先発し続けるハカン・シュキュルをショージ・ジョーと呼んでは……ちょっと失礼か。ゴール前で来たクロスをふりむきざまボレーでシュートし、惜しくもキーパーにはばまれたチャンスは流石欧州のトップリーグで活躍する選手って動きだったし。ともあれこれでおそらくはうち止め。決勝は誰も見たことのなかったW杯本戦での「ドイツVSブラジル戦」。そりゃ見たいけどこればっかりは天の配剤もないんで、せめて決勝くらいは帰りのバスの混雑とか気にせず家でじっくり、閉会式も含めて堪能することにしよー。とか言いつつ今夜も寝ないでウェブ監視。でもって4年後はドイツ行き?


【6月25日】 自分はともかく果たして一体何人くらいが、近況にW杯のことを書いて来るんだろーかと楽しみに開いた「SFマガジン」2002年8月号は、柳下毅一郎さんに大森望さんのW杯バンドワゴンな面々は当然として他に伊藤卓さんに久保美鈴さんにといったところが触れている程度。全然サッカーとは無関係な人たちが世の中には大勢いるんだってことをそんなあたりからも感じてみたり。自分が好きなら他の人も好きなはずだって思いこみの恐さ、感じました。大森さんが「まさか日本×ブラジルの準決勝の準決勝を見ることになろうとは」って書いているけどもしかして別次元のW杯の話なんだろーか。

 まあ希望としてはそーあって欲しかったけど、そーじゃなかったからこそチケットもゲットできた訳で個人的には痛し痒しっていったところ。ただ試合的には「ブラジルVSトルコ戦」はここんところ調子を上げて来ているトルコの縦横無尽な攻撃陣が弱いとか言われてるブラジルのディフェンスにどこまで迫れるかっていった興味もあるしまた、日本があれだけ手こずったトルコのディフェンスを圧倒的なスピードとパワーでブラジルがどれだけ喰い破るかって興味もあって楽しめそー。夜から埼玉は雨で気温も低そーで、サッカーを見るには辛い環境になりそーだけど噂に聞く宮城の最悪なコンディションに比べれば、山上じゃないぶん暖かいだろーと思いたい。防寒対策だけは怠らず、今のところうち止めになりそーな日本でのW杯を楽しもー。横浜は高過ぎるから取れたとしてもちょっと躊躇、大邸はブラジルが回るよーなら考えたい。

 しかし寒かった雨の「国立霞ヶ丘競技場」。天から降ったかか信濃町から湧いたか突如決まった「ドイツVS韓国戦」のパブリックビューイングが開かれたんで話の種と思って見に行ったけど、トルコ戦の時ほどじゃないにしても夜になっている分振りしきる雨は冷たく吹く風は肌に寒く、シャツ1枚ではとても耐えられそーになかったんたんで、屋根の下にいたにも関わらずW杯謹製ポンチョをかぶって雨風をしのぎつつどんなイベントになるんだろーかと観察する。これまでの日本代表戦のパブリック・ビューイングと違ってサポーター側からのボトムアップ的なイベントってよりはサッカーを推進したい国会議員のとりわけ韓国に関心を持った議員が仕掛けたっぽいイベントで、ホスト国としていかがなものかって考え方も出来たけど、行って見た韓国側サポーターの集まり具合、応援具合を遠目で見ているとこれがなかなかに熱くって、どこがしつらえた会場だろーと集まり応援できる場所が出来たってことは、それはそれで評価しなくちゃいけないんだろー。

 あとやっぱり流石に一方的な肩入れはマズいって考えたのか、あるいは審判問題の原因を韓国に見て非難しよーとドイツを応援することにした新鋭サポーターなんかが群集う可能性も考慮してか、これまでだったら日本代表応援イベントっておとでブルー一色になることしか考えてなくってベルギーサポもロシアサポもトルコサポだって入り込む余地を作ってなかった国立に、貴賓席を挟んでちゃんと左右に韓国とドイツ(あるいは反韓国)のサポーターのスペースが分けて割り当てられていた。挨拶にしゃしゃり出てきたなんとか議員連盟の事務局長の衛藤議員がそんな配慮をブチ壊して韓国ばかりを応援して、イベントの性格が透けて見えてしまったのには辟易しけどそこは口は軽かったものの気配りはできる森前首相、横でドイツのサポーターもいるからとたしなめていた。配慮は花火にもちゃんと及んでて、トルコが点を入れても沈黙していた花火がドイツが点を入れた時にドンと上がったから、いささかの政治臭さはあってもとりあえずは納得のできるイベントだったと言っておこー。

 ドイツ好き、ってよりは韓国苦手、って意識で参集した人も中にはいただろードイツのサポーター席だったけど、中心になって音頭をとってた人たちの配慮も行き届いてか怒声罵声の類で相手をコキ下ろすなんてことはしないしさせず、相手のエールには拍手で返す余裕を見せ、日本代表戦の時に気になった相手国歌への非礼なブーイングも誰ひとりとしてせずホッとする。ただこれまでの経緯があってか試合そっちのけで審判のジャッジに関心を寄せて、それも韓国がファールっぽいことをやった時に限って「フェアジャッジ」とアピールして看板とか掲げるのにはちょっと悩む。まず一方的だし、いちいち取ってたら試合が寸断されて熱がさめるから裁量で流すラフプレーだってある訳で、そんな所にばかり気を取られてたら試合そのものが楽しめない。

 フェアなジャッジを望むのは韓国サポーターだって同様で、なのに韓国側のファールっぽい行為にだけ「フェアジャッジ」と訴えることは果たしてフェアか否か。前半のうちからジャッジは割に的確に出てるなって思えたんで、ここは審判に敬意を表していつまでもジャッジへの要求を出すことはしないほうがよかったのかも。違う、これは試合の公正さを訴えたいとゆー純粋な気持ちの現れなんだと言うなら、もうひとつの準決勝の「ブラジルVSトルコ戦」だって過去にまったく同じ対戦で、不明朗なジャッジによって1人退場させられてトルコが敗北を喫した絶好の実例。その再来が懸念される準決勝でも「フェアジャッジ」と叫び続けるのが審判問題を考える人の筋ってもん。でなければやっぱり一方的な非難になってしまう。そのあたりがどーなっているか、行って観察して来よう。

 試合の方は良い試合。韓国の攻めにスピードがあって中盤でのパスワークに妙味があってペナルティエリア付近でのアタックにキレがあって、もしもオリバー・カーンがゴールマウスを守ってなかったら、って思えるくらいに危険なシュートが何本も飛んでいて、これなら欧州の強豪からだって点を取れるはずだと感心する。低めに飛んだ良いシュートを横っ飛びで手のひらだけではじいたカーンも凄いけど。あとファーに飛んだセンタリングだかコーナーを待っていた韓国選手も手前で飛び上がり、パンチングして前に出すんじゃなくってゴールラインから後ろに掻き出したセーブとか。一方韓国のキーパーも良いシュートを何本も止めてたし、そもそもが決定機をそれほど作らせないディフェンス陣も頑張ってた。負けてしまったことで鬼神のよーなモチベーションを残る3位決定戦に発揮できるかは分からないけど、これで相手がブラジルってことになったら場所も韓国内ってこともあってモチベーションアップも期待出来そー。一方で移民問題なんかを抱える「ドイツVSトルコ」ってのも応援し辛いながら見てみたい気が。でもやっぱり「ドイツVSブラジル」になるんだろーなー。


【6月24日】 おはちが回ってきたんで東大の安田講堂で開かれたマイクロソフトと東大が共催するどーたらセミナーに行く。安田講堂といえばその昔、上から火炎瓶を投げて遊んだ場所でスーッと口火の炎が落ちていったと持ったら次の瞬間パーッと花が咲いたよーに炎が広がるシーンが綺麗で彼女といっしょに願い事なんか唱えたりしたっけ、なんてありえもしない妄想(それも美化し過ぎ)に浸りつつ、入った講堂はえっといつ頃よーやく使えるよーになったんだっけ、ともかくニュース写真とか映像なんかで見る往時の派手な攻防戦の名残など当然ながらまるでなく、早稲田にある大隈講堂よりもシックでモダンな感じがあって、さすがはニッポンを背負って立つ人々が集う場所だけのことはあると嘆息する。

 ところがそーしたエリート意識なんぞ鼻であしらう気なのかそれとも、刺激して発憤させてビジネスへとつなげよーと深慮遠謀を巡らしているのかスティーブ・バルマーCEO、メインなゲストとして基調講演の演壇に登るやいなや「IT革命は終わってねえ」「だって見ろよ、世界でもトップクラスの大学の施設がこんなんだぜ」「ここじゃあインスタントメッセンジャーが使えねえでやんの」「ノートにペンでメモなんかとっていやがる」「遅れてるぅ」……といったことを英語で(英語なんで口調は当方の妄想、ただ大意においてはこんな感じ)大袈裟な身ぶり手振りでまくしたてては伝統ある講堂のITのカケラもない様を指摘する。

 自らキャンパスなんて読んでるシアトルおマイクロソフト本社じゃないんだし、東大どころか日本の大学のどこに行っても無線LANが使える場所がそうそうある訳じゃないんでダシにされた安田講堂もいい迷惑っちゃー迷惑なんだけど、言われればなるほど伝統とか格式といったものにガードされてる分野に新風を送り込むことによって広がるビジネスフィールドってのは確実いある訳で、そーした分野を目敏く見つけては持ち前のプレゼンテーション能力とバックの膨大な資金力、ビル・ゲイツって誰もがお友達になりたがる名前でもって壁を壊し入り込んでいくって戦略を取ることで、ますます居場所を広げていくことになるんだろー。ところで張るマーCEO、くそつまんねえ授業中に講義そっちのけで友人にうつ携帯メール、あれは立派にIT革命じゃないんですかい、でかいタブレットPCなんぞ抱えて持ち歩いてはひろげてシコシコやるよりも100倍進んだ。

 「デイリーサッカーダイジェスト」はまたしてもベッカム様が表紙でこれで先週から続いてえっと何号連続になるんだっけ、たぶん4号くらい連続になってるはずでその間たしかにイングランドの試合があったからおかしなことではないんだけど、すでに敗退したチームであるにも関わらず、その後に試合のあったチームを差し置いてまで表紙してしまうのはスポーツ新聞じゃあるまいし、専門誌としていかがなものかって気にもなる。まあそこは「デイリー」なんで日刊誌なんで即売を意識して美形を前に持ってくるのは商売として分からない訳でもないんでいちおうは納得しつつ、これからはせめて試合のあったチームからフォトジェニックな人を見つけて表紙に据えてやっていただけると、専門誌としての立つ瀬もあるし読者だって納得させられると思うんだけど。って訳で明日は表紙はカーン様、明後日はイルハン様で決定、カーン様って美形? って思った人は上野に行って見てきてごらん、比べるとほらこんなにハンサム(何と比べるんだ?)。

 そうか、と「サイゾー」の2002年7月号を読んで感嘆、創刊のはるか前から現場を仕切ってきた小林弘人編集長がいつの間にやら発行人になってて後任に編集Iこと揖斐憲さんが晴れて昇格、芸能なのかITなのかムネオなのか何なのか、ツカミドコロのそれほどなくってドッカーンと世間を震撼させる超弩級の話もないけどなぜか、読んでいろいろ参考になるし勉強にもなる記事にコラムが満載の、売る側としちゃー置場所に悩みそーなオーラを発している割に、なぜか先月あたりからコンビニエンスストアでも売られるよーになって、「MONOマガジン」とか「Boon」とか「TVブロス」とかに周囲を固められた中でラックに並んでいる姿も見るにここまで来たかと観劇な「サイゾー」を今後、どー導いていくかに注目、しよーかと思ったらいきなり病院送りですか、いやまあ代わらずダイナミックな雑誌です、なおいっそうの栄進を祈念。


【6月23日】 前々日に「旅の窓口」で慌てて細かい場所とか気にせず値段と「よしもと興業」プロデュースってセールス文句と長居陸上競技場からそれほど遠くない難波にあるってだけで取ったホテルが実は、ネオンの色もとりどりなら立ってる女性もよりどりみどりな宗右衛門町の真っ直中にあったことに、「トルコvsセネガル戦」が終わって戻る路上で気づいてしばし唖然、昼間も確かにそれっぽい店があるとは気づいていたけれど、実際に夜になってみて分かる賑やかさってのが歌舞伎町とかにもあったりする訳で、知らない場所で何かする時の無鉄砲さって奴をちょっとだけ感じる。

 ふりかかる誘惑にも負けずに宿屋へと帰って素直に就寝、カプセルホテルっても僕の止まった部屋はカプセルが2段になって大勢が上下に雑魚寝する一般的な部屋よりちょっとだけ高めの(それでも「旅の窓口」経由なんで1泊素泊まり3900円)パーソナルルームって奴で、アコーディオンカーテンで仕切られたスペースには机があってロッカーもあってベッドは2段だけど上しか使ってなくって中にテレビもラジオも目覚まし時計も仕込んであって、下手に狭い普通のビジネスホテルに止まるよりもよっぽど快適に安眠できた。トイレにシャワーに洗面所が部屋いないのは裸を見られたくない人には辛いだろーけど、泊まった人ならサウナもお風呂も使い放題だったみたいで、足も伸ばせないバスダブに身を沈めるより気持ちがすっきりするかも。次のW杯で泊まる機会があったら使ってみよー。2034年くらいかな、それともハレー彗星より後かな。

 快適に目覚めて仕度をして梅田から阪急で京都へ。音楽プロダクションのアミューズが何を思ってか始めたゲージュツ方面のオーディション「第1回アミューズ・アーティスト・オーディションin京都」って奴の審査会が「京都文化博物館別館ホール」ってところで開催されたんで折角大阪まで行って寄らないのももったいないと見物する。ゲーノーとゲージュツは字面は似てるけど割に相容れなかったのがこれまでの通例、かのソニー・ミュージックエンタテインメントが「アート・アーティスト・オーディション」ってのを主催してかの「明和電機」を送り出したこともあったけど、音楽パフォーマーとしては知名度があがってもファインなアートの分野で活動が目立ち始めるまでにはゲーノーの色が差し障ったか結構時間がかかったし、今もって例えばファインな現代アートの美術館で個展が開かれたって話もそれほど聞かないあたりに、たとえ作品そのものは面白くっても出自によってクベツにサベツ、されてしまう業界の厳しさを強く思い知らされた。

 だからそーした轍を踏まないためにも、あらかじめゲージュツの権威筋を混ぜてそっち方面での浸透を担保しているのかを思いきや、朝から元気に作品を見まくってた会長の人によれればそーした方面への回路なんていっさい気にせずむしろ排除している風があって、実際のこのイベントも審査員には京都にいっぱいいそーな既存の芸術家の人芸術系大学の先生の人とか1人もおらず、アミューズの人とそして会場に来てくれた人の投票でもって決まるとゆー、潔くも明解な選考方法になっていてちょっと吃驚、ゲージュツの権威なんてぶっとばせ、なんて思ってたこっちがむしろ相対するゲージュツって権威を意識しちゃってた訳で、そーした感覚をまるで持たずにただ面白いアーティストが来てくれれば面白いな、そーした人たちをマネジメントすることで社員にも新しいスキルがつくし、ってゆー考えだけで突っ走れてしまう会社の未来にちょっと面白いものを感じる。

 だから応募してくれた人の中にはきっとそれなりな”釣書”を持った人もいたなろーけど、そーした権威なんでまるで無視して700点あまりからより抜かれた作品は、よくいえばこじっかりとまとまっていて見た目に楽しいものが多かったけど、その分パッと見て分かるイラストっぽい作品にもろイラストって作品に似顔絵系の風刺っぽい作品が割に混じってて、選んでる人たちの関心もそーゆー方面に向かいがちだったみたいで、ゲージュツの観念に毒された目にはいささか違和感を覚える。こればっかりは流石に一朝一夕では払拭できんわ。中にどこかで見た傾向の絵があって、確か奈良美智さんが弟子筋の人たちを集めてプロデュースした「morning glory」って展覧会に出てたなあ、と思って調べると正解。川島秀明さんでした。得点とかたくさん入ったのかな。

 それからもう1人、屋上にある1段硬い場所に上って背中から「最終兵器彼女」の「ちせ」っぽい機械の羽根を伸ばして跳ぼうとしている携帯電話を手に持った制服姿の美少女、って聞けば美少女フィギュアの人が好きそーなディティールの作品を出している人がいて、名前を見てどこかで聞いた記憶があるけどどこだったっけ、と思ってしばらく他を回って戻ってきたところに、当の作家の人がいて過去い作った作品のカタログを見せているのを横からながめて納得、アニメとかコミックじゃなく実写系のアイドルとかタレントのフィギュアを数々過去に作って話題になった寒河江弘さんでした。

 なるほど造型の世界では知る人ぞ知るクリエーターだけど、これまたゲーノーの世界とは回路がつながっていなくって、下請けっぽい立場でアイドルとかタレントのフィギュアは作っても、持てるクリエーティブのパワーをすべて発揮できるとはいえないケースもあったあろーと想像できる。芸能と背中合わせの場所で仕事をするよーになれば、自分も満足がいって世間も納得する作品がプロダクションのバックアップのもとで作れるよーになる。企業としてクリエーティブ至上主義を貫ける海洋堂なら相手の企業の無理無体を跳ね返せるんだろーけれど、個人で活躍する造形作家の人にとって今回のオーディションは意味のあるものに映ったのかも。メルヘンなイラストとかサラリーマンをからかう分かりやすい造型が近所に並んでる中で、オタクなアンテナだからひっかかった少女フィギュアがどこまで受けたかは分からないけれど、是非とも頑張って頂きたいところ。福山雅治ファンの人も応援すべし。だって応援すれば超絶リアルな福山雅治のフィギュアが手に入るんだぜ。

 2時間ほどのぞいてから退散して一路東京へ、向かう途中に名古屋で途中下車して丸善栄町支店で開かれた「野尻抱介さんを囲む会」を見物する。女子高生の眼鏡っ娘でしかも巨乳が30人来て野尻さんを取り囲みもみくちゃにする場面を見る目にも楽しいイベント、って訳ではありえなくって名古屋に集うSFな人たちがジモティーなSF作家を囲んで交流を深め合うってゆー内容。中京ファンダムの人とかいっぱいいたよーで、ほかに小川一水さんも顔を出していたけど何しろ当方、名古屋時代はまるでファンダムに所属していなかった人間なんで挨拶もそれほどせずにひっそりと並んでサインを頂きインディペンデントなノーマッドTシャツをプレゼントし、トークショーの場でも静かに成り行きを見守る。

 「SFは目から鱗を落としてくれるから好き」とゆーのが野尻さんのベーッシクな所にあるSF観みたいで、だから人間至上の観念を捨てて多様な価値観の中で人間の存在を相対化できるファーストコンタクトみたいな話を好んで書きたいみたい。あと女子高生も当然ながら重大なテーマのひとつだそーで、出せばある程度の商品性が確保できることはそれとして、絶対に死ぬことのない、最強の生き物であるところの女子高生を出すことによってラストにご都合主義が来ても許してもらえることも、好む大きな理由になっていたりする。なるほど目に見て良し、って感情が先走っての好みじゃなく、創作の上で重要なポイントになっていたんだと聞いて改めて納得する。行った価値があったよ。

 東京からはるばるやって来て直前まで打ち合わせをしていたとゆー塩澤快浩SFマガジン編集長も交えてのトークになって「Jコレクション」についての話もあれこれれ。シリーズで出ている野尻さんの「太陽の簒奪者」(早川書房、1500円)の長さについては編集長的にもーちょっと書き込んでも良かったって思っていたそーだけど、関係のないことをどーしてあれあけダラダラ書けるんだって外国の分厚い系SF大作家への違和感なんかもあった野尻さんにとっては、今出ているのが最適だったみたい。描き混んであればファンはうれしいけれどこれからSFを読もう、野尻さんの作品に触れてみようって人にはむしろハードルが高くなる。聞くと赤火星の次の緑火星が決して同じ量ははけないそーで、買ったはいいけど長さ深さに読み込めず、出ても次に進めない人の結構いたりするのかも。そーした面でシンプルに仕掛けを見せ、人間のドラマもちゃんと読ませる単行本版「太陽の簒奪者」はパッケージとして見事です。あとは表紙が眼鏡っ娘の女子高生で巨乳だったら5倍は売れたんだろーけど。


【6月22日】 夜を徹してメロン争奪戦に臨もうと心には決めていてもこのところ、急激な眠気が朝な昼な夕なに襲いかかってきては記憶を忘却の彼方へと押しやり時間をスキップさせてしまう日が続いてて、パソコンに向かった途端に垂れ下がってきた瞼に精神はストンをブラックアウト。気づくとすでに夜は明け元気な人ならラジオ体操へと向かう時間になっていて、慌てて参戦したものの祭りはあったかなかったか不明ながらもその時点では開かれておらず、当然ながらメロンの1つもない状態では如何ともしがたく諦めパソコンを仕舞って大阪行きのまわしをする。

 届いていた朝刊のスポーツ新聞を広げ、駅で別の新聞をかっても何故かどこもかしこベッカム様が1面で、勝利したはずのブラジルの得点にアシストと大活躍したロナウジーンヨは奥のページへと押し込まれているとゆー扱いぶり。そりゃ確かに人気もあって実力もある選手で、これが見納めになってしまうってバリューはあるけどでも、勝ってなんぼのW杯決勝トーナメントで勝者のチームなり選手をまずは讃えるってのが世の道理。オバさん顔したロナウジーニョじゃ絵にならないんならスラリと伸びた脚が美しいリバウド様でも得点したからトップでいーじゃんとか思うんだけど、白人の方が格好良いんだと思いたがりなメディアの固定観念と、あとは判官贔屓なセンスがやっぱりベッカム様を表紙に持っていかせてしまったんだろー。

 顔とかスタイルでトップを選ぶグラビア誌みたいなセレクトはスポーツの神髄を伝えるスポーツ紙としては失格だけど、スポーツ業界紙スポーツパーソン紙な今時の日本の新聞ではこれも当然ってことで。しかしイタリアが消えてベッカム様もいなくなって、絵になる美形も少なくなってしまったんだけどこれからどーやって”売れる”1面を作る気なんだろ。ドイツのゴールキーパーのカーン選手じゃ野性の王国になってしまうしブラジルはリバウド以上ってそんなにいないし。せめてスペインが残って暑苦しい男たちに人気が集まるか、セネガルが勝って長髪がデルモ系なメツ監督にスポットが当たれば絵的にやりやすいんだろーけれど。

 電車に飛び乗り西へ。やっぱり襲いかかる酷い眠気に気づくとすでに名古屋で次は京都とゆーワープぶり。あるいは新幹線にもコールドスリープ機構がついたんじゃないかと思ったけれど、他の人はしっかり目をさましていたから単純にこっちに原因があるんだろー。単なる寝不足とかゆー。あれやこれやで到着した大阪はもしも今日が日本戦だったら相当に活気づいてたんだろーけれど、どこにブルーのジャージを着ている人が束になって歩いているでもなく、割に普通の休日って感じだった。着てたのは難波の「かに道楽」のカニとグリコの看板くらいか。「くいだおれ」はあれは法被だったっけ。日本が敗退した今も律儀にW杯仕様になっているのはイベントへの敬意をしっかり府として持っている現れ、なんだろー。ちょっと好感。負けた途端に乗り遅れちゃマズいと慌てて一筆したためそれを紙面で垂れ流すメディアの代表とは大人っぷりが違うねえ。

 うろうろと歩くうちに聞こえて来たのは例の「テーハンミングッ!」の大合唱。寄ると心斎橋と難波の間にある韓国の総領事館に赤いTシャツを着た人たちが集まってテレビを見ながら大声援を送ってる最中で、せいせいが100人程度でこれほどまでの熱なら5万人とか集まって大合唱している韓国のスタジアムはいったいどれほどの熱量なんだろーと、1度でいーから見てみたくなる。それには”無敵艦隊”スペインを葬らなきゃいけないんだけど敵もさるもの、なかなか点が入らないよーでため息ばかりが漏れてくる。いてもたってもいられなくなって予約しておいたカプセルホテルへと飛び込み部屋(ってゆーかカプセル)に潜り込んでテレビをつけてしばし見物、あのスペインと互角に戦っている様にやっぱり今大会の韓国、ただ者じゃねーと感じ入る。

 とかやりつつ一方で気になるのが埼玉横浜で訪れるだろーメロン祭り。まさか昼間に来ないだろーと持ってきたパソコンを入れてネットにつないで驚いた。幾度かのオーバーロードを経てたどり着いたマップのページで埼玉の欄に燦然と点滅するメロンを発見。これまた幾度かのフリーズを経ながらも、カテゴリー戦に勝利してなななななんと埼玉で開かれる準決勝はブラジル戦のチケットが取れてしまい、ホテルなんで大声は出さずに内心で狂喜乱舞する。どうせなら引き取って来てしまおーと延長に入った「スペインvs韓国戦」を背中に天  満橋のチケットセンターへと行く途中、人が群がっていた喫茶店の入り口から見ると映っていたのがPK戦5人目の回で、スペインが1人失敗していた合戦のラストに登場した韓国の選手が見事に決めて晴れてベスト4へと進出を決定付けた場面を目の当たりにして、ただ者じゃないどころかもはや神に近い存在になりつつあると感銘に打ち震える。やっぱり見たいよ韓国の奮闘ぶり。ドイツに準決勝で負ければ見られるんだけど、韓国に行ければって限定は付くけれど。

 夢幻じゃなくちゃんと取れてた準決勝のカテゴリー1のチケットをピックアップして向かうは長居の「セネガルvsトルコ戦」の会場。すでに山ほどの人が歩いててスタジアムに入るまでに結構な時間がかかる。それでも山奥へとバスで運ばれそこからさらに10分程度歩かされた静岡よりは便利で快適。こーゆーアーバンなW杯に次のドイツ大会なんかなって欲しいけど、まさかバイエルンの山奥とかノイシュバインシュタイン城の横とかでやったりするんじゃなかろーな。ニュルンベルグでアルベルト・シュペーアがデザインしたスタジアムでやったりしたら別の意味で興味深いんだけど。

ユセフ・トルコの国だけあって皆強そー。  試合の方はといえばバックスタンドのセンターライン付近で周囲をトルコのおっさんやらおっかさんやら美女やらで固められた中で見たんで引っ張られてトルコの応援を一所懸命にしながら見る羽目に。セネガル応援するんじゃなかったのか、ってツッコミはなしね、君子は豹変するものだから、君子じゃないけど。応援団はボウズにして頭にフラッグを描くのが基本であとは国旗をマント替わりに羽織れば完成、いや強そーです。もっともセネガルだってジャージは鮮やかだけど着ている当人たちは誰もが艶やかな黒い肌をしていて背も高くってこれまた強そー。間で赤勝て白勝てなんてどっちつかずのことをやっていて、果たして無事に帰れるんだろーかと心配になる。もっとも隣同士にいてもセネガルとトルコのサポーター、コールを交互にやって健闘を称え合うっぽいフェアな応援に終始していて血走ってなく殺伐ともしておらず、楽しみながら試合に気持ちを入れ込むことができた。

 しかし凄い試合だったなあ。スピードが違う。巧さが違う。3回くらい回しただけで一気にゴール前へとボールを運んでしまうセネガルに、トラップをしっかりやって三角パスにサイドチェンジを繰り返しつつゴール前へと入れるトルコのがっぷり組み合った試合は、攻守がめまぐるしく代わるバスケットボールを見ているよーなスピード感があってスタジアムで見てるととっても面白かった。2人3人と寄ってくる相手をかわして進むテクニックの凄さ、オーバーラップして来るサイドのスピードの速さはテレビでも見えないことはないけどでも、生で見ると倍百くらいの迫力があって、人間鍛えればたいていのことはできてしまうんだな。

 途中何度も決定的な場面になりながらも決められなかったトルコに、もれる周囲のため息も凄かったけれど、それでも延長戦突入から間もない時間でゴールデンゴールを決めた場面では、周囲のトルコサポたちはもー狂喜乱舞の盆と正月がいっしょに来た状態。抱き合い泣き合う姿を目の当たりにするにつけ、この喜びを日本代表とともに味わいたかって気もしたけれど、その日本を負かしたトルコが優勝してくれれば言い訳もできようってものなんで、無理だろーけど次のブラジルをバスケットのよーなパス回しのシュートで粉砕し、晴れて横浜の地へと脚を進めてやって頂きたい。でもって僕は大邸で再びブラジルに見えるとゆー。相手はもちろん韓国だ。


【6月21日】 朝の6時から起き出して静岡メロンの到来を待ったけどすでに時は遅かったよーで結局どこのメロンも登場せず、赤い梅干しピンクの乳首ばかりを眺めては朝を迎えて事実上の準準決勝は当たり前としてやっぱり客観的には事実上の決勝とも言っわれている「イングランドVSブラジル戦」の観賞を心の奥底でもパッツリと諦める。結果から言えばあのロナウジーニョの相手をよく見極めたフリーキックが直接ゴールへと吸い込まれてしまったことでブラジルの4強行きが決定していて、つまりはブラジルが事実上の優勝を獲得したってことになるのかな。

 まあ、なるんだけど、現実問題明日の「セネガルVSトルコ戦」の勝者がブラジルを止められないとは存外言えなかったりするし、ましてや今年に限っては名実共に「無敵艦隊」を化しているスペインが相手ではブラジルも相当に苦戦するはず。あるいはそのスペインすらも葬り去って韓国が決勝へと進出して来ないとも限らないんだけど、そこは「レッドデビルズ」を遠く本国に残してのおそらくはコネ入場の半端芸能人に半端スポーツ選手に毒舌サッカー評論家で満員な横浜国際競技場、サポーターに押されて選手が本領以上を発揮し審判は身の危険を感じてしまうくらいに激しい応援が出来るかが不透明だったりするんで、やっぱりあれが事実上の決勝だったってことに後で総括されるんだろー。名目の決勝はだから「ブラジルVSスペイン」の黄金カードでチケットのある(航空券は未だなし)な3位決定戦は「セネガルVSドイツ」か。韓国が残って「ドイツVSブラジル」が決勝で「韓国VSセネガル」3位決定戦ならどれほど凄い雰囲気になっているかを行って見てたい気もするんだけど。

 韓国にはまだ行けないけど雰囲気だけでもと思って幕張メッセで開催中の韓国物産展、みたいなものをのぞく。去年あたりは確か東京ビッグサイトで韓国系企業がワッと出たイベントが開かれていたよーな記憶があるけれど、幕張メッセでのイベントは企業関係はコマの半分以下であとはどちらかを言えば文化や習俗を紹介する方がメイン。昔の韓国の儒教思想色濃く残る暮らしぶりを紹介する五色園的な人形を使った再現(名古屋市民と名古屋近辺SF物ならピンと来る、かな)が行われていたり木彫りのトーテムを作っている人がいたりして勉強になる。あと韓国の道ごとの紹介ブースが出ていて観光パンフレットなんかが配られていたのも韓国行きに迷っている身には有り難く、買えば結構しそーな分厚い韓国旅行案内をもらって大邸の場所とか確かめる、何だ釜山から電車か車の方が早いのか、だったら関西空港か名古屋空港から釜山まで飛ぶ方にするか。

 物販の方は食べ物なんかがチラチラあって中に宮廷菓子を実演販売しているコーナーがあって、蜂蜜だかを白い粉か何かを混ぜた上で細く糸のよーに伸ばしてそれを束ねて餡みたいなものをくるむ菓子が見た目美味しそーだったんで所望する。10個入り700円が高いか安いかは不明だけど食べると割に素朴な味でゴージャスなだけの西洋菓子に痺れた下には柔らかく感じる。菓子だけなら700円だけど底が円錐状になってておまけに底を脇に丸い穴のあいたお猪口がセットになると1000円で買ったのはこっちの方。たしか高知に「べく杯」ってのがあって天狗だかの面の形のお猪口で底に穴があいてておまけに机に置けないタイプのものがあって原理は同じ。同時多発的なものなのかシンクロしているのかは知らないけれど、使われるシチュエーションもやっぱり飲み比べなのかな。「いごっそう」だったっけ、そんな気質の国なら浮かぶシチュエーションだけど目上の人には絶対で酒を飲む時も脇を向き口元を手で隠して飲む(「美味しんぼ」でそんなんやってた)国だとまた違ったシチュエーションも想像できるんだけど。どーなんだろ。

 退散してお台場へ。一時の混雑が嘘のよーに静まり返って、まるで地方都市の郊外に作られた大型ショッピングモールの如くうらぶれた感じすら漂い始めている「ヴィーナスフォート」の1階部分に新しくできたスポーツショップの「グランドーム」を除いてサッカー日本代表関連グッズの”宴の後始末”的な状況を観察、代表ジャージはやっぱりそれほど揃ってなくって、負けた途端に入荷して来て大量に余って大変、ってな状況には現時点ではあんまりなっていないみたい。それとも本社の方に在庫で積み上がってたりするのかな。明日見物に行く「セネガルVSトルコ戦」の関連グッズでも買おーと思ったけど代表ジャージはセネガルが「ルコップスポルティフ」ってこともあってかアディダスナイキ万歳な風潮に押される中で発見できず。トルコもなくって日本人の癖に別の国のジャージを着て応援したい人には厳しい試合になりそー。ペナントすら発見できなかったからよほど決勝リーグのそれもベスト8に残るチームとは両国とも思われてなかったんだろーなー。

 過日の「ロシアVSベルギー戦」の時のよーに今は懐かしいムネオなTシャツでもって歓待してくれたロシアに御礼を差し上げる技も今回は使えなさそー。フランスにセネガルが勝った翌日、日比谷公園で開かれていたセネガル民芸博みたいなイベントで、木彫りのカメを買って持ってたりはするんだけど重さ数キロもあるそんなものをスタジアムに持ち込ーとしたら誰かにぶつけるんじゃないかとひと悶着ありそーなんで難しい。あの時テントに吊り下がってた代表ユニを無理にでも売ってもらうんだったと今になってちょっとだけ後悔する。持ってる俊輔オフィシャルじゃー旬が過ぎてるし韓国おオーセンティックもちょっと場違い。仕方がないんでとりあえずは大阪の大きめのショップをのぞくかあるいは、同じサッカーってことでその昔買った「湘南ベルマーレ」のプラクティスシャツを着ていくことにでもするか。緑の髪に黄色の大きな鈴を2つつけたキャラクターが胸にでっかく描かれてるんで緑に黄色が基調のセネガルの応援には最適かと。応援コールは「セネガルにょにょにょ、セネガルにょにょにょ」。帽子と手袋も持ってくか。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る