morning glory
展覧会名:morning glory
会場:小山登美夫ギャラリー
日時:2001年7月27日
入場料:無料



 みるみるうちに超メジャーな人になって、「ビッグコミックスピリッツ」に連載されている漫画「おごってジャンケン隊」に登場しては、ジャンケンに勝っておごられるくらいにまでなってしまった奈良美智だけど、別にじゃんじゃんテレビに出まくって稼ぐとかする訳でもなければ、音楽に行くとか映画を作るとかいった挑戦とは名ばかりの才能の浪費に走る訳でもなく、黙々とアーティストとしての活動に邁進中で、2001年8月11日からに迫った「横浜美術館」での個展に向けて今が追い込み真っ最中な折も折、余裕なのかはたまた熱意からか、若いアーティストたちを世の中に向けて自分が一種ポータルになって発信していこうとする主旨の展覧会が東京・佐賀町の「小山登美夫ギャラリー」で開かれたので見物に行く。

 その名も「morning glory」という展覧会には、奈良が画塾のような場所で教えていた人とか作品を見て気になった人らしい5人の若いアーティストの作品が出品されていて、シンプルだったり可愛かったりする中に風刺めいたものとかを漂わせている雰囲気に、キュレーションをした奈良美智らしさあってなかなかに興味深いグループ展になっていた。

 真っ先に目に付くのは奈良の描く可愛い子供の凶悪なふるまいといった作品にどこか通じる雰囲気を持った、美少女なのか美少年なのか分からないけど少女漫画的というか乙女絵といったフォルムの美しい人物が泣いていたり、聖セバスチャンの殉教みたく矢で貫かれていたりする川島秀明の作品で、イラストめいている点は奈良と同様なんだけど、それ1枚から漂う子供の残酷さとは違った少年もしくは美少女の儚げな感じが挿し絵ではなく1枚の絵として存分な衝撃を感じさせてくれてる。

 涙を流す少女あるいは少年の涙が横に散る動きに合わせたのか、赤や青といった細いチョークのような線が背景を横に流れていて、体面している相手から逃げるように涙を散らしながら頭の後ろの方へと倒れ込んでいくというか、背中から風を受けながら遠くに離れていく相手を見送っているっようなシチュエーションがアニメ的、漫画的で動きがあって面白い。飾ってないけど縦に線が走る作品もあってこれは何だろう、心理的な衝撃が走っている場面ってことになるのも。

 ベタ塗りな矢がささったブリーフ姿の少年なんだろーけど少女にも見える人物は動きがない分痛さと辛さが滲み出てくる感じがあって、使い分けをしてるなあって印象を持つ、まあ勝手な解釈だけど。同じモチーフでどれだけバリエーションを出していけるのかにも興味あるけど、略歴を見るとほかに展覧会で作品を出してたことがない人みたいなんでお披露目としてはインパクト大。注目株。

 あと面白かったのは写真作品で登場の藤城凡子。ワンピースの少女なんだけど足の両方をコンクリートブロックで固められている「近藤奈見」とブリーフ姿の少年なんだけど全身にシールだかピンズだかが張り付けられている「上杉空」の並んだ2枚は可愛い対象をイジめてみせるスタンスに笑ってしまった。あのブロックを足に固めるまでに「近藤奈見」ちゃんは何時間我慢したんだろーか。歩けないように固めてしまいたいって衝動を満足させてくれる雰囲気があって好きです個人的に。「上杉空」はよく見えないかったんで多分シールなんだろうと思うけど、仮にピンズが本当に刺さってたら、って想像すると我侭で世間知らずで生意気な子供の肥大した欲望を、だったらくれてやるって心理で叩きのめす快感が湧き出て来て楽しさも倍にふくらむ。

 和風の便器にすわったOLの画像が正面にある水流を流すコックがついた真鍮でメッキのしてあるパイプに複雑に移り込んでいる「self potrait」って作品にも大笑い。作者本人らしき人はいたけどそれはそれでなかなかなに可愛い人で、対して作品だと円形だったり球状だったりする複雑なバルブにパイプの形状に写り込んでいる関係もあって顔は間延びしておまけに便器にしゃがんで口をゆがめた間抜け面で、言ってしまえば山田花子状態でちょっと差がありすぎて本当に本人なのか悩む。

 女性の写真家がたくさん登場してセルフポートレートなんかもいっぱい撮っては「自分さらけ出してまーす」みたいな感じで男の下心を煽ってくれているけれど、そんな在り来たりのセルフポートレートにはせず、おかしさ漂うシチュエーションを選んだ眼力にまずは感心する。1発芸ではあるけれど、ナル入った人間ってどんな場所でも写った自分を見ながらあれこれ考えてみたりするもので、他にも自分を写り込ませると不思議な感覚を味わえる場所とか探しながら、場にあったポーズなり服装なりを選んでシリーズ化していってくれると楽しいかも。

 脱ぎ捨てられて丸められた銀河のワンポイントが刺繍されたソックスを台に乗せた作品とか、プラスにマイナスに無限の刻みがついたネジを壁に差し込んだ作品に人を食ったような感じと銀河のワンポイントなり無限の刻みが醸し出すギャップが面白いのが福冨満。シンプルなんだけど選び抜いた題材を考え抜いた状況に置いてみる、その思考のプロセスが醸し出す哲学的な深遠さと、状況自体の愉快さが見る人にいろいろと考えさせる。ほかにどんなのがあるのかも見てみたい人。

 福井篤の作品は、低い目線から見た床の上に散らばる紙屑とか、色分けされたカーペットの線とかが輪郭線とはっきりした色でもって塗り分けられていて、具象なんだろうけどイラスト的、っていうか抽象的な雰囲気もあって不思議。立体物で参加の加賀美豪の作品は円盤みたいて上にくぼみがあって取っ手みたいなものがついていて薬缶みたいでもあって、訳分からないけれどフォルムの工業製品っぽさに惹かれる。カタログに乗っている靴みたいなんだけど多分靴じゃないフォルムの美しい作品は工業化社会への揶揄めいたものがあって好み。靴箱に1つ入れておきたい気もする。

 藤代は71年生まれの愛知県出身。川島秀明も69年愛知県生まれで福井は66年愛知県生まれ、徳冨も66年愛知県生まれとあって、奈良自身が愛知県立芸術大学出出身ということもあってあるいは愛知県時代にまいた種がここに来て発芽し葉を付け実を生らし始めているのかもしれない。逆に言うなら当時の奈良に匹敵する良き先導者が今の愛知県には果たしているのかということにもなるが、これだけの人数がさらに多くの人数を教え導くとしたら、愛知県のアートもこれでなかなかに凄いことになりそうだが、さてどうなっているのだろうか。


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