縮刷版2002年10月中旬号


【10月20日】 (承前)わき上がる眠気の中を頑張ってカタールで開催されいてる「U−20」の戦いを後半の44分頃まで見て、相手のフリーキックがキーパーの頓狂な首尾でゴールに吸い込まれて同点に追いつかれたシーンから今度は逆に相手キーパーの守備を超えてヘッドから叩き込まれた日本の得点シーンをながめつつマジでダウン。気が付くとすべてのセッションが終わって朝になっていた。何しに行ったんだか。プレミアリーグの「フルハムvsマンチェスターユナイテッド」まではさすがに意識が保たなかったけど、後で新聞を見たら稲本潤一選手は出てなかったみたいだし点数も1対1で引き分けの試合だったから無理して見なくてもよかったか。珍しく地上波で流そーとすると日本人が出ていないフジテレビのご不幸に舌。中村俊輔選手が出るの確実な「レッジーナ」の試合を放送しない罰だ。

 エンディングまで待たずに抜け出して日曜出勤の会社で米大リーグのワールドシリーズに日本人として野茂選手も伊良部選手も長谷川選手も佐々木選手もイチロー選手も差し置いて出場を果たした新庄選手の勇姿を見物、成績はまるでたいしたことがないのに、持って生まれた運の良さってゆーか華やかな舞台が似合っているってゆーか、世界のベースボールプレーヤーにとってある意味究極の場所にしっかりと足跡を刻んでみせるとにかくその”スター”ぶりに驚く。日本シリーズには終ぞ出られなかった人が、リーグ優勝に日本一まで勝ち取った面々の先を行ってしまうこの快挙。これが運ってやつなのかも。

 しかしただ出るだけじゃー意味がないのがスポーツの世界、最初こそ三振でこのままでは途中で代えられてそのまま没、チームの居場所もなくちゃっちゃうかもと不安に思わせた第2打席で見事にヒットを放つあたりに運に加えた実力の持ちっぷりも見えて来る。4打席目はピッチャーが右ってことで代えられちゃったけど、それでも出た、そして打ったとゆー記録は永遠に残るし今後出番がなくてもそれは同じ事。「ニューヨーク・ヤンキース」が優勝を飾ったときに伊良部投手も試合には出ていないながらもパレードに参加してニューヨークを練り歩いたけど、実績を残した新庄選手はそれよりは堂々を胸を張ってサンフランシスコをパレードできそー。まず1勝。これだったら今後の日米野球に来て欲しかったよなー。

 思い出したけど昨日の多摩美術大学でのシンポジウムで、企画したゼミっての担当教官の名前の片方、萩原朔美さんってもしかしてあの伝説の雑誌「ビックリハウス」の萩原朔美初代編集長? 寺山修司さんの「天井桟敷」の流れから出て一時のサブカルチャーを仕切った人、って記憶があったけどそーだとするなら世の中をプロデュースすることにかけては大塚さんの大先達、そんな人から学ぶ以上は未来の日本を仕切る人へと育って不思議がないはずなんだろーけれど、にも関わらず繰り出された仕切りがあれで動機もそれ、言われて行った発表も内容が内容だっただけに大塚さんも疑念を抱いたのかも。糾弾する時に萩原さんの生徒をして云々とか言わなかったから違うのかな、会場に来ていたかどーかは知らないけれど言われたら萩原さん生徒の弁護に立ち上がったかな。もしかすると扱いにくい人をどうさばくか、ってところまで含めて教官としてどっかでこっそり見ていたのかも、でもって「緊張感」って奴をプロデュースした、とか。プロデューサーは因果な商売と来たもんだ。

 ちょっと回復、したのかな「ギャラクシーエンジェル」。崩壊寸前の惑星にロストテクノロジーを探しに来たエンジェル隊ご一行が、一刻を争う中では絶対にドジるだろーミルフィーユを棚に祭り上げて置いたもののそこでやっぱりドジ踏んで死ぬか生きるかの大ピンチ。迫る最期に惚けて惑星すら破壊してしまう銃を何度も取り出すミントに間の抜けた達観ぶりを見せるフォルテのアホ2人。真っ当だった蘭花も他に用事で手が出せず、ヴァニラの必殺技(ナノテク兵器?)も状況の打開に役立たないと中でいったい何が起こったか、詳しくは見れば分かるとして、いつにも増した脳天気ぶりぶりを見せたミルフィーユの脳天気ぶりを見事に表現してみせた新谷良子さんの演技に今回は喝采、後半ではさらにパワーアップを果たしていつぞやの「バーンしたい」に勝るとも劣らない声を聴かせてくれて背筋がとろける。ナマ新谷さん見に来週の「横浜アリーナ」行こーかな、券まだ売ってるし。お話の方ではフォルテさんも姉御っぷりが出ていてこれまた喝采、ヴァニラは口数が多くなって個人的にはちょっと……だけどノーマッドは変わらず減らず口をたたいてくれていてありがたい。このテンション、半年保つといーな。

 メタファーまみれなのも疲れるけれどメタファーのまるで見受けられない話も後に引くものがなくって虚ろな気分になってしまうものだなー、なんてことを舞城王太郎さんの短編3本を集めた芥川賞ゲット兵器、になるのかならないのか乞うご期待な「熊の場所」(講談社、1600円)を読む、ってもすでに表題作は「群像」掲載時に三島由紀夫賞の候補になってて2作目の「バット男」は2002年2月号の「群像」掲載時に芥川賞候補になってはいなかったみたいだから、書き下ろしの「ピコーン!」が候補になるかどーかは難しいところかも。

 けど読み終えて思ったのは芥川賞三島賞ってガラじゃ舞城さんの短編ってあんまりなくって、むしろどーして「熊の場所」が三島賞の候補になったのかがよく分からなかったこと。事件が起きて謎解きをして真実を提示するって「熊の場所」とか「バット男」とか「ピコーン!」とかに使われている展開は、ミステリー小説によくあるパターンってゆーかそのままミステリーで、謎解きめいたものへの関心を読む人から引き出しながら、ちょい子供の爆発とか幼児虐待とか入ってて社会派っぽい所もあって、それなのに全体を覆おうのは妙な虚無感とゆー特質からは、エンターテインメントとしての目新しさを感じつつも小説としての凄みはそれほど感じない。猫のしっぽを切る少年もバットを振り回す浮浪者も暴走族の彼に引かれて離れられない頭の良い少女も、妙に書き割りめいて見えてしまうんだよなー、つまりはまとまりすぎてるってことです。

 定型に縛られない自由な筆遣いではあるものの中原昌也さんほどの支離滅裂さは感じなかったし黒田晶さんほどの居心地の悪さも覚えない、こぎれいにまとまってしまっている感じがあって読んでいて圧倒されない。最後に事件の解決がある以上は話は収束していかなくてはならず、それが爆発感の対極にあるよーに舞城さんの短編を思わせているのかも。3本では「バット男」の空回りする情熱と嫉妬の果ての悲喜劇に泣き笑い。「ピコーン!」もエンディングは悪くない。ミステリーのファン層が読むのかそれともまったく新しい客層をつかむのか。売れ方に注目、けどしかし不思議な装丁だなー、ふわふわおしたハードカバーは「ほぼ日刊イトイ新聞」の書籍の表紙に使われていたのに似てるなあ、ヒラ積みしづらいだろーなー。本屋根さんを泣かせてちゃ賞なんてまだまだ?


【10月19日】 再放送で見るホワイトデルタの眩む輝きに目を奪われつつモーニング珈琲を2杯、飲んでから電車を乗り継ぎ「セミナー&シンポジウム 身体のゆくえ」を見物に多摩美術大学の上野毛校舎へ。1週間のご無沙汰で見たシロネッカデルタの方はちゃんとビデオにそのシーンだけ録画したから後で何度も繰り返し見られるけれど、買ってもう7年は経つ古いビデオでおまけにアンテナの状態もよくなくってザラついた画面になってしまいってるのが悔しいんで、NHKにはできるだけ早急のDVD化を希望、「ドラマ愛の詩 どっちがどっち」は毎週土曜朝10時半から再放送中、「機動戦士ガンダムSEED」とズラして見られるんだ、「SEED」を見なくちゃいけないかどーかはとっても葛藤中なんだけど。

 JRと東西線と銀座線と日比谷線を乗り継ぎ中目黒を経て東急のなんとか線を自由が丘乗り換えて到着した上野毛の駅のシンプルさに豊橋鉄道渥美線を思い出しつつ(いっしょにするなよ)徒歩3分で到着した多摩美術大学は大学とゆーよりは校庭のない高校ってゆーか図書館のある公園みたいなこぢんまりとした感じ。といっても都心部にある明治大学とか専修大学とか日大経済学部みたいなビル型でもなくそれなりな前庭はあってくつろげる。部室を大きくしたよーな雰囲気の漂う学生食堂の手前でカップ珈琲をかって一息つき、見物しているとゲストの1人の東浩紀さんが来校、オープンカーの「ミツルハナガタ2000」で乗り付けてはドアも開けずに飛び降りて、来たりはせずにトコトコと来て受け付けを済ませている後ろを小川びいさんが通り過ぎ、一触即発飛び散る火花にただでさえ暑い気温が10度くらい、上がったかとゆーとその場ではお互いに気づかなかったみたい。最初からテンション上げてちゃ保たないからね。

 とか言ってるまもなくハイテンションが成層圏を超えて巨大化した「ハイパーちよ父」レベルで「ゴゴゴゴゴッ」と音を立ててのしかかって来る展開になって、会場となったキャンパス内のスタジオに殺気があふれて仰天、かつて知ったる3人の、もっとのんびりとしたムードでのトークセッションを想像して集まって来ていた人の体から激しく血の気を奪い取る。ハイパー化したのはパネリストの1人、大塚英志さん。ホントいうといきなりじゃなく、開幕したイベントの冒頭に行われた学生の挨拶と発表が終わって続く東浩紀さんの発表「動物的身体とナショナリズム」が終わってからなんだけど、そこへと至る3−40分がなかったものに思えるくらいに大塚さんの見せた存在感が強烈で、前段がすべて吹き飛んでしまった。ので東浩紀さんが何を喋ったのか覚えてません、悪しからず。

 いやそんなことはなくって香山リカさんの「ぷちナショナリズム」について書いた近作なんかも踏まえつつ無自覚で反射的なナショナリズムが横溢する風潮への懐疑とかを述べつつ、だからといって斎藤孝さんが言うような腰を腹に力を入れて背筋を伸ばしてシャキッとすれば人間、もっとしっかり出来るし世の中、もっとすっかり良くなるってな主張にも反駁しつつ、最近の関心事として「中央公論」なんかで論じている情報管理型社会への警鐘なんかを鳴らしてシンポジウムの劈頭を飾る。”事件”が起こったのはその直後。次に振られた大塚英志さんが口を開くなり「2週間くらい前まで来るつもりがなかった」と言いだしシンポジウムへの疑問を伸べ始めたことで学生の仕切る和気藹々イベントの空気がカチンと凍り付く。

 理由はイベントそのものの開催意義についての激しい疑問。そもそもが今回のイベントは「多摩美術大学芸術学科文化演出研究2Cプロデュースコース」って所の「萩原朔美 福島勝則ゼミ」生徒による卒業企画として行われたもの。おそらくは多分必要な単位のがこれを開くことで取得できてしまうんだろーけど、「プロデュース」を学んでいる人たちによるイベントにも関わらずおよそプロデュースらしき面が見えなかったことが、編集者でありメディアミックスの中心で数々の作品をしかけてきたマンガ原作者でもあるホンマもんのプロデューサーの大塚さんには引っかかったらしい。

 前段として大塚さん、どうして「身体性」というテーマで企画をしたのかを問いつめ、企画するからには企画した側にも主張があるだろーとゆーことで発表をしろと言ったのが、当初は予定になかった学生による趣旨説明と発表のプログラム追加につながったらしい。が、その発表内容が大塚さんにとっては専門も専門のマンガでありながら、大塚さんの目におよそ気迫にも真剣味にもかけたものに映ったことがのっけからの爆発へと発展した。その発表とゆーのが一般的な少年マンガ誌で活躍しているプロのマンガ家が、コミケなんかの会場で匿名で同人誌を出していて、その内容が一般的な少年漫画誌では決して描かれない血が飛び肉がちぎれるグロテスクなものなのはどーしてか、といったもの。

 曰く「体を切ったり血を流したりするのは身体性の回復の手続きなのではないか」と学生代表は主張したんだけど、「同人誌ってそんなもんだろ」と大塚さんは一刀両断、さらに発表の中で「少年ジャンプ」が掲げるスローガンを「正義・友情・勝利」と言ったことに「努力・友情・勝利だろ。そんなことも調べないでマンガについて話したのか」ってな感じで突っ込んだりして責め立てる。大塚さんの言うプロデュースってのは、何かをやりたい、伝えたいってことがあって企画するものなんだけど、今回のイベントに関してそれが大塚さんには見えず、ただ人を読んで話してもらう的な企画に見えた模様。こんなイベントに単位を与えて「プロデュースコース」とは何たることだ、ってな憤りもあったよーだけど、とりあえずはそこで抑えて大塚さん、「宮崎勤について」という演題で長く関わって来た問題について宮崎被告が4人の被害者を固有名詞で認識しよーとしなかった理由についての考えていることを話し、続けてもう一人のゲストの斎藤環さんが「サブカルチャー的心身論」とゆーテーマでいろいろ(便利な言葉だなあ)喋った後でフリーディスカッションに移ろうかとゆー時に再び”事件”は起こった、それは!?(以下次号)。そんなことはありません、続けます。

 つまりは大塚さんに言われっ放しで学生さん、良いのかい、って問いかけに端を発した緊張で、答えようと立ち上がったものの明確な答えを出せず、「誰か助けてやれよ」と大塚さんがアジってもなかなか進まず、『物語消費論』とか俺たちが作って来た言説をどうしてそのまま信じるんだよ、あんなのでっちあげたものだよ、動物化で身体性が希薄になったなんて言説をどうして鵜呑みにするんだよ、ってな突っ込みが入ってさらに緊迫の度合いが高まってこのままではあと2時間、学生説教イベントが続くのかなんていたたまれなくなったその時、現れ出たるホワイトナイトが「物語消費論」を作った大塚さんとそれを踏まえて「動物化するポストモダン」を書いた東さんの対立する部分を指摘し東さんは学生に見方しないのか、といった問いかけを会場からして、硬直化していた議論を前へと押し進める。その正体は!?(未完)。じゃない、続けます、小川さんでした。

 以後、場は主に会場の質問に答える形で東さんが司会役となって斎藤さんに振り自分が答え大塚さんに投げるといった感じで進行。宮崎勤被告に関する斎藤さんの精神科医の立場からの主張と大塚さんの自分の側に引きつけて理解しよーとする立場からの主張のぶつけ合いとかがあったり、テロとかあって世界があんなになっているのにワタシは社会に参加している実感がないんですけどどうしましょう、といった質問に「働け」、とまでは言わなかったけど明治の40年頃だかに正岡子規が「ちかごろ社会というものがわかった云々」言った言葉を引きつつ社会なんて新しい概念なんだから気にするな、そのうちいやでも参加しなくちゃいけなくなるし、ってなことを言ってオビエナクテモイイトイイ、ともかく割に普通のパネルディスカッションになって感じていたいたたまれなさもいつしか消える。

 終了後、引き上げる大塚さんの後ろ姿を遠目に見送り東さんと小川さんの談笑する姿をそばに見つつ、このあとはてさてどんな会話が繰り広げられたかは聴かずに電車を再び乗り継ぎ「本郷三丁目」のそばで開かれた「DASACON6」を見物。喋る高野史緒さんと喋る佐藤哲也さんを間に挟んで質問を繰り返していくセッションとかあったけど、昼間の毒気で熱っぽくなっていた感もあって内容までは詳しく覚えておらず。それでも持ち込んだ等身大の「ちよ父」を倉阪鬼一郎さんちのミーコ姫と遊ばせたり、志村さんが即興で作った折り紙の「ちよ父」に感心したり、仕事の話の情熱を傾ける浅暮三文さんをながめたりして午前0時頃まで頑張ったけど眠気が襲って来たので部屋に引き上げ(以下次号、今度はマジ)。


【10月18日】 ってか本気だったのか、海底メイド人ってのは。謎の地下百合帝国を粉砕したアニレオンが次に挑む相手の筆頭にとりあえず挙げられてはいたけれど、葛西伸哉さんの「アニレオン! ヒーローだって恋したい」(ファミ通文庫)のエンディングに掲げられたものはあくまでお笑いねらいの大向こう、およそ冗談から出たもので実現は不可能だろーと思っていただけに瓢箪から出た駒じゃないけどこーして実現してしまったことに、心からの喜びと感謝の念を表明したい。有り難う葛西さん、有り難う浜村弘一発行人。

 お話しの方はといえば、1万2000年の昔に太平洋に沈んだとゆーアトランティス(何でムーじゃないの?)に生まれた人の知らず女性だけが残ってすべてが誰かに奉仕することだけを目的に生きている、そんな世界が「竜宮城」。並大抵のご主人様では完璧以上の彼女たちの奉仕に耐えられなくなってしまったことから、宇宙をも相手に戦える改造人間で改造したのは兄をこよなく愛するブラザーコンプレックス持ちの天才美少女な妹とゆー「アニレオン」に目を付けて、さらい自分たちが奉仕するご主人さまにしよーとしたんだけど、そこは兄思いの妹に主人公思いの某キャラクター、ほか錯綜するセクシャリティの中で奪還作戦がスタートし、かくて地上と海底との幕が切って……落とされない。

 だったらいったいどんなバトルが繰り広げられるかといえばそれは読んでのお楽しみ。海底に暮らしていたメイドたちが聡明なリーダーのもとに色気専門の小悪魔系&フェロモン系がいたり不幸な境遇を嘆く同情系がいたりすることなすことすべて裏目とゆードジっ娘系がいたりと、メイド物者なら目移りしちゃいそーなバラエティー(ちょっとパターンではあるけれど)に富むメイドが出てきていろいろ”ご奉仕”してくれる、そんな場面の羨ましさを感じつつも繰り広げられるエピソードの流れるよーな展開にいい仕事をしているものだと感心する。奉仕精神と奉仕技能の完璧化を目指した果てに生み出されたメカ沢、じゃないメイドロボットの頓狂さに爆笑、マルチもセリオもかなわない、かも(そんなことはない)。さてもお次はあるのかないのか、あるなら眼鏡っ娘未来人か異次元おねーさんが虎ビキニ鬼娘かりぜるまいんかわるきゅーれか。期待して待ってるんで書いてね作者さん、書かせてね編集さん、出してね浜さん。

 つらつらと「ワールドPCエキスポ」。うーんこれといって見るものが。パソコンについては新製品が山と出ていて触り応えがあったけど、ちょい前に買ってしまったばかりの身には新型パソコンは正直言って体の毒、見れば欲しくなるのが決まっているなかでやれ薄くなっただのクレードルから充電できるの平たいの空を飛ぶのと新しかったり画期的だったりする機能がついたと聞いて欲しい気持ちがふくらんで、けれども現実欲し気持ちを担保する資金のまるでなかったりする現状では、ブースのそばに寄って新型パソコンの影のひとつでも目に入るのが心に痛い。もーちょっと待っておけばと何かを購入する時に定めともいえる心理がむくむくとわき起こる。待ったからといって買えないのが家計的に正直な感情なんだけど。

 松下電器産業のライカ12倍ズームレンズとかが付いてるデジタルカメラは望遠系で最強だけどオリンパス派としてはCAMEDIAシリーズの500万画素の新製品にも心惹かれるものが。ズームは3倍で現行のシリーズと変わらないけどレンズがF1・8と明るくって暗い場所でフラッシュとか焚かずに撮れるんで、イベントで並んでいるフィギュアとか撮るのにとっても使える。今は時代遅れ気味な300万画素のCAMEDIAを使っているのもレンズが同じだったからで、それが500万でも実現していてメディアがスマートもコンパクトフラッシュもXDもマルチメディアカードも使えてサイズはよりコンパクトってのはとってもお値打ちな感じ。値段がこなれて7万円くらいになってくれれば買いなんだけど。でもやっぱり12倍ズームにも惹かれるなあ、イベントステージで踊る美女軍団(笑ってはいない)を見ると。

 その美女軍団はやっぱりKDDIが最強、といっても中身は先月の「CEATEC」といっしょで臍出しレースクイーン系の2人のコンパニオンが奇妙なステップを踏む間で、男物のワイシャツを裸の上に着たよーなある種フェティシズムを駆動させられる格好のダンサーが武富士ってくれる舞台はなかなか。もちろん黒いスパッツとか履いてるんで期待するよーなものは見えやしないんだけど、思い込めばそー見えないこともないって気迫でのぞめばそれなりに楽しめる。まるで違うイベントで同じ演出同じブース展開をするとはKDDIも締まり良すぎだけど、会期が近いイベントで見せる商品が同じなら致し方ないか。マイクロソフトなんて例の「Xbox」マシンをやっぱり並べていたし。

 にせモモ発見、かと思ってしまったソニーネットワークコミュニケーションで展示の「ポストペットV3」。例のピンク色した熊のモモにちょっと目似ているコモモってのが登場してたんだけど目にも毒々しかったピンク色ながらも形はテディベアを踏襲していたモモに比べると、背丈が縮んで色が薄まり顔がとっちゃん坊や風になっていて見た目どーにもしっくり来ない。瞳があるのがナマモノっぽくっ感じてしまう理由かな。モモと並べるとどこかにパチもん臭さが漂ってしまう。それでも大事そーに新作のぬいぐるみを買って抱えている女性とかいたから、どこかに訴えかけるものがあるのかも。僕としてはバンダイとコラボレーションして出す「ポストペット モモV3」に注目。「仮面ライダーV3」とかけてモモにV3風の帽子とか変身ベルトを付けた奴でコードネームがいっしょだからとコラボを望んだ八谷和彦さんのアイディアにソネットとバンダイと東映がのって出来たとか。この調子だと来年は「ポストペットX」が出て怒りのライドル振り回したりするのかな。


【10月17日】 スポーツ新聞はおおむね好評のジーコ率いる日本代表、そのうちなんとかなるだろうって意見はなるほどそーなんだけど、「なんとか」って部分に老獪さとか練達ぶりとかいった語彙くらいしか思い浮かばないあたりに、大物ぶりを発揮した挙げ句にセネガルにやられてワールドカップ1次予選を敗退したフランス代表が重なって見えてしまう。それでもフランスはジダン抜きだった訳で黄金虫の中盤の一角のとりわけ中田英寿選手が抜けてさて、小野選手と稲本選手でどこまで作り後ろを誰が護れるかって当たりを考えると、「なんとか」って部分にネガティブな語彙が浮かび上がって来てしまうフィリップ・トルシェ信者であった。とりあえずは1角抜きのアルゼンチン戦に注視。5点くらいとられるとメンバー入れ替えもあるんだろーなー、中村を戸田に、奈良橋を市川にって感じに。なんだ前とおんなじだ。

 まあ実際、鹿島びいきが過ぎた今回の布陣が絶対じゃないのは、「スポーツニッポン」に掲載されていた最近の日本代表監督のデビュー戦の布陣を見ても明か。あのトルシェだって最初はスリーバックの左に秋田で右に斎藤(誰だったっけ?)、センター井原でボランチは名波に奥でサイドは左相馬、右望月だったんだから。その誰が2002年の「ワールドカップ」に出たの? 同じ記事であとオフトジャパンの最初の布陣に燃え萌え。キーパー松永にバックスラインは左から都並勝矢井原堀池、その前が柱谷哲二に森保でさらに前がラモスと北沢、フォワードが三浦和or武田と中山or高木とゆー、聴けば顔もプレーも浮かびそーな面々で当時の年齢で戦えば昨日のジーコジャパンなんて軽く粉砕できそーな気すらしてくる。

 柱谷に都並が仕切る左だったら怖くて近寄れそーもないし、個人技の三浦和に運動量の北沢高さの高木と揃った前から中盤をラモスが自在に操るゲームの方が、大金持ちのカルテットが大車輪のよーにその場で回り続ける今の中盤よりもよっぽどファンタスティックでダイナミックでアーティスティック。もちろん今と当時では年齢に関係なしにプレイのスピードが違ったから一概には比べられないけれど、金子達仁さんがよく言う「日本のサッカー」って意味では個人技ばかりが取りざたされるジーコジャパンの今よりも、オフトジャパンのメンバーに軍配を上げたくなるドーハの悲劇組信者であった。それにしても10年経っても現役第一線の中山選手は偉大だなあ。

なんだか中高年層にエコ志向かのヘルス志向なのかメカフェチなのかは分からないけど自転車乗りが急増している感じがあって、ロードレーサーを買ったアレックス・モールトンを買い換えたなんて漏れ伝わってくる話に羨ましさを覚えたりする自転車フェチ。本とか服とかDVDとかサッカーとか、我慢すればブリヂストン・モールトンくらいは買って買えない身分じゃないけれど、親に頼んでも自転車を買ってもらえなかったその昔、買った「サイクルスポーツ」から自転車の写真ばかりを切り抜いて部屋に貼りまくってアピールした時のよーな切実感が減退していることと、部屋に置き場所がないことがネックになって未だ踏み切れないでいる。こっちに出てきてすぐに買った「ビアンキ」のMTBだって誇りかぶって本の間い沈んでるくらいだし(なんだ持ってんじゃん)。

 さてもそんな自転車フェチになったきっかけがまだ中学生だった当時、「少年キング」に連載が続いていた荘司としおさんの「サイクル野郎」ってマンガで、全国を自転車旅行して回る少年が行き先々でいろいろな人に会い、様々な困難にぶつかりながら成長していく物語にあこがれいつか自分も自転車で日本一周だ、なんてことは思わなかったけどミニサイクルと電子フラッシャーにウィンカー付き5段変則GT自転車くらいしか知らなかった頭に「キャンピング」って自転車のカテゴリーがあることを気づかせてくれて、それから「ロード」があって「スポルティフ」があって「ランドナー」なんかがある自転車の、「カンパニョロ」があって「ユーレー」があって「サンツアー」があって「マビック」があって「TA」があって「アラヤ」があって「コロンブス」があってってな部品蘊蓄の世界へと関心が進むきっかけを作ってくれた。今はまるで役に立ってないけれど。

 単行本は少年画報社の「ヒットコミックス」だかで出たけどもちろん当時は買えず。かといって大人になってからも再刊される機会がなかった関係でやっぱり未読のままここまで来て、マボロシに終わってしまうのかなー、なんて思っていたらこれがどーした驚いた、「ガロ」なんかを引き継いだ元大和堂で今は青林堂ネットコミュニケーションズがやってるオンデマンド印刷によるマンガ単行本シリーズ「リバースコミック」のラインアップに、この「サイクル野郎」が堂々入っていたことに今になって気が付いた。「アジアMANGAサミット」のフェスティバル会場で見た感じは装丁も当時のまんまで、印刷もそれなりの出来でちょっと欲しくなったけど、全37巻揃いが2万5000円とかしてちょい、躊躇してしまう。けど古本だともっと高いだろーから、いずれそのうちに買ってしまう可能性は大。置き場所に困って自転車がさらに埋まってしまうのは困りものだけど。「少年キング」関係だと東京ひよこさんの「プロスパイ」復刊希望。

 ドラマ版「逮捕しちゃうぞ」スタート、したけどどっちが辻本でどっちが小早川か分からないよー、どっちも格闘とかしちゃうし。でもミニパトはトゥデイだし後ろにちゃんとモトコンポ積んでいるのには好感、頼子も眼鏡をかけてりゃグラマーだって構わなないのだ。脚をぶんぶん振り回しての格闘シーンは見えそーで見えないのがさすがな演出とゆーか天晴れな撮影とゆーか。悔しいけれど認めるしかない。長嶋一茂はうまい役者になったなー、「ほんまもん」だかで喋らない喋らせない役だった時から大成長、だね。ストーリーの方はどこが「逮捕しちゃうぞ」ってなもんだけど、婦警びんびん物語的であって「逮捕しちゃうぞ」とは別物と思えば腹もたたない。あとは「ストライク男」がちゃんと出てきて誰が演るかってことだけど、せっかく一茂出てるんだからこっちもプロで行って頂きたいところ。ピッチャーだから定岡? 槙原? うーんちょっと違う。ランディ・ジョンソンに客演ってもらうのはどうですか。夏実も美幸も一茂はもちろん打てないけれど。


【10月16日】 松浦亜弥さんのクリップ集を買おうかそれとも最近なんだか顔があややにそっくりになって来た藤本美貴さんのクリップ集にしよーかと迷っていたレコード屋の店で先月に発売されていた浜田麻里さんの久々のライブのDVDを見つけてフラフラとそっちに行ってしまった年増好き、って失礼な、でも少なくとも僕よりは随分と歳重ねているからなー、そろそろ何歳になるんだったっけ、喜屋武マリーさんよりは上だったっけ(知らねーよな今時そんな名)。

 思えば「モダンチョキチョキズ」で頭がジャングルと唄った後に「あしたまにやーな」で軽妙なトークを披露、ってそれは浜田マリさんでこっちは浜田麻里さん、似て非なる存在の代表格ともいえる2人の先輩格は、80年代半ばにロックだかヘビメタだかの女王として君臨した後に「Heart and Soul」とかゆーこれはえっとソウル五輪の時のテーマソングか何かだったっけ、忘れたけれども一般に知られるヒット曲を出して衆目の関心を引くよーになって以降、しばらく「Return to Myself」とかいったCM系の歌とかも出して歌番組なんかでも活躍していて、その時のかつてヘビメタだか学園祭だかの女王として君臨していたってゆーキャリアから創造したコワモテなイメージとはまるで違う優しげで可愛らしい姿に虜になってビデオとか買って見ていたけれど、この何年かパッタリと消息を聞かなくなっていた。

 DVDの「marigold」は実に何と9年ぶりとかゆーツアー最終日の「赤坂BLITZ」でのライブを収録したもので大袈裟な舞台装置もないし入っている人もライブハウスよりは大きいけれど大ホールにはとても届かない中程度、シンプルな演奏に被る確か妹さんのコーラスにシンクロして響く浜田麻里さんの声は10年くらい前によく聞いていた頃と同じよーに元気で色っぽく、ローライズのジーンズのお腹からのぞくおへそともども変わらない姿にノスタルジックじゃないシンパシーが湧いて来た。名曲「Nostargia」に「Paradox」、そして前述のヒット曲2曲も入ってさらには最新アルバムからの楽曲と、時空を越えた浜田麻里さんの活躍ぶりが拝める貴重な映像源、ファンなら聴くべし、ファンじゃなくても参考までに。

 懐かし系ならこっち。日本レコード協会が毎年やってる廃盤アワー、じゃない廃盤CDのバーゲンセールの告知とかが出てたんでどんなCDが出るかリストをながめていて発見、その昔にレコードを借りて録音して聴き込んだ「PSYS」のちょっと特殊なアルバム「Collection」が入っていてこれは絶対に買いのがせないと早速利用登録を済ませる。「パラッパラッパー」なんかで知られる松浦雅也さんがその昔にチャカってボーカルの人と作っていたのがこの「PSYS」、どちらかといえばテクノかかったサウンドに甲高くよく響くチャカのボーカルが乗って気持ちを鼓舞される音楽が多かったけど、この「Collection」は当時第一線で活躍していたアーティストに楽曲を提供してもらい演奏なんかにも参加してもらった作品集で、参加したアーティストの個性と「PSYS」の才能がバッシと切り結んでどれもが素晴らしくも摩訶不思議な楽曲に仕上がっていた。

 そのどれがどーだったかは思い出せないけれど、当時からすでにファンだった溝口肇さんが参加した曲とか、いったい今どこで何をしてるんだかな「バービーボーイズ」のギタリスト、いまみちともたかさんの曲とか、こちらは現役ばりばりだったりする「ゴンチチ」の参加した曲とかこれはえっと何だったっけ、何とか少年ってバンドの久保田洋二くんが参加していた曲とかいろいろあってどれを聴いてもポップでキッチュできらびやかでリラクゼーションと、何だか分からないなりに中を得られるよーになっている。CDショップで探してたんだけど廃盤アワーじゃない訳だ。枚数とかどれくらい出るか分からないんで果たして買えるか自信はないけど月末からの発売に、しっかりエントリーだけはしよーと決意。リストを見ればほかにもまだまだありそーなんで、制限いっぱいまでどれを選ぶか考えよー。「リップス」の「これうまいじゃん」はあったかな(知らないよねーこれは流石に)。

 ホームだぜ、世界のトップリーグで活躍しているレギュラーがズラリだぜ、日本のリーグの得点王もいるぜ、なのにどーして引き分けるかねえサッカー日本代表は。なるほど出だしは好調で鋭く回してかくらんし、サイドにひろげて折り返し、そんな中から相手ディフェンスの間隙を縫って小野選手が得点したものの、以降は惜しいチャンスが幾度となくありながらも肝心の点は入れられず、かといって力いっぱい点を奪いにいくってよりは華麗に美麗に組み立てようって意識が強く、見ていて締まらず退屈で、意識を注ぎ込んで応援したくなるよーなオーラがまるで感じられなくなってしまって、むしろ完全なるアウェーを遠くからはるばるやって来て互角の闘いを見せるジャマイカ代表に、声援を送りたくなってしまった。実際したし。

 何かやろうって監督の意志より何がしたいって選手の意志を尊重するのがジーコ式、ならば応えてジャマイカなんて一蹴するのが筋ってものなのに中盤でボールが調子よく回っても、詰めが甘いかトラップが大きいかクロスが不正確かで間に合わず。いくつか中田英寿選手あたりが絡んでいいパスいいシュートもあったみたいだけど、プレミアのトップ10で働く稲本潤一選手よりも、去年のイタリア杯を取った中田英寿選手よりも欧州タイトルのひとつを取った小野新二選手よりも話題に上った椎茸頭がホダ木だから持ちすぎで攻めのテンポ変えにはなばなしくも貢献したこともあって、相手ゴールを割れず逆に個人技からゴールを取られて敗戦にも等しいホームでの引き分けを記録してしまった。

 今現在の最善ってことで選んだメンバーには確かに過不足はないけれど、ワールドカップの予選は今じゃないし本戦だったらおさら先の時点ではこのうちの一体何人が現役としてプレーしているのやら。むしろやっぱり4年先、8年先とか見据えたメンバー作りを行う方が妥当のよーな気がするけれど、そこはディフェンシブフォワードとゆーある主稀有なポジションの持ち主の柳沢選手を生み育てたチームの精神的支柱のジーコさん、そーした革新性のあるものを生み出すノウハウを今度は監督として自らに適用して、喋らず怒鳴らずすべてを現場任せにするサイレントコーチとゆーポジションを作って選手たちを「見守る」行動に費やしたりするのかな。「ピッチウォッチコーチ」ってのもありかな。


【10月15日】 安全地帯のその向こう側から頬かむりして何を言うのかと叱られることは承知の上で、今こうして辺見庸さんの言葉を文字として活字として本として読めることの大切さを、味わい深く噛みしめている。「サンデー毎日」に連載されているコラム「反時代のパンセ」を軸にまとめた最新の言論集「永遠の不服従のために」(毎日新聞社、1429円)にしたたためられた、どの言葉を取っても辛辣で深淵でゆるぎなく強靭な、腹の底より語り上げられたものばかりで読むほどに、味わうほどにこの国が、この世界が陥っているとんでもな事態、マスコミが、政治家が導こうとしているとんでもない未来の姿が感じられてかむった布の下で冷や汗に背筋を震わせる。

 いずれを取っても厳しさに固まるが、挙げればマスコミを「糞バエ」となじった言葉の末尾がこの国に蔓延る高級なマスコミの糞バエぶりを如実に表していて、高級とはほど遠いながらもマスコミの端にいる者として身が凍る。曰く「エーコのいうファジーな全体主義の背景には、常に『私』のいないマスメディアがたんに権力的な集団としてひかえている。だから、この国のファシストにはファシズムを誇示する必要も集会も行進も必要でない。マスコミが毎日、その紙面、その番組でやってくれているのだから。しかも、ときおり大いに民主的で平和的な顔をみせながら」(180ページ)。自覚しているのかしていないのかは関係ない、結果としてのお先棒の担ぎっぷりが端的に、けれども的確に指摘されている。

 勇ましさが先立つ反権力の言辞はほかにいくつもあるけれど、ぶれのなく澱みもないスタンスで一貫して言葉を繰り出し、なおかつ圧倒的な語感とロジックで他人を扇動も恫喝もせずにしずしずと説得し納得させる文章力にはいつもながら敬服。これだけの人がメインのメディアに日頃登場しない悲しみはあるけれど、これだけの内容を毎週でも連載するメディアがあることは喜ばしい。売れていればなお良いのだが。装丁と各章の口絵に使われている写真は「来るべき言葉のために」の中平卓馬。これまで「プロヴォーク」の面々だと森山大道のスピード感あふれるアレブレに惹かれていたけれど、都市や港湾や空や施設を静かに暗く、けれども確実に切り取って見せた一連の写真が持つ”世紀末感”が人類としての世紀末を予言する内容に相応しく、大道さんよりも現時点では好きになってしまった。まとまった数は古い「デ・ジャ=ヴュ」を引っぱり出せば見られるんだけど案の定地層の下の奥に入って出てこない。日本の危機より部屋の危機。これは真剣に末期だよ。

 羽田空港に降り立った北朝鮮からの全日空機が滑走路の上を延々と行ったり来たりしながらだんだんと近づいてくる、ハンパじゃない長さの時間の間にいろいろと浮かんだ妄想。拉致被害者の5人を先導するかのよーに、先日まで韓国の釜山で開かれていた「アジア大会」に来てそのひきつった笑いと能面のよーな美貌と世界レベルにありそーなダンスのスキルを見せてくれていた例の「美女応援団」の精鋭50人がぞろぞろと降り立って、ぶかぶかどんどんブラスバンド演奏をしたり飛んだり跳ねたりするダンスを踊ったりしたらビジュアル的にはとっても派手なものになって、カメラは本来主役の拉致被害者を映すべきかそれとも好奇心に走るかで迷ったかも。さすがに「被害者」とテレビが書く拉致された人たちから見た加害者の側の先兵を喜ばしく見れはしないだろーけど、だったらより切実な間柄にある、兵役を控えた韓国人の若い人が、同じ民族ではありながら目下ナンバーワンの敵であるところの北朝鮮の「美女応援団」を見てなお騒ぎたてる、複雑で錯綜した感情がない分、被害者の直接の関係者以外は案外にコロリと宣伝に参ってしまったりしたりして。1000万とか払って週刊誌のグラビアに? テレビのワイドショーに? やりかねんのだよニッポンって所は。

あるいは開いたタラップから日本刀を持った元「よど号」ハイジャック犯の残党がぞろぞろと降りてきて、本来だったら北朝鮮に来たまま帰れなかった飛行機を乗っ取って日本まで飛ばして来たんだから「よど号」の事件と相殺されて無罪放免だ、なんて主張するとかってのもあるのかな。世間に反抗し一匹狼的に生きたそのライフスタイルに憧れてか「われわれは『あしたのジョー』だ」と叫んだのが当時なら今は不言実行、勝利のために自らを鍛え抜き師匠も先輩も大切にする姿勢を貫くヤマト魂を取り戻したとゆーことで「僕たちは『はじめの一歩』です」と叫んだり。ポーズは無論「デンプシーロール」だブンブンブン。もしも本当にそーなるくらいにちゃんと「少年マガジン」を読んでいるんだとしたら、「クロマティ学園」に出てきて「プータン」を本当に人気のあるコメディアンだと勘違いして、プリンセス・テンコーの代わりに呼ぼうなんて考えたりして。でもって行くのはフレディ&メカ沢。何やるんだろ?

 「よど号」で思い出したけどそーいえば昔は飛行機に「磐梯号」とか「よど号」とか「もくせい号」とかいった名前が「ヒンデブルグ号」とか「タイタニック号」とかいった他の乗り物と同様に付いていたのに最近は、ってゆーか「よど号」あたりを最後に付かなくなったのは何故なんだろー。飛行機がそれだけ普遍的な乗り物になってそれこそE電なみに一般化して、ニックネームなんてつけられないって思われるよーになったのか、それとも単純につけられる名前のネタが切れたのか。まあ今さらニックネーム付けられても整理が面倒になるだけなんで良いんだけど、いざ事が起こった時に「A123便」とかいった数字の羅列で記憶されるよりは名前の方が後々にまで鮮明に記憶が残るところもあって思案のしどころ。もっともいざ起こる事ってのがネガティブなものばっかりだったりするからなー。「よど」さん「もくせい」さん「ばんだい」さんにとっては迷惑ってことになるからなー。

  それにしても人間の顔って24年経ってもまるで変わらないってゆーか、届いた号外でタラップに降り立ったり家族と抱き合う拉致被害者の人たちの顔が、拉致される以前の若い時分の顔写真とまるでそっくりで、俗に言われてた入れ替わりがあったとか整形が行われたとかいった話が、おそらくは現実のものではなかったことがつまびらかになった。痩せてはいたけど曽我ひとみさんは眉の角度に目の細さ、口の形が今も昔もおんなじで、奥土祐木子さんも目と眉と顎の形が変わってない。浜本富貴恵さんは口とそれから歯ならびかなあ。もっとも日本人が昔と印象がガラリ変わってしまうのは、飽食で太って肉とかついたり顎が2重になったりするからって可能性もあるだけに、容貌を保てるくらいに食べ物の面で日本ほどの自在さがなかったとも言えそー。変わってないのって羨ましいなんてちょっとストレートには言えません。


【10月14日】 えっとあれは「サイボーグ009」で良いのかな、けど赤い服を着てもいなけりゃジョーだけ白い訳でもなく、また初期だかの緑色ですらない服でもないサイボーグ戦士が出ている作品のどこを「サイボーグ009」と呼んで良いのか分からず、撮っておいたビデオを見ながら幾度となく葛藤する。慌ただしくも手っ取り早くまとめた最終決戦、作者の元へとやって着たアイザック・ギルモア博士が語る未来だか本来だかのサイボーグ戦士の戦いの模様って寸法で描かれたらしー展開の、揃った仲間が強大な敵へと敢然と立ち向かおーとするシーンで終わって「○○先生の次の作品をお楽しみに」って書かれてあったりする、10週で打ち切られた「週刊少年ジャンプ」の漫画的なエンディングに、描かれなかった最後まで見せるってゆー最初の宣伝文句の一体あれは何だったんだろーと呆然とする。

 スタート当初、そのあまりにも石森章太郎的(石ノ森じゃねー)な絵と動きとそしてストーリーに感銘を受け、当時はまだ親近感のあった「bk1」にメディアファクトリーから出ている全集の「009」部分だけをまとめて注文して取り寄せて呼んだのも遠い昔のことのよー。ゼロゼロナンバーサイボーグを相手にしていた辺りまでは感心して見てはいたけれど、途中から妙に不思議な作画の回があったりしてだんだんと見るのを止めてしまい、気が付くと1年が経って晴の最終回を迎えてて、せめて最後ぐらいはと見てしまったのが運の尽き、前週を見ていなかったことも災いして謎のキャラクターたちによる謎の戦いの果て、謎を山ほど引きずったままのエンディングを突きつけられて目がショボショボになってしまった。

 「メディアファクトリー」が創刊を準備していた雑誌での連載再開を構想していた時に石森章太郎は本当にこんなことをやりたかったんだろうか。否、断じて否と思いたいけど全集の末期とか読むと妙に神がかってたりする話が多かったから案外に、こーゆーものを構想していたのかもしれない。個人的にはやっぱり「どこへ落ちたい」までが気分、かな。まーいーこれがアリな今だったら、合ってない主役に年輪が刻まれ過ぎで涙が出てくる父っつぁん他な脇役たちが、墓場の底から声を出しては毎年のよーに卒塔婆の数を増やしている「ルパン三世」に、押井守さんを担ぎ出して例の「ルパンはいなかった」的エンディングを叩きつけたって誰も文句は言わないどころかむしろやんやの喝采だろー。去年の「メディア芸術祭」でリップサービスだろーけどやっても良さげなことを言ってたんだから、権利もってる会社には是非に担ぎ出しをお願いしたいところ。モンキーポンチ先生をルパンが訊ねて来るってのはナシね。

 間違えた「電撃10年祭」は今日だった、けど抽選に応募しわすれたって理由は変わらないんで「幕張メッセ」へと出向かずに家にひきこもって読書とか。エニックスから出ている荻野目悠紀さんの「ダイアナ記 戦士の還るところ」(エニックスEXノベルズ、920円)は自動車事故で死んだと思われていたプリンセス・ダイアナは実はMI6によって600万ポンドのバイオニック・ダイアナに改造されてアフガニスタンに投入されていた、なんて話では当然なくってどこか遠くにある星を舞台に、武人として卓越した能力を持つ女性が闘いのはてにいろいろなことに目覚めるってゆー話が描かれる。自分の起こした戦闘の結果死んだ人を間近に見て戦争の悲惨さを知り愕然とするってなー、ヒューマニズムたっぷりな展開には突っ込まない。崩れ落ちるツインタワーを見て嘆く人がいる一方で喝采する人がいたりする現実を前にすれば甘いも大甘ではあるけれど、だからこそ知ってもらい感じてもらいテーマではあるからね。

 けど1000年に1度、必ず確実に訪れる大災厄に対する準備がその大災厄まで10年足らずって時期に至っても、それどころか7年とか6年とか言った時期に来てもなおろくすっぽ行われていないって状況にはちょっと首をかしげてしまう。ワールドカップだって10年くらいの準備期間をかけるものだし、都市計画なら20年くらいの先は見据えてやるもので、それが自分たちの命にかかわることだったら、100年も前から準備を始めていたいって不思議じゃない。なるほど20数年前の時点で大災厄すなわち「夏」の訪れに敢然と立ち向かおーとする人物の言葉が冒頭にはかかげられているけれど、だとしたらするのは住民たちのエクソダスへの準備であって例えば巨大船団を作るなり、退避可能なコロニーなり大規模な気候変動にも耐えられる都市づくりをすることで、他の惑星を占領するための戦争の準備なんかじゃないはず。なのにまるで他に選択肢がなかったかのよーな展開に、あるいは星間戦争そのものが描きたくって、エクソダスの理由を練り上げたんじゃないかって思えて来る。

 実際に戦争の部分はヤン・ウェンリーばりに奇策と知略でもって圧倒的な敵軍をけちらす司令官とか出てきて面白さたっぷりで楽しめる。プラス戦争の悲惨さに無意味さ、残酷さも描かれてあっていろいろと考えさせられる。それだけに根本となる部分でのもっていきかたの強引さが気になって仕方がない。10分後に沈む船から逃げ出すのは難しくっても1000年先、いや100年先に沈む船からだったら逃げ出す方法だって船を沈まなくする方法だっていろいろ考えられるだろーに。案外に間際になってみないとことの深刻さに感づかない、夏の間を遊びほうけて冬い飢えて凍え死ぬキリギリスのよーな人間の本質を、如実にあらわそーとしたのかもしれず、だとしたらまさしく正鵠を射た設定だって言えるかも。久織ちまきさんのイラストは相変わらず可愛いなあ。


【10月13日】 風邪気味なのか生来の怠惰虫がうずいたのかサッカーから戻ってご飯を食べたら起きられなくなって、ベッドとゆーか積み上げた本の上に敷いた座布団にクッションの上に背中を置き、脇のベッドへと脚を伸ばして寝たり眠ったり。それでもとりあえずは読書でもと山口雅也さんの新刊「奇偶」(講談社、2400円)なんかを一気読みしてニッポンのミステリーも遠いところに、僕から見れば行って行き果ててしまったんだなあと遠く西方極楽浄土を拝む、ってそれだと逝くになってしまうから訂正、しなくても良いのかな。

 ファンにとってはとてつのなく至福な時間を過ごせる厚みに内容であるだろーことはそれなりな雰囲気からも伝わって来るけれど、物語の中で延々と繰り広げられる偶然とか不確定性定理とかいったうんちく話の長さがちょっと、年寄りのせっかちな本読みには厳しくって読み込めば本編の楽しみも増しただろーとは理解しつつも抜き飛ばしして読んでしまって、結果それでおおまかな所が分からなかったかというとそうでもないけれど、作品にひたりきってうんちくも含めて楽しむって醍醐味を味わい損ねた気がして残念に思う。入れ子なのかそれとも小説内小説なのか判然としない構成はまあ、この手のジャンルによくある話なんで気にしない。キッド・ピストルズとか垂里冴子とかキャラに独特のものがあった山口さんの傾向に引っ張られてこれもそーゆー傾向と思いこんだ自分を恥じつつ、これを読んだのも何かの必然と思って諦めよー。そーゆー諦観にだけは存分に至らせてくれる本だし。

 「ノーマッドクッション」に頭を乗せて知らず微睡みつつもしっかりと翌朝の「ギャラクシーエンジェル」のビデオ予約だけはしている現金野郎。なぜか目覚ましが成る数分前に目覚めるいつもながらの不思議を体験しつつ(セットした時間に体内時計がシンクロしていきなり起こされる恐怖感から目覚めを早くさせるのか)心の準備を追えた頭でオープニングの駄洒落を楽しみCMを楽しみ本編を前半までは存分に楽しむ。率先垂範してウォルコットの真似をしよーとしたミントの姿にミントらしさを見る、やりたかったんだよコスプレが。

 後半の方はこの後きっとお蔵入りするだろー(させろ!)新キャラの最初で最後の見せ場を作ってあげる回だけあって(そうだよな!)一応の大活躍。だけどそこは他人の苦労より自分の幸福が大事なエンジェル隊によって蹴散らされ吹き飛ばされるのでありました。一所懸命勉強したり訓練したりしているマリブ&ココモの脇で遊んだりお料理したり訓練とゆー名目も武器フェチの発散をしているエンジェル隊の日常でも挟めば対比になってダレなかったよーに思うけど、平生のマリブ&ココモの苦労と頑張りのクライマックスをあっけらかんとぶちこわすって展開に意外性を見よーとしたって考え方も出来るから難しい。それは実にエンジェル隊らしー事件の解決方法だっただけになおのこと対比を目立たせよーとそこまでの登場を避けていたのかも。けどあんまし成功していなかったよーな。まあ良いこれで2人ともしばしのお別れ(にするんだろ?)、以後はマニアによるマニアのためのGAって奴を存分に披露してやっちゃーくれまいか(くれるよな)。

 風邪気味なのか面倒くさがりが高じたのか起きられない中でも気力をふり絞って外へ。「電撃10年祭」は入場券に応募するのを忘れて入手できなかったんでパスしてはるばる電車を乗り継ぎ横浜は「パシフィコ横浜」で開催されていた「第5回アジアMANGAサミット」って奴をのぞく。隣のホールでは偉い人とか外国の人とかによる真っ当な会議とかも開かれているんだろーけど文化部な人間じゃないんでホールへと出向いてもっぱらイベント取材。漫画家さんたちがブース出展してるって事前に噂を聞いてはいたけどなるほど水島新司さんのブースでは透明アクリル板の金魚鉢の向こうでアシスタントさんが水島さんの原稿にペン入れしたり仕上げしてたりする姿を拝めて、マンガってこーやって描かれるんだって」ことを集まった人たちにナマで披露していた。作家本人がいなくってもマンガは出来上がるんだってことも含めて。

 御茶漬海苔さんのブースとか犬木加奈子さんのブースとかホラーな人なら歓喜の出展もあったけどホラーな人じゃないんで眺めるだけ。なぜかサファイア王子が立っていた。お金が集まらないなら自腹を切ってでも「アンパンマン」ショーをやるって発言していたやなせたかしさんのブースは言葉どーりに「アンパンマン」一色で劇団の人とかが出向いて歌ったり踊ったりのショーを実施。会場のどのコーナーよりもそれが人を集めていたあたりに作品の人気ぶり浸透ぶりが伺えるとどーじにお客さんを呼べるんだってゆーやなせさんの自信みたいのも垣間見えた。記者会見でもその発言の尖り方が他の誰よりも凄かったけど、やっぱりタダモノじゃなかったなあ、あの爺さん。

 作家のブースがあってコンテンツを使ったグッズとか出している会社のブースがあって代々木アニメーション学院とかいった学校のブースがあってなのにどーゆー訳か出版社の個別のブースがまるでない。あったのは持ち寄ったマンガをラックに並べて自由に立ち読みしてもらうコーナーくらいで、これまでにあれほどまでに漫画と漫画家の人たちに世話になっておきながら、こーゆー時に今一線で大活躍している作家の10人20人を動員してワンサと客を呼び集めて先輩たちに還元するよーな行動を、とれない理由ってのは何なんだろーと考えてしまう。「アンパンマン」を見に来たファミリー層がひいちゃいそーな風体のおおきなお友達が山と集まっても困るって考え方もあるけれど。

 あるいは一線の人たちを呼べば先輩たちがかすんでしまうといった配慮なり、ブース出展するより別の資金面の方で協力しているって状況なりがあったのかもしれないけれど、「東京キャラクターショー」とか「東京ゲームショウ」「とかいったイベントにはブースを出展してグッズやらサイン本やらを売りまくり、「コミックマーケット」では限定の同人誌までも売り出すほどの大手の漫画出版社にしては、いささかウラカタだかウラガワだかに回り過ぎているよーな感じがした。いっそ立ち読みコーナーにある本を、最終日の最後の時間に1人1冊とか3冊、自由にお持ち帰り下さいなんってやったら格好良いんだけど。やる訳ないけど。

 Tシャツをその場でプリントして売るコーナーを見物していて見つけた「サイボーグ009」のTシャツを1枚購入、絵柄は「君はどこへ落ちたい」。ブラッドベリの「万華鏡」よろしく009と002とが抱き合って大気圏へと突入するシーンを新しく描き起こしたかしてデザインした絵がプリントされたTシャツで、聞くと「MANGAサミット」限定らしく風邪を押していった甲斐があったものだとほくそ笑む。それ以上だったのが漫画家の人が目の前でTシャツに絵とサインを描いては販売するコーナー。人だかりに近づくとそこには望月あきらさんともう1人、品の良さそうな老婦人がいて望月さんの方はなつかしの「総理」を更々と描き、老婦人の方は見目麗しい少女を描いて頬とか唇とかに赤いパステルで紅を入れていた。

 後で矢口高雄さんも来て三平を描いてて、名札を見なくても絵柄で瞭然だったけど、気になるのはやはり少女を描いていた老婦人の正体。何でも受付が分からず入場券を買って入って来たそーで胸に名札を下げておらず、見たことのある絵だけど誰なんだろーとその場は黙考、後で立ち寄った時にその時に描かれていたTシャツが並べられていたんですぐさま買ってサインをながめて、それが花村えい子さんだったことに気づく。をを。具体的に何を描いていたかはあんまり実は知らないけれど、名前だけはよく聞く少女漫画の大家で重鎮。色紙を描けば数千円はくだらないだろー人の直筆サイン直筆イラスト入りTシャツがたったの2100円なんて値段で買えてしまったのは、行幸を通り過ぎて奇蹟とゆーより他にない。売り場にはほかにささやななえさんとか御茶漬海苔さんとか中山星香さんとかのナマTも並んでたんでそっち方面のファンは早々に行くが吉。立ち寄った漫画家さんに頼んで描いてもらう場合もあるんで商品は日にも時間にもよって変わるんで、何度かのぞいてみるととんでもない逸品があるかも、それこそ手塚治虫さんが描いた「鉄腕アトム」とか……あったら怖い。


【10月12日】 衛星とか通信とかいったものとは無縁な暮らしをしている関係で千葉テレビでの放映が初見だったりする「THE ビッグオー」はドロシーちゃんがノーマッドよりも毒舌っぽくって心ドキドキ。ただあのロジャーでもよーやくかつぎ上げられるくらいの重さがあるみたいなんで「踏んで」と言えないのがつらいところ。踏まれたらたぶんお腹に穴が空く。いっしょに寝ても夜中に潰されそーだし。お風呂は入れると錆びるのか。肝心のロボットの方は画面いっぱいにパーツをアップさせて見せたりする技が効いてのかパンチとか圧倒的な迫力で、巨大で重たいものどうしが戦う絵面ってのを巧みに表現していていい感じ。道路を脚でとんとやるだけで地下へともぐっていってしまうよーな重さのあるものがとんとやらない間は踏み込もうが踏みとどまろうが下へともぐらないのは何故、ってことは言いっこなしか。それを言うなら穴ばっかり開けててどーして街の全部が穴ぼこだらけにならないの? まさか「ダークシティ」みたく……。

 「ファミリーマート」のネットで予約したサッカー「日本代表vsアルゼンチン」のチケットの抽選に漏れるとゆー辱めに歯がみしつつだったら良いさ、カシマ&外国組に依怙贔屓なジーコジャパンがまるでお呼びでなかった清水エスパルスの元代表の面々の圧倒的なパフォーマンスを見て、選ばなかったジーコ監督の目立ちたがりぶりを笑ってやるからと、日本代表戦に行けない悔しさを隠して飛田給にある「東京スタジアム」へ。東京ヴェルディ1969との対戦はホームが東京ヴェルディであるにも関わらず、なぜかアウェイ側にわんさと人が群がっていて、それも若い女性ばかりの大量動員にモヒカン戸田選手ってこんなに人気があったのかな、いやいやドレッドな魅力の三都主にくらくらな婦女子だろー、なんてことはカケラも思わずにこれがいわゆる”アンギャル”って奴かと感嘆する。アンギャルって何? って意見はごもっとも、だって今作ったんだから。

 つまりは韓国代表として大活躍したにも関わらずイタリアのペルージャをたたき出されてユーラシア大陸を方法の果てにたどり着いた清水の港で、次郎長親分ならぬ清水エスパルスから一宿一飯の恩義にあずかる我らがテリウス、アン・ジョンファンをひとめその目で見んと欲する婦女子がすなわちアン・ジョンファンギャル略してアンギャル。無理があるのは承知だけどワンダフルギャルがワンギャルなんだからアンギャルだっていーんだよ。もしくはアン・ジョンファンファンって呼んでも良さそーだけどアグネス・チャンちゃんと同様にややこしいことになるからここはアンギャルで行かせてもらいます。ホン・ミョンボならホンギャルでユ・サンチョルならユギャルになるのかって質問は却下、2人じゃー頑張ってもこれだけのギャルは呼べません。

かくも大勢のギャルがサッカー場に集まるなんてJ発足以来?  ギャルの動員に加えてサポーターの数でも地元のはずのヴェルディを圧倒しているエスパルス陣営。これが東京FCだったら互角以上に青いユニフォームでもって「東京スタジアム」を埋め尽くしたんだろーけれど、プレスに名前こそ「戦慄の狼」として残されてはいても前園真聖選手はすでにアン・ジョンファンと入れ替わるかのよーに韓国へと行ってしまってて出場は絶対に不可能だし、「沈黙の風来坊」と綽名される石塚啓次選手はその沈黙ぶりがわざわいしてか監督から疎まれその名のとーりにふうりふらふら風来坊、イタリアにいるのかクロアチアにいるのかまるで消息が伝わって来ない、そんなこんなで知名度なりマスクでもって客を呼べる選手のまるで抜けてしまったヴェルディにはもはや、スタジアムを2階席まで人でびっしりと埋めるだけの動員力は存在しない。はるばる静岡から箱根八里を馬でもって越えてかけつけたアウェイのエスパルスサポーターに数でも勢いでも負けてしまうのもやむを得ない。

 とはいえそんな名前ばっかりの選手をちょんぎって至福1000年耐えてきた効果が徐々にだけれど上がって来ているよーで、今日の試合では未だに「野獣」と綽名されるエジムンド選手もアジア大会の呼ばれた代表選手も欠いた状態ながら中盤でのパス回しに圧倒的な冴えを披露してエスパルスの中盤を撹乱して前線とバックラインをほぼ分断。トップ下で張ってチャンスを待っているアン・ジョンファン選手にまるでボールが届かない状況でエスパルスがせめあぐねる中を、フリーキックからのこぼれたボールをキーパーとディフェンダーが交錯する間にヴェルディが押し込んでまず1点を獲得し、バックスのラインが振られてぽっかりと開いた中央から飛び込んでシュートしてもう1点を追加したヴェルディが、そのまま逃げ切って勝利をおさめた。相手が弱すぎるってこともあるのかないのかは不明だけど、サイドでの受け渡しにしても中央での壁パスとか使った切れ込みにしてもヴェルディの新鋭たち、マジで良い仕事してまっせ。

 アン・ジョンファン選手はだんだんとキレは戻って来ているみたいで、ペナルティエリアのそばでドリブルとフェイントで切れ込んでみせたり前線によいパスを供給してみせたりとそれなりな技を見せるもののゴールにもアシストにも結びつかず。左に張ったと思ったら後半は中央で動き回ったりした三都主とのコンビが炸裂するでもないまま試合終了と相成ってしまった。イメージとして誰もボールを欲しがるばっかりで、中央で他人を動かすよーなボールのさばきを見せる選手のまるで見あたらないのがエスパルスで、かといってバックラインの押し上げでもって怒涛のよーに相手ゴールへと押し寄せるかってゆーと伸びた中盤をいい様に使われてしまう始末。これでは前線で頑張っても徒労に終わってしまう。戻って守備でもすれば良いって考え方もあるけどそれをやるにはまだまだ体調が完璧じゃないのかな、いややっぱりトップ下で貯めて前線を動かす人を作るかあるは、サイドからのクロスに強さと正確性を出して攻めに高さと迫力を持たせる必要とかありそー。同じことは名古屋グランパスエイトにもいえるんだけどね。ピクシーカンバック。

 白だ白だ白だ白だ白だ白だ白だヒャッホウ。帰宅して「機動戦士ガンダムSEED」を録画している裏で見たNHK教育テレビのドラマ「どっちがどっち」の第2話目を見て、のっけから登場のチラリなんてもんじゃねー白三角に目は釘付け、録画しておかなかったことを強く激しく後悔する。山中亘さんの「おれがあいつであいつがおれで」を大林宣彦さんの「転校生」からいったい何年ぶりになるんだろー時間をおいてドラマ化したものだけど、小林聡美さんのルックス面に多少の支障が見られた映画に比べて、テレビドラマで主役を張ってる中身は少年の少女のやっぱりルックス的に圧倒的って訳じゃないものの、小学生ならではの淫靡さよりも健康性が前面に出た演技でもって披露される姿態とそして白白白が、見る側に痛々しさも疚しさも滲まない純粋な喜びを感じさせる。

 一生懸命自転車をこぐシーンでのスカートのすそからニョッキリと伸びた脚の白さもまた格別。脚をひらいたブランコで奥が見えそーで見えないあたりも想像力をかきたててくれて、一瞬たりとも画面を見る目をそらさせない。果たしてこれからも似たシーンが出てくるのか、とりわけ三角があっけらかんと登場するのかは保証の限りではないし可能性としても小さいと思えるけれど、バレエ教室のシーンとか見るべきものは他にもいろいろとありそーだし、たとえ見えなくたって三つ編みおさげの小学生の女の子が画面いっぱいに暴れ回るシーンを見るだけでも心安らぐ。「機動戦士ガンダムSEED」を録画し続ける限りはこれを生で見無くてはイケナイってのが現時点での最大の課題だけど、どーせ最後は「ア・バオア・クー」っぽい場所で敵と刺し違えるんだろー「SEED」はこの際放っておいて、録画をNHK教育に切り替えるのが人間として正しい振る舞いかも。ハードディスクレコーダーとビデオのコンパチがあれば両方録画できるのかな。買っちゃおーかな白のために(たぶん買ってるぞ週末には)。


【10月11日】 これが男というものか。「魔法のプリンセスミキーモモ」がある日とつぜん放送事故か何かで前半のみで中断に。変わって「ダイラガーXV」だかが放映される事態に怒り猛った彼は速攻、テレビ局のそれも社長に向けて「たるんでるぞ!」と抗議の手紙をしたため送ったとか。もちろん同様の事態に直面したなら怒る気持ちだけは同様に誰だって抱くだろーけれど、それを実際の行動へと移してしまえる所に、現在この日本で最強の説教人として恐れ称えられている彼の萌芽が見える。彼の名は掟ポルシェ。世間に対して「男だったらこう生きろ」と説教して回る「ロマンポルシェ」のボーカリストにして説教者がその若さ故の血気盛んな様を「月刊アニメージュ」11月号にてカミングアウト、手にミンキースティックこそ持ってないけど木漏れ日をバックに足下からなめるカメラを見おろす表情には、かつて「ミンキーモモ」のグラビアも掲載された天下のアニメ誌に登場するヨロコビが……あるのかな、いや良い仕事です星山カメラマン。

 「秋葉原デパート」のオタク専門店化にも驚いたけれど今度、前の「T−ZONEミナミ」のビルを全棟使ってラオックスがオープンさせた「アソビットシティ」ってのにはさらに仰天、1階のゲームソフトから始まって書籍に雑誌にDVDに玩具にフィギュアにガンプラにエロゲーエロ漫画へと至るありとあらゆるオタクな人のための商品が、広くて高いフロアのすべてにギッシリと詰め込まれてあって上から下まで見るだけで、1日半は潰れてしまいそーな印象すらある。品揃えについてもまずまずで、すぐ側にある「アニメイト」と挟む形で立っている「ゲーマーズ」を足してもおつりが来そーな感じ。両店とも小さな店からコツコツやってマーケットのオタク化も取り入れて大きくなっていったんだけど、「アソビットシティ」の登場はそんな努力を根こそぎ引き継いで秋葉原にさらなるステージの変革をもたらしそー。ヤバいぞ「ゲーマーズ」「アニメイト」。「K−BOOKS」と「とらのあな」は同人誌があるからまだ良いか、これは上場企業じゃちょっと取り扱えないだろーから。「まんだらけ」は扱っているけれど。

 もちろん「ゲーマーズ」にはオリジナルな企画なりキャラクターをたち上げて転がすって技があるからどこぞの商店街みたく、スーパーの1軒で根こそぎひっくり返されるってことに一朝一夕にはならないけれど、売上の決して小さくない分をショップから上がる日銭が占めていたりする訳で、その一部が秋葉原で削られそのうちに新宿とか池袋とかで削られるよーになれば、家賃なんかの固定費に厳しさが出て来る可能性もあって思案のしどころ。付き合って大型店化を進めたところであいては規模では遥か上をいく大手企業、内装にだって金かけられるし品揃えにも気を配れる相手に対抗するには費用がいくらあっても足りやしない。潰し合う以前に潰され兼ねない。

 いっそ完璧にカードゲームとキャラクターの企画とグッズの製造にシフトするって手もないでもないけど、店頭も含めて時間をかけてトータルで盛り上げる戦略があってこその「デ・ジ・キャラット」だったり「アクエリアンエイジ」だったりした訳で、自前で店を持つ意味ってのはそれなりにある。人気商品があればすぐにそっちに流れるスーパー相手に商品を卸すだけのビジネスじゃー、いちおうは得意と自認しているキャラクター開発に影響が出かねない。対抗勢力が出てきたからといって、その昔やってたコスプレパーティーとか即売会とかをピタリと止めたよーなことは、こと小売に関してはすぐには踏み切れないだろー。

 今のところスーパー化が秋葉原地区に特有の現象に留まって、全国的には広がらないとするならば、横浜とか名古屋とか地方ではまだまだ専門店の生きる道ってのはありそーで、適度な品揃えとサービスなんかで固定客を確保しつつ新規のユーザーを取り込んでいくことはできそー。あるいは1億総オタク化でもって全国の主要都市のすべてに「アソビットシティ」のよーな大型店がぶっ立つよーな事態となればそれはその時で、広がったマーケットに向かって得意の企画力なりで商品を送り込んではシェアを確保するって戦略をとればいい。市場がどっちに転ぶか見えないだけに今がいちばん厳しいところで、このあたりを見据えつつ小売を依然柱にし続けるのかそれともメーカーにシフトするのか、ってな立ち回り方を考える時期なのかも。ただやっぱり秋葉はもう厳しいかも。こんなにオタク系の店が増えるなんて10年前どころか5年前ですら想わなかった。時とは移ろうものなのだ、店頭のモニターから「森高千里」が駆逐されて「モーニング娘。」になったよーに。

 何故か続編が違った発行所から出ることになった天野こずえさんの「ARIA 1」(マッグガーデン、505円)。前作「AQUA 1」(エニックス、552円)でもって説明された主人公が火星へと来た理由と火星がどうなっているかという説明、それから水先案内人とゆー設定と火星猫を含めた不可思議な現象への理解がまるまる抜け落ちている状態で「ARIA」を読んでもまるで分からないにも関わらず、具体的に前作がどこの出版社から出ていてそれがこの「ARIA」とどーつながっているのか説明されていないあたりに、業界人じゃないからどんな事情があったかは知らないけれど読者として単純に見た場合に不親切なものを感じてしまう。

 前作からのファンには全然無関係な話で見れば納得の続き物で、あるいはそーゆーファンを相手にしているのだったら構わないのかもしれないけれど、収録されているお話しのあまりに素晴らしくって美しくって楽しくって嬉しいものばかりなだけに、これで初めて触れた人にここから前作へと遡って欲しいとゆー想いが浮かんでなおのこと不親切ぶりが気になってしまう。なのでせめて書店員の方々には、「ブレイドコミック」ってレーベルの立ち上げキャンペーン中だからといって固めるんじゃなしに、エニックスから出ている(今も出ているのかな)「AQUA」の2冊をすぐそばに並べて初めての人を誘導させて、夜の水路を照らす月光の輝きと照らされて浮かび上がる街並みの神秘さ、丘から眺めた水路の美しさに触れさせてやって頂きたいもの。お願いします。それにしても同時に出た黒乃奈々絵さん「PEACE MAKER 鐵」(マッグガーデン、552円)もまるで話が見えないぞ。


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