AQUA
アクア

 水のある風景が好きです。

 たとえば宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」に出てきた風景があります。油屋の上にいた千尋が見た、雨が降った後の見渡す限り水で覆われた風景の美しさは格別なものがありました。それと列車に乗って銭婆のところへと向かっていた千尋が車窓から見た、古い民家が建っている島が水の上に突き出ていた風景も。動くものは雲くらい。聞こえて来る音は風と細波の音くらい。そんな静謐さと清浄さでいっぱいの風景に、心惹かれてしまったからなのでしょう。

 ヴェネツィアという街には行ったことがありません。道路の代わりに水路が張り巡らされた水上の街だということは知っています。古くから栄えて賑やかで、今も世界から観光客があつまるベニスは同じ水がある風景でも、静謐さや清浄さとは縁遠いと言えそうです。それでもやっぱり嫌いではありません。けたたましいエンジン音など立てずに、水路をゴンドラが行き交う風景に、速度ばかりが重要視される現代との対比を感じて、懐かしくなるからなのかもしれません。

 天野こずえさんの「AQUA」(エニックス、552円)という漫画に描かれた「惑星アクア」は、地表の9割が海という名前のとおり「水の惑星」です。もともとは「火星」だったのですが、テラフォーミングの過程で極冠の水が予想を超えて融け出して、地表のほとんどを水で覆ってしまったそうで、人々はそんな星で水辺に街を作ったりして暮らしています。

 「ネオ・ヴェネツィア」という名の街はそのものズバリ、地球のヴェネツィアを模して作られていて、水路があってゴンドラが行き交う風光明媚な街として、ヴェネツィアを懐かしむ人や水に憧れる人たちが観光に訪れているそうです。観光のためのゴンドラもあって、その漕ぎ手は「水先案内人(ウンディーネ)」と呼ばれる女性たちが務めています。

 体力も技術もいるらしいゴンドラの漕ぎ手に女性がなれるのは、この「水先案内人」だけだそうで、ために女性には人気の職業となっているらしく(制服が可愛いからかもしれません)、宇宙のいろいろな場所から「水先案内人」になりたいと希望する女の子たちがやって来ます。灯里(あかり)、という主人公の女の子もそんなひとりで、はるばる地球から「惑星アクア」の「ネオ・ヴェネツィア」へとやって来ては、「ARIAカンパニー」に所属して、「ネオ・ヴェネツィア」でもナンバー・ワンと言われるアリシアさんの下で「水先案内人」を目指す修業を始めます。

 到着して早々、妙な猫(猫にはちょっと見えませんが、火星猫という種類らしいです)に鞄を取られて郵便船に乗り込む羽目になってしまう灯里でしたが、そこで漕ぎ手の郵便屋さんと交わす会話が、水のある風景の素晴らしさを伝えてくれていて、読んで嬉しい気持ちにさせられます。

 「星間旅行ができるご時世に、わざわざ船でうんとこさやんなきゃ始まらねぇんだ……この街は」「まったく不便でならねぇ」「でも不思議と落ちつくんだよな」。不便だからこそ、一日に出来ることが限られているからこそ、どっしりと構えて一日いちにちを大切に過ごそうという気持ちになるのでしょう。その想いが諦めではなく悟りに近い意味での諦観を、水のある街に住む人たちにもたらしてくれているのでしょう。

 さて灯里ですが、「水先案内人」になるには相当に厳しい修行と試験があるそうで、「ARIAカンパニー」に入社して住み込みでの修業を始めた彼女も、両手に手袋をした見習いとして毎日の練習に明け暮れます。「惑星アクア」に到着して乗った郵便船で漕ぎ手を任された時に、バーチャル・ネットのシミュレーションの成果を見せてなかなかの腕前を見せた灯里でしたが、本当は船の後ろに立たなくてはならないところを間違えて前に立ったまま漕ぐ練習をしてしまっていたようで、勉強は1からやり直しになってしまいました。

 それでも同じく別の会社で見習い修行中の藍華と時にはライバル心を闘わせながら、時には実は社長だった火星猫たちが月に1度だけ通う”集会場”の探索に乗り出しては水路に迷い、いっしょに怖い思いをしながら毎日を楽しく、もちろん練習には厳しく、それでも明るく過ごしています。

 雨が降れば水位が上がって一段と暮らしにくくなる「ネオ・ヴェネツィア」です。買い物に行くにもネットで頼めばすぐに届くなんてことはありません。それでも自分の足で浅瀬を歩き、手で船を漕いで動くことで初めて何かを成すことが出来る生活がもたらす充実感が、灯里を明るくさせているのでしょう。そして読み手もそんな灯里の姿に、不便だけれどどこか人間らしい暮らしに憧れを抱き喜びを覚えるのです。

 もしも本当に水でいっぱいの街に住んだとしたら、夏の湿気に冬の冷気、沸き立つ蚊柱に鳴く蛙、流行る病気に漂う臭いが我慢できないかもしれません。聞くと現実のヴェネツィアは水が汚れ臭いもひどく、かつてのような風光明媚さも失われているそうです。それでも例えば深夜、雨上がりの雲間からのぞく月明かりに照らされた水面に古い建物が映り街頭の明かりが反射している、「AQUA」の104ページと105ページ見開きで描かれた雨上がりの「惑星アクア」の夜の景色そのままの風景をひと目みたとしたら、やっぱりファンになってしまうでしょう。

 単行本のラストに登場する、少ない土地に築かれた水路を遡ってたどり着く、発電用なのか水汲み用なのかは分かりませんが幾つもの風車が立ち並んだ丘の上から見おろした、水平線に沈もうとしている太陽を背にして海辺に築かれている「ネオ・ヴェネツィア」の風景はまた格別です。「水先案内人」にはその風景を見ること自体に大きな意味があるのですが、それが何かは読んで知っていただくとして、読む人にとってもこの風景を見るために、単行本を買う意義があると言えそうです。

 灯里の修業はまだまだ続くみたいです。厳しいこと辛いことともきっと沢山出会うでしょう。それでも憧れて行った「惑星アクア」の水のある風景の中で、耐えて乗り越えて立派な「水先案内人」になっていくことになるはずです。そんな灯里の日々に重ねて、作者が理想を筆に込めて描いた水のある風景を読者として楽しんでいけたらと願っています。


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