縮刷版2001年9月上旬号


【9月10日】 「いわずもがな」にせずに言語でもってちゃんと説明してくのって結構、体力知力を消耗するもので気分がそれなりに乗っている時ならまだしも、弱っていたり眠かったりする時だと調べたり考えたりするのはなかなかに億劫で、おまけに言語のやりとりがともすれば長期化したり深刻かしたりする可能性のある話題だったりすると、やっぱりニュアンスだけを匂わせて「いわずもがな」で終わらせたくなる。「ハリポタ」話とか。その点、言語で身を立てている人たちの言語に対する執着ってゆーか責任感にはやっぱり圧倒されるものがあったりすると、何故か贈っていただいた「科学魔界」最新47号の巽孝之編「日本SF論争史」に関連した大宮信光さんと巽孝之さんのなれ合いに堕さない真摯な言語でのやりとりに強く感じ入る。

 3月4日に開かれた「日本SF論争史」の「日本SF大賞受賞」を記念した「巽孝之戴冠式」で結構な時間を使って、挨拶のスピーチとゆーより半ば論争めいた話をしかけていた大宮さんだったけど、そこでは収まらなかった疑問点を洗いざらい挙げだして綿々と綴って送付するという行為は、商業誌なんかへの掲載を前提として書き連ねるんだったらまだしも砂に撒く水、葦の原に掘った穴に叫ぶ言葉になりかねない状況なんかも想定されうるにしては、そんなことは気にせず怯まない強靭な体力を感じさせる。

 そうして送られた言葉、すなわち決して他の寄稿者たちが出しているような「おめでとう」といった言葉ではなく、どちらかといえば反論めいた言葉をしっかりと受け止め掲載した上で、逐一反論を加えていくという巽さん側の体力にも関心する。ここでのやりとりなんて申し訳ないけど一般メディアに出ることなんてまず皆無。webだったらまだしも見られる機会があるものを、同人誌という形で紙に定着させて刊行する労力こそが、言語への敬意であり信頼なんだろー。内容については精読してないんでどちらがどちらとも言えないけれど、とにかく貴重にして重要な1冊ということで。贈っていただき厚く御礼申し上げます。

 大宮さんの論考の中に東浩紀さんに関する記述が。「ユリイカ」2001年2月号に掲載された「過視的なものたち(1)」を挙げて「ポストモダニズムに把握については、巽孝之は遂に東浩紀に越えられつつあるのではにか」とか書いてあって東さん、SFな世界でも確実に知られつつある存在になっているんだなあ、とか思ったけれど、発売されたばかりの「噂の眞相」10月号に入っている筒井康隆さんのコラム「狂犬婁の逆襲」を読んでこっちはこっちでニヤリ。何でも筒井さん、岩波書店から刊行予定の文学講座で1巻と3巻の編集を担当しているそーだけど、「その第一巻に書くべき諸氏の原稿あほとんど集まっていない」とぼやいている。

 「全部に目を通さなければまとめが書けないのであって、そこへもってきて執筆者のひとり、東浩紀氏が突然書けないと言ってきた。彼のテーマは『ポストモダン以後の文学』だったのだが、いざ書こうとして『ポストモダン以後に文学はない』ということにハッと気がついたというからひどいものだ」と言っていて、まあ怒っているとゆーよりは困った困ったと言いながらも舞台に原稿にドラマにと忙しい自分の境遇を半ば露悪的に自慢しているっぽいコラムではあるけれど、名指しされた東さんにはちょいイタタなコラムだったかもしれない。書けなくっても「書けない」ということをネタに書いてしまうのがライターだけど、そこはさすがに岩波講座で書き手もアカデミシャンっていった感じ。ただ「どうしてポストモダン以後に文学はないのか」ってのあh結構重要な問題なんで、書けない理由がしたためてあるだろう筒井さんあての詫び状ともども、どこかで文章になってくれる日を希望しよー。

 流石なりナンシー関さん。「噂の眞相」10月号に所収の連載「顔面至上主義」で大原麗子さんをヤリ玉に上げているんだけど、今さらにしてどーして大原麗子さんかとゆーとそれは、例の「インパク」のイメージガールとしてテレビCMなんかに出ていることについての文句。「夏のオカルトかと思った」とは辛辣さで鳴るナンシーさんにしてもなかなかに辛辣だけど、読んでいくと実にあれこれなるほどと思わされるところがあって、悪口を言わせては右にでる者左に控える者の一切存在しない圧倒ぶりをつくづく感じさせられる。

 注意しておく必要があるのはナンシー関さん、何も大原麗子さんその人について文句がある訳じゃなく、別に「インパク」について痛いことが有るわけでもないってこと。「インパク」のテレビCMが内容なんかまるっきり説明しないイメージCMで、かつそのイメージガールに大原さんを起用したってゆーダブル、トリプルの相乗効果が問題な訳であって、そのことは「このCMでの大原麗子は旧態依然とした『イメージガール』である。『イメージガール』というものの解釈の仕方のズレと、大原麗子という蛮勇。二重のとんちんかんと言える」とゆー言葉からも伺える。「必然も需要もない『インパク イメージガール大原麗子』というのは『インパク』そのものに似ているかも」とはまさしく至言。インターネットで博覧会を開くとゆー、そのこと自体には当方も含めて誰も異論はない。ただ1点、世間がまるっきり知らない間に始まり繰り広げられ終わっていこうとするのか、とゆー「インパク」が抱える根源にして根本的な問題に、CM1本の特徴から斬り込み見事に切り伏せたナンシーさんの才能に、心から拍手を贈ろう。関係者は襟を正して読むべし。

 文庫の10月発売新刊情報などをつらつら。小川一水さん強化月間らしく朝日ソノラマからは「こちら郵政省新特配課」(総務省でも郵政事業庁でもないなあ)が下旬に発売で集英社からは「ここほれONE−ONE!」(集英社スーパーダッシュ)が25日頃に発売とか。前者は第一作目の続きってことになるんだろーけど後者はまるで内容不明、宝探しの話だろーか。ソノラマ文庫では野尻抱介さん「銀河博物誌」シリーズで待望の第2弾となる「シエナの花園」がやっぱり下旬に刊行予定。ガキはともかく姉ちゃんがいっぱり出ていれば個人的にはオッケーだけど、それとは別に”振り子”に相当する大仕掛けがどんなものになるのか楽しみたのしみ。タイトルにヒミツがあるとしたら”花園”ってことになるんだけど、どんな仕掛けなんだろう?

 電撃文庫からはこれまた待望の秋山瑞人ひさびさの新刊「イリヤの空、UFOの夏 その1」が晴れて刊行の予定、だけど「日本SF大会」の「秋山瑞人×古橋秀之の部屋」での会話によるとどんどんと長くなっていそーで、完結までに相当やきもきさせられそー。刊行をこいねがう「E.G.コンバット」のファイナルはその後ってことになるのかな、うーん辛いけどそれだけ長く秋山節が楽しめるってことで良しとしよー。エンターブレインのファミ通文庫からは「ティアリングサーガ(仮)」って本がはせがやみやびさん著で刊行とか。やるねえ。光文社文庫で大原まり子さん佐藤亜紀さん久美沙織さんの名前を発見。佐藤さんは「モンティニーの狼男爵」の文庫落ちだけど久美さん「恋じゃない」大原さん「超・恋・愛」はどんなだろ。期待。SFかな?


【9月9日】 まあ義務なんで「passage20歳 安達祐実」(集英社、2400円)を買う。ハタチを記念したらしー写真集だけど前の写真集に比べてどれだけの”華麗なるせーちょー”が見られるかと言うと実のところ目に見えての違いとゆーのがあんまりなく、「具」の頃からのウオッチャーとしては嬉しくもある反面、成長する姿を見たいとゆー半ば親心にも似た心理にはそぐわずちょっぴりガッカリもさせられる。10月だったかにはDVDとビデオも発売されるそーだけど、声とかしぐさが入ればちょっとは成長の跡が見えるのかなあ、けどテレビなんかで聞く声に「具っ」の頃とのあんまり違いはないからなあ。

 もっともモノクロのページで真正面から撮られた顔の落ち着き払った表情とか、斜めから見た時にちょっぴり細く見える顔立ちとかには若干の加齢のあとも感じられて、あるいはもうちょっと経てば画像加工ソフトで無理矢理横幅だけ縮めなくっても思春期体型を抜けてスリムな大人の体型になったその上に、大人の表情が乗った名実ともに”成人”となった安達祐実が見られそーな予感もチラホラ。まんま一気に”成人指定”の写真集へと行ってくれても構わないけど、現時点で20歳なりの黒々ぶりを誇っているかどーかも含めて、そこまでの変化がちょっぴり想像できないのが辛いところ、見た訳じゃないけど。それでも1つ山を越えたらさすがに成長も加速するだろーから、せめてあと3年とか、5年とかのスパンを取って更なる成長の軌跡をウオッチして行くことにしよー。やっぱり全然変わってなかったらそれはそれで凄いけど。

 2日の「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ集会」でどうして姿が見えなかったんだろう、是非とも意見を聞きたかったのにと後になって気付いた辺見庸さんが、発売中の岩波書店刊行「世界」10月号に登場して編集長のインタビューを受けていて、このどうしようもなく見通しの暗い世の中で言語の持つ大切さを説いていて、言語を扱う業界の端にいるものとしていろいろと身に染みる。「状況の危機は、言語の堕落から始まる」とゆー自説に即して辺見さんは、例えばガイドライン関連法で「周辺事態」なんてゆー謎めいた官製の言葉を批判はしても置き換えることなくそのまま使ったり、小泉総理の「感動した」「私はこうだ」とゆー単純過ぎる言葉を批判なく垂れ流しては「何をやっても彼は被害者で、構造改革でも抵抗勢力に枯れは苛められているという構造をつくる」メディアに対して警鐘を慣らす。

 どうしてメディアの言語が辺見さんのいう「根腐れ」を起こしているかについて、某大新聞が取り入れている職能制度なるものを挙げて、その基準を別に記者としての機能なんかじゃない、経営の現状を把握していることとか、デスクの意図を理解していることとか、デスクの言いなりになって企画記事を書くこととかいった閉ざされた構造の上ばかりを見た内容においていて、「理念がこんな馬鹿げた制度になぎ倒されてしまっている。これでは心が燃えませんよ」(92ページ)と指摘している。この某大新聞がどこかは預かり知らないけれど、言論の維持じゃなく”企業体護持”めいた職能制度は多かれ少なかれどこにだってあることで、加えて某大新聞にはない人的・金銭的なハンディに日々ツブされ気味な弱小メディアなんかは、加速度的に「情熱喪失、自己規制、機能停止、機能不全状態になって」(92ページ)いっている。困ったもんです、他人事じゃないけど。

 言語の足りなさは個人的にも感じていて、教科書問題にしても靖国問題にしても、俗耳に響く情念の言葉を乗り越えナショナリズムの心地よさを揺さぶるような、深くて広い説得力を持った反対の言語があんまりなかったことが気になっているし、今は今で「個人情報保護法案」あるは「青少年社会環境対策基本法案」といったメディア規制に、お目こぼしの請願じゃなく、言論の自由の保障という基本原則を立って真正面からぶつかっている節があまりない。右傾化反対、言論統制反対が「いわずもがな」なのは分からないでもあいけれど、空気をバックに押してくる相手に「いわずもがな」で勝てる筈がない。

 必要なのは「執拗さ」であって、言って言って言いまくること。辺見さん自信は憲法改正の是非について反対の立場を改めて表明しつつ逐一理由を考えていくことにしているそーで、「いわずもがなでしょう」と説明を放棄するよーなことをせず、気分とか、俗耳に響く言葉を越えて人々の耳だけじゃなく、心にも届く言語を作っていく考えだとか。言える場所があって言うだけの余裕があるのは素晴らしいことだけど、その言語がだったらどこまで届くのか、という部分でさらなる一手を打って欲しいところ。影響力のある大メディアにこそその手助けをする能力も義務もあるんだけど、”企業体護持”の仕事に追われてそれどころじゃない、ってのが実状だからなー。

 ともあれ言語の流布こそが今なせる最小限の抵抗、もとより大メディアではないけれど、辺見さんの言語の届く範囲の拡大に協力できればとここに紹介した次第。教科書問題ではやっぱり上っ面だけの「いわずもがな」に近いルポが載っていたりするけれど、「世界」10月号はこれから起こりそうな事態を知り立ち向かうための必携の1冊、言語に携わるなら読んでおこう。


【9月8日】 遂に来た。この日が来た。「インディーズムービー・フェスティバル」の場でプレミア上映とゆー栄誉を得、集まっていた観客の度肝を宇宙の彼方に吹き飛ばしながらも表舞台に浮上するには至らず、秋の「東京ファンタスティック映画祭」での上映後も冬の「ゆうばりファンタスティック映画祭」の上映後も、ひろく一般の人たちに見てもらう機会のなかなか訪れなかった国内を後目に、海外の映画祭を回ってはスタンディングオベーションのドミノ倒し現象を巻き起こしていた話題の映画「VERSUS ─ヴァーサス─」が、ようやくにして「シネ・アミューズ」で上映とゆー運びになって、晴れて8日、初日を迎えた。長かったなあ。

 すでに2回も見ているけれど、初日ってことでセル画がもらえる、訳ではないけど関係者による舞台挨拶が見られるってことでとるものもとりあえず渋谷の「シネ・アミューズ」へ。既にスタートしていた第1回目の上映を外で待っていると舞台挨拶目当ての人も含めて三々五々と観客たちが集まりはじめロビーは次第にぎゅうぎゅう詰めに。開場してとりあえず前から5番目くらいに座って見回していると席の方もどんどんと埋まり、最終的には立ち見に座布団見も出る盛況ぶりでちょっと驚く。挨拶とゆーイベントもあったとは言え現時点では決してメジャーとは言い切れない役者を見に来るだけでも相当なもの。どれだけ凄い映画が出来たんだ、そこに出演している俳優たちはいったいどれだけ凄いんだってことを確かめたい人の相当な数いたことに、この1年余の世界をかけめぐっての遠回りでの話題作りも、全然無駄じゃなかったってことが伺える。

 3回目だと退屈するかと心配したけど杞憂に終わったのは、映画が持つ圧倒的なパワー故か。けれん味たっぷりの会話のシーンやアクションの合間の役者たちのポージング、カンフーにチャンバラにウエスタンの迫力とスピード感と緊張感を3倍速でぎゅうぎゅうに詰め込んだよーなアクションシーンは何回見ても楽しいし格好良いし、新しい発見があるし等しく得られる感動がある。人によっては棒読みと批評する役者たちのセリフも、見ているうちに迫力のアクション映像に重なって、クールなトーンを醸し出すのに役だっている、ように思えて来るし、ギャグのシーンも実にグッドなタイミングではさまれて、アクションにゲップがでかかった気持ちを緩めて次への集中力を高めるのに役だっている、らしいことが分かる。やっぱり凄い、ほんとに凄い映画だね。

 13時半からの上映の後で結婚指輪は給料の三ヶ月分、じゃないけれど同じよーに映画館で予告編の前に流れるダイヤモンドのCMに、マリアとかアナとかゆー外国人たちに混じって唯一の日本人として登場しては、誰なんだあの人はと密かな話題になっている、らしー榊英雄さんに、殺しちゃだめよと説教をし、殴られれば気絶する天下無敵のヒロインぶりを発揮している三坂知絵子さん、ナイフも銃器も引っかきすらも巧みに華麗に操りクールにホットな殺しぶりを見せてくれている松田賢二さん、ほかお腹に穴の開く吉原歩さん、顔に穴が開く増本庄一郎さん、回転も美しい古宮基成さん、ぱっと見主役かと思わせる上赤俊朗さんといった「チーム・ヴァーサス」の役者陣がズラリそろっての舞台挨拶。メジャーへの道をひた走る榊さんは訥々とした喋りの中に強さ優しさが垣間見え、北村龍平監督の既に完成している次作「ALIVE」で一体どんな演技を見せてくれているのかを、早く見て見たい気にさせられる。「象って大きいんですねえ」とか喋ってたりして(それは違う)。

 キレまくった演技をスクリーンでは見せてくれた松田さんは、喋ってもやっぱり不思議な人で、特徴のある声も含めてこれからいったいどんな演技を見せてくれるのか楽しみが増す。ちなみに松田さん、パンフレットに登場人物の相関関係をイラストで描いていたりと意外な方面への才能を披露。自分の演じた役を沖雅也チックに美しく描き過ぎって気もちょいするけど、それは特権ってもんでしょう。パンフレットにはさとう珠緒さんやらりょうさんやら「ALIVE」原作で「VERSUS」も漫画にした高橋ツトムさんとかハリウッド俳優とかが絶賛また絶賛のコメントを寄せていて、世界規模でのファンがすでに北村監督とこの作品に出来ているってことが分かる。1人得体の知れない謎のライターの陳腐なコメントも混じっているけれど、気にしないで下さい。22日には北村監督と主演の坂口拓さんほかの舞台挨拶もあるよーで、ハリウッド進出作品「ザ・パイレーツ・オブ・タルタオ」の状況なん聞いてみたいんで、チャンスがあったら潜り込もう。

 今となっては下からハミ出た胸元も目に眩しい花子さんの変形セーラー服に心沸き立たせていたの日々も遠い思い出になってしまったアニメーション版「HAUTEDじゃんくしょん」。どこか鼻にかかったよーな声で一所懸命主題歌を唄っていた娘もチキドンしてたりする今日この頃、原作コミックの方も晴れて完結を迎えてさらなる記憶の彼方へと去っていってしまうのかと干渉に浸っていた所に、花子さんに迫るビジュアルインパクトを持った美少女キャラが突然現れて目にもの見せてくれて、終わった夏がふたたびぶり返して来たよーな熱い感動にうち震える。

 電撃文庫から刊行された「アンダー・ヘブンズふぁみりい」(メディアワークス、530円)は、有里紅良さん&夢来鳥ねむさんとゆー「HAUNTEDじゃんくしょん」でペアを組み、また私生活でもパートナーシップを組んでいる2人が、持ち前のオカルティックな知識とそして圧倒的なキャラクター造形力でもって送り出して来た新シリーズで、学校霊の攻防を描いた「HAUNTEDじゃんくしょん」とはまた違う、人間の心に潜む悪しき欲望の暴走を糺す魔界の家族の大活躍を描いてる。一部「HAUNTEDじゃんくしょん」ともキャラが重なっている辺り、ある種の統一された世界観を持った一連のシリーズのひとつなのかも。

 とりあえずはその「HAUNTEDじゃんくしょん」にちょい成長した姿を見せていたメフィスト一家の嫡子フェスとその弟のセドを小学生(見かけ)&赤ん坊に戻し、その姉のエネアに父親のメフィスト父、母親で魔界の大魔王アスモデウスの妹という名門の出のメフィスト母、ほか執事のセバスチャンと力持ちのメイドのマナのファミリーたちが、魔界から人間によって呼び出された魔力を持つ罪宝を取り戻すために大活躍するストーリー。地表へと出るまでと出てからを描いた短編に加え、夢来鳥さん描く41ページものコミック版も収録されていて、すでに懐かしさも漂い始めた「HAUNTEDじゃんくしょん」ファンの気持ちもガッチリ掴めるお得な1冊になっている。

 でだ。何が花子さん級のインパクトだったかと言えばそれはフェスくんの半ズボン姿……はショタな朝比奈睦月クンに任せて注目すべきはやっぱりメフィスト母の……うーんメフィスト母のセドを背負ってのシースルー&ボンデージ姿もなるほど捨てがたいけどそれはそちらの趣味の人に譲って、大人の僕らとしてはやっぱり、実年齢はともかくとして人間社会ではとりあえず中学生とゆー設定のエネア姉の、ウエスト部分がぽっかりと抜けて上は襟と袖だけ、下は短いスカートだけとゆー花子さんの服装を上下になおも縮めたよーな制服に熱い注目を送りたい。

 匂い立つよーな色香は花子さんにちょい劣るけど、見かけの年齢に似合わず上着部分を下から押し上げている中身のサイズと弾力は花子さんを超えていそーで将来がとっても楽しみ。人間界の夏と冬、東京の有明で開かれる喧噪と猥雑さに満ちた饗宴にハマっているのは困ったものだけど、そーした前向きなキャラにシンパシーを感じた現実世界の美少女が、エネアと同じ格好で有明に立ってくれる可能性もあるから構わないってことで。まずは訪れる冬コミに期待。できればスタイルは相似形で、見かけの年齢も近い人を希望します。


  【9月7日】 ふらりふらりと秋葉原界隈を目的たっぷりにうろついてたどり着いたのが神田末広町の駅のそばにそびえる「ゲーマーズ本店」こと「でじこビル」。1階のフロアに入って脇目もふらずにたどり着いた平台の上に、山と詰まれた3万本限定とか言っているけど果たして3万本の売れるかどーかハードがハードだけに不透明だったりする「ドリームキャスト版 デ・ジ・キャラットファンタジー初回限定版」を手に取ってふと目をあげビラを見ると、9月3日に果たした待望のJASDAQへの株式公開を記念して作ったらしー非売品のテレホンカードを、ブロッコリーに関連したキャラクターの商品を1万円分買えばくれるとゆー悪魔のササヤキが目に入って、心をグラリグラリと揺さぶって来た。

 オタクなイベントのフルコンプリートで散財した果ての我が財政は、無理に無駄なお金を使える余裕なんてこれっぽっちもなく、7800円のゲームを買うことすら清水の舞台から飛び板飛び込みするくらいに無謀きわまりないことだったりするくらい。とは言え店頭公開なんて金輪際あるはずもなく(潰れない限りは再上場なんてあり得ない)、絵柄もそれなりだったりするテレカを今手にいれずしてどーするとゆー魂の叫びが脳天をガンガンと駆け回っては財布の万札へと手を伸ばさせる。仕方がない、これも運命だと思って半ばあきらめ1万円を極力超えないくらいに近づけよーと「ガッチリ買いまショー」ブロッコリー編に挑む覚悟を決めたものの、根っからの貧乏性なのか遊びもしないトレカの類とか欲しくもないグッズとかで帳尻を合わせる勇気がない。

 1万円まで残り金額2200円。ちょっとだけ勇気を出して出たばかりの「デ・ジ・キャラット」の春休みスペシャルのDVDでまとめるとゆーのが綺麗だったりするんだけど、幸いとゆーか間抜けにとゆーか発売された5日にすでに速攻で購入済みだったりして合わせられない。困った、ああ困ったと店内を手に「デ・ジ・キャラットファンタジー」のダミー箱を持ってグルグルしている所にひょいと飛び込んで来たのがあのタイトル、評判なのかどーなのか分からないけどギャルアニメとしての志の高さではそれなりに受けを取っているらしー「ギャラクシーエンジェル」で、3800円とゆー値段はちょっとだけオーバーするけど「でじこ」よりは安く押さえられるんで、急場しのぎには相応しい。今にして思えば2巻以降を買うことを考えるとかえって高くつくとゆー意見も耳に聴こえるけれど、テレカゲットに血迷っている時にはそーゆー当たり前の発想なんて浮かばないもの。この際しゃーねーと1巻を手に取ったその瞬間、さらなる激しくも悩ましい誘惑が脳天をつらぬいて、煩悩が一気にふくらんでしまった。

 ボックス付き、全キャラフィギュア付きのスペシャルセットってのがあったんだよ、この「ギャラクシーエンジェル」には。そこでフィギュアもカードもボックスも不要、作品が見られる事が重要なんだとストイックに行けるんだったら30分の作品に5800円も支払うなんて間抜けなことはせず、あっさりと通常版をレジに運んでいったに違いない。だがそんなにあっさりとできる人間だったらそもそもが非売品テレカなんて欲しいと思うはずがない。かくして手に最初に入った通常版はラックへと戻り、あれこれおまけの付いた「デ・ジ・キャラットファンタジー」と、それよりもなお大きな「エンジェル隊フィギュア付きギャラクシーエンジェル」第1巻を重ねてレジへと運び、税込みで1万5000円に及ぶよーな大枚をはたいて公開記念テレカをもらって会社へと上がって届いている郵便を整理してブロッコリーから届いていた封筒を開け……中に入っていた公開記念テレカに、にじみ出た涙が心を濡らして流れ落ちる。これぞオタクの迷い道。

 「ラオックス コンピューター館」脇の道路を入った先にある「とらの穴」で山積みになっていた「あずまんが大王」(あずまきよひこ、メディアワークス、680円)を買う、ポスター付きでラッキー、だけどブロッコリーで4本もポスターをもらってビームサベルのツイン状態になったリュックを背負いながらも受領はなんだかちょっぴり恥ずかしい気が、顔なんて良いおっさんだし。もっとも「あずまんが大王」のポスターは手からはみ出る程度に小さかったんで(微妙な表現)、ビームサーベル5刀流にはならなかったのがかろうじての僥倖か。って既にして良いおっさんが仕事に向かうよーな格好ではあんまりなかったりしたんだけどね、手に持っている袋にはしっかり「GAMERS」のロゴが入ってるし。

 しかしやっぱり面白いなあ「あずまんが大王」。再読性の高さは相変わらずで読んでも読み返しても読み込んでも、ほのぼのとしつつはんなりとしつつ、それでもそこはかとなくおかしいシチュエーションが繰り返され積み重ねられていく様が楽しくって仕方がない。1回読み流して終わりのストーリー漫画とは当然違うけど、起承転結がびっちりしていてギャグなりで1度、笑いをとってネタバレしたら終わりみたいな通常の4コマ漫画とも違う、ストーリー4コマ、大河4コマってな微妙にアンバランスな形式が、こーゆー再読性の高さにつながっていたりするのかも。練り上げられたギャグがやっぱり面白すぎるってことも当然あったりするんだけど。今回は表紙と口絵の手の込みようがなかなか。へリンボーンな感じのニット姿の表紙の榊さんといー、とっくりせーたのちよちゃんといいテキスタイルに気が使われていて妙なリアル感がある。座ったよみのぶっとい足とかも結構そそるし。本買ってもらった同じ絵柄が描かれたポスター、使用(何にだ?)は最小限に押さえて額に入れて飾って家宝にしよー。


【9月6日】 ちょっとウンザリ。したのは別に今さらキャラクターが持つ効用なりを否定する側に転向を果たした訳じゃなくって、いくら何でも「キャラクターライセンスフェア」だとは言っても、あまりに似たものどうしなキャラクターがそこいらじゅうの会社から「可愛いだろう」「欲しいだろう」ってな面構えをして並んでいたからで、流行ってのがいかに急速に消費されていくのかを目の当たりにした気分がして、人間の貪欲さにちょっとゲンナリしたってのがニュアンスとしては近いかも。何のことかと言えば昨日から「東京ビッグサイト」で開幕した「ギフトショー2001秋」ってのに朝方、ちょい寄って感じたあれこれね。

 「ギフトショー」と言っても別にお誕生日に人にあげたくなるよーな贈り物が並んでいる訳じゃなく、雑貨屋で売るファンシーグッズっぽいものとか縫いぐるみっぽいものとかいった、「おもちゃショー」ほど玩具玩具していないけれど広義の意味あいでいけば玩具っぽい品物を展示するイベントだったはずなんだけど、そーいった分野にいつの頃からか入り込んできたキャラクターって要素が、今や主流になってしまった関係ってことと、グッズ自体に遊び心が求められていることとかが重なって、「おもちゃショー」に近いキャラクター玩具が出ているため、1年だけだったけど某誌でネコミミ被って「裏キャラクター評論家」なんてアヤシイ名前で出てしまった以上は、見ておくのが筋と立ち寄ったもの。もちろん本業での新プロパティ探しってのが理由の大きな部分だけど。

 端的に言うならやっぱり「サンエックス」が凄い。「たれぱんだ」に始まって「ぶるぶるどっぐ」に「にゃんにゃんにゃんこ」とあれこれ色々なキャラを送り出して来た会社だけど、単純な可愛さとかだけじゃなく、可愛さの対極を行く不気味さ不思議さを感じさせるキャラクターを作りだし、そこにどこか人を食ったよーな設定なり世界観を付与して、文学的な物語なりを浮かび上がらせて見る人を巻き込んで行く戦略の巧みさには、やっぱり感心してしまう。真似してたとえばバンダイなんか、丸いフェイスに点目なキャラの「おまんじゅう本舗」ってのを作って和菓子風に並べていたし、ほかにもやのまんのグッズに「たまごやろう」ってキャラがあって、「こげぱん」とも「すしあざらし」とも通じる食べ物系キャラのバリエーションとして売りたいっぽい雰囲気を見せていた。

 けど”本家”「こげぱん」はさらに先を行っていて、最近だと新聞の広告で「養命酒」を飲む「こげぱん」の姿が見かけられるよーになって、ちょっとどころじゃなく驚いた記憶が新しい。300年だか500年だかの歴史と伝統を持つ滋養強壮の特効薬「養命酒」に、いつもやさぐれてだれだれな「こげぱん」を使うミスマッチぶりにもテレビCMを大昔やってた木の葉のこさんに次ぐくらいの衝撃を受けたけど、それ以上に「養命酒」の広告でも妙におさまってしまう「こげぱん」のフトコロの深さ間口の広さにも感心したのが実状。種類を増やせば良いってもんじゃなく、コンセプトの練り込みによって多くの分野にキャラを広げていく戦略が、ものの見事にハマってる感じがする。

 まあ100作って2つ3つ当たれば御の字だったりする業界。「みかんぼうや」に「あまぐちゃん」といった「こげぱん」とそれほどコンセプト的にもデザイン的にも離れていないキャラクターを出していたりして、サンエックスとは言え決して圧倒的って訳じゃないことを伺い知る。とはいえ「こげぱん」と雰囲気はそっくりながらも「あつがりさん」とゆーキャラクターは何ともベタな名前に反して意外な迫力がありそー。端的に言えば赤い「こげぱん」が頭に炎みたいなトゲを立て体中から汗を吹き出している見るからに暑そーなキャラなんだけど、数十個も同じキャラが並んだスペースに足を踏み入れると、マジで体がほてって来て周囲に汗くさい匂いが漂い始める感じがして、秘めたポテンシャルの結構な高さに関心を抱く。

 「いたがりさん」「ほしがりさん」「さみしがりさん」といった具合にシチュエーションとか性格別にいろいろな種類もあるみたいだけど、デザインのインパクトでは主役「あつがりさん」はなかなか。これからの活躍にちょと注目したい。ほんと見てると暑くなるんだよなー。サンエックスだと「小屋犬」「モモパンダ」「しあわせにゃんこ」とほかにも可愛い系キャラが目白押しで、「たれぱんだ」だけ立ったひと昔前に比べての出世ぶりにも合わせて驚嘆。加えて全体の水準の高さ志の高さもなかなかだったりして、似たものの多さにうんざりげんなりさせられながらも、売れる新キャラを考え続け作り続けることの大切さをちょっとだけ学ぶ。「あつがりさん」の場合、夏場の有明に持ち込むと香りも加わって見る人の「あつがり度」をパワーアップさせる可能性があるんで、来年まで何としてでも生き残っては大勢の人に持ち込んでいってもらいたいところ。応援してます「あつがりさん」。

 「整理券配布」だなんて言うからよほどすさまじい入場者数でもあるんだろーかとビビってしまった今夜の「ロフトプラスワン」での勝谷誠彦さんナイト、平日ってこともあっていつもの開店時間より遅れて行っても30番以内とゆー整理番号で「オタクアミーゴス」なんかに詰めかける熱い人たちに比べて人出も若干冷静かな、とか思っていたけどそこはさすがに人気者だけあって時間が過ぎるに連れて着々と人は入り、最後には入り口付近までギッシリと立ち見も出る盛況になって、改めて勝谷さんファンの多さに感嘆する。同席した花田紀凱編集長に不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹カメラマンへの関心も多分にあったんだろーけど、「バカとの戦い」って新潮社から出ている勝谷さんの本を皆さん、もっていたりする姿にファンの多さのそれも女性への人気度を思い知る。見ておくものだなあ、ライブってのは生で。

 イベント自体は期待にたがわず勝谷さんが「バカとの戦い」を枕にあれこれ官僚の、マスコミの、消費者のバカさ加減に憤って聞いている耳の垢をこそぎ落とし溜飲をグググイッと下げてくれた。よく言われている「ホモかっちゃん」とゆー西原理恵子さんあたりを発信源とするウワサには、かつて「少女漫画研究会」とゆーのを立ち上げて少女漫画のとりわけ竹宮恵子さん萩尾望都さんらに傾倒していた時代を、同じ漫画家とゆーことで西原さんと初対面だった時に話したら、途端に”そーゆーこと”にされてしまい、以後はずっとそのイメージを演じ続けてるんだと釈明していた。感激したのが安売りディスカウントとか「ブックオフ」とかいったものをあんまり使うな、それって10円とか100円とかって金で未来を安く売り渡していることに他ならないんじゃないか、ってゆー「文化防衛論」的な発言。本を読むにも日本酒を味わうにも、書いた人に還元されるよー買い方、蔵本の意地を支えるよーな飲み方をするのが「志」ってもんだと言った時には、正直拍手したくなった。

 雑誌の売れなさを嘆く言葉にも頭が下がる思い。買って読んでくれ、そーでないと世の中はどんどん悪くなるんだ的アジテーションに、心揺り動かされる思いがした。何とゆー生真面目さでもって世の中を生きているんだろーと心躍らされた。田中康夫長野県知事が出馬を考えている時に、その是非を相談されたことについて何で自分に聞くんだと尋ねたら、花田編集長が止めた時に一緒にやめたたった1人の人なんだからとゆー答えが返って来て、田中さんが「義」の人だと確信したってエピソード、泣いたね。田中さんの筋の通しぶりに自分の筋の通しぶりが重なってたりする所もないわけじゃないけど、でも良い話であることには違いない。ところがどっこい、花田編集長と不肖・宮嶋カメラマンが登壇した後半になって立派に真面目な人、って思えた勝谷さんの話が実は「嘘八百」なんじゃないかってゆー、かつての上司の花田編集長のコメントが挟み始めて、トークライブは一気に終幕へと向けてヒートアップしていく。

 何しろ「辞めたのは誰もかばってくれなくなるから」ってゆー辞職理由が花田さんから披露されてしまうんだからもう実も蓋もない。サラリーマンなのにマニラで会社持ってた話に玩具を勝ってマニラにクリスマスに行こうとしていた話等々、最初に勝谷さんが書いた「失業論文」なんかでも明かされている話が改めて持ち出されて、最近の日記でその一本気さにファンになった人のイメージをガラガラと崩してかかる。さすがは常識に挑み続ける編集者、花田さん。勝谷さんが「文春」に紹介したらしー女性ライターが今は某婦人誌デスクだったりする話とかには、さしもの勝谷さんも蕭然としていたのが印象的。それでも文章の巧さを誉める花田さんに、あのどこにだって行って飛び込みスクープ写真をかっさらって来る不肖・宮嶋をして「ケツを叩いてくれる人」と言わしめる勝谷さんは、やっぱりなるべくしてここまでの場所に上がって来たんだろー。始めてのライブに整理券を出すくらい人が集まるんだとゆー自分への揺るぎ無いその自信に、間抜けな中で間抜けになりそーな恐怖に怯えつつも出られない軟弱な自分を鼓舞するきっかけを見た気分。頑張ろう、そのうちに。


【9月5日】 にせ「ジオブリーダーズ」を読む、って別ににせ者なんかじゃなくって原作を伊藤明弘さんが担当して作画を今掛勇さんが担当した外伝(でも枝編じゃなく本編のインターミッションって感じの位置づけ)で、「ジオブリーダーズAA(アトミックアタック)」(少年画報社、495円)ってタイトルが付いているよーに中部電力の浜岡原子力発電所とはいっさい関係のない東海電力の真浜原子力発電所を舞台に、原発を占拠している化け猫と自衛隊と厚生省と入江と他にちょっとだけ神楽総合警備が絡んでてんやわんやを繰り広げるストーリーになっている。時系列的に言うならOVAで出た「ジオブリーダーズ File−Xちびねこ奪還」の直前までってことになるけれど、本編しか読んでない人は6巻の冒頭でダイジェストにすらなっていない形で紹介されたストーリーに、「AA」のラストから無理矢理繋げさせられる訳で、何がいったいどーなっているのかちょっと理解しづらいかも。

 ヴァシュカがロシアから持って返って来たものを巡る神楽にハウンドに「毎朝新聞」に八百屋に宅配便に郵便屋なんかも絡めたバトルなんてOVAを読んでなければさっぱり分からない訳で、6巻でも高速道路の上とかで繰り広げられた諍いの構図もやっぱりビデオでの描写が前提。まさしくビデオを見ることが”義務”だと言わんばかりの強引さに眉を顰めるのかと言えばさにあらず、発売当初に3枚シリーズで出たLDで買って「File−XX乱戦突破」のボックスに納めるためにDVDで「ちび猫奪還」を買い直した身としては、まさしく正しいメディアミックス戦略であると心よりの拍手喝采を贈るのである。パチパチパチ。

 それにしても今掛さん、表紙こそ伊藤さん的な丸っこくって漫画的な雰囲気を漂わせているし、本編も最初の方はギャグシーンの描き方はさみ方なんかに伊藤さん的なタッチにテンポがうかがえたりするんだけど、中盤から後半にかけてどんどんと白くなり止まっているのに動いているよーに見える伊藤さんとは対極の、動いているのに止まった瞬間を切り取ったよーに見せる今掛さん的タッチに染まって雰囲気がどんどんと変わっていく。最後の方なんてホント、大友克洋さん的なディティールの緻密さを持ちながらも動きの匂いが漂わない、伊藤さんの対極を行くよーな絵になっているからなあ。そーゆーミスマッチ感覚がまた面白いんだけど。

 線のリアルさに平行して設定のリアルさも浮かび上がって来る感じもあってちょっと不思議。民間人の癖に銃をぶっ放してとりあえずおとがめ無しに生きている梅崎真紀が存在できる荒唐無稽な世界だった筈が、現実に即した形になっている行政の指揮系統にしても人死にを伴う化け猫とのバトルや銃撃戦でにしても、リアルさが前面に出てきて伊藤さん的世界とのズレが見えて来ている。まあ荒唐無稽なコメディが突然、クーデーター話になる劇場版「パトレイバー2」もあったりするし、伊藤さんじゃない人が描いたって意味がその点で存分に発揮された”外伝”だったと言えそー。綾金的背景なりシチュエーションを盛り込む所まではさすがに至っていないけど、次も機会があればせめて綾金を象徴するものを折り込んで、懐かしさに身悶えさせて頂きたいもの。頑張って下さい。

 新型の「AIBO」が20日くらいから発売になるとかでニュースリリースが届く。初代が犬で2代目が仔ライオンで、いずれも空山基さん的なロボロボした顔立ちに体型をしていたけれど、新型はそーいった先鋭的なイメージから「AIBO」を脱却させて、より本質的で本格的なペットロボットにしようって意志でデザインされたんだろー、ソニー・グループが世界に誇る人気キャラクターでもある「ポストペット」の「モモちゃん」の線が取り入れられて可愛く仕上がっていて、ピンク色のボディをちょこちょこと動かしながら、あれこれ飼い主に気に入られよーと頑張って……なんかいないみたい。そもそもが新型「アイボ」はモモってよりは鉄板を張り付けたタヌキって感じで「モモ」とは似つきもしてないんだけど、それにしてもなあのデザイン、安くなったとは言え売ろう売らなきゃって意欲が若干こなれて来たよーな雰囲気を感じる。

 もちろんのこと「AIBO」と「モモ」とは全然関係ないんだけど、折角なんで夜中に勝手に「AIBO」が別の人に渡す郵便物を出しに郵便局まで行ったり、巻紙にしたためられたメールを届けに行ったりご近所に潜り込む技術を盛り込めば、面白おかしくペットロボットを楽しみたいってユーザーが前の2種類よりも食いついて来る可能性だってない訳じゃない。値段も9万8000円とかで初代の25万円に比べて半値以下とゆーまるでブロッコリーの株価みたいな状況だし。現実には新型「AIBO」は犬で熊でカメラは付いているけれど盗撮厳禁だったりするんで、パッと見可愛げに乏しい今回の「AIBO」がは足してがどーゆー層に売れどのくらい売れるのか気になる所。ここまで来たんなら次はホントにキャラクター物とかやって欲しいなあ、「アフロ犬」タイプとか(カツラいろいろ用意)、「たれぱんだ」タイプとか(機能充実、でも滅多に動かない)。


【9月4日】 おめでとうございまーす、といきなりの染之助染太郎は「第2回小松左京賞」に決定した町井登志夫さんに向けての言葉。読んだのは随分と昔のよーな記憶があって既に部屋のどこにあるのか検討も付かない「電脳のイヴ」(講談社、600円)を手に取ってどんなプロフィルの人だったか確認するのが不可能なのが残念だけど、当時から筆の達者さではそれなりな評価を受けていた人らしく、それが愛知県は名古屋市のそれも今池なんて場所を舞台にとてつもなく楽しい話を書いたってんで候補に挙がってた時からいったいどんな話なのか読みたくて仕方がなかった。今回の受賞でおそらくは遠からず刊行されるだろーことが確実になった訳で、もう10年以上も行っていない今池の風景を思い返しながら読める日を今から心待ちにしていよー。それにしても角川春樹事務所が「日刊工業新聞社 科学・文化部」の記者に送ったファクスが、同姓同名とは言え本社の所在地も向こうは九段下でこっちは大手町とまるっきり違う僕の所へどーして届いたのかが謎。混線でもしたのかな。もらえるもだからもらっちゃったけど、良かったのかな。

 伊藤真美さんづいてる感じ。単行本の「LAD:UNA 1」(ワニマガジン社、857円)を読んで「ヤングキングアワーズ」の10月号かで連載が始まった冲方丁さんが原作の<「ピルグリム・イェーガー」を見たばかりの目に今度は「集英社スーパーダッシュ文庫」から発売の定金伸治さん作「姫神 邪馬台国王朝秘史」(集英社495円)の表紙を担当した伊藤さんの絵が飛び込んで来て、スレンダーな美少女の姿にグググイッと釘付けになってしまった。可愛いなあ、綺麗だなあ。けど可愛い綺麗と思っていられたのも小説を読むまでで、どーやら台与とゆー名前の歴史的には卑弥呼の後を嗣いだ壱与だと習った女性がこの美少女で、見かけとは大違いにその中には婆さんとまではいかないけれどそれなりに歳もとってて息子だっていたらしー卑弥呼の魂だか霊魂だかが取り付いて、ときどき体を支配しているらしー。

 加えて台与ちゃん、卑弥呼に乗っ取られそーな自分の運命を打破すべく卑弥呼の息子の忍穂の所におしかけていって忍穂を夫にしよーとゆーから話がややこしくなる。台与が表に出ている時なら全然構わないんだけど、復活した卑弥呼が体を支配している時、忍穂との関係は実にビミョーな状況になってて結構背筋に冷や汗が走る。忍穂も忍穂で卑弥呼のくびきに囚われている自らの運命から脱却すべく台与の中にいる卑弥呼を倒そーとしていて、オイディプスに例を引くギリシャ神話的な親子の微妙なドラマに父親殺しならぬ母親殺しのテーマも入って、なかなかに複雑な様相を見せながら物語が進んでいく。

 邪馬台国には忍穂の下にニニギってのが武人としていて、ニニギノミコトすなわち建国の神話が時間とか無視として取り込まれていてちょっと驚く。さらには出雲にスサノオがいてそれをオオクニヌシが倒そーとするこちらは「古事記」の世界から引くエピソードも入り交じっていて、神話に詳しい人が読んだらひっくり返りそーで知らない人が読んでも知識に混乱を来しそー。それでもパーツをうまく組み合わせながら神様のよーな超自然的要素を極力排して(卑弥呼の復活は超自然も甚だしいけど)、「魏志倭人伝」と「古事記」と「日本書紀」の世界を西日本に勃興した勢力の覇権をめぐる争いに解体し還元していく手法はちょっと面白い。史実にはたぶんやっぱり遠いんだろーけれど、そんな気にさせられてしまうからね。主役っぽい割に忍穂よりオオクニヌシより台与が目立って来てないのが気にかかるけど、続刊もありそーだし邪馬台国の話で彼女抜きには語れるはずもないんできっと、次巻以降にはもっと出てきて活躍してくれるんだろー。期待しよー。

 巻が重なり他のシリーズとのクロスオーバーも始まって、もはや人名辞典にエピソード総攬でもないと追えなくなって来ている感のある「ブギーポップ」シリーズ。前後の脈絡がなくキャラクターが登場しては思わせぶりなセリフを吐いたりするんで、もしかして前にどこかに何らかの形で絡んでたキャラなんだろーかと考えてみるものの、スッパリとは出てこないもどかしさにいつも身もだえさせられる。新刊で登場の「ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト」(メディアワークス、550円)にも統和機構の殺し屋めいた女性とか謎のハッカー少年とか、どうも過去との因縁がありそーなキャラが出て来てはいるんだけど何かで読んだ人だったのかそれともこれが初登場なのか、薄れた記憶ではまったくもって思い出せず、読みながら「誰だっけ?」「出てたっけ?」ってな悩みにのたうち回る。さすがに寺月恭一郎は覚えているけど、何に登場してどう退場したのかやっぱり思い出せなかったりするから困ったものです。文庫買い直して目の前に並べておくか。

 少年と少女の成長物語、って安易に言えば言えそーな新刊は「ブギーポップ」の存在がますます狂言回しめいているよーな印象が。自分の存在意義とか漂う虚無感とかに悩む少年少女が主人公たちに仮託して得られた冒険の楽しかった部分正しかった部分だけを享受する一方で、辛く怖かった部分や正しく亡かった部分を「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を奏でる口笛とともに分離し葬りさってくれる存在としてのみ、描かれて来ているよーな感じになってる。もはや統和機構自体も少年と少女の成長を促すカンフル剤(極めて劇薬に近いんだけど)的な存在になり下がっているのかなり上がって来たのか、それはともかくとしてますます意義が希薄になり記号的になって来ている印象があって、最初の頃のよーな得体の知れない恐さが消えかかっている。

 物を語ることを、より世界を緻密にしていく方向に働かせる雰囲気が感じられないだけに、これからも「ブギーポップ」とか「統和機構」とかの記号化は進んで、その中で読者たる青少年の迷い悩む心理を鷲掴みにするよーなエピソードが重ねられ、さらなるファンを、虚無に光を見出したいファンを増やしていくことになるんだろー。ふとしたはずみで義賊めいた存在に祭り上げられていた男女2人組のうちの女性の方、すなわち「ホーリィ」の真っ直ぐで勘所が良すぎて実直なキャラにかなり好感。最後の最後まで格好良すぎる所を見せてくれて、こんな女の子がいたら生きていくのもきっと楽しいだろーなーと思えて来る。名キャラです。それにしても物語の結構重要な要素を占めている秘密兵器めいたい存在「ロック・ボトム」の正体がアレだったとは。あまりに誰もが恐れ崇めてるんでもっと、凄めにヤバい品物かと思ってしまった。もちろん使い方によっては世界を滅ぼせるのも事実なんで、現実に存在するかはともかくやっぱり最凶なブツだったってことになるんだろー。庭に植えよーもんなら我が家は本が崩れ僕は哀れ下敷きになってしまう。取扱注意。まあマンドラゴラをひっこぬくより見つけるのが大変そーな「世界の敵」なんで、一生を10回やっても取り扱えるとは到底思えないんだけど。


【9月3日】 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」がヒューゴー賞の長編部門を受賞とか、うん素晴らしい、実に素晴らしい。売れることを罪悪のよーに捉えSF的に薄いことを低劣さと同等に扱った挙げ句、マスなマーケットから果てしなく乖離して著しい趣味性の中にSFが埋没して行く懸念をアメリカのSFなファンたちはひとまず回避し得たってことになるのかな。少なくとも21世紀に入った現時点で最高のベストセラーになっているシリーズが、SFでも歴史と伝統の最も高い賞を受賞したってことを糸口に、その賞をだったら他にどんな作品が受賞しているんだってな方向へと思考が向いて、過去あまたある優れたSF作品に「ハリポタ」ファンの関心が寄せられれば、こんなに嬉しいことはない。世界で3000万部が売れたシリーズ、日本でだって200万部を超えてるうちの1%の読者がSFに目を向ければ、それだけで結構な市場が出来上がるんだから。

 去年出たとてつもなく分厚い原書の「炎のゴブレット」を読んでない身で、この作品が持つSF性云々について言うのは不可能なんで、訳者の松岡祐子さんが現在頑張って訳している第4巻の日本での刊行を今は待って、過去のヒューゴー賞受賞作品なんかと比べて受賞に値するかどーかを判断するとして、客観的に想像するにたとえ人気投票的な要素の入る賞であっても、歴史と伝統を噛みしめている人たちがそう易々とベストセラーだからと言って「ハリポタ」を選ぶんだろーかとゆー疑問がとりあえず浮かぶ。「カードキャプターさくら」がコミック部門を受賞する星雲賞でも長編部門で「猫の地球儀」はとらない訳で、SFが確固たるマーケットを獲得している国でSFについて熱心なファンたちが、いくつもある部門でもやっぱり目立ち方が違う長編部門で選んだ以上は、驚くよりあきれるよりまず賞に相応しい作品だったのではって可能性を考えてみるのが、筋のよーな気が個人的にはしている。無論「カードキャプターさくら」の星雲賞受賞も含めて。

 ヒューゴー賞に詳しい人からアメリカ人だって結構適当に人気で選んでるんだよ、って言われる可能性もあるけれど、それならそれでも構わない、過去にヒューゴー賞から授かって来たSFの英知が「炎のゴブレット」にもあるんだと思わないことには、これまでSFファンとして尊んで来たヒューゴー賞の権威を根底から否定しなくちゃならなくなってちょっと困る。賞に権威を求めるならば受賞作が何であれまずは一考すべきだし、受賞作の質を否定するならその作品に授賞させた賞そのものの権威を再考するのが適当。そんなに「ハリポタ」はダメなのか、だったら「ハリポタ」を選んだ賞はおしなべてダメってことにはならないのか、他の部門の授賞作は不問でなぜ「ハリポタ」だけをあげつらい否定するのか。揺れる基準の中で漂う「ハリポタ否定すべし」な空気があるんだとしたら、「ハリポタ」ファンとしてちょっと悲しい。ともかくも読んでもいない作品を云々するのは早計なんで、今はとにかく第4巻の翻訳を待ちたい。原書で読め? 10年はかかるよ、僕の英語力(10段階で2)じゃ。

 SF方面の翻訳と映画の評論を共に結構メインな仕事にしているライターな人は、須(すべから)くテレビのサッカー中継に対する意見をスポーツ・グラフィック誌で公表すべしってな政令でも出ているんだろーか。前に文藝春秋社の「ナンバー」でSFと映画で知られる大森望さんがあれは何の試合だったっけ、「セリエA」の最終節だったか何かの中継について意見をつらつら開陳していたのに対抗したのか編集の人が対抗させたのか、それともまったく無関係の同時多発的な現象なのか、今度は集英社が「週刊プレイボーイ」の増刊って形で刊行した「スポルティーバ」ってグラフ中心の”スポーツ観戦強化マガジン”で、やっぱり映画評論でSF方面の翻訳が多い柳下毅一郎さんが、こちらは2002年ワールドカップの中継の予想って形でテレビのスポーツ中継に苦言を呈してる。

 「スカイパーフェクTV」が美味しいところを持っていってしまう関係で民放地上派でろくすっぽ中継が見られない可能性があることを指摘するのは自然な流れとして、放映されるだろー日本戦の中継が例えば「ゴルゴルゴルの人とか不敗神話の人」によって「ゴルゴルゴルゴルゴルゴルゴル」を聞かされたり「不敗神話」の崩壊を目の当たりにさせられたり(ガチンコの連続の本戦で神話ごときが通じるものか)する可能性なんかを想像させてくれて、改めてタイトルにあるよーな「フーリガンより怖いもの」に対する恐怖が浮かび上がって来る。怖いコワイ。

 柳下さんが例えに上げている、無理矢理に(サッカーとゆー)「空白を満た」そーとするものが、三浦りさ子さんはともかく佐伯日菜子だったら個人的には全然構わなくって、いっそのこと黒井ミサな格好をさせて敵チームに対して「エコエコアザラクエコエコザメラクエコエコケルノロス」とかブツブツ唱えさせてくれたら嬉しいんだけど、放映からすでに年月も経って誰も付いてこれないだろーからやっぱり佐伯さんにも引っ込んでいて頂くのが正しいのかも。それにしても奇妙な例示。しかり三浦りさ子がゲストってことはカズはワールドカップに出るってことなのかな。生田智子じゃないってことはつまりゴンは次回は無理ってことなのかな。佐伯さんってのはJリーガーあたりと付き合ってたんだっけ。石田ひかりは……山本美憂は……出ないよなあ、元恋人とか元亭主とか一体どこで何をしていることやら。

 日本が決勝リーグに残る可能性が「”パラグアイ、ポルトガル、オーストラリア”なんて組み合わせになる」ことで「お祈りくらいしかやることがない」状況になってしまうとゆーロジックに瞬間迷って、これくらいだったらあるいは簡単に1抜けできそーな雰囲気を実は感じてしまっていた訳だけど、パラグアイにポルトガルが持つ底力はブラジルがスペインを相手にしても或いは勝ってしまいそーなくらいに無敵に素敵だし、結婚式とかで主力選手が帰らないオーストラリアも存外に侮れない、ってことはつまり最下位に沈む可能性だってある訳。イタリアにフランスあたりを並べなくっても実は日本はこんなに弱いんだよって辺りを示すラインアップを出せる辺りに、なるほど映画がSFの人であってもサッカーの原稿の注文が行く秘密があるんだろー。

 「うまくすれば”トルコ、エクアドル、アメリカ”かもしれない」って組み合わせ例もあげているけどエクアドルはともかくトルコもアメリカもそれなりに強いからなあ、って考えるとつまりは日本はヤバいってことになるかも「灼熱とスコールという最悪のもとでダラダラした試合が続き、開催国以外の試合はなかったことにされ、数少ない日本の試合は不愉快な中継で見せられる。そんな史上最悪のワールドカップ」に向けて今、すべきことはやっぱり「スカイパーフェクTV」に加入することなんだろーか。それより「不愉快な中継で見せられる」ってゆー柳下さん家は「スカパー」に入ってないんだろーか、だったら大丈夫、これだけPRに役立つコラムをかけばきっと、明日にでも「スカパー」1年分が家まで届くでしょー。家にも分けて欲しーにょ、「WOWOW」はいらないにょ。

大手町から秋葉へゴー!  にょにょにょにょにょ、ってことで「ゲーマーズ」のブロッコリーが本日晴れて店頭市場に株式を公開して、晴れて公開企業の美名を獲得したんだけど、朝刊の折り込みに「ゲーマーズ」の店舗案内と「にょ」ってな口癖もフキダシで添えられた「デ・ジ・キャラット」のイラストが入ったチラシを入れて大宣伝に務めても、「ゲーマーズ」であり「でじこ」であり「アクエリアン・エイジ」の神通力が通じる人が兜町あたりには皆無だったんだろーか、1600円の公募価格が初値でいきなり1200円まで急落するとゆー滑り出しを見せてまずは大ショック。そこで止まればまだ良かったんだけど折からの株価急落の余波もあったのか、あるいはやっぱり「でじこ」ではその道一筋の証券アナリストとかベンチャー・キャピタリストは萌えさせられなかったのか、場が開いた直後から株の売り浴びせが続き、低値で770円と半値以下まで売り込まれ引けでも確か790円あたりとゆー、木谷高明社長自身が「不名誉な記録を作ってしまった」と振り返る、前代未聞の株式公開になってしまった。いや驚いた。

 何が凄いかってゆーと株価から計算した時価総額が2001年2月期の売上高(だいたい60億円くらい)より低いってことで、売上で5割、経常利益だったら3倍とゆー急成長を遂げ今度の決算だって売上の5割増を予想している会社をして、こーゆー扱いをするベンチャーキャピタルとか公募以前に手に入れていたある意味安定株主化を期待された人たちの、企業のポテンシャルと成長性を踏まえ産業として育てて行こーとする定見なりポリシーなり哲学の曖昧さにはちと参る。PERだって10倍切ってるんだからなー。あるいはそーして売り叩かせた所をさらおーと「ブラックゲマゲマ団」が陰謀を働かせたか、江戸の仇を長崎でとばかりに、去年のスペシャルでイジられた「パヤパヤ」が、某映画の大ヒットで潤った、かもしれないフトコロでもって買いに走って「ゲのマのズ」でも作ろうともくろんだんだろーか、なんてアニメの見過ぎも甚だしい妄想も浮かんでしまう。いずれにしてもやっぱり不思議な現象だったと言うより他にない。

 ストックオプションで結構高い値段を設定されている社員の人とかきっと今頃傷む胃にオロナイン軟膏でもすりり込みながら明日の株価がどーなるかを想像しつつ、眠れぬ夜を過ごしてたりするんじゃなかろーか。ここまで下げてしまった以上は期待されるのは底入れからの反転であり押し目を拾う動きだったりするんだけど、まあ今日の明日だけに公募価格あたりでしこっている玉が株価の上昇を阻止する圧力として働く可能性が結構あって、市場全体の値動きを見ながら初値から公募価格あたりをレンジにもみ合いの展開が続きそー。なんかその昔適当に書き飛ばしていた証券関係の相場観みたいな原稿だなあ。とはいえPER的には明らかに低めだったりする訳で、目先はとりあえずは1600円あたりが1つのメドに新値を取っていけるのかに注目って所になりそー。

 あと現在の値段の800円だと1000株の単位株を買うのにそれでも80万円必要なのが、約束している売買単位の引き下げによって100株なら10万円以下で購入可能になった暁には、これも約束の株主優待策目当て(何かは不明、けどやっぱり「でじこ」関連グッズかな、もしかして「でじこの人生ゲーム」とか)目当てで、兜町でも大手町でもない、秋葉原であり有明な人たちが大挙して参入しては、「でじこ」様への不敬も甚だしいベンチャーキャピタルの売り浴びせを吸収しくれる可能性なんかもありそー。自他ともに認められるらしー「でじこ」な僕も、そりゃ勇んで買い出動と行きたいところだけど、仕事柄インサイダーになるから買うのは不能、うーん悔しいにょ。言明しておくなら文学部だし証券担当離れて10年経つんでこの辺の株価とか将来性に関する予想はまったくもって適当。ちょっと買てみよーか、なんて考えている人は自分で情報を集めて自分の判断で投資しましょー。


【9月2日】 「JAF−CON」からスタートした夏の有明モケイ関連イベント完全制覇を目指して最後の難関、でもないけど体力的財政的には最大の難関だったかもしれない「ワールドホビーフェスティバル」へと向かう。スタート時間をてっきり午前の10時かと思って、それでも開場時間丁度に着けばそれほど待たずにスンナリ入れるだろーと決めてかかっていったらこれが大間違い。いや別に「ワンダーフェスティバル」ほどの大行列が出来てたって訳じゃなく、ひとつには開場時間が午前の11時で到着してから約1時間ほど廊下で待たなければけなかったってことで、それからもうひとつはいくらほとのどの模型ファンの財政や体力が厳しくなっているとはいっても、それを乗り越えて来るのがファンのファンたる所以。ある意味「模型のサイフば別」「模型の体力は別」とゆー食後のケーキバイキングに挑む若い女性陣に通じる真理があったりして、結構な数が開場時間を待っている姿に改めてオタクな人たちのパワーを痛感する。って僕もそんな端くれだったりするんだけど。

 それでも流石に今年の冬の「ワンフェスリセット期間中」に間隙をぬってスタートした感じのあるイベントだけに、「ワンフェスリスタート」の暁にはそちらに操を立てる人が多かったのか、あるいは「JAF−CON」の弱体化と裏腹に抱えた「ガンダム」版権で一気に高みを目指して立ち上がった「C3PRE」が先週あったばっかりだからなのか、並んでいる人の数は「C3PRE」にすらはるか及ばず、1時間の前の到着時点で並んだ場所はシャッター前から横3人が200メートルほど続いた隣に作られた次列のだいたい真ん中辺りで、人数だったろどーだろう、多く見積もっても1000人には届いていない場所につけることができて、始めて屋根のある場所に並べてトイレも近くちょい腹を痛めていただけに有り難いことこの上なかった。加えてスタートして1時間以上も待たされた「C3PRE」に比べてそれこそ10分も経たないうちに入場できて、いつ果てるともない行列を見ながら神経をささくれ立たせていた「ワンフェス」「C3PRE」に比べて精神衛生の上でも最高にラッキーなイベントだった。

 もちろん10分で入れよーと欲しい品物が出てない、あるいは売り切れていたら話に全然ならないんだけど、まず目標にしていた「H.B.Company」ってところが原型を担当して、ユウビ造形が企画・製作と担当した「イグナクロス零号駅」に登場のするキャラ「奈々子那なしの」のフィギュアをあっさりとゲット。ここん家のは大昔の今や伝説かもしれない「ラフィール」&「スポール」から同じ「イグナクロス」関係の幾つかを購入していて(まだ作れてない……技術と時間が欲しい)、顔と尻の造形に惹かれてたりするんだけど、今回のも顔・尻ともどもに良い感じになっていて、早く作って塗って触りはしないけど愛でたいと強い思いに改めて駆られる。いつも良い仕事をありがとうございます。

 あっさりと購入できてしまって、他に面白いものがあったら購入しよーと場内をぶらぶらして見つけたのが「プレコ党」ってところが出していた「ちよ父セット」。いわずと知れた「あずまんが大王」に登場する「ちよの父」をフィギュアにしたもので、組立は不必要の一体成形になった「父」が立っているのと寝ているのの2つも入ってたったの900円とゆー大盤振舞。マダラ模様とかだと塗りに苦労しそーだけど「ちよ父」なんで青一色でも黒一色でもオッケーなんで週末にでも頑張って、手軽にちゃっちゃと作ってみよー。あとはこれもちょっと珍しい系の「NieA_7」から「まゆ子 くびくくり人形」と「チャダ『ナマステ』」を「B・COMPANY」で購入。チャダは小さいけれどなかなかに顔立ちが原作にリアルで、顔色とか髭の塗りとかで苦労しそーだけど是非とも作ってマスコットにして飾っておきたい所。「まゆ子」は作って軒先にぶらさげたいけど貧乏がやって来そーだからなー。けどこれもなかなか良い出来です。

 中には「脱衣補完計画」系のフィギュアを求めて長い行列が出来ていた所もあったけど、総じてのんびりゆったりまったりとした雰囲気が会場にあって、どちらかといえば美少女キャラクター系のフィギュアを一つひとつじっくりと眺めることが出来る上に、興味ともちろんお金さえあればそれほど苦労せずに買えるって点が入場以前に品切れになっていたりする、幾つかの超大手イベントとは決定的に違っているのが個人的には何か嬉しい。泡沫、って言い方は悪いけど発展途上中のイベントの常で造形的に果たしてどれほどのものが集まっているのって、素人の身を承知の上で抱いた疑問もあったけど、「うぐぅ」も「女神さまっ」も「セリオ」も「猫エリカ」もその他もろもろの美少女フィギュアも多くがなかなかに良い出来で、お金とスキルと時間があれば買いまくって作りまくりたい気に正直かられた。回を重ねるにつれて人も増え血の気も増して、始発組ですら買えない異常事態も起こる可能性はあるけれど、できればこのままのびりまったりした雰囲気の中で、ディーラーさんは腕試し、買う側は眼力試しの場として機能していって頂きたい。11月11日は「横浜パシフィコ」でも開催の予定、「尻子田にう子」出るなら行きます頑張って。

 「ゆりかもめ」で新橋に行ってそこから歩いて日比谷野外音楽堂へ。野音と言えば毎度だったりする鳥肌実さんの公演では今回はなく、表現活動にとんでもない影響を及ぼす「個人情報保護法案」を廃案に追い込むためにジャーナリストや政治家や映画監督やミュージシャンやその他いろいろな人たちが集まってトークなんかを繰り広げた「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」を見物するためで、入るとすでにそれなりな人数が野音の席に座っていて、一部とはいえ法案への関心がそれなりに高いんだってことを伺わせる。もっとも席の前の方とかに集まっていた、赤とか黒のヘルメットを被ってた人たちの関心は、少し別のところにあったみたいで、イベント始まって2時間目の「きれなメディア、きたないメディア」とゆーテーマのブロックで、目的を果たすべく一斉に気勢を上げたのにはちょっと驚いた、いやホントにあーゆー人たちが残ってるんだとは知らなくって。

 要するにこのブロックで司会役を務めるはずだった宮崎学さんが実は公安調査庁のスパイだったんじゃないかとゆー”疑惑”が浮かんでて、それを糾弾すべく団体で人が集まったってことなんだけど、肝心の宮崎さんは迷惑をかけたくないとゆー理由を言って直前に欠席を表明。本来だったら宮崎さんを相手にすべきヘルメットな人たちは、対象がいない以上は静かにしていても良いはずなのに、決まりなのかシュプレヒコールを止めず宮崎さんを引っぱり込んだとゆー佐高信さんや、宮崎さんを司会に招こうとした主催者を糾弾し始めてまとまるものもまとまらない。このまま時間をヤジと怒号で終わるのかと心配したけど、とりあえずは気勢を上げている人たちの代表らしー人にスピーチをさせてまず収集。それでも佐高さんが喋ると怒号があがり、壇上にいた鈴木邦男さんがサシでの勝負をしよーと挑んでやっぱり紛糾し始めたところを、大阪に行く用事があるとかでブロックを前倒しして急遽登場した田中康夫さんが、「個人情報保護法案廃案」とゆー”大文字”の目的に向かって行く必要を訴えそちらに議論を集約して、何とか議論が前へと進み始める。あーゆー場での納得力を持った説得は田中さん、さすがに旨いもんだ。

 右も左も日本人も在日外国人も含めて集まってたり呼びかけ人になっていたいるするこの集会をして「つまりは人として反対すべき法案」だとアジる言説の染み込みぶりはなかなかで、正論を吐こーと筋論を吐こーと伝わらない悩みを解消する、戦える言説を紡ぐ必要性を強く感じる。3時限目の「あなたはいかに狙われ、奪われるのか」に登場した宮台真司さんも法案が脅かす権利の範囲を具体的にイメージさせる戦術を取る必要を訴えて、法律が通った暁に、権力中枢にいったん座った勢力があったとしたら他の勢力はもはや権力中枢をスキャンダルによって葬ることは不可能になる、すなわち権力を手に治められなくなるんだとゆー”甘言”もこの際辞さず、権力からパージされる可能性のある政治家にロビィしていこーと呼びかけていた。

 人よっては政治家の権力欲に囁きかけるよーな宮台さんの戦術に対して、「そこまでしなくちゃいかんのか」と眉を顰め批判し潰しにかかっても不思議はないけれど、月末に始まる臨時国会で継続審議されややもすれば成立しかねない状況で、筋論とかべき論を言ってる余裕は今はなく、まずは廃案へと追い込むこと、その為には使える道具は使い思想信条は違ってもその自由を守るために団結することが必至な情勢。田中さん宮台さんが戦える言葉、戦える行動を採り使うことを揶揄し妨げるよーな言動は、今はやっぱり出さない方が良さそー。

 もちろん5時限目に登場した「腹腹時計」の渡邊文樹監督のよーに、会合に出て話を聞いて「良いイベントだったね」「やっぱり悪い法律なんだね」と心に”認識”するだけで後は舞台に挙がった人たちの言動におんぶするだけじゃいけない、自分でも体張らなきゃ意味がないんだとゆー意見は分かるし、じっさい出ることが行動みたく思ってる自分にとって身に染みて痛い意見だったけど、だからといって何をどう行動すれば有効なのか、戦えるのかに迷うのが現実。斉藤貴男さんも「機会不平等」なメディアだったと振り返る新聞で戦いに加わるのも難しそー。それでも何か出来ることを、とゆー訳でとりあえずは本日採択された『宣言』って奴をここにまるまる引き移して、行けなかった人が読んで「個人情報保護法案」の欺瞞を噛みしめる一助にしてみたい。


 9・2個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会【宣言】

 時は来た!

 継続審議になっていた「個人情報保護法案」が再び目を覚まし、雄叫びをあげている。われらはこの法案が、戦前ナチス・ドイツおヒトラーが報道の範囲と中身は政府が決定すると発令した「大統領令」に酷似する、悪質なメディア規制法であることに警鐘を鳴らし続けてきた。

 われらはまた本法案が、地域文化と企業文化の衰退のあとで、国家権力がみずから保有する情報の公開をしぶり、「知らしむべからず、よらしむべし」の統治手法再構築を狙わんとする本能的野心の顕われであると言い続けてもきた。

 それがいま、何の修正や改変もないままに、強行採決されようとしているのだ。

 われらも急ぎ立ち上がり、

 再び小泉連立政権に問う。

 われらはまた、世にも問わん。

 この法案の正体は、プライバシー保護の美名の下に、公人である政治家と官僚のスキャンダルまで報道禁止にできる「政治家・役人情報保護法」にあらずや。日本国憲法にも保障された「報道と出版」「思想と表現」の自由を破壊し、権力保護という新たな「聖域」を作り出す、これは「聖域なき構造改革」の、二枚舌法案にあらずや。

 さらに問わん。

 「コンピュータに一千名程度以上の名簿、あるいは個人データを蓄積する者はすべて『個人情報取扱事業者』になる」との法案作成担当役人の言を思科すれば、これは、職業的表現者や報道関係者であるかどうかにまったく関係なく、老若男女、主婦もサラリーマンも、生産者も流通業者も消費者も、大学教員も学生も芸能人も、八百屋やそば屋やファストフードのパート従業員も、政治家もホスト、ホステスも、すべての市民が「個人情報取扱事業者」扱いにされ、国家の監視下に置かれるのみならず、権力が容易にわれらの情報に干渉できる道を開くことを意味する。

 すなわちそれは、パソコンのある茶の間や書斎、大学企業やそれらの研究室を「御用! 御用!」の官憲の十手捕縄が取り囲む日の到来を意味するにあらずや。この法案の正体は、世界最初の全面的「ネット社会規制法」と言わねばなるまい。

 国民の耳と口を奪う、かかる電脳版「治安維持法」の国会通過を、われらは座視するわけにはいかない。

 今日、2001年9月2日、ここ、日比谷野外音楽堂に集まったわれらは、すべての市民、在日外国人諸君、赤絨毯の上の政治家諸氏に、心から訴える。

 第二次世界大戦の死者、アジア側二千万、日本側三百万。その命であがなった戦後のわれらの財産「報道と出版の自由」「思想と表現の自由」および「結社の自由」を守り、さらにあらたな情報環境の下でいっそうの充実と飛躍をさせるため、「個人情報保護法案・絶対反対、断固廃案」の声をあげ、ともに戦え!

 以上、宣言する。

 2001年9月2日

 9・2個人情報保護法案をぶっとばせ! 2001人集会参加者一同


 イベントの終わりにこの「宣言」をジャーナリストの吉田司さんが声を振り絞って読み上げていて、その悲痛さ漂う声を聞くにつけ、ジャーナリストたちが現在、相当に厳しい情勢にあるんだってことが伺えたのが現場に行った得た収穫のひとつ。単に「イベントがありました。いっぱい集まりました」だけじゃ想像できない真剣味がそこにはあった。イベントの方でも「ロフトプラスワン」で見られるよーな人ばかりじゃなく、井上ひさしさん、澤地久枝さんとゆー超ビッグネームが登場しては戦争体験によって得られた記憶を消さず伝える必要性を切々と訴えていたし、ツアー中のパンタがトンボ帰りして来て生ギターで歌を披露するほどで、かくも著名な人たちがかけつけアピールせざるを得ない状況を、今はとにかく真剣に考える必要がありそー。

 それにしても「2ch」のひろゆきさん、2時限目の「きれいなメディア、きたないメディア」にゲストで呼ばれていたはずなのに、舞台からいくら呼びかけても当人は全然姿を見せず、宮崎学さんじゃないけど危険を察知して身を引いたかなんて想像をしていたら、すべてのトークセッションが終了してエンディングの唄が始まろうとしている最後の最後になって登場。「寝過ごしましたあ」と理由を話して「ところでこれだけ集まって何したの」とゆー、茶化しているよーだけど割に急所を突いた意見を言って、集会が持つ「運動のための運動」とゆー性格を指摘する冴えを見せていたのが強く印象に残る。単なる”天然”とゆー可能性もあるけれど。

 採択の後で三々五々、人が帰り始めたけれどそこから始まった沖縄から来た唄者の平安隆さんのステージがなかなかの収穫で、沖縄ベースの音楽を奏でながら浪々と歌い上げる声の良さにまず惹かれ、太鼓の集団の音楽と踊りを前に神様を日比谷野外音楽堂へと下ろし赦しをもらう一連の唄でさらにハマる。良いなあ沖縄は。神様が降臨した後の唄では太鼓の人たちもステージから降りて観客といっしょに踊り始めて場内はさながら盆踊り状態。ヘルメットの人たちも一緒に踊っていたりする絵柄は妙におかしく、一体になって良かったねってな方向へと吸収されてしまう可能性なんかをお節介にも想像してしまったけど、唄の力がパワーとなって運動を運動にのみ終わらせず、前へと進ませればそれはそれでオッケーってこと。「踊ってどーなる」と渡邊さんだったらまた言いそーだけど、そんな指摘を指摘に終わらせないために、さて何が出来るのかを切実に考えて行きたい。けどやっぱり難しいなあ、「機会不平等」メディア人には。


【9月1日】 講談社が刊行した「21世紀世代のためのボーダーレス・カルチャーマガジン」と惹句の付いたその名も「エクスタス」って新雑誌は、表紙に岡崎武士さんの描く深キョンっぽい(マイフィルター越しなんで他の人だと違うかも)和服の美少女が春巻き食べてるイラストが使われていて、一瞬新しい漫画雑誌かと思ったけれど、表紙を見ると赤坂真里さん角田光代さんといった作家陣の名前が並んでいると思ったら、タカノ綾さんに会田誠さんとアーティストの名前もあれば雨宮処凛さんがいて藤谷文子さんもいるといった具合に、会田さんはともかく今時のオンナノコたちに人気がありそーな名前がずらりと並んでいて、いったいどんな雑誌なんだと気にかかる。

 講談社が出している老舗文芸誌の「群像」9月号増刊ってことだから、J文学を基盤にサブカルでもオシャレっぽい部分をつまんでセンスの良さげなところを見せよーとしている「文藝」の向こうを張った雑誌ってことになるのかもしれないけれど、そのままやっては老舗の大出版社の名が廃るとでも考えたのか。「スタジオボイス」のコラムセンスに「H」あたりのビジュアルセンスを入れて、「BT」あたりのアートっぽいハイブロウさも取り込みパッケージングしたって感じがしないでもなく、オタクでは全然ないけどサブカルの匂いもあんまりさせず、キャリアとも違いレディースともちょいズレてるけれどコギャルではなく乙女でもない、なかなかにポジション取りのしづらい雑誌になっている。執筆陣は他に嶽本野ばらさん白倉由美さん藤野千夜さん末永直海さん長島有里枝さんと”今トキ”な名前がズラリズラリ。松澤由美さん福井晴敏さん樋口真嗣さんと人によってはピクリと来る名前もあって、なかなかな集めっぷりと言えそー。さすがは音羽屋。

 1200円とお高いけれどさすがな執筆陣だけの読みごたえは十分。「爆発」について語り会った福井さん樋口さんの熱い対談は、雑誌全体のコンセプトに合っているかどーか微妙なところではあるけれど、読んでなかなかに為になる。面白いのが雨宮処凛さんの「小説」。主人公の女性がいて、自分を撮影するようになった達也くんとどんどん親しくなっていき、やがて2人のドキュメンタリーは上映されてヒットして、2人は同棲も始めるようになったけど、今度は映画で作られた自分のイメージに縛られていると感じるようになり、齟齬が生じて来る。それに伴い達也くんから自分に振るわれる暴力がエスカレートしていって、なのになかなか忘れることが出来ないでいて、今は途方に繰れている、といった内容は、まるっきり雨宮さんと彼女が主演した映画「新しい神様」、そしてその監督の土屋豊かさんとの関係を描いているよーに読める。

 映画と通して皆に知られ、映画を通して達也君と深くコミュニケートできたけれど映画が完成して大ヒットしてしまった今、自分自身というものは映画なしには存在しえないのかとゆー焦りが生まれ、達也君との関係も映画を撮影していた時のよーには濃密にはなり得ないのかと悩む自分。「あれ以上の濃度で達也君と関わりたい。だから私は暴力を誘発したのだ」とゆー言葉は、右翼的言動を少女がロックで繰り広げる”物珍しさ”でもって得られた虚名から本来の自分を取り戻そうとする叫びにも聴こえるし、かといって”物珍しさ”が薄れた自分から達也君が離れて行ってしまうのは堪らないと別の価値を付ける、すなわち殴られ役とゆー立場に身を置くことで存在感を保とうとするあがきにも聴こえる。

 面白いことに「エクスタス」には土屋さんの文章も掲載されていて、中で「革命家になれない俺も女を殴ったことがある」と書いている。神戸で起こった校門圧死事件で教師ではなく管理教育に諾々と従っていた生徒たちを批判するビラをまいた男を取材した文章の中で、どちらかと言えば諾々と従っていた方だった自分を振り返り「俺はそういう卑怯な自分を一人づつ殺したくて、社会運動や芸術に関わっているのだと思う」「そして、その願いがかなえられなかった時、俺は女を殴った。『あんたのような卑怯な男に運動をしたり、映画を作ったりする資格はない』。俺は、そう言う自分の恋人、つまりは世界に否定された。プライドを守るために殴った」と告白している。

 これがそのまま雨宮さんのことかは分からないし、雨宮さんの小説の「達也君」が土屋さんのことかも分からない。けどどこか呼応する2人の文章からは、方や居場所を探してさまよういて、こなた自分に欠けた部分を求めてさすらう男がいて、それぞれがそれぞれを求めてぐるぐると、付かずかといって離れられもせず、スプートニクのよーに回っている関係が感じられて仕方がない。形をかえた「のろけ」って言えるかも、まあ単なる「のろけ」とゆーには痛さもあるし真摯さもあって読んで結構ピリピリ来るけど。実際問題2人が現在、どーゆー関係にあるのか知らないし、すでにバラバラになってしまっているのかもしれないけれど、同じ雑誌の中でエールを送り合っているよーにしか思えない文章を発表してるってことは、あれでなかなかにベストな関係なのかも。11月30日発売の次号での展開に注目しよー。

 今日から公開の劇場版「カウボーイビバップ 天国の扉」を見る。金曜ロードショー「カウボーイビバップTVスペシャル」じゃあないんだよな。もちろん年中行事のよーに作られてはファンの記憶からたちまちのうちに忘れ去られていく金曜ロードショー「ルパン三世TVスペシャル」とは質も時間と金のかけ方も段違いで、動きとか良いし絵もしっかりしてるし音楽も凝ってるんだけど、毎回たったの30分で、テンポ良く繰り広げられる密度の濃いエピソードを見せられていた目には、2時間ってゆー時間を使ってまで語らなければいけなかったエピソードなのかな、って疑問もほのかに浮かんで悩ましい。同じ2時間でおもちゃ箱をひっくり返したよーに数々のエピソードが繰り出される「千と千尋の神隠し」が一方にあるだけに、明らかにタイプの違う内容であるにも関わらず比べてしまいたくなってしまうんだろーけれど。

 とはいえさすがは「カウボーイビバップ」、発端があって展開があってアクションがあってカタルシスもあって、およその展開は予想できながらも上映中の2時間をほどんと飽きることなく見ていられたのは、作品のファンだからとゆー贔屓目を超えて観客を楽しませるだけの内容が詰まっていたからだろー。活躍をメインキャラたちにまんべんなく振り過ぎた関係でお好みのあの人、ってつまりはフェイだけど、サービスシーンはあってもテーマの根幹に関わるよーな活躍はあんまりしてくれずちょっと残念、まあなかなか本心を見せないところがフェイらしくもあるんだけど。

 沖浦啓之さんが手がけたオープニングのニューヨークっぽさはまんま、MTVのヒップホップとかジャズとかのミュージック・クリップにだって使えそーなリアルさで、舞台となっている場所のマンハッタンっぽい摩天楼がずらり建ち並ぶ遠景の美しさも最高。けどあんまり未来っぽくないのは何故? フェイ以外は誰も空を飛んでないし、地上にエアカーは走ってないし、服装もインテリアも今と変わらないどころか今より昔っぽい。まあ21世紀になって未だに誰も銀色のスーツを着てない現実を見れば、宇宙時代になっても地上はあんな感じなのかも。せめてフェイくらいの露出で歩いて欲しいものだなあ。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る