縮刷版2001年6月中旬号


【6月20日】 遺族の悲しみ云々なんてお構いなしにレッサーパンダ帽子の出所と買える場所なんかを突っ込むなぜなにスピリッツとか、宮台真司さん宮崎哲弥さんの対談「M2われらの時代に」での石原都知事発言に対する「朝日新聞」の端折りっぷりへの言及とか、吉野家ほかの牛丼の肉すりつぶして脂度を調べるプロジェクトXぶり(訳わからん例え)なんかはなるほどと思いながらもそれ以外はまあフツーってな感じの「サイゾー」7月号かなって気がしたけれど、「今月の艶々美女」での実は認知してなかったかわい綾ちゃんってゆー女の子のマイクロな体躯なんだけど出てる所は当然のよーに出ているトランジスタなダイナマイツぶりに脳天からかかと落としを100連発くらった衝撃を受け、「サイゾー」って雑誌はこのページを掲載するためにこの世に生まれ取り次ぎに認知されたに違いないってな確信を得る、まあ妄想だけど。

 ボディももちろん悪くはないけど気になった、ってゆーか気に入ったのはその顔その表情でクッキリした目は真正面からにらんでも横にフイとそらしても、笑顔に目尻をゆるませても見る人に強い印象を与えるし、メイクが巧かったのか極端に赤くもほんのりとピンクにも染めていない唇が適度な厚みと相まって子供っぽいけど大人っぽい、触れてみたいけど眺めてもいたい微妙な雰囲気を作り出していて男心を激しくそそる。全体にシンプルなメイクやヘアスタイルをシンプルさが信条のスポーツウェアが引き立たせているのか、近年の街にあふれる女子高生たちのどこか不健康な印象をまるで感じさせない絵になっているのもポイント高し。人差し指でくいくいやりたくなる顎の形に適度な長さの髪も含めてトータルとして適切な美をそこに醸し出している、うーんちょっと大袈裟か。

 マイクロな娘にありがちなバランスのキュービックbyメディコムトイさをあんまり感じないのは、綾ちゃんの頭がたぶん小さいのとダイナマイツな割にスリムなのと、あと直立している時に足先までは写さない配慮なんかが効いているからなのかも。可愛さあまってついつい買ってしまったかわい綾ちゃん最初の写真集「aya.com」(竹書房、2500円)なんかだと瞼にシャドーがはいっていたり比較的短めの髪をボサっとさせていたり唇をほのかにピンクにしてあったりして、ふつーのよくあるアイドル写真集とたいして違った印象を受けないどころか今はいったいどこで何をしているかな吉井玲ちゃんのマイクロダイナマイトな雰囲気に重なってしまって、あんまり強烈な印象を受けない、谷間のアップを除いては。

 ってことはつまり写真集の井ノ元浩二さんよりは「サイゾー」でかわい綾ちゃんを撮影した柳沼浩胆さんとスタイリング&ヘアメイクの方々の方がかわい綾ちゃんの魅力をそれだけ引き出してたってことになるけれど、ただしもっとも単なる個人的な好みとして土台は誰だって構わない、幼さを感じさせるメイクで髪さらさらな娘だったらそれだけでオッケーになってしまう可能性も実のことろ案外と高かったりしそーで、虚心坦懐に見ればなるほどたっぷりな量感に溌剌とした躍動美がお兄さんお父さんの類を感動の渦に叩き込むこと確実なんだろーけれど、そんな写真集の方に思いがとばなかった理由もそんな所にありそー。ただかわい綾たんに限っては土台の良さももちろんあってのトータル美、だったりするんで出来れば今いちど、同じよーなアプローチによってさらに大量の好みとするかわい綾ちゃんの姿を、見せてもらえないものだろーかと今はひたすらに願う。まずは頑張ってポラロイド写真当てなきゃ。

 蒲田遠征、ナムコが何故かカプコンなんかも一緒になって業務用ゲーム機の展示会を行うってんで見に行く。中味は「バイオハザード・コードベロニカ」のガンサバイバーを業務用にしてナムコが協力してるってもので、メーカーの枠組みを超えて得意な分野で協力し合うゲーム業界の最近の流行りの1つみたいなものだけど、プライベートショーな筈の展示会にビッグネームが2つ(あとカトウ製作所も入れて3つ)並ぶのを見ると、覇権争いだった時代から1つ進んだか退いたかフレームが変わったか、とにかく変化したなーってなことを感じる。関係ないけど「バイオ」が業務用になるなら例えば「鬼武者」なんかも業務用にならないんだろーか、「刀コントローラー」とか繋がってて振り回すとセンサーがとらえて画面の中の敵が斬れれるんだ。あるいはセンサー付きの人形を斬るとか。どっちにしたって半径1メートルは立ち入り禁止なゲームになりそーだけど。

 注目は何といってもナムコの看板タイトル「鉄拳」シリーズの最新作「鉄拳4」。すでにロケテストが始まっているのかどーかは知らないけれど、さすがは「鉄拳」ってなグラフィックでもっておっさん兄ちゃん嬢ちゃんたちがバトルする場面を見せてくれてて、沼地とかどっかの建物の中とかいった単なる道場に留まらない外へと広がったバトルフィールドのリアルさも、ゲームにこれまでにない深みと奥行きを与えている、のかもしれない、プレイしてないからちょっと判らないけれど。壁なんかに押しつけて膝蹴りパンチの類を入れられるのも特徴かな、応用によっては闘い方も結構変わって来るのかも。

 ちょっと気になったのは水辺だったかで闘っている場面で足とか蹴り上げても足下の水から飛沫があがらず油かスライムの上で闘っているよーな印象を受けてしまった点、投げ飛ばされて水に落ちてもやっぱり飛沫とか上がらないし。「バーチャファイター4」で感心したのは雪原で闘っている場面で踏んだ足跡や落とされたボディの後が雪面にくっきりと残っていた点で、それがリアルさと直結するかどーかは別にして、同じジャンルでもゲーム作りの思想面でのあるいはそこに違いがあるんだろーかと考える。胸の揺れにこだわる会社もあるし、まあ各様の面白味ってのを見つけて楽しむことにしよー、家庭用が出揃えば、だけど。


【6月19日】 座った席の真ん前に香山哲御大を見ながらセガの新規事業本部とかがこれから始める事業計画の説明会なんかを聞く。東大の中村仁彦さんとかゆー教授の研究室といっしょに開発した、CGのキャラクターに自然な動きをモーションピクチャーなんて大袈裟なシステムを使わなくってもつけられる、らしー「アニマニウム」って名前のソフトのお披露目で、何でも人型ロボットの歩行をプログラミングする技術を応用してあるそーで、中村さんがデモした画面上に出てきた骨だけの人間の、片方の手を引っ張れば反対側の肩が落ちて体が傾き背中は伸び膝とかは曲がり、歩いている場所を傾かせればちゃんと上体のバランスを取る。重力なんかをちゃんと折り込んであるんだろーけれど、それだけでちゃんと人間っぽい動きに見えてしまうからちょっと凄い。

 そんな技術を応用して作ったのがアニメーション制作プロセスの部分でも彩色とかレンダリングとかじゃない肝心要の「アニメーション」の部分を受け持つ「アニマニウム」。超高いグラフィックツールの使い方を幾ら覚えているからといって、モデリングとかエフェクトとかレンダリングが巧いからといって、アニメで大切なのは「どう動かすか」って部分。そこを知り尽くしているアニメーターが”使える”ツールを作りたいってゆーセガの想いが結実したソフトだそーな。高いかってゆーと安く重いかってゆーと軽いため、それこそサブノートのパソコンの上で動きを付けていれるみたいで、世界的に評価されているわりには貧乏なアニメのスタジオでもそれこそアニメーターの一人ひとりに与えることができそー。東映アニメーションの人なんかも「紙と鉛筆から変わっていくツールかな」って話してた。

 ただ”リアル”に動かせることと”リアルっぽい”ってのはやっぱり違うってことらしく、テレコム・アニメーションの代表取締役の竹内孝次さんが長年の経験なんかをもとにこのツールはどうあるべきかってことを話してくれて、この意見をキッチリと聞いてその要望をしっかりと実現すればもはや世界に敵なしのツールになるんじゃないかってな気が起こって来た。とにかく「アニメーションは嘘です」って言葉から始まって、「現実に正しいことじゃない、人間が正しいと思っていることをアニメーションでは描いてあげないといけないんだ」ってことをまず指摘。例として「実際の踏み切りはランプの点滅と鐘の音はずれていて、実写だったらそれを撮影したものを見ても違和感はないけれど、アニメでそれをやるとヘンなものになってしまう」ってことを言って、リアルさを追究するCGツールなり結果として現れるCGがはまる陥穽に注意を与える。

 その流れで例えば動きを付けたい時、決めたポーズの中割なんかを自動的にやってくれるのは便利で時間の節約になるんだけど、そーやって出て来る動きにアニメーターが修正を簡単に加えられる機能が欲しいってことも強調してて、なるほどリアルな動きはリアルなだけで決して面白いものではなく、手が伸びるとか顔がひしゃげるとかいった現実にはないけれど妙な”リアルさ”を醸し出す動きをアニメーターが自分の手先で加工し作り出せるよーにしなければ、面白いものは生まれてこないんじゃないか、ってことを話してくれた。会見ではほかにもこんな事業を始めますとか世界一の事業をいっぱい作ってカールルイスじゃないけれど金メダルをいっぱい取りますとかいった勇ましい話もいっぱいでたけれど、個人的にはこの竹内さんの話が1番興味深くって、もしも本当に金メダルを目指すんだったら最前列に陣取る偉い人たちはまず、その要望のすべてをかなえるソフトに仕上げるべきだってな印象すら浮かんで来た。まあ頭の良い人たちなんで分かっていると思うんで、日本のアニメ産業を変える劇的な”発明”が生まれ、新しい人材が育って来るその礎となる事業にちゃんと育てていくだろーことを期待しよー。

 しつこつ続く例の大阪教育大付属池田小学校襲撃事件報道は犯人の過去探し精神分析へとフェーズが移って来たよーで、「週刊コミックバンチ」と同じ発売日になった影響がどれだけ出ているか調べてみたい気もする「週刊プレイボーイ」なんか小田晋さんと並んでこーゆー時に定番なロバート・K・レスラーなんかを登場させてはあれやこれや言わせていたよーだけど、前に神戸の首切り事件で適当なことを言い過ぎてた記憶があってあんまり信頼がおけなかったりするんで読んでない、まあ今回は後付けなんで内容もそれなりに言えてるんだろーけれど。むしろ興味深いのは過去探しの方で発売日前だから中味までは知らないけれど中吊りにあった「フォーカス」最新号の写真に大きく写っていた犯人の本棚を見て、ちょっぴり複雑な思いに駆られる、別に「奥様の生下着」があった訳じゃないよ。

 記事だとメインはアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」をピックアップしているよーで、はじめからそーだったのかそれとも掘り起こして来て積んだのか見やすい位置にドンと置かれてあって、「つまりは大量虐殺者のヒトラーに憧れた人だったんだよ」ってな雰囲気を醸成しているよーな意図がありありと感じられて来るけれど、エリートへの憎悪って意味では同じよーな大量殺人でもむしろポル・ポトあたりの方が顕著だったりする訳で、ヒトラーを読んでたことと結びつけての報道ってのも分かりやすいことは分かりやすいんだけど、分かりやすすぎてかえってちょっぴり白々しい。

 どーせだったら同じ棚に刺さっている文庫版の筒井康隆さんの「大いなる助走」の方が、社会に挫折した挙げ句の逆恨みの果ての連続殺人って部分でむしろピックアップすべきだろーし、やっぱり棚に並んでいる筒井さんの「ベトナム観光公社」なんかも合わせて引っぱり出して、ほらほらこーゆー世の中を斜から見て風刺しているよーな本を読んでいたから妙な人になっちゃったんですよ、ってやったって不思議じゃない。ってゆーか30年前、20年前だったら確実にやられていたと思うんだけれど、そこはそれ新潮社だからってことなのかそれともSFの地位が上がったからなのか(棚には星新一さんの本も1冊あった)、影響を与えた度合いって意味で「我が闘争」の方に軍配を挙げているのをさてはてSFファン筒井ファンとして喜ぶべきなんだろーか。ともあれ記事で果たして触れられているか否かにまずは注目、あといざとゆー時に配慮してダーマーとかバンディとかの本を本棚から抜いてベッドの下に隠して置くことにしよー。

 三輪ひとみさん&三輪明日美さんの色物派、じゃない帯に従っ呼ぶなら実力派女優の姉妹が登場している写真集「DOUBLE PLATINUM」(撮影・塚田和徳、ケイエスエス、3000円)を買う、まあ国民の義務だ。三輪ひとみさんと言えばTV版の「ねらわれた学園」でイっちゃってる女子高生を演じてた時から美人だけど不気味な人だなー、とか思ってて、それが懐かしくも未だに不思議な番組「サイバー美少女テロメア」で水着もかくやと思わせるボンデージファッションを披露していて驚きつつも毎週番組に見入った記憶がある。お話しの方は何とも理解に苦しむものだったけど。そーいえばビデオになったっけ、「テロメア」って。

 今は亡き(と思う)パナソニックワンダーテインメントから発売された写真集でも似たよーな格好になってくれていたんで、ヌードもなければ水着も見えない今回の写真集で特段のお色気を感じたってことはないけれど、数々の映画で蹂躙され続けた年輪が刻まれますます研ぎ済まされた感のある表情態度なんかは素晴らしく、剽軽さを見せ始めた佐伯日菜子さんとは違っていつまでも最先端で蹂躙され続けていって頂きたい、いやお美しい。明日美さんの方も比べるとそりゃまあいろいろな思いも頭をよぎるけど、手の届きそーな親しみやすさの中にときどきのぞくしたたかさ、めいたものがちゃんと写っているみたいでファンなら多分楽しめます。末の恵末さんもデビュー間近だそーでいずれは3人揃った「TRIPLE PLATINUM」なんかも出るのかな。


【6月18日】 ”マッキー”って言って”晴ボン”と返ってくる世代はさておき(意味分かる人は小諸に向かって敬礼)、気の強さでは案外似てたりする”マッキー”こと田中眞紀子外相の訪米に絡んでまたぞろ枝葉末節な揚げ足取り報道が出まくりかかっているけれど、読者ではなく政治家と官僚の方向を向いたメディアのやってられなさに、保身と蓄財こそが仕事と割り切る政治家のみすぼらしさ、権力とプライドだけが拠り所な官僚のみっともなさ、そしてエゴと自愛に凝り固まった国民全体の情けなさってものが複合汚染的に国中に蔓延している状況で、一朝一夕に正義が貫かれ良心に基づいた報道なり国政なり行政なり市民生活が執行されるはずもなく、打ち破ることのできない閉塞感に息苦しさを感じやるせなさに胸をもやもやとさせながらも、緩慢な衰退へと向かって進んでいくんだろー、この国は。

 だから諦め流されていけば良いのかってゆーと、「僕はイーグル1」(徳間書店、1300円)に続いて1年ぶりの刊行となった夏見正隆さんの「僕はイーグル2」(徳間書店、1300円)を読むにつけ、いかんいかんとゆー気がムクムクを巻き起こって来て激しい焦燥感にかられる。「亜細亜のあけぼの」なるおそらくは偉大なる首領様が統治するあの国をモデルにしたと思われる独裁国家とつながっているらしー謎の集団が、専守防衛とかいいつつその実たとえば外国とか、あるいは政治家とかメディアとかへの配慮から一切の身動きを禁じられた自衛隊の実状を知ってか知らずか日本の領空へと入り込み、やりたい放題をした挙げ句に韓国行きの旅客機を落とすとゆー行動に出た1巻からつながって、2巻では身動きの取れなさを逆手に取られた自衛隊が、さらに「亜細亜のあけぼの」にやりたい放題にやれている場面が描かれる。

 政治家が首を縦に振らないことには進まない状況であるにも関わらず、肝心の政治家のある人は企業への配慮で、またある人は人気への配慮で一切の前向きな行動を取ろうとはせず、官僚は官僚で国のためでも国民のためでもなく自らの面子のためだけに立ち回る。マスコミは国民受けする文脈だけを流し、国民はそんなマスコミに扇情されて真実を見ようとせず未来を想像しよーともせずただ感情の赴くままに動き考えるとゆー、正義とか良心とかいった基準とはフェーズを異にする柵(しがらみ)だったり思惑だったりするものによって雁字搦めにされているこの国の仕組みに関する描写を読むにつけ、果てしない絶望感と自らも含めた国全体への嫌悪感が募って、ページをめくる手を止めたくなって来る。

 なるほど小説向けにいくばくかのカリカチュアライズはされているかもしれないけれど、描かれているのは決して根も葉もないとは言えなさそーで、だからこそ不安ばかりが募る。もはやそれは「ぼんやりとした」なんて曖昧なものではない。読む人によってはだまし討ちのよーに日本から謝罪の言葉を引き出し借款を引き出す隣国の描写を厭う可能性はあるけれど、これとて同様に根も葉もないとは言い切れないし、それより受けて立つ日本の政治家の、これはおそらく実像に近い腑抜けぶりは怒りを通り過ぎて嘆かわしく情けなく、いかんいかんいかんいかんとゆー気持ちが若干の危険思想もはらみつつ浮かび上がって来る。

 あるいは「新しい歴史教科書」なんかよりよほど激しい議論を巻き起こしそーな内容の小説だったりして、正義気取りなメディアが取りあげご注進に及び内から海の向こうから攻撃させるよーに仕向けた暁にさてはて夏見さんの命運やいかに、ってな懸念も浮かび上がってくる。幸いにして(作家的には不幸にして)そこまでの売れ行きでもないから良いけれど、何がニュースにされるか分からないご時世、答えられる理論を固め右も左も無関係に正義が貫かれ良心が活かされる世界の創造に向けて筆を振るって頂きたい。ストーリーのコアなんだと思う女性パイロットのドジなのに実は超天才だったって設定はありがちだけどやっぱり良いし。人間いつまでたっても「内なる」「秘められた」「超天才」に憧れ続けるんだねー。

 「会社」ってものはちょっと前だったら一種の疑似家族として機能していて、理念もなにも関係なくただそこに所属していることこそが、人間にとって暮らしていく上で重要だったよーな気がしてて、だからこそ会社のため、なんて考えのもとに滅私奉公できたし、他の会社すなわち家族を排撃することに躊躇もなかったんだろーけれど、そんなライバル企業どうしが合併とゆーあきらめのきく勝敗の決し方じゃなく、協業なんて感じのゆるやかな連合体を形成していくよーな昨今の動きを見るにつけ、人はいったい「会社」に何を見て何を期待しているんだろーか、ってな疑問が頭を持ち上げて来る。

 オーナーどうしが麻雀には1人足りない人数だけど太っ腹なところを見せて株の持ち合いを行うついでに事業面でも連携していくことを決めた、ナムコにエニックスにスクエアってゲームソフトでは大所の3社がいよいよ具体的な連携の概要を発表して、中味自体は「プレイオンライン」の共同運営とか海外での販売とかローカライズの共同展開とかいった、最初の発表時点で予想のついたものばかりだったけど、ゲームを提供するオンライン、オフラインを含めたインフラの部分での協力とか、発表には入っていなかったけど検討課題には上がっているバックオフィスの統合とかいった「会社」のある部分を占めている機能が1つになってしまった暁に、ナムコであれエニックスであれスクエアとゆー組織のアイデンティティってのは、もはや「会社」とゆー閉じられた1つのファミリーに付随するものじゃなくって、別の部分にかかってくるよーに思う。

 それはオーナーへの愛着かもしれないし、あるいは作っているソフトとゆープロダクトへの関心かもしれない。後者の場合だと例えばナムコならナムコとゆー会社に「就社」する意味ってのは、ナムコとゆーブランドで出てくるソフトの製作に携われるか否か、ってあたりにかかって来そー、「ゲームスタジオ・ナムコ」こそが「ナムコ」であって他は違うってゆーか。仮に「会社」の1つの拠り所ががそーしたプロダクト・オリエンテッドなものへと純化していって、一方で統合されていく部門にいる人がかつて抱いていた”屋号”への関心なり忠誠心が薄れていった時に、人と会社の新しい関係が形作る社会ってのはやっぱり真の家庭をベースに糊口をしのぐための勤労と割り切られたものになるんだろーか、ギルド的な狭い範囲で忠誠心ってゆーか愛着を持った職能集団がつながりあい重なりあったものになるんだろーか。

 どちらにしても高度成長期を通じて「会社」が握ってしまった感がある主体が「人間」に戻って来そーな可能性を感じるけれど、逆にすべてが歯車として機能させられる社会の可能性もあるから難しい。同じ日にアトラスが角川書店との連携を強化するよーな内容の発表をして、一方では日本出版販売に栗田出版販売に大阪屋に太洋社とゆー出版取り次ぎ4社が長年のライバル関係を省みず、返品の部分で協力することで合意して返品センターを作るって発表を行って、近く日教販も参加するからトーハンをのぞいた大所が軒並み参加するビッグプロジェクトが明るみに。やがては別の部分へと波及していく提携の果て、データベースなり配本なり物流なりといった業務上のインフラ部分の共通化が実現した暁に、果たしてそこに日販だ栗田だ大阪屋だ太洋社だ日教販だってな各社の「会社」としてのアイデンティティーは残っているんだろーか、あるんだとしたらそれは何に付随してるんだろーか。社長? 社風? 社食? うーん分からない。ゲームや出版取り次ぎに限らず各所ですすむこーした協業が「会社」とゆー存在のもたらす経済学的経営学的哲学的な考察を、したいけど面倒だから誰かやって。


【6月17日】 日本における洋画の代表作めいて良く引っぱり出される岸田劉生の「麗子像」が実はどーして日本の洋画でそれなりの地位にあるのかが実はよく分からなくって、美を描く美術作品にあってよりによってあんな何というか父っちゃん坊やの逆で言うなら母っちゃん嬢や? ともかく真っ当に「美少女」とは呼びにくい少女の絵がもてはやされるんだろーか、もしかしたら自分の審美眼って相当に歪んでいるんだろーかと悩んでいたけどそこはそれ、大正期に生きていた人もおそらくはやっぱりブキミな女の子だなー、なんてことを持っていたらしーことが大正期に生きた文人たちの日常を描いた久世光彦さんの「蕭々館日録」(中央公論新社、2200円)を読んで分かって安心する。

 いやまあ昭和に生きて平成に生きている久世さんの今の感性を当時の人を媒介に働かせただけかもしれないけれど、麗子とゆー名の主人公の女の子が玄関に飾ってあった複製画の「麗子微笑」を停電の暗がりの中で見て、その「猫背である。首が短くて着物の襟に埋もれてしまっている。子供のくせに鼻筋は通っているのだが、目が笹の葉で切ったみたいに細く、眉も薄い。何だか暗がりの座敷わらしのようで、気味が悪い」(18ページ)と常々思っていた「麗子像」が「ニタリを笑った」ような錯覚を見て気絶したって書いてあるのを読むにつけ、実に特徴をピタリと言い表した文中の描写なんかにも後押しされて、当時も今もそれがやっぱり真っ当な反応だったんじゃないかと思いたくなる。そーいえば岸田劉生さん家のこの「麗子」、モデルの子は今いったいどこで何をしてるんだろー、肖像権でさぞやガッポリと儲けてたりする? いえいえやっぱり言うでしょう「ブキミなあれは私ではありません」。

 さて「蕭々館日録」、ヤスケンさんの評を引けば夏目漱石「吾輩は猫である」の形を借りて、大正期の高等遊民たちの知識に生き好奇心に生きる作家やら学者やら編集者といった人たちのスノッブだけど世をひねているってよりは文学に前向きなわいわいがやがやとした日常を描きながらもいたずらな風刺にはならないで、少女の目を通して九鬼なる人気作家すなわち「ぼんやりとした不安」を理由に自ら命を断った作家・芥川龍之介の晩年の日々を活写した作品で、今は文豪と例えられる人から名前も忘れ去られようとしえいる人たちまで、当時の文人たちの暮らしぶりとか意地の張り合いぶりとかが、実に生き生きとして浮かび上がって来る。

 小島政二郎なるどちらかと言えば随筆の分野で名を成したらしー、とゆーのは実は代表作をパッと思い出せない無教養な身では評価その他で検討が付かないからで、ともあれ芥川ほどには小説で売れなかったことは確かな小島をモデルにした児島蕭々という名の作家の家「蕭々館」では、午後も3時を過ぎると作家やら編集者やら学者やら金貸しやら医者やらが集まって来てはあれやこれやと話し込んでは帰っていく日々が繰り広げられて、5歳にしては才気にあふれている娘の麗子は、連日そんなおっさんたちの痴態狂態を見続けている。ただ訪ねて来るとはいっても九鬼だけは少しばかり違ったポジションにあって、理知的ながらもどこか世の中を冷酷に見ている雰囲気があって、麗子はそんな見ていた九鬼が気になって気になって仕方がない。

 小説の注文が来ない蕭々の嫉妬めいた感情を含みつつも超売れっ子の九鬼を含めた仲間たちと騒ぐ日々を送る日々からは、作家の苦悩めいたものが伝わって来て面白いけれど、そんな挿話を折り込みながらも物語の方は少女の幼い恋心が醸し出す喜びと苦しみめいたものを感じさせるエピソードを重ねながら、九鬼に訪れるだろう最後の日へと向かって進んでいく。5歳とは言っても小説の設定の上だけの話で実のところは時に冷静で時に慈愛にあふれた眼差しで九鬼を見つめる観察者として存在している麗子を通して、母親を捉えた狂気にいつ自分も捕まるのではという不安に怯え、懸命に生きていこうとしながらもどこか破滅願望も抱いた悩める九鬼=芥川の姿を描く。麗子だけが読むことができた九鬼の小説「或日の秋瑾(しゅうきん)」がどこまで芥川のスタイルに似ているのかを確かめられない我が身の無教養ぶりが嘆かわしい。申し訳なくも個人的には無名な蕭々こと小島政二郎も含めて芥川を読み返してみよーかな。

 「スタジアムに行こう」運動その2は江戸川陸上競技場で開催された「第13回ラクロス国際親善試合」の見物。ラクロスってゆーといみじくも夜のNHKのスポーツニュースでアナウンサーが先入観として例えていたよーに、良い学校のお嬢様がチェックのスカートにポロシャツ姿でチャラチャラと遊ぶ可愛いスポーツじゃん、って印象があったりするけれど、女子はともかく少なくとも男子の方はアメフトなみに激突もしょっちゅうの激しいスポーツだって聞いていたこともあって、ほとんど本場となりかけているオーストラリアからビクトリア州の20歳以下選抜チームが来て日本代表と戦う試合を見れば真実も分かるだろーと出かけてみた次第。一部にワールドカップへの出場が決まっている女子の日本代表がスカートひらひらさせながらグランドを走り回る姿に官能、じゃない感動したいってこともあったけど。

 ところがどうした、女子であってもチャラチャラしているなんてこてゃ全然なくって、広いフィールドを男子よりは2人多いとはいってもサッカーよりは少ない12人が手に捕虫網ならぬ「クロス」って道具を持って中にボールを入れて右に左に振りながら(「クレードリング」と言うそーな、遠心力で網に入ったボールが吸い付いて叩かれても落ちなくなる)走り続けなくっちゃいけないから足も腕も結構大変。走っていればチェックされたときにクロスが体に当たることもあるし、シュートだって速いと時速で100キロ超えることもあるそーで、正面から受けて立つゴーリー(ゴールキーパーのこと)もロングシュートを警戒するディフェンスの人も、そんなスピードへの恐怖を克服しなくっちゃいけない。

 可愛らしい格好に憧れて始めた人も走るんで足が、クロスを握るんで腕がだんだんと頑丈になっていき、格闘に近いプレイを経て闘争心も育成されるこの一石三鳥のスポーツが送り出すのは、チャラチャラとしたお嬢様なんかじゃない1人の立派なアスリート、だったりするのかも。入場の時にプラカードを持っていた慶応の10番のユニフォームを着ていた子がその可愛さでもって集まっていた観客の男子から注目を集めていたけれど、もしもプレーヤーだったらこれからだんだん太く強くなっていくのかな、うーん残念。お見合なんかで釣書を読んで「趣味はラクロスですか、それは雅やかな」なんて思って結婚なんたした果てに喧嘩なんてしよーものなら、クロスではたかれ正確なクレードリングで運ばれたコップが飛んで来るからご用心、ハンマーよりは良いけれど。

 パワーも相当に必要そーだけどテクニックも結構大切そーなのが実際にプレイを見て分かったこと。手で投げたボールをグラブで受け止めるのだって苦労する人が多いのに、ラクロスだと長さのある棒っ切れの先からボールを正確に飛ばす技術があって、飛んできたボールを棒っ切れの先の捕虫網ほど大きくないネットで受け止める必要があって、それを時には走りながら行う必要があって結構な神経を要求される。ディフェンス陣の長めのクロスを巧みにかわし自分のクロスを巧みに操ってラストパスなりシュートへと持っていく際のバスケットで言うダブルクラッチにも似た動きの鮮やかさには正直驚いた、いや分かりました、もう「チャラクロス」だなんて呼びません。

 男子に到ってはヘルメット被ったスタイルからして肉弾戦の衝撃はアメフトとかラグビーに近そー。もっとも体力だけが勝負の分かれ目じゃなくチームワークとテクニックが肝心なのも女子と同じで、試合の方はと言えばオーストラリアとはいっても20歳以下の連中相手に日本代表が大量得点を挙げたみたいで、その後のこっちは沖縄駐留海兵隊とゆーから肉体の鍛錬度にかけては世界屈指のメンバーを集めたチームも一蹴したよーで、巨大なディフェンスの下をかいくぐってベシベシとシュートを決めていく日本代表のスピードを見るにつけ、同じスタジアムではあっても世界の強豪相手に全然歯が立たなかった秩父宮のゲームとは違って、知らず日本がそれなりなポジションへと躍りでる可能性があるのかも、まあ本代表にはやっぱりかなわないんだろーけれど。

 観客は女子がたくさん、それも若い娘たちが。大学とかでラクロスをやっている人たちとか関心のある人たちとかが集まったんだろーけれど、競技としてやっている人も少なくないけれど、その可愛らしい雰囲気からやっぱりファッションとして楽しんでいる人も多いのかも、その意味で一時期のテニスブームなんかを思い出す。あと茶髪な渋谷原宿あたりを闊歩していそーなファッショナブルな男子も相当数、女子で「ラクロスやってまーす」って言えばファッションだけど男子で「ラクロスやってるぜ」と言ってファッションになるとは思っていなかっただけに、あるいは大学スポーツの中でラクロスが位置するヒエラルーがテニスサークルとかより上に来てたりするのかも。「SF研」とは……比べない。


【6月16日】 44個ある注のうちの「ベアテ・シロタ・ゴードン」くらいがパッと思いつかなったくらいで残りは「デ・ジ・キャラット」「ブロッコリー」はデフォルトで「ゲームマスター」「セーラー服で一晩中」「二十四年組」「あさのまさひこ」「漫画ブリッコ」あたりも基礎教養で「加藤典洋氏と対談」もオッケーで「ワンフェス」は「ワールドホビーフェスティバル」じゃないぞって突っ込めたりする我が身はもしかすると「小説トリッパー」なんて雑誌の基礎的な読者層には想定されてなかったんじゃないかと今さらながらに気づいてしまった、特別対談「大塚英志×東浩紀 批評とおたくとポストモンダン」を収録した2001年夏季号。編集後記に「吉本隆明・中上健次ときてこれはないだろう……店頭で本誌を手に取り眉を顰めた方がいらしたらどうぞご寛恕を」ってあるけれど、別にBOMEさん原型の「バーチャコール」の「プリシア」が表紙だからって中上健次さんより上とも下とも思わないし、かといって大塚さん東さんが出ていて「何かの間違いで買ってしまった」なんて思ってしまえる方が不思議だって感じてしまう心性の持ち主は、やっぱり「トリッパー」が狙いとする読者層から外れてるんのかもしれないなー。

 もっともこれが例えば同じBOMEさん原型でも村上隆さんの「プロジェクトKO2」が表紙だったらまたちょっと違った印象が醸し出されたところで、例えるならサブカルを咀嚼してアートの文脈に取り込もうとする「BT」的、あるいはサブカルを飲み込んでビジネスの領域へと引っぱり込もうとするリニューアル前の「広告」的ってな感じの、ハイブロウな胡散臭さが浮かび上がって来たところだけど、二次元キャラクターの三次元的肉感が土手の感じなんかも含めてとてつもなく良く出ていると個人的に感じる「プリシア」が表紙ってあたりに、こーゆージャンルへと探りを入れたいってなスタンスの真摯さがちょっぴり感じられるし、かたやマーケティング的、こなたデータベース的とキーワードとしてキャッチィな部分を前面に打ち立てて世の中から引っかけてもらいやすくはしていても、中味はやっぱり生真面目にサブカルとかおたくといった現象を考え批評しよーとしている2人の対談を持って来たってあたりにも、気取れないし韜晦もできない愚直さが出ているよーな気がする。

 対談の方は9割がでじこ論に割かれてて、ってのは大袈裟だけど結構な頻度で「デ・ジ・キャラット」「ブロッコリー」とゆーキーワードが脚注付きで出て来てて、データベース的に生み出されたキャラクターとそれを自覚的にやってる会社ってゆー、ポストモダンな現代においてある種究極の存在だったのかもしれないってことを思ったけどそれが正しいのかどーかは知らない。ともかく秋とかに遂に株式公開にまでこぎ着けたブロッコリーにとって、天下の築地の雑誌で結構気にされてるってことは、大きな意味を持つと思うんだけど証券会社とかのアナリストまでもが大塚さんと東さんと「小説トリッパー」が気にしてるってことのバリューを判断できるとは思えないからなー。文化ではそれなりな重さを持つよーになったおたくサブカルの類もビジネスではまだまだってことなのかな、まあそれだからブロッコリーの木谷高明社長が独歩できるんだろーねー、「『よし、ブロッコリーの社長を乗り越えるか』と思っているやつはいないんじゃないですか」(9ページ)ってこともあるし。

 15ページから16ページあたりで大塚さんが「ワンフェス」の会場で自分は「血まなこで美少女フィギュアを買い漁ってたけど、後ろ見たら君、いるじゃん。でもそこで東浩紀が何を反していようとしったこっちゃないという感じだったんだよね」って話から、真っ直ぐおたくなアイティムなりに向かっている人にとって脇でごにょごにょとやっている東さんのよーな仕事は「微妙になるよね」「東浩紀はどうしようとしているわけ」って突っ込んでいて、とりあえずは「それは重要な問題なので、ここで明かすわけには」とそらしているけど、ここは僕も聞いてみたい所。理論家でもありながら作り手でもある大塚さんは、ブロッコリーの社長お墨付きなデータベース理論をベースに「システムのよりよいエンジニアになっていこうとするのか、それとも作り手のほうに来ようとしているのか」(15ページ)、「君の理論が進化していくには、作り手のサイドに首を突っ込んだほうが面白いんじゃないのかという気がする」(同)と誘っているけどさてはて乗るか否か。

 実際のところ「漫画ブリッコ」で「プチ・アップルパイ」で後に「少女民俗学」の大塚英志さんが「マダラ」に「サイコ」ってな作り手の側へ行くとは80年代にはちょっと思っていなかったりする訳で、人間やる気になったらいろいろ出来るんだなーって思ってはいて東さんが「さっさと作り手に回って、そこで追い込まれてしまったほうが面白い」(15ページ)って意見にも同感だったりするけれど、読むとやっぱり評論の方の、旧世代VS新世代とかハイカルチャーVSサブカルチャーとかいった分かりやすい対立じゃない部分での対立の提示とその解消に向けた言説ってあたりが主になって行きそーで、「小説トリッパー」に「プリシア」的な訳の分からなさを振りまきつつもそれでも気になる存在として歩き抜いていくことになるんだろー。他にも読みどころ満載の30ページに及ぶ対談にプラス大塚さんの「物語消費論」からの抜粋と東さんの佐藤順一さんの仕事の多様性とそれをそれぞれに評価する制度の欠如への疑念(柳下さんと青山さんのバトルについても言及、曰く「二つの有料映画チャンネルの覇権争い」)なんかを現した東さんの連載「誤状況論」とゆーファンにとっては大盤振舞われな1冊。「プリシア」ちゃんの表紙だからってガレージキット的には恥ずかしくなんかないものなんで、気にせずレジへと運んで下さい。

 それにしても一方で「でじこ」が「ねこぢる」で「スタートレック・ボイジャー」とやってるのとは正反対に、「批評空間」な人たちはますます清冽さを増しているのかいよいよスタートする第3期は例の南無阿弥陀仏、じゃない「NAM」を土台とした実験劇場的な空間へと浮揚していく感じがあって、7月7日に「紀伊国屋ホール」で開催される「批評空間独立創刊イベント 第3期『批評空間』を創刊する」ってディスカッサン(?)が、いったいどんな内容になってそれが「小説トリッパー」とも「批評空間」とも無縁の我が眼にどー見えるのかってな興味もあって、新宿に出たついでにチケットを1枚購入しておく。生きている柄谷行人さん浅田彰さんを見るのは行けたら多分初めてで、当然ながら彼らを慕っている人たちの層がどんなキャリアでメンタリティでファッションなのかも不明。やっぱり背広とか着ていかないといけないのかなー、なんて思ってしまったけどここは梶井本次郎、檸檬爆弾を仕掛ける気分で「でじこ」の尻尾を付けるかもしくは昔買った「えここ」のTシャツでも着込んで覗いて来るか、たたき出されないよー注意しながら。

溝口館の謎  新宿駅で待ち合わせして古本屋を開店することが決まった、じゃないカナダに天下りする、でもないカナダのオタワな大学に政府の役人が天下ることが果たしてどんな経済的な効用をもたらすかってな研究をしにいく(政治経済学とでも言うんだろーか)溝口哲郎さんの壮行会に出席、30人ばかりで取り囲んで出会ったなれそめとか進駐軍の放出したペーパーバックを奪い合った話とかで盛り上がる。古本と言えばな「猟奇の鉄人」ことkashibaさんが「猟奇の鉄女」ではたぶんない新婚もやもや(新婚なんで頭がもやもやと嬉しいって意味)の伴侶を連れて出席していて、実はそっちに目を奪われていたのが会の真相、それにしてもどこの古本屋を回れば店主が奥から「とりおきしておいたんです」と言って美人を出して来てくれるのか、聞けば良かったと今になって後悔。帯なしでもいーから美本を望む、委細面談、土地家屋あればなお結構。

 場所を移して飲み明かした朝方に時間調整のために入ったりする区役所通りの「ルノアール」で「ペロー・ザ・キャット全仕事」と「ドッグ・ファイト」のどちらがより素晴らしいかを会議、はしないでもっぱら溝口邸の構造なんかを聞き出す。聞いていたのは二次会から合流したミステリーな古本系の方々で、おそらくは聞き出した見取り図から忍び込んでは美味しい所をごっそりと抜いていく計画を帰って練ることになるんだろー。個人的には和物で育った身なんで「JA」をごそりとパチって来たいところだけど、何故かお父さんの部屋とかに置いてあるそーで行って「この子を僕に下さい」と三つ指付いたら殴り倒されそーなんで、ここは見送って廊下にあるとかゆー朝日ソノラマ系を狙うことにしよー。まずは2階の窓に手を届かせるよージャンプ力を訓練だ、それから壁をぶち破れるだけの拳力と段ボール5箱を持って走れるだけの脚力の強化も。欲しいものへの思いがあれば地力の3倍だって軽く出せる古本の人たちに果たして勝てるか、勝負は夏だ。


【6月15日】 東中野から中野坂上へと向かってトコトコ歩いて氷川神社を過ぎた辺りにある向かいの、ライオンとかゆー多分事務機か何かの会社の道路に面した2階の窓ガラス越しに見えるあれは果たして「鉄人28号」なのかそうだとしたら何故に反対側の玩具屋じゃなくって事務機屋の中に飾られているのかと悩みながら、どれみはづきあいこが出てくる子供向けゲームの解説なんかを聞いた後、JRで新宿へと出て丸井の中にあるプリュスにヨージでボーナスを散財、したくっても良い歳をして3ケタにとうてい届かない支給額では無印のコムデにワイズでだってTシャツだって脈拍が倍に跳ね上がる値札だし、ましてや伊勢丹のアルマなんとかとかフェレななとかプラなんとかじゃあケタ違いも甚だしく、ここは分相応に新宿三越の2階にいつの間にか出来ていたGAPでセールのパンツをメッシュのベルトだけ購入、あとはイベントがジャックポットな夏に備えて金力温存となりそーで、かくして会社勤めの苦行に耐えて年に2だけ味わえるハッピーも梅雨の降りしきる雨といっしょに虹の彼方へと走り去っていきました。牛肉食べたかったなあ。

 スノッブな割に飽きっぽく、およそ習慣性のあるものといったら読書と日記と手首の前後運動くらいだったりする身にとって酒も煙草も珍しい銘柄を試すとか人前で格好付けるとかいった小道具程度のバリューしか持っていなかったりするんだけど、世のスモーカーを呼ばれる大半の人にとって煙草のとりわけ煙を吸って吐き出す行為は習慣である以上に人生そのものだったりするよーで、川端裕人さんの新刊「ニコチアナ」(文藝春秋、1667円)に出てくる煙の出ない「煙草」とゆーか「タバコ」をどーです試してみませんかを言われた喫煙者の多くが怒ったよーに反発するエピソードなんかを読むと、なるほど禁煙ってのが人のよってはなかなか止められない訳だってことが何となく伝わって来る。

 稀代の発明家が起こした会社で浜離宮のそばにあるってゆーから東芝あたりをモデルにしたんだろー電機メーカーが多角化の一貫なのか創業者の趣味だったのか無煙煙草、じゃあ論理矛盾ぽいから無煙タバコにしておこー、そんなものを作ろうとJTに対抗して市場に参入したは良いものの、味とかの部分でノウハウがある訳でもなく難渋していたところにアメリカの新興タバコメーカーから共同開発の誘いがあって幾年月、よーやく完成した無煙タバコを全世界で売り出すにあたってどーやらサブマリン特許があるらしいって話になって、日本側で推進しているメイはその出願者らしーロクサノ・テンマなる男を探して回る羽目となる。道連れになったのがカルロスって名前の青年で、タバコに関する科学的にも文化人類学的にも民俗学的にも詳しい知識を持っている彼といっしょに反喫煙運動をやっている女性闘士や南米から移住して来た人たちの居留地やネイティブ・アメリカンの縁の地なんかを訪ねて歩く。

 喫煙とゆーもともとはおそらく儀式なんかに使われるべき神聖な行為を本来の姿に取り戻そーとする神の意思めいた流れがあって、その上に全世界規模で発生しているタバコの先祖帰り現象が乗っかり、遺伝子レベル進化論レベルの科学的な説明が脇を固めてタバコを巡るこれまでと、これからの物語を紡ぎ出す。ロケットボーイズ話な「夏のロケット」とかロケットサイエンティストの金儲け話「リスクテイカー」といったエンターテインメント系の小説作品よりは、「緑のマンハッタン」とか「動物園にできること」といったノンフィクションの作品でルポしよーとした環境問題なり自然保護運動への関心を、タバコとゆー別に食べられる訳でもないのに不思議な魅力で全世界に蔓延っていった植物を通して描き出した、一種知的ミステリーであり一種生物学的SFともいえる小説作品。ビジョンとして繰り出される緑におおわれたマンハッタンなんて、それこそオールディスあたりのイメージに重なるし。

 表紙の隙間から眼みたいのが光ってるタバコの葉のイラストに「快傑ライオン丸」だか何かに出てきた葉っぱの怪人を思い出す。よくよく見るとちょっとブキミ。あとタバコに限らず中南米を原産とした同じナス科のトマトとかジャガイモとかトウガラシといった人類の胃袋を大きく満たした有用植物全体の未来に絡んで来てしまう話にしてしまったよーだけど、嗜好品のタバコとは違うこーした植物の変化が人類にどんな影響を及ぼすのかについての言及があんまりないのがちょっと気になる。喰えりゃ良いってことなのかもしれないけれど、イタリア料理にドイツ料理が不味くなるのもちょっとなあ。男を誑かすために肉じゃがの訓練をしている女性が必殺技を出せなくなったらこれは人類の未来にだって関わる話だ。

 久々に「Z.O.E」、ドロレスたーん。猫のピートがいつもながらに良い味を出してて人間様の都合なんぞはお構いなしに我が道のみを突っ走る猫らしさを見せてくれててちょっと楽しい。漂っているゴミから大気圏突入カプセルを作ってしまえるかどーかとか、あんなに星に近い場所でゴミがただ漂っていられるのかどーかとか、あの角度あのスピードで本当に大気圏突入が出来るのかといっの話とかについては考証その他も含めて知識がないんで分からないけれど、そーゆーことを抜いて反目し合っていた親子がお互いを認め助け高め合うよーになる話なんだと思えば考証云々を言うのも野暮か。次週以降も酸素を供給する話なんかを軸に火星のテラフォーミングに関する設定が出てくるよーで科学の人には瞠目な場面が続きそーだけど、慣れもあってマジで可愛く見えてきたドロレスに巨胸の娘に猫らしさ抜群のピートの存在を楽しみに、起きていられたら見て行こー。


【6月14日】 映画的な手法に目を見張り劇画の荒々しさに腰を抜かしリアルさを追究した緻密な描線に驚きコマ割りの大胆さに嘆息したことすら昔のこと、いまやあらゆる表現手法がくんずほぐれつしながらしのぎを削っている漫画の世界にあってもなお、4つのコマだけで世界を表現し切ってしまう4コマ漫画が隆盛を極めているのを見れば分かるよーに、テクニックとテクノロジーが発達して実写を見紛うばかりにリアルな人物を描写できるよーになろーとも、簡単な動きだけで表現する4コマ漫画的なアニメーションは、健在どころかインターネットの時代にますます需要を増して来ているよーな印象さえ受ける。

 ブロードバンド時代とかいってもバリバリに動き回る普通一般のテレビで見るよーなアニメを配信するのは流石に難しかったりするこの時代、ネットで出来ることってのもまだまだ限られていたりする訳で、そんな制約の中でさてはてアニメっぽいコンテンツを提供するにはどーしたら良いんだって考えていた所に、登場して来たのが「Flash」って技術。簡単な動きとか音声を持つコンテンツを配信できるこの技術を使えば、簡単な動きとか音声を持ったアニメなら作れてしまう訳で、かくして動く4コマ漫画とも言える「フラッシュアニメ」がわんさと登場して来ては、コンテンツ提供事業の結構大きな目玉となって、あっちの企業こっちのサイトから提供されるよーになっている。

 そうそう昨日冒頭だけちょろりのぞいたアトムショックウェーブって会社からして、少ない動きながら過激なセリフと演出で圧倒的な面白さを作り出している「サウスパーク」みたいなカートゥーンをネットで専門的に提供する会社だったりするし、最近だと「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のティム・バートンを起用した短いし動きだって少ないけれどたぶんとてつもなく面白いアニメーションをネットで流し始めてて、やっぱり話題になっている。だったらアニメ大国の日本はどーなんだ、って疑問も当然に浮かぶけど、ことアニメで世界最先端のその先を行ってしまっている国だけあって、動きとキャラへの萌えで魅せるアニメだったらいざしらず、アイディアで見せる4コマ的なアニメはちょっぴり苦手にしているっぽい雰囲気があって、なかなか話題の作品が登場しない。「リヴァイアス・イリュージョン」は良かったけど。「あずまんが大王」は「フラッシュ」だったのかな。

 そーこーしているうちに、せっかくのビジネスチャンスを取り逃がしてしまうかも、とか思っていたら本当になりそーなコンテンツがアジアは台湾から登場、いよいよ日本への上陸を始めるとあってキックオフ・レセプションってのが開かれて、のぞいて作品を見たらこれが何とおもしろいじゃあ、あーりまんせんか。99年から配信が始まっていて台湾じゃあキャラクターグッズも山と出て、軍隊の新兵募集キャンペーンのキャラクターにまでなっていたりするから日本でもすでにマニアには有名なのかもしれないけれど、台湾人ながら日本に滞在しているビビアン・スーは知らなかったからやっぱりそれほど日本じゃ有名じゃないのかもしれない「阿貴的家族」(アークエ・ファミリー)は、「台湾版サウスパーク」の呼び声も高いだけあって、アークエって名前の子供とその家族や同級生、学校の先生たちが登場してはおかしかったり不思議だったり理不尽だったりシュールだったりする言動を繰り広げて、見ている人を笑いの渦へと引っぱり込む。

 「フラッシュ」なんで動きは単純。けれどもパタパタと表情を切り替えたり上へ下へとキャラを動かしたり廻したり寄ったりボかしたりすることで雰囲気を出し、セリフによって厚みを増して物理的ってよりは心理的に、それなりな奥行きを表現することに成功している。それ以上にやっぱりシナリオが秀逸で、バナナが安いとあってバナナ料理ばかり喰わせる母親に辟易としたアークエが、今度は西瓜が安くなるとゆー報に西瓜料理攻撃を思い出してぶったおれる話とか、車にはねられることでエンブレムを体に刻んでどこそこのメーカーのマークがついてるからエラいのだと争う犬たちのなかで、唯一体にマークをつけていなかった犬が、スリーポインテッドスターな車にようやくはねられ、最高の称号を得るってゆー血と暴力の香り漂うお話しとかがあって、単純だけど単純だからこその面白さについつい笑ってしまう。

 応援団ってことで来場していたビビアンが見て気に入ったらしーキャラは「リー先生」って眼鏡をかけたオールドミス的風貌の女教師で、やれ自分は先生だから尊敬しろ万歳と叫べお中元にお歳暮は欠かすなと生徒に向かって要求する強欲さ、反抗する生徒をコンパスかボールペンかなにかで後ろの壁に串刺しにする残酷さがちゃんと描かれて、ありきたりではあるけれどありきたりだけあてそのおかしさについつい吹き出してしまう。詳しくは台湾の本家か日本語版サイトの「寶島」を見てもらおー。ほら面白いでしょ、たどたどしい日本語は声優さんが下手なんじゃなくって、台湾の人に日本語を喋らせているから。そこいらあたりの無茶もまた作品の無茶な展開にマッチしてまた楽しい。

 「サウスパーク」ってよりは「ちびまる子ちゃん」的な等身のキャラクターでお話しも製作したスプリングハウスって会社の張榮貴さんって社長の子供の頃のエピソードが土台になっているだけあって懐かし系でやっぱり「まる子」風。目なんかの処理もちょっと似てる。キャラだと女の子たちの意外な可愛さには驚きで、アークエの妹のシュウメイちゃんなんかクリクリした目が可愛くってまんま日本で人形とかグッズとして受ける可能性は大。あとやっぱりリー先生、ストラップにすれば厄除けになるな。アークエに癖がないのが難だけど、軍服とかいろんなバージョンがあるみたいで使い廻しが利くキャラとしてあっちゃこっちゃに受け入れられそー。「パワパフ」全盛なカートゥーンに「アークエ」旋風は吹くか? 富野監督も面白いと言ったそーだしサンライズで「Gセイバー」を作った植田益朗さんがマーケを担当するみたいなんで、とくとお手並み、拝見させて頂こー。

 懐かしいー、でもってやっぱり素晴らしいー。高校生くらいん時に読んで読んで読み込んで筋もシーンもほとんど記憶していたけれど、忙しさにかまけてちょっぴり脳髄の奥底へと押し込められていた感動が文庫になってよーやくやっと再刊された萩岩睦美さんの「小麦畑の三等星 1・2」(集英社、1・2各580円)を読んでわじわじっと甦って来た。あの名シーンにあの名セリフ、ちょこちょことしてくりくりとして可愛い主人公の女の子の絵なんかは全部記憶のまんま。読みふけっていた当時の状況とか、何か漫画は持ってないかって言われて学校に持っていって授業中に貸し出していた記憶とかも合わせて甦って来て、あれから積み重なった時間の重さなんかをあらためて感じてしまう。感動したとかいったあの野郎、今時何やってんだろーねー。

 かといって覚える感動までが単なるノスタルジーかというとそうじゃなく、改めて読んでもやっぱり素晴らしいストーリー。おへそがなくって頭にへんなマークのある女の子、碧穂(あお)には不思議な力があってそれを目当てに外国から来た奴等を撃退したと思ったら、今度は人類全体を巻き込みそーな宇宙規模への話へと膨らんでいく展開が、思春期の少年少女にありがちな本当の自分とは? ってな悩みと希望の入り交じった感情へと働きかけてあれやこれやと考えさせる。それでもって哀しくって痛くって苦しくってもやっぱり前向きに生きていくことの大切さを諭して、「わたしはここにいたいんだ」「わたしはここにいてもいいんだ」と感じさせてくれる。あと両親とか友だちとかの優しさの素晴らしさも。男のキャラの髪型なんかに往年の少女漫画っぽさがのぞくけど、ストーリーは古びてないし絵も読んで気になる程の古さはない、とは思うけどそれはまあ人それぞれ。ともかくもせっかくの機会に萩岩さんの原点に触れてみてはいかが。「銀曜日のおとぎばなし」も文庫で買い直すか。

 それにしても「これはSFじゃない」効果なんだろーか、2巻のあとがきで萩岩さんが「SFっぽい作品を何本も描いておきながら、実は私、SFはあまり好きではありません。ファンタジーにしてもしかり」って書いていて、いったいどんな「SF」を読んで「SF」が嫌いになったのかがひどく気になる。個人的には「小麦畑の三等星」はしっかりと「SF」で、ここを入り口にして深淵だったり壮大だっりする「SF」の世界へと足を伸ばす人がいっぱいいたら嬉しいな、って思っていたのに、当人から「これはSFじゃない」「SFはきらい」と言われてしまうとちょっと立つ瀬がない。本当に「SF」が嫌いなのか、嫌いだとしたらそれはどんな「SF」なのか、「SFっぽい」というからにはあるいは自分では「SF」だと言いたい気持ちが「真のSF」なるものへの配慮からスポイルされてしまっているのか、あれやこれやと想像が浮かぶけどやっぱり判然としない。釈然ともしない。狭め高めるのも当然ありだけど、広げ増やすのもまたあり。そのどちらもが共栄できるよーな雰囲気を柵(しがらみ)のない世代に作っていってもらいたいもんです。


【6月13日】 出演していた女優にどーして子供に直接マイクを向けるんだと咎められてヘラヘラ笑いながら「ついやっちゃうんですよね」と答えた某アナウンサーに恐らく山ほどの抗議が送られた筈なのに、該当する番組の掲示板では黙殺しっ放しとゆー挙に出たりして、外部から寄せられる一切の圧力に屈せすることなく己が社員を守り己が言論を護持しよーと頑張っている姿が、身内には何とも頼もしく映るだろー赤坂にある巨大帽子な放送局を横目で見ながら、ティム・バートンの新作短編アニメを放映してたりするアトムショックウェーブって会社のプレスミーティングをちょっとだけ見物、途中で抜け出して原宿へとかけつけ、去年の11月に続いてやって来た世界のオンラインショッピング事業者が神と崇める「アマゾン・コム」CEO、ジェフ・ベゾスの顔を見物に行く、やっぱり禿げてた。

 超多忙な日程をぬっての来日だけあってさぞや凄い発表かと意気込んで、長時間を並んで開場を待ち最前列に陣取って席に置いてあったプレスリリースを読んだ瞬間に脳天を直撃したのは激しい衝撃、カプコンの「鬼武者2」で復活する松田優作さんの言葉を借りれば「なんじゃこりゃあ」な内容で、にも関わらずの御大来日ってことはもしかしてやっぱり相当に素晴らしい話なのかもと思ったけれど、僕の老いて真っ白になった脳味噌ではちょっと判断がつかず迷う。つまりは「アマゾン・ジャパン」でも音楽CDとDVDとビデオの取り扱いを始めるって内容なんだけど、取り扱い品目が増えますよってだけの「モスバーガー」が「きんぴらライスバーガー」を扱い始めた時ほどにはインパクトのない会見に、わざわざ大きな会場を借りてアジア各国からもプレスを呼んで(カンボジアのプレスって人がいたのには吃驚、「カンボジアでは本はほとんど読まれないが」と前置きして質問したのに2度吃驚)CEO本人も来日して、盛大に会見を行うだけの果たしてバリューがあるのかどーかが分からない。

 まあ「アマゾン」の会員の人にしてみればいつも使っているサイトでついでにCDとかDVDとかも買えちゃうんなら都合がいいやって話になるんだろーけれど、オンライン書店における「アマゾン」って名前の知名度に比べると音楽とかCDとかを扱うサイトとして「アマゾン」をまず利用してみっか、ってな人が突出して多いとは思えないし、本と違ってCDとかを主力で買ってる人たちは学生だったりティーンだったりする訳で、ネットショッピングにそれほど依拠しているよーにも思えない。付加価値的なサービスにはなってもメインのサービスになりえるか、ってな疑問もこれありな新商材のアピールに結構なプロモーション費用を突っ込めるあたりを余裕と見れば見られないこともないけれど、それよりだったら本を売ることをもっともっともっと注力すべきだろー。本好きな人の姿のまるで見えないオンライン書店が知名度だけで突っ走ってる状況への本好きとしてのヤッカミ交じりの異論でしかないんだけど、やっぱりもーちょっと腰据えて”本業”に勤しんで欲しいもんです。いつまでも囃してもらえると思うなよ。

 江戸川橋方面での用事に備えてJRで池袋へ。時間があったんでリアルな書店の匂いを嗅ぎに「ジュンク堂」へと立ち寄る、地下でカオリンが電話番してた、でもコミックの新刊は買わず。3階の文芸書のコーナーに現在発売中の「東京ウォーカー」にかの稲垣悟郎ちゃんと見開きでインタビュー記事が掲載されて顔写真まで披露してたりする三浦しをんさんの小説第2作、「月魚」(角川書店、1800円)が何とサイン入りで並んで、その昔にデビュー作の「格闘する者に○」(草思社、1400円)にサインをもらってそのサインぶりに新人らしー初々しさを感じたことを思い出し、あれから著作も何冊か出て立派にプロとして活躍中で、きっとサインもみつをが326並みに芸術して来てるんだろーと手に取り表紙をひらいてジーパン刑事。「なんじゃこりゃあ」。

 あるいは初めての本を買ってもらって嬉しい少女がマジックを手に取り自分の持ち物なんだと印をつけたかの如き、ストレートに自分の筆名を書き記したサインはスレたプロの作家が失ってしまった初々しさを感じさせてくれること請負なんで、近所に寄った人は1階の新刊棚じゃなく3階へと上がってサイン本をゲットしてみるのが良いかも。もっともすでに3冊しか残っていなかったんで(何冊サインしたかは不明)欲しい人、「東京ウォーカー」でその容貌に感じた人は池袋へと急げ。なくなったらなくなったでマジック持った著者が勝手に在庫にサインして来たり、はしないかな、でもしたりして。大勢の人に見てもらいたかったんでそこでは買わなかったんで、僕ん家のにもいつかどこかでサインして下さい。

 3階では「三島由紀夫全集」の買い残していた3巻と4巻を購入、あー重たい。あと岡田斗司夫さんの「フロン 結婚生活・19の絶対法則」(海拓舎、1500円)とあるいは関係あるのかそれとも全然ないのかは分からないけれど、子育ての意味と意義について何か語っていてくれそーな「男だけの育児」(ジェシ・グリーン、伊藤悟訳、飛鳥新社、1800円)を購入、帯には「ゲイ・カップルが問う本物の親になる方法」ってあるからどちらかと言えば夫婦ってよりは親子の、それも血縁ではなく養父と養子ってゆーある意味とってもテクニカルな親子関係について突き詰めた本って感じがするけれど、「フロン」で啓蒙された未来に訪れる、かもしれない血縁があるにも関わらずドライな親子関係の可能性に、いろいろな意味で示唆を与えてくれそーな気がしないでもない。これを読んで「フロン」も読み込んで21日はトークショー。まだ間に合うかな。

 ちょっと前に神保町の「東京堂書店」から救出しておいた河出智紀さんって今はあんまり聞かなくなってしまった、のも当然で名前を変えて小川一水さんて名前で活躍中だったりする人の最初の本だったりする「まずは一報ポプラパレスより」(集英社ジャンプジェイブックス、770円)と続編の「まずは一報ポプラパレスより2」(集英社ジャンプジェイブックス、800円)をまとめ読み。やっぱりジーパン刑事。「なんじゃこりゃあ」とその達筆さ面白さに驚く。王女と従者的な男性との関係を軸に、王室のどろどろ国家間のいろいろを折り込んで描いた恋あり陰謀ありアクションありの物語。ラフィールなんてカゲもカタチも世間的にはなかった時代に高飛車な王女様と突っ込まれつつも時に頑張って王女を助ける従者の関係を描いていたりして、これとて過去に類例はあったりするけれど、王位簒奪を狙う兄を相手に堂々の立ち回りを見せ、傘下に入れよーと企む諸外国を相手にあれやこれやはかりごとを巡らす王位継承者のグリーナ王女の頭の良さ、度胸の良さの描きっぷりは読んでなかなかに胸がすく。

 物語の意外性と投げかけるテーマの深刻度では2巻の最初に短編「あなたに木陰の思い出を」がなかなか。ファンタジックな舞台設定ときらびやかな宮廷劇にとらわれるなんてことをせず、現実的な課題をそこに折り込んでおそらくはティーンだったろー主要な読者に決して単純じゃない善と悪の裏腹な関係性について語っている。正しさって何だろうと問い掛けている。かといって深刻になり過ぎるってこともなく、行方不明になった王女を心配して宮廷長官の女性がスパゲティをなかなか真っ当に食べられない辺りの描写には妙にとぼけた面白さがあったりするし、考えよーによってはシリアスなんだけど陰惨にはならない結末を後半の短編も含めて持ってくる辺りに、読んで楽しめる小説を書きたいんだってな著者のスタンスがのぞく。続編が読みたいんだけど既出の1編だけでは単行本にならないしなあ。とりあえずは1巻2巻が急に売れ出して版元が続編の刊行に本腰を入れてくれることを願おう。乙一さんのリニューアル刊行に続いてくれると嬉しいな。


【6月12日】 なんでだろーと考えて多分、再放送中のシリーズもそろそろ半ばに差し掛かったタイミングだってことに気づいてなるほどと得心した「なかよしメディアブックス9 アニメアルバム 美少女戦士セーラームーンR」(講談社、1400円)のほとんど6年半ぶりの第2刷発行。「プレイステーション・アウォード」の会場へと向かう途中の「品川プリンスホテル」脇にある本屋さんで見かけた時にはそこまで頭が回らなかったけど、あれでなかなか商売考えてるんだなー講談社も。各話のストーリー紹介にはそれなりなクオリティのフィルムがしっかりたっぷり使われていてセリフなんかも込みのキャプションもふんだんで、リアルタイムで「R」を見ていた身としては、記憶を刺激されて頭が一気にあの時代へと還っていく。あったなあそんなこと、なつかしいなあこんなこと。

 各話でのフィルムの選び方が巧いのと、脇のミニコラム「ここでリプレイミニシアター」が凝ってて工夫があって面白いのとが重なって、なかなかに読みごたえのあるムックに仕上がってるなーというのは今さらながらの感想。「エヴァ」以降のアニメバブルを受けてわんさと出てきたミニシアター系、じゃないテレビ東京深夜系なりWOWOW系のアニメ絡みのムックは結構買ったけど、話数の多さもあってかここまでのボリューム感を与えてくれたのってちょっと思いつかない。あと監督さんとかクリエーターとか声優さんへのインタビューってのが、三石琴乃さん荒木香恵さんへの簡単なインタビューを除いてほとんど載っていたいのが意外でちょっと面白い。メインのターゲットが本来「セーラームーン」を見てもらいたい女の子たちってこともあるんだろー、声優さんより幾原さんより「セーラー戦士」そのものへの興味を満足させる内容にしたみたい、それはそれで正しい道かも。幾原さんがコスプレした写真なんか載ってたら子供の読者、きっとトラウマになるからねー。

 巻末の「オール ザット ミュージカル’93」にげらげら。なるほど最初はこーゆー配役だったんだってことを思い出して懐かしくも不思議な気持ちになる。今でこそ定番ミュージカルとして人気も知名度も結構なものになったし、再放送が始まるこの何年かはミュージカルこそが「セーラームーン」のスピリッツを受け継ぐ唯一にして絶対なコンテンツだってな受け止め方も出来るよーになっていたけど、最初の頃ってどーしてもテレビアニメの2番煎じってゆーかテレビの人気に便乗した色物的なニュアンスを、受ける側として感じてしまっていたからなー。何しろ主演が大山アンザさん、「桜っ子クラブさくら組」なんて今じゃあ誰も知らないよ。それから「マーズ」が乙姫こと中山博子さん、うんうんそーだった、ミュージカルで言ってくれるのかと期待しちゃったよ「人生は2度ない3度ある」とか。原史奈さん神戸みゆきさんを経て4代目だかになっているそーだけど、テレビから抜け出て来たよーな、コスプレも今ほど世間的な認知度の高くなかった時期に頑張ってミュージカルに挑み盛り上げてくれた初代メンバーに改めて敬意を捧げよー。皆さん脚立派だなー。

 参ったやられた降参だ。金城武さんを起用して大ヒットを記録した「鬼武者」に続く続編の、おそらくは柳生十兵衛っぽいキャラクターを主役に据えた「鬼武者2」で金城さんじゃなければ一体誰を主役に起用するんだろーかとあれこれ頭を巡らせていたけれど、20年前だったら草刈正雄さんで決定だっただろーけど、今時それほどまでの圧倒的な役者がそう何人もいる訳でもなく、たとえば反町隆文さんだったら岩城滉一さんと区別がつかないし、木村拓哉さんだったらギャラがハンパじゃなから起用は無理。永瀬正敏さん浅野忠信さん豊川悦司さんならどうかとも思うけど横1線って感じもあって選ぶに一苦労、歌舞伎役者も狂言役者も主演に持って来るほどのバリューと人気を兼ね備えてかつゲームになって特徴のある人はいないなーと悩んで、いっそブラッド・ピットかレオナルド・ディカプリオでも持って来るしか打開の道はなとすら思っていたけれど、さすがにそこまでは思い浮かばなかった、死人を甦らせるなんてことまでは。

 松田優作さん。現役で最強の役者でも、ハリウッドで最高の役者でも存分に太刀打ちできるだけのバリューと人気とインパクトを持っている、20世紀が誇るこの俳優を「鬼武者2」の主役に起用すると聞いた時、何もかもがストンと腑に落ちてしまった。そーなのだ、CGとゆー世界のあらゆる事象をモニターの上に現出してみせられる技術を使えば、たとえ死んだ人であっても復活させられるのだ。分かっていたし十分に認識はしていたけれど、生きている人を使ってモーションキャプチャで取り込んでそれっぽく再現してみせるのが半ば当たり前と思いこまされていた頭には、ちょっと思いつかなかった。マジで驚いた。やるなあカプコン、これで明日のスポーツ紙、芸能面トップは間違いなしだ。

 もっとも心配がない訳じゃなく、顔にセンサーまで取り付けて表情を読みとらせただけあって、「鬼武者」の明智左馬介は実に表情が豊かだったよーに記憶しているけれど、その点でゲーム画面に登場した松田優作さん演じる柳生十兵衛(といっても千葉ちゃんの十兵衛じゃなくって柳生新陰流の始祖を勝手に十兵衛と呼んでるらしー、その始祖の人)は表情がちょっぴり強ばっていて、言うなれば松田さんの精巧なお面を付けた人が演じているよーな印象を受けて、たぶん見ていた人もそー思ったんだろー、驚きから来る笑いと同じくらいにどこか不思議な雰囲気を持った松田さんの姿に「はははっ」といった虚ろな笑いが漏れていた。特徴があり過ぎる顔だけに表情も声もないとブキミなんすよ、これがまた。

 まあカプコンだけに来年の3月7日とびっちり切った発売日までには何らかの策を講じて来るだろーから期待するとして、どーせだったらついでに成田美樹夫さんもCGで復活させて松田さんに絡ませてやって欲しいとこ。あとこれを機会にイメージの保全って意味から松田美由紀さんがなかなか厳しかったらしー松田さん絡みの肖像権の許諾を、参考出品で「探偵物語」の工藤俊作さんを人形にして作っていたけど結局は商品化かなわなかったみたいな時代劇フィギュアのアルフレックスにも認めて、「鬼武者2」版なアルフレックス「侍シリーズ 十兵衛 松田優作」なんかを出させてやって欲しい。ズングリ感のあるメディコムトイの「探偵物語」も悪くはないけれど、時代劇ならやっぱアルフレックスだしね。メガハウスでも良いけれど。

 「無」から突然巨大な「有」が生まれるのが才能で勝負する世界、とは言え漫画雑誌にまるで縁のなかった新潮社から激戦区だったりする青年コミック誌のマーケットでいきなり最高部数を達成してしまう雑誌が出るのはやっぱり驚くしかない。仕切っているのは「コアミックス」ってゆープロダクションで新潮社は実質、流通面を担当しているだけに過ぎなかったりするけれど、「無」だった訳だからやっぱり「有」には意味がある。5号ともなると「コミックバンチ」も漫画のラインアップはとりあえず固まった感じがあって、さてこれからどう展開してくのかってな思案の為所に来ているけれど、それでも「エンジェル・ハート」は冴羽とグラスハートととの邂逅とゆー大一番が控えている訳だし「蒼天の拳」もバトルバトルの積み重ねがこれから始まる予感、「山下たろーくん」は立身出世の物語への端緒に届いてすらおらず、「リストアガレージ251」は出ていないヒストリックカーが多すぎる、「フェアレディZ」とか「いすゞ117クーペ」とか。

 つまりはこれからまだまだ盛り上がって行く可能性が大ってことで、安い値段と相まってしばらくは火曜日の伊の一番の購入雑誌の座を「週刊プレイボーイ」から完全に奪った格好。今週は中根かすみさんのグラビアに迷いもあったけど、夏門の魔球の正体とか出勤1日目の山下たろーの奮闘ぶり失敗ぶりとかの方が気になってやっぱり「バンチ」を手にとってしまった。韓国からの輸入漫画「熱血紅湖」の水浴びしていた女性も剣士に化けていた女性も同じ顔同じ髪型に見えたりする辺りへの悩みとストーリー展開のどこか残っているぎこちなさも、現時点ではあまり気にならないくらいに先への興味をあらゆる漫画から引き起こされる。これで1つ2つ新連載が加わったら、それも編集長の人脈なんかで引っ張って来るよーな超大物が加わった日には、ミリオン達成だって決して夢物語じゃない。「週刊新潮」のお株を奪って新潮社でトップの雑誌に座ってしまった暁に、果たしてどんなギクシャクが起こるんだろーかってな感心もあるけれど、今はとにかく「蒼天」の先を、「エンジェル・ハート」の続きを、「山下たろー」の未来をちゃんと見届けさせてくれるだろーことに、強い期待を表明しておこー。


【6月11日】 日販から7月発売の文庫の案内届く、朝日ソノラマから出る草上仁さんの「スターハンドラー」(514円)ってのがとりあえず気になるなー、既出の文庫化って訳ではなさそーだけどどこかで連載されていた話なのかな、それとも書き下ろしか何かかな。「徳間デュアル文庫」で中井紀夫さんとか東野司さんといった80年代に懐かしい日本のSF作家が続々”現役”復帰してるけれど、そこにどーして草上さんが入ってないんだろーと半ば不思議に思っていただけに、レーベルは違えど新刊がリリースされるのはファンとしてとてつもなく嬉しい。「よろずお直し業」とかも復刊しないかな、持ってるけどいつもの事ながら部屋のどこに行ったか分からないんだよね。あとは火浦功さんの完全復活だけど……期待しないで願ってます。

 メディアワークスは中村恵理加さんの「ダブルブリッド6」と佐藤ケイさんの「天国に涙はいらない あだ討ちヶ原の鬼女」と時雨沢恵一さんの「キノの旅4」あたりが揃って刊行、シリーズ物の多さに読んでない人これから読もうとする人はちょっとウンザリしそーだけど「富士見ファンタジア文庫」に比べれば巻数が少ない分だけまだ耐えられるかな、個人的にはそれぞれに楽しんでいるシリーズなんで安心。集英社の「スーパーダッシュ文庫」は倉田英之さんの「R.O.D4」がリリース、あと田中啓文さんの「猫の眼のように…」ってのがあるけどこれは何だろー、「スーパーファンタジー文庫」からの流れ? 「集英社文庫」の方で「ジャンプノベルズ」から出てた乙一さんの「天帝妖狐」が刊行でこれは売れそう。学校も卒業したみたいで角川スニーカー文庫で新刊続々だったりして今まさに売れっ子な乙一さんだけど、東京には出て来ないのかな、住みやすい所だからなー。

 これは注目。小学館文庫コミック版で竹宮恵子さんの幻になりかかってたファンタジー「疾風(かぜ)のまつりごと」が2巻同時にリリース。年を取らず人を幸せにする不思議な力を持った兄と妹の2人組が戦中戦後といった時代を超えながらさまざまな人たちを邂逅しては別離を繰り返すとゆー、ほろ苦くて哀しいストーリーだけで、何年か前に「月蝕歌劇団」が舞台化してちょっとだけ話題になった。「プチフラワーコミックス」から刊行されたものの今は絶版で古本やでもまず見かけない本になっていて、舞台を見る前に読んでおきたかったけど結局果たせなかったものが、去年よーやくブックオフのネットで見つけて購入して読むことができた。いや本当に美しく哀しい物語です。あと注目は「祥伝社黄金文庫」なんてすさまじい名前の文庫からリリースされる「セブン・イヤーズ・イン・ジャパン(仮)」だな、著者はドラガン・ストイコビッチ。ピクシー絡みの本はそれだけで注目するのがサッカーを愛する人の義務である、うん。7月のベルディ戦にはちゃんと出てくれよ、珍しくチケット買ったんで、席ベルディ側だけど。

 ロボットバトルが人気になっててその予備軍を養成する学校があってエリートな生徒たちが通ってて落ちこぼれっぽいんだけど見えない才能があったり圧倒的な優等生だったり他の追随を許さない天才だったり胃を痛めながらも調和に務める上級生がいて不思議な上司がいいて生い立ちや目的に謎と秘密を持っていて背後に大きな陰謀があってってな、言ってしまえばよくある設定よくある展開なんだけどだからといって楽しくないかっていうとこれが滅法楽しいのは、そーゆー非日常的な日常に日常から脱却できない人の憧れが反映されたものだからなんだろー。三雲岳斗さんの新シリーズ「ランブルフィッシュ 新学期乱入編」(角川スニーカー文庫、590円)のことね。

 とりあえずは転入生で乱暴者だけど格闘センス抜群な沙樹ってゆー女みたいな名前の男と、ロボットの設計に才能があって気合いも十分なんだけど真面目過ぎるのが玉に瑕、あと家庭の事情も結構複雑な瞳子との関係を軸に、沙樹と瞳子たちがメンバーの落ちこぼれ組が才能と努力でエリート組に泡を吹かしていくってな、アスプリンの「銀河おさわがせ中隊」とか秋山瑞人さんの「E.G.コンバット」なんかで読んだ記憶のあるストーリーが展開されそーで、あとしょせんは兵器でしかないロボットとの付き合い方で悩む少年少女たちってな「パトレイバー」なんかでも出てきたテーマも絡んで行きそーだけど、それでも人が秘められた才能を発揮して勝ち上がって行く姿は自分に重ねて読んで結構勇気づけられるもので、理想と現実のギャップに三雲さんがどう折り合いを付けさせるのかにも興味がある。メカの描写は緻密でリアルっぽく工夫を重ねて勝負に挑むバトルシーンのミニ4駆的ってゆーか格闘マンガ的な面白さもなかなか。「コールドゲヘナ」とは違った意味で代表作になるだろー。出たばっかりだけど早く次を。

 いやー堺屋太一さんがこんなに潔い人だとは知らなかったよ驚いた。「週刊朝日」に連載中のエッセー「今日とちがう明日」の第241回目(6月22日号所収)で第三セクターや土地開発やリゾート事業がぼこぼこと沈没している風潮に鑑みて、「失敗の原因は何か」ってことを追究している。そして「まず第一に挙げられるのは、事業のコンセプト(概念)がはっきりしないままに進めたことだ。リゾートにしろテーマパークにしろ『何をするのか』の議論もなく、見よう見まねで作ったものはことごとく失敗した」なんてことを言って例の「インターネット博覧会」のことを反省している……ってえっ? 違うの? だってどう読んだって「インパク」のことを言ってるよーにしたとれないんだけど、「形だけは造っても、運営が伴わず、宣伝キャッチフレーズと客引きイベントが食い違ったりする」なんて指摘を手始めに。

 「はっきりとしたコンセプトを決めて」なかったからこそネットのユーザーに喜ばれる人たちが全然登場しないまま見てもらえない状況が続いている訳で、まさに「ウィーン・オペラに演歌歌手が登場するような結果にな」ってるんだし、世間的には有名でもネットの人に訴求するだけのインパクトがなかったり、有意義なんだけどネットの人が求めるコンテンツじゃなかったりする現状は「コンセプトを定める苦しみを避けて、ゴルフや水浴びだけで客が呼べると錯覚して」いるにほかならない。これが「インパク」の自己批判じゃなかったら何だとゆーんだ。「自分は飛行機でゴルフ場に行ったりしないのに、他人が遠くまで来ると思うのは大間違いだ」って? 自分ではネットで面白い物を探し回ったり面白いことを言って人を集めたりしようとしていないのに、ネットに人が来てくれると思うのは「大間違い」だぜまったくもう。

 第2の「着手しやすいという理由で成功の可能性のない構想で突っ走った」というのもそう、第3の「好きでない道に押し込まれた人がする事業が成功するはすがない」というのもそう、現場で一所懸命やっている人たちは別にして役所で「インパク」を仕切っている人たちも役所のトップで「インパク」を動かしている政治家の人も、本当に「好き」なのかなーインターネット。他人の始めた第三セクターとかリゾートについてはしっかりと持論を掲げて批判が出来るのに、自分が始めた「インパク」については果たして本当に成功しているのかを検証せず(名高い掲示板でだって叩かれるほどの話題にもならないのに)、耳に聞こえの良いことばかり鵜呑みにしてはしゃいでいたりするのってどうも見ていて居心地が悪い。「『バブル』は去った−それはみんな知っている。しかし、実際の行動では『バブル的発想』が今も続いている。経済構造改革には、この心理を取り除くことが必要である」。なるほどだったら提言しよう。貴方の中に居座る『バブル的発想』をまず取り除こう、と。

 「健ちゃーん」だって。それも一般のゲームユーザーも参加してゲーム会社の人もそれ以外の関係者も多々参加して開催された「プレイステーション」の年に1度のお祭りで、壇上に上った久夛良木健ソニー・コンピュータエンタテインメント社長に向かって掛けるんだから、きっと集まった人にはゲーム業界の重鎮とそれからソニーのリーダーはポップでキュートで遊び心に溢れた人たちだと写ったことでしょー。珍しくも来場していたソニーの御大、出井伸之会長とそれからスクウェアの鈴木尚社長そしてコーエーの襟川恵子社長の3人が立席の会場の最前部に急遽しつらえられた椅子に並んで観覧している姿はなるほど、ゲームとゆービジネスが大ソニーのトップも気になって仕方がないだけの風格を備えているんだってことを改めて感じさせてくれたけど、割とお茶目な襟川さんはともかくあの出井会長が太い声で「健ちゃーん」と叫んだ瞬間は、やっぱり気持ちがぎゅっと引き締まりました。2人が言って鈴木さんが続かない筈もないんで五月雨式にかけ声が飛んだ訳だけど、やっぱりあーゆー時は「せえの」で「健ちゃーん」とやって最前列に陣取ったメディアを振り向かせ、をを出井会長はお心のなんておやさしい方なんだってことを、知らしめて欲しかった、次はもっと盛大にやりましょう、根回ししておけばもっと増えます取り巻く人は。


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