縮刷版2001年12月上旬号


【12月10日】 どうもやおいらしー角川ビーンズ文庫の「ドリーム・リンケージ」(ほなみ真渡、角川書店、457円)を読む、全然やおいじゃなかった、ってゆーか少年時代にありがちな独占欲から嫉妬心が芽生えてそれがスレ違いの原因になって心に傷が残りそれが成長してからより大きな問題となって巡って来るってゆー、至極真っ当な青春物語になっていて、やおいらしいってことでもっとむみょむみょしたのとかぬちゃぬちゃしたのを想像してた(勘違いしてるかな)頭にはちょい拍子抜け。夢へとアクセスする道具立てを研究の成果誕生した機械とかじゃなく、スピリチュアルな共振めいたものにしたら、四六版のソフトカバー的なパッケージで幻冬舎あたりから出てもそれなりに売れたかも。際だって面白くなったかどーかは別だけど。

 本編の方は幼なじみだったものの事情で転校していた友人が、夢にハマってしまう病気とかで姉の通っている大学の病院に入院していると知った主人公が訊ねてみたところ、彼を一瞥して誰だったと聞いてこれは吃驚。自分が思い入れていた程に相手に気にされていなかった衝撃は、自意識過剰な身として存分に共感できるけど、主人公の場合は別にそーした事情があった訳じゃなく、相手の心の方に何か支障が生じていたみたい。どーゆー原因で彼は主人公との思い出を封印してしまったのか、ってあたりを軸にして物語は、近隣で起こっている少年たちが夢に捕らわれてしまう病気の原因究明とも絡まって、主人公が幼なじみの見ている夢へと入り込み、心象風景の中で原因を探る展開へと進んでいく。

 幼なじみの少年とその1歳上の兄との関係、2人と家族との関係なんかが微妙なバランスの上に成り立っていた所に、外部から主人公が入り込んで兄弟と両親との関係をさらに緊張感にあるものにしてしまい、挙げ句に事件が起こって少年の記憶と、そして主人公の記憶にまでも大きな影響を与えてしまったってゆー内容は、親子に、兄弟に、友情といった異なる3パターンの関係の成り立ち具合をいろいろと考えさせる。人の関係って難しいなー。主人公が幼なじみの夢に入り込む時に使った、誰かが見ている夢に入り込めるテクノロジーを開発した、2枚目で切れ者なんだけど研究室では割とズボラな博士のキャラクターが、冒頭でのインパクトほどには活躍しなかったのが残念と言えば残念。どっかでマッドな人として再登場とか寝返れば幸い。それともすでにどっかで活躍してたりする人なのかな。

 ゆったりとしたペースと膨大な登場人物と壮大なストーリーから、もはや誰が誰味方で誰が敵で、正義で悪で王族で騎士でモーターヘッドでファティマなのか区別が付かなくなってしまった状況を、なおいっそう混乱させる敵も味方も入り乱れてのモーターヘッド戦が繰り広げられて大混乱な「ファブスター物語」。ただでさえお衰えた記憶力に、生来の人の顔を識別する能力の極端なまでの不足が祟って、迫力は迫力として楽しめても物語を物語りとして理解できずに激しく悩む。

 チャンバラってるクリスティンってのは確か友だちとかフクロにしてしまった凶暴なお嬢ちゃんだったと思うけど、ラストに出てきたコーラス王朝のセイレイ・コーラス王女殿下がいつ頃の人で、コーラスが捕まえ処刑しよーとしているアルル・メロディ前王女が何をした人だったのかが既に思い出せない。早いところ単行本にまとまって10回くらい繰り返し読めるよーになっていただきたいものだけど、今のペースだと出るのは2003年くらい? それとも5年とか、とにかくまだまだ先そーなんだけど、だからといって雑誌を取り置いておくだけの余裕が部屋になく、買った翌月には地層のはるか下に埋もれているかあるいは、ポリ袋に入って清掃工場の灰と化している可能性が大。なので永野護さんにはせめて今くらいの分量を、毎月しっかり描いていたたきたいもの。来月はさて何ページ載ることやら。

 その「ニュータイプ」1月号に「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)でデビューを飾った滝本竜彦さんが写真入りで登場、なんだ普通の人じゃない。細面で眉が上がってて鼻が目立つその顔をパッと見た時、「ローザ・ルクセンブルグ」のボーカルのどんとさんを思い出したけど、確かこんな顔だったよーな気が。違ったかな。福岡ユタカさんでは絶対にないことだけは確か。ちなみに大槻ケンヂさんとかとも違ってる、顔にひび割れとか描いてないし。服装とかも今時な感じでアーティストっぽくって(モノトーンだからそう見えるだけかもしれないけれど)、スーパーマーケット系なファッションをゲラで小説読んだ後と、プロフィルを聞いた後に妄想していた頭にはちょっと意外に映った。

 インタビューでは「日本初プロフェッショナルのひきこもり」なんて話を冗談と言いつつしているけれど、あちらこちらのインタビューにいっぱい出るよーになれば、もはや「ひきこもり」なんて言ってられない。「日本初の外向的なひきこもり」? それはなさそー。「いつまでもひきこもってはいられないなあと思ってはいるんです。この作品でひきこもりについての経験は出し切りましたから、また新たな題材を探します」って言ってるし、何を書いたって創作が大部分入ってたって経験を売りにしたって見られる可能性の高い話じゃなく、爆発する妄想力でもって世界をグルーブさせるエンターテインメントを、書いてくれるだろーし書いてもらわないと困る、読者として。期待しとく。

 「全員メガネっ娘企画」ってあんたアニメファンを舐めてんの? って流石に思いたくなったけどでもやっぱり舐められても仕方がないのかも、グッと来てしまったし、「ニュータイプ」に載ってる「G−onらいだーす」って作品の広告で、巨大な剣を肩に載せて微笑む眼鏡っ娘でセーラー服で下乳は見えてないけどおへそは出ててパンツはしっかり見えていいる「ユウキ」ってキャラクターの絵を1枚、見ただけで。来年夏のテレビ放映に向けて製作進行中とかで、「ハンドメイド・メイ」の木村真一郎さんが監督を務めているそーなんで露出に関しては特に心配することはなさそー。問題は他のキャラがどんな眼鏡っ娘ぶりを見せてくれているかってことで、冬のコミケに出るらしームービックの企業ブースに並ぶ限定グッズでその辺を確かめ、果たして真に期待し得る「全員メガネっ娘企画」なのかを確かめよー。


【12月9日】 10日を控えて何かしなければいけないよーなことがあるよーな気がしてるんだけど、それが何なのかが思い出せなかったりしてモヤモヤ。実は本当は何をしなければいけないかはちゃんと分かっているんだけど、迫るプレッシャーに生来の逃走本能が出てしまってわざと思い出せないよーにしているだけらしー、ってことで思い出せない仕事の思い出せない担当の人にはもーちょっとだけヤキモキしてもらうことになりそー。最初からの連載が2人だけになってしまった某ウェブマガジンの方はちゃんと覚えるんで週内にはおっつけ原稿は行く予定。数々の掲載紙をツブして来たにしては我ながらよく続いてるよなー。

 逃走本能から出る逃避衝動を満足させるべく「東京ビッグサイト」で開かれていた「ドールズパーティー」へと向かう。6月だかに見た時にも「スーパードルフィー」を手に抱えた女子だけじゃなく男子の山ほどいて、気持ちは分かるけれどやってしまえるその勇気に感嘆したけれど、半年が経って人形ファンは衰えるどころかますます増加の兆しみたいで、東館へと場所を移した会場のあちらこちらで綺麗な衣装にその身を包んだ「スーパードルフィー」を手に持ち胸に抱えてあるく男子女子が見受けられて、いずれ会場を出て日常の歩道で人形を手に歩き人形に向かって語りかけるムーブメントが起こるだろー可能性に。ちょっとだけ胸踊らせる。言葉が遅れてついてくるんだ、ってそれは「クロマティ学園」(違うっ!、いっこく堂だっ!)。

 仰天したのは等身大「ジェニー」。等身大だったら手に持てるサイズの人形のとじゃないの? って思う人もいるけれど、実は6分の1だかの「ジェニー」を1分の1にしたのがこの等身大ジェニー。実に165センチの身長があって、ミニモニ級ザクよりも大きなその肢体と60万円とゆー値段に、いったいだれが買ってぜんたいどー遊ぶんだろーかと激しく悩む。使える訳じゃあるまいし(何にだ?)。まあ衣装は人間のサイズのを着せられるから買って着せ替えで楽しむって手もあるし、足とか手とか曲げられるから車の助手席に座らせて一緒にドライブするなんてっことも可能。運転席に座らせるのはちょっと危険だけど、心中覚悟だったらそれでも別に良いのかも。連れ出して公園で腹話術を駆使して会話してデートしているフリをするってのも技術があれば勿論可。やっぱり言葉が遅れてついてくる?

 ドールが中心だけどドールに限らず人形系なら勢揃いみたいなイベントで、主催者のボークスからはガレージキットの新作なんかがチラリホラリ。黒騎士仕様のデコース・ワイズメルが凶悪そーでデコース仕様のヴァッシュも三つ巴も鮮やかに迫力のディティール。デコースにつき従うファティマ・エストが売り切れになっていて、デコースが売り切れじゃないのはデコース・ファンとしては納得がちょっといかなかったけど、まあそれが「FFS」な人に普通の行動様式なんでしょー。メーカー系だとトイズワークスのブースで噂の「ちよ父」「かみ猫」「ねここねこ」のぬいぐるみを発見、「ちよ父」はもーちょっと大きい方がブキミで良かったかも。色はオレンジでこれはなかなかにブキミでした。ミーコちゃんとお見合させたい。

 未だに思い出せないしなければいけないことと、もしかしたら関係があるのかもしれないとか考えながら、橋本紡さんの新シリーズ(なの?)「リバーズ・エンド」(電撃文庫、530円)を読む。詩的な断片の積み重ね、とまでは言えないけれど世界観をあんまり描き込むことはせずに会話とか情景描写でさらりさらりと書き流していく、ページの下に結構余白を残した書き方は、最近読んだヤングアダルト文庫に多かった、下まで割とギッチリ詰まった小説に馴染みかかってた目にははなかなか新鮮。高野音彦さん描く叙情的な雰囲気のある絵とも相まって、淡く切ないイメージを読む前から頭に醸し出す。

 内容は……うーん悩ましい。主人公の少年が持っていた携帯電話に入って来た少女からのメール。やがて現れた唯という名の少女と少年は仲良くなっていくが、実は唯には秘密があって、少年との出会いにもいろいろと深い訳があった、ってなストーリーと衝撃的な導入部から想像できる展開は、世界観も設定も全然違っているんだろーけれど、記憶容量が小さくって了見の狭い頭には、同じ電撃で大リーグのプレーオフ級を張る秋山瑞人さんの「イリアの空、UFOの夏」の設定がババババッと浮かんでしまって、ついでに高橋しんさんの「最終兵器彼女」のドドドドッと浮かんでしまって、これはなかなかにシビアな道を選んでしまっているのかなー、なんてことを思ってしまった。

 同じ説明され切っていない謎めいた世界って点でも、ポロポロと漏れ出して来る断片を組み合わせることで異様な世界が見えてくる「イリア」に比べると、より説明が小出しになっていて一体何が起ころーとしているのか、でもってどーしてあんな(詳しくは本編で)ど派手な時代へと至ったのかがまだまだ判然としない。猫の悲しい運命を唯の悲惨な運命に重ね合わせるよーなほのめかしでもあれば悲しさの中に深みも感じられただろーけれど、どちらかといえばトリガーになっているだけっぽい感じがあってもったいない気がしないでもない。クライマックスで「保険を」を発動させるくらいなら「保険」が必要となる事態へとどーして唯たちを追い込んだのか? ってな疑問もこれありと、とにかく分からないことが多すぎる。別に1巻って番号が打ってある訳じゃないんで続くかどーかは不明だけど、あとがきではまだまだ続くって言っているからきっとまだしばらく続く中で、いろいろと明らかにされるんだろー。待つしかないのか。


【12月8日】 どういう経緯かは知らないけれど、親が仕事をどうにかしたみたいなんでお祝いに鞄を贈る。今度のは何かイメージがそれっぽい仕事なんで見栄えがするお医者さん鞄みたいなダレスバッグが良いだろーと考えて、銀座の鞄を売ってるデパートとかセレクトショップをうろうろしたけど、ダレスバッグだったらやっぱりってことでタニザワへと出向いて、色とか形で適当なのを選んで実家へと送りつける。何でも50年前にアメリカの大使だったっけ平和使節だったっけ、ダレスとかゆー人が持っていた鞄にヒントを得て作ったのがこのタニザワで、以来一種シンボル的な存在として今もヒット商品として作られ続け売れ続けれいるらしー。いや勉強になりました。

 ダレスバッグに独特の形をした口をガバリと開けると50周年を記念するプレートなんかが貼られてたりして”本家”っぽさもひとしおで、これだったら自分が欲しいくらいと思ったけれどここ我慢。前に買った実はダレスバッグよりも値の張った「ハートマン」のアタッシェだって、緑すっぽ使ってないうちに本の山に潰れて形が歪んでしまったくらいなんだから、ダレスなんて買った日にやすぐに飽きて部屋のどこかに放ったらかしにした挙げ句、踏みつぶしてしまいかねない。あるいはひび割れだらけにするとか。ってことで、ここはいったん親に預けて、皮の馴らしをやってもらう積もりでそこそこの値段の奴を贈ることにする。時が来たら自分のものになるんだし、って一体”時”っていつだ? でもって何だ? 子供のいる皆さん、子供からのプレゼントに込められた想いは注意深く受け止めましょー。

 「京都SFフェスティバル2001」の合宿企画で何やらネタにするために、全国1万人のSFファン向けに行われたアンケートに答えて、質問番号76番「これはSFだ! というアニメがあれば教えてください」とゆー質問に「ナジカ電撃作戦」 と書いて来た千葉在住の大間抜けがいたとかいないとかゆー話だけど、「ナジカ」が単なるパンチラアニメなんかじゃなくって、ってゆーかとてつもないパンチラアニメってことだけでもなくって、実はちゃんとSFだったらしーことが昨晩放映のエピソードで証明されて、答えた大間抜けもその大間抜けぶりがちょっぴりゴマかされてホッとしてたとかしないとか。いやもちろん書いた時には真剣に「ナジカ電撃作戦」は素晴らしくも誇らしい、SFアニメーションだと思って答えたらしーんだけど。

  もちろん戦いを本分としたゲリラな連中が全員美少女でそれも全員がミニスカートを履いていたりするのを不思議とゆー人がいるかもしれないけれど、そこはそれ、暑そーな砂漠の国で涼しい格好をしていて悪いはずがないってことにしておこー。問題はそーした些末なことじゃなくって(些末かい)、人間によって作り出されたヒューマリットって人造人間の感情に関する部分で示された恐ろしくも興味深い事実のこと。マスターとなった人間に徹底的に従うよー刷り込まれているヒューマリットがマスターに同化しよーとした挙げ句に起こった、人間のよーにファジーな部分を持ち得ないヒューマリットだからこその暴走が、逆に人間とゆー生き物の持つ狡猾だけれどそれ故に柔軟で強靭な面に思い至らせてくれて、完璧に人間のよーな人造人間を作る上での問題点に気付かせてくれる。ほらSFでしょ。

 「人造人間vs人間」の果たしてどちらが強いかって意味では、帯に「生身のあたしはハートで勝!」って書かれた椎葉周さん「ニューロティカ・プラネット[嗤う惑星]」(角川スニーカー文庫、438円)なんかもなかなかに考えさせてくれる小説。舞台はニューロティカって名前のどこか未来の惑星で、そこには「テラという遥か彼方の惑星を旅立った移民宇宙船団の一隻が、120世紀ほど前に恒星風による事故で不時着した」(9ページ)ことによって半ばアクシデントで移り住んだ人々の子孫が、星のあちらこちらに別れて住んでいた。それなりに文明とかテクノロジーを発達させたよーで、体を人工のものに改造したりクローン培養した細胞に肉体を置き換えたりすることはお茶の子で、アンドロイドを作って人間に服従させたりもできて、主人公のダリアもそんなアンドロイドの執事ロボットと暮らしながら、探偵稼業で食べていた。

 ところがある時、1人の男と戦いこれを殺してしまった所からダリアの現実が揺らぎ始める。殺してしまたキセンという男を探すよう依頼を受けたことは覚えている。けれども執事のアンドロイドはそんな仕事の依頼はなかったと言い、ギルドからの依頼記録にも残っていなかった。ならばどうしてダリアはキセンを殺してしまったのか。不思議に思っていたのも束の間、やって来た殺人課の刑事に逮捕されそうになり、慌てて飛び出したところを遺伝子変異の結果、一種「加速装置」めいた能力を発揮して誰よりも素早く動くことが出来る彼女以上の力を持った金髪の男にやられそうになる。それもどーにかしのいで逮捕だけは免れたダリアだったが、今度は街中が彼女を捕まえようとしはじめる。いったい何がおこったのか? 逃げ回るダリアの前に現れた「ネオ・アーミッシュ」という組織のメンバーから聞かされたのは、ニューロティカを支配し住民たちを自在に操る「神」の存在だった。

 とまあ、そんな具合で始まったストーリーは、「神」と呼ばれる一味がどーしてニューロティカの住民立ちに全能の力を持ち得るのかってあたりを最大の秘密に進んでいく。もしかしてニューロティカはサイバーシティか何かだろーか、ってなアイディアも途中でふっと浮かんだけれど、それが本当だったか間違っていたかも含めて、サイバーものに慣れた頭にも意外な真相が明らかにされて、なるほどこーゆーやりかたもあったのかと感心する。今生きているこの現実ではなるほど”電波”でも入らないと無理な「神」の存在が、ニューロティカではどーして可能になっているのか、でもってその「神」が、「神」として長い間存続し続けていられるのか、ってな理由もちゃんと説明されてて面白い。

 「人間vs人造人間」の差異もそんな中で描かれるんだけどどーゆー描かれ方をしているのかは読んでのお楽しみ。全能なはずの「神」に仇なすダリアのよーな能力者が登場してしまった理由が1読ではちょい謎だけど、世界に波風と立てて展開の面白さを増すためとかいったものなのか、それとも人に仇なす癌細胞が出来てしまったよーなものなのか、そんな辺りも考えながらもう1度読み返してみよー。のきさき吾郎さん描くイラストは胸のボリュームもなかなかだけどお尻の丸みが絶妙で、絵なんだけど触って撫で回してみたくなる。ただし「手首を掴まれたときに、もっとすばやく対応しないと」(140ページ)そのまま折られてしまう可能性もあるんで、やるんだったら関節技とかスピードとかを鍛えてからにしましょー。


【12月7日】 角川の「第6回スニーカー大賞優秀賞」受賞作だった「明日の夜明け」(時無ゆたか、角川書店、533円)を読む。明日の来ない夜はないってゆーか夜明け前が1番暗いって話。と言ってもさっぱり分からないだろーけれど、読めばその意味もなんとなく分かるかもしれないし、分からないかもしれない。ふと気が付くと学校は周囲を霧のよーなものに囲まれていて、数人の生徒と先生が閉じこめられていた。脱出しよーとしてもかなわず、そーこーしているうちに先生が、生徒が1人またひとりと殺され、緑色のカサカサとした死体となって発見される。誰が犯人なのか。もしかして学校に残っている人の誰かが犯人だったりするのか。疑心暗鬼を生むなか、知恵と勇気をふり搾った殺人鬼とのかけひきが始まる。

 校庭に描かれた奇妙な紋様と、それに何やら関わっているよーに見えるどこか不気味な所があって皆から「魔女」と呼ばれている女子生徒の存在がまず最初に引っかかるけど、だったらそーなのかとゆーと一筋縄ではいかないのがミステリーの常道。読んでいるうちに誰も犯人じゃないよーにも全員が犯人のよーにも思えて来て気をもまされる。とはいえ犯人が明らかになる瞬間に抱く「あっ」とゆー驚きは驚きとして、そこへと至る間に描かれた何とも胸の痛むエピソードを読むにつけ、ちょっとしたきっかけが人を不幸にもするし、一方で幸福にもするんだとゆーことが見えて来て、言動には人間よほど気を付けないと後で取り返しのつかないことになるんだって教えられる。日野鏡子さんの「ブルー・ポイント」(朝日ソノラマ、476円)にもちょい通じる胸にピリリと来て目にウルルと来るファンタジー。ラストの配慮には感謝します。これなら寝覚めも悪くないし。

 「恵比寿ガーデンホール」でソニー・コンピュータエンタテインメント恒例の「プレイステーション・ミーティング」があるんでのぞく。早めに着いたんで隣の「東京都写真美術館」で開幕した「アントワーヌ・プーペル写真展」でも見よーかと受付にいったら何でもオープニングのレセプションがあるんで観覧は無料ってことで、ちょっと得した気分でギャラリーへと入る。もっともここで運を使ってしまって月末の宝くじを外してしまう可能性もないでもないんで、あんまり喜ばない方がいいのかも。3階の展示室に付くとフロアではレセプションが始まってて偉い人たちのスピーチが始まりそーだったけど、単なる横入りの一般客は館長だろーと主催者だろーとそしてアントワーヌ・プーペルさん本人だろーと無関係。ひとり展示室に入ってフランスで活躍中とかゆー写真家の日本では初の本格的な個展を見物する。

 おおまかに3タイプの作品が展示してあって、ひとつは人間のポートレートなんだけど、ただ写真に撮るだけじゃなくいろいろな意匠や写真や物体を重ね合わせてデザインっぽくしたポートレートになっていて、純粋写真家ってゆーよりはデザイナー的な所作の好きな人なんだなって印象を受ける。合成とはいっても所幸則さんみたくモデルにCGで羽根とか付けるよーな作品とはちょっと違う。例えばロベール・ドアノーを撮ったポートレートの場合は大理石のレリーフか何かで作られたピアニストと女性の像の中に写真家の顔が埋め込まれたよーな感じになっている。他の作品もバックの質感とか全体の構図とかを考えながら顔を配置していく内容になっていて、取りあげられている人と選ばれた構図との関係性なんかまで考察できるのかは分からないけれど、ひとつのポートレートのアイディアとしては面白い。好きかと言われると実はそれほど好きじゃないんだけど、ちょっと作為的過ぎて。

 その点、パリのキャバレー「クレイジーホース」で踊る女性のダンサーを撮影したシリーズは、一部にこれまたデザイン的な写真があったりしてモダンではあるものの目には五月蝿く感じたけれど、楽屋裏とかで化粧したり衣装を身につけよーとしていりするダンサーの日常の瞬間を切り取ったシリーズは、スナップ的な雰囲気があってスナップ好きとして割と気に入った。モデルがまたダンサーだけあってグラマラスでスレンダーでブロンドで美人揃いで目に嬉しかったってこともあるけれど、ってゆーかそっちの可能性の方が大だけど。

 面白かったのは「博物誌」ってシリーズで、何でもスキャナーの上に花とか果物のむいた川だとかを置いてスキャンしてコンピューターに取り込んで、色を塗ったり形を加工したりした上でデザイン的に格好良くして大きな布の真ん中あたりに掛け軸よろしくプリントする内容は、取り込んだからには実物と同じフォルムをしているんだろーけれど、デジタルで処理された派手で且つどこか人工的な雰囲気のある色使いに、何より花びらでも葉っぱでもそれぞれが実物の何10倍も引き延ばされてプリントされているってゆー作為性が見ている人を自然から受ける安寧とは正反対の対峙と興奮の気持ちにさせる。

 スキャナーって写真の分野ではあまり使わない入力装置を使ってある点が、監修とかに関わっている写真評論家であって恐竜の人とは同姓同名らしー金子隆一さんの言うほどカメラに変わる革命的な写真製作方法とは思わないけれど(デジカメだってスキャナーみたいなものだし)、出来上がって来たものの人工的で構築的な雰囲気は同じ花びらとかを撮っても荒木経惟さんとはまったく違った出来映え。ポートレートのシリーズでもそーいえばカメラはあくまでパーツを入力する装置であってそれにどー他のデザインを重ねていくかってあたりに本領が注ぎ込まれていた所を見ると、そーゆー素質がメインであって、一見自然に見えるダンサーのスナップも、あるいはダンサーとゆーどこか人工的な雰囲気を持った存在の整えられた、それこそ人造じゃないかと思わせるよーなボディのフォルムを印画紙にデザインしていく感じで作られたのかもしれない。無視してないで作家に聞いてみればよかったなー、フランス語は全然できないんだけど。

 時間になったんで会場へ。コジャレ大帝な人といイジられ新入社員キャラ向き編集者の人とかいたりして、これまた恒例のどこぞのイタリア料理を早々と書き込みながらスタートを待つ。去年始めて開幕した時に、ズラリと並んだソフト群を見て「これだけソフトがあるなら『プレイステーション2』も安心だ」と来ていた人の多くが思ったイベントだけど、今冬も今冬でたぶんそれなりに情報が広まっているソフトが中心ではったけど有力なソフトがズラリと並んでいて、再来月に迫った日本での「Xbox」発売に向けて下固めを狙っているっぽい意気込みを感じたりする。値段も思いっきり下げて来たしね。

 前にちょうと場所も同じ「恵比寿ガーデンホール」で発表会を見たナムコの「ゼノサーガ」は発売が発表時は年内の予定だったのが来年の確か2月へと延びていた関係もあって、CGなんかの作りはグッと上がって来ていて、キャラクターの量感にちょっとクラッと来てしまった。たぶん何千年も未来が舞台であるにも関わらず、眼鏡っ娘が出やがっているのは医療の進歩に対する冒涜か、なんて思えないこともないけれど、たとえ角膜どころか眼球ごとの移植が可能になている世界でも、人間の”萌え”とゆー快楽を損ねるよーな医療はやっぱり御法度ってことなのかも。眼鏡っ娘で巨乳は時代が変わろーと次元がズレよーと不変、なのである、それはもー絶対に。


【12月6日】 小学館にしてはな作家陣で驚きの漫画誌「IKKI」で連載されてて人気だったらしー稲光伸二さんの「フランケンシュタイナー」(小学館、590円)を帯の「ノンストップで描く史上最大の親子ゲンカ!!」なんて煽りに煽られて買って読む、うーむ、なるほど絵は滅茶苦茶に上手いし個人的にも好みだし、レイアウトが格好良くってどのページをめくっても目にガンガン来るけれど、いかんせん展開が足早で唐突で1巻で終わりであっさりし過ぎで、「史上最大の親子ゲンカ」とゆー煽りはちょい煽り過ぎじゃないかって感じを受ける。

 政治家の父親から逃げ出して男を奴隷にしながら生きて多主人公の美夜の所に、突然父親の秘書がやって来て彼女を拉致監禁。理由は父親の選挙の迷惑になるからで、とりあえずお嬢様学校へと放り込んで監視下におこーとしたけれど、そこは父親に似てタダモノじゃない娘の美夜。逃げ出すは暴れるは必殺技を繰り出すわで大騒動を繰り広げた挙げ句、遂に自分を見捨てた父親との最終決戦に臨む……ってのがおおまかな展開。なるほど惹かれるプロットではあるけれど、拉致監禁されてからも割と簡単に逃げ出せたりしてジリジリと焼けるよーな緊迫感がなく、体力は無理だからと頭を使って始めた戦争も、そこで得た勝利を土台に例えるなら女番長として「男組」で言うところの「影の総理」に挑む展開にする訳でもなく、ごくごくあっさりと終わらせ最後の肉弾戦へと持っていってしまう。

 その肉弾戦も食うや食われるや、といったものじゃなくって、逆転はあるけど逆転に次ぐ逆転って感じじゃなくってあっさりしている上に、背後で揺れ動く心理的な葛藤も、まあ了解できる範囲におさまってしまっていて唖然呆然とするよーな盛り上げがちょっと少ない。それでもそこからくみ取れる残酷にも無邪気な父親像ってのは伺えたりするし、娘はどこまで言っても娘であって父親を越え切れない現実ってのも垣間見えたりして、親子の関係をダイナミックに感じさせてくれる。何度でも言うけど絵はこれが初の単行本とは思えないくらいの上手さダイナミックさで、女の子の可愛さもこれまたなかなか。掲載紙の割には裸とか少ない気もするけど会社が会社だから仕方がないのかな。この迫力でひたすら疾走感にあふれたバカ話を読んでみたい気も、もしくはしっとりとしたストーリーとか。巻末のおまけ漫画の「いなみつ」可愛過ぎ。

 夏の閉鎖騒動以降になお一段と盛り上がったブームの延長なのかそれとも知ってる人が多くなって来て商売のタネにしやすくなったか、あの「2ちゃんねる」を取り扱った本とムックが神保町に並んでたんで読む。ムックの方は芸文社から出た」2ちゃんねる大攻略マガジソ」で、全部じゃないけど「2ch」の主だった板をピックアップして人気スレッドに名スレ駄スレを紹介したり、その板を良く見てそーな”住人”をイラストにして掲載してあって、今まで興味がなかった板もこんなスレがあるんだったら(こんな人たちが見てるんだったら)覗いてみようか、って気にさせる作りになっている。

 「サッカー板」の紹介で「でじこは湘南ベルマーレを応援するにょ」スレッドが紹介されてて湘南まで「でじこ」を見に行った身としてなかなかにグッtと来るものが。「小1時間問い詰めたい」の「吉牛」が額に入れて飾ってあって下に「さまざまなバリエーション」が出てるんだけど割とどこにもめーわくかかりそーもないのを選んであるっぽくって、バリエーションの神髄はあんまり伝わらないかも。まとめた本とか「コミケ」に出ないかな、出るんだろーな、やっぱ。表紙は当然モナーでなぜか招き猫状態になってるけど多分顔だけ差し替えた合成だろー。これもどっか作らないかな。

 もうひとつは割とマジメなメディア論的ルポルタージュ&インタビュー集。文藝春秋から出た「2ちゃんねる宣言 挑発するメディア」(井上トシユキ+神宮前.org、1476円)も表紙ややっぱりモナーで、口から「オマエモナー」と吠えてる。斜めから見るとモナーの所だけコーティングがかかってたりして装丁金かかってそー。カバーをはずすとモナーっぽい顔文字がズラリ並んで壮観、いやこんなに種類あったか。中身は成立までの経緯と管理人のひろゆきさんへの8万字インタビュー。雑誌にもこれまで対談とかインタビューとか載ってたけど、スペースの関係でどーしてもエッセンスだけしか紹介されてなかったから、人柄とか知るのにとりあえずはベターなテキストかも。本人が喋っているのを見るとまた違う雰囲気を感じるんだけど。

  巻末の対談は糸井重里さんおが「日経ネットナビ」からの転載で田原総一郎 さんとか「サイゾー」からの転載なんで既読。2人と対談しているってゆー 構図を見るとやっぱり何かとっても”時の人”っぽい。次は林真理子さんか 阿川佐和子さんだね。残る山形浩生さん宮台真司さんとの対談はこれが初出。 山形さんとはパッと思いつくよーな「リナックス云々」「オープンソース云 々」「フリーソフト云々」といったデジタル的に込み入った話はしていなく って、「2ch」の都市工学的な解釈とか大きくなった「2ch」が圧力団 体的になっていくかどーかといった感じのことを、訥々だったりマターリだ ったりする雰囲気で話してる。「独身男性板」とかよく見てて、「彼女はいるんですか」と聞かれて「いない」と即答してたりする山形さん、格好いいです。東浩紀さんが相手だと9対1で喋りが少なくなる山形さんだけど、ひろゆきさん相手だと結構喋ってるのは向こうが聞き 上手だったから?

 その意味だと宮台真司さんとの対談も聞き上手っぷりが結構出ていて、天然に危機感を抱いていないかそれとも作戦か衒いか、「個人情報保護法案」について積極的反対な態度を見せていないひろゆきさんの質問とか混ぜっ返しとかに宮台さんが逐一詳しい解説を行いボケっぽいひろゆきさんのコメントに突っ込みを入れていく対談になっていて、「個人情報保護法案」が持つ怖い部分が実にわかりやすく抽出されていて勉強になる。9月の「日比谷野外音楽堂」での反対イベントじゃーきっと、ここまで突っ込んだ話はできなかっただろーし現実宮台さんの奮闘もその場限りだったことを考えると、こーゆー定着するメディアでこれまでそんなに危機感を感じていなかった人にも、「個人情報保護法案」が持つ怖い部分が伝わったって意味で良い対談だったと言えそー。最後が「ふうむ」で分かったよーな分かってないよーなセリフで締めるあたりもやっぱりひろゆきさんっぽいけど。

 そうそう山形浩生さんと言えば角川書店だかから出ていた「米国同時多発テロ」とその後の「アフガニスタン空爆」に関連して文化人知識人がどう思うか思ったかを集めた本にポール・クルーグマンの翻訳を寄せている。同じ本には田口ランディさんも評論って訳じゃないし寓話って言うほどにはイジる感じの薄い、実に田口さんらしー感覚で思うところをつづった文章を寄せていたりして、同じ本に2人の名前が掲載されている当たりに妙な繋がりを感じてみたりしちゃったり。村上隆さんもそーいや文章を載せていたけれど、村上さんだったらやっぱり前に「東京都現代美術館」でやったトークショーで流したイメージビデオを1コマ1コマ、全部乗せるのが受けた衝撃も言いたい主張も伝わって良いよーな気が。著作権とかあるから無理なんだろーな、ちょっと残念。

 「米国同時多発テロ」で今はもう見ることが出来なくなったニューヨークはマンハッタンにあった「世界貿易センタービル」が作られていく過程とか作られた後の威容とかを治めた佐藤秀明さんの「鎮魂 世界貿易センタービル」(マガジンサポート、5000円)って本が出てたんで買う。テレビだとまるで紙かジュラルミンのよーな軽さで崩れ落ちていった、よーに見えてしまったツインタワー。基礎やってる写真なんか見るとなるほどぶっとい鉄骨が頑丈に組み上げられてるんだけど、上へと伸びるに従って薄い外壁がグルリと巡らされていく感じになっていて、その薄さがなるほどあーゆー事態を結果的に招いてしまったんだろーか、ってな印象を抱く。

 「世界貿易センター」のランドマーク的な雰囲気を味わい今は亡きその姿に気持ちを至らせるのが多分正しい読み方なんだろーけれど、間に挟まれる多分70年代のニューヨークの街並みとか暮らしている人たちの日常とかが写されている写真もなかなか。コニーアイランドで海水浴する人たちとかの写真があって、ジェットコースターなんかも見えてたりしてビルはぼこぼこと建ったけど、代わってない部分も結構あるニューヨークの雰囲気が楽しめる。「浅草十二階」を特集した写真集に「花やしき」が移ってるって感じ? 「早やしき」が大正期にあったかどーかは知らないけれど。写真集を買うとニューヨークに寄付が行くそーで、値段はちょい高いけど買って良い写真が見られて寄付まで出来ちゃうお得な1冊。アフガニスタン版も出ないかな、「鎮魂 バーミヤン大仏」とかって感じで。


【12月5日】 中東で激化するパレスチナによるイスラエルに対するテロと、イスラエルによるパレスチナへの攻撃が世界とゆーか人類にもたらす不穏を追究する訳でもなければ、国会で開かれた今年最後の党首討論の質問と解答を、ひとつひとつ吟味して精査する訳でもなく、どうやら来年上程の可能性が高まって来た、マスコミにとって一大事な「個人情報保護法案」について突っ込む訳でもない。

 文京区で起こった2歳の女の子が殺害された事件の判決から類推できる、過剰な自意識が強迫観念へとスリ変わって爆発したっぽい事件の、自分大好き人間ばかりが増えている今時な社会に照らした解釈をする訳でも全然ない。サッチー、とかいうおばさんタレントのたかだか2億円程度の脱税、それも自分で使うとか貯金しておくといった程度で、政治家に回ったとか犯罪に使われた可能性のまずゼロな脱税案件を、夜のニュースのトップに持ってきて騒ぎ立てるマスコミが、この国を牛耳っていることの方が、民主党の鳩山由起夫党首の「牛にも人権」発言なんかより、よっぽど恐ろしいよーな気がするんだけど、どーだろー。

 こんなサッチーを選挙に担ぎ出そうとしたんだから、政治はなお悪いと言って言えないこともないけれど、そもそもサッチーごときがメジャーなネームを獲得したきっかけは、マスコミによる過剰なまでの持ち上げがあったからに他ならない訳で、何億円もあったかとゆー収入だって、この何円かのサッチー×ミッチーだとかいった、おばさんバトルで視聴率を稼ぎ出そーとしたマスコミの半ば仕掛けの上で踊った報酬も随分と含まれていたりするんだろ。各社各メディアが資料を持ち寄ってギャラを足し挙げれば、どれくらいの収入があるかってことぐらい今じゃなくても当に予想できただろーに、逮捕されていかにもこんなに収入があったんですね、なんて感じで驚いてみせるあたりが実に小憎らしい。

 毒舌を売りにさせて傍若無人に振る舞って当然とゆー思考を植え付けてしまった挙げ句の暴走、って面があるんだとしたら、脱税による逮捕へと至らしめた責任の一端はマスコミにもある。煽って踊らせて爆発させて破滅させる。マッチポンプがマスコミの常道ならニュースのトップも当然ってことか。どっちにしたって天声に従って題字に不似合いな新宮誕生の記事で1面の半分以上を埋め尽くしたり、自社イベントの開催記事を1面トップに持ってきて恥じない新聞よりは、バリューに普遍性があるって意味で遥かに全然マシだけどね。記事内容は営業事業がチェックして、イベントに出展してくれている会社だから扱いは大きめに、出展していない会社の記事は載せるな、なんて言ってくるマスコミは流石にない……だろう……けれど。

 竹岡葉月さんの「東方ウィッチクラフト」シリーズの最新刊「東方ウィッチクラフト 願え箒の星に」(集英社コバルト文庫、495円)が出たんで良い機会だと最初の「東方ウィッチクラフト 垣根の上の人」(438円)と「東方ウィッチクラフト 螺旋舞踏」(495円)もまとめ買いしてまとめて読む、やあこれは面白い。隣の高校に通う美形の男子生徒に萌えて燃えたちんちくりんな少女が吶喊した挙げ句に半ば自滅気味に実は「魔女」ってゆか「ウィッチ」だった男子生徒の使い魔にされてしまって、嬉しいんだか大変なんだか分からないけど、憧れだった男子生徒といっしょに正義の見方然とした活動なんかを始めるよーになる話。

 何より主人公の吶喊娘、観凪一子の直情ドタバタぶりが楽しくって可愛らしい。まだ憧れだった頃には4万円とかする双眼鏡を買って自分の学校から男子生徒のいる学校をのぞいてみたりするわ、その結果見えてしまった男子生徒と犬との闘争を憧れの君の一大事と見て突入し、挙げ句に使い魔にされてしまうわと、その行動の真っ直ぐぶりは見ていて胸がすく。場合によってはあんまりにあんまりな真っ直ぐぶりが鬱陶しかったり鼻についたりして感情を込められなかったりするんだけど、一子の場合はその辺が微妙に寸止め気味に調整されていて、読んでいて暑苦しく感じない。地の文の剽軽な感じとか、会話の言葉の選び方なんかにきっと秘訣があるんだろー。

 あとストーリーの組み立て方も巧妙で、伏線なんかからこのキャラがどういう役割を果たすのかは想像できてしまうし、実際にそのとーりになったりするんだけど、決める部分で「垣根の上の人」の場合だとキャラクターの心情の変化を促すシチュエーションの取り方、「螺旋舞踏」なんかだとキャラクターの発する言葉や取る態度にピシッと筋が通っていて説得力充分で、読んでいてなるほどうんうんと納得させられてしまう。このあたり多分、才能なんだろー。いや凄い、まったく凄い。

 最新刊の「願え箒の星に」もやっぱりな展開だけど、キャラクターの造型が光りまくりで笑えて楽しい。ねずみを感じるだけで倒れる天然なお嬢様、なのに体力とか省みず目的に向かって進む芯の強いお嬢様がイラストの可愛さも相まってなかなかにツボです。真剣を振り回すブシドーな兄ちゃんは面堂か天光寺か(「クロマティ学園」は違うな、きっと)って感じて、微妙におかしいキャラの良さが楽しいシリーズにあってちょっと行き過ぎな感も。しかし3冊経っても一子は未だに中学生で受験勉強に忙しそうで、なのに繰り返し起こる事件にさてはて一体どーなることやら。受験して同じ学校に通うよーになって、なんてやっぱりな展開になるにしても、それまでの間も豊富なエピソードが重ねられていくんだろー。読み手にとって不足なし、続いて下さいまだしばらくは。

 現実的には異常なことこの上ないんだけど、とかく突出したキャラが大勢出てくる小説の世界にあって比較的(あくまでも比較的)真っ当な寸止めキャラが楽しいって意味では、「東方ウィッチクラフト」とも共通しているかもしれない「へっぽこSP なごみ!」(直遊紀、メディアワークス、590円)。主人公の橘なごみは19歳なのに警視庁の刑事。でもって小学校の同級生で何故かいつもなごみを苛めていたらしー松前結依子は飛び級でハーバードだかを出てキャリアで警察二入って今は警視庁捜査1課課長。んなアホな、と瞬間放り出したくなったけど、なごみは超能力が認められて採用されただけだし結依子は天才だからって、まあそれなりな理由もあるし、彼女たちが取り扱う事件が、世界の平和だとか人類の希望だとかいった大袈裟なものじゃなく、むしろありふれてありきたりだったりする関係もあって、読んでいてそれほど目くじら立てることなく、割と素直に異常な世界に入っていける。感性が鈍ってるだけなのかもしれないけれど。

 高ビーな結依子とイジけっ娘のなごみとのバトルを核に話を進めるって感じだったら印象もちょっと違ったかもしれないけれど、そんなに結依子を突出させずに天然っぽさを残してサブに置いたままにしている辺りが、読んでバトルにつき物の騒々しさを感じない理由かも。なごみの同僚が100円ライターを浮かせるのもやっととゆーコギャルに、能力的には凄いんだけど発揮する際になかなか壮絶なことになる美少女といった具合にこれまた異常さを極めているんだけど、チンケさを卑小に描くんじゃなく頑張りの成果として前向きに扱おうとしている辺りからは、読んでさわやかさを感じる。のんびりまったりとシリーズ化されていくんだろー。出たんで読むか、って感じでずっと付いていっちゃいそー。特殊能力捜査課をその能力でもってまとめる三ツ村四五郎警部にはホント、心から同情します。理由は……あんまり触れたくない。


【12月4日】 泣かせの究極を走る「株式会社大山田出版仮編集部員 山下たろーくん」はそれとして、作家インタビューで登場の原哲夫さんへのインタビューが「週刊少年ジャンプ」スピンアウト編集長によるスピンアウト漫画家たちの漫画誌らしくって熱血っててなかなか。「集英社のある漫画誌の編集長が僕の所へ来て『”北斗”の時の担当は、社内で立場がなくなってるよ。奴とつきあっていると損するから、関係、考え直した方がいいんじゃない』と言って来た」「そんな漫画家のことを考えていない人が出世する出版社なら、そこが出している雑誌で仕事ができなくなってもいい。『中坊』やれぜ、とね」なんてインタビュー、「なんとかジャンプ」はもちろん「週刊プレイボーイ」でだってきっと読めないだろーからね。「Bart」は潰れたし。

 「担当さんが集英社を去ることになって、一緒に会社を作って漫画誌を創刊しようと。それがBUNCHなんですけどね」ってゆーから某編集長から「損する」とまで言われた編集者が誰だかは瞭然なんだけど、結果たとえ古証文の焼き直しだろーと最高に面白い「蒼天の拳」をはじめとした漫画群をこーして読めるんだから、某編集長には逆の意味で御礼を言わなくっちゃいけないかも、しかし誰なんだろー、原さんにあーゆーことを言ったのは。今いたとしてもきっと誰か別の編集者から「奴とつきあってると云々」とか言われちゃってるんだろーか。栄枯盛衰漫画編集者。まあだからこそ「少年ジャンプ」も一時ほどの部数はないとはいえ、未だ漫画誌でトップクラスを走っていられるんだろーけれど。

 漫画を生み出す情熱って意味では、「北斗の拳」をやってた時代に原さんが経験した、「『このシーンの立ち位置は、あの映画の、あのシーンにあった、あれだ。そうすると、こんな間を作って、セリフを出すポイントは…』って、詳細な打ち合わせをしてくれる。で、その打ち合わせのとおりだと、怒られる。工夫していないって」ってゆー編集者の厳しいスタンスに感じるところ大。もちろんそれが単なる思いこみの押しつけじゃなく、結果として妥当だったからこその良い思い出なんだろーけれど、マーケティング先行めいた雰囲気の満ちた世界でマーチャンダイジングができる作品が尊ばれる状況でさて、そんな編集者はちゃんといてちゃんと育ってちゃんと出世しているんだろーか。たった2人で濃く熱い漫画誌を作ってる人はいたなー。出世してくれるかなー。

 バンダイが記者を集めて開く懇親会をのぞく。バンダイビジュアルの人が来ていてDVDボックス仕様の「AKIRA」の売れ行きを聞いて8万枚出荷したとゆー答えが返って来てひっくり返る。8万枚ぃ? 8000枚の間違いじゃないのかい? とか思ったのも当然で、まあ8000枚はちょっと少なすぎるかもしれないけれど、3年前の市場だったら例え「AKIRA」とは言え3万枚すら行かなかっただろーことを想像すると、いかにDVDプレーヤーが普及してDVDってパッケージが売れる商品になって来たかってことが良く分かる。「プレイステーション2」さまさまって所もあるのかな。玩具は超ヒット商品がなくまずまずだったバンダイが好決算を記録できたのもバンダイビジュアルのDVDの半分はお陰らしーんで、バンダイの人は久夛良木健さんに足を向けて寝られない、かも。「ワンダースワン」にソフトも出してくれたしね。

 ちなみに例の「ギャラクシー・エンジェル」もなかなかとか。人形がついてたってこともあるんだろーけど、これもひところのLDが全盛だった時代のマーケットだったらきっと、今の3割にも届かなかっただろー。ブロッコリーも以下同文か。もらった資料だと「メトロポリス」は通常版が3800円であれやこれやおまけのディスクや冊子なんかが入ったボックス仕様が12800円とゆー、「ユニクロ」と「ユナイテッドアロウズ」くらいの格差がありそーな展開を行うみたいだけど、そこはマニアが主流を占めてるアニメな世界だけに、やっぱりボックス仕様が結構な数出るんだろーなー。普通の人が「メトロポリス」を見るとは思え……ゴホン、いやまあ映像だけ見てる分には実に素晴らしい映画なんで3800円を買ってストーリーなんて気にせず故・小松原一男さん渾身のティマが天使に見えるシーンとか堪能するのもアリでしょー。それにしても通常版で15万枚売る気とは。映画15万人も見たっけ(見た……よな)。

 その腕力で「スーパーロボット大戦」なんて画期的な企画を押し通した杉浦幸昌バンダイ会長が最近凝っているのが「ガシャポン」集めで何でも改築した家の中に棚をつくって700個くらいの「HGシリーズ」を集めて飾っているとか。色違いとかクリアとかも揃えてたりするんだろーなー。ほかにも「チョコエッグ」とか集めてるらしくって、時々秋葉原の海洋堂に行っては買い込んでたりするとか。あの杉浦さんが行けば店の人も恐縮して裏から隠しアイティムをそっと出して来る、なんてことはないってゆーか杉浦さんも勝手に行って客として買って来るそーなんで、店の人もきっと酔狂なお爺さんが来てるなー、としか思っていないんだろー。さすがに集めきれないらしくって交換とかも積極的に利用しているそーで、レアも含めてほとんど集め切ったとか。流石は「超合金」「ジャンボマシンダー」の生みの親。幾つになっても玩具魂、失ってません。

 最近は小さいフィギュアを脱して「バービー」集めに凝り始めたそーで、価格も大きさも「チョコエッグ」とかの比じゃないだけに、飾る場所とかあるんだろーかと心配したけどそこは会長、6畳一間に住んでる訳じゃないんできっと大丈夫なんだろー。「フィギュア王」とかで紹介とかしないのかな、それともしてたっけ。「チョコエッグ」とかはともかく「バービー」となると箱から出して飾るのがもったいないくらいに綺麗なパッケージになってるんで、どーするんですかと聞いたら会長、玩具は飾って遊んでこそのモノって主義らしく、「バービー」だって当然出して飾ることにしているとかで、綺麗だと言いつつもその実、何時か売ることを考えて箱に入れたまんまにしてたりする我が身を深く反省する。けど未だ「トライガン」シリーズ、ブリスターに入れたまんまで遊んでない。貧乏症ってそー簡単には直らないものなのです、ってゆーか現実的に貧乏だし。お金持ちになりたい。


【12月3日】 久々に真っ当に「サイボーグ009」の2001版アニメを観賞、相変わらずの「石之森絵」をまんま動かすんだって意気にあふれた内容で、階段でのスコープ野郎との緊迫感にあふれた戦いとか、ブランコに乗った子供の周囲でキャラが見えない中を土埃だけがバッと立つ戦闘シーンとか、切れ味たっぷりの動かしっぷりも加わって、放映時間の30分を手に汗握りながら画面に見入る。とはいえあまりな石之森っぷりに石之森ってない人が、いったいどんな印象を持ってながめたのかは不明、目にスコープで仕込み杖の殺し屋キャラを、格好良いとか思える世代って相当に上だと思うんだけど。「0013」のアクションがコマ落としっぽくなっていたのは作画枚数が足りないからじゃなくって演出だったと思いたい。

 「ドルフィン号」の中での「003」が、これまでのどこか憂いを秘めた表情から妙に明るくなっていたのにちょっと萌え。あのシーンを見るためだけに僕はたぶんDVDを買うだろう。どーせ萌えてんならものはついでと、「GIRLS 1961−97」も買おうと心に決める。「プレイコミック」用の表紙イラストとして描かれた美女とかの絵を300点も集めたとてつもない豪華本。昔だったら微妙な古さがひっかかって敬遠してしまったかもしれないけれど、歳も重ねて昔を冷静に見られる心境になっていることに加え、アニメで見た動く石之森絵の魅力に頭がちょいヤられ気味ってこともあって、これは買わなくっちゃって気持ちが心に浮かんで消えてくれない。

 4800円は結構な値段だけど、5年後にはガラクタになってしまう可能性も多いグッズとかをガチャガチャと付けて何千円も取る最近の豪華本に比べれば、中身の充実度を考えるとむしろ安いって印象。限定2000部なんてすぐにハケてしまいそーで、受付が始まる1月10日は会社を休んでパソコンの前に座ってその瞬間を待つことにしよー。問題は「009」がどんどんとヘッポコになってって、対石之森な気分がダウになってないこと、だな。なってたりするかもな。

 神無月ふみさんの「サウンドマスター」(エンターブレイン、840円)を読む。ピアノの得意な美少女の妹に音楽家の両親が登場もしないまま惨殺されてしまうってゆー、両親はともかく美少女に深い関心を抱く身としてなかなかに釈然としない滑り出しを見せた小説だけど、ひとり「できそこない」とゆーことで謎の敵絡見逃された少年が、ひとり暮らしを始めて復讐に燃えつつ作った曲をピアノで弾いたところ、アロハシャツを着た青年と、「ピンクハウス」ならぬ「ローズマリー・ガーデン」とゆーブランド名のフリヒラな服を着た青年の妹らしー美少女が訊ねて来たところで、俄然興味をかきたてられる。なにせその美少女、少年にその曲は弾くなと強く求めた兄の高圧的な言い方に腹を立てて兄を殴るわ腹に蹴りを入れるわと大暴れ。見かけは可愛く中身は乱暴とゆーギャップが単なる美少女には留まらない魅力を妹の美少女に与えてくれていて、さてはてどんな活躍を見せてくれるんだろーかとゆー期待に胸が膨らむ。

 結論から言うなら美少女が実は美少女なんかじゃなかったりする辺りで「003」の正体バラシの時にも感じた落胆をちょっとばかり抱いたけれど、それでもちょっとした笑顔で再び「003」に萌えモエになってしまったよーに、人間の(僕の、って言い換えても良いけど)感性ってのはまこと自在で勝手なもの。その後それほど活躍しなくって物足りない所もあったけれど、フリヒラな見かけ美少女が出ているってだけでとりあえず「サウンドマスター」は手に取る必要のある話だったと言っておこー。

 で、肝心の物語と言えば、青年と美少女が生まれ育った世界に危機をもたらす可能性のある少年の「うーやーたー」な力(意味不明)をめぐって、くんずほぐれつのバトルへと進んでいく中で、家族を殺害され沈んでいた少年が、仲間らしき人々の厚情を受けて次第に明るさを取り戻していく展開が、読む人にとりあえずのホッとする感を与えてくれる。同じエンターブレインから刊行の「トランスワールド」も含んだ「九つの異世界」シリーズの1冊らしーけど、単独で読んでも読めるストーリー。あれやこれや大変なエンターブレインだったりするけど、残り5つの異世界もここから楽しめるのかな。

 「週刊将棋」で羽生善治4冠王が「竜王」位も獲得して5冠になった記事を読む、いや強い、マジて強い、これでかつての7冠も夢じゃないとか思えないこともないけれど、「名人」位への挑戦者を決める「順位戦」のA級でちょっと負けが込んでるみたいで、来年春の挑戦はちょっと無理みたいなんで、現在持っている「棋王」「王座」「王位」「王将」に今回獲得した「竜王」をすべて防衛して現在どーゆー状況にあるのか知らないけれど「棋聖」も獲得して、来年の「順位戦」をトップで抜けて「名人」に挑戦してこれを破る再来年の初夏あたりに、夢の7冠の再現は持ち越されることになりそー。もっともその前にA級をしっかり守ること。いちど落ちると中原誠永世十段だって現在までに2勝しかできず、上に戻るのに苦労するどころか下手したら2組に落ちてしまうくらい、B級1組って”鬼の棲処”だからねー。

 しかしそれにしても通算50期とは驚くやら呆れるやら。90年に島朗さんを破って当時の史上最年少記録で「竜王」とゆータイトルを獲得して以来の羽生さんのタイトル獲得数で、10年ちょっとの間でこれだけ積み上げられたってあたりに、途中の7冠制覇も含めて複数タイトルをいかに長い期間、保持し続けたかってことがうかがえる。最高記録は大山康晴十五世名人の80期でこれに中原永世十段の64期が続いているそーだけど、今の5冠をあとたったの6年維持するだけで、2007年には大山十五世名人の記録を抜いてしまうってことになる。

 その時に羽生さんはたぶん37歳。その後50歳まで数は減るかもしれないけれど2冠くらいを10年以上保持し続けたら、通算100期すら超えてしまう。あの中原永世十段を沈めたスキャンダルも羽生さんの場合は起こりそーもないだけに、あながち実現しないとも限らない。いや恐ろしい。ブームでは囲碁におされてる観もある将棋だけど、プレーヤーに圧倒的なスーパースターがいて、昔は村山9段でちょい前は佐藤9段、今は藤井前竜王に丸山名人で将来的には勝率勝数対局数でトップを走る木村5段と強力なライバルが限り、人気は不変で時に一気に盛り上がる状況があと20年は続きそー。やっぱり実力人気を兼ね備えたスターなんだよなー、ジャンルが盛り上がり持続するために必要なのは。


【12月2日】 「その瞬間」を見る強化シーズンってことで先週は「東京スタジアム」へ「東京ヴェルディ1969」のJ2落ちを確認にしいったけど果たせず、それはそれで目出たいことではあったけれど野次馬的なバリューではちょい格が落ちてしまったと残念に思ったのも束の間、今週こそはと期待していた現行「皇室典範」に照らして順位的にも皇太子さまに次ぐ第2位の皇位継承者となる、新しい宮さまの誕生を期待して待ちかまえていた所に届いたのが「女児ご出産」との報。これもこれで大変にお目出たいとこではあるんだけれど、自分より年上だった当時の浩宮さまの誕生なんて当然ながら知るはずのない身、長子でたどるところの次世代の皇太子つまりは次々世代の天皇陛下の誕生に、始めて接することが出来るのかと思っていただけに、肩すかしを喰らった気持ちも少なからずある。

 とは言え紀宮さま以来実に9人連続の女児誕生となった宮家では現状、秋篠宮さまより年下の「皇室典範」に照らしての皇位継承者がいないってことになってるようで、いよいよもって女性天皇の即位も可能になるよーな「皇室典範」の改正がクローズアップされて来た模様。ってことはあるいは長子の系統なら男女を問わず皇位を継続させていくよーな改正が行われれば、今回誕生となった内親王があるいは何時いらいになるんだろー、久々の女性天皇に即位する可能性だってあるわけで、その意味では当時の浩宮さま誕生時以上に「その瞬間」だったってことに後でならないとも言えない。これは一大事とゆーことで、とるものもとりあえず皇居へとお祝いの記帳なんてものをさせて頂きに駆け付けてみると。

美幸でも夏実でもないしセラスではありえない  いや凄い人波。入場口となる坂下門の前に開門の1時間前に到着するとすでに数百人規模の行列が出来ていて、天気も良いってこともあったんだろーけれど、日本にはまだまだ皇室に敬意を抱く人たちが老若男女を問わず結構な人数、いたんだってことが確認できて勉強になった。もっとも皇室に敬意があるからって国家権力にまで諾々として従っているかとゆーとそーでもなくって、段取りが悪い警備の人たちに向かって「もっとちゃんとしなさいよ」と聞こえよがしに文句を言うおばさん軍団がいたり、ボディチェックをやると説明せずに男女別に人を並ばせよーとする警察官には「ちゃんと説明そろ」と言葉を投げるおじいさんたちがいたりともう言いたい放題。サービスされることに慣れきっている世代ではなく言いたいことを言って戦後の荒波を超えてきた世代ってこともあるけれど、それでも見ていて逆にこっちが「つまみ出されやしないか?」なんて心配になって来てしまった。貴なる存在への尊敬は忘れずかといって権威にはおもねらず、ダメなものはダメってゆー意識のバランス、大事にしたいものです。

 警備には近隣の婦人警官も動員されてて結構な見応え。さすがに葵ちゃんくらいの美女(?)は見えなかったし夏実みたいな力持ちも美幸のよーなメカおたくも見えなかったけど、それなりにそれなりな人もちらほら見かけることが出来て、制服好きな人にはもしかしてたまらない体験になったかも。この人にだったらボディチェックを許してもいいかな、って列に並んだらなぜか奥にいたちょっっとだけ視覚的に個性が突出した人へと回されてしまった時にはちょっと愕然としたけれど、親切だったんですぐに気を取り直して気持ちよくチェックをしてもらう。普段持ち歩いているよーなミニ電動ガンとか「バンジーボール」とか持ってなくて良かったよ。持ってたら今頃は桜田門で夜更かしだったよ。

開門15分ではやこの人出。皇室人気衰えじ  開門からぞろぞろと歩いて記帳所へ。旗たてて国旗を振ってる人もちらほらいたけど、言動とか扮装からしてウヨキッシュな人はそれほどいなくって、粛々としつつも庶民的な雰囲気で”愛される皇室”とやらの愛されぶりをここでも目の当たりにする。筆で墨痕黒々と名前を書くのかと思っていたらサインペンだったのでこれまた肩すかし。持参の筆でサラサラと書く人とかもいるんだろーか、落款までボインと押す人とかも。書く名前もだいたいが本名でハンドルネームとかはおらずもちろん「名無しさん」もゼロ。当方もペンネームとか偽名とか使わずちゃんと名前を書いてきました双子の弟の(嘘です)。書いてる姿をカメラマンとかテレビカメラとか何十台も来て撮っていたからもしかしてどれかに映ったかも。帰ってテレビとか見て確認しよっと。

 やっぱりやおいらしーと評判の「角川ビーンズ文庫」の新刊「地平線に映る声 エッジ・オブ・ブレイド」(相坂きいろ、角川書店、457円)を読む、なるほどやおいだった、かも。以前、街頭で見かけた少年とも少女ともおぼしき姿態の若者によく似た男性を見かけて声をかけた少年チャル。事件にまきこまれてしまった彼を助けたが、壁へと張り付けられた腕を引きちぎってもまだ生きていたどころか、腕がくっついてしまったその姿を見て彼が不老不死で無性の生き物、亜種だということを知る。亜種は男性を好きになれば女性へと変化し出産すればそのままの姿を保ち続けると知って、チャルはその亜種、雷丸を自分のものにしよーとするが、売ると高い値段がつくとゆー亜種を追う一味の手が、雷丸たち亜種へと迫り、束の間の幸せを脅かす。

 ってのがやおいかどーかは知らないけれど、ハードコアな場面はなくって一種友情ものとも読める内容のなかで、寿命も性質も異なる2人の生命に間に生じる齟齬と育まれる愛を描いた話として楽しめないこともない。特別な紋章が浮き出ているけど人とか傷つけて血にまみれるを紋章が消えてしまうナイフが人気になってる状況ってのが妙な感じ。友人が危険になった時にナイフを使うか使わないかの判断をナイフの価値が下がるか下がらないかとの天秤にかけるのって、うーんどこか不健全なよーな気も。いやむしろ何があっても人を傷つけないって意味で健全なのか。高河ゆんさん描く表紙絵の中世的な雷丸はそれとして、日雇いで筋肉とかついて胸板も分厚く変わった雷丸は果たしてどんなんだったかにも興味あるところ。見たくはないけどね。

 森岡浩之さんの「月と闇の戦記1 退魔師はがけっぷち」(角川スニーカー文庫、457円)を読む。相変わらず手堅いって印象で、どこぞの世界から来た謎めいた兄ちゃんとそのパワフルな妹に関わってしまった力はあるんだけど力の見せ方を知らずいつも貧乏な退魔師のどたばたとした活躍を描いている。彼が願うと誰にでも幽霊が見えるようになり、彼が願えば幽霊だってものを食べられるようになるかもしれない設定から来るエピソードが楽しい。貧乏退魔師の話と第4章の遊園地で謎の勢力に追いかけられる娘のエピソードが直でつながらないのがシリーズものとはいえちょっと不親切のよーな気もするけれど、連載とかちゃんと続いているみたいなんでその辺りも含めてちゃんとケリが付く話になっているんだろー。途中で放り出される(とゆーかなかなか先が出ない)シリーズは1本で結構。タナカヨシキったりユメマクラバクったりするのは10年早いっす。


【12月1日】 今さら偉い人の隠密懲悪道中記を「水戸黄門」のパクリと言って非難する人はいなくって、むしろ一種の形なりパターンと認識して、そこにどんなキャラクターと、物語を当てはめられるかを競って作者の腕前の冴えを楽しむことの方が多いし、宇宙からやって来たヘンな生き物が同居して、てんやわんやの大騒動を繰り広げる話だって、これまた王道パターンとして認知されてる観があって、それを「うる星やつら」のパクリだとか「天地無用!」のマネと怒る人もいない。そりゃ常に新しいパターンを作り出そうと頑張っている人から見れば、安心が約束されているパターンの乗っかる人は安易に映るかもしれないけれど、読む人の側に余裕ってんだろーか、パターンを楽しみつつ違いを味わうゆとりが、重ねられた長い歴史のなかで出来上がっているんだろー。とりたてて騒ぐこともなく、ニタつきながらも面白がって読んでしまうことの方が多い。

 難しいのは比較的新しく出て来て、それが大流行してしまった時に、一種”リスペクト”として登場して来る似たパターンのものに対する判断で、なるほど同じクリエーターとして感動を似たパターンの中に込めたいと想う気持ちは分からないでもないけれど、大流行してしまったが故に思い入れを持ってそれらを受け止めている人の多い状況に向けて、パターンが似ていると判断される可能性の高い作品を送り出してしまった場合、たとえそこに”リスペクト”という気持ちが込められていたとしても、受け取る側にはまだ違いを味わうだとかいった余裕は生まれていなくって、どうしたものかとゆー気持ちをきっと抱いてしまう。詰まるところリスペクトが正真正銘のパクリだろーと、似たパターンを持ってしまっている以上、その作品はマイナス地点からのスタートを余儀なくされてしまう訳で、そこからゼロへと読み手の気持ちをまず引き上げ、さらに100点満点へと近づけていくには並々ならぬ技量と、そして熱意が必要になって来る。

 危機的状況の中、高校生なり中学生なりが集められ、軍事的な訓練を受けて未知なる敵と戦う、ってゆー設定を聞いてたぶん、今のそれなりにゲームとかやってたりヤングアダルトの本とかマンガとか読んでいる若い人が思い浮かべるのは、「高機動幻想ガンパレード・マーチ」ってゲームのことらしー。実をゆーとあんまり流行ってしまったんで今さらやるのも気がひけて、未だにプレイしてなくってどーゆー話か詳しくは知らないんだけど、漏れ伝わって来る話から想像するならそんな話ってことで、クリエーターな人にも結構のファンを生みだしたらしいって話も聞いている。で、神野オキナさんが電撃文庫への初登場作品として送り出した「シックス・ボルト」(メディアワークス、610円)が、「人類の存亡を賭け、選ばれし高校生556名の凄惨な闘いが始まる……」って帯にあるよーに、実に「ガンパレ」ライクな設定で、ゲームを遊んだ人が読むと、なかなかに不思議な気持ちを抱くことになりそー。

 秋山瑞人さんの「イリヤの空、UFOの夏」が「最終兵器彼女」とは無関係な所から出てきた話だと知っているようには、この「シックス・ボルト」と「ガンパレ」との間にあるつながりを確認してはいないけれど、巻末のあとがきにも「ガンパレ」の名前が挙げられてしまっている以上、ある程度は確信を持ってマイナス地点からの出発を覚悟の上で出したんだろーことは想像できて、むしろ似た設定の上でより強いメッセージと、奥深い世界観を見せようとするクリエーター魂の産物だって見方も出来ない訳じゃない。緒方剛志さん描く表紙の美少女の格好が、「新世紀エヴァンゲリオン」に出てきたプラグスーツに似た体にピチピチの服を着ていて髪も薄い青とゆー綾波タイプで、クローンとか出てきて「スティグマズ」って「エヴァ」でゆーなら暴走っぽい現象も起こるみたい。「ガンパレ」程には生々しくはないといえ、流行った度合いで言えばケタ違いな作品だけに、意図するとせざるとに関わらず、相似の臭いをかぎ取る人の多いだろうことは確実。マイナス地点が一段と下がっていく。

 問題はだったら「シックス・ボルト」がハンディをカバーしどこまでプラスの満点へと迫れているかってことなんだけど、未だ緒戦で世界観事態もすべてが明かされているとはいえない状況では、ちょっと判断を留保したいところ。敵となるのは宇宙の生命体で、突如地球に戦いを挑んで来たんだけれど、単純に侵略って訳ではなくって戦争については一定のルールのもとで行うのを旨としているらしく、2016年の1月1日から2018年の12月1日まで世界中のいろいろな地域で予備戦を行った後、翌日から2020年1月1日になる瞬間までを本戦として最終決戦を行って、地球とその生命体とのどちらが勝者になるかを競う、どこかゲームめいた設定になっている。ただ人類にとっては負ければ「土地、文明、文化の所有権を奪われる」、すなわち絶滅への危機に直面する闘いであることには変わりなく、宇宙人が闘う相手に指定した子供たちを鍛えるべく、世界の国々のあちらこちらに養成所が出来て子供たちが集められ、日々訓練を受けている。

 地球人の弱さを見越してあらかじめ強化服なんてものを地球の地下に秘密裏に送り込んで、戦力をイーブンにしようって発想をどーして敵が持っているのか、そこまでして地球人から何を引き出したいのかってあたりにまだまだ謎がありそーで、地球人がルール破りをすればもちろん「権利者」と呼ばれる地球人が当面敵としている勢力がルールを逸脱するよーな場合でも、ペナルティを与えて戦いをとりあえず公正なものへと修正する「監視者」って存在の正体も含めて、語り切られていない世界観を読んでみないと正直、どこまでの話なのかを判断できない。クローンにおける存在の正統性とかメッセージもあるし、これは神野さんとゆーよりは同僚の由麻角さん中笈さん当たりが得意としている描写の電撃的にソフィストケートされ過ぎな場面もあって、それはそれでそれなりだったりしないこともない。緊迫した雰囲気の中で漂う淡い感情の機微を楽しむのも悪くはないけれど、ただやっぱり謎の解明と人類の行く末を神野さんには見せて頂きたいところ。期待していて良いのかな。

 知らないとも言ってられないんで、とりあえずコミック版「ガンパレード・マーチ」(原作ソニー・コンピュータエンタテインメント、作画さなづらひろゆき、メディアワークス、600円)を読む、夏の「SF大会」の「秋山×古橋」の部屋で見かけたコスプレが何だったかをやっと知る、ってそれは嘘だけど、お話しの方はほぼ伝聞どーりの内容だったことを確認して、やっぱりひとつのパターンとしてあちらこちらに浸透しつつあるなあってことを実感する。野島けんじさんの角川学園小説大賞優秀「ネクストエイジ」(角川書店、533円)にもちょいあてはまっているかな。コミック版は萌えな要素とギャグのシーンが割とあって、ゲームに心底ハマった人にはもしかすると受け入れがたかったりするかもしれないけれど、お尻の描き方とか個人的には結構楽しめました。猫いじりにバット殴りに板野サーカスな場面の見開き使いも贅沢で良いですね。

 ついでに広崎悠意さんの小説版「高機動幻想ガンパレード・マーチ」(メディアワークス、570円)も読んでみる、ををこちらは超シリアス。悲しい場面はあるし気持ちを高揚させてくれる場面もあって小説だけでも結構ハマれる。ゲーム世界の複雑さをうかがわせるよーな話も盛り込まれてあって、SFな人たちがどーして熱中したかも何となく分かってくる。ここまで作り込まれた世界観に挑むんだから「シックス・ボルト」も大変だ。しかし50年も戦っていてそれこそ滅亡の瀬戸際まで押し込まれている人たちが、さほど現代と違わない生活水準にあって子供たちだって同じよーな感性でいるってゆーのはちょい不思議。大正デモクラシーから幾らも立たずに日本人は戦争を提灯行列で喜び神影を拝むまでになったんだから。「シックス・ボルト」はまだ戦いの範囲が限定されてるって点で経済も文化も感性も現代を違っていなくって不思議はないんだけど、その辺りどーゆー解釈になっているんだろ。そろそろゲーム、やってみるかな。

 角川スニーカー大賞でこちらは奨励賞の関口和敏さん「デモン・スイーパー 運命を刻まれしモノ」(角川書店、457円)を読む。プロローグが終わって本編へと入る冒頭の「ジョージ」と「スージー」の会話とか、誰が何をしているのかって描写を端折ってクールに斬新な感じを出そうとしているのは分からないでもないけれど、3度くらい読み込まないと状況がパッと理解できないってのは、パッケージ上マズいんじゃないか、って気がしたことはそれとして、妖怪変化が電子化されてネットとか、頭のチップにとりつくって辺りの電気的な解釈をちゃんっとやっているのはなかなか。「ジオブリーダーズ」でも化け猫が携帯電話で移動するけど、化け猫がどーして”情報”なのかの説明はなかったし。

 主人公の退魔師の過去とか彼と双子の助手の関係とか、今回の事件を引き起こした勢力の本当の目的とかいった伏線を張りまくったまんまで終わるのは、続きを書きたいって意志かそれとも続きを書かせたいって編集部の思惑か。新人の作品を世に出すスタンスとしては、1冊で勝負し切って完全勝利している大賞作品「戦略拠点32098 楽園」(長谷敏司、419円)の気高さを潔さをまずは買うけど、謎とか放り出されたまんまってのも気持ちが悪いんで、とりあえずは続きをお願いしたいところ。こーやって思惑にハマっていくんだなー。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る