縮刷版2001年11月下旬号


【11月30日】 ジョージ・ハリスン死去。ちょいイっちゃってた野郎に銃で撃たれるとゆー惨事に見舞われたジョン・レノンの場合はともかくとして、いわゆる病気で亡くなる人が出てそれが”夭折”とか”急逝”って言葉で語られなくなるくらいに、「ビートルズ」も歴史化してたんだなってことを、ジョージ・ハリスンの訃報に接して今さらながらな感じる。個人的にはジョン・レノンが撃たれた時だって驚いたけれど慌てず騒がず泣きもしなかった世代(同世代で熱狂的な「ビートルズ」ファンてどれだけいるんだろ?)なんで、ジョージ・ハリスンに関してもフレディ・マーキュリーの病死程にも悲しめないのは仕方がない。

 もっとも、その大昔に名古屋の確か「名宝劇場」であの「幻魔大戦」の劇場試写を見た時に確か一緒に上映されたテリー・ギリアム監督作品「バンデットQ」の主題歌を唄ってのがジョージ・ハリスンだったはずで(製作も務めてるみたい)、平井和正りんたろう大友克洋ジャパニメーションつながり(「モンティ・パイソン」つながりって言う程には「モンティ・パイソン」知らないし)って意味で、ジョン・レノンよりポール・マッカートニーより(まだ死んでない)ショックは大きいかも。どーゆー価値観だ。

 珍しく仕事。日本出版販売の中間決算を聞きに行って出版景気の悪さを実感する。売上営業利益経常利益ともに減少ってのは、出版業界における景気がここに来て悪くなっている現れなんだろー。雑誌とかの返品率が上がって来ているよーだけど、上期とか結構あれやこれや雑誌の創刊とかあったはずで、出版社の人とかはたぶん雑誌の市場が世の中にはまだまだあると思って出してたんだろーし、そーした新創刊を支えられるだけの広告もやっぱりあったんだと考えられないこともなく、にも関わらずの返品率の増加ってのはつまり、単純に雑誌の市場が携帯電話とかにとられてるってことだけじゃなく、出版社が出したい雑誌と読者が読みたい雑誌とのあいだに、乖離でも生じて来てるってことになるのかならないのか。

 なるほどこの何年かの間に新創刊された雑誌で買い続けてるのは「サイゾー」と「コミックバンチ」くらいで、男性誌女性誌の類は手にすら取った記憶がないからなー。かろーじて「SHIGHT」が入るけど、これも特集によりけりだし。広告集まりましたんで出します的な創刊ってのはもういいから、もっとわくわくするよーな新雑誌創刊ってのが増えないと、抜本的な解決にはならないよーな気がします。「モーニング娘。」フィギュアとか靴の中敷きとか、食玩ならぬマガジン玩がちょい、幅を利かせ始めているけれど、雑誌はやっぱり中身で勝負していただきたい所。おまけで売ってる場合じゃないよ。

 さらに仕事。世界に冠たる広告代理店の電通が上場したってんで東京証券取引所まで会見を聞きに行く。ふだんは殺風景な舞台に大きなアーチとそれからワショワショとした花飾りが設置されていたあたりに、大電通ならではのこだわりを感じる。イベントにつきもののギョーカイな著名人の花輪とか並んでいたら華々しくって良かったんだろーけれど、ホテルでのパーティーだったらいざしらず、東証ではさすがにそれはできなかったみたい。東証じゃなくって日本証券業協会のジャスダックに上場したブロッコリーの公開記者会見に、「デ・ジ・キャラット」とか来てるかと思って行ったらやっぱり来てなかったし。そーいやマクドナルドは「ドナルド」来てたんだったっけ。

 もらった目論見書とか会社案内とか読んたら社歌ってのがあって作詞が芥川賞作家で社員の新井満さんでナルホドなるほど。直木賞の藤原伊織さんにはだったら応援歌の作詞とかなんてやって頂きたい所。言葉がもしかして「われわれわぁー」っぽくなっちゃうかもしれないけれど。<従業員の概況の社員の平均年齢40歳で平均年収1400万円って項目を見て卒倒する。築地の新聞社とかお台場のテレビ局とか銀座のピンクの出版社の社員だったら「安いじゃん」って意味で卒倒するかもしれないけれど、哀れ大手町にあって高さだけはナンバーワンな新聞社の傍系にとってはまさに天文学的数字だったりするのです。彼らにとっての月給が僕らにとってはボーナスの額面。世界は理不尽に満ちている。

 それにしてもお粗末とゆーか、日本を裏かさ支えてもしかすると皇太子妃のご出産までも上場のタイミングに合わせて仕切るんじゃないかと噂されていた会社の栄えある上場とゆー場面で大チョンボをした証券会社があったらしー話には大笑い。本当かどーかは知らないけれど、売値と株数と間違えたとかで何と16円とゆー値段で売り注文を出してしまったらしく、当然ながら成り行きの買いが殺到して、値幅制限があったんで流石に16円での約定はなかったみたいだけど、それでも普通だったら確実に上がっただろー株価を、40万5000円まで逆に下げてそのまま下の方へと張り付けてしまったみたいで、前代未聞の椿事とちょっと評判になっていた。16円で買えたらちょっと凄かったかも、公募価格割れどころか額面割れだし。表向きは「株価は市場が決めること」って平静だったけど、折角の晴れ舞台を台無しにされて果たしてどーゆー挙に撃って出るか。注目して見守りたい。

 「第6回スニーカー大賞金賞受賞」とかの長谷敏司さん「楽園 戦略拠点32098」(角川文庫、419円)を読む。1000年に渡る星間戦争を繰り広げている2つの勢力のうち、いっぽうが死守する謎の惑星があって、そこにはいったい何があるのかと敵の降下兵が防衛網をかいくぐって降りたところ、あったのは広がる原野とそしてところどころに墓標のよーに立つ宇宙戦。そして待っていたのは無敵のロボット兵が1体と、兵隊でもなく機会でもない人間の少女の2人だけだった。死と隣り合わせの生活から降り死んでいった人たちを追悼しながら暮らすロボット兵はともかく、生まれも育ちも生活も、戦争とはまるで無縁といった感じの少女の正体が分からない。

 いったいこの星は何なのか。少女はどうしてロボット兵が来るまでそこでひとりで暮らしていたのか。次第に明らかになる事実が、少女に与えられた残酷な運命を浮かび上がらせる。兵士にとって感情は「誤差」だとなるほど言っていえなくもなく、逡巡とか同情とかを抱かせるよーな感情なんてない方が戦いにはより有利ってことになるけれど、「誤差」すなわち感情があるからこそ人は戦争それ事態を目的ではなく何かのための手段として、時に哀しみ時に怒りながらも遂行していくことになるし、もちろん戦争を終わらせなければとゆー気持ちも抱くことができる。そんな中にあって、ひとり明るく無邪気にふるまう、というより明るく無邪気にしかふるまえない少女の姿が、感情云々を議論している大人たちの滑稽さを逆に白日の元へとさらけ出す。

 牧歌的な星で豆を鍋で煮たり大きなタワシを抱えてプールぜ水遊びをしたり桃に栗に林檎といった食糧を取りに出かけたりする少女の健気な日常の描写が目に楽しい。CHOCOさん描く絵も人物メカともにスタイリッシュでさわやかで、争いの最中にふと訪れたモラトリアムの心地よさを巧みに表現してくれている。そんなほのぼのとした日常の隙間から、少女の正体と星の秘密を核とした世界設定が次第に明るみに出ていく展開が、良質のSFに特徴的な、見えていなかった世界がパッと開ける感覚を与えてくれて、読んでいて目を開かされ頭を醒まさせられる。考えさせられるメッセージもあり、感動的なエンディングもありと短いながらもいたれりつくせりの秀作。良く書いた、感動した。関係ないけどあとがきに出てくる「ライターの先輩、小野憲史さん」ってあの小野さん?


【11月29日】 早売りで「ヤングキングアワーズ」2002年1月号を買いました。「エクセル・サーガ」も「ヘルシング」も「ジオブリーダーズ」も「トライガンマキシマム」も「ピルグリム・イェーガー」もちゃんと掲載されていました。編集の人ごくろうさま印刷の人生きてますかそして作家の先生方ありがとうございます。ちなみに「ヘルシング」は来月号お休みみたいだけど、飛行機図鑑なんかで見た記憶もある超音速偵察機の「SR−71」でもって洋上にあるミレニアムに乗っ取られた空母へとアーカードが向かう描写が圧巻で、「私は戦争が好きだ」みたいなドロドログチャグチャとした粘りっ気とは違うハイスピードで燃え盛る業火のような熱さを持った展開に、ここまで描いてくれたんだから1月くらい休んでたって全然平気って気にさせられる。

 テレビアニメ版(フジテレビ水曜深夜TVアニメ好調暴走中だって。”暴走”かあ)だと何だか水戸黄門の印篭みたくしょっちゅう出てくるよーな印象がある(本当はそんなにないんだと思うけど)「拘束制御術式」の開放も、「サイボーグ009」の島村ジョーの加速装置みたく四六時中使われるんじゃなく、1月号掲載のシチュエーションのような決定的な場面で発揮されてこそ凄みがあるってもの。呆気なかった伊達男だって人間以上に凄い奴だったし、魔弾なんかはそれを上回るパワーを誇ってもしかして「ヘルシング機関」も今回は苦労するんじゃないかって心配してた。

 けど、1月号で繰り出されたクロムウェル開放なアーカードのパワーの前には、こんなもん相手にしたら命いくつあったって足りやしねえと改めて確信。ってゆーかすでに1回ズダボロにされているミレニアムがどーして性懲りもなく挑んで来たのは不思議に感じる。あるいはアーカードをも超えるくらいに凄い集団に生まれ変わったのかな。猫耳だかのシュレディンガーちゃんは先陣のリップヴァーン・ウィンクルなんか目じゃないくらいい強いのかな。目先のアーカードvsリップヴァーンの前哨戦も含めてこの先、どんな展開になっていくのか楽しみだけど、さてはてシュレディンガーちゃんとのバトルなんかが読めるのは果たしていつ頃になるのやら。来年の夏かな? それとも再来年の春あたり? けど良いです読めさえすれば良いんです。だから「ヤングキングアワズ」、続いて下さいお臥して土下座して願いします。

 「ジオブリーダーズ」は”白”減量中、まあ決戦前夜だから仕方がないか。コンビニで食糧(といっても田波ちゃんにはチョコバー1本)を買い込んだ神楽の一行がバモスに戻ったシーンでの荷台に乗った田波ちゃんに向かって高見ちゃんが「あたしのピザまんはんぶんこしましょうか」と語りかけるシーンの運転席から田波ちゃんを見る蘭堂さんのジト目が怖い。何が不満なんだろ? 「こちら四王子研究所前公園」(って何だ?)に登場の連歌屋宇美ちゃんの何故かナース服な胸元からのぞく双球もそれなりだけどその双球を包み込むブラの縁がナース服の襟元から実に微妙な面積だけのぞいている絵がナイス。スキャンしてパソコンで画像ソフトにかけて虫眼鏡で拡大したい気分、拡大したってブロックがでかくなるだけなんだけど。山東ユカさん「ヒミツの保健室」トップページイラスト。これだよロシアのオタク娘が演じる「アナスタシア・アキバーニャ4世(通称アーニャ)」に着せたいサンタトナカイな衣装は。

 「SPA!」12月5日号届く。「e定食」の「eビジネス」でまたもや性懲りもなく気弱系受けキャラ風新人サラリーマン的風貌の某編集がその魅力をさらしてまーす。いっそモデル料とかもらったら。いっそモデルプロダクションに登録して、他誌でも似たキャラが欲しい時には仕出しでそっちにも登場するとか。おやおや「サッポロビール」の「北海道生搾り」の広告タイアップページにも登場だぁ、もう人気者なんだから。関係ないけどこの広告で写真の撮られている「SPA!」編集部、机の下にサッカーボールが入っているのは何故? 同じグループでも硬派なウチなんてせいぜいが「ディアゴスティーニジャパン」のバイクフィギュアが入ったシリーズで作ったけれど許可が降りずに幻となったスズキだかカワサキだかの号なのに(それはそれで……)。

 その「SPA!」で何故か連載が始まっていて「黒のもんもん組」「小さなお茶会」世代には懐かしいやら雑誌のニュアンスとどこまでハマるんだろーかと心配やらな猫十字社さんの、この作品ばかりは誰かのアイディアが盛り込まれているってこともあるのかTEAMとゆー言葉が上に重なる「TEAM猫十字社」名義でのコミック「幻獣の國物語」が朝日ソノラマから漫画文庫の形式で2巻まで刊行中。実は存在をそれほど知らなくって、読んで佐藤史生さんっぽいんだけど展開も絵柄もキャラも漫画マンガしている内容に、コミュニケーションの難しさだとか命の重さだとかいったテーマが毎号繰り広げられていて、読むほどに心がシリアスになっていく「猫つぐら島」とは、果たして同じ作者なんだろーかと戸惑う、ってゆーか「猫つぐら島」が猫十字社のマンガって方のが驚きなんだけど。

 「幻獣の國物語」の2巻に収録の「ロールプレイング街道」はロープレでお約束の展開をマンガで描いた妙な作品。初出がないからいつ頃の作品でどんなRPGをやってハマった結果描いた作品なのかが分からないけど、ロープレって何かと決まり事の多い世界だけに、その決まり事の現実と照らし合わせた時の奇妙過ぎる様を、やっぱり描きたくなるんだろーなー、死んでも復活するとかフラグが立つとか。ネットワークゲームを題材にした映画「イグジステンヅ」もそーいや、聞かないと止まったまんまの人間、ってキャラを電脳空間の場面に登場させていたっけ。映画「ファイナルファンタジー」もアイティム集めだけじゃなくって、フラグ立てとか合ったらゲームの延長としてゲームのファンだけでも楽しめる映画になったのかも。ならなかったかなあ。


【11月28日】 ロシア革命の最中、ボルシェビキによるニコライ王家の掃討をひそかに逃れてシベリアを渡り樺太から北海道へと落ち延びて来た皇女アナスタシアのだいたい曾孫ぐらいにあたるアーニャはある日、代々娘へと譲り受けられて来たという曾祖母の遺品を整理しているうちに、漫画の描かれた紙袋にはいった奇妙な衣装とそして曾祖母の書いた手紙を発見する。日本語だけでなくロシア語にも堪能なアーニャ嬢が読んだその手紙の内容によれば、ロマノフ王朝はその昔遠く宇宙の果てにある「ニコニコ星」からやって来た貴族で、一族に受け継がれる必殺の技を使いロシアの地を統べ王朝を打ち立てたということだった。

 なぜ故郷の星を離れなければならなかったかといえば、それは同じ星系にある「デ・ジ・キャラット星」の侵略を受けたためで、手紙には機会を待って力をたくわえ「デ・ジ・キャラット星」の侵略から「ニコニコ星」を奪還すべきと書かれてあって、袋にはニコライ二世の王家に仕え、アナスタシアに付き従って日本へと逃れた魔術師、ラスプーチンの手によって作られた、ニコライ一族の潜在能力を引き出す一種のパワードコスチュームが入っていた。それは、白い縁取りがされた赤いスカートに赤い上着で頭に被る三角形の帽子には、鹿よりもニホンカモシカよりも大きな角がつけられていた。さらには赤い丸い玉。片方にくぼみのあるその玉は、あつらえたようにアーニャの鼻にピタリとはり付いた。

 曾祖母の遺言を読み、一族につたわるパワードコスチュームを譲り受けたアーニャは、仇敵「デ・ジ・キャラット星」の王女「でじこ」がその身を偽って(ないのかな)働く東京は秋葉原へと乗り込み、やはり身分をかくして名前も秋葉にふさわしいものに変えて、「でじこ」と同じ「ゲーマーズ」で働き始める。ロシア伝来の白い肌に金色の髪、にも関わらず唄わせれば日本語ロシア語に英語までをも駆使してアニソンだろうとポップスだろうと唄いこなすその才媛ぶりで、アーニャはたちまち「ゲーマーズ」の人気店員となる。

 そしてアーニャにナンバーワンの座を奪われて怒り戦いを挑んできた「でじこ」「ぷちこ」「うさだ」の軍団に、サンタクロースに見えないこともない衣装を身にまとい、トナカイに見えたりもする角つき帽子を被って鼻に真っ赤な玉を装着して、必殺技「鼻からカラシニコフ」をぶちまけるのであった。なんて展開を「フロムゲーマーズ」連載の漫画とかでやっちゃって、ついでにアニメ化にでもしてしまえば、例のロシアのオタク娘を声優兼歌手兼「ゲーマーズ」アイドル店員として堂々と呼べるのに、ねえ、ブロッコリー様。やっちゃいません? こげどんぼ様。

 やっぱり大塚ギチさんだったか、ってエージェントの人から「ガンダム関係で知られた人がデザインをやるんだけど」と聞いた瞬間に思い浮かんだ名前がギチさんだったから、やっぱりと思っただけなんだけど、なるほどセンス抜群な人だけあって、滝本竜彦さんの角川学園小説大賞特別賞受賞作「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)のブックデザインでも、安倍吉俊さんの描く手にナイフを持ったセーラー服美少女戦士の表紙絵に、文字とかをイラストの雰囲気を壊さずそれでもちゃんと読めるよう、巧みに重ねてあって格好良い。安倍さん描く丸顔猫目な美少女の顔に文字なんか重なったらサイアクだったからね。

 とにかくジャケ買いしたくなるくらいのインパクトがある表紙絵で、実際の書店に並んでいるのを見てジャケ買いしてしまったほどで、見れば見るほどにセーラー服美少女戦士こと雪崎絵理ちゃんの凛とした顔にたなびく髪に肉付きのよさそうなボディに、目を吸い付けられてしまう。帯で手にしたナイフが隠れてしまうのがちょい残念だけど、あんまり刺激的だと読んで欲しい子供が恐がって手にとってくれなくなるかもしれないから、まずは美少女で引きつけそれから中身のハードなんだけどウエットな展開で感動させるってのが正しいプロモーション方法なのかも。ともかくもやっとでたこの本が、表紙にブックデザインも含めてどんな受け入れられ方をしていくのかが楽しみ。個人的にはやっぱ映像化を望みたいところで、安倍さんギチさんを起用して自ら造本に気合いを込めた角川のメディアミックスの偉い人が、次なるメディアミックスのネタにしてくれればとても嬉しい。絵理ちゃんはホント、誰がいいかなあ、前田姉妹のどっちか? うーんそれもいいかも。


【11月27日】 ないよりも希望はあった方が好きだけど、絶望であってもそれが自業自得めいたもので諦められるものなら決して悪くない。理不尽にもおしつけられる絶望ほど神経に響くものはなくって、そんな絶望をもたらされるような小説なんて読んで決して楽しいものじゃない。その意味で言うなら町井登志夫さんの「第2回小松左京賞」受賞作品「今池電波聖ゴミマリア」(角川春樹事務所、1900円)は絶望も極めつけの絶望を与えてくれちゃっていて、読み終えてさてはていったいどうしたものかと考える。

 あとがきにはなるほど「バトルロワイアル」の映画を取った深作欣二監督の「現代は、もう救いようがない」なんて言葉が引かれて小説が描く”救いようのなさ”を暗示してはいるんだけど、映画も小説も「バトルロワイアル」が厳しいけれどももしかしたらな希望、そこでは駄目だったけど他へとつながる可能性を想起させる希望を醸し出していたのに対して、「今池電波聖ゴミマリア」が示すのは現在ばかりか未来にすら及ぶ人間のどーしよーもなさで、「しっかりやれ」な小松左京さんの名前を冠した賞にしてはちょっと絶望の度合いが大きすぎるよーな気もして妥当性に悩む。

 まあそれもひとつのメッセージではあって、恐竜がネアンデルタールでクロマニョンに至ったよーに次を考えるきっかけになれば良いって見方もあるから宇宙規模では「しっかりやれ」な話なのかも。ただ全体のトーンはともかくとして、タイトルにもなっている「ゴミマリア」が栗本薫さんの「レダ」のよーな役割でも果たすのかと思って読んでいたら、男どもを虜にする割にはとりたてて超常的な能力を発揮するでも圧倒的な存在感を見せる訳でもなく、どちらかといえばトリックスター的な役割で絶望へと突き進む時代を象徴している存在っぽい雰囲気があってちょっと拍子抜け。いっぽうで若いながらも日本を救う為替ディーラーとして働く少女の、父親は運転手扱いで罵倒し主人公の少年には拳銃をぶっ放す大暴れっぷりはなかなかに愉快で、その存在感をドラマ部分でももっと発揮して欲しかった。関係ないけど国家機密に関わるよーなハイソなお家柄のご子息でも、庶民のガキたちと一緒にゴミにあふれた高校に通うものなんだろーか。

 「パトルロワイアル」ってのが「エヴァンゲリオン」と同じくひとつの「ジャンル」になってしまった感があって、ってのはちょい強引か、まあ少年の成長物語なんてものはだいたいが「エヴァ」でいつの時代にも生まれるものだから仕方がないんだろーけれど、「バトロワ」ってのは残酷さを超えて得られる何かを探る手法として、閉塞感ただよう現代に生まれ尊ばれるのも分かるよーな気がする。角川学園小説大賞を受賞した野島けんじさんの「ネクストエイジ」(角川スニーカー文庫、533円)は裏表紙のあらすじ紹介に堂々と「超絶の新世代バトルロワイアル」なんて書かれてあってもろ「ジャンル・バトロワ」だってことを想像させて、さてはて何を探とーとしているんだろーかと興味深く読む。

 気が付くとそこは密閉された空間で、ってのはまあ「バトロワ」的お約束。ただし全員の記憶が当人の合意のもとに消去されているってのが条件として新しく、無理矢理連れてこられたんじゃないって所に、集められた全員が体力武力で競い合い、破れたものから消去されていくって構図を持ちながらも、無理矢理殺し合いをさせられた本家「バトルロワイアル」的な残酷さが減殺されている。消去ってのがまたくせものなんだけど、それは読んで頂くとして、あと問題なのがそーやって戦い合わせて強いものを残す目的で、読み始めてそれほどたたないうちに理由は説明されているんだけど、それを聞くと「バトロワ」的ってゆーよりもタイプは随分と違うけど「梅田地下オデッセイ」的なニュアンスも小説に感じられて来る。

 結論として「バトロワ」的なシチュエーションで育まれたものの存外とあっさりしているのが気にかかる所で、あーまでしなければ育まれないものか、ってのとそれは本当に絶対に必要なものなのか、ってな疑問がとりあえず浮かぶ。むしろ「自己啓発セミナー」みたいなカリキュラムでもって、洗脳するなり催眠状態におくなりした方がより効率的に成果を挙げられそーな気もしたけれど、それじゃー「学園小説大賞」にはならないから仕方がない。すべてが明らかになってから提示されるどんでん返し的な展開は読んで楽しめるところだけど、それにしては自分に被害が及ぶ可能性のあることを、どーしてやらせたんだって疑問が今度は浮かんで悩み悶える。高をくくってたってことなのかな。


【11月26日】 思えば「マーフィーの法則」なんて本とか出して騒いでた頃が傍目で見ていても賑やかで幸せそうだった最後の時期だったのかもしれないなー、なんてことをアスキーがユニゾン・キャピタル・パートナーズって独立系投資会社の売っ払われたニュースを聞きながら振り返る。それとも両A面な初代「週刊アスキー」の華々しい創刊イベントを六本木の何とかってクラブで開いた時だったっけ。「月光魔術團」とか出してたこともあったし「ダービースタリオン」なんかでゲーム業界も席巻しかかったなあ。「アスキーEC」いま何処。なにもかもみななつかしい。

 ともかくも今なお掲示板の主をして活動を続ける西和彦さんが経営の陣頭指揮を取ってあれやこれやに突っ込んでいった時代から幾星霜、97年12月だかに当時の大川功CSK会長から「経営は知らない奴」と言われながらも支援を受け入れ傘下に入ってベンチャーの雄としての地位を滑り落ちたアスキーが、今度は買って叩いて直して綺麗にしてから売り払う可能性も否定できない投資会社に買われてどっかのグループ会社とゆー地位すら維持できなくなった訳で、誰もが踊り多くが転んだ1990年代とゆー時代の凄みを今さらながらに深く思う。同じITベンチャーの雄ながら、出版ではアスキーの後塵を拝しIT関連でも華々しさの見えなかったソフトバンクが今や毀誉褒貶あれどIT企業の雄の雄。この明暗の理由はやっぱり”人”、だったのかなー。

 矢崎在美さんの「幽霊は行方不明」(角川スニーカー文庫、495円)を読む。なぜか美少女の幽霊に憑かれている少年の真人には占い師を目指している咲子とゆー姉がいるんだけどこれがまた霊感ゼロの傍若無人な性格で、近所の奥さんを占ったは良いものの適当なことを言って不倫を煽ってしまった結果奥さんは疾走。その行く先をこれまた適当な占いで探したところ、行った場所からなぜか女性の白骨死体が出てきてしまった。これは誰? ってことで調査に乗りだしたのが霊感たっぷりの真人。当然いるだろー死体の霊を探したものの近所にはおらず、そうこうしているうちに好意を寄せていた同級生の少女の父親に疑いが及んで来て、これは何とかしてあげたいと守護霊の美々といっしょに白骨死体の幽霊探しに乗り出す。

 真人は幽霊が見えて幽霊は親戚とか血縁とは口がきけるけどそうでない人にはあまり感心を示さない、といった条件設定の中でどうやって目的に迫っていくかといった展開はホラーっぽい雰囲気を持ちながらも多分立派にミステリー。推理をめぐらし手がかりをたどっていく展開は読んでなかなかにスリルがあって、決して長くはない話ながらも先の見えない展開を追っていくミステリーならではの感覚を味わえる。酔っぱらいの守護霊が憑いている関係で口の悪い真人の同級生とゆー設定が落ちでピタリと着地するなど伏線のめぐらせ方、展開の持って生き方は流石にベテランと言ったところ。霊感のない割には観が何故かピタリと当たってしまう咲子のキャラクターも存在感たっぷりで、真人に美々に咲子とそれに和服で決めてる不思議な刑事の金山といった面々が繰り広げる楽しい謎解きと優しい人情のドラマをお願いします、これからも読ませて下さいませ、角川スニーカー文庫様。

 東浩紀さんの新刊「動物化するポストモダン」(講談社現代新書、660円)なんかをペラペラ。去年から各地で開いてきた講演やらシンポジウムで話した内容に「ユリイカ」なんかで連載されたことも加えたものなんで特段驚きをもって読むってことはなかったけど、パッケージが新書ってことで分かりやすい言葉でもって分かりやすい例示を付けながら書かれてあって、論文さながらの「ユリイカ」や自分語りが時に揶揄されもした「小説トリッパーズ」の文章とは違った”芸風”もちゃんと持っている人なんだってことに感心する。喋らせればこれまた迫力だし。12月15日のトークショーでもきっとトークとか炸裂するんだろーな、司会がほら、高井麻巳子さんの旦那さんだし。

 デリダの研究とかで世の偉い人たちに注目を集めていた若き俊英が、誰かに引き込まれたかそれとも自らの発見によって転んだか、今や「デ・ジ・キャラット」のポストモダン的解釈において他に追随を許さない第一人者。それも去年の今時分は「でじこ」を「デジコ」と読んでいたくらいの理解度だったのに、またたくまに本質を理解しこーして本まで書いてしまうんだからやっぱり凄い。「ぷちこ」の縫いぐるみを買って「湘南ベルマーレ」を応援に行ってアロハシャツを買ってDVDを見てロシアのオタク美少女が唄う「Party Night」に背筋振るわせ感涙に咽んでいるだけの萌え野郎では、世の中勝ち上がってはいけないってことなのかも。クルージングどーしよ?


【11月25日】 夏見正隆さんの「たたかう! ニュースキャスター」(朝日ソノラマ、1048円)を読み終える。その昔にえっと「ソノラマ文庫」だったか何かで出ていたものに加筆してノベルズ版にしたもので、前のを読んでないんで正直どこが加筆か分からないんだけど或いは今時なジェット旅客機をアレしちゃうシチュエーションなんかがそうかもしれない。内容自体は巨大化したニュースキャスターが空から降りてきた怪獣と戦う話でミニスカートのまんま巨大化しているんで下から見上げるともうアレがまる見え、なんて話だったら丸川珠代アナウンサー主演で(若い人あんまり知らないんで)主演で映画化をお願いしたい所だけどそーゆー話では全然なくってちょっと残念、けど安藤優子さん主演で映画化されることを思えば違って良かったのかも、渡辺真理さんあたりがボーダー?

 つまりはニュースキャスターの桜庭よしみ23歳が彼氏とスキー場に行って遭難しかかった時に宇宙からやってきた正義の味方と合体されてしまっていわゆる「すーぱーがーる」になってしまったって話。でもって事件とあらばかけつけ人命なんかを助けなくっちゃいけないんだけど、何せ仕事がニュースキャスターで事件とあらばかけつけてリポートなんかしなくっちゃいけない身分。なので事件で呼ばれて現場に行ってリポートも佳境に入ろうかって場面で、聞こえて来る「助けて」の声に引に引っ張られて現場からいつもいなくなってしまう。当然周りはよしみが「すーぱーがーる」とは知らないから、仕事も放り出して逃げるとは何事かと怒ってそれが何度も積み重なって、よしみはだんだんと追いつめられていく。

 仕事と正義の味方業との板挟みになって悩みもだえまくるよしみの喋り(「あたしは、あたしは、好きでスーパーガールしてるんじゃないわ!もうやめたいよう、辛いよう」「奥只見なんかに<わくわく動物探検>を取られちゃったよう!」)が何か可愛い。そんなよしみが体験から語る、ちょろりと出ていっては1日2日、手伝うだけのニュース番組向けとかワイドショー向けボランティアへの苦言なんかもあったりとメッセージも豊富。あと「モロボシダン効果」とでも言うんだろーか、いつも肝心な場面でいなくなってしまうのに「ウルトラセブン」のモロボシダンが「ウルトラ警備隊」を首にならないのは、きっとキリヤマ隊長に付け届けをしているんだってな解釈があってなるほど二足の草鞋のヒーローにはそーゆー秘密があったのかと目を開かされる。確か学校の先生だった「ウルトラマン」とかいた記憶が(妄想?)あるけどその場合は付け届けは隊長校長教頭教務主任あたりにまで広げなくっちゃいけないのかな。

 飛田甲さんの「第2回ファミ通えんため大賞」で佳作を取った作品「ハイブリッドユニバース」(エンターブレイン、640円)を読む。何でも科学でなりたっている人間の世界と言霊を力とする「理唱界」とが重なってしまって双方にひと悶着があった後、どーにかお互いに交流できるよーになったおそらくは近未来の日本で巻き起こったひとつの陰謀に少年少女が力を合わせて立ち向かうって感じのストーリー。それぞれに体系が異なるため地球の人間は理唱界の人が使う理法は絶対に理解できず真似て法術を唱えても何もないところから火は起こせず瞬間移動もできず、一方で理唱種の人は科学がまるっきり理解できずパソコンは触れずメールも打てず銃器すら扱えない、とゆー設定はなるほど興味深く、それらが混沌としてしまった果てに起こる事態への考察にパラダイムへの挑戦が感じられる。

 ただ思うんだけど、科学の力ってのはこの世界が陽子と中性子と電子(でよかったかな)が寄り集まって原子になって分子になって細胞になったり物質になったりして出来ている以上は一種必然として導き出されるものだって気がしないでもなく、同じ構造をしている世界でありながらも、そーした必然とはまったく無関係に言霊だとま魔法だとかを発達させられるんだろーか、って疑問がとりあえず浮かぶ。それを言い出すとおよそすべてのファンタジーに無理が生じることになるけれど、魔法だってオッケーと割り切った上に構築される世界を楽しむ話と違って、世界の成り立ちの違いそのものがキーになってる話なだけに、ちょい気になってしまった次第。人格がパーティション切られたディスクのウィンドウズとリナックスみたく自在に出たり消えたりするんだろーか? って疑問もまあそれとして、まあ「そーゆーもんだ」と了解した上で読んで繰り広げられる板挟みなドラマの行く末にハラハラドキドキできればそれはそれで悪くはない話かも、しろー大野さんのイラスト可愛いし。

 「デザインフェスタ」に行って「ちくわぶ」のTシャツを買ってくる、って毎回それしか買ってない気が。2日目だったからなのか新作があんまりなくって昔からある「セルフサービス」のシリーズのうちの1枚と人工受精の場面をプリントした題して「SEX」って奴を購入する。ほかもTシャツとか見て回ったけれど、世界を震撼させるよーな事件が起こった後だけにそんな事件へのメッセージなり進んでいる事態へのレジスタンスといったメッセージ性のあるTシャツとかもっとあるかなー、とか思っていたけど可愛いデザイン格好良いデザインのTシャツはあってもそーゆー作品はあんまりなくってちょっと拍子抜け。まあ別にアーティストだから世界と対峙しなくちゃいけないって義理もないんで、可愛さ格好良さを追究するのも別に構わないんだけど。多少なりともメッセージ色を持つ(「毒印」とか)「ちくわぶ」さんに頑張ってもらいたい所です。

 水野良さんの「スターシップ・オペレーターズ2」(電撃文庫、570円)を読む。1巻で侵略された母星を離れて後悔訓練中だった少年少女が宇宙規模のTVネットワークからお金を出してもらって戦艦を仕立てて侵略して来た”王国”との戦闘を始めるまでが描かれていたけど、2巻も2巻でちょいラブコメチックな展開&ドタバタチックな展開もあるけれど、テレビの期待に応えなくてはいけないとゆープレッシャーに加えて、本気を出してきた”王国”の軍隊といったシビアさを増すシチュエーションの中で、見かけは見かけとして実力はなかなかな「オペレーター」たちが持てる力を駆使して戦うエピソードがハードにシリアスに描かれていて結構ドキドキさせられる。ステルスタイプの宇宙船と戦う場面の緊迫感たるや! いかにもな設定にいかにもな絵で敬遠している人もいるかもしれないけれど、「電撃文庫」のなかでも硬派さで最右翼にあるシリーズかも。ちゃんと完結させとくれよ。

 「集英社スーパーダッシュ文庫」から登場の「召しませ福を はっぴぃセブン」(川崎ヒロユキ、集英社、476円)を読む。何やら取り憑かれたっぽい少年が七福神の化身よろしく戦う美少女戦士たちによって立ち直る話、ってことは「エトレンジャー」の七福神版ってことなのか? いや「エトレンジャー」がどーゆー展開を見せたかは知らないんだけど。確かアニメの企画だった記憶のある「エトレンジャー」にも似てこの「はっぴぃセブン」もアニメの企画っぽくキャラ立ちまくり戦闘シーンのポーズ決まりまくりの話なんだけど、プロットってゆーかシナプシスってゆーか企画書を長くしたっぽいってゆーか、設定の説明と状況の概説が多くって肝心の物語に厚みがないのがちょっと難。「○○だワン」といちいち語尾に「ワン」と付ける動物キャラもアニメなら見て見流せても活字で重なると目で文字を追うテンポが乱れて息が詰まる。これはこれとして物語にボリュームを持たせた長編か、いっそアニメよろしく短いエピソードでシチュエーションを楽しむよーな展開に発展していくことを期待しよー。「生サンマだ」「買え」と頬赤らめながら商売する魚屋のボーイッシュな美少女、沖まひるちゃんが個人的にはお気に入り。フィギュアできないかな、サンマとかぶら下げてる格好の。


【11月24日】 いきなりの「18歳金髪巨乳」で復活となったらしー「伊達杏子」にもしかしたらバーチャルアイドルで今んとこトップの座を奪われるかもしれない「テライユキ」とは似て非なるアライユキコさん編集の(長過ぎる前振り、しかも意味不明)「カエルブンゲイ」の知らない間にふたケタ乗ってた「#11」が届く。恒例の枡野浩一さんこらむ「お名前売ります」はこれがなかなかに怨念ふり巻きそーな名前でバンドだったら女性ヘビメタバンドかもしくは30歳独身女だけで作るフォークギターカルテットなんかに良いかも。30歳独身女が4人並んで背中にオドロ線なんか漂わせながらオールドな中島みゆきを唄う姿が見たい人がいるかどーかは知らないけれど。

 その大昔に「SPA!」で本の紹介とか書いたことのある平木ニコさんのコラムも知らないうちに始まっていておまけに3回目だってことでちょっと吃驚、最近届いた端から上に地層が積み上がってロクに読んでなかったからなあ、たまたま土曜日で帰って疲れて放り出すことなく読めたのが勿怪の幸いって奴か。もちろん版権とか絡まない形で「ヒカルの碁」モドキなラグラン7分袖にロングのTシャツを作ったけれど果たして売れるのかってあたりが目下の悩みっぽい米光一成さんと我らが社長こと豊崎由美さん(秋競馬、どうっすか?)の何とゆーか迫力たっぷりなツーショット写真も掲載された書評対談は話題らしー(買ったけど読んでないんだこれが)舞城王太郎さん「煙か土か食い物か」「暗闇の中で子供」について語りまくってるんで米光さんか豊崎さんか舞城さんのファンはチェックだ。「カエルブンゲイ」はどっかで多分配ってます。

 スカート姿の女性が床に置いてある冷蔵庫の中からしゃがんでケーキを取り出せば、そりゃ見えるのが当たり前ってもので、そーいったところを実にリアルに演出していて好感が上がりまくりで、不自然にも程があるコードに縛られ好事家のファンをどんどんと手放しつつある(そればっかりじゃないけどね、横山光輝ジョージ秋山永井豪望月三起也とかに唾つけてちゃ)テレビ局に猛省を促したい気持ちも鰻登りな「ナジカ電撃作戦」を家でじっくりと観賞、スカート姿の女性が対戦車ライフルを地面にねそべって打てば当然見えるだろーその描写をこれまらリアルに演出してくれちゃったりしていて、疲れた夜の頭もいっきに覚醒してしまった。スカート姿の(こればっかだな)女性の両脚をかかえてジャイアントスイングで回すなんて馳浩だってやらない技も見せてくれたし、1回休みの分を取り戻して余りある素晴らしいカットの連続に制作者には心からの拍手を送ろう。パンツパンツ。

 あのJリーグバブル華やかかりし頃、1億円プレーヤーを何人も抱えて世間の耳目を集め、なおかつ人気に匹敵する実力もそれなりに見せてJリーグが今もちゃんと存続している、その一助を担ったとこれは認めても良いだろー元「ヴェルディ川崎」こと現「東京ヴェルディ1969」がいつぞや以来の2部リーグ落ちになるってゆー歴史的な一瞬を見に、電車を乗り継ぎ「東京スタジアム」へと同じ場所を本拠地とする「FC東京」との「東京ダービー」を見に行く、って性格悪過ぎ。まあ客観的に見ればいろいろあった「アビスパ福岡」がやっぱり降格の最右翼で、中村俊輔のいない「横浜・F・マリノス」と並んでとんとん位の位置にいる「ヴェルディ」がそう易々と落ちるとは思えなかったけど、ネタとしちゃーやっぱり「ヴェルディ」が落ちてくれた方が書き甲斐もるってもので、眼前で崩れ落ちる選手の顔を目の当たりに出来る瞬間を収めるべく、カメラまで用意してスタンドに陣取ってゲームが始まるまでの時間を過ごす。

 前にピクシーの引退試合を見た時よりも良い場所で、さすがは「読売新聞東京本社」にあるチケット売場で買っただけのことはあるとグループ力の感心する。今度からあそこで買うことにしよー。到着してまずショップなんかをのぞいて回って、今日だけ限定200枚販売とかゆーエジムンドTシャツを2500円で購入、上がっても下がってもきっと今日あたりが最後の試合になりソー名雰囲気を満面に讃えている人なんで、買っておかない手はない。本当は我らが小倉隆史選手のレプリカとかも欲しかったんだけど、これは高いからパス、まあ来年もきっとプレイしているだろーからその時に買おう。

 なんて思っていたら或いは不可能になる可能性ももわもわ。先発メンバーの中にミッドフィルダーとして小倉選手の名前が入っていて、前の「名古屋グランパス」戦ではベンチにも入れず当人的にもファン的にも悔しく悲しい想いをしただろー、その鬱憤をラストの試合で晴らすべく、フォワードじゃないけど2列目の攻撃的ミッドフィルダーとして活躍してくれるだろーと期待していたら、その期待に答えるかのよーに中盤でボールをさばき前線へといいパスを供給し、守ってもディフェンスのすぐ前まで来てボールを奪うはチェックに行くわと動きまくりの大活躍。前線にピタリ貼り付いたままで、もちろんそれだけでディフェンスを1人2人引きつけ相手の押し上げを許さなかったエジムンドの後ろとか横とかで、この試合1番の動きを見せていた。ワンタッチのパスもスルーも通りまくりで、もしかすると中盤、小倉にまかせて良いじゃんとか思えて来た。

 なのに。小見監督が後半に入って真っ先に買えたのがこの小倉選手。見ていて運動量が落ちたよーでもなく、どこか怪我している風でもなかったのに、何故にして真っ先に帰られるのかが分からず激しく悩む。もちろんプロの監督の目から見ればどこか至らない部分があったのかもしれなけれど、これまたプロの小倉選手が交替に激しく反発していてピッチの外に出るなり胸をバンと叩いてその音がスタンドまで聞こえて来て、おやどうしたんだろう、納得していないのかなって見ると今度はユニフォームを脱ぎ捨て地面にたたきつける激しさ。いつも飄々としている小倉にしては珍しいと思っていたらさらに驚くべきことに、立ててあった「八千代銀行」の看板を足でガンとけっ飛ばしてベンチにも寄らずロッカーへと消えていってしまった。

 試合の方はいつになくガッチリと守っているディフェンスの壁を超えられず「FC東京」が決定的な場面をそれほど作れず1対0で「ヴェルディ」の勝ちに。けど後半、ずっと小倉が出ていたら点差ももっと離れて他の会場の動向なんか気にせず楽に見られたかもしれないと考えると、小倉へのベンチの信用がフォワードとして使わない以上に複雑なのかもしれない。とすれば来年も小倉が「ヴェルディ」にいる可能性はいかばかりかってことで、同じく去就の注目される前園選手とかも含めて、かつて世間を騒がせながらも肝心要の「ワールドカップ」を見ることなく消えて行った選手の列伝に、そろそろ小倉も入ってしまうんだろーかとちょっぴり悲しくなる。けどそこは我らがレフティ・モンスター小倉隆史、地元「名古屋グランパスエイト」で30過ぎのおっさん森山選手が未だゴールゲッターとして主力に名前を連ねているのを見、またミッドフィルダーでもそれなりにバランスのとれた仕事が出来るってことが書名された今、ふたたびの”名古屋復帰”なんてものを期待してみたくなる。かつて湧かせたオランダでの再デビューでも良いぞ。とにかくまだまだ出来る選手、だから「ヴェルディ」は小倉を試合に出すか外に出せ。


【11月23日】 「デザインフェスタ」をのぞきに「東京ビッグサイト」へ行ったら明日からでガッカリ、けど気を取り直して奥の東館(ひがし・やかた)でやっていた「お菓子フェスティバル2001」とやらを見物、ヘンゼルとグレーテルな気持ちになる、ってどんな気持ちだ。いやまあ決して広くない会場にぎっしりとお菓子のブースが並んでいてもうお菓子尽くしで、それを見物に来ている親子連れのとりわけ子供のそれも少女がたくさんいるとゆーパラダイス。骨まで煮込んで食べたくなったお菓子の家の魔女の気持ちがちょっとだけ分かったよーな気分になる。甘かっただろうなあ、きっと(食べてないって)。

 それにしてもな食玩オンパレード。例のトミーが「チョコベーダー」やら「トミカ」やらを出展していたのを始め、「チョコエッグ」で食玩のマーケットに大人買いの習慣を定着させたフルタがこれまた大人買い的スピリッツをもりもりと煽る「20世紀漫画家コレクション3 松本零士の世界」ってのを出展どころか即売してて、来年1月下旬くらいからの発売って声に思わず制限の1ボール6個入りをちょびっと大人買いしてしまう。本当の大人買いってのは1ボールをダースで購入がきっと正解だろーから。フィギュアの出来は見本を見た限りでは大きさ造型ともに合格点。けど確かコナミもこちらは「メーテルレジェンド」だかを食玩化する予定だそーで、白い衣装に身を包んだメーテルのこれまた結構な出来にかつての想いを再燃させられそー。作品的にはともかくやっぱ、松本先生は偉大なキャラクター作家です。

 食玩だとあとバンダイが堂々の参入で、ってことはなくって記憶だとそスーパーでバイトしていたかれこれ15年とか大昔に、300円とかいったお菓子にしては高額な値付けでもってちょっとした玩具の入ったお菓子を出荷して来やがったのがバンダイで、お菓子本来の主旨を思いっきり外した商品に当時けっこう複雑な想いを抱いたことを覚えている。当時は玩具もチャチかったし。今はもうスーパーを中心にすっかり市場に定着した感があって、玩具の方もガシャポンの質的向上も追い風になったからやたらと精緻になっていて、玩具メーカーにとってすっかりひとつの大切な龍中チャネルになってしまったみたい。残る課題は肝心のお菓子とのコラボレーションなんだけど、比較的量的バランスがとれてる「チョコエッグ」だって10個食べると胃がでんぐり返るし、やっぱり目的が玩具である以上はキャンディーだったら5個までとか、チョコだったらビターって当たりで留めておくのが玩食(玩具のおまけ食品)道ってことなのかも。

 もちろん場内は食玩ばかりじゃ当然なくって懐かし系の「チョコバット」やら「フェリックスフーセンガム」やら「ベビースターラーメン」といったお菓子を作ってる会社もあればおせんにキャラメル飴ガム等々の駄菓子系の店もズラリと軒を並べてまるでお祭りの夜店よのー。直接は買えないのが残念だけど、大手とかはサンプルも配ってるし福袋も売ってるし、何より入場券を買うと1枚、お菓子と引き替えられるチケットがもらえて書かれてある会社のブースに行くと商品がもらえるよーになっているのが嬉しい。当たり外れって訳じゃないけど好みじゃないお菓子の引換券が来ることもあるんで勝負は時の運ってことで、行って運試ししてみてはいかが、アラレに煎餅の類だと気持ちがなかなか萎えるから。

 をを「兵六餅」だ「ボンタンアメ」だ。鹿児島県に本拠を置くセイカ食品って会社がそれはもう随分と昔から出している定番商品で、とりわけ「ボンタンアメ」なんかは駅の「kiosk」に売られているから見て買って食べた人もそれなりにいるかもしれないけれど、「兵六餅」の方はあんまり見かけなかったんで、懐かしさのあまりブースでしばし立ちすくむ。この2商品、父方の田舎が鹿児島県だった関係で、祖母がザボンとか壷漬けとか送ってくるのと一緒に必ず、大箱に入った「兵六餅」と「ボンタンアメ」が入ってて、最初は喜んで食べていてもそのうちに飽きてしまって辟易として、それでも思い出すとまた食べたりしていた懐かしい記憶が今も鮮明に残ってたりする。

 どこまで大手の会社か知らないけれど数あるお菓子メーカーの中にあってちゃんと出展しているってことはやっぱりそれなりな会社だったんだろーセイカ食品。ブースに並んだ商品を見てその昔暗記した「兵六餅」の裏に書かれた、お菓子の元になっている兵六って薩摩隼人が狐の化けた大入道やらろくろ首やらぬっぺっ坊やら蝦蟇やら蟹やらと戦ったり逃げたりしながらも人を誑かす狐を退治するとゆー、薩摩に200年前から伝わる物語「大石兵六夢物語」(「保存版」って全編のダイジェストが絵と一緒に掲載されたパンフレットがブースで配布中)の一節、「五百年来世上の人、見来たれば是野狐の身、鐘声破らず夜半の夢、兵六いかでか無意の真を知らむ」が何故か頭に思い浮かんでパンフレットを手に取り読んで再確認、子供の記憶力って凄いもんだと感嘆する、今はもうその場で忘れるんだよな。

 あまりの懐かしさにしばらく立っているとブースの薩摩隼人ならぬコンパニオンの女性が「パンフレットを読んでくれたから」と引換券もないのに「兵六餅」を1つくれたんで得した感じ。もう20年近く食べてなかったんだよなー、確か。さてお味は……変わってねえ。キャラメルとかの類に比べれば決して目立つ味じゃないんだけど、噛むほどに口中にひろがる抹茶とも水飴とも餅ともとれそーな味がひろがっていい感じ。この歳になってみるとこーゆー情緒ある味が昔とった杵柄ってこともあって楽しめるんだけど、若いとやっぱりチョコとかの刺激的な味にはやっぱりかなわないんだろーなー。昭和6年とかから70年近くを経て今なお残るこの味が、さてはてどこまで続くやら。水木しげるさんなんかよりもさらに大昔の妖怪物語「大石兵六物語」ともども、昨今の妖怪ブームの中で復活・再評価されてもらいたいものですね。「お菓子フェスティバル2001」は24日まで。「デザインフェスタ」の帰りにまた寄るか?

 「第2回小松左京賞」の受賞作品、町井登志夫さんの「今池電波聖ゴミマリア」(角川春樹事務所、1900円)が並んでたんで購入してとりあえず冒頭の数ページ、うおー、これはなかなかにショッキング。作者本人の姿を授賞式の日に見ているだけに、あの風貌からこんなハードにグロテスクな世界が紡ぎ出されていたとはちょっと意外だった。全部は読んでないんでさてはて、今池がどこまで今池なのか、交差点にその昔あったけど潰れてしまった「アントンリブ」の店はやっぱり出ていないのか、ってあたりは未確認。明日はとりあえず「東京ベルディ」のJ2落ち確定(予定)試合を「東京スタジアム」まで見に行く予定なんで、その行き来に頑張って読もう。しかし本当に落ちるのか、「ヴェルディ」がJ2に?


【11月22日】 「SFマガジン」掲載の海外短編を読んだのってノーマン・スピンラッドの「美しきもの」以来? そんな訳ないけど実際相当に久しぶりのよーな気がする早売りで買った2002年1月号所収のルーシャス・シェパード「輝ける緑の星」(小川隆訳)は、久しぶりにも関わらず読み始めて一気に読ませてしまうだけの深い味わいを持ったローカス賞ノヴェラ部門受賞作に相応しい作品で、雰囲気を出すためのアイティムに過ぎないように見えたSF的なガジェットが伏線としてちゃんと生かされる中で、人間の成長というありきたりだけどありきたりだからこそ何度だって繰り返されては何度でも感銘を読む人に与える物語が描かれていて、良い物を読んだなあって気にさせられた、バリントン・J・ベイリー「王様の家来がみんな寄っても」以来(ってそれも古過ぎ)。

 時は近未来で所はベトナム。人間の精神をネットワーク上にアップロードできるよーになった世界、脳内にチップを埋め込んでいろんな仕事をさせられるようになった世界ではあるけれど、主人公の少年はヴェトナムを回るサーカス団の見習いとしてナイフ投げの練習とかして日々を過ごしていた。どうやら少年は地元の顔役の息子で母方の祖父から莫大な遺産を継いでいたらしいけど、暗黒街に入り浸るようになった父親は息子を殺して財産を奪おうと画策していたらしく、そんな危機から逃れるための少年は母親によってサーカス団に預けられたらしかった。そんな母親もすでに亡く、少年は改めて仇を撃つべく父親を殺そうと画策したけれど、何しろ暗黒街の顔役で周辺には暗殺のエキスパートのボディーガードもいて手が出せない。そうこうするうちに、少年を狙ってか父親がサーカス団に顔を見せるようになり、少年は決断を迫られる。

 ミステリー的などんでん返しの鮮やかさもさることながら、結果もたらされた空漠とした心を引きずりながらも大人として生きていくことになった主人公の姿が、たいしたことのない大義のために大切な物を失ってしまいがちな人間の愚かさを具現しているようで胸に堪える。サーカス団にいて、いつの戦争かは分からないけどもしかするといわゆる「ヴェトナム戦争」だったかもしれない戦争で戦った少佐が全身をミュータントよろしく変形させた姿で語る悲劇の物語が、戦争という行為のたとえその時々には美徳であっても全体として俯瞰すればやっぱり愚かな罪なのだというメッセージを放っていて、「悪はわれわれの顔に現れる」と語る言葉に思わず鏡を見たくなる。否、鏡を叩き割りたくなる。

 掲載されたのが2000年8月の「アシモフ」だから当然のごとく世界が今、置かれている状況なんて想定せずに書いたってことは明かだけど、こうして読んでみると、まるで未来を予測して書いたようでSF作家の想像力に改めて恐れ入る、ってゆーかだからこそSF作家なんだろー。まあ反戦反権力反偽善めいたメッセージはいつの時代にも有効なものだし、シェパード自身がそういったテーマを常に抱いてるっぽい人だから、別に未来なんか予測しなくってもたまたま偶然予測したような未来が来てしまったんだと思うけど、それにしてもこの作品に限らず繰り返し人間の愚かさが問われて来たにも関わらず、未だ改まらない人間ってのはよくよく罪深い生き物だってことになるのかも。悲しいなあ。

 「悲しいけどこれって」「戦争なのよね」なんてセリフを21世紀になってヤングアダルトの小説で読むことになるとは思わなかったよ。それも30過ぎで40も過ぎてるかもしれない人の小説だったら分かるけど、年齢は不肖ながらもこれがデビュー作とゆー豪屋大介さんの「A君(17)の戦争 1 まもるべきもの」(富士見ファンタジア文庫、620円)の中に出てきたセリフだからちょっと吃驚。あとがきで編集長に人が指導したってことらしいから、きっとその編集長は30過ぎでもしかすると40だって過ぎてるオタクなおっさんなんだろー。「あえて言おう、カスであると」もあるし。

 もちろん単にノスタルジックに訴えかけたもののスベりまくりな小説って訳じゃ「A君(17)の戦争」は全然なく、「戦争なのよね」「カスであると」が登場するのもちゃんと理由があってのこと。その異世界には魔族が寄り集まって暮らす国があって、その国がピンチに陥った時に呼ばれるのが人間界の天抜町に住んでいる人たち。主人公で苛められっ子体型ながらも性分の防衛本能でもって身を守り時には陰険な方法で反撃にも撃って出る小野寺剛士がどうして呼ばれたのかはさておいて、そこで出会った現在の魔王がいわゆる第一あるいは第二世代のオタクって奴だった関係で、身に染み込んだ「戦争なのよね」「カスであると」「軟弱物」(これはない)って言葉が口をついて出てしまったみたい。まあ仕方がない。

 そんなオタクの魔王に代わって魔族を率いるハメになった剛士だけど、相手は人族でそれも結構な遣り手。こっちはと言えば謎めいた美少女に戦闘能力抜群の美少女吸血鬼に68歳なんだけど見かけは10歳の悪魔つ子をはじめトロルにゴブリンにほかいろいろな魔物たち。個々の戦闘能力は優れていても戦術面ではちょっぴり頼りなく、魔族の国はそれこそ存亡の危機に立たされるって寸法。いったいどうなるのか、ってあたりはまあ本編を読んで頂くとして、キャラクターのぶっ飛びぶりは読んでなかなかに目に眩しく、かつ戦闘場面のシビアさも読んでなかなかに頭に宜しく、長いけれども割とすいすい読めて且つ楽しめる。続きが楽しみ。伊東岳彦さんとモーニングスターの描くイラストも美少女っぷり美女っぷりが最高で、女吸血鬼のアーシュラちゃんに至っては眼鏡(サングラスだけど)っ娘&巨乳でミリタリーとゆー三重楽。いや眩しい。リアちゃんが「上着はミ○ハウスかなぁと思われるブランド物のトレーナー」にあんまし見えないのは謎だけど、まあよくある話なんで気にしません。


【11月21日】 決まってみれば落ちつくべき所に落ちついたって感じがあって、それは長年大リーグの記事を書く仕事をして来た人たちによる、シアトル・マリナーズのイチロー選手をMVPへと選んだ投票の結果がすべてを言い表しているんだろーけれど、ことこれを日本人の感性に照らしてみると、突出してしまった者への名状しがたい感情が浮かぶのか、あれやこれやと言ってみたくものらしー。

 受賞を報道する夕刊各紙なんかをみると、受賞を讃えることは讃えながらも、必ずどこかにクエスチョンつまりは打点が少ないだとか内野安打が多いだとかいった内容面からインタビューに答えないファンサービスがなってないといった人間性まで、あれやこれやと難癖をつけている。まあ人間性で言うならナショナル・リーグで獲得したサンフランシスコ・ジャイアンツのボンズ選手だってあれやこれや毀誉褒貶に喧しい人なんでイチロー選手と50歩100歩だったりするんだけど。

 それでもボンズ選手については、そうした声をねじ伏せて余りある活躍を見せたってことでやっぱり受賞は当然って感じがあって、そう感じたからこそ記者たちもボンズを選んだんだけれど、だったらイチローだってやっぱり当然だってことに、何故か日本人の感性が素直に向いてくれないのは、やっぱり同じ日本人だからってことになるのかな。いやいや人種なんて無関係、すべてに照らしてイチローをMVPに選んだ、世界で1番ベースボールに詳しい大リーグの担当記者をも超えて、そういう人たちは超えてベースボールに関する深い知識に優れた見識を持っているってことになるのかもしれない。

 とゆー訳でスポーツ新聞もテレビの野球中継も、「批評空間」のホームページのコラム「WEB CRITIQUE」で「内野安打は本来恥ずべきもの」とか「オルルッドは山本浩二」「マルティネスは衣笠祥雄」「(マリナーズは)反=ベースボール的チーム」とかいったどーどーの論陣を張った渡部直巳さんを是非に起用して、結果としてイチローを選んだ大リーグの見識を超えるスーパーなベースボール論を世に流布していただきたいところ。誰も当てられない三振王のランディ・ジョンソンからでも当たり損ねを打てる選球眼を持ち、それに加えて当たり損ねでも内野ゴロに終わらせない足を持つその類希な資質ですら、恥ずべきものと断じる見識から生まれる投げればキャッチャーもバッターもなぎ倒す魔球、撃てばバックスクリーンをコナゴナにする大ホームランってなアストロ球団そこのけのど迫力なベースボール、見てみたいしね。

 やっぱり同じ「WEB CRITIQUE」にある柄谷行人さんの「新庄なんて知るか」はまだ、ベースボールの本場でベースボールに深く関わる人だちの見識を大事にした論陣で旧来の感性にフィットしそー。たしかニューヨーク・メッツの新庄選手の活躍ばかりがほかの大リーグのもっと活躍している選手以上に日本でもてはやされる状況を、イチローのMVPに難癖をつけるのと裏表にある感情で讃えたりするのは「反=ベースボール的」だったりするし。

 それでも終わってみればそこそこながらもニューヨーク・メッツの中では上位に入れるだけの成績を残し、外野の守備だとトップクラスでルーキーとゆー限定はつくけどベストナインに選ばれたりした訳で、イチローに比べてずいぶんと見劣りはするけれど、普通に大リーガー(つまりや野球選手としてはすごいってこと)だと認めて良さそーな気がする。最後は地区優勝にあと一歩の所までいった訳で、疫病神貧乏神の類に新庄を例えているのはちょっと可哀想。今なら「新庄その可能性の中心」、書いても良いんじゃないですか?

 地の果てにある分倍河原から徒歩でかれこれ30分くらいかけて「サントリー武蔵野ビール工場」を見物に行く。「中央高速自動車道」とゆー歌に「右手に朝日ジャーナル左手にビール工場」と唄われてなんかいない工場だけど、別にビール担当でもないのにそんな場所まで出向いたのは、イチローのMVPでもやっぱり感動していた日本の感動親父こと小泉純一郎総理のご子息さまで、こともあろーに父親様が増税なんかを画策している発泡酒のコマーシャルに出ている小泉孝太郎さんがCMタレントってことで工場を見物するとゆーことで、その姿を見物にいったまで。決してビールをただ飲みしに行った訳じゃございません。

 それにしてもな人気ぶり。10台のテレビカメラをはじめ集まった会社が50社近く、総勢で80人規模の大取材陣はもしかすると小泉総理の鹿児島帰郷なんかを上回る規模かもしれない、あるいはアメリカ訪問すらも。それくらいのバリューをたとえ七光だとしても持っている訳で、その意味でたとえ便乗だとか言われよーともサントリーが「ダイエット<生>」のCMに小泉孝太郎さんを選んだのは断固正しかったんだろー。

 そんな大取材陣を前にしても、笑顔を絶やさず快活に、麦を食べては「ナッツみたいで美味しいですよ」と受け答えした大物ぶりさわやかぶりはポイント大。イチローに対するやっかみ以上の2世タレントへの反発心も、その立ち居振る舞いにずいぶんと減殺させられた感があって、もしかすると案外このまま最初は兄の七光でデビューして今は兄に光を天上から当てている石原裕次郎さんにも及ぶよーな、ピン立ちできるタレントになってくれる……かなあ、すべては今後次第、期待しとこー。


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