縮刷版2000年1月中旬号


【1月20日】 とり・みきさんの「石神伝説」第3巻をサイン会のチケット欲しさに青山ブックセンターまで買い出しに行く。いちおー今日が発売日となっているだけあって整理番号も3番を若かったけど、配っている店が本店だけじゃないみたいなんで追って無くなっていく可能性も高そー。今日発売の「週刊文春」にも結構なスペースで紹介が出てたし。で、待望の第3巻を読み始めてますます本格化するバトル、いっそう深まる謎にこれで果たしてフロシキが畳めるのかと思ってたら、案の定第3巻では完結してませんでした。すでに廃刊となった雑誌での連載分が途中で尽きて、50ページほどを完全描き下ろしで収録してもなお、完結しないこの話は今度いったいどーゆー形で描き継いで行かれるのか、書き下ろし単行本シリーズなんてゴージャスな事でもやってくれるのかとあれこれ考えたけど、サイン会の日のトークショーではその辺も話題になるだろーから、折角手に入れた整理券、無くさず当日は駆け付けよー、ついでに80ページの真理ちゃんがいったいどーやって1コマでパンツを脱いだのかも聞いてみよー。例の13号話は……うーん。

 「孫」って演歌がオリコンのチャート上位に食い込んでるってんで雑誌も新聞も騒いでる。発売しているのはテイチクエンタテインメントなんだけどここん家はちょっと前にテイチクレコードから脱演歌を訴えて社名を変えたばかっりで、その矢先の本業本家な演歌のヒットは矛盾してるってゆーかタイミングが悪いってゆーか、これが水物な音楽業界たる所以ってことになるんだろー。ふと思ったけど演歌だと「娘よ」でフォークだと「妹よ」がずいぶんと前にヒットした記憶があるけれど、これが2世代下の「孫」を思う歌になったってあたりに、「演歌」ってジャンルの良い言葉で言えばファンのハイエイジ化、悪くいえば老齢化が起こってるのかもしれない。中年親父が酒場で身を奮い立たせるためとか浸るために歌っていた演歌も、上がる年齢とともに爺さんの歌へと変わっていったってことなのか。やがて寿命が伸びた暁には、演歌の世界は80過ぎの人だけが聞くジャンルとなって「曾孫」「玄孫」といった歌が流行るんだ。

 歌舞伎町の「ロフトプラスワン」で開かれた津原泰水さん監修による2冊のアンソロジー「十二宮12幻想」「エロティシズム12幻想」(ともにエニックス、各1500円)の刊行を記念するイベントにステルスよろしく潜り込む。続々と集まる作家らしき人評論家らしき人のどこかで見た記憶のある面影を眼鏡越しに眺めつつも、当方挨拶に出向くだけの甲斐性もなく「ロフトプラスワン」では最近定位置なステージから見れば左側、客席側から見れば右側の最前列に陣取って、やっぱりな「コロナビール」をチビチビと舐めながらイベントが始まるまでを適当に過ごす。30分くらいで客席はほぼ埋まり、やがて立ち見もチラホラと出始めた盛況さは、ひとえに収録されている作家陣のズラリ一流どころを並べた凄さによるもので、ファンに親類縁者が集まれば、これが昼間の酒場じゃない場所だったら軽く数百人ものファンが集まり押し合いへしあいな状況になっただろー。幻想にかけては今一番に旬な作家がホント、揃いに揃ったアンソロジーだからなー。

 マイナーな業界紙には新作ソフトのリリースですら送ってこないエニックスが新刊本の案内を送ってくれるとも思えないんで、ラインアップとそれから巻末に掲載されている新人賞の告知を確認するために両アンソロジーとも購入。これだけのボリュームで2冊合わせて音楽CD1枚分の値段ってのは、本好きな人を得した気分にさせてくれる最高のプライシング。よほどエニックスたくさん売る気かと予想したけど、今がこちらはどん底な出版業界、加えて某ジャストシステムにしても某アスキーにしても、コンピューターな会社がマニュアル類とかは良くても色気を出してブンゲイに手を出すと会社が傾くってな「俗説」があって、かつエニックスが一応は出版社なアスペクト以上に、文芸書で本屋への配本&営業を厚く出来るとも思えないんで、いつでも買えるなんて読者の人は思わないで、見かけたらサッサと買っておくのが吉でしょー。

 さてイベントは監修の津原さんに作品を寄せている飯野文彦さんが登場して前説から。にしてはお互いに「髪が薄くなってねえ」と言い出し始めたのには、少なくとも自分より両名とも年上であるにも関わらず、両名とも立派にフサフサな髪を保有している様を見るにつけ、なんちゅーイヤミなやっちゃと帽子の下の輝く我が禿頭を思いつつ、ジト目で様子を伺う。が、すでにして山を越え峠を越えて達観の域へと達してしまった当方、そこへと至る過程で朝に見るシーツの上の抜け毛の山、週末に見るカーペットクリーナーの粘着テープの周囲に取り付く抜け毛の山、詰まる風呂場の排水溝からのぞく抜け毛の山とゆー「3大ホラー」の恐怖を存分に経験して来ているから、それをこれから受けなければならない両名の、今抱いている恐怖心には心よりご同情申し上げる。辛いぜぇ、やるせないぜぇ、死にたくなるぜぇ、けけけけけけっ。

 ミステリなクラブの合宿で下ネタ炸裂だった学生時代の飯野さんに我孫子武丸さんが怒った話なんかを織りまぜつつ、トークは小中千昭さんも交えて映画話へと発展。ホラーな映画についての歓談だったはずなのに、「世界線の上で一服」(プランニングハウス、800円)の早見裕司さんも加わって我孫子さんと「スケバン刑事2」について語り始めると、脇の津原さん小中さんの出る番が次第に減る。結論としては番組に出てきた鉄仮面の裏側は最初から南野陽子さんの顔の形が掘ってあって、四角い西瓜よろしく成長するに従って鉄仮面の中いっぱいに顔がひろがって、南野陽子さんのよーな顔に出来上がるとゆー、本末転倒卵か鶏かな状況が明示されてチョン。どこがアンソロジー刊行記念やねん。

 その我孫子さんも「ごった日記」で「十二宮12幻想」について「小粒だが」と言及したことに飯野さんから突っ込まれていて、「まんまあびこくん」のキャラクターのまんまストレートに「ツブが小さい」と言うかと期待したら、「甲乙つけがたいとゆー意味」ってな感じの政治的に正しい答えをして場はとりたてて紛糾せず。とは言え初っぱなだったこともあって深夜から早朝にかけて別に議論があったかもしれず、途中で帰宅してしまったんで見逃してしまったけれど、ゲストの作家だけで津原さん我孫子さん早見さん倉阪鬼一郎さん飯田雪子さん森奈津子さん高瀬美恵さんといったページ持ちが多数、評論でも福井健太さん大森望さん東雅夫がいたよーなんで、何かオモシロイ事があったならそっちで何かしらの言及がある、かもしれない。

 飯田さん早見さんが津原さんと囲んだトークでは、「地下十七階の亡霊」(プランニングハウス)や「リアライン」(同)などの著作がある飯田さんを早見さん津原さんともベタボメだったのが印象的で、この人はいずれ来る、来なくちゃいけないとまで言われると改めて読み返してみたくなる。「リアライン」については前にも言ったよーに、2つある命とゆー設定に適わない夢を抱かせる虚しさみたいなものを覚えて釈然としない気持ちもあったけど、全体として紡ぎ出す2つの世界の重なるシチュエーションの重厚さは、言われてみればなるほど筆の立つ人って言えそーで、目先どーなるか解らない「ファンタジーの森」叢書だけど、ここに限らずエニックスでの活躍も含めて、引き出しが多いと評判のその創作力でもって、面白い話を次々と繰り出していって頂きたい。もちろん早見さんにも、ね。

 会場に女王様で羅刹兵な高瀬彼方さんも来ていて紹介してもらって挨拶、やあ写真のまんまだよ。倉阪さん家のミーコちゃんがマイクにぶら下がっている姿を眼前に見つつ、終電に間に合うよーにやりますよと言っていたにも関わらず、始まる様子を見せない抽選会での賞品ゲットをあきらめ、これからどんどんと面白くなりそーとの見通しもあったけど、やっぱり男なんで六本松くん登場でテコイレなった「エクセル・サーガ」は見逃せないと退散する。帰り掛けにとりあえずは「十二宮12幻想」の方をペラペラ、会場にも来ていたフレデリック・ボワレさん描いた表紙の女性が胸の小ささで好みだったり(でも大きいのも好みだっったりするけど)するのはさて置いて、自分の星座でもある早見さんの蟹座小説「月の娘」の、滲みでる成長したくない少女の苦しみに惹かれる。星座に絡めて主人公は少女とゆー縛りの厳しい中で12人の俊英が競ったってだけでも興味津々なアンソロジー。1編でも十分過ぎた迫力に通読した時の興奮を今から楽しみにしています。


【1月19日】 「無限のリヴァイアス」はネーヤがいっぱい出ていて嬉しい。やっぱりあの服は脱がせられないのか。圧政者が去ったものの代わりに立ったのはろくでなしのグループだったみたいで、一般人を使い自分たちは遊びオトナのたしなみなんかもしているみたいで羨ま……違う腹立たしい。秩序が崩壊したよーに見えてその実しっかりと実権を確保したツヴァイの中にいる何とかって冷徹真面目な兄ちゃんが、ときどき漏らす笑みにギレン風独裁者の面影が見え、今後の展開もこいつが結構なカギを握りそーな気がしてる。いくみはヘラヘラとしているよーで意外としたたか。ファイナはやっぱり怖いよー。

 「本の雑誌」で遠からず繰り広げられるだろー「最強のろくでなし対決」に向けたろくでなし募集大会が大森望さんとこで行われてるんだけど、「ろくでなし」とゆー定義が人によって微妙にズレてたりして結構難しいみたい。まず浮かぶのは「役立たず」との同義なんだけど何しろ「役立たず」なんで「最強」とゆー冠を付けるのに結構難しく、一方で「人でなし」と同義と見る向きもあって何しろ「人でなし」なんで強さだけなら抜群なんだけどウィットに欠けてて対決させても笑えない。とりあえず幾つか考えてみたものの決定打のある人選を出来ないのは当方の本を読む守備範囲の低さプラス読んだ先から忘れる猫の額並記憶力(でも執念深い)のなせる技で、他の人たちから出る意見はそのまま読書への誘いになっていて有り難い。

 どちらかと言った時に「役立たず」とゆーニュアンスで行くなら思い出したのが神林長平さんの「親切がいっぱい」に登場する役に全然立ってない宇宙人なんだけど、こいつは役立たずというそれが最大に役に立ってるってゆーフェイントなキャラなんで、勝負した時に説明が難しく必殺技もなくって勝利が見えない。出動する度に星を壊し住民を死滅させる「ダーティーペア」(初代)ってのも役立たずとゆー点が7割に人でなしって点で3割、「ろくでなし」に入れられそーな気がするけれど、だったら「敵は海賊」のアプロも役立たず度結構高いしネコなんで人じゃないから「ろくでなし」度は「ダーティーペア」に並ぶか上回る。でも主役級は結局存在そのものが価値なんで難しいなー。

 脇役に「ろくでなし」度の高いのが結構いるってことで頭ひねって「ワイルドカード」シリーズの何とかって宇宙人の美形なドクターの役立たず度が高かったような低かったような。学者系だと近作「BH85」(森青花、新潮社、1300円)の科学者も結局は人類をいなくさせる薬を自分の地位を守りたいがために作ってしまったんだからろくでなしっちゃーろくでなしか。思うにザッと見て気になるのが女性の少なさで、ロボットは当然として博士でもヤクザでもろくでなしってニュアンスにハマりそーなのはいないのかなあ、と思っていたらいました「役立たず」にして「人でなし」の度合いが共に10割を越えよーかとゆー「ろくでなし」な人が。

 それは「女殺借金地獄」(角川書店、1200円)って本に登場する「中村うさぎ」ってキャラクターで、税金は払わないのにブランド物を買いあさるその振る舞いは、過去現在未来のどの小説の登場人物をも越えてろくで……って、えっ? 小説じゃない? 実在する人? いーですこの人なら「ビンボー対決」だって「悪役対決」だって何だって登場できます、でもって勝利します。ちなみに「女殺借金地獄(おんなごろしかーどのじごく)」はタイトルが変わって文庫で刊行中だけど、ハードカバー時には実に何とも可愛らしい安永航一郎さん描く「中村うさぎ」さんのイラストが乗ってたんで、あるんならそっちを買うのが個人的にはお勧めです。実物との差異はよく知らないから解かりません、って某ファミ通の小説賞の会場で見たんだったなあ、いや小さくカワイイ人でした、神野オキナさんも見たでしょう?

 エポック社が新しい玩具を発表するってんで九段下へ。エポック社と言えば「野球盤」で貧乏だった僕ん家にはなかったけれど友達ん家にあったバージョンは知らない野球盤で、「消える魔球」を投げて遊んだ記憶が同世代からプラスマイナス20歳の人たちと同様、しっかりとある。ここで質問「消える魔球」は見逃せばボールでしょうかストライクでしょうか? 実は知らないんだけどやっぱりボールだよね、普通は。さて今回の発表はデジタルの力で部屋の中を「野球盤」にしてしまおう、ってな感じの新製品で、その名も「エキサイトスタジアム」は、テレビ画面の中で投げるピッチャーのボールを身ながら最適の場所で手に持ったバット型のコントローラーを振ると、カンとゆー音とともに画面の中のボールがスタンドへと飛んでいく、不思議に爽快な商品に仕上がっている。

 仕組みはバットから出る赤外線の信号を、テレビのAV端子に接続した本体でキャッチして処理し、映像をテレビに送っているもので、14インチのテレビはちょっと苦しいけれど、30インチ以上ありモニターとか、50インチ以上のスクリーンなんかに写しながらやると、気分だけならちょっとしたバッティングセンターに居るつもりになれる。ピッチャーのボールは緩い弾なら時速70キロとかだけど、ロボットのピッチャーを登場させると何と時速170キロ近いスピードボールをバンバン投げるから、正確かどーかは不明としても振る瞬間にはミットへと届いているよーなスピードボールを、打席に立って死の危険に脅えることなく体験できる。

 ホントにこれが速くって、打席に立った中京テレビから来たとかゆー人で学生時代は体感だけなら超スピードボールが来るソフトボールをやっていたってにも関わらず、6つの3振つまりは18球も連続で当てることが出来なかった。タイミングの違いなんだろーけど結構難しいからやり込んでいるうちにハマって、やがて結構な体力を使っていることに気付くでしょー。何かプレイステーションとかに対応したゲームでも発売出来そうだけど、それだと本体に付ける赤外線端末にバット型のコントローラーにCD−ROMで1万円くらいいっちゃいそうだからなのか、「エキサイテツタジアム」は本体にバットにケーブルがセットになって5980円。パーティー会場なんかで「ホームラン合戦」やって楽しむのに最適な玩具だったりするから幹事さんは盛り上げに1つお求めになっては如何でしょー、3月中旬発売。


【1月18日】 午前の4時まで浜松町向けの営業仕事をこなした後、まだ明るくなってないけど新聞配達のバイクの音が聞こえ始めた早朝に寝たのも束の間の、午前8時には起きてちゃんと仕事に行かなくっちゃいけないさらりまん。安定収入は身を削って得るのです、って寝られるだけまだマシなんだろーけど、修羅場な漫画家さんとかに比べれば遥かに。寄った書店で18日と言えばなイフォニンジャマガジンの「サイゾー」2月号を購入、先月は言及が少なかったじゃんってな電波が飛んで来てたんで今回はたっぷりをイジるぞー、と覚悟を決めてまず表紙、ををめくれる。当たり前じゃんと思った人は本屋で「サイゾー」を見て御覧、顔ともいえる表紙が実は2枚重ねになってて1番上のは短くなってて、開けると同じ人なんだけど別の顔したカバーガールが飛び出す凝った仕掛けになっている。

 目的はダブルフェイスな大昔に存在した某一般週刊誌とは違って、広げてさらに広げた部分に雑誌の見開き以上の面積を持った広告を入れることなんだけど、それがヒカル・タカツカじゃなかったのは許せるとしても個人的には興味のないプロバイダーの広告だったんで無視して、とりあえずはカバーガールの内山理名ちゃんにイチャモンをつけよう、やっぱり開いて飛び出す下の理名ちゃんは裸の方が良かったなあ、って肩の部分は既にして下の第2表紙に写ってる理名ちゃんがのぞいているから素っ裸は無理だろーけど、せめてジャージのファスナーをぐわばっと下げて豊満そーじゃないけど女性なんで絶対にある、と思う谷間&山なんかを拝ませて頂きたかった願望とゆーより熱望として。次は頼むぞ、袋閉じ表紙なんてのもカッコ良いぞ。

 にしても理名ちゃん、遠目に見て唇の形がヘンだなあーと気になってまじまじと見ると、下唇にたぶんファンデーション? なんかが飛び出して被さってしまっていて折角のポニャポニャとして艶っぽい下唇が小さくなって見えてしまう。それでも第1表紙の半開きになった口にのぞく八重歯と、その奥に所在なげにちょろりと見えてる舌の何とも美味そうな印象がハートにズキドキで、近寄って下顎を片手でつまんで両側から押し、口を広げさせてその舌を引っ張り出して挟みでチョキンと切り落としたおばあさんは、大きな葛篭(つづら)のお化けに最後は喰い殺されてしまいました、ってそれは違う、えっとそうそうその口に指をくわせさせてみたくなりました。もしかして下唇のファンデーションはインタビュアーが似たことやった時に着いたもの? だとしたらうーん、羨ましい。

 小捻りを利かせた細かいコラムをわんちゃと収録した密度の濃さってな雑誌の特色が盛り返しているよーで記事の方も善哉。「サイゾー大賞」のトップに因縁のフジテレビを持って来て讃える「SPA!」的な意味でのリスペクトぶりが自虐的で美しく、音楽大コケ大賞にこれまた因縁のウズマキな会社で大騒ぎしてチューチューロケット1本くらいだった大物作詞家及びフジテレビが関わったプロジェクトを持って来るあたり、リスペクトするフリをして茶化すフリをしてバリューに乗っかるしたたかさが存分に見える。「哀川賞」が「哀川翔」ってのもドンピシャで良いけど「愛川晶」って人も出てきているから2連覇は難しいかな。賞ではなくって俳優のパワーを測る基準ともいえる単位「竹内力(たけうちりょく)」の最大の持ち主なんてコーナーがあれば「竹内力」が永遠に決まり。もっとも「週刊プレイボーイ」に揃って出てしまったから忍者な雑誌のプッシュもこれで終わりかもしれないけど。

 やあ復活だぁ、「成宮・岡田のとりあえず押さえておきました」はとりたてて何にも押さえてはないけど、押さえる候補を幾つか上げてて若くてピチピチしたアイドルみたいな文化人として東浩紀さんが成宮さんに大プッシュ!! されているから覚悟しておいた方が良いでしょう。「見るからにピチピチ」とゆー基準が決して「ボディブレード」の需要者になり得る肉体といった物質的な要素に適用されているんじゃなく、イベントだろうが喫茶店だろうが酒場だろうが全然変わらない早口ノンストップトークの気持ちよさに適用されているあたりが、「元祖知性体ストーカー」の名が相応しそーな人ならでは。答えて岡田さんが「テレビ的に問題になるのは(以下自粛)」と答えているのはこれまたやっぱり「タブー」を後ろから袈裟掛けに切り倒す忍者な「サイゾー」らしーねー。

 真面目なところでは当方もいつだったかに触れた「ポケモンカード」のまんじが駄目って言われた件で、だったら日本の地図ってアブナイ本なの? ってな疑問を、単にそーいった思いつきに止めず論理の裏付け主張の壁塗りによって仕上げて見せた宮崎哲弥さんの緊急寄稿に拍手、校了の時期がだいたいあの頃だと考えると、これはなかなかにスピーディーな仕事で月刊とはいえ情報が遅れがちな年末進行の修羅場にあって、編集も執筆者もよく頑張りましたと讃えたい。しかし問題になったカードはどこから取り出したんだろー、APだかどっかが配信してくれたのか、それとも近所の玩具屋か本屋かに走ってトレカをわんさと買って必要なカードを引き当てたのか。もしかして編集な人に隠れか表か「ポケモン」のファンがいて言われればどんなカードだってハイと言って出してくるのかも。偉いなあ。

 エルサレムでもベルリンでも本屋に日本製の地図ってないのか確認してくれる人がいたらそれはそれで面白いかも。産経あたりだと勇んで記事にして「これはどーなの?」ってやりそーな気もしたけれど、しょせんはゲームな世界と無視したんだとしたら、エンターテインメントが持つ地位なんてしょせんはそんな物かと解るんだけど、「週刊ポスト」の一件もあった後で刺激したくないってことがあっただけなのかもしれず、例えば今日のセガトイズが開いた「ファービー」の要素で「AIBO」を作ったよーな犬ロボット「プーチ」の発表会に、孫正義さんが自分で印刷しているかのよーにたくさんのジョーカーを切って見せる発表会に匹敵する、9台ものテレビカメラが集まるなんて状況を見ると、差し障りがなければメディアもそれほどエンターテインメントを馬鹿にしてなんかない、のかもしれない。いかにも流行そーな代物に群がる薄気味悪さは拭えないけど。

 しかし胴体は銀色で目の部分はシースルーの黒になってる「AIBO」のスタイルをまんま採り入れ小さくしたよーなフォルムに、耳の部分とかは「iMAC」で一世を風靡したキャンディカラーの素材が使われているデザインは、別の会社でも見たばかりで「有り触れてる」度が高くってあんまり関心はしなかった。動きとか成長の度合いとかに関しては、使って触ってみないことには明言はできないから置くけれど、フワフワとして手に持つと案外楽しい「ファービー」と違って、前後に体を揺する程度の動きしかせず、かといって持ってもフワフワしてない感触を、どれだけの人が楽しめるのかなって印象をとりあえず抱く。

 あと海外での展開で、本物の犬を平気で帰る世帯でどーやったらロボットのペットが売れるのかって疑問もやっぱりあって、「ファービー」は言葉によるコミュニケーションが要になったけど、「ワンワン」としか言わない「プーチ」が本物の犬を越えて子供たちのベッドサイドに鎮座させてもらえるのか、今後山と出てくる「ヴァーチャル・ペット」の行方を占う意味でも成り行きに注目が集まる。相手は「AIBO」ですら即完売とならない国だもん、ペットってより動く玩具程度の感触で売るのが良いかも。だったらせめて目に時計とか表示させてくれれば目覚ましになって役立つのになぁ、ってそーゆー商品だったのか?

 野尻抱介さんの珍しいかもしれないノンフィクションってーか解説書の「SETI@homeファンブック」(ローカス、1900円)を購入、おや表紙はあさりよしとおさんですか。宇宙人探査に微力ながらも協力してるんだ、ってなモチベーションからSETI@homeに入れ込む人がいるって事情は自分も宇宙人に夢を抱いているから解るけど、処理した数だかで全体の中のランキングを争う競争が結局はマシンの性能競争になってるんじゃないのかなってな? ってな気持ちもあって、未だ「LC575」のマックを使いサブノートもペンティアム2だけどたいしたことないマシン環境にある身として、積極的に参加したいって気持ちには駆られない。それでもマシンに関する情報交換なんかのメリットもあるってな見解と、究極には処理能力の早さも宇宙人探しへの協力なんだと感じる気持ちなんかを本に教えられもするから、すぐには無理でもそのうちに入れてやってみようかな、ってな気分になって来た。でも単に並列処理の1パーツじゃなくって自分のマシンで宇宙人の痕跡を見つけ出してみたいなあ、SETI@homeってそーゆーこと出来るのかなあ。


【1月17日】 「カムナビ」に「ファイナルジェンダー」を入れた「電撃アニメーションマガジン」の書評ページのロストテクノロジー掘り起こしシリーズに行数の関係で入れられなかった三雲岳斗さんのシリーズ最新巻「コールド・ゲヘナ 3」(メディアワークス、590円)を読了、かつてクレージー・バロンと呼ばれ悪鬼さながらの活躍を見せたデッドリー・ドライブ乗りが、どーして喋るネコちゃんなんか引き連れて、凄腕ながらも仕事をしないんでなまけもの野郎よばわりされる身におちぶれていたのかが解り、かつ既に「地球」のなれの果てと明示されていた「ゲヘナ」が今おかれている状況が何故に生じたのかが明かされる。続編がまだありそーなのにここで全編ぶちまけちゃって良いの? って気にもなるけど著者曰く、これで枷も取り払われたことでいよいよ設定の説明をせざるを得なかった3部作を超えて、設定を生かした物語へと進化を遂げてくれるんだろー。

 今の「ゲヘナ=地球」を統べる勢力を排除しよーと企む勢力の実はってな設定とか、乗っていたロボットなのか汎用人型決戦兵器なのかよく解らないデッドリー・ドライブが暴走する話とかってなあたりに既視感がつきまとう。また思っていたよりクレージー・バロン、FFSのアマテラスほどとは思ってなかったけど、秘密の力を内に秘めた圧倒的なヒーローだと信じていたのが、案外とフツーの兄ちゃんだったあたりにホッとした気持ち半分、アレっと肩すかしを喰らった気持ち半分に憑かれる。

 冒頭のコミック口絵部分で悩ましい姿を見せるメリーアン=マリアンヌの葛藤が本文だとサラリと流されていたりして、ふくらませれば記憶って、人間って何? ってな哲学的な思索も想起する話になったかもしれないけれど、そこはマリアンヌの割り切ったかのような口ぶりでフォローしていると理解し、また美貌の女医のよーな男性のルーファス・龍やら暗殺者として育てられ強いけど無口で一般社会だとドジもふむフロスティ(バーンの親父を迎えて「将来のためにも第一印象が大事なんだ」というセリフが可愛いじゃないかぁ)とか、キャラも立って来てるんで後はこーした人たちが巻き起こすドタバタにジタバタを描きつつ、「ゲヘナ(煉獄)」がどう変わっていくのかを見ていきたい、からちゃんと書いてね。

 覚悟しておくように(1月12日)とのことなので、覚悟するために近所にあるロフトまで鍛錬用の「ボディブレード」のパチもん金5800円だかを買いにいったら売り切れでガッカリ。ほんの1週間前には2本ほど残っていたのに、1階のフィットネス用品売場には腹筋鍛錬器とか色物のタイヤチューブとか縄跳び(バンダイだと”じぇいろーぷ”とか言うらしい)はあっても、箱に入って売られていたボディーブレードの姿は見えず、これはやっぱり池袋や渋谷のロフトとか新宿の東急ハンズまで出向かなくっちゃ駄目かもと思ったけど、買ったはいいものの全長で軽く1メートルはある器具を持って歩くのも辛いし恥ずかしいしなあ、やっぱ通販しかないか。

 ちなみに僕がこの「ボディブレード」を知ったのはテレビで真夜中にやってる通販番組で、「かのランディ・ジョンソンもリハビリに使っている」ってなアメリカらしい宣伝が気になったことが1点と、ただブンブンと振るだけで贅肉がとれるならこんな楽チンなものはないって怠惰な精神にストライクだったことが1点の、言ってしまえば見栄っ張りで怠け者な人間に最適なフィットネス器具だという理由から興味を持った。とはいえ決してメジャーな器具でもなく、少なくとも会社では誰1人知らなかったのに、ライター稼業で会う人間は何故か言うと「あああのランディ・ジョンソンが」というセリフを口にして、知っているらしーところを見せる。

 情報に聡いと言えばそーなのかもしれないけれど、単純に真夜中過ぎまでテレビを見てなくっちゃいけない、お天道様とは縁遠い生活をともに送っているが故の認識の一致とも言え、かつ同様に身体のユルミが気になるお年頃でもあって脳天にジョンソンの速球よろしくスバン! と来るんだろー。そーやって情報は媒介されやがて誌面化されさも流行っているかのごとく紹介される、ああトレンドは深夜作られる。

 しかし買ったところで「ボディブレード」、全長が1メートルはある板バネの中央を持って振りながら上げ下げとか体を旋回させたりとかするのが良い使い方らしく、ってことは狭い部屋ん中ではちょっとどころか結構アブナイ器具なんじゃないかと今さっき気付く。周囲がすでに本の柱となっているメインルーム(ワンルームでメインもサブもあるかい)ではとうて不可能、ならばキッチンはというと乗らなくなってはや1年な「ビアンキ」のMTBが占領していて危なっかしい。

 残る唯一の物置と化していないバスルームも手洗いと共用のユニット故に狭く小さく、平行に振るくらいは出来ても背中へと回したり上へと持ち上げたりなんて真似はできない。つまりは買っても体力増強に役立たず、来るべき「覚悟」の発揮には間に合わないって訳だけど、考えようによっては部屋に損壊をもたらすくらいの危険な器具なら自分以外の人体にはたいへんな影響を及ぼす訳で、つまりは手にもって振り回し振動させて近づければ、それだけで武器になる可能性もあるってこと、なのかもしれない。だとすれば目下すべきは体力の増強ではなく、いかに効率よく振り回せるかを研究することではないかとゆーわけで、こないだ見た「風まかせ月影蘭」やら「モーニング」に連載中の「バガボンド」の殺陣のシーンを頭に浮かべて、1人華麗な立ち回りを演じている姿を妄想するのであった。

 「電通報」に「米アップルコンピュータ・インクが知らないうちに社名を「アップル」に変更していてマークも例のレインボーカラーから「ジェム(宝石)リンゴ」って種類は5つありながらも基本的には半透明の単色リンゴのマークに変わっていたとかで、既に備品とか名刺のロゴとかも変更が済んでいるとかって話が載ってて担当に聞いたら知らないとか。聞けば日本のアップルコンピュータにも伝わっていなかったらしー。変更自体にエバンジェリストでもない者としてはとりたてて異論はないけれど、結構なファンもいる「アップル」の社名変更が担当にまで伝わっていないこの状況はとっても不思議で、しょせんは日本法人、マーケティング日本事務所っぽい位置づけでしかないのかってなイメージのゲージが上昇する。

 とはいえ近づく「マックワールド」の主催者の一角を占める我が表の勤務先、来月にせまったイベントでさてどんなマークを浮かべんだろーか。ちゃんと押さえていたんなら、事業が情報を漏らしてないって訳で、業務部門と編集部門との間で独立性を守るファイアウォ=ルに立ちっぷりの凄さにあらためて敬意を送るけれど、イベント間近になって日程なんかを告知してよとか日次のレポートを載せてよとかってな「垣根を越えた協力」を求めて来るだろーことを考えると、儲かってない会社にはそれなりの都合ってものがあるってことが、改めて強く想起される。しかしホントなのか「電通報」、後でアップルのサイト見て回ろっと。


【1月16日】 テレビ東京で放映されてた「いっこく堂」のドキュメンタリーをつらつら、テレビやディナーショーや博品館では1番人気で胸張っていても、寄席の場ではベテランの芸人たちを前にして楽屋でも入り口の脇で着替えたり準備したりしている様に、あの世界がなかなか容易なもんじゃないってことが伺える。師匠がいないから居ても誰からも気にかけてもらえず1人階段で時間を潰している様なんか可哀想なくらい哀愁帯びてたし。やっぱり言うんだね「勉強させていただきます」の言葉を発して楽屋を出て舞台にあがればこっちの物かと思ったら、5分ですら間がもたない3分がやっとと真剣な顔で語る辺り、どんなネタでも反応する「ファン」とは違う、本当かどか単にイジワルなだけの人も含めて玄人の客の前で芸を披露する難しさがにじむ。

 テレビなんかでの人気がそのまま芸の実力が否かってのは、芸への鑑定眼なき眼にはなかなか容易に区別が付かないから、いっこく堂の人気が分相応かどかも判断しがたいところだけど、それでも見た目のインパクトはあったし、寄席でも喝采ってほどじゃなくても拍手と笑いが出ていて、それにはひところの銀座4丁目劇場とか渋谷公園通劇場とかで盛んに鳴ってた、出てくるだけで響きわたる黄色い声援とは違った響きがあったように聞こえたから、人柄の良さや芸への熱心さなんかも加わってますますの発展を遂げるだろう。

 テレビでの人気が芸の実力だったのかは、テレビというメディアが出てきてから今日まで続く葛藤で、実際「ネプチューン」を面白いかって回りに聞くと、同世代の同僚の誰1人が「面白い」とは言わない状況にあって、それでも「ネプなげ」は好きだとゆーのは単純明快「白見放題」とゆー芸とは関係のない部分だったりするから、やっぱり「ネプチューン」のテレビでの人気が実力と同じなのかについては懐疑の念が抜けないんだけど、そんな状況を感じつつ、近作の「ジャニーズお笑い進化論」(大和書房)で「ジャニーズ=クレージーキャッツ」論を展開していた西条昇さんが健筆をふるった隠し玉にして決定打、「笑伝・三波伸介 びっくりしたなあ、もう」(風塵社、1500円)を読みながら、同時代的に笑いのヒーローだった三波伸介さんなは、人気が上に行っていたのか、実力に人気が追いついていなかったのか、さてどっちだったのかと考える。

 ストリップ劇場やキャバレーでその芸を見たことは当然なく、「てんぷくトリオ」の出番すら見た記憶がない世代にとって三波伸介の活躍の場所は、1つにNHKが大河ドラマ前に放映していた「お笑いオンステージ」の「てんぷく笑劇場」と「減点パパ」であり、2つに「笑点」の司会そして「凸凹大学校」の仕切り役。つまりはテレビの中ばかりって訳で、テレビに出ていれば偉いとゆー感覚が完全に染み着いた生まれながらのテレビ世代が、テレビで大活躍していた三波伸介の芸なり人気の真贋を語るのはなかなかに難しい。なるほど面白い人ではあったけど、すでに仕切り役が板についてて伊東四郎と小松政夫の怪しい演技のよーな瞬発力をあんまり感じなかったからなあ。子供はインパクトに弱いんだよね。

 とは言え三波伸介がテレビであっても守ろうとした芸の質が、80年頃から台頭する「漫才ブーム」の人気先行芸インパクトな時代に次第に脇へと押しやられていく時代にあって、それでも「喜劇とは何か」を自問自答し続けた態度があればこそ、生きていれば藤山寛美、渥美清亡き後の「喜劇王」になっていたかもしれないと思うと、停滞へと向かいつつあった中での死は悔やまれるし、本人にとっては本意ではなかっただろー。

 もっとも、嵐のよーな漫才ブームが数年で過ぎ去って、残った人たちが次第に三波伸介と同じよーな仕切り役の立場になりって君臨しつつある中で、生きていれば70歳になる三波伸介の位置を探るのもなかなかに困難。あるいはコメディの枠を超えた演劇の世界で森繁久弥と西田敏之の間を埋めて活躍しているかもしれないけれど、どっちにしたってすでにない人そして忘れられようとしている人、今はこの本が広く読まれて、下にも上にもその存在を思い出すなり感じて頂ければ、「てんぷく笑劇場」のドタバタ「減点パパ」の涙に触れた世代としては何か嬉しい。

 テレビでは中田英寿がローマでの初戦にまずまずの活躍、激しいプレッシャーの中でも軽々とパスを出してつなげてしまえる技量は、さすがに下から上がって来れる実力を持つだけのことはある。一時期新聞で「中田移籍」の話題が目白押しだった頃に、別の面ではチベットの活仏の「カルマパ17世」だかが亡命したって話題があって、読みながら頭が混乱し、その面立ちがどことなく中田に似ていることもあって、「カルマパ17世、ローマ入り」なんて見出しを妄想してしまったんだけど、振り返れば仮にも活仏な人だから、ふつーの人間にはない能力を発揮して、初のセリエAであってもブディズム・パワーを発揮して、宙を舞い地を張って華麗なゴールを決めてくれたかも。

 なんて思ったものの相手はキリスト教の総本山、バチカンを側に抱えるローマのこと、そっちが活仏ならこっちは生き神様とヨハネ・パウロ何世だかがゼウス・パワーでもって歳など無関係にピッチに立って、サークルを挟んで激しいバトルを見せてくれただろー。でもってアラブやエルサレムからも続々と代表者が参集し、イタリアリーグははさながら宗教戦争の様相を見せて行き、いずれは自分もと任じる東京拘置所のあの髭の人の所には、信徒からサッカーボールが差し入れられるのであった。でも空中に浮かんだまんまじゃボールは蹴られないんですけど。


【1月15日】 やあ、める様だ、ってゆーのは目次の後にある装画の担当者を見たからであって、中央の女性に”める様”らしさは見えるものの、周囲を飛び回る羽根の生えた「みみず天使」や他に言いようがない「アンドロ羊」に、流麗華麗美麗なめるへんめーかーさんの装画だとは、最初は気付きませんでした森下一仁さんの評論集「思考する物語 SFの原理・歴史・主題」(東京創元社、2000円)の表紙の話です。早川書房の「SFマガジン」に連載された論考がSFではライバルの創元から刊行されるのは何故? とゆーよーな大人の事情への推量は面倒だから抜きにして、SFどころかあらゆる出版物が”冬の時代”と呼ばれる中にあって、地味だけど不可欠な仕事がちゃんとまとめられ刊行されたことをまずは喜びたい。1冊しかなかったけど本屋には。

 SFの基軸を「センス・オブ・ワンダー」と位置づけるとともに、「ファンタジー」が繰り出す非現実的なイメージが目の前あるいは周辺に止まっているのに対して、SFのそれは世界全体を支配し、世界体系となって横たわっているってな感じの説明は、単純に「科学」の有る無しだけをよりどころにした説明とかよりは、個人的には皮膚感覚としてよく伝わる。パッと出てパッと消える魔法はなるほど「吃驚仰天」の感覚を引き起こすけど、それが「フレーム」の外へと出てこないのは確かだし。一方で現実世界を魔法でもなんでも現実とは異なる価値体系でもってひっくり返し、現実世界に生きる者に染み着いた固定観念とのズレを読む人に認識させる、寓話的な要素をはらんだファンタジーもあるから、それがSFに特有の「センス・オブ・ワンダー」とどう違うのかを、現時点ではまだ理解しきれておらず悩む。読みが足りないかなー。

 「何だってオッケー」と拡げれば曖昧になり、「それは○○じゃない」と狭めれば偏ってしまうのはジャンル分けでは仕方のないところで、だからこそジャンル批評は内からも外からも「違うんじゃない?」と思われる損な役回りを背負うことになるけれど、座標軸を設定して初めて見えて来る立ち位置ってのがある訳で、こうしたSF評論はSFもファンタジーもヤングアダルトもギャグもナンセンスも「面白ければ何でもあり」な状況にある自分自身の、SFという座標軸の中での立ち位置を確認するために役に立つ。読み込んで納得できる部分、承服できない部分を吸い出し考えよー。しかし森下さん、例文にある不条理学園に通う阿素子ってば、なーに?。

 パーカーじゃないよバーサーカーだよ。ってな感じで鞭をふるってメカのみならず画の加藤直之さんの字までも切り落として突き進むロボットが表紙の「奇想天外 SF兵器」(渓由葵夫、新紀元社、1600円)を読む。古今東西、SFに出てくる壮絶だったり珍妙だったりする兵器の数々を、現実世界の延長として登場する可能性なんかを洞察しつつ、茶化しや冷やかしも織りまぜて紹介している。いわゆる「スーパーロボット」は入れず、富野サンライズあたりをコアにした「リアルロボット」を主に取りあげているのも、そーいった基準があったから。もちろん生きている金属なロボットとかは出て来ませんので悪しからず。人形汎用決戦兵器が出てないのはちょっと不思議だけど。

 ガンダムあたりの言及が多いのは世代のなせる技か。それより何より面白いのが加藤さんが描くイラストと添えた文章で、例えば「イゼルローン要塞」につての記述にメカを担当した人間として攻略法までも含めて言及していたり、「装甲騎兵ボトムズ」のATの顔に3つ付いているライカみたいな3本のレンズから想像をひろげて、ATにカメラ屋さんに通わせてみたりしててゲラゲラ。「よく知らないアニメ」と言いつつも、プラモデルやガレージキットを参照して正確に雰囲気出してATもダグラムも描いている中にあって、壮絶なのが「機動戦士ガンダム」のホワイトベースの”想像画”。記憶をよりどころに描かれたそれはまるで何が何だか解らないものだけど、言われればなるほどと思えなくもないエッセンスが伺えるあたりは、流石加藤さんって言ったところでしょーか、僕にはこーは描けない。

 アニメで絶対に欠かせない要素の第1位が「美少女」であることは曲げようのない事実であると断言した上で(自分勝手)、第2のメカを扱ったのがこの「奇想天外 SF兵器」だったとすれば、第3の要素としてはやっぱり怪獣をあげたいところ。で、アニメじゃないけどハリウッド映画から特撮怪獣を抜き出した映画秘宝の「モンスターメイカーズ」(スタジオ24編、洋泉社、2400円)が出たんでこっちも買う。キングコングに始まって山ほどのモンスターたちがスクリーンを暴れ回っていた時代を振り返る貴重な本、とすでに歴史書みたく語られる可能性があるのは、映画のモンスターが「ジュラシックパーク」以降どんどんとCGIになっているからで、本書でも数々のモンスターを上げた最後に、そんな指摘を行っている。

 モンスター好きな人たちの本らしく、リアルさでは申し分なく不可能な動きだってスイスイと演じさせてしまえるCGIモンスターズの現状を踏まえながらも、分業での制作体制が原因なのか全体に没個性なモンスターが多いと指弾し、かつて人間の想像を絶するモンスターたちを生み出して来たクリエーターたちの魂が、単純に「よく動く」なんて行った理由じゃないところで、デザインでも動きでも画期的な新しい時代のモンスターを作り出し欲しいと訴える。

 同じことはCGアニメって奴にも言えることで、CGだからすげー、と讃えていた時代はすでに過去の物となり(なったと思うけど)、「ツール」としてのデジタルを使いこなした上でクリエーターの魂がこめられた作品が出始めている状況を見ると、ハリウッドのCGIモンスターも、ぐにょぐにょしてたりぬとぬとしてたりトカゲだったりするだけの没個性な奴じゃない、キャラ立ちしたモンスターがばんばんと出て来てくれるだろー。キャラ立ちしてても脚本が……ってな我が日本の某モンスターなんてのもいたりするから安心は決して出来ないんだけどね。


【1月14日】 ウイっすエクセルっす「エクセルサーガ」期待の巻「テコイレ」はまさしくテコ入れの甲斐あってなかなかの素晴らしい出来で真夜中のテレビ画面に顔を寄せてついつい見入ってしまいました、何にって勿論決まってるでしょ、公園で遊んでいる幼女たちにですよー爆。それは9割本気としてもいよいよ登場なった六本松くんは美貌と知性によって活躍しながらもアッとゆー間に爆発四散し変わって早速バージョン2のガキ六本松へと早変わり。窓から飛び込んで来る決めの登場シーンがなかったのが残念だけど、胸薄い幼児体系なキャラがレギュラーっぽく活躍してくれるってだけで、毎週見る気力ってのがわいてきます爆。

 けどこのエピソードってそんなに昔の話じゃなく、本誌の方ってここからたいしてエピソード進んでなかったよーな気が。にも関わらずのテコ入れはいわばタコの足喰いみたいなもので、残る1月半分2月3月をどーしのいでいくのかってな方にもすっげー興味がある。超テコ入れってことでやって頂けるか原作にもないハッちゃんのヌードとか、いっそ実写ナベシン&エクセルガールズが登場しての裸踊りとか。って言うとマジでやりかねないのがナベシンだったりするからなー、どーせならエクセルガールズに対抗する六本松ガールでも登場させて秋葉原を練り歩かせて下さいな、地べたをはいながらでも観察しますによって。

 たまにはマジメな本でもとタイトルに引かれた「プラスチックの文化史 可塑性物質の神話学」(遠藤徹、水声社、3500円)を買う。人工の物質で柔らかく暖かい雰囲気を持ちながらも人工的で異質な感じが抜けない不思議な立ち位置にある物質「プラスチック」を軸に据えて、20世紀の文化やら社会やらを見ていこーとゆー、哲学的社会学的経済学的洞察をはらんだ本と言えそー。工業化社会における位置づけに関する論法自体は概説的なイメージでおさらいに丁度良いけれど、後半のソフビの人形それも「セーラームーン」「エヴァンゲリオン」「スポーン」「サクラ大戦」「レイアース」「ナコルル人形」といった具体的な商品名を、メーカーまでをも含めて取りあげている辺りのこだわりぶりに、著者へのどーゆー性向の持ち主なのかってな興味がむくむくと沸いてくる。ただの好き者? なのかなあ。

 一方ではマダム・タッソーの蝋人形館についての考察やら、赤ん坊の人形を大量に画面内に配置した気持ち悪い雰囲気の部屋を撮った写真の紹介やらと、縦横無尽にジャンルが飛び交っていて目が回る。具体的な素材としてのプラスチックとうよりは、人間によって生み出された工業製品でかつ機械的ではない有機的な雰囲気を持ちながらも、生命では絶対にありえない物質全般を包含した概念としての「プラスチック」を横軸にして、発展して来た人類のだからこそ陥った空虚さを浮かび上がらせてみせる腕前にまず脱帽。読み込めばいろいろと見えて来そうな気がするなー。しかしどーして「ナコルル人形」なんて知ってんだ?

 プラスチックと言われて思い出したのが、千葉の房総に流れ着いたプラスチックの漂流物を撮影した東松照明のシリーズ「プラスチックス」で、これなんかも自然界の中にとけ込んでいるよーで決して相容れない、奇妙な疎外感を感じさせる物質「プラスチック」を通して、文明って何だろーってな疑問を提示している一種の社会学的要素を含んだ写真だったんじゃなかったかと、「プラスチックの文化史」を読んだ後で改めて強く思う。砂浜にたどり着いたグニョグニョと変形したまるで生命体のよーな雰囲気と色を持つプラスチックの漂流物が、しかしながら命に限りがある生命体とは違い、永遠に近い時間を物質的な変化をせず存在し続ける事実に、無常であるべき世界の調和を、自身の利便のために破壊してしまった人間の、業のよーなものが伺え慄然とする。

 折良く「アサヒグラフ」に連載された東松に関連する文章をまとめた上野昴志さんの「写真家 東松照明」(青土社、3200円)が刊行中。初期の名取洋之助的なフォト・ジャーナリズム風写真から即座に脱して、それ1枚で十分な強度を持ち得る写真を撮って来た東松の、モチーフこそ変遷しながらも一貫して保持され続けている気概のよーなものが、長崎だろーとプラスチックだろーと桜だろーと地方政治家だろーと何だろーと、撮られた写真から感じられる。つぼイノリオに平松礼二に酒見賢一に行方不明な市川哲史と並ぶ我が母校出身の有名人の中でも、やっぱりひときわ輝く偉人であり、言ってしまえばキャパがブレッソンがユージン=スミスがアーウィットがと騒ぐ20世紀のフォト・ジャーナリズムの世界にあっても、やっぱり偉大な1人と強く思う。もっともっと有名になってくれい。自分はさてはて後に続けるか?

 スクウェアがマイクロソフトにどーとか言った噂がまことしやかに囁かれるなかで、コンピュータエンターテインメントソフソウェア協会(CESA)の新年会に潜り込む。僕じゃないけど別の記者が一方の名前が上がっている当事者に「ビル・ゲイツが辞めたそーですね」と聞いたら「エッ」と驚き手持ちの「iモード」でニュースを探して「ホントだ」と言ったとか言わないとかってな話を聞くと、こっちが「ホントかいな」ってな気持ちになって来る。むしろあるなら起死回生のゲーム機に「ウィンドウズCE」を搭載し、最近ではアスキーの西和彦社長を従えて一族郎党が太平洋を超えてはるばるシアトル詣でをしているあっちの会社の方が、よほどか可能性があるよーな気もするなー。

 最後は(最初から)ソニーが性能やらコンセプトやらで具体的な商品開発力でもって、先へと向かってしまいそーな気がしないでもないけれど、使い勝手が良くって出費が少なくって済む、ほどほどにそこそこな商品こそが売れる時代に、何でもかんでもが果たしてどこまで支持を得られるのかってな疑問もある。さても「ホームサーバー構想」とも言える両陣営の今後がどーなるか、どーかなるなら何をしているのかってな辺りに注目しつつ成り行きを見守って行きたい、って取材はしねーのかお前しません私。個人的には「何たらウォーカー」って銘があるのに富士見(市ヶ谷だったっけ)からお茶の水へとトレードされた媒体の行く末に興味があるんですが……。


【1月13日】 後ろで鳴る「ブギーポップ」を聞きながら電撃の仕事を午前の3時くらいまでかけて仕上げてから寝て起きて午前9時には家を出て、浅草の産業会館で開かれているタカラの展示会へと出向く。よほど眠かったのか単純に脳細胞の一部が欠落したのか、京成から地下鉄浅草線へと入って本所吾妻橋まで来て次ぎは浅草かー、と思ったらなぜか蔵前に停車、アレレレと考え込んでいる間に扉がしまってそのまま浅草橋へと到着してしまい、これなら総武線でエイコラと浅草橋まで行った方が早かったじゃんと悔やむ。

 かし見事に浅草に停車した記憶がないのは果たしてどーゆー状況によるものなのか、本所吾妻橋にいたことは確実に覚えているのに。これは絶対に記憶を何とかする昨日の「ブギーポップ」に出ていた城之内くんみたいな人が電車に乗り合わせていたに違いない。となると何か浅草に対する苦い記憶ながあったってことだけど、これも一緒に忘れてしまっているから思い出せなくって当然か。プラモデルな会社とも赤い王子様の会社とも別に何かあったって記憶はないんだけどなー謎。

 とりあえずザッと見たタカラの新製品でイチオシはやっぱり空気鉄砲でしょー。ピストンを押して前から弾を発射する構造は昔ながらの空気鉄砲と変わらないけど、未来の銃っぽいデザインといーエッジがヌルくないしっかりとした作り込みといー、子供騙しな感じは全然なくって水鉄砲のよーな甘さもない。でもって薬莢っぽい部分もいっしょに飛んでいく弾は先端がスポンジで胴の部分がプラスチックで出来ていて、ノーマルバージョンはそれを先にこめてポンと押してとばすだけなのが、ゴージャスなバージョンになると3つの弾を収納できるマガジンを差し込むよーになっていて、3段くらいに連結させた最後部のピストンを押すと、ストロークが長くなっている分圧力も加わっているのか、弾が結構な勢いで飛び出し的をバンバンと打ち倒す。

 先端にライフリングが切ってあるから弾に回転がついて上に跳ね上がるとか下に急落するとかいったこともなく、聞くとおよそ20メートルの距離を真っ直ぐに飛んでいくからちょっとした射的ゲームが楽しめる。人間に向かって撃つのは禁じ手だけど、当たってもそれほど痛くはないからエアガンで撃つよりはまだ安全に、人間狩りを楽しむことができる。殺人にならないから会社で嫌な上司に向かって撃つのに最適でしょー。後どーなるかは知らないけれど。

 あと気に入ったのは昔懐かしい、らしー「カーロボット」を現代風にリニューアルした新しい「カーロボット」のシリーズで、コンボイ司令役をあてあわれた消防自動車もなかなかな変形を見せてくれるけど、むしろ注目は敵キャラの「ギガトロン」。ロボット、ジェット機、ドラッグカー、コウモリモンスター、双頭竜に最後は不明な掌の6段変形をものの見事にやりとげて、それでお値段たったの2980円とゆー「トランスフォーマー」らしーゴージャスさ&リーズナブルさをそなえている。もとの形はいったいどれやねん? ってな疑問もないわけじゃないけどね。

 その点元が見間違えようのない消防車がロボットになって基地にもなるってな分かりやすさが「ファイヤーコンボイ」にはあるから、子供にはこっちの方が受けるかな、4980円はちょっと高いけど。RVカーやカウンタック風スポーツカー、RX−7風スポーツカーが普段はドアも開きボンネットだってちゃんと開くのに変形させるとこれまた見事なロボットになる1800円のシリーズもなかななのもの。始まるあアニメがどんなだかは知らないけれど玩具の方はなかなか楽しませてくれそーなんで、再燃しつつある車系玩具の中でもちょっち注目、かな。

 ロボコップが戦ったよーな2足歩行の戦車風ロボットの形をした携帯電話ホルダー、ってのもなかなかにオバカで楽しい。携帯の電波を探知しれ震える縫いぐるみってのは結構あるなかで、こいつはコクピット部分に指した携帯に着信するとジイジイと脚を前後に動かして歩き始めるのだよ凄いだろう。放っておくと棚から落ちたりするから家に置いたまま留守いして電話がかかりまくって来る、って状況だけは避けた方が良いのかも。手に名刺とかメモとか挟めるから会社のデスクトップに置いておくと幅広いオタク層(んなもんいるか)にウケること間違いなし、上司にだってきっと注目されるだろー、ポジティブな注目とは限らないけど。「君がいなくなると寂しいよ」とか言われたりして。

 戻って雑事をこなした後は再び外出してWOWOWで開かれた「風まかせ月影蘭」の試写に出る。三菱電機製のXGAだって表示できる最新のプロジェクターを使った試写だったけど性能が良いのかよく写っていたのが1つ印象に残る。家で上映会だってこれなら平気だ、値段は100万超えるけど。さて番組の方は最近の大地丙太郎さんならではの点が1つあって、それはもー言わ無く立って解るよね、そう声に安原麗子@元少女隊を起用してるってこと。ファンから始まって「十兵衛ちゃん」でエンディングを歌ってもらってゲストよりちょい重要な役で起用して、「今、そこにいる僕」にも出演してもらった安原さんを、当初予定していたゲストキャラなんてもんじゃなく、堂々の主役に使ってしまってのは、単なるファンを超えてもはや「愛」としか思えないくらいの入れ込みぶりが感じられる。

 とは言うものの、そーした私的な思いこみだけで動く人でもないっぽいから、やっぱり感じるところがあったんだろー。それが証拠に女性なのに剣客ってな主役の月影蘭のキャラクターに、例えば「るろうに剣心」みたいな感じで低いトーンで「ござるのお尻は真っ赤でござる」な感じのセリフを喋らせるのかって思っていたら、始まったアニメでは声こそ低いもののセリフまわしはナチュラルな「○○だわ」といった女言葉で、肩に力も入ってなければ頭に突き抜ける訳でもなく、声優さんによくあるオーバーさとは対極を行く自然さでもって飄々とした蘭を巧みに演じてる。

 人によってはアニメっぽくないと思われるかもしれないけれど、アニメのストーリー自体が実写でも珍しくなってしまったマタタビ物で、忍法も必殺技もなく御落胤でもお奉行様でもないただの剣術使いが旅して悪と戦い去っていくってな「王道」ぶりでは、はしゃぐよりも凝るよりも、こーしたフツーさがハマるって判断があったんだろー。なかなか艶っぽくって良いです安原さん、これも歳の功、って言ったら大地さんに怒られるかな。

 ストーリーも1話に限っていえば単純で明解で、圧倒的な情報を見逃すまいと目をこらしセリフを聞き、それでも解らずビデオを見返す思わせぶり系アニメが結構流行って来ている中にあって、面白くって盛り上がってそのうちエンディングへと至るってな感じで安心して楽しめる。だからといってダレ場はなく、セリフや展開にテンポがあってバトルシーンもメリハリが感じられるのは流石ベテラン。哲学的社会学的に注目されなくてもへっぽこな実験がなくっても、ああ面白かったと言われる当たり前に面白い作品になりそー。

44ケーキ  上映会と会見が終わった後で何故かこの日が44歳の誕生日とゆー大地監督にバースデーケーキを贈るセレモニーがあって、かかった曲が少女隊のタイトル忘れた「僕たちが出逢ってから3回目のバースデー」とかってな懐かしくもピッタリな歌ってあたりに、さっきの大地さんの麗子さんリスペクトぶりの一端がのぞく。ホントにファンなんだなー。ケーキは44とゆー数字を象った蝋燭(44本はキツイよね)が立った四角いケーキで、中央に絵柄のデコレーションがあったけど何故か麗子さん演じる蘭じゃなくってベタにも猫拳法の使い手とかゆーミャオの顔が描かれていたのがちょっと不思議。しかしこのミャオ、脚とか上げて戦ってくれるのは嬉しいんだけど、時代にそぐわねースパッツなんぞ履いてやがって、古くはイサミから最近は衣装チェンジした後のジャンヌ抱くものと同様の、強いつよーい憤りを覚える。何故見せねえ。ステテコなんだと思えば時代っぽさはあるけれど、やっぱ楽しみの1つが奪われるってのは辛いからなー、ってそれが楽しみなのかい楽しみなのだよ。


【1月12日】 部屋の汚れが極限に達して足の踏み場も物の置き場もなくなった今、新しい品物はそのまま山積みのさらに上に積まれるか、重なった本の地層のさらに下へと潜り込み、遠からず破壊或いは紛失の運命を辿りきることは明々白々。にも関わらずイベントなんかで「ポスター付き」の看板を見ると折角だからと定価でDVDを買ってみたり、自販機で「2回プレイで必ず出ます」の張り紙を見ると当たるんだからとコインを投じてみたりと、まったくもって懲りない奴ってゆーか何とゆーか。持って帰ったポスターは気分が良ければフレームの中に無理にでも押し込むんだけど、忙しかったり油断して目を離した好きに紛れて潰れて粉砕されて、折角の品物がただの紙屑になってしまう。20年経ったらもしかしてすんげー値段がついてる奴があるかもしれないのにぃ、そーでなくても往時のアニメ事情を振り返る貴重な資料となったのにぃ。

 と思ったのは剄文社って会社から発売された「アニメチラシ大カタログ(邦画編)」(2800円)ってムックを読んだからで、広げるとまだ生まれてない(ホントだよ)頃に公開された「白蛇伝」に始まるアニメ映画のチラシだとかポスターだとかチケットだとかプレスだとかバッジだとか缶コーヒー(お解りだよねUCC)といった宣材を、ほとんどすべてと思えるくらいに見事に網羅してあって、これはいったいどこに閉まってある資料なんだ、どーして潰れたり破れたり粉砕されたりしてないんだってその保存にかける執念みたいなものに強く打たれる。ちなみに缶コーヒーはちゃんと6本が部屋に保存されていて2Q、幸いにして踏まれも粉砕もされずに(踏んだらコーヒー浸しになっちゃうからね)テレビの上に残ってる。賞味期限過ぎてて今更飲めないから部屋を変わるまでは残ってそー。ビンボになったら飲んじゃうかもしれないけれど。

 しかし読み返すほどに懐かしい作品ばかりで、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のチラシの半分を埋めた同時上映作品「すかんぴんウォーク」の宣伝を見て、吉川晃司なる水球あがりのナベプロいちおしアイドルの歌のまずさに頭をかかえつつ、山田辰夫の縁起に結構シビれた記憶がぶわーっと甦って来た。ポスター、確か持ってたんだよなー、実家のどこかに埋まってるはずなんだけど、あと「綿の国星」のちび猫が描かれたポスターなんかもあるはずなんだよなー、マクロスもナウシカもメガゾーン23もカムイの剣も他のこの時代の作品のポスターも。「カリオストロの城」の同時上映が「Mr.BOOギャンブル大将」ってあたりもアニメが映画ビジネスとして確立していなかった時代の残滓を感じさせて懐かしいやらもの悲しいやら。そんなこんなで研究し甲斐のありそうな1冊、しかしやっぱりどーして未だにちゃんと持ってるんだろー、未使用の観賞券とか。

 アスキー・ネットワーク・テクノロジーって名前の会社が略称の「アスキーNT」に追随したのか「アスキー・エヌ・ティ」って名前を変えるってんで発表会へ。寒空を赤坂くんだりまで呼びつけるだけあって出席者も大川功CSK会長を筆頭に成毛真マイクロソフト社長、西和彦アスキー取締役となかなか壮絶、ほかにもアスキーの鈴木社長やCSKの副島社長の姿も会場に見えて、グループ総出でアスキーNTの門出をバックアップしているかの如き雰囲気を醸し出していた。今や完全にCSK傘下となって、会見の帰りにもらった「週刊アスキー」の日記でも大川さん入交さんたちとの交流ぶりが書かれている西さん&アスキーだけのことはやはりある。いっそ他のCSKエレクトロニクスとかイサオといった名前までもがCSKベッタリとなったグループ会社のよーにアスキー本体も「CSKなんたら」と変えればとも思ったけれど、パーソナルコンピューターの歴史と併走する歴史を持ちブランド力も高いアスキーだから、買ったとは言え看板までをも変えるなんてことはやっぱりやらないだろーね。「CSK出版」じゃーほら、なんかバブルおやじな会社っぽいし。

 大川さんが喋って歳相応に落ちつきを見せて来た成毛さんが喋ってさあ西さんかと思ったら、通り越してアスキーNTの社長にこの1日就任した小林亮一さんが喋って最後まで西さんが1言も発しなかったのが、下がりっぱなしのジェットコースター経営を繰り広げた経営者の居場所の無さ感じを現しているよーで、山を超えた虎ノ門パストラルではコンビニとの連携を発表したソフトバンクを率いる孫正義さんに、マイクロソフトの成毛社長と会わせた3人をハイテク関連企業の若手の雄ともてはやした時代も、今は遠くなりにけりってなことを強く思う。3人では孫さんの突っ走りぶりが目立っているけど、とりたてて派手な仕事はしていなくても、世界に冠たる会社の日本法人のトップに座っているってゆーことが注目される材料の1つになっている成毛さんはさておいて、西さんにだってアスキーとうーブランドを作った実績はあるし、今だってあっちゃこっちゃを飛び回らせてもらえるだけの価値を認められているんだから、まだ若いんだしそのうちどっかで再びドカンと名前を出してくれるだろー。どんなドカンかは保証の限りではないけれど。

 「無限のリヴァイアス」でおっさんが怒鳴る「吶喊!」の言葉に世の「ジオブリーダーズ」ファンが驚喜しているとかいないとか。しかし今時の若い者(こんな言葉を使える歳になったんだなあ)が「吶喊」を「突貫」と間違えないで例えば「突撃」なんかと同じよーな意味と理解できるのかってゆーと、これがなかなかに謎めいてる。さてどーなのか。「黒のリヴァイアス」と対をなしているかののーな吶喊オヤジの船に積まれたヴァイタルガーダー、その動きと密に関係ありそーな培養槽の中の西洋野菜っぽいナマモノの存在が気になる。あれが開くとネーヤみたいな奴が出てくる、ってことはないんだろーけど、ネーヤ自体も未だに謎謎謎な存在なんで動き始めた物語からしばらくは目が離せない。おやおやコスプレ娘のキブレちゃんは頭を発見できたみたい。再クーデーターでハードな方向へと話を引っ張って行きつつも、こーゆー遊びは怠らないのが好きな所。次はどこが見つかるかな。


【1月11日】 仕事でなかにし礼さんの時代小説「長崎ぶらぶら節」(文藝春秋、1524円)を読む。長崎で芸者として長年スゴして50に手が届こうかという超ベテランになってようやくしった熱い恋心。相手は身代を潰してまで長崎に伝わる伝統や歴史を掘り起こそうと懸命な街学者、だけども相手には妻子があって好きだいっしょになってくれとはいい難く、そうこうしている内に歌の巧さを見込まれいっしょに歌を探して歩く羽目になってしまう。年増芸者のかなわない純愛に妹分だった芸者の卵への情愛が加わって、滂沱の嵐を約束されたストーリーで事実じんわりとして来るのが何だか年増芸者と同様にくたびれ汚れた身への慚愧の念が感じられ、ああ歳はとりたくないなあと我にかえって嘆息する。重ねた年齢に応じて重なった澱を量るリトマス試験紙のような小説、泣けたらあんた、歳だぜよ。

 「月の石」(トールモー・ハウゲン、細井直子訳、WAVE出版、1600円)を読了、大人になるまでに積み重ねた年月は、過去を振り返ってシンミリできるだけの分別を人間に与える一方で、お金とか命といった価値観によってエゴを生じさせるものらしい。命が危ない、お金が儲かりそうだといった話に、自我をまる出しにして焦り慌て騒ぎふためく大人たちの騒動を見せつけられると、月の光を取り戻すために宝石探しに懸命となる少年ニコライの方が、純真さ故の真っ当さを持っているように思え、やっぱり歳はとりたくないと痛感する。挟み込まれる宝石をめぐった7つの伝説も、既成の価値観に縛られる大人たちの不純な振る舞いを糾弾しているように見えて来た。歳を取るのは素敵なこと、じゃないのかなあ。うーむ。

 歳を取ると良いことは旨い物を食べられること、って訳で吉兆なだ万なか田鮨源駒形どぜうと日本が誇る料理屋さんの屋台が出る、世界でも最大級の広告代理店の年賀会に潜入、けれども周囲はあまりに偉い人たちばかりで、若造が勝手に振る舞うには差し障りが多すぎて寿司屋にも焼き物にもローストビーフにも懐石にも近づけず、心の涙をぐっとこらえて好いていたおにぎりの屋台で明太子のおにぎりを取ってパクつく。中途半端では歳など取っても無駄ってことで。東銀座界隈を席巻する広告代理店だけあって、海苔も一級なら米も一流で握りも絶妙な筈、なんだろーけどしょせんはおにぎりなんでよく解らない。夜店のよーなアトラクションが出ている会場で焼かれていたお好み焼きは肉の多さと焼き加減でなるほど一級と思ったけど、よもや吉兆がなだ万でもお好み焼きは出さないだろーから、やっぱ関西でも一流所の「お好み焼き師」をこの日のために連れて来たのかなー。

 早起きできていた時代には毎週のよーに見ていた「スカートお化け」なお姉さんが足をむき出しに踊りうたってくれる「まちかどドレミ」の再放送が夜中の教育テレビで放映されていたんで見入ってしまう。総統兼党員兼広報部長兼トイレ掃除な1人だけの我が「アシス党」が教義とする黒ストッキングこそはいてないものの、また決してスリムとは言えないものの、ルーズソック系ズドン足とは異なる一応なりとも足首へと向かって細まる脚の形に敬意を表し、名誉「アシズム」番組としてここにその名を讃えたい。春へと向かって薄着が進めば、開いた胸元からのぞく峡谷に「タニマニア」な虫も復活して来るんだろーけれど、こーして宣言した以上は脚への操も立てたいところ。希望を言えばファティマも仰天なスリムな脚に黒ストッキングをピッチリ決めて、胸元はゆったりとした拾い襟刳りのシャツってなファッションが流行って欲しい。これって贅沢?

 夏目房之介さんが編集に協力して漫画家さんが2015年とかいった未来について漫画と文章を寄せる毎日新聞夕刊の企画に青木光恵さんと小形克宏さんのご夫妻が登場。文章を担当している小形さんが収入のことなんかを書いているのが1つ印象に残ったほかに、漫画では可愛い娘が同じ漫画家に育ってしまってキレイな衣装を着せる楽しみが奪われてしまうとゆー、実になんとも可能性98%な未来が描かれているのに顔がほころぶ。しかしこの企画、唐沢なをきさんとか福山庸二さんとか鈴木みそさんとかってな癖があって中身も濃い漫画家さんが続々登場で、皆さんファンなんでとっても嬉しい。希望ならあさりよしとおさん永野のりこさんとり・みきさん辺りに毒々な漫画も描いて欲しいところだけど、天下の毎日にさてそこまで突っ込む度胸があるか否か。唐沢さん出した段階で毒度はメーター振り切ってるって声もあるけどね。


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