縮刷版2000年11月上旬号


【11月10日】 とりあえず看板に偽りあり、と言っておこう「FRIDAY」11月24日号の袋綴じグラビア「安達祐実衝撃の『巨乳写真』」は袋綴じになっていない表紙の部分こそ「だっちゅーの」的両脇からの寄せ技によってプックリと見えているものの、中はいつもと変わらない水着写真でことさらに谷間が強調されている訳でもなければビキニの下からハミ出た肉が見える訳でもなく、まあそれなりにそれなりな豆タンクボディが写されていているだけで、「巨乳」を立証するだけの比較対象物に乏しい。横に煙草の「ハイライト」でも置いておけばサイズも分かったんだけど、そーすると今度は身長の方でスケールが分かってしまうからなあ。とりあえずは11月15日発売とかの新潮社「月刊安達祐実」でどこまで赤裸々なボディが写されているのかに期待、してる自分がちょっぴり情けない。嗚呼。

 たぶん最初に触ったのは平針駅と原駅の間くらいにある接骨医院の待合い室で、6面をそれぞれ別々の色で塗られたキューブをカチャカチャとやって全部の色をぴったり合わせられればオッケーと頭では分かっていても、あちらを動かせばこちらがズレるといった具合に全然うまくいかず、結局最後まで完成させられなかった記憶がある。その玩具「ルービック・キューブ」は程なくして全国的なブームになって、「たまごちち」で問題になるより遥か依然に偽物が問題になったけど、1年程でブームもさってその後ルービック教授によって亜種も幾つか作られたものの大ヒットするには至らず、さてどうなったものかと思っていた所に突然の自分的復活劇。と言っても例の立方体の「キューブ」じゃなくって「ハローキティ」の形をした奴で、上4つに下4つ、合わせて8ピースしかない気軽さから「簡単そーじゃん」と思って手に取ったのが運の尽き、いくらやっても顔は揃っても胴体が全然揃わない。

 朝の通勤電車の中で始まって、仕事の合間に机の下でカチャカチャカチャカチャカチャカチャとやっても完成には至らず。仕方がないので三省堂書店で夕方からスタートする瀬名秀明さんの「八月の博物館」(角川書店、1600円)へのサイン会に並んでいる間も、行列の中で後ろに並んだ女性の目なんか気にしながらもカチャカチャカチャカチャカチャカチャとやっていたら……完成したよ驚いた。

 何しろ研究されて長い玩具だけに完成へと至るアンチョコだか法則みたいなものも分かっているんだろーけれど、分かってやったら面白くないからこれまで見たこともなく、かといって実際にプレイしながら法則を発見するんだってな意気込みにも乏しいため、とりあえず完成させてはみたものの、どーやったら完成に至ったのかを検証するだけの頭がない。かくして完成した直後にバラした状態から、今もって完成に至らせることが出来ず、「ハローキティ」は胴体は大丈夫でも頭はまるで「遊星からの物体X」、バクリと開いて左右にズレて、ピカソかブラックかってなキュビズム風再構築が成されてしまって全然可愛くありません。看板キャラクターがこーゆー風になってしまう可能性があることを承知で商品化を認めたサンリオちょっと偉いかも。

 さて始まったサイン会は列の前何人かをいわゆる「プロ」の方々、おそらくは書店か古書店の人たちがズラリと占めて本も「八月の博物館」だけじゃなく「パラサイトイヴ」に「ブレインヴァレー」を持ち寄って、サインは本人とそれから書名のみで日付は入れず、当然ながら貰う人の名前も入れない商品仕様を求めていて、これがいったいどこにどんな感じで並ぶんだろーかと思ったけれど、過去に数出たサイン会で似た人を山と見たにも関わらず、古書店で手に取った記憶はないからもしかしたら古本とかではなく、秘密の闇ルートで何か重大な「換金商品」として高値で取引されているのかもしれない、それも金塊に匹敵する価値とかで。何しろ並んで待っている最中に聞こえて来た会話が「この人、人気あるの」「何書いてるの」だからなあ。

 一般人では(僕が一般人かどうかは別にして、ある意味サイン会の「プロ」だし)たぶん先頭くらいにサインを頂きにテーブルへ。差し出すと漢字で名前を書いていたにも関わらず一発でバレる。「半分くらい分からなくってすいまんせん」と言うと瀬名さん、「デ・ジ・キャラットの本を買いました」と言って、あらゆる古今の風俗に通じようと日々資料を読み情報を集める熱心さの一端を垣間見せてくれる。どの本を買ったかは聞かなかったけれどブロッコリーのムックだろーか。それともメディアワークスの方?

  それにしてもこれで「でじこ」でも「うさだ」でも「ぷちこ」でも何でも、その不思議な味にハマって抜けられなくなって東京に出てくれば東京駅から山手線で秋葉原へと行き「ゲーマーズ」でグッズを買い込みポイントカードで非売品のグッズをゲットしてから九段の出版社へと回る、マニアになってしまったらどーしよー。ツーショットの写真を「アニメージュ」でも自慢していた大森望さんお責任は重大です、って発端は俺か。書く小説もこんな具合になったりして。「ときどき、気になることがあるにょ」「なんで物語には始まりと終わりがあるんだにょ?」。うーん、これはこれで良いかもね。


【11月9日】 指圧の心は母心、押せば命の……えっと何だっけ? 覚えてないけど先日亡くなった波越徳次郎さんのキャッチフレーズをふと思い出したのは、新幹線に乗る時降りるときに日本赤軍最高幹部の重信房子容疑者が、両手の両指を上に向けてたポーズを見たからで、片手だったらイエーッてな感じの示威的なポーズだってなことが分かるんだけど、両手でやられてしまうとやっぱり指圧のポーズに見えてしまう。「頑張るからねーっ」って言葉もつまりは指圧を勉強して政治に経済に息詰まった日本国民の肩に溜まったコリを解してあげようってな行為への意志表明だったりして。まあないけれど。

 あるいは人によっては「SMAP×SMAP」なんかでよくやられている両手を使って数字を言い合って立つ指の数を当てっこするゲームを誰かと楽しんでいたのかも。「スマスマ2」ならぬ「はらはら0」とか。あっと「腹々時計」は時期がもうちょい後だったっけ、思想的にもつながってないし。でも超法規措置で出国した人の中には企業連続爆破事件のメンバーも含まれていたりするから、テレビを通じてやっぱりやっていたのかもしれない「はらはら1」。ってことはいるのか日本に大道寺までもが。

 それにしても30代半ばの人間は大半がきっと重信も塩見も田宮も岡本も大道時も森も永田も植垣も奥平も坂東も吉野も知らないと思うんだけど(並べた名前のフルネームを言える20代がいたらそれはそれで凄いかも)、そんな中にあって社会部の公安担当でもないただのオタクがどーしてそうまで知っているかと聞かれれば、やっぱりオタクだからなんだろー、重箱の隅をピンセットでつついて顕微鏡でのぞくよーな性向のある。基本線としては小学校に入る直前に見た「あさま山荘事件」での、ブンブンとうなる鉄球に母親と同じだった人質の名前の印象から端を発して、遡って調べて行った過程での学習の賜で、だからと言って思想心情的にシンパかと言えばそこはやっぱり知識偏重のオタク野郎。知らないだろうと威張って解説はしても、だからどーしてそーなったの? なんて質問には一切合切答えられないあたりが情けなない。

 もしもこの先、最高幹部の奪還なんてことを目指して残る日本赤軍のメンバーが派手に立ち回って来たとしたら、あるいは知識として知ってる名前のオン・パレードにひけらかしな知識を自慢できる機会が持てるかもしれないけれど、残るメンバーをざっと見てもそれほど知識欲をそそられる名前がないあたりに、やっぱり行き詰まっているのかなー、なんてことも思う。何かと世知辛い世の中でハイジャックもままならないだろーし、やるとしたら一体どんな手段で奪還に乗り出してくるのかも興味ある。

 流行を抑えてバスジャック、なんてことも考えられたりするけれど、ハイジャックの派手さに比べるといかにも規模が小さくなるし、1生ついて回る履歴の中に「バスジャックによって解放」なんてあったらかえって笑われそーな気もしないでもない。ましてやコンビニ強盗とかだったら釈放してあげると言われたって出たくなるのが人情ってもの。なので奪還を目指すメンバーは、歴史に華を咲かせるよーな派手な手法で奪還を目指してやって下さいな、ホワイトハウス襲撃とかパン屋再襲撃とか。

 届くんだけど本屋から減らす意味も込めて買ってしまう「電撃アニメーションマガジン」の12月号は「デ・ジ・キャラット」に「あずまんが大王」のメディアワークスがフィーチャーする2大キャラクターが大活躍で同業他誌との差別化も出来ているって感じ。「でじこ」については「アニメージュ」の12月号にポスターが掲載されていたけど、「電撃アニマガ」はその先を行って前にブロッコリーの木谷社長から「作るよ」って聞いていて「タカラの新社長に挨拶に行くよ」と言って「日本ゲーム大賞」の席で対面している場面を横で見ながら期待していた「でじこの人生ゲーム」がいよいよ登場。駒がどーなるかまでは書いてなかったけどボードにでじこで双六の文句もでじこ尽くしなゲームになっていそー。

 値段とか発売日とかは分からないけど、出来れば限定品なんかじゃなく、「ハローキティの人生ゲーム」並みにフツーの玩具店でも買えるくらいのメジャーな商品になって欲しい、まあ無理だろーけど。もちろん「ハローキティ」ほどに世界で通用しているキャラクターって訳では「でじこ」はないけれど、某有名若手哲学研究者が近く恵比寿の地で大々的に「でじこ論」を披露する予定になっていることもあって、あるいは世界的なキャラクターへと飛躍を遂げるかもしれず、その意味でも玩具メーカーがこぞってキャラクターを抑えに行って、定番商品に使おーとする動きは強まって来るのかも。

 次は「絵合わせゲーム ドンジャラ デ・ジ・キャラット」かなあ。でじことぷちことうさだとぴよことゲマと黒ゲマの6キャラクターを配置した「ルービック・キューブ」って手もあるぞ。それこそ「でじこ」版「ファービー」なんてあって「にょにょにょ」と喋られたら五月蝿いながらも面白いんだけど、「ギズモファービー」はあっても流石に日本のマイナーキャラでは作ってはくれないだろーなー、あと「でじこ」版「ウブラブ」とか、お腹から生まれるのは「ゲマ」か「ぷちこ」って感じの。

 その「ウブラブ」が「電撃アニマが」の川澄綾子さんのコラムで紹介されていてちょっと仰天、決して「たまごっち」「ファービー」ほどに爆発的な人気を誇っている商品じゃないし、日本人受けするデザインでもないんだけど、川澄さん「ウブラブ」がそれなにりお気に入りなよーで、生まれた子供が母親と話している姿に「感動して、思わず涙を流してしまった」ほどだとか。女性にはやっぱり受けるのかなあ。驚きなのはむしろ赤井孝美さんがちゃんと「ウブラブ」を絵にしているところ。目ギョロなホンモノよりも可愛く絵が得ているあたりが赤井らしーけど、絵を描くために「ウブラブ」の資料なんか集めたんだとしたら、あの意匠にどんな感想を持ったのか、聞いてみたいところです。だってやっぱりガチャピンムック、なんだもん。


【11月8日】 アメリカ大統領選挙楽し過ぎ。午前中のフロリダでの当確ミスはまだ良いとしても、午後の4時から6時にかけての大混乱はニュースやってる人たちにとって多分1生の思い出(トラウマ)として残るんじゃなかろーか。だってCNNにCBSってな世界を動かす大メディアが、世界を動かすアメリカ合衆国大統領に関して「当確」ってやって「おめでとうブッシュ」って堂々と言い放ったんだよ、日本の選挙でよくある先陣争いにも似た開票1分後の当確速報後のミス判明とはレベルが違う。「誤報」と言うと語弊はあるけれど、結果として間違えてしまった訳だしそのあたりどーゆー情報の行き違いなり思い込みのドライブがあったかは、やっぱり検証されるべきだろー。

 幸いだったのは当確の二転三転が起こったのが、日本の新聞は夕刊の締め切りが終わって朝刊をこれから考えようかってな時間帯だったこと。これが午前0時に近い段階だったら、全米のメディアが「ブッシュ当確」を宣言したのを真に受けて(普通は真に受けるわなあ)最終版に原稿を突っ込んだその1時間後に「当確撤回」なんて流されて、後の祭りになって恥ずかしくも今朝の段階で「ブッシュ当選」なんて新聞を配達する事態もあっただろー。現実にニューヨークの新聞なんかは「ブッシュ・ウィン」なんて特大の見出しの新聞を出している。買っておいたら1生モンかもとか思ってしまう辺りが人のフリみて大笑いな自戒のない人間の思いだけど、これから集計が進むにつれてやっぱり再び同じよーな事が起こる可能性もある。メディアも選管も間違えたとは言ってもあまりに僅差だったため集計のやり直しが行われることになってしまったからで、報道のスピードと伝える数字の正確さでは1番だったCNNのページを1分ごとにリロードしながら、積み上がる1票に一喜一憂することになるんだろー。間違えないでくれよCNN(まだ他力本願)。

 それにしても数百人の有権者しかいない地区での村長選挙でもクラスの委員長選挙でもない、世界をその指1本で動かすアメリカ合衆国大統領を選ぶ選挙でこれほどまでに1票の行方が結果を大きく左右することになるとは。フロリダに住んでいる人は自分の1票が大統領を決めた、あるいは自分が行かなかったことが大統領選挙に影響したってことを後々までに噛みしめることになるんだろー。もしもこの選挙で選ばれた大統領が間違ったことをしてしまって世界史的にとんでもない事態を引き起こしてしまったら噛みしめる悔恨の念はなおのこと。これだけ「歴史」にコミットできる可能性を持っているんだってことを実感すれば、だったら選挙に行かなきゃってな思いも高くなる。

 日本の場合はだったら1票が行方を決するかって考えると、この前の長野県知事選挙のような「首長」の選挙だと多少なりとも身に降り懸かる「歴史」を選んでるなって感覚はあるんだろーけど、国政選挙の場合だと過去50年、誰がやっても大差がなかったから選ぶ方もどーでも良さげな気持ちになっている。それでもまあ、衆議院での過半数を取れるか取れないかって辺りで残る1つの議席の行方を決する時に、残り1票の行方が関わって来ることもある訳で、その意味では日本の場合でも有権者の人にこげぱんよろしく「どーせ」なんて思わせず、もしかしたらこれが歴史を作るんだ、なんて思いを抱かせられれば、投票率も上がりそーな気がする。どの政党になったって大差はないよと言われてしまえば確かにそーなんだけどね、細川村山でなんも変わらなかったし。

 だったら残る政党、代々木のアレにやらせてみるかなんて事を考える人が出てくるかもしれないけれど、ここで起こった突然の日本赤軍の重信房子最高幹部の逮捕は、思想的活動的な系譜係累の複雑さはあったとしても、傍目からみれば全て「赤」だったりする主義主張の類似性を衝かれて、なんやかんやで影響を与えることになるのかも。すでにして赤軍派と連合赤軍と日本赤軍がごっちゃになって、先日も「知ってるつもり」で放映されたよーな群馬県榛名山での凄惨なリンチ事件と、重信房子とをダイレクトに結びつけて考えてしまう人もいるくらいだし、テレビには連合赤軍の人が元赤軍派として出てコメントしているような状況で、世論がどう誘導されていくのか、やっぱり代々木は恐ろしいなんてことになってしまうのか、気分が醸成されていくプロセスを興味を持って見て行こー。


【11月7日】 こんなん出ました、ってことで遺跡捏造事件に関連するのかしないのかイマイチ分からないけどアメリカで大昔に事件になった「カーディフの巨人」を取りあげたホームページを発見したんで紹介、ドメイン名前が凄いねえ、「カーディフジャイアント・コム」だって。これなら上高森遺跡の事件もたとえば「ゴッドハンド(神の手)事件」とか言って事件史に残って関連ホームページなんかできて藤村副理事長のうなだれる映像なんかが流されたりするんだ。アドレスは「ゴッドハンド・コム」かなあ、まだ取得されてないみたいだし。ちなみにスペル違いだとこんなページがありまーす、それにしてもアラスカで「グッドハンド」でいったい何のページなんだろ? 英語苦手なんでわかんないよー。

 テニアン島を飛び立ったおそらくはB29が日本上空で撃墜されて乗っていた機銃兵が周囲はすべて敵な日本本土に放り出されてさあ大変、ってな内容の小説を読む。タイトルは「To the White Sea 白い海へ」(ジェイムズ・ディッキー、高山恵訳、アーティストハウス、1000円)。おそらくはあれだけの飛行機が襲来して1機や2機は日本に撃墜されている筈だから、似た境遇に陥った米兵だって10指に達するくらいはいただろーけど、鬼畜米兵(byハウンド2班)なんて言ってた時代に空から米兵が降って来よーもんなら竹槍でブスブスにされてしまうのがオチ。それともしっかりと捕虜収容所なりに収容されたのかもしれないけれど、ディッキーはとりあえず敵のまっただ中に墜ちた米兵に恐怖を与え、生き延びようとする執着を与えてだったらどうするかを描いて行く。

 つまりはいかなる境遇においても日本兵みたく自決をさせる訳でもなければ、近代的な戦争のルールに従ってくれるとの確信を持っての投降なって様も見せさせる訳でもなく、とにかく生き延びるためにあらゆる手段を駆使した果てに、まるで野生へと帰って行くよーな人間の様を描き出している。山へ篭りアラスカだかロッキーだかカナダだかの雪山で暮らすハンターのよーな境遇へと至るプロセスで、主人公の米兵がたどる心の変遷に、あらゆる社会的な頚城から逃れた人間の純化していく感情の様にちょっとばかり憧れる。聞くとコーエン兄弟監督でブラッド・ピット主演によって映画化の話が進んでいるとか。チビで黒髪なんでどうにか日本人の直中を雪国まで逃げられた主人公をあの美しいブラピ様がどー演じるのかにちょっと興味。日本語版になった時に声を当てそーな山寺宏一さんの演技とかにも。

 その山寺さんが1線級の声優さんたちと対談した「山寺宏一のだから声優やめられない」(主婦の友社、1800円)を読む。いわゆるアイドル系な人はまったくなくって若くて三石琴乃さんだったりするくらい、メジャー級の超ベテランたちをゲストに迎えて「声優」とゆー仕事の重さ辛さ大変さそして楽しさを語り明かしている。何しろ1回目のゲストが「ブラック魔王」の大塚周夫さんに「バトー」の大塚明夫さん父子。とりわけその道30余年とゆー周夫さんの仕事に対する熱情と厳格さは声優とゆー仕事に就いてなくても傾聴するに値する内容の重さ、濃さがあって例えば「今の若い人を見てて危惧するのは、一発ヒットすれば有名になるけれど、化けの皮がはがれるとキツいぞということ」なんて感じに、長年をその世界で食べて来た人だからこそ言える言葉を聞かせてくれている。

 返して山寺さんも「なんか違うところで競争している。『あの子のCDは売れているけれど、私のはなんでもっと宣伝して売ってくれないの』。そんなことをスタジオで言っているんだから」なんて言っていて、現場の第一線で声優の仕事をつぶさに見ている人の言葉だけに、ギャグでも冗談でもなくってホントーに「あたしスターなの」的思いを全身に込めたアイドルな声優の人が存在するってことが伺える。冨永みーなさんと鶴ひろみさのかつてはアイドルだったかもしれないけれど今では大ベテランな2人との対談での、冨永さんの「スタッフへの取り入り方とか取材拒否の仕方とか(笑)、妙に芸能人気取りの人が増えたように思えるわ」って言葉もしかり。登場している人たちが重ねて来た努力と流して来た汗と涙の多さを知れば知るほどに、上ついたブームの先に来るエアポケットみたいなものが心配になって来る。

 まあ一時期ほどにゲームでもアニメでも大量に声優さんが必要となるよーな時期が一段落つつあるから、キャラクター人気で声優さんまでオマケで売れて人気になってそれが次の仕事につながっていく、ってな好循環とも悪循環とも言えたり言えなかったりする状況はそれほど起こらなかったりするんだろー。淘汰されふるい落とされて残るのが、30年一日のメンバーだったらそれはそれで個人的には慣れ親しんだ人ってことで悪くはないけど、これから30年先を考えた時に今還暦の人が90歳で現役とはちょっと思えないだけに、やっぱりちょっとマズいかも。だってほら、あまりなハマり役の人が亡くなって映画の吹き替えが出来なくなってしまったら困るもん。そっくりさんが出れば言いけど、若山弦蔵さんとかの声、今の他の誰に出来るんだろーって思っちゃうもん、だったらやって欲しくないよなー、とも。

 それでもこんな状況で、実際の仕事の場でもちやほやされていた人がそーでもなくなって来た時に、一念発起して「サンデーズ」の一員だった日高のり子さんが一般オーディションを受けてまで欽ちゃんの番組に出て三ツ矢雄二さんに「あなたって可哀想。こんなにへたくそなのに誰も教えてくれないなんて」と罵倒されてまで「タッチ」をやり通したよーに、努力と根性でもって10年、20年を個性でもって活動して行けるよーな役者さんが生まれて来れば、それはそれで良いのかも。しかしあの山寺宏一さんですら「すばらしいセンスが出ているけれど、今回この役は客に何をぶつけたいのかよく出ていない」(大塚周夫)と説教されるくらいに奥深くって幅広い声優の世界。読んで声優の見方ってゆーか聞き方が変わって来る1冊です。


【11月6日】 という訳で宮城県の何とかって遺跡で発生した「捏造ブーム」は科学界文学界のみならず世界中を席巻して広がる気配。火星に到達した探査衛星が発見した人面のよーな山は実は探査衛星を打ち上げた博士が衛星到着の前に1人でこっそり火星へと行って、スコップを使って砂浜芸術よろしく作り上げていたことが分かって火星人の遺跡だと騒いでいた人たちをがっかりさせたのは序の口で、絶海の孤島で発見された羽根が6枚ある蝶も実は発見の4日前に学者先生が遺伝子改造によってこっそり作り上げていた蝶を放っていたものだったりしたそーな。

 でもって京都の公家の家から発見された紫式部の似顔絵byいしいひさいち風も実はいしいひさいちの本流が平安時代から始まっているんじゃなく、いしいひさいち本人がタイムマシンで平安時代へと行って本人を目の前に描いて置いて来たものだったりして捏造だったことが判明。なんてことを書いている新聞記事がスクープを取れ毎目新聞に遅れを取るなとプレッシャーをかけられた記者が錯乱した妄想の果てに生まれた捏造で、そんな記事を載せてしまって不興を買った朝目新聞も実は朝目新聞の評判を落とそうと企んだ読亮新聞が題字体裁を含めて捏造した新聞だったという、何が本当で何が捏造なのか分からなくなってしまって大混乱する日本を横目にはなっから歴史なんてものを持たない米国は、だったらもっと派手な大嘘をつこうと石の巨人を埋めて掘り出して巨人の化石だとか言って見せ物にしよーとしたら、そんなこと100年とか昔に誰かがやってたことに気づいてこれで米国もなかなかにしたたかな捏造大国だったことが分かってちょっと安心? まあつまり捏造なんて何時だって定番だったってことで、学者の人も「これがホントの無セッキ人、失礼しましたーっ!」なんて田代さんもひっくり返るギャグでもって暗い世の中を盛大の笑わせてやってちょーだいな。

 さて一段落した後で、おそらくは嫉妬心にあふれて足を引っ張ることしか考えていないメディアが毎日新聞の隠しカメラによる取材とかその後の報道とかの姿勢を糾弾して来るかに注目。すでにカメラで撮影しているにも関わらず、本人に当てるまでの間に幾つか発見された”新事実”を何の解釈もなく報道していたことを、あからさまに糾弾する形式じゃないけれど事実関係だけを淡々と、けれどもちゃんと見てますよってな意志のにじみ出るよーなニュアンスで記事にしていた新聞があって、これから本格的に「倫理が」「モラルが」ってなあたりをとっかかりにして、どーにかしてスクープの価値を減殺させよーってな動きが出て来そー。

 もっともその昔に何かの団体の会議が開かれる部屋に忍び込んで盗聴器をしかけてバレた記者の住居不法侵入的態度とは違って、オープンなフィールドでの撮影だし、盗み聞きでもない訳だからちょっと適用は違うかも。出来れば内ゲバなんかじゃなく、やっぱりマスコミ批判めいたニュアンスになるけれど、新聞の1面を考古学的大発見ニュースが何故かときどき飾りたてる風潮が、あるいは功名心なんかを煽っていたんじゃないかとゆー自戒も含めて、再発を防ぐよーな学会的、報道的、人間的構造になるよーな提言が欲しい。そー言えば記者による捏造ってのも過去にあったって記憶しているし、メディア的功名心と考古学的功名心ってのはエリート非エリートとの対立構造なんかも含めて結構似ているところがありそー。そーいった部分を絡めての報道なんかもあったら面白いけど、面白いだけにちょっとありそーもないなー。

 倉田英之さんの「R.O.D」(集英社、514円)に続く第2巻を読む。現実的には無茶で無理な筋立てだけど読んで楽しく眺めて面白い物語であることだけは確実で、ジープに追いつく象とかいったシチュエーションは無視して「本」に対する「本好き」の人たちの思い込みやら思い入れのすさまじさを堪能する。舞台は地上40階地下6階のビルのすべてを本が占める世界最大の本屋、って聞くと真っ先にとり・みきさんの「DAIHONYA」が思い浮かぶけど、場所柄こそインスパイアされていても繰り広げられる物語はもっと別の「ダイハード」あたりからのリスペクトで、ってことはあれやこれやなアイディアてんこ盛りっておとになるけれど、そんな上で活躍する紙使いの眼鏡女の活躍ぶり、書痴ぶりは倉田さん独特のもの。なんてとりさんのファンもウィリス萌えな人でもきっと「R.O.D」第2巻は楽しめます。「そばかす先生の不思議な学校」、うーん知らないなあ。


【11月5日】 なんだMAYA MAXXさんじゃん「ピピカソ」の、ってのは中村融さんと山岸真さん編による編年形式のSFアンソロジー「20世紀SF」の第1巻「1940年代 星ねずみ」の表紙を見てのお話。なんかいろいろとあれやこれや言われているけど冒頭に収録されたフレドリック・ブラウンの表題作「星ねずみ」を読んだ後で表紙を見返したら、賢しらでちょっぴり突っ張らかったネズミの雰囲気がまんま出ていて悪くない表紙じゃないかと思えて来たけどこれって単純? まあ円盤がアダムスキーで手の上の宇宙人が黒いけどグレイってあたりがイカニモにイカニモだから小馬鹿にされてるとか思う人がいたって不思議じゃないかもなあ。

 もっとも「星ねずみ」にしたってC・L・ムーアの「美女ありき」にしたってエドモンド・ハミルトンの「ベムがいっぱい」にしたって漂う雰囲気はガチガチってものから離れてて、もうちょっとシチュエーションを遊んじゃおうってニュアンスがあって、まずは驚愕の設定ありきってな部分よりは不思議なシチュエーションの上で見せてくれるビジョンへの驚きが先に来る、よーに感じているから例えばソニーが売り出そうとした割にはイマイチだったリアル系CGネズミがミキハウス謹製の赤い半ズボンに黄色い靴、白い手袋なんて着けた画像なんかより、殴り描いたよーな「MAYA MAXX」の表紙の方が気分としては相応しい。世界一キビシイと言われる版権管理への言い訳が立つくらいに原型無視なヘタウマネズミを描ける人として選んだだけなのかもしれないけれど、まあそれも怪我の功名。帯だってリリー・フランキーさんでカエルでおまけにピンクだし。んなカエルはいないわな。

 これがまあ、「ニュウェーブ」とか「サイバーパンク」とか言ったスタイリッシュなイメージが誰しも浮かぶ作品が収録されるよーな年代になると、殴り描きやヘタウマでもバスキア的にクールだったりして来ないと中とのイメージに齟齬が出る。ずっと「MAYA MAXX」で行くのかアンソロジーによって変えるのかは知らないけれど、同じ若手の女流アーティストって意味では「リングワールド」とか「ショイエルという名の星」とか「星の書」とかってな聞いたことのあるタイトルの絵を描くタカノ綾さんとか、実は最近気づいた(遅すぎる)「SFマガジン」誌上で唐沢俊一さんの連載のイラストを担当している「ファンタスティック・サイレント」(KKベストセラーズ、1500円)のDさんとかが起用されると、それはそれで表紙だけ並べて見せてSFなんて知らない人にオヨヨと思わせる効果があるかも。素晴らしいアンソロジーだって知ってる人は表紙なんかどうでも買うんだから、そうでない人とかが例えば「星ねずみ」の表紙を見て「SFってなんかヘン」とかゆーイメージで手に取ってくれたら、ちょっとだけでも市場が広がる、かも。かもだけど。

 あるビジョンから紡がれるイメージってのが確実にあって、例えば「モナリザ」を見てこの娘はどこどこ村の誰で歳は何歳、あれこれ村に嫁に言ったものの亭主に先立たれて稼ぐために始めた食堂が繁盛し言い寄る男も山と現れ、そんな中に勝ち残った伝兵衛と田吾作を手玉に取って楽しもうとして2人にバレて惨殺された、その怨念が写真に現れたものです供養しなさい、なんて辻本源治郎さんみたいなことにはならなくても、子供が写っていればどーゆー生涯を送ったんだろー、扉が写っていればその向こうには何が閉じこめられていたんだろー、なんてことを想像が頭にむくむくと浮かんで来る。山形浩生さんとハイナ・シリングの「エントロピーの森」(ハイナー・シリング展実行委員会、1500円)もそー言えば写真から浮かんだビジョンをショートショートにした作品集だった。

 強烈な力を放つ写真だったら、そこから導き出されるイメージも強烈なものになるらしく、皆川博子さんの「ジャムの真昼」(集英社、1900円)とゆー短編集は、皆川さんが見た1葉の写真なりイラストから浮かんだイメージを含まらせて小説にしたものを収録してあって、どれもが強烈な世界を読む人に見せてくれる。例えば表題作にもなっている「ジャムの真昼」の場合だと、表紙にもなっているディマッシオってフランスだかの幻想的なイラストを描く人の作品をモチーフにして、男を翻弄し虜にする女性の淫靡な日常が紡がれる。ヘルムート・ニュートンの撮った森の中で裸の男が裸の少女を肩車している写真からは旅先で朽ち果てていく青年医師の奇妙な幸福、ロベール・ドアノーの焼け落ちた自動車で遊ぶ少女2人と少年3人の写真からは老いて残された双子の芸人の片割れがその昔一緒に遊んだ少年と再開して過去を回想する話が描かれて、読んでからもう1度写真を見返すと、それらの話が実は先で写真やイラストの向こう側にはあらかじめそんな話が広がっているよーな錯覚に陥る。皆川さんがイメージから掬い織りあげた物語がそれだけ要点をとらえているってことなのかも。

 ほかにウジェーヌ・アッジェとかラルフ・ギブソンとかの写真があって写真好きの人でも楽しめる本。巻末に収録された少女戴冠って短編がビジョンも元となっている写真のビジョンも強烈なら紡がれるイメージも強烈で、チェコの写真家で異形の人たちの異様な姿を撮影したシュールレアリスティックな写真で知られるヤン・サウデックの1枚から、異形でありながらも幸福でありえた人たちの想いを汲み上げて、いつか訪れるだろう死さえも心安らかに迎えられそうな満ち足りた気分にさせてくれる物語を紡いだ。ジョエル・ピーター・ウィトキンとかダイアン・アーバスとかシンディ・シャーマンとかいった、リアルでも造形でも良いけど異形なものの異様な姿をとらえる写真家は他にもいるけれど、ヤン・サウデックも含めてそーいった写真から浮かぶイメージは普通だったらどこかフリーク・ショー的な、陰惨さに溢れたものになるのにとちょっと驚く。いや良い話です。ウィトキンは前から知っていたけどサウデックは見てはいたんだろーけど頭から抜けていた名前、これで覚えたんで写真集とか漁るか、やっぱアマゾン・コムが安いのかなあ。

 イメージ、というのは何も写真とか図像からばかり紡ぎ出されるものじゃなく、1つの単純な言葉からだってとてつもないイメージが膨らんで、1冊の長大な本になることだってある、ってことを見せているのが夢枕獏さんの「腐りゆく天使」(文藝春秋、1905円)。こないだもトークを聞いたばかりの佐藤嗣麻子さんが獏さんとしていた会話の中でほっと放った「天使が腐っていくの」とゆー言葉に、天啓のごとく浮かんだイメージがあって酒1杯でアイディアを買って萩原朔太郎と組み合わせて書いたのがこの本ってことらしー。とりあえず冒頭のみ読んだだけなんで中身については不明だけど、「天使」なんて高貴で高潔な存在が「腐って」いくとゆービジョンを言う佐藤さんも佐藤さんなら、それから閃いて長編1本書いてしまう獏さんも獏さん、ともに流石というより他にない。そーいえば「ジャムの真昼」の冒頭の、ニュートンの写真を使った短編「森の娘」も書き出しの部分で地面の下で腐っていく男の告白があってシンクロニシティー。「想い」についての本で括った後は「イメージ」でもって括ってみよーかなー、年末侵攻、じゃない進行が忍び寄ってることだし。


【11月4日】 芸術の秋、ってことで静岡に「大道芸ワールドカップin静岡2000」を見に行く。大道芸のどこが芸術やねんとアートな人から叱られそーだけど、パフォーマンスとかハプニングとかって大道芸にもあるけどアートの世界にもあって、やってる人の言い分はいろいろあるんだろーけど傍目から見ればとりたてて挙げるほどの違いがなかったりすることもあって、どー判断したものかと悩んでる。だったらとりあえず見ておこーと、別に仕事でもないければ誰かと連れだっての観光でもなく、とゆーか一緒に行く誰かなんてはなっから皆無だから当然なんだけど、起きたその足で駅へと行って電車から新幹線を乗り継いで静岡まで行ってしまう。給料出た後だと脚も軽いねえ。

enbannage  会場の駿府公園は徳川家康が居城にした駿府城跡にあって、お堀を越えて石垣を抜けて入るとそこには大きな広場と円形の道路があって、さすがに大道芸ってだけあってそんな広場の隅とか、道路の端とかいった場所でいろんな出し物が繰り広げられている。別に誰って目的があった訳じゃないけれど、フラリ近寄った所で「雪竹太郎」ってどこかで聞いた記憶のあったりなかったりする名前の看板が下がっていて、結構な人もいたんでそのまま眺めていたら、やって着たのは坊主頭のお兄さん。広げ始めた小道具を見て、そうだよそうだよあの人だよって記憶が甦って来て、「芸」と「芸術」を考えに来て何てグッドなパフォーマンスに行き会えたんだと我ながら自分の強運ぶりを誇る。まー雪竹さんに出会えなくってもその辺でやってるパフォーマンスをつかまえて、アートっぽさを強引に抜き出してはあれこれ言っちゃんだろーけどね。

 それでもさっぱり雪竹さんに行き会えたのは幸運中の幸運。何しろそのそのパフォーマンスの題目が「人間美術館」ってんだから、これ以上の出し物はない。服をはぎとってパンツと布きれ1枚になった雪竹さんが最初にするのは全身を真っ白に塗ることで、次にやることは台の上に乗って横の看板に書かれた文字が現すポーズを取ること。例えば「考える人」。あるいは「円盤投げ」。さらには「モナリザ」「ダビデ」「叫び」etc。「モナリザ」の時は遠くに置いた額縁を観客の中で目をつけた人に取りに行かせるイジリ芸なんかも見せてくれて、そこで言葉を一切使わず、強制じゃなく白々しくもなく、けれどもやっぱり協力せざるを得なくなるよーに追い込んでいくプロセスに、海外でも活躍しているらしー雪竹さんの冴えを見る。

 圧巻はクライマックスの「ゲルニカ」。目をつけた人を最後まで引っ張り中央の磔刑になったキリストにしてしまい、それを拝む人とか両脇で踏ん張ったり踏んずけたりする人とかを呼び出しては定位置に据え、最後に自分も加わって締めるキリの良さ。92年にこのイベントで「ワールドカップ・ジャパンカップチャンピオン」となった頃から、おそらくはパターンとして定番な芸だろーけど、客を巻き込んでいく微妙なやり取りなんかはきっと何度見ても飽きないと思うけどどうだろう。飽きるかな。明日も出ているみたいなんでお近くの人は見物に行ってみては如何でしょー。

 アート作品になり切る「芸」でも森村泰昌さんはアートの世界でやってアートの世界で認められているのに、雪竹さんの場合は大道「芸」ってあたりの違いは一体何だろー。まあ「誰でもピカソ」に出れば「アート」かと言えば微妙だったりする訳で(「グラインダーマン」はアートなのか大道芸なのか)、なかなかに判断が難しい。雪竹さんは「誰ピカ」に出たことあったっけ? 見たよーな記憶もあるし勘違いのよーな気もするし。そー言えば「水戸芸術館」ではゲームがアートなミュージアムに展示されていたりして、ゲームはホビーなのかメディア芸術なのかその両方なのかが問われていたりするから、時間があれば言ってのぞいてこよー。17日、18日の「デザインフェスタ」も同様。ってことで12月分の「出没」ネタは着々と仕込まれています。その前に11月分を書け? 近日中に、必ずや、はい。

miss.salivan  ついでなんで東静岡でやってる「葵博」の会場にも足を伸ばす。「徳川3代」で使ったよーなセットの石垣とか天守閣とかがあって、中途半端に豪華でチープだったりする辺りに日本っぽさを感じたりする。ここでも大道芸の出張披露があって、関西方面で活躍する女性ジャグラーで去年の「TVチャンピオン」で3位だかに入った「ミス・サリバン」のパフォーマンスが始まったんでしばし見入る。風船から入って積み木みたいのをカチカチやってから火のついたロッド3本をジャグリングする定番コース。ボヤキが入るのは人によっては耳障りに聞こえるだろーけど、ほらやってるのが女性だとボヤキも微笑ましく思ってしまうのが1人でフラフラと「大道芸ワールドカップ」なんか見に行く中年男の性。もちろん”色香”だけじゃなく芸の方もちゃんとしていて、柔らかい股関節をいっぱいに開いて足ペタリでジャグリングする芸とか、高い1輪車の上でやっぱりジャグリングする芸とかを存分に堪能する。

 明日はよく知らないけど市街地の「吉見堂書店前」で11時半と13時半と15時半に登場の予定とか。女性パフォーマーが全体に少ない中では注目かも。もちろん駿府公園で繰り広げられている「ワールドカップ」に「ジャパンカップ」の真剣勝負の方を見ないのは損も損。つまりそれを見て来なかった自分は大きく損をした訳で、海外からやって来た世界を転戦する筋金入りの大道芸人たちを1時に見られる、世界でも希なイベントなんで言ったらチェックは欠かさずに。「ワールドカップ」だと去年のチャンピオンの「サンキュー手塚」って人を見て来たかったなあ、ほかにはアクロバット系の筋肉が立派な2人組、ロシアから参加の「リブラ」とか、地上5メートルにゆらぐパフォーマー「ストレンジフルート」とか、人気爆発なのか整理券即品切れな「蚤のサーカス」とか。来年も行こう。やっぱり1人で?

 梶尾真治さんの「黄泉がえり」とか咲田哲宏さんの「竜が飛ばない日曜日」とか、ここんとこ「想い」の「重さ」に関連した本を結構読んでいて、精神医学を勉強した人にとっては多分失笑物の考えだろーけど、「想い」ってのはやっぱりそれなりな「力」を持っているんじゃないんだろーかと思いたくなっている。もちろん念動力が云々といった物理的な作用を「想い」が果たせるとは思ってないけれど(ちょっとだけは思ってるけど)、人の「想い」が重いものだと思った別の人が今度は自分の「想い」の中にその重さを伝染なり反映させることで、間に物理的な作用は起こらなくても「想い」が伝わるってことはあるかもしれない。

 秋葉千景さんんて「第4回角川学園小説大賞・奨励賞」を受賞した人の初めての本「月が墜ちる夜」(角川書店、619円)にも、そんな伝わる「想い」の重さが物語の中に核として込められていて、読みながら人間ってこれでなかなかに繊細にして強靭な精神を持った生き物なんだなってことが見えて来る。時は近未来。人間の目の中でだけ「巨大化」した月が「落下」して50年後の地球では、「ルナティック」すなわち月の満ち欠けが引き出す狂気とも、あるいは満月の煌々とした輝きがもたらす人獣化ともおぼしき現象が人間に起こり、誰も彼もが「鬼」へと変貌する恐怖に怯えながら生き延びていた。

 終末への道を突き進む地球で「鬼」と化した人間たちを狩る仕事を請け負っていたのが「夜狩り」と呼ばれる者たち。主人公の京四郎はそんな「夜狩り」の一員として依頼があれば50口径の銃を繰り出し「鬼」を撃ち、パートナーの桜は京四郎をもしのぐ戦闘能力で刀を操り「鬼」を斬っていた。そんなある日。人間が「鬼」とならないための抑制剤を製造している企業から京四郎と桜を尋ねて使者の少女がやって来る。少女は2人の秘密が人類の救済に不可欠なものだと言い2人に協力を求める。機を同じくして2人を「鬼」たちが次々が襲うようになり、人間の人間であるが故の強く激しい「想い」が浮かび上がって来る。

 2人にはどうやら謎がありそーで、それが2人の類希なる戦闘能力なり回復能力につながっているようだけど詳細は不明、あるいは次の物語があればその中で語られるのかもしれない。いろいろ想像はできてもこれが正解、とは言えないからなあ、とりあえず読んだ人が読んだなりに考えてみよー。かっちりしたテーマがあってキャラクターは誰もがキッチリと立っていて、戦闘シーンのリアル感やスピード感は新人とは思えないくらいに迫力があって、真夜中だってのに時間を忘れて最後まで一気に読んでしまった。いや凄い。クールならがユーモラスな面もあって、けれども刀を手にして「鬼」に向かう時には”鬼”のようになれる桜が、生い立ち内面のミステリアスさも含めて目下のところイチオシ。鯉口を切った表紙も良いけど口絵の裏側の方の刀を手にて佇む姿はフィギュアか何かで見たい気分。「BLOOD」の小夜と並べて刀美少女特集なんて組んでくれても嬉しいなあ。


【11月3日】 「物語」だったらたとえ作為的な筋立て道具立てが盛り込まれてていて、「さあ笑え」「さあ泣け」と強要されている気持ちになっても、作家のそんな大見得の切っぷりを承知の上で、共犯者として「ああ笑おう」「ああ泣くぞ」と受け止められるものだけど、これが「物語論」になってしまうと、感動している、あるいは感動してあげている読み手の思考のメカニズムを、頭の中に手を突っ込んで調べよーとしているんじゃないかとゆー思いが上に立って、ついつい身構えてしまい、「感心」は出来ても「感動」には至らない可能性がある。だから、作家が登場して「物語って何だろう」と悩み続ける姿が描かれ、それが1冊を貫き通す主旋律になっているよーに見える「八月の博物館」(瀬名秀明、角川書店、1600円)も、あるいは作家・瀬名秀明による「物語」の体裁を借りた「物語論」の色濃い小説で、小説家個人への俗な興味を掻き立てられる面白さはあっても、感動には縁遠いもになるんだろーかと想像しつつ、身構えながら読んでいた。

 けれども、作家志望の少年が不思議な博物館に迷い込み、美少女と出会いパリやエジプトへと旅をしては、襲いかかる世界の危機に立ち向かうとゆー本筋の冒険物語が醸し出す高揚感もさることながら、そういった高揚感を生み出すためにはどうすれば良いんだろうと苦闘する作家の「物語論」、それ自体が少年の成長という「物語」の中に組み込まれていって、読み進むうちにいつしか身構えも解けて、「感心」を越える「感動」をちゃんと引っぱり出してくれた。もしかすると「物語論」に挑んだ作家の「神の手」に等しい所作の成果なのかもしれない、そんな思考実験すらも「物語」の中に組み入れて「感動」してしまう、出来てしまうのがイマドキの人たちだとの確信が作者の側にあったのかもしれないけれど、読者は更に進んでそういった作為をも含めて「物語」として受け止め「感動」しているのかもしれず、かくして「物語」と「物語論」はお互いを内包しつつ膨らんで訳が分からなくなるのであった。

 なんて難しいことは考えずに、スンナリと読めば立派に優れた少年の成長物語。小学生らしい恋とも興味ともつかない感情が行き交う亨と鷲巣との関係なんかは、そんな経験がまるでなかった身にもあったかもしれない、とゆーよりあって欲しかった思い出を刺激してくれるし、”猛牛”と戦う場面のスペクタクルなイメージもなかなか。700万円資料代を注ぎ込んだだけあってエジプトもパリも博物館も美術館も眼前に浮かび上がって来るよーな濃い描写がされていて、ここまで語るんだったら言葉でもって「ミュージアム」を復活させられるんじゃないかとすら思う。あるいは頭の中に浮かんだ完璧な像は果たしてホンモノか? とも。

 超有名なハワード・カーターの前の前くらいに活躍したらしー考古学者のマリエットへの興味も掻き立てられて、そこから誰かによって「別の物語」が引き出される効果も生みそう。本編ではチラリと登場しては成金野郎と言われるだけに終わったけど、後にトロイアを発掘して名を挙げたシュリーマンへの感心へとつながることだってあるだろー。オヤジになっても夢を捨てないどころか実現してしまったシュリーマンにあやかれたら良いな、とか。渋沢篤太夫のちの渋沢栄一が一瞬だけ顔を見せて後につながらなかったのは渋沢ファンとしてはちょっと残念。彼がどーしてパリにいたのか、とゆーか渋沢栄一が何をやった人なのかは、それもまた「別の物語」な城山三郎さんの「雄気堂々」を読みましょう。

 牛殺しマス・オオヤマ、じゃなかった牛倒し「フーコーの振り子」への興味が引っぱり出されて休日の午後を上野にある「国立科学博物館」へと向かう。天井から吊された鉄球だかがぶいんぶいんと揺れながら、だんだんと振れる方角を変えて行く様をしばらく眺めていると、地球ってやっぱりぐいんぐいんと回っているんだなってことが……実は全然理解できなかったりする。「レオン・フーコー科学論文選集」を読まなきゃいかんかなあ。博物館ではあとエジプト産じゃないけどミイラも久々に見物。世の中にこれだけヘアヌードが氾濫しているにもかかわらず、未だに股間に前張りされているのは何か不思議、でも子供が社会見学に来る博物館でそんなところに興味を惹かれしまう子供たちが、大勢出るのも不味いから仕方がないのかなあ。

 「かはく」はダイナモンド展をやっていた関係でマージョさまとワルサー&グロッキーが(古いなあ)、じゃないダイヤモンど展をやっていた関係で目の眩んだお宮(これはさらに古いなあ)、はいなかったけど永遠の輝きを求める老若女に鉱物マニアな老若男が80分の行列を作る結構な賑わい。しばらく前の「プラスティネーション」の時ほどではないにしても、印象派でもエコール・ド・パリでもピカソでもなく美術展ですらない博物の展覧会に、これほどまでに人が集まる状況を見るにつけ、人々のリアルな物にたいする好奇心はまだまだ捨てたもんじゃないってことを目でもって実感する。

 ダイヤモンドの値段に興味があっての訪問だったかもしれないけれど、なあにゴッホやピカソを見る時だって「これ幾らするんだろー」とゆー思いが立つもの。そこから興味が引っぱり出されて「ダイヤって何だろー」となれば、日本の科学の発展へのいささかの架け橋になるのかもしれない。もっとも本館にある魚類の展示コーナーで、タカアシガニとかケガニとかズワイガニの標本を身ながら「美味しそーだねー」と言っている親子連れなんかを見ると、ちょっぴり雲行きも怪しくなるけれどね。

 夜になったんで久々に「新宿ロフトプラスワン」。寺田克也さんの豪華過ぎるイラスト集「カバーガ・ガールズ」(ワニマガジン社、4700円)が発売されたのを記念してのイベントで、壇上では据え付けられたタブレットに向かって寺田さんがどんどんと絵を描いていく、予定だったけれど「エコエコアザラク」(劇場版)の佐藤嗣麻子さんによれば「新耳袋をやっている関係で集まっているらしい」会場だけに、その霊波が電磁波となってマックに悪い影響を与えたのか、描いている途中でイラストレーターが何度も何度もフリーズして、描いていた絵がなかなか完成しない。それでもこまめにセーブしなら進んでいく中で、輪郭だけだったイラストに影とか色とかがつけ加えられ、どんどんと雰囲気あるものに仕上がっていくプロセスを見られて勉強になる。なったところで影の付け方以前の輪郭すらとれない腕前にはまるで役立たずなんだけど。

 壇上には寺田さん佐藤さんの他に夢枕獏さんや桂正和さんさん韮沢さんら当代切っての作り手たちが続々と登壇してなかなか壮観。作品はホラーでも喋ると明るい佐藤さんは、加速がかかっているのか喋る内容がどんどんと壮絶な方向へと走って、寺田さんは付き合っている女性が変わると描く女性の顎の形が変わるとか、胸は大きいのが好きだから変わらないとかいった話に始まって、登壇した桂さんがバットマンの格好で結婚式をあげたらしーエピソードに触れつつ、痩身長駆な桂さんんの徳利セーターでもみ上げなスタイルに「ゲイみたい」と言っては夢枕獏さんにやんわり窘められつつも、それでもどんどんと爆走してく様が面白かった。2時間くらいで出て来ちゃったから分からないけど、いったいどこまで暴走したんだろー。


大川功饅頭 【11月2日】 ちょっっと良いモノ2態。まずは食道ガンの宣告を受けながら外科的な手術を拒否して放射線療法と京大の人だか財団だかで研究していた免疫療法のツープラトンでもって生態検査上はガンをボクメツしてしまった大川功セガ会長兼社長の独演会、プラス事業戦略説明会の帰りに頂いたお饅頭。こうまで堂々と「快気祝い」と書く以上、ホントーに完全に治ってしまったのかもしれない。

 だとしたら発見から3カ月で手術が難しいと言われる食道ガンをやっつけてしまった治療法って一体何だろーって方に興味が伸びるけど、どこだったっけガンの特効薬を発明したとか虚偽の会見を開いて株価なんか上げちゃった挙げ句に潰れた会社があったくらい、自分の治療に使った療法を事業化して一般に広めるくらいのことをやった方が、株価だってガンガンとあがりそうーな気がするけれど、どーなんだろー。本とか書いても売れちゃいそー。乙武さん大平さん大崎さんの泣かせ本ストリームアタックで話題なK談社とかから出たりして、「大川は斃れたままじゃない」なんて本が。

 ちなみに「祝」の赤い方がつぶあんで「大川」の白い方がこしあんだったよーな、あれ逆だったかな、どっかのゲーム雑誌あたりが景品とかに出したらもらう人とかいるんだろーか、ナマモノなのでお早めにお食べ下さらないと確実に物理的にマズくなる品物だから欲しがらない可能性が高いんだろーか。真空パックにしたから大丈夫とか。関連会社の「ファミ通」あたりでやるかなあ。その点、明日の「としまえん店」で日本国内100店舗を達成する玩具販売の「トイザらス」が会見で配った煎餅の方が、日数だけなら饅頭よりはまだ保ちそー。

トイザらス煎餅  もっとも饅頭は大川さんの快気祝いだからこその目出たさ稀少さがあある訳で、「トイザらス」の煎餅は「祝」の字もなくその点フツーの絵入り煎餅に過ぎないから、ゲームファンはもとより玩具好きでもあんまり欲しがらなさそー。これが日本マクドナルドの社長で「トイザらス」を日本に持ってきた立役者、藤田田さんの直筆サイン(醤油で書くとかいろいろ)だった藤田さんを経営の鏡を仰ぐ経営者たちからお守りとして引き合いが……やっぱりないだろーなー。だったらさっさと食べちゃおうっと。

 それにしても日本への進出時には、大店法だ構造協議だ参入障壁だ米通商代表部だカーラ・ヒルズだといった具合に、意味はすっかり忘れていてもすすっと思い出せる単語が山と重なるくらいに話題となった「トイザらス」。いわば規制緩和のシンボルめいた存在として語られていた訳だけど、91年の1号店から10年近い間に毎年10店舗ものハイペースで出店が進んだあたり、日本の規制緩和もなかなかじゃんと喜んでいーんだろーか。今現在でも通信費のバカ高さの原因になっているNTTの独占ぶりなんかが槍玉に上げられていながらも、抜本的な解決策を示せない企業役所政治を見るにつけ、それほど大きな変化はないと言うことになるんだろーか。

 会見では藤田さん、1号店の「荒川沖店」が出来た後でもあれやこれやとイジめられて、だったら世界的に話題になることをするんだって意志を引っ提げてホワイトハウスに行き、当時のブッシュ米大統領の来日時に第2号店のテープカットをお願いするなって話をまとめて来た経緯を披露していて、下からチョロチョロとやるんじゃなく、ここぞとゆー時に大玉を叩き込む覚悟と機動力の必要性が改めて感じられる。首相がパソコン店に行ったって迷惑だけど、米大統領を神武天皇即位の地、橿原市にやって来させるなんて演出も見事だし、そーいった心配りと仕掛けの巧みさが、マクドナルドもトイザらスも成功させたんだろー。大川さんも熱量だけなら高いんだけど効率で行くならやっぱり藤田さん、だもんなー。

 ビデオゲームはやらないけれど仕事なんでセガのプライベートショーへ行く。AMショーにだいたい出ていた品物ばっかりで、アメリカの道路を突っ走るコンボイのボディが迫力だったマシンとか、その前の道路を突き破ってでも進む傍若無人さが笑えた「クレイジータクシー」とか職業ゲームもここまで行ったかと呆れつつも関心した「消防士」といった感じの、凄みを放つゲームはなかったけれど、スケボーに乗ってバランスを取りながら、画面に映っているハーフパイプだか何だかなU字型した場所を行ったり来たりするゲームはスノボで山を降りるのとはまた違った楽しさがありそー。

 これをコンシューマーに落とすとしたらどーやるんだろー、なんてことを広報の人と話してて、アスキーがサーフィンのゲームだかでやったよーなコントローラーの上で動かボードを作るのはどうだろーとか、だったらフィンガーボードを繋いでプレイできる台の上で転がした動きが、まんまゲームに反省されると面白いとか言った話になる。マラカスコントローラーは巨大だし狭い部屋だとセンサーの付いた風呂敷広げられないから出来ず、続編っぽいタンバリンゲームもやぱり場所を食いそーでやっぱり出来そーもない住環境で、フィンガーボードと台だけだったら置けないこともないからもしそんな形で出たら買っちゃいそー。ボードも付け替え自由とかにすれば「蒐集ビジネス」なんかがそこ付加して稼げるかも。そこまでのめり込めるユーザーが沢山いたらセガもあんなにはならなかったんだろーけど。

 鷲巣萌えーっ、な人が続々と生まれていそーな「八月の博物館」(瀬名秀明、角川書店、1600円)。ほんの冒頭だけしたまだ読んでないけれど、体操着の前を少し汚した格好で、人差し指でぴしりと指して「図書室の当番!」とゆー意志の強さ情愛の激しさにおじさんとても羨ましくなりました、だいいちポニーテールだし。「フリクリ」の「マルラバ」でニナモリがナオ太に対して見えた、少年少女の恋とも愛とも親しみとも区分が難しいフクザツな感情がそこに込められているよーで、てんで経験のない身には理想のオーラにM的な志向が付け加わって、背筋を何とも形容し難い感情が走り抜ける。どんな役回りをしてて将来どうなるのかも未定だけど、現時点では個人的には博物館にミウよりも鷲巣の健気さ素直じゃなさの方が好きかも。「図書室!」って嗚呼俺も言われてみてー、もちろん小学生高学年女子@体操着に。


【11月1日】 ITかくめー、なんてものがあったとしたらマルクス・レーニンばりにきっとその名を世界史に残すだろー「アマゾン・コム」のジェフ・ベゾスが会見なんかを開くってんで恵比寿へ。隣の「東京都写真美術館」で開場までの時間を潰していたら、ロビーのモニターに庵野秀明監督の最新作「式日」のプロモーション映像が流れていて、見ているとあの「ラブ&ポップ」でもエンディングにかかっていた「あの素晴らしい愛をもう一度」が誰かの(藤谷文子?)の素人的な歌声でもって聞こえて来て、「ラブ&ポップ」の時はまだ1種のギャグかなあ、なんて思えたものが今度は少しばかり背筋に来るものがあって、イコンなのか偶像なのかトラウマなのかは知らないけれど、庵野監督の執念というか妄念なのかはともかくすさまじいばかりの作品への「想い」が伝わって来て、たとえプライベートフィルムでもそれより以前の「そつぎょうあるばむ」でも、やっぱり見ておかなくっちゃいけないだろーとゆー気になる。徳間さんへの敬意もこめつつ見よう。

 さてベゾスの会見はと言えば中身は言わずもがなの日本語版「アマゾン・コム」の設立発表会見で、30分前に入場しては手元の資料だけを参考にして10分くらいで60行くらいの原稿を仕立て上げて会社にメールしてから着席して、やがて始まった会見でさてはて世界に冠たる「アマゾン・コム」のリーダーって一体どんな顔してたっけ、ってなことを思って待っていたら、入って来たのはマルクスってよりはレーニンばりな禿で一気に親近感が高まる。以下はいかに「アマゾン・コム」がすげーかってな話を日本法人の代表の人なんかも交えてあれやこれや。「紀伊国屋とか三省堂書店とかに比べてどーよ」といった質問には、「だってアマゾン・コムってもー日本じゃ1番じゃん、あとはこれをどー維持していくか、だけだよーん」と答えていたけれど、確かに20万人近い会員がいて30億円だかの売上は確保していて日本でも稀有の規模のECサイトであることには違いがないんだけど、売れているのは洋書でしかない訳で、大きくてもニッチなマーケットでのシェアをもって「ナンバー1」とゆーのはちょっと早計かなー、とか思う。

 もちろん和書でも売れて売れまくるのは確実だってんだったら、1年でも2年でもこれを先取りして「日本一」と言ったんだと理解できないこともないけれど、とりあえず60万冊とか70万冊とかいった扱い点数があったとしても、全国で引っ張りだこになっているベストセラーが24時間以内に届けられるよう、ちゃんと在庫を確保してあるとかいった物流面での裏付けなりがあって始めて「使える」本屋になる訳で、1年に1冊2冊しか売れないよーな本でも「あるよ」と在庫に入れて取り扱い冊数に入れてカウントするのって、何かちょっとズレてるよーな気がする。でも日本のメディアってそーゆー「見せかけの数字」に弱いし、何より「アマゾン」とゆーブランドに弱いから、「圧倒的在庫数」を誇る「黒船アマゾン」の来航を、きっと派手にかき立てて「日本のオンライン書店もこれでオシマイ」なんて書き立てるんだろーなー、書き立てたしなー(書き立てたんかい)。

 それより以前に我が家のプアーな環境で生じる文字化けは一体全体何? 今時「マッキントッシュ」のそれも前世紀の遺物となりかかってる(来年になればG4だって「前世紀の遺物」だけど)「LC575」の上で今は懐かしい「ネットスケープ3・01」なんてものを使ってる方が悪いのかもしれないけれど、それでも「bk1」だってアクセスしたことないけど多分「BOL」だって文字化けはしないだろー。昔の人よサヨウナラ的スタンスで来るんだったら申し訳ないけど我が家では「アマゾン・コム」は仕組みは例え使いやすくっても何が書いてあるのか分からないから使えないから使いません。まあ似た環境にあるユーザーがどれだけいるかって問題もあるから、「bk1」でいささかなりとも禄を食む者の反共活動、じゃない黒船撃退攘夷運動だなんて怒らずに、オールドな環境にあって最先端の技術の恩恵を受けられない者の愚痴と聞き逃してやって下さい、同じ禿頭のよしみで、ねえベゾスぅ。

 恵比寿からたったかたったかと徒歩と電車と徒歩で神谷町に行ってホテルオークラで開かれるセガの方針説明会へ。最大の関心はここのところ姿がパッタリと見えなくなっていたセガの会長にして社長の大川功さんが、果たして存命で健在で矍鑠としていて舌鋒鋭く話してくれるかどーかってことで、一応はリストに名前が入っていても、急の出張とかで出席できないってな言い訳があって代わりにビデオ映像なんかが流されるに留まって、健在ぶりをアピールしているよーで薮蛇だったてな状況も起こりうるかなー、なんて考えていたけど、そこは流石に強気強気で昭和の荒波を越え平成に入ってもますます意気軒昂な大川さん、ちゃんと会見の場に現れたどころか、実に1時間にもわたって壇上で立ったまま熱弁を振るって「健康問題」に関する噂を吹き飛ばした。

 いや吹き飛ばしたとゆーのはある意味間違いで、性格には「食道ガンだった」ことを正式に公衆の面前で披露して「健康問題」の噂が本当だったことを認めた後で、手術しても成功するかどーか分からないと言われ、「今自分が死んだらセガはどーなる」とゆー意識もあって手術を拒否して放射線療法と免疫療法に絞って治療を実行。40度を越える熱は出る、体はダルくなるってな悲惨な状況を持ち前の不屈の精神力とゆーかセガ再生への執念でもって乗り越えて、あの手術の難しさでは人後に落ちない食堂ガンを、現時点では生態検査的にマイナスの状況にまで治してしまったらしく、会見では「診断書にガンとはかけないぞ」と言ってまで、体のバランスシートの健全ぶりをアピールしていた。3カ月で根治してしまうなんて、いったいどんな治療をやったんだろー、本に書いたらマジで売れるかもしれないなー。治療中に見て「素人の方が玄人よりも人を感動させるんだ」と思うきっかけになった、あるガン患者の日記ページになぞらえて、「大川闘病日記」を「週刊アスキー」とかで連載したら時々だけどきっと読むぞ。

 発表の内容は既報どーり、コンソールビジネスをフォーマットビジネスに切り替える、つまりは「ドリームキャスト」とゆー家庭用ゲーム機の形にこだわらず、セットトップボックスでもカーナビでも情報家電でもモバイル端末でも、適用できるなら「ドリームキャスト」のフォーマットをライセンス供与して「DCファミリー」的な商品をいろいろな所から出してもらって、そのライセンス料で金を稼ぐビジネスを始めるってこと。セガが家庭用ゲーム機ビジネスを捨てる、と言ったら言い過ぎかもしれないけれど、フォーマットビジネスで稼いだ利益が安売りなハードでもっていかれれば本末転倒な訳だし、おそらくは長期的には「家庭用ゲーム機」メーカーとしてのセガは、存在が希薄になって行くんだろー。

 その是非についてはセガのゲーム機やゲームにことさら思い入れがない身では判断がつかないけれど、スタイリッシュでクールなゲームのイメージは、ハードの印象に支えられていた部分も決して皆無じゃないだろーから、ソフトだけになったセガへのファンの入れ込みが減って、例え最高に面白いソフトであっても、売れなくなってしまう可能性は否定し切れない。それでも新しく特別顧問に就任した香山哲さんは、世界でもそれなりに売れているソフトの数とか先行するネットワークゲームの開発力とか過去に積み重ねたソフト資産とかを勘案しつつ大丈夫だと言っていたから、ソフトビジネスが事業の中心になった暁の、家庭用ゲーム機メーカーとしてのアイデンティティを失ったセガがそれでも世界トップクラスのソフトベンダーとして自立しているだろー未来を、とりあえずは信じるほかにないだろー。「サクラ大戦GB」が狙っていた子供層に外れて「ドラゴンクエスト7」が子供にも受けた理由も勉強してたし、そのあたり含めた手を売ってくるだろー、だってあの(どの?)(その!)香山さんなんだからね。

 フォーマットビジネスへの指向は「プレイステーション2」を発売したソニー・コンピュータエンタテインメントの久夛良木健社長も常々言っていたことで、実際にSCEIではチップセットの外販もフォーマットの公開も発表しいていて着々と「規格会社化」を進めている。加えてスタンドアロンのゲームにこだわらず、ネット上を行き来するデジタルコンテンツを受けるゲートウェイとして、従来の家庭用ゲーム機が発達した先にあるハードの将来像を描いてもいて、そこではゲームにかぎらずデジタルで表現されるコンピューター・エンターテインメントが求められると言っているあたり、プラットフォームからフォーマットへと路線を切り替え、フォーカスをネットに絞って「情報はダウンロードされるようになる」と訴えネットの大事さを強く主張する大川さんと、相通じるところがある。その意味で歳も結構違う久夛良木さんと大川さんが見ている「ゲーム」の将来像は、案外と似ているのかもしれない。

 ただしゲームに限らず映画や音楽も含めたエンターテインメント・コンテンツがデジタル化された時代を想定してミッションを進めるSCEIと、ゲームへのこだわりが残り続けるだろーセガとを対抗馬として比べられるだけの段階に、今はまだないよーな気がする。例え経営者の見ている世界が同じでも、かたや5年先10年先の技術を見据えて「PS2」を作ったSCEI、こなた2年後ですら存在が妖しいDCとではたどり着ける地平が違い過ぎる。1000億円以上を投資できるSCEIおよびソニーグループのリソースと、数100億円の投資ですら躊躇してしまうセガとでは、できることだって自ずと違ってしまう。徹底してゲームにこだわる任天堂と、コンピューター・エンターテインメントへの注力を標榜するSCEIのはざまにあって、どことなく中途半端に見えて仕方がないんだけどなー、セガは。

 いっそだったら徹底したソフト会社になった方が良いんだろーけれど、あれだけ売ってるコナミですら1000億円企業でしかない業界で、ソフトだけのセガがどこまで売上を立てられるのやら。立てるためにも日本だけじゃなく世界で売れるソフト作りを行う必要があるんだけど、世界で売れるソフトって何? ってな疑問もこれありで、数百万冊が瞬間に売れてしまう英語圏の本のよーに、ワールドワイドでソフトが売れていくのかどーか、売れるソフトを作れるかどーかに「斃れたまま」だったセガの復活再生がかかっている。できるんだろうか。それより良いソフトを作っても伝える手段を持っているんだろうか。体の太いPRが上手な眼鏡を過けた元おニャン子が妻なおじさんは、確かもういないはずなんだけど。

 あと、会見で「生きてます」と宣言する大川さんの姿をもって「セガは安泰」と思われるのも一面当然なんだろーけれど、すべてを仕切り前向きなビジョンを指し示すワンマンなオーナー社長の存在がダイナミックな転換を可能にしたんだ、ってな具合に大川さんの健在ぶりを材料にもてはやすことが可能だったら、病気で療養する時間が必要だったオーナー社長、でもって年齢的にも肉体的にもいつ何時な事態が起こるかもしれないワンマン社長に、すべてをよりかかってリスクヘッジの利いていない企業だと心配することも可能だろう。最悪の事態すら想定される人間にすべてを委ねざるを得ない会社をどう見るか。明日以降の株価に答えを探そう。ゲーム業界はほかにも同様な高齢者が後継者も決められないまま陣頭指揮を取っている会社があって、10年後にどーなっているのかちっと気になる。10年後だって皆生きている? そーゆーのもアリかもなー、今日の快気ぶりを見ているとなー。


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