氷の国のアマリリス

 誰のためにとかじゃないし、何のためにとかでもない。生きて欲しいという願い。生きていたいという思い。そんな純粋で、真っ直ぐで、強い心がありさえすれば、世界が不幸せに沈むことはない。今はとても辛くても、折れないで願い、思い続ければいつか必ず幸せはやってくる。そう、教えてくれているような物語に出会った。

 松山剛という作家の「氷の国のアマリリス」(電撃文庫、650円)に描かれる世界は、とてつもなく過酷で、苛烈な状況に置かれている。寒くて何もかもが凍りつくような気温の中を、氷上三輪を駆って荷物を届けて回るアマリリスという女性も、アイスバーンという男性も、暮らしているのは地下深くにめぐらされた空洞で、そして2人とも人間ではなかった。

 ロボット。かつて人間のために働いていたらしいロボットたちが、アマリリスやアイスバーンのほかにも地下にある村に暮らしていた。それも100年近く。いずれも人間に仕え、人間のために働いていたロボットたちだったけれど、画期的といわれたエネルギー源の暴走が原因と見られる異常事態で地表は氷河に覆われ、生きていられなくなった人間たちはシェルターを作り、冷凍睡眠に入って気候が回復する時まで長い眠りについていた。

 アマリリスもアイスバーンも、技術に長けたビスカリアという女性も節電のためといって首だけになった村長も、ロボットたちは全員がそうした眠りにつく人間、つまりはご主人様たちのお世話をすることを、1番の存在意義だと感じで行動していた。長い年月で劣化も見られるようになっていた冷凍睡眠装置「白雪姫」のメンテナンスのために、自らの部品を拠出して粗悪な代替品に置き換えるロボットたちも少なくなく、それが原因で不調を訴えるロボットも出始めていた。

 だからといって、人間を見捨てることなく面倒を見続けていたロボットたちの間に動揺が走る事態が起こる。ひとつには部品を拠出し過ぎて劣化が進んだ結果、動けなくなるロボットが出始めたこと。そして度重なる地震の発生で、そうした故障がさらに増え、なおかつ「白雪姫」にも異常が増えて、ロボットと人間がこれまでのように命脈を保つことが困難になり始めたこと。何より地震そのものもアマリリスたちが暮らしている場所に被害をもたらすようになっていた。そして。

 恐るべき情報がアマリリスたちのところにもたらされる。その情報は、ご主人様だと慕って守ってきた「白雪姫」に眠る人間たちを、これからも同じように世話をしていくべきなのか、その挙げ句に自らを機能停止に追い込んで、村を全滅に至らせても良いのかという疑問を、ロボットたちに抱かせそして、村長による「人類は滅亡すべき」だという考えへの関心を高める。

 これまでどおりに人間を守り、「白雪姫」を守っていっても、いずれ部品は尽きてロボットは止まり、その結果「白雪姫」も動かなくなって人間たちは死んでしまう。それならばロボットたちだけでも生き延びて何がいけないのかというロジックが生まれる。どちらに進んでも、多くの“死”が避けられないシチュエーションにあって、アマリリスだけは誰であっても、何であっても、同じように生きていける道を求めてあがき、探り、そして掴む。幸せになれる唯一の道を。

 そこから先も、真っ直ぐにハッピーエンドには向かわず、幸福だけが訪れるようにならないところが、この物語のシビアな点。動かなかった方がましだったかもしれないという可能性すら、頻発する地震の発生というアクシデントをぶつけて塞ぎ、生きるために、生きさせるために動くしかないよう、アマリリスたちを追い込んでいく。それゆえに、生きることへの懸命さが際だち、生きさせることへの切実さが際だって、物語に触れる者たちの心をふるわせる。

 民族だとか国だとか、共同体だとか集団だとかのためにだけ動き、阿りつつそれ以外を誹り、廃していこうとする風潮が、じわじわと広まってきている昨今に釘を差し、限定と排外が向かう先の愚かしさを感じさせ、手を繋がせる。誰のためにと限らず、何とためにと狭めず、すべてのために歩むのだ。足りていれば与え、足りなければもらい、分け合い助け合って進むのだ。そう思わせてくれる物語だ。

 離別もある。犠牲もある。それを必然と称揚することはできないけれど、だからといって否定はしない。悲しみを覚えて涙も流す。その上で改めて決意する。生きて欲しいという願いを、生きたいという思いを誰もが抱き、誰にでも与えられる世界を作り出すことを。そんな世界にしていくことを。道は容易ではないけれど、それでもアマリリスはやり遂げた。人間にできないはずはない。人間だからこそやれないはずはない。

   過去、人間に虐げられる怪獣たちの苦闘を描いて、差別なき世の到来を願わせた「怪獣工場ピギャース」を描き、主を失ったロボットが、苛烈な環境のなかで生きたいを願う心の強さを示して、今を生きる大切さを感じさせた「雨の日のアイリス」を描いた松山剛。社会の矛盾を抉りつつ、生きるものたちへの慈しみを向けさせようとした筆は、「氷の国のアマリリス」でますます冴えて、読む人たちを思索させ、落涙させてそして奮いたたせる。

 明解なようでいて弱者に厳しく、上向いているようで格差は広がるばかりの現代に、欠けているものを与えてくれるその作品たちを、今こそ読もう。今だからこそ読ませよう。


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