群青神殿

 1作目からもう、圧倒的に完璧な小説というものを書く人が、登場することはごくごく希ながらもあることだけど、多くの人は1作目よりは2作目、2作目よりは5作目といった具合にだんだんと巧くなっていくもの。なので1作目を読んで「これは見込みなし」と決めてかかって放り出すなんてことはせず、2作目3作目と続けて読んでその変化ぶりを観察するのを、作家のとりわけ新人の作品を読むにあたっての信条にしている。2作目3作目がちゃんと出れば、という条件が付くけれど。

 その意味でいうなら小川一水というSF作家は、その名前でのデビュー作となった「アース・ガード −ローカル惑星防衛記−」(朝日ソノラマ、490円)以降、1作また1作と書くごとにめきめきと、ばきばきと、めりめりと、もりもりと巧く且つまた凄くなっていった作家の右代表として、20世紀の掉尾と1世紀の劈頭を飾る金字塔的存在と行って言い過ぎ……だろうか? いやいや決して過言ではない。

 小川一水名義になってはや5年。その間に送り出された数々の小説群を見返せば、綴られた物語のひとつひとつから浮かび上がる、着想の目新しさ、構想の大きさ、展開の広さにメッセージの強さが分かる。そして着実にあがっている腕前の凄さに誰もが目を見張るはずだ。それでもまだ大げさだと言い張るならば、最新刊の「群青神殿」(朝日ソノラマ、580円)を読んで欲しい。それでも納得できないとうなら……そんな人がいる筈がないから賭はしない。

 出だしは平穏無事なはずの海。安全に航行していたはずの自動車運搬船が、突如謎の攻撃を受けて消息を絶つ。変わって海底。メタンハイドレードを探すエネルギー関連会社の海底試掘艇は海洋を漂う巨大なカタマリに遭遇する。やがて巻き起こる大騒動。巨大な船艇が次々と謎の沈没を遂げ、その原因らしき存在として、得体の知れない巨大な物体の存在が浮かび上がってくる。

 一体それは何なのか。未知の兵器? ノンマルトルの地上侵攻? 正解は読んでのお楽しみとしか言いようがないが、ひとつ断っておくなら、深海で得体の知れないものに襲われる場面から始まる特撮映画によくあるわくわく感に期待した人の気持ちを、絶対に裏切らないスペクタクルが繰り広げられることは間違いない。むしろ期待を大きく上回る。第七艦隊壊滅なんて、カケラも想像していなかったのだから。

 凄いのはそうしたシチュエーションだけではない。外交や内政といった政治的にも、資源やエネルギーに会社経営といった経済的にも、人々の反応といった社会的にも、そしてもちろんSFで大切な科学的にも合理性を出そうと、知識をさらって筆を駆使し、なおかつ単なるデータの羅列や状況の解説にはしないで、登場するキャラクターたちに納得のいく”演技”をさせて描写していることがただただ凄い。

 物語の方は民間の資源調査会社に務める俊機とこなみをはじめとした人たちが、先が海底での得体の知れないものとの遭遇から徐々に得体の知れないものとの、洋の南北をまたいでのバトルへと突入していく様を経て、世界規模での一大事に巻き込まれた挙げ句に、瀕死の事態を乗り越えて且つ、世界のピンチをも救う展開へと進んでいく。そんな非日常的な脅威を生みだす手腕も鮮やかなら、描かれた脅威を冒頭に提示されたメタンハイドレード探しに関わる事態の回収に活かし、しっかりとオチを付けてみせる構成の見事さにもただただ感嘆させられる。

 世界が震撼させられる話に時として出てくる、間抜に描かれ過ぎていて、読んで思わず「こんな奴はいない」と叫びたくなるキャラがまるでおらず、小説ならではの仮構ぶりを活かす意味合いから登場しては気持ちを萎えさせる、ということもない。それぞれが、それぞれの職務に忠実な、人間としての存在感を持った形で登場していて、読んでいてとても心地良い。細かい部分でのおかず(海中にいる試掘艇に船の船艇をドンドンやってモールスを送る描写とか)も多彩で、ヤングアダルトの文庫としてはやや長いページ数をまるで飽きさせない。ラストで美人部長が携帯を踏みつぶすシーンも同様。何故踏みつぶしたのか? 読めば分かる。かつ笑える。そしてもちろん納得もできる。

 それでもまだ、クライマックスでヒロインのこなみが正義感ぶって突っ走った挙げ句に自爆する場面に、いささか辟易させられたし、前段の大バトルから一転した静寂の世界で迫り来る死の恐怖の中、海からもたらされた神秘的な体験が開眼的な感動を与える場面を、もう少し情緒的に盛り上げてくれてた方が読んでいて泣けたかもしれない、という気も浮かぶ。が、泣かせは作者に必須の特質でもないし、読んで存分に感慨も得られたので異論はなし。広げられた風呂敷が畳まれた上に桐の箱へと収められる見事さと、さらに別の風呂敷がタンスから取り出されてその端を見せる余韻を十二分に楽しむことができた。これぞまさしく大団円、というものか。

 真に科学的かどうかは専門家の人たちにお任せするとして、かつて自分では描いたことのないテーマに挑んで、しっかりと小説に仕立て上げたチャレンジ精神に素直に賞賛を送りたい。ひとつテーマに依らずさまざまなテーマを探し出しては綿密な調査で肉付けした上に、人間のドラマを載せて小説に仕立て上げる凄さは、同世代どころかあらゆる世代を探しても希有な才能と言えるだろう。SFいうジャンルを世超えて、ポリュラリティを持ち得る可能性のあるSF作家としてサスペンスとかミステリーとかポリティカルといったジャンルに敏感な読者にも、どんどんと浸透していって欲しいもの。「ソリトンの悪魔」が獲れる賞なら、「群青神殿」だって存分に相応しい。これも絶対に過言ではない。


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