フラッガーの方程式

 浅倉秋成の「フラッガーの方程式」(講談社BOX、1660円)が面白い。どう面白いかは読めば分かるというか、読み始めたら面白くって最後まで一気に読まずにはいられないというか、そんなくらいの面白さ。

 これは、前の作品「ノワール・レヴナント」(講談社BOX、1800円))でも感じられたことで、設定に妙味があって展開に興味をそそられ、結末に何があるかを気にせずにはいられないという、そんな物語に仕上がっているから最初のページを開くのに、ひとつの覚悟が必要になる。これから数時間を本に奪われるということへの。

 もしかしたら、作者が作り出した、自分の本を読んでもらうという“フラグ”によって操られているのでは、なんてことも思ったりするのは、まさしくこの話が、フラグというものを主題に据えているから。登場するのは、村田静山という得体の知れない男が、シナリオ開発に関わり、営業と広報も担当しているという「フラッガーシステム」。誰かを主役にして、深夜アニメーションとかライトノベルとかラブコメディの漫画のような経験を与えてくれるという、夢のような装置だ。

 その被験者になれば、道を歩けば玄関前で誰かがうずくまっているわ、自転車で誰かが走ってきてぶつかりそうになるわ、学園のまるで見知らぬ生徒会長に唐突に目を付けられて、婚約者を退ける代わりに恋人のふりをして欲しいと言われるわといった感じに、次から次へと深夜アニメかライトノベルか漫画のようなラッキーな事態がおとずれる。見ず知らずの少女が父母のいない家に現れ、自分をお兄ちゃんと呼んでずっと居座り続け、あまつさえ夜にこっそりベッドに入ってくるなんてこともあったりする。超ラッキー。

 けれども騙されてはいけない。それらの1つにでもほだされて、心を移してしまえばすべては終わってしまう。主人公の東條涼一が望んでいたのは、クラスメートで特に目立ちもしなければ超絶美少女でも超絶お金持ちでもない、佐藤佳子さんという少女との恋仲。それをかなえるために、村田静山などという、見るからに怪しげな男が出して来た、とてつもなく怪しげなフラッガーシステムのデバッグテストプレーヤーとなった。

 そこに自分の名前を登録してもらい、12月の1カ月間をフラグ立てまくりな生活に当てることにした。そして12月1日になった途端に立ちまくりはじめたフラグの数々。野球カードを作っている父親がなぜかアフリカに転勤となって母親までついていって家が涼一ひとりきりになったのを皮切りに、自分を兄と呼びたがる少女が転がり込み、学校に行けば友人の笹原以外の男子が邪魔とばかりに謎のはしかにかかって休み出す。

 そして学校では佃煮屋なのになぜか売り出した「食べるラー油2」が、まるでパクリ商品なのに大売れして大金持ちになったという生徒会長の少女に声をかけられ、昨日まで佃煮を似ていたのに執事にさせられたおっさんによって羽交い締めにされ、家へと連れていかれて、恋人のふりをして欲しいと頼まれ、父親には殴られながらも認められてしまう。

 それをどうにかかわした後には、魔術を研究しているというボーイッシュな少女に無理矢理部員にされては、内側からは鍵がなければ開かない逆オートロックの部室に閉じこめられ、魔術の特訓をさせられさらには別の魔術組織に狙われ、雰囲気作りの為にと5階までが廃墟にされてしまった病院へとさらわれて行った先輩を助けに乗り込み、本当に繰り出された魔法を相手に戦う羽目となったりする。

 いったいどこまで世界を改変するのだ、フラッガーシステムは。それもどうにか切り抜けて、別ルートへと入り込んで行きがちなフラグを修正し、名前が陳腐だからヒロインには向かないという静山に頼み込んで、どうにか佐藤さんとのフラグ立てに成功した涼一。やっと仲良くなれた。そこに落とし穴が待っていた。

 彼がデバッグテストに当たって1カ月後のエンディングに望んだのは感動。それは決してハッピーエンドとは限らない。何が起こる? それは読んでのお楽しみ。立てられまくった少女との恋仲を成り立たせるためのフラグたちが、ひとつの帰結へと向かって改修されていく鮮やかさにうなり驚き、そしてまさしく感動を味わうだろう。

 先がどうなるかが予測可能なフラグは、普通の小説の中で繰り出されても実にありきたりで、陳腐なものに思えてしまう。それが、改めてこうしてメタ的な存在として取り入れられると、日常生活にはあり得ないくらいの無茶が繰り出されは、それをお約束として楽しむんだという気持ちを刺激される。

 どうして受け入れられるのか、きっとそうなると分かっていても平気なのか。引き合いに出されるのがカレーライス。昔も美味しかったけれど、今だって食べても美味しい訳で、そのカレーライスは同じかというと、ちょっとは違う。けれどもやっぱり美味しく食べられる。同じように同じメニューでレシピだて違わないのに、ちょっとしたスパイスの変化で何度でも何十年でも楽しめる。

 これは、そのままアニメだとかライトノベルだとか漫画だとかにも当てはまる。同じように見えてちょっとは違って、けれども得られる感動は似ていて、だからといってつまらないとかありきたりではないという、そんな喜び。だから、誰も文句を言わず呆れもしないで楽しもうじゃないかということを、「フラッガーの方程式」は教えてくれている、のかもしれない。フラグ最高。ご都合主義最高。

 それでもやはり、大げさ過ぎる展開が面白さを倍加しているのだとしたら、今度はエスカレーションの罠にはまっているのかもしれない。学校の授業に涼一を浸らせたくない、もっと一緒にいたいという生徒会長で大金持ちの要望で、文部科学大臣とかが即座に変わって学校の授業が3時間になってしまうなんて、いくらご都合主義でもあり得ない。

 これほどまでに凄まじい、フラッガーシステムの繰り出すフラグの面白さを知って、ありきたりのフラグ立てに戻れるか? 無理かもしれない。だから浅倉秋成には責任をとってもらって、「ノワール・レヴナント」も「フラッガーの方程式」も超える面白さで、ぐいぐい引っ張っていってくれる小説を、どんどん書いてもらいたい。もわらなくちゃいけない。絶対に。


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