noir revenant
ノワール・レヴナント

 操られているのだと分かってあなたは、心穏やかでいられるだろうか。導かれているのだと知ってあなたは、その道を躊躇わずに進んでいけるだろうか。

 浅倉秋成の「ノワール・レヴナント」(講談社BOX、1800円)に登場する2人の少年と2人の少女。日常生活で特につながりのない彼ら、彼女たちは、けれども4年前のある日、お告げのような声を聞き、それぞれに不思議な能力を持つようになった。

 1人は大須賀駿という少年で、人の背中にその人の幸福偏差値を現す数字が見えるようになった。例えば「52」とか「46」とか。30台だとよほどの不幸度らしく、すでに失敗して落ち込んでいたり、これから何か失敗をやらかす未来が待っている。

 逆に60を超えるようなら相当な幸福度。そしてあろうことか、真壁弥生という名のクラスメートの少女の背中に、「85」だなんてあり得ない数値を見て、駿はそれはいったいどんな幸福なのかと興味を抱いて声をかけ、親しくなっていっしょに出歩くようになる。そしてある日、弥生から「本当の幸せとは何か」を考えるイベントへの招待状を手渡され、自分の能力との因縁を感じて会場の東京ビッグサイトへと向かう。

 江崎純一郎という少年は、予言が聞こえる能力を持っていて、普段からその予言を手帳に書き留めて持ち歩いている。行きつけの喫茶店でマスターや、常連客のボブという男性と話をしたり、カードゲームを遊んで勝利を収めたりしているうちに、喫茶店に届いていた、世界の最先端を行く学者が勢ぞろいするというアカデミックエキスポへの招待状をもらい、怪しいと想いながらも会場となっている東京ビッグサイトへと赴く。

 2人いる少女のうちの1人、葵静葉は何でも壊してしまえる能力の持ち主だった。もちろん人も壊せるその力。心に浮かぶレバーをぐっと下げると、その下げた度合いによって壊れてしまうという。ボールペンならインクが出なくなったりバラバラになったり。その力を憤りから使った結果に恐怖し、好きだった音楽を止める決意をしたけれど、未だに興味のあったショパンの楽曲が聴けるイベントに参加できる招待状をもらったことから、東京ビッグサイトへと足を踏み入れる。

 そしてもう1人の三枝のんという少女は、小学生の時に公園で出合ったサッちゃんという少女から本を読む面白さを教えられ、本好きとなって今は1日に2万円とか買い込んだりすることもあった。そうやって買った本の隙間にはさまっていた招待状に書かれてあった、本のフェスティバルに参加しようと貯めていた20万円の現金を持って、4人の中では真っ先に東京ビッグサイトへとたどり着き、そこで後から来た3人と知り合う。

 まるで別々のイベントに参加する予定だった4人が、招待状に導かれて集まった東京ビッグサイトはもぬけの殻。それでも招待状についていた、近くにあるホテルへの4泊5日の宿泊予約はしっかりと残っていたため、集まった4人はそのホテルに泊まりながら、自分たちの身の上に何が起こったのか、ある日を境にそろって備わった不思議な力との関係はあるのか、その調査に乗り出す。

 招待状の主催者として明記されていたのは、日本でも有数のエレクトロニクス企業、ゼゾン電子。もっとも、当のレゾン電子に尋ねると、東京ビッグサイトでイベントを予定していたこともなければ、4人をホテルに招待したこともないという。それでも数少ない手がかりを求めて、4人のうちの駿とのんは、レゾン電子がカップルを対象に高級ハンドバッグをプレゼントするモニター調査に参加するという名目で、本社へと赴く。そこでのんは、本の中身を指で読みとる能力を発揮して、社員名簿を暗記してのける。

 一方、純一郎と静葉は招待状に書かれてあった住所を尋ねて田園調布へと赴く。案の定そこは空き地で、しばらく前に火事があったという。近所の人にたずねたり、新聞記事で調べたりするうちに、そこにあった家の持ち主の驚くべき正体を知り、4人への招待状が単なるいたずらではなく、何者かが彼ら彼女たちを操り、あるいは導いていたものだと知る。

 ささいな情報を拾い集め、関係する場所へと赴いたり、関連する情報を調べたりすることで、次の情報をたぐり寄せ、次の場所へとたどり着いていくステップは、証拠を積み重ね、推理を働かせて謎へと迫る探偵物に近い面白さ。また、それぞれの場面でアクシデントが起こったり、壁にぶつかったりした時に、そこにいる4人のうちの誰かの能力が発揮され、進展に大きくつながるところは、異能を扱ったSFアクションのような面白さがある。

 もっとも、そのアクシデントに最適な能力が、そこにいる4人の誰かにしっかりと備わっている偶然さから、4人が自分たちに与えられた能力に作為を覚え疑問を抱き、その役割を放棄しないという保証はない。能力を与えられた時に、脅されるような、すがるような声を聞いていたとしても、そのとおりに動く義理などないし、導かれるように連れて行かれた先で、誰かがこれはあやしいと感じ、理不尽を覚えて参加を拒否し、帰宅しても不思議はない。

 そして、ひとり1人が欠けるだけで事件は解決せず、何者かがそこまでして4人を導こうとしたある事態は、遂行されてしまうことになる。それはとてつもない事態。知ればどうにかしようとしたいという想いになるだろうし、過去にあったそうした無念が託さる形で、集められた4人が動くのも当然だろう。若さゆえの好奇心で誘い、それから誰かの思いを受け継がせる形で導いていく展開が、読んでこの奇蹟に納得の感覚を与えてくれれている。

 操られているのだと分かっても、彼ら彼女たちは、操っている存在への感情を尊び、なぜ操ろうとしているのかに感じ入って動いた。導かれているのだと知ったからこそ、余計にその導きに従って進み、大きな成果を成し遂げた。そうやって得られた達成感は、操られていたとか導かれていたといった受動的な感情からは得られない。切なさと愛しさを受け止め、能動的に進んだからこそ得られたもの。そう思えれば、運命や必然といった耳障りの良い言葉で、敷かれたレールの上を歩かされる時でも、何か前向きな気持ちになれるだろう。成し遂げたのは自分たちだと思えるだろう。

 事後、企みは砕かれ、幸せになったひとりの少女の姿に満足して、すべては終わったように見えた。もっとも、過去に1度だけトランプのゲームで自分を負かした兄を、しつこく追い続けてリベンジしようとする負けず嫌いの弟の性格と、それを敢えて強調するのうや捨てぜりふが、そのまま収まるとも思えない。何かある。また何か起こる。その時に再び4人は導かれるのか。誰か別の者が操られるのか。そして彼ら彼女たちはどんな想いをそこに感じ、どんな能力で戦うのか。

 読んでみたい。この続きを。


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