葵くんとシュレーディンガーの彼女たち

 過ぎる時間と、戻る時間とがぶつかり合う狭間に起こる、出会いと別れが過去を変え、未来を変えて人を幸せに導く傑作SFラブストーリー「天体少年。 さよならの軌道、さかさまの七夜」(メディアワークス文庫)で、SFファンの一部から注目を集めた渡来ななみが、今度もまた、SFに関わりの深そうな作品を刊行した。

 タイトルからして「葵くんとシュレーディンガーの彼女たち」(電撃文庫)といって、SFにも量子論の一例として登場する「シュレーディンガーの猫」からの引用がついたもの。中身の方も、箱を開けるまで生きているか死んでいるか分からない「シュレーディンガーの猫」に倣って、観測者の立場によって存在していたりいなかったりする、猫ならぬ少女たちの物語となっている。

 ここで観測者となるのは、タイトルにある葵くんという少年で、彼の意識が何人かいる少女たちの存在を左右する。どういうことかというと葵くんは、生まれながらに目覚めると前と違う世界に存在する不思議な性質を持っていた。幼い頃はそれと気づかず周囲を混乱させることもあった。

 昨日と今日とで幼稚園のクラスが違うことが、どうして子供に分かるのか。そこで幼なじみの真宝(まほう)という少女から教えられたのが、バッジの色だか形によってクラスが分けられているということ。それを知って子供心に今日はこのバッジだからこのクラスだと迷わないようになる。

 そうやって、だんだんと立場を理解するにつけ、あっちこっちに飛んでいた世界がだんだんと幾つかの世界に収束されて来て、最近は隣に真宝が住んでいるか、微笑(えむ)という上級生の少女が住んでいるかという世界を行ったり来たりするようになっていた。つまりはその2人にのみ関心があったということか? いずれにしても「ふたまた」であることには代わりがない。もしかすると、この少女と絞ることが出来ない葵くんの優柔不断が、多世界を生んだのかしれない。

 それでも、行ったり来たりを戸惑わない範囲で暮らしていた葵くんの日常に変化が起こる。きっかけはささいなこと。真宝が熱心に活動している演劇部の出し物のアイディアに詰まった時、彼女にパラレルワールドをテーマにしたらと助言する。そして葵くんが目覚めると、隣家に舞花という少女が住んでいる世界に飛んでしまっていた。

 不思議なことに、今までは少年だけが見知っていても、そこに暮らす人にはまるで無関係だったパラレルワールドの存在が、この舞花という少女はすべて知り尽くしていた。舞花が言うには彼女は多世界観測者で、あらゆる世界に存在する自分と意識を共有しているのだという。

 そして葵くんは観測者。その気持ちが世界を変化させる。あるいは自身が望む世界へと移ってしまう。そして世界は歪み始める。いやむしろと整えられるといったところか。

 真宝といたい。そして微笑ともいたいという気持ちが重なり合って、世界の収束が始まってしまう。なおかつ揺れる葵くんの心で、世界はやがて崩壊の危機にすら直面する。それは拙いと葵くんは決意し動いて世界を導く。どちらへ? スリリングな展開を楽しみそして、どういう決着を迎えるのかを想像したい。

 繰り広げられている量子論とか多世界解釈とかいった理論が、そのまま当てはまるかどうかは難しすぎて分からない。観測者の葵くんが一人称として存在しているけれど、別の世界の葵はだったらどう考えているのか、観測者としての力は持っていないのか、その意思がぶつかり合ったりしたら混乱はなお酷くなるのか等々、考えると夜寝られなってしまうくらいに難しいことが多すぎる。

 ただ、考えようによっては、例えば意志によって世界を選べるとして、それが幾つにも別れていた時に世界はどういう形になるか、そして揺れる心理の中で決断を迫られた時にどうすべきか、ということは伝わってくる。結論からいえば「ふたまた良くない」ということだけれど、葵くんの場合「みつまた」だからなあ。もっと自分の意志で選べよとはいいたくなる。

 あと、観測者による世界の収束から、舞花のような多世界観測者は逃れ得るのかとうかとか、分からないところもあるけど、そうした思考実験を余儀なくされるところも含めて意欲的な作品であることは確か。量子論に詳しい人は是非に挑戦を。そして解明を。

 前作では時間に、そして今作で次元に挑んだ度来みらいには、SFファンがよく観測するフィールドで作品を書いてほしいもの。そうでなければ存在にすら気づかれないまま、どちらともつかないで漂い続けるシュレーディンガー的な現状が続いてしまうから。それでも構わないのだけれど、やはり知って欲しいこの異才。今度こそ。


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