そんなこんなで、そろそろ一年生のパートも決まろうかというころ、昼休みがおわっても、おれたちは部室に残っていた。
といっても、別にさぼってたわけじゃないよ、自習だったんだよ、ほんとに。まあ、約一名、さぼっていたひとがいるのを否定するつもりはないけど・・・
というのもこの日は午後の五、六時限が、二クラス自習だったんだ。それで、健朗、桑原、近藤、雁部、藤森におれ、それから授業さぼった滝口が、部室に残ったわけ。
いつもなら自習となると部室でマージャン、バドミントンと遊びまくっているおれたちも、このごろの部の状態を考えるととても部室で遊ぶような気分じゃない。なんかおもいっきり大声を上げて、このうっぷんを晴らしたい。
「よし、花見に行くか」、
健朗が言い出した。そうだ、もう四月も終わりごろ、花だって見に行かないとおわっちゃうんだ。
きまった。お花見に行く。
お花見といえば大宮公園。そろそろ新入生歓迎レクの季節だからその下見もかねて、なんていいかげんな理由をつけておれたちは大宮公園へ行くことにした。
「おい、滝口。お前はいいのかよ、授業あるんだろ」
「かんけいないって、見つかんなきゃいいんだよ」
ったく、こんなことばっかやってるから先生にめぇつけられるんだよってか。
というわけでその三分後、おれたちはがっこを抜け出して、自転車に乗っていた。とうぜん二人乗りで、途中でジュースを買って大宮公園へひとっ走り。
平日だというのに、花見の客はかなりいた。ほんとにみんなヒマなんだなあ。よく見ると、もうできあがっている集団もあって、毎年ここに来るゴールデンウィークのころとはかなりちがった眺めだった。
「ここらへんにしようぜ」
健朗が場所をみつけた。うん、いい場所だ。ほそい道路で区切られているブロックの、ちょうど真ん中あたりの、ちょっと小高くなっているあたりだった。
「おい、なんかひくものない」
そうだった。滝口に言われて気がついたけど、きのう雨が降ったばかりの公園の土は、まだいくらか湿っていた。つるつるすべるほどじゃないんだけど、このまますわるにはちょっと湿っぽすぎた。みんな制服だったしね。
「あそこの貸しござ、つかう?」
藤森が指さしたほうを見ると、あった。貸しござの出店が大きく出てた。そして、そこにいるのはみーんなパンチパーマのお兄さん。うっ・・・どうしよう。
「どうしようったってしょうがないじゃん。あれしかないんだから」
いつもクールな近藤の一言で決まった。あの貸しござを使う。
じゃんけんぽん!
みんな必死だった。なにしろ負けたらパンチパーマのお兄さんのところにいかなくっちゃいけないんだから。
じゃんけんぽん、あいこでしょ。
「やったやった、ざまあみろ」
「うゎっ、ちくしょう」
負けたのは桑原と近藤。ぶちぶち文句を言っている。
「おい、はやくしろよ、座りたいんだよ」
自分に責任がなくなると、途端に態度がでかくなる健朗がでかい声でさいそくする。
「分かったよ、うるさいな」
いくらくやしがってみても、やっぱり負けちゃったものはしょうがない。渋る桑原を、「時間がないんだよ」の一言で打ちのめして、パンチパーマのお兄さんがたむろしている貸しござの屋台に向かわせた。
「あー、こわかった、死ぬかと思った」
無事に生きて返った桑原が騒いだ。じろっとにらまれて、ものすごくこわかったそう だ。じろっとにらまれて、『一枚百五十円』なんだ良心的じゃないか、と安心した矢先、『汚すなよ』ときた。そりゃあだれでもびびるって・・・。
さて、時間もないし、ここらでいっちょう、盛り上がりますか。ということになった。あたりまえだよね、そのために来たんだから。
「いちばん、星野健朗、歌います」
やれやれ、と最初に歌い出したのは、やっぱり健朗だった。
レベッカのフレンズ
♪接吻を 交した日は ママの顔 さえも見れなかった〜
ちょうしっぱずれの声で、叫ぶようにうたい出す。おいおい、素面だぞ、ほんとかよ、ったく。
ええい、こうなったらしょうがない、最初に健朗と一体化したものの勝ちだ。
♪どこでこわれたの OH フレンズ〜
さびからはみんなでうたい出した。みんな考えることはおんなじか。まあいい、みんなで盛り上がろうぜぃ!
タラァ〜ラ〜ララ〜 ララ〜ララ〜〜ララ〜
二コ−ラス目からはもう、歌なんてもんじゃない、みんな歌詩なんて入ってないから、ラララでごまかして、さびだけ OH フレンズ〜 だもん、それをみんな声を振りあげて叫びまくるんだ。まあ、フツ−の人が見たら、素面なんて信じてもらえないね、きっと。
おい、うるさいぞ。さっそくとなりで飲んでたおっちゃんたちからチェックが入った。でも、そんなことでは誰もひるまない。もっともっと大きな声をはりあげる。
♪OH 悲劇の ポップスタ−〜
歌謡曲メドレ−だ、ざまあみろ、まいったか。
こうなったらもう止まらない。みんな自分の知ってる曲をこれでもかこれでもかと、次々にうたい出す。
「あれ、いま通っていったのは確か・・・」
公園内のせまい道をチャリで走り去ったのは確か、おんなじクラスの大江君だったような気が・・・ あの、知らない人を見るような、怯えたような目は一体何だったのだろう。ええい、いまから考えても遅いって。
いまや宴たけなわ、すっかり盛り上がって、みんなの心はスキだらけ、そして、そのスキを見逃さずに、悲劇はやってきた。
コトッ
コップの倒れる、この小さい音が、宴会の空気を凍らせた。ヤバい、パンチパーマのおお兄さんの顔がチラついた。ど、どうしよう・・・
「汚すなよって、たしかニラまれたような気が・・・」
おいおい桑原、いまから言っても遅いって。
「おい、ティッシュ。テイッシュはどこだ」
みんなであせりまくっていた。なにしろ相手はパンチパーマのお兄さん。こりゃあマジだぜ。
そんなときだった。何か知らんけど、もうすっかり出来上がったおじさんがやって来て、いきなり、
「おい、火ぃかしてくれよ」
これは驚いた。だってそうでしょう、こんな時間に、こんなところにいるからっていっても、おれらはちゃんと制服を着た高校生だよ。そんないたいけな高校生に火をねだる か。普通。
「いやちょっと、いまはもってないんですけど」
いち早く立ち直った健朗が、相手になった。交際範囲の広い健朗は、こういうことにもなれている。
「そうか、いまは持ってないのか」
おじさんはなおもしつこくからんでくる。おいおい、どうするよ。みんなの頼るような視線が、健朗に集まる。みんなの期待を裏切るなよ、健朗。
そんなみんなの視線を敏感に察したのだろう、おじさんの攻撃が、健朗ひとりに集中する。
「煙草、吸うんだろ、大将」
おっと、いきなり真正面からのストレート攻撃。おじさんの率直な問いかけに、健朗が返事に困った。
「まっ、まさか。僕たち高校生ですよ、こまっちゃうなあ、煙草なんて。三年早いっすよ、三年」
「そうか、わしなんか幼稚園のころから吸っとったぞ。なにしろ不良だったからな」
「そうですか、幼稚園とは、早いですねえ」
ようやく話を合せるこつを覚えた健朗が、調子よく応対する。
その間、おれらはティッシュでよごれたござを拭くのに必死だった。出来上がったおっさんの相手も大変だけど、パンチパーマのお兄ちゃんのこわい顔のほうが、もっと重大な問題だった。みんな、おっさんの話を一生懸命に聞くふりをしながら、もっとティッシュはないかと、目で捜し続けていた。
「男はな、不良じゃなくちゃいかん。俺の子供はな、今年から幼稚園にいってるんだけどな、もう酒飲むよ」
おいおい、そりゃあおやじの教育だろって。
「だからな、大将。みんなもそうだけど、もっと不良になんなきゃ」
なんか話が変なほうにいっちゃったぞ。まあいいか、健朗が何とかしてくれるだろう。俺達はみんな、いつの間にか大将と呼ばれている健朗を、内心そのとおりだと思いながら見ていた。みんなの大将、健朗。そのとおりだ。おじさん見る目あるじゃん。
話が盛り上がってるほうはいいとして、さっきから滝口がちらちらと腕の時計を横目に見ている。なんだこいつ、退屈してるのかな。駄目だよ、おじさんの話はみんなでうんうんいいながら聞かなくちゃ。
「おい、これ吸いなよ、大将」
あぁあっ、おじさんたら、煙草までもちだしてきちゃったよ。こっちは制服着てるの、ちゃんと考えてほしいよなあ。
調子良く聞いてしてた健朗も、こればっかりは困った様子で、こっちに助けを求めてる。その健朗に向かって、滝口がさかんに腕を指した。滝口につられてみんなも時計を見た。
二時四十五分
あれっ、これってもしかして、やばいんじゃないの。午後の部活って、三時十五分からだよねえ。
みんなが気が付いた。このままじゃあ練習に間に合わない。今日はかっちゃんくる日じゃないけど、花見で遅れたなんて、しゃれにならない。人のこと何にも言えない。
「大将、これ吸いなよ、おごるからさ」
おじさんはなおも健朗を困らせている。健朗も時間には気いいいていた。話もあせっている。
「吸いたいんだけど、火が・・・」
「んっ、そうか、ライター持ってないのか」
おじさんはふところを探って、やっとマッチを一箱ひっぱり出した。うそ、ほんとに吸うわけ、ちょっとやばいんじゃないの。
おじさんがマッチの箱を開けた。一本。よれよれの箱に入っていたマッチは、一本だけだった。
「しょうがないなあ。最後の一本で、大将に火をつけてやるか」
おじさんおじさん、そんなことしなくてもいいから、自分で煙草吸いなって。
おじさんは最後のマッチを、よれよれの箱にこすりつけた。
ぼきっ
マッチの棒が半分に折れた。ラッキー。みんなの顔にほっとした表情がはしった。これでもう煙草を吸わなくてもいい。
でも、おじさんはへこたれない。せっかく折れたマッチの棒を、りちぎに拾って、もう一回こすりつけている。ジャッ、ジャッ。でも、よれよれの箱からは、なかなか火がつかない。二回、三回、まだつかない。つくなつくな、つかなくていいぞ。四回、五回、うっ、ついた。
「ほらついた」
おじさんが得意そうに顔をあげた。もう駄目だ。健朗も観念したように煙草を口にくわえた。おじさんの手の、火のついたマッチが、健朗の口に近づいてくる。火をつけるおじさんの、うれしそうな顔。
あちっ!
その時、おじさんの手から突然マッチが離れた。半分に折れたマッチの軸が燃え尽きて、熱くなったんだ。
「大将、ごめんよ、火がなくなっちまった」
おじさんは、頭を掻いて、本当にすまなそうに謝った。
「いえいえ、気にしなくていいっすよ、そんなこと」健朗が如才なくうけこたえする。
「それより大将、俺らちいっと時間が気になってんですけど」
「そうかそうか、そりゃあすまなかったな。じゃあ、今度あったときは、ちゃんと酒飲もうな」
おじさんは、なんかさみしそうに、それでも素直に帰っていった。
さて、おじさんも帰ったことだし、時間もないことだし、部室に帰るとするか。
「ちょっとそのまえに」だれかが言った。みんなが意識的に忘れていた、いや、忘れようとしていたあのことを。
「だれがござ、返すの」
だれもなんにも答えなかった。そりゃそうだ。コーラで汚れたござを、パンチパーマのお兄さんのところに返しに行きたいやつなんて、いるもんか。だけど俺等には、時間がなかった。これからがっこまで、必死こいて走らなきゃいけないんだ。パンチパーマのお兄さんもこわいけど、保の説教のほうがもっとこわい。
再び、
じゃんけんぽん
決まった。桑原と藤森。
「げ、またかよ」桑原の抗議の叫びを無視して、他のみんなは、さっさと学校へと向かった。不幸な二人は、もう一度ござを良くふいてから、くるくると巻いて、わきに抱えて歩きだした。
とぼとぼと出店に向かう二人を、それでも遠巻きに見つめていた俺等にとって、不安の一瞬は、けっこう長かった。藤森と桑原が、帰ってこない。
「やばいんじゃん」
「奥に連れ込まれたらどうしよう」
緊張感はあっても、現実感に欠ける会話を交わしながら、みんなはただ待っていた。
遠くに見える、桑原たちとパンチパーマのお兄ちゃんたちの会話は、いつまでも続いていた。みんな、時計をちらちら見ながら、それでも「俺、行ってくる」とはいわなかった。
そろそろ三時になる。たまりかねて健朗が、「俺、ちょっと行ってくる」といいかけたとき、藤森と桑原が、ようやくこちらに歩いてきた。疲れたような、ほっとしたような顔をして。
「なあんだ、案ずるより産むが安しじゃん」思わずつぶやいた滝口にむかって、「ならお前が行ってみろ」といった顔で藤森がにらみつけてたけど、俺等はかまわず、がっこへと走った。
「おれさ、もしあのままだったら、吸っちゃおうと思ってたのによ」
「でも、あそこに保か雁部がいなくてよかったな」
走りながら、みんな勝手なことをいっていた。
息を切らせながら、部室の扉を開けたとき、保がすごい顔をして二年生の出席をとっていた。俺らはみんな、三年生になってよかったと、心から思った。