練習番号一


 


 新学期が始まった。新しい制服の一年生が、中だるみの学年といわれる二年生が、受験の学年、三年生が、それぞれ少しづつ緊張して、慣れない教室を、それでもやっぱり我が物顔でのし歩いている。
 我が大高ブラバンは、この時期いつもいそがしい。新入生の勧誘もしなくちゃいけないし、コンクールへの準備も始まっている。それにもう一つ、重大な、そしていちばんやっかいな問題が控えている。とても二、三日前に終った演奏会のよいんに浸っているヒマなんてない。
 いちばんやっかいな問題。そう、まあうちの代だけってわけじゃあないけど、なんか大きな行事のあとで必ず出てくるんだよね、この問題。なにって? もちろんアレ、退部、タ・イ・ブ。
 とくにおれらの代は、いつでもそのことでもめて来て、そのことにかけちゃあかなり有名なんだ。別に名誉なことでも何でもないけど。
 まあ、四回も演奏会やった代なんて俺らだけだし、それだけハードな練習をしてきたからってこともあるんだろうけど、三十四人もいた仲間が十人もへっちゃったらやっぱり異常だよ。悲しいよ。ホント。
 だからもう一人も減らしたくない、いや、減らせない。
 でも……
 やっぱりいるんだよ。そういう人が。
 

・・・というわけで、われわればかやつらの男どもは、むしゃくしゃする気持を押えるために、朝練終了後も部室にいた。藤森が、桑原が、健朗が、部室のきたない緑のじゅうたんにペタッと坐り込み、一つ、二つとためいきをついている。
 ったく、どうかしてるよな、あと半年なのによう」
 ホント、みんなが困るの知ってて言ってるんだぜ。楽しんでるんじゃないのかな。
 荒れていた。おれらはどうしようもなく荒れていた。だって今だって二十五人しかいないのに、またやめるっていってる奴がいるんだぜ、信じられないよ、まったく。
「どうするんだろ、女の子、ほんとに一人もいなくなっちゃうんじゃないの?」
 おいおい、藤森。さびしいこと言うなよ。信じようぜ。いままでいっしょにやって来たんだから。
「でもさあ、今度はなんか本気っぽいよ。美和ちゃんだってケンちゃんがやめればやめ るっていってるし、そしたら小池だって田村だってやめちゃうよ」
 ちくしょう、なんでなんだろ。そんなにいやな部か、ここは。そんなに、そんなに、そんなに・・・
 部室の緑のカーペットをいじりながら、おれらはだんだん暗くなってきた。冗談じゃない。女の子全部ぬけちゃったら、こんな部なんて解散だ。みんなで出なきゃコンクールなんて何の意味もないんだから。
「もし、女の子全部やめちゃったらさ、俺も、やめるから」
 ばかやろーって殴ってやりたかった。仲間だろ、本気か? 男だけになったって、最後まで続けようっていってくれよ。
 でも、だめだった。そんなことできなかった。だって、みんないなくなったこの部で、それでも最後までやり続けることなんて、やっぱり出来そうにもなかったから・・・
「そんなこというなよ、みんなでコンクール出ようよ」
 それだけしか言えなかった。
「まったく何考えてるんだろ、うちの女子は」
 いまいましそうに近藤が言う。マイ・ペースを守るパーカッションの連中は、この問題にいらだっている。自分と違う価値観を認めないで生きていける人間は、幸せだ。
「話し合いで決着なんかつかないってことはさ、分かってるんだよな」
 いつも保は一般論を話す。そんなことは誰だって分かってるんだよ。だからどうすればいいかを考えてるんじゃないか。
「そうだよ、俺だって考えてるよ」
 こいつと話すと、いつも疲れる。

 バタン
 突然の音にびっくりしておれらは振り返った。

「やばい!」
 そうだ、俺達は授業サボッてるんだっけ。
 やばい……本気でそう思った――何せこの部は、先生方に嫌われているんだ――みんなは、でもどうしようもないままじっと息を殺して、ただ待っていた。
 バタッ
 ドアの閉まる音がして、現われたのは、先生じゃなくて小池だった。小池はドアが閉まるなり泣きじゃくり始めた。
「パルがやめるっていうの、今度は本気みたい」
 パルこと岡田は、いつもやめるのやめないのって繰り返している。いいかげんまたかっていいたくもなるけど、今度は本気だっていわれるとやっぱり弱いよ。男はつらいよ、ってか。
 男はこんな調子でふざけててもいいけど、大変なのが女の子。とくに同じホルンパートの小池と荒木は毎度のことながらパニック寸前。副部長をしている荒木なんかはもう本当にパニック。今回なんかは小池でもパニックに陥るくらいだから荒木なんかはパニックの二乗、パニックパニックだ。
 なんてつまらないギャグでごまかしたい気持は分かるけど、そんなことしている場合 じゃない。タイムリミットがせまってきているんだ。
 そう、今度という今度は、ほんとの最後、あとはコンクールしか残ってないんだ。
 俺達はそれぞれ、自分の思いをぶちまけたかったけど、いまは小池をなぐさめるほうが先決だった。

 午後の活動が始まった。
 部長の保が出席をとっていく。浅川、雁部・・・星野。男子はいつも、ほとんど全員そろっている。そして女子、荒木、ハイ。池田、・・・。石山、・・・。岩下、ハイ。岡田、・・・。小池、ハイ。後藤、ハイ。須田、・・・。高橋、・・・。田村、・・・。野村、・・・。平石、・・・。
 十二人のうち、来ているのが五人。石山は病気で休んでるし、池田は家の人と揉めているらしいけど、あとの人は、いつもあとからくるんだ。
 ったく。
 俺達はいつも悔しい。二年生はきちんとそろっているのに、何でこんなにだらしないんだろう。それに、一年生だって見学に来ているっていうのに。
 保の簡単な連絡がおわって、おれらは楽器とメトロノームを連れてパート練習にでかける。部室はパーカッションパートのものだ。ホーンが部室を使うのは、週二回の合奏の日だけだ。
 パート練習はいつも教室でやっている。おれらブラバンは、あたりまえのことだけど大きい音を出す。だからほかの部の連中には、うけが悪い。とくに放課後の教室でうろうろしている帰宅部のような連中には、まったくうけが悪い。まあ、しょうがないけどね。
 パート練習の教室割は、きまっている。まえまでは早いもの勝ちだったけど、教室がみつからなくてうろうろさ迷うのは、時間の無駄だからって、そう決まったんだ。
 練習時間は、平日で三時半から五時十分まで、そのあとみんな六時半くらいまで部室にのこって個人練習をしていくけど、パート練習は二時間くらいしかない。そのみじかい時間を、教室の奪いあいで無駄にしてたら、くだらないもんね。
 そんなわけで、みんな自分の教室に楽器をもって散っていった。
 はじめに音が聞こえてくるのはトランペット。かっちゃん期待の星、雁部選手率いるラッパパートは、渡り廊下の屋上に陣取って、軽いウォームアップのあと、ハーフスケールのロングトーンを始める。
 そのころになって、皆がパートで音を出し始める。金管はリップスラー、ロングトーン、そして木管はスケールの練習。春演がおわってすぐなので、コンクールの曲も決まっていないから、どうしても基礎練習が主になる。単調な、苦しい練習だ。
 ぼちぼち一年生がパート見学に来て、おれらの練習にもいちだんと熱がはいった。なにしろ新入生が見てる手前、手抜きなんかしたら、自分のパートにはいってくれなくなっちゃうもんね。
 練習に熱がはいれば一時間半なんて死ぬほどすぐだ。あっという間に時間になって、おれらは楽器をかかえて部室にもどった。
 帰りのミーティングが始まる。
 まずは遅刻者の理由調べから。岡田、私用です。須田、私用です。高橋、掃除で遅れました。・・・始まるときにいなかった女の子も、もうほとんどそろっている。
 ったく、こんなことでどうするんだよ。下級生がみてるんだよ。
 パー練で一瞬不安を忘れたおれらも、このミーティングでまた嫌な気分になってしまった。
 冗談じゃないよ。ほんとに・・・
 


  おれらの夏は、まだまだ続きます。
 もし、よかったら、またつきあってください。
 そして、おれらにメイル、くれるとうれしいな。
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