子供のころにぼくが住んでいた街に、高速道路が通って、放課後、毎日のようにあそんでいた山に、トンネルという穴があいた。
そのトンネルを、クルマで通る機会があったのだけれども。
おかしな感じだね。きっとこの真上に、ぼくがむかし、ダンボールで基地をつくって、銀玉鉄砲で戦争ごっこをしてたんだろうな、とか、かもしかの足跡みたのは、この辺かな、とか考えながら走るのって。
高速道路から見おろす街の夜景は、どこも代わりばえがしなくって、たいしてなつかしいとかも思わないのだけれど、でもあの山だけはちょっと特別。
やまってさ、いいよ。
べつに富士山じゃなくったって、百名山じゃなくったっていいけど、近くにいて、いつも見上げることのできる、山。見上げるっていうのは大切で、樹の一本一本が見える距離にあるっていうこと。富士山だってここからみたら、見上げるというよりは、目の高さにあるしね。
そういう距離にあるやまって、いいよ。季節の変わり目とか、空気のきれいさとか、雲の高さとか、そういうことを教えてくれて。別に構えたかっこうをして頂上まで行かなくたって、麓の神社の杜であそんだってもうそこは山の中で、ひんやりとした静かな空気が迎えてくれる。
かつて、そういうことを教えてくれたお山の中に自分がいまいると思うと、ほんとうに不思議な気分。
おなかに穴あけられて、ほんとうに大丈夫なの? なんにも影響はないの? 湧き水はちゃんとでてる? 木は枯れてない?
もしあのトンネルが、ぼくのお山になにか悪さをするのなら、ぼくはもう、あの道を通らないよ。
P.S. ほんとうは別にここで話題にするつもりはまったくなかったのだけれども、ぼくにとっては驚くほどたくさんの何人かの人ににお祝いの言葉をいただいてしまって。
先日、ひとつ歳をとりました。
若僧、と呼ばれる期間がどんどん短くなっていくのはこわいけれど、この一年で、いまよりも少しは大人になれるといいな、っておもいます。
お祝いをしてくれた方々、ほんとうにありがとうございました。