記号論としてのニックネーム 



 

 怒っているのだ。

 神戸の小学生殺人事件に対して。
 いや、その事件に対する、世間の動きに対して、ほんとに怒っているのだ。
 まず、インターネットで流れたサカキバラの本名と顔写真に対して。それをよろこんで見に行って、挙げ句の果てに写真をプリントアウトして母へのみやげだという同僚に対して。
 サカキバラというのは、記号である。文字列それ自体は意味を持たないが、今回の事件の首謀者であるらしい。
 ネットの中でみんなが奔走した、サカキバラの本名というのは、それならばなにか。
 それだって記号である。
 本名を聞いて個人を特定できるものは、奔走しなくたってサカキバラの本名は知っている。だから、本名にはまったく意味がない。サカキバラと同義である。記号を記号であると気づかず、好奇心で確実にひとを傷つける、このインターネットのただ乗り客は、許せない。

 それから、子供に、ひとを殺すのはよくないことだ、だけでなくて、どうしてよくないことなのかを教えなければダメだ、としたり顔でいう説教臭いニュース番組のキャスターに対して。
 どうして、ひとを殺してはいけないのか。この問いを正面から突きつけられて、答えられるものがいるのか。
 ホラー映画の中だけでなく、ニュース番組の中でさえ、毎日夥しい死の報道が流れている世の中で、どうしてひとを殺してはダメなのか教えられるのか。
 そもそも、ひとを殺すのは、ほんとうにいけないことなのか。
 世間一般の常識を、何もかみ砕かず、何も判断していないくせに、良識派の代表を気取るキャスターは、やっぱり許せない。

 さいごに、加害者の人権は保護されるのに、被害者の人権が保護されないのはおかしい、といって加害者の顔写真をプリントして配った学校の先生。
 それは正しい、と思うよ。この、うそと噂に惑わされた事件の中で、数少ないほんとうのことだよ。
 ただ、やり方はちがったかもしれないね。でも、おれは応援するよ。

(サカキバラの名前を出しただけでつぶされるホームページが多い中、ページのアドレスを変更したのは、決してこの文章のためではありません)

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