塩野七生著作のページ No.2


「ローマ人の物語」刊行概要(1992〜2006)

11.賢帝の世紀−ローマ人の物語(文庫版)24〜26−

12.すべての道はローマに通ず−ローマ人の物語10−

13.終わりの始まり−ローマ人の物語(文庫版)29〜31−

14.迷走する帝国−ローマ人の物語(文庫版)32〜34−

15.最後の努力−ローマ人の物語(文庫版)35〜37−

16.キリストの勝利−ローマ人の物語(文庫版)38〜40−

17.ローマ世界の終焉−ローマ人の物語15−

18.塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック(新潮社編)

19.ローマ亡き後の地中海世界(上)

20.ローマ亡き後の地中海世界(下)


【著者歴】、海の都の物語・続海の都の物語、マキアヴェッリ語録、ローマは一日にして成らず、ハンニバル戦記、勝者の混迷、ユリウス・カエサル−ルビコン以前、ユリウス・カエサル−ルビコン以後、パクス・ロマーナ、悪名高き皇帝たち、危機と克服

 → 塩野七生著作のページ No.1


絵で見る十字軍物語、十字軍物語1、十字軍物語2、十字軍物語3、想いの軌跡、皇帝フリードリッヒ二世の生涯、ギリシア人の物語1、ギリシア人の物語2 、ギリシア人の物語3

 → 塩野七生著作のページ No.3


小説イタリア・ルネサンス(1〜4)

 → 塩野七生著作のページ No.4

 


  

11.

●「賢帝の世紀(上中下)」● ★★☆
 −ローマ人の物語(文庫版) 24〜26−


賢帝の世紀画像

2000年09月
新潮社刊


2006年09月
新潮文庫

(476円+税)
(362円+税)
(400円+税)

 

2006/11/17

 

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まずトライアヌス
初めての属州出身皇帝。カエサルアウグストゥスのような天才肌ではないけれど、見識、能力、人物性すべてにおいて傑出した人物だったようです。とくに元老院を表面的にたてて関係は良好だったということですから、その苦労人ぶりが判るというもの。
トライアヌスについて印象に強く残ったことは2つ。
建築家アポロドロスと組んで、ダキア戦争における戦略的な橋、ローマ帝国内での公共建築物等々、ローマ的な建築物において目覚しい実績を残した点。戦争での成果より、遺した建築物による実績の方が印象度が強いぐらいですから可笑しくなります。
もうひとつは、トライアヌスの妻を初めとして身内の女性たちが一様に控えめで地味だったこと。身近な女性によって足をすくわれることがなかったというのは、傑出した人物にとって何と幸いなことでしょう。
何でそんなに頑張ったの? 初の属州出身皇帝だったから?という塩野さんの問いかけのお陰で、トライアヌスという人物がぐっと身近に感じられるようになりました。

次いでハドリアヌス。ハドリアヌスも秀でた人物だったのでしょうけれど、トライアヌスが後見人となっていた事実も大きい。
ギリシアかぶれの観あるハドリアヌスより、叩き上げの苦労人、でもバランス感覚の優れたトライアヌスの方が好きですねぇ。ついつい両者を比較してしまいます。
それでも治世の大半を使ってローマ帝国内の辺境を全て視察して回ったという功績は大きいし、それと対照的な晩年の偏執ぶりという点の合わせて、ハドリアヌス帝の存在感が大きいのは間違いなし。
最後のアントニヌス帝「慈悲深い(ピウス)」と言われた人物ですが、そうでいられたのもトライアヌス、ハドリアヌスという先帝の頑張りがあったからこそ。
「五賢帝時代」と一口に言ってしまいますが、人物像およびその果たした役割とも各々随分と異なっていたのだなァと実感。
そう実感できるのも塩野さんの鮮やかな人物評があってのこと。改めて塩野さんの見事な手並みに舌を巻きます。

第一部 皇帝トライアヌス (在位 98-117年)
第二部 皇帝ハドリアヌス(在位117-138年)
第三部 皇帝アントニヌス・ピウス(在位138-161年)

  

12.

●「すべての道はローマに通ず−ローマ人の物語10−」● ★★★


すべての道はローマに通ず画像j

2001年12月
新潮社刊

(3000円+税)


終わりの始まり画像

2006年10月
新潮文庫化
(No.27/28)

 

2002/01/30

 

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「ローマ人の物語」刊行以来、本書が始めて読むその1冊となりました。シリーズの中でローマ帝国のインフラ(社会基盤)を取り上げた本書は、それだけ興味深く、惹きつけられます。

ローマ帝国の歴史をとりあげた古今の名著というと、ギボン「ローマ帝国衰亡史が名高いのは言うまでもないことですが、実はそのギボン「衰亡史」に一番欠けていたのが、経済・社会基盤の部分です。
「すべての道はローマに通ず」、これは本書第10巻の題名でもありますが、これまでは単にローマの繁栄ぶりを表わす言葉という程度にしか受け止めていませんでした。ところが、本書を読むとまるで違うのです!
ローマ帝国が土木国家でもあったことは認識していましたが、これ程までに社会基盤整備に熱心だったとは、思ってもみませんでした。その象徴ともなるものが、ローマ街道であり、ローマ水道です。
共和政時代より石造りの堅固なローマ街道敷設を進め、ローマ帝国拡大に合わせて帝国領土内へネットワークのようにローマ街道をはりめぐらせていく。その労力たるや想像もつかない規模ですが、その結果として経済流通が盛んとなり、属州のローマ帝国への同化が進む。故にローマ帝国は何世紀にも及び繁栄することができたと、塩野さんは説明しています。ですから「すべての道はローマに通ず」は象徴的な言葉だったのではなく、事実そのままにローマ街道の存在を語った言葉なのです。この事実には、感動に近い興奮を覚えます。

そして、ローマ水道。これまた、素晴らしい。
ローマ街道が軍用道路としての目的を第一に建設されたのに対し、水道はローマ市民に資するもの、まさに社会基盤整備そのものに他なりません。ローマが水に不足していた都市という訳ではなく、ティベレ川、井戸もそれなりに確保できていた都市であるにも拘わらず、さらに水道を建設したということが凄い。
その根底に、人は人らしく生活する権利がある、という考え方がしっかりあったというのですから、その面では、現代国家よりはるかにローマ帝国の方が上だったのではないか、と感じざるを得ません。
そして、それはローマ本国内に留まらず、属州各地に対しても適用された訳ですから、ローマ人のオープンな考え方には驚くばかりです。

本書は、ローマ街道、水道に主眼を置きながら、さらにインフラのソフト面として、医療、教育等へと話をひろげていきます。また、巻末に地図、写真等の資料が、ふんだんに収録されているのも魅力。
本書は、他の歴史書ではあまり詳細に触れられることのない部分に的を絞って書かれたものです。
私は本書1冊しか読んでいないので口幅ったいことですが、他の巻はともかくとしても、是非本書を読むことをお勧めします。
本書1冊だけでも、ローマは十分に面白い。興奮すること請け合いです。

第1部・・・ハードなインフラ:街道/道/それを使った人々/水道/
第2部・・・ソフトなインフラ:医療/教育/
おわりに/巻末カラー

 

13.

●「終わりの始まり(上中下)」● ★★☆
 −ローマ人の物語(文庫版) 29〜31−


迷走する帝国画像

2002年12月
新潮社刊


2007年09月
新潮文庫

(438円+税)
(400円+税)
(362円+税)

 

2007/09/27

 

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ギボン「ローマ帝国衰亡史を読んで以来、パクスロマーナと呼ばれていた五賢帝時代にこそローマ衰退の萌芽があった、と思っていましたが、本書は塩野さんがその点を鋭く突いた巻。

長男コモドゥスへ皇帝位を譲渡したマルクス・アウレリウスに問題があったとこれまで思っていましたが、その前皇帝アントニヌス・ピウスからそれは始まっていたと考えるべきらしい。
指導者たつ人は、ただ善良、慈悲深い(=ピウス)というだけでは足りないのです。トライアヌス、ハドリアヌスまではローマ帝国の辺境まで足を運んだが、アントニヌス・ピウスは初めてローマを離れないまま皇帝の職務を全うした人物。
それだけ平和だったということですが、平和はいつ崩れるか判らない。そしてそれは、マルクス・アウレリウスの時代になって蛮族の侵入、帝国防衛ラインの危機という現実となって現れる。
長く続いた平和に安心しきって、万が一の場合に備えるという危機意識までどこかに忘れてしまう、まるで現代におけるどこかの国家のようです。塩野さんは「抑止力」という言葉を用いてローマの防衛体制を評していますが、そうした現代に通じる塩野さんの眼力には毎度毎度目を見張らされます。

そのマルクス・アウレリウスが皇帝位を譲った実子コモドゥス、極めて悪帝だったことからさすがの賢帝もローマ衰退の原因をもたらしたと非難される訳ですが、塩野さんは他の選択肢は現実になかったのだと父帝を弁護します。
ひとつには、前4賢帝の場合男子を持たなかった故に「息子は選べないが後継者は選べる」(ハドリアヌス言)ことができたが、実子がいる以上内乱を防ぐためにはコモドゥスを指名する他なかった、また指名時点で未だ20歳にもならないコモドゥスに皇帝不適格という兆候は見られなかった、と。

そしてコモドゥス後に生じる内乱の時代。
マルクス・アウレリウスまでの皇帝とセヴェルス以降の皇帝との違いを「矜持」の一言で評してしまう塩野さんの見事さには、痺れるくらいに魅了されます。
そしてもうひとつ、「もしかしたら人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっていると言ってもよいのかもしれない」という一言も忘れられません。ただし、そう思えるのも、本書を読み終えてその時代の大変動を知ったからこそのこと。

第一部 皇帝マルクス・アウレリウス(在位161-180年)
第二部 皇帝コモドゥス(在位180-192年)
第三部 内乱の時代(193〜197年)
第四部 皇帝セプティミウス・セヴェルス(在位193-211年)

   

14.

●「迷走する帝国(上中下)」● ★★☆
 −ローマ人の物語(文庫版) 32〜34−


最後の努力画像

2003年12月
新潮社刊


2008年09月
新潮文庫

(400円+税)
(362円+税)
(438円+税)

 

2008/12/31

 

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カラカラ帝に始まる混乱に加え、蛮族の大侵入、短期間の間に多数の軍人皇帝が乱立しては軍団兵によって殺されるという、まさに「迷走」の3世紀。
特筆すべきことは、その中でローマらしさが失われていった、ということ。
それまでのローマらしさがどのように失われていったのか。それこそが、本巻の最大の読みどころ。
前線の軍団と元老院の乖離、自分たちのプライド・権勢ばかりに気をとられている元老院、その一方で攻めて来る蛮族の変化。皇帝は帝国の統治者というより、防衛隊の司令官という色彩が強くなっていく。
前線の軍団兵たちが皇帝を“不信任”しようと思ったら殺すしかない、それが終身制というもの、という塩野さんの指摘は切れ味鋭い。

また、本巻におけるローマ帝国の迷走ぶりは、そのまま現日本の政治の迷走ぶりにそのまま重ね合わせることができます。
「克服することのできた危機と、対応に追われるだけで終始せざるをえなかった危機の違い」という表現は、そのまま現在の状況の難しさに通じる。
しかしそこには、克服できる人材の払底、元老院の機能不全という理由はなかったのか。
さらなる「皇帝に
擁立するたびにその人は死を迎えたということは、元老院のやり方が誤っていたということである」という塩野さんの指摘は、「死を迎えた」を「政権投げ出し」、「元老院」を「自民党」と読み替えれば、現政治状況の迷走ぶりがすとんと腑に落ちるのです。
大局的な見地から今何をすべきかを考えれば事態は好転するかもしれないのに、自分たちの身(票)のことばかり心配するから、帝国(政権)は迷走することになる。
歴史は学ぶべきものですが、歴史から何も学ばない指導者が立つことこそ迷走の原因、と言うべきなのでしょうか。

なお、末尾のローマ帝国とキリスト教の関係を考察した一章はことに面白い。耳を傾けるに値します。
何故ローマ帝国はキリスト教を危険視したのか、何故3世紀に入ってからキリスト教は勢力を拡大したのか。
これらはきっと次巻へも引き継がれる問題だろうと思います。

第一部 ローマ帝国・三世紀前半(紀元211-260年)
第二部 ローマ帝国・三世紀後半(紀元260-284年)/第三章 ローマ帝国とキリスト教

   

15.

●「最後の努力(上中下)」● ★★
 −ローマ人の物語(文庫版) 35〜37−


最後の努力画像

2004年12月
新潮社刊


2009年09月
新潮文庫

(400円+税)
(362円+税)
(362円+税)

 

2009/11/05

 

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ディオクレティアヌス帝ギボン「ローマ帝国衰亡史の第2巻で知ってから(歴史の授業で教わったのは、知ったことになりませんので)、私の好きなローマ皇帝の一人です。
ローマ帝国に4分割統治を導入し、国家体制を再び整えた人物。このような施策は無私の精神あってこそ為し得ることで、私としては「大帝」と呼びたいくらいなのですが、そう呼ばれてはいません。

しかし、私欲を持たない賢者というのは在り難いもの。ディオクレティアヌス帝の皇帝退位の後暫くして、後を継いだ皇帝同士が争う内乱が生じたことを思うと、そのことが強く感じます。
ディオクレティアヌスの4帝制はあくまで防衛のための体制であり、政治面はディオクレティアヌス一人が担った、とのこと。
一方、4分割統治は行政費用の増大に繋がったといい、ディオクレティアヌスによって“元首政(ローマ市民の第一人者)”“絶対君主制”に移行し、税制度も大きく変わったというのは、ギボン「衰亡史」では覚えがなかったこと。
防衛という面でディオクレティアヌスの施策は成功したが、同時にその結果としてローマ帝国の屋台骨を揺るがすに繋がった、というのは歴史の難しさでしょうか。
ちょうど現在の日本、民主党政権が誕生し、防衛第一ならぬ“国民第一”を訴え、(その是非はともかくとして)多くの軋轢を生み出している様子を見ていると、ディオクレティアヌス時代とある面似てないか、という気がします。

第二部からは、コンスタンティヌス大帝が主役。他皇帝に勝利したコンスタンティヌスをローマが称えるため凱旋門を新たに建造するのにあたり、ハドリアヌス門を転用したうえ、足りない分をあちこちの凱旋門からレリーフを取り外してくっつけた、らしいというのですから、ローマも落ちたものだと実感します。
それでも、何百年とローマ帝国は続いてきた果てでのことですから、簡単に批判すべきものではありません。
第三部は、キリスト教とコンスタンティヌス帝に係る考察。

皇帝としてローマ帝国に尽くした功績大だったにもかかわらず、この人ほど人間としての不幸を味わった人物もいません。一方、これまでのローマ社会を一変させ専制君主の姿を露わにしたコンスタンティヌス帝、対照的な2人によってこの時代は常に忘れ難い。
なお、何故コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し、さらに支援したのか。この問題にかかる塩野さんの考察は、まさに傾聴に値します。是非お聞き逃しなく。

第一部 ディオクレティアヌスの時代(紀元284-305年)
第二部 コンスタンティヌスの時代 (紀元306-337年)
第三部 コンスタンティヌスとキリスト教

      

16.

●「キリストの勝利(上中下)」● ★★
 −ローマ人の物語(文庫版) 38〜40−


キリストの勝利画像

2005年12月
新潮社刊


2010年09月
新潮文庫

(400円+税)
(362円+税)
(362円+税)

  

2011/02/28

  

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ギボン「ローマ帝国衰亡史は皇帝列伝の様相があり、それに対して塩野さんの本書「ローマ人の物語」にはローマ人の特質、ローマの社会的仕組みを描いて対照的、という印象がありました。
しかし、
コンスタンティヌス大帝の後、身内の間で残虐な粛清を行ったコンスタンティウス帝、そしてその中から副帝に任用されたユリアヌスの部分については、さすがに人物中心に物語られています。
その中でも、特に
背教帝ユリアヌスの部分は見逃せません。ギボン「衰亡史」でもダントツに面白かった部分ですが、本書においてもそれは変わりません。後期ローマ帝国の歴史の中で、物語・英雄譚としては白眉と言って間違いありません。

下巻は、大帝と呼ばれたテオドシウス帝を差し置いて、40代にしてアタナシウス派からスカウトされミラノ司教に転じたアンブロシウスが主役。非常に政略家だったようで、最後のローマ統一皇帝となったテオドシウスも形無しです。
キリスト教徒なら万々歳という、ローマ皇帝がミラノ司教に屈した一幕が語られますが、キリスト教とは縁のない人間から見ると、ローマ帝国が内部から綻んだ象徴のような出来事と感じられます。

なお、学生時代に西洋史を学んだ時、コンスタンティヌス大帝はともかく、何故ディオクレティアヌス帝が“大帝”ではなく、テオドシウス帝が“大帝”なのか不思議だったのですが、今はその理由が判ります。
“大帝”とは、キリスト教に貢献した皇帝に対し教会が奉った呼称であって、皇帝としての能力・実績に基づくものではないということを。
  

第一部 皇帝コンスタンティウス(紀元337-361年)
第二部 皇帝ユリアヌス(紀元361-363年)
第三部 司教アンブロシウス(紀元374-397年)

   

17.

●「ローマ世界の終焉−ローマ人の物語15−」● ★★★


ローマ帝国の終焉画像

2006年12月
新潮社刊

(3000円+税)


2011年09月
新潮文庫化

(460円+税)
(380円+税)
(540円+税)

 

2007/02/26

 

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本書“ローマ人の物語”の刊行が始まったのはちょうど私がギボンの大作ローマ帝国衰亡史を最後の方をまだ読んでいた頃のこと。
そのため再び長大な物語にすぐ手を出す気持ちになれず、第10巻「すべての道はローマに通ずを除いて私が読み出したのは本書の文庫版が登場してからでした。
その文庫版は先日「すべての道は」がちょうど刊行されたばかりのところ。塩野さんの長年にわたる労作がついに完成したとあっては、まずはその記念すべき最終巻を読んでおきたいと思った次第。
そのおかげで“パクス・ロマーナ”の時代からローマ帝国の衰退著しい時期へ一気に飛んだようなもので、何でローマ帝国はこんな有り様になってしまったのか、という思いを抱え込むことになりました。

本書は西ローマ帝国の滅亡を主としつつ、ローマ帝国=ローマ世界が実質的に終焉を遂げるまでを扱って終わりとしています。
ローマ帝国の終わりとは西ローマ帝国の滅亡をもっていうのか、それとも東ローマ帝国=ビザンチン帝国のコンスタンチノープル陥落をもっていうべきなのか、意見は尽きないものでしょう。しかし、塩野さんはそのどちらの側にも立っていない。
形式的な帝国滅亡を云々するのではなく、実質的なローマ世界の終焉をもって終わりとしたところに、本書「ローマ人の物語」の面目躍如があります。そしてそれは、地中海帝国として社会・経済面で繁栄を謳歌してきたローマに主眼を置いてきた本書にふさわしい幕切れであると言えます。
その最後の姿、学校の世界史授業でとりあげられてきた西ローマ帝国の終わりと何とそれは大きく異なっていたことか。
読み終えた後私の印象からすると、西ローマ帝国を内側から崩壊せしめたのはキリスト教、とくに排他傾向の強いカトリックを正統と定めたことにあります。そして西ローマ帝国を完膚なきまでに蹂躙・破壊せしめた外的要因は、本来同朋であった筈の東ローマ帝国=ビザンチン帝国であったこと。
上記2点が何故ローマ世界の終焉に繋がったのか。その意味を言葉からだけで察することのできる人は稀であろうと思います。だからこそ、本書の読み応え、読む面白さがあるのです。
本書を同時代人として読めたことは、とても幸せなことと心から思います。

なお、西ローマで帝政が終わりをとげ、蛮族がローマ世界を保護することになった“パクス・バルバリカ(蛮人による平和)”の時代、社会経済の運営を担ったのは相変わらずローマ人たちだったという。ちょうど明治維新で、支配者が徳川家から薩長連合に変わったものの官僚組織は元幕府の役人たちが引き続き担ったという経緯に似ていると感じたのですが、皆さんは如何でしょうか。

第1部・・・最後のローマ人 (紀元395-410年)
第2部・・・ローマ帝国の滅亡(紀元410-476年)
第3部・・・「帝国以後」   (紀元476年−)
おわりに/巻末カラー

  

18.

●「塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック」● ★★




2007年05月
新潮社刊

(2000円+税)


2011年09月
新潮文庫化

(743円+税)

  

2011/09/04
2011/10/24

  

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(単行本)
文庫版には単行本の一部が収録されていないようなので、その部分をとりあえず単行本で読みました。
その中、塩野七生さんとの
特別対談「神々のご加護で、書き続けられた」が圧巻。
何故書いたものが歴史なのか、何故「物語」なのか。書いたきっかけは何だったのか。そしてまた、一神教は好きではないと語るその理由。
「ローマ人の物語」が執筆されたそもそもの理由、執筆における視線、視点というものがこの対談の中で語られています。
「ローマ人の物語」を読了したからには、聞き捨てにはしておけない部分。是非読み逃しなく。

(文庫本)
全15巻を読み終えた後に本書を読むと、俯瞰してざっとおさらいした、という感あり。
同時に、「ローマ人の物語」未読者にとっては、格好の案内書となりうる一冊です。写真が豊富であることもあって、具体的に楽しめます。
それ以上に楽しいのは、やはり塩野さん自身が語っている部分。単行本・文庫本共通のロングインタビュー
「なぜ、ローマ人は寛容だったのか」が魅力の一つ。
ローマが長きにそして広きに亘って栄えた大きな理由は、塩野さんに言わせると、“政策の継続”、そして“寛容”。
それは現代にも通じる問題であることに疑いありません。民主党、自民党もローマ人の爪の垢を飲んでほしい、と思う次第。

  

 【単行本版】
グラフ:1.塩野七生の散歩道/2.皇帝たちの愛した街
ビジュアル:『ローマ人の物語』を訪ねる 1〜15巻
 コラム:ローマの不思議・謎に迫る 15篇
特別対談:「神々」のご加護で、書き続けられた*
ロング・インタビュー:なぜ、ローマ人は「寛容」だったのか?
・ローマ人劇場ベスト5*
・初級ラテン語講座*
・ローマ人名言録*
・コラム−ローマ人の普通の生活*
グラフ:3.帝国の属州を歩く
グラフ:4."ローマ人"と友達になるための美術館巡り
 【文庫版】
1.『ローマ人の物語』を訪ねる 1〜5巻
2.グラフ:皇帝たちの愛した街
3.『ローマ人の物語』を訪ねる 6〜10巻
4.グラフ:帝国の属州を歩く
5.『ローマ人の物語』を訪ねる 11〜15巻
6.グラフ:"ローマ人"と友達になるための美術館巡り
ロング・インタビュー:なぜ、ローマ人は「寛容」だったのか?

         

19.

●「ローマ亡き後の地中海世界(上)」● ★★☆


ローマ亡き後の地中海世界(上)画像

2008年12月
新潮社刊

(3000円+税)

2014年08月
新潮文庫化
(1・2巻)

 


2009/01/17

 


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西ローマ帝国滅亡後、その威力消滅に付け込んだように急激に勢力を拡大したのがイスラム勢力。
短期間で瞬く間に地中海での覇権を握ったのは、「右手に剣、左手にコーラン」を謳い、国家観を持たずに“イスラムの家”という発想による成功。
北アフリカを支配下に置いたイスラム勢力は、ローマのような安定した経済社会基盤の確立など考えもせず、海賊業を専らの生業とする。「誤った信仰の徒で臆病なイヌ」であるキリスト教徒を殺傷してもそれこそ神の教えに適うものと正当化しているのですから、イタリア半島のキリスト教住民は堪ったものではない。

国家の消滅とは何か。それは危機管理能力の欠如、即ち危機管理に対応できる組織力の消滅ということだったか、と思い知った次第。
そしてまた、本書で描かれるイスラム勢力のキリスト教徒への対峙姿勢、イスラム原理主義によるテロの原点はここに在ったのかと感じた次第。
本書で塩野さんは、ローマ帝国消滅後の地中海世界、約五百年間の変遷を一気に切り開いてみせます。
歴史における変動要因、変動結果を鋭く見抜く眼力、経済的な側面を見逃さない見識、それらを明快に描き出してみせる筆力、さすがに塩野さんは凄い。

上巻の最後、地中海世界の新たな主役として登場するのは、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアという海洋都市国家。それを追えば海の都の物語に行き着くのでしょう。
それに続く章が「二つの、国境なき団体」。イスラム海賊に拉致され奴隷とされたキリスト教徒を救うために活動した団体=救出修道会、救出騎士団のことが騙られます。私としては圧巻と感じた章。
ローマ人の物語に引けを取らない歴史書の傑作、下巻が楽しみです。

(海賊/はじめに)/内海から境界の海へ/(間奏曲−ある種の共生)/「聖戦(ジハード)」と「聖戦(グエッラ・サンタ)」の時代/二つの、国境なき団体

      

20.

●「ローマ亡き後の地中海世界(下)」● ★★☆


ローマ亡き後の地中海世界(下)画像

2009年01月
新潮社刊

(3000円+税)

2014年09月
新潮文庫化
(3・4巻)

 


2009/02/25

 


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下巻に至ると、いよいよ地中海の制海権をかけた西欧キリスト教世界と、イスラム=オスマン・トルコとの対決が描かれます。もちろんその舞台は、東地中海〜西地中海。

上巻の最後でこのまま進むと海の都の物語に行き着くのではないかと思ったのですが、それは私の思慮不足。
塩野さん曰く、本書は「海の都の物語」と対を成す物語であり、「海の都」がヴェネツィアを視点にしたものであるのに対し、本書は地中海中央を視点にしたものであるとの由。
端的にキリスト教世界とトルコ帝国との対決と言ってしまいましたが、事実はもう少し複雑。
トルコは地中海の制海権を狙うにイスラム海賊を利用し、そのイスラム海賊が好き放題に地中海沿岸都市を略奪・蹂躙したのに対し、それに対する西欧社会はスペインとフランスが反目し合い、ヴェネツィアは勝手にトルコと通商条約を締結するといった具合で、まるで統率とれず。
つまり、ローマ亡き後の地中海世界では、イスラム海賊が好き放題に暴れまわったという年数の方が長いのです。
下巻はこうした両陣営の対決、その変遷が主体として描かれるのですが、世界史の授業でこうした歴史事実を習った覚えが無いんだよなぁ。
そこで考えてみれば、世界歴史とは所詮西欧諸国からみた歴史。ヨーロッパ大陸内部ばかりを描き、イスラム世界に押しまくられること多かった地中海史などは軽視していたのではないかと感じた次第。

とはいえ、本書で描かれる地中海情勢、物語として読んでもすこぶる面白いのです。
日本人から見れば所詮外国同士の争いに過ぎないのですが、イスラム海賊が縦横に地中海沿岸を蹂躙する部分を読んでは切歯扼腕し、西欧側が近視眼的な発想で足の引っ張り合いばかりしている部分を読めば呆れ、嘆き、苛立つ、という具合。そのうえ、スペイン憎さの余りフランスがトルコと同盟を締結したという部分では、ただただ唖然とするばかり。
いやぁ、歴史冒険小説を読んでもここまで興奮できるかどうか。そのぐらい本書は面白いのです。

そして、ただ面白いだけでなく、本書地中海史のポイント、ポイントを射抜く塩野さんの慧眼が素晴らしい。
例えば、海戦をしない間だけ“偉大な艦隊”“無敵艦隊”であったのだという塩野さんの指摘、何と痛烈な皮肉であることか。
この面白さ、是非ご自分で読んで味わってみてください。

並び立つ大国の時代/パワーゲームの世紀/反撃の時代/地中海から大西洋へ

       

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