中村安希
(あき)著作のページ


1979年京都府生、三重県育ち。2003年カリフォルニア大学アーバイン校舞台芸術学部卒。日本とアメリカで3年間の社会人生活を送った後の06年ユーラシア・アフリカ大陸旅行に出発、08年帰国。以後国内外にて写真展、講演会をする傍、世界各地の食糧、衛生環境を取材。09年「インパラの朝」にて第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。

※海外情報ブログ:安希のレポートを更新中。


1.
インパラの朝

2.
食べる。

3.
愛と憎しみの豚

4.リオとタケル

 


   

1.

●「インパラの朝ユーラシア・アフリカ大陸684日− ★★★
                         開高健ノンフィクション賞


インパラの朝画像

2009年11月
集英社刊
(1500円+税)

2013年01月
集英社文庫化

 

2009/12/23

 

amazon.co.jp

沢木耕太郎「深夜特急を読んだときの衝撃も大きかったのですが、本書を読んだ衝撃はそれに優るとも劣らず。
本書は、著者がアジア・中東・アフリカに亘る47ヶ国を、約2年間かけて踏破した旅の記録です。

「深夜特急」と知らず知らず対比してしまうのは必然的と言う他ありませんが、沢木さんの旅と比べてもより一層驚くべきことは多い。
アフリカ大陸という部分が「深夜特急」にはないものですが、それより、26歳という若い女性が一人で行なった旅ということに驚愕します。さぞ危険も大きかったと思うのですが、無事にポルトガルのロカ岬まで辿り着いた最後の頁に至ると、思わずホッ。
そればかりか、野宿や現地の民家に泊めてもらったことも度々、先進国からの旅行者だからと高い代金をふっかける現地の男たちと堂々と渡り合うところは、「深夜特急」の凄さを遥かに凌駕しているのではないかと感じた次第。

さて、「深夜旅行」が路線バスを使ってヨーロッパまで旅するという曲がりなりにも旅の記録という体裁を最後まで失わなかったのに対し、本書については、線を引いていく“旅”という印象はそれ程強くありません。
旅の途中に経験した忘れ難いエピソードを点のように連ねていくという風で、旅の記録というより、旅した先でのスケッチ集という印象が強い。
それも風景ではなく、現地の人たちの姿、声。
中村さんは序章で、ユーラシア大陸とアフリカ大陸、そこに存在する多くの国と多くの民、「私の耳に届くことのなかった小さな声」を意識するようになった記載していますが、まさに本書は中村さんが旅の中で聞き取った、そこに住む人々の等身大の声の記録、と言うべき一冊ではないかと思います。

アジア、中東、アフリカ、つい我々は自分たちの生活様式と比較してそこに住む人々の生活を貧しいと断定してしまいますが、中村さんが幾度味わった、見知らぬ旅行者を心から歓迎してくれた幾組の家族たち、何の見返りも求めず中村さんを受入れ世話してくれた人たちの姿を思うと、“幸せな暮らし”というものを原点に立ち返って考え直すべきではないかという気持ちを呼び起こされます。
また、先進国からの旅行者に対して法外な料金をふっかける現地の人々の姿勢についても、結局は自分たちの利益のために乗り込んでいった先進国の人々の姿勢の裏返しではないかと、考えさせられる思いです。

旅が好きかどうかに関わらず、広く世界に住む人たちの声を聞いいてみようということから、是非お薦めしたい一冊です。

序章−向かう世界/1.ささやきを聴く(ヒララヤ山系)/2.カオス(東南アジア〜インド)/3.小道の花々(インド〜パキスタン)4.ウォッカの味(中央アジア)/5.悪の庭先(中東)/6.鼓動(東アフリカ)/7.内なる敵(南アフリカ)/8.血のぬくもり(西アフリカ)/9.世界の法則(サハラ北上)/終章−去来

         

2.

「食べる。」 ★★


食べる。画像

2011年11月
集英社刊
(1400円+税)

2014年01月
集英社文庫化

   

2014/02/01

  

amazon.co.jp

インパラの朝を既に読んでいるので今更驚くことはないのですが、久々に読んだ所為か、それにしても世界各地へよくまぁ行くものだ、というのが第一に感じること。
きっと世界各地への距離感、中村さんと私とでは大きな開きがあるのだろうなぁ。

そんな中村さんの世界各地を巡る旅の中で、本書は“食”に的を絞って書かれたエッセイ15篇。
「食」と一口に言っても様々。さらにそこに住む人々も様々で、中村さんに食事を振る舞ってくれる人も様々、
食を通してその土地の民族性も判る、ということが、本書での中村さんの説明を通してリアルに感じられる気がします。
きしくも最後の章「tamagoyakiとコンポート」で、ルーマニアの女子学生に旅する意味を訊ねられ、世界のことを知るためといった返答をしていますが、それこそ本書を意味を端的に物語っている言葉でしょう。

正直なところ、本書の中には私などとても食べられないような料理が何度も登場しますが、食べられなくても本書を読めば、多少なりともその土地に触れたような気がします。それが紀行文を読む醍醐味、本書は紛れもなくそんな紀行文の一つです。

宿泊したところは格安ホテルもあれば、酷いところもあり、また現地で紹介されての個人宅、ということもあります。
旅慣れた中村さんでさえ、悲鳴を上げた、といった宿泊も有り。
いやーあ、世界って本当に広いですね。何となく、世界に向けて飛び出したくなってしまいます。


インジェラ−エチオピア/サンボル−スリランカ/水−スーダン/野菜スープと羊肉−モンゴル/ジャンクフード−ポツワナ/BBQ−香港/キャサバのココナツミルク煮込み−モザンピーク/臭臭鍋と臭豆腐−台湾/ヤギの内臓−ネパール/グリーンティー−パキスタン/タコス−メキシコ/ラーメンと獣肉−日本/自家蒸留ウォッカ−アルメニア/自家醸造ワイン−グルジア/Tamagoyakiとコンポート−ルーマニア

        

3.

「愛と憎しみの豚」 ★★☆


愛と憎しみの豚画像

2013年01月
集英社刊
(1600円+税)

2015年01月
集英社文庫化

  

2013/02/24

  

amazon.co.jp

題名「愛と憎しみの豚」とは一体何の意味?というのが本書を知った時に感じた自然な疑問。
でも読み始めて直ぐ、そして読み進めればなお一層、“豚(肉)”をめぐる問題がどんなにその奥深いことかに気付きます。

日本では牛肉と並んで当たり前の豚肉、世界を広く見ると同じように豚肉を食す国・民族と、忌み嫌い食べない国・民族があるという。
まず旧約聖書(ユダヤ教)とコーラン(イスラム教)ではともに豚を食することが禁じられていますが、新約聖書(キリスト教)においてその制約は解かれたという。いったい何故?
その謎を解くため、そして世界の豚食事情を知るため、中村さんは中近東から始まり東欧、果てはロシアの極寒の地シベリアまでと旅します。
その行動力が凄い。各国でその詳細知れぬ地方まで出かけるというのに、まるで日本国内の各地へ出かけるような軽快なフットワーク。そしてその行動に欠かせない道具が、ノートパソコン、ネット、SNS(メール含む)、グーグルマップなのですから、
沢木耕太郎「深夜特急の時代とは随分変わったものです。
それだけ世界が狭くなったと言えるかもしれませんが、本書で感じるのは、中村さんの行動力あってこそ世界が近く感じられる、ということ。それがまた楽しい哉。

豚ひとつを追いかけてこんなにワールドワイドなルポタージュになるものか、ということも本書の魅力。。
豚食の是非を問う中で、必然的にその民族性、食糧事情、歴史的経緯にも触れることになります。だからこそ内容面においても奥が深い。とはいえ、その地に降り立ったところから直ぐ地元の人に会話を仕掛け、質問しまくる中村さんの行動っぷりは、一切物怖じすることのない堂々たるもの。惚れ惚れします。
世界は広い、そして豚を世界で語ると実に広い。本書はまさに中近東〜東欧〜ロシアに亘る“豚をめぐる冒険”です。お薦め!

豚に会いたい−ワールド/豚と人間、そして神−チュニジア/豚の歩いてきた道−イスラエル/検索キーワード・豚−日本/豚になったスターリン−リトアニア/幸福の豚、不幸の豚−バルト三国/豚をナイフで殺すとき−ルーマニア/子豚のホルマリン漬け−モルドバ/子豚たちの運命−ウクライナ/素足の豚−シベリア

           

4.

「リオとタケル」 ★★


リオとタケル画像

2014年06月
集英社刊
(1500円+税)

  

2014/07/29

  

amazon.co.jp

中村さんが演劇を学んでいた留学時代の恩師=リオ・マッケーシーとそのパートナーである日本人タケルというゲイカップル、そして2人を良く知る人たちにも取材して、同性カップルの是非を考察したノンフィクション。
リオは1953年米国生まれ、タケルは1949年東京生まれて24歳の時に単身渡米。2人はカリフォルニア州立大学ロングビーチ校の演劇学部で出会い、以降リオは舞台装置デザイナー、タケルは舞台衣装デザイナーとなり共に目覚ましい活躍をする一方、ずっとパートナー関係。

同性愛という世界に私が初めて接したのは、高校時代に読んだ三島由紀夫「禁色」。当時は“男色”という呼び方だったでしょうか、一般社会では容認されない性的嗜好という扱いだったように思います。
それから40年経ち、今や
同性愛、同性婚という言葉がそう珍しくはなくなったものの、何故それを題材に? 果たして読む意味があるのだろうか? というのが本書の内容を知った時に真っ先に感じた疑問でした。
とりあえずは読んでみようと思い読み出した訳ですが、上記疑問は本書を読み進むにつれ次第に理解できるようになった、というのが正直なところです。

同性愛、同性婚は容認されるべきものなのかどうか。
前者については事実の問題ですから容認するも何もありません。その一方後者は、社会における制度という問題で、私自身ずっと結論を出せないままでいました。
今まで迷っていた一番の理由は、生物(生殖)原理からしてどうなのかということだったのですが、ゲイ=同性婚と決め付けるのではなく、セクシュアリティをもう少し柔軟に考えればいいのではないかと教わった気がします。つまり、人生のパートナーとして誰を求めるかという心の問題がまず最初にありきで、異性婚か同性婚かという問題はその結果に過ぎない、ということ。
そもそも人間自体、様々な面で生物原理を壊してきているのですから、今更この問題だけに拘泥するのはオカシイのかもしれないと考えるようになりました。(結婚、夫婦という言葉から離れてみることも良いのかもしれません)

なお、リオとタケルという2人が、才能や見識の点でも優れているうえに人間としての魅力も高いということも大きな要因として挙げざるを得ません。その2人が選んだことを誰が否定できようか、ということ。
今後ますます増えていくだろうこの問題を、理屈ではなく実態から考えてみるという点で、意味ある一冊だと思います。


プロローグ/1.ロールモデル/2.最強デザインチーム/3.「演劇」を教える人/4.憧れの先輩/5.ステレオタイプ/6.楽観主義者/7.ゲイの定義/8.アンティゴネ/9.17歳だった僕へ/10.欲求と選択/エピローグ

  


     

to Top Page     to エッセィ等 Index