吉川 潮作品のページ


1948年茨城県生、名付け親は詩人の西條八十(父親が西條夫人の長唄の師匠だった縁)。立教大学経済学部卒。ルポライターの他、放送作家として「青島幸男のお昼のワイドショー」などの構成を担当。79年から演芸評論家として演芸評、コラムを書き始めたのを経て、80年作家デビュー。97年「江戸前の男
春風亭柳朝一代記」にて新田次郎文学賞、2005年「流行歌−西條八十物語」にて大衆文学研究賞を受賞。他の著書に「江戸っ子だってねえ−浪曲師広沢虎造一代」等あり。


1.
江戸前の男−春風亭柳朝一代記−

2.浮かれ三亀松

3.本牧亭の鳶

4.芝居の神様−島田正吾・新国劇一代−

   


   

1.

●「江戸前の男−春風亭柳朝一代記−」● ★★☆

 
江戸前の男画像

1996年05月
新潮社刊

1999年04月
新潮文庫化

2007年11月
ランダムハウス
講談社文庫化

   

1996/12/21

 

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落語家の実態と業界内部の事情がよくわかる一冊。
癖ある人の多い、その落語界にあっても、柳朝という人はとりわけ癖の強い人だったようです。わがままで、見栄っ張り。よくもまあ、この男に連れ添う女性がいたものだと、呆れる位。
表紙帯の紹介文をそのまま引用すると、「おっと、忘れちゃいけねえな。こんなに粋でイナセな噺家がいたってえことを
――」、「最初の入門にしくじって、出戻りから、柳朝の落語家人生は始まった。気風が良くて喧嘩っ早い、そのうえ野暮が大嫌い。おまけに酒と博打と女の道楽三昧。しかし、落語のセンスは抜群。談志、円楽、志ん朝と並ぶ四天王とよばれるようになって。これぞ江戸っ子芸人の破天荒な生涯を描く書き下ろし長編!」

実家が比較的裕福で甘やかされて育ったことから、こらえ性がなく、職を転々。落語好きから、とうとう噺家の弟子入り。蝶花楼馬楽、後の林家正蔵(次いで彦六)の一番弟子だったそうです。ところが、先輩と喧嘩した件を馬楽から咎められると、あっさり破門を受けてしまう。
「残された馬楽は呆然とした。破門と言ったのは言葉の勢いなのに、まともに受け取る馬鹿がどこにいる」
 
おもわず、笑ってしまう下りです。落語の世界そのままの男がここにいた、と思いました。
半年経ってまた弟子入りし、改名。その後も師匠に怒られる度、遺書を書いたりし、それも人に届けさせたとか。
柳朝は稼ぎを全部以上酒や博打や奢りに使ってしまい、結局奥さんのヨリが配膳会で働いて生計を立てていたそうです。ですから、柳朝が死んだ時には、財産も何もなく、光が丘の都営住宅住まい。ヨリは柳朝の晴れ舞台も、いつも仕事で殆ど見たことがなかった、という。
折角の円生の推薦で兄弟子と一緒に真打昇進が決まったにも拘らず、一緒は嫌だと言って、辞退してしまう。わがままの、象徴みたいな男です。次の真打の時に、春風亭の亭号を遣わせてもらい、春風亭柳朝に改名。由緒のある名跡で5代目だそうです。歯切れのよい江戸前の落語、江戸っ子らしい啖呵に持ち味があったという。
真打ち興行の夜の夫人ヨリとの会話、
「売れたらどんどんかせいでおくれよ。借金返して、呉服屋にたまったツケを払って、もうちょっとましな部屋に引っ越してさ」「ちったあぜいたくがしてえか」「あたしゃぜいたくなんかしたくないよ」
心の奥底に残る、良いヤリトリです。
とにかく読み甲斐のある一冊。

ちなみに、柳朝の3番目の弟子が人気者の春風亭小朝

   

2.

●「浮かれ三亀松」● ★★☆


浮かれ三亀松画像

2000年05月
新潮社刊
(1800円+税)

2003年08月
新潮文庫化

2007年11月
ランダムハウス
講談社文庫化

   

2000/08/26

 

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帯の文句が内容を良く語っていますので、文章をそのまま紹介しますと、
「数々の艶な都々逸で一世を風靡し、大正末から戦後まで、芸の世界に君臨した不世出の天才芸人、ご存じ柳家三亀松一代記」「粋でいなせで気っ風がよくて、都々逸、さのさ、三味線漫談...(中略)女は焦がれて、男は惚れる。深川男の破天荒」

本名は伊藤亀太郎。小粋であることを自慢とする江戸は深川に生まれ育ち、子供の頃から芸事が好きだったことが、三亀松の一生を決めたようです。
とは言っても尋常小学校中退後、木場職人(川並)、幇間、新内流し、寄席芸人と、最初は仕事を転々とする人生。子供の頃から芸事が好きで、声も良く、愛敬のあるところが元々向いたのでしょう。修行の末というより、天性そのままに芸人となった男の一代記だけに、たしかに型破りで、江戸前の男柳朝をはるかに凌駕しています。
粋でいなせであることを第一とし、並外れた見栄っ張り。大正時代から活躍し、戦後の芸界に大御所として君臨しただけのスケールの大きい魅力が、三亀松にはあります。
と言うと、三亀松ひとりが目立ってしまうのですが、高子夫人もなかなかの大物。宝塚で娘役のトップスターだった高子さんは、二つ返事で有名な放蕩者・三亀松のプロポーズを受けてしまう、読み手さえ呆気に取られるような愉快な箇所です。おっとりとしたお姫さま風の高子夫人あってこその三亀松だった、という思いが残ります。また、一番弟子の亀松、後の白山雅一とのやり取りも、心憎いばかり。

この本の良さは、吉川さんが、三亀松という人物をやたら解釈しようとせず、ありのままに書き出しているところにあります。ですから、素直に三亀松という人の人生を読み、そして共感することができるのだと思います。
まあ、我々一般人からみると、とんでもない生活ぶりで、呆れ返ることの連続。また、女性からのモテモテ振りの凄さ! でも、嫌みを感じるところが少しもありません。しようがない男だなあと思っても、やはり愛敬があります。それは、三亀松本人が自然に持っていたものでしょう。その点、本作品は三亀松という人物を見事に描き出していると言えます。
金遣いの荒さは藤山寛美も及ぶところではなかったそうですが、大盤振る舞いを受けた結果、その後超人気者となった面々が三亀松には全く頭が上がらなかったという顛末は、それぞれが曲者である故に、なおのこと愉快なエピソード。
ただ、本人が芸とした、都都逸、さのさ、新内がどういうものか、私には縁遠いものだけに実感として味わうことができなかった点が残念です。
本書は、素直に読めて楽しめる、魅力に溢れた芸人の一代記。

   

3.

●「本牧亭の鳶」● ★★☆


本牧亭の鳶画像

2001年08月
新潮社刊
(1500円+税)

2007年12月
ランダムハウス
講談社文庫化

   

2001/09/13

 

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吉川さんの作品はこれまで長篇を2作読みましたけれど、いずれも芸人を語った作品で、とても味わい深いものでした。
本書は私にとって初めての短篇集ですが、味わい深いのは長篇2作と少しも変わりません。むしろ、長篇に比較して、さらりとした感触の良さがあります。長篇は何しろその主人公故にあくの強さが目立ちましたから。
本書は、色物芸人たちを描いた作品集。声帯模写、コント、百面相、講談と、様々です。それぞれの芸を知る楽しみもありますけれど、モデルとなった芸人たちを思い浮かべながら読むのもまた楽しい。ちなみに、実在のモデルがいないのは「老鶯」「本牧亭の鳶」で主人公となる講釈師だけだそうです。

6篇とも、哀感があって、職人(芸人)気質が色濃く反映された作品。藤沢周平さんが亡くなって後、こうした味わいのある作品になかなか出会えなくなっているような気がします。それに付け加え、芸人という興味深い世界を語っているのですから、吉川潮さんという作家は貴重な存在です。
冒頭の「九官鳥」は、声帯模写の若い芸人が主人公。伝統的な声帯模写の芸風を引継ぎ、芸も確かなのですが、「時代遅れ」「今の時代に合わない」と言われ、売れずに苦労しています。夫婦2人のそんな姿がとても切なく、いとおしくなる一篇です。
そして、表題作である「本牧亭の鳶」が何と言っても絶品! 
講談中心の演芸場“本牧亭”を舞台に若い講釈師たちの群像を描いた作品ですけれど、主人公・一龍斎鷹山と下足番の老人・中村勝太郎の交流が中心ストーリィとして描かれます。2人の心の通い合う様が素晴らしく、思わず胸の熱くなることが二度三度。心の底から、いいなぁ、と言える作品です。

声帯模写−九官鳥/コンビコント−借金鳥/百面相−カラスの死に場/トリオコント−梟の男/お囃子−老鶯/講釈・下足番−本牧亭の鳶

     

4.

●「芝居の神様−島田正吾・新国劇一代−」● ★★★


芝居の神様画像

2007年12月
新潮社刊
(1900円+税)

2011年04月
ちくま文庫化

 

2008/01/19

 

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これはもう絶品!、すこぶる面白い! いくらでも没頭して読んでいける、という一冊です。
その訳は何といっても、島田正吾その人の魅力に尽きます。
84歳で「白野弁十郎」のひとり芝居を演ろうと思い立つ、そののっけから面白さに飲み込まれてしまいました。しかもその「白野弁十郎」、なんとロスタン「シラノ・ド・ベルジュラックの翻訳劇だというではないですか。

「序幕」で飲み込まれた後は、大正12年、18歳にて島田正吾が新国劇を率いる澤田正二郎の元へ弟子入りするところから始まります。
“新国劇”について確かな知識は持っていませんでした。「国定忠治」とか「瞼の母」とか、エンターテイメント性の高い大衆的な演劇だった筈、という程度。本書によると、坪内逍遥の「従来の日本演劇である歌舞伎、新派に対抗した新しい国民劇を創造せよ」という言葉に応えて澤田正二郎が旗揚げした新興劇団、「民衆と固く手を握って、片方の足だけを民衆より前へ進めていく」という“半歩前進主義”、劇団のマーク“柳に蛙”不撓不屈の精神を表すものだったという。
その情熱の凄さ、本書を読んだだけで圧倒される思いです。

本書は島田正吾という稀代の名役者の一代記であると同時に、一世を風靡したものの時代の変化、ついに後継者を得られなかったこともあって解散に至った“新国劇”という劇団の歴史であり、さらに新国劇の代表作品のエッセンスを盛り込んだ演劇史そのものにもなっています。
そのうえ、36歳の若さでなくなった“澤正”こと澤田正二郎、新国劇の後継者と目された緒形拳をはじめ、綺羅星のごとく輝く役者たちの姿も垣間見ることができます。それはもう、とても贅沢なこと。
作者として長谷川伸、北條秀司、池波正太郎。役者として六代目菊五郎、勝新太郎、森光子、山田五十鈴、中村歌右衛門等々。最後には勘九郎さん(現中村勘三郎)まで登場しますが、その勘九郎さんとの交流ぶりの何と爽やかなことか。
それでも島田正吾さんと並ぶ突出した存在というべきは、澤正亡き後の新国劇をニ枚看板として共に支えてきた辰巳柳太郎さんに他なりません。
この2人、役者としても人間としてもあらゆる面で対照的、実に魅力尽きません。
新国劇を脱退した緒形拳をめぐってさえ、2人の姿は対照的。
苦難時代の新国劇を共に支え、共に一世を風靡し、新国劇倒産後は残った借金一億七千万円を2人だけで僅か6年で完済する。
お互いに永遠のライバルであり、得難い役者仲間であったことはもちろんなのですが、「島田と辰巳は男同士の夫婦なんだ。島田が亭主で辰巳が女房、それでうまくいっている」と評されるところも味があって、実に愉快です。
そして、その辰巳の葬儀に島田が詠んだ弔辞は、まさに圧巻。胸が詰まります。
辰巳亡き後、初心に返ってひとり芝居を毎年演じ続け、進取の気持ちを忘れることがないというのが、凄い! 新しい映画を観ることにも前向きで、シュレック「千と千尋の神隠し」まで楽しんだというのですから、何とまぁ。

最初の1頁目から最後の1頁まで、読み応え、魅力たっぷりの一冊。
本書を読みながら、グワッと胸熱くなり、涙も出ない、という思いをしたことが、いったい何度あったことか。
島田正吾、辰巳柳太郎という2人、とくに島田正吾という役者の帰し方の見事さに、酔い痴れた気分です。
この面白さ、実際に読んでみないことには決して味わえません。是非、お薦め!

第一部:(序)白野弁十郎/国定忠治/沓掛時次郎/関の弥太っぺ/瞼の母/一本刀土俵入/人生劇場・青春篇/王将・前篇/殺陣師段平
第二部:(序)遠い一つの道/太閤記/同期の桜/風林火山/王将・後篇/人生劇場・残侠篇/荒川の佐吉/白野弁十郎・尼寺の場/あとがき

     


 

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