グレン・サヴァン作品のページ


Glenn Savan 1953年生、アイオワ大学ライターズ・ワークショップ修了。広告会社勤務の後、ウエイターをしながら小説を執筆。1987年「ぼくの美しい人だから」にて作家デヴュー。


1.ぼくの美しい人だから

2.あるがままに愛したい

 


 

1.

●「ぼくの美しい人だから」● ★★★
 
原題:"WHITE PALACE"     訳:雨沢泰




1987年発表

1990年08月
新潮文庫刊

 

1993/01/12

 

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本書は、ただ一言、信じられないようなラブ・ストーリィ。
主人公は「ぼく」、
マックス・バロン27歳
高収入で低身長ながら美男子のエリート。2年前に恋女房のジェイニーを事故で失っている。彼女は、若く美人で、誰もが完璧と評する女性だった。
一方の主人公となる女性は、ノーラ・クロムウェル、41
低所得者相手のハンバーガー店の売り子。学歴なく、悪趣味で美人でもなく、おまけに自堕落で酒飲み、しかしセックスは上手。別れた亭主は乱暴者で 大酒飲み、死んだ息子は薬物中毒。

そんな2人が酒場で一緒になったことから始まる、2人の物語。
分厚い1冊の割にストーリィは単純です。しかし、その厚さがまるで気にならなくなるくらい、それだけの頁が必然と思われるくらい、2人の恋愛関係は説得力をもって語られます。
そんな2人にも、必然的に破局が訪れます。問題は、マックスが自分の友人、同僚に、ノーラを恋人として紹介できるかどうか。そして、その後2人の関係はどう展開するのでしょうか。
本当に人を愛した時、2人に距離が在ったらどうするのか。年齢、社会的立場、etc。
マックスはノーラの自堕落な生活に合わせることを続けられなかったし、またピグマリオンの如く自分に適うように変えることも出来ませんでした。要は2人がそれぞれ歩み寄る他ないのでしょう。
勿論、文章上で27歳、41歳と伝えられるだけですから、読みながら2人の年齢差を感じることはあまりありません。2人の会話は普通の痴話騒ぎであり、年齢に関係ないからです。

読後は、爽やかな感覚が残りました。ロミオとジュリエットに比肩しても構いません。むしろ、それよりはるかに後味の良い恋愛小説です。
他人が聞けば醜悪と言いたくなる関係も、長いストーリィの中において、単なる肉体的恋愛関係から、後半には純度の高い精神的恋愛関係に移り変わります。
ノーラを、率直で現実的な生活臭のある女性として描き出した点に、作者の力量を感じました。

 

2.

●「あるがままに愛したい」● 
 原題:"GOLDMAN'S ANATOMY"     訳:雨沢泰

 

 
1993年発表

1994年02月
新潮文庫刊

 

1997/03/15

 

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全体の印象を簡単に言ってしまうと、“古くて新しい物語”、そして“いくつかの物語を繋ぎ合わせた物語”。
ぼくの美しい人だからは純粋な恋愛小説でしたが、本作品は男女3人の三角関係の物語です。

正直言って、誰が中心的存在なのか判らないままに読み進みました。ただ、その間、自然と他の文学作品を思い出していました。
最初は、ヘルマン・ヘッセ
「青春は美わし」。恋した女性には他に愛する人がいて、主人公の思いをそっと優しく斥けるというストーリイ。そしてその後、第一部、第二部では、ヘッセ「春の嵐」。狂気じみたところのある天才肌の音楽家ムオト、彼を愛するゲルトルード、彼女を愛するが彼女を支えることで満足する他ない主人公クーン、彼もまた身障者です。アーニー、レッゾ、ビリーの三角関係はこれと良く似ている。ただ違うのは、本作品の方が、お互いのエゴのぶつかり合いが色濃く出ている点です。
しかし、その次の段階で新たな展開が起きる。レッゾから取り残された筈の二人が結婚してしまうからだ。
ここに至って、正直、その後の展開が読めなくなってしまいました。でも、その後の二人の物語はむしろ退屈。従来書かれなかった部分だし、本来書かれなくても良い部分だと思う。その所為か、冗長な感じを受けました。しかし、そこをあえて書いたのが、新しいところなのかもしれない。(また、結末に至るのに必要なステップかと思えば、受け入れざるを得ないか。)
結末に至ってみれば、結局は学校時代からの友人二人の青春彷徨とでも言える物語である。迷惑女が一人迷いこんでいただけ、とも言える。といっても、その間の年月は充分に長い年月であり、ビリーの存在をそう簡単に片づけるわけにもいかないでしょう。

本作品は、ビリーという女性を、良く考えるか悪く考えるかによって感想も異なると思います。こういう女性の存在は、過去の物語にもいた、と思う。青春の時期だけに現われるような存在の女性ではないでしょうか。(男2人の側だけから見れば) 正直言って、ビリーという女性は判らない。アーニーが言う程魅力のある女性だと思わない。男性二人は、欲望があり、苦しみが有り、きわめて生身の人間らしい。けれど、ビリーは?というと、肉体と献身だけ。それ以外の存在感がない。アーニーの父親がビリーをしきりに誉めるが、不自然さが否めませんでした。作者もそれが判っているからこそ、しきりにアーニーと父親、あるいはアーニーの浮気相手のクレアまで総動員して褒め上げざるを得なかったという気がする。彼女と彼女の父親、ユニークな存在ではありましたけれど。
結局は、現代の三角関係として面白く読みました。ただ、
「ぼくの美しい人」のような魅力、感動は感じませんでした。 

 


 

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