トマソン的なもの


*第二アハー 撮影日失念(1999年?)
#全景 (72KB)
 これはVOW的な方に分類すべきかとも思ったが、蒸発タイプの変種かとも思えるのと、向こうは数が多いのでバランスを考慮したのとで、ここで紹介する。
 場所は京浜急行北品川駅のすぐ近く、VOWの方にあるゴジラ上陸地点の地図でまさにゴジラに踏まれているあたりである。
 要するに『第二アパート』と書いてあったものの、半濁点と長音記号と「ト」の横棒が脱落したものである。ただそれだけとはいえ、アハーの語感にはえもいわれぬ味わいがある。しかも第二である。
 『都』の字にも欠落部があり、そこは壁面の色が周囲より新しいのに対して、長音記号の痕跡などは非常に判りづらい。このことからかなりの長期間に渡ってこの状態で放置されていたらしいことが伺える。
 2002年2月現在、残念なことに(?)正しい表記に改められている。

*相模川ストーンヘンジ 撮影日失念(1998年くらい?)
#全景 (88KB)
 相模川には神奈川県平塚市と寒川町を結ぶ神川橋と言う橋がある。この橋の平塚側(右岸)の袂から、下流方向に土手の上の道を歩いて行くと、忽然とこれが現れる。私は自転車で走行中に発見した。土手の上は自動車の通行が困難なので、まず地元の人間しか気付かないであろう。
 材質はコンクリート製で、おそらく何かの土台と思われる。場所柄からして川を横断する高圧線鉄塔の可能性が高いが、それにしてはやや小振りであり、付近に類似施設が見あたらないのが不自然である。
 念のために相模川の対岸もざっと見てみたが、これと対をなすようなものは見つからなかった。

*万世橋無用階段 1997年?月撮影
#全景 (72KB)
 秋葉原の万世橋の端には公衆便所があるが、現在のものは少なくとも3代目である。初代は写真に写っている人物の下に並んでいる窓のところ、すなわち橋の下にあった。その後これは廃止され、橋のたもとに新たな便所が建設された。写真に写っている現在の便所よりはやや右よりの位置である。これによって下のものは無用便所となった。この時点では、まだ階段は閉鎖こそされていたが降りることは可能だった。
#階段拡大 (35KB)
 ところが2代目便所が建て替えられた現在の便所は、階段の真上に位置するため、階段は全く使用不能となっている。
 ちなみに初代便所は川の両岸に分けて作られており、対岸にあるものの前にはまだ降りることが可能である。

*御殿の蹟 1998年12月撮影
#全景 (72KB)
 品川区北品川の御殿山地区はけっこうな高級住宅街である。そんなお屋敷の一軒が取り壊されて駐車場となったことでできた典型的な無用門である。門柱には表札もまだ残っている。
それよりも、庭先の植え込みが門と一緒に残されているところが目を引く。普通に考えれば、植え込みなど取り払って自動車の収容力を一台分増やすところだが、そこは御殿山、潰すには忍びなかったのであろうか。

*大和の塀 1998年9月撮影
#全景 (58KB)
 相模鉄道線大和駅近くで発見した無用門。
 この塀は恐らく相鉄沿線の民家の裏門で、線路に出られるようになっていたものと思われる。現在は家が取り壊されて駐車場となっている。かつてこの写真を撮影した場所には相鉄の線路があり、駅の地下化とともに遊歩道となっている。遊歩道になるのと同時に塀際に花壇が設置され、花壇に入れないように門のところだけフェンスが設けられたらしい。門扉は既に朽ちており、フェンスに寄り掛かかっている。

*専用バルコニー 1998年10月撮影
#全景 (30KB)
 厚木市で発見した貞方ゆたかさんの後援会専用バルコニーである。この家のすぐそばには小鮎川を渡る橋があり、その橋の取り付け道路は土手の上に登るために坂になっている。その道路を通る人々にアピールするため、道路に面した二階の壁に設置されたものであろう。

*銀座の断面 1998年3月撮影
#全景 (57KB)
 銀座は松坂屋の裏あたりにある建物。どんな事情によるものか、たてものをすっぱり切って(?)断面をブロックで塞いである。ああ、あそこに階段があるな、とはっきり判る。下半分がさらにトタン板で覆われているのはなぜであろうか。ブロックを外して侵入されるからだろうか。

*樋付き原爆 1997年?月撮影
#斜めから (56KB)
#正面 (59KB)
 東京神田は神保町にある。東京堂書店の斜め前の駐車場で、ここにあった建物の影がとなりのパチンコ屋のビルに転写されているもの。その屋根の線に沿って、かつての雨樋がそのまま残されている。

*飯田町寄り掛かり煙突 1996年?月撮影
#斜めから (52KB)
 赤瀬川原平著『超芸術トマソン』に強制排気煙突というのがあったが、あれの角形版である。JR中央線で水道橋、飯田橋間を走っていると車窓から見える。寄り掛かられた建物に色を合わせてあるところが奥ゆかしい。
#真横から (41KB)
 超芸術トマソンに収録されたものほど長くはないが、成因は恐らく同じで、もともと煙突があった隣に建物が出来てしまったため、その建物の上まで煙突を延長したのであろう。

*横浜純粋階段 1998年3月撮影
#全景 (52KB)
 横浜の東急ハンズ裏手にある階段。もと人家ででもあったのだろうか。
#正面拡大 (50KB)
 わずか3段しかないが、登った先はフェンスで塞がれている。両脇の斜面が味わい深い。

*厚木の塞がれ階段窓 1997年8月撮影
#全景 (37KB)
 厚木市総合福祉センターの外階段である。恐らく非常階段なだろうが、タイル張りの建物の外壁に多くのスリット状の窓を設け、階段から外が見えるような構造になっている。ところが一階だけはこの窓を木の板で塞いである。防犯上の理由だろうか? だとしたらそれくらい設計時に気がつかなかったのか? それにしてもなぜ木で?

*秋葉原塗り壁 1997年7月撮影
#公園側 (43KB)
 秋葉原の片隅、芳林公園の壁にあった塗り壁タイプのトマソン。塗り方が上手で周囲との色の差があまりない上、植え込みに隠されていてあまり目立たない。
#裏側 (44KB)
 実の所、公園隣の建物がこうして取り壊されていたからこそ発見できた物件である。正面に比べてかなり仕上げが雑である。

*虎ノ門トライアングル 1997年9月撮影
#道路上から (63KB)
 地下鉄虎ノ門駅の近く、赤坂方向に向かうところにある。もともとは左折する車両のための道があり、その先に歩行者用の安全地帯があったところを、ガードレールで囲って全て歩道にしてしまったもの。左折車両の利便より歩行者の安全を優先したのだろうか。
#三角の頂点から (61KB)
 旧道路上には横断歩道のペイントがまだ残っている。旧道路部分は歩道より一段低く、ガードレールの脚が寸たらずになるため、コンクリートの下駄を履かせてある。

*町田の剥げ壁 1997年3月撮影
#全景 (48KB)
 東急ハンズ町田店の向かい側にある建物の壁画である。タイルの描写が見事。と思ったら大間違い。もともとタイル張りだった壁の上に吹き付け塗装して、その上に「ENtRANCE」などと描いてあったのである。当然つやつやなタイルの上は塗料の食いつきが悪く、剥落してタイルが見えてしまったのだった。

*茅ヶ崎”■”LINE 1997年2月撮影
#全景 (28KB)
 この下の方にある「やつらの足跡の」なんとかのすぐそば、茅ヶ崎市はJR相模線宮山駅の近くにあった。これはおそらく運輸会社『”K”LINE』(ケイライン)の船積みコンテナを払い下げてもらい、それを倉庫として使っているのだろう。その際、もとの所有会社の名称は消して使うべきところ(と考えたのだろうが)ペンキを惜しんだか労力を惜しんだか、Kの字だけを塗りつぶして済ませてしまったものと思われる。
 写真が逆光のハレーションで申し訳ない。

*横浜シャックル 1996年4月撮影
#拡大 (58KB)
#全景 (67KB)
 このページの下の方にある『西横浜半無用橋』とは帷子川を隔てた対岸、やや下流にある。これはチェーンを繋ぐときなどに用いるシャックルと呼ばれる部品だが、なぜか川の堤防の亀裂から突然ぶら下がっている。心ない人の手によって、荷造りの紐が縛り付けられていた。堤防の向こう側に何があるのか気になるところである。

*塀の輪切り(または奥行きのある原爆) 1996年3月撮影
#拡大 (14KB)
#全景 (30KB)
#反対側全景 (32KB)
 トマソンの本に必ず出てくるお茶の水三楽病院の近くで発見。
 かつてここは塀で囲まれていたのであろうが、その塀を取り払った際に末端部分の長さ10cmほどが残されたのだと思われる。在りし日には表面に煉瓦を模した溝が刻まれていたのが見て取れる。現在ではなぜか白と茶色の二色に塗り分けられている。
 ちなみにこの物件のすぐそばには四角四面のアタゴ状物件もあった。良い写真がないのでここでは紹介しないが、暇な人は現地に行ってみて下さい。

*日本大学理工学部旧裏口 1996年6月撮影
#全景 (46KB)
 これは無用階段というか、あるいはヌリカベタイプかもしれない。神田駿河台の日大理工学部1号館の裏口で、もともとは出入口だったところをふさいで窓にして、さらに鉄格子を取り付けてある。
 窓があることで、上部の立派な庇は大きすぎながらもまだその存在理由を維持している。しかしポーチの階段部分などはほぼ完全に無用になっている。仕上げも美しく、重厚な一品であると言えよう。

*やつらの足跡のベルガマスク 1996年11月撮影
#まずは一踊り (26KB)
#まっすぐ進んで (26KB)
#さらに進んでそこで跳んで (23KB)
#ザ・ラストルンバ(ちょっとよろけてまた復帰) (24KB)
 塗りたてのセメントは人を誘う。人はそのセメントの上に足跡を刻み、自らがそこに生きた証を……んな大げさな。
 さて茅ヶ崎市はJR相模線宮山駅そばのこの物件では、何者かに蹂躙された生乾きセメントの凹凸を解消すべく、足跡の中に改めてセメントを流し込んだ様子が見られる。しかし施工時期の差か、それともセメントの質の差か、やたらに目立つ足跡の象眼ができてしまった。
 この足跡が埋められなければ、あるいは壺庭(ちょっとしたへこみに土がたまって草などが生えたもの)の大量発生が見られたのかも知れない。

*低所ミラー 1995年11月撮影
#全景 (23KB)
 赤瀬川原平著「超芸術トマソン」にとんでもなく高い位置にあるカーブミラーの例があったが、こちらはやたら背丈の低いカーブミラーである。低いとはいえ、これは相模川の海老名市側の土手の中腹に設置されているため、路面からは1m50cmくらいの高さはあるのだが。
 なぜこんなところにカーブミラーがあるかというと、この道を隔てた反対側に倉庫の門があり、そこに出入りするトラック等が安全確認のために使用するのである。しかしこの低さが災いし、子供のいたずらであろうか、約90度あさっての方向を向けられてしまい、あまつさえ右側のミラーはボコボコにされている。

*縛られマンホール 1996年7月撮影
#右角 (21KB)
 この物件は小田急線相模大野駅に近い谷口中学校の裏手にある。T字路の二つの角にそれぞれ鎖で縛られたマンホールがあり、この写真はT字の上方から見て右側の角にあるもの。路面より60cmほど高い位置にあって、民家の敷地に食い込むような形である。
#左角 (22KB)
 これは左側の角。右側より少々低く、周囲は空き地になっている。
#拡大 (26KB)
 左側のマンホールのアップ。蓋の周囲4カ所から鉄の鎖が伸び、中心において南京錠で結合されているのがわかる。右側の蓋もこれと同じ状態になっている。蓋にはなんの刻印もないので一体何のマンホールなのか、なぜ施錠されねばならないのか、なぜ一段高いところに蓋があるのか、全く不明である。もしやこれは地底の世界に通じる穴で、こうしておかないと夜中に地底人が大挙して登ってきて……。
 しかし周辺には「さがみはらおすい」と蓋に刻印されたマンホールが大量に存在するため、おそらくはこれも下水道の蓋ではないかと推測される。

*駿河台ピラミッド 1996年3月撮影
#正面 (20KB)
 この物件は、東京はお茶の水(駿河台)の山の上ホテル付近、断崖に沿った道の端にある。小さな扉が二つついており、ハンドルと鍵穴がそれぞれに付いているが、どちらもアルミ板をネジ止めすることで開かないよう固定されている。中身がなにか気になるところである。
 ピラミッドとは実は正確な表現ではない。なぜならこの形状は傾いた三角錐であって、いわばピラミッドを底辺の対角線方向に4分割したうちの一つに相当する。
#裏側 (37KB)
 こちらの写真はピラミッドを横から見たところである。崖から三角錐の大部分が突き出している様子を見て取れる。
 ピラミッドの下から斜めになにか伸びているが、これは明治大学10号館と東京国税局神田寮を隔てる塀で、崖下の地面からビルの約4階分の高さにあるこのピラミッドまで達している。ピラミッドが鼻とすれば、塀は長くはみ出した鼻中隔のようである。

*合羽橋原爆タイプ 1996年4月撮影
#全景 (37KB)
 合羽橋商店街(道具街にあらず)で見つけた原爆タイプ。家などが取り壊された痕跡が周囲の壁に残されているのが原爆タイプであるが、この物件で壊された後に現れたのは小さな窓であった。この窓は、かつて家があった頃には機能していたのであろうか。また、手前の路上にある花はいったい何を意味するのか。

*西横浜半無用橋 1996年4月撮影
#全景 (48KB)
 相模鉄道線西横浜駅そばにある橋。帷子川から石崎川が分かれてすぐの所にかかっている。頑丈そうなつくりであるが、向こう岸の変電所の壁と手前の真新しい鉄板とによって塞がれ、無用化されている。しかし変電所への通路としての価値に未練があるらしく、両側の壁にドアが取り付けられている。

*厚木屋根上屋根 1996年4月撮影
#全景 (42KB)
 屋上屋を重ねると言う言葉がある。しかしこの物件の屋上の屋は屋根しかなかった。庇と言うには不自然であるし、あるいは看板の一種とみなすべきか。だがやはりこれは屋根上屋根と言うのが適当であろう。やぁねぇ。

*海老名高所捨看 1996年4月撮影
#全景&拡大 (48KB)
 捨看(すてかん)とは、広告を刷ってある布を木の枠に張った安手の看板のことである。大概は電柱などにくくりつけられ、その名の通り放置されたまま朽ちていくので、自治体によっては禁止しているところもある。
 さて、この海老名市の物件であるが、捨看にしてはやや異常な場所に存在する。やはり電柱にくくりつけられてはいるものの、誰の目にもとまらないような高いところにあるのだ。
 写真の下方に少し見えている通り、すぐそばに歩道橋があるので、おそらくはその利用者に対して広告を訴求しようとする意図がうかがわれる。この距離で読めるかどうかはまた別の問題だが。
 それにしても設置者の苦労が偲ばれる物件である。

*町田のマンホール 1996年4月撮影
#正面 (32KB)
 東京都町田市の市役所付近の裏通りで発見。下水かなにかのマンホールがあるため、建物の一部をへこませてあるのだが、なぜかその部分に金属製の扉を取り付けてある。しかもこの扉はほとんど枠だけしかなく、わざわざ取り付ける必要があるのかどうか判然としない。
#斜め横から (34KB)
 扉を横から見たところ。マンホールと扉の位置関係が良く判る。恐らくは扉が勝手に開くのを防ぐためであろう、トイレの個室ドアに取り付けるようなスライド式のボルトで扉を押さえてある。このボルトはどうも後からつけたようである。



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