団報「ビカボシロ」'96夏号

ビーバー・カブ・ボーイ・シニア・ローバー
ボーイスカウト渋谷5団
http://www.asahi-net.or.jp/‾UP2J-KNST/bs.htm
1996.10.06発行
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渋谷5団のホームページ

夏のキャンプ

      ビーバ 7/26〜28   御岳山

      カブ  8/9〜12    菅平

      ボーイ 8/9〜13    金峰山

      シニア 8/13〜17   佐渡;移動

      ローバ 8/16〜26   米国カンサス


§ビーバ§


きし たつひろ

 ぼくがたのしかったことは(1)川あそび(2)むささびさがし(3)しょうにゅうどうにいったこと(4)キャンプファイアー(5)おてらにいったこと。こわかったことは(1)ゆめ(2)キャンプファイアーのときのリーダースタンツのむささびです。
 こんなにつかれたのははじめてです。はじめてしったことは月がものすごくあかるいこと。

いしい ひかる

 おととい水あそびをしました。いっぱい水であそべてきしくんと水をとめてあそびました。ホテルまですごくあるいてさかをあるいてやっとケーブルカーにのりました。おもいにもつをしょったのでたいへんでした。でもさいごまであるいてやっとつきました。はじめにおふろにはいりました。いいおもいでができてうれしかったです。

たかね けんきち

 おとといときのうときょう、キャンプにいきました。おとといは、水であそびました。きのうはしょうにゅうどうにいきました。きょうはかえりました。

おのでら こうた

 やまのぼりしてつかれたけどおべんとうはおいしかった。
 はんかちおとしもおもしろかった。
 よるごはんもおいしかった。
 1にちめにいかなかったからこうさくができなかったけど、あさのえいたくんがいしをくれたからうれしかった。

たなか やすし

 キャンプファイヤーで1ばんめのカブのうたでみてるだけがたのしかった。それでリーダーのげきで岩下リーダーがムササビでちいさいかいちゅうでんとうで目をつくってたのしかった。
 日ので山でのぼるのがつかれました。日ので山でちょうじょうに虫がいっぱいいて、ちょうちょがいました。かえりに石がころがってて、たいへんでした。きのえだもかみなりでこわれてたいへんでした。あるくときにのぼりざかでたいへんであせをかいて。あつかったです。

みやなが きょうすけ

 むささびをみにいきました。よるきゃんぷふぁいやーもしました。ぼくたちは、むささびとくまのさあかすをやりました。
 よるねるときもなかないでねました。
 あさおきるときもきちんとおきました。
 おべんとうもおいしかった。
 かわでみずあそびもやりました。つめたかったよ。そして、いしのうえにねっころがりました。べんとうは、いしのうえでたべました。


§カブ§


カブのキャンプ

込山聡

 とうとうまちにまった夏キャンプです。
 春キャンプとはちがって長いので、がんばりたいと思いました。教会出発、かしきりバスとは思いませんでした。出発と同時にゲームがはじまったので、ねてはいられないといって、ゲームに集中しました。現地着、お弁当を食べて火起こしと野焼きの時間が来ました。火起こしは、いい所までいったけど、火は、とうとうつきませんでした。岩下リーダーに火をつけてもらった後、宝さがしは、ほかのデンの物を見つけて、楽しかったです。きばせんは、みている時が多かったけど、とても楽しかったです。つぎの日、リーダーの声で起きました。朝礼の時、ひょうしょうされて、とてもうれしかったです。ぶき作りのかごをつくるのはとてもむずかしかったけれど、うまいといわれてよかったです。夜間ゲームは、春キャンプと同じだと思っていたら、もっと楽しくなっていました。
 つぎの朝、九時からのハイキングは、長そうでありながら、短いような気がしました。夜、キャンプでの楽しみ、「大営火」をしました。げきは、とても楽しい物ばかり。ただ、自分のやったげきをみられないのがざんねんです。キャンプ最終日の朝、朝礼でまたひょうしょうされました。とてもうれしかったです。朝食の時、食べているきのうの夕食を思い出しました。デンごとに自分たちの料理を作って食べるんです。一デンの作った料理はビーフシチ   ューでした。夕食の時間、みんなの料理にくらいつきました。たい長ちょうもぼくたちの料理を、すごくほめてくれたので、ものすごくうれしかったです。帰ると中のことです。現地出発から一時間三十分後、昼食をサービスエリアで食べるので、なにを食べるのかと頭が、?(ハテナ)になってしまいました。トイレからもどると何とかまめしだった!食べたこともないかまめし弁当のなかみは、すごい!上、下、上、下と食べていき、いれ物をもちかえりました。またバスにのり、渋谷の町に入りました。教会着といっしょにへいかいセレモニーの後、ぼくは、お母さんといつしょに帰りました。
 来年もさ来年も夏のキャンプに行きたいなー。

きもだめし

尾身禅介

 ぼくは、カブのキャンプで一番おもしろかったのは、きもだめしです。一日目の夜に小さなへやに入ってかしわぎ副長がこわい話をしました。そして一デンの込山くんが行きました。そのつぎに関戸くんが行きました。そして何分かたつと
「副長だってわかってるぞ。」
と言う声がきこえました。その次に行くのは、ニデンです。ニデンで行くのは、小林くんです。小林君は、もう行ってしまいました。そろそろ三デンにちかづいています。つぎに原口くんです。原口くんが行ってしまいました。つぎはいよいよ三デンです。ぼくは、立ち上がってドアを開けると、
「あの光ってる所に行ってくれ」
と言われました。そして、まっすぐあるくと
「ワッ」
とおどかされました。ぼくは、びっくりしました。オルガンの音が
「ポロリータラリー」
とへんな音でした。そしてまえに行くと、ボヤボヤした物が出てきました。そしてゴールです。ゴールにはたい長や色んな人がいました。
 きもだめしは、いままでで、一番楽しかったです。

楽しいキャンプ

雨宮亮介

 八月九日から八月十二日まで、三泊四日のカブキャンプに行きました。
 一日目はバスに乗って、教会から菅平へ行きました。四時間ぐらいかかりました。菅平に着いてから、お弁当を食べて、それからテントをはりました。リーダーといっしょにみんなでやりました。すごく時間がかかって大変でした。テントをはり終わったころに、雨がふってきました。それでその日は、きもだめしも、ねるのも建物の中でしました。
 次の朝は、ちょっと地面がぬれていたけれど晴れていました。朝礼をやって、朝食を食べてから、巣作りに行きました。巣作りというのは、木の枝と枝とを麻のロープでつなげていって、その上からシートをかけます。でも、巣作りのとちゅうで雨がふってきて、巣作りは中止になってしまいました。お昼ごはんを食べているうちに雨がやみました。午後は、かご作りをしました。それから水浴びをして、おやつを食べて昼ねをしました。水浴びというのは、スカウトのお風呂のことで、水の入ったドラム缶の中に、一人ずつ入って体を洗います。夕食を食べてから、えものとりゲームをして、スカウツオウンをして、テントでねました。
 三日目は、ハイキングに行きました。とちゅうに、くまのウンコがありました。ハイキングは、とてもつかれたけれど、がんばりました。帰ってから、お祈りをして、お昼を食べました。午後は、宝さがしと、騎馬戦をしました。ぼくたちの総合得点は八点でした。
 この日の夕食の準備は、ぼくたちみんなでやりました。二デンは、親子どんを作りました。ぼくは、玉ねぎと肉を切ったり、たまごを割ったりしました。ほかのデンは、ハヤシライスや肉野菜いためや、ビーフシチューを作っていました。みんなで、こうかんして食べました。二デンの親子どんは、なかなかの人気でした。この後キャンプファイヤーをしました。みんなで歌を歌ったり、げきをしたりしました。ぼくは、ブラックメケメケダンスをやりました。とっても楽しい夜でした。最後にスカウツオウンをしてねました。
 四日目は、もう帰る日です。まず、巣にはったロープを片付けて元通りにして、次に自分の荷造りをしてから、テントの片づけをしました。いろんな道具や荷物をみんなで運んでバスに積んだりして、大変でした。帰りは、とちゅうでかまめしを食べて、バスの中はほとんどねていました。教会に帰ってから、セレモニーをやって、ぼくはチャレンジしょうをもらいました。うれしかったです。
 家に帰って、やれやれ、ああつかれたと思いました。

カブ最後の夏キャンプ

小林瑛一

 今日、カブ隊最後の夏キャンプがありました。僕は、「このキャンプが最後でボーイに上しんするんだなあ」と思いました。バスの中でゲームをしました。僕は、2回もゆう勝しました。キャンプ場についたらおどろきました。それは、水もガスも、5年も前からこなくなってしまった場所だったからです。僕は水やごはんはどうするのかなあと心配でした。でも気がついたらいつのまにか水もガスも電気もリーダーたちがひいてきてくれました。
 まずテントを設営しました。20分ぐらいでできて、指示を待っていたら、リーダーが「デンの目標を紙に書いておけ。」と言ったので、みんなで、目標を考えました。目標は、「助けあう5デン」になりました。巣作りもしました。けれど、と中で雨がふってきて、けっきょく30分くらいしかできませんでした。今日テントでねむれるか聞いてみたら「今日はむりじゃない」と言われて、「えー」と言ってしまいました。夜、まっくらになったら、肝だめしをやりました。僕は一番最後なのできんちょうしちゃいました。しかスカウトの終わりの頃、とつぜん頭がいたくなってしまい、「やだなあこんな時に」と思いました。ついに最後に僕だけになったときとき、頭の痛みがとつぜんとれました。僕が歩いたら、後ろの方から走って来る人がいたから「じゃまだよ。」と言って、けっちゃいました。ゴールは食堂でした。数人の人は、ゲッソリしていました。僕はちっともこわくありませんでした。宿舎でねる事になったけれど、すずしかったです。2日目は、火を起こし、野焼きをしました。火は、全然つきませんでした。けど、黒いけむりはでました。岩下副長だけが、火をつけれました。その火はキャンプファイアーまでとっておく事になりました。その後、ぶき作りをしました。僕は、かんたんにできそうだったんだけど。強度がなくってやりなおそうと思ったら、時間がきてしまいました。夜間ゲームでえもの取りをしました。4、5デンは人数が少なくて、合体してやりました。まず、オトリ1がとびだして行きました。オトリのはずが、あっという間にえものをとってきてしまいました。僕は3回やった中の2回見張り役に見つかってしまいました。とてもざんねんでした。今日は、テントでねれました。ハチやハエが沢山入ってきてたいへんでした。3日目は、ハイキングがありました。上りは、石だらけでたいへんでした。ちょう上で、デンごとで大声を出しました。5デンは「とだ副長」と言いました。その後にミカエル神父様から御ミサをうけました。僕は、信者じゃないから神父様がおいのりをしてくれました。ゲームもしました。き馬戦で顔に誰かのひじがあたり、いたかったです。夕食は、自分たちで作りました。5デンはハヤシライスを作りました。かくしあじを加えて食べたらとってもおいしかったです。大営火でやったスタンツはまあまあのできでした。その後くま会議をしました。カブ隊での思いでなどを話しました。カブの3年間本当に楽しかったと思いました。その後、くまだけはジャンボテントでねました。きつかったけれどすぐねれました。4日目は掃除をして帰りました。教会に着いて、最後のカブコールを大声で言いました。これでカブも終わりです。


§ボーイ§


2度目の夏キャンプ

森重祐人

 私はキャンプ4回目、夏キャンプ2回目というベテラン?である。
 しかしこのキャンプは特別な思いでがある。なぜなら私は次長としてこのキャンプをけいけんしたからである。
 そして次長としてはたらいてはじめて班長、次長、そして班員の仕事のやくわりをしったようなきがする。
 新入の時は正直、なぜ新入だけがこんなに仕事させられのだ、なぜ班長は働かないのか、などと思い文句をいいながら仕事をしていたが、班長、次長はもっと大変だった。私が次長になった時うれしかった。
「これで新入の時のような仕事をしなくていいんだ。」
などと思っていたがやってみると大変どころではない、この仕事はただハードなだけではなく責任感と人の使い方がうまくなければいけない。まあ人の使い方はいいとしても責任感はなくてはならない。とにかく次長初けいけんの私はおどろくことばかりであった。
 さて話をかえてこの5日間の思いでと生活を思い出してみよう。
 まず初日、この日は現地についてから設営をした。あたりまえの事だが設営をしっかりやらないと、とくに夏キャンプのような4泊もする時はねれない。食事もつくれない、パイオニアリングもできない、というとても困った事になってしまうのだ。
 そんな設営もおわり夕食もすませた時、明日(二日目)に登山するという事が決まったのでその日は早くねた。
 そして次の日4時半におきて荷物をまとめ5時半ごろ出発した。その時のつらさは書き表せないほどのつらさだった。しかしなんとか頂上についた。そして下山の時、これもとにかくつらかった。
 しかしその下山もおわりテントの所にたどりついた。
そして食事をすませてねた、他の事は記おくがない。
 そして三日目、この日は何をするかわからなかったが班行動ときいたのでしゃくなげゆうほどうという道を歩く事にしたがけっきょく沼にはまりただ歩いただけであった。
 そしてメインの4日目、この日はゲーム大会という事だったがけっきょくポリタンそうだつ戦をやった、けがをした人もけっこういたが私はあまり熱くならなかった??のでけがはなかった。
 とつぜん話をもどして次長として行動して私は班員の時はよかったなと思った、といっても、もう次のキャンプの時は私は3年目なので班員にはなれないと思う、しかし班長は班長、次長は次長なりに楽しいこともある、だから班長になったら班長なりに楽しい事を見つけよう。

キャンプ

渡辺陽介

 四泊五日のキャンプには、いろいろな準備がいりました。荷物点検などがあったけど、家の用事があったので行けなかったです。
 キャンプ一日目、教会へ行きバスに乗りこんでキャンプ場に行った。一日目は、ほとんどが設営だった。班は小林君、鈴木君、飯島君、関戸君、ぼくの五人でした。関戸君と飯島君が来たのが途中だったから三人で設営しました。初めにテント、次にマーキーを建てました。夏は立ちかまどではなく石かまどだったので作るのがかんたんでした。
 二日目、山登り前日に、ハイキング用品などを用意して、朝四時半に起きました。最初は、ゆるやかな道だったけれどだんだん山の中に入って道もけわしくなってきました。途中で朝礼をやったり、朝食を食べたりしました。途中でのんだ川の水はつめたくてとっても、おいしかったです。金峰山荘から五じょう岩にかけての道が晴れていたのですごくながめがよかったです。頂上での昼食はとてもうまかった。五じょう岩のそばで記念撮影してから帰った。帰り道はおしゃべりをした。途中で何回もこけてしまった。キャンプ場へ着くと、すぐにすいかを食べた。おいしかった。昼寝を三十分くらいしてから夕食の準備をした。カレーだったのでご飯をたくだけでかんたんだった。つかれてたせいかたくさん食べれた。おいしかった。その日の夜は、ぐっすり眠れた。
 三日目朝から夕方までパイオニアルング。ほかの班は、ハイキングに行ったけどぼくたちの班は、マーキーを張りなおしたり食器だなを作ったりした。食器だなは、水具がぜんぶのる様にがんじょうに作った。夕食は牛丼だった。こげたご飯を食べて腹が痛くなった。
 四日目、十時からナイフの講習会があった。夜にバイキングがあるために自分でつかいやすいはしを作った。昼からゲーム大会を行った。ゲームはなんと、ぽりたんそうだつせんだった。ぼくたちの班は二位だった最後は、スカウト対リーダーをやった。とてもつかれた。その後昼寝をした。バイキング大会のための用意をした。ぼくたちが作ったメニューは、トマトのコンソメスープを作った。作り方は、トマトの皮をむく、中身をくり抜くトマトの中に、マッシュルームやレタスを入れる。お湯の中に、コンソメの素を入れる。トマトを入れてできあがり。
 バイキング大会は、いろいろな物が食べられておいしかった。七時半からキャンプファイヤーを行った。それぞれ班のげきはとてもおもしろかった。
 五日目撤営。十時半までに終わらせないといけない予定だったけれど間に合わなくてとてもおこられた。教会に帰ったら最優秀班にえらばれた。とてもうれしかった。

ボーイスカウトのキャンプ

関戸俊平

8月10日(土)、今日は一日おくれてのボーイスカウトのキャンプだ。10時ごろ家をでて、金峰山荘キャンプ場に行った。金峰山荘キャンプ場についた時は3時ごろだった。西垣さんにつれてこられた所はクマ班だった。クマ班には、小林さん、鈴木君、飯島君、渡辺君がいた。そしてまず、作業着に着がえて食事の用意をした。火が早くつき、食事も早く終わった。そして7時に、リーダーたちが作った工作物を見せてもらい、そのあと星をみた。星は東京とはちがい一つ一つがくっきりと見えていた。そしてテントにもどってみんな寝た。
 11日、朝起きてからまず、食事の用意をした。また火が早くついたのできのうと同じで食事が早く終わった。点検して、朝礼が始まった。優秀班がくま班だった。優秀班としてかんずめを1個もらった。中身はフルーツだった。そしてパイオニアリングの時、たちかまどを改造した。ぼくは、ベットらしき物を作っていた。昼の食事も火が早くついたので早く終わった。そして、パイオニアリングの続きをやった。ベットはできたことはできたが、みんなにドアとかいわれてしまった。夜の食事が終わって夜間プロで吉沢リーダーと佐竹リーダーをよんだ。みんな楽しく夜間プロをやった。そして夜間プロが終わって、テントの中に入って寝た。
 12日、11日と同じように食事の用意をして、食事を食べて点検をうけて朝礼をした。優秀班はなかった。そしてパイオニアリングをした。ベットははしごになってしまった。昼の食事をしてからポリタン争だつ戦をやった。くま班はみごとな作戦で2位だった。ポリタン争だつ戦が終わってバイキングの用意が始まった。くま班はトマト入りのスープを作ることになった。シイタケとかピーマンとか入れてぐつぐつにたりしてできたトマト入りのスープはとてもおいしかった。そしてバイキングがはじまった。どれもこれもおいしかったのでおなかはぱんぱんになってしまった。そして、バイキングがおわり次はキャンプファイヤーだ。木の周りにみんな座ってみんなのスタンツや歌を見たり歌ったりして楽しかった。やがてキャンプファイヤーも終わりテントに帰って寝た。
 13日、今日は朝早く起きてパッキングをした。そして食事の用意をして点検をうけて、朝礼をした。優秀班はスナネズミ班だった。そして、個人賞にぼくがえらばれてうれしかった。朝礼が終わるとすぐ撤営だった。そして撤営が終わったけど点検をなんども延長してしまった。点検をうけ終わって昼の食事を食べて、閉営式をして荷物をバスに乗せてキャンプ場を出た。バスの中では寝たらしく気がついたら雨がふっていた。雨の中荷物をリーダーのへやに入れてセレモニーをした。全体の優秀班はくま班だったのでうれしかった。
 今回の夏のキャンプはくま班に入ってチームワークもよく、楽しく仲よくでき、結果として賞をとったり、ぼく自身も賞をとってこれからのスカウト活動や、キャンプのはげみになった。


§シニア§


個人の感想

遠山和博

 今回は久しぶりのキャンプということで、とても緊張した。しかも移動野営ということで、荷物を運びきれるかが一番心配だった。初日に上野駅に集まった時に、自分の荷物の大きさ、重さには驚いた。実際、14日、15日と荷物を背負って走っててとても重かった。特に坂道はとても辛かった。でも、14日に連絡が取れなかったにも関わらず、鴻ノ瀬でB班と合流できたときはうれしかった。16日は荷台があって、28.9kmという距離にも関わらず、とても楽に行けた。ママチャリの力には驚いた。
 あと、今回のキャンプで不安だったことは、出発前から直撃すると言っていた台風だ。実際直撃したのだが、隊長に冷静に判断しろというようなことを言われて、そうしたら、そう慌てるものでもなかったので、アクシデントがあっても冷静ならなければいけないと実感した。
 今回のキャンプが「初陣」だった無線のことだが、一応免許はとったとはいえなにもわからない状態だったのが、呼び出しや交信がある程度出来るようになってよかった。まだ受信するのが慣れていなくて、うまく聞き取ることが出来ないので、この点はもっとトレーニングしたい。
 僕は、部活が忙しくてボーイのキャンプには全く出ていなかったので、テントの建て方や火器の使い方など全くわからなかったが、今回のキャンプでいろいろ教えてもらい、自分でやったことでだいぶ身に付いたと思う。自分たちで事前に打ち合わせをして計画したキャンプであり、また自分が副実行委員長という責任のある役務と言うことで、いままでのような受け身ではなく、積極的に活動に参加できたと思うので、とても為になったキャンプだったと思う。


§ローバ§


カンザス報告

柏木直紀

 成田を飛び立ち、シカゴで国内線に乗り換えたのですが、まずシカゴ空港のデカさに驚きました。シカゴは4つのターミナルがあるのですが、一つ一つが羽田空港並の大きさがあり、外国から着く所からシカゴ−カンザスの飛行機が出るターミナルまで専用の電車で5分強かかります。UA(ユナイテッド航空)のターミナルはゲートが72ぐらいあります。カンザスの空港は、シカゴほどではないですが、ターミナルは3つありました。
 着いた次の日にバギーさん宅の引っ越しの一部手伝いと、向こうのボーイスカウトとの交流会がありました。向こうの人たちとの交流会では、戸田さんと自分が向こうの人と一緒にケーキを作りました。が、非常に甘かったです。ケーキをダッチオーブンというもので作ったのですが、焼き方はオーブンの上下にチャコール(練炭みたいなもの)を乗せたりしいたりして、中のものを焼きます。そのチャーコールにスターターといわれるもので火をつけます。この方法は、日本でも使うと便利だと思いました。また使い終わったチャコールは、燃え尽きるまで放っておいていました。これは向こうの物価が安く、物がいっぱいあるからできることかもしれません。
 カンザスの大学に行ったとき、遠くにポツンと見える建物が大学のはしだよ、と言われたときには驚きました。
 2泊3日のキャンプに行きました。行くまでにアメリカで数少ない有料高速道路を通ったり、すーっとまっすぐな道を通ったりしました。途中で休んだ所で、コンボイと写真を撮りました。コンボイはとても大きく自分が小さく見えました。キャンプ場の近くは何もない所で、あるものといえば牧場くらいでした。キャンプ場は湖のほとりにあったのですが、夕方になるとモーターボートを持って遊びに来ている人たちがいて、のどかな雰囲気でした。
 今回行って思ったことは、アメリカ人は余裕を持って生活している、ということだ。例えば、見ず知らずの人に挨拶をしたり、パーティーとなると喜んで色々する。こういうものが日本には消えてきているのかなと思った。今回がローバーで初めてのキャンプだったが、とてもいい経験になった。またバギーさん、道子さんには現地で大変お世話になりました。
さて、米国では21歳以上でないと、酒が飲めない。従って、2年後以降行く機会があればぜひ行きたいと思います。

デカイぞ!!アメリカ

戸田隆史

 8月16日から10日間、アメリカのカンザス州に行ってきました。その間に出会ったこと、考えたことについて書きます。
 8月16日、成田空港からアメリカに向けて出発しました。気持ちの中では「ローバー隊アメリカ大陸・カンザス州に殴り込み!」と、意気揚々として少し眉毛をあげ気味に、だけどうれしさのあまりに、ほほはゆるめ気味して飛行場の中へはいっていったのです。カウンターで手続きをすると、なんとエコノミークラスがいっぱいなので、ビジネスクラスに乗せてくれると言うので、あまりのうれしさに全員その場で「バンザイ三唱」この調子なら「アメリカも大したことないぞ」とうかれたことを考えながら飛行機の中へ、しかしここで最初の事件が起きたのです。
 隣の席には、アメリカ人のオバサンが・・
このオバサンが大問題!!ボクがライトをつけると ジロリ!足元からカバンを出すとジロリ!飲み物をたのむと ジロリ!いちいちボクが何かをするとジロリジロリ、まるでボクの観察日記をつけているのか、CIAに頼まれてボクを監視しているかのようににらみつけるのだ、しかもこのオバサンが暴力的にデカイのだ!!。はやばやと負けを認めたボクは、ふて寝をすることに決め、毛布をかぶり深い眠りに落ちたのでした。
 飛行機はそんな戦いにおかまいなしで、予定通りにシカゴ空港に到着、ボクはアメリカに着く前にすでに一敗してしまったので「気合い」を入れ直し、アメリカ大陸に最初の一歩を踏み入れたのです。
 次は飛行機の乗り換えだ、しかしカンザス行きの飛行機がどこにいるのか分からない、周りを歩いている人はやけに忙しそうだし、警備員のオジサンは腰にピストルをさげて不機嫌そうに腕組んで立ってるし、どうしよう・・・
 勇気を振り絞って警備員のオジサンのなかでも一番ヒマそうで、一番やさしそうな顔のオジサンにチケットを見せて「ドコニイッタラヨイノデスカ?」と脳みその奥のほうにしまい込んでしまった英語を引っ張り出し、せいいっぱいの作り笑顔で話しかけたら、このオジサンすっごく良い人で、案内板のところまで行って調べてくれ「ついて来い!」といいながら飛行機乗り場までつれていってくれたのでした。「アメリカもまんざら悪い人ばかりじゃないな、これで一勝一敗の五分だな」とゆだんしながら飛行機を待っていると、なんかやな予感、すぐ向かいの公衆電話のところにお巡りさんが二人、何だなんだと思って見ていたら、いきなり、スーツ姿の男の人の両腕に「スッ」と言って「アッ」という間に手錠をかけて連れていってしまったのだ。
  「恐るべし アメリカ!
    恐るべし シカゴ警察!」
ビビリながらもボクは悪いことをしていないと自分に言い聞かせ、ゆるんでいた気持ちをギュッと引き締めカンザス行きの飛行機に乗り込んだのでした。
 カンザス空港まで萩原さん夫婦が迎えに来てくれていました、車で萩原さんの家に向かう途中、食料と飲み物を仕入れておかねばとスーパーと酒屋によることになった、このスーパーがまたデカイ!!店の大きさもデカけりゃ、牛乳のボトルも、アイスの箱も、スイカも、かぼちゃも、切り身の肉も、おまけに店員のがたいまで、なにからなにまでやたらとデカイのだ!!そんなデカさに圧倒されながらこんどは酒屋に、すると今度はなにからなにまでやたらと 安い!!「ありがとう アメリカ!!」アメリカ上陸一日目にして、はやくも感謝の気持ちでいっぱいになってしまったのだ。
 とても幸せな気持ちで家に着くと、「ローバー隊 アメリカ大陸上陸作戦 初成功記念パーティー」を開いていただいた。さっそく日本から持ってきたおみやげを渡そうと荷物を開けると、なんと一番値の張った日本酒が見事に割れているではないか!!とりあえず割れてしまったビンをプレゼントして許してもらい、その日の宴会(ミーティング)は夜中過ぎまで続いたのである。
 次の日は朝から萩原さん家の引っ越しをした後、現地のボーイ隊(カンザス279団)のリーダーとの交流会を開いていただいた、彼らはとても友好的にボク達を迎えてくれ、アメリカの開拓時代から使われている「ダッヂオーブン」というなべの使い方を実際にケーキを焼きながら教えてくれた。これはかなり厚手のなべに厚手のふたの付いたもので、この鍋を火のついた豆炭6〜8個の上にのせ、なべのふたの上に下にひいたのより2〜3割多めの豆炭を乗せて使うものである、焼き上がったケーキの味は書かないでおきます。パーティーでは、がんばって英語と身振り手振りを駆使してコミュニケーションをとり、アメリカのボーイスカウトのスケジュール(月に一回キャンプに行くらしい)やイーグルスカウト、シニア隊の移動キャンプに付いての話を聞き、日本のボーイも負けてはいけないとローバー隊の雪中キャンプでイグルーを組むのだとか、富士スカウトというのがあるのだとか、一生懸命がんばって話した。そして帰り際、参加してくれた現地のリーダー全員と左手でスカウトの握手をしたときに「本当に世界中どこの人もボーイスカウトは一つになれるんだなー」と思いとても気持ちが良かったので「引き分け」なのだ。
 この後、二、三日かけて、いよいよ今回の目的である「ローバー隊 キャンプイン USA」の準備をした。なにしろ店もデカイが、町もデカイので買い物するにも異常に時間がかかるのだ。
 そしてキャンプ当日萩原さんのトラックに、六人分のキャンプ道具と人を乗せ一路タトルクリーク レイクを目指し出発したのです。
 そして車が、カンザスシティの町を抜けると道がひたすらまっすぐになる、道がまっすぐになると周りに建物が無くなり、車の窓から見えるものは一面の牧草地なのだ、そしてこの一面の緑色の上に、ゴマをふりかけたように牛がいるのだ。最初は「アメリカっぽい景色だぞ」と興奮していたボクもだんだん飽きてしまった。二時間ぐらいひたすらまっすぐ走ってようやく目的地に到着、この場所、もともと小さな川をせきとめダムにした湖なのだがびっくりするほどデカイ!、もちろん向こう岸など見えないし、なんと町が一つ沈んでいるのだ!そしてダムをせきとめている壁も3kmぐらいあるのだ!そんな湖のほとりにキャンプ場がある、このキャンプ場、日本のキャンプ場とは違い、別に区画を仕切ってあるわけでもなく、ただ何となく所々に車を止めるスペースとテーブルと椅子、バーベキュウ用のグリル、焚火用のかまどが置いてあるだけなのだ、要するに「どうぞお好きなようにして下さい」状態なわけである。(しかし設備はすばらしくシャワーも付いていて、なんとトイレは水洗なのだ)それではと、好きなように設営し、日本では考えられないような広々としたサイトを作ったのです。(しかしこれがおおまちがい、あとでカンザス名物の風にとっても悩まされることになるのだ。)設営が終わり、みんな釣りをしにでかけ、しばらくして戻ってみると強風に負けフライが倒れているではないか、「恐るべし カンザスの風!」と思いながら「これでもか!」とがっちりフライを立て直したのです。
 カンザスの名物は、牛、ソフトボール大のひょう、そしてひょうの後にやってくる竜巻と嵐だそうだ。
 そして二泊三日のキャンプもなんとか無事に終わり、最後の朝、撤営を始めようとするといきなり大雨がボクらを襲い出した、その大雨は「ザー」ではなく「バシャー!」と殴りつけるように降ってくるのだ、いつもなら「コンニャロ 雨め!」と思いながらも撤営をしてしまうボクらもこのときばかりはフライの下に逃げ込み、またもや「恐るべし カンザス嵐」と心の中で叫んでしまった。
 帰り道はボクも途中から運転を代わり、ゆめだったハイウェイを運転することに、ただただまっすぐな道を運転しているボクの頭の中では、ずーっと「ボーントゥビーワイルド」がなっていた、しかしこの帰り道がまた大変!出発してから一時間ぐらいしたら、カンザス名物の嵐がまたやってきたのである、前の車のテールランプだけを頼りに走っている状態なのに、となりを馬鹿でっかいトラックがびゅんびゅん走っていくのだ、今度で四回目の「恐るべし アメリカ! 恐るべし トラック野郎!」と叫んでいた。
 キャンプから帰った後、また二三日ゆっくりして、最後の夜におこなう「バギーさんお誕生日おめでとうパーティー アンド ローバー隊さようならアメリカパーティー」の準備に取りかかった。このパーティーにはアメリカ人の方もいらっしゃるので、日本食でもてなすことになり、鶏を買ってきて焼鳥を作ることになった、聞けばアメリカでは切ってある鳥肉と言うのはめったにお目にかかれないようで、いつも鶏をさばいて料理しているようなのだ、我らローバー隊はこのときばかりと、いつもの訓練の成果?を発揮して、焼鳥屋の大将に大変身!アメリカ人の方も「ウマイ!ウマイ!」と食べてくれました。
 そして次の日、ボク達今度はエコノミークラスで日本まで無事に帰ってきました。
 ボクは行く前からアメリカがデカイことは知っているつもりだった、しかし実際に行ってみてこの「デカさ」が、日本とアメリカの文化や教育の違いの根本にあるのだということがわかった気がします。
 高速道路を走っていても道路標識の少ないのにびっくりするし、キャンプ場に行っても注意書きがない、これはどういうことなのだろうか?日本なら道路のいたるところに標識が立っているし、キャンプ場には看板が立ててあり、あれをしてはいけない、これはするなとうるさいくらいに書いてある、この違いはいったいどこから来るのだろうか。
 日本では与えられた指令や、命令、または人から植えつけられた理想に向かい、一つ一つ間違いなくクリアすることが良いとされている。しかしアメリカでは、自分で考え、自分の判断で行動することが良く、自らの判断が求められるのである。そしてこの違いが教育の場で大きく影響しているのだろう。
 そして文化の面でも大きな違いがある。日本人の言う「家」と、アメリカ人の言う「家」とは違うのではないだろうか。
 日本には土地がすくない、だから人と人がぎりぎりまで肩を寄せあい生活している、その結果、「ここからここまでは私の家だ!」というある種の縄張り意識が強いだろう、しかしいくらでも土地のあるアメリカ人には、「私たち家族が住んでいる場所が、私の家」なのである。そして日本では人と生活空間と自然がはっきり別れているが、アメリカでは自然の中に人がすみ、人の生活空間のなかにも自然がたくさん残されているのだ、だから「家」に対する「縄張り的」な考えがないのだろう。この意識の違いがアメリカ人のアウトドアライフの楽しみ方に良く現れている、彼らは仕事を4時頃終え、キャンプをしに家族と出かけ、次の日会社にでかけていくのである。「家」に縄張り的な考えのない彼らにとって、野外で生活することもべつに大したことではないし、「家」すなわち家族を大切にする一つの方法なのではないのだろうか。
 これらの違いの原因はアメリカのでかさと広さにあるのだろう。
 最後に、
 デカイぞ!!アメリカ!!

ローバー隊カンザス来襲始末記

萩原拓&道子

 ローバー隊の渡米は迎える側の僕にとってまさに「来襲」でありました。途中で1、2回帰国しましたが、約4年以上ここアメリカ、カンザス州に滞在してボーイスカウトから「逃亡(?)」していた僕にとっては、ローバー隊員が僕のところにやって来ようとはまさに夢のようでした。今回の計画の発起は去年の夏、カブ隊の梶井隊長夫妻がコロラド州で学会の後、僕たちの家へ4日ほど立ち寄って下さったことにあります。滞在中、梶井隊長は「ローバー隊員たちに是非アメリカを体験させてやりたい」と繰り返しおっしゃっておられて、それがいろいろな経路を通って今回の計画の実行につながったわけです。僕はアメリカにいるものですから、渋谷5団内でどのような動きがあったのかは詳しく知ることは出来なかったわけですが、山崎ローバー隊長、梶井カブ隊長をはじめ、団委員長、団委員の方、そのほか諸々のリーダーの方々に準備期間中、ローバー隊員たちが大変お世話になったと聞いております。僕のような遠いところへ引っ越して渋谷5団になにもしていない人間に、このようなすばらしい機会を与えて下さった方々に感謝しております。彼らローバー隊員がなにをやり、どのように感じたのかは一人一人の報告を見て頂ければお解りになると思いますので、ここでは、「来襲された側」としての感想をいくつか述べさせていただきたいと思います。
 8月16日夜8時頃、戸田隆史、鈴木伸介、小谷野達弘、柏木直紀のローバー隊員4名が Kansas City International Airport に到着しました。何カ月も前から計画を練っていたのだけれども、お互い殆どe-mailとファックスの連絡方法に頼り、彼らの到着1週間ほど前からようやく電話で連絡を取り始めるなど、かなり危なっかしい準備期間を経ての渡米につき、僕も妻の道子も今回のローバー計画を一抹の不安を持って見ていたことは否めません。しかし、空港で彼らの元気な姿、しかもスタイルは全くのボーイスカウト風(ザックを背負い、鈴木主将は隊旗を大事そうに肩に掛けていた)なのを見て、僕は久しぶりに渋谷5団のボーイスカウト活動に参加できる喜びを感じていました。しかも、彼らの殆どは、僕がローバー隊の進入隊員だった頃、ボーイ隊でリーダーをしていた頃のスカウトで、まだ学生気分の抜けない(本当にまだ学生なんですけれども)僕は、立派なローバー隊員、リーダーとしての貫禄をつけた彼らにとても驚き、うれしく思いました。
 僕が彼らのアメリカ滞在中、感じて欲しいと思ったことは3つありました。
 一つ目はアメリカの土地、町や自然を感じること、二つ目はアメリカの人々を感じること、そして三つ目はアメリカに接し、自分なりの意見を持つということでした。アメリカはとても広く、カンザス州にあるカンザスシティーというちっぽけな町一つだけではすべてがわからないのは明白で、さらに、彼らの9日間という短い滞在期間を考えると、上記の三つを完全に履行するということは難しかったかもしれません。しかし、僕は彼らなりにある程度のものはつかみ取ってくれたと思います。
 今回の滞在でのハイライトの一つはカンザスのボーイスカウトとの交流でした。幸い、カンザス在住の日本人の方の息子さんがこちらのボーイスカウトに所属しており、こちらのボーイ隊隊長とのコンタクトをとるときに力を貸していただきました。ちょうど我がローバー隊員来襲の時はアメリカの学校の年度の始まりで、実際のスカウトたちは学校に忙しく、会うことはできませんでした。しかし、こちらのボーイ隊隊長の方が、リーダーや、父兄を招いての野外パーティーを企画して下さり、ローバー隊員には貴重な経験を持てたと思います。服装は自由ということだったんですが、なぜかカンザス側も日本側も制服を着て会合しました。ローバー隊員たちは英語をしゃべるのが苦手と見えて(当然ですが)、とてもおとなしかったですけれども、言葉や文化を超えたスカウトとしての交流は出来たと思います。特に、最初にカンザスのボーイスカウト関係者と会ったとき、お互い同じ敬礼と握手が出来たということはローバー隊員たちにとって、また、僕にとっても国境を越えたボーイスカウト活動の大きさを感じさせました。僕からのローバー隊員、そして渋谷5団に対してのお願いは、これを機会に、国際的なスカウト交流を活性化してもらいたいということです。僕もできる限りのお手伝いをさせていただきます。
 あと、もう一つのハイライトは何といってもキャンプでしょう。この短い期間に2泊3日のキャンプを取り入れるのはかなり無理がありましたが、僕らは彼らが到着する1週間前に下見をしておきまして(これもリーダーをやっていた頃の癖でしょうか)、場所はあらかじめ決めておきました。キャンプ地はカンザスシティーから西へ車で2時間半程(120キロで飛ばして)のTuttle Creek Lakeという人造の湖でした。人造湖といっても大きな町一つを埋めたほどの大きさで、カンザスシティーよりも大きな湖です。ちなみにそこにあるダムの長さは2キロ程ありました。自然に入ればさすがはボーイスカウトのリーダー達です。町では英語に四苦八苦していましたが、キャンプではのびのびとアメリカのまさに「ばかでかい」自然を満喫してくれたようでした。また、彼らのしっかりしたキャンプ技術は、しばらくそういったものから離れていた僕にとって、とても懐かしいものであり、うれしいものでした。どこでも自然を楽しむことが出来る技術を身につけているということは素晴らしいことです。
 ローバー隊のカンザス来襲は僕にとっても妻にとっても渋谷5団の一員なのだということを改めて感じさせてくれる貴重な体験でした。また日本に帰ったとき、彼らと今回の思い出話が出来るのを楽しみにしています。ローバー隊員諸君、お疲れさまでした。今回の経験が君たちにとっての何かになるをことを期待しています。そして彼らの渡米に骨を折って下さった団の方々、ありがとうございました。これに懲りずにまた若い者達へのご支援、よろしくお願いいたします。


ベンチャー

四年に一度のシニアの祭典、「ベンチャー」が今年、8月1日〜8日まで、行われました。当団からは、神田、柏木両君が参加しました。


ベンチャー(全国シニア大会)に参加して

柏木 昭紀

1996年8月1日〜8日島根県三瓶山の麓を主会場にベンチャー大会が行われた。ベンチャー大会とは4年に1度行われる全国のシニアスカウトの集いのことであり今回で4回目となる。活動は、主会場と活動基地の2つで行われ中日に半数が入れ替わった。渋谷5団シニア隊からは神田君と僕が参加した。
7月31日20時渋谷東急イン前に渋谷地区から参加するスカウトが集まり三瓶に向けて夜行バスにて出発した。翌日、14時間かかって主会場である三瓶山北の原キャンプ場についた。(そこは、オートキャンプ場で、自動販売機などもあるとても便利な場所だった)僕は、渋谷13団の森君とバディーを組んだ。(何で神田君とバディーを組まなかったのでしょう。不思議ですね!)そして、神田君、13団の仲間と共にテントを張った。
主会場では、全体が4つの野営区に分かれていた。そしてさらにその中で隊に分かれて活動した。僕のいた隊は、リーダーをはじめスカウト全員東京組だったので島根にいるのに何かと東京の話が多かった。しかし、同じ野営区には、大阪、京都、愛知のスカウトが来ていて、隣のサイトに愛知のスカウトがテントを張っており、名古屋の話や、東京の話をしてとても面白く友達をたくさん作ることができた。
主会場の活動では、パラグライダーや、必修課題のエコキャンプがあった。エコキャンプは、普段の生活からキャンプまで地球にやさしく生活しようと言ったもので例えば、排水をペットボトル3本できれいにしてから流すなど色々なアイディアがありなかなかためになった。
その中でも主会場の1番の思い出と言えば、あの宇宙飛行士の毛利守さんの話が目の前で聞けたことである。話の内容は、宇宙から見た地球の環境被害などであった。その日の朝、僕の隊の朝礼中にどこかで見覚えのある人がTシャツ、短パンで歩いて来た。「どこかで見たことあるな〜、誰だったかな?」と思っていたら、その人が毛利さんだった。(ビックリ!)朝礼終了後隊のみんなで記念写真を撮ったが、その時の印象としては、体のどこにも無駄な脂肪がないことで、きっと厳しいトレーニングをしているのだと思った。
4日から岡山県新見市の廃校舎を本部にする活動基地に移動した。活動基地では、Cavingと言って観光用ではない鍾乳洞にヘルメットをかぶり、ヘッドランプを頼りに入って行くものであった。鍾乳洞の中は、30度近くの外と違い、空気が薄くとても静かで、涼しくとても気持ちが良かった。
活動基地3日目に入った「土橋の穴」は、中が映画の『グーニーズ』を思い出すような水たまりや、3メートルもある壁を上ったり小さな穴をくぐったりしたが、スタート時点から道に水がはっておりみんな濡れないように周りの壁を使ってロッククライミングのように歩いていたがそうはいかずゴールに着いたときには体全身水浸しになってしまった。しかし、普段では出来ないとても良い体験をしました。
今回のベンチャー大会は、今のシニアでは出来そうにないスケールの大きい貴重な体験をすることができた。また、自分とはひと味違う特技や考えを持ったスカウトが全国にいることも知ることが出来すばらしいものであった。
次回のベンチャーに参加するスカウトへ、主会場・活動基地で行う事を事前に決めるが、その時は自分の得意なものだけでなく、普段の活動で出来そうにないプログラムにもチャレンジしてほしいと思う。(今回の経験から。)

追伸  2人のお財布の都合上お土産は団に記念ネッカチーフのみです。
    隊ルームにてご覧下さい。

         神田 聡・柏木昭紀


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