団報「ビカボシロ」'96夏号

ビーバー・カブ・ボーイ・シニア・ローバー
ボーイスカウト渋谷5団
http://www.asahi-net.or.jp/‾UP2J-KNST/bs.htm
1996.10.06発行
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インターネット

皆さんも、インターネットとか、ホームページという言葉をお聞きになったことがあるでしょう。渋谷5団でも、ローバーの岩下主将が、学校の自分のコンピュータのなかで、渋谷5団のホームページを作ったのがきっかけとなり、シニア隊の木下副長を中心に、5団のホームページがまとめられてきました。ぜひ皆さんも、一度、渋谷5団のホームページを見て下さい。

渋谷5団ホームページ:http://www.asahi-net.or.jp/‾UP2J-KNST/bs.htm


ホームページを作ってみて

熊野亘

 まず、どうしてインターネットをやってみようと思ったかなんですけど、この計画は、はじめ、レーザー光線を使ってなにかをやろうということだったんですけど、いろいろなことを話し合っているうちに、どうせそういうことをするんだったら、いまはやりのインターネットというものに挑戦しようということになり、そして、もしできることならシニア隊のホームページも作ってみようということで、こういうことになりました。
 でも、ただ、やるだけでは、なにも自分のものにならないので、少しは勉強をしてからやろうといって、勉強も少しはやりました。そして、副長である木下さんの勤めている東京女子医大のコンピュータを使い、木下副長にいろいろと指導をしてもらいながら、ホームページを作成しました。ホームページを使ってみて、まず最初に感じたことは、なんか、世界各地に広がっているインターネットのつながりに、加わったみたいでとても充実感がありました。それから、作ってみてからも、いろいろなところから反応があって、とても、おもしろいものだなぁとか、みんな見てくれているんだなぁとか、いろいろなことを思っています。この計画は、これからもずっと続けていって、もし、できたら、外国のボーイスカウトとも交信をとって、交流を深めて夏キャンなどで外国にも行ってみようかなとか思っています。もし機会があったら、シニア隊のホームページを見てください

渋谷5団ホームページ

木下 順二

 夏休み前だったと思いますが、山手線の車内広告にこんなのがありました。
「この夏にやりたいこと、オートキャンプにインターネット。」
 スカウトの皆さんはキャンプならベテランだと思いますが、インターネットはどうですか。インターネットとは世界を結ぶコンピュータ・ネットワークのことで、これに自分のコンピュータをつなぐと、世界中の情報を瞬時にして手に入れることができるのです。さらにホームページというものを作れば、自分から世界に向けて情報を発信することもできるのです。実は渋谷5団はすでにインターネットにホームページを持ち、世界に(今のところ日本語だけですが)情報を発信しているのですが、ご存じでしょうか。
 5月頃だったと思いますが、シニアー隊の熊野君から電話があって、「インターネットをやってみたいのですが…」とのこと。「それならば、ホームページを作ってみないか」ということになって、シニアー隊の隊集会で半日がかりでシニアー隊のホームページを作ったのは6月9日のことでした。ふだん顔を合わせているビーバー隊の岩下副長がスカウト活動のホームページを開設していることも刺激になって、それ以後私なりにいろいろ付け加えていったところ、なかなか充実したページになりました。8月末現在の訪問者は延べ400人にもおよび、読んだ人から電子メールを何通もいただいています。また、Yahoo! INTERNET GUIDEという雑誌にも紹介されました。「ボーイスカウト渋谷5団ホームページ」は、団の歴史、ニュース、団報(全文)、団関係者のホームページ・電子メールアドレス、各隊活動報告、資料館、リンク、などで構成されていて、近々島村副長による写真館もオープンする予定になっています。さらに団員募集まで始めてしまいました。
 あなたがコンピュータを使っているなら、インターネットの渋谷5団ホームページをぜひ読んでおかなければ! ホームページや電子メールのアドレスを持っている人はぜひ教えて下さい。コンピュータを持っていない人は…、ホームページに載せる情報をぜひ提供して下さい。海外・地方在住のOBの方もぜひ訪問して下さい。
ぜひ…。

連絡先(E-mail:kino@research.twmc.ac.jp)


Formura-Nipponを見に行って

鴻 直人

 昨年のシニア隊のプログラムにこのFormura-Nipponを見に行こうと言う企画がありそれが9月1日(第7戦)にようやく実現した。
 9月1日朝7時10分会場である富士スピードウェイに到着した。ポールポジションの横に席を取り、8時30分から始まるフリー走行まで朝食timeにした.
 そして8時頃からスタンバイを始めて、8時30分になったらスタートし始めた。第1印象は、「速すぎる」。練習でこんなにスピードを出しているのに本番ではどこまで速いのかと思った。
 そして午後になりFormura-Nippon第7戦決勝がスタート。その時僕は第1コーナーでカメラを持って構えていた。そのおかげでP.P.の服部選手の乗るX-Japanの車を撮ることが出来た。最終的にはこの服部選手が見事優勝した。
 当初の予想を反し、本番のスピードそしてエンジンの音は実際に見なくてはわからない凄いものだった。
 皆さんもFormura-Nipponを見に行ったらいかがですか?

注:Formura-Nipponとは:

F-1と言う言葉を1度は耳にしたことがあると思います。Formura-Nipponはその下に位置するF-3000の枝分かれで今年発足した日本国内のみ試合(10戦)を行うものである。皆さんの知っている人では、近藤真彦、館ひろしなどの芸能人から、中島悟、鈴木亜久里などの元F-1レーサまでいて親近感が持てるものです


訃報:長谷川元隊長

昭和51年からカブ隊のリーダーとして、そして特に、55年から57年までの3年間は隊長として活躍された長谷川裕一さんが、6月に亡くなられました。昭和40年カブ入団以来の仲間として、多くの方が思い出を持っておられ、別途、追悼号を作る計画が、団友会を中心に進められておりますが、ここでは、3人の方に思い出を書いていただきました。


長谷川裕一君を偲んで

鴻久忠

 長谷川君とは、彼がカブスカウト入団からの付き合いで、以来30年近くにもなります。ユニフォームがはちきれそうなくらい大きな体に、やさしい顔。ボーイ、シニア、ローバーと進み、カブ隊の隊長を長く勤め、いつも明るい彼は誰からも信頼されるすばらしいスカウトでした。
 また、気の合う仲間で作った「少年少女日本四輪自動車倶楽部」でも、彼の笑顔はいつもみんなを元気付けてくれました。750ccのオートバイに乗り、漫画のキャラクターから「じゅんぺい」と渾名され倶楽部の人気者でもありました。上野原や富士山へのオートキャンプ、ジープジャンボリーに参加したことなど、何ものにも替えがたい楽しい時を一緒に過ごしました。
 彼が仕事の都合でリーダーを退いてからも、個人的にはよく勤務先の池袋西武を訪ね、今の5団の様子などを話すと「5団はいいですね、自分の息子達にもスカウティングをさせたい。」と、いつも目を輝かせて答えてくれていました。
 約3年前に急に体調を崩し、彼自身も思ってもいなかった入院、自宅療養を何度か繰り返しました。そして昨年の10月、「ようやく会社に復帰しました。」と連絡をもらい、しばらくぶりで彼を訪ねました。
 病後のせいか、やはりちょっとむくんでいたようですが、顔色も良く、元気な姿を見て、ひと安心していたのですが・・・・・。
 6月20日の早朝、奥様から「昨日、主人が亡くなりました。」と連絡を受けました。「えっ?」一瞬頭の中が真っ白になり、一言も言葉が出ませんでした。
 葬儀の後、「団友会の復活をとても喜んでいたこと。また、昔の仲間に会えること。息子達に、にこやかに自分のスカウトの頃の写真を見せていたこと。」等奥様に伺い、5団が本当に好きだったんだと改めて知らされ、胸がつまりました。
 私にとって楽しいスカウト時代を共に過ごした仲間、長谷川君、ただただご冥福を祈るばかりです。

どこに行っても思い出す

山崎 昭彦

 この夏は、どこへ行っても長谷川さんのことが思い出されてならなかった。
 7月27日、ビーバー隊のキャンプへと御嶽山へ向かう。中央高速八王子インターを降り、北へとパジェロを走らせながら、長谷川さんとのタンデムツーリングを思い出した。奥多摩までのルートは、長谷川さんと何度となく出かけたところだったので、地図はなくても方向と時間のだいたいの見当がつく。
 もう20年近く前のことになる。あのときも、「ちょっと出てこいよ」と有栖川公園の横の図書館に呼ばれた。曜日や時間に関係なく、ひょいと電話をくれるのが長谷川さんだった。何の勉強をするのかと思ったら、「ここの食堂はおいしいからさ」と、一番高いメニューをごちそうしてくださった。まだ彼が大学受験を控えた浪人生のころである。食べ終わって、「ちょっと行こうか」と誘ってくれたのだが、「どこへ」とも言わない。「ちょっと」だからと、わたしも軽い気持ちでカワサキ750RSの後席にしがみついて、気がついたら奥多摩の小河内ダムだった。
 彼は常にフットワークがよかった。そしてカブ隊では、そのフットワークをリーダーとして常に要求された。
 8月9日、ボーイ隊のキャンプは長野県の川上村であった。道中、車窓から「民宿ちくま」が見えた。以前カブ隊が夏のキャンプをやったところである。
 あのときはデンチーフが腹痛を訴え、救急車騒ぎになったっけ。盲腸だったのだが、長谷川副長がてきぱきと人を動かし、事なきを得た。リーダーに成り立てのわたしは、キャンプ後に彼のギャランシグマで佐久市の病院へ向かい、二人でご両親が到着するのを待った。国道141号には、長谷川さんとのそんな思い出がある。
 8月11日、その川上村から、カブ隊キャンプの菅平に向かった。四阿高原には久しぶりに行ったのだが、双葉山荘を囲む豊かな緑は、長谷川さんがカブ隊リーダーのころのままだった。
 当時シニアスカウトだったわたしに長谷川副長は、「キャンプのすべてを8mmフィルムに記録するように」とおっしゃった。倉庫のような一室で寝泊まりしながら、5日間を記録した。現像後、つたないカメラワークにもかかわらず、「BGMをつけよう」と、月例会までの1週間、駒場駅前の長谷川さんのお宅に、学校帰りにほぼ毎晩おじゃましてフィルムの編集とBGMの選曲、録音を続けた。これと思ったら、とことんつきあってくださる長谷川さんだった。
 その容姿から「くまさん」と呼ばれた長谷川さんの、温かいまなざしと懐の深さを、真似ていきたいとずっと思い続けてきた。リーダー1年生だったわたしに、いくつもの財産を分け与えてくれた長谷川さん。その笑顔と、関東周辺道路地図は、わたしの心から決して消え去ることのないものになった。

私と長谷川裕一さんとの思い出

松本秀夫

 私のスーツは、西武イージーオーダーが多い。なぜなら、そこに長谷川氏が勤務なさっておられたからです。たくさんの思い出がありますが、その中から少し語らせて頂きます。スーツを作る場合必ず採寸を致します。その日時を決めて参りますと、必ず「ちょっと行こう!」と言われ、1階上のティールームに行きます。そして、開口一番「どう?」と、言われます。さて、言われた私は、何を答えるのでしょうか?ボーイスカウトの事?、プライベートの事?、昭彦さんの事?さて何に対する「どう?」だったのか?しかし、今、考えてみるとあの「どう?」にはいろいろと助けられた気もします。「どう?」の奥にある親しみと、やさしさを私は一生忘れません。考えてみると、私も時々「どう?」と言っているかもしれません。「どう?」を教えて下さった長谷川さんに感謝しております
 また、結婚祝いにと、長谷川氏より時計を頂きました。6年前の4月からわが家で時を刻んでおりました。長谷川氏の突然の訃報からちょうど一週間目の日に、その時計は、止まってしまったのです。なんと初七日の日の事でした。私は「大きなノッポの古時計」の歌とついダブらせて考えられずにはいられなかったのです。わが家の中で時を刻む動きが止まった・・・新しい電池に入れ替え、また、その時計は動きはじめました。いったい、何が言いたかったのでしょうか?・・・・・
 長谷川氏の作って下さった数々のスーツを着て、人生の節目節目を通過してきた私にとって、長谷川氏の思い出は、一生消えることはないでしょう。
 新しいいのちと入れ替えた時計も、一生我が家で時を刻み続けてくれる事でしょう
 残された男の子達が、何かの縁でいつか、渋谷教会や渋谷5団を思い出して下さり、又語れる事が出来る日を楽しみに故人の冥福をお祈り申し上げます。


編集後記

新しい年度が始まりました。当団が、当時世田谷の池尻にあったドミニコ教会で誕生したのが昭和32年(1957)10月11日ですから、来年(1997)で40周年を迎えることになります。その記念すべき年度に入るに当たって、各隊長、ローバー主将、そしてシニアの上級班長が抱負を語ってくれました。
 夏のキャンプの感想文集では、スカウト達が何を見、何を感じたか、カンサスまで飛んだローバーの報告も含め、楽しさがあふれています。
 この1年の間に「インターネット」と言う言葉は急速に普及し、企業に限らず、個人でもホームページ(文、図、写真等で自分の画面を作り、インターネットを通して、外部の人が見られるようにするページ)を持つ人が多くなってきました。渋谷5団も、岩下副長、木下副長によって「ホームページ」ができ、シニアは自分たちでページを作り、キャンプの時の写真も掲載しました。それと共に、何を公開して良いか、公開すべきでないものは何か等についての「ガイドライン」が必要になってきています。いずれにしても、こうした新しいメディアによって、渋谷5団の活動を知る人が増えていっており、時代の変化を感じます。この団報のカットを描いて下さっている猪郷谷遊さんの「イラスト館」というコーナーも用意され、団報で使った絵が掲載されています。
 長谷川元カブ隊長の訃報は、大変ショックなニュースでした。今回は3人から思い出を語っていただきました。
 号を重ねるごとに、ページが増え、今回は23ページの厚さになってしまいましたが、団の活動の一面がわかっていただけたらと思います。
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