八王子空襲

 

昭和20年8月1日 20時20分に警戒警報、20時55分に空襲警報が発令されたが

B29は現れず、また23時頃に川崎が爆撃されているとの情報が入り、市民は八王子に

空襲は無いものと思っていた。

2日00時頃、B29爆撃機169機が伊豆半島から丹沢山を経て八王子に侵入、主力部

隊が2時間にわたって1600トンのM17集束焼夷弾を投下、日本本土空襲では3番目

の投下量となった。

 

市街地3.6 km²のうち2.9 km²が焼失、死者445人、負傷者 2,000人以上、

焼失家屋 14,000戸(市街地の80.0%)の被害を出した。

 

富士森公園

東京都八王子市

平和の像

碑文

八王子市は先の第二次世界大戦において大きな戦禍を被り 多くの尊い人命が犠牲になりました

このような戦争による悲惨な生活は再び繰り返してはなりません

よって非核平和都市宣言十周年にあたり 世界の恒久平和を願う市民の平和の象徴としてここに

平和の像を建立します

平成五年一月  八王子市

 

大和田橋

東京都八王子市

弾痕の位置を示すカラーブロック

 

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更新日:2012/04/01