ランドセル地蔵

 

学童疎開

昭和19年 6月、米軍機による都市空襲の激化に伴い「防空法」に基づく強制疎開命令が実施され、

6月には「学童疎開促進要綱」が決定された。

東京郊外の八王子市には約1,200人の子供達が都区内から疎開し、品川区立原国民学校の四年

生だった神尾明治君も、お兄さんや級友と一緒に「隣保館」で生活を始めた。

昭和20年7月8日、米軍機P51の機銃掃射が明治君を襲った。明治君は「お兄ちゃん、痛いよー」

と言いながら幼い命を落とした。

悲報を聞いて品川から書けつけた母親は、愛し子の死を悲しみ、形見のランドセルを明治君の面影

に似た相即寺の地蔵尊に背負わせたのだった。

 

相即寺

東京都八王子市

ランドセル地蔵尊(前列中央)

解説

昭和二十年七月八日 東京品川の原国民学校四年生 神尾明治君が疎開先の元八王子隣保館

保育園で 米軍飛行機P51の銃弾を受けて死亡し 明治君のお母様が明治君が使用していたラン

ドセルを 明治君に一番似ている堂内の一地蔵にかけて東京に帰り お母様も昭和二十一年一月

二十八日死亡した

 

ランドセル地蔵尊が祀られている地蔵堂

 

地蔵堂前に建てられた新ランドセル地蔵尊

 

地蔵堂前に建てられた新ランドセル地蔵尊

 

都市空襲

更新日:2012/01/29