---えどめぇるまがじん---

江戸老舗探訪記・バックナンバー

〜開かれた秘境への誘い〜
江戸老舗探訪記
その五「長命寺 桜もち 山本や」(東京・向島)

<取材・文:福島 朋子>


升桜餅(焼印みせ)
 
 ゴールデンウィークも終わり、ユウウツな梅雨を待つばかりの今日この頃。今年も「花見」ができず、意気消沈していた「えどまが」スタッフはせめて春の味でも堪能しようと、今さらではありますが、春の和菓子といえばコレに限るとばかりに、今回の老舗探訪記は桜餅のお店を紹介することにいたしました。
 桜餅と言えば、西の道明寺、東の長命寺といわれますが、日本で初めて作られた桜餅は長命寺の「桜もち」。今回は、桜餅の老舗も老舗、日本初の桜餅発案のお店、向島の「山本や」さんを訪ねてまいりました。


 
女将笑顔
若女将 山本祐子さん
1717年創業だから、もう何代にもわたって店を守り通してきているのだが、残念ながら1923年(大正12年)の大震災時に資料などはすべて焼失。もちろん伝統の「桜もち」の味は、ご主人が口伝で受け継いでいる。

江戸桜餅の運び方
浮世絵にも描かれた桜餅
女性2人が棒に渡して運んでいるのが桜餅。当時は竹で編んだかごに入れて持ち運んだ。なんとも風流である。現在でも山本やでは竹のかご入りバージョンの「桜もち」を販売している。実はこのかごを編める職人も数少なくなり、やっとのことで探し出して実現しているという貴重なものなのだ。
門番が生み出した環境に優しい和菓子!?
 「今でこそ、桜餅は白のほかに薄紅の皮をしたものがありますが、私どもでは、昔ながらに着色をせず、白一色で作っております」
と語るのは、日本で初めて桜餅を考案し世に送り出した「山本や」の若女将、山本祐子さん。なんとこの老舗では1717年(享保2年)の創業から現在に至っても桜餅一品のみを作り続けているのだから、そのこだわりは当然である。ちなみに、1717年とはどんな年であったのか? いまいち昔の事すぎてピンとこないのだが、あの大岡越前守忠相が町奉行になった年と言われれば、なんとなくその年月の重みも実感できるというものだろう。
 桜餅といえば、この季節感のなくなった現代でも、「ああ、桜の季節か、ちょっと桜餅でも」とついつい和菓子屋を覗きたくなる一品。花見の季節に欠かせないものだからこそ、本来、桜の花びらを用いた菓子が出回りそうなものだが、なぜ葉を用いる菓子が考案されたのだろうか? その理由は、こんなところにあるという。
「私どもの祖先に、長命寺の門番をしていた山本新六という者がおりました。この人、桜の季節は落ち葉の掃除に手を焼いたそうで、ふと思いついて桜の葉を塩漬けにいたしまして、薄い皮で餡を包んだものに巻いて売ったところ、大変な売れ行きだったとか」
 これが、桜餅誕生の物語なのである。この新六氏、厄介ものを立派な商品に仕立てあげたのだから、その着眼点は見事! しかも廃品利用(今でいえばエコリサイクル!)なのだから頭が下がる。
 その後、この桜餅はまたたく間に江戸のヒット商品となったわけなのだが、そのヒットぶりたるや恐れ入るほどのスケール。1825年(文政8年)に出された書物には当時の山本やで消費された桜の葉の数が記録されているが、そこには総数31樽とある。1樽につき約2万5千枚が入るというから、合計で77万5千枚ということになる。山本やの「桜もち」は当時1つの餅に対して2枚の桜の葉が使われていたことから、なんと38万個余りの桜餅が江戸庶民の腹の中に消えていった計算になる。いくら当時の江戸が世界一の人口過密都市だとはいえ、驚きの数。いかに長命寺・山本やの「桜もち」が江戸の人々に熱狂的な支持を受けていたかがわかるというものだ。

 
升桜餅
桜もち
かの正岡子規も愛したという山本やの「桜もち」。一時期、山本やの2階を「月光楼」と称して一夏を過ごしたことから、子規の作品には桜餅にまつわる詩が多く残されている。
「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅家づとにせよ」
それにしても、葉が大きい! これがおいしさの秘密なのだ。

長命寺浮世絵*
江戸当時の山本や付近の絵
左にある長命寺の門前に見えるのが「山本や」。当時からにぎわっていた様子がわかる。

これでもか! という秘伝の葉包み!
 では、江戸の時代に爆発的に愛された噂の桜餅をいただいてみることにしよう。まず、桜餅を目の前にして驚くのが、餅を覆った桜の葉の大きさ、そしてぐるりと3枚の葉で餅を完全に取り囲んだその外見だ。通常、桜餅は1つの餅に対して1枚の桜の葉が使われている。したがって、餅の地肌が見えていてるのが普通なのだが、この「桜もち」は一見、中に何が入っているのかわからない。とにかく桜の葉の印象が強烈なのだ。
 そこで、ふと疑問がわく。果たしてこの桜餅、葉はよけて食べるものなのだろうか? 贅沢にも3枚もあるから、1枚を残し餅と一緒に口に運ぶものなのだろうか? 躊躇していると
「私どもの『桜もち』は、葉はすべてよけて、中の餅をご賞味ください」ときっぱり若女将が疑問に答えてくれた。
「桜餅の葉というのは、餅にその香りを移すという役割もありますが、餅の乾きを抑えてしっとりやわらかな口当たりを楽しんでいただくためのものでもあるのです。そのため、江戸の当時は2枚の葉で餅をくるんでいたといわれていますが、今現在は、しっかりと餅をくるめるよう、葉の大きさにより2枚、3枚と桜の葉の枚数を変えております」
 なるほど、山本やのこだわりは、この大ぶりの桜の葉にあったのだ。当然、店の前にある隅田川の見事な桜並木の葉を利用しているのかと思ったが、実は現在では西伊豆産の大島桜の葉を利用しているという。というのも、桜の葉は塩漬けすることでクマリンという成分が生まれ、それによりあの独特な香りを醸し出すようになる。そのクマリンを多く出すのが「大島桜」なのだそうだ。
 言われた通り葉をはがして口に運ぶと、ぷーんとやわらかな桜の香りが漂う。そして大切に包まれていた中の皮が、また何とも言えずモチモチしている。
 正直、私はこれまで桜餅といえば、近所の和菓子屋のもの、へたをするとスーパーで売られているパック入りの代物しか口にしたことがなく、なんとなくボソボソとする皮の食感が苦手で、同じ葉でくるんだ菓子なら「柏餅」のほうに軍配をあげていた。しかし、しかし、この山本やの「桜もち」は、薄い皮ながらしっとりとしたきめ細やかな歯触りがあり、これなら、江戸の昔38万個でもあっさり消費されるはずだわ、と思う納得の味なのだ。


川端康成サイン*
川端康成も愛した「桜もち」
店内には、川端康成のサインも。鎌倉で開催されたお茶会にどうしても、山本やの「桜もち」を出したいという氏のたっての願いを聞き入れて、特別に、鎌倉まで「桜もち」を運んだなんていうエピソードも残っている。残されているサインはその茶席で書かれたものだとか。
桜餅を食べる時はバナナの皮をむくように!?
 そういうわけで、「桜餅は、やっぱり葉も一緒に食べるのが粋ってものよ!」などと思っていたが、それは大きな間違い。粋どころか、野暮だったのだ……。本当はバナナの皮をむいていくように葉を少しずつはがしながら口にするのが、しっとりとした皮の感触を楽しむための正しい食し方なのだそうだ。
 まあ、そうはいっても、こういうものは好みがある。女将さんもいうように、すべて葉を取って食べるというのは、作り手からの推奨モード。ならば、やはり邪道も経験しておこうと、1枚葉を残して餅と一緒にほおばってみる。うーん、しょっぱい。かなりきつい塩気のために、すぐにお茶に手が出る。やはり、葉はよけたほうがいい。しかも、どういうわけか、葉を一緒に食べたほうが、かえって桜の香りが希薄な印象になる。嗅覚が塩気に邪魔されてしまうのだろうか? やはり、老舗の推奨を素直に受け入れたほうがよろしいかと思う。
「とにかく、デリケートな風味のものですから、できたてのものをすぐに召し上がっていただきたいのです。本当はお店にいらしていただいて、できたてをそのまま食べていただくのが一番おいしいように思います」
 シンプルな材料の中にも、経験とこだわり、そして繊細な心遣いが息づく長命寺・山本やの「桜もち」。桜の花が美しいのが一瞬のように、本当においしいものを、おいしいままにいただけるのも、また一瞬ということなのだろう。GWも終わり、ちょっとやるせない気分になりがちなこんな時期、ちょっとしたお楽しみとしてお天気のいい休日でも狙って、隅田川畔をぶらつきながら山本やの「桜もち」をいただきに出かけてみてはいかがだろうか。

山本や外観ヨコ*

店内

「長命寺 山本や」
山本やの「桜もち」は、デパートでも販売されていますが、やっぱりできたてを味わうなら本店で楽しみたいもの。本店で出される「桜もち」は、長命寺の焼印が入った杉箱に入れられ、目も楽しませてくれる。風味は一瞬のものという本物の「桜もち」をぜひ一度向島に足を運んで味わってほしい。

住所:東京都墨田区向島5-1-14
営業時間:午前9時〜午後6時頃(月曜定休)
電話番号:03-3622-3266

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