---えどめぇるまがじん--- 

〜開かれた秘境への誘い〜
江戸老舗探訪記 その弐「天野屋」(東京・神田)

<取材・文:福島 朋子>


甘酒

 
「富士山に肩を並べる甘酒屋」と句に詠まれるほど、江戸庶民の間で人気を博していた「甘酒」。今では、「冬の飲み物」と思われがちな「甘酒」ですが、実は江戸の庶民の間では1年中親しまれ、特に真夏には夏バテ防止として欠かせない飲み物だったのです。
 今回の「江戸老舗探訪記」では、現在も昔ながらの製法で糀(こうじ)を作り、江戸の「甘酒」の味を守り続ける神田の「天野屋」さんを訪ねてまいりました。老舗のこだわりはもちろんのこと、「甘酒」の驚くべき効用が明らかに!! さて、今回も先人の優れた食生活の知恵をご教授いただきましょう。


社長メイン
六代目店主 天野博光氏
 昭和31年(1956年)生まれ。
「一回、糀菌を植え付けてしまうと、米は生き始める。そうなると、もう糀中心の生活になってしまいますね」
土室を守り、その手で糀の生き死にを感じ、江戸の食文化を守り続ける。
 

 「昔からの甘酒というものには、いっさい砂糖は入っていないんですよ。砂糖や酒粕の入った甘酒なんて、本物の甘酒じゃありません」
 神田明神前で、弘化3年(1846年)創業の「天野屋」の看板を守る六代目店主 天野博光氏は、甘酒について開口一番にそう語った。
 甘酒とは、酒とは名がつくが、いっさいアルコール分は含まれていない。今でこそ、酒や砂糖を入れた甘酒が出回っているが、本来「糀」と炊いた米だけで作るものなのだそうだ。米と糀を60度で10時間ほどおくと、甘酒ができあがる。しかし、原料を混ぜ合わせた段階では甘くもなんともない。徐々に糀が発酵することで、米のでんぷん質の甘みを引き出していくという。「とにかくね、甘酒は良い原料を使ったからっておいしいものができるわけではないんです。糀を作る行程がなによりも大切なんですね」
 ここ天野屋では、江戸の創業当時から残る地下室「土室(つちむろ)」を利用して、糀を作り、150余年の間、変わらぬ味の甘酒を提供し続けている。では、その糀の製造行程を紹介しよう。根気のいる、まさしく手作業とカンの世界だ。

 
社長
手の感触でしか測れない、糀の成長
  糀は、昔ながらの製法で4日間かけて作られる。まず1日目は米を水につける。2日目に蒸籠(せいろ)に入れて蒸し、体温まで冷ましたら糀菌を植え付ける。ここまでは地上での作業、そしてここから、作業は「室」と呼ばれる地下室で行われる。保温のために白い布と毛布にくるみ夕方まで寝かせたら、それを手でほぐしていく。これが「床(とこ)もみ」と呼ばれる作業だ。
「この床もみで、翌日の一時発酵の際の温度調節を行うのです。糀菌は発酵しすぎて温度が高くなってしまうと、死んでしまいますから、ちょうどよいところでやめないといけないんですね。ですが、これは温度計で測ってもうまくいくものじゃない。糀に手を突っ込んで、米の水分の加減や長年やってきた経験で、はじめて温度調節ができるようになるんです」
 一度、温度計を使って実験をしてみたがことごとく失敗したそうだ。まさに職人の業。「温度管理なんて機械を使ってもできないものなんです。手で触ってみて「いいかげん」「良い加減」じゃないと……」
 そして、糀は3日目に一時発酵をさせ、さらに20時間ほど寝かせる。この寝かせている間にまた「手入れ」という糀をかきまぜる作業を行う。糀菌が繁殖しはじめると、米同士が手をつないだような状態になり、空気が入らなくなってしまう。そこで、空気を入れるためにボートのオールのようなもので丁寧に攪拌するのだそうだ。これは、ちょうど3日目の夜中の作業になる。これでさらに糀を寝かせて、やっと4日目の朝に完成というわけだ。
 もちろん、これは糀ができるまでの過程。甘酒の完成となると、さらにまた10時間ほど待たねばならない。糀はあまり日持ちするものではない。だから作りおきなどできず、毎日しこむ。すべての行程が毎日の作業として発生する。なかなか、手間のかかる仕事である。
「いやね、人には大変なことやってるなあ。と言われますが、自分では当たり前に思ってます。へたに手を抜く方法を考えようとすると、やっぱりすぐわかりますから。一度、『手入れ』の作業を省いたらどうなるかというのを実験としてやってみたんですが、ダメでしたね。たぶん、お客さんにはわからないとは思います。ですが、できあがった糀を見ると、自分として、うーん、やっぱりなあ……と納得がいかないんですよ」

糀室

糀室
上が現在天野屋の地下にある「土室」。
写真下は糀を発酵させている様子。

江戸から伝えられた土室が、良質の糀を守り続ける
 かたくななまでに江戸からの製法を守り、苦労を苦労とも思わず、糀を作り続けてきた天野氏だが、そんなご店主にも、一度だけ頭を抱えたことがあったそうだ。
「一時期バブルがあったでしょう。その時期にこの辺りでもビルが立ち並んで地下の「室」がつぶされちゃったんです」
 現在、天野屋の地下には「糀室」と呼ばれる地下室が残っているが、ここは以前、地下室というより地下道になっていて、神田明神の地下はおろか、辺り一帯に張り巡らされていたのだという。この辺りは関東ローム層で高台のため、穴を掘っても水が出ない。また関東ローム層というのは、水の吸湿性が大変よく、糀が発酵して水分が多い場合には壁が吸い込み、少なければ壁から水分を放出してくれるという、湿度を保つには絶好の場所であった。そのため、江戸時代には100件近くの糀屋がこの近辺にひしめいていたのだ。そのなごりの地下室というか地下道がバブル全盛期までは残されていて、天野屋でも糀の「発酵室」として、現存の地下室以外の場所も使用していたのである。
「今まで、ウチの地下にある『床場』は『発酵室』として使用していなかったので、他の地下室がつぶれたときは苦労しましたね。同じ地下室でも微妙に環境が異なりますから。今はなんとか、ウチの地下で糀を発酵させられるようになりましたけど」
 こんなところにまで、バブルの後遺症が……。やはり、にっくきバブル!! 当時高校生でバブルの恩恵などなにも受けていない私は声を大にして言いたい。もちろん地下高騰のお祭り騒ぎの時には、「天野屋」さんにも連日地上げ屋(?)がおしかけ、この由緒正しき建物をビルにしないかという話をひっきりなしに持ち込んだそうだ。それでも代々続く味を守り続けた店主の心意気が、今、新たな付加価値を生み、貴重な江戸当時からの味として支持されているのだろう。

割り箸がついてこない甘酒が良い甘酒?
 さてさて、「糀」「甘酒」の製法を追ってきたところで、このあたりでひとつ、その「甘酒」を実際にいただいてみよう。「天野屋」のお店でいただける甘酒は、お茶請け(?)に久方味噌がついて400円也。甘酒というのは、沸かして10分くらいで上澄みと分離してしまうものは、あまり良いものではないそうだ。完全に糖化していて、30分ほどたってからやっと分離し始めるのが良い甘酒。京都辺りに行っても割り箸がついてくる甘酒がほとんどらしいのだが、あれは、分離してしまった甘酒をかき混ぜるためのもの。天野屋の甘酒にはフォークがついてくるが、これはあくまでも味噌を口に運ぶため。決して甘酒自体をかき混ぜるためではない。
 熱々の甘酒をゆっくり口に含むと、まずとろとろとした舌触りが気持ちよい。そしてすぐに甘い香りが口中に広がる。砂糖が入っていないというのは、ちょっと信じがたいほど。しかしこの甘さが嫌味ではない。すっきりとしていて、口の中がさらっとする。口の中にベタベタとした感覚もないので、甘い物が嫌いな人にも意外といけるのではないだろうか。まだまだ砂糖が高級品であった江戸の当時、庶民にとってはまさしく格好の甘味であったことだろう。しかも、この甘酒、江戸庶民にとって大切な栄養補給ドリンクでもあったというのだ。

 

辻駕籠

えっ、甘酒は病院の点滴に匹敵する!?
 「甘酒の甘みの成分は、糀と米のでんぷん質が作り出すもので、ブドウ糖がほとんどなんです」
 なんと甘酒の成分を分析すると、病院の栄養点滴にも匹敵するらしい。糀菌によって炊いた米が発酵していく段階で、ビタミンB1・B2・B6やアミノ酸が生まれるそうだ。しかもこのビタミン類は完全吸収型で、体外に吸収されにくいそこいらのサプリメントとはわけが違う。この効果は、天野氏自身も体験済みだとか。
「昨年、急性膵炎で1カ月ほど入院しましてね、店に復帰しても体力が落ちてしまって、夕方には足がパンパンに腫れるようになったんです。それでいろいろと栄養ドリンクなんかを飲んだんですが、一向に疲れがとれない。そこで、ためしにウチの甘酒を飲んでみたら、30分くらいすると足のかったるいのがとれるんですよ。私が言うのもなんですが、甘酒ってすげえんだなあ。と思いましたよ(笑)」
 江戸時代の人々は質素な食生活のため、短命だと思われがちだが、決してそんなこともないのである。確かに「七五三」の風習でもわかるように、子どもの死亡率が高かったため平均寿命としては低いが、三歳、五歳、七歳を過ぎると割合長生きしたそうである。甘酒を例にとってもわかるように、科学的な分析ではないにしても、経験的にきちんと栄養のあるものを知っていたのだ。
「甘酒などは、昔からのものです。その昔ながらの食べ物が今も残されている意味をちょっと、皆さんに考えていただきたいんですね。甘酒が嫌いという人もいますが、本物の甘酒を一度飲んでいただいてから、判断していただきたい。だからこそ、ウチは製法を変えられないのです。
 昔の栄養ドリンクだったものは、今でも栄養ドリンクとして通用するわけです。それに砂糖や酒を加えてしまっては、意味がありません。そこは絶対に変えていきたくはありませんね」



甘酒 江戸味噌 柴崎納豆
甘酒
 生:900円(700g)
 加熱処理済み:700円(380g)

おみやげ用の甘酒は生のものと、加熱処理をした2種類がある。生は夏場の暑さに弱いので、5月までしか販売していない。通常、冷蔵保存で1カ月程度しかもたないが、冷凍保存をし、使用する分だけ出すようにすれば、3カ月くらいは保存が可能。加熱処理済みは通常冷蔵で3カ月ほどもち、冷凍保存をすれば半年はもつという。ちなみに栄養価は変わらない。
江戸味噌
 1000円(500g)
こちらも、江戸時代からの製法を受け継いで作られている天然醸造の「江戸味噌」。厳選された大豆と最高級の伯方の塩、そして糀のみをじっくり1年間寝かせてできあがる。スーパーで買う味噌よりは高価だが、うまみが凝縮されている分、味噌汁に使う際には、少量でもこくがある。
柴崎納豆
 300円(160g)
「江戸の当時、小粒の大豆はなかった」と店主が言うだけあって、驚くほど大粒の納豆。大豆は一度収穫してしまうと、土の養分を吸い取り畑が枯れてしまうため、5年ほどは同じ場所で作ると味が落ちてしまうのだとか。そのため、天野屋では産地にこだわらず、常に良質の大豆を原料に納豆を提供している。

店舗
「天野屋」
先祖より守り続けた土室で生きた糀を今も作り続ける。
住所:東京都千代田区外神田2-18-15 神田明神鳥居際
営業時間:冬季無休(12月2週目〜4月2週目の日曜日まで)
     それ以外の期間は、日曜・祝日休業
電話番号:03-3251-7911(代)
ホームページ:http://www.oldclock.com/
       (オンラインショップあり)

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