[◆舞台上のグループわけと行動軌跡(ミザンスツェーナ)]■目的…舞台空間の活用については、相手役との相互行動の過程が要求するように使うべきだと今まで述べてきましたが、ここに至って新しい課題、即ち観客のことを考慮すべき時がきました。 舞台上で正しく生きるだけではなく、舞台の諸条件を十分考慮しながら、その生活を観客に伝えることを考えましょう。 ●舞台上で起こることはすべて観客に見えなければならず、はっきり理解されなければなりません。 そのためには、俳優はいかに役の生活に集中していても、同時に客席とのつながりを感じ続けて、 自分の創造を客観的に(はたの目)で観察しコントロールできなければなりません。 ●グループわけは舞台における登場人物の相互にかかわりあった配置を指します。 ミザンスツェーナは配置だけではなく、舞台空間内の登場人物の配置がえ(行動の軌跡)も含みます。 つまりミザンスツェーナは、一定の時間を消費しながら発展していくものなのです。 言い換えれば、グループわけはミザンスツェーナの静止した一瞬であり、ミザンスツェーナという時は、 それを構成しているいくつものグループわけの集合体とも考えられるのです。 ○注意点… 稀に舞台上の事件が正しく把握され、相手役同士の間に生きた相互行動ができていれば、 稽古の最中に自然に表情豊かなミザンスツェーナが生まれて来ることもあります。 俳優相互の直感が、どんな天才演出家も考えつかない素晴らしい人物配置を生みだす事もあるのです。 しかし直感だけを頼りにしてはいけません。 グループわけとミザンスツェーナの構成の技術を、意識的に学ばなければなりません。 心で体験する芸術では、芝居の繰り返しは前回の正確なコピーをつくることではありません。 俳優は芝居を毎回『いま・ここで』のものとして演じるわけですから、必然的に役の内面のみならず外面的表現も、 即ちミザンスツェーナも新しくなるのです。 俳優は、定まった舞台構成を破壊してはならないのですが、細部の選択では常に自分を自由にしておく必要があります。 ●演出家の指示するミザンスツェーナに盲目的に従う人形のような俳優ではなく、 俳優が本当の芸術家である団体が具象化する素敵なミザンスツェーナには、 細部と全体との魅力的な統一と相互に浸透する力とが必ずあるものです。 人形やロボットではなく、演出の共同創造者として、舞台空間を自由に駆使し、 芝居のたびにその日の行為の遂行にもっともふさわしいからだの置き場所を見い出すためには、 俳優もミザンスツェーナの法則を完全に身に付けていなければなりません。 ●この法則は、生活の真実と舞台的真実という二つの要求を土台としています。 演劇的真実を創り上げるには、この二つの要求が不可欠です。 良いミザンスツェーナは、見た目にも表情豊かで、舞台上の事件を十分に表現するだけではなく、 俳優に創造のための最良の条件を与えるものです。 ★課題 現実の生活の観察から、興味あるグループわけを発見し、それを再表現することを求めます。 ○注意点… 生活的に真実である事が、ミザンスツェーナの豊かな表情を創り出す主要な条件です。 また客席に対してもっとも有利な配置を創ることも大切です。 例…授業の最中に和やかな雰囲気が生まれてきた頃、教室にいる俳優達にそのままの姿勢で静止するように求めます。 この時教師を囲む生徒達という生活そのものが生んだグループわけができます。 その時の各自の姿勢を、各自がなぜそのような姿勢になっているか判断してもらいます。 姿勢の違いは、教師への注目度や体の調子、身のこなしの習慣、本能的な志向もあるかもしれません。 その後二つのグループを作り、一方は舞台上に、一方は客席に配置します。 舞台上に配置されたグループに、先程の風景を再現するように求めましょう。 その時どんなに良く似せても教室の時とは違って、個人的特殊性やリアリティが失われていることを観察できます。 大げさになったり、消極的になったり、「水増し」と呼ばれるものが生じるのです。 この時、客席のグループに舞台を授業の構図として表情豊かなものに作り直してもらいましょう。 しかしこれは失敗します。 なぜなら「一般的に」表情豊かな構図とか、わかり易いミザンスツェーナというものはあり得ないのです。 ミザンスツェーナを創るのは、俳優達を効果的に配置するためではなく、 戯曲の生活のある瞬間を具現化するためなのです。 [◆伝統的、習慣的な舞台上の位置の意味の重さ]■目的…どのような動き、ポーズ、グループわけでも、それが舞台空間のどの位置で行われているかによって、観客には全く違った受け取られ方をするものであることを、俳優は体験を通じて理解しなければなりません。 ●舞台上で客席に向かって立ち、舞台前へ一歩出ても、ホリゾントへ一歩下がっても、 そのような移動は観客にほとんど気づかれない。 しかし上手や下手に向かって一歩動けば百パーセント観客に気づかれる。 また観客に向かって椅子に座り、前かがみに客席の奥を見つめても、観客には、 なにかちぢこまった歪んだ姿勢と受け取られるだけ。 しかし上手や下手に向かっておなじ姿勢をすれば、観客には意味を持った姿勢 または行為として十分に理解されるのです。 ★課題 老人の手をとってまたは女性の手をとって舞台に連れてあがり、客席を向いている椅子に腰掛けさせる。 その時、俳優は絶対に観客に背中を向けてはならない。 また自分のからだで老人や女性を観客の目から遮ってはならない。相手に余分な回転や動きをさせてもいけない。 椅子に向かって後ずさりさせてもいけない。 ○注意点… 観客に対して自分がどのように見えているかを、意識して行動することです。 俳優が習慣的に体得すべきことですから、ふだんの生活でも工夫して練習することを求めましょう。 ★課題 グループわけの方法の一つに、舞台を主導している相手役に、 客席に対してもっとも有利な状態を与えるものがある。 例…二人で舞台に登場し、ドラマや二重唱を歌う。 二人とも演出になったつもりで、始めは声が自然に客席に流れていき、 目と表情が観客に見えるミザンスツェーナを生み出しましょう。 次に片方づつ、演じている人が客席に対して自然に見えるようにしましょう。 ●俳優は、グループわけやミザンスツェーナが、下手から上手へ流れるか、またはその逆かは、 観客に取って決してささいな事柄ではないことを理解しなければなりません。 現実に実社会での体験も比較検討する必要があります。 スタジアムや競馬場など、人の流れの様子を観察した結果をもちよりましょう。 これが諸外国、特に左から右へ横に書く文字の世界の住人と、日本のように縦書き・横書きなど、 混合の住人との違いを認識しましょう。 ●伝統的な舞台芸術の中で、舞台上の立ち位置が定式として不変なものに、翁の能があります。 歌舞伎などにも踏襲されていますが、その原則的ミザンスツェーナは不変です。 翁を中心として、上手に千歳、下手に三番叟が配置されています。 この理由は、様々な書物で「三位一」などとして解説されていますから、調べてみましょう。 そしてこの配置が、アジアの神的世界の表現に、驚くほど共通している要素であることを調べましょう。 俳優が上手から下手へ動く、その逆に歩く、観客に近づく、遠退く、階段を降りる、のぼる、横顔を見せる、 正面を向く……すべて正しく利用すれば、独特な強力な舞台表現の手段となります。 しかしおざなりにすれば、舞台に混乱と醜悪を必ずもたらすでしょう。 ●基本的ミザンスツェーナの構成方法 ★課題 全員による舞台移動をともなう練習 [駅の売店に新聞を買う人々・登山隊の山道・トラックの荷物おろし、または荷積み] 最初は即興で観客を考慮せず試みます。 例…駅の売店に新聞を買う人々の行列が出来た場合、行列はゆっくり動いていきます。 しかし残りの新聞が少なくなって、秩序が崩れた場合どのように人々が列を崩して売店に殺到するのでしょうか? また報道カメラマンは、どこからこの場面を撮影すると考えられるでしょうか? A[売店を上手において、下手に向かって売る場合] B[売店を中央舞台から客席に近づけ、舞台奥に向かって売る場合] それぞれの利点と欠点を考え出す必要があります。 Aの利点は、どのような移動も、相手役同士の接近離散もより浮彫りとなり、観客にもより理解され易いのです。 また沢山の登場人物をレリーフのように絵画的に浮き上がらせるにも効果的です。 必要と在れば人と人の間に距離感を持たせることも出来ます。 しかしAの方法の欠点は、濫用によって必ず舞台構図の単調さを招き、また横向きになった俳優の表情や目の動きは、 観客にとらえにくくなり、俳優の声や話し言葉も舞台袖に流れて、観客には聞き取りにくくなります。 この点をカバーしようとして、俳優が無意識に客席に向かって半身をひねり、相手役に横を向いてしまいます。 その結果相互行動の自然な過程が乱され、低級な「お芝居らしさ」が生まれてしまいます。 Bの利点は、人物の舞台奥から前面への効果的な登場の可能性を生みだします。 また顔を客席に向けているのは、俳優の表情、声、目の表情をもっともよく観客に見せるものでしょう。 しかしBの欠点は、前方にいる者が後ろにいる者を隠してしまい、言葉を発する俳優は、客席に背中を向けるか、 相手役に背中を向けることになります。 つまりこの方法の利用は、舞台奥から登場する人物が、舞台上の事件の主軸となる場合に限られるのです。 この他にも、[売店を上手前において、下手奥に向かって売る場合]のように、対角線方式もありますし、 行動の基準軌跡を円や曲線、ら旋形につくることも出来ます。 このような特殊なミザンスツェーナは、大道具、階段、家具、床の凸凹、その他舞台装置の活用によって俳優の行為と関わりを強め、 より豊かな多様性をもったミザンスツェーナを生みだす条件が作りだされた時に可能となります。 ●ルネッサンス時代の箱型舞台、円形舞台、能舞台、プロセミアム舞台、様々な舞台の特色や欠点を実際に見学し、 体験して認識していくことが必要です。
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