[感覚の記憶]

感覚の記憶は感情の記憶と密接に繋がった、人間の能力の中でも不思議な領域に属する力です。
誰にでもある能力でありながら、自分の意思で自由に思い出したり楽しんだりすることが難しいのです。
簡単な例としては、おふくろの味といわれる料理や、匂いによる人の思い出など、
何気ないときに突然強く感じることのできる感覚です。
この、利用することの難しい感覚の記憶を、感情の記憶とともに、リラックスと集中力で演技創造に活用しよう
というのがこの課題の最終目的です。

■感覚の記憶の理解と発見を目的として、五感の感覚の記憶や筋肉の緊張の記憶を呼び起こしながら、
自分の身に起こった事件や出来事を再現していきます。
具体的な感覚の記憶は、情動の記憶(感情の記憶)に働きかける時が多いので特に注意が必要です。
感覚の記憶の再現は、潜在意識の中に刻まれている感情を、無意識に鮮やかに蘇らせる時があるのです。

○注意点…
「感情や情動・衝動」に意志の努力によって直接働きかけることは、精神的な脱臼と心理的抑圧に導く危険な行為です。
五つの感覚の記憶を自由にコントロールし、舞台上の架空の状況下で心身を積極的に合理的な行動へと導く習性を獲得し、
常に新しく生み出された感情を感得し、使いこなす能力を修得します。

★課題 記憶された五感の訓練
・日常的な行為の中から感覚の記憶を呼び起こす。
お茶を飲む。ひなたぼっこの太陽。etc
・記憶にある自分の大切な小さな品物を、記憶された感覚を頼りに五感を使って再現。
品物に対して、愛情を抱いているもの。品物に対して、嫌悪を抱いているもの。etc
・寒さ 暑さ 水の冷たさ 風の強さ 等の記憶された感覚を頼りに、自分の状況を想像してゆく。
・記憶の中の人物を、記憶された感覚を頼りに五感を使って再現。
人物に対して、愛情を抱いているもの。嫌悪を抱いているもの。etc

○注意点…
以前に体験した感覚の記憶を、正確に具体的に思い出す事。
感覚の記憶の再生は、リラックスを行いながら実施される事。
また一つの感覚だけを重点的に思い出そうとするのではなく、一つの感覚からその他の感覚の記憶も蘇るまま、
自由に試みていくことが大切です。
簡単な課題を実行している時には、感情の記憶の再生が負担になる事があるため、自分に理解できない
感情・衝動が生じてきた時には、リラックスの徹底と呼吸によるコントロール、発声による注意の集中の切り替え
を行うことが大切です。

★課題 俳優が実際に体験した心に残る出来事や感情的な思い出を、五感や筋肉、その他の記憶の中に
感覚の細部を蘇らせつつ、一人語りします。
(その事件に遭遇したときの感情の蘇りがある場合には、意識的にではなく自然と沸き起こるまま表出していくこと。)


メモリー メモリー
感情の記憶
■アイホールでは、十年以上前の個人的な「楽しかった事または感動した出来事」を、
その時の場所や天候などの周囲の感覚の記憶を再現しつつ、
観客の前で語って行くことを課題に選びました。
記憶された感情の再現も生徒の意図に反して発生することがありますが、
この段階では、感情の再現については、表現するしないについては生徒の意志にまかせ、
表現する場合でも、極力リラックスして表現するよう注意しました。
日々の訓練では、トワレットの中でひなたぼっこや雨宿りなど、自分の生活の中の1シーンを
感覚の記憶のトレーニングとしました。




[虚構の状況下における行動]

この「もし......だったら」という課題は、俳優の想像や空想力を養い、自分の生活の中でリアリティを
感じられる行動で(生活の法則に従って)、表現していくことを求めます。
「もし......だったら」という前提で、今自分のいる環境が全く新しい状況を生み出していき、
自分の行為の目的達成に、様々な行動の選択肢を提示してくれるのです。
そのことに気がついて、自分の信じられる行動を選ぶことが、実は「場の理解」と呼ぶ演技センスを磨くことに
つながっていきます。
この課題は、役作りにも大きく貢献する基礎技術です。
台本は、作家がある状況を設定し、そこに登場人物を投げ込んで、その時に必要とする事件を起こす為、
また事実を明らかにする為に行為や台詞を生み出したものですから、これは作家の心の出来事なのです。
もし同じ状況の中にあなたがいたら、同じ事件や事実を明らかにするため、あなたがリアリティをもって
どんな行為や言葉を使うでしょうか。
台本の行為や台詞とあなたの行為や言葉に違いがあれば、それが登場人物とあなたの違いであり、
それこそが役作りの手がかりになります。
その違いが何処にあるのか、なぜ違ったのか研究してみましょう。
あなたが演じる時の現代と呼ぶこの時代の特性や台本の書かれた時の時代特性、登場人物の過去
【年齢・生い立ち・職業・肉体的特徴・主として表面化している性格、行為の癖、今の生活環境等など。】が
問題なのでしょうか。
それとも登場人物が生きていく未来の方向が、あなたの感じている方向と異なるためでしょうか。
このような基礎技術は、与えられた虚構の条件のもとで、自分のリアリティで行動できる「創発力」を
必要としているのです。
これは訓練という経験を積まなくてはなりません。
 課された目的を正当化する状況を見いだすことに慣れることも大切です。
また、反射的に心と身体で応える速さを訓練し、即興を生み出す力を養い、自分の中のタブーを乗り越え、
余分な分別を克服していくことを学びましょう。
◆想像や空想力の養成と表現を目的として、虚構の状況下における行動を修得していきます。
架空の状況の条件下で、実際の生活を営む人間に特有な有機的過程のあらゆる細やかさを保持することが
大切です。
即ち、実生活における人間の行為の法則を守って、舞台の上で行動する能力を養うのです。
もう一つは、行為と状況の微妙なつながりを捉える能力を養います。
○注意点...俳優の創造は、「もし......だったら」という、実在の生活の面から想像の生活の面への
切り替えから始まります。
しかし、虚構を現実とみなすような自己暗示をかける必要はありません。
俳優は、虚構が実在の生活において実現する可能性を許して、これに合致する行動を見いだすのです。
状況を信じ込むのではなく、架空の状況で、どんな行為が可能か、ふさわしいか、探しだして遂行していく
能力が大切です。
★課題 教室がもし今の時間ではなく、夜中の3時だったら......
・俳優に架空の生活へ入る準備を求めます。
とても長引いた授業を想像して、その目的または理由を正当化しましょう。
 例えば...
 明日の演技試験のためにこうして稽古場に残って練習している。
 すると一人一人の状況設定はどうなるのでしょう?疲れてる?やる気一杯?
 家族が心配しているかもしれない?。
 電話がなくて時間が延びたことを知らせられない。・・どうする?
 デートの約束を破った・・どうする?招待されていた芝居を見にいけない。・・どうする?
等など、色々なアイデアが生まれるでしょう。
沢山考え出して、『夜中の授業』というエチュードを創るつもりで一人一人がアイデアを表現してみましょう。
○注意点...練習は絶えず新しい「もし......だったら」を提案して多様化しましょう。
 例えば夏の夜、30度以上の気温の中で、空調が壊れているとしたら......
逆に真冬だったら...これらは、授業と云う状況と目的の本質を変えるものではないのですが、その雰囲気を変え、
あたらしい色合いを加味していきます。
与えられた状況の微妙な変化が、自分の行為に及ぼす影響を理解することが大切です。
逆に果たすべき行動(授業を受ける、授業を楽しむ)が、状況の微妙な変化によってどのように歪むかを
判断できる能力を養います。
★課題 虚構の状況の中で、与えられた行動の正当化
 ・俳優に教室を横切ってもらいます。それからその行為の正当化を求めます。
 例...博物館の陳列室を通り過ぎる。
山菜とりに山道を行く。
浅瀬を渡る。
薄氷を渡る。
泥沼、雪原、丸太の上、綱渡りなど

○注意点..._
正当化・何時、誰が、何を、何故、どのように、どうしたかという想像。
練習を重ねるに従って、状況をより複雑にしていきます。
雨の降る中の山菜取りなど。
俳優の空想をふくらませ、与えられた目的を生活の中の具体的な行為によって正当化するという習性を
養うことです。
但し補足状況は、いっぺんに加えられるのではなく以前の状況を身に付けるに従って、
行動の新しい具体化に対する要求が起きたときに、練習に導入していきます。

★課題 ドアを開けて部屋に入る
 ・自分の部屋に入る
 ・初めての部屋に入る
 ・何か事件のあった部屋に入る

○注意点...
どんな部屋なのか...
何故部屋に入ったのか...
部屋に入って何をしようとしているのか...
部屋に何があったか...
部屋で何を見たか......etc
虚構のより複雑な要素の介入と正当化が逐次行われていくことで、
具体的な演技作品「エチュード」へと発展させていきましょう。

★課題 ドアをゆっくりと開ける、急に開けるなどテンポ・リズムの変化を求めます。

○注意点...
行為の色合いが変わり細部までの注意がはらわれる事で、虚構の広がりと行動による正当化が
より的確になることを理解する。

■アイホールでは、「もし......だったら」というだけの課題は実施しませんでした。
あらゆるコミュニケーション能力を高める課題の中に、常に「もし......だったら」という課題が加味されました。
また、「もし......だったら」を演出が提案するだけではなく、生徒が自発的に設定して、
自分達の課題作品を、より奥行の深いものにしてゆきました。



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