[想像上の対象を持つ行為]

「無対象行動」という名で広く知られたこの課題が、なぜ俳優の基礎技術なのか、
その答えを持っている教師が少ないことは知られていません。
往々にして、パントマイム訓練や演劇ごっことして用いられていますが、これは大きなまちがいです。
この課題の目的を達成することで、演技創造ための「行動の論理」の把握が、
より細やかに正確に行われていくことを企図します。

例えば、空の旅行鞄を重そうに持つことが大事なのではなく、何時、何処で、誰が、どのような行動の結果、
その鞄をどのように持つのかが大切なのだと理解され、
それはどのような行動の論理によって、表現されていくのかが想像されなければならないのです。
それが、演技創造の糧となるのです。
嘘の重さを信じることではなく、重い荷物を軽く持とうとする行為の論理を探して、表現の糧とするのです。

■物と感覚の記憶のつながりの理解を目的として、パントマイムではない想像上の対象を持つ行為を実践していきます。
想像上の対象を持つ行動は、膨大な集中力、想像力、鋭い観察力、前に経験した感覚の記憶、行為の論理、行為の一貫性を
要求します。そのために、有機的創造の要素の複合訓練に最適です。
但し、パントマイムや「らしく見える振り」ではなく、正しく技術的完璧さを持って遂行される必要があります。
つくり物の小道具にリアルなモノの特性を与え、自分の演技によって生命を吹き込む能力を身に付けるのです。

○注意点…想像上の対象を持つ行動は、無対象行動といわれ、しばしば形式的に義務的に訓練されています。
しかし、想像上の対象を持つ行動が、実は創造との深いつながりを持つ事を理解しましょう。
想像上の対象を持つ行動其れ自体が目的となって、ヘタなパントマイムのように、俳優の器用さや工夫の誇示
になってはなりません。これは行動の描写にほかなりません。

舞台上の手紙が電撃的なスピードで書かれ、重いトランクは空のトランクのように扱われ、乾杯の時に、酒が全てこぼれる
のも構わずに盃を振り回し、メモは一瞬のうちに読まれてしまい、熱いものも素手で受け取られたりする演技を助長します。
これらの行為の細部に対する怠惰、注意の散漫さが俳優のリアリティーに脱臼箇所を作り出し、
単純な身体行動を行う際に見逃された小さな嘘が大きな嘘となって、観客の信頼を全て裏切っていくのです。

★課題 もっとも単純な身体行動の論理と一貫性を意識的に復活させる訓練。
・マッチを点火する……正当化例…タバコを吸うため、暗がりを照らす(鍵を捜す)等

○注意点…習慣的に無意識に行っている行為を、小さな補助的な行為の複合物として分析し、行為を論理的に組立てていく。
●実際に本物のマッチを点火する。
次にマッチ箱だけで点火してみる。
次にマッチ棒だけで点火してみる。
次に想像上のマッチ箱をもって点火してみる。
例…A・ポケットの中をマッチ箱を捜す
  B・箱をつかみ、取り出す
  C・開けるときに、マッチがこぼれないように注意する
  D・指で外箱をおさえ、内箱を押し出す
  E・片方の手の指で、マッチを一本分離する
  F・2本の指でそのマッチをつかみ、箱から取り出す
  G・マッチの頭を下に向ける
  H・火をつける時、火傷をしないように、マッチの端をつまむ
  I・硫黄のついている箱の側面を、マッチの下にもってゆく
  J・マッチをする
  K・炎が燃え上がるように、マッチを回す
  L・もし屋外だったら、一方の手か身体で風を防ぐ
  M・マッチをタバコか、暗がりにもってゆく
  N・タバコに火をうつす、あるいは必要なものを見分ける
  O・マッチを吹き消す、または手を激しく動かして消す
  P・マッチの燃えさしをどこに捨てるか考える
  Q・燃えさしを捨てる、または灰皿に入れる、あるいはまた箱に入れる

○注意点…繰り返し練習していく中で、何度でも本物のマッチを使って、行動の論理の確認を怠らないこと。
またより複雑な要素に挑むために、なぜマッチをするかと言う目的を選択すること。
マッチをする行動が最後まで、効果的に、合理的になり、本当にマッチを点火する行為にまで論理的段階を、
首尾一貫して通過しなければならない。
行動の成分の一つ一つを顕微鏡でみるように把握して、行動の基本要素を捉える事。
それによって舞台上の行為に、たとえ僅かであっても真実感(リアリティ)を感知することがなにより大切です。
練習が行動の展示や見せびらかしにならないように注意します。
俳優はいかなる状況のもとでも行動を描写すべきでなく、練習の反復には常に新しい行動論理を研究しましょう。

★課題 課題に障害となる要素を加える。
最初のマッチが折れたとか箱が湿っていた等。
★課題 ・コップで水を飲む。(五感の使い方と状況・環境・動機・ヴィジョンの理解)
・ただなにも条件付けしないで、水を飲む。
A 実際にコップに水を汲んで飲む
B 実在のコップを、実在の匙でまぜ、想像上の珈琲または紅茶を飲む
C 想像上のコップを、想像上の匙でまぜ、想像上の珈琲または紅茶を飲む

●最初に「もし…ならば」を使って『水飲み』を創造する為に、必要な条件を生徒達と捜します。
・シュチェーション(状況)の確認「何時・何処で」(走ってきた後)(暑い日の…)etc
・モチベーション(動機)の確認[何故水を飲むのか](喉が乾いて)(興奮して)etc
・ヴィジョンの連続…シーンの一つの事件(水を飲む)から連続して起きる事件への展望
「ヴィジョン」を、演技の連続の中で明確にする。

○注意点…
どんなお茶なのか…何故飲むのか…何処で飲むのか…どこから来たのか…
どこへ行くのか…何時飲んでいるのか……etc。

出来れば、即興的なエチュードに仕立てていきます。
細部を明確にし、筋を組み立て、繰り返し演じることのできるように行為の論理を築きます。
○注意点…
想像上の対象を持つ行動を分解して、そこに留まってはいけない。
何回も繰り返し「空虚なもの」を「リアルな対象」とまったく同じように、軽快に、くつろいで、
注意力を最小にして対応するように、無意識の行為に近付けていきます。

■アイホールでは、最初の課題の説明と練習の後、次からは「もし……だったら」を加えて、
生徒経験したことのある場面を再現しながら、マッチや水飲みの課題を発表するようにしました。
生徒自身にとって一番信じられる場を想定し、その中で必然的な行為の遂行という形で課題の解決を求めたのです。
生徒には、机や椅子または自分で作ってきた簡単な装置を、自分が知っている場の創造のために様々なモノに見立てて用い、
想像上の対象となるものを極力少なくしました。



[相手役とのコミュニケーション]

しぐさの文化と言われるように、日本では些細なしぐさが大きな意味を伝達します。
同様に、舞台上の相手役とのコミュニケーションも、台本上の台詞だけの交流があると考えてはなりません。
もっと深いコミュニケーションがあって、その結果生まれる「行為の結晶」として台詞が交されていくのです。
台詞があって、コミュニケーションがあるのではありません。
また、アジア的な文化としての「仕草」の研究も進められるべきでしょう。
俳優の日常の仕草の習慣が、演技創造に大きな障害となる場合さえあるのです。
自分の意思に反して発信されているメッセージほど、表現者の不本意なことはありません。
自分の仕草やクセを研究し、コミュニケーションの障害とならないよう努力しましょう。
また、相手役を十分に受け入れる事…即ち観察し推理する(思い遣る)能力を身につけましょう。
瞬間的に「相手を理解した」と思って、自分の演技のための準備に没頭しないで、相手の最初の言葉や仕草に惑わされず、
しっかりと相手を観察し続ける集中力と忍耐力を身に付けましょう。

■相手役とのコミュニケーションを目的に「舞台上の対象を確立・オリエンテーション・対象への適応」を学びます。
刻々と変わる相手役との微妙で繊細な関係を、敏感に感知しさらにその変化を反映させながら内面的ふれあいを作り出す能力を磨くのです。

[舞台上の対象を確立する]

俳優の仕事の一つは、与えられた台詞を相手役に向かって言い、演技の全体的なテンポリズムを捉え且つ保ち、
更に相手役の行為の微細な変化を敏感に捉えて、自分の行為に反映し乍ら、内面的触れ合いを作り出すことにあります。

★課題 相手役とお互いの真意がわからない練習。但し、単純な課題であること。
・一定の期限で借りたお金を友達に返す。
対立条件…[返して欲しくない貸し主と絶対に返したい借り主]
何故返したいのか、何故返して欲しくないのか、理由を考えてから実施する。
補足条件…双方とも、どんな場合にもお金を自分の手元に置いておかないこと。

○注意点… 1.舞台上で実際に見る聞く話すその他の動作で表現する、という相手役との交流を的確に実行し、
相手役の変化を敏感に感知していくこと。
特別の注意を払うのは、「いかに自分が行動するか」ではなく「いかに彼が行動するか」であり、正しく相手に対応し、
自分の行為を修正できる能力を身に付ける。
2.相互に注意がどこに注がれているかを把握し、お互いの注意の「尾行」を首尾良く行うこと。
相手役との交流が進むにしたがって、適応変化は無限の可能性があることを理解すること。
相手役への働きかけ、相手役からの働きかけに対する適応を、進化させること。
3.俳優の行為の形式が固定している形で示す演技や職人芸の演技は、有機的な相互行動としての生き生きとした交流は起こらない。
形で示す演技は、自分を誇示したり、自分自身が注意の焦点になっている。
これは俳優自身の自己顕示のための演技に他なら無い。職人芸の演技は、観客目当ての演技と言える。
(大衆芸能と呼ばれるものに多い)

●ストレートプレー(心で体験する演技)では、俳優は舞台上の対象に自分の注意の全てを注ぐのです。
しかし客席へ直接語りかける手法も、特殊な表現方法としてあります。
『検察官』の中で市長は、「何を笑っているんです?…自分を笑っているんだ」と客席に向かって語り、
その時客席全部に明かりがつく演出があります。
戯曲の内容によって、風刺を強調する等の特殊な手法として、演出や俳優によって取捨選択されていくのです。

[オリエンテーションの確認]

あらゆる有機的行動の出発点は、オリエンテーション(現在の環境と過去との関係を正しく認識する)の正確さにあります。
戯曲や設定の状況や生活環境の中で、生きていく方向の判断と、相手役の認識と彼が何に係わりどのような状況にあるかを理解し、
それが自分の目的の実現にどのように反映するかを見極めていくのです。
★課題 ・実生活の中で観察した人と人の相互行動の始まる瞬間の再現。

■アイホールでは、道を尋ねるという行為を基に、何時、何処で、誰が、誰に、何を、なぜ、どのように、どうした、
という項目の解答を組み立てながら、即興で表現することを求めました。
例えば、道に面した八百屋の店先で、八百屋の店員にアイホールを探しているOL2人がアイホールまでの道順を尋ねる。
という設定を生徒達が作り出します。
それに加えて、上演時間が迫っていたらとか、野菜の配達に追われていたらとか、条件を逐次増やしていくと、
実際に八百屋の店員を観察して作っていた八百屋の店員の行為が、その論理にしたがって、
観察されていなかった行為の創造にまでつながっていきました。

●生きた対象との相互行動は、相手の積極的な意志や反対行動や、彼の行為の様々な、ときとしては予想外の変化に出会う。
ここに相互行動(舞台上の闘争)の極めて繊細な過程が生まれ、それによって様々な劇的葛藤が解決されていくのです。
○注意点…相互行動の有機性は、ときには俳優に全く気づかれずに失われていくことがあります。
役をしばしば繰り返すために、相手役との内面的つながりが麻痺し、過程の外面だけ、即ち筋肉の記憶によって
再生される舞台上の動作の軌跡(ミザンスツェーナ)と習慣的機械的な対応だけが残るのです。

●相手役同士が本当の交流を目指す時、多くの重大な障害を克服しなければならない。
中でも最大の障害は、演技の反復性の中にあります。

○注意点…創造の有機性は表現者全ての努力目標だが、劇の全時間にわたって完璧に到達することは実際に実現し難い。
また、演技において十分に正しい交流や正しくない交流と断定できるものはない。
もし交流の分析がやれるものなら、相手役との交流00%、観客との交流00%、役の説明00%、事件報告00%、
自己顕示00%、等々となり、これらのパーセンテージの組合せが交流の正しさの度合いを決定するのです。
相手役との交流を確立することを学び、一方対象との正しくない交流をよく認識し、創造の瞬間にそれらのあやまちと戦うことを学ぶのです。

●[相手役の注意を引く]
★課題 ・友人に何かを頼む、何かを渡す、何か相談して決めるために、気づかれないように相手の注意を引く。
未知の人、有名人、子供、騒がしい聴衆の注意を引かなければならないとき、どのような行為が生まれてくるか、確認する。

○注意点…相手役との交流を始めるには事前のオリエンテーションの後で、相手役の注意を自分に引き付ける必要が生まれる。
もし相手役が交流を避けたり何か他のことに気をとられているならば、積極的な行動になることもあるでしょう。

●[相手役への適応(対応)]
 適応の性格は多くの状況に依存します。
私と相手の相互関係、彼に対するわたしのもくろみ、相手自身の行為、われわれの相互行動が行われる条件などです。
★課題 依頼や命令を遂行させるために……。
愉快な、また不愉快な消息や情報を知らせるために……。友好関係を樹立するために、また反対に関係を断絶するために……。
年長者、年少者、好感のもてる相手、嫌いな相手との私的な、公的な会話……

○注意点…相手役同士の相互行動が進むにしたがって、適応は不変ではあり得ないのです。
状況の変化と相互関係の発展にしたがって、相互行動を闘争と見做すならば、
それらは新しい攻撃と防御を生み出すために、常に変化するのです。
例…「駅で同級生が会う。挨拶を交わし、懐かしく友情を確認しあったのだが、
同じ公務員でありながら一方が地位の高い役職まで上ったのを知った方は、異常な変化を起こす。
急に顔面蒼白となり、化石のように立ちすくんだが、間もなく其の顔は大きな微笑でクシャクシャになり、
まるで彼の顔と眼から火花が散ったようだ」と描かれる。
社会的な地位の格差が、昔の友人関係に越えられない障壁を築いた。

○注意点…もし有機的過程が正しければ、適応や対応は実生活においても舞台においても、自然と生じるものです。
もし、作為的なものであったり、示唆されたものであった場合、潜在意識の一かけらでもいいから、
適応に生き生きとしたものを吹き込む努力が必要です。
意識的に反復される舞台の適応は、次第に生気を失い俳優の内面の表現の役割を果たせなくなります。
相手役に対する適応の代わりに、知らず知らず観客に対する適応、即ち役の生活の有機性を麻痺させる紋切型となっていくのです。

[適応の多様性の発見]


常に古い適応を更新し、新しい適応を見いだすためには、絶えず自分の想像に刺激を与え、感情の記憶の蓄積を
豊かにしていく必要があります。
役の一つ一つの要因に、俳優がたった一つの適応ではなく、多くの適応を持っているとしたら、
俳優は一つの適応にしがみつくこともなく、自分の感覚、感受性を信頼し、自分の行動に立ち返って、
行動に対する様々な適応方法を確かめられるのです。

★課題 自分の頼みを聞いてくれるよう、相手を説得する…(俳優は相手に適応する)
・人間の様々な気分・気持ちをカードにする。
カードを引いてその手にしたカードに書かれていた気分が、俳優に課された[適応しなければならない状態]とします。
(平静・興奮・優しさ・皮肉・嘲笑い・難癖・非難・我が儘・軽蔑・絶望・威嚇・歓喜・嫉妬・猜疑・驚きetc)

○注意点…もっとも不適切と思われるような、行動の論理に矛盾する適応が、相手に最も力強く働きかけることがあります。
人に頼み事をする時は、人を嘲笑い軽蔑するような態度をとる事は有りません。しかし、まさにこのような言葉本来の意味と、
行為(非言語的コミュニケーション)の間の思いがけないコントラスト・ギャップは、しばしば最大の効果と表現に導きます。

★課題 オリエンテーション・対象の注意を引く・対象への適応即ち相手役への働きかけの総合的な訓練課題。
言葉の無い相互行動の練習…言葉以外のコミュニケーション
[ゲーム的雰囲気をもたせたもの]
・目の動き、顔の表情そのもので相手と意思の疎通を図る。
・手を打つ音のみで相手と意思の疎通を図る。
・ジブリッシュ(めちゃくちゃ言葉)を用いて意思の疎通を図る。等。
例題
1.状況・病室。まどろむ重体の病人の枕元で、見舞いに来た友人達の会話の無い会話
2.状況・ラジオスタジオ。放送中におきた、放送に関係の無い事件の解決

○注意点…大切な事は身体行動のみで相手役の注意を引き、彼に適応し接触を確立し働きかけ、彼の反応を受け入れ、反応を評価し、
変化した状況で自分の行動のもっとも合理的な論理を発見することです。
またこれらが、どのような意味を持つかを自分自身の経験で認識することです。
相互行動は、単に積極的に相手に働きかける能力だけではなく、この働きかけを正しく受け入れる能力を前提とします。
しかし、しばしばこの正しく受け入れる過程は、舞台で消えてしまいます。
多くの俳優は相互行動の能力を利用するとしても、自分の役の台詞を言っている間だけであり、いったん沈黙や他人の台詞が始まると、
耳を傾けて聞こうとせず、相手の考えを受け入れず、次の自分の台詞の番が来るまで、演技する事を止めてしまうのです。
相互行動は、会話のみならず沈黙の(例えば目だけの)会話が続いているときにさえ、感情の吐露と受入を要求しているのです。

■アイホールでは、ジブリッシュを重要な訓練方法と考えました。
ジブリッシュによって言葉に頼らない感情の伝達を試みたのです。
ジブリッシュの「音の勢い」や「抑揚」「テンポリズム」と、
パントマイムやジェスチャーではない、ささやかな身体表現で、ショートストーリさえも
表現することができます。
つまりジブリッシュで相手役と観客とを納得させることができるのです。
それには様々な条件がありますが、演劇が戯曲によってのみ成り立つのではなく、
俳優の表現によって初めて価値が生まれるということの証明にはなるでしょう。
今の日本の環境では、ジブリッシュの利用は、交流と感情表現の訓練に大変有効だと言えます。
また、台詞では十分な感情表現が出来ないのに、ジブリッシュで演技すると、鮮やかな表現が生まれる事が有ります。
言葉への抵抗。例えば標準語と方言、幼い頃からのシツケとタブー。様々な原因が考えられますが、
言葉と感情表現の関係に、問題があると解るだけでも、解決の可能性が高まります。


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