[心身の緊張の把握]

演劇の演劇たるところ、ライブ。すなわち公開の創造ということを考えましょう。
公開の創造で、演技を創りだすための最大の障害は、俳優の心身の緊張です。
心身の緊張には、声の震えや膝がわらうなど自分で自分をコントロールできない自覚症状や、
見えていない、聞こえていないなどといった、もっと重症で自覚できない症状もあります。

心身の緊張とはどんなものか、その体験と克服を目的に、普段何気なくやっている行為を人に観られている環境で実際にやってみましょう。
演技は、人に見ていただく目的で創られます。
人に見られる時に沸き上がる[心と身体の緊張]を心身で体験し理解する必要があります。
またその「自分でコントロールできない衝動・情動」を、コントロールする技術も身に付けていく必要があります。

緊張することは悪いことでは有りません。繊細さの指標でもあります。しかし緊張と集中は正反対の心の状態なので、
コントロールできることが大切です。

Exercise・心とカラダの緊張の把握[歩行]

★課題 
(1)生徒全員で、教室の中を歩いてみます。
教室の中で、だれにも見られていないと思う時、緊張の度合は薄れます。
ただダラダラと惰性で歩いたり、投げやりに歩かないで、美しい姿勢で歩いてみましょう。
自分が正しい姿勢と思う姿勢で歩くことを求めます。
それでも多くの生徒が、姿勢を正しくするために矯正されます。
歩く姿勢は、その瞬間までのその人の人生を…生い立ちや生活の姿勢、仕事etc…
具体的に表現してくれる大きな手がかりなのです。
そこには、その人の性格までが反映しているといっても過言ではないでしょう。
歩く
1996年 『トワレット 歩く』

■アイホールでは、自分の普段歩く姿勢を大切にするように求めました。一方で、美しい歩き方ができるようにも求めました。
人間を表現するときに、まず手がかりとなるのが、歩く姿です。

自分の歩く姿の探究を、人間探究の一歩として使いこなせるように努力することが大切です。
また美しい歩き方が実は一番他人に注目されない、人目を引かない歩き方であることを理解していくことが大切です。
ファッションモデルの歩き方が美しいと言われますが、彼女達はファッションの表現のために非常にアクセントの強い歩き方をします。
彼女達は人として美しい理想的な歩き方とは程遠いことを知らなければなりません。

職業による歩き方の違いや年令、性別、性格的な印象など、普段から様々な人々の歩く姿を観察するように求めました。

★課題 
(2) 俳優一人が、全員の注目を集めながら歩く。
歩く目的や、どこを歩いているなどの、一切の条件を持たずに、ただ単に見られている事を意識して、輪の中を歩きます。
全員が作る輪の中を一人で歩いて行くと、自分にもコントロールできない緊張が発生していることに気がつきます。
人前で歩くことに慣れていないと、色々と面白い現象が生じます。
口が乾いたり、何処を見て歩けばいいのか首を振ったりキョロキョロしたり、右手右足(ナンバと呼びます)で歩きはじめたりします。
これが緊張です。緊張は頭で緊張していると分かるのではなく、自分の体が思い通りにならない時に緊張していると判断します。
この時には、実は大変沢山のトラブルを抱えているはずなのですか、緊張しているために、自覚できないのが実情です。

■アイホールでは、生徒一人一人に、どのように緊張していたかを具体的に説明してもらいました。
それがその生徒に、一番発生しやすい「緊張による肉体的現象」だからです。
また、他の生徒から、歩いた生徒を観察して、どのようなことに気がついたかを聞きます。
緊張を体験した生徒にとって、自分になにが起きたかを知ることは、大切な経験ですし、一方緊張していたと理解していたことと、
「実際に自分に起きたこと」の違いを、観客(観察していた他の生徒達)と話し合って、発見し納得してもらうことも大切でした。

★課題 (緊張からの解放)
(3) 全員の注目を集めながら、目的を持って歩く。
同じように一人だけで全員の作る輪の中を歩いても、自分で何か歩く目的をその場で見つけて、
行為として歩きはじめると、人は緊張から解放されていくものです。
それでも胸がドキドキしたりしますが、課題(2) のように歩くことそのものが、緊張に「おしひしがれて」と言うことはなくなります。
これは、注意を集中すべき焦点が生まれて、行動や周囲の状況に惑わされることが少なくなったと考えられます。

★課題 
(4) 全員の注目を集めながら「もし……だったら」の状況設定をして、目的を持って歩く。
(学校の1シーンとして、忘れ物を取りに戻ってくる等)
演技創造の一歩として「目的と表現すべき内容」を持った『歩く行為(演技)』を求めます。
これはゲームや遊びのように楽しみながらやる必要があります。
たぶんこの結果は皆さんのご想像どおりです。
心身の緊張というのは、環境への適応(慣れ)やしっかりとした注意の集中によって、
大きく改善されていくのです。

○注意点…歩く姿には、その人の人生が映し出されています。
その人の性格や日常の癖、住んでいる場所、働いている場所など、
様々な要素が歩く姿に反映しているのです。
その為に、歩くという単純な行為には、状況の変化や人に見られるということ、
何故歩いているかという目的などによって、大きな変化が表れてきます。
その変化が訪れた時に、何が自分の中に起こったのかを客観的に理解する事が大切です。
歩く
1996年 『トワレット 歩く』

■アイホールでは、課題(2)については大変な緊張を招きました。
どこを見て歩いていいのか分からない人から、ナンバで歩きはじめたり、類人猿のように足を引きずって下を向いたまま歩いたり、
普段の癖が強調されて出てくることが多いようです。

しかし課題(3)になると「緊張して歩く」ことから劇的に解放されます。
自分の生活の中の1シーンを思い出してそれを行動の論理に置き換え、具体的に論理の遂行を果たすとき、
「見られている」ことを意識するために囚われていた緊張の鎖から見事に解き放たれていきました。
私は、課題(1)から課題(2)を実行したときに何が自分の中で起きたのか、何が変わってしまったのかを尋ねます。
そのうえで課題(3)を実行したときにも、自分の中に起きた変化を尋ねていきます。
どのようなことでも自分で自分の中に発見したこと、またそれを言葉にして説明して行く時、
経験は大きな体験となって心に刻まれていきます。

■アイホールでは、(3)(4)を宿題としました。
俳優の仕事というのは、自分の努力の成果を稽古場においてプレゼンテーションし、参加者全員の創造に寄与することが大前提です。
稽古場で台詞を覚えたり、行為を考えたりすることがあってはなりません。全員の時間を自分だけの為に消耗してはならない。
また、演出の演技指導(振付け)のまま演じてはなりません。まず自分の創造性を大切にして欲しいのです。
自分で考え、自分で工夫する、その習慣を養う為にも課題を宿題としました。
生徒が自分の作品としてプレゼンテーションしてくれることを求めているのです。
もし生徒が自発的にプレゼンテーションしなければ、その課題については棄権したことになり、
その稽古時間中では、その課題について、二度と発表する機会が得られません。
プレゼンテーションした課題は評価され、問題点を示され、改善すべき点が与えられます。
また、参加者の希望により、再度プレゼンに挑戦することも可能です。
これにより次の課題の基礎が形作られていくのです。
これは、結果的に自立心をもった俳優を育て、積極的に難局に挑む心構えを養いました。



[リアリティ…有機的行為への理解]

アニマル カメレオン
1995年『アニマルエクササイズ カメレオン』

演技は有機的行為だといわれますが、有機的行為とはなんでしょうか。
有機的とは『多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っている』もので、
有機体とは『生物・生命活動をしているもの』といわれます。

とは言っても、演技の有機的・無機的とはなんでしょうか。
有機的行為と無機的行為を仮定してそれを比較して、はじめて有機的行為というものが見えてくるでしょう。
無機的行為を定義するには、オートメーションの工場を考えましょう。
ベルトコンベアーにのって小さな部品が移動していくと、何時のまにか製品が完成しています。
ベルトコンベアーの両サイドには、大小様々なロボットが整然と並んで、精密に仕事をしています。
同じことを繰り返し繰り返し、間違えることなく……。リズミカルな動きは、美しくさえあります。
そこへ花一輪を投げ込んでみましょう。
ロボット達は、その花を無視するか異物として捨ててしまうでしょう。プログラムに、花を扱う事は書いていないのです。


ある有名な劇団の公演で、居間の場面の佳境に入ったとき、突然壁の掛け時計が大きな音をたてて落下しました。
客席も舞台も一瞬何事かと夢から覚めた状態となりました。
しかし、しばらくしてその場の俳優達は何事も無かったかのように演技を再開したのです。
時計の落ちたことには誰もふれず・・・何事もなかったのように・・・。
どんなに素晴しいお芝居でも、この瞬間に彼等の演技が、ロボットや人形のような演技だったことがわかりました。
何も感じること無く何も作り出すこと無く、ただプログラム通りに美しく再現していくオートメーションの芝居だったのです。
それなら、失敗のない映画やビデオの方が、安心して楽しめます。
このような舞台演技を、無機的な創造の現場と定義しましょう。
さて、その反対が有機的行為なのです・・・。
「舞台上で[本当に見、聞き、考え、感じ取り、行動する]能力」(有機的行動力)です。


Exercise・リアリティ…有機的行為への理解[目的をもった行為の分析]

『舞台行動の理解』を目的に[リアリティ…有機的行為への理解]を培っていきましょう。
舞台上で実生活と同様にリアリティをもって、有機的に行動をする事ヘの理解を求めるのです。

○注意点…演技創造上の真実感(リアリティ)とは、観客にとっての真実感(リアリティ)であって、
表現者のワガママな事実(リアル)ではありません。
このレポートの中で、真実感(リアリティ)は数多く話題とされますが、原則は俳優自身が感じる真実感(リアリティ)ではなく、
すべて観客が納得できる真実感(リアリティ)であり、時代や世代、価値観の変化で大きく変わることが予想されます。
ライブである舞台表現は、つねに時代とともにあり、その社会とともにあります。
どのようなメッセージやイメージを創造するにしても、観客に対して表現することを前提としています。
そのため、観客の真実感(リアリティ)を中心に考えなければなりません。
真実感(リアリティ)とは嘘が真(まこと)と観客に信じていただける瞬間の事です。真実でも本物でもありません。
俳優の表現によって、架空の出来事が、真実の出来事のように信じられる事なのです。
現実社会では、事実が真実として受取られないことや、まっかな嘘が真実として通用している事がありますが、
舞台は、嘘であることを前提に、真実と感じられることが大切なのです。観客は楽しく騙されることが大切なのです。


★課題 
俳優にアクセサリーなど小物を預かり、それを教室内に隠し捜してもらいます。
俳優が苦労して発見したあと、同じ行為を演じるように求めます。
○注意点…俳優が繰り返し練習する場合、隠された品物を捜すという行動の過程そのものが再現されるのではなく、
その外面的な振り[ミザンスツェーナ(舞台上の行動軌跡)]と記憶に残った反応が表現される事が多い。
最初の行動には、捜すという実生活の欲求と目的があったのですが、繰り返すことで、場所が判っているため、
捜すという欲求が無くなって、外面的な行動の描写の道に追いやるのです。
演技化する時に求められる事が、どのようなものなのか、考えていきましょう。

<重要ポイント>
外面的な「探しているらしい」描写ではなく、すなわち、捜していることを表現するのではなく、
捜すと言う行為が、どんな行為の積み重ねで出来ているかを確認しましょう。(行為の論理)
小さな目的をもった行為が積み重なって、捜すという行為になるのです。
また、その小さな行為一つ一つが積み重なって、観客に「捜している人」というリアリティを感じさせるのです。
捜すという行動を表現する、小さな目的をもった行為の数々が、行動を組み立てている論理と考えられます。
私達は演技表現に至る、行動を組み立てている論理を探し出す必要があります。
そしてその論理の実践こそ、演技行為の創造に他ならないことを実感しましょう。


■アイホールでは、一度目は普段のまま「捜す」という行為が「生」で展開されます。
そして二度目は、見る振り、捜すふり、捜しているらしさのオンパレードになります。
行為そのものの表面的な繰り返し作業となるわけです。
つまり、ストレートプレーではなく、「仕方振り・○○らしさ」のフォームプレイ(型芝居)になってしまっているのです。
そこでまた、隠す場所をかえると「生」にもどります。
私達は「生」の表現を求めているわけではありません。
隠されている場所が変わっているかもしれず、同じかもしれない、そのような捜すという行為に含まれる事件と事実を、
忠実に表現して行く事を求めているのです。
とうぜん一度目と二度目の行動の軌跡は違うでしょう。しかし、行為の論理は同じなのです。その行為は、
捜すという行為の論理に基づいています。
人間はロボットのように同じ行動を正確に繰り返すことはできません。
できないからこそ人間なのであって、演劇の素晴しさの源泉なのです。
ですから椅子をひっくり返して捜したなら、そのような事件を再び起こし、何もなかったという事実を
再び表現してほしいのです。
その為には様々な椅子のひっくり返し方を生み出すような、その場でふさわしい行動を選択しなくてはなりません。
それは瞬間の出来事です。
演技は瞬間の創造の連続なのです。



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